第17話 Week9 奉仕実習
「……ふぅ、流石に疲れたわね……この時間だし、流石に運動はなしか。洗浄はしたかったな……」
104番を保管庫に戻し、物品転送質に立ち寄って明日のための装具を受け取った瞬間、イツコの頭の中に『作業時間が終了しました』とアナウンスが頭に響くと同時に転送魔法が作動し、見慣れた部屋へと戻される。
転送が完了したのを確認した彼女は、ため息をつきつつその場にしゃがみこんだ。いつもなら発情の赴くままに玩具に手を出すところだが、今日はそこまでの気力は残っていない。
目の前に広がるのは、4畳半ほどのベッドもテーブルも無い真っ白な部屋。
大きなモニタと備え付けのタブレット、そして餌皿があるのは、成体二等種が保管される一般飼育棟と変わりが無い。
ただ、この部屋には扉が無かった。
作業用品の移動は、全て管理官が行使する転送魔法によって行われる。保管庫と作業場所への移動はおろか、洗浄や運動のための自ら四つん這いで歩くことすら、ここでは許されていない。
だからこの壁の向こうに何があるかすら、作業用品達は知らないのだ。
――ここは作業用品保管棟。
調教管理部の敷地に設けられた、作業用品専用の保管庫である。
『保管庫への搬入を検知しました。給餌を開始します』
「……人間様、249F125に浣腸と餌をお恵み下さい」
部屋に入るなり、天井から感情の無い音声が流れる。
そうだ、今日はまだ夕方の餌を食べていなかったとイツコは手にした金属の装具を脇に置き、その場で跪いて慣れた口上を述べた。
程なくして許可の音声が流れれば、感謝を伝えてそのまま部屋の隅で腰を下ろす。
「んっ……」
そこには本物そっくりの疑似ペニスが床から生え、餌皿を設置してある少し上の壁にはハンドルの無い蛇口のような部品が突き出ている。
ここでは作業用品になる前のように、人間様が餌を手ずから与えてくれることは無い。
給餌の合図に合わせて、直径4センチ、長さ15センチのディルドを直腸に挿入することで浣腸液が注入され、注入が終わって身体から引き抜けば蛇口から餌が床に置かれた餌皿に注がれる仕組みだ。
挿入を関知すれば、ディルドの根元は自動的にイツコの拡張最大径以上に膨らみ抜けなくなる。試しに抜こうと何度か試みたものの一度も成功しなかったあたり、この数十年で性処理用品ほどでは無いが随分拡張された穴の大きさは、不定期に行われるメンテナンスと支給されるグッズの利用歴により全て把握されているのだろう。
すぐさま始まった注入に、イツコは少しだけ顔を顰める。
「ふぅ…………んっ……」
とぷとぷと注がれる浣腸は1.5リットル。成体二等種に最初に詰め込まれる量と同じで、かつ待機時間も10分だけだ。1日10時間の作業と日々欠かすことのない一人遊びの洗浄くらいなら、これだけで十分らしい。
途端に襲いかかる排泄衝動も、もう慣れたものだ。時折はぁっとため息をつき震えながらも、他人事を考えられるくらいの余裕はある。
「……ねぇ、お母さん。私今日も作業頑張ってきたよ」
時折腰を揺らしながら注入の終わりを待つイツコの前には女性の姿がある。
彼女はただじっとイツコを見下ろし、イツコは彼女に向かって目を輝かせながら「ねぇ、褒めてお母さん」と希うのだ。
「明日でね、堕とされの製造が終わるの。明日も朝から処置だけど、大丈夫。私、上手になったんだよ?ちゃんと良い子にしてるし、作業だって真面目にやってる。頑張ってるよ、ねぇ、だから褒めて……」
目の前の彼女は何も言わない。
やがてピーッと注入終了のアラームが部屋に響くと同時に根元のロックが解除された。
イツコは「んうっ」と小さな声を上げながらディルドを抜いて、四つん這いのままそろそろと餌皿に向かう。
注がれているのは、ねっとりとした白濁。いわゆる疑似精液だ。
相変わらず臭くて不味くて喉に張り付く最悪の餌だが、何十年もこれしか口にしていないから、もう美味しいという感覚すら思い出す事が出来ない。
「……あ、モモ」
いつの間にか女性の姿は消え、隣には茶色いトイプードルが寄ってきてパタパタと尻尾を振りながら餌とイツコを交互に眺めている。
「そっか、モモも餌まだなんだっけ?お母さん、モモに餌やりしていい?ふふっ、くすぐったいよモモ……お姉ちゃんと一緒に餌食べよっか。これ、不味いんだよぉ……?」
いつもの嗜虐に満ちた瞳ではない、どこか幼さを感じさせる眼差しでイツコは天真爛漫に笑いながら、餌を啜り始める。
「ほら、モモも一緒に」と再び可愛い愛犬に声をかけた瞬間
バチバチッ!!バチッ!!
「ぐうぅっ…………!!っ、あ…………」
腕まで走る激痛と痺れに、イツコはその場に倒れ伏し悶絶した。
ようやく身体を起こした時には、モモは消えてしまっていて……イツコは全てを察するのだ。
――厳しかった両親も、妹のように可愛がっていた愛犬も、ここにいる訳が無い。
そもそも12才で地下に連れてこられてから既に30年以上が経つのだ、地上にだって――
「……ありがとうございます、管理官様」
その場で床に頭をつけて感謝の言葉を述べ、イツコは再び餌皿に口を付けた。
部屋には餌を啜る音と、お気に入りの動画の音声だけが響いている。
(お母さん、お父さん……モモ……)
ねっとりとした餌を嚥下するたびに彼女の胸に過るのは、近い未来訪れるであろう己の処遇だ。
(もう、現実との区別もつかない。調教棟ではまだ誰かが話しかけてくれれば何とか戻れるけど、保管庫じゃ管理官様が懲罰電撃を与えて下さらなければずっと幻覚の中……これじゃ2年どころか半年も持たないわね、私)
餌を食べ終われば、自動的に水が注がれる。
いつもは運動時に行うはずの給水の代わりだろう。餌と混じって生臭い水をごくごくと飲み干し、再び頭を下げる頃には腹の中で暴れ回っていた浣腸液はすっかり消え失せていた。
「……廃棄、か」
作業用品として用を為さなくなれば、容赦なく廃棄されるだけ。
あの棺桶の中で意識を落とすことも出来ず静かに狂わされ、恐怖と凶器の沼の底でただ鼓動が止まるだけの日々が近いうちに自分にも訪れることを、イツコは少し前から確信していた。
棺桶への恐怖は多少あるが、死そのものへの恐怖は持ち合わせていない。数十年にわたり数多の絶望に晒された心は、もう涙の流し方すら覚えていないから。
不思議と心が凪いでいるのは、ようやくモノとしての生涯に終わりと言う名の救いを見出したからだろうか。
「……ねぇ、イオナ。私が棺桶に入ったら迎えに来て頂戴よ。私も早く……休みたいわ」
さっき現実に引き戻されたというのに、イツコの瞳はもう、ありもしない姿を捉えている。
隣に座るのは、イツコに作業用品としての全てを教えてくれた個体。小麦色の肌に桃色のショートボブが似合う彼女は、今日も満面の笑みで私を眺めていた。
ああ、彼女は本当に良く笑い、良く怒り、そして良く嘆く……作業用品の中でも珍しいくらい感情豊かな個体だった。
いつもどこか抜けていて、悪気なく突拍子も無いことをやらかしてはすぐ懲罰に泣かされて、全力で反省した次の日にはまたやらかすような、管理官様ですら制御不可能なむちゃくちゃなメス。
それでも壊れるまで廃棄処分にならずにすんだのは、調教用作業用品としての腕はともかく作業用品を育成する手腕がずば抜けていたからだ。
『アタシが棺桶送りにならないのは、イツコちゃんのお陰さ!いやぁ、ママは鼻が高いねえ!』
『ちょっと、私あんたの娘になった覚えはないんだけど!!』
『ええーつれないなぁ?いいじゃん、アタシ達には何にも無いんだから。起きてる間にちょーっとばかりささやかな夢を見たっていいさね!』
そう、事あるごとに彼女は自分のことを娘と呼んで可愛がってくれた。
あっさりした関わりを好む作業用品にしては、非常に珍しい暑苦しさで……そう、確かに暑苦しかったのに、一体いつから彼女との触れ合いを鬱陶しいと思わなくなったのだろうか。
「……ねえ、私はあれから夢を見られないままよ、イオナ。あの世にいけば、またあの頃のように夢が見られるかしら」
イツコは幻覚のイオナに向かって、蕩々と語りかけ続ける。
その瞳の焦点は合っておらず、だが誰も見たことがない穏やかで……幸せそうな表情で。
「そんなとびきり幸せな夢じゃ無くたっていいの。ただ……穏やかな夢が見たいわ。そうね、イオナと一緒ならきっと……」
何故だろう、イオナと話していると胸がドキドキして、少し緊張するけど嬉しくて舞い上がってしまう。
彼女がいれば私の世界は、ほんのちょっとだけ輝いて見えるのだ。
「……あ、もう消灯……そうよね、だって今日は遅くまで頑張ったんだもの。ふふっ……早く私も壊れて、イオナに頑張ったねって抱き締めて頭を撫でて貰うの……ママなんでしょ?いっぱい撫でて、ね?」
真っ暗になった部屋で、くふくふと笑いながらイツコは身体を床に横たえる。
すぅっと意識が落ちていく感覚に身を任せながら、彼女は最後まで幻との逢瀬に浸り続けていた。
「ええ、もう寝ましょ。おやすみなさいイオナ。……どうか、安らかな夢を」
…………
イツコは気付いていない。
その感情が成体二等種には許されていない、そもそも想定さえされていなかった感情であることに。
かつて、彼女は真面目で奥手な少女だった。
周りの女子達がクラスの男子の話で盛り上がっていても、何がそんなに楽しいのかついぞ理解ができないまま、二等種の烙印を押されてしまったのだ。
二等種は地下に連れてこられた段階から、二等種同士のコミュニケーションを厳しく制限される。
何せ目を合わせるだけで人間様への反抗と見做され懲罰、下手すれば処分となるのだ。だから良く躾けられた彼らにとって、他の二等種は存在しないも同義である。
それは作業用品になってからもあまり変わらない。
作業場必要な会話は交わすし、多少の雑談くらいは許される。とは言え、長年にわたり他者との交流と言えば支配と服従であると植え付けられた彼らにとって、作業用品同士の交流はあくまで作業を円滑にするための要素に過ぎないままだ。
だから、彼女が無意識に胸に秘めた感情には誰も気付かなかった。
――ただ、一人と一体を除いては。
「……ふむ、本当に劣化速度が早すぎるね……たった4ヶ月なのに、一度幻覚が見えたら懲罰電撃でも戻しきれないことがこれほど増えるとは」
イツコがすぅすぅと寝息を立て始めた頃、シュンっと音がして真っ暗な部屋にロイヤルブルーのローブを羽織った壮年の男が現れる。
胸に付けられたIDカードには「調教管理部長」の肩書きが記されていた。
『部長、F125Xに追加で鎮静剤を投与しました。大丈夫だとは思いますがお気を付けて』
「うんうん、いやぁ全くこうやって寝ている分には可愛らしいもんだねぇ……」
『えええ、部長それ作業用品ですよ?しかももう40代でしょ?趣味が悪いなぁ』
「ははっ、僕にとっては年下だよ。……さて、さっさと終わらそうか」
軽口を叩きながらも、管理部長はテキパキと手を動かす。
首輪の情報を読み取り、薬剤のパックを接続して注入しつつ追加の魔法を首輪に込めて、更に脳へも直接無駄な幻覚を抑える魔法を刻み込む。
と言っても、劣化を完全に食い止めることは出来ない。あくまでも多少症状を緩和し、進行を穏やかにする程度だ。
「研究開発局に連絡を入れなきゃね。1ヶ月後には被検体を出せると」
『……持ちますかねそれまで。明日処分基準に達してもおかしくない状態が続いてますよ、これ』
「持たせるさ。伊達に実力主義の調教管理部で部長なんてやってないんだよ、僕は」
薬剤の注入が終わるのは2時間後だ。終われば自動的に外れてパックが特殊廃棄物処理室に転送されるよう魔法も組んである。
これで良し、と作業を終えた管理部長は物音を立てないようにそっと立ち上がり、そのままイツコを注視しつつ後ずさりした。
壊れかけとは言え、これは作業用品……無害化に失敗した二等種だ。徹底した管理により人間様への反抗を企てるような個体は幸いにも作業用品の区分設立後一度も出ていないが、用心するに越したことはない。
『部品の取り替えで直るといいですね。折角高性能なんだし』
「研究開発部があれだけ自信を持って被検体を募集するくらいだ、きっと良い成果が出ると思うよ、それに」
『それに?』
ブゥン、と管理部長の足元に転送陣が浮かび上がる。
それを確認したモニタールームのスタッフは話を切り上げ『転送陣起動しました、後10秒、9、8……』とカウントダウンを始めた。
(……二等種が、それも覚醒した不良品が、こんな人間らしい感情を持つだなんてね)
眩く光る陣の外、ほんのり浮かび上がるイツコの寝顔を眺めながら管理部長は心の中でぽつりと呟く。
そこに同情の色はない。ただ、面倒なことを起こしてくれたと嘆息し、しかしこれで更に二等種の研究が進むと新たな成果を確信するだけだ。
『……ゼロ。転送します』
ふわりと身体が浮かぶ感覚に身を任せながら、管理部長は「まぁ、いいさ」と独りごちる。
そして、担当個体の出荷までの4週間は例えリスクの大きな手法を使ってでも決して壊れさせはしないと改めて心に誓うのだった。
「……劣化の原因は何となく見当がついたからね。入れ替えと共に再発防止策を取れば、耐久年数はそれなりに伸ばせるんじゃないかな」
…………
(……あれ、この部屋は…………)
次の日の朝。
いつものように餌と浣腸を頂き、鞭の痛みに酔いしれながら手足を動かして辿り着いた先で、穴を塞ぐ維持具や拡張器具とアイマスクを外された72番はキョロキョロと辺りを見回す。
そこは、これまでの訓練室とは打って変わって殺風景な部屋だった。
天井や床、壁から鎖やフックこそ生えているものの、拘束台も訓練器具も、謎の薬品や道具がびっしり詰め込まれた棚も無い。
(あ、確か見学の時に来た部屋だ)
暫くして72番は思い出す。
ここは訓練初日に連れてこられた部屋だ。あの時は股間のピアスを床に繋がれ、スーツケースで運び込まれたいくつかの性処理用品を見学させられたのだった。
しかし流石に今回は見学などと言う平和な時間では無いだろう。もしかしてここで検品とやらが行われるのだろうかと発情に焼かれた頭でぼんやり考えつつ、いつもの姿勢を取る。
「っ……ふぅ、ほんときっついな……」
「オスは大変よねぇ。もう薬切れちゃった?」
「みたいだな……ああもう痛ってぇ……さっさと外させて欲しいぜ」
作業用品達はおしゃべりをしながら、基本姿勢を取った72番をその場に繋ぎ止めていく。
あの時よりは少し長い鎖でクリトリスと床を繋ぎ、手は後ろに拘束を変えられた。
更に天井から伸びる鎖を首輪の金具に繋がれる。下手に姿勢を崩せば首が絞まってしまいそうだ。
(…………?)
顔を顰めながら準備を進める作業用品達を見ながら、72番はどことなく不安と違和感を覚えて首を傾げる。
……ああ、今日は妙に股間が寂しい。
確かに、いつだって人間様の穴として出来上がった身体は何かを咥えたいと渇望を叫んではいるのだ。
けれも今日はいつもにも増してその声が強くて……というより、訳の分からない不安がじわじわと心に染み渡っていって、いてもたってもいられない感覚に襲われる。
(何か落ち着かない……今日はいつもより調教師様が多いし……んん?あれは一体……?)
不安を紛らわそうと目の前をうろうろする作業用品達を眺めていて、72番はある事に気付いた。
作業用品達は、オスもメスもこれまで見たことが無い装具を身につけているのだ。
腰元で銀色に光るのは、金属でできた堅牢な下着のようなものだ。
前面には小さな南京錠がぶら下がっている。あれは恐らく昨日までの訓練で使ったベルトの南京錠と同じく、人間様でないと解錠できないタイプだろう。
メスはともかく、いつも逞しい屹立をこれ見よがしに見せつけているオス達の股間がつるりとしているのは何とも不思議で、ちょっと滑稽にすら映る。
時々股間に手をやり顔を顰めているのは、もしかしたらあの中に猛ったペニスが閉じ込められて痛むのかも知れない。
よくあんな馬鹿でかい物が金属の下に収まったなぁ……と変なところで感心していれば、右側から扉の開く音がした。
……この部屋には廊下に繋がる以外の扉があったらしい。ペタペタという足音と鎖の音と共に、何かが近づいてくる。
「お待たせ、104番の処置終わったわよ」
「随分あっさりだったな。もっと暴れて泣き叫ぶかと思ったが」
「そんなことしないわよ、一通り加工だって終わっているのに。ね?104番」
どうやら隣の部屋にいたのは、イツコと104番だったようだ。
久しぶりに作業用品が素体に命令以外で話しかけるのを聞いたな、と72番はちょっとだけ104番を羨ましく思う。
ああでも、彼は作業用品達を殊更嫌っているから嬉しくは無いだろう。きっといつものようにしおらしい返事をしつつも、どこか悔しさを滲ませているに違いないと思っていれば「……はい、調教師様」と小さな104番の声が耳に届いた。
(……あれ?)
その声は、いつもよりずっと弱々しくて、どこか諦めと底知れぬ無力感を湛えているようにすら感じられる。
「72番の隣に並んで待機よ」
「はい……」
いつものように素直に股を拡げてしゃがむ104番に「それでいいのよ」と頷きながら、イツコは72番と同様の拘束を彼に施していく。
けれどどうにも違和感が拭えなくて、思わず彼女は隣に首を向けた。
……向けてからああこれは懲罰だと覚悟したものの、予想した電撃は飛んでこない。どうやら今は見逃されたのか。
(…………え……!?)
104番の姿を捉えた途端、72番は予想だにしない光景に思わず目を見開く。
そこにいたのは、この間の訓練前とはすっかり様変わりしたオス個体だった。
目は真っ赤に充血していて淀み、すっかり覇気を失っている。
いつも無意識に噛みしめている唇も少し開いたまま、まるで魂が抜けてしまったかのようだ。
昨日までの訓練でスッキリしたせいか、心にどこか余裕も感じられる自分とは随分様子が違うオスの姿に、72番は(え、ええっ!?同じ訓練を受けたんだよね……?)と戸惑いを隠せない。
……否、戸惑いの原因はそれだけでは無かった。
「……あれ、これ……?うぐっ……ごっ、ご指導ありがとうございます……」
思わず声を出したのは流石に許されなかったらしい。久しぶりに食らう懲罰電撃は殊更痛く感じると呻きながら、しかし72番は104番の股間から目が離せない。
何故なら
(……あ、あれは……確か、見学の時に見たオスが付けてた、謎の蓋……!!)
そこには本来あるべき筈の、檻に囚われ萎びたオスの象徴は全く見当たらず、その代わりにいくつか穴の開いた銀色の丸いプレートが禍々しい光を放っていたから。
中心の穴から飛び出している銀色の細い筒にはこれまで通りリングが通されていて、そこから相変わらず透明な液体が糸を引いている所を見るに、あの蓋の下に彼の股間は隠されているのだろう。
(ああ、そっか。オスはあれを付けられちゃうんだ。……でも、何であんなにしょんぼりしてるんだろう)
見えるか見えないかの違いだけで、結局中心を大きくすることはおろか触れるさえ禁じられている点に変わりは無いはずなのに、と疑問に思う72番には、彼の気持ちは到底理解できない。
そして、幸いにも己の性器を直接目にすることが難しいメスは、この段階ではまだ己が変えられたことに気付くことすら出来ないのが常だ。
――彼女がこの処置の理由を知るのは、実技検査が始まるこれから10数分後のことである。
…………
時間は少しだけ遡る。
(……助けて…………)
10日間の訓練を終えた、その夜。
104番の保管庫の中では、どこか恍惚とした呻き声と荒い息の音が響いていた。
「はぁっはぁっんふぅ……ああぁ……」
いつもなら消灯時間になればすぐに消えるはずの明かりが、今日は消えない。
せめて暗闇の中に紛れてしまえばこの絶望から一時的に逃れられるのにと頭の片隅で冷静な自分が嘆くも、そんな一時凌ぎに一体何の意味があるのだと、この忌まわしき呪いのような機能が発動した当初、104番は全力で反論を叫んでいた筈だった。
「あはぁ、おちんぽしゃま、らいしゅきぃ!どうぞ、499M104のおくちまんこと、ケツマンコをごりようくだしゃい……はぁっ、おねあいしましゅ、おちんぽしゃまにごほうし、させてくらしゃい……!」
……いや、残念ながら叫んでいたのは、頭の中だけである。
それも精々最初の1時間程度だろう。何をどうやっても声にならない言葉に、104番の心は急速にすり減り、今や絶望の中でただ助けを求めて時折消え入りそうな嘆きを零すだけ。
そして持ち主の――この状況になり果ててまで、彼を持ち主と言っていいのかは実に疑問だが――意思など存在しないと言わんばかりに、104番の身体はよりにもよって己の股間に生えたオスであることを忘れてしまったペニスに向かって、眦を下げ瞳を蕩けさせ口角を上げて、塞がれた口から甘ったるい声で聞くに堪えない睦言を飽きることなく奏でている。
(止めてくれ……お願いだから、やめろ……俺は、そんなこと全く思ってない……っ!!)
どれだけ否定し、口を閉じようとしても、指先一つ己の意思では動かせない。せめてみすぼらしい性器から目を逸らしたいと思っても、凝視する目を瞑ることさえできない。
ぼたぼたと床に滴るのはペニスからの我慢汁だけではない、あまりの興奮に分泌が増えた唾液もだ。
きっと端から見れば、今の自分はただの発情し己の性器に奉仕をさせてくれと頭を下げ続ける狂った獣にしか見えない。中身は何一つ、そう、小指の爪の先ほども変わってやしないのに!
(なんて……なんて酷い事をしやがるんだ、人間様は……!!)
10日間の訓練がこの身体に植え付けた残酷な機能を思い知り、104番は心の中で慟哭を繰り返す。
けれど、その嘆きは決して身体の外に表れない。思わず滲んだ涙さえ「おちんぽしゃま、みてるだけで、こうふんしましゅ……」とまるで快楽の涙であるかのようにすり替えられてしまう。
これならまだ、脳みそを弄くられて心を変えられてしまった方が、ずっとましだった。
恐らくこれから自分は、肉の牢獄に心を閉じ込められたまま人間様に媚びへつらい穴として使われるだけの生涯を送ることになる。
そう、永遠にここから出ることは叶わない――
(誰か……誰か、助けて……俺をここから出してくれ……!)
「おちんぽひゃま、けつまんこ、おつかいくらしゃい……」
(いやだ……そんなこと、俺は……思ってない…………)
身体は歓喜と哀願を、心は絶望と悲嘆を織りなし、どこまでも交わらない意思に104番は肉の牢獄の中から生まれて初めて
(……お願いだ、お願いだからもう、殺してくれっ……!!)
己の命の終わりを願ったのだった。
…………
「あら、随分いい顔をしているわね。昨夜は楽しかったかしら?」
「あぁぁ……おちんぽしゃま、ごほうしさせてくらしゃいっ……」
カラカラとシャッターが開く音がしても、視線は股間に釘付けで、口は懇願を呻き続けている。
「誰かの命令が無いと視線も外せないのよね、こうなると」と呟きつつ、朝の給餌にやってきたイツコは電撃の命令で無理矢理104番を鉄格子の近くに動かして、前後にノズルを手早く突っ込んだ。
「……ほら、これでちょっとはましでしょ?ペニスを見なければ落ち着いてくるわ」
「おちんぽしゃま……はぁっ、はぁっ……ううっ…………」
そのままイツコは檻越しに、跪いている104番の顎を掴んでぐいっと上げる。
くっきりと隈が刻まれた目に、力は無い。
「あはぁっおちんぽしゃま……はぁっはぁっ、んっ……ああ……こんなの……」
完全に『穴』としてのスイッチが入ってしまっていた104番も、餌の注入が終わる頃にはようやく正気を取り戻したようだ。
……いや、この場合は正気を外に出せるようになったと言う方が正しい。そもそも彼は昨日の夜から今に至るまで、内側はずっと正気のままだったのだから。
「どう?昨日の夜は随分お楽しみだったみたいね」
「……っ…………」
「あら、いいの?そんな不満げな顔をして。私があんたの顔を下に向ければどうなるか……もう分かっているわよね」
「うぁ……!!」
(こいつ、わざと……!!)
昨日、イツコはこうなることを分かっていながら敢えてアイマスクを外したのだ――
104番は昨夜の彼女が放った不可思議な言葉の意味を、今になってようやく思い知る。
『じゃあ、また明日。……いい夜を』
確かに「いい夜」だっただろう。彼の醜態を想像しつつ眠りについた彼女にとっては、だが。
……そう心のどこかが全力で突っ込むも、それを外に出すことはとても出来ない。今なら出来ると分かっていたって、出来るはずが無い。
だって、すらりと長いイツコの指が顎から離れそのまま頭をぐいと下に曲げられた瞬間、再び自分は内側に閉じ込められ、植え付けられた言動を繰り返す悍ましい『自分』と称する何かに乗っ取られるのだから……!
(……ああ、実にいい顔ね。でも……もっと、もっとよ。二度と立ち上げれないくらい絶望の底に叩き付けられなさいな。そこから……あんたの未来は開けるのよ)
なんとも言えない複雑な表情を見せる104番に、トドメとばかりにイツコは現実を突きつける。
きっと今の自分は興奮を隠し切れていない。だって、完膚なきまでにオスの矜持をへし折り叩き潰す最高の瞬間が味わえるのは、きっとこれが……最後だから。
「104番、あんたは子ネズミちゃんと違って頭はいいから理解できるでしょ。あんたの……子供みたいなおちんちんにすらこの有様だったの。この10日間、あんたが見せられた物は……何だった?」
「…………っ!!」
(見せられた、もの……まさか、あれ、全部……!?嘘だろ、性処理用品は人間様だけの穴じゃ……ない……?)
途端に思い出したのは、あの幸福な10日間の中で見せられた様々な性器の映像。
大量の人間様の性器、それを内包した股間の姿に、ディルドやデフォルメされたイラスト……中には吐き気を催しそうな、明らかに人間様とは思えないグロテスクな物すら混じっていた。
あれら全てに対して、同じ状況が起こる――ひとたび目にすれば愛を囁き、奉仕をねだるただの穴の『自分』が勝手に再生されると、彼女は暗に示しているのだ。
……あまりの悍ましさに、胃がキュッとなる。けれど、維持具を詰め込まれているお陰で吐き気すら催せない。
地上に、いや地下で暮らしていたところで、作業用品がうろついている以上植え付けられたトリガーを避けることは不可能だろう。
そもそも一番身近な「おちんぽ様」は、よりにもよって自分に備わっているのだ。永遠に目を覆われでもしていなければ、もう二度と生き物としての自分は……自分であるはずの思考や感情は、この肉の器の中に閉じ込められ誰にも届かない。
(ああ…………もう無理だ)
生き物としての104番は、もうこの世界に存在できない。
外面を虚構に覆われ誰かに届くことすら無い『自分』など、抹殺されたも同然。むしろ命を奪われていた方が、いくらかマシだった。
「ぁ…………うぁ……」
(完全に壊されてしまって……二度と元には戻れない……!)
心のどこかがパリンと割れてしまって、硬いはずの床がぐにゃりと歪んで。
下から伸びる数多の手に掴まれ、奈落の底へと引きずり下ろされていく。
ああ、もう、全ておしまいだ。『俺』はもう、どこにもいない……生きながら死人へと変えられてしまったのだから。
「ああ……あは…………」
乾いた笑いが保管庫の中に響く。
――絶望が極まると、もはや笑いしか出ないだなんて……一生知りたくなかった。
…………
光を無くし淀んだ瞳に虚ろな世界を映し、せめて何も分からなくなりたいと精神の崩壊へと沈み込んでいく104番の意識は……しかしそれすら許さないとばかりに、希望のか細い糸を垂らされ、無理矢理掬い上げられる。
それもよりによって、忌み嫌い続けた目の前の天然モノの手で。
「でも、保管庫にいる間だけなら、あんたの意思を出せる方法はあるわよ」
「…………え……?」
(そんな……無理だろ?どうやって……)
思いがけない言葉に104番は耳を疑う。
だが「簡単な話よ」と告げられた手法は、さらに信じがたいものだった。
「そもそも『それ』が無ければ、少なくとも保管庫に反応するものは何も無いでしょ?あんた達性処理用品の保管庫にはディルド一つないんだし……そうすればあんたは、ここに保管されている限り自分を取り戻していられるわ」
「!!」
それ、とイツコが指さす先を、今の自分は追うことが出来ない。
けれど己の中心に向けられた人差し指を見れば、何を意味しているかだなんて一目瞭然だ。
(そんな……!!ああ、あれはそういうことだったのか……!!)
希望と絶望を同時に叩きつけられ、104番は理解する。
初日に見たC等級の製品の股間に張り付いていた、金属の円盤。あれはオスの象徴を失う代わりに、本当の自分であるための最後の一線を守った姿だったのだと。
オスであることを完全に諦めれば、本来の思考と感情を表に出せる時間をわずかとはいえ得られるだろう。
けれども自分の存在と強固に根付いた性別というアイデンティティを守り続けたいなら、自分はこの心身に仕込まれたありとあらゆる機能を、慣れ親しんだ肉の内側から眺めることしか出来なくなる。
己の拠り所だった属性を捨てて、変容させられたものを自分であると受け入れるか、己の身体だったものにすら裏切られた……物言わぬ無機物と変わらない存在となり、壊れるまでこの世界に留め置かれるか。
生殺与奪の権利すら奪われた彼に許される選択肢は、その二つだけ。
(そんな……そんなの、どっちにしたって俺は……!)
そう。
どちらを選んでも、自分は今ここで己の存在の基盤を叩き壊され、無理矢理歪められたカタチで再構築させられる。
……与えられた選択肢は、等しく地獄への片道切符でしか無い。
せめて今、この口に詰め込まれた物が無ければ、ちょっと電撃を浴びるだけで果てしない絶望を嘆くことが出来たのに。小さな呼吸口から絞り出される呻き声だけでは、とてもこの気持ちを昇華など出来ない――
「さ、そろそろ移動ね」と目の前でイツコが立ち上がる。
その手に携えているのは、いつものアイマスクだ。今日の自分にとっては、喉から手が出る程与えて欲しい、何なら二度と外して欲しくないもの。
そしてこちらの気持ちなどお見通しなのだろう、ひらひらとアイマスクを振りながら「そうねぇ」とこの美しい作業用品は残酷なひとときを104番に差し出すのである。
「折角だし、部屋に着くまで考える時間をあげるわ。今日は鞭を入れずに連れて行ってあげる」
「……え」
「部屋に着いたらその口の蓋を真っ先に抜いてあげる。だから、その貧相なイチモツがいらないならすぐに自分の口ではっきりとおねだりしなさいな。……そうねぇ、これまで散々私達天然モノを馬鹿にしてきたお詫びに私の足でも舐めながら、ね?」
「!!」
(そんな……俺からどこまで奪えば気が済むんだ……!!)
愕然とする104番に、イツコの囁きと共に黒い覆いが被せられる。
それまでにあんたのあり方を決めなさいな。
どっちを選んでも製品としては問題ないのよ――
手早く奪われていく視界に最後に映ったイツコの笑顔は、まるで悪魔のようで……同時に唯一の希望を携えた救世主のようにも見えたのだった。
…………
「ああ、もういらしていたのですね」
扉を開けた先には、ロイヤルブルーのケープを羽織った壮年の男性が微笑みながら立っていた。
「どうだね首尾は、F125X」
「順調ですよ管理官様。どうぞご確認下さい」
変わらぬ笑顔で返すイツコも、そして頷く管理部長も、104番がこれから取る選択を知っている。
未だかつてオスの性処理用品で、垂らされた希望の糸を掴まなかった個体は存在しない。あれほどお前らはモノだと長年にわたりあらゆる手法で躾けても、生き物であることへの執着は断ち切りがたいのだろう。
(とはいえ、最初が最初だったから少し不安ではあったんだがね。精神安定剤は最低限に抑え、かつ壊れないギリギリのラインまで追い込む……やはり壊すには惜しい作業用品だ)
待機を命じ首輪の金具に天井から伸びる鎖を引っかけ、口の維持具を抜き取っていくイツコを眺めながら管理部長は感嘆のため息を漏らす。
本来、性器封印処置を懇願させるために己のペニスに反応させて心を折るのは、訓練終了翌日の朝、餌を終えた後移動までの数十分程度と定められている。ここまでの加工と躾で存分にオスとしてのプライドをズタズタにされたオスの素体達は、それだけであっさりと己の大切な徴を捨て去るのが常だ。
何よりあまり長時間やり過ぎると、ショックの大きさから薬剤にも反応しないほど精神を病み、そのまま壊れてしまう危険が大きい。
それを一晩中行うなど、長い調教管理官のキャリアの中でも経験の無い措置だった。
だが、優秀な作業用品の読みは確かだったようで、104番は精神を壊すことも無く今この場所に辿り着けている。
(……さて、見せて貰うかね。どこまで従順になったかを)
目の前では維持具を抜き終えたイツコが、アイマスクのベルトに手をかけたところだ。
案の定104番は顔を引き攣らせ、ガタガタと震えている。余程昨日の夜は随分「楽しかった」らしい。
「……ひっ、ま、待って、待って下さい…………ぎゃっ!うぐっ、ご指導ありがとうございますっ……!!」
「ふふっ怯えちゃって可愛いわねぇ……心配ないわよ、こうやっていれば下を向かなくて済むでしょ?」
アイマスクが取れる感触に思わず目を閉じれば顎の下に何か温かいものが触れる。
「ほら、目を開けなさい」と電撃と共に命令された104番の目の前には、椅子に腰掛けたイツコの姿があった。
……椅子、だなんて。
二等種には決して許されないはずなのに。
「特別に許可を頂いたのよ」と話しながら、イツコがぐっと104番の顎を上げる。
そう、顎に触れているのはイツコの爪先だ。
さっきまで床を踏みしめていた足が、今は自分の視界が下に向かないように遮って下さる。
その所作に芽生えたのは、小さな感謝の心。
これならうっかり己のおちんぽ様を口説かなくて済むという、安堵感。
――そこに、これまでのような天然モノへの嫌悪感は混ざらない。
混ざらない事への悲しみすら……忘れてしまった。
(ああ、もう)
「それで?」と投げかけられた短い問いかけは、断頭台への誘い。
わずかな猶予時間こそ与えられたものの、答えなんてもう保管庫を出た瞬間に決まっていた。
(心の中で意地を張り続けたって……作られ植え付けられた『俺』は、媚びへつらい隷属する以外の事はしない)
104番はわずかに口を開け、真っ赤な舌をイツコの足に向けて伸ばす。
震える舌が、きめ細やかな肌へと近づいていく。
(それなら、オスであることも、嘗て人間であったプライドも……持っていたって、意味が無い……)
ぺちゃり。
這わせた舌に感じるのは、少しだけしょっぱい……諦観と従属の味。
もうこの心には、屈辱という言葉すら思い描けない。
(だからせめて、ほんのひととき己の存在を嘆く時間を)
「……調教師様……どうか、499M104のおちんぽ様を、切り取って下さい……」
「そう、もうあんたが後生大事にしていたペニスはいらないのね?」
「はい……おちんぽ様、いらないです……俺は人間様の穴です、おちんぽ様は必要ありませんから……っ!!」
(この哀れな性処理用品に、お恵み下さい――)
震える唇は、小さく、しかしはっきりと己の立場を宣言する。
この瞬間、104番は性処理用品としての製造工程を完了したのだった。
…………
(良かったわね。あんたの選択は、今までの努力を無駄にしなくて済んだのよ)
心の中でイツコは少しだけ優しい言葉をかけつつ、104番をその場に立たせる。
そうして目の前に膝立ちになり「ほら、下を向きなさい」と必死に顔を上げる彼に短く命じた。
「ひっ……は、はい……っ……」
「ほら、もう自分のおちんぽ様を見られるのは最後なのよ?ちゃんとお別れしましょうね?」
「……っ!!はっ、はっ、はぁっ……あああっ、おちんぽ様っ、おちんぽ様ああっ!!」
己の突起を目にした途端に作られた従属の思考が、植え付けられた歓喜の感情がこの身体を支配する。
欲情に塗れただらしのない笑顔で涎を垂らしながら必死に奉仕をねだるも、天井と床からしっかり固定された身体はガチャガチャと鎖を鳴らすだけで、愛しい己の欲望にすら近づくことが出来ない。
「ほんっとうにおちんぽ様が大好きなのねぇ?」
「はっ、はひっ、おちんぽ様大好きです!!ああ、はやく大きくなって、ご奉仕させて下さいっ!!」
「残念ねぇ、あんたのそれはもう大きくなんてなれやしないの」
いつの間にか隣にやってきていた管理官がすい、と指を動かす。
そうすればカシャンと小さな金属音と共に、テザーに通されたリングが床に落ちた。
「これは後でまた使うからね」とイツコはリングを無造作にワゴンの上に乗せ、この2ヶ月間欲望を閉じ込めてきた檻を掴む。
「あ、あ、あ……」
「あははっ、ケージが無くなって見やすくなったものねぇ!嬉しいんだ?でもほら、私が触ったって」
「あひぃっ!!んあっああんっ、はぁっ!!」
「ね、ちょっと膨れるだけで全然硬くならないの。もうこれ、メスのクリトリスと変わらないよね?」
「そっ、そんなあぁっ!!」
ケージを外し、けれども土台として通された太いリング状の金具は外さず手で支えたまま、イツコは溢れ出る104番のカウパーを右手にまぶしてくちくちと柔らかな肉の先端を擦りあげ始めた。
その度に104番から高い嬌声はあがるものの、しおらしくなった分身はさらにイツコの手を濡らすだけでピクリとも反応する気配が無い。
それどころか弄られれば弄られるほど、腹がキュンと切なくなって……思わず後ろに咥えたものを締め付けて、いいところに当てようと腰がへこへこと情けなく前後に揺れてしまう。
(ああっ、おちんぽ様気持ちいい、気持ちいいけど……後ろが疼くぅっ……!!)
快楽に翻弄され、そんな中でも蕩けた顔で「おちんぽ様ぁ……」と熱っぽく語る己の内側で、104番は悦楽と共に小さな悲しみを叫んでいた。
きっとこのおちんぽ様は、どんなに刺激してももう勢いよく白濁を吐き出すことが出来ない。ただの飾りで、それも今の自分にとってはただの毒にしかならないなら、いっそ切り取って無くなった方がスッキリする、そう必死に言い聞かせる。
……そうでもしないと、とても心が持ちそうに無いから。
「さて、と。あんまり時間をかけてもね」
「…………!」
ひとしきり104番の甘い声を堪能した後、イツコはスッと真顔に戻った。
ああ、とうとうその時が来てしまったと内心緊張が走るが、相変わらず104番の口は馬鹿の一つ覚えのようにおちんぽ様に阿り続けるだけだ。
(一体、どうやって……管理官様が魔法で切り取る?まさか、刃物を使う?)
これから襲いかかるであろう激痛を想像し、けれどきっとこの身体はその痛みすら快楽へと変換するのだと暗澹たる気持ちを抱えていれば、イツコがワゴンからすっと何かを手に取った。
ああ、許されるならば目を瞑らせて欲しい。
一度おちんぽ様を目にしたら最後、自分でこの目を背ける事すらできやしないだなんて……あまりの惨めさに頭がおかしくなりそうだ。
イツコの手が近づいてくる。
何を持っているのかはよく見えない。視界が暗く、狭くなって、はっきり見えるのはこれから失う運命のオスの徴だけ……
カチン、と金属の触れ合う音がする。
(っ……!)
次の瞬間、先端にひんやりした金属の感触が触れて、中心がぐっと押し込まれるような感触に襲われた。
「これを通して、っと……ここまで小さくなってても案外押し込みにくいものねぇ……」
(…………え?)
予想していた痛みも、股間の喪失感も、いつまで経っても襲いかかってこない。
涎を垂らし股間に向かって愛を囁きながらも訝しがる104番は少し緊張が和らいだのだろう、明るくなった視界の端にあるものを捉えた。
(あれ……なんだそれ?どこかで見た……刃物じゃ、ない?)
イツコが手にしていたのは、円盤状の金属のプレートだった。
真ん中には大きめの穴が、そしてそれを取り囲むように小さな穴が6つ開けられている。
さっきの金属音は、真ん中の穴にペニスから突き出たテザーを通した音。そして圧迫感はそのプレートでペニスをぐっと根元に向かって押しつけていたせいだったのだ。
「……なあに?もしかして切り取られるとでも思ってたの?」
「あ、あ……」
「そんなことをしたらリングを着けにくくなるじゃないの。……心配しなくても、傷はつかないわ。ただ、こうやって」
「あああっ、おちんぽ様っ……!!」
「身体の中に押し込んで、見えなくするだけよ」
見えなければ無いのと同じでしょ?
104番を見上げて笑いながら、イツコはじわじわとしょぼくれた性器を押し込んでいく。
(……ああ、良かった。切り取られるわけじゃなかったんだ……はぁっ、でもっ見えなくなっちゃう……メスのような股間になってしまう……いやだ……いやだっ……!!)
104番は予想外の事態にひとまず安堵する。
とは言え、股間の膨らみを失うことに変わりは無いのだ。この方法しか無い、それは十分理解していたって、突然の喪失は易々と受け入れられるものではない。
ややあって「おちんぽ様ぁ……」とハートマークでも浮かべていそうな甘ったるい声が響く中、ぽたりと何かが床に落ちた。
「あは、あはっ……おちんぽ様、見えなくなっちゃう……ご奉仕できない……あはぁっ……」
「…………」
(ああ……これはなかなか……来るわね)
104番を見上げ、イツコははぁっと熱い吐息を漏らす。
……実に素晴らしい光景を最後の個体に見せて貰えたと、胎を疼かせながら。
ぽたり、ぽたり。
イツコの手に、金属の蓋に、そして床に落ちる雫は、へらりと笑う口から垂れる涎ではない。
104番にとってこれまで自分という存在のありかを常に教え、支え続けてきた相棒との永久の別れを嘆く、もう出なくなったと思っていた大粒の涙――
「おやおや、まだ泣けるんだねぇ」
「まだ実習前ですし、これだけ難物個体だとやはり残りますよね。……大丈夫です、あと4週間で仕上げますので」
「うんうん、流石は有能な作業用品だ。頼もしいねぇ」
軽口を叩きながらも、イツコの手と口は止まらない。
「ダメじゃないの、涙をこぼしたら」と諫めつつ、押し込む手を一旦止めて片手を腰に回し懲罰電撃を流せば「ご指導ありがとうございます!」と笑顔で叫ぶものの、涙が止まる気配は無さそうだ。
「あーそっか、おちんちんを永遠に封じられるのに興奮しているのね?」
「あはぁっ、そうですっ……気持ちいいですぅ……もう俺のおちんぽ様、役立たずだからいらないんですぅ……」
「そうよね。気持ちがいいなら涙が出るのも仕方が無いわねぇ」
(そんな、こと、ない…………っ!!)
ヘラヘラと笑いながら、決して響かない雄叫びを上げながら、凝視する瞳はその瞬間を見届ける。
押しつぶされ、無理矢理身体の中に格納されていくおちんぽ様。
後1センチ、5ミリ、3ミリ……位置を調整し、金具に挟まないよう気をつけながらゆっくりと、ゆっくりと……だが、確実のその瞬間はやってくる。
(ああ、ああっ……あわ、さる…………!!)
プレートから伸びる二本の足が、さっきまで檻の突起を嵌め込んでいた穴へと入り込む。
位置を合わせるためにイツコがぐっと力を入れれば、金具が合わさる音が……やけに耳に響いた。
カチン
「はい、これでもう、見えなくなった」
「あ……」
「で、これね」
カシャン
「…………封印、されちゃったねぇ」
「あは、あはっ……おちんぽ様、無くなっちゃった…………あはは…………!」
次の瞬間部屋に響いたのは、管理官が渡した鍵が回る小さな音。
イツコが抜いた鍵を管理官に渡せば、その掌の上で鍵は音も無く砂のように分解され消え失せてしまった。
(鍵が、無くなった……ああ、もうこれで二度と……この蓋は、開かない)
力の無い笑い声が、勝手に口から放たれる。
――俺は今日、何回絶望を笑えば許されるのだろうか。
「もう股間を見てもこれで平気よ。数分もすれば落ち着いてくるでしょ」
「はぁっ……ありがとうございますぅ……」
処置が終わり、鎖を外され手の拘束を前に変えられる。落ち着けば隣の部屋へと移り、72番と合流するのだそうだ。
(本当に……これなら、生き物に戻れるんだ……)
少しずつ、分厚い『穴』として作られた自我が薄らいでいく。
口が、顔が、身体が自分の所に返ってくる。
試しに股間を見つめても、見慣れた膨らみはどこにも見当たらず、ただ無機質な金属がキラリと光るだけ。先ほどまでの後頭部を殴られたような衝撃も、じゅわりと脳から涎が垂れるような発作的な快楽も、何も起こらないことに104番はほっと胸をなで下ろした。
と言っても、この時間は長くは続かないだろう。
恐らくこれから彼女たちが話していた「実習」とやらが始まり、そうすれば自分は再びこの身体に全てを閉じ込められるに違いない。
それでも、最悪の事態は免れた。
保管庫にさえ戻れば本当の自分でいられるし、なにより己の象徴はこの奥に封じ込められただけ。切り取られなかっただけでも十分ありがたいと、104番は人間様にしては寛大な処置に感謝の気持ちを覚えていた。
けれど、ああ。
やっぱりそんなに甘い話は転がっていない。
「そうそう、言い忘れたけれど」とイツコは目の前の銀色の蓋をコツコツと爪で叩いた。
反射的にとぷりと先端から透明な蜜が滴る。けれど、欲しい快楽にはほど遠い。
思わず「んふっ」と腰を振る104番の太ももに鞭を振り下ろしながら、イツコは口を開く。
「フラット貞操具――ああ、その蓋の事ね。それとテザーの先に通したリングの解錠は管理官様にしかできないけど、製品になってからもちゃんと問題が無いか定期的に外して点検はしていただけるわ」
「え……で、でも……」
「……ああ、鍵?管理官様が都度生成するわよ。そっか、二度と開けられないって思ったのねぇ……ふふっ、残念だったわね。管理官様はいつだってその蓋を外せるの。言っている意味は分かるわよね?」
「!!っ…………は、い……」
「お利口さんにしていれば、この中身を目にすることは生涯無いわよ。安心なさい。……何にしてもあんたは、保管時のみ生き物であることを許されたの。ねぇ、嬉しいでしょう?」
「はい、嬉しいです…………ありがとうございます人間様、調教師様……っ……」
(そうだ……二等種にこの世に存在すること以外の権利は存在しない……)
外される事がある――それは、保管庫でまともな思考を取り戻すささやかな権利すら人間様の手に握られていて、気分次第でいつでも容易に奪えるという意味。
ホッとしたのも束の間、それすらも計算のうちだと宣告され……けれど、一度完全に折れ服従した心は、もう元に戻るだけの力を持っていなくて。
(もう、疲れた……何もかも……ああ、俺は穴として、作業用品である調教師様にも従うしかない……)
104番は再び試すかのように伸ばされたイツコの足先に、恭順の舌を伸ばすのだった。
…………
「じゃあ、始めるか」
104番の拘束が終わるなり、ヤゴが声をかける。
一体何が始まるのかと72番がきょとんとしていれば、目の前に作業用品が一列に並んだ。
ヤゴとイツコを筆頭に、オス4体メス4体、総勢8体。
これまでの訓練で見た顔も混じっている。そして遅れて合流したイツコも含めて、全員が謎の金属の下着を身に着けていた。
(調教師様には股間を覆う権利が与えられているんだ……いいなぁ……)
よく考えてみれば、二等種になってから一度も下着を履いたことがない。
当たり前のように大切なところを隠す権利すら奪われていたことに、72番は改めて二等種の人権の無さを思い知る。
……知ってしまったせいだろうか、とても普通の下着とは思えない異様な出で立ちにすら、なんだか羨ましい。
整列した作業用品の列から、ヤゴとイツコが一歩前に出る。
口を開いたのは、いつも通りヤゴだった。
「今から実技検査を行う。昨日までの加工が上手くいっているかどうかの検査だ。……ああ、104番はもう終わったようなものだがな」
「……はい」
「これに合格すれば、性処理用品としての製造工程は正式に完了する。その後は4週間かけて奉仕実習。問題が無ければ1ヶ月後には出荷前検品を通して、そのまま出荷……地上行きだ」
「「!!」」
地上。
もう二度と足を踏み入れることなど無いと思っていた、懐かしい場所へ戻れる。
例え性処理用品として人間様の穴として使われるだけであっても、天井の無い空を仰ぎ、外の世界の――薬品と淫臭以外の匂いを感じられる日をどれだけ望み続けていたか……!
(あと1ヶ月……実習さえ終われば、ここから出られるんだ……!)
ようやく訓練生活の終わりが見えたからだろう、72番の瞳には希望の光が見え隠れしていた。
そんな72番をそっと盗み見て、104番は(ああ、こいつはまだ知らないのか)と少しだけ哀れみを含んだ視線を向ける。
一方で前に並んだ作業用品達は「その瞬間」を期待してだろう、ニヤリと口の端を上げ、ある個体は上気した顔で無意識に触れられるはずの無い欲望を求めカリカリと金属の下着――貞操帯を引っ掻いていた。
「で、実習の内容だが。……これから4週間、俺たちに奉仕をして貰う。実際の利用を想定して、起動から奉仕、終了までの一連の流れを繰り返すだけだ。と言っても、お前らが何かを考える必要は無い。ただ躾けられた通りに動くだけだ」
「…………へっ?」
そんな中、最低限の説明をヤゴが素体達に施す。
案の定104番は既に予想がついていたのだろう、今にも泣き出しそうな顔でぐっと唇を噛みしめている。
そしてその隣で、72番は目をぱちくりとさせていた。
……彼女が何も理解していないのは仕方が無い。メスが現実を知るのは実技検査の時だからと思っていたが、どうも様子がおかしい。
(こいつまさかここまで来てまだ何かやるのか)と危惧するヤゴの予感は、案の定的中する。
「ええ……調教師様に……?そんな、人間様じゃない……?」
「…………おいおいマジかよ」
72番がぽつりと呟いた言葉に、作業用品達は眉を顰め、ヤゴは天を仰ぐ。
どうして検品も通ってない性処理用品が、人間様相手に奉仕が出来ると思ってしまったのか。本当に訳が分からないとため息をつきつつ、後ろで鞭を構えた作業用品を「ちょっと待て」と静止ながらヤゴは72番の前に仁王立ちになった。
「……なんだその反応は。たかが素体の実習に人間様を付き合わせるわけが無いだろう?それとも何だ、俺たち作業用品相手には奉仕なんて出来ないとでも言うつもりか?」
「…………です…………」
「ん?何だ、聞こえないぞ」
「……や……ですっ……!!二等種にご奉仕なんて、嫌ですっ!!」
「「!!」」
思いがけず大きな声に、作業用品達は一様にポカンとする。
まさかこの期に及んで自分達に反抗する個体がいるだなんて思いもしなかったのだ。
だが、これは即懲罰かと管理官の指示を待つも、一向に声は聞こえてこない。ここは動かず静観しろと言うことなのか。
だから、72番を止めるものは誰もいない。
目の前に立ったヤゴも、ただ静かに眺めるだけ。
(どうして!?私、ずっと頑張ってきた!辛いのだって痛いのだって我慢した!こんなガバガバの穴にされて、痛みも気持ちいい変態にされて……でも、それは)
104番とは違いずっと胸にしまい込んでいた、自分でも気付いていなかった感情が堰を切ったように溢れ出す。
自分は、性処理用品になるために志願した。
確かに自分が気持ちよくなりたいから選んだ道だけれども、ここまで身体を変えられた今……いや、あの動画を見てボタンを押した時から、人間様にご奉仕するためのモノになることは心のどこかで受け入れていたのだと、今更ながら気付かされる。
けれど、受け入れていたのは『人間様の』穴になることだけだ。
「私はっ、性処理用品です!!人間様のための穴になるんです!人間様にご奉仕して、人間様からご褒美を頂くモノになるのに……何で?何で同じ二等種に奉仕しなきゃいけないんですか!!」
「……ああ、そういう事か」
「だから嫌です!!それなら偽物のおちんぽ様に奉仕する方が、ずっと、ずっとマシですっ!!」
叫びながら、72番自身も自分の言葉に驚いていた。
そう、作業用品達は自分を調教する為のモノとはいえ、同じ二等種なのだ。ほんの少しの上下関係はあったとしても、自分がこの身体を使って媚びへつらいながら奉仕すべき存在では無い……あくまでも同類なのだと思い続けていただなんて。
(そっか、だから、私はずっと……!)
けれど、その言葉に何となくこれまでの自分の行動が腑に落ちる。
幼体として捕獲されてからここに出荷されるまでの6年半、自分は一度たりとも人間様に逆らったことはおろか、失言したことすらなかった。人間様の言葉は絶対で、一言たりとも聞き漏らすことは許されないものだった。
そもそもそんなヘマをしていたら、今ここに自分がいるはずが無い。やらかした二等種達は皆、廊下や壁の飾りとなって壊れるまで見せしめにされたのだから。
なのにここに来て以来、作業用品達の話は聞かないわ、明確に禁止されているはずの質問を繰り返すわ、挙げ句の果てに作業用品まで巻き込んだ懲罰を引き起こすわと自分でもよく分からない言動を繰り返していたのは……全て、彼らを無意識に対等な種族であると位置づけていたため。
(私の全ては人間様のモノ。二等種のために使われるモノじゃない!)
自分の想いを自覚した72番は、初めて見せる剣幕でヤゴを睨み付ける。
たまたま役割が違うだけ、役割のために頭は下げても、従属はしないと意思を込めて。
(大体、何であなたが黙ってるのよ、104番!!)
そして心の中で叫ぶのだ。
一緒に叫ぶかと思った104番は目を伏せ俯いたまま。
何故、私の言葉に同調しないの?あなたの方が、二等種に調教されるのを嫌がっていたのに……?と。
「…………はぁ、お前は最初から最後まで……まあいい」
全てを出し切ったのだろう、はぁはぁと息を切らす72番に対してしばしの沈黙の後「言いたいことはそれだけか」とヤゴが冷たく言い放つ。
「……まあ、人間様への従属心の高さと思えば悪くは無い、のか。良かったな72番、今の放言に対する懲罰は免除される」
「…………?どういう」
「必要が無いからだ」
「んっ」
ぐい、と72番の顎を上げたヤゴが、無言で昨日鼻に通されたチューブと詰め物を引き抜く。
ようやく顔周りの詰まった感じが取れてすっきりするものの、まだ匂いはよく分からない。
ただ、妙な不安が心に忍び寄る。
啖呵を切ってしまったせいで、人間様に懲罰を与えられると恐怖を覚えた……それはない。さっき懲罰は免除だと言われたのだから。
ただ、何か落ち着かない。
このままではいけない、何かが足りないと、頭のどこかが警鐘を鳴らし続けている。
(一体、何が……?)
思わず見上げたヤゴの顔は、いつもと変わらない仏頂面だ。
ただ、気のせいだろうか。
……少しだけ、苦しそうな顔をしているのは。
「…………叫んだところでもう遅いんだよ、72番」
「え」
その口が発した言葉の意味を理解する前に、部屋にいくつもの音が響く。
カシャン、カシャンとつい最近聞いたばかりの音が目の前のヤゴの股間からも聞こえて……ヤゴが解錠された南京錠を外してそっと握りしめた。
「まぁ自覚があるのはいいことだな。確かにお前は穴だ。ただの欲望の捌け口だ」
ガシャンと、ひときわ大きな金属音が響く。
目の前の、そしてその後ろに並ぶ作業用品達が「あーキツかった」「やっと楽になれる」と口々に話しつつ、管理官によって解錠された金属の貞操帯を次々とその場に脱ぎ捨てていく。
むわりと漂ってくるのは、嗅ぎ慣れた性器の匂いだ。
あの金属の中に包まれていたせいだろうか、汗で蒸れたような臭いも混じって臭くて、けれど一方で頭が痺れるような感覚も覚えていて。
「だがお前は単なる人間様の穴ではない」
戒めから解き放たれたヤゴの股間が、瞬く間に元の質量を取り戻す。
ああ、ああ、それは知っている。
天を突き、幹に血管を浮きだたせた……愛しい、愛しい『おちんぽ様』……!!
「お前は、この世界に存在する全ての性器に奉仕する性処理用品だ」
見慣れた股間が目の前に突きつけられている。
それを自覚した瞬間、72番の頭の中で何かが弾けて。
「あはぁっ……おちんぽ様、ご奉仕させて下さいぃっ!!」
――彼女は正真正銘の『モノ』になった。
…………
ガシャン!と金属の音が部屋に響く。
何度も、何度も、首と股間の大切なところが引っ張られ、苦しさと痛みを覚えているというのに、そんなことは知らないと言わんばかりに足は前に踏み出そうともがき、口は恭順と嘆願を叫び続ける。
「おっ、おちんぽ様っ、お願いします499F072にご奉仕させて下さい!!あああっ逞しいおちんぽ様ぁ、この穴に突っ込んで気持ちよくなって下さいぃ……!!」
(え……なに、これ……!?)
突然の反応を、72番はただなすすべも無く呆然と内側から眺めていた。
訳が分からない。ただ、ヤゴの股間の昂ぶりを目にした瞬間頭の中で何かが爆発して……気がつけばボタボタと涎を垂らしながら、心にも無い悍ましい言葉を自分でも聞いたことが無いような甘ったるい声で叫び、奉仕をねだり続けている。
「うわすっげぇ、72番はめちゃくちゃがっついてるな。104番の方が弁えてるだなんて意外すぎ」
「ヤゴ、これ4週間で人間様に飛びかからないようにしないとまずくね?」
「あれだけ二等種のちんぽは嫌だって叫んでたのにさぁ……本当は元々狙われてたんじゃないの俺ら」
ニヤニヤと笑いながら、この身体に向かって向けられた言葉。
そんなこと思ってない、二等種のおちんぽ様なんていらない、そう思ってヤゴにむしゃぶりつこうとする身体を止めようにも、何故か指一本自分の意思では動かせない。
それどころか「おちんぽ様大好きですぅ……調教師様のおちんぽ様も、太くて大きくて……素敵……」と心にも無い言葉を口にする始末だ。
(何!?どうなってるの!?やめて、そんなこと言わないで!!どうしてっ私の身体なのに勝手に動いて喋るのおおっ!!?)
訳の分からない事態に、72番はパニックを起こしていた。
けれどいつもなら慌てて鎮静剤を手にする作業用品達は、何事も無かったかのように自分を眺めている。
ただ一人、バイタルを確認したヤゴですら「……ここまで精神的に乱れても表に出ないなら、検査は問題ないな」とどこか満足げだ。
「まぁでも、あんまり乱れたままで置いておくと壊れやすくなるか……どうしたものか」
「ヤゴ、鏡でも見せてあげなさい。まずは現実を突きつけるのが一番よ」
「……なるほど、それがいいか」
(いやあぁぁっ、お願いおちんぽ様向こうに行かないでっ……やだっそんなこと思ってない!もっと匂いを嗅ぎたいっ!違う!臭いのやだあぁっ!!)
頭の中で響く、自分の思考とはかけ離れた思い。
まるで自分の中に別の自分が作られていているような感覚に、そして作られたモノに全てを乗っ取られる恐怖に背筋がぞわっとする。
「いぎっ……」
「ほら、見てみろ。これが今のお前の姿だ」
「はぁっ、はぁっ、あ……あはぁ…………おちんぽ様……」
「そっちじゃ無い。まずは自分の姿を見ろ、じゃないと奉仕はさせんぞ」
「あああっ申し訳ございませんっ!!おちんぽ様ごめんなさいいっ!!」
穴を使って欲しいと渇望する偽の思いと、二等種のペニスなど口にしたくないと叫ぶ本当の思いが頭の中で殴り合いをしているようだ。
あまりの混乱に訳が分からないながらも、股間の拘束を解かれ股間を鏡に向かって広げた体勢でぐいっと頭をヤゴに掴まれた72番は、命令されたとおり鏡の中を覗き込む。……いや、覗き込んだのは本当に私の意思だったのか、それも確かでは無い。
ただ、そこに映っていたものは……『私』ではなかった。
(そんな……なんて顔をしてるの……!?)
「はっ、はんっ、はぁっ……」
「どうだ?俺たちのちんぽが欲しくて欲しくて堪らないって顔をしているだろう?」
「はいぃ……だって、大好きだからぁ……」
ヤゴの言葉に甘ったるい睦言を返す唇は、だらしなく開いて涎を垂らしている。
どこかネジがすっ飛んだような満面の笑みを浮かべる顔はほんのり頬と目尻が赤く染まっていて、潤んだ瞳は鏡に映ったヤゴの剛直に釘付けになっていた。
時々何かを思い出したかのようにくしゃりと表情が崩れるけれど、それもほんの一瞬。
目の前に馬鹿でかい屹立を突きつけられれば、すぐに淫らな笑顔を取り戻して、必死に舌を伸ばしてご奉仕アピールを繰り返す。
……躾けられた身体は、流石に勝手にご奉仕をすることだけはないらしい。けれど今、この首輪の鎖を解かれれば間違いない自分はヤゴを押し倒してしまう、そんな確信がある。
(……なんで、私何でこんなことをしてるの……!?)
心の中で衝撃を受けているであろう72番に「これが製造完了の形だ」とヤゴが後ろから話しかけてきた。
「人間様は、性処理用品を躾けはするが、思考や感情を捻じ曲げたりはしない。精々快楽への耐性を下げて万年発情期のサル状態にするくらいだ。だから、お前の心は何も変わらない。……変わらない代わりに、別の思考形態を作るだけでな」
(別の……思考形態……?)
「端的に言えば、お前はもう……人間様はおろか俺たちからも作られたプログラム通り動くモノにしか見えないって事だ」
…………
二等種を洗脳し、思考と感情を完全に人間の思うがままに操れたら――
それは、遙か昔二等種を無害化する事を試み始めた当初から人類が目指してきた夢の技術だった。
だが、その試みは数百年の年月を費やしているにも関わらず、一度たりとも成功したことが無かった。
上手くいったように見えても、非合法な薬物や魔法を使いすぎたせいで1年と持たずあっさりと壊れてしまう個体が後を絶たず、コストばかりがかさむ始末だったという。
そんな中、苦肉の策としてとある研究者が進言した言葉が、世界を変える。
これまでの手法と併用して人間が思い描く理想の性処理用品の人格を外から植え付け、スイッチ一つで切り替えられるようにすれば、元の気質や無害化の度合いに関わらず、少なくとも表面的には人間様に従順な製品が出来上がるのでは無いか……
夢物語だと当時一笑に付されたこのアイデアは、しかし提唱から100年もしないうちに実用化された。
理性を働かせる機能を敢えて弱め、快楽や衝動にあっさり呑み込まれるような加工を施した上で、快楽を想起させるトリガーと共に依存度を高める快楽と幸福感、そして性処理用品として『正しい』言動を繰り返し頭の中に叩き込む。これにより擬似的な人格を作り上げることに成功したのである。
いわば、重度の快楽依存症とでも言えばいいだろうか。
トリガーとなるものの存在を関知するだけで、どれだけ強固な意志を持っていようが脳が理性を裏切って作られた人格に切り替わり、快楽というご褒美を期待して、芸をする動物のように植え付けられた言動だけを繰り返す事しかできなくなる。
トリガーはなるべく多種多様なものを選択し、否が応でも触れずには生きていけないようにすれば、実質二等種の人格は表に出ることを許されない状態を維持できると言う寸法だ。
実用化から年月が経った今は更に研究が進み、事前に無意識レベルで性処理用品らしい振る舞いが出来るように仕込んだ上で仕上げとして性器従属機能を実装することで、どれだけ目の前の性器に狂って理性を手放そうが、身体は自動的に仕込まれた極上の奉仕スキルを繰り返すように作り上げられるようになっている。
もちろん、この効果は永続的なものではない。トリガーを一切関知しない状況に生涯身を置くことが出来れば、徐々に効果は減衰していくと言われている。
だがどれだけ年数が経とうが、ひとたび性器の存在を関知すればたちまち元に戻ってしまうのが、この手法の恐ろしさだ。
一度覚えた快楽を、脳は生涯忘れることは無いのである。
それだけではない。
発情を限界まで上げられている性処理用品にとって、トリガーとして採用された『性器』はそもそも渇望を癒やす救世主のようなものだ。
例え一切性器の存在を感じられない状況になっても、極限まで飢えた身体はそのうち逞しい砲身の幻覚を脳裏に描き始める。
……そうなれば最後、二度とこの蟻地獄から逃れる術は無い。
…………
「……と言うわけで、お前は性器の存在を感知するだけで性処理用品という『穴』そのものとしてしか振る舞うことが出来なくなる。だから言っただろう?お前が思考する必要は無い、ただ躾けられたとおりに『動く』ってな」
「はぁっ、はぁっ……ああぁ……おまんこ様ぁ、美味しそう……舐めさせてぇ……」
「お前の心は何も変わらない。今まで通り、俺たちへの不満を思うことも、拒絶を叫ぶことも出来る。……ただ、それはこれから一生、誰にも届かない。何せ表情にも言葉にも行動にも、お前の意思は何一つ反映されないからな」
「ふふっ、メスは鏡でも無いと自分の性器はしっかり見えないから良かったわね?オスは常に見えちゃうから、ああやって封じ込めないとすぐ自分のペニスに夢中になってご奉仕どころじゃ無くなっちゃうのよ」
くぱりと割れ目を開かれれば、鏡に映った泥濘に、その中心で子宮口が見えるほどぱっくりと口を開け、物欲しげに白濁を垂らす穴に目を奪われ、舐めしゃぶりたいとうっとり幸せそうに微笑みながら繰り返すことしか出来ない。
(……そっか。オスのあの蓋は、そのために……それに……)
72番は絶望に沈む心の奥底から、己の痴態をただ眺め続ける。
ほんのり上気した顔、涎を垂らしながら溢れる満面の笑み。性器に阿る声すら幸せに満ちている。
鏡に映った姿は、何度も目にして憧れた……自分がああなりたいと望んだ『幸福な』性処理用品のカタチと寸分違わない。
――ただ、その瞳に映る絶望だけは隠しきれないけれど。
(あの幸せそうな笑顔は、こうやって作られたんだ……!!)
勧誘用の動画から見学で用いた製品まで、これまで彼女が見てきた性処理用品の中にアイマスクを外したモノは、ただの一体も無かった。
今ならその理由が分かる。どれだけ幸せそうに振る舞っていても……恐らくは製品になって年月が経とうとも、内心の諦念と絶望、無力感が瞳に影を落とす問題だけは未だ解決できていないからだ。
ある意味では、瞳の奥に映る感情だけが本当の自分を表してくれる、最後の砦。
けれどただの穴として使うだけの人間様が、わざわざ覆い隠された本音を見出すなんて酔狂な真似をするとはとても思えなくて。
(……ああ)
私はもう、誰にも『私』を見て貰えない存在へと……上辺だけを人間様の都合のいい様に塗り固められたモノへと変わってしまったのだ。
「実に嬉しそうだな。良かったな72番、お前が望んだ幸せな性処理用品になれて」
「はぃ……調教師様ぁ、おちんぽ様を大好きにしてくれてありがとうございますぅ……!」
(これが、本当にモノになるということだったんだ――)
絶望の底から上がった72番の小さな慟哭は心の闇に消え失せ、思ってもいない熱の籠もった感謝の言葉だけが作業用品達の鼓膜を震わせるのだった。
…………
「管理官様から正式に検査合格の連絡が来た」
「こっちもよ。……まあ既に実習は始まっているようなものだけど」
1時間後、素体達の製造完了が正式に認められる。
管理官から通達を受け取ったヤゴとイツコは、その場の作業用品を「お前ら最初からやり過ぎだろ」と呆れつつ眺めていた。
「仕方ないじゃん、72番がやる気満々なんだからさ。な?72番」
「はいっ、調教師様のおちんぽ様、太くて硬くて……ああぁっ、おなかいっぱいうれしぃけどぉ、お口がさみしいのぉ……もっと、もっと舐めさせて下さいぃ!」
「これ、全部の穴が埋まってないと途端に騒ぎ出すのが難点だな……ほらほら、今はその口はおねだりする時間じゃ無いって言っただろ?もっと俺達を褒めながら惨めったらしく喘げ」
「んがっ!!……はぁっはぁっはぁっ……ご、ご指導ありがとうございます…………はっ、んっ……おちんぽ様、中ごりゅごりゅすりゅうぅ……!大きいのだいしゅきぃ……っ……」
72番は床に寝転んだ作業用品の、女性の腕ほどもある剛直を蜜壺にすっぽりと収めて、じゅぽじゅぽとはしたない音を立て腰を大きく上下させている。
ガバガバに拡張された穴は人外じみた二等種の陰茎すら何の準備もなくあっさりと呑み込み、それでも残る奥を突かれる痛みは頭がチカチカするような快楽へとすり替えられ、獣のような喘ぎ声をその口から流し続けていた。
肛門からは結腸に届くアナルビーズを。そして「折角使えるんだから」と尿道にも小さなローターを挿入され、まるで手綱を引くように3つのピアスに繋がれた鎖を周囲の作業用品達がぐい、ぐいっと引っ張り続ける。
どうやらピアスには、一定の力がかかると低周波を流す機能がついていたらしい。乳首を、そしてクリトリスを中から揉まれしゃぶられるような経験の無い刺激に、72番は舌を突き出し白目を剥きながら絶叫する。
「はぁっ、気持ちいい、気持ちいいですぅ……おちんぽ様だいしゅき……ちがうっ……!!」
「んー、ちょっと漏れる頻度が多いかな……薬剤入れて」
「ひっ!!ごめんなさい、ごめんなさいっいやあああああっ助けてええぇっ!!」
時折、内側の本音が見え隠れするのは実習の段階では許容される。
いくら10日間かけてある程度の均質化を行ったとは言え、やはり細かい調整までは現在の技術では困難らしい。だから個体によっては、内側の強い思いがうっかり表に漏れ出てしまうこともあるのだ。
「ひぃっ……怖い、怖いいぃ助けて……!!」
「こんなもんかな?また出るなら次は投与時間を増やさないとな」
「ごっ、ごめんなさい!!おちんぽさま大好きです、おちんぽさまご奉仕させて下さいっ!!」
「……んー、口にちょっと放り込んで報酬も与えておくか」
「ごめんなさいごめんないっんぶうぅっ!!」
4週間の実習は、そんな個体差を細かく調整する作業も兼ねている。
悲嘆に暮れた本音を顔に出す度に、そしてほんの一言でも拒絶の言葉が口を突く度に懲罰として底知れぬ恐怖を産み出す薬剤を注入し身体に教え込むことで、本来の自我による表現を徹底的に抑制していくのだ。
その顔は、どれだけ絶望に打ちひしがれても幸福しか浮かべない。
その唇は、どんな仕打ちを受けても快楽と恭順、そして奉仕の懇願しか口ずさまない。
……性処理用品が満たすべき最低限の基準を達成するまで、飴と鞭を駆使した調整が終わることは無い。
「はぁっ、んはっ……おちんぽ様、いい匂い……頭溶けちゃう……」
「ん、ちゃんとプログラム通りの言葉が出てるな」
「あへ……いい、におい……おいしい……」
さっきまでとは打って変わって、72番の頭の中に強制的な幸福感が満ちあふれる。
目をどろりと蕩かし涎がつぅと顎から糸を引くその身体の内側で、真っ白な思考の中に漂う本当の想いが泡のようにパチン、パチンと弾けて消えていく。
(臭い……気持ち悪い……こんなの、嗅ぎたくない……)
(不味いよう……吐きたいよう、飲み込まないで……!!)
外面と内心の矛盾に、頭が壊れてしまいそうだ。
しかもそれを誰一人分かってくれない。いや、本当は分かっているはずなのに、内側の自分はいないものとして扱われる。
そう、実習に入って以来作業用品たちは作られた人格の言動にしか答えない。
72番の本音はただのエラーで、その内容に耳を傾けるべきものではないと一切の反応を見せず、機械的に恐怖をもたらす薬剤を注入されるだけ。
(……私は、誰にも見つけて貰えない……独りぼっちなんだ……)
絶望に打ちひしがれる72番の耳に「にしても」と作業用品の声が飛び込んでくる。
……もちろん、自分のあられも無い嬌声と共に、だ。
「正直意外だったぜ、104番がここまで従順になるだなんて……実習初日なんてどの個体も多かれ少なかれ中身が漏れるのに、ここまでゼロかよ」
「流石はイツコだよなぁ、良くこの不良素体を仕上げたよ」
「ふふっ、態度はともかく能力的には悪くない素体だったおかげよ。頭が回る個体は諦めがつくのも早いってね」
「つまり72番は脳みそが無いと……ヤゴ、しょっちゅう嘆いていたもんな……」
「というより、この漏れっぷりだ。ここまでされてもまだ諦められないんだろう……お花畑もここまで来ると感心する」
72番の目の前では、104番がメスの作業用品に奉仕を行っていた。
メスの作業用品には本来あり得ないオスの徴が取り付けられている。人間の平均的なサイズに作られた疑似ペニスが二本104番の後孔を出入りし、さらに別のメスの作業用品によって喉を深く抜き差しされる度に、粘着質な音と共に「おげぇっ、うえっ……」と嘔吐く声が漏れ出ていた。
「……あ、そろそろ出るわ。ちゃんと全部飲みなさいよ」
「んぶっ!!んぐ、んぇっ……!!」
根元まで押し込まれた屹立から、とぷりと白濁が吐き出される。
そのまま食道に落ちていく感触を味わいながら104番はぶるりと身を震わせた。
……あれは絶頂の直前で止められた身体の悲鳴だ。
「はぁっはぁっはぁっ……美味しいザーメンをありがとうございます、おちんぽ様……お掃除をさせて頂きます……」
「いいわよ、3本とも綺麗にしてね」
「はい……はぁっ、熱い……硬い……おいしぃです……」
「そう、自分のケツに突っ込まれたチンコも美味しいんだ」
「おいしいです……はぁっ、もっと……」
べっとりと白濁と腸液に塗れた屹立を、104番はアイスキャンデーを舐めるかのように実に美味しそうに舌を這わせていく。
恍惚とした表情を調教師様に向けてアピールすることも忘れない。
その瞳には底知れぬ悲しみが宿っているけれども、不意に出そうになる嘆きは全力で飲み込み、押さえつけ、淡々と目の前のおちんぽ様が望む言葉だけを紡ぐ口。
(……なんで、そんな簡単に諦められるの?)
10日前とは打って変わって別人に……まさに理想の性処理用品と化してしまった104番を、72番は理解できない。
未だ今日よりマシな明日が来ることを無意識に信じている72番を、104番が全く理解できないように。
(本当の俺は、もういない)
静かな諦念が、頭の中で鳴り響く服従の歌を受け入れていく。
不意に湧き上がる疑問も、反論も、全てを自ら叩き潰し、無かったものとして心の奥底に鎮めてしまう。
(いないなら……俺が、作られた俺と同じになれば……きっと今よりは幸せになれる)
適応しなければ、恐らく自分は早晩壊れてしまう。
どうやら俺は思った以上に生き汚かったらしい。矛盾に壊されるくらいなら、外の自分に本当の自分が近づいて一つになれば……心の底までモノになって、この身体の表面に現れる幸福を事実としてしまえばいいと気付いた彼には、もはや矜持のかけらも無い。
――そんなものは俺が俺である証と共に、この金属の蓋の下に封じてしまったから。
(生き物のとしての幸せでは無い、モノとしての幸せで満足するしか無いんだ……)
素体達の前に「次はこれな」とオスの剛直が差し出される。
72番にとっては、とても愛を紡ぎたくない、自分と同じモノの証。
そして104番にとっては、かつては自分も持っていて、けれど永遠に取り戻せないオスとしての力強い徴。
「「はい……おちんぽ様、ご奉仕させて頂きます……!」」
(いや、いやなのっ!!人間様じゃないおちんぽ様はやだっ、嫌なのに、お願い涎なんて垂らさないで、嬉しいなんて言わないで……!!)
(もう、自分には関係ないものだ。これは愛しいおちんぽ様、俺が奉仕させて頂く大切なお方……)
未だ己の変化を受け入れられない72番は、誰にも届かない叫びを上げながら。
そして歪んだ常識を受け入れた104番は、尽きない嘆きの呟きをまた一つ押し殺しながら……どちらもうっとりとした表情で、そのつるりとした先端を頬張るのだった。
…………
「ふーっ、ふーっ……おあぁぁ……っ……」
小さな保管庫の中に、72番の呻き声が反響する。
まだまだ甘さは残るものの、シャッターが閉まってトリガーが見えなくなったお陰で落ち着いてきたのだろう、どうやら閉じ込められていた自我から湧き出る言葉を必死に叫んでいるようだ。
(ああ、やっとちょっと出せた……!!)
今日も自分の想いを声に出せた、その事に彼女は安堵する。
そして休むこと無く、新たな呻き声を上げるのだ。
実習が始まった日から、この保管庫の中では性の匂いを感じることが無くなった。
相変わらず股間はびしょびしょで愛液はずっと床に滴っているから、多分これは嗅覚からスイッチが入らないようにするための措置だろう。何せ最近では、目隠しをされていても鼻にペニスを擦り付けられ強烈な匂いを嗅ぐだけで性器を目にしたときと同様の反応が出るようになってしまったから。
お陰でここにいる時だけは、己の全てが塗りつぶされる恐怖から逃れることが出来る、と72番は人間様の配慮にそっと心の中で感謝する。
とはいえ2ヶ月に及ぶ訓練と加工によりその心身は常に激しい渇望からは逃れられず、かつ頭の中では24時間作られた『自分』が性器への愛を奏で続けているから、性器従属化訓練前の状態にはほど遠い。
それでも彼女は、ほんの少しでも己の意思を出せるこの時間を何よりも大切に思っていた。
「うぁ……あ……はぁっ……おちんぽひゃま……」
(保管庫では本当の自分のままでいられる……調教師様は嘘は言ってない、でも……)
偽の囁きを混ぜつつも、彼女はひたすら声を上げる。
わずかな時間を一秒たりとも無駄にしたくないと言わんばかりに。
実習が始まってから、保管庫に置かれる時間は極端に短くなった。
朝は餌の注入が終わればすぐに腹の中の液体を転送されて檻から出されるし、夜は夜でシャッターが閉まって一息つけばすぐに消灯だ。
いきおい浣腸の時間が短くなった事だけはありがたいが、これでは本当の自分を出せる時間などほとんど無いと、72番は心の中で嘆息する。
(もう少し……もう少しだけでいいから、自由に叫べる時間を……)
彼女は知らない。
保管庫に於いて一切のトリガーが排除され、自我の表出が許されるのは何も性処理用品に精神の自由を与えるためでは無いことを。
性器従属機能は、直接心を弄ることは無いものの人工的に植え付けた人格を無理矢理被せるという荒技ゆえ、どうしても心身への負担が大きくなる。
24時間スイッチが入ったままにしておけば確かに管理は楽なのだが、精神を閉じ込められた性処理用品は急速に精神を病み、脳を萎縮させ、最終的には自ら心臓を止めて……すなわち壊れてしまうのだ。
折角莫大な予算と魔力、手間をかけてここまで作り上げた性処理用品を、たかだか1-2年で使い潰すのはいくらコストが回収できているとは言えあまりに勿体ない。
だから、性処理用品には必ずトリガーが一切無い環境でいる時間を与える事が決められている。
その期間は、1日に最低8時間。
……つまり、彼らが意識を落としている復元時間の間、保管庫の扉を開けなければ問題が無い。
実際の運用では朝の6時から夜の22時まで、まさに法で定められた最低復元時間以外はずっと保管庫の外で使用する事がほとんどである。
訓練期間より大幅に伸びた実習時間は、地上に出てからの扱いに慣らす意味もあるのだ。
「はぁっ、はぁっはぁっ……あぁ……」
叫びすぎて流石に疲れたのだろう。はしたない姿勢を保ったまま72番は息を切らせ、しょんぼりと項垂れる。
涙は流れない。ささやかな感情の発露すら、この忌々しい、けれど無ければ途端に寂しさに襲われる3つの穴の『蓋』のせいで妨げられる。
(……これじゃ結局……外に出せないようなものだよ……)
そして毎日のように思うのだ。
たった一言でいい、心からの言葉を明瞭に紡ぎたいと。
そして、たった一粒でいい、この嘆きを眼から雫として溢れさせたいと――
「同じ二等種にご奉仕は嫌」と叫んだところで、塞がれた口から辛うじて出てくるのはくぐもった呻き声だけ。
獣の鳴き声に等しい音に込められた意味など誰にも分からない。自らを鼓舞しようにも、その言葉すら許されないのだ。
私が私であることを許されるのは、ここで慟哭を上げる瞬間だけ。
壊れるまでずっと、これからの私の人生のほとんどは、植え付けられた『モノ』である人格の物と成り果ててしまった。
そんな貴重な時間だって、発情に流されればあっさりと消え失せてしまう。
こんなカタチにされて、その上閉じ込められた私を消す権利すら奪われて。
「あぁ……うああぁっ……!!」
(私は……私はっ、おちんぽ様なんて好きじゃ無い!!……おちんぽ様もザーメンも、美味しくなんてないのっ!ねぇ、聞いて!お願い、私の言葉を……誰か、聞いて……)
その叫びの意味はいずこかにいるという神とやらにも決して届くまいと知りつつも、それでも自分はここにいると言わんばかりに、72番はくぐもった叫び声を消灯後も延々と響かせ続けるのだった。
――彼らが地上に出荷される日まで、あと2週間である。