第11話 Week2 環境適応訓練
消灯のブザーが鳴れば待ちかねたかのように倒れる身体、そして途切れる意識。
しかし束の間の断絶は、次の瞬間には何事も無かったかのように繋がり、その境界が明らかになることは無い。
(……今日は……消灯まで、倒れずにいられたんだ)
つい先ほどまで続いてた「昨日」に姿勢を保てず懲罰電撃を食らう事が無かったのは、訓練が始まって以来初めてかもしれない。
……ああ、もうこの生活が始まってどれくらい経ったのか。昨日と今日に区切りの無い地続きの意識では、日数を数えることすら困難だ。
「んぐぅ……」
唸り声を上げながら、72番は身体をそろりと起こす。
確かに修復時間――睡眠はきっちり取った後なのだろう、「先ほど」まで感じていた身体のだるさは全く感じないし、酷使しすぎて痙攣が止まらなかった足もぴたりと静止したまま姿勢を維持している。
――72番の訓練開始から、既に1週間が過ぎていた。
あの日からやることは概ね変わらない。指一本動かせないほどの疲労が取れ、シャッターが開けば餌と浣腸。保管庫から取り出されれば訓練室で筋トレ、その後は奉仕訓練、餌を貰ってウォーカーで歩き保管庫に収納される、の繰り返しだ。
(次は浣腸と餌……いただいたら、筋トレ……またノルマが増える……)
回らない頭で、72番は「今日」を思う。
訓練の内容は、どうやらこれまでの成績に合わせて変化するらしい。72番に課せられる筋トレは明らかに負荷が上がっていたし、104番は負荷こそ72番ほどでは無いが柔軟体操の時間を増やされていた。
夕方のウォーキングも初日に宣告されたとおり、いつからか四足歩行で行うようになった。ただ、72番はただの四つん這いなのに対して、104番は手足を折り曲げた状態でベルトで締め上げられ、膝と肘に分厚いパッドを付けた状態で歩かされている。
あれは初日から懲罰点を貯めたせいなのか、それとも人間様の製造計画の一つなのか……そこまでは72番には分からない。ただ、あの体勢で歩くのはしんどそうだなと少々気の毒に思うだけだ。
ちなみに奉仕訓練のディルドや今も胎と喉を埋め尽くしている拡張器具も、恐らくサイズを上げられているのだろうが、正直この生活に慣れるので精一杯でそこまで気が回らない。
きっとこうやって訓練と苦痛に翻弄されているうちに、肉体は変えられてしまうのだろう。確かにその方が余計な不安を感じなくて良いのかも知れない、と72番はしかし人間様の「配慮」に今日も顔を顰めていた。
(痛い…………腹筋が、太ももが、ふくらはぎが死ぬほど痛い……!!あそこもズキズキする……いくら何でも引っ張りすぎだよぉ、ずっと痛みと腫れが引かない……っ)
悲しいかな72番の身体は、24時間収まることの無い痛みに悲鳴を上げていた。
たった3週間で性処理玩具として必要な筋力と体力を付けようと言うのだ。人間様ならオーバーワークで確実に身体を壊しているであろう訓練量を、回復魔法なるチートで無理矢理詰め込まれた身体は、確かに性能面では翌日の訓練に問題を残さないように配慮されている。
ただ、それは文字通り「性能面」だけで。
(……こんな酷い筋肉痛、バレエをやってた頃にもなったことがなかったよ……!むしろ肉離れ!?全身が肉離れを起こしてるみたい……)
日を追う毎に、痛みを訴える場所は増えていく。
もしかしたら最初の頃に蓄積した筋肉痛はもう軽減しているのかも知れない。だが、それ以上にかけられる負荷のお陰で、楽になる日は全く見えない。
何より酷いのは、股間の敏感な突起だ。
事あるごとに穿たれたリングを鎖に繋がれ、引かれ、電撃で形容しがたい激痛を叩き込まれ続けた肉芽は、ここに来る前より二回りは大きくなっただろうか。あまりにも腫れすぎて割れ目からは完全にはみ出しているし、こうやって身体を動かす度にリングが揺れて悶絶しそうになる。
股の間の敏感な器官は、実際にはかなり体内まで続く大きな組織だと昔習ったことをふと思い出す。まさか、大きくするために中から無理矢理引きずり出す気なのか。人間様の趣味はいまいちよく分からない。
(痛い……うう、鎖の重さが響く……揺れないでぇ……)
72番はそろりと爪先立ちになり、ゆっくり股を左右に大きく拡げる。
惨めにも大きくはみ出した真っ赤な肉芽は、柔肉のちょっとした擦れにすら飛び上がるほどの痛みを生じさせる。だから、何にも触れないこの姿勢が結局一番苦痛が少ない。
(……手は、頭の、後ろ…………)
誰に言われたわけでも無く、72番は鎖で繋がれていない両手を頭の後ろで組む。まるでそこが定位置だと、見えない拘束を受けているかのように。
(ベルが鳴ったら、餌…………欲しい?欲しく、ない……?もう、分かんないや)
分からなくても、別に問題はない。
だって何を望もうが、何も望まなかろうが、自分にはこの現実を何一つ変えられないから――
72番はぽつりと浮かんだ思考を放棄し、いつものように真っ暗な部屋でドアの方をぼんやり見つめつつ、起床のベルを、そして奉仕訓練と拡張を兼ねた餌を待つ。
誰が見ているわけでも無い、命じられたわけでも無い。
なのに自ら股を開き入口に向かって濡れそぼった秘所を見せつけ、性処理用品の基本姿勢を無意識に取ってしまっている事実には、つゆほども気付けずに。
…………
「随分姿勢がしっかりしたな」
「…………へ……?」
餌が終われば、72番はいつものように訓練室へと移送される。
気のせいかいつもより距離が長い。といっても保管庫を出た段階で視界はアイマスクに覆われているし、今日は痛みが強くて足が止まりがちだった分懲罰電撃の回数も多かったから、長く感じたのかも知れない。
まだ104番は来ていないのだろう。目隠しを着けたまま待機を命じられた72番はいつものようにすっとその場にしゃがみ込み股を開いた。
もはやそこに羞恥心は無い。そんなものを感じるほどの余裕は、とうの昔に消え失せてしまった。
そんな状況で突如かけられた、ヤゴの言葉。
最初は自分に向けた言葉だとは認識できず「72番、聞いているのか?」と背中を鞭打たれて、ようやく72番は自分が褒められていることに気付いた。
(…………え、今、調教師様は……褒めてくれた……?)
信じられない、という表情でヤゴ声のした方に首を向けるが、余計な言葉を発さない彼からはとても真意を汲み取れない。
ただ、さっきの声に余計な感情は見当たらなかったな、とふと気付く。
もちろん人間様だって、命令に従えば褒めてくれる。特に幼体の頃はそれなりに褒められていた気がする。
けれどその言葉に込められた感情はいつだって侮蔑混じりだった。
……そのこと自体に72番が抱く感情は無い。自分は二等種で、人間様に害を為すモノに過ぎないのだからむしろ当然の扱いだと納得すらしている。
(えっと……喜んで、いいのかな……私、二等種なのに褒められて……)
だから、褒められる事はいつもどこか分不相応だと感じて、どうにも居心地が悪くなる。
自分は褒められることなどあってはならないモノなのだと、植え付けられた躾が囁く。
それでも。
分厚い「教育」の雲に覆われた、今ではその存在を本人にすら忘れ去られている愛情に飢えたままの無垢な心は、無意識に甘露のような褒美を飲み干すのだ。
そして一度味を占めれば、もっと欲しいと数少ない経験から導き出した行動を無意識に取ってしまう。
――それが到底生き物としての道を外した破滅的な行動であろうが関係無しに。
「あ……あいあぉぅ……おあぃあう……」
「…………その調子で励め。そうすりゃお前は立派な性処理用品になれる」
「!あい……」
(全く、管理官様の指示の適切さったらありゃしねえ)
口枷に穿たれた口角から涎を垂らしつつもどこか嬉しそうにはにかむ72番に、ヤゴは複雑な面持ちだ。
何気ないフリをして褒め、自ら性処理用品へと心身を堕とす一助とする。これは人間様には出来ない手法である。
単純に考えれば人間様からの褒め言葉の方が効果は高そうに思えるが、残念ながら彼らにとって二等種に余計な感情を抱かずただ褒めることは至難の業らしい。
だから管理官は、作業用品を使ってここぞというタイミングを見計らって素体を褒める。その効果は……目の前でどこか誇らしげに股間を見せつける哀れなメスを見れば、一目瞭然だろう。
(ま、それでいいさ。余計なことを考えず、俺や人間様の言葉に踊らされ、堕ちていけばいい)
それこそが、彼女にとって最もマシな未来を掴む道となるのだから――
(にしても、相変わらずイツコは遅ぇな……1週間経つし、そろそろ棺桶の効果が薄れてきたか?それともまた『発作』か……)
チャリチャリと手にした鎖を鳴らしつつ、ヤゴはいつまで経っても現れない作業用品を案じる。
その目の前では、実際に1週間の訓練で随分足腰がしっかりしたのだろう、基本姿勢で身じろぎもしない72番の股間から、またとぷりと濃厚な愛液が吐き出されていた。
…………
暗闇に、裸足の音と鎖の音が近づいてくる。
「やっと来たか」とどこかホッとしたようにイツコに話しかける声と共に背後で扉の閉まる音がして、アイマスクを外された72番の視界が明るくなる。
だが、目の前に広がる光景は予想外のものだった。
(……狭い部屋…………いつもの訓練室じゃない?というか、そもそもまだ部屋じゃないよね……)
保管庫と変わらないくらいの広さの部屋。
目の前には扉があって、さっきの音から察するにここは二重扉なのだろう。
そして「ごめんごめん、これがなかなか動かなくてさ」と笑うイツコの足元には、いつものように104番が基本姿勢で佇んでいる。
項を垂れ息を荒げている様子を盗み見るに、朝から随分お疲れのようだ。
「大分辛そうだな。ま、オスは良くあることか」
「もう1週間だしね。ふふっ、もう限界って顔ねぇ……」
「ぐっ……うぐうぅぅっ……!!」
104番がどこか悔しそうにイツコを睨む瞳には、力が無い。
それでも睨もうとする当たり、借りてきた猫のように大人しく震えていた訓練初日に比べると、多少イツコへの恐怖は薄れてきているのだろう。
と、突如104番が呻き声を上げて前屈みになる。
「あーあーもう、お構いなしねぇ」と嬉しそうなイツコが背後に回り無理矢理姿勢を正させて「ほら、72番にも見て貰いなさいな」と耳元に舌を這わせれば、声はますます悲痛な色を帯びた。
「ちゃんと見たことは無かったでしょ?折角だから見せてあげる。ふふっ、子ネズミちゃんはメスで良かったわね」
「んえ……?…………うえぇぇ……!」
イツコの細長い指が指し示す先、104番の股間には訓練で見慣れた金属の貞操具が鎮座している。
そして本来中心でいきり立っている筈の欲望は、何とか元の姿を取り戻そうと足掻き、阻まれ……まるでボンレスハムのように赤黒い肉をフレームに食い込ませていた。
先端からはつぅつぅと透明な液体が糸を引いているが、これはどう考えても快楽の涙では無さそうだ。
(えええ、あれ痛いよね!?てか、痛いのにずっと大きいままなの?大丈夫なの!?)
あまりの見た目に72番が目を丸くすれば「もうね、こんな痛みでも萎えないくらい溜まってるのよ」とイツコがつんつんと股間を指す。
残った手は先ほどから胸元に回され、104番の肌をさわさわと撫で擦り、時折ぎゅっと抱き締めていて、その度にぴくんと中心は揺れ、涙を零すのだ。
「オスはメスと違って、何もしなくたって溜まり続けるし、出したくなるのよねぇ。だからほら、こーんな刺激でも」
「ひぎっ!?」
「すぐ大きくなっちゃうし……ね、もう玉だってパンパン。ねぇ、毎朝激痛で起こされて、一日中ムラムラと苦痛の間を行ったり来たりするのを繰り返すのって、どんな気持ちなの?」
「やぁぁ……っ!!」
(分かってるなら、もうこれ以上煽るなよ……っ!くそっ食い込んで痛い……こんなことをしていたら、マジでチンコが腐り落ちる……!!)
初日にコニーから囁かれた言葉が、頭の中で反響する。
オスの証を失う恐怖に104番は躍起になって中心を鎮めようとするものの、作り替えられた身体を勝手知ったると言わんばかりに刺激されれば、普段からマイペースな分身は言うことなんて聞いてくれやしない。
せめて起きている間は大人しくしていて欲しいのに、興奮した身体は容易に体積を増やそうとするし、何よりここしばらくの訓練内容がオスには過酷すぎる。
「最初の1ヶ月は仕方が無いな。ま、奉仕訓練の辛さは同じオスとして理解するが」
「ほんっとオスって飢えたサルみたいよねぇ……メスには理解できないわ、なんで異性の性器を見ただけであんなに反応するのか」
「個人的には理解して欲しいが……できなくて良いんだろうな、じゃなきゃ異性を担当する意味が無くなる」
奉仕訓練は8週目に入るまで毎日あるわよと付け加えるイツコの笑顔に、104番はくらりと絶望混じりの目眩を覚えるのだった。
…………
訓練2日目から追加されたのは、全てのオスが一瞬「これは楽そう」と喜びそして次の瞬間には絶望する、女性器への奉仕訓練である。
人間様のあらゆる性的な欲求に対応できなければ、とても完璧な性処理用品とは呼べない。
そして、性処理用品を使うのは男性だけでは無い。確かに割合としては少ないが、女性が奉仕を命令することだってある以上、当然のようにスキルは習得させなければならないのだ。
この訓練は、メスにとってはそれほど大変では無い。
同性への奉仕に対する嫌悪感は、精神安定剤として脳に結びつけられた愛液の味で随分薄らぐからだ。
だがオスにとっては、本物と遜色ない『訓練器具』故に欲望を大いに刺激され、かつ貪ることは許されない……つまり、ノルマを果たすまで延々と股間からの苦痛に苛まれなければならない地獄と化す。
それはメス堕ちに抵抗の強い104番のような個体をして、気まぐれな己の中心が大人しく苦痛に調教され、オスとしての機能を捨て去る日が一刻も早く来て欲しいと、1週間も経たないうちに強く願うようになるほどだ。
「その股間の役立たずがちょん切れる前に、聞き分けるようになればいいわねぇ?」
「がっ……!!」
くん、とテザーから伸びる鎖を引かれ、104番の身体に新たな痛みが加えられる。
思わずよろけて膝を突けば、更に追加された懲罰電撃に思わず白目を剥いた。
(もうやだ……こんなの、耐えられねぇ……!!)
誰か、助けて。
身体を起こすことも忘れて心の中で弱音を吐く104番にうっとりしながら「ほら、さっさと基本姿勢に戻りなさいな」と鞭を降りつつ、ふとイツコは隣の様子に気付いて――先に気付いたのは管理官だが――微笑む。
「……あら、この出来損ないのせいで連帯責任を食らったのに、お利口さんでいられたのね、子ネズミちゃん」
「ふぐ……っ…………」
「お姉さん、聞き分けの良い子は大好きよ。ほら、あんたもいい加減に起きる。じゃないと頑張ってる子ネズミちゃんが可愛そうじゃないの!」
「うぎゃぁっ!!」
(くそ……何で……こんな天然モノのほうが優れてるなんて、ありえねぇ!)
二等種にお前は劣っていると断じられる屈辱という随分な助け船により、104番は怒りを原動力にしてよろよろと体を起こし基本姿勢を取る。
この胸のムカムカする感じは、決して喉の奥まで伸びた口枷のせいでは無い。
「やれば出来るじゃ無い、少しは子ネズミちゃんを見習いなさいな」と自分と劣等種を比較するイツコの言葉に、そしてどこか嬉しそうに……104番の目には優越感を瞳に浮かべているようにすら見える72番の姿に、どうしようもなく苛立ちが止まらない。
(…………くっ、だめだ落ち着け)
だが、幸いにも初日に刻み込まれた恐怖が、それ以上の感情の暴走を、発露を封じ込める。
どんな屁理屈だって良い、この怒りを収められるなら、怒りにまかせて最悪の結果を招くよりはずっと――
(褒められようが、性処理用品なのは変わらねぇ。……こんな所で優劣を競うだなんて、馬鹿馬鹿しい)
104番の出した結論は、確かに真理であった。
……惜しむらくは、苦し紛れに辿りついた屁理屈という先入観が104番自身にあったこと。
彼は2時間後、偶然たどり着いた事実を揺さぶられた感情故にあっさりと投げ捨てて、再び煩悩の渦の中に飲み込まれる羽目になる。
…………
内側の扉を開けた途端、素体達を襲ったのは既に忘却の彼方にある感覚……否、衝撃だった。
(え……なに、あっ、暑い!?)
(なんだこれ!?身体が焼ける、空気まで熱くて……頭がイカれる……っ!!)
突然の熱波に呆然とする二体の尻を打ち「ほら、ぼさっとしないで入れ」と作業用品達は何食わぬ顔で鎖を引く。
背後で扉が閉まれば、もはや熱さで満たされた部屋には逃げ場が無くて、あまりの不快さにどうにも身の置き所が無い。
呆然と佇む素体達とは対照的に、作業用品達は平然とした顔で訓練の準備を始める。
「今日から、四足歩行の訓練と同時に環境適応訓練を行う」
ヤゴがいつものように前に立ち説明を始めれば、アシスタントの作業用品は素体を牽引する鎖を股間から首へと繋ぎ替えた。
「ウォーカーの歩行訓練で、長時間歩くことにも慣れてきただろう?今日からは人間様の指示に従って歩く訓練だ。ああ、これからは基本姿勢から首輪に鎖を付けられれば四つん這い、股間なら二足歩行を徹底すること。……といっても人間様の前で二足歩行になることはまず無いが」
ようやく股間の重みから解放されたとホッとしたのも束の間、股間のリングには鎖付きの錘のようなものが取り付けられる。
促されるままに地面に手を突き四つん這いになれば、手枷と足枷にも鎖を繋がれる。地上での動きを想定した訓練では、必ず拘束を施す決まりだそうだ。
更にアシスタントの作業用品は後ろに回り込み何かを確認しては「あ、ちょっと短かった」と鎖の長さを調整している。
どうやら股間の鎖は、姿勢を保っていればセンサー付きの錘が床に触れない程度の長さにするらしい。
(あ、これは……)
(……つまり姿勢を保てないようなことをやらせる気だな)
たった1週間で散々見せつけられ食らわされた訓練と懲罰のお陰で、何となくこの鎖の意味が分かってしまうのが何とも悲しい。案の定「へばって錘が地面に触れたら懲罰な」と宣告するヤゴの言葉に、相変わらず人間様は鬼だと104番は心の中でそっと悪態をついた。
(にしても)
これはすげぇな、と104番はキョロキョロと周囲を見回す。
どうやら72番も同じ気持ちだったのだろう。ふと目が合ってしまえば、72番は慌ててふいと目を逸らした。
――ああ、その態度も俺を苛つかせる。
(屋外……じゃねえよな、どう考えたって)
(すごい、本物の地面みたい…………多分、だけど……こんなのだったよね、地面って)
その部屋は、これまでの無機質なリノリウム張りの床ではなかった。
天井が空のように青く人工の太陽が光っているのは、運動場でも散々経験したから珍しくも無い。
だが、地面は運動場のような人工芝ではなく、本物のアスファルトや土のような材質だ。
初等教育校の運動場くらいの広さはあるだろうか、だだっ広い空間には楕円形の道が作られていて、ご丁寧に白いラインまで引かれていた。
数年ぶりに触れたまともな(?)地面の感触に、ふと地上での思い出が蘇る。
けれど、感傷に浸るような余裕はとても二体にはない。
「はぁっ……はぁっ……うぅ…………」
「んぐっ、はっはっはっ……」
息を荒げれば、鼻腔が焼けるような熱風に身体は余計に熱を溜め込んでいく。
ぽたり、と水滴が地面に落ちれば、直ぐに乾いていく。
落ちるのは涎や恥ずかしい液体……だけではなく、全身から吹きだしている汗もだ。
そう、この部屋は呆れるほどに暑い。
運動場とは威力が桁違いの人工太陽は容赦なく素体達の背中に降り注ぎ、肌の焼ける音が聞こえてきそうなほどだ。
土のような地面も、火傷しそうなほどに熱い。これで何の覆いも無いままあのアスファルトの上を歩かされるのかと思うとゾッとする。
(あれ、でも……暑い、なんて感じたのはここに来て初めてかも)
今思えば暑さ寒さを感じる事はなかったな、と気づいた72番の思考を読んだかのように「二等種は」とヤゴが口を開く。
その顔はいつも通りの平静さを保っていて、とても同じ環境にいる生き物とは思えない。
「二等種は、暑さ寒さに対して極端に弱い。正確には肉体はどんな環境にも適応できるように『加工』されちゃいるが、そのままでは環境の変化に非常に敏感なんだよ」
四季のある地上とは異なり、二等種管理区域である地下は、1年を通して同じ気温に保たれている。年間の気温差は±0.3℃に収まるという精密さだ。
これは気温の変化により二等種に時間や日にちの感覚を持たせないため、また気候というストレスを排除することで均一な管理を可能にするためである。
そんな中で6年以上飼育されてきた二等種の心身はどうなるか。
――端的に言うと自然界ではあり得ない緩さに「適応」してしまうのだ。
地上であっても、四季のある国に住んでいる人間ならば何とも感じないような気温差に、常夏の国に住んでいる人間は敏感に反応する。
たった2℃最低気温が下がっただけで風邪引きが大量発生し、身体を温める鍋料理の店が繁盛する、そんな国もある。
まして、完全に一定の気候という自然界ではあり得ない実験室のような環境で培養された二等種がどうなるかは、想像に難くない。
つまり彼らは現時点で、心身共に12年感じてきた季節を綺麗さっぱり忘れている。この状態で地上に出せば、ちょっとした暑さ寒さを殊更強烈に感じ、結果として性能を落とし使い物にならなくなるのだ。
「地上に出荷するためには、地上の気候に心身を慣らす必要がある。といっても本来身体は適応できているから……どちらかというとこれは、感覚に慣れる訓練だな」
「あ、慣れたところで暑さも寒さも変わらないわよ。ただ、どれだけ暑かろうが寒かろうが動けるようになるだけね。性処理用品だし、奉仕が出来れば問題はないわ」
「……うぅ…………はぁっ……」
(だめだ……頭、ぼーっとして……地上の夏ってこんなに暑かったっけ……)
(つまりここは真夏仕様ってことか……良くこんな気候で俺、ボールなんか蹴って走り回っていられたな……)
いつも通り丁寧な説明も、この暑さでは半分も頭に入っていない気がする。
それはヤゴも分かっているのだろう「ま、とにかく慣れろってだけだ」とアシスタントから渡された鎖を握った。
「脚側行進……ああ、人間様の足元をつかず離れず歩くことな、これは色々とルールがあるんだがその辺は歩きながら体験して貰う。まずはこの環境で一定の速さで歩くことに慣れろ」
「ちなみに今日は見ての通り酷暑環境ね。気温は41℃だそうよ。極寒訓練もあって、そっちは-41℃だったかしら……あら、またいい反応ねぇ!心配しなくてもどちらも地上で観測された気候だから酷くはないし、二等種の身体は裸体で適応できるように作られているから死にはしないわ」
「「はあぁぁ!!?」」
(ちょっと待って、それ私の知る地上の夏じゃない!!)
(うっそだろ!?そんな状態のアスファルトの上を歩く!?それ、ただの拷問ってやつだろ!!)
何気なく告げられたこの仮想環境の数値に、素体達は全力でありえない!と目を見開き唸り声を上げつつ、しかし首輪を引かれれば懲罰怖さに灼熱のアスファルトに向かって必死に手足の鎖を鳴らすのだった。
…………
「……ほら見てみろ、ちょっと赤くはなっているが火傷はしていない。この程度で傷つくような身体じゃないからな」
「だから言ったのよ、慣れるしか無いって。さ、これ以上へばってたら更に懲罰を増やすわよ?」
「うぐぅ……」
「はぁっはぁっはぁっ……おえぇ……っ」
鉄板で焼かれる食材の気持ちが、今なら手に取るように分かる気がする。
確かに気温は41℃かもしれないが、暴力的な人工太陽に照らされた地面の温度はそんな可愛らしいものではないだろう。陽炎も立っているし、これなら目玉焼きくらいは焼けるかもしれない――
そんなことを思いつつ、というより何か余計なことでも考えて気を紛らわさないととても歩けないと、72番は熱された地面に震える手足を押しつける。
その度にじゅっと音がしそうな程の熱さと痛みに襲われて、思わず飛び上がりそうになるのを必死で堪えて……だから体感としては手のひらも膝から下も酷い火傷を負っていそうなのに、ヤゴの言うとおり強化された身体は傷一つできやしない。
(いくら火傷しないったって……熱いし痛いよぉ……こんなの、本当に慣れるの……?)
何周歩いたって、痛みがましになる事は無い。手のひらを、膝をつく度に新たな痛みを上書きされる。
これから死ぬまで、ただ歩くことすら苦痛を伴うのが常識となる……一歩地面を踏みしめる度に刻み込まれる現実に、72番は暗澹たる想いを抱きながら、無心で前へと進んでいく。
一方その隣では、あまりの痛みに少し歩けば痛みに悶えて足を鈍らせ、それどころか反射的に立とうとしてしまう104番にイツコ達が難儀していた。
「往生際が悪いわねぇ、どれだけ熱かろうが歩くしか無いの、よっ」
「うぐっ……!」
「ったく、寝そべれば電撃だからって立とうとするとか……イツコも気の毒にねぇ、いくら甚振って遊べるったって出来損ないじゃつまらなくない?」
「うぅ……っ!!」
(だれが出来損ないだ!!お前らも歩いてみやがれ、そしたら俺の気持ちだってちょっとは……いや、待てよ……?)
頭上から聞こえた嘆息に104番はキッと作業用品を睨み付けたものの、ふとあることに気付く。
――こいつらも裸足じゃねえか、と。
(いやいや、こいつらは作業用品だからきっと熱さを感じないように何かをされているんだ)
どう考えたってこの熱さに慣れるわけが無い、そう首を振っていれば管理官と話をしていたのだろうイツコが「やっぱり矯正器具がいるわねぇ、これだと」と寄ってきた。
その手には何やら緩く波打った黒いバーのような物体が握られていて、それを目にした瞬間ヤゴが「げっ」と渋い顔をする。
「それ……使うのかよ」
「ええ。四足歩行を身体に覚え込ませるまでは着けた方が良いって管理官様が。……ああそっか、調教体験の時にヤゴにも着けたわね。作業用品なら知ってた方がいいって」
「ああ、全く知らなくて良かったけどな!お陰で素体に着けられる度、こっちまで痛くて仕方が無いんだが!?」
(は?何だよ、また痛い事を増やすのかよ……)
バーは良く見ると2枚の厚みのある板が合わさった形状のようだ。両端にあるネジでぴったりと合うように固定されていて、真ん中には溝が掘ってあるから穴が開いているように見える。
一体これがどのように矯正器具として使われるのやら、104番にはとんと見当もつかない。
つかないが……あの作業用品の顔は、どう考えても碌な方法では無いと見た。
ヤゴの言葉に怯えた表情を見せる104番に「言うことを聞いてたらそこまで痛くないわよ、多分、ね?」とふっとイツコは笑う。
そうして四つん這いで項垂れる彼の後ろに回り込み「じっとしてないと……大変な目に遭うわよ?」と言いつつ
「!!」
むんずと急所を掴んだ。
「ひっ……!!」
「ほら、動かない。潰れちゃっても良いのかしら?」
「っ!!」
流石急所と言うだけあるわね、とパンパンに張ったふぐりを掴まれた途端足がすくんで動けなくなった104番を笑いつつ、イツコはそのまま睾丸を後方にぐいっと引っ張る。
そうしてネジを外した部品をアシスタントから受け取れば、溝の部分を通すように袋を限界まで引き延ばし、そのまま上下の板で挟んでくるくるとネジを締め上げた。
根本に板状の枷を付けられたような状態の睾丸は、太ももに阻まれ伸ばされたまま固定された形だ。
「はい、できあがり」と手を離されても、あり得ないところにテンションをかけられた股間が気になって、動くどころでは無い。ただ、確かにイツコの言ったとおりじっとしている分にはそこまで痛みは……いや、それなりには痛いが、少なくともやたら浴びせられる先端への電撃に比べれば酷くは無い。
動けと言われればまぁ、動けない程では無いと思う。
これのどこが、あらゆる性処理用品の苦悶を知っているはずの作業用品にそこまで渋い顔をさせるのか。
理解できない、と首を傾げていた104番の鎖を「ま、直ぐに分かるわよ」とイツコは徐に鎖をぐいっと引いた。
1突然の動きによろけた104番は、思い切り掌と膝をアスファルトに押しつけてしまい「ぬぉっ!!」と熱さに反射的に上半身を起こそうとする。
その瞬間
「…………!!」
声にならない鋭い激痛が、下半身を襲った。
(…………な…………に……が…………!?)
あまりの痛みに、何が起こったのか全く分からない。
ただその場に崩れ落ち、丸まって痛みが引くのを待つしか無い。
地面に触れている皮膚が焼けるように痛くて悲鳴を上げているが、正直そんなものはこの痛みに比べれば子供だましのようなものだ。
「うわー、痛そう-!」
「あははっ、ほんっと良い反応するわぁ!!あーあー、鼻水垂れちゃってる。ふふっ、無様に泣き叫んじゃえば?今なら電撃もそんなに痛く感じないわよ」
「ねぇイツコ見て!たまたまが絞り出されてぷりっぷりになってる!真っ赤になってるの、可愛くない?ね、デコピンしてもいいかな?」
「う゛…………っ……!!」
目を丸くする72番の前で、メスの作業用品二体は大喜びだ。
囚われた急所が、何故か彼女たちには随分愛らしい物体に映るらしい。おまけの一撃を食らった104番は声も出せずに口角から泡を吹いている。
一方、ヤゴ達オスはどこか青い顔をして、少しだけ同情的な視線を104番に投げかけていた。
「…………ったく、見てるだけでこっちまで気分が悪くなるな……」
「俺、大抵のことは楽しめる雑食だけど、玉責めだけはだめだわ……」
(そう、思うなら……止めろよ…………っ!こいつら鬼畜にも程がある……!)
ひとしきり盛り上がって満足したのだろう、イツコがぐっと地に伏した104番の髪を掴み上げる。
「……ねぇ。さっさと姿勢を正さないなら、無理矢理立たせてあげようか?」とイツコがいつものように口角を上げれば、104番はまだ身体に力が入らないのだろう、ガクガクと身体を震わせながらも慌てて恐怖に顔を引き攣らせ、四つん這いの体勢を取った。
地に着いた手が痛い。思わず離したくなるが、先ほどの痛みに怯える身体はたった1回で無闇に跳ねさせないことを覚えてしまったらしく、まるで地面に固定されたかのように固まって動かない。
「うん、上出来ね」
「……っ!!」
思惑通りに矯正された姿に満足げなイツコの足元で、104番は動かない手に恐怖を覚えていた。
(……嘘、だろ……これだけで……!?)
生き物として備わった本能すら叩き伏せ、歪め、壊して、作り変える。
これがモノになるということだと現実を突きつけられて、絶望に足元が崩れていくようだ。
(こんな所でも、俺が、俺で無くなっていく…………くそう……っ!)
熱くても反射的に逃げられないように仕込まれる……恐らく作業用品の反応を見るに、この程度は些事なのだ。
この先に待つ不可逆的な『加工』の結果、自分はどうかるのか……いや、そもそも自分と呼べるものは残されるのだろうか。
104番は近い未来への漠然とした不安に怯えながら、そして何より隙あらば打とうと戒められたふぐりを擦る鞭の感触に追い立てられるように、先ほどとは打って変わって姿勢を正して歩くのだった。
…………
「本当に慣れるのよ、私達だってずっと暑いし、足の裏は皮が剥がれそうなくらい痛いだから」
涎と汗をボタボタと垂れ流しながら、素体達は必死に同じコースをぐるぐると歩かされる。
その頭上で「次の周回からそろそろ指示を入れていくか」と話しながら歩く作業用品達は、うっすら汗こそかいているものの、まるで分厚い靴でも履いているかのような余裕を見せつけている。
(やっぱり……何かつけてやがるのか……それとも人間様の魔法か?)
104番がチラチラと足元に目をやっていたことに気付いたのだろう、イツコが「そんなに見ても何も無いわよ」と呆れた声を出した。
「作業用品なんだから、熱がって足を止めるわけにはいかないでしょ?」
「それに考えても見なさいな。たかが作業用品に人間様が何かをしてくれるとでも?性能的にはどんな過酷な環境にも耐えられるように作られているのに、わざわざ性能に関係ない痛みを取るコストなんて、人間様がかけるわけが無いじゃないの」
「…………!」
何年もやってりゃ、この程度の痛みや暑さで動きは鈍らないわよ、と作業用品達は笑う。
一方で、そんな何気ない笑顔に素体達は改めて二等種の置かれた立場を思い知り、凍り付くのだ。
――ああ、確かにあの時、自分達の道は彼らと完全に分かたれた。
自分達が作業用品のように……例え仕事のみであっても誰かと対等に言葉を交わし、保管庫では決して心を満たすことは出来ずとも自由に慰めることが出来る日は、二度と来ない。
それでも、この鎖を引く彼らも同じ二等種で、性能しか考慮されないモノであることに違いは無い――
(……結局、どの選択を取っても幸せなんてないのかな)
(そりゃそうか、人間様が二等種にまともな将来を与えるはずが無い)
12歳から散々叩き込まれた己のあり方は、どうあっても覆ることなど無いのだ。
確かに作業用品である彼らは、素体よりも見かけ上の地位は上だ。けれどその差は人間様から見れば微々たるものにすぎない。
二等種は二等種。生き物としての幸福など望むことすら許されない……これが彼らにとって与えられた絶対的な真実。
それでもありもしない夢を何かにつけて勝手に抱き、こうやって絶望する。何とも中途半端な存在なのがどうにもやりきれない。
いっそ心など、壊れてしまえば楽なのに。
二体の胸に去来するなんとも言えない虚しさは、しかし突如襲ってきた刺激によって弾け飛んだ。
バチッ!!
「おごっ!」
「ぐっ……!!」
股間のリングから電撃が飛んできたのだと気付いたのは、ヤゴがリモコンのボタンに手をかけているのが滲んだ視界に辛うじて見て取れたからだ。
特に何かをしでかしたわけでも無いのに何故、と不安げに作業用品を見上げれば「今のが『進め』と『止まれ』の命令だ」とヤゴが唐突に話し始めた。
「今からは人間様の命令に合わせて歩く訓練をする。最初の内は言葉でも指示するが、人間様は」
「うぐ……っ!」
「俺たちを呼ぶときと同じ、この身体に着けられた装具からの電撃でしか命令しない。奉仕ならいざ知らず、ただ歩く機能のためにわざわざ言葉を使う必要など無いそうだ」
一回で覚えろよ、とヤゴは次々とリモコンを操作していく。
その度に走る、懲罰電撃程では無いがここに来るまでには経験の無かった痛みが、素体達の敏感な場所を直撃する。
進行と停止は首輪と股間のリングから同時に、また鞭で尻を一度だけ打つのも同様の指示。
曲がるときは左右の乳首。強さや回数で角度が決められている。
後退するときは股間から断続的に。移動速度は両方の乳首を同時に刺激し、断続的なら速く、連続なら遅く……
(頭がついていかねぇよ!!一気に詰め込みすぎだろ、そっちの天然モノなんて頭から煙噴いてるじゃねぇか、ちっとは加減しやがれ!!)
(ええと……ちくびは、まがる……はぁっはぁっあつい、くるしい……あれぇ…………くびわは、なんだっけぇ……はぁっ……)
痛みに耐えながらも何とか覚えようとする104番と、暑さと疲労も相まって今日も早々といっぱいいっぱいになってしまっている72番。
「こいつは身体で覚えさせた方が早い」「可愛い顔して随分脳筋だよね、この個体」と、この1週間の訓練からもはや彼女が話を聞くことを期待しなくなったヤゴは「間違えたら鞭で打つ。とにかく指示に従って歩け」と早々に話を切り上げ、実践に移ろうとした。
と、その時。
「!!……はい。…………はぁ、かしこまりました」
突如飛んできた管理官からの追加指示に「よく分からんな」「まぁ何か考えがあるんでしょ」と作業用品達は首を傾げつつも応諾する。
――いつもながら作業用品達は、人間様に盲目に従いはしない。もちろん命令は絶対だが、自分が知る二等種達と異なりその態度に崇敬の念が見られないのはどうにも落ち着かなくて、104番の胸をざわつかせる。
元々人間だった自分でさえこんな気分になるのだ。きっと作業用品という個体は、生粋の人間様の前に出してはいけないモノ……
「104番、聞いてるの?」
「あが…………っ」
物思いに耽っていれば、これ幸いとばかりに丸出しの急所に鞭が飛ぶ。
その場に再び転がる104番を「無様ねぇ」と笑いつつ、イツコは素体達が真っ青になるような新たな命令を下すのだった。
「管理官様からの指示よ。今からこの訓練の終了時まで、懲罰点が多い方には今日の奉仕訓練ノルマを1.5倍に増量すること。ふふっ、いつもの量だって時間ギリギリでしょ?負けたら絶対に時間内に終わらないわよねぇ……ミツとコニーが喜びそうだわ」
…………
確かに作業用品の言うことが正しいなら、こんな馬鹿げた気候にだって慣れるのだろう。
現に彼らは自分達ほど汗もかいていなければ、息も荒げていない。そもそもの肉体が強化されているのは一目瞭然だ。
にしたって、本来入れてはいけない場所に馬鹿げた質量を、物体を限界まで(この限界だって日々引き上げられている筈だ)詰め込まれ、首輪からの酸素供給とわずかな隙間を通すような呼吸に喘ぎながら輻射熱をまともに食らう高さで這うのと、腰ベルト以外は何も身につけず人間様のように立って身軽に歩くのとでは勝手が違いすぎる。
彼らの話を聞くに、作業用品として使われるようになってからこの環境に慣れるまでには1年近くを要するらしいのだ。それをいくら性処理用品用に更なる加工を受けたからって、たった数週間で慣れさせられる訳がない。
……つまり、恐らくは「慣れる」の定義が異なるのだ。
作業用品は単純に、苦痛に慣れるだけ。感じる苦痛自体は変わらずとも、年がら年中ここで使われていれば順応し、それほど気にもならなく……それこそこうやって笑いながらいられるようになるのだろう。
だが、性処理用品は苦痛に彼らと同じ意味で慣れる必要が無い。例え急所を打たれようが、悶絶しながらでも身体を無理矢理動かし人間様の好む奉仕が出来れば、それは「慣れた」と見做されるから――
いくら二等種とは言え、良くここまで残酷な扱いが出来るものだと104番は嘆息する。
……悲しいかなそこまでする気持ちも理解できるからこそ、自分を堕とした大人に対する小さな不満はあれど、根源的な部分で彼は人間様に反抗できない。
(とにかく、絶対に負けられねぇ……!あのイカレ作業用品達の懲罰なんざ、死んでもごめんだ!!)
必死に命令をこなす104番の頭上からは、談笑と共に時折素体達向けの説明が飛んでくる。
相変わらず説明をするのはヤゴだ。作業用品にしては比較的人間に近い性根を持つ、一風変わった個体。
イツコとは別の意味で逆らえないのは、きっとこのどこか人間様を思わせる性根のせいだろう。
「……というわけで、実際屋外での奉仕がどの程度あるのかは俺たちには分からん。人間様だってわざわざ不快な環境で使いたいとは思わないだろうしな。ただ、屋外で連れ回されることはよくあるらしいからしっかり……ってお前はいい加減左右の乳首の区別を付けろ、72番」
「104番、今のは右15度。曲がりすぎよ」
「んぐっ」
「ぐ……っ……!」
バチッ、と敏感な場所で弾ける痛みに、104番は必死で「指示」の意味を思い出す。
途中までは作業用品が口頭の命令を追加してくれていたが、今は完全に電撃だけの指示だ。
間違えれば鞭で打たれ、懲罰点を加算される。
四足歩行のお陰で拡張されたままの腹の違和感は多少楽に感じられるとは言え、慣れない環境で覚えたばかりの指示をこなすのだ。当然ながらいきなり完璧にこなせるわけが無い。
(にしたって、お前はいくら何でも食らいすぎだろうが!!連帯責任を取らされるこちらの身にもなりやがれ、このクソアマが!!)
しかし、思った以上に隣で何度も繰り返されるミスに、やっぱりこいつは天然モノだ、物覚えが悪すぎるだろうと104番は心の中で悪態をついていた。
「おい、ちゃんと隣を歩け72番、遅れるな。命令される度に考えて足を止めるな」
「ひぎっ……!」
「感覚に集中しろ。頭を通さず脊髄反射で反応するんだ。ちなみに今日は目が見えるが、明日からは視界も塞ぐぞ?余計なことを考える暇は無いだろう、さっきからどれだけ命令を間違えているんだ」
「ううぅ…………はぁ、はぁ……うぇっ……」
ああ、まただ、と104番は手足を動かしながらも次に来る衝撃に身構える。
最初に説明されたとおり、共に訓練を受けている個体には連帯責任が発生し、懲罰と同じだけの鞭を打たれ、電撃を流される。しかもそのせいで動作が止まったり姿勢を崩そうものなら、永遠に終わらない懲罰のオンパレードになってしまう。
ただでさえ股間からの痛みが断続的に襲ってきているところにこれ以上余計なものを増やされてたまるかと、104番は鬼気迫る様相で必死に訓練に食らいついていた。
それだけに、隣で何度も命令を間違えるメスに、苛立ちが止まらない。
その度に脳裏によぎる、先ほど彼女が浮かべた優越感混じりの表情が、余計に怒りを燃え上がらせる。
(天然モノなのに、俺に向かってあんな顔をしやがって……こんな簡単な訓練もこなせないくせに……ああもうっ、痛ってぇ!!)
慣れない暑さと、どれだけ食らっても慣れることの無い電撃の痛みと、終わりを知らされず延々と歩かされる心身の疲労。
更に連帯責任と競争という矛盾した設定は、簡単に身勝手な正義による怒りを膨れ上がらせ、人間様に不都合な冷静さを剥ぎ取っていく。
停止の命令を一体どう間違えたらそうなるのか速度を上げてしまい、案の定首輪を後ろに思い切り引かれて「ぐぇっ」とカエルの潰れたような声を発する72番に思わず104番の口から「おあぇっ……!」と怒気を含んだ唸り声が上がった。
だが次の瞬間「こら」と窘める声と共に股間に走った衝撃に、今度は104番が濁った悲鳴を上げる羽目になる。
「104番。あんたがどう思おうが勝手だけど、それを表に出すのは論外ね。二等種同士のコミュニケーションが許されているのは作業用品だけよ」
「ぁ…………かはっ……」
(くそっ、お前のせいで俺まで余計な懲罰点を付けられたじゃねえか!この役立たずの劣等種がっ!!)
八つ当たり気味の視線を送りつつ、しかし同時に104番は内心安堵する。
これだけ散々やらかしているのだ、自分が負けることなどあり得ない。やはりこいつは出来損ないの二等種だ、元々人間であった自分に敵うわけが無い、格が違う――
104番は暑さに喘ぎながらも、さっきのお返しだと言わんばかりに勝ち誇ったような表情を見せる。
その口元からは涎が垂れていて、股間は相変わらず酷い有様だ。
そう……お世辞にも彼らに格の違いなどあるようには見えないのに、彼自身にその姿は映らない。
恐怖を盾に競争の渦に……底辺での争いに放り込まれた104番に、人間様の思惑通りより良い性処理用品となるべく誘導された彼の心に、その惨めさは看破できないだろう。
やはり管理官様は有能だ、そう作業用品達は感心且つ震撼しつつ、指示に従って手元のリモコンを操作するのだった。
…………
次の日の朝。
いつものように担当個体のデータを確認していたヤゴが「……ま、これなら結果としては良し、か」と呟いた。
彼の視界に映るホログラムモニターには、昨日の夜の72番に与えられた懲罰とその後のデータが示されている。
「うへ、ミツの奴拡張段階を一つ飛ばしたのかよ」
「一つじゃ無い、二つだ。見ろ、長さの方も」
「うわぁ……相変わらずキレッキレだなミツのやつ……」
今日のアシスタントであるオスの作業用品と遅れて部屋に現れたイツコもまた、72番のデータに顔を顰める。
だがその瞳に、素体への同情の色は無い。
「ちょうど昨日が膣の器具交換だったからな。いきなり太さ1センチ長さ6センチアップは、結構えぐい」
「でもこれで人並みの拡張度合いになったんじゃ無いの」
「ああ、だからまぁ結果良しだな」
趣味と実益を兼ねた、実にミツらしいやり方だとヤゴは感心しつつ、72番の保管庫へと向かう。
バイタルを見る限り、当初の精神的な危うさは完全に影を潜めたようだ。まぁ今頃はパンパンになった胎の重さと違和感を嘆きながら、きっと姿勢良く股をおっ広げていることだろう。
「なかなかどうして……甘ちゃんだが根性はあるな、これは」
夢見がちで人の話は聞かないが、それはそれで身体に教え込めば問題ない。あれは生来脳筋タイプだったのだろう。
それにここまで希望の無い状態ですら甘い夢を抱き続けられるのは……ある意味精神的には図太いのかも知れない。
「これなら管理官様のことだ、今後も懲罰にかこつけて調教を早められるだろう」とヤゴはひとりごちる。
素体への懲罰は、当然ながら純粋に苦痛を与えるものでなければならない。
だが裏返せば、苦痛さえ与えられるなら調教の一環であっても問題はない。
入荷時に処女であったこと、さらに「事故」の影響もあり72番の膣拡張は遅れ気味であった。
拡張器具の交換、すなわちサイズアップは一日に膣・肛門・喉のどこか1カ所のみ。サイズも太さか長さを一段階だけ上げるのが基本だ。
いくら拡張器具の素材には周囲の組織を柔らかくし筋肉を弛緩させる徐放剤が練り込まれていて、肉が裂けたり切れたりする危険は少ないとは言え、急激な拡張は怪我のリスクを高めるし、素体に不必要な恐怖を与えることで調教の効率が落ちる可能性もある。
だから、拡張は調教期間の半分を費やしてゆっくりと……素体達が加工されていく穴に気を取られないように慎重に観察をしながら実施される。
72番の場合、肛門と喉の拡張は順調だが、膣だけは1週目終了段階の基準を満たしていなかった。
だからどこかで遅れを取り戻す処置が入るとは思っていたが……これを思いついたミツも随分作業用品としての性能を上げたものだ。
「……まだ褒めるには早いか。あいつのことだ、調子に乗って遊び癖に拍車がかかりかねない」
さて、ミツに散々遊ばれた甘ちゃん素体はどんな顔をして出迎えてくれるのか。
一気に質量が増えた胎を抱えながらやらされる今日の環境適応訓練は、きっと鞭を振り下ろしてばかりだろうなと苦笑いを浮かべながら、ヤゴは保管庫のシャッターを開けるのだった。
…………
一方。
(痛い……餌の味が残っていて、気持ち悪い……ああ、今日もまた訓練……)
保管庫にしゃがみ込んでいた104番は、シャッターの開く音と共に明るくなった檻の外に虚ろな瞳を向ける。
徹底的な栄養管理及び回復魔法により肉体は健康そのものであるが、積もり積もった筋肉痛と、何より消灯後意識を落とした次の瞬間に襲いかかる股間がもげそうな痛みのせいで、どうやらこの個体は睡眠を極端に恐れるようになってしまったらしい。
この様子だとかなり遅くまで眠らなかったのだろう。目の下にはくっきりとクマが刻み込まれていた。
(管理官様が眠剤を使わない……少し弱らせた方が訓練が捗るからかしら)
どちらにせよ作業用品としては素直に訓練に従ってくれれば、そして調教が順調に進めばそれで十分、とイツコは寝不足でぼんやりしたままの104番を保管庫から引き出す。
棺桶の体験から1週間が経ち、少しずつ元の生意気さを取り戻しつつもイツコへの恐怖は拭いきれない矛盾に葛藤し、せめてもの反抗とばかりに唸りながら精一杯睨み付けてくるのが日課となっていたが、今日の104番にはその気力も残っていないようだ。
(……訓練……ああ、また玉を引っ張られる、打たれる……痛いのに、チンコの勃起は止まんねぇ…………辛い……)
ぐるぐると頭の中で回る思考は、上手く繋がらない。
いつものようによろけながらも基本姿勢を取れば、ふっと目の前が暗くなった。
アイマスクを装着されたのだろう、ぐっとベルトで頭が締め付けられる。
(真っ暗……眠い……だめだ、寝たらまたチンコ痛くなる……)
もう痛いのは嫌だ。
ぼんやりと呟くような嘆きを繰り返す頭に響くのは
カチャン
鎖が己に繋がった音だ。
(……あ、首輪に鎖…………)
……
…………
「あら、言われなくても四つん這いになるだなんて、良い子ね」
「…………ぇ……?」
「ちゃんと覚えてたのね、首輪に鎖なら四足歩行、テザーに鎖なら二足歩行って。ちょっとは性処理用品らしくなってきたじゃ無いの」
……お利口さんね、と褒めるイツコの声に、104番はようやく今自分が何をしてしまったのかを自覚した。
(……嘘、だろ……俺っ今無意識に四つん這いに……!!)
いつもなら心の中で悪態の一つもつくのに。
苛立ちながらも逆らう事は出来なくて、だから渋々従うだけなのに。
今の104番の心には、何の反抗の気持ちも、いやそれどころか何の感情も浮かばなかった。
そもそもイツコからはいつものように口頭での命令も、電撃や鞭での指示も無かった。
なのにただ鎖を付けられただけで、まるでスイッチを押されたら決められた動作をする玩具のように、勝手に身体が動いて……
結果、従いたくも無い二等種に無条件で従ってしまった。
その上生き物から逸脱した様を、まるで幼子のように褒められた。
よりによって天然モノに、それがモノとして正しい行動だと認められただなんて!!
(身体だけじゃない、心も本当の意味で『モノ』に変えられている……ああ、壊された先に残るのはもう「俺」じゃない…………!)
「ほら、行くわよ」
「っ!!」
幼少期から散々人間様に教え込まれた。二等種はモノだと、人では無い、生き物と名乗ることすら烏滸がましいと。
確かにその通りだと頷きながら、けれどその言葉が自分に向けられている自覚はどこか薄いままだった。
――昨日と今日。二つの経験を経て、ようやく104番は己の未来を明確に思い描く。
ただの比喩では無い、身体を加工し心を捻じ曲げただのモノに貶められた、数週間後の自分を。
一気に襲ってきた恐慌は、けれども尻に鞭を入れられ、首輪とテザーに繋がるリングに電撃を流されれば表に出す事すら禁じられ、昨日徹底的に教えられたとおり、ぺたりと手を……前足を勝手に前に運んでしまう。
(だめだ……歩け……歩かないと懲罰…………歩け……)
ああ、これほどまでに憎み、蔑んで来たはずなのに。
俺の身体はもう『調教師様』に逆らえない。きっと近いうちに、心さえも従わされる――
104番の顎先から床にぽたりと、水滴が落ちる。
アイマスクに覆われた瞳に、希望の光は届かない。
全身に走るの電撃の痛みにも怯むことなく、嘗て人間であったというなけなしのプライドをまた一つ歪められた個体は、ただ粛々と訓練室への道を歩むのだった。