第3話 郷愁
「ようワカメの姫さん。今から仕事か?」
「あ、おはようございます見回りさん。ええ、今日から一時間早く入ろうかと」
いつものように身支度をしたファレンは、正面玄関から外に出たところで巡回中の青年二人組と鉢合わせた。
身長は二メートル近いだろうか、恵まれた体躯を持つ警備兵の片割れに呼びかけられたファレンは、にこやかに挨拶を交わす。
空のポリタンクを持つ左手には、今や生活に欠かせない装具となった螺鈿の腕時計が輝いていた。
「お、調整から戻ってきたんだな、その時計」
「そうなんです、お陰でやっと寝起きに絶叫しなくて良くなりました……これ、皆さんは本当に初期設定でも痛くないんですか?」
「確か最新式の目覚まし機能だろ? どんな寝ぼすけでも、心地よい刺激でスッキリ目覚められるって話題の」
「……心地よいって、なんだっけなぁ……」
こめかみをヒクつかせながら、ファレンは愛想笑いを返す。
確かに、この時計を贈ってくれたお客も同じ事を言っていた。デンキウナギ式の目覚ましは全身にピリッとした刺激が走って、自然な目覚めを誘導してくれるのだと。
――そう、病みつきになるよと勧める彼の説明を信じ「これで漸く決まった時間に起きれる」と喜び勇んで眠りについたファレンは、次の日断末魔の悲鳴を上げる羽目になる。
「いやもう、最初は全身が粉々になったかと思いましたよ……良く心臓が止まらなかったなって思うレベルで」
「心臓が止まるって……姫、それは流石に不良品だったんじゃ」
「残念ながら、正常に動作してましたね。お客さん達にも試して貰ったんですけど、大好評で……ついでにこのメーカーの売り上げが倍増したとか」
「そりゃ、姫様御用達の腕時計ともなればな。俺らも注文してるけど、一年待ちだって言われたぜ? 大佐なんて、陸上派遣の装備品に加える気で国に申請出していたし」
「ウドゥイさん、職権濫用が過ぎません……?」
人気が出たのはまあいいとして、このままでは毎日の目覚めが拷問になってしまう――
ファレンの実演により旧人類のひ弱さを見せつけられた彼らは、製造元に調整を依頼しがてら「対価ははずむから」とここぞとばかりにファレンの感電耐性を調べ尽くしたのである。
……その対価がスパム缶の増量であったことは、言うまでも無い。
それにしてもあの時のリトクワの目は、完全にモルモットを見る研究者の眼差しだった。
どれだけ言葉が通じても……親しく交わっていてすら彼らとの間には超えられない壁があることを、ファレンは改めて突きつけられたのである。
「お陰で今は、手首が弾けるくらいの痛みですんでます。これ以上出力は下げられないみたいですけど、まあ身体が痺れて起きられなくならないからいいかなって」
「なんともなぁ……野良人の駆除で陸の人がひどく軟弱であるとは知っていたが、ここまでとは」
「姫も無理はするなよ? 最近顔色が悪いだろう。ちゃんと飯は食ってるのか?」
へらりと笑うファレンに、有無を言わせない圧力が頭上から降り注ぐ。
この体格差は、最早暴力だ。きっと彼らは純粋にファレンを憐れみ心配しているだけなのだろうが、ぶつかってもあっさり弾かれそうな筋肉の鎧から発せられる言葉は、抗いがたい命令のように聞こえてしまう。
だからファレンはすっと目を逸らし、努めて明るい声で「大丈夫です」と返す。
……非常に残念だが、この言葉に説得力は一ミリも無いと分かっていながら。
「本当にか? 心なしかやつれたような気もするし、食欲が落ちているのでは無いのか」
「あーまあ、食べてないわけではないです、ないですけど」
「ないけど何だ? …………ん? あれは……」
「おいおい……! 姫さんよ、まだあの野良人を匿ってたのかよ……」
案の定彼らから詰められていたその時、中からごん、と重たい音がする。
玄関から中を覗き込んだ警備兵は、その音の主を見つけるなり「お前が身を削ってどうするんだ」「どう見ても、あの野良人の方が健康そのものじゃないか!」とよってたかってファレンを諫めるのだった。
――なにせ彼らの視線の先、廊下の窓から見える教室の中には
「ふっ……ふっ…………!」
制服姿でダンベルを片手に汗を流す少女の姿があったから。
◇◇◇
リルが目を覚ましてから、一月が経った。
あれ以来彼女の回復はめざましく……というか、ぐうたら生活のお陰で既に以前と変わらない程度までは回復していたようで、最近ではどこかの教室に転がっていたダンベルを握りしめ、筋トレに励む日々を送っている。
ファレンもこれまで散々旧人類を助けてきたけれど、回復した途端筋トレに走った奴は当然ながら初めてだ。
毎日低糖質高タンパクを地で行く生活をしているだけに、いつか彼女が筋肉もりもりになるのではないかと、ファレンはちょっとだけ怯えている。
(いや、鍛え上げても俺が襲われることは無いだろうけどさ……)
あの日、部屋の中に置かれた境界線のおたまは、今も絶賛活躍中だ。
ファレンが同じ部屋に入るときは、必ずリルがおたまを置く。そしてその先にファレンが踏み込むことは無い。
だから、少なくとも新人類達が心配するような刃傷沙汰は起きなさそうである。
「リル、戻ったぞ」
「あ、お帰りなさいファレンさん! ほら見て、力こぶが戻ってきたの!!」
「……お、おう……気のせいかな、俺より立派な腕になってるような……?」
戸惑いを隠せないファレンに、すっかり逞しくなった腕を見せつけるリルは、丸襟のブラウスにチェックのスカートを身につけている。
ロッカーから拝借した制服の胸元を飾るのは、色褪せた水色のネクタイだ。ポケットに入っている古びたお守り同様、両親の形見だという。
ここに来た当初身に付けていたセーラー服は、案の定集落の有力者に強いられたものだったらしく、元気になった途端校庭で焚き火の材料と化してしまった。
「あんな賢い学校に、あたし達みたいな『なり損ない』が行けるわけないのにねぇ! おっさんが学歴コンプこじらせちゃってさ」と笑う彼女は、幸か不幸か男の醜い真意までは見抜けていないと見た。
「ねえファレンさん、お腹空いたー!」
「知ってる。さっきから腹の主張が凄まじいからな」
「えへへ……ね、ファレンさんも一緒に筋トレやろうよ! ほら、筋肉は全てを解決するっていうし!」
「解決する筋肉が出来る前に、ダンベルに敗北する未来が見えるから却下させてくれ。第一、腹が減ったら食料消費量が増えるしな。ほら」
「わあい、いただきますー!」
床に置かれたトレイに、リルの目が輝く。
パキンと音を立てて蓋を開け、実に幸せそうにスパムにかぶりつく様子は、とてもファレンと同じ物を食べているとは思えない。
食べている間も彼女のおしゃべりは止まることが無く……そんな彼女に適当な相槌を打つファレンの内心は実に複雑だ。
そう、リルはとにかく明るくて、良く笑い、良く喋る。
――それこそが彼女の生存戦略なのだと、気付いてしまうくらいには。
「……リル、別に無理して笑わなくていいぞ」
「…………大丈夫だよぉ! そうそう、ファレンさんはここの掃除道具入れの中って見たことある? 今日気になって開けたら……」
一瞬顔を強張らせたリルは、それを誤魔化すかのように笑顔を振りまく。
ああ、いつも通りだなとファレンもそれ以上の追求は諦め、寝るまで彼女の話に付き合うのだ。
(元気になったら出て行けって、言うはずだったのにな……)
とりとめの無い話が続く中、ファレンは心の中で独りごちる。
最初は今まで通り溜め込んだスパムと水をいくつか持たせて、ここから退去頂く予定だった。
けれど、これほど男への恐怖が強い彼女のことだ。追い出したところでその未来は――どう考えても八方塞がりに違いない。
『生きてたら、何か一つくらいいいことあるんじゃないかなって』
救いの無い世界だからこそ、脳天気極まりないリルのささやかな希望くらいは潰えさせたくない――
そうちらりとでもファレンが思ってしまった段階で、彼女を追い出す選択肢は消えたも同然だった。
(ここにいたからって、良いことは無いと思うけどさ……はぁ、ホント何やってるんだろうな、俺は)
つくづく自分の甘さが嫌になると、ファレンはリルの止まないおしゃべりを肴に少しでも腹を膨らませようと、今日も水をがぶ飲みするのである。
◇◇◇
「はぁ……筋肉が喜んでるぅ……やっぱりお肉を食べると力がみなぎってくるよね!」
「うんまあ、満足したならいいさ。ほらタオル」
「あ、ありがとう!」
スパム缶は校庭の片隅に掘った穴に放り込み、食器は濡れタオルで汚れを拭って日当たりの良い場所に干しておく。
本当はきちんと洗いたいところだが、潤沢に水が使えるほどの量を一人で運ぶのは難しい。泉で食器を洗うのも少々気が引けるし、これで腹を壊したことは無いから良しとしている。
「あの、ファレンさん」
ファレンが時計を確認すれば、そろそろ22時を回りそうだ。
明日も早いしさっさと寝るかと腰を上げかけたその時、リルが声をかけてくる。
顔を上げたファレンの目に飛び込んできたのは、おたまの前できっちり正座をしてこちらをじっと見つめる……幾分緊張を孕んだ彼女の姿だった。
「ん? どうした」
「あっ、あのっ……あたし、もう十分元気になったと思うの」
「まあそうだな、筋トレに励めるくらいだし」
「うん。その、ファレンさんにはほんと、感謝してるの。あの時ファレンさんが助けてくれなかったら、あたし絶対本物の天女様に導かれてあの世に行ってただろうし。だから」
「…………!」
突如、リルがネクタイに手をかける。
ファレンの眼前で展開されるのは、震える声、そして引き攣った笑顔。
それでも……手が止まることは無い。
(……くそっ)
苦々しい想いを抱くファレンの変化に気付くことも無く、しゅるりと音を立てて落ちた水色の形見を握りしめ。
リルは「お礼を……させて下さい」と声を上擦らせ呆然と立ち尽くすファレンを見上げた。
「……リル」
「え、あ、えっと、大丈夫だよ!! 集落でもそういうのはたくさん見てきたし、やり方は知ってるから!」
「お前……」
「あ、でもあたしみたいな馬鹿でかい女じゃお礼にならないかな? 満足できるように一生懸命頑張るから……あはは、何であたし震えちゃってるんだろうねぇ……!」
「…………」
必死の笑顔で懇願するリルに、ファレンは大きなため息を零す。
そしてぽちぽちと腕時計を操作したかと思うと「リル」と低い声で目の前の少女を呼んだ。
(……ほら、ちょっと男らしく呼びかけただけで、そんな顔をするんだろうが……まったく!)
「ひゃいっ!?」
「お前の言いたいことはよく分かった。……目覚ましはセットしたから」
「うん」
「一時間、お説教な」
「うん…………んん??」
――それから一時間。
目覚まし時計でファレンが「痛ってぇ!!」とその場に蹲るまで、こんこんと説教は続いたのである。
「お前の脳みそは筋肉か? それともあれか、スパムで置き換わったのか」
「ううぅ、だってぇ……あたし、毎日いっぱいスパム食べちゃってるし、ファレンさんいっつもお腹空いてそうだし……こんなに食べさせて貰ったら、ちゃんとお礼しないと出て行けないなって」
「ほう、つまり食いしん坊食客の自覚はあったと。で、今もおたまの境界線無しには俺が部屋に入っただけで動けなくなるくせに、お前はどうして礼とやらをして、ここから出て行けると思ったんだ?」
「が、頑張れば出来るもん! ……多分、きっと、そういうことに……」
「もの凄い説得力の無さだな」
「ひどい」
まだ痺れの取れない腕をさすりながらあぐらをかくファレンの向こうで、リルは口を尖らせたままごろごろと転がっている。
流石に一時間の正座は効いたのだろうが、それでも納得いかないと言わんばかりの視線が、ちくちくと痛い。
近づけるならば、おたまでビリビリ痺れたふくらはぎをぺちぺちしてやりたい衝動に駆られつつも、ファレンはゴホンと咳払いをして「ともかく!」と往生際の悪いリルを一刀両断した。
「この世界で俺達旧人類が一人で放浪する事がどれだけ危険か、お前も十分分かっているだろう? これで、そのへんで野垂れ死んだり新人類に駆除なんてされたら、こっちの寝覚めが悪いんだよ」
「でもぉ……」
「でも、じゃない。ともかく俺はそういうものに興味は無い。そんなに礼がしたいなら、このクソ広い敷地内をくまなく探索して使えるものでも掘り出してこい。食料調達隊にいたなら朝飯前だろうが!」
「…………はっ、もしかしてファレンさんそんなに若いのに役立たず」
「明日からスパムは二缶な」
「うわあぁんごめんなさいっ!!」
……我ながら大人げないと思うが、この機会にスパムの配分は変えさせてもらおう。
礼を断られたときよりがっくりと肩を落とすリルを一瞥し、ファレンは「ほらもう寝るぞ」と話を切り上げ背を向けたのだった。
「スパム二缶で足りないなら、探索のやる気も起きるだろう? ……俺はスパムにはもう飽き飽きしているんだ。別の食べ物を見つけてきたら、スパム一缶と交換、いいな?」
「うぅ……頑張りますぅ……」
◇◇◇
食欲という本能が危機に陥れば、旧人類がどれだけの力を発揮するのかは、経験上骨身に染みている。
残念なことに、その方向性は禄でも無い結末しか起こさないのが定石だが、こと今回の騒動に至っては最適解であったらしい。
「あ、お帰りなさいファレンさん!!」
次の日、疲れた顔で校舎に入ったファレンを出迎えたのは、満面の笑みを湛えたリルだった。
ファレンが荷物を置くや否や、彼女は「こっち、付いてきて!」と校庭へ走り出てしまう。
その手に握られているのは、いつものおたま。
どうやら彼女にとって、おたまは自分の安全を保証する護身具へと昇格したらしい。
ずんずんと前を歩く彼女に指摘すれば「安心するんだよねぇ」と明るい声が返ってきた。
「ほら、いざとなったら武器にもなりそうだし!」
「……リルの筋力で殴られたら、俺は確実にあの世逝きだろうな…………で、どこに行くんだ」
「ふふっ、いいとこだよ! ファレンさん、きっとびっくりすると思う!」
上機嫌の彼女が向かうのは、校庭の奥の方だ。
そういえばこの先にはデカい建物があったっけなと、ファレンは昔の記憶を思い出す。
鉄筋コンクリートで作られた立派な倉庫らしき建物のシャッターはいくつもの南京錠で閉ざされていて、当時既に新人類から対価を貰っていたファレンはあっさりと探索を中断したのだった。
(……まさかな)
期待半分、不安半分でやってきた建物。
そこには
「……うそだろ、南京錠を破壊したのかよ……」
「ファレンさんがひどい、いくらあたしでも素手でぶち切るのは無理だもん!」
「で、ここのシャッターの凹みは?」
「…………シャッターくらいなら、勝てないかなって思って」
「結局素手で挑んでるんじゃないか!!」
終末前の空気を残した倉庫が、ぽっかり口を開けて佇んでいた。
シャッターはリルが殴ったお陰で半分までしか上がらないが、この状況下では些末事であろう。
「で、どうやって開けたんだ? 確か、南京錠があっただろう」
「扉の近くに針金が落ちてたの。あたし、こう見えて鍵開けは結構得意だったんだよね」
「ああそれ、俺が試して諦めたときのやつだな……あのな、お前の探索能力は認めるが、リルはまず筋肉を第一選択にするのを止めた方がいいと思う」
軽口の応酬を繰り返しながらも、二人は建物の中へと足を踏み入れた。
外の光が入らない建物の中はひんやりしていて、少し埃っぽい匂いが既に失ったはずの日常を思い起こさせる。
どうやらここはファレンの予想通り、倉庫だったらしい。学校行事で使うのであろう備品やアウトドア用品が、奥の方に整然と並べられている。
これは当たりかも知れないと、ファレンは詰まれた段ボール箱の中を覗き込み……思わず歓声を上げた。
「うわ……これ、全部乾パンじゃないか!」
「!!」
「こっちは……アルファ米の災害食か。凄いな、これなら毎日とはいかなくても、たまにはスパム以外の飯が食える……!」
思いがけない収穫に、ファレンが思わずガッツポーズを決める。
それもそうだろう。新人類の街で春を売り始めてから二年、ファレンがスパム以外の食料を口にしたのは片手で数えるほどしかなかったのだから。
「これは固形燃料か。これだけあれば火を使う頻度も増やせそうだな……ん? リル、どうした?」
違う味のものが食べられる。煮炊きもずっとやりやすくなる。
これなら飽き飽きしていたスパムも多少は食べやすくなりそうだ。
何よりこれで当面二人分の食料は確保出来ると、ファレンはほっと胸をなで下ろす。どうやら思った以上に、一日スパム一缶生活はファレンの心を削っていたらしい。
だが、段ボールを開ける度にテンションが上がるファレンとは対照的に、リルはびっくりするほど静かである。
あれほどおしゃべりを絶やさない食いしん坊少女がどうしたことかと、ファレンは反対側の棚を探索しているリルに声をかける。
……ゆっくりとこちらを振り返ったリルの顔には「げんなり」の四文字が浮かび上がっている様に見えた。
「……随分浮かない顔だな。これほど大量の食料なんて、今時よほどのことが無いと見つからないだろうに」
「だって……全部非常食だし……」
「ん?」
「もうカチカチで口の中がパサパサになる炭水化物は、見たくないかなって。筋肉にも悪いし」
「どれだけ筋肉を愛してるんだよ」
気持ちは分かるけどな、とファレンは憮然としたリルを慰める。
リルの集落は当初からずっと、災害備蓄拠点を転々と渡り歩いてきたと以前話していた。つまり、乾パンはファレンにとってのスパムと……いや、倍以上の期間食べ続けているならそれ以上に、他の選択肢があるなら御免被りたい代物ということで。
「……リル、スパムは今日からも三缶食っていいから。俺は乾パンの方が嬉しいしな」
「ほんと!?」
「ただし、昨日みたいな礼をしようとしたら、すぐ乾パンに変えるから」
「もう二度と言いません! うん、何があっても絶っっっ対に言わないです!」
「…………お前、心の底からタンパク質に飢えていたんだな……」
何はともあれ、ファレンは飢えとリルのお礼という二大危機をリルの活躍により見事脱したのである。
◇◇◇
「はあぁ……美味かった…………醤油味なんていつ振りだろう……」
「折角固形燃料もあったんだし、お湯を使えば良かったのに」
「ああいうのは、いざというときに使うものだろう? 水でも十分だよ、今の俺には」
倉庫から早速頂いてきた非常食の炊き込みご飯に舌鼓を打ったファレンは、いたく上機嫌であった。
やはり米の力は偉大である。これこそが食事だよな! と全身の細胞が雄叫びを上げているようだ。
リルはといえば、こちらもスパムをペロリと食べ尽くしてすっかり満足顔である。
明日の朝昼用であろう二つのスパム缶には、恐らくどこかの部屋で拾ってきたのであろう油性ペンで「りる」と名前が書かれ、とても圧の強い所有権を主張していた。
「……別に勝手に食べやしないぞ」
「うん、ファレンさんは大丈夫だって分かってるんだけどね。集落じゃちゃんと保管しておかないと、勝手に食べられることもあったから……書かないと落ち着かなくて」
「ああ……あるあるだな……」
昔を思い出し遠い目をするファレンに「でも、凄いですね」とリルは相変わらずおしゃべりだ。
スパム缶を愛おしそうに撫でながら「ファレンさん、本当は強いんでしょ」と妙なことを言い始めたから首を捻れば、だってと尊敬の眼差しを向けられる。
「毎日スパム缶と真水をいっぱい手に入れられる拠点を、一人で押さえているんでしょ?」
「え」
「あっ、ううん場所は聞かないから! でも、ここから随分遠いんだよね? 一日がかりで往復だなんて、良く他の集落に見つからないなって。あ、もしかして目くらましの魔法が使えるの?」
「そんな役に立つ魔法、俺達が使えると思うか」
「あはは、ないよねぇ!」
魔法より筋肉の方がよっぽど頼りになるもんね、と笑うリルの姿に、そう言えば食料の入手先について話したことは無かったなと、ファレンは今更ながら気付かされる。
ファレンが実は猛者であると、盛大なる勘違いをしているリルの夢を壊すようで申し訳ないが、別に隠す必要も無いという結論に至ったファレンは、干してある仕事着を指さして「覚えているか」と口を開いた。
「お前が目覚めた日に話したと思うが、あれは新人類から貰ったものだ」
「うん。それは聞いたよ」
「で、スパム缶と真水も、新人類から貰っている。まあちゃんと仕事の対価としてだけどな」
「へえぇ、新人類と仕事…………ええええ!?」
「ちょ、リル声がでかい!!」
……どうやら彼女は、その言葉の意味を今の今まで全く理解していなかったのだろう。
リルはこちらの鼓膜が破けそうな大声で突然叫んだかと思うと、さっと顔色を悪くして「……よ、良く生きてるね、ファレンさん……」と怯えを露わにした。
(ま、普通の反応だよな、これが)
集落に伝わる新人類の噂話は、多少の違いはあれど基本は「見つかれば最後」である。
一応確認してみればリルのところもやはり同じだったようで、男は食料、女は奴隷として連れ去られ、彼らが襲撃してきた集落は文字通り更地になると聞かされていたそうだ。
「……あ、でもファレンさんは手も足も無事だよね? ……まさか内臓を売って」
「どうしてそんな物騒な方向に……いや、新人類はそんな野蛮な連中じゃ無いぞ? こちらから攻撃を仕掛けたり、彼らの禁忌にさえ触れなければ問題ない」
「ほ、本当に……? その服の下、実は機械に置き換わってたり」
「しないって。……見たいのか?」
「見ません」
「よろしい。怯える気持ちも分かるけどさ、新人類は……多少荒っぽくて変態なところはあるけど、気のいい連中だよ。話せば分かるし理も通じる」
(そう、今の旧人類より、よっぽど通じるんだよ)
文明を失った滅び行く種族が、かつてのような理知を取り戻す日はきっと来ない――
今日は米を食べたせいだろうか、現実がいつも以上に胸に重くのしかかってしょうがない。
そんな内心を悟られまいと心を誤魔化しながら、ファレンは未だ信じられないといわんばかりの視線を送るリルに、遅くまで新人類のあれやこれやを語るのだった。
◇◇◇
「ファレンさん、やっぱり私も街でお仕事した方がいいかなって……」
「昨日も言ったとおりだ。リル、お前には出来ない。万が一出来たとしても……それは最後の手段に取っておけ」
新人類のことを、そしてファレンの仕事の話をしたあの日から、リルは毎日のように仕事がしたいと訴えるようになった。
当然、ファレンはすげなく却下するだけだ。折角集落から逃げてこられたのに、わざわざ心をすり減らすような世界に飛び込む必要は無いと、こんこんと説教を繰り返している。
……ファレンに仕事話を持ちかけるときは、いつだっておたまをぎゅっと握りしめていることに、きっと彼女は気付いていない。
「だって、ファレンさんずっと無理してるよね? いっつも顔色悪いし、疲れてるし……時々辛そうだし」
「まぁ……そうなのかもな」
「そうなのかもな、って……」
「自分でももう、よく分からないんだよ。それに俺は元々、リルほどこの世界で生きたいわけじゃ無い」
「でもっ」
「飯は食えてる。倉庫の食料も思った以上にあったから、少なくとも2-3年は何とか二人分を捻出できる。今はそれだけで十分だ」
「…………その後は?」
「さあな。この状況でそんな先のことを考えても仕方が無いだろう?」
もう寝るぞ、とファレンはランタンの明かりを消す。
これもあの倉庫で見つけたものだ。塩水を入れるだけで明るく光るランタンに、二人はいたく感動を覚えると同時に妙な虚しさを覚えたものだった。
放送室にランタンを持ち込むことを提案したのは、リルの方だ。電気を消すという行為に、彼女はどうやらかつての生活の名残を見出したらしい。
それでも暗闇に二人でいることにはまだ慣れないようで、大抵寝落ちするまでリルのおしゃべりに付き合うのがファレンの日課となっている。
「海辺の廃墟はねぇ、中途半端に壊されてるところが多かったかな。多分、探索中に新人類に見つかったんじゃないかなって、骨も時々落ちてたし」
「そうか。それで、食料はあったのか?」
「んー……たまに、かな。でも米は酷い臭いで虫だらけだったし、やっと缶詰を見つけたと思ったらペット用でちょっと残念な味だったり」
「食ったんだな……」
「でも、一番欲しかったのはご飯じゃないんだ。……あのね、あたし種を探してたの。ほら、この辺ってもともと田んぼや畑だらけだったし、家庭菜園をしてる人も多かったから」
「……種?」
集落近くの種苗倉庫や農協の残骸は、とうの昔に空っぽだった。
ならば農家らしき民家を、それも旧人類が寄りつかない海辺の廃墟を探索すれば、もしかしたら種が手に入るかもしれないとリルは考えたようだ。
残念ながら彼女の目論見は見事に外れたようで、更に手に入る食料や水も乏しく、種探しに割けるほどの余力もだんだん無くなっていく。
……ここに辿り着いた頃の記憶は、ほとんど残っていないらしい。
それにしても、彼女は何故種を探していたのだろうか――
ふと気になって暗闇の中で訊ねれば、リルは「内緒だよ」と声を落とす。
「あたしね、植物を育てられるの」
「…………え」
「だから種があれば、魔法で育ててご飯が食べられるかなって考えて」
(……今この子、とんでもないことを言わなかったか!?)
唐突な話にファレンは目を見開き「魔法で、育てる……」と独りごちる。
だが、暗闇の中では彼の驚きが伝わらなかったのだろう。リルはさっきと変わらぬ様子で蕩々と語り続ける。
「そうなの、土も水も栄養もいらないんだって! あたし、魔法使ったのは幼稚園の時だったから全然覚えてないけど、カラスノエンドウの小っちゃい種に魔法をかけて育てたって聞いたよ」
「……だが、それ以来使ってないと」
「お母さんがね、絶対使っちゃダメだってずーっと言ってたの。でもこんな状況だし、お腹も空くからもう使っちゃえって思って……あーあ、どこかに種が落ちてないかなぁ」
新人類が襲ってこないなら、もう一度海辺の廃墟に行こうかなと思案するリルの言葉は、もうファレンには聞こえていなかった。
――だってそうだろう、これほどおあつらえ向きな状況がやってくるだなんて、これまで想像だにしなかったのだから!
(これは……いけるかもしれない……!)
終末を迎えて五年。
それは、ファレンが初めて希望というものをこの世界に見出した瞬間だった。
「……あれ? ……ファレンさん、寝ちゃった?」
おたまの向こうから聞こえなくなった相槌に不安を覚えたのだろう、リルがそっと呼びかける。
寝るどころじゃない、というか寝られないだろうこれは! とファレンは勢いよく布団から起き上がり、きっと灯りが見えていたら怯えられたであろう興奮を滲ませた表情でリルに「……作れるぞ」と伝えたのだった。
「え」
「種だろ? ……俺の魔法で作れる」
「……へぁっ!?」
◇◇◇
十分後、二人は再びいつもの教室へと戻っていた。
さっきまでいい感じにやってきていた眠気は、どうやら明後日の方向に飛んでいったようだ。きっと今日は徹夜になるなと心の中で呟きつつ、ファレン達は改めて互いの魔法について詳細を擦り合わせる。
「……というわけで、俺が作れる種は一日に五粒だけだ」
「作ってもしんどくならない? ……身体が弱ったり、サイボーグになったり」
「リルはまず、俺を機械化するところから離れてくれ。その手の副作用は無いから安心しろ。で、リルの方は」
「んー、お母さんも詳しくは教えてくれなかったから……あたしが知ってるのは、種から植物を育てられるって事だけ。後は取りあえず使ってみたら分かるかなって」
「いつも通り脳筋で無計画だな……まあ、今回は仕方ないか……」
努めて冷静に説明をしているつもりだが、つい口元が緩んでしまう。
それも仕方の無い話だろう。ファレンが種を作り、リルが育てる――上手く行けば、数年ぶりに新鮮な野菜や果物が食べられるかも知れないのだ。
それはリルも同じのようで、今にも踊り出しそうなほど浮かれきった彼女は「何の種にしようかなぁ」と真剣に悩んでいる。
「ふっかふかのサツマイモもいいよねぇ……あ、ジャガイモもいいかな、粉ふきいも美味しいし……はぁ涎がでちゃうぅ」
「リル、妄想が先走りすぎだ。炭水化物はこりごりだったんじゃないのか」
「さつまいもは硬くないし、ぱさぱさじゃないもん!」
すっかり頭の中が芋一色になってしまったリルに、ファレンは気の毒そうな顔で悲しいお知らせを告げる。
――そう、芋は種子から育てるものでは無いのだと。
「俺の魔法では、種芋は作れないんだ」と聞かされた瞬間のリルの顔は……何というか、とにかく凄かった。
いや、本人がいたく真剣なのはわかっているのだが、ちょっと噴き出しそうになったのは内緒だ。
何せバレたら、ものすごい勢いでおたまが飛んでくるかも知れないから。
「大体、種芋が作れるなら俺は毎日芋を食って生きているだろうが」
「あ、確かに……じゃあ、かぼちゃにしようよ! 甘くて美味しいし、お腹いっぱいになりそう!」
「へいへい、どうしても火を使う野菜からは離れられないんだな……そうだな、かぼちゃの種は作ったことがあるから、お試しにはちょうど良いか」
リルのリクエストに「一粒だけな」と返し、ファレンはすっと目を細めた。
この魔法を失敗した記憶は無いが、これほど胸の鼓動が喧しい状況で行使するのは初めてなのだ。貴重な機会を逃してはいけないと、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「うふふ……種……種…………」
「……リル、集中が削がれる」
「あ、ごめん」
ああ、リルの笑顔と期待の眼差しがどうにも胸をざわつかせる。
けれど――こういう期待を持たれるのは忘れるほど久しぶりで、だからちょっとだけ……心の砂の音が、かき消されるようだ。
きっと今日は、魔法を使っても気落ちすることはないだろう。
「……小さき命の粒よ、今ここに顕現せよ……!」
ファレンの詠唱が終わるや否や、ふわりと手のひらが光に包まれる。
光が強まること十数秒、手の中に光が収束するのを待ってそっと開けば、そこには見慣れたかぼちゃの種がちょこんと鎮座していた。
その光景に、リルは言葉も無く目を丸くしている。
「…………種、だ……」
「おう、紛う事なき本物の種だぞ。剥けばちゃんと食えるし」
白く平たい種をファレンはぽとりとリルの手のひらに落とす。
リルは感極まった様子で種をしげしげと眺め、やがてそっと手の中に握り込んだ。
文字通りこれは、リルにとっての希望の種なのだろう。祈るように添えられた手が、全てを物語っている。
「リル、落ち着いてやれよ」
「う、うん……大丈夫、出来る、詠唱は覚えてるから……!」
ファレンがそっと見守る中、リルは床に種を置く。
きっと緊張で喉がカラカラなのだろう。ゴクリと唾を飲み込む音が、ここまで聞こえてきそうだ。
そうして右手をかざし、何度も「あたしなら出来る、大丈夫」と呟きを繰り返してすぅと息を吸い……少し震える声で、けれどはっきりと、己が詠唱を口にした。
「小さき命よ……その輝きを解き放て……!」
「……!!」
途端、魔力の光がリルの周りに渦を成す。
すみれ色の瞳は煌々と輝き、あまりの魔力量に踏ん張っていないとこちらがなぎ倒されてしまいそうだ。
(嘘だろ……この魔力量、どう見てもなり損ないのレベルじゃ無い!)
ファレンは膨大な魔力の奔流が種へと注がれていく様を、驚きを隠せぬまま固唾を呑んで見守っていた。
通常、後天的な魔法を習得出来ない彼らの魔力量は非常に少ない。だが目の前の少女が発する魔力は、一般的な成人の……いや、類い希なる素質を持つ魔法使い達のそれと遜色ないレベルである。
魔力量の多いなり損ないはいないわけでは無いが、かなり珍しいタイプであることには違いない。
「……芽が出た……!」
「おおっ……!!」
リルの呟きにはっと目を凝らせば、確かに種から鮮やかな緑がぴょこりと顔を出している。
溢れんばかりの魔力を注がれた芽は、まるで早送りをするかのように急速に芽を伸ばし、可愛らしい双葉を開かせた。
「本当に育つんだ……てか、めちゃくちゃ早いな!」
ファレンが感動に浸る間もなく、葉は生い茂り蔓はどんどんと伸びていく。
やがて黄色い花をつけたかと思うと、根元が膨らみ始めた。
豆粒ほどの膨らみは既にかぼちゃらしき見た目を呈していて、実と共に期待は否応なしに膨らんでいく。
――こんな時は人一倍はしゃぎそうなリルの声が聞こえないのが、ちょっと気になるところではある。
ただ、リルが魔法を使うのは十年以上振りのはず。だからいくら彼女でも魔法を行使している間は、喋る余裕など無いのかもしれない。
ならば、ここはリルの分まで喜んでおくかとファレンが声を出しかけた……その時。
「いいぞリルそのまま……その、まま……お、おおぅ……!?」
突如魔力の光が消失し、同時にあれほど生い茂っていた蔓も砂と化してしまう。
そうして、ファレンの目の前に残ったのは
「は……ちょ、待てリル、これで終わり!? いやいやいや、うっそだろおぉぉ!!」
どう見てもピンポン球くらいの大きさしか無い、玩具のようなかぼちゃと
「リル、もうちょっと頑張れ! これじゃいくらなんでも……おい、リル? リル! どうしたんだ!?」
「ぐうぅぅ……お、おにゃか、すいた……」
「……はああぁ!?」
盛大な腹の音と共にその場に崩れ落ちた、リルの姿だった。
◇◇◇
「つまりだ」
既に日を跨いだ時刻の教室で。
ファレンは早速、倉庫から持ち出した固形燃料とキャンプ用小鍋の世話になっていた。
「リル、お前の魔法は魔力的にも胃袋的にも、恐ろしく燃費が悪い……と。いや、そもそもこれじゃ燃費はマイナスだよな」
「ううぅ、どうしてこんなことに……」
ボコボコと沸騰する湯の中で泳ぐのは、先ほどリルが魔法で育てた渾身のピンポン球かぼちゃである。
どんなものかと切ってみれば、予想外にも中身はしっかり熟していて、かつてスーパーで見たかぼちゃと遜色ない。
角切りにしたかぼちゃに、ついでにみじん切りにしたスパムを放り込んで煮込めば、ちょっと豪勢なスパムスープのできあがりである。
「ピンポン球のかぼちゃの対価は、スパム一缶……そうだよな、この世界に生き残っている段階で、俺達は過剰な期待は持っちゃいけなかったんだよ、リル」
「そんなぁ……あ、かぼちゃがほくほくで甘くて美味しい! 何年ぶりだろうこの味、五臓六腑に染み渡るぅ」
「お前、しょげながらでも食べる速度は変わらないんだな……」
これは確かに母親が魔法の使用を禁じたわけだと、ファレンは納得する。
だが、できれば禁止理由は彼女に伝えておいて欲しかった。幼いうちに残酷な真実を知らせない配慮は理解するが……多分、自分の娘がここまで脳筋実践派の超ポジティブっ子であるとは思いもしなかったのだろう。
果たして「やっぱり私はなり損ないなんだ……」とがっくり肩を落としつつ鍋の中身を完食したリルは、がばっとファレンの方を向いて「……リベンジ、しよ?」と言い始める。
「おい待て、今からやる気か? 流石に寝た方が、てか俺明日も仕事」
「だって、こんな結果で終わりにしちゃ寝られないよ! ね、ファレンさんまた種作って! 今度はファレンさんの好きな野菜でいいから。あたし、ちょっと筋肉で魔力を調整してみる!!」
「いやそれどんな理論だよ!! いくら俺でも分かるぞ、根本的に何かを間違えているってな!」
ああ、この根拠の無い未来志向は、未来永劫自分には縁の無いものに違いない――
そう心の中で愚痴りながらも、ファレンは真剣なリルの眼差しに気圧され「な、なら次は、プチトマトで……」と種を作り始めるのだった。
◇◇◇
なるほど、五臓六腑に染み渡るとはこういうことかと、ファレンは久しく忘れていた新鮮という言葉を噛みしめていた。
プチトマト三個では何の腹の足しにもならないが、少なくとも乾き果てひび割れた心にわずかな潤いは与えてくれるようだ。
時計の針は既に五時を指している。つまり、今日は徹夜で仕事に行くことが確定だ。
きっと目の下にくっきり刻まれているであろう隈をどうやって言い訳しようかと思案するファレンの前で、リルは「筋トレ内容を見直した方がいいかな……」とブツブツ言いながら小指の爪ほどのツヤツヤとしたプチトマトを口に放り込んでいる。
彼女の足元には、スパムの缶が二つ。
この世界に於いては、なかなか豪勢な朝ご飯である。
「……本当に筋肉で魔力を調整するとか……リル、お前実はこの世界の法則を捻じ曲げてないか?」
「んー、終末だって世界の法則を捻じ曲げたんだし、このくらいはおかしくないよ!」
「説得力がありそうで無い根拠だな」
あの後、プチトマトの種三粒を使った実験(?)により、種に注ぎ込む魔力量と成果には相関があることが証明された。
プチトマトの場合は、魔力量により個数が増える。リルの場合、最大魔力で実をつけるのは三個だが、ここまでやると倒れるほどお腹が空く。
魔力を減らせば出来る個数は減るが、空腹で倒れることは無い。だが、空腹そのものからは逃れられない。
……まあつまり、どうやってもマイナスになることだけは確定である。
「これなら世界を変えられるって思ったんだけどなぁ……」
「なり損ないが集まったところで、一緒ということだな。ま、たまに野菜や果物を作って楽しむくらいは出来るんじゃ無いか」
「そっか。……ねえファレンさん、これなら『お礼』になるかな」
「……それでいいんじゃないか。スパム収支は完全に赤字だが」
「そこは突っ込まないでほしいなぁ……」
ちょっぴり気を落としながらもすぐに気を取り直し、次は桃を作りましょうよ! と目を輝かせる彼女は、やっぱり強い。
この世界に於いて脳筋はもしかしたら最適解なのか? と思いつつもファレンはすでに頭が桃に支配されにやけ顔になったリルを窘める。
「魔力量がそのまま結果に反映されるなら、桃はもうちょっと後にしよう」
「ええと、スモモになっちゃうから?」
「それは別品種な。……桃っ確かて実が成るまでに三年かかるだろ? 下手したら親指大の桃になるかも」
「あ……それは泣いちゃう」
どうせ試すなら、短期間で成長し食べられるものがいい。
明るさの変わらない部屋で、おたまを挟んで向き合ったまま、ファレン達は次の候補を思案する。
――期待と落胆と睡眠不足により、すっかりテンションの上がった二人が明後日の方向に走ってしまうのは、今思えば偶然を装った必然であり、誤算のフリをした運命だったのかも知れない。
「ねぇ、ファレンさん。あたし思ったんだけど……この魔法も筋トレと同じなら、ちょっとずつ負荷を上げた方がいいと思うのよね」
「……筋肉による魔力制御論をあくまで支持し続けるんだな、リルは」
「だって、さっきは上手く行ったし! でね、それならもっと負荷の少ないものから試そうと思って」
「腹が減るのはリルの方だし、お前がそれでいいならまあ俺は……で、何を作るんだ」
そろそろ考えることを放棄しかけたファレンが先を促せば、リルは待ってましたとばかりに胸を張って、これまた何の役にも立たなそうな植物を提案したのだった。
「あのね、お花を育ててみない?」
◇◇◇
三十分後、二人は図書室の床に座り込んでいた。
突拍子も無いリルの提案に「そこはむしろ葉野菜じゃ……うんまあ、どうせ食べ物を育てても腹は膨れないしいいか」とファレンも同意を示し、仕事が終わってから実験することにして校舎を出た、筈だったのだが。
「……おかえ、り?」
「…………見回りに止められた、無理しすぎだってな。俺、そんなに酷い顔をしてるか?」
「んー、目の下は真っ黒だね!」
校舎を出たところで出くわした警備隊の面々は、ファレンを一目見るなり「寝ろ」「死ぬぞ」「今日は姫様はお休みだって、鬼軍曹……じゃない、ヌクアさんには伝えておくから!」と無理矢理敷地内へと連れ戻したのである。
今日の分の水とスパムは、後で持ってきてくれるそうだ。新人類に有給という概念があるかどうかは分からないが、流石のファレンも今日の仕事には不安があったから、今回は彼らの好意をありがたく受け取ることにした。
「花ってさ、こんなに種類があったんだな」
埃と紙とインクの匂いに包まれた部屋の中、色褪せたページをめくりながらファレンはぽつりと呟く。
花を育てようとは決めたものの、残念ながらファレンは花には詳しくない。名前を知る花などほんの一握りだ。
リルに至っては「花と言えば春だし、チューリップにしよう! 可愛いしね!」と短絡的にはしゃぎ出す始末である。
チューリップは球根から育てるものであることくらいは、流石のファレンでも知っている。
どうやら彼女の脳みそに詰まった筋肉は、種子しか作れないという数時間前の説明をすでに頭から追い出した後だったようだ。
……ということで、ファレンは長らく存在を無視していた図書室の扉を開けることにしたのである。
「こんな花、どこに咲いていたんだろうな」
「お花屋さんとか? あ、これお母さんが育てていた花だ……うちね、お母さんの趣味で庭にいっぱいお花があったんだ。もっと良く見ておけば良かったよねえ」
「……そうだな。まさか、二度と見られなくなる日が来るなんて想像もしてなかった」
光に満ちたこの世界は、代わりに鮮やかさを失った。
何の変哲も無い通学路に、街の片隅に、人間のように騒ぐことも踊ることも無くただ佇んでいた命達は、思い返せばこの空よりずっと……眩しくて、どうしようも無く愛おしい。
(いつだってそうだ。失って初めて、その大切さを思い知るだなんて)
明らかに無駄骨、腹の足しにもならないリルの試みに付き合うのは、自分が失ったものを彼女が大切に抱いているからなのかもしれない――
そんな感慨に耽りつつページをめくっていたファレンを現実に引き戻したのは、「あ、これ可愛い!」と声を上げたリルだった。
「ね、ファレンさん見て! この花、ひらひらしてて金魚みたい! ちゃんと種から育てるやつだし!」
「どれどれ……ふうん、スイートピーか。名前は聞いたことがあるけどこんな花だったんだな」
「これなら一輪でも豪華に見えそう! うん、ファレンさんこの花にしようよ!」
「わかったわかった。……先に言っておくけど、この花は有毒だって書いてあるから絶対に食べるなよ」
「んもう、あたしそんなに食いしん坊じゃないもん!」
「全く説得力が無いな。ほら、種を作るからちょっと待ってろ」
ぷうと頬を膨らませながらも、リルは大層ご機嫌だ。
どうせならピンクの花の種にしようよ! と無茶な注文をつけてくるリルを宥めるファレンの手が、ふわりと魔力の光に包まれる。
出来上がった種は、少しでこぼこした小さく硬い粒だった。
「一粒だけな。腹が減って倒れない程度の魔力でやれよ」
「うん! ……小さき命よ、その輝きを……ピンクに解き放て!」
「おいちょっと待て、その詠唱はおかしいだろ!」
手のひらに受け取った種をのせたまま、リルは独自改変詠唱を口にする。
途端沸き起こる魔力の旋風は相変わらずの威力で、舞い上がったリルの筋肉は魔力の調整を放棄しているに違いない。
ついでに、心なしか渦巻く魔力が発する光は桃色を帯びている。どうやらリルの魔法は、本人の意志やテンションに相当影響を受けるとみた。
「おいリル! 楽しみなのは分かるが、ちょっと落ち着けって!」
「見てファレンさん、芽が出てきた! あはっ、いいよいいよーそのままおっきくなって、ピンクのお花になってね!」
「お前っ全然人の話を聞いてないな!」
ファレンの不安などどこ吹く風とばかりにリルは満面の笑みで魔力を注ぎ込み、光に包まれた種はぐんぐんと茎を伸ばし葉を生い茂らせていく。
まさに図鑑に載っている通りの姿を二人に見せつけ、小さな蕾をその先端に宿し、そして……ひときわ眩い衝撃が図書室を振るわせた。
「!!」
「ひゃぁっ!!」
二人は思わず目を瞑り、その場にしゃがみ込む。
そうして魔力の嵐をやり過ごし、ようやく視界が暗くなったところで恐る恐る瞼を開いた。
「……よし、図書室に被害はないな」
「びっくりしたぁ……うう、お腹空いた……死ぬぅ……」
「リルは筋トレの前に落ち着くことを覚えるべきだな、これは。で、花はどうなっ…………」
「ファレンさん? どうしたの、って……うわぁ…………!」
説教を口にしかけたファレンの動きが、ピタリと止まる。
目を見開き微動だにしない青年の様子に違和感を覚え、空腹で仰向けに倒れ込んだリルはそのまま首を横に向けて……思わず感嘆の声を漏らす。
そこには、一輪のスイートピーが……桃色の花を見事に咲かせていた。
◇◇◇
「………………綺麗、だな」
「…………うん」
掠れた声で何とか言葉を紡いだファレンが、そっと床に落ちた花を拾う。
つるりとした茎の感触、この世界からとうに失われた鮮やかな緑色は真っ直ぐ天に向かい。
その先に揺れるのは……まるで四羽の蝶が歓喜に舞うような、桃色の香しい花弁で。
(……あぁ……!)
途端、吹くはずの無い一陣の風が、ファレンを包み込む。
図書館の風景に重なるのは、あの日……あちこちに落ちた砂とともに眼前に舞った、最後の桜吹雪だ。
まるでこの結末を知っていたかのように、美しく、儚く、世界を桃色に染め上げた一幕。
二度と見ることはないと思っていた、在りし日の輝きが今、ファレンの手の中にある――
「ファレンさん、泣いちゃったら……お水の無駄遣いになっちゃうよ……?」
「っ……うるさい……リルだって……!」
ぽたりと熱い雫が、二人の頬を濡らす。
今この瞬間に、言葉などいらない。否、言葉でなど表せるはずが無い。
窓から差し込む光を浴びた桃色の花を前に、ファレンとリルはただ沈黙だけを胸に抱き、いつまでもこの世界に蘇ったわずかな希望を見つめていたのだった。
――ファレンの傍らで佇む、古い植物図鑑。
開かれたスイートピーのページには、在りし日から託された花言葉が記されている。
それは『別離』『優しい思い出』そして
『私を忘れないで――』
果たしてかつての世界の欠片は、今ここに……今も昔もなり損ないから逃れられない彼らの心に、鮮烈な記憶を刻み込んだのだ。