第3話 Serenade of the Mark
あの衝撃的なSMとの出会いから、1年半が過ぎた。
晴臣は今日もまた、地下1階にある店の重たいドアを開ける。
「真鍋さん、今日はだめ。まだお尻に痣があるじゃない」
「だめ、ですか?だいぶ薄くなったし……」
「だめよ。……ちゃんと綺麗な肌になったら、また紫色になるまで打ち据えてあげるから我慢なさい、ね?」
「……はっ、はいいぃ……!」
あれから無事転職を果たした晴臣は、せっせと『Purgatorio』に通い続けていた。
残業は長くても1時間、土日もしっかり休めてご飯も食べられるあまりのホワイトっぷりに当初は随分戸惑ったものの、今では慣れて仕事もSMバー通いもすっかり堪能している。
バーのチャージだって決して安くは無いのに、週1-2で通い詰めるハマりっぷりに賢太が心配すれば「大丈夫です、他に趣味もないし」とそれはそれでどうなんだという答えが返ってきて賢太達を困惑させるのだ。
「真鍋君、食事はちゃんと食ってるんだろうな?うちに来るために、食事を疎かにするのは絶対に無しだぞ?」
「大丈夫です!うどんと米は実家から送って貰えますし、あとは卵とネギと生姜があれば」
「肉も食え!あとネギと生姜を野菜に換算するな!!」
「オーナー、3番席肉野菜炒めオーダー入れますー!」
「おう勝手に入れろ入れろ!!ついでに大盛りでな!!」
「えええそんなあぁぁ……」
(なんか僕、ここんとこ来るたび肉野菜炒め食わされとらん……?)
ででんと盛られた皿を「ほら、残さず食えよ!」と目の前に置かれ、晴臣はいつものようにバーには似つかわしくない料理をはむはむと頬張っていた。
(ほんでも、東京にもこんな親切な人らがおるんやな……ほんま、あの日ここに来て良かった)
……最初の頃は、ただ、明日を生きるために通っていた。
どうやら思った以上に自分はここに来てから沢山の感情を溜め込んでいたようで、けれど一人じゃどうやってもそれを発散できなくて。
ここに来て、痛みを与えて貰っていっぱい泣き叫んで、そうして溢れてきた想いを誰かに受け止めて貰わないと生きていけなかったのだ。
それでも1年も経てば、心の澱はすっかり取り払われたらしい。
今の晴臣は、純粋に千花によって目覚めさせられた被虐の渇望を満たすために、この妖しい空間に入り浸っている。
「真鍋君は本当に打たれるのが好きだよな」
「はい。痛みで頭の中ぐちゃぐちゃになって、泣けるのが凄く良くて」
店に来れば少しだけ何かを飲んで、大皿で肉と野菜を補給し(お代は時価)大抵はスパンキングか鞭をお願いする。
拘束も、縄も、何なら檻やヒトイヌやバキュームベッドも試してみたけれど、結局は打たれることに戻ってきてしまう。
(……ちょっとちゃうな)
否、打たれることがいいのではない。
CHIKA様が自分を打ち据えた後に見せる、恍惚の表情がいいのだ。
正直CHIKA様が与えてくれるものなら何だって気持ちいい。彼女の興奮する姿こそが、自分の求めるもので……だから、CHIKA様が最も楽しいと感じている鞭を、自分も好んでいる、ただそれだけ。
(ほんま、惚れとるなぁ……)
もうベタ惚れじゃ無いか、と晴臣は心の中で苦笑いする。
こんなに誰かを好きになるなんて、大学生の時以来じゃなかろうか。まぁ、残念ながら両思いなどという幸運には恵まれたことが無いけれど、それでも恋をすればちょっとだけ世界の色が変わるのが楽しくて堪らない。
とはいえ、ただの田舎者でSMも初心者な自分にとって、千花は高嶺の花だ。
時々行われる千花への告白イベントに参戦できる猛者のように、その思いをぶつけるだけの自信も度胸も持ち合わせていない。
だから、精々こうやって通い詰めて、CHIKA様の美しい笑顔を拝ませていただければ、それで十分。
「CHIKA様、痕が早く消える方法ってないですか?」
「ちゃんと肉と野菜を食べて栄養補給。タンパク質取らないと傷は治らないのよ?後は大人しく時間が経つのを待ちなさいな!」
「むうぅ……」
今日も幸せなひとときが過ぎていく。
そう、片思いで十分。だから、ずっとこんな穏やか(?)な生活が続けばいい。
もはや崇拝に近い恋心を秘めつつ、晴臣はこの逢瀬を明日への活力とするのだった。
…………
「CHIKA様、晴臣君のことはマゾブタ呼ばわりしないんだよね」
「……あ、言われてみれば……一度も呼ばれたことがない」
最初の日、ドアを開けてくれた『マゾ犬』の変態紳士とは今ではすっかり顔なじみだ。
カウンターでカクテルを嗜みながら彼は千花に「何で呼んであげないんですか」と尋ねている。
「マゾブタって?だって真鍋さんはそれじゃ喜ばないじゃない」
「え、そうなの?」
「……そうなんですか?」
「何で私に聞くかなぁ……自覚なさすぎよ、真鍋さん」
ここにやってくる、特に千花目当てで通い詰めるM男達には共通点がある。
それは、千花に詰って貰うことを好む事だ。
30半ばになっても全く衰え知らずのスタイルに、少し低めでよく通る、凜とした、まるでガラスの刃の様な声。
見下すような視線で、その濃いめの口紅を引いた唇から紡がれる侮蔑の言葉は、それはそれは深く被虐の心を抉って貰えるのだそうだ。
だから、千花は基本的に常連客を名字で呼ばない。ただのブタだ、犬だ、奴隷だと蔑むことが彼らの望みなら、それを叶えるだけ。
けれど、晴臣は違った。
1年経った今でも、千花は晴臣をブタどころか呼び捨てにすらしない。
それは千花が仕事人として徹底しているが故だった。
「真鍋さん、言葉責め自体は嫌いじゃ無いけど蔑まれるのは苦手みたいなのよね。前に話してたじゃ無い?標準語は怖いって。そのせいじゃないかとは思うんだけど」
「あー確かに……大分慣れましたけど、やっぱり冷たく感じますから」
「女王様ってのはね、ドMなお客を満足させてなんぼなのよ。相手が何を求めているかを見抜き、そこに寄り添い、ちょっとだけ頑張らせる。ま、私はあんた達の悲鳴が大好物だから、そういう意味じゃ私も十分楽しませてもらってるけどね」
じゃあねと手を振ってソファ席に向かう塚野の背中を見送りながら「やっぱCHIKA様は別格だね」と変態紳士はうっとりと晴臣に同意を求めた。
「他の女王様もここは質が高いよ?オーナーのこだわりが感じられる、いい人選と教育体制だと思う。けど、あれほど僕らドMの変態に対して気を配ってくれる女王様も珍しい」
「そうなんですね、僕はここ以外を知らないから」
「晴臣君は最初が最初だし、もう他の店じゃ満足できないさ」
(ほんま、よう見とる……CHIKA様は頭ええんやろな)
この1年、客として千花と接し続けてきた晴臣は、その聡明さに感嘆していた。
ただ成績が良いだけじゃ無い、本当の意味で博識で頭が良いタイプなのだ、彼女は。
だからこそ彼女を慕う客達の好みを細かく把握し、臨機応変に、しかも完璧に対応してみせる。
いつも千花がいるわけでは無いから、他の女王様にお相手いただいたことだって何度もある。
だから分かる。彼女たちが下手なのでは無い、千花が上手すぎるのだ。
SはサービスのSだなんてよく言ったものだ。自分達は確かにCHIKA女王様に『尽くされて』いる。
(……ほんだけんど、CHIKA様は満足しとらん)
けれども、ずっと引っかかっている。
確かに千花は嗜虐嗜好の持ち主だ。それは嬉々として男を甚振り、店中に響く叫び声を上げさせ、ステージ上で苦痛に悶えさせ、その姿に、声に明らかな興奮を表している姿からも間違いないだろう。
ただ……時折見せる陰が、何かを押し殺しているような表情が、晴臣には気になって仕方が無い。
(多分やけど、CHIKA様はもっともっと……奴隷にえっぐいことをしたいんちゃうんかな)
したいけど、できない。
まるでこれ以上自分が喜んではいけないと、恐れているかのようにすら感じる。
(ほら、今やって…………あんなんでCHIKA様は満足せん。……笑いよるのに、泣っきょるみたいや)
ステージでは千花による一本鞭のショーが行われている。
相手はこの店のベテランM男君だ。
千花の高笑いとM男君のいい叫び声――それは多少演技混じりではあったが――が店内に響いて、観客をわっと沸かせていた。
「……CHIKA様も本気で打ったらええでん」
そんな千花のどこか苦しそうな想いが伝わってきて、つい晴臣の口から本音が漏れる。
耳ざとい変態紳士達は、それを聞き逃さない。
「ん?どうした晴臣君。CHIKA様がどうかしたか?」
「あ、ええと……その、もっと本気で打ってくれれば良いのにな、って……」
「へっ」
「CHIKA様、ずっと本気で打つのを怖がってるように見えて」
「えええええ!?」
それは無いだろう、と彼らは晴臣の推測を全力で否定する。
だって、千花の鞭は生半可なレベルじゃ無い。いつも相手が耐えられる限界のちょっと向こうを覗かせて、醜く叫べるように甚振ってくるのに、それが本気じゃ無いなんて想像もできないのだ。
声を失った彼らだが、ややあって一人が「それは晴臣君だからじゃないか」ともったいぶった様子で口を開いた。
「ほら、晴臣君は最初が最初だったし、今だって店の人たちに気を遣って貰っているだろう?」
「そうそう、CHIKA様は本当はお優しい方だから、そんな晴臣君には無理を強いない。だからそう感じるだけさ」
「そっか、そうかも……」
(……ちゃうと思うんやけんど、なぁ)
モヤモヤするものは残るが、これ以上言っても埒があかないと晴臣は曖昧に笑って口を噤むのだった。
…………
……だが、その台詞を聞いて密かに驚愕している人物が、カウンターの向こうで思わずグラスを落としかけていたのを、彼らは知らない。
(マジかよ、真鍋君……お前、千花の内側に気付いてたのか……!!)
何事も無かったかのように同士と語り合う晴臣の姿を、賢太は冷静を装いながら冷や汗をかきつつ眺めていた。
確かにここに来たときは余りの危うさに、千花を含め店のスタッフ総出で彼を助けた間柄ではあるが、今はもうただの店員と客の関係だ。賢太も、そして千花も、肉野菜炒め以外の特別扱いはしていない。
晴臣のことを名字で呼ぶのだって、あくまで「お客がされたくないことはしない」仕事に徹しているだけに過ぎないのである。
そう、気付かれる要素は何も無かったはずだ。
千花だってほぼ完璧に隠していた。
確かに時折漏れる苦しそうな表情を自分は知っていたけれど、それは長年の付き合いがあるからこそわかるもので、ここの古参連中ですら誰一人指摘したことが無いもの。
これはあれか、田舎者で擦れてなさすぎるからこそ、気付いてしまったというやつか。
(どうする……?千花に、伝えるべきか……)
賢太は逡巡し、しかしそれは必要ないと判断する。
純朴な青年の事だ、きっとその事を千花に突きつけ動揺させることは無いだろう。
彼が千花に惚れ込んでいるのは知っているし、その思いを告げるつもりが無いのも薄々気付いている。
常連達との会話で、千花の陰に気付いている人間がいないことも察したはずだ。それをペラペラ喋るほど口が軽い男でもあるまい。
問題が起きればその時だ、今は静観しよう、そう賢太は心に決めた。
(……むしろ、あいつが『告白』すりゃ……いいや、いくら痛みに強いとはいえあんななよっちい男じゃ千花の激情は受け止めきれねぇか……)
賢太はずっと待っている。
千花の奥底に潜む獣すら、喜んで抱きしめてしまえる度量を持つ男が現れるのを。
偽りの恋人となって早4年、数多の告白を受けてきたにも関わらず、残念ながらこの関係が解消することは無かった。
このままでは本当に偽装結婚する事になりそうだな、と、今日もショーを終えてどこか寂しそうな顔を浮かべる千花に、賢太は水を用意するのだった。
…………
(これは来る……ゾクゾクする……だめ、集中)
久しぶりの大きな手術。
頭部の骨を切り正しい形へ牽引するという、大学病院でも症例の少ない手術の執刀医となった千花は、准教授の井芹や後輩達と共に12時間に及ぶ手術に臨んでいた。
脳外科の先生に前処理をしてもらい、慎重に、周囲を傷つけないように頭蓋骨や顔面骨を切り装具を取り付けていく。
初めての手術に、患者への責任感に、流石の千花も緊張を覚えている。
けれどそれ以上に……普段の手術とは比べものにならないほど、自分のその手が患者の命を握っているという事実に、どうしても興奮が止まらない。
ああ、明日の夜には店に顔を出せるくらい容態が落ち着いているといいのだけどと祈りつつ手を動かしていると、横から「塚野先生は良い腕をしてるねぇ」とのんびりした声が掛かった。
「あ、ありがとうございます、井芹先生」
「うん、ああこっちはもうちょっと剥離しようか」
「はい」
雑談をしながらでも、手は止まらない。
むしろ長時間の手術だ、時々こうやって雑談を挟みながらで無いと、とても集中が持たない。
千花は音があることを好まないが、執刀医によっては好きな音楽をかけて気分を上げながら手術することもままあることだ。
「先生、お父さんはまだ医局に残っていてもいいって?」
「いえ、本当は今すぐにでも美容に転向して欲しいそうですが……私が断ってます。もうちょっと症例を経験してからがいいかなって……」
「ははっ、本当に塚野先生は真面目だねぇ。まぁうちとしては、先生が長くいてくれるのは嬉しいけどね」
この年に……博士号を取り、専門医を取得し、お礼奉公と言われる数年間の派遣をこなせば、ぼちぼち医局を離れるものも出始める。
あるものは民間病院に就職し、あるものは開業の道を選ぶ。
小さな科でポストも少ないから、そのまま大学に残るのは千花の同期のように役職を持ったものくらいだ。
そんな中で、身の振り先を何も考えなくて良い千花は大層羨ましがられていて、内心それなら変わって欲しいと何度心の中で叫んだことか分からない。
ピッ……ピッ……ピーーー…………
組織の焼ける匂いと共に、モニターの音と、電気メスの作動音が混ざる。
芽衣子はこの不協和音が苦手だといつだったか話してくれたっけ。自分はそこまで音感は鋭くなくて良かったなとぼんやり思いながら術野を展開する。
「でも、先生は美容に向いていると思うよ」
「そうでしょうか」
「うん、美容は形成以上に患者さんの理想がゴールになるからね。先生のように自分の理想を押しつけない人間にはぴったりだ」
「……だと、いいんですけど」
形成外科の一分野とされる美容外科は、しかしその性質に大きな相違点を抱えている。
もちろん例外はあるが、基本的には自然な形をゼロとして、マイナスからゼロを理想とするのが形成外科、ゼロからプラスを目指すのが美容外科だ。
マイナスは厳然たる事実として目の前に存在するし、ゼロも一般的に自然と言われる形というテンプレートがある。
けれどプラスには、基準が無い。強いて言うなら患者一人一人の理想が基準だ。
美容外科医に求められるのは、自然な形から逸脱しすぎないレベルで、その理想に近づけること。
『創る』科ならではなのか、この科に関わる医師は理想とする形を脳裏に強固に保持し、それを押しつけがちになる。
その点が柔軟な塚野は、確かに美容向きなのだろう。
(でも、私はそもそも人を治しながら……裏では人を堕としている)
一方で治し、一方で傷つけ、そのどちらの行為でも昂ぶり股間を濡らす浅ましい女、それが自分だ。
確かに医師としては平静を装い、誰かの人生の手助けになり続けているけれども、女王様として一体どれだけの人の平穏な人生を奪い、性癖を歪めてきたかと思うと、そのあり方に吐き気を覚えるほどだ。
(元々変態だった人ばかりじゃ無い……ノーマルだった子だって、一体どれだけ……)
そんな気持ちがつい、手を鈍らせる。
「……電メ」
「はい」
千花は(やってしまった)と内心焦りつつ、隣にいる助手に声をかけ、引っかけて出血した部位を慌ててピンセットでつまみ、電気メスで止血する。
そんな千花に、井芹が「塚野先生」と優しく声をかけた。
「……あのね先生、僕たち医者ってのは、目の前の患者さんに対してベストを尽くすだけ。それをどう取るかは患者さんの問題で、僕たちにどうこうできるものじゃ無い。もちろん結果は出して患者さんの理想を叶える努力はするけれども、医者は神様じゃ無いからねぇ」
「ええと、何でまた……」
「ん?塚野先生は真面目だからね。背負わなくて良いものまで背負っちゃってそうだから、ちょっとした先輩からのアドバイスだよ」
「あ……」
ああ、この人は。
普段はぼんやりしていて医局員からのツッコミ待ちな人なのに、やはり准教授にまで上り詰めただけのことはあるなと感心する。
恐らく、患者への責任感で気負って手元が狂ったのだと思ったのだろう。内容はともかく、責任感という意味では確かにそうかもしれない。……そう、内容は絶対に知られてはいけないものだけども。
「……ほら、肩の力を抜いて。ここまでは順調だから安心して、どーんとやっちゃいなさい」
「はい。ありがとうございます。……プレート出して」
「はい」
(そうだ、今はとにかく、この人のために全力を尽くさなければ)
医師としても、女王様としても、自分はきっと周囲に恵まれているのだと思う。
自分のような人間にありがたいことだと感謝しつつ、千花は骨にネジ穴をあけるべくドリルを手にするのだった。
…………
「CHIKA様、僕をCHIKA様だけの奴隷にして下さい!!」
「ちょっと、今月これで何人目よ!!」
「3人目だな、いやぁ店も盛り上がって何よりだ」
相変わらず千花はモテモテだった。
専属奴隷を志願してくる男は後を絶たず、しかも賢太が面白がって告白をイベント化してしまったものだから、最近では一度振られても性懲りも無く告白を繰り返す、困った男どもが増えてきたのだ。
しかし千花も、何年もすげなく断られ詰られたいだけの茶番に付き合い続けるのに、少々うんざりしてきていた。
そこで少し前から『条件』を出すことにしたのである。
曰く、千花の専属奴隷になりたいと宣言する男は千花がテストをする。
テストの期間は1年間、内容は一応秘密。無事合格すれば千花の専属奴隷として飼う契約をする。
ただし途中で離脱したり合格できなかった場合は、今後二度と告白イベントに参加しないという念書を書かされるのである。
なお、あくまでもチャレンジできるのは「奴隷」の身分である。表向き、千花は賢太と恋人という話になっているためだ。
賢太としてはその中から恋人候補が出てくればいいと思っているけれど、千花のその性癖と性格からして、なかなか難しいだろうとは思っている。
何にしても、ギャラリーからすれば、あのCHIKA様の専属奴隷になれる具体的なチャンスが明示されたのだ。そんなもの、諸手を挙げて賛成するに決まっている。
それに脱落するのもそれはそれで楽しい。千花の辣腕で叩きのめされた男達を慰めつつ、酒のつまみにするのだ。こんな最高のイベントは無い!とパワーアップした告白イベントはすっかり大盛り上がりである。
「凄いなぁ……勇気があるというか、何というか」
「ん?晴臣君はチャレンジしないんだ」
「えええ僕がチャレンジだなんて、そそそんな恐れ多い!」
「ははっ!まぁCHIKA様もあれじゃ、古参連中の相手だけで精一杯っぽいもんなぁ」
晴臣はいつものように、バーカウンターで常連客と共にその狂乱を眺めている。
多分、千花はプライベートで奴隷を持つ気なんてさらさら無いのだろう。そんな気があればあの美貌なのだ、既に相手がいたっておかしくない。
そんなことは皆分かっている。
だから、本気で千花の奴隷の座を狙っている男はほとんどいない……まぁ多少はいるかもしれない。
だが大半は千花への恋慕に区切りを付けるため、もしくは彼女が愛するこの店を盛り上げるために手を上げているのだ。
「ま、気持ちに区切りを付けたくなったらチャレンジするのはありだぜ」
「樹さん」
「てかあんた、また店をほったらかして来てるんですか!」
「良いじゃねぇか今日くらい」
晴臣達の隣で黄昏れながらウイスキー……かと思ったらウーロン茶を飲んでいた男がこっちを振り向く。
それは『摩天楼』のオーナーであり千花をこの世界に導いた張本人である樹だった。
だが、いつもの強面は今日はすっかり迫力を失っている。
そう言えば、4ヶ月前この話が持ち上がったときに、最初に挑戦したのは樹だったなと晴臣達は思い起こす。
そしてこの表情……つまりはそういうことだろう。
「あ、あの、樹さんその……」
「ああ、慰めはいらねぇよ」
そうそっぽを向いて答える樹の目元はちょっと赤い。
(受け止めてやりたかった、まさか千花にこんな歳までプレイ相手ができないとは思わなかったしな)
こんな老いぼれで良ければ、その余生をお前の情欲の餌にしやがれ。
そんな親心に似た気持ちで千花の課すテストに挑んだ樹だが、しかし3ヶ月でまさかのドクター(千花)ストップによりリタイアとなったのだ。
『最初に聞いたときはいけるかと思ったんだけどな……老いぼれには少々キツすぎたわ……』
『命は大事にして下さい、プレイ中に狭心症の発作だなんて流石にアウトにも程があります!……だから、だからあんなに止めとけって言ったのに……』
リタイアを宣言し念書を書く樹を見つめる千花の顔は、罪悪感に覆われていて「お前のせいじゃない、発作は俺の不摂生が原因だから気に病むな」と樹は眉を下げる。
『ま、そんな泣きそうな顔で言われて、はいそうですかって引き下がれるほど、俺は薄情じゃないってことだ。大体お前、もうとうの昔に心は限界を超えているだろうが!いつまで一人で意地を張り続けるつもりだ?』
『…………意地じゃ無いですよ。だって、誰も私の歪みに付いて来れない……9割方は1ヶ月でギブアップしてしまうんです。そんなんじゃ、妥協して誰かとパートナーになったって私はいつか彼らを壊して』
『っ、バカ、だから自分を責めるなって言ってるだろうが……!』
(このイベントは、悪手かもしれんぞ、賢太、千花)
ぐっと唇を噛みしめる千花の前で、樹は心の中でそっと独りごちる。
確かに茶番の告白イベントに飽き飽きしていた千花の気持ちはよく分かる。
けれど、彼女が店で見せる手加減した女王様の仮面を脱ぎ捨て、その苛烈な獣の片鱗を見せれば、千花について行ける者などまずいないだろう。
それを千花も分かっている。分かっているけれど……分かっていない。
――そうやって現実を確認すれば、更に自分を追い込んでしまうだけだという事に。
「ま、諦めはついたわ。……俺じゃとても、あいつの愛を受け止めきれねぇよ」
「…………そんなにヤバいんすか?」
「先月告白した奴も、2週間でギブアップしたって言ってたし……一体、CHIKA様は何を」
恐る恐る尋ねれば、樹は「チャレンジしたくなったら教えてやるよ」と冷たいウーロン茶を一気に喉に流し込みつつ、誰にも聞こえない小さな声でステージに向かって呟くのだった。
「……早く相手を見つけろよ、じゃないと……お前が壊れるぞ、千花」
それから、更に季節は巡る。
相変わらず千花にチャレンジをする者は後を絶たず、月に2度は告白イベントが発生していた。
そして案の定、樹の立てた3ヶ月という記録すら塗り替えることができずに、彼らは次々と脱落していく。
だが、不思議なことに千花の本性を垣間見た彼らは、誰一人千花を責めなかったし、恨みもしなかった。
だって……完全無欠に見えた千花も、その内に眠る歪みの全てを出せずに苦しんでいたのだと、知ってしまったから。
こんな店に集い金を落とすほどの連中だ。歪んだ性癖を持つ以上、世間との折り合いで多少なりとも苦労してきたものが大半である。
だからこそ千花の度し難い欲望を知った今、自分達では受け止められない事実に悲しさを覚えこそすれ、千花を責めようなんて気にはとてもなれなかった。
「……いつかCHIKA様に、良い出会いがありますように」
時が経つにつれ、その想いは『Purgatorio』全体で共有されていく。
けれどその想いとは裏腹に、千花は静かに、しかし確実に己の心を削り続けていた。
…………
「うわ……電車、止まっとる……」
今日は台風だから残業も無しで帰ろう!と皆でさっさと仕事を終わらせたというのに、まさかタッチの差でいつもの電車が運休になってしまうだなんて、どれだけついていないんだか。
「げ、真鍋もしかして帰れねぇんじゃ」
「まじかよ……あれだったらうち来るか?子供がいるから喧しいけど」
「あー……ううん、大丈夫。近くに知り合いの店があるからそっちに寄ってくる」
「そっか、気をつけてな」
同僚達と別れた晴臣は、これ幸いとばかりに『Purgatorio』に足を向けた。
ここ2週間、仕事が忙しくてほとんど顔を出せなかったのだ。こんな日だから流石に店は開いていないかも知れないが、どうせ帰れないなら試してみる価値はある。
外に看板が出ているのを確認し(良かった)といつもの重いドアを開ける。
「いらっしゃい」とずぶ濡れの晴臣を迎えてくれたのは、賢太と……意外にも千花だった。
「え、CHIKA様!?こんな時間に珍しいですね」
思いがけず目を丸くすれば「ええ、近くで用事があってね」と返す千花の顔は、心なしか元気が無い。
そのままじゃ風邪を引くだろうと賢太が慌ててタオルと着替えを持ってきてくれて、晴臣はその表情に後ろ髪を引かれながらもまずはその濡れ鼠を何とかすることにした。
「ふぅ……どしたんやろ、あんな顔……」
不安に思いながらも店に戻れば、千花はいつもの表情に戻り、グラスを傾けてる。
「髪、拭けてないわよ?事務所にドライヤーあるから乾かしてきた方が良いわ」
「そうですね、お借りします」
(……無理せんでええのに)
自分が来たことで余計な気を遣わせたかなと思いつつも、晴臣は千花の隣に座りいつものようにビールを注文した。
「真鍋君、今日はお代はいらねぇから」
「え、でも」
「この雨だし、スタッフも来れねぇから閉めようとしてたところだったしな。電車、止まってるんだろ?うちでゆっくりしていけば良い、明日は休みなんだし」
「ありがとうございます。……すみませんCHIKA様、僕来ちゃって……」
「何で真鍋さんが謝るのよ」
だって、と言いかけて慌てて言葉を飲み込む。
きっと千花は客にその奥にある物を見せたくないはずだ。それなら敢えて触れない方が良いだろう。
(触れんけんど……僕に何ぞできんやろか)
たわいない話に花を咲かせつつ、晴臣は千花の様子を伺う。
ミルクティーかと思っていた飲み物は実はカクテルだったらしい。そう言えばここに来て以来、千花が酒を飲むのを見るのは初めてだ。
隣をチラリと見やれば、ほんのり赤らんだ頬が色っぽくて、うっかり息子さんが反応しそうになる。
「僕、これまでCHIKA様にいっぱい打って頂いてますけど、玉ってまだやられたことが無いんですよね」
「おー、とうとうそこに目覚めるのか?あれは本当に悶絶するぞ、俺も練習台で何度か千花にやられたけど……あれで勃起するMってすげぇと思うわ」
「試してみる?今なら私を独占し放題よ」
「え、いいんですか!」
(やった、ついてる!)
思わぬ提案に喜色満面の晴臣とは対照的に、賢太は浮かぬ顔だ。
「……千花」
「大丈夫よ、賢太さん。……大丈夫だから」
鞭を取ってくるわねと千花がバックヤードに消える。
と、賢太が真剣な顔になって「真鍋君」と晴臣を見据えた。
「……今日の千花、歯止めがきかないかも知れない」
「何か、あったんですか?」
「いや、まぁいつも通りと言えばいつも通りだが……『ギブアップ』が出てな」
「ああ……」
何となく察してしまった。
きっとまた、千花は小さな絶望を味わってきたのだ。
自らの中に飼っている嗜虐の獣は、こんなSMバーに集まるような猛者ですら、受け止めきれないと……
今日は音楽もかけていない、静かな店内に雨風の音が響いてくる。
こんな地下の店まで聞こえるくらいだ、今回の台風はどうやらかなり強いらしい。
「真鍋君は、前から気付いていただろう?千花がここじゃ本気を出していないことを」
「……はい」
(ああ、気付いとったんや、僕が知っとるって)
千花の心の痛みを慮って思わず顔をしかめれば、賢太が「いつからだ?」と確認してくる。
あの初めてのパドリングの日に見えた、千花の恍惚とした表情とその奥に眠る寂しさを話せば「まさかの最初からかよ」と賢太は随分驚いたようだった。
「ここを開いて10年以上になるけどな、千花の胸の内に気付いたのは真鍋君だけだな。最近じゃイベントのせいですっかり知れ渡ったけど」
「そうなんや……知られたくなかったんじゃ無いんですか?」
「もう、今更よ」
「CHIKA様」
そう、気付いていたんだ、と自嘲するように口の端を上げる千花は、確かに普段は見せることの無い危うさを感じる。
賢太の言うとおり、今日の千花は……恐らくいつもほど手加減をしてくれない。
それはこれまで見たことが無い獲物を選んできたことからも明らかだ。
(ええやん)
それを分かった上で、否、分かっているからこそ、晴臣はズボンをその場で脱ぎ捨てる。
さっき着替えたばかりの下着は、ここの備品のふんどしだった。
(そんな悲しい顔、させとないけん)
「真鍋さん、それ、脱ぐ勇気ある?」
「へっ」
「……ペニスと玉を晒して、身体は椅子に拘束するわよ。今日は誰もいないし、特別ね」
「あ、はい、すみません汚いものをお見せしますけど」
「心配しないで、見慣れているから」
(僕はCHIKA様が笑えるまで、付き合うたる)
バッと勢いよくふんどしを外し、晴臣は千花に誘導されるまま、賢太と共に拘束椅子へと向かった。
…………
『こんなのおかしいです、CHIKA様、狂ってる……!』
(分かっているわよ、そんなの自分が一番分かっている……!)
ギブアップを宣言してきた男が泣きながら放った一言が、耳から離れない。
最初に念入りにルールを説明し、同意書も書かせた上での『テスト』だった。
あれほど何度も思いとどまる機会を与えて、それでも挑戦させて下さいと頭を下げるから納得ずくで始めた筈なのに。
まだバーに通い始めて3ヶ月にもならない彼は、たった10日であっさりとギブアップしたのみならず、最悪の捨て台詞を吐いて去って行った。
(そうよ、私はおかしいの、狂っているの!だって、だってこんなに……!)
「んがぁっ……!!」
(……男の悶絶する姿で、こんなにも興奮するのだから!)
ぺちん、ぺちんと鞭が晴臣の股間を打ち据える。
それは本物の乗馬鞭だと、椅子に身体を縛り付けながら千花が説明してくれた。
鼠径部を強めに打たれれば、痛みを快楽と誤認するようになった雄は簡単に芯を持ち始める。
そこに、ぺちぺちと、鼠径部よりは大分加減して、けれどもぶら下がった内臓には許容できない打撃が叩き込まれれば、思わず叫び声が漏れ、勝手に身体が跳ねてガチャガチャと拘束具を鳴らす。
(いだい……死ぬほど痛い……!!)
自然と涙が零れ、必死で歯を食いしばる。
涎も飲み込む余裕が無くて、さっきから顎を伝ってシャツをべっとりと濡らしてる。
いや、それ以前にシャツは脂汗を吸ってぐっしょりだ。
「痛いわよねぇ、だって、内臓だもんねぇ、これ」
「ひぎっ!」
嬉しそうに話しながらも、鞭を振るう手は止まらない。
鼠径と、ペニスと、睾丸。晴臣の意識が逸れたところをまるで嘲笑うかのように叩きのめすその手腕は、さすがは女王様だ。
「あーあ、可愛そうに……赤くなっちゃったわねぇ……」
「っ、ぐっ…………!!」
千花の大きな手で、じわじわと睾丸が握りしめられていく。
男なら誰でも脳に刻み込まれた痛みを予感させられる行為に、息が荒くなり、恐怖でカタカタと身体が震えてくる。
「真鍋君、だめならすぐに『ごめんなさい』だ」
「……っ、だ、だいじょぶ、ですっぎゃああぁぁっっ!!」
「あははっ!無様な顔ねぇ!!久しぶりに見たわ、こんなぶっさいくな顔で泣き叫ぶ男なんて!鼻水まで垂らしちゃって、ねぇ!」
「うぐううううう!!」
悶絶。まさにその言葉がふさわしい。
目がぐるりと上転して、一瞬意識が刈り取られる。
余りの痛みでネジが飛んだのか、そんな痛みでも萎えない自分の息子さんは逞しいな、なんて場違いなことを考えてしまう。
……そうやって心の均衡を保たないと、頭がおかしくなりそうだ。
セーフワードは決めてある。けれど、晴臣にそれを使うつもりは無かった。
なにせ、いつもならあれほど「ごめんなさいは?」としつこいほど確認を取ってくる千花が、今日は今まで一度もその台詞を口にしていないから。
「知ってる?この袋の中ってね、ふわふわした組織で覆われているの」
「があぁっ……!」
「それをかき分けていくとね、ぷりんぷりんの玉が顔を出すのよ。ふふ、お腹の中にいられないからって、あんな脆弱なもので必死で守ろうとしているのよねぇ!ほんっと、男って作りからして脆弱で、弄りがいがあるわぁ!」
「いだいいぃぃっ!!」
あはははっ!と千花の口から高笑いが漏れる。
晴臣を責めるときには滅多に見られない、きっと千花の心からの歓喜と悦楽の表現。
けれども、その瞳が潤んでいるのを、罪悪感に苛まれた苦悩が映るのを晴臣は見逃さない。
そして賢太も……これまで何度も見てきたその表情に、胸が痛む。
(これ以上俺には何もしてやれない……それに、これ以上はまずい)
そう判断した賢太がストップをかけようとする。
だがそれを制したのは「CHIKA様っ!」と叫ぶ晴臣の声だった。
「あら、なぁに?もうおしまい?」
「!千花、だめだ、それ以上は」
「ええけん!」
「へっ」
「ええけん、打っていた!!」
「「……はい?」」
なんだ、その「いた」というのは。
突如飛び出した謎の言葉に、二人は一瞬呆気にとられる。
(あああああ、どなん言うたらええんやあぁぁぁ!!もうわやくちゃごじゃはげじゃあああ!!)
どうしても届けたかった言葉は、溢れる感情は、だめだ、標準語に直せない。
こんなんじゃ通じない、そう思いながらも、叫びは止まらない。
「CHIKA様は笑ろとってええけん!!悪い事しょおるって思わんでええけん!!僕はっ、僕は……僕がして欲しいんや!!僕が泣いて、叫んで、CHIKA様に喜んで貰いたいんやあぁぁっ!!」
「真鍋さん……」
やけん、泣かんといて。笑ろて、打って。
僕いっぱい痛おてもかんまんけん、CHIKA様がええようにして。
ぽろぽろと涙を零しながら、股間を真っ赤に腫らしながら、なお鞭を懇願する哀れな青年。
(……もうちょっと、分かる言葉で喋りなさいよ)
涙混じりの方言は、ところどころ良く理解できない。
けれど、これだけは分かる。
千花のどうしようも無い嗜虐の衝動だけで無い、ずっと隠し続けてきた罪悪感も彼は知っている。
知っていて、この所業は晴臣が望んだことなのだから……千花に笑えと言うのだ、この男は!
(そんな……そんな簡単に払拭できたら、私はここまで苦しんじゃいないわよ!)
バシッと、明らかにさっきよりも強い打撃が、腫れ上がった股間に炸裂する。
血走った目を見開き、あらん限りの声を上げて泣き叫ぶ晴臣に、千花は衝動のままに鞭を入れ続ける。
「ばか……ばかっ、あんた、本当にばかよ……!!」
「うあああああ!!!あがあああっ!!!」
詰る声と、叫ぶ声と、鞭の音とが、外の雨風の音すら遮断して店内を包み込む。
壮絶な光景に、しかし賢太は千花を止めることも忘れて、ただ目を見開きその光景を見つめ続けていた。
(……千花、気付いているか?)
「ほら、あんたが良いって言ったのよ!!あはははっ、こんなに玉を痛めつけられて我慢汁垂らしちゃうの?ほんっと、どうしようもない変態ねぇ!!いいわよ、なら私を楽しませなさい!もっと、もっと、もっとよ……っ!!」
(お前今、めちゃくちゃいい顔しているぞ)
涙を流しながら、高笑いしながら鞭を振るう千花の瞳に、先ほどまでの罪悪感は見られない。
それは賢太ですら初めて見た、千花の興奮しきった、そして悔恨の棘からひととき解放されて喜びを表した笑顔だった。
…………
「……真鍋さん、その」
「謝らないで下さい、CHIKA様。うぐ、いててて……」
「ったく、無茶しやがって……こりゃ週末はうちで寝てろ、動きたくねぇだろ」
「う、ありがとうございます……」
我に返った賢太が「千花、流石にそろそろストップ!真鍋君が泡吹いてる」と慌ててプレイを止めた後、ソファに寝かされた晴臣は千花にじっくりと腫れた陰部を観察され「中は大丈夫」とアイスノンでしっかり冷やされていた。
玉責めって凄いですね、と痛みに呻きながら呟けば「いや、最初からあそこまで飛ばすことはまずねぇって」と賢太にツッコまれる。
「てか真鍋君、まだチンコは元気なままじゃねえか。そんなに良かったか?」
「あ、はい。……痛みも、粗末に扱われることもぐっと来るんですけど、それ以上にCHIKAさまが生き生きとしていて……それがゾクゾクして」
「だとよ、千花。だからそんな凹むなよ」
「凹むわよ!!賢太さんも止めてよ!私が暴走したの、分かってたでしょ!」
「いやぁ、あんなに熱烈に求めて貰っているのに、止める必要はねえだろうよ」
晴臣の処置を終えた千花は、これまたソファに突っ伏していた。
あれほど毎回気を遣って、どれだけ求められようともそれに乗って暴走しないようにと自らを戒めていたのに、まさか自分の内側を暴かれ求められただけでこんな簡単にたがが外れるだなんて。
「もう、最っ低……女王様失格よ、これじゃ……」
「そんなこと無いですよ、CHIKA様」
「何でよ、あんたが今寝込んでいるのが全てじゃない!」
(……優しすぎるんや、CHIKA様は。傷つけたいと傷つけたくないが、一緒におるから辛い)
男を傷つけて喜ぶ性癖そのものへの嫌悪感。
そして、実際に自分が歪ませ、堕とした者に対する……傷つけ、そして己が快楽を感じてしまった事への罪悪感。
前者は自分で克服し、受け入れるしか無い。けれど、後者はきっと――
「CHIKA様」
ソファに寝転がったまま、晴臣は弱々しく、しかしはっきりとした声で突っ伏したままの千花に呼びかけた。
「……CHIKA様、僕、生涯CHIKA様だけの奴隷になりたいです」
…………
「真鍋君、それは……」
突然の告白に、賢太は呆然とする。
千花に至っては状況が飲み込めていないのだろう、ガバッと起き上がったまま目をぱちくりとさせている。
「真鍋さん……?」
「その、お二人が恋人なのは知っています。だけど僕、CHIKA様が好きです。CHIKA様が僕を嬲って、幸せそうに笑うそのお顔に、僕は惚れたんです」
「………………」
「だから、お二人の邪魔はしません、ただの奴隷として、僕を……CHIKA様が笑うための道具として使って貰えませんか。お側でその笑顔を見せていただければ……僕は、それだけで……」
(……何て熱烈な、しかし歪んだ告白だ)
賢太は突如始まった晴臣の独白に舌を巻く。
確かに晴臣が千花に惚れていることは知っていた。けれどそれは他の客同様、女王様であるCHIKAに惚れて、飼って貰いたい……変態な自分を受け入れて貰いたいという欲求なのだと思っていた。
そうじゃない、晴臣は逆だった。
むしろ樹や自分と同じ……千花を受け入れるという視点で彼女を見て、その上で自分達のような家族に近い関係では無く……あくまで彼女に恋をしている。
それはどこまでも純粋な想いで、そしてどこまでも歪な表出だ。
「……そういうのはね、一時の気の迷いよ」
けれども、その純粋さを受け入れるには、千花は少々傷つきすぎていた。
こんな『狂った』女に本気で恋をする男がいるだなんて、今の千花には到底信じられない。
動揺を隠すように千花は酒を煽る。
きっとこれは夢だ、お願いだから期待を持たせないでくれと、願いながら。
「最初が最初だったからね、真鍋さんとは。命の恩人に絆されるなんて良くあることよ」
「そうかもしれません、でもっ……ぐぅっ」
「ちょ、ちょっと!!安静にしてなさいよ!!」
慌てる二人を尻目に、晴臣はソファから滑り落ちるように降りる。
告げるつもりは無かった想いを吐露してしまったのだ。
もうこうなったら全てを曝け出すしか無いのだと腹をくくった晴臣は、痛みに悶絶しながらもふらふらと床に跪き額を擦りつけた。
「僕は、CHIKA様を愛しています。CHIKA様が笑えるなら、どれだけ痛めつけられたって僕は嬉しいんです」
「……」
「どうか、僕を……CHIKA様のお側に置いて下さい……!」
「あんた、あれだけ『告白』イベントを見てきてそれを言うの?……分かっているの?それがどういうことか」
「分かっています。後悔するかも知れないって、でも、僕は……いや、もう後悔したってえんです、ほれでもCHIKA様が笑えるようになるんやったら僕はっ……!!」
(……口だけなら、どうとでも言える)
千花の頭の中で、傷つき続けた子供が囁く。
そうやって散々覚悟もない愛を語って、期待させて、どれだけ失望させられたか。
けれど自分の残虐さの片鱗を垣間見て、その身体に刻まれて、それでもなお頭を下げる彼の行動をどう判断すればいいのか、動揺が、混乱が止まらない。
(……ああもう、ぐちゃぐちゃよ、何もかも……!)
お願いします、僕をCHIKA様の奴隷にして下さい。
そう何度も繰り返す晴臣に、千花はそっと近づきその頭を掴んで……思い切り床に押しつける。
「ぐぇ」と蛙が潰れたような音を出す晴臣に、先ほどまでの光悦を思い出した胎がずくりと疼いた。
(ああ)
あまりにも身勝手な性癖に、絶望する。
(これ以上失うものなんてないのなら)
暗闇の中に、灯してはいけない光を差し出した愚かな獲物が、目の前にいる。
(一度くらい、本気で……望みのままに嬲ったって、良いじゃないか)
……嗜虐を渇望する獣の甘言に、疲れ切った千花はもう、抗えない。
(そこまで言うなら、やってあげる。もう二度と私にバカな想いを抱かなくてすむように、徹底的にね……!)
投げつけようとした女王様としての言葉は何故か空気に乗らず。
「バカよ……あんた、本物のバカだわ……そんなに私に人間辞めさせられたいの……!?」
代わりに口をついて出たのは、悲しみと、これほど純朴な彼を緊急事態とはいえこの道に引きずり込んでしまった悔恨を含む涙声だった。
そんな塚野に大丈夫です、と晴臣は押さえつけられながらもにっこり笑う。
その笑顔はこの業界には似つかわしくない純朴な笑顔で、今の千花には眩しすぎるかも知れない。
「いっぱい試して下さい。それでCHIKA様が幸せになれるなら、僕はそれで幸せなんです」
「……その言葉、忘れないでよ」
試して良いと言ったのは、あんただからね。
そう呟きながら、千花は感情のない顔でスマホを開き、何かを操作するのだった。
…………
「店のルールに則って、一応公開で告白した上でのチャレンジにしてほしい」という賢太に頷いた晴臣とは対照的に、千花は1ヶ月だけ待って欲しいと頼みこむ。
理由を問うても「準備があるの」としか教えてくれず、渋々賢太も首を縦に振らざるを得なかった。
「にしても、まさか恋人を偽装するやなんてなあ……」
あの後「はい、この話は一旦終わり!さっさとソファに戻って冷やしなさい!!」と再び股間にアイスノンを乗せられた晴臣は、「普通は話さないんだけど」と前置きと口止めの念押しをされた上で、千花が親から望まぬ結婚を押しつけられないようにするために賢太が恋人として振る舞っている事実を開陳された。
だから私に恋人なんていないわ、18の頃からずっとねと言われ、少しだけ安堵してしまった自分に、自分が本気で千花を愛していることを改めて突きつけられ「欲深いなぁ僕……」とちょっとだけ落ち込んだのは内緒だ。
多分、千花にはたくさんの隠し事があるのだろう。
そもそも自分が知る千花は、あくまでもこの店の女王様としての彼女だけだ。
できることならそれを全部暴いて、大丈夫だと笑って受け止めてあげたい。
晴臣は本気で考えながら、今日もカウンターで酒を飲みつつ店内で繰り広げられるキャットスーツ体験会を眺めていた。
「やあ晴臣君、久しぶりだね」
「あ、お久しぶりです。お仕事大変だったんですか?」
ここは温かくて良いね、とコートを脱ぎながら隣に座るのは、いつもの変態紳士だ。
そう言えばここ2ヶ月ばかり姿を見ていなかった気がする。
販促の仕事で繁忙期に入ると顔を出さなくなることはあったから、今回もそうかと思えば彼は熱燗を頼みながら「いや、実は撃沈してきた」と告白した。
「え、撃沈……?」
「ああ、晴臣君はあの日店に来てなかったっけ。俺ね、CHIKA様に告白したんだよ」
「ええっ!?」
知らなかった。
彼は確かに千花の「テスト」が始まる前には何度もステージで千花に愛を語っていたけれど、あの形式になってからはピタリと止めていたのに。
なんでまた、と尋ねれば「俺、結婚するんだ」とこれまた驚きの情報がもたらされる。
「え、また急に……」
「職場の偉い人に見初められちゃってね……見合いなんだけど、これがまた良い子で」
デレデレと照れながらスマホの画像を見せて話す彼は、実に幸せそうで羨ましい限りだ。
「おめでとう」「幸せにな」と周りからも祝福の声が上がる。
けれど結婚してまでこういった店に通うだなんて、普通の女性ならいい顔はしないだろう。
だから彼は、最後の思い出として千花に「告白」し、テストに臨んで……昨日ギブアップしたのだそうだ。
それは最初から、絶対に合格しないと分かった上での、彼なりのけじめの付け方だったのだと思う。
「いや、けれど良かったよ。所詮俺にとってSMは性癖ではあっても遊びの範疇だったんだって、CHIKA様のお陰でよく分かったから。……だから、来るのも今日で終わり」
「そう、ですか……」
「晴臣君もどこかでケリを付けるといいよ。正直思い知らされちゃった、ガチ勢ってのは別世界の人間なんだって、ね」
「それは」
「あ、CHIKA様!今日もお美しいですね!」
「……あんた、昨日の今日で良く顔を出せるわねぇ」
「そりゃもう、面の皮は厚いですから!」
いつものように……まるで何事も無かったかのように彼らは語り合う。
晴臣もそこに混じって楽しいひとときを過ごしながら……けれど、彼の言葉が引っかかって離れない。
『ガチ勢ってのは別世界の人間だって』
(……僕は、どうなんやろな…………)
まだこの世界を知って2年のペーペーで、別に家で自己開発やらセルフプレイやらに励むわけでも無い、あくまでもここでの関係だけ。
CHIKA様への想いだけは誰にも負けない自信があるけれど、じゃあどんなプレイでも喜べる変態かと言われたら、正直自信は無い。
考えても仕方が無いか、と晴臣は更に酒を注文しようとする。
と、それを「真鍋さん」と遮ったのは千花だった。
「今日はお酒、そのくらいにしておいて」
「え」
「……準備ができたから、体験会が終わったらやるわよ」
「!!」
ドクン……!!
(1ヶ月、そうだった、そろそろだった……!)
瞬間、全身が心臓になったかと思った。
「……はい」
震える声で、小さく頷く。
頭の中がぐるぐると訳の分からない感情の奔流で占められて、世界がぐにゃりと歪む。
座っている椅子すら溶けて、何かに飲み込まれそうだ。
カラッカラに喉が渇く。
そのまま常連客との語らいに戻ったけれど、もう内容なんて何一つ頭の中に入らない。
(来た、その時が、ついに来た)
期待と不安で全身の神経がピンと張り詰めて。
もう、逃げられない。……逃げたいとも思わないけれど。
そうこうしているうちにステージの片付けが終わって、いつものように背筋をピンと伸ばした千花が、カツカツとヒールの音を響かせて。
「さぁ、いらっしゃい!私に告白しようだなんて愚かな考えを抱いたことを、後悔させてあげるわ……!」
「……っ…………!」
「え、おいまさか晴臣君、きみ……」
乗馬鞭ですっとこちらを指され、晴臣は意を決してステージの眩い光の中に飛び込んでいった。
…………
「……本当に、いいのね」
「はい」
ステージに上がった晴臣に、千花が周りに聞こえないような小さな声で確認を取る。
ああ、やはりCHIKA様は慈悲深い。……そして、やはり怖がっている。
(大丈夫やけん、堂々としとって)
緊張でカチコチになった顔で何とか笑顔を作って答えて、そうして晴臣はこれまでの挑戦者達がしてきたように、ステージ上で千花の足下に跪いた。
「まじかよ、真鍋君が挑戦するのか!!」
「おいおい大丈夫かよ!?晴臣君頼むから死ぬなよ-!」
わっと客席から歓声が上がる。
ざわめきの中、晴臣は一つ一つ噛みしめるように千花に言葉を綴った。
「……CHIKA様、僕は、CHIKA様の笑顔のためなら何でもします。だから、僕を奴隷にして、CHIKA様の幸せのためにお使い下さい……!」
その熱烈な愛の言葉に、客席は大盛り上がりだ。
早速、晴臣が何日でギブアップをするか賭けを始めた不届き者までいる始末である。
「どう思う?俺、1週間」
「はやっ!晴臣君ってあれで痛みには強いから、1ヶ月はいけると思う」
「いやいや、経験者の俺から言わせれば2週間が限界だね!」
「それ、あんたの限界じゃねぇかw」
そんなざわめきを、千花は「お黙り!」と一喝する。
「……全く、人の事だと思って……テストのために私がどれだけ苦労していると思ってるの?このマゾブタ共!」
「待ってました!マゾブタ頂きましたあぁぁ!!」
「ほんっと、どこまでも変態ねぇ!!」
そう客を罵りながら、千花は賢太が差し出してきた箱を受け取る。
「今回は特別よ」とその箱を開けて、中身を取りだし観客に見えるようライトにかざした。
「テストの中身を知らない子もいるからね。できもしないのに申し込んでくるダメダメな奴隷の相手は勘弁なの、だからテストの一部を教えてあげるわ」
(……何やあれ、眩しくて見えない……)
跪いている晴臣の位置からでは、光が反射して確認できない。
恐らく金属の何かだろう、位しか推測できないが、その疑問も客席からの声ですぐに氷解する。
「うわ、貞操具じゃねえか!!」
「そっかお前知らなかったのか。あれを1年間着けさせられるのがベースなんだぜ、CHIKA様のテストは」
「まじかよ!!?素人に1年間の射精管理とか、どれだけハードモードなんだよ!」
流石CHIKA様、やることがエグい……と観客がざわつく。
その同様に(まぁそうだよな)と賢太はステージをスタッフと眺めつつ嘆息した。
「……大分ざわついていますね」
「オーナー、うちで貞操具関係のイベントってやったことありましたっけ?」
「ねえな。俺は樹さんところで経験はあるけど、ここじゃ客からリクエストが上がったこともねぇから需要がないんだろう」
貞操帯や貞操具での管理自体はSMプレイとして決して珍しいものでは無いけれど、あくまでSMや緊縛の体験を目的としたこの店で気軽に登場するような道具では無い。
ましてファッションでは無く、長期装用となればなおさらだ。
実際、テスト形式に変わって以降千花に告白した客32名のうち、貞操具の経験者はわずか5名。
その経験者すら全員が1ヶ月でギブアップしたというのだ。
一体どんな管理をすればそこまで追い込めるのだろうか、皆興味はあるものの体験者は「自分はガチ勢だと思っていたけど全然だった」「上には上がいる、恐ろしい」と口を噤むばかりで、その詳細は不明なままである。
(貞操具……射精管理…………)
晴臣も、一応知識としては知っている。
ただ、現物を見たのは初めてだった。
「ほら、よーく見なさいな。これをあんたのチンコに着けるのよ」
「……っ…………」
ぽん、と渡された銀色の塊は思った以上に重かった。
(まさにペニス用の鉄格子やなこれ)
自分のものを想像するに、恐らくかなりタイトな筈だ。
うっかり大きくしようものなら途端にこの檻で阻まれ、ギリギリと締め付けられ、悶絶すること間違いなしである。
「ちゃんとサイズは真鍋さんに合わせてあるわよ」
「え、サイズ……どうして」
「気付いてなかった?まぁ寝てたからね。アイスノンを取り替えがてら測らせて貰ったの」
「あ」
途端に顔から火が出そうになる。
そうだった、あの日は結局一晩中股間を冷やして貰って、魘されながらソファで眠ったのだった。
千花に促され、改めて渡された貞操具をまじまじと眺める。
根元にリングがあって、それに頑丈そうなペニスケージが被さる形だろう。
リングとケースを重ねた上部には鍵穴があるから、ここで連結させることでペニスを閉じ込めてしまうのだ。
シンプルな器具だが、こんなもので本当にペニスを閉じ込められるのかと不思議に思う。
リングとペニスケースの間には隙間もあるし、その気になったらここからペニスを取り出せそうな気がする。
「……ん?あれ、これ……?」
その時、晴臣はもう一つの部品に気付いた。
それはリングとペニスケースの間に挟まれた、奇妙な形の部品。
ペニスケースの下部から伸び、直角に曲がって先端に開口する筒のようなものが取り付けられている。
直角になった部分は筒が斜めにスライスされていて、先端から何かを通せそうだ。
(んんん?こんなんあったら、ちんちん通せんくない……?)
「……あの、CHIKA様、これじゃちんちんを中に入れられない気がするんですけど」
「どういうこと?」
「ほら、ここの部品。これが邪魔になりそうで」
疑問を千花にぶつければ、ああそれね、と千花は何でもなさそうに答える。
……いや、その瞳には、明らかに嗜虐の色が浮かんでいて……これからの晴臣の反応を楽しんでいるのが丸わかりで。
「これ、PAで固定するタイプだから」
「……ぴーえー?」
「プリンスアルバート、って言っても真鍋さんは知らないか」
その言葉に、更に客席がどよめく。
観客の一人は真っ青になりながら「CHIKA様、そんないくら何でも晴臣君にそれは無茶では!?」と大声で訴えていた。
「というかCHIKA様、俺の時は普通の貞操具だったじゃないですか!なんでそんな、晴臣君のような初心な子にピアス固定の貞操具なんて鬼畜なものを……!!?」
「へっ」
(今、ピアスって……言うた!?)
頭の中が真っ白になる。
ピアスだなんて、そんな、親から貰った身体に穴を開ける……!?
しかも、その言い方じゃ、まさか。
ぎぎぎ、と音がしそうな程ぎこちなく、晴臣は自分の股間を見つめる。
真っ青な顔で、傍目で分かるほど震えながら、いくら何でもと必死でその考えを否定する晴臣の耳元で、そっと千花が囁く。
その声は……びっくりするほど熱っぽく、いたいけな青年を嬲る興奮に濡れていた。
「そうよ。真鍋さんのおちんちんにぶっさり穴を開けて、そこに通すの」
「……ひっ」
そっと千花の手が下腹部に触れる。
それだけで、晴臣はビクッとその場で飛び上がってしまう。
「裏の……亀頭の根元にね、穴を開けて……尿道と繋げてしまうのよ。そこにその部品を通せば、どんなに触りたくても触れない、隙間から逃げることすら許さない檻の出来上がり。……貞操具を下手に弄れば、ちんこが裂けてしまうかもねぇ?」
「あ……あぁ……!」
「このサイズまで穴を拡張してから貞操具を付けるから、そうねぇ、実際の射精管理は10ヶ月くらいよ。6G……と言っても分かんないか、4ミリの穴にしないと通らないから」
「よ……っ!?そ、それおしっこ……」
「ああ、多少は穴から漏れるんじゃ無い?心配しなくても外せばそのうち閉じるし、閉じなきゃそこは責任持って閉じてあげるわ」
「…………!!」
(……壊さ、れる…………!)
まるでおもちゃを弄るかのような気軽な感覚でピアッシングの説明を受け、目の前が真っ暗になる。
散々な目に遭うとは聞いていたけれど、ここまでとは……まさか身体に消えない傷を付けられるだなんて思いもしなかった。
ああ、自分は何て甘かったのだろうと晴臣は愕然とする。
千花の抱える嗜虐の獣は、まさに男の……否、人間としての尊厳すら食らいつくす、確かに外に出してはいけないものだ。
(そんな、そんなっ僕は…………)
チラリと頭の中に後悔という二文字がよぎる。
けれども
「ふふ……あはははっ…………!」
「CHIKA様……」
「いいわ、ほんっとうに素敵……こんなに怯えちゃって、ねぇ?真鍋さんは最初からずうっとリアクションが良かったものねぇ……」
「ぁ…………」
脳裏に注ぎ込まれた声に……その甘ったるい声色に、ぞくりと肌が粟立つ。
(……これや…………僕が欲しかったんは、これや……!)
どこまでも嬉しそうな、興奮しきった、千花の熱い吐息、掠れた声。
千花が興奮している、喜んでくれている、自分のこんな情けない姿で……!
恐怖が心に絡みつき、今すぐにでも逃げろと脳は警鐘を鳴らし続ける。
その一方で、男の身体は悲しいほどその興奮を隠しようが無くて。
「これで、勃っちゃうんだ……へえぇ、本当に私の興奮が好きなのねぇ……」
「っ……はぁ……っ……!CHIKA様っだめです、今触ったら僕、僕もう持たんっ……」
「そう、いいわね……みんなが見ている前で、ザーメンをビュービューしちゃうんだ……この変態」
「ひいぃぃっ……!!」
すい、と千花の指が、内ももから鼠径部に向かってゆっくりと撫で上げる。
そのゾクゾクする感覚に翻弄されていれば「で、どうするのかしら?」と嬉しそうな声が晴臣の耳に響いた。
「真鍋さん、テスト、受けるわよね?……試して良いって言ってくれたから、奮発して取り寄せたのよ、これ」
「取り寄せ、た……?」
「これなら洗浄もしっかりできるし、尿道を貫いている分勃起したときの痛みもいっぱい堪能できるわよ」
(え、待って、取り寄せたって)
そう言えば1ヶ月待たされた理由は聞いていなかった。
まさか、この貞操具のためにその時間を要したのか。
震えながらも晴臣は、必死で声を絞り出し千花に問いかける。
果たしてその推測は当たっていて。
「……あの、CHIKA様、取り寄せってこれ、なんぼ……」
「ああ、値段は気にしなくて良いわよ、ほんのUSD240……ええと、3万5千円くらいだから」
「さっ……!!」
「普段は5千円くらいの市販品を使うのよ。けど、真鍋さん言ってくれたでしょ」
私のためなら人間止めても、大丈夫だって。
だから、試させて貰うことにしたわ。
(……CHIKA様が、僕のために、僕のためだけに、用意して下さった……!)
耳元で囁かれるその言葉は、まとわりつく甘い毒だ。
あの無様な告白を受け取って頂いて、他の誰もが成し遂げられなかった特別な眼差しを向けられた事に、頭の奥が幸福でじわんと痺れてくる。
それは彼女の気まぐれかも知れない。
あまりにも脆弱な青年を哀れみ、ひと思いに引導を渡そうという慈悲かも知れない。
その本心は杳として知れず、だが今の晴臣にとっては、何であれ千花が振り向いてくれたその事実だけで十分で。
ああ、そんな嬉しいことを言われたら、何だって受け入れたくなるにに決まっている……!
「……ます…………僕、やります。CHIKA様のテスト、受けますっ!!」
「そう、ここまで念押ししてあげてもやるっていうのね。いいわ、その度胸を褒めてあげる。……もう限界でしょ、みんなに見て貰いながら派手にぶちまけなさい!」
「っぅああああっ!!」
(ほら、私の前で無様に逝く姿を見せて、楽しませて)
そう命じられ股間を掌でスパンと叩かれた瞬間、欲が一気にせり上がる。
頭の中で何かがパチンと弾けて、気がつけば晴臣は眩いステージの上で腰をカクカクと振りながらその溜め込んだ白濁を下着の中にべっとりと吐き出していた。
…………
「なあ千花、もう真鍋君は合格でいいんじゃないのか」
「はぁ?何言ってるのよ賢太さん、まだ始まってすらないわよ、あんなもの」
狂乱の宣言に観客を興奮と恐怖の坩堝に叩き込んだ、あの喧噪もすっかり消え失せた閉店後。
誰もいないソファ席で、二人は静かに酒を酌み交わす。
今日も千花は半分やけ酒だ。
告白を受けた日と、ギブアップの念書を書かせた日は必ず荒れるから、焚きつけた張本人として愚痴聞きくらいの責任は取ることにしている。
それでも今日の千花は、自分では気付いていないかも知れないが随分ご機嫌だ。
相変わらず犠牲者への罪悪感にはつきまとわれているけれど、よほど晴臣の『告白』が、そしていきなり性器にピアスを開け拡張するという鬼畜な所業を受け入れて貰ったことが嬉しかったのだろう。
「始まってないって、一体何をする気だ?というか、テストって射精管理だけじゃなかったのか」
「射精管理は基本でしか無いわよ。ただのベース作り。大体知ってるでしょ?私が男を甚振って泣き叫ぶ顔で興奮するのは。射精管理ごときじゃそこまで楽しめないじゃない」
「お、おう、まぁそりゃ苦痛系のプレイは試すよな……」
「でもこれまで誰にも流血はさせてないわよ?ピアスだって真鍋さんが初めて。それに月1でミルキングもしてあげていたし、体調管理には気を配って」
「おい待て、まさかの1年間射精禁止だったのかよ!」
そりゃ最長記録が3ヶ月なのも頷けるわ!と、思わず賢太は叫ぶ。
女王様でかつ医師だと言っても、千花は女だ。男にとって出せないことがどれほどの苦痛なのか、本当の意味では理解できない。
できないからこそ、どこまでも容赦なく責められるといえば、その通りなのだが。
(無邪気な顔して、ほんっとえげつねぇ……分かっちゃいたけど、こいつの歪みを受け止められる奴なんて果たしてこの世に存在するのか、心配になってくるな……)
もう冷や汗どころか、脂汗まで噴き出しそうだ。
話を聞くだけで下腹部がキュッと痛くなる。
けれど、彼女は肝心なことに気付いていない。
晴臣の調教予定を嬉々として語るその表情は――話している内容は拷問じみていてすっかり歪みきっているけれど――まるで恋する乙女だと言うことに。
(待てよ……そう言えば、俺こいつの恋バナって聞いたことがない気がする……)
もう20年近い付き合いだというのに、千花の周りに男の影はずっとなかった。
その性癖故に恋愛を拒絶し続けているものだと賢太は解釈していたのだが、もしかしたらそれは間違いだったのかも知れないと今更ながら不安になる。
「……なあ、千花。お前、恋愛経験はあるのか?」
「何よいきなり。18の時に先輩に告白されて、初体験は終わってるわよ」
「いや、それは恋愛って言うのか!?そうじゃなくってほら、初恋はどうだったんだ?中学生とか、高校生の時とかさぁ」
「?……だから、それが初恋だけど?」
「………………はい!?」
(待ってくれよ、お前まさかまともな恋愛をしたことがねえのかよ!!)
ああ、こりゃ自分の気持ちにも気づけないわと賢太はがっくりする。
千花は間違いなく晴臣に惹かれている。じゃなければ、わざわざただの客の告白イベントのために、律儀に採寸までしてそれなりのお値段がする貞操具を取り寄せたりなんてしない。
そう突っ込めば「それは、真鍋さんが試して良いって言ったから取り寄せただけよ?」と、どうも要領を得ない答えしか返ってこなくて、賢太はもはや天を仰ぐしかない。
「……どうしたのよ、今日の賢太さん、おかしくない?」
「いや、むしろ……いいやもう、うん、俺がおかしいって事で」
「?変なの」
(真鍋君、こりゃ大変だぞ!頑張って自覚させてくれよ……このままじゃ俺、両片思いの片割れと偽装結婚する羽目に……とんだお邪魔虫になってしまう!!)
俺は千花に幸せになって貰いたいんだ、そんな馬に蹴られて死にそうな立場はごめんだぞ!と、賢太は晴臣の無事と二人の想いが通じ合うことを切に願うのだった。