第12話 危険な酒盛り
(お題: 試験)
「ああっ、もう目がチカチカする……残像が見えそう……」
「後何十枚見なきゃだめなんだっけ……」
ここは病理実習室。
既に時計は夜の10時を回っているというのに、この部屋の明かりは煌々と輝いていた。
顕微鏡がずらりと並んだ部屋で、標本をとっかえひっかえ眺めているのは、明日に実習の試験を控えた学生達だ。
鬼教授で本試の合格率は実に5割を切るという難関っぷりに、誰もが必死で病理組織の特徴を頭に叩き込み続けている。
「はぁ、もう嫌、再試にかけよっかな……」
「長船さん、再試になったら公衆衛生の試験と被るから」
「うわぁ、それ最悪……」
芽衣子も例に漏れず、試験前の一夜漬けに全力を注いでいた。
とはいえどの試験もだが、基本的には大量の暗記を強いられる訳で、今日の講義が終わってからずっとここに籠もりきりで勉強していれば疲れも溜まってくる。
そんなだるい雰囲気が蔓延し始めた頃だった。
「おうおう頑張ってるかい3年生達!」
「え、先輩!?なんでここに」
「てか先輩達こそ国試の勉強大丈夫なんですか!?」
大声を上げ颯爽と現れたのは、6年生の先輩達だ。
何やら重そうな袋を下げて「俺らもちょっと息抜きなの」とにんまりしている。
「あ、拓海君もいる」
その中に婚約者の姿を見つけた芽衣子が呟けば、隣の同級生に「いいねぇ、彼氏の激励?」と冷やかされる。
ちょっとだけやつれた、けれどこちらを見つけて嬉しそうに手を振る拓海の様子に、ああ大丈夫そうだなと芽衣子は安堵するのだ。
にしても、どこで見かけても勉強をしている6年生が一体、何故。
そう不思議に思っていれば、先ほど大声を上げた青年がやおら袋の中身を取りだした。
それは
「……え、ウイスキー!?」
「ちょっと先輩、何実習室に持ち込んでるんですか!!」
そう、大量の酒瓶、と紙コップ。
まさかの差し入れに非難の声が上がる……かと思いきや、むしろ上がったのは歓声だ。
「えええ、ちょっとまさか飲みながら勉強するつもり……!?」
早速配られた酒を手にわいわいと勉強を再開した同級生達に眉をひそめていれば、拓海が「はい、芽衣子も飲むよね」と紙コップを渡してきた。
「拓海君……どうすんの、こんな事してみんなが試験に落ちたら」
「いや、大丈夫。大体これで変なテンションになって勉強が捗るから」
これ、恒例行事なんだよね、と拓海が囁く。
何でも3年生で一番の関門と言われる病理学実習の試験を乗り切るために、何年か前の6年生がこっそり酒を差し入れして以来代々受け継がれている行事なのだそうだ。
なるほど、それでしきりに「まだかな」と外を気にしていた男子がいたわけだと芽衣子は得心する。
「で、飲むよね?」
「……飲むわよ、こんなの飲まなきゃやってらんないわ!」
「だよね、じゃあ頑張ってね」
コップになみなみと注がれた日本酒を一気に煽り、芽衣子は(確かに頭のネジが外れた方がいいわこれ)と心の中で呟きながらまた顕微鏡を覗く作業に明け暮れるのだった。
ちなみに、再試に引っかかる連中の大半は飲み過ぎて二日酔いだったせいであり、決して教授が鬼だからでは無いと知るのはこの1週間後である。