第5話 Concerto of Acceptance
「うあ、あっ、あひぃっ、CHIKAさまっこわいぃ、こわいですぅ!!
「大丈夫よ、死なないからそのまま昇り詰めちゃいなさい」
「ひぎぃぃぃなんかくるっ、やだっくるうぅぅ!!!」
知らない、波が来る。
ずっと怖くて避けていた、どうやっても登り切れなかった高みに押し上げられる。
(だめ、今日はもう、逃げられん……)
そう覚悟した次の瞬間。
「あがああぁぁっっ!!」
ビクンッ!!と全身が何度も跳ねて、大きなベッドの上に手足を繋ぎ止める鎖がガシャリと音を立てる。
頭の中が真っ白になって、焼き切れてしまいそうだ。
「ぁ……ぁ…………ぅぁ……」
「ふふ、上手。やぁっとメスイキできたわねぇ……聞こえてないか、ほらそのままオンナノコの気持ちよさをいっぱい味わいなさいな」
「ぁが……っ……!!」
濁った喘ぎ声を上げ白目を剥いて痙攣を繰り返す晴臣の中心は、相変わらず檻に囚われたままで。
ようやく達することが出来たというのに、白い蜜を思い切り吐き出すことも出来ず、ただ透明な涙をたらたらと零している。
――もはや、この器官に射精という機能があったことを忘れたかのように。
ぷっくりと腫れ上がった乳首は、シリコンブラシ付きのローターで延々と甚振られている。
さらにすっかり広がったアナルには、毎日のように扱きしゃぶっていた極太ディルドが千花の手によって根元まですっぽりと嵌めこまれていた。
軽く抜き差しを繰り返せば、その凶悪な剛直は前立腺を押しつぶし、奥の開いてはいけない扉を何度も何度も出入りして、その度に晴臣の口からは涎と共に声帯を震わせただけの呻き声が上がるのだ。
それは、甘美なる調べ。
愛する女王様のためだけに奉じられた、哀れな奴隷が織りなす独奏歌だ。
「まったく、ビビりすぎよ真鍋さん。まさかメスイキできるのに丸々10ヶ月かけちゃうだなんて、思いもしなかったわ……ああ、初めてだし連続イキが苦しいのね?過ぎた快楽は苦痛って本当なのねぇ……そのまま気絶するまで泣いててちょうだい、ね!」
「かは……!」
心地よい快楽と苦悶の響きに、もっと鳴りなさいと言わんばかりに千花がディルドをこねれば、いよいよ限界が近いのだろう、晴臣は人とは思えない叫び声でその声帯を震わせる。
(苦しい……気持ちいいの、いっぱい、もう、辛い……)
もうやめて、その言葉を紡ぐだけの余裕すら与えられない。
(……ほんでも…………)
涙で滲んだ瞳の端で、ようやっと捉えた愛しい人の姿。
頬を赤らめ、熱い吐息を漏らし、時折切なそうな表情を浮かべながらも満面の笑みで晴臣を見つめる、愛する女王様。
その瞳には、もう、何の罪悪感も映っていない。
(……CHIKA様……ほんまに笑ろとる…………)
ああ、僕は何て幸せ者だろう。
心の中で小さく呟いた言葉を最後に、晴臣の意識は真っ白な中へと消えていった。
…………
「てことでね、やっとメスイキできるようになったのよ。ほんっと、まさかテストギリギリまでかかるだなんて思いもしなかったわ!」
「お、おぅ……って、やっとテスト終わったんだ!じゃあ真鍋君も貞操具から解放されて」
「それが、射精管理の期間は終わったんだけど……何故かそのままで……」
「正式なテスト終了まであと10日あるしね、最後まで楽しませて貰うわよ」
「「流石CHIKA様、酷い」」
あの告白の日から、季節は一巡りする。
いつものように『Purgatorio』に顔を出した晴臣は、これまたいつものように常連客達に取り囲まれ「生きてるか!?」「しんどくなったらいつでも言えよ!」と心配されつつ肉野菜炒め大盛りを頬張っていた。
当然のごとく、隣には千花が座って楽しそうに語らいを眺めている。
その胸は服の上から見ても一回り大きくなったような感じがする。
先日こっそり胸を見せて貰った常連客曰く「ありゃAAカップくらいはある、乳首もあれだけでかけりゃ吸えるぞ」だそうだ。
それでテストは合格なんですか?と常連の一人が千花に問いかければ「見ての通りよ」と千花はニヤリと口の端を上げた。
「私をここまで楽しませてくれたのは、真鍋さんくらいだしね。私は約束通り、主従契約を結ぶつもりよ」
その言葉に、わっと店内は沸き立つ。
初めての告白イベントから足かけ6年、ようやく千花のハートを射止めた奴隷が現れたと、感激で涙するものまでいる始末だ。
「良かったなぁ」と次々に祝福の言葉を浴びせられる晴臣もとても幸せそうにはにかんでいる。
……もはや癖になっているのか、空いた手がそっと乳首を弄っているのは見なかったことにしよう。
これで大団円。
ようやく千花にも想い人が出来て、ようやく幸せになれる、良かった良かった。
そう誰もが思っていた。
思っていたというのに。
「いやぁ、これで俺もようやくお役御免だな!良くやった真鍋君」
「……え、どういうことですか?」
「ん?ほら、もう俺が千花の恋人の振りをしなくても良くなったなって」
「何を言っているの?賢太さんはこれまで通りよ。ああ、そろそろ結婚の話も出ているから予定通り偽装結婚を」
「「何で!!?」」
あまりにも予想外の言葉が千花の口から飛び出し、思わず店内のあちこちから全力で突っ込む叫び声が上がった。
賢太に至っては、脳みそが処理し切れていないのだろう。目をパチパチさせたまま固まっている。
やがてスタッフの一人が「あの、CHIKAさん……」とそっと話しかけた。
「その、晴臣君とは恋人になったんじゃ無いんですか?」
「何でそうなるの?真鍋君は私の奴隷になっただけじゃない」
「え、いやでも、CHIKAさん晴臣君のこと好きですよね?」
「好き?まぁ奴隷だし愛着はあるわよ?」
「え」
おかしい。
夏頃からの千花の晴臣に向ける視線は、どう見たって恋人のそれにしか見えないというのに。
そうツッコミを入れれば「真鍋さん相手には、罪悪感無く楽しくプレイできるようになったからじゃ無い?」とこれまた頓珍漢な答えが返ってきて、ギャラリーもスタッフも頭を抱得る始末である。
……だめだこれ、重症にも程がある。早く何とかしないと。
「お、おい、誰かCHIKA様に恋のなんたるかを説いてやれ!」
「このままじゃオーナーがただの間男になっちまうじゃねえか!!」
「間男言うな!いや事実だけど、マジで誰か助けてくれ!」
――かくして、本日の『Purgatorio』のメインイベントは「CHIKA様に恋心を自覚させよう大会」と化してしまったのである。
…………
「で、俺が呼ばれたと」
「頼みます樹さん、マジで俺の人生が掛かっているんすよ……!」
「賢太の人生だけならニヤニヤして眺めてるんだがなぁ、千花のためなら仕方ないな」
「ちょ、さりげなく酷い事言ってるし!」
ステージ前のソファ席には、賢太と急遽呼ばれた樹が並んで座っていた。
その前には千花と晴臣が腰掛け、周りをギャラリーが取り囲み、事の成り行きを固唾を飲んで見守っている。
「……一体何なのよ、そんなに真鍋さんと私をひっつけたいわけ?」
「いやそうじゃない、そうじゃないんだ……というかお前らもうひっついているようなもんじゃないか……なあ、そうは思わないか真鍋君」
「えっと、その、僕はCHIKA様の奴隷になれれば別にそれで十分で」
「……すまん、真鍋君に聞いた俺が馬鹿だった」
しかしこの千花の反応も無理は無いと、昔から千花を知る二人は悲しいかな納得していた。
このバーで何十人もの男の心を鷲掴みにしてきた女王様は、その実恋愛に関しては全くの初心であった。
拓海から聞いた幼少期の虐待、そこから解放されて幾ばくも経たないうちに目覚めた歪んだ性癖、誰も傷つけたくないと恋愛そのものを諦めてこの年まで生きてきた彼女には、まず恋という感情がどういうものかを教えるところから始めないとだめかも知れない。
「なぁ千花。お前さ、恋ってどういうものだと思ってるんだ?」
試しに問いかけた樹の言葉に対する返答は、その初心さを裏付けるに十分で、ギャラリーが余りのギャップ萌えに「やばい、俺今更ながらCHIKA様に惚れ直しそう」とざわざわし始める有様だった。
「……そうねぇ、話をしたいなとか、手を繋いでみたいなとか……一緒にいたいな、とか……?
「どこの中学生だよ!いや、今時中学生でももっと進んでるぞ!」
「で、千花は真鍋君を見たときに、どういう気持ちになるんだ?少なくとも一緒にいたいとは思っているだろう?気がついたら真鍋君のことを考えていたりしないか?」
「一緒に……それは、そうね。24時間私の管理下に置いて、毎日どうやって泣かせたら楽しいだろうって考えることも多いし」
「ぐぅ、歪みねぇ……いやこの場合正しいのか……?」
だめだ、こっちまで本当に千花が恋をしているのか分からなくなってきたと、賢太は残っていたウイスキーを煽りお替わりを頼む。まったく、こんな話は酒でも飲まないとやってられない。
同じ気持ちだったのだろう樹もグラスに手を伸ばすが「だめよ、心臓の悪いマゾブタは大人しくしてなさい」としっかり止められている。そういうときにしれっと女王様モードを出すのは狡かろう。
「第一千花さ、結婚するって事は跡継ぎがいるって言われるって事じゃねぇの?どうすんだよ、お前俺と寝れるのかよ?」
「それはこっちの台詞よ。賢太さん私で勃たないでしょ」
「ぐっ……そ、それは、なら余計に結婚は」
「それにこの年よ?子供が欲しいならさっさと芽衣子先輩達のところに通って子作りするしか無いんじゃ無い?あそこ、不妊治療では割と評判が良いって聞いてるわよ」
「ちょ、やめろおおお!!兄貴だけならいざ知らず、義姉さんに診られなきゃいけないとかどんな地獄だよ!!」
とんでもないことを言い出した千花だが、流石に年齢的に子供までは期待されてないわよと付け加え、賢太はホッと胸をなで下ろす。
いや安堵している場合じゃ無い。事態は何一つ進展していないのだから。
「真鍋君」
「むぐ、ふぁい……」
「あ、うん、野菜炒めは食べてていいから。……いいか、千花を落とせ」
「ふぁっ!!?えほっえほっ……な、なにを……」
「なぁに、もう千花は真鍋君に惚れてる!俺たちが保証してやる、後は自覚させるだけだ!!」
「俺の平和な老後のために、男になれよ真鍋君!」
「……僕、もう身体はメスになっちゃってますけど…………いいのかなぁ……」
思わず咽せた晴臣の背中をポンポンするその姿は実に甲斐甲斐しいじゃ無いか、お似合いだぞと心の中で叫びながら、賢太はなるべく頑張って笑顔を作って――だってもう、千花の話しぶりじゃタイムリミットが近そうなのだから――晴臣の頑張りに一縷の望みを託すのだった。
…………
「全く変なことを吹き込むから、妙に気になっちゃうじゃ無い……真鍋さんはどう思う?」
「えっと、CHIKA様?」
それから1週間後、晴臣は洗浄のためにいつものホテルに呼び出されていた。
既に射精管理期間は終わっているが、宣言通り千花は最後まで貞操帯を外す気はなさそうだ。
今日もいつものようにしっかり寸止めされながら洗浄され、どこで手に入れたのだろう表面にエグい凹凸のついたディルドを相手に気を失うまで泣かされたところである。
ようやく目を覚ましたものの起き上がれない晴臣に水を飲ませながら、千花は尋ねる。
「私のこの気持ちは恋なのかしら、ね」
「ああ、その話……どうなんでしょう、僕の知る恋とは違う気がするんですけど」
「そうよねぇ。そう言えば、真鍋さんは私のことを好きなのよね。じゃあ私を抱きたいとか思うの?」
「ぶっ!!えほっ、えほっ…………」
突然の問いかけに、晴臣は全力で水を噴き出した。
(ぼぼぼ僕が!?CHIKA様を抱く!!いやいやそんな恐れ多い、でもあのおっぱいはなかなか……ってそうやないいいいっ!!)
いきなりなんて事を言い出すのだ、この人は。
そりゃ自分だって一応男だ。惚れた女がいればそういう妄想だってするのは最早本能なのだ、許して欲しい。
けれど、その妄想が叶わないことも良く分かっている。今の身体じゃもうそれはそれは、絶望的なまでに。
晴臣は檻に閉じ込められた己の息子を眺めながら「CHIKA様は魅力的ですから、それは、まあ」と呟いた。
「でも……もう、このちんちんじゃCHIKA様を満足なんてさせてあげられませんよ」
「そう?刺激すれば今だってちゃんと大きくなるじゃないの。それにちゃんと満足させてくれるわよ」
「ちょおおおおっCHIKA様あぁぁふっかふかああっ!!ってんぐうぅぅ……!!」
「ほら、ちょっと胸を触っただけですぐみちみちにしちゃって……ふふっ、無様な姿で私を楽しませてくれるじゃない」
これで十分私は満足してるわ。
そう微笑む千花の笑顔は、あの日以来より苛烈になった調教と反比例するかのごとく晴れ晴れとしていて、晴臣の心を潤してくれる。
(痛いし、辛いことばっかりだけど、これでええ。……ちゃう、これが、ええんや。僕は、ようけCHIKA様からもろとるけん)
誰かの幸せが自分を幸せにする、そんな素敵な恋を与えてくれた女王様なのだ。
自分の全てを捧げたってなおあまりあるものを手に入れて、これ以上を望むだなんてバチが当たってしまう。
だから今日も、晴臣は痛みに泣き、快楽に叫び、辛さに呻く、それだけだ。
「ほんと……そのおっぱいは凶器……」
「ふふ、もっと遊びたいところだけど……本題が待っているからね」
ひとしきり晴臣の痴態を堪能した千花は、一転真剣な表情になり晴臣に椅子に座るよう命じた。
――そう、あの時と同じく、書面を交わすために。
…………
その内容は実にシンプルで、しかし思った以上に残酷なものだった。
「生涯にわたり、全ての人権をCHIKA様に委譲する……」
「そう。その代わり今後真鍋さんの心身にどんな問題が起こっても……それこそ介護が必要な状態になろうが、生涯私が面倒を見るわ。専属の奴隷って、そういうものだと私は思っているから」
その文言だけではイメージが湧かないでしょ、と千花は細々とした例を挙げていく。
肉体を千花好みに改造していけば、とても外では服を脱げない身体になるだろう。下手をすれば二度と日の当たる場所は歩けなくなるかも知れない。
今だって射精は管理されているが、今後は晴臣の中に入るものも出るものも全て管理する。トイレひとつとっても、千花の許可が無ければ許されない。例え職場でもそれは適用される。
共に過ごす時間は常に主人と奴隷の関係であり、一切の反抗は許されない。
もちろん調教内容については説明できる限りの説明と同意を必須とするけれども、一度合意すればギブアップは一切認めない、セーフワードすら使わせない。
その代わり晴臣の心身に関する全ての責任を千花が負う。
……それは、千花が医師であり人の健康面に明るいとはいえ、そんなに軽いものでは無いはずだ。
命を、尊厳を、全て預ける。
千花の出してきた契約書は、千花の本気度を示し、そして晴臣に覚悟を問う。
――これにサインできるほど、あなたは私を信頼できるの?と。
(……嬉しい)
その説明を聞くにつれ、晴臣の中にこみ上げてきたのは不安や恐怖ではなく、底知れぬ歓喜だった。
あの人生最悪の日、千花のパドルをこの身に受けて、その興奮しきった美しい、けれどどこか寂しさを思わせるかんばせに惚れ込んで、ただただ千花の幸せな顔が見たい一心でここまで心身を捧げてきた。
今、千花の中から消えたのは、晴臣を傷つけ歪める事への罪悪感だけだ。
千花の中には今だって、その性癖を嫌悪する気持ちが残っている。
それでも、どうしようも無い歪みを心ゆくまで堪能していいと、それこそが自分の幸せだと告げた晴臣の言葉は、確かに千花の中に届いていて。
だからこそ、この契約書が出てきたのだ。
千花の奥底にいる嗜虐の獣の、本当に望むもの。それが、この紙に全て記されている。
「……1週間、あげるわ」
それでも千花は、晴臣に強いない、急かさない。
きっと彼は躊躇なくサインをするとどこかで確信はしているけれど、決めつけはしない。
それは矛盾が融解した今の彼女にとっても、変わらず大切なルールだから。
「1週間後、返事を頂戴。署名をするなら……ここへ持ってきて。しないならその次の日にこのホテルで会いましょ、貞操具を外して全て終わりにするから」
そう言って渡された小さなメモ帳には、丁寧な文字で住所が綴られていた。
ここから電車で1時間くらいの都市部にある、名前からして恐らくマンション……千花の自宅だろう。
「待ってるとは言わないわ。……大事なことだから、真鍋さんの意思で決めて」
「……分かりました」
晴臣もまた、既に結論は出ていても千花の指示に頷く。
この1週間は二人にとって、もう一度関係を問い直し、覚悟を決める大切な時間。
そして
(1週間……ギリギリやな、でも、何とか終わらさんと)
ここまでの誠意を示してくれた千花に、晴臣がそれ以上のものを持って報いるために、必要な時間でもあるから。
「日課はいつも通りこなしてね。じゃ……1週間後に」
「はい」
二人はそれぞれの想いを秘めて、ホテルを後にするのだった。
…………
1週間という時間は、この歳になればあっという間に過ぎてしまうものだ。
「ええと、紅茶は用意したし、お茶菓子……真鍋さん、甘いもの大丈夫かしら」
約束の日。
単身者向けの高級分譲マンションの一室で、千花は朝から片付けと掃除に追われていた。
普段からそれなりには掃除もしているが、何せこの部屋に誰かを招き入れるのは初めてなのだ。一体どのくらい綺麗にしておけばいいか見当もつかない。
「ふぅ……こんなものかしらね」
ようやく準備を終えた頃には昼を迎えていて、流石に腹ごしらえをしようと冷凍庫から惣菜を出す。
湯煎やオーブンだけで本格的な料理が出来上がるだなんて、いい時代に生まれてきたものだ。お陰で料理の腕は全く上達しないけれど、作る相手もいないのだから……そう思いに耽る思考の片隅によぎるのは、晴臣の姿。
そうだ、いずれは晴臣の餌も作らなければならないなと思い起こして、自分の気の早さに千花は「まったく」と苦笑した。
「……舞い上がっているにも程があるわね、自分だけの奴隷ができるからって」
そこで偽装とは言え結婚相手(予定)の賢太ではなく晴臣を思い浮かべる辺りすっかり心を奪われているのに、残念ながら千花は未だそのことに気づけないままだ。
と、インターフォンの音が部屋に響いた。
モニターを覗けば、そこに映るのは相変わらず髪の毛がぴょこんと跳ねている、垢抜けない青年の姿。
「ま、真鍋ですっ」
「はい、今開けるわ」
エントランスを解錠し、獲物が来るのを心の中で舌なめずりしながら千花は待つ。
もう少しだ、もう少しで可愛いあの人が、自分の檻の中に入ってくる……!
にしても、何か大荷物を持っていたわねと先ほどモニターにチラリと映ったスーツケースを不思議に思いつつ待つこと数分、再びの呼び出しに千花は玄関のドアを開ける。
そして
「真鍋、さん……?」
突如玄関で土下座する晴臣に、そして目の前に差し出されたものに目を丸くして固まった。
…………
ガチャン、と後ろで玄関の扉が閉まる音が響く。
ああこれで、もう僕は生涯ここから逃れることは出来ない。
自分で決めたことだけど、その事実に心臓の高鳴りが止まらない……!
「えっと、真鍋さん……?」
戸惑う千花を前に、晴臣はズボンが汚れるのも気にせず、その場に跪いた。
地に伏す頭の前に置かれたのは、今度は丁寧な文字で署名された契約書と……晴臣の全財産が詰まった預金通帳だ。
「……CHIKA様、僕、会社辞めてきました。賃貸も解約済みです」
「え…………!?」
突然の告白に、流石に千花の思考も追いつけない。
今、彼は何て言った?仕事を、辞めた?家まで解約した??
――まさか、奴隷になるためだけに!?
どうして、と思わず呟いた千花に、頭を冷たい床に擦りつけたまま晴臣は告解する。
「会社勤めをしていたら、CHIKA様の望む奴隷にはなれないと思ったんです。ほら、CHIKA様は全てをその手の中に支配して甚振りたいと仰ってましたから」
「ええ、それはそうだけど、けどいきなり」
「この契約書は、CHIKA様の僕への信頼の証やと僕は思ってます。なら僕は誠意と覚悟で応えたかった、それだけです」
あ、当面の生活費くらいは通帳に入ってますからお使い下さいと続ける晴臣。
しばしの沈黙の後、千花は「…………あんた、本当に馬鹿よ……」と絞り出すような声を出した。
「そんな、簡単に人生を棒に振ってどうすんのよ……!あんた、上京してビッグな仕事がしたいんじゃ無かったの!?」
「それは、うん、そやけど……でも僕、CHIKA様をずっと幸せにしたいです。その方が僕にとっては大事やったんです。やけん……お願いします!僕を生涯、CHIKA様のお側に置いて下さい!!」
命と尊厳を全て預けるから、どうか、生涯あなたの足下で生きることを許して欲しい。
それは歪みきった、けれども純粋で熱烈な彼なりの愛の言葉だ。
結婚なんて恐れ多い、ただの奴隷として、CHIKA様の下僕としてその心の片隅に置かせて貰えれば十分だと繰り返す晴臣に対して、千花の心の底からこみ上げてくる熱い想いは……獲物を捕らえた歓喜だけではない気がする。
いつの日か、こうするつもりだった。
でもそれは年単位で未来の話だと思っていたのに。
「後悔、するわよ……?」
「この1年間、もういっぱい辛くて泣いたんです、これ以上後悔なんて……それに、後悔したってええんです。それでも僕はCHIKA様の笑顔があるだけで幸せになれるから」
「……馬鹿。真鍋さん、ホント無茶苦茶よ……!」
だめだ、涙が滲んで前が見えない。
こんな情けない顔、この人は望んじゃいないのに。私はいつだってこのどこまでも純朴な青年のために、幸せに高笑いをあげていたいのに。
「分かったわ。その覚悟、受け取ったから。……もう、逃げられないわよ」
精一杯女王様らしくかけた声は、少しだけ震えていた。
…………
「ええと、その、すみませんいきなりお手間を……」
「まったく、初日から主人の手を全力で煩わせる奴隷だなんて大した身分じゃ無いの!ほら、洗い物くらい出来るでしょ!全部綺麗に洗ってくる!!」
「うひぃ……」
契約書を確認した千花がお茶を出す間もなく早速晴臣を連れ出したのは、ホームセンターとペットショップだった。
晴臣のために必要なものを一気に購入し、今日から使うからと車を往復させて部屋に運び込む。
当然、荷物持ちと大型家具の組み立ては晴臣の仕事だった……筈なのだが。
「……あれ?ネジが一本余ってる」
「はぁ!?ちょっと貸しなさい!!真鍋さん、説明書ちゃんと読んでる!!?」
「そ、その僕、こう言うのは苦手で……カラーボックスの組み立てが限界……」
「ええええどんだけ不器用なのよ!!」
荷物を持たせれば簡単にへばり、組み立てを任せればこの有様である。
どうやらこの奴隷は千花が思っていた以上に鈍くさかったらしい。不器用なのはともかく、体力作りは必須と見た。
これは調教の筋トレを増やさないと、と千花は心の中で独りごちる。
仕方なく、主人に組み立てさせるだなんていい度胸ね!と詰りながら手を動かすも、千花の表情は明るい。
ああ、これからはいつだって彼を泣かせ放題なのだ。仕事から帰ればグズグズになった奴隷をすぐに堪能できるだなんて。
さぁ今夜は早速何を与えてあげようか……想像するだけで胎がずくりと熱くなる。
「これでよし、と。じゃあ真鍋さん、服を脱いで」
「っ……はい」
小一時間後、広いリビングの片隅には晴臣のためのスペースが出来上がっていた。
大型犬用の檻に、ペットシーツを敷いたトイレ。そして餌皿と水皿、檻に取り付ける給水器。
脱いだ服と着替えはさっさとゴミ袋に詰め込み、目を丸くして固まっている晴臣に「ほら、手は後ろに回して」と、あらかじめ用意してあった手枷と足枷、そして首輪を巻いて鎖を繋ぎ、ソファの脚に固定した。
新しい枷と首輪は、この日のために……必ず晴臣はここに来ると信じていた千花が、調教時の服装として用意してあったもの。
ハート型の首輪のチャームには『HARU』と刻印が施されている。
本当はもっと調教が進んでからの予定だったのだけど、と地べたにしゃがみ込む晴臣の後孔に尻尾つきのディルドを押し込みベルトで固定すると、千花はにぃ、と口の端を上げた。
「真鍋さんの献身に応えてあげるわ。……今日からあなたは私専用の家畜奴隷よ」
「家畜……」
「そ、家畜に人間の生活は必要ないでしょ?その檻があなたの寝床、トイレも餌も……分かるわよね。ああ、許可無く漏らしたらお仕置きよ?お尻は塞いでいるから出したくても出せないでしょうけど」
「…………!!」
(そんな、まさかいきなり……人間辞めさせられるやなんて……!)
分かっていた。
あの契約書にサインした段階で、もうこの身体は千花のものだ。
息を吸う権利すら、千花に握られることになるのだと覚悟してここに来たのだ。
それでもいきなりの人間終了宣言は、思った以上に衝撃的で。
人間として扱われない惨めさを快楽や興奮に変えられるほど自分は歪んでいないことを、晴臣は頬に流れる熱いものを感じながら痛感していた。
(……けんど、このくらいの方がええかもしれん)
絶望に打ちのめされながらも、歪んだ視界で捉える千花の笑顔に晴臣は思うのだ。
きっとこの美しい人は、被虐の沼に堕ちきって何でも興奮に変えて媚びる奴隷より、いつも新鮮な悲嘆を供給してくれる自分のような中途半端な男を甚振る方が幸せになれると。
(慣れんようにせんとな……言うて慣れんようにされるやろ、CHIKA様のことやし)
しゃくり上げる晴臣に「もう名前も要らないわよね」と千花は畳みかける。
「どうせあんたはもう、社会には出られない。そういう風に創ってあげるからね、そんな人間らしい名前なんて必要ないでしょう?」
「ううっ……ひぐっ……」
「いい、これからあんたの名前は『ハル』よ。分かったわね?……返事!」
「ひ、ひゃいっ!!」
「ふふ、いい子……ねぇ、折角ハルのために紅茶を用意したのよ。一緒に飲んでくれるかしら?」
そう耳元で囁くと、千花はテーブルの上からティーポットを手に取る。
そして手首を傾け……じょろろ、とまだ温かい紅茶をステンレスの水皿に注いだ。
更に冷蔵庫から取りだしてきたチーズケーキをフォークでざくざくとほぐし、餌皿の中に移す。
(ああ、そんな、ぐちゃぐちゃや……)
原形を留めぬケーキと、水皿に注がれた紅茶が、お前に許されているのは『餌』なのだと、無言で奴隷への自覚を促してくる。
きっとこれは、今日のためにCHIKA様が用意して下さったものだ。
本来ならあのソファに腰掛けて、契約書を交わしつつ頂くはずだったもの。
当たり前の人間としての尊厳は、あっけなく晴臣の……ハルの手を滑り落ちていく。
人として千花と共に過ごす時間すら、もう自分には二度と手に入れられない。
「はい、どうぞ。……ハルは奴隷なんだから、手なんて使っちゃだめよ?」
「ひっ……ひっく、ひっく……ずずっ、あ、ありがとう、ございますぅ……!」
もう、食事すら……否、餌すら人のように食べることは許されない。
その事実に噎び泣きながら、千花の足下で這いつくばり、顔を汚しながら食べるチーズケーキは、いつもよりしょっぱく感じた。
…………
どんな調教で泣かされるのだろうか、最初はやはり鞭をいただけるだろうかとちょっとだけ期待はしていた。
けれどまさか、こんなもので泣かされる羽目になるとは思いもしなかったなと、どこか冷静な自分がちょっと悲しそうに突っ込んでいる。
「ほら、さっさと残さず食べなさいな。この後がつかえているんだから」
「うぶ……うえぇ…………っ!!」
涙も、鼻水も止まらない。
さっきから何度も胃からせり上がってくるものを押しとどめ、自然と湧いてくる涎をだらだらと皿にこぼしながら、無心になって咀嚼し、飲み込もうとする。
けれど、これは拷問だ。
これから自分は、こんな拷問無しには命を保つことも出来なくなったのかと思うと、絶望で目の前が暗くなる。
「うぇ、おげぇぇ……んぐ、んぐっ、んはぁっ……」
「……ほら、吐かない」
「ぐっ……はいぃ……」
皿に注がれた餌は、異様な臭いを放つ悍ましき物体。
一体何を混ぜればこんな物体になるのだろう。少なくとも各種サプリが放り込まれていたのは確認したけれど、人間の食べるものからこれほどのものを生成するとは、ある意味才能かも知れない。
まさか調教以前に、日常に欠かせない食餌という行為で嗜虐を満されるだなんて思いもしなかった、とハルはチラリと千花を見上げる。
ダイニングテーブルの脚に鎖を繋がれ、餌皿に盛られた謎の物体をむせび泣き嘔吐きながら必死で咀嚼するハルの横には、椅子に座り優雅に夕食を頂きつつ、ハルの様子を伺う千花の姿。
その顔は実に満足げで……しかし、どこかちょっと複雑な気持ちが入り交じっているように見える。
「はぁっ、はぁっうぇぇ…………CHIKA様、ごちそうさま、でしたぁ……うっ、おえぇぇ……」
「そう、美味しかった?」
「っ!ぅ……えと、あの……お、美味しかったですぅ……ひぐっ……」
「あらそう。……本音は?」
「人間の食べるものじゃ無いです。っ、あ、その、僕は奴隷だからいいんですけど、その」
(あああ僕のあほおおぉぉ!!これもCHIKA様の調教なんやっ、誰が素直に話せ言うたあぁぁぁ!!)
だめだこれはお仕置きされる、とハルは覚悟を決める。
しかし頭上から返ってきたのは「まぁ、そうよねぇ」とため息をつく女王様の声だった。
「え、と……」
その時、ふとハルは気付く。
そう言えばCHIKA様は台所に立っていたけれど、あの鍋はハルの餌を作っていただけだ。
ご自分のご飯はさっき冷凍庫から出してそのままオーブンに放り込んだやつと、湯煎をしていたやつだけ。
つまり。つまりだ。
「……あのぅ、CHIKA様?もしかしてと思うんですが、CHIKA様って自炊は」
「一切しないわよ」
「そう、なんや……」
(なるほど、自炊経験が無いんやったらこの餌も仕方ないかぁ。……仕方、ないんか?僕でももうちょいましなもんが……いやいやそれはうどんだけやし……)
何とか自分を納得させようとするハルの心遣いは、残念ながらすぐに無駄となる。
千花は「実はね」と大学時代に同級生を病院送りにしたダークマター製造機事件以来、自炊は全くしていないことを苦々しい表情で白状した。
一時期見合いの話をせっせと持ってきていた父が黙ったのは、確かに賢太という相手を紹介されたからと言うのもあるが、以前実家に帰ったときに母から「あなたもたまにはご飯を作りなさいな」と促され生成した料理と呼ぶのも烏滸がましい物体を、両親が食してしまったのが大きかったらしい。
ちなみに千花も当然のように生成物を食べた。まぁ美味しくは無いと思ったが、あんなに血相を変えてトイレに駆け込むことは無いのにとちょっと悲しくなったのは内緒だ。
ぽつぽつと語られる千花の話を聞きながら、完璧な女王様に見えた千花にまさかこんな欠点があったとは……とハルは妙な安堵感を覚えていた。
いやまあ、その生成物については安堵感のあの字もないけれど。
「ええと、つまりこれはプレイの一環やなくて」
「……まさかただの餌でこんなに苦悶に満ちた顔を堪能できるだなんてねぇ…………嬉しいけどちょっと複雑な気分だわ」
「あ、あはは……」
まぁでも初めて料理が役に立った気がするわねとにっこりする千花に、ハルは乾いた笑いを漏らすことしか出来ない。
「あの、ちなみに改善予定は」
「私はそれ、問題なく食べられるわよ?……ごめん、どうも味のストライクゾーンがおかしいらしいのよ私……甘いものは美味しいって分かるんだけどね、それ以外はさっぱり」
「つまり改善の見込みはないと」
「…………頑張ってね」
「ぐぅぅ……せめて死なん程度でお願いしますぅ……」
善処するわ、と千花は食器を片付け始める。
繋がれたまま青い顔をしているハルの頭をくしゃりと撫でるその手は思いがけず優しくて、もうこれに絆されたと言い聞かせて頑張るしかないなと、ハルは胃からこみ上げる臭いに思わず顔をしかめるのだった。
…………
洗浄の時間になってもまだどこか青い顔をしているハルを不憫に思ったのか、それとも最初から予定していたのかは分からない。
あれほど待ち望んだ解放の時は、唐突に訪れた。
「ち、CHIKA様のベッドに、ぼぼ僕がああぁぁ……何かええ匂いするうぅぅぅ!」
「ちょっと、まだ何もしていないのにどうしてもうガッチガチなのよ!ちょっと白いのも混じってるじゃないの!!」
いつものように洗浄され、ベッドに大の字に拘束される。
ベッドには何故か大判のペットシートと防水シーツが敷かれていて、ああこれはまた新しい責めをしようとしているなとハルはぶるりと身を震わせた。
そんなハルに「今日はそんなに身構えなくていいわよ」と千花が微笑む。
「今日は射精させてあげるから」
「あ、はい、射精ですか…………って、ええええええ!!?」
え、うそ、射精、えっ、と突然の解放に頭がついていかないのだろう、挙動不審になってしまったハルを千花はニコニコと眺める。
そりゃそうだろう、きっとハルはここに来た段階で二度と射精は許されないと覚悟していただろうし、千花もそのつもりだったのだ。
けれど。
ここまで自分を捧げてくれたハルへのご褒美として、一夜限りの快楽を千花は許そうと決めたのである。
もちろんそれは慈悲だけでは無い。
今夜、生涯忘れることが出来ないほどの快楽をハルの魂に刻み込み、現実に都度打ちのめされる絶望を与えるためでもある。
千花は真の目的を説明しない。
例え後に分かったとしても、きっとハルは泣き叫びながらその歪みを必死で抱きしめてくれるから。
「……今日は空っぽになるまで、ううん、空っぽになってもしごき続けてあげるわ。体力の続く限り、永遠にね。オンナノコみたいに潮も吹かせてあげる。……これが、ハルの生涯最後の射精よ。堪能しなさい」
「っ…………ありがとう、ございますっ……!!」
じゃあ始めよっか、と千花の手がすっかり滾って血管を隆々と浮かび上がらせたハルの欲望にそっと触れる。
次の瞬間
「っ、うあぁっ出る、でりゅぅぅぅ!!」
「!!ちょ、早すぎるわよ!」
びゅるっ、と濃厚な白濁が噴き出し、千花の手を汚す。
半ば固形と化したその精液は、尿道をメリメリと押し広げ、いつまでも、いつまでも止まらない射精の快楽を頭に叩き込んできて……気持ちよくて、頭の中がもう、何も考えられない……
(ぎもじいいいぃ……ちんちんからびゅっびゅするの、こんなに気持ちよかったんやぁ……!!)
「もっと……もっとぉ…………!!」
「ふふ、あーあもうこっちの言うことなんて聞こえてないわねぇ。いいわよ、その重そうな玉が空っぽになるまで、いっぱい出しなさいね」
「ひぅっ、しこしこ、気持ちいいっ!もっとしこしこ、もっとっ」
目の焦点も合わず、1年ぶりに与えられた射精の感覚に涎を垂れ流しながら、ガチャガチャと手足の鎖を鳴らしハルは無様に腰をカクカクと振り続ける。
それに併せてぐちゅぐちゅと吐き出した精液を絡めて扱いてやれば、あっという間に2発目が宙を舞った。
けれども、その中心は一向に萎える気配を見せない。
5回、6回……もう一体どれだけ達しただろう。
虚ろな瞳から涙を流し、ゼイゼイと息を切らしながらもその腰は止まることを知らない。
流石にだんだん精液は薄く、量も少なくなってきているが、今のハルに止めるという選択肢は存在しなかった。
だって、これが最後だから。
ここでとことん気持ちよくならなければ、もう二度と味わえないのだから。
ハルは気付かない。
そうやって快楽を追い求めれば追い求めるほど、絶頂を重ねれば重ねるほど、これから数十年にわたる絶望の下地を自ら着々と積み上げてしまっている事に。
年が経つにつれ、今日の記憶はより鮮明に、事実よりも鮮やかに彩られ美しく輝くだろう。
そうして日々煽られ続ける欲望を、そしてあの幸せな射精を一切叶えられない苦痛を、いつまでも新鮮に際立たせてくれるに違いない。
「ねぇ、ハル。私、ちゃんと生涯あなたを飼ってあげるからね」
「いぐっ、また出るぅ……!!もっと、もっと下さいっ、出したいのっ、ずっとずっとゴシゴシして出したいいぃぃ……!!」
「そうね、いっぱい楽しみなさい」
今夜はあなたが全力で楽しめばいい。
だから、明日からは私を……生涯全力で楽しませるのよ。
捕食者は、哀れな獲物に底知れぬ興奮を覚えながら、愛おしそうにその瞳に浮かんだ涙をそっと指で拭うのだった。
…………
「うぅ……身体、だっるい……」
「そりゃそうよ、気絶しても潮を噴かなくなるまでずっと続けてたからね。可愛かったわよぉ、半分居眠りこけながら必死で腰を振っている姿は」
次の日、千花の運転する車に乗せられたハルは、ぐったりと助手席に沈み込んでいた。
今朝はあの拷問のような餌は与えられず、それどころか水すらも禁じられていて、もう喉はカラッカラだ。
(お腹すいた……何か飲みたい……ふかふかのお布団で寝たい……)
だめだ、余りの空腹に頭も良く回らない。
むしろ回って無くて良かったのかも知れない。いくら千花のためとはいえ、そして公衆の面前には出ないとはいえ、裸にロングコート一枚で家から車に乗り込むだなんて、頭がバカになってなきゃとても実行は出来なかっただろう。
「でもまだまだ若いわよ、流石に今日は寝込んじゃってリスケしないと無理かなって思ってたのに、足取りもしっかりしてるじゃない」
「うぅ……その、何かしに行くんですよね……?」
「ええ。前に話したでしょ?外で服は脱げない身体になって貰うって」
「……ひぇ…………」
(外で、服が脱げないって一体何されるんやろ……はっ、まさか入れ墨!?エロ漫画みたいに淫紋入れられたりするん!?)
千花の言葉に妄想をかき立てられ、隣で顔を青くしたり赤くしたりと忙しい晴臣が実に可愛らしい。
もっと虐めたいところだが、残念ながら今は運転中だ。お楽しみは後に取っておこう。
今日は脱毛とピアスだけだからと千花はさらりと流す。
そうして「まだ着くまで30分は掛かるから、ゆっくり寝ていなさいな」と前を向いたまま左手で優しくハルの頭を撫でた。
(CHIKA様の手……これ僕めっちゃ好きや……)
千花への愛しさが増してうっかり元気になったらどうしようかと不安がよぎるが、昨日の今日では流石の息子さんもそこまでの元気は無いらしく、檻の中で大人しく縮こまったままだ。
良かった、と安心した途端すうっと眠気が襲ってきた。
(脱毛と、ピアス……あ、乳首かなぁ……前開けるって言いよったもんな……)
ペニスに穴を穿たれたときに、合格したら乳首にも開けてあげると言っていた気がする。
……あれ、何か他に大事なことも言っていたような気がするのに、眠気に負けて思い出せない。
「CHIKA様……じゃぁ、また、びょういん……?」
「そうよ、芽衣子先輩のところを貸して貰うわ」
あの時のように、婦人科の診察台に拘束して処置を行う、それは変わらない。
けれど、たった1年で自分達の関係はすっかり変わってしまった。
ただの女王様とお客から正式な主従関係になり、しかもこの奥底にある歪みきった暴虐を与えても良心の呵責無く笑って良いと赦されたのだ。
それなら、ずっとやりたかったことをまずは試させてもらおう。
そう、暖かな寛恕の言葉をハルから貰ったあの日から、千花は密かに夢を叶える瞬間を心待ちにしていたのである。
「今日はね、お医者さんごっこをするから」
「おいしゃさん、ごっこ……CHIKAさま、おいしゃさん……なの、に……」
すぅすぅと寝息を立てて眠る姿はどこか幼く見えて、これからの加虐にこの可愛らしい顔がどれだけ歪むのか、考えただけでゾクゾクする。
「……だから、お医者さん『ごっこ』なのよ」
早く、早くハルの可愛い泣き顔が見たい。
千花の車は心持ちスピードを上げて、クリニックへと向かっていった。
…………
目が覚めたら、懐かしい天井が見えた。
「あ……ここ……」
「あら、目が覚めたのね。随分ぐっすりだったけど、大丈夫かしら」
「っ、あ、あわわわわ!!」
辺りを見回せば、白い壁とモニターが見える。
どうやら寝ている間に目的地について診察台に寝かされていたようだ。
下半身を見れば既にしっかり股は開いた状態で、視線の先には千花の先輩の女医――確か芽衣子と言っていた――が柔やかに微笑んでいる。
カーテンなど当然のように取り払われ、股間の前に立つ彼女に思わず叫び声を上げれば「ハル、大人しくしなさい」と部屋の向こうから千花が現れた。
「ううぅ、千花さまぁ……だって、恥ずかしくて……」
「へ?ああ、芽衣子先輩に見られるのが恥ずかしいんだ。そんな取って食われるわけでも無いんだから大丈夫よ」
「男の裸は見慣れてるし、ペニスに太い棒を突っ込むのもやり慣れてるから、そのくらいじゃ気にしないわよ」
「そこは気にして欲しかったし、太い棒って何か恐ろしい言葉が聞こえたんですけど」
まあまあ、と言いながらハルの周りに機械やモニターが設置されていく。
医療に疎い若者にはさっぱり理解の出来ない物体に目を白黒させていると「後は大丈夫かしら」と芽衣子が機械の説明書を読んでいる千花に声をかけた。
「大丈夫です、すみません芽衣子先輩だってお子さんのことで忙しいのに」
「大丈夫よ、前回はごめんね子供達が邪魔しちゃって。今日はお隣さんに預かって貰っているから、何かあったら内線で呼んで頂戴」
やっとパートナーが出来たのね、良かったわと微笑む芽衣子の眼差しは、長年案じていた後輩がひとつ壁を越えた事に気付いているのだろう、どこか安堵した様子だった。
「……その、こんな事に使わせて貰っちゃって……」
「はいはい謝らない。千花の性癖は私たちもよく知ってるし、何より彼とは合意なんでしょ?なら私が口を出すところじゃないわ」
千花が楽に生きられるようになったならそれでいいの、そう言い残して去って行く芽衣子の背中に、千花は深々と頭を下げ、そうしてハルの方に向き直った。
「…………あ」
「ふふ……いい顔ね」
小さな呻き声とともに、ぶわっと背中に冷や汗が流れる。
これは、久しぶりにかなり手ひどくやられそうだ、そうハルは悟る。
「始めるわよ」と抑制帯を手にする千花の笑顔は、あの台風の夜のような……いやそれ以上に凶暴な意思を持って、ハルを射貫いていた。
…………
前と同じように手足と腹部を拘束される。
今日は革ベルトを使わないのかと尋ねれば「今日は金属のついたものが使えないからね」と言いつつ太ももになにやらパッドを貼った。
「脱毛器のアースよ。電気が流れるから、金属は着けられないの。貞操具もはずしてあるでしょ」
「そうなんだ……脱毛って、どんな感じなんだろ……」
「そうね、後でゆっくり見せてあげるわ。先に準備があるから」
(ま、見る余裕があればだけどね)
心の中で呟きつつ手慣れた様子で千花は駆血帯を腕に巻き、血管を探し始める。
「若いから弾力があって良いわねぇ」と手にした留置針は、気のせいか以前見せて貰った注射の針より太く見えた。
「あ、あ、あのっ、その針……」
恐る恐る震えながら千花に尋ねれば「言ったでしょ、お医者さんごっこだって」と千花はニヤリと口の端を上げた。
「何かあったときのために点滴はあったほうがいいからね。でも、ただの医療処置なら外来だし22Gでいいんだけど、今日はプレイだから奮発してあげる」
「奮発……っ……!?」
「ふふ、こんな太くて元気な血管だもの。これは16G、医者が一般的に使う点滴用の針の中で一番太いやつよ。1.2ミリくらいだったかしら……ほうら、刺さるわよ」
「ひぃっ、うああぁぁ痛てててて!!」
アルコール綿の冷たさが消え、ぶすっ、と音がしたような気がする。
そのくらい圧倒的な、とてもただの点滴とは思えない痛みを伴って身体に入ってきた針はしかしまだ血管には届かず……いや、わざと届かせていないのかもしれない。
「慣れればすっと入るんだけどね。特に太い針を研修医が入れるときなんかは、刺してから血管を探して中で動かすから余計に痛いのよねぇ、ほら、こんな風に」
「ひいぃ痛い痛い痛いいぃぃ!!」
「ああ、暴れちゃだめよ。手元が狂っちゃって……また針を動かしちゃうかも」
「あひ…………っ……!」
(ちょ、CHIKA様怖いっ!!何なん、いつもと勢いが違わん!?専門家やから!!?)
この段階でハルは痛感する。
本職をガチでプレイに持ち込むと、大変な事態が起こることを。
たった一本の留置針だけでこのざまなのだ、もう絶望する未来しか見えなくて、涙が滲んでくる。
ずずっと鼻を啜るハルに「良い反応ねぇ、大の大人が点滴ごときで泣くだなんて、なかなか見られないわよ」と千花は実に満足そうな笑顔を向けつつ、無事血管内に入った太いチューブを点滴に繋いだ。
「あ、点滴はただの生理食塩水よ。もし何かあればここから薬を入れて対応できるから、安心して」
「は、はひぃ……」
(それ、最悪薬のお世話にならないかんことをしようとしとるってことやん!!)
どうやら千花の言うお医者さんごっことは、ハルが想像するような――例えば肛門を拡げて観察したり、せいぜい尿道に何かを突っ込むような可愛らしいものではないらしい。
というかもはや別物だろう。まさか、不必要な医療処置を敢えて施してハルを苦しめるプレイだなんて流石に想定外にも程がある。
これが医療プレイガチ勢というやつなのか、とハルは大分間違えたインプットをしてしまうのだった。
そうこうしているうちに、準備は着々と進んでいく。
「乳首は先にマーキングだけしてあるからね」とスマホで撮影した写真を見れば、乳首の脇に紫色の点がついている。
どうやらここに到着した段階で、座った状態にして付けたらしい。千花曰く、寝てしまうと多少位置がずれるからだそうだ。
点滴を付けた指には何かを挟まれ、もう片方の腕には血圧計のカフがまかれる。
ウイィィン……と腕を絞る音と、ピッ、ピッ、という規則的な機械音が部屋に流れ、モニターに数値が表示される様はまさに病院という感じだ。いや、本物の病院なのだけど、いかにもという感じにハルの緊張も高まってくる。
「これは、必要な処置……?」
「そうね、まぁ脱毛とピアスくらいなら要らないんだけど、ちょっと遊びたいから、ね」
「ひぃ」
(CHIKA様の遊ぶって言葉は恐ろしすぎるわ!!)
もう今すぐにでも逃げたいくらいには恐怖に襲われているけれど、けれど残念ながら今日の千花は実に綺麗なのだ。
女王様としてM男達に鞭を振るうときとはまた違う、楽しくて楽しくて仕方が無いと言わんばかりの無邪気な笑顔がハルの心になんとも言えない幸福感を与えてくる。
(そっか……こっちが、ほんまにしたかったことなんやな)
ハルは気付く。
女王様としてのプレイだって千花は好きなのだろうけど、本当に彼女が望んでいるものはこれだったのだと。
医療という人を助けるカテゴリの中に、嗜虐という人を傷つける要素を放り込んで、それに翻弄される男を笑いたい、それこそが千花の奥底に秘めた本質なのだ。
ただ、それだけに予想がつかない。
いくら何でも身体を傷つけるような真似はしない……いや点滴はともかく血が出るようなことは無いだろうけど、どんな形で自分を泣かせようとしてくるのか……
(でも、僕はもうCHIKA様の奴隷やけん……んん、いややっぱ怖いもんは怖いわあぁぁ……!)
千花のためだけに存在する奴隷になれた安心感を持ってしても、生来のビビりまで改善することは難しかったようだ。
そんなハルを眺めて、ほう、と千花は熱い吐息をひとつ漏らす。
(いいわ、ほんっといい……ね、ハル、もっと私を昂ぶらせて)
白衣を脱ぎ去り、ブルーの手術下着姿になった千花は、戸棚から取りだしたサージカルキャップを被る。
後部がゴムタイプのキャップの中にその長い髪を纏めて押し込むと、更にマスクを後ろで結んだ。
その手順は流れるようで、確かに千花がこの仕事を生業としていることを実感させられる。
(ほんまもんのお医者さんなんやな、CHIKA様は……いつもこんなふうに格好よく仕事してるんやろか)
見惚れているハルの前で千花は手袋をはめ、カートに乗せてあった器械を手に取る。
見える?とハルの前にかざしたのは、白いチップがついた……一体何に使うのかさっぱり分からない道具だ。
「これは万能開口器よ、この白い部分を歯に噛ませてね」
「んぐ」
口を開けて、と言われおずおずと開けば、千花は右側の上下の歯に開口器のチップを噛ませる。
そしてレバーを押せば、カチカチという音と共に口が勝手に開いてそのまま固定された。
「あ……あが……?」
「流石に噛まれちゃったら困るからね。挿れて固定したらバイトブロックに変えるから、ちょっと頑張ってね」
「あぃ?あぃぉ……」
頑張る。この状況で。
もう絶対に碌な目に遭わない、そう恐怖するハルの目の前に差し出されたのは、これまた奇妙な器具だ。
人差し指くらいの太さはあるだろうか、二本のチューブが伸びる先端には涙型の……何だろう、昔医療ドラマで見かけたマスクのようなものが付いている。
見た感じ、マスク部分の周囲は浮き輪のように膨らむようだ。
きょとんとした顔で見つめるハルに「これはラリンジアルマスクって言うのよ、通称ラリマ」と千花が説明をしながら、潤滑剤をべっとりとマスク部分に塗っていく。
「これでね、喉頭……喉の空気が通る方の道ね、そこを覆って空気を送り込むのよ。こっちが呼吸用の管、こっちは胃にチューブを入れるための管ね」
「あが……」
「普通はね、意識が無い患者さんに挿入するの。手術で呼吸管理をするときに使うことがほとんどね。ドラマとかで見たこと無い?口に管を入れられている姿。あれはただの管……気管内挿管用のチューブだけど、これは筋弛緩剤無しでもお手軽に挿入できるのよね。ま、ちょっと手技が難しいけどそれは挿管も似たようなものだし」
嬉々としてその機能について語る千花の顔は、実に生き生きとしている。
その内容はいまいち分からなかったが、ひとつだけ、ハルにも分かったことがある。
あ、それ挿れたら絶対僕辛いやつや、と。
(喉に?あんなでかいのが??めっちゃ嘔吐かんの!?)
……そしてそんなハルの期待を、千花は裏切らない。
「麻酔科研修の頃から、一度やってみたかったのよね。……意識がある状態でこれを突っ込んだら、どれだけ悶えてくれるんだろう、って」
「!!」
「ああ、挿れるのは得意だから心配しないで。手技は指導医のお墨付きよ、ちゅるんと一気に入れてあげるわ!そう、これを喉に滑り込ませる感覚も快感なのよぉ……ふふっ、思い出すだけでゾクゾクするわ……」
千花曰く、麻酔から覚めた患者が苦しさに引き抜こうとすることもあるらしい。
挿管チューブに比べれば引き抜かれても危険は少ないっていうけどねぇ、そもそもハルは引き抜けないから大丈夫ね、とにっこり微笑まれれば、もうハルはひたすら恐怖を顔で表すしか無い。
(CHIKA様のことだから……死にゃせん、死にゃせんやろけど僕、今までに無いえらい目に遭うん決定やん!!)
カタカタと震えるハルの開いたままの口に、ラリマの先端が挿入される。
つるりとした面を上顎に沿わせ、カフの根元に二本の指を添えた千花が、目に涙をいっぱい溜めたハルの怯えた顔に満足げに頷いた。
「……さ、いっぱい苦しんで頂戴ね。……いち、にの、さんっ!」
「んぐおぉぉぉぉっっっっ!!?」
もっと、じわじわと喉に押し込まれるのかと思っていたのに。
上顎から口蓋を滑らせ、一気に喉頭上部まで押し込められた衝撃に、ハルの口から濁った叫び声が漏れ、全身がガクガクと跳ねる。
そんなハルの様子を堪能しつつ、千花は素早くカフを膨らませ、呼吸用チューブに手をかざした。
「はーい、慌てない慌てない。息してご覧なさい、ちゃんと呼吸できるから」
「ほごっ、おげっ、うええぇぇっ……!!」
喉の圧迫感が、違和感が凄まじくて、身体が必死で異物を吐き出そうとしているのがありありと感じられる。
千花の言うとおり確かに呼吸は出来る、出来るがこんなもの、手が動くなら確実に引っこ抜いている。
拘束された腕を必死に解こうともがいて、どうにもならずに致し方なくぎゅっと拳を握って、診察台を掻き毟って、耐えるしか無い。
(苦しい……苦しいっ……CHIKA様、これ苦しいです……!!)
ハルの頭の中は、もはや苦痛を知らせる警鐘で塗りつぶされている。
涙が、鼻水が勝手にだらだらと流れ落ち、身体の震えが止まらない。
「おご……おぇぇ……はぁっ、はぁっ……」
「ふふっ、思った通り……いいわねぇ、その苦しさに悶える顔!!バイタルも問題なさそうだし、このまま固定するわよ」
「おおおおお……!!」
そんな様子に興奮した面持ちで、千花は無慈悲にも処置を施す。
口から飛び出るチューブとゴムのような固い物体をテープで口の端に固定する。
そうして開口器を外され、ようやく口が自由になったと思ったのに、ゴムの物体……バイトブロックのせいで苦しさを紛らわせるために歯を食いしばることすら出来ない。
「食いしばったらチューブが潰れて、息が出来なくなるわよ?」と恐ろしい事をさらっと告げつつ、千花の手は細いチューブをラリマから伸びるもう一つのチューブにどんどんと挿入していく。
腹に聴診器を当てられ、チューブから空気を送り込まれると胃がちょっとだけ膨らんだ気がした。
「ん、胃管も入ったから固定して、っと……ああ、涎は飲み込んでも吐き出しても大丈夫よ、胃管がはいっているから適宜胃液は排出されているし、吐いてしまうことも無いからね」
「…………!!」
(まさか、このまま……!?)
その容赦ない処置に嫌な予感がして目を見開けば、千花はその通りよと言わんばかりににんまりとした顔で頷く。
……その口元は見えないけれど、ああ、目は口ほどにものを言うとはこういうことなのか。
「全部終わったら抜いてあげるからね。……ふふ、どうにも出来ない絶望をいっぱい見せて」
(そんな、嫌やっ!このままずっとやなんて……僕死ぬ、ほんまに死んでしまう……!)
それは、初めてハルが味わう本物の死の恐怖。
手先が、足先が冷たくなり、全身が痺れて、わんわん耳鳴りが鳴り頭が暴力的な恐怖に支配されて……
「ああ、良い反応ねぇ……!ハルのおちんちん、ガッチガチじゃ無いの!!」
命を残さんとする、しかしどこか滑稽なオスの反応を指摘されて。
(嘘、やろ……!?こんな、こんなえぐいことされて、僕興奮しよるん……!?)
苦しいも、痛いも興奮する変態だと、思い込まされる。
またしてもあっさりと騙され打ちひしがれるハルに堪えきれなくなったのだろう、千花の興奮しきった高笑いが部屋の中を満たすのだった。
…………
「はぁっ……はぁっ……うぇ、んぐっ……おごぉぉ…………!!」
「ふふ、良い声よ……もっと、もっと泣きなさいな。限界が来るまでやるからね」
「んおおぉぉ……っ!」
(のど、つらい……吐き出したい……くるしい、いたい、また針っ、いたいいぃ……)
慣れない喉の違和感に時折嘔吐き、暴れては「じっとしてなさい」と玉を握られ白目を剥きつつ、ハルは千花の施術を受けていた。
脱毛器の細い針をペニス近くの毛穴に刺せば、チクンとした痛みに襲われる。
「ピッ」と音がして電気が流されれば、ピリッと痺れるような痛みに思わず声が上がる。
そうやって、痛みを与えられた部分がじわじわと広がって……冷やしたところでじんじんした痛みが取りきれるわけでも無い。
脱毛については事前に説明を受けていた。
今回は剃るのではなく、永久脱毛を行うこと。
永久脱毛の手段は実は結構多彩で、現在主流のIPL……光脱毛と呼ばれる方法であれば痛みも少なく、一度に広範囲の施術が出来ること。
けれど今回はプレイであることと、より確実な脱毛効果を狙う目的もあり、敢えて電気脱毛という手段を取ること。
「針脱毛とも呼ばれるんだけどね。細い針を毛穴に刺して、電気を流すことで脱毛するの。毛根を直接破壊するから脱毛効果が高くてね、光脱毛じゃ対応困難な産毛や白髪、日焼けした肌への脱毛までできるのが利点なの」
「へぇ……でも、それなら何故主流じゃ無くなったんですか?」
「それは、体験してのお楽しみ、ね?」
「……あはは…………」
(そりゃ主流でなくなるわ!!こんな痛いん、全部毛が無くなるまで続くやなんて拷問やんかあぁぁ……!!)
一本一本、丁寧に痛みを与えていく。
増やすにしても減らすにしても、人間の毛にかける執念とは恐ろしいものだと、ハルは余りの苦痛に時々意識を飛ばしながらぼんやり思っていた。
「ふぅ、やっぱり手間だけど、目に見えて減るのは楽しいわねぇ……」
「うごっ……!」
「ちなみにね、実際の施術じゃ麻酔テープを貼って痛みを軽減することもあるわよ。特にVIO……股間周りね、ここは痛みが強いから。ふふ、ハルは割と痛みに強いから泣かないかもって心配していたけど、流石に効くみたいねぇ」
「ぁおお……」
でもそろそろ今日は終わりかしらね、とちょっとだけ名残惜しそうに千花はハルを眺める。
施術を初めて1時間、通常でもそろそろ施術を終える時間だ。まして千花の趣味により喉を責められたままでは体力の消耗も大きいだろう。
(ま、いいわ。まだまだ毛はあるもの。……VIOと腋はやるつもりだったけど、どうせなら首から下全部やっちゃうのも楽しそう……)
悪魔のような計画が千花の心の中で展開されているとはつゆ知らず、ハルは朦朧としながらも千花の「今日はここまでね、また来週やりましょ」の言葉に安堵するのだった。
……当然のごとく千花の計画は実行され、これ以後半年にわたり週末の「お医者さんごっこ」と、この脱毛器を置かせて貰う代わりに頼まれた芽衣子への施術は続くのである。
…………
「はーっ、はーっ…………おご……」
「はいはい、じゃあ最後にちゃっちゃと乳首、開けちゃおっか」
「おごおおおお!!?」
(ああああ忘れとったああ!!そうやった、ピアスもあるんやった!)
下半身の処置を終え、貞操具を戻し下腹部にタオルを巻いたアイスノンを乗せた後、千花はハルの側にやってくる。
「やっぱりこの位置がいいわよね、顔がしっかり見えるし」と、あらゆる体液に塗れて呻くハルの様子にすっかりご満悦だ。
乳首を冷たい綿球で消毒されれば、しっかり開発された身体は快楽を脳に叩き込んでくる。
苦しさと気持ちよさがない交ぜになった頭は、一瞬喉を犯されている事実すら快楽に誤認して、しかし(それはないわ)とハルの意識により振り払われた。
「乳首はね、ピアスが上手く決まればずっと気持ちよくなれるわよ」
そんなハルの右乳首の側面を、先がCの形をした鉗子でぎゅっとつまんで千花は針を構える。
この1年、延々と吸引と愛撫を繰り返したお陰で小さめの女性くらいの大きさまで育った乳首だ、最初から12Gで開けても何の問題も無いだろう。
「……ぃおい……いいぉ?」
「ええ。ちゃんとハルの気持ちいい場所を貫いてあげるわ」
「…………んっ……」
つままれた先を手袋越しに爪で引っかかれれば、甘い声が漏れてしまう。
(そっか、気持ちよくなれるんや……もうちんちんにピアスは開けたし、乳首くらい……なんてこと、ないよな……)
ペニスに開けた針よりは細いわよ、とさっき千花は教えてくれた。
1年前の警告なんてとうに頭にない。
――だからすっかりハルは油断していたのだ。
「じゃ、開けるわよ」
「あぃ……っがあああああっ!!?」
(ちょおおおめっちゃ痛いいいいぃ!!なんで!?なんでちんちんより痛いんなあぁぁ!?)
ぷち、と皮膚が切れる感触があったと思ったら、硬い組織を通り抜ける痛みが一気にハルに襲いかかり、不意打ちを食らったハルの口からこの日一番の叫び声が上がる。
これは千花も予想外だったのだろう、一瞬面食らったような表情を見せ、しかしすぐに「ああ、忘れてたんだ」と嬉しそうな笑い声を漏らしながらリング上のピアスをぐっと押し込んだ。
「あがが……っ……!」
「私ちゃんと話したわよね?1年前に。乳首のピアスは痛いから覚悟なさいって」
「ひぐっ、ひぐっおえぇっ……」
しゃくり上げれば喉が刺激されて、また嘔吐く。
それでも千花は手を止めること無く、左の乳首にも太い針を突き刺して、部屋の中に野太い悲鳴を響かせた。
「はい、もう終わったわよ。……もうちょっとだけ眺めてたいんだけど、いいかしら」
「あぃえぇぇぇ!?」
軟膏を塗って後片付けをしつつ、千花の口から出た命令と言うには随分遠慮がちな言葉に「いやさっき終わったって言うたやん!」という気持ちを全力で込めてハルが叫ぶ。
叫ぶけれど、次の瞬間。
千花が見せた表情に、ハルは言葉すら失って見惚れてしまう。
(CHIKA様……綺麗や…………)
「ふふ……だって、絶対出来ないって思ってたんだもの」
「…………ううぃ……」
ハルを見つめる、幸せそうな瞳。
己の欲望に最も近い現場に長年携わりながら、しかしその狂気を完璧に押し殺し続けた嗜虐者の、ようやく解放を赦された感無量の表情がそこにはあって。
(そんな、そんな顔されたら、もう無理って言えんやん……)
ずるい、そう言葉にならない声で咎めながらも、晴臣は小さくこくりと頷く。
「……ありがとう、ハル」
そんなハルの複雑な気持ちを受け取ったのだろう、手袋を外した千花のちょっとしわしわの手が、びっしょり汗に濡れそぼったハルの頭を優しく撫でた。
…………
――それから2ヶ月。
ハルはすっかり奴隷としての生活に順応していた。
「おはようございます、CHIKA様」
「おはよう、ハル。餌の時間よ、檻から出てきなさい」
裸で檻の中で眠る生活もすっかり慣れた。
最初の頃はクッションマットを敷いただけの硬い床のお陰で眠りも浅く身体中が痛くなっていたけど、今ではぐっすり熟睡している。
朝は千花の出勤に合わせて起き、相変わらず泣きながら無心で喉に押し込む餌が終われば、ペットシーツに排尿、そして浣腸。
「グリセリンとか塩化マグネシウムとか使うのも楽しいんだけど、毎日だからね」と施される微温湯での浣腸は、どうやらお腹には比較的優しいらしい。
……2リットルもの液体を点滴のような器具で無理矢理入れられることの、どこが優しいのかを突っ込むのは止めておく。突っ込んだ瞬間に『楽しい』薬液を使われる未来しか見えないから。
恥ずかしさに必死で我慢するも、波のように襲い来る便意には勝てずハルは今でも毎朝「ごめんなさい、ごめんなさい!」と泣きながら千花の目の前でおまるに放出する羽目になっている。
(ひいぃぃ!!お願い、見ないでっ!!そんなのCHIKA様にお見せするなんて僕もう死ぬっ、ホントに死ぬうぅぅ!!)
「こんなのを嫌がるくらいなら、医者なんてとうの昔に辞めてるわよ、健康チェックの一環だから慣れなさい」と涼しい顔で内容を確認し処理されると、余計に心に来るだなんて一生知りたくなかった。
これなら、いつものように興奮した眼差しで詰ってくれた方がいくらかマシだ。
「じゃあ行ってくるから、何かあったらすぐ連絡なさいね」
「はい、行ってらっしゃいませ、CHIKA様」
いつものように、リビングで千花を見送る。
お利口さんで待ってるのよ、と毎朝くしゃりと頭を撫でられるのがハルはいっとう好きだった。
留守番の間は、万が一に備え手枷の鎖を外される。
またいつでも連絡が取れるようにスマホも置かれているが、こちらはペアレンタルコントロールにより千花への通話とメッセージしかできなくされている。
手が自由といってもソファの脚に足枷を繋がれているから、ハルに出来ることはあまりない。
鎖は長めにしてくれているから千花に渡されたトレーニングメニューくらいはこなせるが、トイレに行きたくなればペットシーツで用を足すしかないし、そもそも後ろは尻尾付きのディルドで完全に塞がれていてどれだけ出したくても出せない。
昼の餌は傷むといけないからと、口だけで食べやすいよう粉々に砕いたカロリーメイトが用意されている。
まさかカロリーメイトがこんなに美味しく感じる日が来るだなんて思いもしなかったな、としみじみ味わいながら餌皿に入ったそれをもそもそと食べ、昼からはゴロゴロして過ごすことにしている。
当然のように、その中心は閉じ込められたままだ。
いずれはフラット貞操具にして更に管理を楽にしたいとCHIKAは言っていたから、例えしょぼくれていても男の象徴を目にできるだけ、まだ今はましなのだろう。
それに貞操具が変わったところで、ハルに出来ることは変わらない。せいぜい乳首を弄り、お尻を床に擦りつけて、檻に閉じ込められたペニスを弄れない不満を紛らわすのが関の山だ。
「んっ……CHIKA様……CHIKA様ぁ…………いぐぅっ……!!」
寂しさを紛らわすために一人遊びをすることは咎められていない。
「何もすることが無いと精神的に辛くなるしね」と、射精さえしなければどれだけメスイキしても構わないとすら言われている。
「はぁっ……CHIKA様、まだかな……もう、いっかいだけ……」
一度出せばすっと熱が冷める射精と違って、メスイキに終わりは無い。
ずっとぐつぐつとした熱を抱えたまま、ハルは無様に腰を振り、あられも無い声を上げて快楽に没頭する。
それが、快楽への依存を形成する千花の策略であるとハルは知らない。
否、気付いていたとしても、今のハルはそんなえげつなさすら泣きながら受け入れてしまうのだろう。
――今や社会から隔絶されたハルにとって、千花こそが世界の全てなのだから。
…………
「おう、お疲れ様。今日も元気そうじゃねえか」
「そう?全麻の執刀があったからちょっと暴走するかもって思ったんだけど」
「心配ねぇだろ、既に暴走してきたみてぇだしな」
仕事が早めに終われば、千花はいつものように『Purgatorio』に向かう。
女王様として出勤するときは、必ずハルも同伴だ。
……と言っても、客としてでは無いが。
「CHIKA様!今日もお美しいですね!あ、今日の奴隷君は目隠し付きですか」
「ええ、酷い顔をしてるからね、ちょっとマゾブタ達には刺激が強すぎるわ」
「ははっ、違いない。まったく奴隷君は幸せ者だなぁおい!」
「むぐぅぅ……!」
バーカウンターの一番端。
丸椅子に足枷を繋がれ、背筋をピンと伸ばしたまま壁に身体を預けたハルは時折くぐもった呻き声を漏らしつつ身体を揺すっていた。
ハルの首から下は乳首と股間以外キャットスーツにぴっちりと包まれ、女物のロングコートでかろうじて股間を覆われている。
ピンヒールのニーハイブーツは千花のブーツよりもヒールが高く、ほぼ爪先だけでしか歩けない代物だ。
さらにロングヘアのウイッグを被り、手足をきっちり拘束されて千花やスタッフの目の届くところに設置される。
もちろんお客は見物し放題だが手を触れればCHIKA様からの容赦ない『お仕置き』が飛んでくると言う寸法だ。
それが今のハルの仕事、すなわちこのバーの『備品』である。
だが、今日の千花は随分「ご機嫌」だったらしい。
ハルの後孔にはアナルフックが差し込まれ、首輪と緩み無く鎖で繋がれている上、両腕も肘を後ろで抱える形できっちりと拘束されているから、姿勢を崩すこともままならない。
口には珍しく黒い布マスクを装着している。
マスクの下は奴隷となって早々に作成したマウスピースを噛まされた上で、ペニスギャグを革ベルトでぎっちり止められていて、よくよく見ていれば時々嘔吐いているのが分かるし、隣で見物していればその胸元からモーター音がするのにも気付くだろう。
その上にアイマスクだ。そりゃもうハルの顔は大変なことになっているだろうが、あれはお客への配慮では無い、千花の独占欲に違いないと賢太は苦笑しつつ、千花が接客やイベントに精を出している間はカウンターでハルの様子を見守っている。
「ったく、相変わらず千花はしっかり暴走してやがる、なぁ真鍋君」
「んぉ……」
「ん?ああ、悪い悪い。もう君はただの奴隷君だったな」
ふるふると首を振るハルに、賢太はその名を呼び直す。
いや、名前ですら無い。今の彼の名を呼べるのは千花だけだ。
正式に奴隷契約を結んだハルを初めて千花が連れてきたのは1ヶ月ほど前だったか。
キャットスーツにニーハイブーツ、千花の私物だろうロングコートを着せられ真っ赤になってやってきたハルを改めて皆に紹介しつつ、千花は「これはもう私の奴隷なの。人間の名前は捨てさせたから、奴隷君とでも呼んでくれれば良いわ」と堂々と宣言し、ギャラリーのみならず賢太たちスタッフの度肝も抜いてしまったのである。
「名前すら、自分だけのものってか……なぁ、あれが恋で無くて何なんだってんだ」
そうは思わないか?とハルに問いかけるも、どうやらさっきから乳首で絶頂を繰り返しているのだろう、ハルはマスクの端から涙と涎をこぼしつつピクピクと痙攣している。
「あーあーもう……暴走しなくなったのは良いけど、奴隷君は災難だな。いや、千花の全てを受け止めているんだからむしろ僥倖か?」
「んぎ……っ……」
きっとそのマスクの下では白目を剥いて快楽に浸っているのだろう。
いつものように集まってきた常連達もそんな様子を眺めながら「CHIKA様、奴隷契約を結んでから更に過激になってね……?」「俺ギブアップして本当に良かった」と胸をなで下ろすのだ。
……ここまで『愛され』るのはちょっと羨ましいけれど、やっぱり自分達はガチ勢じゃ無い、そう言い聞かせながら。
「あ、ほら、またCHIKA様がご新規君を沼に堕としてら」
「あーあーすっかりドマゾの顔しちゃって……ありゃ1ヶ月後には俺らの仲間入りだな」
今日も千花は絶好調だ。
それにいつの頃からか、お客を堕とした閉店後の愚痴吐きを千花が求めることは無くなった。
(そろそろ、話をしないとな)
賢太は何気なくスマホのアプリを開き、そこに昨夜送られてきたメッセージを改めて読んで、あまり時間が残されていないことを再確認する。
そう、いい加減気付いて貰わなければ。
千花に生涯添い遂げるべき相手は、誰なのかを。
今日も賑わう店内と、その片隅に設置されただ快楽を貪る置物と化してるハルを眺めながら、賢太は心の中で静かに決心するだった。
…………
「千花、今でも俺と結婚する気でいるか?」
閉店後、ハルと共に店を去ろうとした千花を賢太は「話がある」呼び止めた。
スタッフも全員帰った店の中は静寂に満ちていて、静かに流れるBGMと、ハルの熱っぽい呻き声だけが店に響く。
「てか俺らだけなんだし、流石に責めは止めてやれよ」
「いいじゃないの、今日はハルを楽しみたい気分なんだから」
「それ、いつもだろうが」
丸い氷が浮いたウイスキーを、賢太はぐいっと煽る。
千花の前にはいつものベイリーズミルクだ。今日は代行を使って帰ることにしたらしい。
二人は暫く、その静寂と酒をしんみりと楽しんでいた。
(そう言えば、閉店後にこの時間を持つのも随分久しぶりね)
途中疎遠になった時期もあったけれど、人生の半分近くを彼と共に過ごしてきている事に思いを馳せる。
本当の兄のように頼れる存在なのは、今も昔も変わらない。彼がいなければ、きっと自分はここまで生きて来れなかったと、冗談抜きに思っている。
……と、その沈黙を破り賢太が口を開いた。
「昨日の晩な、お前の親父さんから連絡が入ったんだ」
「はぁ!?何でまた、というか賢太さん、連絡先交換していたの!?」
「おう、初めて会ったときにな。……心配しなくてもここの話は一切していない」
そろそろ結婚をと急かされたんだ、と呟く賢太に、千花の顔がみるみるうちに怒りに染まる。
「なんで、私に黙って勝手に……!!」
「まぁ落ち着け。……お前に言っても埒があかないってよ」
「っ……」
「それでだ、ちゃんと確かめておきたかった」
カラン、と氷の音を立ててグラスを置いた賢太は、いつかのように姿勢を正した。
ああ、これは大切な話だと千花も居住まいを正す。
「千花、お前こいつと結婚しなくて良いのか?」
そうハルを指差しながら真剣な眼差しで問いかける賢太に「何でハルと結婚するのよ」と千花は小首をかしげた。
「私は賢太さんと結婚して、ハルを生涯飼う。それだけよ」
「…………本当に、それでいいのか?俺と結婚することに迷いはねぇのか?」
「迷い……?」
「俺は別に構わねぇよ。いやまぁ、流石にお前を抱けって言われたらそれは勘弁願いてえし、兄貴のクリニックに世話になるのも無しだけどな!けど、偽装結婚自体はなんとも思ってねぇ。それが俺に出来る、お前を守る唯一の手段だし」
「賢太さん……」
「でもな、俺は間男になる気はねぇ。冗談で言ってるじゃねえぞ、千花、お前だってもう分かっているだろう?お前のこいつへの気持ちは……俺から見りゃただのベタ惚れだが、少なくともお前の中でだって特別なものではあるはずだ」
特別。千花にとって、特別なもの。
恋と言われてもピンとこなかったけれど、確かにその言葉はすっと千花の腑に落ちる。
そう、確かにハルは千花にとって特別な存在だ。
開発されきった身体も、その悲嘆に暮れる顔も、泣き叫ぶ声も……いやそれだけじゃ無い、普段見せる年齢の割に擦れてない表情だって全て自分だけのものだ。
誰にも、見せたくない。誰にも、聞かせたくない。
……そう、ハルを誰かの世界に存在させたくないし、ハルの世界にいるのは自分だけでいい。
(あ、そっか……困ったな)
そうしてようやく、千花は気付く。
結婚すれば、流石に賢太と同居は免れられない。
別に賢太と一つ屋根の下に住むだけなら構わない、自分にとって賢太は兄のような存在だから。
けれど、そこには……ハルがいるのだ。
「…………賢太さん」
「おう」
「……私、賢太さんにも……日常のハルを見せたくないわ。ここにいる『よそ行き』のハルじゃない、ただのハルは私だけのものであって欲しい」
「だろうな。大分激しいけどさ、それって世間じゃ恋って言うんだよ」
「恋…………そう、なのかな……」
「そうだ、って言ったところで納得はしねぇよな」
お替わり頂戴、とねだる千花に賢太はいつものように2杯目を作る。
この部分は千花の育ちきっていない情緒だから、本当はゆっくり時間をかけて自覚させたいが、残念ながらそんな余裕はない。
どうしたもんかね、とつまみをポリポリかじりながら、ふと気になって賢太は千花に尋ねた。
「あのさ、千花。お前自分の過去をこいつに話したのか?」
「……そう言えば、話したことが無いわね」
「そうか。やっぱり触れられたくないか?」
(触れられたくない……知られたくない?)
その言葉に、千花は静かに自分に問いかける。
この性癖の原点を、余りにも歪みきったその目覚めを話しても、きっとハルのことだから全て受け止めてくれるとは思う。
そこに不安は一欠片も無い。
けれど、何故だろう。
これまでだって幾度となく打ち明ける機会はあったのに、話すことは無かった。
いや、敢えて話そうとは思わなかった。
――受け入れてくれると思っているのに、知られたくないのは、どうして?
難しい顔をして考え込んでしまった千花に「話してみればどうだ?」と賢太はハルの方を見る。
相変わらず快楽の渦の中を揺蕩う彼は、しかし流石に疲れが勝ってきたのだろう、千花の肩にもたれてうとうとと船を漕ぎ始めていた。
「こういうことは変に悩むより当たって砕けろだ」
「砕けちゃだめじゃ無いの」
「なに、そのくらいの勢いがあった方がいいってことさ。少なくともこいつは千花をちゃんと受け止めてくれる。違うか?」
「……そうね」
確かに賢太の言うとおりだ、考えても答えが出ないなら、試してみた方が良い。
それならば、早い内に。
とうとう眠気が勝ってしまったのだろう、深い眠りの世界に旅立ってしまったハルの頭を太ももに乗せ、びしょびしょになったアイマスクを外して「きっと、大丈夫よね」と千花は独りごちるのだった。
…………
その機会は、思ったより早く訪れた。
久々の連休に羽を伸ばそうと……と言ってもやることはハルを甚振るだけなのだが、朝から「こう言うのも新鮮でしょ」と乳首と股間に電気責めのデバイスを付けてその悲鳴を堪能した午後。
流石に尿道や玉に電気を流されるのは相当痛かったのだろう、昼の餌が終わってもハルはどこか元気が無い。
「……ちょっとキツかったかしら」
「う……CHIKA様が楽しそうだったからええんです……ええけんど、もう電気はこらえて欲しいなって……」
「そう、それならこれからはお仕置きで使うことにしましょ」
「ひっ……」
訛りが漏れているから本当にキツかったのだろう。
けど嫌って言いながらこっちは元気だったわね、と今は檻に戻されたハルの雄芯を千花はつんつんとつつく。
それだけで息子さんは俄然元気になって、けれど最近では貞操具を着けた状態では痛みを伴わない程度までしか大きくならなくなった気がする。
「相変わらず痛いのが一番反応がいいわね、ここも。少しは痛みそのものも快楽になってきたのかしら」
「身体はやっぱり痛いだけです……でも、涙が出ると何だかスッキリするし、CHIKA様の楽しそうな顔を見た途端、何か頭にぶわって出てきて気持ちよくなるというか」
「ふうん、こういう気持ちよさとはまた別なんだ。面白いわねぇ……」
「んはっ、ああぁっ……」
乳首のリングを軽く引っ張れば、それだけでハルは腰を揺らし甘い声を上げる。
ピアスを穿って3ヶ月、その胸の飾りは思った以上に敏感さを増した。
リングの揺れにすら悶え、ちょっと触ればすぐハルの顔はとろとろになって涎をこぼし始めるのだ、その情けなく腰を振る姿は実に眼福である。
「はぁっ……だって、僕の『初めて』ですから……痛みも、CHIKA様も」
「ふふ、そっか特別って訳ね。悪くない気分だわ」
楽しそうに乳首を愛でる千花の表情に、益々頭が溶けていく。
口が閉じられない。思考が、まとまらない。
だから、これはたまたま。
心の奥でちょっと気になっていたけれど、奴隷である自分が知る必要は無いと切り捨てていた思いが、快楽で箍が外れてうっかり溢れただけなのだ。
「はっ、んっ……CHIKA様の『初めて』は、なんだったん、ですかっ……?」
「……!!」
「やっぱり、鞭をもったとき、なのかなって……ひぎぃぃっ!!」
思い切り乳首をひねり潰せば、醜い叫び声が上がる。
快楽に蕩けた顔も可愛いけれど、やっぱり自分がゾクゾクするのはこっちだ。
……ああ、興奮でもしていないと、こんな話はとてもできない。
傍に放置されていた電気責め用のクリップを手にすれば、何をされるのか気付いたのだろうハルがカタカタと震え始めた。
「っ、ごめんなさいっごめんなさいっ!!聞いちゃだめな事聞いてごめんなさいいい!!」
「……いいわよ、話してあげる。でもね」
「ひぎゃあぁぁっ!!」
「はぁっ……そう、私も昂ぶっていないと話せないのよ、こんな事……!」
ビリッ!と乳首に痛みが走る。
鞭とも、つねられるのとも違う異質な激痛に、涙と叫び声が止まらない。
さらに貞操具を外され、竿に、玉に器具を装着される。
ああ、これはまた朝の再現だ。電気責めはその痛みが癖になるのだと千花から聞いたけど、明らかに快楽より痛みを優先した強度の刺激はただの恐怖でしか無い。
「あぎいぃぃっ!!いだいっ、CHIKA様っ、いだいいぃ!!」
「……人を、切ったのよ」
「はぁっはぁっ、ぐうぅぅっ…………!」
「ご遺体だけどね。人の身体にメスを入れた、その瞬間よ、私の『初めて』は!」
そうして千花は、ハルを執拗に甚振り、その悲鳴をBGMに己の過去を話す。
幼少期から虐待を受け、妹たちを守るために医学部という進路を選んだこと。
解剖実習で、父に似た容貌のご遺体に初めてメスを入れた瞬間、積年の恨みに、それを叩き付ける快感に溺れ、同期から声をかけられるまで夢中になって切り続けていたこと。
そうしてその感触が忘れられず、帰宅してからずっと自慰に耽っていたこと――
「あれから私は、何も変わっていないわ。もちろん患者さんの前で狂気を出すことはない」
「ぐぎっ……!!」
「けどね、マスクの下で、私は舌なめずりしてるわよ!麻酔を打つ度、皮膚を切る度、そのお綺麗に飾った皮を剥いで内側を曝け出し、傷つけ、何事も無かったかのように閉じるときまで……ずっと、ずっと私は心のどこかで目の前の男の泣き叫ぶ顔を妄想して……股を濡らしているのよ……!!」
こんな性癖、持ちたくなかった。
ハルを甚振るのは楽しい、けれど今すぐ消し去れるものなら消し去りたい。まっとうな形で恋をして、身体を重ねる幸せを知りたかった。
ハルの泣き声に被せるように叫ぶその告解もまた、涙混じりの慟哭で。
(ああ)
乳首が、睾丸が、痛い。
けれどそれ以上に、千花の道程を想って胸が痛む。
(CHIKA様は、ずっと、闘ってきたんや)
激痛に悶えながら、ハルは理解する。
この優しい女王様は、どうしようも無く歪んだその性癖をずっと否定して、けれど消し去れない現実に絶望して、押し込められないどうしようもないものだけを女王様として発散しながら生きてきたのだ。
ハルがその歪みを受け止めるまで、たった一人で、立ち続けてきた。
彼女の美しさの根源を知り、ハルの瞳から苦痛からでは無い涙がこぼれ落ちる。
(……何て強い、生き方なんや)
確かに千花の周りには、たくさんの理解者がいた。
けれど本質的にはきっと、千花はずっと一人だった。誰も傷つけないために、一人であることを選んだのだろう。
ハルには、その苦悩の全ては分からない。
けれどもひとつだけ、分かったことがある。
千花は医師として父の意向に沿って生きるために、その性癖を今も否定し続けている。
自分という奴隷を持ちながら、存分に渇望を満たしながら、一方で歪みを無かったものにしようと足掻いているのだ。
逃れられない現実から、それでも逃れようとして足掻く、優しく、悲しい女王様。
叶うなら、今すぐ彼女をどこか遠くに連れ去りたい、そんな気持ちに襲われる。
医師という肩書きを捨てさせ、父から遠ざけ、その歪みを満たすことに何の憂いも無い世界でずっと笑っていて欲しいとハルは強く願う。
(でも、僕はただの奴隷やけん……僕にできるんは、これだけや)
けれども自分が持つのは、この身だけだから。
千花を世界中の誰よりも想う、この恋心だけだから。
「……CHIKA、さまっ……ぐっ……」
だから、ハルは問いかけるのだ。
「CHIKA様は……その性癖を、好きになりたいんですか?」
――愛しい女王様に、痛みを伴う劇薬を与えるために。
…………
「……好きに、なりたい?」
余りにも唐突な問いかけに、千花は目をぱちくりさせた。
「どういう意味?この歪みきった性癖を?好きになりたいかって!?」
「ひぎいぃぃっ痛い痛いぃぃっ!!」
「あ、ちょっと強すぎたわね」
うっかり手が滑った、と言うことにしておこう。
更に電流を強められて雄叫びを上げるハルをうっとりした顔で見つめつつ、しかし流石にこれでは話が出来ないと千花はデバイスを外し始めた。
「好きになるだなんて……考えもしなかったわよ。そうねぇ、この歪みを、性癖を好きにとまではいかなくても肯定的に捉えられたなら、受け入れられたなら……もうちょっと生きやすくなるのかな、とは思わなくも無いけど」
「うぐぅ……やっぱり電気、やだぁ……」
「はいはい、ほらちょっと落ち着きなさいな」
汗で濡れそぼった頭をくしゃくしゃと撫でられる。
千花の甘い匂いにうっかり反応しかければ「大きくして良いとは言ってないわよ?」とすかさず玉を握りつぶして萎えさせられた。
そのまま貞操具を元に戻され、バスルームに向かう。
わしわしと身体を洗われながら「CHIKA様」とハルは話しかけた。
「僕、思うんですけど。性癖を受け入れるって、性癖を好きにならなきゃいけないんですか?」
「え」
「……嫌いだって認めることだって、受け入れることなんじゃないかなって、思ったんです」
好きにならなくても、受け入れられる。
そんなこと考えたことも無かったわ、と千花はぽつりと呟く。
千花にとってこの歪みは、何があっても好きになれる類いのものでは無い。
誰かを傷つける性癖を好むだなんて、もはや人間として終わっているだろう。
だから、好きになれないから、生涯受け入れることは出来ない、全力で押さえつけて、無かったことにしなければならない。
そう思い込んで、人生の半分近くを生きてきたのだ。
「多分ですけど」とハルは千花を見つめる。
その目はいつものように真っ直ぐで、純粋だ。
「嫌いだって、あっていいんですよ」
「ハル……」
「だって、嫌いなものはどんなに嫌いだって思ったってこの世から無くならないです。嫌いだって思って無くなるなら、この世から生野菜は消え失せてるはずなのに」
「待ってハル、あんたそんなに野菜嫌いだったの……」
道理で生野菜を餌に使った途端、いつも以上に嘔吐いていたわけだ、と千花は納得する。
これからは野菜には火を通してあげよう。調理するのは苦手だけど、茹でるくらいなら流石に大丈夫なはずだから。
それは置いといて、とハルは気まずそうに咳払いをする。
「消せないものを消そうとするのって、しんどいですよ?僕、CHIKA様がその歪みを嫌いでもいいと思うんです。でも……僕はそんな歪みも全部含めてCHIKA様が大好きですから」
その度しがたい欲望の……心の奥底にある嗜虐の獣の存在は、否定しないで。
あるものはある、どう思おうがそこは変わらないんだから。
(そっか)
あ、でも、できれば餌に生野菜はちょっと……ともじもじ呟くハルの身体を流しながら、千花はすとんと何かがハマったような感覚を覚えていた。
(別に、嫌いでも良いんだ)
嫌いなものは、あってはいけないと思っていた。
だから忌むべきこの性癖は、受け入れてはいけない、存在してはいけないと必死で押し込めていた。
「ふふ……あははっ……!」
「……CHIKA、様!」
「そうよ!そう!私、この性癖、大っ嫌いなのよっ!!こんな……頭おかしい性癖なんて、嫌いに決まってるじゃ無いの……!!」
ああ、自分はずっとこの嫌悪感を認めていなかった。
そう言えば、この性癖が嫌いだと口に出したことすら無かった気がする。
不思議だ。
嫌いだと言葉にする度に、あれほど千花の心を雁字搦めにしていた鎖がほどけていくような気がする。
「嫌い、嫌いよっ!!人を傷つけて喜ぶ性癖も……こんな風に私を歪めた、父も……全部、全部嫌いっ……!!」
笑いながら涙を流し慟哭する千花に、ハルは「うん、うん」と何度も頷く。
嫌いだって、あっていい。嫌いだって、言っていい。
ハルを甚振って、性癖を満足させて楽しんでいるからって、その性癖そのものを無理に好きになる必要は無いのだから。
――いつかこの性癖を、好きにはならなくても嫌いな気持ちが薄れる日は来るかも知れない、そう千花はどこかで予感する。
そして何の感情も無く、ただこの歪みを内に持つ事実だけが残ったとき、きっと自分は本当の意味でこの性癖を受け入れられるのだろう。
腹の底から湧き出る、静かな歓喜が止まらない。
……ああ、きっと今なら、もっともっと目の前のいたいけな奴隷で、楽しめる。
「そっか……いいんだ、大っ嫌いだって、思っても」
凄いわねハル、こんなことを思いつくだなんて。
そう言って目の前の奴隷と目を合わせたその瞬間。
生まれて初めて、千花の世界に鮮やかさが生まれた。
「………………」
「……んぶっ、CHIKA、様?」
いきなり言葉を失い固まってしまった千花に、ハルはきょとんとする。
出来ればそのシャワーをもうちょっと上か下に向けて固まって欲しかった。顔を直撃していて非常に息がしづらい。
「えほっえほっ……ち、CHIKA様っ……」
「…………ああ、凄いわ……世界はこんなに……こんなに美しかったのね」
「へっ、あのっうわぁぁぁぁ!!」
シャワーをラックにかけたかと思えば、Tシャツ姿の千花がぎゅっとハルを抱きしめる。
頭上から降りしきるシャワーで千花の身体が濡れて、Tシャツが張り付いて、柔らかい感触がハルの胸に押しつけられて……
「っ、あわわわCHIKA様あぁぁぁ!!?」
(ちょ、どしたん!?まって、まって頭が沸騰する、ちんちんが壊れるうぅぅ!!)
混乱するハルを胸に抱いて、その暖かさに千花はようやく自覚する。
そうか、自分はずっと惹かれていたのだ。
純朴で鈍くさくて、けれど一途で、千花の全てを……この嗜虐に満ちた渇望もまるごと受け止めて自分を照らしてくれた彼に。
(ああ、確かにこれは恋だった)
大切な人を泣かせて、限界まで苦しませて、絶望させることに喜びを覚えて……そんな自分を見て泣きながらもどこか嬉しそうな彼に満ち足りた気持ちを抱く、狂気じみた行動。
それだってハルだから、ここまで嬲り倒すのだ。
例え世界の誰にも理解されない表出であったとしても、これこそが……私の愛の表現だ。
突然の抱擁に目を白黒させてあわあわする愛しい奴隷を、千花は更にぎゅっと抱きしめる。
そうして降りしきるシャワーの下
「ハル」
「は、はひっ」
「命令よ、私と結婚しなさい」
「はひぃ………………へ…………え、えええええええ!!?」
唐突に、プロポーズという名の命令を下すのだった。
…………
「……と言うわけで、私ハルと結婚するわ」
「そっか。これでようやく俺もお役御免だな!いやぁ間一髪だぞ助かったわ……」
翌日、開店前に千花はハルを連れて『Purgatorio』を訪れる。
大切な話をしたいと持ちかけられて、とうとう正式に結婚の話かとちょっと覚悟を決めていた賢太に告げられたのは、昨日の出来事と千花が正式にハルにプロポーズをしたという事実だった。
それを聞いた瞬間、一気に肩の力が抜けたのだろう。
賢太はソファに沈み込み「いや良かった、本当に良かった……」と何度も呟いている。
「にしても、そっか千花お前、自分が性癖を嫌っていることにも気付いていなかったのか……確かに嫌いだって言ってるのは聞いたことがなかったな」
「そうなのよね、私もびっくりしたわ……でもね、不思議なのよ。嫌いだって認めた途端に心が軽くなっちゃって、逆に嫌悪感が減った気がするわ」
「お陰でご主人様、今日は朝から飛ばしてますよね。これまでで一番まずい餌でしたし」
「あはは、ちょっと浮かれて焦がしちゃって……大丈夫、多少炭化してても死なないわ」
相当な生成物を食べさせられたのだろう、渋い顔をするハルに「死なないものは作るから勘弁して頂戴」と笑う千花の顔はとても晴れやかだ。
と、賢太はその小さな変化に気付く。
「そういや……ご主人様、って呼んでいるのは初めて聞いたな」
「え、あ、はい。昨日プロポーズ頂いたときに、ご主人様から許されまして」
『ここまで性癖を、そして人生を歪ませられたのに、それでもあんたはずっと私を慕い続けてくれた。だから「ご主人様」の塚野千花は、あんただけのものよ、ハル』
バスルームから上がり着替えを済ませ、床に跪きソファに座った千花を見上げるハルに告げられたのは、千花が愛する奴隷を特別な存在だと認めた証。
そう、バーでも「CHIKA様」「女王様」の呼び方のみを許してきた千花が、ただ一人のための主となった瞬間だった。
にしても、千花がここまで独占欲が強いとは思わなかった、そう賢太は苦笑いする。
ここで仕事をするときには必ずハルを連れてくる千花だが、それは決して自分の奴隷を見せつけるためでは無い。
少しでも長く手元に置いておきたいからこそ連れてきて、しかしハルに千花以外の人間と交流させたくないから拘束して目の届く位置に設置するのだ。
今やその気持ちが恋だと知った千花は、更に『愛情』を募らせている。
結婚後は一切の外出を禁じ、千花以外の人間には極力接触させないようにしたいと嬉しそうに語る姿に、賢太は「いやこれ、俺絶対結婚しなくて正解だわ」とちょっと冷や汗を流していた。
そんな賢太に、今日は素肌にロングコートを羽織り、サイハイブーツとウィッグを着けたハルがぺこりと頭を下げる。
「賢太様、これまでご主人様を守って下さってありがとうございます」
「おう。……千花は俺の大切な妹分だ。奴隷のお前に頼むのも変な話だが、これからはお前がしっかり守ってやってくれよ」
「はい……!」
(大丈夫だ、お前らならきっと上手くやっていける)
例え世間的に受け入れられる形では無くとも、彼らは間違いなく愛し合っている。
正直、あの父親がどういう反応をするかは見物ではあるが、例えどうなったとしても彼らには賢太も、拓海や芽衣子も、そして『Purgatorio』に集う仲間もいるのだ。
だから大丈夫、彼らは何があっても幸せになれる。
賢太は目頭が熱くなるのを必死で堪えながら「さあ、そうと決まれば告知だ告知」とスマホを弄り始めた。
「告知?なにか突発イベントでもするの?」
「んなもん決まっているだろうが!うちの看板女王様が結婚するんだぞ!んなもん、大々的に祝わなきゃだめだろうが!!」
「ちょ、賢太さん!!?」
ちょっとまた私をネタにしようとして!!と千花が慌ててスマホを取り上げるも、時既に遅し。
『CHIKA様ご成婚につき記念鞭打ちパーティーやります!』と書かれた投稿に「どうすんのよ……ハルを飾るもの、何にも持ってきてないのに……」と千花は天を仰ぐのだった。
――その夜、駆けつけたギャラリーに「CHIKA様、辞めないで」「結婚しても良いけど俺たちを見捨てないで」と縋り付かれた千花は「今馬鹿なことを言ったマゾブタはステージに上がりなさい!きっちりお仕置きしてあげるわよ!!」といつもの1.5倍増しの鞭で応えたという。
「辞める?んなわけないでしょ!私がここを去るときは、あんたたちマゾブタが全員人間に戻った時よ、つまり永遠に無いわ!!」
「「うおおおおお!!CHIKA様ありがとうございます!!CHIKA様万歳!!」」
千花の宣言に、店内が沸き立つ。
そんな中、ハルはいつものカウンター席で全身を拘束され全頭マスクで覆われたまま、しかしどこか幸せそうに佇んでいたのだった。