沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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6話 朝日

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(お題: 日の出)

 パシン、パシンと物を打つ音が響いている。
 閉店後の『Purgatorio』で奏は一人練習台に向かって鞭を振るっていた。

「……奏、そろそろ送ってやるから」
「やだ」
「おぅおぅ、今日は駄々っ子じゃねぇか」

 何かあったのかと尋ねれば、じつに可愛らしい話だ。
 密かに思いを寄せていた女の子から告白されたらしい。
 けれど、それを断ったのだと。

「何も断らなくても、付き合ってみりゃいいじゃねぇか」

 思い詰めた表情で鞭を振るう奏に嘆息すれば「無理だって」と奏はこちらを見もせず呟く。

「だって、俺、彼女のこと苦しめて……楽しみたいって思ってる」
「……そっか」

 歪んだ性癖を自覚するには、彼は余りにも幼くて、純粋すぎた。
 しかしそんなやるせない思いを鞭に込めたところで、得られるものは無力感だけだろう。

 ふと思いついた賢太は、彼の父に連絡を取る。
 ちょっと拓海には怒鳴られたが、まぁ可愛い甥っ子のためだ、後で存分に殴られてやろう。

「奏、お前今日うちに泊まれ」
「はぁ!?」
「いいから泊まれ、いいもん見せてやるから」

 そう強引に賢太の家に連れて行かれ、寝室に放り込まれたかと思ったらまだ真っ暗な時間に叩き起こされる。
「行くぞ」と何かを放り投げられて眠たい眼を擦りながら確認すれば、それはフルフェイスのヘルメットで。

「ちょ、叔父さん怖え!マジ怖えって!!」
「ああ!?男だろ、このくらいでガタガタ言うな!ほらしっかり掴まってろよ!!」

 ……そうして1時間半。
 賢太のバイクが止まったのは、店から遠く離れた海岸だった。

「は……?海?叔父さん、なにを」
「良いから見てろ、そろそろだ」
「そろそろ、って……」

 促されるままに奏は真っ暗な水平線を眺める。
 と、にわかに空が紫に染まり始めた。

 ゆっくりと空はオレンジに輝き、水平線の向こうから太陽が顔を出す。
 初めて見る海からの日の出に思わず「すっげ……」と感嘆の声を上げれば「だろ?」と賢太もまた静かに海を見つめていた。

「なぁ、奏。朝は来るんだよ」
「……は?」

 何を、と言いかけた奏を制して、賢太は言葉を紡ぐ。

「どれだけ悩もうが、苦しもうが、勝手に朝は来る。世界は回る。俺らは大きくなり、年を取り、死ぬ」
「…………」
「なぁ奏、悩んだって世界は変わらねぇ。……てめぇの世界ひとつ、変えられねぇんだ。だから、そんなうじうじする暇があったら一生懸命動け、生きろ」

 堂々巡りの思考は世界を変えない。けれど、行動は少なくとも自分の小さな世界を変えられる。
 そう話す賢太に「んなもん詭弁じゃねーか」とぶっきらぼうに返す奏は、けれど何か思うところがあったのだろう少しだけ表情が和らいでいた。

 (そうだ、お前はまだ若いんだ、何も恐れず、迷わず進め。そうすりゃきっといつか、その思いを受け止められる奴に出会えるから)

 すっかり顔を出した朝日に彼の未来の安寧を祈る賢太は、隣でただ海を見つめ続ける奏の顔をひとしきり眺めていたのだった。

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