沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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13話 Week4 拡張維持器具設置

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 ここに連れてこられたあの日から、何一つ変わりはしない事実。

 私達は二等種。人間様にとってはただのモノ。
 こちらの意思も感情も何一つ存在しないモノとしてあしらわれ、人間様の機嫌一つで懲罰の基準も重さも理不尽に決められる。

 どれだけ人間様に従順になろうが、彼らの命令をこなすために努力を尽くそうが、報われる保障はどこにも無い。
 けれどこの努力は無意味では無いのだ。だって……ここで無気力になり何か一つでも諦めてしまえば、その先に待つのは更なる苛烈な仕打ちだから。

(ごめんなさい……ごめんなさい、許して……明日も真面目にご奉仕します、勝手に気持ちよくなりません、だから……お許しを……)

 72番の夜の懲罰は、あれから1週間経っても終わる気配が無かった。
 一晩中高められた身体はその昇華を決して許されず、ともすれば無意識に「逝かせて」と懇願を始めそうな程の衝動を抱えて、赦しを得るために報われない奉仕訓練で更に熱を溜め込む、その繰り返しに72番の精神はすっかりすり減っていた。

 それでも、日中はまだましなのだ。
 勝手に快楽を追えないとは言っても、奉仕の行為自体はそれなりの刺激を得られるから随分辛さも紛らわされる。
 それに、作業用品に教え込まれた奉仕用の動きなら、今の身体が絶頂に至ることは無い。
 いずれ感度が上がれば絶頂を阻止する電撃に怯えなければならない日が来るだろうが、そんな未来のことを考えられるほどの余裕は当然ながら今の彼女には1ミリも無い。ただ、その日の訓練をとにかく無事に終えて、作業用品や管理官の機嫌が変わらないことを静かに祈るのみである。

 だから、訓練自体はそれほど大変では無い。
 全力でこなさなければならないとは言え、少なくともはなから無理だと思うようなノルマを設定される事は無いようだから、ただひたすら死ぬ気で励めば良いだけ。

 問題は、保管庫に戻されてからである。
 この明かりが消えたとき、またあの無機質な声が生殺しの地獄へ突き落とされす宣告を発するやも知れない。
 72番はここに戻されシャッターが閉まった瞬間から恐怖に震え、見えない支配者に従属と忠誠を、そして最早何に対してか分からない謝罪を心の中で叫びながら、今日の沙汰が下される瞬間を待つしかないのである。

(お願いします、もう許して下さい……お願いします……)

 終わらない懲罰で身体はともかく心は疲弊しているのだろう、ふらりと姿勢が崩れる。
 慌ててぐっと足に力を入れ居住まいを正したとき、72番は敏感な場所に生じた小さな慣れた痛みに呻いた。

(危なっ……あれ、引っ張られる……?)

 鎖でも絡まったのか?と彼女は慌てて股間を凝視する。
 散々痛めつけられたせいか、親指の第一関節より一回りは大きく飛び出てしまった真っ赤な肉芽は、あれ以来痛いほど興奮して膨らんだままだ。
 そこを貫くリング上のピアス、そして繋がれた鎖を追って、72番は違和感の正体に気付いた。
 
(鎖が……短くなってる……!)

 そう。
 これまで膝立ちが出来るくらいの余裕があった床から伸びる陰核拘束の鎖が、いつの間にか3分の1くらいの長さに縮められていたのだ。
 昨夜、保管庫に戻されたときにはまだ長かったはず。恐らくシャッターを閉める際に、一緒に床の中に巻き取られたのだろう。

 そういえば、今朝ここを出るときにヤゴが話していた事を思い出す。
 
『次に保管庫に戻ったら、待機は常に基本姿勢となる。まぁお前は既に保管庫内では基本姿勢で待機しているから特に変わりは無いが』

 つまりこの鎖の短縮は、基本姿勢以外の姿勢をうっかり取らないよう……特に膝立ちを物理的に制限するための処置だろう。


(……慣れたよ、うん、もうこの体勢にも慣れた……ずっとこんな格好でしゃがんでたって、疲れないんだもん……)


 72番はすっと顔を上げて正面を見据える。
 その瞳に灯る光は、心なしかここに来たときに比べて濁っている。

 最初の内は、数分もしないうちに足が痺れて痛くなって大変だった。
 いくら裸で数ヶ月過ごしてきたとは言え、股間のシールドを外され、どろどろになった泥濘を作業用品達に見せつけじろじろ見られるのは、恥ずかしくてたまらなかった。

 けれど気がつけば、この身体は「待機」という言葉に、そして保管庫のシャッターの音に無意識に反応して、メスの匂いを振りまきながらあられも無い姿を平然と見せつける。
 そこに嘗て感じていた羞恥心は欠片も無い。少なくともこの姿勢に関しては、屈辱も、悲しみも、もう何も感じない。

(慣れちゃって……忘れちゃって……ああ、またモノに近づいちゃった……)

 ただ時折、静かな諦念と絶望だけが、じんわりと72番の心に染み渡るだけ。
 こうやって一つ一つ加工され、生き物として壊されていく度に、私は常識を、思考を、そして感情を……人権のない私に唯一残されたものすら失っていくのだろうか。

(……いっそのこと、何も感じなくなっちゃえればいいのに…………)

 カチリと小さな音が響くと同時に、檻の中に暗闇が訪れる。
 その瞬間、72番の胸は張り裂けそうなほどの鼓動を奏で、胃に焼きごてを当てられたかのような嫌な熱さを生じ、心は不安と恐怖で埋め尽くされた。

(ああ、でも)

『消灯後の横臥を確認しました。刺激を開始します』
「……ヒッ…………!」

 今日も、無機質な音声が部屋に響くと同時に、じわじわした刺激が……痛みを伴わないが故に拷問じみた懲罰が始まる。
 横になったまま切ない呻き声を漏らし、無様に腰をへこへこと振るのが止められない肉の器の中では、快楽への渇望と終わらない懲罰への諦観、そして恐怖と言葉にならない幾多の感情が交錯して……72番の思考を、認識を、今日も膿ませて歪めていく。

(何も感じなくなったら……気持ちいいも分からない、それは、嫌かな……)

 そんな状態でも、いや、そんな状態だからだろうか。
 相変わらず都合の良い望みを頭の片隅に抱きながら、72番は今夜も狂おしいほどの衝動に咽び泣き、己を管理する見えない誰かに向かって謝罪と赦免を叫び続けるのだった。


 …………


 いつものように、けたたましい音でブザーが鳴ると共に、保管庫がパッと明るくなる。
 後ろ手に拘束された状態から基本姿勢を取るのは、慣れるまでは時間がかかっていたが、6年以上も躾けられた身体はイレギュラーすら想定した時間に目覚めてくれるお陰で、今のところ懲罰を食らわずには済んでいる。
 ……そもそもここに出荷されてからは、一度たりともまともな目覚めなんて与えられはしなかったが。

(ふぅ……あー射精してぇ……もうパンパンだよ、気持ちよく出してぇな……)

 餌を待つ104番は、朝から全く収まる気配の無い射精欲に浮かされていた。
 流石に本能に根ざした欲望だけあって、この渇望にはどれだけ苛まれようが慣れる気配が無さそうだ。とはいえ、オスとしての要素を全力で否定される訓練の中では、こんな苦痛さえ己の存在を保つ縁になってしまうのが少々もの悲しい。

 幸いにも、今は我が儘な分身が大人しくしてくれているから随分気が楽だ。頼むから不意に元気になってくれるなよと祈りつつ、彼はふと奇妙な違和感を覚える。

(…………待て、今は……電気が点いた、だから朝で……俺は起きたばかりだよな……?)

 おかしい。
 確かに先ほど、自分は起きていつものようにこの無様な姿勢を取った。
 正確には昨日と呼ぶ日が終わって横になり、すぅと意識が奈落に引き込まれた次の瞬間に暗がりの中でぱちりと目を覚ました。

 ――そこに、いつもあるはずの、激烈な痛みが無い。

(!!……まさか……)

 104番は慌てて股間を凝視する。
 そこにあるのは、いつも通り金属の非道な檻に閉じ込められた、己が雄の証。
 けれど、いつも無謀にも檻を打ち破らんとその赤黒く変色した肉を食い込ませているはずの分身は、大人しく檻に見合った姿で縮こまったままだ。

(そんな…………)

 その惨めな姿を見た瞬間、104番の心にぴしりとヒビが入る。
 それは紛れもなく、己という存在をまた一つ塗り替えられた事実を目の当たりにした、果てしない絶望の奈落に落ちる音であった。


『貞操具に慣れれば自然と勃たなくなるわ』


 この貞操具というやつを着けられた日に、イツコが放った言葉を思い出す。
 4週間もすればオスの象徴は閉じ込められた事実を受け入れ、少なくともこの貞操具を装着している間は敢えて勃たせようと刺激を咥えない限り、主に痛みを与えるような行為を慎むようになると。

 (一体、いつから……?昨日までは確かに痛かったはずだ!!……いや、本当に……?それは本当に『昨日』だったのか……!?)
 
 時間の感覚も睡眠の途絶もない生活と常軌を逸した訓練と懲罰に塗れた日々は、とうの昔に104番から正確な日時の判断を奪っていた。今の彼には、過ぎ去った日々の順番すらおぼつかない。
 その上奉仕訓練の時には、毎度変わらぬ痛みに苛まれていたのもあって気付かなかったのだ。104番を104番たらしめている、最後の砦に向かってとうの昔に魔の手は伸ばされ、じわじわと根本を蝕み続けていることに――


(そんな、そんなっ……朝なのに!なんだよ、なんで反応しないんだよっ!!勃てよ、勃ってくれよおおぉっ!!このままじゃ、オスでいられなくなる……俺が、壊れてしまう!!)


 存在の基盤たる概念への浸食に、震えが止まらない。
 これほどの恐怖は……ああ、あの『棺桶』体験以来かも知れない。

 けれど。
 それだけならきっとここまでの絶望は覚えなかったはずだ。
 確かにオスとしての機能を失ったショックは大きい。とは言え、失ったのは身体に、それも朝の一時だけに過ぎないと無理矢理己を奮い立たせることも出来ただろう。

 それが出来なかったのは


(何でだよ……何で今、俺)

(勃たなくなって……これで楽になれる、嬉しいって……思っちゃったんだよ……!!)


 ――縮こまった股間を確認した瞬間、絶望と同時に生じた苦痛からの解放とそれによる安堵を、確かに彼は感じてしまったから。

 性処理用品に志願し立派な建前こそ並べたものの、本音では他のオス個体同様104番は己の快楽を欲していた。

 何より、彼が本当に欲しかったのはただの快楽ではない、射精の快楽だった。
 性欲よりは射精欲に支配されていた104番は、この時期にはメスの快楽にズブズブにハマってしまう他のオスたちとは異なり、徹底した射精禁止で追い込まれたことをきっかけに性処理用品に志願したほどである。

 もちろんこの身体を使って奉仕をする以上、人間様から与えられるのはメスの快楽だけだと覚悟はしていた。けれどこれまでのように保管庫に閉じ込められている時間くらいはオスとして過ごすこともできるだろう。
 要は人間様への奉仕の時間だけ真面目にやればいいはずだ――ボタンを押す前の彼は切羽詰まった頭で己の未来を都合よく解釈していた。

 だからまさかいきなり、こんな残酷な器具で自慰はおろか勃起すら封じられるとは思いもしなかったのだ。
 それ故、覚悟のかの字も無くあっさりと奪われてしまった本能に根ざした権利を嘆き、とはいえまさかオスであることを止めさせられることはあるまいと、不安な心に必死で言い聞かせながら、日々真面目に――二等種への嫌悪感と反抗心は相変わらずだが、少なくとも訓練に関して手を抜いたことはない――ただの穴となる道を転がっている。

 だがあまりにも苦痛に苛まれる日々に、それも檻に食い込む痛みだけならず尿道が金属の筒をギリギリと締め付ける痛みも相まって、いい加減檻の中では大人しくすることを覚えて欲しいと願ったのも事実なのだ。
 ……いや、最近はもうずっと願っていた。起床時から始まって日に何十回と、経験の無い長期間の射精管理で暴れ狂う本能を叩き潰すかのような激痛に、こんな痛みの中で一生生きなければならないくらいなら、いっそこいつを切り取ってくれとすら一瞬思ったほどだ。

 そして幸いなるかな、彼の願いはここに叶う。
 ……ただしその代償は、性処理用品としては実に好都合だが104番にとってはあまりにも重い。
 なにせ、誰よりもオスであることに縋り付いていた自分が、いつしかオスの機能の喪失を喜ぶようになっていたのだから。

「あ……ああ……っ……!!」

(嫌だ……俺を変えないで……それだけは……オスである事をやめたくない!!)

「んおおおっ!!うああぁっ!!」

 ガチャガチャと鎖の音を立ててもがいたところで、手首を前に持ってくることはできない、
 体がブレれば床から伸びた鎖がぴんと張って、久しぶりに尿道の中を焼く電撃を味わい、104番は思わずその場に倒れ込んだ。
「ぐっ……ふぐうううっ!」

 姿勢を戻さなければ、電撃は止まらない。けれども、未だくたりと垂れ下がったままの愚息が気になってそれどころではない。
 
 不安は、不安を呼び続ける。混乱の渦の中に吸い込まれる。
 ――ここに来てから、一度もオスとしての快楽を得ていないこれは、本当に今でも機能するのだろうか?
 
「うぁ……うわあああっ!!!」

(お願いだ、射精を……射精をさせてくれ……!俺がオスだって、まだちゃんとオスなんだって、頼むから確かめさせてくれ……!!)

 いつもと変わらない保管庫の中で、104番の塞がれた口から悲痛な音色の叫びが上がる。
 それは煮詰まった射精欲が作る激しい渇望からでは無く、己の存在が変質する恐怖から逃れたいと足掻くが故の懇願だった。


 …………


 数日後。
 いつものように調教棟へと転送されたヤゴは、昨日の72番のデータと管理官からの指示を確認していた。
 そこには今日の訓練ノルマと共に物品転送室での受領指示が表示されていて、ヤゴざっと目を通すと「もうそんな時期か」と独りごち目的地へ向かう。

「あら、そっちもかしら」
「ああ。今回は二体同時のようだな。こっちのはギリギリ基準をクリアしたみたいだが」
「そうなの?まあ子ネズミちゃんはお口が小さいものねぇ」
「いやそれが拡張は順調だったんだが、給餌時の訓練がな。なかなかバイタルが安定しなくて……まったく、変なところで図太いくせに訳が分からない奴だ」

 担当の愚痴を吐きつつ物品転送室で彼らが受領したのは、大きさの割に重さのある小包だ。
 長年こんな仕事をしていれば、そのサイズと重さで何が入っているのかは判断がつくのだろう、転送室勤務の作業用品は「これで餌やりが楽になるな」とヤゴたちに笑顔を見せた。

「ヤゴの担当、俺も餌やり当番になったことがあるけどすぐパニックを起こすんだよなぁ……落ち着けって言っても全然聞かないし」
「あれは身体に叩き込まないとどうしようも無いからな。ま、飲み込みは遅いし甘ちゃんだが、身体に限れば聞き分けはいいから問題はない」

 受け取った小包を今日のアシスタントに渡し、部屋の準備を頼んでヤゴたちは素体達を取り出しに行く。
 確か今日で訓練は26日目だった。4週目終了段階で喉の拡張は完了するのがC等級以上の基準だから、ひとまずは査定をクリアした形かと、道中ホッと胸をなで下ろす。

 それは別に72番のためではない。作業用品にも当然ながら人間様による性能評価があるからだ。

 そうそう無いことではあるが、入荷時の予測等級評価を出荷前検品で下回れば、担当作業用品にはかなり厳しい懲罰を下される。下手にF等級にでも落とそうものなら、どれだけ実績を上げていても数日間の『棺桶送り』は免れられない。
 ――それが例え管理官の失態によるものであっても、余程のことが無い限り責任を取るのは作業用品だ。

 72番の入荷時予測等級評価はC。これまでのデータ上、入荷時の予測等級は7割がCだから、ごくごく標準的な個体であるし、ヤゴの見立ても同様である。
 なんだかんだとハプニングはありながらも、今のところ訓練も加工も順調だ。

「……この調子なら、一段階くらいは等級を上げられそうだな……言葉で教えても碌に入らない奴はどうにもやりづらいが……」

 まあ、言葉で指示するのもそう長くは無い。
 ヤゴは今日の訓練内容を再確認しつつ、作業に必要な物品をカートに載せて72番の保管庫へと向かうのだった。


 …………


(今日は餌抜きなんだ……何か検査でもあるのかな……)

 とうの昔に空腹感を奪われているから、特に餌が貰えなくても辛さは感じない。
 72番はいつもと同じように基本姿勢のまま、脂汗を流しながら浣腸液による激しい便意に震えていた。

 浣腸に関しては最初に宣告されたとおり、毎回訓練のために保管庫から取り出される前には終了している。恐らく監視カメラで様子を見ながら時間を調整しているのだろう、いつまで経っても限界まで排泄衝動に泣かされるのは変わりが無い。

 もっとも、悲しいかなこの辛さにも最近は慣れてきたようで、叫び出したいほど苦しいのに頭の片隅では余計な思考が蕩々とおしゃべりをするようになっていた。
 少しでも気を紛らわしてくれるならありがたいのだが、残念ながら大体この思考が語るのは碌でもない不安と恐怖だけである。

(っ……はぁっ、やっと楽になったぁ……)

 ようやく中身を抜かれたと安堵していれば、間髪入れずシャッターが開く。
 人間様は何があっても自分達を休ませる気はなさそうだ。

「72番、訓練の時間だ。出ろ」
「あぉ……」

 保管庫から出れば、72番は流れ作業のようにすっと基本姿勢を取る。
 無言で目隠しを着けられ、首輪に鎖が繋がる音がしたらすぐさま四つん這いで待機だ。
 終わりの見えない焦らしですっかり熟れた身体は、手を突いた衝撃で揺れたピアスの刺激にすら「んぅ」と甘ったるい声を漏らしてしまう。

(……ああ、早く、奉仕訓練の時間になって……ああっごめんなさい、また気持ちよくなろうと思っちゃってごめんなさい!真面目にやります、おちんぽ様を気持ちよくします、だから今夜は、もうお許し下さい……!!)

 自分が気持ちよくなることを考えるのは、悪いこと。
 この1週間あまりで快楽への罪悪感を、そして奉仕相手の依存をすっかり形成されてしまった72番は、ふと浮かんだ渇望の呟きすら自ら罰して、更なる深みに嵌まり込んでいくのである。


 …………


(あれ……ここ、多分初めて来る部屋だ……)

 目隠しをしていても、最近は扉の開く音だけでどこに来たか判別がつくようになってしまった。
 正直今の72番には、移動だけであればもう視界は必要ない。全てを調教師様の命令に委ねていれば、転ぶこともぶつかることも無いと分かっているから。

 今日連れてこられた部屋は、いつもの環境適応訓練室では無いようだ。
 ああ、今日は酷暑や極寒の中で這いつくばらなくて良いのだと72番がホッと胸をなで下ろしていれば、おもむろに後ろから「抜くぞ」と声がかかり、前後同時に穴を塞ぐ重しが取り除かれた。

「んげっえほっえほっ……はぁっ……」
「アイマスクも外すぞ。外したら基本姿勢で待機」
「ふぁい……」

 ずるりと長大な拡張器具が引き抜かれた途端、とぷりと蜜壺が白い粘液を吐き出す。
 朝までずっと焦らされていた72番の身体は、咥えるものを失った入口をヒクつかせつつ切なさを訴えるかのように大量の蜜を床に垂らす。
 案の定、作業用品達がそれを見逃すわけがなく、72番は早速「どれだけ盛ってるんだよ」「そんなに懲罰が気に入ったのか?」と呆れ混じりの笑いに晒された。

(懲罰なんて嫌に決まってるじゃない!それに、好きでこんなに垂れ流してるんじゃないもの……)

 彼らは『調教師様』ではあるけれど、同じ二等種なのだ。嘲笑われたとなればちょっとくらいは言い返したい気にもなる。
 けれど、彼らの後ろから見ているであろう人間様の存在を思えば、とてもじゃないけど文句を言う気にはなれない。今の72番では、顔を顰めてアピールするのが精一杯だ。

 楽しそうに揶揄い続ける作業用品達を「あんまり煽るな」と窘めつつ、ヤゴがカートを引き寄せる。
 台の上には見たことも無い道具が無造作に並べられていた。

 そうして「まずは」と彼の口から飛び出したのは、思いもかけない言葉。

「朗報だ。お前らの口腔性器加工が完了した」
「……へっ?」
「難しい言い方じゃ分からないわよ、ヤゴ。簡単に言えば、そのお口が人間様の欲望を突っ込むただの穴になったってことよ」
「!!」
「ちなみに今日で訓練開始から26日だ。これはまあ標準的な数値だな」


 突然の宣言に呆然とする二体に、ヤゴは「完成」の定義を素体達に語る。

 口での奉仕は他の穴と異なり、基本的には性器もしくはそれを模した玩具だけを相手とする。
 また、挿入においては他の穴に比べて苦痛が強いため、奉仕スキルはもちろんのこと、いかなるサイズの男性器であっても根本まで易々と飲み込める柔軟性と、穴として使えるだけの締め付けや動きのみならず、個体の精神的な頑強さが必要とされるのだ。

 奉仕スキルは訓練で身につけ、毎日の給餌では実際の利用を想定した乱暴な動きに慣れさせ、更にあらゆるサイズに適応するための拡張を施す。
 入荷時に計測した関節の可動限界とそこから算出した拡張基準を満たす頃には、奉仕のスキルもほとんどが一定基準に達している。だからそれ以後は復習がてら時々行われる口での奉仕訓練時以外、一度拡張した部分が戻らないように維持具を挿入して保管する決まりだ。

 ――なお、穴でご奉仕するのは人間の性器だけとは限らないが、その事実が性処理用品に明かされる事は無い。

「と言っても、自分の穴を拡げていたブツを実際に見たことは無いだろう?」とヤゴがカートの上に置かれた器具を手に取る。

「拡張器具の挿入と取り外し時には、アイマスクを着けているからな。今自分の喉がどんな物を咥えられるのかなんて、想像もつかないだろう。……てことで、今からお前らに挿入する維持具について説明する。72番、後で聞いてないって慌てるのは無しだぞ?」
「う……はい……」
「んじゃ、これ。これは見覚えがあるだろう?入荷時に挿入した口枷だ。直径30ミリ、長さ7センチ。で、これが……よいしょ、っと……」
「「!!?」」
「これは72番用の口腔性器維持具だな。こうやって持つと結構重量があるんだよな……ああ、重さは後で自分の身体で味わってくれ。そうだな……これは胃内で膨らんだ状態だが、拡張器具の1.5倍くらいはあるんじゃないか?」
「「え」」


 話しながら掲げられた物体に、素体達の時間が止まった。


 思考停止した頭の中に、ヤゴの左手に握られている口枷を入荷時に装着されてからの1週間が走馬灯のように駆け巡る。
 あれは他の装具と異なり、これだけは抜いて欲しいと思わない日が無かったほど辛かったのだ。
 何せ、開けたままになる口のだるさもだが、少しでも気を抜けば喉の奥を絶妙に刺激してくるから、最初の内は嘔吐かないために喉を開けているだけでくたくたになったのをよく覚えている。

 ……思い返してみれば、今は嘔吐くことも少なくなった。
 少なくともその口枷より大きい物を入れられているのに、平然と四つん這いで歩くことも出来るのだから、当初に比べれば随分慣らされているのは間違い無いだろう。


 それにしたって、これはない、どう考えてもなしだ。

口腔性器維持具

「ええええええええ!!?」
「はああぁぁ!?」
「……誰が声を出して良いと言った」
「「ぐっ……!!」」

 目の前でヤゴが右手で重そうに掲げている、大蛇のような恐ろしい物体。その大きさは己の拡張状態を知らない素体達からすれば、人体の可能性を過大評価しすぎているようにしか思えない。
 何たって、明らかにトイレットペーパーの芯より太いのだから。

(嘘でしょ、それ、どう考えても口から入れて良い太さじゃ無い!!)
(いや、確かにずっと胃の辺りまで凄い違和感があったけどさ!そんな物を入れたら重さで胃を突き破るだろうが!ディルドに殺されるとか流石にごめんだぞ!!)

 思わず声を上げて流された懲罰電撃に呻きつつ、素体達はぷるぷると首を横に振り目で必死に訴える。
 それは、どう考えても無理だ。もはや人体に許されるサイズじゃ無いと。
 72番なんてあまりのショックに早速顔が紙のように真っ白になっていて、今にも泡を吹いて倒れそうだ。

「……まぁ、ビビるのも無理は無いわ。素体はこれまで入っていた拡張器具を見たことが無いし」
「心配しなくても、さっきまでお前らが咥えていた拡張器具とほぼ同じサイズだ。だから問題なく入る」

 信じられない、という表情で器具を凝視する104番、そして思考が現実逃避モードに入ってしまった虚ろな瞳の72番を交互に見つめたヤゴは「……はぁ、いつもながら72番は説明を聞くどころじゃ無いな……」とため息をつきつつ、104番の方にゆっくりと近づいてくる。
 どうやら毎度の事ながら、お優しい調教師様は早々に72番への説明を放棄したようだ。そもそもヤゴ以外の作業用品はそこまで懇切丁寧な説明もしないから、別に放棄したところで人間様から何か注意を受けるわけでもないのだろう。

「ほら、折角だ。触ることは許可しないが近くで見せてやる。これは個体別にオーダーメードで製作された専用の……これから生涯お世話になる蓋の一つだ。少なくとも今までよりは楽になる」

 そう言うと、ヤゴは104番の鼻先に黒くぬめぬめした得体の知れない素材で覆われた物体を突き付けた。


 …………


 口腔性器維持具。
 その名の通り、口腔から胃の入り口である噴門までを性処理用の穴として利用するために、最大拡張状態を維持するための器具である。

 長さは余程規格外な個体で無い限り45センチ。最大径は個体により異なるが、72番用は42ミリ、104番用は45ミリらしい。
 口から外に露出する部分の見た目はこれまでの拡張器具とほとんど変わりが無い。給水時に使われていた穴とは別に、用途の分からない小さな接続口が二つ開いているくらいだ。
 顔面に装着したベルトで固定するのも同じらしい。「固定などしなくても構造上飛び出ては来ないが……恐らく人間様の好みだろうな」とはヤゴの談である。

 そのサイズに、改めてあり得ないと言わんばかりの顔をすれば「既に見学で抜くのを見ただろうが、特に問題なく根本まで入っていただろう?」とヤゴはあっさりしたものだ。
 それに対して「あ、でもあの時の個体は確か直径48ミリだったわよ、結構大きく開けられる個体だったから」とこれまた涼しい顔でイツコが補足するものだから、これでもまだましなのかとうっかり安堵してしまうところだった。

「拡張器具と大きく異なるのは、口と喉の形状。あとは脱落防止用に胃でバルーンが膨らむくらいだな」
「形状……」
「拡張器具はただの筒状だが、この部分はお前らの口腔の形に合わせて作られている。ほら、ここに溝があるだろう?上下の歯と舌をきっちり嵌め込めるんだ。挿入してしまえばこれまでのように歯や舌を動かすことは出来ない。完全に固定されるから一ミリも、な」
「…………っ……」

 喉に当たる部分には喉頭を覆うようなバルーンがあり、その真ん中から小指大のチューブが顔を覗かせている。
 中で水道管のようにトラップ構造になっているというこのチューブは鼻腔側の穴と繋がっており、空気の通り道となるのだ。
 維持具はこれまでの拡張器具とは異なり、誤嚥を防ぐために咽頭を完全に塞いでしまう。二等種は首輪に付与された呼吸補助の魔法によりどんな状況でも最低限の酸素は供給されるが、今後は呼吸口があるお陰でかなり息がしやすくなるらしい。

「鼻の方から流れ出る分泌物は、トラップ部分からディルド内部を通るチューブへと吸収される。……どんな仕組みかは聞くなよ、俺も知らん。ただ、口から胃までに分泌される体液は、ほぼ全てがディルドの表面から内部に染みこんで、最終的に胃に流れ込むと聞いている」
「と言っても、唾液は別なのよね。あ、心配しなくても喉は塞がっているから、全部口の端から無様に垂れ流すだけよ。今と変わらないわ」

 ほら、とヤゴが維持具の先端を見せる。
 丸くなった先端には大きめの穴が一つ、小さめの穴が二つ開いていて、どうやらここから胃の中に分泌物が流れ込むようだ。大きな穴は、水分補給用の穴だろうか。
 
(どれだけ高機能なんだよ……てかそこまで機能マシマシにするなら、この見た目は何とかしておけよ!うへぇ、ねとねとで気持ち悪い……)

 まったく、人間様の性処理用品製造にかける熱量はどうなっているんだと、104番は呆れ顔でこれから自分に埋め込まれる悍ましい見た目をした粘液まみれの凶器を見つめる。
 正直これが本当に自分の中に収まるとは思えない。だが、思ったところで挿入は回避できない以上「今までよりは楽になる」というヤゴの言葉に縋るしかなさそうだ。

「じっくり観察したか?」とヤゴの無感情な声が問いかける。
 ――それは、執行の時間の到来を告げる、無慈悲な宣告だ。

(……怖い)

 104番は怯えた瞳でヤゴに向かって「……はい」と頷く。
 腹の底から湧き上がるようなこの恐怖は、これから与えられる苦痛に対してだろうか。それとも、明らかに人体では受け止められないものを受け入れる身体に変えられた事実を、この身で実感させられることへの……またモノに一歩近づいた事を宣告される予感に対してだろうか。

 喉が、乾く。
 何も入っていないはずの胸の辺りは、いつもよりずっと重い。
 逃げたい、そんな考えが一瞬過るも足は動かない。この身体は今から行われる暴虐よりも、人間様への反抗を、その後に待ち受ける死ぬことすら許されない懲罰を恐れているから。

 どれだけ元人間だと心の中で抗っても、身体は決して己に靡かない。
 こんな意地など無意味だと囁く声が聞こえる。
 ――そんな声は叩き潰すだけだ。この心は最後の砦、いずれ歪められることは避けられなくても、その日まで自ら折れること無く存在を叫び続けてやると決めたのだから。

「またパニックで中断するのもなんだしな、72番は放心している間に入れてしまいたいんだが」
「あら、それじゃ楽しめないじゃないの」
「いやいや楽しむなよ……」
「ふふっ、良いじゃ無いのこのくらいの娯楽は堪能したって。それにモノに近づいた自覚は促さなきゃダメでしょ?」
「……ん、それはそうだな」

(絶対、折れねぇ……何を奪われたって、まだ俺は、『俺』だ……!)

 じゃあ104番からやるか。
 その言葉と共にヤゴが指を指した先にある処置台は、彼には己の尊厳をまた一つ刈り取る処刑台にしか見えなかった。


 …………


「おい、いい加減返事しろ」
「ぎゃっ!!……ひっ、ご、ご指導ありがとう、ございますっ!!」

 現実から目を背け停止していた思考は、全身に走る慣れた痛みと痺れで無理矢理引きずり戻される。
 ようやく自我を取り戻した72番の目の前には、相変わらず表情の読めないヤゴと、上気した顔でうっそりと微笑むイツコ、それぞれ興奮した様子の4体のアシスタント達。
 そして

「んうぅっ……ふぐぅ……っ」
「ほら、ちゃんと正面を向きなさいな。口の中以外は結構柔らかい素材だし、首は曲げられるでしょ?」
「んごおぉっ!!」

 ガクガクと身体を痙攣させ、口の周りに泡だった涎を垂らしながら、必死に基本姿勢を保つ104番の姿があった。
 その目はあまりの苦痛に濁り、時折凄まじい違和感からだろう思わず首を逸らせば、途端にイツコから手ひどい懲罰が飛んでくる。

「……ヒッ…………!!」

 逸らされた喉は、明らかに異様な膨らみを見せていた。
 みぞおちの辺りもぽっこりと膨らんでいて、ああ、そう言えばもう彼は『維持具』を挿れられていたっけと、逃避した心で眺めた風景を思い出す。

(……どう見ても拡張器具より辛そうよね…………嘔吐いてはないし、息もできてるみたいだけど、顔が死んでる……)

「ま、当分は着けっぱなしで訓練するから、この状態で生きることに慣れなさいな」と涼しい顔で話しかけるイツコを睨む余裕すら無さそうな104番の様子に、次は自分かとまた気が遠くなりかければ「お前な、いい加減にしろよ」とヤゴが背中に思い切り鞭を振り下ろした。
 どうやら訳も分からない状態でいつの間にか装着されている、なんて甘い処置は許してくれなさそうだ。

「ほら、そのまま台に上がれ。座ったら膝を曲げて、手首と足首で両脇のハンドルを挟め。……そのまま動くなよ、暴れないように固定するから」
「はい……」

 72番はおずおずと処置台に上がる。
 辛うじて尻を乗せられる程度の座面がある椅子は、ちょうど股間の部分がUの字にくりぬかれていて、座面の下にステンレスのトレイが設置されていた。
 肩まである背もたれに、そしてそこから伸びる小さなヘッドレストに身体を預ければ、首の後ろでカチリと音がした。恐らく首輪を固定したのだろう。
 さらに、作業用品が首輪の前の金具と処置台の肩部分から伸びるワイヤーを繋ぎ、ギリギリまで巻き取った。

 そのまま、ヘッドレストから伸びるベルトを額に、背もたれから伸びるベルトを2本、腋から胸を通るラインと骨盤上部のラインに巻き、痛いほどに締め上げる。
 腕は肘の上と下で、これまたベルトで固定される。
 手首と足首は座面の横に伸びたU字型のハンドルに鎖で固定された上、膝上には更にベルトが巻かれ、そこから伸びる金具と乳首のピアスが緩み無く鎖で繋がれた。
 この体勢ではどうやっても足が座面に着けられないから、これからの処置を踏ん張って耐えることはとてもできなさそうだ。

(……ここまで頑丈に固定されるの……?それに、なんでわざわざ股間を拡げて……?そう言えば、下の穴も拡張器具は抜かれてるっけ。その方が作業しやすい……訳、ないよね?)

 まるで入荷時の処置のような強固な拘束に、一体どれだけ惨いことをされるのかと72番の心臓が早鐘を打つ。
 そっと視線を動かせば、床から台を見上げる虚ろな瞳と目が合った。
 いけない、と慌てて目を逸らせたが、何故だろう、104番の瞳はいつもと違う色をしている。

 いつもはこちらを見下すような視線ばかりなのに、今日は何故かこれから始まる所業への同情や哀れみを感じさせて……
 だから、余計に不安が増して落ち着かない。

「ヤゴ、拘束済んだ。一ミリも動けないぜ」
「潤滑剤減ってるじゃん。もう一本あったほうがいいだろ、ほら」
「お、サンキュ」

 それぞれの拘束具をもう一度点検し、身動きが取れないことを確認すると、次にヤゴが銀色に輝く金属の器具を手に取った。
 そこには二本の奇妙な湾曲を描いたバーが並行に並んでいて、両端にはのこぎりの歯のようなギザギザしたプレートが付いている。
 ヤゴがプレートの横にあるレバーを親指と人差し指でぐっと挟めば、カチカチと無機質な音を立ててバーの隙間が広がっていった。

「よし、動きは問題ないな」

 なにあれ、と目をパチパチさせていれば「口を開けろ」と指示される。
 おずおずと開けられた72番の口に、ヤゴはすかさずその金属のバーを元に戻してぐいっと差し込んだ。
 上顎と舌の下に、ひやりとした金属の感触が触れる。

「……顎の力を抜いていろ。口を開けるぞ」
「はひ?……っ、ほげえっ!?」
「この程度で騒ぐな。まだ始まってすら無いのに、それじゃ持たないぞ?」

 ヤゴが言うや否や、カチカチと先ほど聞いた音が耳に響く。
 と、バーの間にはみるみるうちに隙間が広がっていき……当然のように72番の上顎と下顎を
 めりめりと音がしそうな勢いで押し広げていった。

(えええええっ、無理っ、ちょっそれ以上は無理無理痛いよう!!)

 顎の痛みも無視して続く開口具の音に、思わず叫びながら涙を零せば当然のように電撃が流される。
 どうやらこの器具にも電流は通るらしい、上顎と舌に激痛が走り、ぶわっと涎が口の中に溜まるのを感じた。

「だから騒ぐなと……心配するな、たかが口を5センチまで開いただけだ。維持具の太さより開いて固定しないと入れにくいからな」
「ひぐっ……いひゃいぃ……」
「維持具を入れる間だけだ、我慢しろ。ああ、顎が外れたら後で入れてやる。そのくらいは俺たちも訓練されているからな」

(いやいやいや、そういう問題じゃ無いと思うの!!)

 こんな状態なのに、思わず突っ込みを入れてしまう自分が悲しくなる。
 どうせ、何を言ったところで素体の言うことなど聞いては貰えないのに。

「ほら、これを今からお前の口に入れるからな。さっきちゃんと見てなかっただろう?しっかり確認しろよ。維持具の表面は人間様が特別に身体への負担が少ない素材を使って下さっているんだ、感謝するんだな」
「っ……あ…………」

 頬にペちぺちと当てられた真っ黒な維持具の先端は、思ったより柔らかく弾力性がある。
 遠目に見たときには気付かなかったが、確かに表面は見たことがない素材で覆われているようだ。
 潤滑剤を塗布しているのか、てらてらと光る黒い表面には、よくみると赤い血管のような模様が縦横無尽に走っている。
 
(ひぇっ……ただの黒い棒かと思ってたら、何これ!?気持ち悪いぃぃ……!)
 
 頬に触れた感触はぬめぬめというかねっちょりというか、とにかく今までに経験の無い悍ましさだ。しかもこの粘液、どうやら器具自体から滲み出ているらしい。
 思わず小さな悲鳴と共に身体が震え、全身に鳥肌が立ってしまう。

(……嘘でしょ、こんな、グロテスクなものを入れられるの……?)

 太さや長さも大概だが、この際それは脇に置いておこう。
 拡張されていると言う彼の言葉を信じるなら、多分入らないことはない、筈だから。
 だがこの感触はない。
 ドロドロした粘液に覆われた、柔らかさと生き物のような温かさを兼ね備える素材……これを口に突っ込まれ、喉を、食道を満たされたまま日々を過ごすだなんて……

(犯される)

 ……唐突に浮かんだ言葉が、まさにぴったりじゃ無いか!

(嫌……こんなの、嫌ぁ……っ!!)

 必死に呻き声と目で訴えたところで、ヤゴたちからは何も返ってこない。
 それならせめてとばかりに目を閉じれば、途端に「目を閉じていいとは言っていない」と止まない痛みを与えられ、メスが出すとは思えない濁った悲鳴が部屋を満たした。

「ぎゃあぁぁぁっ!!あがあああっ!!」
「さっさと目を開けろ、それまで電撃は止めないぞ」
「ごめんなざいっ、あげまずっ、あげまずうぅぅ!!」


(……ああ、神様)

 涙が、つぅと頬を伝う。


(二等種に生まれてきたことは……こんな仕打ちを……)

 届かない祈りを、絶望に包んで


(受け入れなければならないほど、罪深い事なのですか……?)

 溢れる雫と共に、捨て去るかのように――


「………………」
「そうだ、それでいい」
「…………はい……」

 パチパチと弾けるような音と青白い光が枷を伝う中、再び開けられた彼女の瞳に、光は灯っていなかった。


 …………


「いいか、しっかり見ていろ。人間様がお前の穴を適切に保つために与えて下さった道具なんだ、目を逸らしたり閉じれば……そうだな、懲罰もだがうっかり手が滑って入れるのに時間がかかるかもしれん」
「ぁ……」
「それが嫌なら、最後までしっかり目を開いているんだな。……お前の穴が一つ完成した記念なんだ、モノらしくなったことを喜びながら受け入れろ。じゃあ『入れるぞ』」

(モノ、らしく……そんな……)

 ヤゴの言葉が胸に突き刺さる。
 また一つ、生き物から遠ざかる事実に愕然とするも、身体はいつもの命令を聞けば勝手に力を抜いて、喉を開いてしまって……ああ、己の意思ですら動かない身体は、確かにモノらしい。

「よ、っと」

 喉の奥の壁まで外気に晒された口腔に、ヤゴは先端を突っ込む。
 そして咽頭のカーブに反ってぐっとその質量を押し込んだ。

「!!!おげぇぇっ!!おぇっ、うぁぁ……!!」

 その途端、72番の喉からこれまでに無い嘔吐き声が漏れる。
 あまりの衝撃に思わず目がぐるりと上を向くや否や「いきなりかよ」といつもより強めの電撃が全身に炸裂した。

「あ……が…………っ!!」
「あら、いきなり制圧用の電撃?優しいのね」
「……喉を絞めやがった。電撃で無理矢理力を入れられないようにしないと、入らないぞこれは」
「ま、そうねぇ。挿入用の弛緩剤は用意してあるでしょ?先に少し散布してあげなさいな」

 目を見開いたまま電撃の余波で小さく痙攣を続ける72番の横で、作業用品達は呑気に話しながら、しかし手を止めることは無くずるずると器具を口の中へと送り込んでいく。どうやら薬剤を追加して動きもスムーズになったようだ。
 
「お、一気に入り始めたな。重さもあるしここまで入れば後は楽なもんだ」
「にしても、毎度ながら見た目のセンスを疑うわ、維持具は……模様が血管みたいに見えるから、余計に悍ましいのよね」
「実際に毛細血管を参考にして作ったらしいわよ。余分な分泌物を吸収して薬剤を放出するとかなんとか」
「ほーん、よくわからないけど凄いんだろうな」

(うあああああ!!やめて、ほんと、やめて苦しいよおおっ!!こんなの死んじゃうっ!!)

維持具挿入


 とは言え、楽になったのはあくまで挿れる側の話。
 喉を延々と擦られる72番の嘔吐きが止まる気配は無い。
 それでも彼女は、目を閉じれば今以上に酷い目に遭うと恐れ慄き、滲んだ視界で己を苦しめる赤黒い蛇を見つめ続ける。
 ……せめてもの抗議を心で叫びながら。


(知らない、こんなに辛いの、知らない!!)

 これは確かに厳重な拘束が必要だろうと、72番は心の中で恨めしげに呟く。

 だって、本当に知らないのだ。
 毎日のように拡張器具は挿入されていたし、挿入時に何度も嘔吐いて暫く違和感が取れないのはいつものこと。けれど、こんなに酷い圧迫感を、まさに隘路をかき分けるようにして無理矢理押し入るような、喉どころか頭まで詰まってしまいそうな苦しさは初めての経験だ。

(何でこんなに辛いの!?調教師様、もしかして下手くそ!!?お願いだからもうちょっと上手く挿れてぇ……!!)

 あの太さだ、挿入中は完全に気道を塞がれてしまうのだろう。最低限の酸素だけで生かされ朦朧としつつも光の無い濁った目で必死にヤゴを睨めば、どうやら72番の気持ちは通じたらしい。「言っておくが、俺はこれでも上手い方だ」とため息をつかれた。

「ま、拡張の手順は見えてなかったから仕方ないか……拡張器具の挿入はな、中で拡げるんだよ」
「……?」
「最初に着けられた口枷はさっき見たでしょ?拡張器具はね、挿入段階ではあの口枷と同じ太さしか無いの。長さはしっかりあるけどね」
「で、一番長い拡張器具を挿入しても動けるようになれば、器具の中に特殊な液体を充填して膨らませていく。今まで挿入時の辛さがましだったのは、きっちり中まで入れてから膨らまされていたからだ。抜くときも先に太さを戻してからだったから、この太さを延々と喉が通り抜けるのは今回が初めて……と言っても、データ上は十分ここまで広がるんだ。別に喉や食道が裂けたりはしないから大人しくしていろ」
「………………!!」

(ひどい……!!それなら維持具だって、入れてから膨らませてよ……!!)

 塞がれた喉は、苦悶の悲鳴すら上げることを許さない。
 酸素は何とか足りていても、呼吸を出来ない状態は本能的な恐怖を惹起するらしい。72番は必死で横隔膜を動かそうと無駄な努力を続けつつ、拘束具を引きちぎらんとばかりに再び身体を跳ねさせている。

(やはり暴れるか。パニックを起こす前にさっさと留置しないとな)

 状況を判断したヤゴの左手が、リモコンに伸びる。

「あ、ちょっと待って」
「……どうした?」

 だが、作業を急ごうと更なる電撃を加えようとした彼を止める声が隣から上がった。
 声の主……イツコは微笑みながら「何でも強引にすればいいってものじゃ無いわよ、壊れちゃったらどうするの」と、別のワゴンを引き寄せつつ72番と向かい合うようにして床にしゃがみ込む。

 イツコの目の前にあるのは、こんな状況でも発情を訴えぐっしょりと濡れそぼった72番の蜜壺だ。
 毎夜行われる懲罰の成果もあり、持ち主の感情とはお構いなしに24時間渇きを訴え続ける身体は、ぷっくりした肉芽を痛いほど立ち上がらせ、柔肉を充血させてたらたらと奥から白い粘液を吐き出し続けていて、近づけばむわりとメスの匂いがイツコを包み込む。

 ――ああ、彼女のここは、あの人の匂いに似ている。

「ふふっ……随分淫乱になったわねぇ……子ネズミちゃん、お姉さんがちょっと気を紛らわせてあげるわ」
「……?」
「ええと、利用履歴は……あるわね。じゃあ知ってるでしょ、これ」
「!!」

 目の前に掲げられた器具に、72番は一瞬息苦しさも忘れて思わず目を見開く。
 イツコが手にしたのは、先端が球状になった細い棒状のスティックローターだ。
 ピンポイントで刺激を与えられるのが特徴で、ここに出荷される前は随分とお世話になったものだ……と言っても、使うのはもっぱら乳首とクリトリス、そして尿道の入り口くらいだったけれど。

(え、ちょっと待って、この状況でそれを使うの!?ホントにそれで気が紛れるの……?)

 戸惑う72番に向けられたのは、同性ながらドキッとするほど素敵な笑顔。
 ……そう、調教師様の笑顔はいつだって、自分達にとっては絶望を引き起こす合図だ。

「これね、振動だけじゃ無くて」
「!!」
「電気も流れるのよね。……大丈夫よ、絶頂はしないようにいいところを刺激してあげる。絶頂を止める懲罰電撃は辛いもの、ね?」

(でん、き…………それ、じゃ……!)

 イツコの言葉に惹起されて脳裏を駆け抜けるのは、毎夜与えられる決して満たされない快楽の恐怖。
 どんなに眠ろうとしても睡魔を奪われたかのように意識は落とせず、戒めをガチャガチャと鳴らしながらただひたすら虚空に向かって許しを乞い続けるだけの、あの時間が今からやってくる…………!


 ――ヒュッと、鳴らないはずの喉が鳴った気がした。


「……いいわぁ、子ネズミちゃんのその顔、本当に可愛い……はぁっ、もっと見せて……」

 ぴと、と冷たい金属の感覚が熟れた先端に触れる。
 ぬるりともう一つの細い棒が泥濘に差し込まれ、本来の役目を忘れさせられた胎のぷにぷにした肉に当たる感触を覚える。

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!良い子にします、ご奉仕も真面目にします、喉の辛いのも頑張って入れて頂きます!だから、お願い、やめて、やめ、う、あっ、うあああああああっ!!!)

 吐き出される悲嘆は喉で押しとどめられたまま、新たな涙がぶわりと視界を歪ませる。
 72番は新たに足された苦痛にもがきながら、ただひたすらこの拷問としか思えない所業が早く終わることを祈り続けるのだった。


 …………


 永遠とも思える苦悶は、突然終わりを告げる。
 実際には10分も経っていなかったであろう挿入の時間は、しかし72番にとっては今日という日が終わってしまうほどの長い時間に感じられた。

「――ヒュッ、うあ……ぁぁぁっ!!」
「お、息が出来るようになったか。ほらもう少しだ、全部入れればもっと息がしやすくなるからな」
「はぁっ、はぁっ、ひゅぅっ……」

 いきなり栓が取れたかのように、呼吸が楽になる。
 よく見ればいつの間にかイツコの『お手伝い』も終わっていたようだ。ヤゴの作業を眺めつつ「ホントいい顔だったわ」と満足げな表情で熱いため息をついている。
 ――これはきっと、今晩のおかずに使われるのだろう。
 
 目の前に見える黒い栓は残りわずか。
 終端にあるベルトの姿を認め、ああやっと終わるのかと72番は安堵のため息を漏らした。
 ……終わったところで、この圧迫感から逃れられるわけでは無いのに。

「先に開口具を外すぞ。……外しても口はそのまま開けておけよ、合わせるから」
「はひっ……?」

 かちゃり、と金属音が響いて開口具が取り外される。
「外さないと入らないからな」とヤゴは呟きつつ、72番に舌を軽く伸ばすように命じた。

「ん、と……この辺かな、ほら舌が入るポケットがあるだろう?そのまま動かすなよ。で……位置はこんなものか。そのまま歯を噛みしめるようにしてみろ」
「んぐ……んっ……」

 言われるがままに舌を空洞に差し込み、歯をぐっと噛みしめる。
 と、何かが歯にかっちりと嵌まった感覚を覚えた。
 何だろう、と顎を動かそうとするも、顎はまるで開口具をかけられたときの様にピクリとも動かない。

 いや、これは開口具どころでは無い。ぱっくりと口を開けたまま、閉じることはおろか、顎を横に動かすことすら出来ないのだから。

(なに、これ!?歯も、舌も、全然動かせない……?)

「口の中に当たる部分は……表面は柔らかいが、中は結構硬くてな。ああ、歯は完全にロックされているからどんなに口を開こうとしても無駄だ、自分では外せない」
「これ、一度入れると管理官様が操作しない限り外せないのよね。私達には権限がないの」

 訳も分からず目を白黒させる72番の頭にヤゴはいつものベルトを回し、維持具の口部から伸びるベルトを止めてきっちりと締め上げる。
 そして「仕上げだ」と細いノズルを口枷にカチリと接続した。
 ノズルの付いたホースは何かのポンプに繋がっていて、ボタンを押せば小さなモーター音と共に中身が注ぎ込まれる。

「!!?」

 ……何故、104番が懲罰を食らってもあんなに喉を反らそうとしていたのか、今の72番には痛いほど分かる。

 餌でも注ぎ込まれるのかと思ったら、どうやらこれは喉の辺りにあるバルーンに液体を注入して膨らませているらしい。
 確かに最初に言われた通り、呼吸だけは楽になった。思い切り深呼吸をするには少々細い空気の通り道だが、これまでのように隙間を無理矢理通すような体力を使う呼吸をする必要は無いようだ。
 けれど、それ以上に喉の奥の圧迫感が凄まじい。とても顎を引いた状態じゃいられない程の猛烈な不快感に、知らず息は荒くなる。

「はぁっはぁっはぁっ……うあぁ……」
「喉の位置も良さそうだな、しっかり息が通っている」

 ヤゴは一旦ノズルを外し、再び口枷に接続する。
 まだ膨らまされるのかと不安に怯えていれば、どうやらこれは別の穴に接続したようで、ぐぐっとみぞおちの辺りが膨らむ感触を覚えた。
 ……この感触も、これまでに無い経験だ。

「よし、入ったな。管理官様、72番の口腔性器維持具取り付けが完了しました。ご確認を……はい、はい……ありがとうございます」
「ほら拘束を解いてやったんだから、さっさと床に降りて基本姿勢」
「んっ……あぃ……はぁっ、はぁっ……」

 滑り落ちるように床に座り込めば、あまりの苦しさに目の前がチカチカして、なのに何だか視界の端が暗い。
 鞭を構える作業用品の姿を視界に捉え、あわてて震える足を叱咤しよろよろと104番の隣にしゃがみ込んで基本姿勢を取れば、喉とお腹の重苦しさが一気に襲いかかってきた。

(苦しい……だめ、顎を上げたら、電撃……)

 気を抜けば直ぐに楽な姿勢を取りそうになる自分を宥めつつ、72番は唯一許された卑猥な姿勢を保ち続ける。
 いくら呼吸が楽になったとはいえ、固定されたままの顎は既にだるさを訴えているし、呼吸が出来るのに喉は隙間無く塞がれている圧迫感があるという矛盾に、脳は混乱を覚えたままだ。
 何より、これまでに無かった胃の重さが追加されている。下を向くのも辛いから確認は出来ないが、ちらっと104番を見た限りではみぞおち部分が無様に膨れ上がっているのだろう。

 すると様子を見ていたヤゴが「よし、問題ないな」と声を上げた。
 ……どう考えても問題ばかりのような気がするが、少なくとも人間様には何の問題もないのだろう。いつもながらあまりの扱いに泣きそうになる。
 あんなに何をされても泣けなくなっていたのに、世の中にはまだまだ絶望がたんまり転がっているらしいことを、72番はここに出荷されてからわずか4週間足らずで幾度も懲罰電撃と共に痛感させられていた。

 そう、絶望は今もすぐそこに転がっている。
 ――そして残念ながら、彼らの一日はまだ始まったばかりである。


 …………


 この後はきっと奉仕訓練の筈だ。訓練が終わるまではこの苦しさから逃れられると呑気に考えていた72番は、カートを片付けながらヤゴの放つ言葉に凍り付く事になる。

「これから訓練で使わないときはずっと維持具で蓋をしたままだ。これは製品になっても変わらない。ちなみに口を使う訓練は今後週1回だけだ」
「歩行訓練は慣れれば今までより楽よ、何せしっかり息が吸えるし、四つん這いなら喉も反らせる、腹の重さも楽になるしね」
「えっ……!?」
「「えっ?」」

 思わず72番の口から漏れた言葉に対して、全員の視線が彼女に集まる。
 しばしの静寂の後、頭を抱えたヤゴに「お前も大変だな……」「ここまでやられてまだ希望を持てるとか強者だろ」と同情の視線が集まった。
 気のせいだろうか、104番までヤゴに気の毒そうな目を向けている。

「……本っ当にお前は甘ちゃんすぎるだろ……製品になれば利用されない限り、4週間に1度のメンテナンス以外で抜いて貰えることは無いんだ。今からその状態で問題なく動けるようにしておかないでどうする?」
「さっきも言ったけど、抜くのは管理官様の許可が無いと無理よ。だから死に物狂いで訓練に励まないと……出荷までそのままかもね」

(そんな……嘘でしょ、こんな苦しい状態でずっと!?寝るときも!?それに、餌はどうするの!!?ううっ、なんでみんなそんな目で見るの……?)

 そんなに自分は甘いことを口にしたのだろうか。
 上から注がれる呆れるような視線と、隣から向けられる(お前マジですぐ抜いて貰えると思ってたのかよ!?)と言わんばかりの軽蔑混じりの視線に、鼻の奥がツンとする。
 ああ、だめだ。また涙が零れて懲罰だと72番は覚悟を決め、せめて転ばないようにとぐっと足を踏ん張った。

 だが。

(あ……れ……?涙、出ない……)

 いつもなら大粒の涙がぽろぽろと零れ出すのに、少し目を潤ませただけで涙がまなじりから落ちることは無い。
 それはそれで懲罰が無くて良かったけど、泣く気満々だった気持ちの持って行き場が無くなって途方に暮れていれば「流石にあれだけぶち込めば涙も出ないか」とヤゴが72番の前にしゃがみ込み、目を覗き込む。

「維持具からは……あのねとねとの表面からな、ずっと薬剤が放出されている。その中に涙の分泌を抑える薬も入っているからな。そう簡単に涙は零れない」
「……?あんれ…………?」
「お前、この期に及んでまだ調教師様に質問するとかどれだけ肝が据わっているんだよ。いや、お前の場合はただの夢見がちなお子ちゃまか?ったく、ミツだったら喜んで仕置きコースだぞ?」
「う…………」

 ぶつくさ言いながらも、丁寧な説明を試みる辺りはやはりヤゴである。
 イツコやアシスタントの作業用品達は「相変わらずお節介ねぇ」「自分で気付かせた方がいい顔するのに」「あ、でも今の顔はなかなか……」と言いたい放題だ。

「お前らはちょっと自重……するわけないか、それが本来の二等種だもんな」
「そういうこと!いやあ素体の不幸と絶望は実に美味しいな!」
「別にいいわよ、ヤゴはヤゴのやりたいようにすれば。いつも言っているけど、管理官様から叱られない程度にね」
「へいへい」

 姿勢は崩せば懲罰だからなと念押しして、ヤゴはこの維持具に備わった機能について蕩々と語るのだった。


 …………


 モノといいつつもベースが生き物である以上、反射は起こるし体液は分泌される。不随意的に緊張がかかってしまうこともあり得るだろう。
 また特に口から喉にかけての分泌物は、一つ間違えば呼吸器を損ない、故障に繋がる重大な問題を引き起こしてしまう。

 そのため、維持具の素材にはそういった生体の反応をできる限り抑える――まさにモノに変えてしまうためのあらゆる薬剤が練り込まれていて、挿入すればじわじわと揮発する薬剤が粘膜から吸収されることで即時、そして長期間にわたり不必要な機能を抑制することが可能となっている。

 挿入後5分以内に薬剤は最大濃度まで上昇し、維持具を抜去すれば1-2分で効果が切れる。口であれば、挿入時に喉を痙攣させる反射も、どろどろの分泌物を吐き出す機能も全てが復活し、柔軟性がありながらほどよい締め付けもうねるような動きも楽しめる穴が、何の慣らしも潤滑剤の使用もなく堪能できるようになる。
 その辺は下の穴も似たようなもので、「蓋」を外せば外す時間も含めて5分で利用可能になる性処理用品を揶揄して「インスタント生オナホ」なんて呼ぶ人間もいるほどだ。

 とは言え、この効能はあくまでも通常の個体の、かつ平常時の話である。
 口腔性器維持に於いて特にコントロールが難しいのは、突発的な分泌上昇……泣くという行為だ。

 泣けば涙が頬に溢れ落ちるだけでは無い。
 涙は鼻涙管という極小の管を通って鼻に抜けるし、鼻腔や咽頭自体の分泌物も増える。
 そしてその分泌物を意図的に排出できない二等種は、当然出たものをある程度は喉の方に送り込まざるを得ない。

 だが、常に長大な口枷を咥えている状態では喉頭蓋の機能――何かを飲み込むときに気管に物が入らないように蓋をするのだ――も上手く働かず、結果として気管に空気以外の物が入る誤嚥という状態を引き起こしてしまう。

 だからこそ、二等種は幼体の頃から徹底的に泣くことを禁じられる。
 涙の分泌を止めてしまうわけにも行かないから、どんな状況に陥っても涙を流さないように無理矢理躾けることで、少しでも将来の誤嚥の危険を減らそうというのである。
 もちろん実際の調教が始まれば72番のように懲罰を与えようが涙に暮れる個体は多いが、それでも躾をしていなければもっと危険性は上がってしまうのが実情だ。

 そして調教管理部に入荷後は、追加の誤嚥防止措置を取らなければならない。
 喉の拡張段階においては期間が短いこともあり首輪による魔法で対処するが、魔力は決して無尽蔵では無いのだ。だから性処理用品に関しては、誤嚥防止に限らずあらゆる面でできる限り魔力消費コストを抑えた管理方法が採択されるのが基本である。

 その一つが、個体に合わせた維持具の作成と、分泌や反射を抑える薬剤の利用だ。
 維持具は個体のサイズのみならずこれまでのデータから最も適切な薬剤投与量を計算し、個別に調合した濃度を保つよう維持具の表面を覆う素材に練り込まれる。
 維持具はどの部位も、衛生面を鑑みて最大4週間での交換が推奨されているが、薬剤の散布だけを考えれば半年は持つらしい。

 もちろん維持具の製作にはコストがかかるが、そのくらいは製品として利用されれば簡単に回収できるし、何より貴重な魔力を二等種如きに使わなくて良いため、こういった器具や薬剤は積極的に採用される。

 もちろん、二等種はこれらの器具よりも劣った存在、というのが人間様の認識である。

「と言っても、たまにめちゃくちゃ泣く往生際の悪い個体がいてな……72番もあんまりピーピー泣いてたら、ケツから呼吸させる処置に変更させられるからな?」
「……はぇ!?」
「ふふっ、維持具には呼吸用の穴が開いてないタイプもあるのよ?」

(お、お尻から!?お尻って、息が出来たの!?)
(人間様の考えることは良く分かんねぇ……大体、なんでケツで呼吸させようだなんて発想に至ったんだよ……)

 あまりにも突拍子も無い話に素体達は呆然とするが、調教師様の様子を見るにとても冗談を言っている様には見えない。
 どうやら人間様の技術というのは、二等種には理解しがたい方向にも発展しているようだ。

 多少の流涙であれば、分泌物は呼吸用の穴に設けられたトラップから維持具内部を通るチューブ内へと送り込まれ、そのまま胃に流れる仕組みになっているとはいえ、あくまでも処理できるのは少量である。
 薬剤を用いても流涙の量や頻度が多く誤嚥を繰り返す個体に関しては、すぐに維持具を呼吸孔のないタイプに入れ替えるのが基本だ。

 この場合、喉は完全に塞がれ、一切の空気が気管に送られなくなる。
 そして首輪の呼吸補助魔法は、あくまでも短期間の……それこそ輸送時やイラマチオのような呼吸制限のある奉仕において最低限の生命を保障するに過ぎない。

 このため、追加の補助として肛門の拡張器具から持続的に呼吸補助液を結腸に注入する処置が取られる。
 維持具を装着している間は常に注入し続ける必要があるため、この維持具を装着された個体は常に腹をぽっこりと膨らませたまま、止まない便意に苛まれつつ穴を使って欲しいと人間様に恥も外聞も無く懸命に縋り付く羽目になるという。

 なお、この処置を取る個体は呼吸補助液を大量注入するお陰で結腸の拡張が非常にスムーズに進むため、大腸の拡張進度が思わしくない個体にあえて閉鎖式の口腔性器維持具を用いる管理官も一定数存在する。
 そして、一度閉鎖式の維持具を採用した個体が通常の維持具に変更された例は、これまで一例もない。


 …………


「……呼吸孔が無いタイプでも、素体の間は訓練があれば抜いて貰えるだけマシだな。何せ口の維持具を抜かないとケツの訓練が出来ないし。だが、製品になれば貸し出されない限り24時間限界まで液体を腹に詰め込まれた状態で過ごす事になる。腹も重いし、排泄衝動だって半端ないだろうなぁ?」
「それに、いくら呼吸の補助があっても胸を動かして呼吸できないのは……苦しいわよ、ね?さっき味わったでしょ?」
「ヒッ……!!」
「ま、お前がドマゾで人間様に使って頂くとき以外はずっと苦しみたいです、ってのなら、これまで通り泣いてりゃ良いんじゃ無いか?」

 ……あまりにも無慈悲な扱いを聞かされたお陰で、涙も引っ込んでしまった。
 こうしている間だって、人間様は素体の様子を観察している。そして、彼らの判断は常に合理的とは限らない……いいや、半分くらいは理不尽極まりない気まぐれで出来上がっているから。

(泣いちゃ、だめだ……!!もう、絶対に涙なんて零せないっ……!)

 これまでも禁じられてはいたけれど、懲罰を覚悟すれば涙を流す事はできた。
 けれどこれからは違う。電撃なんて生ぬるい、生涯にわたる懲罰めいた処置と隣り合わせなのだから。

「こんなもんかな。十分理解はしたな?……じゃ、今日は奉仕訓練の前にまず餌の作法な。まぁこれも今までよりは楽になるからしっかり覚えろよ」
「ヤゴ、十分時間もあるし餌だけやったら環境適応訓練を入れようぜ」
「お、そうだな。管理官様……早ぇ、もう今日のプラン組み直されてる」

(……そんな、この状態で訓練だなんて)
(もう一日が終わった気分だってのに……しかもこれ、入れたまま訓練とか絶対に今日の奉仕ノルマは終わらねぇ……またあのサイコ野郎に遊ばれる……!)

 また一つ奪われた尊厳を嘆く暇も、新たに与えられた苦悶を少しでも減らそうとする試みも許されることは無い。
 何よりまだ今日という日は始まったばかりであることを告げられた素体達は、ノルマ未達成の懲罰という確実性の高い未来に震えながら、ヤゴ達の説明に耳を傾けるのだった。


 …………


(……朝だ)

 いつものように暗闇の中で、72番はぱちりと目を覚ます。
 昨日は体力の限界まで手ひどい懲罰を受けたお陰で、こんな禍々しい物を喉に入れたままだというのにあっさりと眠りに落ちてしまったようだ。

 せめて夢が見られたなら、睡眠の存在を一瞬でいい、感じられたならば。
 72番は叶わぬ解放の願いを抱きつつ、身の置き所の無い苦痛に芋虫のように身体を捩る。

(ああ……苦しい、重い……苦しい、もう、それしか出てこない……)

 息は出来るし、胸の重苦しさはこれまでと変わらないが、とにかく喉が辛くて堪らない。
 そして、何より口の圧迫感がもの凄いのだ。
 今まではただの棒状のものを差し込まれていたから、少し顎をずらしたり舌を動かして――と言っても、少しでも器具に歯を立てればたちまち口から喉に電撃が流れて悶絶するのだが――だるさを紛らわすことだって可能だった。

 しかしこの維持具は、想像以上に口を動かせない。
 顎はしっかりと開いたまま、舌は下顎につけたまま、スライムのような維持具の表面が一ミリの隙間も許さないとばかりに口の中をみっしりと埋め尽くしているせいだ。
 確か昨日、開口具で顎が外れるほどに開かされたから、口を閉じることはともかく開けることは無理矢理やれば出来そうなはずなのに、ヤゴが言っていたとおり本当にびくともしない。
 まるで口腔の粘膜と維持具が癒合して一体化したのかと錯覚するほどだ。

(人間様に使って貰えなければ、ずっとこのまま……顎も首も重いよう……)

 本当にこの状態に慣れる日が来るのかと暗澹たる気持ちになるものの、考えたところで仕方が無いと、72番は疲れが取れたはずなのに重い身体を起こしてしゃがみ込み、股を拡げた。
 結局これまでだって、どれだけ無茶だと思っていても当たり前のように身体を動かせるように慣らされたのだから、今回だっていつかは動けるようになる、そうさせられる。

 開いた股からはいつも通りたらりと愛液が滴って、こんなにパンパンになるほど拡張されているのに一体どこから溢れてくるのかと変に感心してしまう。

(昨日は……久しぶりだったな、辛くない夜は……ああ、でも熱は冷めない……)

 諦めにも似たもの悲しさが、余計に身体を重くしている気がする。
 ようやく夜の懲罰が終わった(のかもしれない)事だけが、今の彼女にとって唯一の救いである。
 それでも絶頂を許されない身体が、解放を求めて渇望を叫び続ける事に変わりは無いけれど。

 時は静かに流れていく。
 己の息の音と、時折漏れる苦悶と渇望の喘ぎ声、そして鎖の音だけが、彼女に許された世界だ。

『餌の作法はしっかり叩き込めよ?出来なければ一発で懲罰点が付く。訓練が進むにつれて懲罰基準は厳しくなるからな、今後は甘ったれた事は一切考えない方がいい』

 殺風景な保管庫の中で、72番は何度もヤゴの言葉を反芻する。
 流石の彼女も今回は真面目に説明を聞いたようだ。昨日ヤゴに、そしてミツに指導された作法は最初から最後まできっちり頭に入っている。


 ……否、そもそも覚えなければならないほどのものではない。


 カラカラと、目の前のシャッターの開く音がする。
 首輪がバチッと弾ければ、72番はすかさず基本姿勢のままで「あぉ……!!」と返事をした。
 檻の向こうに立つ作業用品は、72番からは見えないモニタを確認し何かを書き込んでいる。
 ひとしきり待てば作業が終わったのだろう、再び首輪から命令と言う名の電撃が与えられた。

(首輪で指示されたら、頭を低くして膝で歩く……)

 対して広くもない保管庫の中をいざり、そのまま格子状の扉に尻を向けて床に伏せる。
 調教師様が作業をしやすいようなるべく高く上げるようにと指導されたが、後ろ手で取るにはなかなかしんどい姿勢だ。

「ふーっ、ふーっ…………!」
「…………」

 カチッ、とノズルが肛門の拡張器具に接続される音が響くや否や、いつものように生ぬるい液体が腹の中を満たしていく。
 昨日浣腸を施して下さった調教師様は「1ヶ月で2.8リットルまで増やせたなら上等だな、来週には3リットルいけるんじゃね?」と楽しそうに掠れた声で囁きながら、人の尻を手慰みに鞭で打っていた。流石に浣腸中の鞭は勘弁して欲しいと半泣きになったものだ。

 ちなみに浣腸液の量は入荷当初から徐々に、しかし確実に増やされている。少なくとも前の日以下の量を入れられた記憶は無い。
 お陰でもうこれ以上は無理だと毎日のように嘆く羽目になるが、物理的に入る量である以上、無理などと言う言葉は二等種には当てはまらない。

「………………」

 けれど。
 今日の調教師様は終始無言だから、どれだけの量を入れられているか確認することも叶わない。

(あれ……今日は浣腸じゃ興奮しない調教師様なのかな?)

 まるで人間様のような無機質な対応をするなんて珍しいなと、脂汗を滴らせながら72番は首を傾げる。いや、傾げた気分になっただけだ。維持具の違和感を少しでも減らすためには、なるべく首は動かさないに限るから。

「はぁっ、はぁっ……うぅ……」

 思わず呻き声が漏れれば、黙れと言わんばかりに懲罰電撃が流された。
 ……肉体は容赦ない注入に悲鳴を上げていて、吐き気が止まらない。けれど、この身体は嘔吐く事すらできない。もう二度と、人間様を喜ばせる為以外で嘔吐くことは許されない。

(…………?なんで、注意もしないの……?)

 本当に無口な調教師様もいたものだ。懲罰の宣告すらしないだなんて。

 限界の苦痛に身体が震え始めた頃、ノズルが外れてバチン!と首輪から指示が飛ぶ。

(重い……お腹、全部……維持具と、浣腸液と、両方は重い……!!)

 はち切れそうな程に膨れた腹では横隔膜が押されて、折角確保された気道も役に立たない。
 それでも72番は浅い息を繰り返しながら、泣いちゃダメだと必死で歯を食いしばり表情の抜け落ちた顔を作業用品の方に向けた。

 ――食いしばる、といったって、自分にはもうその力すら無い。

『知らなかったのか?二等種は人間様を傷つけないために、後は自殺防止のために顎の力を弱められている。最低限、あのドロドロの餌が食えて人間様が気持ちよくなれる程度の力しか残されてないぞ。……いつから?俺は幼体の時には気付いていたから、割と早い内からだろうよ』

 機能の訓練中に告げられた真実に、また鼻の奥が痛くなる。
 泣くな、泣いちゃダメだ、泣けばその先に待つのは……更なる地獄だから……

 そんな彼女の葛藤に気付かないのか、それとも気にかける必要も無いのか。
 作業用品は、鉄格子から突き出された口枷の真ん中にある逆止弁に、ノズルを接続する。
 カチッと音がして緩みなく接続できたことを確認すれば、こちらに何も声をかけることなくスッと立ち上がって視界から消えていった。
 昨日の説明では、維持具を使った給餌が終わるまでに15分ほどかかると聞いた。だから恐らく、次の個体の餌やりに向かったのだろう。

(…………違う、調教師様が無口なんじゃ、ない)

 この保管庫の中に入れば、外の音はほとんど聞こえない。
 精々、シャッターを開ける音とカートを引く音、作業用品の声がかすかに聞こえるくらいだ。常に素足の作業用品はそもそも足音を立てない。だから誰かの存在を感じられるのは、彼らの淡々とした、時には嗜虐心を刺激されたのだろう満足げな声だけだった。

 ……そう、今までは。

(…………ああ、まさか……何にも、喋ってくれないの……?)

 じわじわと胃が餌で満たされ更に重たくなっていくのを感じながら、72番はここに来てがらりと変わった対応に打ちひしがれていた。


『維持具が入っている間は挨拶も要らないよ。最低限、電撃で呼ばれたときに唸り声で返事をするだけでいいんだ。もちろん穴の利用中は挨拶しないと懲罰だけど……ふふ、少しとはいえ義務が減ってよかったね、楽になるじゃん』


 昨日訓練の終わりに明るく告げられた言葉は、まぁそういうものかとあっさり流してしまっていた。
 今更挨拶を免除された位では何も変わらない。強いて言うなら、口が使えれば挨拶しなければならないことに変わりは無いし、むしろ反射的に出る挨拶を忘れないように塞がれた口でも繰り返しておいた方が良さそうだなと思ったくらいである。

 だから、まさか浣腸や餌を施す側まで一切喋らなくなるだなんて、想像だにしなかった。
 考えてみれば、電撃だけで指示が通るなら作業用品とはいえ別に言葉を使う必要なんて無いのだった。こう言うところが甘いと言われてしまう所以だろうか。

 完全に言葉を使わず、まるでスイッチを入れるかのようにこの身体に電気を流すだけ。
 ……それは恐らく、これから先製品となって後、生涯続く人間様からの扱いの予行演習。

 だって、これまでも人間様は極力言葉を使わず首輪の刺激だけで二等種に命令してきたから。

 長年躾けられてきた心身は言葉すら使われない原始的な命令に、なんの反発も、感情も生じさせない。
 入力されればそれに合わせて半ば無意識に期待された行動を取ってしまう。

 その成れの果てが、今の状況だ。
 電撃で動かし、接続口にノズルを挿し、勝手に満たされるのを待つだけの、未完成の穴。

(……加工された……本当の意味でモノに……私は…………)

 声をかけられることが、注意を向けられることが、どれだけありがたかったか……72番は失って初めて気付くのだ。

 そのやりとりは、最初から歪な形ではあった。
 何せこちらは訓練と餌以外では口枷に言葉を奪われたままだし、そうで無くても作業用品含む二等種とのコミュニケーションは厳禁だ。ヤゴが言ったとおり、訓練で必要だから、そしてヤゴという一風変わった作業用品だからこそ、72番の度重なるやらかしが許容されているだけで。

 それでも。

(……掛け声も無い、目も合わせない……今、私は、生き物として扱われなくなった)

 呆れ声も、叱責も、無様な姿を嗤い興奮する姿も。
 全ては素体である自分を、作業用品達が生き物として認識していたからこその行動だった事を思い知る。

 けれど、もう、尊厳は取り戻せない。
 ここから先……恐らく死ぬまで、私は本当の意味でモノとして認識され、扱われるだけ。

 俯いた瞳から、涙は零れない。
「加工」の成果をまざまざと突きつけられた72番は、また一つ、心を慰める術を失った事を突きつけられる。

(ああ、何があっても泣けない……我慢して無くても、泣けないんだ)

(……泣きたくても、涙ひとつ溢れないのは)


(……こんなにも、苦しい)


 白い天井、白い壁、白い床。そして、黒い、檻。
 保管庫はいつも通り、無機質な色を保っている。

 ぽたり。
 床に落ちたのは、絶望の涙では無く、前後から滴る発情の涎だけ。


(私も、この床と一緒の存在になったんだ)


 世界から、色が抜けていく。
 静かな絶望が心を満たし、足元が崩れていく様な感覚を覚える。
 餌と浣腸液を溜め込んだ肉の身体が、まるでこの保管庫のような無機質な色に染められていく様を、72番はただ嘆きながら見つめる事しかできなかった。


 …………


 流石に訓練では、言葉を使ったやりとりを頂けるらしい。
 それこそ一方的な命令と懲罰の宣告、そして時折無様な姿を堪能するような言葉を投げつけられるだけだと言うのに、ここではまだ自分は生き物として扱われるのだと、72番は密かにほっと胸をなで下ろしていた。

 だが、日々担当個体を観察している作業用品から見れば異変は明らかだったようだ。
「相変わらず図太いのか繊細なのか分からない奴だ」と肩をすくめつつ、ヤゴは72番の顎をくい、と上に引き上げる。
 ……ああ、どうかそのままにしていて。喉を真っ直ぐに出来たら、多少は楽になるから。

「また随分淀んだ目だな。そんなに声をかけて貰えないのがショックだったか?……お前にふさわしい扱いになっただけだ、今までが特別だったんだよ」
「むぅ…………っ……」

(そんなことを言うなら自分も味わってみればいいじゃん!……っ、だめ、怒っちゃだめ……っ!)

 72番は反射的にムッとした表情を見せるも、慌てて平静さを取り戻そうとする。
 懲罰基準が厳しくなっているというなら、これまで許された小さな反抗だってどう判断されるか分からないから。

 それに、これまでだって何かにつけて「俺たちも体験済みだ」と言われてきたのだ。恐らくあの仕打ちだって同様だろう。
 だからこそ余計に虚しくなる。これほどの悲しみを知りながら平然と他者に強いれる性根に、そして彼らはどこまでも人間様による命令通り動く道具に過ぎない事実に、どこにも逃げ場が、安らぎが、救済が無い二等種という存在の罪深さを突きつけられるのだ。

 それに、とヤゴはじっと72番の濁った瞳を見つめる。
 どうにもメンタルがへっぽこな担当への同情がそうさせるのだろうか。相変わらずの仏頂面からは読み取れない。

「懲罰は終わったし、餌だって随分楽になっただろうが。何もそこまで落ち込むことは無いだろう?」
「そうよ、もうあの臭くて不味い餌を味わう必要が無くなったんだし、ここは喜ぶところよ、子ネズミちゃん」
「人間様が利用中の餌は、餌皿に逆戻りだからな。そもそも穴に放り込まれるものの味は変わらないが……何にしても今のうちに楽しておけよ」
「んぅ…………」

 あの味だけは何年経っても毎回怖気が走る、と顔を顰めるヤゴたちの話を聞くに、どうやら作業用品の餌も中に含まれる薬剤はともかく、匂いや味は性処理用品と変わりが無いようだ。
 言われてみれば、いつも訓練中の給餌中には喉を抉る機械の音に混じって、作業用品達が管理官に餌をねだる声がかすかに聞こえていたなと72番は思い出す。

(確かに、あれよりはマシ、かな……精液の味だって知っちゃったし……どうせ訓練でも飲まされるけど……うん、餌で不味い思いをしないのは……悪くない)

 機械的に扱われる虚しさを少しでも紛らわすためだろうか、72番の心は必死に慰めを探し出す。
 これも理不尽な言い訳で無理矢理納得する方向へと導くためだと気付くことも無く、彼女は素直に置かれた境遇を肯定しようと、歪んだ努力を続けるのである。


 …………


「104番はそこまででもないわね。もう適応しちゃったのかしら?」
「んううぅ……」
「ああ、まだ苦しいの?ふふ、早く慣れないと今日もコニーに遊ばれちゃうわよ。ま、私は報告書を見ているだけで滾るからいいけど、流石に完全に潰れちゃったら直せないでしょうし……困るんじゃ無いの?」
「ぐっ…………」

(そう思うなら止めてくれよ!!あいつはヤバすぎだろ、オスの痛みを何にも分かっちゃいねぇ!!)

 一方、72番の隣で随分気力を取り戻した104番は、喉と腹の苦しさに相変わらず喘いでこそいるものの、朝の扱いの変化に対してはあっさりした反応だったと報告が上がっている。
 彼にとっては、生き物として認識されずに淡々と機械的に処置をこなされる方が、『天然モノ』に馬鹿にされた上夜のオカズとして消費されるより、ずっと精神的には穏やかにいられたようだ。

 むしろ、彼はオスとしての機能を失う方がよっぽど恐怖らしい。コニーは男性器を限界まで甚振るのを趣味にしているから、アクリル板での玉責めは絶望と苦悶の入り混じった表情を堪能できて、さぞ楽しかったことだろう。

(ああ、でも……あの子は『あの人』とは違って、叫び声が好きなのよね……)

 それなら塞がれた口では物足りなかっただろうにと思いつつ、イツコはヤゴたちと共にいつものように訓練器具の準備を進める。
 環境適応訓練は昨日で基準値を達成したから、これから暫くは拡張と奉仕を兼ねた下の孔の訓練を行いつつ、口の維持具をつけたままでもこれまでと変わらない動きが出来るように慣らされていくのだ。

 実際には、人類への貸し出し時に口の維持具を抜かれないことは稀である。
 やはり言葉で媚びられ、甘い声を、時には獣のような無様な叫び声を響かせる機能があってこそ、人間様は欲望を刺激されると同時に日々のストレスを発散させられるのだろう。
 それでも人間ではあり得ない物で拘束されている姿を楽しんだり、付属品の給餌機さえあれば手軽に餌やりが出来る事を好むが故に口だけは蓋をしたままにする利用者がいる以上、この程度で機能が落ちることはあってはならない。

「こっち準備出来たぞ、疑似精液も充填した」
「後は潤滑剤を垂らして、っと……こっちもいいわよ。管理官様のご厚意で、その状態でも腰を振りやすくしてもらっているんだから、感謝しながらさっさと始めなさいな」
「「……あぃ…………」」

 今日も、苦痛と快楽をまぜこぜに叩き込まれる時間が始まる。
 素体達は挨拶の出来ない口の代わりに跪き、「人間様が好んで使う付属品の一つ」だという、二等種の粘膜にだけ作用し激烈な掻痒感を伴う潤滑剤に塗れた化け物じみた大きさの疑似ペニスに、震えながら腰を下ろしていくのだった。


 …………


 ぐちゅっ、じゅぷっ、ぐぽっ、ぐちゅっ……

 いつも以上に粘液質な音が部屋を満たす。
 激しい動きに汗が飛び散り、涎がだらだらと頬を、胸を汚す。
 だと言うのに、いつもは快楽で自然に涙が零れる虚ろな瞳は潤みすらしていない。

(ひぎいぃぃっ、痒いっ!痒いよう、もっと、もっと激しくっ……!!)
(くそっ、止まらない……苦しいのに、こんなに動きたくないのに腰が勝手に……っ)

 偽物の欲望相手に死に物狂いで腰を振る様は、実に滑稽だ。
 あまりの痒さに全身の痙攣は止まらず、鍛えられた足腰を存分に発揮して腰を振りたくり、けれど喉の苦しさを忘れることは出来ない絶妙な配合故に、素体達は二重の苦しみとそこに混じる掻痒感を紛らわせる刺激の快楽に翻弄されるしかない。

『慣れるまではサポート用の薬も使う。早く慣れた方が身のためだぞ?』というヤゴの言葉から察するに、この悍ましい物体で上部消化管をみっちり犯されていてもこれまで同様の成績をたたき出すまでは、この痒みから逃れることを許されないのだおる。

「あぉっ、おごっ、はっはっはぁんっ、うおおぉっ……!!」
「ふっ、ふっ、んぐぅぅ……っ、はぐっ……!」

(いつもながら、無茶苦茶しやがる……これは訓練じゃねぇ、ただの虐待だろうが!)

 うつろな表情で教え込まれた動きを機械的にただ繰り返すだけの72番の隣で、104番は同じく腰をめちゃくちゃに振りたくりながら朦朧とした頭で嘆き混じりの愚痴を吐く。
 その瞳に疲れは見えるが、意思の光が消えることは無い。だからこの口枷で言葉を失った叫び声に混ぜて、彼らに分からないように悪態をつき続ける。

 ああ、画面の向こうできっと人間様はニヤニヤしながら、素体達がもがき苦しむ様を堪能しているのだろう。
 優雅にティータイムを楽しみながら、普段の鬱憤を晴らす娯楽としてただ消費される姿を――それは嘗て父とその仲間達が見せていた顔だ――想像すれば、あまりの胸糞悪さに吐き気さえ催してしまう。

 きっと自分もそんな顔をしていた、その事実はそっと蓋をして、彼は長年の疑問を叫びに乗せて吐き出し続ける。

(俺は、ずっと思ってた……性処理用品は自分の意思もない、何も考えられない、ただチンポに媚びることだけを植え付けられたただのモノだって……実際、うちで見た性処理用品は本当に生き物には見えなかったんだ)

(でも)

(俺はあんなモノになってねぇし……天然モノのポンコツだって、未だに感情ありまくりじゃねえか!!)

 104番の叫びは、幼少期に二等種を知ったが故の思い込みでは無い。地上で暮らす人間様なら誰もが思っていることだ。
 一見して人間と同じ形をしている二等種に、確かに同情心を覚える若者は存在する。けれどそこは適切な『教育』を通じて『真実』を学び、また実際に二等種を利用することで、人間様らしい常識を身につけていく。

 なお、中には二等種も同じ人間だと正義感を燃やし人権活動に走るものもいるが、そういう『不穏分子』に対してこの国が取る処遇はもはや説明するまでも無い。

(一体いつ、俺はあんな風になる……?)

 性処理用品達の幸せそうな顔が、脳裏を過る。
 とてもこの訓練の先に待っているとは思えないあの表情を己が浮かべる日は、本当に来るのだろうか。
 あと何回絶望を植え付けられ、屈辱に震えれば、自分はあんな風に幸せになれるのか。

(きっと、モノとして完成したら、楽になれる)

 苦痛に狂った頭は、逃避的な希望を抱く。
 例えただのモノになったとしても、それが幸せと感じられるなら悪くは無い。
 それに、きっと自分はモノに作り替えられたところで、隣で憔悴しているポンコツ天然モノのメスのように折れたりはしない。


 ……彼は薄々気付いている。
 自分の心が完全に折れるとするならば、それはオスとしての全てを奪われたときだろうと。


(天然モノに従ってしまう身体にされたのは癪だが、こいつらに従うのは製品になれば終わる話だ。だから、人間様のお許しを頂いてオスとして気持ちよくなれる時があれば……俺は、生きていける)

 かつて彼は幼い正義感を振りかざしたが故に、人間らしい未来の全てを奪われた。
 けれども、その用途を考えれば少なくとも彼から「性」が奪われることは無い。

 全ての権利を奪われようとも、ただの穴に堕ちようとも、自分が自分である最後の砦さえ守られるなら、それでいい。
 少なくともあの顔を出来るくらいには、性処理用品は幸せを感じられる時があるのだから。

(だから何としても、いい成績を上げて……少しでもマシな等級に上げて、生き抜いてやる……そうすれば、射精だってきっとたまには許して下さる筈だ……!)

 治まらない痒みに苛まれながらも、104番は更なる努力を胸に誓う。
 唯一の希望へと繋がる道だと思い込んで、今日のノルマを果たすために偽物の性器に阿る。

 ……だから、気付かなくとも無理は無い。
 イツコの手が何やらリモコンを操作していたことも、激しい掻痒感に紛れて直腸のある一点が訓練器具により何度か刺激されたことも、そして……潤滑剤や訓練器具の吐き出した疑似精液でぐちゃぐちゃになった股間から、己の白濁が快楽も無く機械的に垂れ流されたことも。

「……あ、今出したのか」
「ええ、管理官様が今回はバレないようにやれって。……残念ねぇ、あんなに必死で頑張って射精できる日を待ち望んでいるのに、こんなに簡単に奪われちゃって」
「それ、残念なのはあいつのショックを受けた顔を見られないお前らだろうが」
「まぁね」

 狂ったように腰を振る104番を眺めながら、イツコはうっそりと微笑む。
 これの拠り所が「オス」であることなのは既に分かっている。それならば、未だ二等種への反抗心が内心に強く残っている個体であれど堕とすのは簡単だ。

 ただ、その時は今では無い。
 管理官様の許可は得ている。自分は作業用品として、最高のタイミングでそっとこの不運な個体の背を押してやるだけ。
 ……堕とすのでは無い、自ら、堕ちるように。

「次の搾精の日が楽しみだわ。……その時にはきっと、立派な性処理用品に仕上がるわよ」

 今日の104番はノルマを達成しそうだ。ほとんどの素体は口腔の維持具を入れた後、3-4日はどれだけ薬を使ってもまともな奉仕が出来ないのが常だというのに。

(その真面目さは認めてあげるわよ、104番。きっと努力は実る……あんたの望みに沿うかどうかはともかく、ね)

 相変わらず奉仕のスキルは優秀で助かるわとイツコは満足げな表情で、搾精の実施を管理官に報告するのだった。


 …………


 一方その頃。

「あおぉっ!!はぁっ、はぁっ、んうぅっんぁあっ!!」

 一向に収まる気配のない痒みという苦痛に耐えきれず、72番が思い切り身体をのけぞる。
 途切れることの無い辛さの中で無意識に取ったその行動は、少しでも快楽を得てこの地獄を紛らわしたいという、切なる願いの発露。
 ぼこりと首輪を押し上げるほどに膨らんだ白い喉を晒しながら、72番は白目を剥いて濁った嬌声を上げ続ける。

「ったく、また気持ちよくなろうとしてるな」
「まあいいんじゃない?ちゃんとご奉仕は出来てるでしょ、データ上は問題が無いし……ふふっ、のけぞったら気持ちよくなるのを覚えちゃったのね。もう忘れられないわよ?薬のアシストが無くなった後が楽しみねぇ」
「……まぁ、来週にはあの加工が入るし、管理官様が咎めないなら……」

(かゆいかゆいかゆい……うあああ、かゆいいいい……!)

 作業用品達の声は、己の声と凄まじい痒みでかき消されていまいち理解できない。
 ただの機械仕掛けの人形のように己の意思で止めることも出来ない腰の動きに、そんな中でも快楽に飢え絶頂を渇望する身体は快楽を拾い続けることに、己の存在のあり方を壊された実感がじわじわと、インクの染みのように72番の心を蝕んでいく。


(変えられて、しまったんだ)


 一見すれば人間様と変わらない姿のままで、けれどその中身は、もはや人と呼ぶにはあまりにもかけ離れてしまった。
 挿れられれば悶絶してまともに動けないであろう質量を上から詰め込まれ、これまた外から質量が透けて見えそうな胎を抱えながら、必死に痒みを癒やしてくれる欲望を締め付けて艶めかしく腰を揺らし踊る姿は、嘗て抱いたダンサーへの夢からはほど遠い結末を予期している。


(どこにも、戻れない……昨日の朝までの私は、もう、いない……)


 この道は枝分かれこそあるものの一方通行で、どこを選んでもモノになることに変わりは無い。
 人としての権利はとうに無く、生き物として持つ本能までもを奪われ、代わりに無機質な反応を受け付けられていく「これ」は……一体いつまで「私」なのだろうか。


(せめて……お願いします、訓練の時だけでいいから)


(生き物としての扱いを…………調教師様の言葉を、下さい)


 どれだけ嗤われたって、この無様さで楽しまれたっていい。
 それが懲罰という苦痛の形であってさえ、私に言葉をかけてくれるうちは、生き物であることを捨てずに済むから――

 引きずり下ろされる沼で溺れる彼女の手は、未だ救いを求めて掲げられる。
 不可逆的な加工を得てすら、甘い夢と希望という逃避に縋り、己をそこまで貶めたモノ達に、その後ろにいる絶対的な支配者に助けを求めるという滑稽さに、彼女が気付くことは最後まで無い。

 ……何より、彼女は知らない。
 目から光を失うほどの絶望を叩き付けられたこの状況すら、性処理用品における加工過程のほんの序章に過ぎないことを。



 嘗て人間だった素体が、自分を一度貶めた人間の残酷さを思い出す日は、そして素体達が真の意味で『モノ』として完成する日は、まだ遠い。

 彼らに今より幸せな未来は、永遠に訪れない。
 その事実を振り払うかのように、素体達はかすかな希望と救いを握りしめて一心不乱に腰を振り続けるのだった。

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence