沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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9話 叶えた望みを、共に

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「おめでとう、姫里」
「へっ、えっと……何が?」
「ん?処女喪失したんだろ?」
「ぶふぉっ!!?」

 今年度の講義もあと数日で終わりという水曜日、いつものようにロビーのソファに凭れてコーヒーを飲んでいた慧の前に、これまたいつものように紅葉がやってくる。
 ちょっと離れたところには伊佐木率いる『見守る会』が陣取っているのだが……今日は何だか雰囲気がおかしい。まるでお通夜のようだ。

 それを気にかければ「そりゃお通夜にもなるだろう」と、突然の発言にコーヒーを吹きだした慧にティッシュを差し出しつつ、紅葉はさも当然とばかりに話を続ける。

「推しが恋人と一夜を共にしたとなれば、心穏やかにはいられないものらしいよ。昨日の夜は峰島先輩と伊佐木のボイチャに呼ばれて遅くまで嘆きを聞く羽目に」
「嘘だろ、えっと、何かホントごめん。……てかなんで分かったんだ!?」
「ん?昨日の朝の姫里を見れば、多分誰でも分かったと思うけど」

 幸せと色気がダダ漏れの顔だったよ、ずっとにやけていたし、と紅葉はふっと笑う。
 そうして「いつか、会ってみたいな」とこちらがドキッとするようなことを口にするのだ。

「ええと……」
「ああ、無理にとは言わない。けど、姫里をそんな幸せそうな顔にする恋人なんだろう?……よかったな」
「……うん、ありがとう」
「あと、あいつらのためにも恋人の存在は姫里の口から直接明らかにしておいた方がいい、男性ってのはすっぱり諦めるのが苦手らしいから」
「う、うん……ほんっと、米重さんは男前だね……」

(……といっても、恋人じゃないんだけどな)

 紅葉の祝福を嬉しく思いながらも、慧はそっと独りごちる。

 確かに自分は、アイナに恋をしている。
 愛しい人に後ろを捧げた(と言っていいのだろうかあれは)あの日から、余計に意識することが増えて……ああ、この身体に一緒にいるのだと意識するだけで、股間が痛くなってくる。

 でも、恋人では無い。恋人にはなれない。
 身分違いの恋だなんてレベルじゃ無い、世界を飛び越えた恋を叶えることは、逆立ちしたってできっこないのだ。

『……慧よ、お主の想いが色々とダダ漏れなのじゃが、妾は一体どうすればよいじゃろうな』
「うぐぅ、ごめんって……いや、ほら別に恋人とか?付き合うとか、そういうのは別に気にしなくて良いから!!分かってるからさ、アイナは異世界の皇女様だって」
『慧……』
「……分かってるから。いつかは……」

 遠くない未来に、自分達は離ればなれになってしまうのだから。
 だから迷惑はかけたくない、ただ、今だけは夢を見させて欲しい。

 茶化すように、空元気を装いながら……そんな複雑な慧の心模様が、アイナの中に流れ込んでくる。
 だからこそこの想いは告げてはならない、そうアイナは固く心に誓うのだ。

 自分はこの想いが叶わずとも構わない。皇女として為すべき事もあるし、何より幼い恋に一喜一憂するにはもはや歳を取り過ぎている。
 亡命しなければ手に入らなかった膨大な(性的な)情報を得て、更に決して叶わぬと諦めていた望みまで叶えて貰ったのだ。これ以上何かを望むだなんて、欲張りにも程があるだろう。

 けれどこの年若い愛し子は、その恋が両想いだなんて知ってしまえば――恐らく薄々感じてはいるのだろうけれど、確信は無いはずだ――これから先、辛い思いをさせてしまうから。

(だからせめてその日までは、たっぷり夢を見せてやろうぞ)

 寂しさをぐっと堪え、アイナは努めて明るく『そうじゃのう』と慧に話しかける。
 今のアイナに出来ることは、慧の望みを叶えてやることだけ。
 それももう、あと一つ。最後のピースを嵌めれば完成するのだ。

『……そうじゃ、褒美をやらねばならぬの』とアイナはふと思いついたかのように慧に告げる。
 その笑顔は実に美しくて、けれど今の慧には……ああ、今日も何か振り回してくれるのかと、哀れな息子さんに期待を持たせる思惑が透けて見えるような表情にしか見えない。

「褒美?本当に、褒美?」
『本当じゃとも。お尻もしっかり拡がって柔らかくなったしのう、頑張った子には……ふふ、久しぶりに気持ちいーい射精でもさせてやるかの?』
「あ……あはぁ……っ!!」

(そんなはず、ない)

 分かっている、これは罠だ。
 分かっていても期待する、だって……また絶望の気持ちよさを味わいたいから。

 待ちきれないと言わんばかりに腰を揺らす慧にアイナは苦笑しながら『そう急くでない。それまではしっかりメスとして楽しんでおくのじゃぞ』とそっと下腹部に手をやった。


 …………


 水曜日は二人で取り決めた、触手服を着る日だ。
 ここ一月は肛門拡張用の毛玉ちゃんをずっと召喚したままだったから、実は触手服を着るのは随分久しぶりである。

 昨日の夜、召喚した触手服にいそいそと袖を通して、久々の快感に『やっぱり、ぬるぬるが一番じゃのう!』とアイナは喜び、「んはぁ……いきなり乳首、っ、カリカリするなよぉ……」と慧は文句を言いつつもだらしない笑みを浮かべていた。

 そう、そこまではいつも通りだったのだ。

「ふぅっ、ぎゅっって締め付けるの……いい…………んっ?……え、ちょ、待って何してんだよそこはお尻、うああぁぁっ……!!」
『んふううぅぅぅっ!!これ、しゅごい……おしりみっしり、はぁっ……そこ、そこじゃっいっいぐうぅぅっ!!』
「いやぁぁぁっ、閉じないぃ!!待って、奥はやめて、待ってぇぇ……っ……!!」

 これまでは全身を息苦しくなるほど締め付けながら、ぬめりを帯びた繊細な触手さばきで全身をドロドロに甘やかし、けれど会陰を押されることはあってもそれ以上奥には決して手を付けなかったのに。
 いつものようにぴっちりと全身を覆った触手服は、待ってましたと言わんばかりに乳首に、股間の金属のプレートをかいくぐって欲望の先端に、そして……連日の拡張ですっかりほぐれきった後孔にそのねっとりした触手を滑り込ませてきたのだ。

(やばいいぃぃっ、またいぐっ……奥、こじ開けられて、逝くううぅ!!)

 このパンパンに張った感じといい、入口から発せられる焦燥感といい、触手は間違いなく今慧が受け入れられる最大の大きさを知っている。
 ……当然、奥も簡単に綻んで受け入れられる事も。

 何故って?そりゃもう、犯人は明らかだ。

「あの毛玉野郎……俺の尻の情報も全部筒抜けかよおぉぉ……!!」
『ふぐうぅっ、んああぁっ!!……あ、諦めるのじゃ慧…………お主は魔法生物すらたぶらかしてしまうほどの魅力を持っておるのじゃから……』
「紛らわしい言い方するなぁっ!地球人の体液のせいなだけじゃんか、くそうっお前ら覚えてろよおおぉぉ!!」

 慧の叫びも虚しく、ようやく腹で快楽を感じられるようになった装着者に触手服は最高の『おもてなし』をせねばと、更に体積を増やして入っては行けない場所へとその身体を突っ込ませ、内臓が引きずり出されるような危険な快楽を一晩中慧達に叩き込んだのだった。

 そして……大学にいる今も、触手服はアイナの言いつけにより我を忘れない程度のゆったりした抽送にこそ抑えているけれども、微細な動きは全く収まること無く慧の内側を蹂躙し続けている。
 当然ながら、孔から出て行く気は毛頭無いらしい。

 そんな中、伝えられた射精という二文字。
 昨夜から散々メスとして扱われじわじわと快楽で炙られ続けた慧が色めき立つのも無理は無い。

「射精……できる……やっと、やっと射精できる……!」

 年末から約4ヶ月、許されなかったオスらしい絶頂への期待は否応なく高まる。
 甘い吐息を漏らしながら、慧は伊佐木達との会話もそこそこに大学を後にすることにした。
 早く、早く夜になって、この閉じ込められた欲望を思いっきり扱いて貰って、勢いよく全てを吐き出したい……!

(でも……もうずっと、まともに射精なんてさせて貰っていないのに)

 そんな期待に満ちあふれた頭にそっと忍び寄るのは、不安の足音だ。

『溜め込むのはよろしくないからのう』と、アイナは一切慧に触れることを許さない代わりに、一月と間を開けず溜まったものを垂れ流させてくれた。
 けれどそれは、前立腺に送り込まれた芋虫君が尿道を完全にコーティングした、見た目は派手な射精なのに何一つ快楽を感じない絶望に襲われるか、はたまた尿道を目一杯拡張して全く勢いの無い子種をポタポタと垂れ流す無様さを突きつけられるかの二択で、オスの快楽など当然のように許されなくて。

(もし、もしだぞ……もうオスらしい射精も出来なくなっていることを、分からせられるだけだったら……俺は……)

 不安と共に、心にぞわりと走るのは、また一つアイナに変えられた……オスであることを止めさせられた仄暗い歓喜への期待だ。
 半年前までの慧なら、間違いなく不安に駆られてアイナを詰っていたであろう扱い。
 けれども己の性癖を受け入れた今の自分はこうも穏やかに……いや、穏やかでは無い、むしろ鼻息を荒くして待ち望んでいる。

(……ホント、アイナの望み通りの男の娘になっちゃったな)

 快楽によわよわで、管理されるのが気持ちよい、メス男子。
 その事が、嬉しくて堪らない。

 アイナの理想を叶えられたことと、同時に自分の望みを叶えて貰えたこと。
 ああ、なんて自分は幸せ者なんだろうかと家路を急ぐ慧の股間のプレートからは、また触手たちが待ち望む歓喜の涙をどろりと溢れさせるのだった。


 …………


「はぁっ、はぁっ、もっと、もっとぉ……!!」
『ふふ、可愛いのう……にしても、このオナホという奴はなかなかよく出来ておる。意思を持たぬ事以外は魔法生物に勝るとも劣らぬ気持ちよさじゃ……!』

 夜、さあ鍵の入った小箱を召喚しようかというところに届いた荷物には、存在は知っていたが未体験の道具が鎮座していた。
『今日は地球の道具で射精するのじゃ』とアイナがまた勝手にカードを使って購入したオナホは、彼女が一晩アダルトショップサイトのレビューを読み漁って選んだ人気商品らしい。
 温かいお湯に浸けて、その間に小箱を召喚して鍵を外し洗浄を終わらせれば、アイナは暖まったオナホールの中にこれまた湯煎で暖めておいたローションをたっぷり注入した。

 ……もう、その湿った音だけで気持ちよくなってしまう。

『ほれ、慧は男の娘じゃからな。ちんちんの相手をしてくれるのは道具だけじゃよ。……愛いのう、鍵を外しただけでこんなにガチガチになって涎を垂らして……こんなものにお主の童貞を捧げるのが、そんなに嬉しいのか?』
「っ、はぁっ……嬉しい、嬉しいですっ!しゃせー嬉しい、ビュービュー出せるの嬉しい……アイナ様、はやくぅ……!!」
『様は要らぬと言うに。ほうら、たっぷり扱いて、腰をカクカク振って子種を噴き出すがよいぞ!』

(ああ、俺、こんな玩具に童貞を奪われてしまうんだ……!!)

 ぐちゅり……

 暖められた偽の粘膜とローションが、待ちに待った柔らかな刺激が、今にも暴発しそうなほどいきり立った慧の欲望を包み込む。
 温かくて、柔らかくて、それでいてキュッと締まっていて、奥のつぶつぶがカリ首を優しく扱いて……実に20日ぶりの刺激に、目の前がチカチカして真っ赤に染まりそうだ。

「これ、しゅごい……気持ちいい、チンコ、気持ちいい……!!」

 そこからはもう無言だった。
 息を荒げ、偽物の性器に腰を振りたくり、無様に涎を垂らしながら童貞を捧げる。

 気持ちいい、もっと、もっと……
 腰が、止まらない。止めようとも思わない。
 アイナが支配する手は、ただオナホを支えるだけ。慧は喘ぎながら必死に腰を振ることだけを許され、ずっと思い描き続けた極上の射精の快楽へと突き進んでいく。


 ……そう、突き進んでいる、筈だった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……もっと、もっとぉ……早く、出したいぃ……」

 息が切れる。
 振り続けている腰がだんだん重くなってくる。

 もう一体どのくらい、こうやって情けなく腰を振り続けているだろう。
 確かに気持ちは良い、そう、気持ちはいいのだ。なのにどんなに頑張っても、一向にあの玉がせり上がるような射精の兆しが現れない。

 快楽に蕩け我を忘れた表情は、次第に焦りの色を浮かべて……いつからかすすり泣く声を伴い始めていた。

「ひぐっ……なんでぇ……もっと、きもちいいの、もっと……ひぐっ、しゃせー、したいいぃ……!」

 ああ、やはり思っていた通りだったと、慧は悟る。
 ……そう、もはや慧は普通のオスのようにメスの(これは偽物だけど)中に種付けすることすら出来ない身体に変質してしまっていたのだ。

 その事実は、慧の中に最後まで残っていた男としてのプライドをズタズタに切り刻んでいく。
 堕とされ、変えられ……生まれ変わらされる。

「あはは……でない……しゃせーしたい、できないぃ……!!」
『……良い顔じゃ』
「あぁぁっ、アイナ様、俺もう男じゃ無い……普通の、男みたいにセックスできない……!」
『そうじゃな。じゃが、問題ないじゃろう?』


 だってお主は男では無い『男の娘』で……この身体は既にメスなのじゃから。


 とは言え約束は約束じゃ、何とかせねばのうと彼女は一人頷く。
 絶望に濡れた嗚咽を漏らしつつ、けれども悦楽にずっとヘラヘラと笑顔を貼り付けたままの慧の屹立にオナホを被せたままアイナは『ちょっとそのままで待っておれ』と、さっき届いた箱の中からもう一つの商品を取り出した。

 それはグロテスクな見た目と大きさを兼ね備え、底部に吸盤のついたピストンバイブだった。
 アイナが目の前にかざして『そんなに硬くはなさそうじゃな』とぷるぷる振れば、シリコンの男根がぺちぺちと慧の頬を叩く。

(あ……これ、絶対気持ちいい……!)

 何をするためのものかを理解した瞬間、慧の瞳が欲望にどろりと濁り……気がつけば突きつけられた先端をうっとりとしゃぶっていた。

『そんな顔をされると、たっぷり可愛がってやりたくなるのう……』

 慈悲に溢れた笑顔を浮かべつつ気怠い身体を動かし、アイナは姿見を目の前に据え付ける。
 そうして床にバイブを固定し『んっ』とうっとりした声を漏らしながらその上にゆっくり腰を下ろした。
 さっきまで触手にたっぷり嬲られていた孔は、馬鹿でかいバイブもすんなりと咥え込んでしまう。

 右手は再び、ドロドロになったオナホールを固定する。
 左手に握るのは、ピストンバイブのスイッチで。

『ほれ、手伝ってやるからしっかり腰を振るのじゃぞ!』
「んああぁぁぁっ!!」

 最初からスイングを最強にして、アイナはスイッチを床に放り投げた。
 途端に一気に奥をノックするような深い抽送に襲われ、慧は思わず焦点の合わない目を見開いて叫ぶ。

「うあぁぁっ、これ、しゅごい、ぎもぢいぃ、とんとんしゅるのいいっ!」
『こりゃ、射精もするのじゃろう?ちゃんと腰を振ってちんちんを気持ちよくせんかい』
「うひぃぃ!!」

 まるで腹の中を採掘されるような刺激に思わず腰が止まれば、アイナの指がぎゅっと乳首を摘まむ。
 その刺激に慧は弾かれたように、再びへこへことオナホに向かって腰を突き入れ始めた。

「ぎもぢいぃっ、ぎもぢいいいっ!!いぐ、もういぐいぐっうがあぁぁっ!!」

 程なくして、獣のような濁った咆哮を上げながら慧はあっけなく達する。
 あれほど刺激しても全く気配の無かったペニスからも、びゅっ、びゅっとドロドロになった白濁が勢いよく噴き出した。

 けれども、今の慧の頭はメスの快楽への享楽で満たされていて、己が射精したことにすら気付いていない。

「らめぇぇぇっ!またいぐっ、メスアクメきめぢゃうよおぉぉ……!おごっ、おほっ、おぉ…………っ!!」
『これは、凄いのう……っ!ほれ、もっと、もっとメスイキするのじゃ……!!』

 目の前の鏡に映るのは、メスのように喘ぎ、無様に腰を振り続ける生き物の姿。
 頬を赤く染め、まるで女の子のように……目を潤ませて、舌を突き出して、カクカクと快楽だけを求めて腰を振り続ける。
 その乳首はピンと立ち上がり、転がされ、摘ままれる時を今か今かと待ち続けているようだ。

(そう、欲しいのは、メスの絶頂)

 もう、射精なんてどうでもいい。
 それよりももっと、この脳みそが真っ白に漂白されて溶けていくようなメスの快楽を、味わいたい……!

(……ああ)

 果てしない絶頂の波の中で、慧ははっきりと悟る。

(俺は、もう……後ろをほじられなければ射精すら出来ない)

(それに)

(射精の快楽は……オスの気持ちよさは、もう俺には…………ただのおまけでしかないんだ)

 たった一年で、男であることを身体はあっさりと捨ててしまった。捨てさせられてしまった。
 きっと自分は生涯この竿で女の子を知ることは出来ないだろうと、慧は本能的に理解する。

 けれども。

(……いいんだ、それで)

 だって、それが自分の望みだったから。
 だって、それがアイナの理想だったから。

 これは愛する人に打ち込まれた至福の楔で。
 いずれ来たる別れの後も消えることの無い、アイナが確かに存在した証なのだ。

(だから……これで、いいんだ)

 幸福と悦楽の海で意識を手放す瞬間。
 ひたすらに悦楽とアイナへの愛の言葉を紡ぎ続ける慧に向かって『愛いのう……妾の、妾だけの愛しい男の娘よ……』とかけられたアイナの言葉は、慧が何より欲しかった愛する人の熱の籠もった抱擁のようだった。


 …………


『のう、慧よ。でえととやらをせぬか?』
「はい!!?」

 それは、慧が完全にメスになったことを分からせられた数日後。
 春休みに入っていざ引きこもってゲーム三昧だと意気込んでいた慧は、アイナからの突然の誘いに目を真ん丸にして固まっていた。

「で、ででデートおぉぉ!!?え、待ったアイナ様それ意味分かって」
『様は要らぬ。分かっておるに決まっておろう、サイファでも幼き者は特定の者に情熱を傾け、共に遊びに行くものじゃ』
「へ、へぇ……幼いうちはクロリクも純粋なんだな」
『お主、どれだけ妾たちを変態扱いする気じゃ!……まぁそうは言っても妾はお主の身体に入って動くしかない以上、いつもと変わらぬと言えば変わらぬのじゃがな』
「そりゃそうだ。……でも、いいな、デートかぁ……俺には一生縁が無いものだと思ってた……」
『慧は男子はあちこちで人をたぶらかし回る癖に、どうして女子にはモテぬのじゃ?』
「そんなの俺が聞きたいわ!」

 突っ込みつつも、相変わらず慧の顔は正直だ。さっきからニヤニヤが止まらない。
 そして慧の浮き足だった心模様なんて、アイナには当然手に取るように分かっている筈だ。

(そっか……アイナとデート……)

 アイナがこの身体にやってきてもうすぐ1年。
 当初の予定では、1年ほどこちらの世界に潜伏して向こうに戻る筈だったから、もういつ迎えが来たっておかしくない。

 この想いは、アイナには当然ながら筒抜けだ。それはもう仕方が無い。
 一方、アイナが自分のことをどう思っているかは分からない。そもそも100歳という歳の差だ、恋愛対象かどうかだって怪しい。
 少なくともアイナの理想の男の娘になったのだ、気に入ってはくれているとは思う。

 けれど、敢えて彼女の内心を尋ねようとは思わない。
 いや、これは決して格好いい理由では無い。結局のところ、自分のヘタレな心を守るための詭弁に過ぎない。
 だって

(尋ねたところで……どうであれ、逢えなくなるのは一緒だから)

 別れの日が決して遠くないと気付いたとき、慧はその先を考える事を止めた。
 逃げと言われればそうかもしれない、それでも「その日」が来るまで、ただアイナとの日々を目一杯堪能しようと決めたのだ。
 ……そして彼女が帰れば、盛大なる失恋を伊佐木達見守る会の皆様に慰めて貰おうだなんて、これまたすっかり甘い考えを抱いている。こんなだから姫ちゃんと呼ばれるのだとは分かっているけど、彼らだって自分の痴態を大概楽しんでいるからこのくらいは許される、と思いたい。

 だからアイナからの申し出に、慧は一も二も無く賛成する。
「それで、どこに行くんだ?」と早速準備を始めようとした慧を『まあ待つのじゃ』としかしアイナはやんわりと止めた。

『ちょっと準備があるのじゃよ。じゃから、次の土曜日で良いかの?』
「ん、ああ。1週間後か。良いぜ、その日は丸一日空けておく」
『うむ。楽しみじゃの』
「……おう」

(準備かぁ……あれかな、デートプランとか練ってくれるのかな)

 こういうときは男子がエスコートする方がいい気もするが、何せ相手は超年上の皇女様だ。何なら自分はもうアイナの男の娘だ。ここは聡明なる彼女に任せた方がいいだろう。
 ならば1週間はゲーム三昧だ!と慧は早速PCの電源を入れるのだった。

 そして

(さぁて、1週間……これが仕上げじゃからな。とびきりのでぇとにしてやるぞ、慧よ)

 呑気にその日を楽しみに待つ慧とは対照的に、アイナは来る決戦の日に向けて、これから夜な夜なスマホにかじりつきになるのである。


 …………


 1週間後の土曜日。
 朝食を食べ終えた途端『ちょっと身体を使うぞ』と有無を言わさず支配権を握ったアイナは、クローゼットからごぞごぞといくつかの箱を取り出し始めた。

「おい待てアイナ、何だこの箱……俺、全く覚えが無いんだけど」
『ああ、お主を寝かしている間に受け取ったものばかりじゃからな。心配するな、ちゃんといつものカードを使ったからのう!』
「いつものカードを使った、じゃねえよ!!あれほど人に黙ってカードを使うなと言ったのに……っておま、どれだけ使い込んでいるんだよ!?」

 慌ててスマホで利用明細を調べた慧の顔が真っ青になる。
 最近は慧に内緒で買い物をすることも随分減ってきたし、そもそも散財をすることは無かったからすっかり油断していた。
 燦然と並ぶ0の数。これでは来月のお目当てのガチャは諦めるしか無い。

 がっくりと崩れ落ちる慧に、アイナは『当然じゃ!』と胸を張って言い返してくる。

『大体お主、でぇとだというのに着飾りもせずに出かけるつもりじゃったであろう!?』
「ぐっ」
『地球ではでぇとのときには着飾って相手の気を惹くと書いておったぞ!じゃから、妾がとびきりの衣装を用意したのじゃ!』
「用意しすぎだって!何だよ、この合計3万7千円って!!」
『お主が周年ガチャとやらで使った金額と大して変わらぬじゃろうが!!』
「ぐはぁっ……!」

 まったく、ああ言えばこう言う。
 しかも確かにアイナの主張にも一理あるし、年明けの周年ガチャで散財したのも事実だから、何も言い返せない。確率2倍の魔力は恐ろしすぎた。

 ほれ、さっさと着替えるぞとアイナが立ち上がる。
 今日は土曜日だから、昨夜から触手服を着たままだ。アイナはロンググローブとサイハイブーツを脱いで丁寧に畳み、段ボール箱に手をかける。
 良く見ると箱は一度開封済みのようだ。

「え、待ってこれは着たまま?」
『当然じゃ。体型補正用の下着代わりにはちょうど良いじゃろ?おおそうじゃ忘れておった、少し胸を膨らませねば』
「はい!?」

 何かに気づいたようにアイナが呪文を唱えれば、ボディスーツの胸の部分がむくむくと盛り上がってくる。
「ほえ、ちょ、何これ!?」と慧が素っ頓狂な叫び声を上げているうちに、そこには以前乳首用のパッドで生成したのと遜色ない大きさの、綺麗なお椀型の胸が出現していた。
 ただし、今回の中身は触手製だが。

 それと同時に、ぎゅっと腰の部分がいつも以上に締まる。
 この締め付けすら快楽に変換されるようになったとは言え、ちょっと締めすぎじゃなかろうかと熱い吐息を漏らしながら何の気なしに眺めた姿見の中の自分に、慧は目を疑った。

 綺麗な形の胸に、コルセットでキュッと締めたかのような腰のくびれ。
 ぱっと見、これではちょっと肩幅が広めの女性のようではないか。

(アイナ……まさか……)

 ……何だか胸騒ぎがする。そう、何かしらとどめを刺されてしまいそうな嫌な予感が。
 しかし不安を覚えながらも、慧に身体の支配権は無い以上今はアイナの思うがまま肉体を弄られるしか無い。

 そんな慧の懸念をよそに、アイナは上機嫌でシェーバーを取りだし、手足のムダ毛を綺麗に剃り始めた。

『先に服じゃの……ちゃんと着方も頑張って練習したのじゃ、お主を無理矢理眠らせてのう』
「お前な、何てことをしてやがるんだよ……道理で最近やたら早寝だし目と肩の疲れが取れてると思ったら」
『あまりゲームに根を詰めては良くないぞ?』
「おかんかよ」

 元々少ないムダ毛を徹底的に滅された後に、チューブに入ったクリームをムラが無いよう塗り拡げられる。
 手足の色が少し明るくなって、ついでにほんのり輝いている様に見えて……まるで自分の手足では無いみたいだ。

『色々考えたのじゃがな、初めてなら露出は少なめのワンピースが良いじゃろ?』

 次にアイナが箱から取りだしたのは、やたら裾がひらひらした、白のシャツワンピースだ。
 足を動かせば布がまとわりついてきて、どうも変な感じがする。あと、ボタンが多すぎる。

(女の子って、こんなものを履いて歩いているんだな……結構大変だな)

 もうこの段階で、慧にも何となく予想は付いていた。
 よりによって女装してデートかよ……とちょっと気が重くなるものの、折角アイナが用意してくれたのだ。値段を考えても着ない選択肢は無い。

 それに……男の娘なら女装は確かに外せない。正直、何かにつけて女の子に間違われていた身だ、割り切って女装した自分がどうなるのか好奇心が沸かないわけでは無い。

 にしても、これだけのコーディネートはアイナには相当大変だっただろう。
 これまで聞いた話から総合するに、サイファに色の付いた服を着飾るという概念は存在しない。子供のうちは白、成人すれば黒、そのくらいしか選択の無い世界で100年以上生きてきた皇女様が一体どうやってこのチョイスに至ったのかそれとなく尋ねれば、この1週間ありとあらゆるファッション系のサイトを読み漁っていたのだそうだ。
 そう言えばアイナは皇女であると共に研究者でもあったっけ、とその探究心に慧は舌を巻く。

『慧は「いえべはる」というやつなのじゃよ。それに合わせた服を選んだからのう』
「いえべはる……?なんだそれ」
『ええと、なんじゃったかな……ぱーそなるからーしんだん、なる名前じゃったか、いやはや地球人というのは色とりどりの服を着るために自分の色を区分けするほど熱心なのじゃな』
「……アイナが俺の知らない地球を学んでやがる……」

 タンポポのような明るい黄色のニットは、袖がボリューミーで実に愛らしいシルエットだ。
 側に用意してある小さな斜めがけバッグも春らしい淡い緑色で、深緑色の靴下と色味を合わせてあるのだろう。

『服はこれで出来上がりじゃ』
「……う、まぁ……首から上を見なければ、女の子に見えなくも……ない……?」
『そっちはこれからじゃからな』
「まだやるの!?」

 むしろこれからが本番じゃ!とアイナはもう一つの箱を開ける。
 そこには色とりどりの化粧品に混じって

「まさか、カツラまで用意するとは」
『当然じゃろう?妾の男の娘なのじゃ、徹底的に可愛くせねばのう!』

 ミルクティー色の、ふんわりしたボブカットのウィッグが鎮座していた。


 …………


『いやしかし、地球人は大変じゃのう……こんなに色粉を塗りたくって相手を誘惑せねばならぬとは……』

 先にネットを被って、髪がウィッグからはみ出ないようにきっちりと纏める。
 鏡を見ながら手慣れた手つきで被る様子から見るに、アイナは相当練習したに違いない。まったく、人が寝ている間に何をやってんだかと思いつつも、自分のためにここまでしてくれたというのは嬉しいものだ。

 化粧水、乳液、ベースのコントロールカラー、ファンデにルースパウダー……
 箱の中からどんどん出てくるコスメの数々に「お前どんだけ買ったんだよ」と慧が呆れた声を出せば『これが基本セットらしいのじゃ』とパフにパウダーを付けつつアイナが教えてくれる。

「こりゃ女の子は大変だな……毎日この手間があるんだ、しかもこのグッズの量……財布に響きそうだよなぁ……」
『案ずるでない、化粧道具は全てぷちぷらというやつじゃからな!』
「アイナがどんどん地球に馴染んでいく……皇女様も庶民の生活をとうとう覚えたか。うんうん、庶民の生活を知るのは大事だぞ?」
『と言っても、サイファにものを買うという概念は無いのじゃがな。ちなみにウイッグはお主の顔に似合うものを選んだつもりじゃ、なに、ほんの2万ほどじゃったし安い買い物で』
「やっぱ撤回するわ、そこはもうちょっと俺の財布に遠慮しろよ!!」

 あらかたメイクが終わったところで、ふわりとウイッグを頭に被せられる。
 きちんとブラシを通してほぐしてあったのだろう、ウィッグには部屋の明かりでも綺麗な天使の輪ができていて「おおお、つやっつやの髪に見える……」と不覚にもテンションが上がってしまう。

『唇はこれじゃな……ふむ、これでできあがりじゃ!』

 最後に口紅を引いて『どうじゃ?』と満足げにアイナが鏡を見るように促す。
 一体どんな物体が出来ているのやらと戦々恐々で鏡を覗き込んだ慧は……その姿に言葉を失った。

「え……これが、俺……!?」

 いくら女っぽい顔をしているとは言え、化粧なんてしたら逆にゲテモノじみた物体が現れるんじゃないかと思っていたのに。
 鏡に映るのは、ミルクティー色のボブカットが似合うただの女の子だった。
 というか、化粧の力は凄すぎる。目の大きさが当社比1.5倍はあるぞこれ。

「すげぇ……」と思わず感想を漏らした慧に、アイナは得意げに破顔する。

『ふふっ、流石妾が見込んだだけのことはあるのう!……そもそもその器は、妾に合わせて元は女性として作られたものじゃ。整えてやれば女子に見えるのは何もおかしくないと思うぞ?』
「そ、そういうもん……?まじで、ちょっと肩幅のある女の子じゃんこれ……」

 元々女性らしい顔立ちをしている上に、男性らしい輪郭を隠すようなウィッグと服のチョイス。
 良く見ると眉も綺麗に整えられて、髪の色に合わせたアイブロウで馴染ませてある。
 目元は元々長いまつげを活かしてマスカラは最低限に、春らしいピンク系のアイシャドウも派手に浮かないあたり、さっきアイナが言っていたパーソナルカラーなるもので色を厳選してあるのだと思う。

 派手すぎず、地味すぎない。
 明るめのリップで彩られた唇はつやつやと輝いていて、これは黙っていれば確かに女の子に間違われそうだと、慧は鏡の中の自分に見とれていた。

 それに、言われてみれば……どことなく顔立ちがあの幻影の皇女様に似ているのだ。
 もちろんアイナの方がもっと美しいけど、なるほど確かにこの身体はアイナのための器なのだと、今更ながら腑に落ちる。

『どうじゃ、これなら外に出ても文句が無かろう?』
「お、おう……何だか俺じゃないみたいだな……」
『……慧よ、流石にこの格好でその言葉遣いはどうかと思うぞ?今日一日は言葉遣いに気をつけるのじゃ。なんたってお主は今、名実共に男の娘なんじゃからな!』
「ええええ無茶いうなよおぉ!!」

 未だ戸惑いを隠せない慧に、アイナは感極まった様子で『ようやく……完成なのじゃ……!』と鏡の中の慧を穴が開くほど見つめている。

 そして……不意に溢れるのは、ずっと秘めていた望み。
 決して叶うことは無いと諦め蓋をしていたものが手に入った、言葉にならない歓喜の発露で。

『やっとじゃ、やっと……妾も、男の娘に……!』
「……アイナ?」
『…………っ、ああ、すまぬの。さぁ、出かけようでは無いか慧よ!』
「っ……アイナ……お前……」

 共に望みを叶えた姿を、この世界に見せつけるのじゃ。
 そう言って慧に向けたアイナの笑顔は……これまでで一番美しい姿だった。


 …………


「流石に同級生に見られるのはちょっと」と渋る慧の意向を汲んで、アイナが選んだのはここから車で1時間ほど離れた街にある大型ショッピングモールだった。
 本当は電車を使いたかったようだが、流石に最寄り駅に近づくのは御免被りたい。

「にしてもさ、何で触手服は……んっ、着たままなんだよぉ……」

 相変わらず触手達は遠慮という言葉を知らない。
 運転中だろうがお構いなしで慧の気持ちいいところを擦り、抉り、突いてくる。
 流石にこんな格好で事故だけはごめんだと、慧はいつも以上に真剣にハンドルを握っていた。
 一番は体型補正じゃなと、アイナは支度中に口にした理由を再び説明する。
 女装用のブラや補整下着を必要とせず、女性らしいくびれと丸みを作れるお陰で女装費用も浮かせられる。何より股間が良いのじゃと、アイナは触手服の謎効果によりふくらみのふの字もない、つるりとした恥丘を指さした。

『ワンピースで目立たないし、そもそも貞操具でちんちんは無くなっておるから、そのままでも膨らみはわかりにくくなるのじゃがな。どうせならここはより女子らしく仕上げたかったのじゃ』
「そういうものなのか……?」
『それに……どうせなら、気持ちいいことをしながらお出かけする方が慧は好みじゃろ?』
「っ……!」

 心の奥底の望みまで全て筒抜けというのは、ある意味諦めが付いて良いのかも知れない。
 すっかり外でこっそり快楽を貪ることが日常となった今では、確かに何も付けずに出かける方が違和感が大きいのだ。
 特に……貞操具と後ろの威力は凄かった。もはや役に立たないペニスを押し込め、虚ろな穴に何かを詰め込み、ふわふわした快楽と、それにより元気になった雄芯からの締め付けられるような痛みを味わいながらでないと、何かが物足りない。

「……本当に、大丈夫だよな……?」

 そうこうしているうちに、モールの駐車場にたどり着く。
 このドアを開ければ、自分は一体どんな視線に晒されるのか……心臓がうるさいほど高鳴っている。
 けれどこの鼓動は決して不安だけから生じるものでは無いことを、慧は心の底から理解していた。

『……慧は可愛いからのう、ひょっとすれば男に声をかけられるやもしれぬ』
「ちょ、勘弁してよ!男は対象外!!俺は」
『俺では無い、私、じゃ。お主も鏡で姿を見たじゃろう?なに、万が一お主を傷つけるものがおれば』
「おれば?」
『バッグの中に護身具があるから、それで殴って逃げるのじゃ。この身体の拙い魔力でも、しっかり意思を込めれば金属並みには固くなるからのう』
「護身……はぁぁぁぁ!?ちょっとアイナ、お前なんて物を持ってきているんだよ!」

 言われるがままにバッグを開けて、慧は「道理で重いわけだよ……」と天を仰いだ。
 そこに鎮座していたのは……いつぞやか慧が『出産』した、魔力の塊だったから。


 …………


 店のざわめきが、すれ違う人の視線が、全部自分に向いているような気がするのはただの自意識過剰だろうか。

『堂々としておったほうが逆に目立たぬぞ』とのアイナのアドバイスに従って、背筋をピンと伸ばして歩く。
 目立たないかどうかはともかく、確かに紅葉の歩く姿は確かに綺麗だった――その服の下に何かしら仕込みがあるとは思えないほどに――から。

「……大丈夫、だ…………はぁ……」

 15分くらい、当てもなく歩いただろうか。
 時折ちらっと見られてはいるようだったが、好奇や侮蔑の言葉を聞くことも無く過ごせたことに、慧は安堵を覚える。

「意外とバレないものなんだな……バレていてもまぁ、ガン見する奴はそんなにいないか」
『うむ。夜の特訓もちゃんと功を奏しておるようじゃしな』
「え」
『……さっきからずっと、太い物が前立腺を押しつぶして擦っているじゃろ?なのに慧は平然と歩いておるではないか。まぁ、化粧のお陰で誤魔化されている部分もあるがの』
「あ…………うそ、思い出させるなよ……!」

(そうだった)

 途端にぞわっと、触手服の戯れから与えられる快楽に脳が浸り始める。
 今、自分は見知らぬ人たちの中に女装して混じって、家族連れやカップルが行き交う中で惨めに男の象徴を閉じ込められ、腹を抉られてメスの悦びを与えられている……
 その事実に、慧とアイナだけが知る秘密に「はぅ」と小さく甘い声が漏れた。

『……良き顔じゃ。さぁ慧よ、共にでぇとを楽しもうでは無いか』
「あは……アイナ様……」
『様じゃないと言うに……ほれ、喉が渇いたから何か飲まぬか?』
「はぁい……って、待ってそれ俺喋らなきゃいけないじゃん!」

 とんでもないことを言いだしたアイナを止めようにも、アイナはさっさと慧の支配権を奪い取ってフードコートへと歩いて行く。

「ひぇ……」
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「あひぃ……え、えとっ、このジンジャーチーズティー、パンナコッタ入りを」
「っ!?あ、は、はいっお一つでよろしいですか?」
「はいぃ…………」

 注文を告げれば、目の前の店員は一瞬ギョッとしたような顔を見せる。
 けれどもそれ以上何かを言われることも無く、無事慧は目的の飲み物を手に入れて椅子に腰掛けた。
 何とか無事乗り切れたとため息をついた途端、股間の触手たちが今だとばかりに荒々しく動き始める。

「んひっ……だめ、それだめ、潮吹いちゃう……っっ!!」

 プレートの隙間から入り込んだ触手が、先端を包み込んでにゅるにゅると扱き上げる。
 この1年、散々愛でられ教えられた身体が、相変わらず自慰すら許されず熱を溜め込んだ頭が、その刺激に抗えるわけが無い。
 俯きがちにぎゅっと拳を握りしめてビクンと身体を震わせ、触手服の中にプシャアァァッ!!と潮を吐き出せば、もっと出せと言わんばかりにカテーテルの中に顔を突っ込んだ触手がものすごい勢いで吸引していく。
 吸い取られる圧すら、気持ちよくて堪らない……こんな、人前で飲み物を飲んでいる振りをしながら潮吹きだなんて……!

(恥ずかしくて、気持ちよすぎて……だめだこれ、癖になりそう……)

 今までだって学内で散々露出プレイまがいはしてきたけれど、あれはアイナに振り回されて致し方なくやっていることだと、どこかで言い訳をし続けていた。
 けれど、今は違う。
 今の自分は……いいや、本当は今までだって……こうやって人前でひっそりメスとして楽しむことを、こんな変態じみたことを望んでやっている。

 ……今なら紅葉の気持ちも、理解できる気がする。

『はぁぁ……気持ちいい……最高じゃ、お主は本当に愛らしい……妾の男の娘としてふさわしい……!』

 そうして。
 アイナもまた、慧と同じように快楽に酔いしれる。

(……アイナ、いつもより嬉しそうだ)

 いつだってアイナは慧と共に快楽も苦痛も恥辱も共にしてきたけれど、こんなに心から嬉しそうに悦に入る彼女を見たのは初めてかも知れない。
 そう言えば、出がけに皇女様は何と言っていたか――



『やっとじゃ、やっと……妾も、男の娘に……!』



(あの言葉は……一体……アイナは、何を思って……?)

 聞き間違えで無ければ、アイナの歓喜は慧の望みが叶ったことや、アイナの理想を叶えたことだけでは無いのではないか。

『……もう、話してもお主は受け入れてくれるかのう』
「アイナ……?」
『そのまま飲んでおれ。地球の食べ物は実に不可解じゃが、これまた珍妙な物体じゃの……』
「その気持ちは分かる」

 慧の疑問を感じたのだろう、アイナがポツポツと話し始める。
 と同時にようやく触手たちの動きが落ち着いたこともあり、慧は少し緩くなった飲み物を飲もうとストローを咥えた。
 甘塩っぱいチーズ風味のお茶というのは何とも不思議な味だ。大人気と書いてあったから頼んでみたが、世の中の女性というのはこういうものを好むのだろうか。

『確かに、妾はお主を妾の理想とする男の娘に仕上げた。いやもう、本当にここまで立派に仕上がるとは最初は思いもしなかったがの、本当に感無量じゃ……』
「うん、それはまぁ知ってる」
『じゃがな、妾の理想は……妾が遊ぶための男の娘、ではないのじゃよ』

 少しだけ逡巡して、お主は笑わぬじゃろう、とまるで自分に言い聞かせるかのようにアイナは独りごちて、ずっと秘めていた己の願望を慧に開陳した。

『それは妾の理想……妾がなりたかった姿じゃ。…………妾はずっと、男の娘になりたかったのじゃよ』
「…………!!」
『一緒じゃ、慧。お主がずっと心に秘めていた望みと、妾が100年以上希求し、しかし決して叶わぬと諦めていた望みは……同じじゃったのじゃ』


 …………


 フリデール皇国に集うのは、男の娘に関わる性癖を持つもの達ばかりだ。
 男の娘になりたい者、男の娘を愛で遊びたい者、男の娘たちが集う空間の空気を吸いたい者……その方向性は多種多様だが、少なくとも誰もが男の娘を愛していて、彼女たちの存在を尊んでいる。

 そんな国なのだ。
 一人くらい、男の娘になりたい女の子が現れたって、おかしくは無いだろう。
 むしろそういう者が存在するのは当然だ、そう成人したばかりの幼いアイナは単純に考えていた。

 女の身体が嫌なわけでは無い。
 男とまぐわうことに特段違和感も無いから、早々に子も為した。

 けれども、憧れたのだ。
 男の身体でありながら、わざわざオスの快楽を封じられメスとして可愛がられる、男の娘という存在に。

 まだ年若い頃……今の慧と変わらぬ年の頃、アイナは当時彼女に言い寄ってきていた青年に胸の内を明かしたことがある。
 彼は男の娘をちょっと甚振って泣かせるのが好きな、サディズム傾向のあるクロリクだったが、アイナの告解を聞いた途端「そりゃ我が儘って奴だな」と一蹴したのだ。

 曰く、男の娘が手に入れられない純粋な女としての悦びを持っていながら、それを捨て去ろうだなんて強欲にも程がある、と。

 彼の中で男の娘というのは、皆女になりたい憐れで守ってやりたい存在と定義されていたのだろうと今なら理解できる。
 そして、全ての男の娘が真の意味で女になりたいわけではないということも。

 けれど、若いアイナはその言葉に大変ショックを受けた。
 更に運の悪いことに、彼女は召喚術を操る魔法研究者としてサイファの膨大な知識を漁る中で、この国が定めた禁呪を知ってしまう。

「フリデール皇国民においては、性別を転換する魔法を禁じ、国民の記憶から選択肢を抹消する」という知識を――

 確かに、あれほど男の娘になりたいと望んでいながら、男になる魔法だなんて思いつきすらしなかった……その事実にアイナは愕然とする。

 だが、よく考えれば当然のことだ。
 アイナに言い寄ってきていた青年と同様、女になりたいと心のどこかで考えている男の娘は潜在的に相当数いると思われる。
 もし彼女たちが性転換魔法を使い本物の女になれば……他の国ならば大した問題にもならないかも知れない、けれどこの国ではその絶対数が桁違いな訳で。
 それこそ男女比が変化し、しいては生殖への影響が危惧されることになろう。それは同志が減る……すなわち国力の衰えにも繋がってしまう。

 サイファは知識と性を重んずる、魔法が発展した世界だ。
 どんな欲望も性癖も叶えられる下地があり、互いの性癖への相互不可侵が暗黙の了解となっているお陰で国同士の争いも無い。それどころか国というまとまりすら緩やかだ。

 そんな寛容な世界に於いても、アイナの望みが叶えられることは、決して無い。

(叶わぬ望みなら、口にするものでは無い。まして妾は皇族……国の根幹を揺るがしかねない思いなど、出してはならぬのじゃ)

 それを知った日、アイナは己の望みを決して……この命が世界に還る日まで、外に漏らさないことを誓ったのだった。

 それから約100年、表向きは男の娘を愛でるのが好きな皇女様として彼女は平和に過ごしてきた。
 叶わぬ望みに、それを易々と叶えられる男の娘たちに胸が痛むことはあったけれど、そんな感傷に浸る暇があるならば自分のように叶えられない性癖に泣く者を一人でも減らしたいと、異世界からの情報召喚と解析に心血を注ぎ続けたのだ。

 そんな皇女様の願いは、しかしまさかのクーデターという形で、思いがけず成就の機会を得るのである。


 …………


「まさか……そういう女の子もいるんだな……」
『まぁ、そうそういるわけでは無いと思うがの。少なくともフリデールから蓄積された知識の中に、そういう事例は全く記録されてなかった』

 思わぬアイナの告解に、慧は呆然とする。
 だが心のどこかでは、アイナの言葉に喜びを覚えていた。

(同じだったんだ)

 性別は違えど、同じ望みを抱いていた。それこそ同志だったのだ、最初から自分達は。
 その事実が……愛する人と同じものを持っていたことが、今の慧には祝福にすら思える。

 そう思ってくれるなら良かったと、アイナは幾分安堵した様子で話を続けた。

『この身体に転生して、お主の魂に触れた瞬間にすぐに分かったのじゃ。お主もまた、妾と同じ望みを持っていて、けれどお主はその事に全く気付いていない事に』
「……まじか、そんなに早く……てかあの百合エロ画像のせいじゃ無かったのかよ」
『いくら何でもそこまで妾は短慮では無いぞ?……じゃから妾は決めたのじゃ』

 この無自覚なチョロい青年は、男の器を持っている。
 宮廷魔法師達が亡命用に用意したのは女の身体の筈なのに、アイナがどれだけ望んでも決して手に入れることの出来ない男の身体をこの魂は無理矢理ねじ曲げて作り出したのだ。
 ……それはきっと、この魂が持つ思いの強さ故であろう。

 男の娘になれる、男としての身体を持っているのに、無自覚に己の願望をスルーし続けているだなんて……何という勿体ない子なのじゃ。
 ここは妾の全てを動員して、この青年の望みを何としても叶えてやろう。
 そして、その代わりに……そう、ほんの少しで良いから、自分も男の娘になって世界を闊歩する望みを、共に味合わせて欲しい。

 ――それがアイナの偽らざる本音だった。

 慧よ、とアイナは改まって慧に話しかける。
 脳内で映る彼女の顔はいつになく真剣で……そして、今にも泣き出しそうだった。

『本当に、感謝する』
「アイナ……」
『嬉しかったのじゃ、異世界で、しかも妾の器に入り込んだ魂が妾と同じ願望を抱いていた魂に会えたのが。その上、こうやって妾の望みも叶えてもろうた……妾は幸せ者じゃ、いずれ向こうに戻っても、この思い出を胸に何の葛藤も憂いも無く生きていける』
「……それは、俺も……いや『私』も、だから」
『慧……おぬし』

 口から不意にこぼれ落ちた言葉は、自然と一人称が変わっていた。

 ああ、ダメだ。
 折角アイナが綺麗に化粧してくれたのに、泣いたら台無しになってしまうじゃないか。

「私も、アイナに……男の娘にしてもらえて……アイナと一緒にこうやって楽しめて……良かった」
『慧……っ』
「ありがとう、アイナ。……私も、幸せだから」

 一人で飲み物を飲みながらぽろぽろ涙を零す女の子に、通りすがりに訝しげな視線をぶつける者もいる。
 けれど、もうそんな不躾な外野なんてどうでも良い。

「アイナ、私は……アイナが好きだ。返事は要らない、ただ……帰る日まで、最後の時まで、私と一緒に男の娘の生活を楽しんでくれたら……その、いいなって」
『慧……っ……!』

 今は、二人だけの時間を、抱き締めたいから。

『ありがとう、慧よ……お主は本当に愛い子じゃ…………』

 頭の中で響くアイナの声は、今にも泣き出しそうなほど震えていた。


 …………


「甘いと辛いは別の方が美味しいよな」
『同感じゃの。妾はあまり味の濃い食べ物は好まぬが』
「地球を経験したんだしさ、せめてサイファにも調理という概念を持ち込んでくれ」

 ひとしきり泣いて『これは化粧直しと言うやつがいるのじゃ!』とちゃっかりバッグに忍び込ませていたメイク道具で目元を整え直し、気を取り直して二人はモールの中を歩く。
 大分この状況にも慣れてきたのか、慧の足取りは軽い。

「ホントはさ、できるならアイナと歩きたかったなぁ」とぽつりと零す慧に、アイナは『歩いておるではないか』ときょとんとした表情を見せる。

「いやそうじゃなくて、その、さ……手を繋いだりとかってこと」
『ふむ……地球人はそう言うのを好むとあちこちに書いておったのう』

 それが出来ないことは慧もよく知っている。
 アイナ達サイファの民は異世界への干渉を厳しく制限されていて、本来の姿を見せるなどバレたら大目玉なんじゃぞ、と幻影で慧を弄びながらアイナが話してくれたことがあるからだ。
 それはこの状況もバレれば大変なことになるのではと震える慧に『ま、今回は特殊な事情が重なりすぎておるから……大丈夫かのう……』といささか気弱な返事が返ってきたのを覚えている。

 1階をのんびり一通り見終えて、エスカレーターで2階に上がる。
 いかにも女の子が好みそうなショップをのんびり眺めながら「アイナの世界にも一対一の関係はあるんだろ」と慧はおもむろに尋ねた。

『うむ。年若い……30歳くらいまでの幼子の中にはそういう関係に夢中になる者も多いのう』
「30歳が幼子……まぁいいや、それこそデートとかしないのか?」
『こういうのは無いな。そもそも街とか店とか呼ばれる施設は存在せぬし、精々立派な木の上でまぐわったり、湖で戯れたり』
「聞いた私が馬鹿だった、やっぱりエロウサギじゃねぇか」
『ぬぅっ、それに妾たちとて贈り物くらいは贈るのじゃぞ!?受け取ればセックスして良いという徴で』
「やっぱりエロ直結かよ!」

 と、アイナがふと目の端で光ったものに足を止める。
『慧、あれは何じゃ』と寄っていった先はジュエリーショップだ。

「いらっしゃいませ。どうぞご覧下さい」
「え、あ、はい」

 ショーケースの中に整然と並べられているジュエリーを『綺麗じゃのう……』とアイナはキラキラした目で眺める。
 そう言えばサイファでも意中の相手に贈り物はすると言っていたっけ。以前耳飾りの話もあったから、アクセサリーは異世界にも存在するのだろう。

『これも飾り……この輪っかに石がついた飾りはどこに付けるのじゃ?』
(ん?ああ、リングな。指に嵌めるんだよ)
『ゆ、指にじゃと!?なんと、そのような飾りもあるとはのう……』
(むしろサイファには無いのか……あーでも、触手服の上からじゃ付けづらいのかな)

 じっと眺めていれば「お出ししましょうか?」と声をかけられる。
 慧は慌てて見ているだけだから、と言おうとして……ふと思い立って「あ、じゃあこれを」と一つのリングを指さした。

「ご自分用ですか?」
「へっ、いやその……あの……」
「ふふっ、恋人へのプレゼントですね?サイズは分かりますか?」
(アイナ、薬指の太さってどのくらいだよ!?)
『ほえ!?手袋を付けておればお主と変わらぬが一体』
「あ、私の薬指と同じで」
『!!』

 サイズもお揃いなんていいですね、と微笑む店員の笑顔が気恥ずかしい。
 しかもよりによって薬指のサイズを伝えるだなんて、焼きが回りすぎだと真っ赤になりながらも慧は「こちらですね」と出されたシルバーのリングを見つめていた。

『……慧』
(その……気になるんだろ?ほらこれ、アイナの瞳みたいに綺麗な宝石だし)
『…………妾もじゃ』
(へっ)
『お主だけ贈り物をするなぞ、ずるいのじゃ!妾もお主にゆびわとやらを贈るぞ!!』
(いやちょっと待って、贈り物っておまっ、これ支払うのは)
『うむ、お主はこれがよい!白いのにちょっと青いのが実に美しい、お主に似合いの色じゃ!』
(聞いてねえなこの金銭感覚崩壊ウサギめえぇぇ!!)

「あの、私の分も……これを……」と慧はぷるぷるしながら、アイナの指さすリングを店員に頼む。
 確かにアイナから贈り物をされるのは嬉しいが、残念ながらその支払い元は慧である。シルバーリング二つで約3万円、今月は久しぶりに小松菜禁止令を発動しなければならなそうだ。
「はあぁぁぁ……ガチャは当分お預けだなこりゃ……」
『のう、慧よ、早速つけてみよ!あ、そうじゃ妾がつけてやろう!!』
「えっちょっ待った、アイナっ痛てててて無理矢理押し込むなって!!」

 買ったばかりの指輪を、早速アイナによって嵌められる。
 よりにも寄って左手の薬指だ。この皇女様は意味も知らずに大変なことをしてくれる。
 乳白色に淡い青色の光が浮かぶ宝石は、とても男が付ける代物には見えないが……そうだった、今の自分は女の子の格好をしていたと慧は今更ながら思い出す。
 だから店員さんも「お似合いですよ」と言ってくれたのか。

「アイナのはまた幻影を出したときにでも付けろよ」
『うむ。薬指じゃったな、覚えておくぞ』

 アイナに贈ったシルバーリングは、瞳の色の様な美しいガーネット。自分のリングはブルームーンストーン。
 まさかウサギに月を贈られるだなんてな、と嬉しさで顔が緩みっぱなしだ。
 ……財布のことは今は考えない。そう、来月の食費はきっと来月の自分が何とかしてくれるだろう。

 でも、既に付けられないならピアスの方が良かったのかなと慧が零せば『お主が贈ってくれたのじゃから何だって嬉しいぞ?ところでぴあすとやらはどんな飾りなのじゃ』とアイナは興味津々だ。
 しかしその説明をするや否や、皇女様は耳を押さえて真っ青になってしまうのだった。

『お、お、お主ら地球人は、耳に穴を開けて飾りを付けるじゃと!!?耳じゃぞ、耳!傷一つつけるなどあり得ぬというのに、妾たちの誇りに穴なんてもってのほかじゃああ!!』
「あ、アイナ、落ち着いてぇぇ!!……良かった、そっちの方がお手頃価格だからってピアスを贈らなくて……」
『うむ、そんな恐ろしいものを贈られた暁には……永久に貞操具の鍵はサイファに埋もれたままじゃろうな。何なら湖に放り投げて』
「ごめんなさい絶対にやりませんから!!」


 …………


『ところで慧よ』
「ん?」
『贈り物を受け取ったと言うことは、えっちなことをしたいということじゃろ?』
「んぐうぅっ!?」

 昼を回り、そろそろランチでもとお手頃価格のパスタ屋に入る。
 山盛りのサラダとカルボナーラを頬張っていたら、脳内に響く突然のぶっ込みに、危うく慧はパスタを喉に詰めかけた。

「ちょっ、何言い出すんだよ!?てかもう今だって大概な事やってるじゃないか!」
『何を言っておる、これはただの普段着じゃろ?えっちも何も無いではないか』
「もうやだこのエロウサギ、万年発情期じゃ無いんだよこっちは!」

 頭の中で毒づきながらも、慧は分かっている。
 突拍子も無いことを言いだしたアイナの内心は相変わらず善意だけで出来ていて、慧如きの反論は華麗にスルーされて……そして慧自身もそうやって振り回されることを期待しているのだと。

 昔、男の娘に教えて貰った遊び方を試したいのじゃよ、とアイナはサラダを食べつつ説明する。

『触手服を用いたなかなか斬新な遊びでの。男女問わずに出来るとは言え、ちょっと一人で遊ぶのは気が引けて……しかしお主と一緒ならきっと楽しいと思うのじゃ』
「もうその段階で嫌な予感しかしない」
『ただここでは魔力が足りなくて出来なかったのじゃが、今はこれがある』
「これ、って……魔力の塊?」
『そうじゃ、お主が涎を垂らしメスイキを決めながら産み落とした塊じゃ』
「うああああその言い方止めてえぇぇ!」

 ことん、とアイナがバッグから取りだしたのは、キラキラ光る宝石のような魔力の塊だ。
 直径5センチ、長さ10センチ程度の塊だから割と初期に産んだやつだろう、見た目はガラスのようなのに意外と弾力があって柔らかく、アイナ曰く念を込めることである程度硬さを操れるらしい。
『スライムみたいに柔らかくして、瓶詰めにしておくと保管しやすいじゃろ』とか言っていたっけ。

 ……しかしいくら綺麗な見た目をしているとはいえ、食事をしているところに尻からひり出したものを置かれるのは、どうにも複雑な気分だ。
 一体何をやるのか尋ねれば『触手服の形態を弄るのじゃ』とアイナは楽しそうに答えた。

『胸の部分を盛り上げたじゃろう?それも一番小さい塊を使ってやったのじゃ。この身体の魔力だけでは、触手服の形態を変えるのは少々難があるでな』
「ふぅん、魔力があれば割と色々変化させられるんだ。……で、何をどう弄ろうと?」
『それはやってみてのお楽しみじゃよ』

 よほどその遊びとやらに憧れていたのだろう『あれはの、本当に気持ちよさそうじゃった……』とうっとりするアイナに苦笑しつつ、パスタ屋を後にする。
 人目に付かないところに行きたいというアイナの提案に従い、慧はモールの階段の踊り場に移動した。
 非常用の階段だから、まず人は来ないだろう。トイレの個室も考えたが、この格好ではどっちのトイレに入るか非常に悩ましいし仕方が無い。

 人気が無いのを確認したアイナは、その手に魔力の塊を握る。
『何があっても声は出すでないぞ、まぁすぐに出せなくなるが』と恐ろしい事をしれっと言いつつ詠唱を始めれば、手に握られた塊がふわりと光り、腕の中に流れ込むような感覚があった。

(へぇ、何か格好いいな)

 すっかり慣れてしまっているが、魔法だなんてこの世界には無いものを行使する(実際に行使しているのはアイナだけれど)のはちょっとテンションが上がる。
 腕から肩へ、そして全身に巡る魔力の不思議な感じに身を任せていると、ずるり、とねっとりしたものが皮膚を這う感触に襲われた。

「んうっ……」

 思わず悩ましい声を漏らし、慌てて口を塞ぐ。
 と、自分の身に起きた異変が目に入った。

(ちょ、触手服が伸びて……拡がってね!?)

 この光景は、浸食しているという言葉がぴったりだと思う。
 黒くすべすべしたものが、その内側にうねうねと蠢く触手をびっしりと貼り付けた触手服の生地(?)が、胸から肩へ、腕へと急速にその覆う範囲を増やしている。

「んひぃぃっ!!?」

 膝裏を舐めるような感触にその場に崩れ落ちかけ『ぬ、妾が支えるぞ』とあっさりとアイナに身体の支配権を奪われる。
 その場に立ち尽くしたまま、指一本動かせぬまま……手が、足が、そして首から顎に、じわじわと触手が慧の全てを覆い尽くしていく。

「うぁっ……あぁぁ……あいな、これ、ひっんぐうっ!!」

 どこまで覆う気だよ!と思わず叫びかけた次の瞬間、顔にまで浸食してきた触手服は一気に鼻と口を覆う。
 そしてにゅるりと粘液を纏った触手が3本、鼻と口の中に有無を言わせず侵入してきたのだ。
(うわあぁぁぁ死ぬうぅっ!息できないアイナ様助けてえぇぇ!!)
『落ち着け、慧。鼻からしっかり吸い込んでみよ、呼吸は出来るはずじゃ』
(んううぅっ!!…………はぁっ、はぁっ、ほんとだ……けど、何か狭い……)
『そりゃ鼻腔を触手が覆っておるからのう。鼻の穴もその分狭くなっておる。頑張って吸うのじゃ』
(ひえぇ)

 無理矢理細い管から呼吸を強いられるせいか、頭がクラクラする。
 口に入り込んだ触手は、まるで口内を、そしてのどの表面を覆うかのようにぺったりと張り付き、口を開けることもままならない。
 唇は閉じたままなのに、喉は開いたまま固定され、かるい嘔吐きを覚えている。

 ぐちゅり

 ひときわ大きな粘液の音がしたと思ったら、店内にに流れる音楽が全く聞こえなくなった。
 耳にぞわぞわした感覚があるから、おそらく耳の穴も触手で塞がれてしまったのだろう。
 そのまま皮膚を這いずり、ウィッグの下へと潜り込んで頭皮を覆い……同時に手も、足も、爪の先まで完全に触手に覆われ、外界から慧の身体は完全に遮断されてしまった。

 服が布を擦る感触も、空気が触れる感覚も無い。
 全身に与えられるのは、生暖かくねっとりした体液を纏った触手がずるずると皮膚を這う気持ちよさだけ。
 最初から奥まで埋められていた直腸のみならず、気がつけば尿道からも触手が入り込んでいるのだろう。
 尿道をみっしりと埋め尽くされていて……前と後ろ、両方からじわじわと慧のメスの器官を押して、さすって、震わされて……頭が真っ白になって、けれど身体を反ることすら許されない。

『目は開くぞ、慧よ』
(あひ……うぁぁ……)

 アイナに促されて、ようやっと固く閉じていた眼を開く。
 けれどそのドロドロに溶けた瞳は、何も映していない。

『ふぅ……気持ちがいいのう、慧?全身を触手で包まれて、呼吸も制限されて……はぁっ、これは妾も気を抜けばこの場に座り込んでしまいそうじゃ……』
(あひぃ……とんとん、いぐぅ……)

 乳首を、前立腺を、指の股を、喉を、耳を……弱いところをぐちゅぐちゅと細かい触手が嬲り、緩く絶頂を繰り返す。
 そんな慧にアイナはバッグからスマホを取りだし『ほれ、慧よ見てるがよい』と画面を差し出した。

(きもぢいぃ……がめ、ん……え、これ……?)

 差し出されたスマホは、インカメラ状態で。
 そこに映っているのは……あの真っ黒な触手で覆われた身体では無く、穏やかに微笑んだ慧の姿だ。

 一体どうなって、と酸素の足りない頭で疑問を投げかける慧に『見た目は慧なのじゃ』とアイナは説明する。
 全身を覆い尽くした触手服は、触れた皮膚の性状を表面に模すことができるのだそうだ。
 例えるなら触手がたっぷり詰まった着ぐるみ状態で、表向きは平静を装った慧の姿のまま、けれど皮(?)を一枚を隔てた内側では全ての穴を埋め尽くされ、ありとあらゆる性感帯を同時に嬲られ快楽に溺れる肉の塊と成り果ててしまう。

(あたま、まわんない……このえろうさぎめ……)
『十分回っておるではないか。さて、ではでぇとの続きと行くかのう?』
(…………つづ、き?)
『そうじゃ。まだまだ時間はたっぷりあるでの?』
(え…………まって、そんな、このまま…………)

 慧はよく知っている。
 この触手服はじっとしていても体液をいっぱい出せと言わんばかりに触れた場所を延々と嬲り続けるが、身体を動かせばその瞬間動きは更に活発となり、動きに合わせてリズミカルに弱いところを刺激し続けることを。

(…………こわれ、ちゃう……)
『案ずるな、妾も一緒じゃし壊れはしないじゃろ。ただ』

 脳裏に浮かぶのは、美しく、そしてどこか獰猛さを兼ね備えた……それでいて恍惚としたアイナの姿。
 蠱惑的な唇が、嬉しそうに残酷な――むしろ幸せなのだろうか――未来を紡ぐ。

『地球の技術でこの快楽を得るのは難しいじゃろうからな。慧は生涯今日のことを忘れられずに、妾を欲して悶えることになるかもしれんのう』
(あいな、さまぁ……)
『様はいらぬ。……のう慧よ、これは妾の我が儘じゃ。お主を悲しませたくは無いが、ほんのちょっとくらい……妾がここにいた思い出を残しておいても良いじゃろう?』

 お主の幸せを祈っている。
 けれど、出来ることならその片隅にほんの少しで良い、妾の存在を刻ませて欲しい。

『さぁ愛し子よ、互いに叶えた望みを抱き締めて、共に悦びを分かち合おうぞ』

 声を上擦らせ、満面の笑みを浮かべながら、アイナはその足を一歩踏み出した。


 …………


 頭の中に響くのは、早鐘を打つ心臓の音と、ぐちゅぐちゅした粘ついた音。
 そして……ずっと快楽を叫び続けている、慧とアイナの甘い喘ぎ声だけだ。

(ぎゅってして、ぬめぬめ、とんとん……気持ちいい……)
『はぁんっ……気を抜くとどこを歩いているのか分からなくなりそうじゃ……のう慧よ、周りは日常を営んでいるというのに、妾たちはこんなにも快楽に溺れきっているのじゃよ』

 アイナに促され、涙に潤んだ瞳で慧は周囲を見渡す。
 眼に映るのは、お昼を終えて買い物にやってきたのだろう親子連れに、春休みに入った学生達。仲睦まじく歩く老夫婦。
 この淫らな皮を一枚隔てた向こうでは、馴染みのある世界が、変わらぬ人の営みが淡々と紡がれている。

 だというのに自分は今、そのただ中に立ちながら、穴という穴を犯され、肉欲の塊となって快楽を貪るだけの卑しい存在に貶められている。
 何という倒錯的な状況だ、頭がくらりとして……また興奮が高まってしまう。

 ぶわり。
 ほら、また真っ白な波がやってきた。

(いぐっ……また、メスアクメ決めちゃう……力、入らない……)
『どうじゃ?どこにも逃がせない快楽を叩き付けられるのは堪らんじゃろ?……ふふっ、もちろんじゃ。妾もずっと、ずっと気持ちいい……慧、お主と一緒じゃよ』

 分からない。
 もう、何もかもが、分からない。

 絶頂を覚える度に、何かが自分から抜け落ちるようだ。
「姫里慧」として培ってきたものが、止めどなくこの女子の装いをした器から零れ落ちていく。
 その隙間に入り込むのは「きもちいい」――ただ、その五文字だけ。

『それで良いのじゃ』

 愛しい人の声が、遠くから聞こえる。
 快楽に溺れよ、妾と共に、そう優しく包み込まれる。
 止まることの無い歩みに声なき声を上げ、涙も、涎も、封印された欲望から溢れる蜜も、全てを触手に舐め取られ……ああ、また絶頂の白い波が何かをさらっていった。

 快楽の詰まった、肉の袋。
 今の自分は、アイナと共に袋の中に詰め込まれ、混ぜ込まれ、ドロドロに溶かされている。

 きもちいい。
 けど、それだけじゃない。

(アイナと、ひとつに)

 もっと、もっと近くに。もっと互いの中に潜り込んで、その境目を無くして、同じものに。

(ああ)

 こんなもの、忘れられるわけが無い。
 自分は男の娘だからオナホとの惨めな交尾しか知らないけれど、きっとこれは肉の身体で繋がるよりも、もっともっと深い交わりだ。

 きっと自分は、これを越える交わりを知ることは生涯無いのだろうと予感する。
 だから、慧は与えられる悦楽を、幸福を、一つたりとも逃すものかとその身に、その心に受け止め続ける。

『……お主が叶えてくれた妾の望みに、妾は十分返せたじゃろうか』

 一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
 熱に浮かされた掠れた声で、アイナがぽつりと呟いた。
 漏れ出る喘ぎ声から察するに、背筋をピンと伸ばして淡々と歩きつつアイナもまた快楽の海の中で己を融かしきっているようだ。

(あたりまえだ……アイナに逢えて、良かった)
『そう、か……そうか……』


 妾も、慧に逢えて良かった。


 いつの間にか慧の身体は、駐車場へと戻っていて。
 運転席へと滑り込み、ドアをバタンと閉じた瞬間、アイナはわずかに残った理性を完全に手放したのだった。


 …………


「流石にこれだけやれば、そう簡単に目は覚まさぬわのう」

 車内で次にアイナが意識を取り戻したときには、すでに閉店時間が近くなっていた。
 魔力を使い果たしたのだろう、触手服は元のボディスーツの面積まで戻っていて、けれど全身に残る余韻にアイナは「んふぅ……」と熱い吐息を漏らす。

「うむ、何はともあれ家に帰らねばの……確か、なびあぷりとやらを使っておったか……」

 慧の魂は、いまだ絶頂の波から降りられないようだ。
 これでは運転もままならぬだろうと、アイナはそっとハンドルを握る。
 ずっと中から慧の運転を見てきたのだ、肉体の記憶と合わせれば自宅まで帰るくらいは何とかなるだろう。

 と、カツンとハンドルに何かが当たる。
 音のした方に目を向ければ、それは慧の左手の薬指に輝くブルームーンストーンのリングだった。

「…………」

 音も鳴らさない静かな空間に座り、慎重な運転で家路を急ぐ。
 この運動不足の身体であれだけ歩き回ったのだ。しかも全力で絶頂し続けながらだ。間違いなく明日は一日ベッドに突っ伏したまま過ごすことになるだろう。
 だから早く帰って、慧の好きな温かい湯を浴びて、ガサガサは嫌だが慧が風邪を引いてはならぬから頑張って着替えて横にならねば。

「……何とも不思議な感覚じゃな、指に輪を嵌めるというのは」

 運転をしていても、薬指の締め付けが何となく気になる。
 初めての感触に慣れるには、きっと時間がかかるだろう。
 そもそもこのようなものを指に付けた状態で、壊さずに過ごせるものなのだろうか。

「いやはや、付けるのが怖いのう……大切に、扱わねば」

 ようやく自宅に着けば、アイナは服を洗濯機に放り込む。
 慧のためだからと一日耐えたが、やはり地球の服というのはどうにも肌が削られるようで苦手だ。
 ウィッグは毛並みを整えて、コートハンガーにかけておく。

 そうして触手服のみを纏った状態で、アイナはいつもの魔法陣を展開した。
 光と共に触手服が消え失せ、その掌に収まったのは小さな小箱。

「……今のところは一緒に入れておくかのう。傷つけそうで心配じゃが……まぁ、また向こうで考えればよい」

 ぱかりと開いた箱の中に、アイナは貞操具の鍵と共に布袋に包まれたガーネットの指輪をそっとしまい込んだ。
 この箱はアイナの世界のものだ、だから万が一こちらに呼び出した状態でアイナが自分の世界に戻ってしまっても、理論上はともにサイファの研究室に戻ってくるはず。
 その場合貞操具の鍵も一緒にサイファ送りになるわけだが、それは後でこちらの世界に転送すれば問題なかろう。元々この世界のものであれば、国もとやかく口出しはするまい。

「ふふ……贈り物を貰ってこれほど嬉しい気持ちになるとは……一体何十年ぶりじゃろうな……」

 きっと、別れの日は近い。
 それでもこの1年の想い出と、今日の……慧と共に叶えた望みを分かち合ったひとときと、この指輪があれば、自分は十分幸せを噛みしめて生きていける。

「……お主はまだ幼い。その恋心も時が経てば次第に薄れるじゃろう。いつか今日の日のことを良き想い出として、お主を理解してくれる人と出会えることを祈っておるぞ」

 今だって慧の周りには、その性癖を(方向性はともかく)理解してくれる優しい人たちで満たされているのだ。きっと、慧は幸せになれる。

 箱をテーブルの上のロックボックスにしまい、アイナは気怠い身体をベッドに横たえる。
 カーテンから漏れる月明かりは、心の奥にしまい込んだ寂しさを癒やすように優しい光を湛えていた。

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