第18話 『親』に、なった日
(お題: さよなら)
お願い、早く来て。
自宅の最寄り駅から1時間、見知らぬ街に降り立った紫乃は震えながら愛する人の到着を待つ。
財布の中身はもう小銭だけだ。あいつらに先に見つかれば、もう逃げられない……この子を、助けられない、そう恐怖に怯えながら少しだけふっくらしてきた下腹部を撫でる。
と、ろくに街灯も無い駅のロータリーにヘッドライトの明かりが差し込んだ。
「紫乃さん、早く乗って!」
「っ!祐介さん……!!」
真っ青な顔で叫ぶ祐介に誘われるように、紫乃は履いていた……産婦人科のスリッパをその場に脱ぎ捨て、車に乗り込むのだった。
祐介との結婚話は、双方の家族から反対され難航していた。
そしてどれだけ説得しても首を縦に振らない娘に業を煮やしたのだろう、紫乃の両親は紫乃を知り合いの産婦人科に連れて行くと、よりにも寄って無理矢理お腹の子供を堕胎させようとしてきたのだ。
靴も履き替えず飛び出し、近くを通りかかったタクシーに乗り込んで駅に向かって、たまたま来ていた電車に乗り込んだ。
そうして祐介に泣きながら事情を話し助けを求めて2時間、ようやく紫乃の居場所を突き止めた祐介により紫乃は救出され、祐介のアパートへと逃げ込んでいる。
「……スマホの電源は?」
「最後に連絡を取ってから……切ってある」
「OK、ここのことは紫乃さんの親は知らないから……ああ、僕も切っておいたほうがいいね」
震えの止まらない紫乃に温かいコーヒーを勧めつつ、祐介はどこかに連絡を取っている。
話を良く聞けば、どうやら相手は不動産屋らしい。
ようやく話が付いたのだろう、電話を切った祐介はジャケットと鍵を片手に「紫乃さん、行こう」と手を差し出した。
「……行こうって、どこに」
「わからない。ここは解約手続きを取ったから……まずは紫乃さんと僕の転籍届けを出す」
「!!」
「先に戸籍を抜いておけば、親との繋がりは切れるから。そしたら……遠くの街に行って、婚姻届を出そう」
「祐介さん」
祐介は出会ったときからずっと、ヘラヘラしてどこか頼りない男だった。
それでもお腹に子供が出来たと聞けば素直に喜び、二人で頑張って育てようと言ってくれた。
そして今、彼は紫乃とまだ見ぬ我が子を守るために、全てを捨てる決断をする。
「仕事だけはスマホがあれば何とかなるから。貯金もあるし、新しい生活を始めるくらいは大丈夫。だから……紫乃さん、逃げよう。赤ちゃんを守るんだ」
「……はい」
翌朝、早々に二人はそれぞれの本籍地で手続きを終える。
車に積めるだけの荷物を積んで、途中でコンビニに立ち寄り、スマホからSIMカードを抜いて。
「……祐介さん、ごめんなさい」
「謝らなくていい。うちの親から足が着く可能性だってあるんだから。それに、あの人達も結婚にはずっと反対しているじゃないか……僕には君たちだけいれば、それでいいんだ」
「祐介さん……」
さ、行こうか。
祐介に促されて、紫乃は祐介と共に手にした小さなSIMカードをコンビニの側を流れる川に投げ捨てる。
「……さよなら、二度とここには戻らない」
吐き捨てるように呟く紫乃の背中は、覚悟に溢れていた。
――全てを捨てて故郷を後にした日、紫乃と祐介は「親」になったのだ。