第2話 仕組まれた日常
「ん……ぅ……」
ぱち、といつものように目が覚める。
ああもう起きなきゃ、と身体を起こそうとして、頬に当たる冷たさに72番は一気に現実へと引き戻された。
(そうだった……床、なんだ……)
固くて冷たい、白い床。
申し訳程度のブランケットすら与えられず、生まれたままの姿で床に転がって眠っていたはずの身体は、けれども起き上がってみれば特に痛みも疲れも無く、いつも通りぐっすりと眠れていたようだ。
下腹部の刻印からの、じくじくした痛みも感じない。恐らく人間様が寝ている間に治療して下さったのだろう。
(そのくらいの慈悲は与えられるんだ……でも)
その場にぺたんと座る72番の脳裏を駆け抜けるのは、昨日の出来事。
人間に見せかけた扱いから、完全な二等種の、モノとしての扱いに切り替わったその瞬間を、きっと自分は生涯忘れることは無いだろう。
(私はモノ……人間様の教育により無害になっただけの、役立たずの二等種)
鼻の奥がつんとなって、72番は必死に涙を堪える。
ああ、もう涙なんて出ないと思っていたのに。……もう出なくたって良いのに、流せば懲罰なのだから。
(モノに涙なんて必要ないなら、人間様が止めて下さればいいのに。にしても今日はちょっと身体が熱いなぁ……ぼーっとするし、風邪でも引いたのかな)
いつものようにけたたましい起床のベルが鳴り響き部屋の明かりが灯る中、72番はどこか投げやりに人間様への口を独りごちりつつ立ち上がろうとする。
と。
ぬちゅ、と何かぬめったものの感触をお尻に感じた。
「何だろ……って、何、これ……!?」
何気なく床を見た72番は愕然とする。
床には、まるでおねしょでもしたかのような水たまりが出来上がっていたのだ。
「まさか、寝てる間におねしょ……そんな……っ!」
72番は真っ青になって掌くらいの大きさの水たまりを確認する。
けれどもどうもおかしい。おねしょにしては透明で、ちょっと白濁混じりで、そもそも匂いが違うのだ。
第一、昨日あの人間様は「二等種は二度と排泄できない」と言っていたではないか。
「おねしょじゃない……でも、ああっこんな部屋を汚してしまうだなんて懲罰もの……!」
これまでならそっと服の裾で拭くこともできたけれど、この部屋には布が無い。一体どうしたら……
このままでは朝から威力の増した電撃に襲われる。そう72番が真っ青な顔でオロオロしていれば、部屋の隅に置いてあったタブレットから「ポン」と軽快な音がした。
これは聞き慣れた音……毎朝の予定が送られてきた音だ。
「……もしかしたらこれの事も、何か書いてあるかな」
昨日の生配信は、あまりのショックのせいかほとんど記憶に無い。
だから何か聞き逃した情報が……というか、きっとほぼ全て聞き逃しているだろうと思い、72番はタブレットを手に取る。
果たしてそこに書かれていたのは
「え……舐めて、掃除……!?」
これから朝の餌の時間までの命令だった。
…………
『保管時に汚れた床は舐めて綺麗にすること、日中も汚れる度都度清掃するように。汚れを放置した場合は懲罰とする』
『朝の給餌までに清掃が完了しない場合、懲罰として朝の排泄物転移は行わない』
「これを……舐める、の……?だって、これ……」
タブレットを手にしたまま、72番は水たまりにおずおずと近づく。
なんとも言えない匂いに顔を顰めながら、けれどこれも命令、逆らえば懲罰だと意を決して床に……寝ている間に己の股間から大量に滴った愛液に、舌を這わせた。
ぴちゃり……
「……しょっぱい…………うぇ……」
恐る恐る口にした恥ずかしい体液の味は、まずくてどうしようもないと言うほどでは無くて、ちょっとだけ安心する。
とはいえ嫌悪感が拭いきれるわけでもない。自分の愛液の味なんて人間様の命令でもなければ、生涯知ることは無かっただろう。
「うぷ……口の中が、気持ち悪いよう……っ、なんで……!?」
ようやく全てを舐め取り、少しでも口の中に残る味を消そうと必死で唾で口をすすぐ。
そのとき、どろりと股を伝う感触に72番は思わず嘆きの声を上げた。
「こんな……なんでよ、止まってよ……ねぇ、出ないでよぉ……っ!」
股間からはトロトロと蜜が垂れ、尻のあわいを、そして太ももをべっとりと汚している。
これではどれだけ掃除をしても床は汚れ続けるだろう。
必死で股を抑えたところで、内側から溢れる蜜が止まることは無い。
この6年間、徹底した魔法と薬剤の投与により思考力を奪われた二等種には、これが昨日の処置の一つであることにすら気付けない。
ただ目の前で起こる『異常』を嘆きながらも、人間様の命令に従って床を己の身体で清めるだけだ。
「はぁっ、はぁっ……やっぱり暑い……何だろう、やたらどきどきするし……でも、舐めなきゃ……」
目に見える異変に気を取られている二等種が、目に見えない部分こそ心身に共に昨日の朝とは全く別のものに変質してしまっているという、残酷な事実に気付くことはほとんど無い。
まぁ、気付いたところで彼らは精々嘆きながらそれを受け入れる事しかできないのだが。
――ありとあらゆる手段で操作された情報は、急激な変化すら環境のせいにすり替える。
そうして二等種は知らぬ間に蟻地獄に嵌められ、堕とされる……否、自ら深みへと嵌まっていくのだ。
…………
「いやぁ、初日は案の定嫌がりながらですよね」
「3日もすればむしろ喜んで舐めるようになるけどな」
そんな入荷したての二等種の様子を、ベテランであろう管理官達はモニタールームでのんびりと見物しながら朝食を取っていた。
時間はそろそろ7時だ。大体最初の1週間は二等種の作法も不完全なため、初期管理部のスタッフは早出の人数を増やし、最低限のスタッフをモニタールームに残して総出で給餌と浣腸にかり出されることになる。
「あの、僕は……」
「あーいいよ、流石に配属2日目で入荷したばっかりの個体の世話は大変だから」
「1週間したらこいつらも大分慣れるし電撃も使いたい放題になっているからさ、そしたら先輩と一緒に給餌と浣腸からやろうな」
「は、はいっ、よろしくおねがいします!」
その中に一人、真新しい制服のポロシャツに身を包んだ青年が佇んでいる。
彼は昨年成人基礎教育を終えて二等種管理庁に就職し、今月から初期管理部に配属されたばかりの新人だ。
これまで貸し出しセンターや街中の調教済み個体しか見たことの無かった彼は、まだどこか人間じみた二等種達の様子に興味津々らしい。
「昨日の処置は見たかい?」と深緑のケープを羽織った年配の男性が尋ねれば「はい、凄い魔法ばかりで……驚きました」と目を輝かせた。
「永続的に発情状態を保ち、なのに肉体がどれだけ深いオーガズムに達しても脳には不完全な絶頂感覚しか伝わらず絶対に満足できないだなんて、これ思いついた人鬼か悪魔でしょ」
「言えてるわ、でも俺は不老の魔法の方が怖ぇ。あんなもん、6年かけて遺伝子レベルで組み替えた二等種じゃなきゃ」
「無ければ?」
「下手すりゃその場で身体が弾け飛ぶ」
「うへぇ」
成体となり、晴れて(?)人権団体への配慮から解放された二等種には、これまで以上に危険かつ不可逆的な魔法が追加で付与される。
髪や爪、体毛などといった部分的な成長抑制はあったものの人間同様の肉体的成熟を遂げた身体は、この段階で完全に肉体の状態を固定されてしまう。
老化に関わるテロメアの短縮を完全に防ぐことで、二等種の肉体は18歳段階の若々しさと体力を……理論上は死ぬまで維持し続けるのである。
実際には、強力な魔法や薬剤に晒され続けた反動と、何より過酷な利用によって肉体より先に精神が壊れてしまうため「性処理用品」として出荷後の耐用年数は15年が中央値だが、今のところ需給バランスは保たれているのでそれほど問題にはならない。
「初期管理部って事前調教を担当するんですよね?どんなことをするんですか?」と新人が尋ねれば「きっと君が思っているような事は何も無いよ」「見物ばかりで意外とつまらない、なんて言う職員もいるくらいでね」とベテラン達は笑いながらモニターを指さす。
「ほら、そろそろ餌だ。……事前調教は二等種の生活全てが調教だからな、良く見ておくといい」
「はいっ!」
新人が食い入るように見つめるモニターの向こうには、時折腰を揺らめかせながら扉の前で土下座をする二等種の姿があった。
…………
『浣腸は朝の給餌時に同時に行う』
『給餌が完了する、もしくは一定時間が経過することにより腸内の排泄物は自動的に転移される』
『給餌は10分以内に完了すること、完了しない場合は懲罰となる』
『膀胱内の排泄物は朝と夜の給餌後に転移される』
『なお成体の餌は朝と夜のみである、作法は以下の通り……』
(この部屋にはブザーがない……もう、要らないんだ)
床が綺麗になっているうちにトイレに行こうとして、72番は自分達にはもうトイレという概念が無いことを改めて突きつけられる。
一度火が付いた尿意は早くトイレに行けと彼女を急かしていて、だがこれならまだ我慢できないほどでは無い。
ただ、何となく下腹部が……もやもやとする。
自慰の経験すら無い72番には尿意との区別が付かず、ただ「ご飯が終わればスッキリする筈」と軽く考えてタブレットの内容を頭に叩き込んでいた。
まずは給餌だ。いくら3日間は猶予期間とは言え、あまり粗相をすれば気まぐれの懲罰もありえそうだなと、72番は昨日の人間様達の嘲るような視線を思い出してぞっと身震いする。
(……ここの人間様は、これまでと違う)
早くも昨日までの「お優しい」人間様が恋しくなって唇を噛んだその時『給餌時間です』とアナウンスが流れた。
その声に72番は弾かれるように、ドアの小窓の前に餌皿を置き、そちらに向かって土下座をする。
挨拶もこれまでとは違うのだ、間違えないように気をつけないと。
「人間様、499F072に浣腸と餌をお恵み下さい」
(ああ……もう、食餌ですらない、餌なんだ)
己の発した言葉にまた一つ貶められた感覚を覚えていると、目の前の扉に付いた二つの小窓がパタンと開けられた。
一つは扉の下部、餌皿の位置。そしてもう一つは扉より大分上、腰より少し低い位置。
「…………」
小窓の向こうにはスタッフが立っているようだ。見慣れたポロシャツが小窓から覗える。
だが、彼らが言葉を発することは無い。それはこれまでと変わらないらしい。
(このまま……上の小窓に、お、お尻をっ……)
72番は後ろ向きになり、扉に尻を向けてにじり寄る。
腰を少し折って小窓に尻を押しつけ、両手で尻たぶをぐいっと拡げれば、小窓の四角には窄んだ入口がまるで浣腸をねだるように人間様を眺めている、筈。
(うぅ、こんな姿勢でお尻を見られるだなんて……恥ずかしい……!)
顔から火が出そうになりながらも、72番はそのままじっと待機する。
と、剥き出しになった窄まりに冷たい液体が塗りつけられ、何の合図も無くぷすりと管を差し込まれた。
おもわず「あぅっ」と声が出てしまったが、猶予期間だから懲罰はないようだ。
(こ、この体勢で浣腸……辛いっ……!!)
管が固定されれば昨日同様、生暖かい液体が身体の中にドンドン送り込まれる。
どうせ締めようが緩めようが、浣腸中は魔法で逆止弁状態になる肛門から何かが漏れ出すことは無い……分かっていても、身体は無意識のうちに漏らすまいと必死で力を入れてしまう。
二等種専用の浣腸液は、単に物理的な量で直腸の内圧を上げるだけで無く、薬剤が吸収される事で直接排便中枢を刺激する様に作られている。この効果は即効性で非常に強力かつ持続的な排便衝動を引き起こし、同時に腸の過度な蠕動運動を抑えるため、大量の浣腸を行っても腹痛が強くなりすぎないという優れものだ。
最終的には結腸の許容量である3リットルまで注入することになるが、浣腸はそれなりに体力を使うため、身体が慣れるのに合わせて注入量を増やしていくのが基本である。
二等種は大腸全体に行き渡るだけの浣腸――この場合は洗腸と言った方が正しいかも知れない――液を入れられ、最低10分間かけて排泄物と腸内の細菌叢を溶かすことで、以後36時間にわたり直腸及びS状結腸内の清潔を保つことができる。
このありがたさを二等種が知るのはもう少し先であり、更に本当の意味を知るのは更に先の話だ。
ちなみに研究段階からこの薬剤を人間の身体で試したことは無いため、注入された二等種が実際にどの程度苦痛を感じるのか、本当に腹痛が軽減されているのかは分からない。あくまで理論上はそうなっているだけの話だ。
だが、人間にとってはともかく二等種の命に関わりさえしなければ、何の問題もないのである。
「ふぐぅっ……ぐっ…………」
(もう無理、出させて、お願いします人間様、出させて下さい!!)
昨日はもうちょっと我慢できた気がするのに、と72番は狼狽えながら決して口にはできない願いを心の中で叫び続ける。
たまに薬剤に対する感受性の高い個体が存在するため、初回の浣腸は通常の3分の1の濃度で実施され、モニタリング結果に合わせて1週間から10日かけて最適な濃度へと調整されるのだが、どうやら今日の浣腸は72番には少し強かったらしい。
身体が冷たくなって汗が滴り、歯を食いしばる力すら出てこない。
あまりの苦しさに勝手に涙が零れ、お陰でさっきから懲罰用の電撃が流れっぱなしだ。
(こんなのが毎日だなんて……壊れてしまう……)
『人間様は二等種を壊しません、二等種と違って野蛮ではありませんので』
激しい焦燥感に混じって、とある授業の一コマがぐるぐると頭の中で回り続ける。
実際、処分であっても確かに人間様は二等種を壊しは……直接命を奪いはしなかった。
けれども、二等種が勝手に壊れることまでは制御できないとも言っていたから。
(こんなに苦しいなら、もう壊れてしまえればいいのに)
壊れて楽になれるなら壊れたい――
初めて抱いたその感情は、これから何度も72番の脳裏によぎり、けれど終ぞ叶うことのない望みである。
二等種の内心など人間様には何の関係も無く、命を絶てないように、どんな過酷な環境でも狂わないように……ありとあらゆる手段で二等種はこの現実から逃避する権利すら奪われているのだから。
いずれささやかな悲しい望みを抱くことすら諦めたとき、彼らは本当の意味で「モノ」に堕ちるのかも知れない。
…………
「ぐうぅ……うぁ……」
パタン、と小窓が閉まる音が二つ、部屋に響く。
どうやらいつの間にか薬液の注入は終わっていたらしい。
あまりの苦痛にその場に倒れ伏せようとして(あ、ご飯がある)と72番は慌てて姿勢を保ったまま餌皿を倒さないようにそっと足を運び、ドアの方に向き直った。
(……ああ、これは餌だ)
そして改めて確認する。
自分が本当の意味で二等種に堕ちたという事実を。
餌皿に盛られていたのは、白いドロっとした物体だった。
中身だけならばこれまで食べていたものと大して変わりは無いのだが、供される形が変わるだけでこれほど尊厳を打ち砕かれるものかと、72番は今更ながら実感する。
幼体の頃はトレイに主食らしい白い物体と黄色みがかった透明なスープ、茶色いおかずのようなこれまた舌で潰せるほど柔らかい物体が2品付いていて、見た目や味はともかく体裁は人間様の食事に近いものだった。
スプーンだって付いていて、椅子に座って食べることもできた。
トレイは当然ながら残滓が一滴たりとも残らないように舐め取らなければならなかったけれど、それは人間様の恵んで下さったものだから仕方がない。
しかしこれはどう見ても……良くてペットの餌だろう。
「…………っ、これは……」
7おずおずと近寄って、餌の匂いを嗅ぐ。
予想通りこれまでの主食と同じ嗅ぎ慣れた匂いにホッとすると共に、今朝知ったばかりの淫らな匂いが混じっているのに気付いて72番は思わず顔を顰めた。
良く見れば、餌の上には自分の股間から滴ったのだろう愛液がべっとりとまぶされている。
(こんなにいっぱい出てたっけ……うう、これを食べなきゃいけないの……?)
浣腸の刺激で更に分泌量が増えた股間のぬめりに気持ち悪さを感じながら、72番は餌皿を床に描かれた線の位置まで移動させる。
当然のようにカトラリーは無く、そうだろうとは思っていたけど、と心の中で嘆息した。
『餌は所定の位置に土下座をし、手を床に付けた状態、もしくは背中で組んだ体勢で食べること。衛生面及び栄養面の観点から、一滴残らず舐め取るように』
タブレットに書かれていた命令は絶対だ。
とは言え餌皿に顔を突っ込んで、しかも己の恥ずかしい液体に塗れたドロドロの餌にがっつけと言われて初日から素直に実行できる個体はほぼいない。
大抵の個体は餌に思い切って顔を近づけては離すのを何度も繰り返し、そのうち耐えきれない便意から解放されたい一心で嘔吐きながら餌を喉の奥に送り込む事になる。
そして躊躇った分だけ、二等種は余分な……懲罰じみた苦痛を味わう。
そんな体験を刻み込まれれば、彼らは3日もしないうちに二等種らしく……何の躊躇いなく穢れた餌を貪るようになるのだ。
72番も例外なく、悍ましい餌の前で「もうやだぁ……出したいよぉっ!おねがい、出させて……」と呻きながら逡巡を繰り返していた。
(さっき舐めたんだから、変わらない筈なのに……食べないとずっと辛いままなのに…………でも、いや……っ……うぇっ、気持ち悪い……!)
目をつぶって息を止めて顔を近づけても、どうしても目の前にあの淫らな水たまりがちらついて口が開けられない。
床を汚した物を舐める事以上に、それを己の餌として口に入れなければならない抵抗感は思った以上に強いらしい。
しかし、そんな二等種の我が儘など、許されるはずが無い。
(辛いよう……止まらない、ずっと出したくて……お腹、ぐるぐる鳴ってる……!)
薬剤の効果がよく効いているのか、痛みは死ぬほど辛い訳では無い。
だが薬で作られた偽の便意は、本来大脳が発する「我慢」という指令に応じてひとときの安らぎを得ることすら許さない。
例えるなら酷い食あたりで、今すぐ恥も外聞も無くここでぶちまけたい程の猛烈な排泄衝動が途切れること無く続く感じだろうか。
休みの無い便意がこれほどまでに苦痛だとは知らなかった。
激しい腹の音が酷くなるにつれて頭の中はこの中身を出すことだけで占められ、ただでさえ落ちている思考力を完全に奪い去ってしまう。
(……出したい……これ、全部食べたら……楽になれる……)
ゆうに20分は経っただろうか。
涙と鼻水に塗れ、時折痙攣しながら濁った瞳で目の前の餌を眺めていた72番がふらりと顔を餌に近づけ……ぺちゃ、と舌ですくい取る。
(ああ……餌の味……塩味しか無い…………これは、餌……ただの餌……)
限界をとうに超えた頭は、もはや己の体液の味など気にもかけない。
餌を食べる、全部舐め尽くす、楽になれる……それだけが頭の中をぐるぐると回り、72番は最初こそおずおずと舌ですくっていたものの、耐えきれない便意に完全に屈服し、すぐに大口を開けがっつき始めた。
(早く、早く食べて、楽になる……うぅっ、なんでもっと出したくなるのぉ……!?)
食べれば食べるほど、反射で腸が動いて更なる便意と痛みを呼び覚ます。
こんなことになるならもっと早く諦めて食べておけば良かった、そう後悔しながら、あまりの便意に吐き気さえ覚えながらも72番はいつも通り器の中を綺麗に舐め取りつづけた。
「はぁっ、はぁっ、おぇぇっ……に、人間様…………ごちそうさまでした。美味しい……餌を、恵んで下さり…………ひぐっ、ありがとうございます……」
(こんな餌に……感謝しなきゃならないだなんて……でも、人間様の与えて下さる物には感謝しなきゃ……)
教育で染みついた常識と、まだ身のうちに残存する尊厳の欠片が矛盾した思考を作り出す。
それも承知の上なのだろう、やっとの思いで完食し青息吐息で述べられた72番の感謝を「声が小さいです、もう一度」とAIによる判定は無慈悲に拒否した。
何度も、何度も……小さな難癖を付けては「もう一度」と無感情に繰り返される声。
止まらない排泄衝動、震える身体、もう息をするのだって辛くてたまらないのに。
(おねがい、します……もういいって言って……お腹の中のもの、全部空っぽにして……)
終わらない時間に、やがて72番は「気付かされる」
――これは、心の中で今日の餌に文句を言った罰なのだと。
(ごめんなさい、ごめんなさいっ……人間様、もう文句を言わないから……こんなものなんて思いません、ありがたくいただきます、だから)
(美味しい餌をありがとうございます、感謝しています、早く、楽にして下さい……!)
人間様も、AIによる判定も、誰も何も言ってはいない。
ただ72番が脳内で作り出したのだ。この理不尽な状況に対する理由を、自分の手で自分を貶める理屈を。
「……給餌完了。給餌開始より32分。転送を行います」
「ぁ……ありがとうございます、にんげんさま……」
6年間にわたる「教育」の成果は、今ここに結実する。
孤立させ、教え込み、罰を与え、それでいて人間様による慈悲と享楽をちらつかせて飼い慣らした結果、今や二等種はどんな些細な出来事であっても、全て自分のせいだと、人間様は絶対に正しく間違ってるのは自分の方であると、歪みきった思考形態を無意識に選ぶことしかできない。
(ああ、私が悪い子だったんだ……だから、人間様が罰を与えた……ご指導、ありがとうございます、人間様)
アナウンスが終わると同時に、膨れ上がった腹は平らに戻り、あれほど激しく心身を苛んだ便意も跡形も無く消え失せる。
ようやく解放された72番は、小さな不満の芽を容赦なく叩き潰された事にすら気付かず、ただ人間様への感謝を呟きながら意識を落とすのだった。
…………
『運動時間は1時間、餌皿を持参すること』
『廊下での二足歩行は懲罰対象とする』
『運動後は餌皿と共に洗浄を行い、速やかに保管庫へ格納されること』
バチッ、と慣れた首の痛みに72番は目を覚ます。
部屋には「扉を開錠します。運動場Aへ移動しなさい」とアナウンスが繰り返し流れている。
「あれ……あ、私……ご飯を食べて、それから……」
どうやら自分はあれからずっと眠っていたらしい。
そう言えばここでは授業はないとタブレットにも書いてあった。1時間の運動時間と洗浄時間以外は常に保管庫で過ごすことになるらしい。
「もう、昼なのかな」
餌皿を手に取りながら72番は一人呟く。
成体の餌は朝と夜だけだし、そもそも空腹なんて感覚はもう忘れるくらい味わったことが無い。
これまで以上に時間の感覚を失わされているなとぼんやり考えながらドアから出ようとして、こつん、と壁に額を打ち付けて。
「いてっ……あれ、ドアがない?……あ、そうだった」
廊下では立って歩くことは禁じられている。
四つん這いでしか通れないこの扉は、恐らく無意識に二足歩行で廊下に出るのを防ぐ為なのだろう。
しかしそれでは餌皿を持って行けない。
(背中に乗せる?……でも、落としたらきっと懲罰……)
タブレットを開いて急いで確認するも、餌皿の運び方までは書いていない。
少し考えた結果、72番は餌皿を口に咥えて手を……いや、これは前足だ……ぺたりと床に這わせて廊下へと歩き出した。
…………
運動場はこれまでの倍の広さはあるだろうか。
人工芝に覆われ人工太陽が天井から降り注ぐ、窓など当然存在せず閉塞感しかない空間には、広さが倍になった分二等種の個体数も倍に増やされている気がする。
壁際には餌皿を置く低めの台があり、咥えていた餌皿を自分の番号を探して設置する。
とたんに餌皿に透明の液体が満たされた。恐らく運動時の水分補給用だろう。
運動場の中では二足歩行が許されている。
幼体の時と違って柔軟体操や持久走のような動作の命令は無く、ただ座ってぼんやりしていれば動けと言わんばかりにマスクを付けたスタッフが鞭を振るうくらいらしい。
……そもそも裸で座るものでは無い、というのはいつもの癖で柔軟体操をして痛感した。芝生は意外と鋭利で、こんな所で座ったら股間がチクチク痛くてしょうがない。
あんなぺらぺらの服ですら身を守る効果はあったのだと、あれほどダサくて嫌いだった服が今はただひたすら恋しいと感じる日が来るとは思いもしなかった。
そして、服はただ身を守るためだけに存在しているのでは無いと、72番は思い知らされる。
「ひっ……」
隣で準備運動をしているオスの個体。
心なしか顔を赤らめ、涙目になりながらも屈伸運動をする彼の中心は、見たことも無いほど大きく、天を向いて唆り立っていた。
(なに、あれ……!?あんなの見たことが無い……!)
目を合わせれば懲罰だから、72番はなるべく悟られないようにチラチラと眺める。
初めて見る成熟した雄の象徴はグロテスクで、先端からは透明な汁がじわじわとにじみ出ているようだ。
時折ピクン、と小さく跳ねるのは何故なのだろう。
(すごい……男の子のおちんちんって、あんな風になるの……?)
幼体時の教育でも性教育は行われる。
ただし人間の性教育とは全く異なり、二等種からは妊孕能が失われていること、二等種同士の性行為は禁じられていること、その代わりに自慰は許可されていると詳しい自慰のやり方を学んだくらいだ。
性教育の授業は二等種も人間様も同性のみで行われることもあり、性に対する興味が薄い個体の場合、成体の運動時間が初めて異性の性器を間近に見る機会となる。
……とはいえ、徐々に解放されるコンテンツの誘導によりオス個体の全て、メス個体の7割は既に「そういった」情報を得て自慰も経験済みなのだが。
(昔お風呂で見た、パパのはあんなのじゃなかった……)
何故だろう、グロテスクな物体のにどうしてか目が離せない。
ぼんやり眺めていれば「ほら、座ってないで動け」と背後から鞭が振り下ろされ、72番は慌てて「ご指導ありがとうございます!」と立ち上がりよたよたと歩き始めた。
(…………みんな、同じだ)
チラチラと周りを伺っているのはお互い様のようだ。
目が合えば慌てて逸らしながら、互いに互いの発情しきった姿を観察している。
オスは例外なく股間を勃起させ、ぶるんぶるんと立派な代物を震わせている。
メスは遠目にはわかりにくいが、すれ違ったメスの太ももはぐっしょりと濡れそぼっていて、どうやら成体のメスとはこのくらい濡れるのが当たり前らしい。
72番は(自分だけじゃなかった)と、周りのメス達のお陰でどうやら安心を得られたようだ。
――異常な身体に変えられた事実は揺るがないというのに。
ただ歩いているばかりもどうかと思い軽く走れば、すぐにドキドキして頭がぼんやりしてくる。
身体が熱っぽくて、特に下腹部がじくじくと痛みでは無い変な感じを訴えているようだ。
(何だろう、やっぱり体調が悪いのかな)
潤んだ瞳でぼんやり口を薄く開けたまま、気がつけばオスの股間を眺めながら歩いている事に72番は気付いていない。
いや、どの個体も似たようなもので、部屋に充満する異性の匂いにすっかり当てられ、運動とは名ばかりの徘徊を虚ろな瞳で続けているだけだと気付いているのは、二等種を監視するスタッフのみである。
「ほんときっついわ……マスク越しでも結構匂いがするのね」
「そりゃもう、発情しまくった個体をこんな所に閉じ込めりゃな。辛かったら抑制剤は無料で貰えるから、ここの当番の時は飲んでから来いよ。若い男性スタッフは大抵飲んでる」
「下手に興奮して襲われたら洒落にならないですよねぇ、まだ未調教の個体は危険ですし」
発情で喉が渇いたと錯覚する二等種は少しでも渇きを癒そうとするのだろう、餌皿に満たされた水は瞬く間に空っぽになり、何度もお替わりが足されている。
この水は運動終了段階で全てを飲み干した上で洗浄室に行くことが義務づけられており、中には調子に乗って何杯も飲んだ結果、ゲップを繰り返しながらぼんやりした表情で洗浄室に向かう個体もいるくらいだ。
「はぁっ、はぁっ……ずずっ……」
「ほら、飲みきったなら一度離れろ、すぐに補充される」
「っ、ありがとうございます、人間様ぁ……」
また一体、餌皿の水を飲み干しているメスがいる。
どうやら身体の火照りを冷ましたかったのだろう、勢いよく飲み干しまだ足りないと言わんばかりの表情を浮かべた個体を追い払いながら「あんなに飲んで、後で後悔するんじゃないの?」とスタッフ達はクスクスと侮蔑の視線を二等種達に向けていた。
「ま、後悔するって分かったって飲むんだよあいつら。水が口から飲める機会はこの時だけだしな」
「これが『まとも』だなんて、可哀想にねえ……ふふっ、明日に向けての仕込みなのにさ」
「夜の餌の後も、だけどな。『解禁』は3日後だろ?それまでどうするんだろうな、こいつら」
「そんなの要らないでしょ、二等種なんだから」
彼らの意味深な会話は、二等種達には聞こえない。
いや、例え聞こえていたとしてもその意味を考えられる個体など、ここには存在しない。
(身体が熱い……むずむずする……)
(くそ、チンコいてぇ…………どっち向いても女の裸がいっぱい……)
(はぁっ、甘くて良い匂いぃ……早く抜きたいなぁ)
時折無意識に股を摺り合わせながら、それでもまだ羞恥心は残っているのだろう二等種達は思い出したかのように身体を隠そうとしては懲罰を受け、悶々とした思いを抱えつつも「運動」に精を出すのだった。
…………
『洗浄室では口腔の洗浄を最初に行うこと』
『二等種の身体は国の備品、国民の所有物である。餌皿と同様に清潔に保つこと』
(はぁ、熱い……ぼんやりするし…………おトイレ、行きたいなぁ……)
運動の時間を終え、72番は洗浄室へと向かっていた。
どうも身体が熱くて喉が渇く気がして、水を飲み過ぎてしまったかも知れないなと胃のたぷたぷした感覚を覚えつつ、心の中で独りごちる。
朝から一度も出してない膀胱は昼前からずっと尿意を訴えていたのだが、今や無視できないほどの警鐘となって72番の頭の中で鳴り響いていた。
……72番は知らない。
運動中に摂取した水分には確かに利尿剤も含まれてはいるが、これは遅効性の薬剤で今夜の排泄転移が終わった頃から真価を発揮する代物だ。
今彼女を悩ませている水分の元を知るのは、もう少し後になる。
「はぁっ、はぁっ……」
「んっ……んふぅ…………」
ほんのり朱に染まった身体をくねらせ、息を荒げ、時折餌皿を咥えた口から涎と共に悩ましい声を上げながら、二等種達は四つん這いのまま洗浄の順番を待つ。
鎖も無く監視スタッフの人数も幼体の頃に比べれば半分近くに減っているにも関わらず、彼らは一人として立つことも、まして脱走しようと試みることもない。
6年間の心身に刻みつけられた「教育」は下手な枷よりもよほど強力で、かつ首輪による発情状態の維持に加え先ほどの水分に添加された即効性の媚薬により、彼らの限られた思考のリソースは狂おしいほどの性衝動に向けざるを得ないためだ。
二等種が脱走を企てれば、処分せざるを得なくなる。
人間側としても、多大なリソースを割いて二等種を作り上げる以上なるべく廃棄品は出したくない。
だからこそこの段階では、単なる物理的な拘束にはなるべく頼らず、そもそも反抗や脱出といった不必要な思考自体を抑制する事に力を入れているのだ。
(なんでこんなに身体が熱いんだろう……股間もヌルヌルするし、早く洗いたい……うう、裸だからかな、おちんちんが気になっちゃう……こんな、いけないこと……)
72番もまた、人間の思惑通りにその思考をすっかり性欲に乗っ取られていた。
自慰の経験も無い、そもそも性的な好奇心も薄い個体ですらこの状態である。既にそれなりの興味と経験のある個体がどうなっているかなど、言うまでも無いだろう。
その上にじわじわと高まり続ける尿意が、72番の理性を削ぎ落としていく。
(っ……あ、空いたんだ……行かなきゃ)
バチッと首に痛みが走ると同時に、目の前に矢印が現れる。
二等種にとってこの矢印は今や命綱だ。何せここから意図せず逸れるだけでも逃亡を企てたと見做され処分対象になるのを何度も見せられてきたから。
恐らく矢印が出なければ、不安に足がすくんで動くことすらままならないだろう。
(早く、さっぱりして……おしっこしたいよう……)
ふらふらとした足取りで72番は矢印に従い、よたよたと洗浄ブースの扉をくぐるのだった。
…………
「はぁっ、はぁっ……これ、立てないんだ……」
洗浄ブースの内部は、明らかにこれまでと様相が異なっていた。
中に入れば自動的にロックがかかるのは同じだが、ただのシャワーブースだったこれまでと異なり、ブースの壁にはブラシのような物が埋め込まれている。
天井は低く、とても立って身体を洗うことはできなさそうだ。膝立ちが限界だろう。
前面には餌皿を入れる網のような籠。
そして黒色で先端が膨らんだ棒のようなもの。こちらは上部に「洗口剤」と書かれていた。
良く見ると先端には小さな穴が開いている。これを咥えて吸えば液体が出る仕組みだと確か書いてあった。
床に描かれた円の中には二つ、肩幅くらいの間隔をあけて小さな円が描かれている。高さ的もに膝立ちで咥えろと言うことか。
(これ……ううん、私っ今何てことを……こんなえっちなこと……)
その大きさと良い形と良い、さっきまで散々見ていたアレに似ている――そんな淫らな思考を必死で振り払うも、一度意識してしまったノズルに口を付けるのはなかなか勇気が必要になる。
(違う、これはただのノズル、咥えて洗口剤を吸うだけのもの……)
何度も言い聞かせながら、72番はノズルを口にする。
驚くことにノズルは人肌のように温かく、それが余計にいやらしい思考を煽ってしまう。
先端に口付けて吸うだけでは液体が吸えない構造のようで、渋々少し膨らんだ部分をしっかり口に納めれば、ふわりと足元の円が光るや否や手が勝手に頭の後ろで組まれる。
更に、膝立ちで口を塞がれたまま身体が固まったかのように身動きが取れなくなった。
(っ……これ、拘束魔法…………)
いきなりの拘束に、さっと冷たいものが心臓を通り抜ける。
まさか洗浄すら普通にさせて貰えないのかと嫌な予感に襲われるもの、どうせ逃れられはしないのだと、諦めが先に立つぐらいには飼い慣らされていて。
(やらなきゃ、終わらない……懲罰になっちゃう……)
不安を飲み込み早々に観念した72番がちゅぅ、と先端を吸えば、散々飲み慣れた洗口剤がどぷっと勢いよく注がれる。
(ちょっと多すぎるんじゃ……)と戸惑いつつも舌を使って口内にまんべんなく行き渡らせれば、更に追加だと言わんばかりに注入が再開した。
しかし今度は蛇口の水のように止まる気配が無く、72番は目を白黒させながら飲み続けるしか無い。
(待って、こんなに勢いよく入れられたら咽せちゃう……!)
72番は溺れては溜まらないと必死で喉に絡む液体を飲み下す。
だがそんな72番を嘲笑うかのように、今度は壁から一斉に水が噴き出してきた。
「んごおぉぉぉ!!?えほっえほっおえぇぇっ!!」
突然の噴射に思わずくぐもった悲鳴を上げ、むせ込みながらも慌ててぎゅっと目を閉じる。
カランカランと激しい水流で籠の中の餌皿が踊る中、指一本動かすことのできない72番は水圧に翻弄されるしか無い。
餌皿すら「動ける」のに、と不意に悲しさがよぎるのも一瞬、浴びせられた水の温度に72番は心の中で叫んだ。
(ひぃっ、つっ冷たいっ!!まさか、お湯じゃ無い!!?)
温かいシャワーを期待していた身体は、突然の冷水による蹂躙でガタガタと震え始める。
こんな冷たい水では身体を壊してしまうと、今度こそ水に溺れかけながら不安に慄いていれば、突然身体を何かが擦り始めて「んえぇぇっ!?」とまた叫んでしまった。
流石に再度の「無駄吠え」は懲罰対象だったようで、首から全身に懲罰電撃の痛みが走るが、正直今の72番はそれどころでは無い。
(いやぁぁっ、なにこれ全身をブラシで洗われてる!?いやっそんなところまで全部……お願い、せめて自分で洗わせて……!)
目を開けることもできないから、一体ブラシがどう言う構造をしているのかもさっぱり分からない。
ただ間違いないのは、このブラシは文字通り頭のてっぺんから足の先まで、皺一つ逃すこと無く全てを擦りあげようとしているということだけ。
「んむぅぅぅっ!!ううぅぅっ!!」
(やだあぁぁっ!!腋っくすぐったい!!足っ、足の裏も脇腹もひいいぃぃくすぐったいよおっ!!)
どうやらブラシは結構柔らかいらしい。
洗浄液でヌルヌルとした無数の毛がひっきりなしに全身を撫で……特に弱いところは重点的に洗われているようで、あまりのくすぐったさに身をよじりたくても身体は動かず、それどころか痙攣すら許されないお陰で刺激を逃がすこともできない。
そして当然、洗浄と言うからには全身をくまなく洗われるわけで。
(いやぁぁぁそこをブラシで擦るのはやめてえぇぇ!!変っ、何か変なのおぉぉ!!)
72番の必死の懇願も虚しく、股間の割れ目をこじ開けてブラシが柔肉を洗い上げていく。
前後にぬちゅぬちゅと一定のスピードで擦られ続けると、こんなに冷たい水を浴びたのに身体の芯がどんどん熱くなって、頭がぼんやりとしてくるのだ。
(なに、これ……?変な感じ……?おねがい、やめて……)
下腹部がじんじんして、お尻の方にじわじわしたものが拡がって、いつの間にか蜜壺の入口をヒクつかせていることに72番は気付かない。
股間の前の方が特にジンジンして……ちょっと痛いくらいなのに、だから止めて欲しい筈なのに……止めて欲しくない。
ただこのままでは何かがダメになってしまいそうな感覚が恐ろしくて、パニックを起こしかけていた72番の様子を関知したのだろう、ピッと首輪から小さな電子音がした瞬間頭の中に霞がかかった感じがした。
(はぁっ……冷たい……寒いのに、熱い……)
執拗なブラシの動きが止まれば、すぐにまた冷水で全身を濯がれる。
まるで遠い昔に見た洗車機のようだと鎮静剤で回らない頭でぼんやり考えているうちに、洗浄は終わったのだろう。最後に一瞬竜巻のような風が吹いたと思ったら水気が完全に吹き飛ばされ、拘束魔法が解けて身体が動かせるようになった。
「はっ……はうんっ…………や……やっと、終わった……ぁ……」
時間にすれば10分程度であるが、72番にとっては永遠とも思えるような拷問じみた洗浄だったようだ。
もはや全身がくたくたで、運動よりも疲れたんじゃないかと言うくらい身体が重い。
(早く……横になりたい……)
ピカピカになった餌皿を取り出して口に咥え、ロックが解除された扉を押し開けて足取りもおぼつかない様子で72番は洗浄室を後にする。
冷たい水はむしろ身体の熱を閉じ込め、さっきよりも熱くて……全身が何だかじんじんする。
膝が、掌が、床と接地した振動すら身体に響いて、ゾクゾクするような、ボーッとするような変な感覚を送り込んでくる。
気を抜いたらその場に倒れてしまいそうだ。実際、目の前を這っていた二等種はいきなり「んああぁいぐうぅっ!!」と高い声を上げたかと思うとその場に倒れてしまい、監視のスタッフの鞭が背中に何度も振り下ろされているから、きっと皆同じ状態なのだろう。
(早く、保管庫へ……)
矢印の指し示すまま、うっかり餌皿を落とさないよう必死で口に力を入れつつ、震える手足を前へと動かす。
これまでなら歩いて2分と掛からない距離が、今日はとてつもなく長く感じた。
…………
「私、どうなっちゃってるの……むずむずして、熱くて辛いよう……!」
這々の体で保管庫に帰っても、身体の熱や疼きは収まらない。
経験のある個体なら保管庫に帰って早々汚れるのも気にせず股間の潤みに、オスならば屹立に手を伸ばしていただろうが、72番はあまりにも無知だった。
むしろ、性教育で与えられた最低限の知識と今の状況が全く結びついていないという方が正しいだろうか。とにかく72番はこの熱を発散する手段にたどり着くこと無く、これから3日間に渡り謎の疼きに苛まれることになる。
ただ、今に限ってはそれ以上に深刻な問題が発生している分、多少は気が紛れているのだが。
「おしっこ出したい……もう我慢できないよぉ……っ!」
72番はカタカタと震えながら股間を押さえる。
さっき洗浄したばかりだというのに股間は既にぐっしょりと濡れそぼっていて、床に滴る愛液に「また汚しちゃった……懲罰になっちゃう」と半泣きで舌を這わせながらも必死で太ももを摺り合わせていた。
漏れないことは分かっている。さっきこっそり漏らせないか下腹部に力を入れてみたものの、つうつうと愛液が滴るだけで膀胱を満たす液体は一滴たりとも溢れなかったから。
「おしっこ、したい……おしっこ……お願いします、人間様……おしっこさせて下さい……!」
人間様への懇願を口にしながら、72番は夢遊病者のように狭い部屋をぐるぐると回り続ける。
時折その場に跪き希うも、返ってくる声は無い。
気を紛らわそうにもタブレットに表示されているのは一日の流れを記した文章だけで、嫌が応にも意識は膀胱へと向けられてしまう。
目が潤み、耳が詰まって、なのにうわんうわんと鳴り響く耳鳴りだけは喧しくて。
外から見ても分かるほどぽっこり膨らんだ下腹部が辛くて、無意識のうちに必死に腹圧をかけ股間を指で拡げて何とか出せないものかと足掻く姿を、監視カメラの向こうではどんな顔をして眺めているのだろう。
……やっぱり、無様な二等種だと嘲笑っているのだろうか。
「おねがいします……にんげんさま、なんでもするから……おしっこ……からっぽに、して……」
何十回めかの懇願を口にしたその瞬間『給餌時間です』とアナウンスが入る。
間髪入れず72番は床に頭を擦りつけ「人間様っ499F072に餌をお恵み下さいっ!!」と必死の形相で叫んでいた。
餌皿?そんなもの、ここに戻ってきた段階で小窓の前にきっちり設置済みだ。
「…………」
数秒の静寂をはさんで、パタンと小窓が開く。
(早く、早くっ……餌っ、食べればおしっこ抜いてもらえる……!)
金属のノズルから注がれる餌を食い入るように眺める72番の耳には「すげー顔してる」「朝32分でしょ?そりゃ、ああなるわ」「人間様の命令を聞かなかったんだから当然だろ」と小声で交わされる人間様の声も届かない。
(もうちょっと……もうちょっとで、楽になれる……!!)
たっぷりと注がれた餌の上に注射器で何かをかけられ、パタンと扉が閉まった瞬間、72番は飢えた獣のように餌皿へと躊躇いなく顔を突っ込み餌を啜り始めるのだった。
…………
「はぁぁ……お腹、やっと楽になった……でも何かまだおしっこしたい感じがする……」
10分どころか5分もかからず全てを貪り尽くした72番は、ピカピカの餌皿を前に感謝の言葉を叫ぶ。
そこには朝のような不満は混じっていない。
ただ、人間様の恵んでくれた物だ、ありがたくて美味しい物だと己の味覚すら否定するような言葉を信じ込もうと必死になる憐れな二等種がいるだけだった。
夜の餌と排泄転移が終われば、消灯までは自由時間だ。
と言ってもタブレットに表示されるのは相変わらず生活の細々した命令だけだが、それでも何もしないよりはマシだと72番はタブレットを開く。
と、そこに新しく追加されている文言に気付いた。
「ええと……懲罰、完了?……朝の給餌が22分オーバー、って……」
早速読み始めた72番だったが、読み進めるほどその顔色が悪くなっていく。
追加で表示されていたのは、今更ながら知らされる朝の餌の懲罰だ。
この施設で使われる浣腸液は二等種専用の大量浣腸・腸洗浄剤で、本来3リットルを注入し10分以内に転移することが望ましいとされていること。
10分を過ぎると急速に水分が大腸から吸収され、一日の水分摂取量を大幅に上回ること。
尿の転移は12時間に1回のため、本来なら尿意が強くなっても行動に支障が出るレベルまでは蓄積されないが、餌を食べるのが遅くなればなるほど夜の排泄転移までの時間が大変になること……
「そんな……ちょっと食べるのが遅かっただけで、こんな辛い目に遭うの……?」
あまりにも無慈悲な、そしてシステマチックな懲罰に目の前が真っ暗になる。
どうしてここまで、と思いかけて、いや、二等種だからここまでされるのだと「賢い」頭はすぐに納得できる答えを導き出す。
「……私は、二等種…………モノだから、こうやって管理されて当たり前なんだ……」
全てを諦めきった表情で、72番はぽつりとタブレットを見つめたまま呟く。
絶望と虚脱感に襲われるのも無理は無い。虚ろな瞳で見つめる先にはもう一つ、72番に絶望を与える文章が……これから自分の身に降りかかる懲罰が追加されていたのだから。
『運動時の給水は餌皿1杯を目安とすること。大量に摂取した場合、夜の排泄転移時間頃から遅効性の強烈な利尿効果が現れ、睡眠に支障が出る可能性がある』
…………
「お疲れ様です、引き継ぎを始めます」
「はい。49系223体、日勤帯の処分個体無し。懲罰個体は朝の給餌219体、運動時間帯32体、洗浄時7体、夜の給餌で105体です」
「2日目としては平均的か、1週間もすれば大分減ってくるだろ」
「はい。猶予期間につき鞭での懲罰は幼体基準になっていますので注意して下さい」
その頃、初期管理部のモニタールームでは夜勤への引き継ぎが行われていた。
幼体管理部と異なり、夜勤帯の二等種は保管庫から出すことはなくAIによる自動監視で事足りるため、夜勤スタッフは昼間の3分の1程度である。
仕事内容も重労働なのは早出スタッフと総出で行う朝の浣腸と給餌くらいで、夜勤と言いつつも当直並みにはゆっくり寝られるのに手当もつくため、矯正局に配属された若いスタッフはこぞって初期管理部の夜勤を志望するという。
テーブルにどんと置かれた誰かのお土産だろうおやつを食べながら、淡々とその日のデータと要注意個体が報告される。
管理官はそれを元に指示を出し、担当スタッフはその指示をカルテに記載しつつAIに次々と入力していく。
初期管理部では二等種の生き物としての尊厳をとことんまで打ち砕き、今後の本格的な調教への橋渡しとするのが最大の目的だ。
ただ6年かけて教育してきたとは言え、あまりの扱いの変化に精神的に不安定になった結果、凶暴になったり逃亡を図ろうとする個体がごく稀に発生する。
初期管理部では幼体管理部の飼育と加工により危険な個体は既に排除されていると考えるため、こういった個体に対しては基本的に「ただのシステムエラー」として処置を行う。
「M089が夜の餌の後に精神崩壊の兆しを見せましたので、発情剤を室内に噴霧。更に首輪からの魔法により一時的に造精能力を向上させています」
「今は落ち着いてる?」
「はい、こんな感じです」
スタッフの一人がタブレットを見せる。
そこには499M089と下腹部に刻印されたオス個体が何やら譫言を呟きながらうつ伏せになり、狂ったように腰を床に擦り付ける姿が流れていた。
「うあぁ……きもちいい、きもちいぃ……もっとちんぽもっと…!」
目の焦点が合わず涎をダラダラと垂らす姿は、彼に投与された薬剤や魔法がいかに強力な……人間に使えば廃人コースまっしぐらの危険なものかを良く表している。
落ち着いているとは到底思えない光景に「これ……大丈夫なんですか?」と尋ねるのは、2年目の若者だ。
心配そうな表情は決して二等種への同情からでは無く、大切な素材を壊せば責任問題になることへの不安にすぎない。
「人間なら大丈夫じゃ無いけど、これ二等種だからな」とさらっと答えるベテランもだが、目の前で自慰に耽る二等種を見る目はどう見ても生き物に向ける眼差しでは無かった。
「伊達に6年間もかけて『加工』してないよ。どんな危険な薬剤だろうが魔法だろうが、二等種の身体は決して壊れない。とは言え精神はね……『解禁』までの3日間は全製造工程の中でも3本の指に入るくらい壊れやすい時期だから、夜間も気をつけた方が良い」
「消灯後は怪しい個体の部屋に睡眠ガスを噴射するのも一つの手だよ、あんまり多用するとコストが掛かって始末書ものになるけど」
二等種は最初の3日間で、性にまつわること以外では二度と人間様の真似が許されない現実を突きつけられる。
敢えて一切の娯楽を与えず、暇になればタブレットに書かれた命令を読み、股間から垂れる体液で床を汚す度に懲罰に怯えひたすら舌で清掃するだけの生活で、わずかに残った尊厳を打ち砕き「二等種の生活」という新しい常識で塗り潰すのだ。
二等種にとっては眠っている時間以外、ずっと苦痛と悲嘆と絶望しか感じない3日間。
だがこの3日間があるからこそ『解放』後の二等種は人間の思い通りに自らを調教し始めるのである。
そうして1ヶ月も経てば、スタッフは給餌と監視と……堕ちていく様をコーヒーでも飲みながらのんびり眺めるのが仕事になる。だからこそ初期管理部は3つの部署の中で最も人気が高い。
「そういや48系って今どうなってるんだっけ」
「えーっと……入荷246体中203体出荷済み。1年で出荷率82%って凄いわね、あと半年あるし85%越えるんじゃ無い?」
「マジで?85%行けば確かボーナス出るよな?俺らのためにもとっとと出荷されてくれないかなぁ」
既に彼らの関心は、昨年入荷した個体には無い。
ここに来るようなスタッフの目を楽しませるのはあくまでも人の形をした物体がモノに堕ちていく過程であり、既にほぼ堕ちきった個体から摂取できるものなど新鮮な個体に比べれば出涸らしのようなものだから。
『腕が痛い……もう止めたいのに……もっと……はぁっ…………』
(なんで……何でいくら出しても収まらないんだ……気持ちいい……っ!)
幼体の頃に散々自慰を覚えた個体は、どれだけ達しても満足できず疲労と痛みに苛まれながらも必死に性器を擦り続ける。
『お願いします、おしっこ空っぽにして下さい!ちゃんと言うこと聞きます、餌も嫌がらずに食べます!!だから、お願いしますっ!もう無理、おしっこしたくて頭おかしくなっちゃうのおぉっ!!』
運動時間にたっぷり水を飲んだ個体は、転移から30分もしないうちに外から分かるほど尿を溜め込んだ膀胱からの切迫した尿意に、必死で誰もいない空間に向かって叫び懇願する。
(ああ、舐めても舐めても溢れてくる……休んじゃダメ、また電撃が来る……床、綺麗にしなきゃ……)
そして熱を納める術をまだ知らない個体は、懲罰に怯え床に溢れ続ける己の愛液をぴちゃぴちゃと音を立てて一心不乱に舐め続ける。
どの個体にも共通するのは、その瞳に浮かぶ恐怖と絶望の色。
「精々俺たちを楽しませろよ、それくらいしかお前らには能が無いんだしな」
モニターに映る二等種達を鼻で笑いながら、スタッフ達は満足げな様子で引き継ぎを続けるのだった。