沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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20話 ガラス張りの地上へ

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 バチン、バチン、バチッ……

 浴び慣れた電撃の痛みが、首から腕へと抜けていく。
 3つめの電撃が弾ける前に、72番は反射的に身体を起こして基本姿勢を取った。
 調教棟での12週間に渡る訓練の結果、夢を見られない身体にわずかに残されていた微睡みすら奪われた事に、彼女は気付けないままだ。

 ――スイッチを入れられれば即座に起動するのは、モノである以上当たり前の挙動。
 既に製品として出荷された以上、人間様が想定しない言動は全てバグとして報告され、そのほとんどが『修理』対象となる。
 もし、ここで起動に一瞬でもラグがあれば即座に地下に送り返されていたが、どうやら72番は無事チェックを通過したらしい。

(……起動……ってことは、地上だ)

 即座に緊張状態に陥った頭は、すぐに状況を把握する。
 開梱されたということは、既に地上へ出荷された後。
 ガラガラと何かを引きずるような音は、恐らく自分が梱包されていたスーツケースだろう。

 アイマスクを着けたまま周囲の気配に耳をそばだてていれば、隣で靴底のような硬いものが床を踏みしめる音がして、すわ人間様かと心臓が早鐘を打つ。
 だがシューッと聞き慣れない空気音に、なんだ104番だったのかと一気に力が抜けた。

「起動確認、待機状態問題なし。シロ、チェックリストの送信は終わったか」
「もう管理官様から承認が下りたよ。B品もD品も2西の空いてるとこに入れていいって」
「そりゃ楽でいいや。んじゃ、さっさと片付けちゃいますかね」

 どうやら目の前にはオスの作業用品が二体いるようだ。
 鼻先にぬるりとした熱いものを感じて、濃いオスの匂いが鼻腔を駆け抜けた瞬間、72番はどろりと上下の穴から粘液が糸を引いたのを感じた。

(これ……おちんぽ様……ああ、ご奉仕したい……いやっそんなこと思っていない……)

 幸いにも口が塞がれているお陰で、二等種に向かって無様に奉仕をねだる最悪の事態だけは避けられている。
 もう製品になったのだ、いくら規格外のおちんぽ様とはいえ二等種相手に奉仕をねだるのはこりごりだと72番が維持具の存在に感謝していれば、じゃらりと鎖の音が股間に繋がった。

(!!にっ、二足歩行……っ!!うわ、地上じゃ二本足で歩けるの!?)

 慌てて彼女はその場に直立する。
 久しぶりに足だけで踏みしめる地面は、地下と何も変わらない。それでも今、自分は二本の足で地上に触れている、その事が嬉しくて堪らない。

(二度と地上には出られないって思ってた……こんな形だけど、戻ってきた……戻ってきたの、私!!)

 バチンとピアスに電撃が走る。
 72番は感極まった様子で、しかし鼻の中にこびりついたオスの匂いですっかり頭を沸かせながら、作業用品に引かれ保管庫への道を歩むのだった。


 …………


 検品を追え無事製品となった性処理用品は、地上にある展示棟に出荷される。
 性処理用品貸し出しセンターのバックヤードに当たる展示棟は、地上で唯一捕獲された二等種が生息している区域だ。

 性処理用品貸し出しセンターは全国に12カ所。
 一つの施設で製品登録されている性処理用品はおおよそ3000体だが、大半は貸し出されているため、常時センターで展示されているのは500体前後である。

 出荷された製品は、同じ保護区域の貸し出しセンターにて製品登録される。その後は貸し出し場所や全国の需給バランスに応じて、各地のセンターを転々とするのが基本だ。
 最近ではオンラインで遠隔地の製品を貸し出し予約する人も増えてきたため、品質管理局は転送陣増設のための予算を国に要求しているらしい。

 当然ながら、製品の管理作業を担うのは作業用品達だ。
 彼らは表の貸し出しセンターからの要請に応じて製品の準備をしたり、返却された製品の洗浄やメンテナンスを行っている。
 また時には、再調教や処分となった個体を地下へと送り返す事もある。

 なお、展示棟には地下は当然のこと、貸し出しセンターに繋がる物理的通路すら存在しない。
 人間様への貸し出しも含め、製品の移動は全て転送陣で行われるため、作業用品が性処理用品取扱資格(甲種)を有しない人間と接する機会は生涯訪れないのである。


 …………


「3西のF094とF003、基本セットで即日貸し出し入りました」
「了解、って3西にF003は2体いるぞ、どっちだ!?」
「あ、ごめん、42系」
『うあああ空いてる人返却口ヘルプお願い!一気に8体も返却が来ちゃったよぉ!』
「マジかよ……返却リスト送れ、ついでに維持具も取ってくるから!!」

 ……調教師様と歩く廊下はもっと静かだった気がする。幼体の時の教室へ向かう道のりだって、ここまで騒がしくは無かった。
 恐らく地下では、他の個体や作業用品の気配を悟らせないように移動の時間をずらしていたのだろう。

 ここは、あらゆるところが二等種の気配に満ちている。
 ひっきりなしに行き交う車輪の音に、作業を確認する掛け声、そして鎖と鞭の音に、くぐもった悲鳴と懇願……確かにここは今までと違う場所だと、アイマスクを着けた状態でも肌で感じ取れる程だ。

「今日は随分返却が多いな」と鎖を引っ張る作業用品達が話している。
 彼らは起動から今に至るまで、一度たりとも72番の番号を呼ばない。

 ……ただ機械的に、鎖を繋いで運んでいるだけ。

 同じ二等種による徹底したモノ扱いに、彼女の胸がチクリと痛む。
 ただ、製品となった自分を作業用品達が使うことは決して無い、それだけが救いである。

「外の世界で、何かイベントでもあったんじゃね?」
「そうだろうな、てことは返却品の清掃とメンテも大変そうだ……浮かれている人間様は碌でもない使い方ばかりするから」
「一昨日は、ビールサーバーをやらされたB品が心臓止まりかけて戻されてたし、その前は無資格者に違法維持具をぶちこまれたC品が内臓破裂だったか……あれ、結構性能良かったのに即処分だぜ!もったいないって管理官様も嘆いてたよ」
「マジで二等種より凶暴だろ、穴を使うときの人間様って」

 外の世界の話題が、作業用品の口からぽんぽんと飛び出す。
 移動中の製品にその話を理解するだけの思考力は残っていないから、管理官も特に作業用品の私語を止めることはない。
 その辺の規則は、無害化の途上である二等種を扱う地下に比べるとかなり緩いようだ。作業用品達の表情もよく言えば明るく、悪く言えば緊張感を感じない。

 72番もまた、手慣れた様子で尻を打つ作業用品の鞭に時折甘い悲鳴を上げながら、よたよたと保管庫への道を歩んでいた。
 彼らの話を理解する余裕も無いほど痛みに続く快楽に翻弄されているのは、いつものことだ。

 しかし今回彼らの話が耳を素通りする原因は、発情のせいだけでは無い。

(はぁっ……お腹が重い……足がもつれる…………こんなに歩きにくかったっけ……?)

 足を前に進める度、どうにも身体がふらつくのだ。
 発情でぼんやりしているせいでは無いし、足の筋肉が衰えた感じも無い。ただ、妙に股関節周りが頼りないというかぐらつく感じを覚えている。

(これなら四つん這いの方がずっと楽だな……)

 モノとして貶められることに慣れた心は、人型として当たり前の歩行すらあっさりと諦めてしまう。
 そんな自分の変容にも気付かず、彼女は今すぐ床に這いつくばりたい気持ちを抑えながら(変なことをして、地下に戻されないようにしなきゃ……)と必死に作業用品の歩く速度に合わせてふらつく足を前に出すのだった。


 …………


 製品の入荷時に、二足歩行機能が残存しているC等級以上の製品については、敢えて二本足で保管庫まで歩かせる事になっている。
 これにより彼らは、数週間にわたり二足歩行を禁じられ、更には維持具から浸透した薬剤により動揺する骨盤に、今の自分が走ることはおろか、まともに歩くことすら難しくなっていることを悟るのだ。

 一応、維持具を外して5分経てばゆっくりした歩行なら可能ではあると地下で教えられたはずなのだが、そんな事実を覚えている製品は稀だ。
 実際、余程二足歩行に強い執着を持つ製品以外は、たった数分の移動だけで自分が二本足では歩けないモノになったとすんなり受け入れ、それ以後は自主的に四つん這いでの歩行を選択するようになるという。

 これより先、彼らが二本の足で地面を踏めしめる日は二度と訪れない。
 それは維持具の薬剤によって緩んでしまった骨盤周りを保護するためでもあるが、そもそもたかが二等種が人間より目線を高く保つことなど、地上では許される訳がないのだ。


 …………


「俺、リフトテーブルを取ってくるからこれ置いといていい?」
「おう。先にB品を搬入してしまうわ」

 作業用品達の足が止まると同時に、製品達のピアスにも停止の電撃が流される。
 彼らの目の前には調教棟と同じように、シャッターの降りた保管庫がずらりと並んでいた。
 ……と言っても、視界を塞がれている製品達にそれを知る術は無いのだが。

 調教棟と異なるのは、通路の片側にのみ保管庫が並んでいること。
 そして、ここの保管庫は上下2段になっており、上段が下段の3分の2程度の高さしかないことだ。

「F072、そのまま四つん這いになって良いと言うまで前に進め」
「……あぃ」

(あ、話しかけられることもあるんだ)

 初めての命令に少しだけ安堵を覚えながら、72番は命令通りその場で四つん這いになり、そろそろと前に進む。
 特に引っかかりも無く足を運べば「そこで止まれ」と短く命令され、クリトリスのピアスに鎖が繋がり、手枷の拘束を後ろに変えられた。
 この感覚は馴染みがある。恐らく鎖は部屋の中心から伸びていて、シャッターが閉まれば基本姿勢を取らせるように容赦なく巻き取られるのだろう。

(ここが……新しい保管庫……見えないけど…………匂いも一緒だ)

 地上なら地上らしい空気を感じられるかと思っていたけれど、どうやら保管庫は何も変わりが無いらしい。
 少しだけ落胆を覚えていたのも束の間

 カチャカチャ……するり……

(…………えっ?)

 頭の後ろで音がしたと思ったら、急に目の前が眩しくなる。
 おずおずと72番が目を開けたその視界は、見慣れた保管庫と同様、白一色だ。
 なんで、と戸惑っていれば後ろから「そのまま振り向くなよ」と先ほどのオスの声が聞こえた。

「今日はそのまま待機。基本はこれまでと同じだ」
「…………あぃ」
「明日から3日間、音声でガイドが入る。その間にここでの生活を覚えろ。それ以後は懲罰になるからな、それと」


「この扉が開くのは、人間様のレンタル、懲罰、廃棄処分、そのどれかだけだ」


(……え、どう言うこと……?)

 疑問が呻き声となる前に、背後でガチャンと檻の閉まる音、そしてシャッターのカラカラという音が響く。
 カシャン、とシャッターが降りてしまえば、オートロックのかかった音と共に鎖が床の中に巻き取られ始めた。

 慌てていつものように真ん中で基本姿勢を取れば『後ろの壁に向きなさい』と早速AIからの指示が飛ぶ。
 そこは地下と違うんだと思いつつ72番が後方の壁に向き直ると同時に、ちょうど巻き取りが終わったのだろう、保管庫の中が耳がキンと鳴るほどの静寂に包まれた。

 ……あれほど騒がしかった廊下の音や気配は、この小さな箱の中では全く感じ取れない。

(……調教の時と同じ大きさ、かな……壁に何かあるけど、それ以外は全部一緒)

 少なくとも保管時の環境は、地上だからと言って特に変わりは無いようだ。
 きょろきょろと全体を見回した72番は(ちょっとつまんないな)と思いつつ、静かになった途端頭の中で響くおちんぽ様への哀願に、これも変わらないやとため息をついた。

(にしても……何でアイマスクを外すんだろう?)

 これは自分じゃ無い、本当の自分はここにいると言い聞かせ、しかし尽きぬ発情に腰を揺らめかせながら72番は先ほど感じた疑問を反芻する。

 地上に上がれば展示中も人間様を不快にしないためにアイマスクは着けたままだと、以前調教師様は話していた。
 実際に動画に出てきた製品も、見学で見た製品も一つとしてアイマスクの下の素顔を晒した個体はいなかったし、例え地上に出ても地上の景色を拝めるかは人間様次第だと諦めていたのに。

(まさか、こんなに早く地上が見られるなんて……といっても、何にも変わらないけど……)

 どうせなら地上らしい物が見たい。
 折角覆いを外されたのだ。抜けるような青さの空を、その下で輝く草花を見たい。窓越しだって問題ない、そもそも窓という概念すら地下には存在しなかったのだからと、72番は早速持ち前のポジティブさを発揮してこれからの未来を描いていた。

 とは言え、貸し出しが無ければこの扉が開くことは無い。
 つまり人間様のレンタル予約が入るまで、この無機質でつまらない部屋に保管されたまま、ひたすら待機させられるのだろうか。

(……暇だな…………ずっと、このまま待つだけなんて……)

 特に何もすることが無いお陰で、72番の頭の中では期待と不安が飛び交っている。
 けれど、この静寂は知らず知らずのうちに頭の中で響く渇望と懇願をひたすら増幅させてしまったようだ。

 ……ああ、少しでいいから気持ちいい刺激が欲しい。
 いつもならおちんぽ様にむしゃぶりつき、穴の中に大量の白濁を注がれて白目を剥いている時間だからだろう、爛れた生活にすっかり慣れた身体は、ほんの少しの待機にも耐えられない。

「んっ……んうっ……はぁっ」

 さっきの検品で人間様から頂いた絶頂と幸福の記憶が、72番の身体をじわじわと炙る。
 どれだけ腰を振り中を締め付けたところで、あの絶頂からすれば無いに等しい快楽しか得られないのに、無意識に埋め尽くされた質量を全身の穴で抱き締めて。

「あぁ……うあぁ……」

(おちんぽ様……こんなんじゃないの、あの人間様の熱くて硬いおちんぽ様に、ご奉仕させて下さい……)

 いつしか彼女は植え付けられた思考に同調し、必死に人間様の性器を思い出しながら目の前の壁に向かって快楽が欲しいと叫び始めるのだった。


 …………


 いつものように、真っ暗な中で目が覚める。
 その瞬間から緊張状態に入った身体は、ガバッと飛び起きて教えられた姿勢を取った。
 あまりに慌てて、夜中に垂れ流した愛液に滑りそうになったのはご愛敬である。

『給餌時間です。その場で左に90度回転』
「!」

 起床のブザーと共に部屋が明るくなった次の瞬間、天井から聞き慣れたAIの音声が響いた。

(え、もう!?しかも扉の方じゃ無くて、横?)

 いつもなら浣腸と給餌は、起床のベルが鳴ってからたっぷり30分は待たされるというのに、ここでは起き抜けで息つく暇すら与えられないらしい。
 にしても何でまた左に?と訝しがりつつも72番が横を向けば、ウイィィン……とモーター音が下から響く。
 何かと思えば、突然尻の辺りにカツン、と衝撃を感じ、思わず「んぁっ」と甘い声が漏れた。

『浣腸用ノズルを接続します』
「うえっ!?んっ……!!」

 床からせり上がってきたノズルが、何度か股間のシールドを叩く。
 数度目の突き上げでどうやら位置を把握したのだろう。カチッとお尻の辺りで何かが繋がる音がしたと思えば、即座に腹の中へと液体が注がれる感覚が広がった。
 少し体勢を整えようと足先を動かすと、途端に電撃が流され『接続後の移動は禁止です』と無情な音声が部屋に響く。

「んぐっ!?うううぅっ…………ふーっ、ふーっ……!」

 まさかこの程度で電撃を飛ばされるとは思ってもみなかった72番は、危うく転びそうになりながらも何とか踏ん張った。
 流石に朝からこれ以上懲罰は食らいたくない。

(ええ……まさか待機したままで浣腸!?そりゃまあ、普段だって……うぐっ、待機時間はこの姿勢だけど、入れるときは四つん這いだったのに……これ、変にお腹に力が入って辛い……っ!)

 浣腸自体はもうすっかり慣れた、筈だった。
 けれどこんな姿勢で腹に液体を注がれたのは初めてだし、そもそもこれまでは多少苦しさで腹を丸めたり足を動かしたところでお咎めは無かったのに。
 製品にはその程度の動きすら許されないのか、と寝起き早々浴びせられた洗礼に72番は慄く。

『給餌用ノズルを接続します』
「!!」

 落ち着く間も無く、音声と共に目の前の壁からノズルが伸びてきて、これまた何度か口枷の表面を叩いた後、音を立てて給餌用の接続口とがっちり繋がった。
 そのまま小さなモーター音と共に、何の合図も説明も無くじわじわと胃が膨れていく。
 外からでも見えるほどぽっこり膨れた下腹部に収まる大腸と、元々通常状態の容積の大半を占めるような抜去防止用バルーンが入った所に更なる液体を注入されテイル胃が、身体を起こしているお陰で余計に横隔膜を押し上げる。
 ……お陰で浅い呼吸に目の前が霞んでいって、ふわりと意識が遠のきそうだ。

 だが、倒れることは許されない。
 さっきの一撃で、たった数センチの爪先の移動すら懲罰対象なのは明確に示されたのだ。
 倒れなどしたらそれこそ貸し出される前に地下へ逆戻りになってしまう……

(苦しい……お腹も、息も、全部苦しい……)

 72番は全身に力を入れて踏ん張り、この時間が早く終わることをただただ願う。
 苦しさだけなら、この身体は同時に快楽を得られるからまだ耐えられる。けれど、つい身体がふらつけば足が動いて無くても容赦なく電撃が飛んでくるのが辛い。

 電撃の強さは地下にいた時と何ら変わらないが、明らかに基準は厳しくなっている。
 その上一体どう言う仕組みなのか、懲罰電撃だけは全く気持ちよさを感じられないから、結局頭の中は苦痛で塗りつぶされるだけだ。

「……んうぅ…………」
『給餌が完了しました、接続を解除します』
「ぐっ……!はぁっ、はぁっ、ううっ……」

 接続されてから、たっぷり15分はかかっただろうか。
 ようやく口と股間のノズルが外れて72番は大きくため息をつき、再び壁と向き合った。

 やっていることは結局いつもと変わりが無い筈なのに、身じろぎすら許されない不安定な体勢で全身を緊張させながら浣腸と給餌を同時に注がれることが、これほど疲れるとは思いもしなかった。
 可能ならこのまま倒れてしまいたい……まだ今日は始まったばかりだというのに、久しぶりに立て続けの懲罰電撃を浴びたのもあって、彼女は既に疲労困憊である。

(ここじゃ、保管庫にいるときはずっと待機なんだ……餌の時間すら、この姿勢から逃れられない……)

 いくら何でも無茶だと嘆きつつも、それでも、と彼女はこれまでを振り返る。
 調教が始まった頃は、この姿勢を長時間取らされるだけでも全身が悲鳴を上げていたのだ。
 それがどうだろう、今やただ股を開いて愛液が滴る泥濘を見せつける時間は、れっきとした休憩時間と化している。

 だから、この給餌だっていつかは慣れるのだろう。
 そうなれば自分はこの静寂の中で、まさに使われるのを待つ機械のように静かに佇むだけの存在になるのか――

 流石にそれは無い、それに、そんなことを考えちゃいけないと、72番は浮かんだ考えを振り払うかのごとく思い切り頭を振る。
 これは良くない。必死に反論していなければ、心はつい不安の方に流されてしまう。

(いくら製品たって二等種は生きているんだし、動かなかったら筋肉だって落ちちゃうよね。それに……ずっとこんな所に閉じ込められたままだなんて、折角地上に来たのに頭がおかしくなっちゃうよ……!)

 ふと頭に過るのは、かつて体験した棺桶の恐怖。
 あの時とは違って感覚は維持されているけれど、静寂の中に閉じ込められて動けない事に変わりはない。
 こんな生活を何日も続けていれば、またあの時のような存在を失う恐怖に取り憑かれるか、さもなくば今も頭の中で鳴り続ける作られた声に屈服してしまうか……

 そんなことをつれつれと考えていれば――と言っても、恐らく給餌終了から10分も経っていない筈だ――頭上から無機質な音声が流れた。


『展示を開始します。展示ブースへ移動しなさい』


 …………


(へっ、展示ブース?なに?展示ってどう言うこと……?)

 突然の音声に72番は目をぱちくりさせる。
 そして次の瞬間、目の前で起こった出来事に思わず「うええぇぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

(かっ、壁っ、壁がっ!!ええっこれ動いたのおおぉっ!?)

 ウイィィン……と言う音と共に、壁だと思っていた仕切りが天井へと巻き上げられていく。それと共に目の前に広がったのは、保管庫よりも明るく照らされた半畳程度のスペースだ。
 保管庫同様、床も天井も壁も真っ白で、そして

(っ……!!)

 真正面、スペースの向こうには、空間が広がっていた。
 
(なに、これ……!?)

 一体何が起こったのか分からないまま呆然としてれば、突如バチッと首輪とピアスに電撃が流される。
 懲罰電撃かと思われた電撃は、しかし一向に止むことが無い。

「あごっ!ぎっ……!!はっ、はぁっ、うぐっ……!!」

 その場で悶絶していれば『前方のブースへ移動しなさい』と再び音声が流れる。
(そんなこと言ったって電撃が炸裂しているのに無茶だよう!)と心の中で愚痴りつつも、痛みと痺れに襲われガクガクと痙攣する足で必死にいざれば、ブースに入った途端電撃はピタリと止んだ。

 どうやらこれは、ブースへの移動を促す電撃だったらしい。
 それならそうと最初に教えて欲しかったと独りごち、けれど人間様が二等種如きにそんな親切なことをするはずが無いと思い直しながら、72番は前を向いて目を凝らした。

(……見慣れた部屋と、違う)

 薄暗くてはっきりとは見えないが、どうやら目の前に広がるのは屋内で間違いなさそうだ。
 天井には埋め込み型の照明が整然と並び、かすかに見える床は見慣れたリノリウムのつるりとした硬い感じでは無い。

(絨毯だ……ってことは、ここは人間様用の部屋……!)

 ああ、本当に自分は地上に戻ってきたのだと、72番の胸が一杯になる。
 もっと良く見ようとそのまま膝でズリズリと前に進めば、くん、とクリトリスが思い切り引っ張られて、バチンと走った懲罰電撃と共に「ぐぇっ」と情けない悲鳴を上げその場で悶絶した。

(忘れてた……股間の拘束はそのままなんだ、いてて……)

 後ろを振り向けば、いつの間に壁に戻った仕切りの下には小さな溝が一つあって、そこから鎖が奥に向かって伸びている。
 この展示ブースとやらに移動するときは鎖が伸び、保管庫に戻るときにはまた短くなるのだろう。

「…………んっ……ん……?」

 72番は試しにそっと、足を前に伸ばしてみる。
 地上の世界を爪先だけでも感じたくて、けれどその試みは白い床から出る直前でカツンという硬く鈍い音と共にあっさり失敗に終わった。
 どうやら目の前の部屋とは、恐ろしく透明度の高いガラスで遮られているようだ。

(まあ、そうだよね……人間様の世界に、二等種が自由に入れるわけが無い……)

 はぁっと悩ましいと息を漏らしつつ、72番は小さな落胆を覚える。
 足が当たった場所から察するに、目の前にあるのはかつて暮らした家の窓とは比較にならないほどの厚みを持つガラスだ。
 ほんの10数センチ先に焦がれ続けた地上があるのに、見えない壁で遮られ、更に股間からは丈夫な鎖が繋がったまま。手だって後ろで拘束されているから、四つん這いになることすら叶わない。

 ……例え今目の前が開け全ての戒めが解かれたとしても、今更逃げやしない。
 否、逃げられる筈が無いのだ。この身体は人間様の手助け無しには餌も排泄も出来ないのだから。
 なのに、まるで人間様は二等種を、それも完全な無害化処置を施した性処理用品さえも恐れるかのように、あらん限りの拘束を施してくる。

(こんなにすぐ傍に地上が……人間様の世界があるのに……)


 地上は、遠い。
 ――そして人間様も、果てしなく遠い。


『そのまま待機しなさい。なお、展示中は特例により膝から下を床に着けることが許可されています』
「!!あぃ……」

 せめて目に焼き付けるだけでもと、めげずに部屋を見回そうとする72番を諫めるように音声が流れ、彼女は渋々基本姿勢を取った。
 かなり狭いスペースだが、幅は保管庫と同じだから足を限界まで開く分には支障が無い。
 高さも保管庫と変わり無さそうで、つまり膝立ちがギリギリ出来るくらいか。とはいえ、隣室から伸びる鎖には全く余裕が無いから、腰を高く上げることは難しそうだ。

(展示ブース……ってことは、私、これからどこかに展示されるんだ……)

 そう言えば製品となった後の扱いについては、何も知らないことに72番は今更ながら気づく。
 だから、地上に行けば直ぐに人間様の穴としてご奉仕するものだと、すっかり思い込んでいたのだ。
 ここからでは見えないが、きっと横にはずらっと自分のような製品が展示されていて、人間様がじっくり使用する穴を選ぶことが出来るのだろう。

 自分を照らす光は、保管庫のそれよりも随分明るい気がする。
 昔遠足で行った博物館の展示物のようだな、と72番の脳裏に幼い頃の朧げな光景が蘇った。

(あの剥製や古ぼけた道具と……私は同じなんだ)

 分かっていても、地上でかつて見ていた展示物と同じ、いやそれ以下の扱いを受けている事実は、72番の心に小さな影を落とす。
 ……そんな状態でも、おちんぽ様を求める声は止まない。本当にこれは自分の心とは関係ない、植え付けられたものなのだと72番はどこか人ごとのように思いつつ、息を荒げながら床を濡らし続けるのだった。


 …………


 待機と言われてからどれくらいの時間が経ったのだろう。
 突然目の前の空間が明るくなり、72番は視界の端に動くものを捉えた。
 良く見ればそれは髪を後ろで纏め、細身のジャケットとタイトスカートに身を包み、首からはIDカードを下げた女性だ。

(……っ、人間様…………!!)

 どくん、と72番の心臓が早鐘を打つ。
 ああ、昨日人間様が与えて下さった絶頂をこの身体は、心は、魂までもがしっかりと覚えているせいだろうか、人間様の姿を見るだけであのめくるめく快感を想像して、どろりと白濁した愛液が床を汚している。

 そんな発情しきった製品の熱い眼差しには目もくれず、彼らは忙しそうに歩き回っている。
 一人の男性スタッフがこちらに寄ってきたかと思ったら、ガラスの左上になにかラベルを貼り付けて去って行った。

 ちらっと見えたIDカードには「二等種管理庁品質管理局、展示解説員」と書かれていたから、彼らも地下で出会った人間様と同じ二等種関係の職員なのだろう。
 身につけているネクタイの色は昨日の検査官がつけていたループタイと同じで、思わず72番は近づいてきた彼の股間に目をやり、そしてそんな自分にすぐさま気付いて(何してるのよ私!?)と少しだけ狼狽した。
 いくら最高に気持ちよくて幸せな瞬間を与えてくれたおちんぽ様がそこにいるとは言え、男性とみれば股間を凝視するなんて変態にも程があるではないか。

(まったくもう……そんなに股間ばっかり見てたら、人間様に呆れられちゃう……)

 しっかりして自分、と諫める内心とは裏腹に、外面はすっかりおちんぽ様への劣情に駆られ、へこへこと腰を動かしていることに彼女は気付けない。
 打ち込まれた人間様に都合のいい人格は、じわじわと、しかし確実に彼女を浸食している。

 と、その時。

「あ」

 部屋の明かりがもう一段強くなり、明らかにスタッフとは異なる格好をした人間様がぞろぞろと部屋の中に入ってきた。
 ピシッとスーツを着こなす男性、恰幅のいい中年男性とスマホを確認しながら入ってくる女性、高等教育校の学生らしきラフな格好の一団……
 どの人間様もあの頃には気に留めることすら無いほどありふれた存在で、けれど地下では決して見なかった、市井に……この地上に生きる普通の大人達だ。

(ああ、ああっ、本当に私は……私は今、地上にいるんだ……!!)

 数年ぶりに見る、職員以外の人間の姿に72番は胸が熱くなる。
 この口を塞ぐものさえ無ければきっと自分は懲罰電撃を食らおうが、声を上げて泣いていたに違いない。

 ここは確かに、どんな目に遭っても諦めきれず、いつの日か変えることを夢見続けた地上だ。
 確かに二等種として、もはや彼らとは性以外で交わることの無い存在としてだけれども、確かに今自分は「普通」の世界に足をつけている。

 小さな不安すら吹き飛ばすほどの感慨のなかで72番がその胸に描くのは、性処理用品としての未来。
 人間様へのご奉仕で頂ける快楽の、そして絶頂の凄さはもう知っている。あれを貰うためならどんな奉仕だって頑張れる……

 今この瞬間、彼女は確かな希望を抱いていたのだ。


 ――それが絵に描いた餅だと気付くのに、それほど時間はかからなかったけれど。


 …………


「開館したばかりなのに、随分人が多いんだ」
「お前みたいな暇人はともかく、企業の性処理用品担当は、朝イチで良さそうな製品をチェックするのが基本だからな。返却された製品は直ぐには展示されないから、時間が経つにつれて展示品の数は減るし、いい製品はさっさと予約がはいっちまう」
「へぇ、親父もたまには物知りじゃん」
「誰がたまにだ、誰が」

 開館と同時に2階西エリアの一般製品展示場に入ってきたのは、恰幅のいい男性と、彼によく似た青年だ。話から察するに父子であろう。

 初めて貸出センターにやってきた青年は、子供のように目を輝かせながら――そこに邪な欲望が滲んでいるのは隠せないが――キョロキョロと展示室を見回していた。
 絨毯敷きの部屋はその一面が全て2段の展示ブースになっている。まるで高級なペットショップのようだ。

 下段には一般的な性処理用品が、上段にはヒトイヌやコンパクト型と呼ばれる手足に加工を施した性処理用品が整然と並べられていた。
 8割くらいの製品はアイマスクで顔の上半分を覆われているから、顔立ちまでは分からない。
 ただ、メス個体はどれもメリハリのある豊満なボディを惜しげも無く曝け出していたし、オスはオスで成体にしては少年のような細い体つきをしている。

 そのほとんどが視界を遮られているにも関わらず、まるでこちらが見えているかのように必死になっておねだりをする姿は、実に惨めで唆るものだ。
 青年は、あんな下等な存在に生まれなくて良かったと心底思いながら、優越感混じりの視線を遠慮無く製品達にぶつけていく。

 やがて、興味津々で端から展示品を眺めていた青年はぽつりと「A品じゃないんだ」と呟いた。

「親父、どうせなら初めてなんだしA品にしようよ。あ、S品でもいいぜ?折角首都の高等教育校に入れるんだし、何でもいいっていっただろ?」
「馬鹿言うな、A品なんてお前にはまだ早い。初心者ならB品ぐらいがちょうど良いんだよ。なぁ、ガイドさん」

 息子の提案に眉を顰めた父親は、傍に控えていたガイドに声をかける。
 彼の成人基礎教育で設置された製品はA品だったと言うから、それより劣るものはちょっと……という感覚なのだろう。
 製品の貸出実績と利用者の評価で変動するとは言え、A品のレンタル価格は一般的にB品の3倍、S品に至っては10倍なのだ。一般の利用者がおいそれと手を出せるものではない。

 そんな事情も察したのだろう、展示解説員の女性は柔やかに「お父様の仰るとおりですね」と慣れた様子で説明を始めた。

「お子様は、基礎教育終了後初めてのご利用ですよね。B品という名前から劣った印象をお持ちかも知れませんが、実はB品は性能が全体の上位50%に入る優秀な製品なのですよ。特別な加工を施さなくても、我々人間の利用に耐えると認証された製品をお手頃価格でレンタルできますから、特段の趣向が無い方には私はB品をお勧めしますね」
「へえ、知らなかった……」

 上位半分ならまぁいいか、とあっさり矛を収めた青年に、父親はホッと胸をなで下ろし再び製品を眺め始める。
 自分がレンタルするわけでは無くても、諸悪の根源と呼ばれる二等種達が無様に腰を振り、シールドから愛液を溢れさせながら股間を見せつけ、必死に自分達の気を引こうとする様は見ていて実に気分がいい。
 ただの閲覧の為だけにここに通い詰める者の気持ちも、よく分かるというものだ。

「これ、他のと様子が違うね。何だか怯えているみたい」
「そうですね、こちらは昨日入荷したてで今日が初お目見せなんですよ」
「ふぅん、だから慣れてないんだ」

 部屋の中ほどまで進んだところで、青年がとある展示物の前で足を止める。
 そこには群青色の髪をツインテールに纏めた、あどけない顔立ちの少女が後ろの壁ギリギリまで後ずさりして今にも泣き出しそうな瞳でこちらを眺めていた。
 ショーケースの右上には「本日入荷しました!未設定につき貸出不可です」とこの場には似合わないポップな書体で書かれたラベルが貼られている。

 入荷したての製品特有の怯えた表情が堪らないなと、父親が密かに股間を膨らませていれば、ガイドは「これ、まだ借りられないの?」と恐らく外観が気に入ったのだろう青年に「申し訳ございません」と頭を下げる。

「こちらに記載しております通り、この製品はこれから『初期設定』を行いますので、一般の方に貸し出しできるのは……これは再来年の1月からですね。ただ初期設定を行う前にまずは人間に慣れさせる必要がございまして、こうやって展示しています」

 もちろん慣れていないだけで、必要な機能は全て備わっていますよと、ガイドがポケットから出した名刺大のカードを72番の前にかざす。
 その途端、72番の表情が一気に淫靡なものへと変貌し、ぼたぼたと涎が口の端から溢れた。
 まるで盛りのついた獣のように必死に腰を振りながら、何かを呻いているようだ。分厚にガラスに阻まれているからケースの中の音は一切分からないが、その上気した顔から察するに穴を使って欲しいと懇願しているのだろう。

「この通り、性能は問題ございません。国が正式に認証した製品ですからね」とガイドはカードをしまいながら微笑んだ。

「いつもながら凄いねそのカード。俺も何回かセンターに来てるし、レンタル一式にも含まれるけどさ、ホント見せるだけで目の色が変わるんだから」
「と言っても、アイマスクを着けていない製品にしか使えませんし、特に未設定の個体ですと頻回に使うと壊れやすくなりますからね。あんまり見せてると、私が叱られちゃいます」
「ふーん……入荷したてだと、意外とデリケートなんだね」
「やはり最初が肝心ですからね。ガラス越しにしっかり慣らした上で初期設定を行わないと、稀に利用者を堕としてしまう危険製品もいるくらいですから」
「げっ、そんな危ない製品もいるの!?」
「ご安心下さい、成人基礎教育で学ばれた通りの接し方をしていればまず問題はありません。そうですねぇ……未設定による事件は2-3年に1人くらいでしょうか。宝くじで3等を当てるより低い確率なので、そうそう遭遇はしませんよ」

 ガイドから飛び出した初期設定という言葉に、青年の相貌があからさまに崩れ下卑た笑みを浮かべる。
 ここを利用出来る年齢であれば、誰もが通った道だ。目の前の愛くるしい個体も、あの中に放り込まれるのかと思うだけで興奮が止まらない。

(これ、いいな。首都に行っても今はネットで借りることが出来るし……ちょっとチェックしておこう)

 青年は心の中でほくそ笑みながら、製品番号をスマホにメモする。
 ご丁寧にも再来年の年明けにリマインダまで設定する熱の入れようだ。どうやら相当この個体が気に入ったらしい。

 一般への貸出も解禁される頃には、都会での生活にも慣れてバイト代もそれなりに溜まっているはず。
 父もメモを取っていた辺り、好みというのは親に似るのかも知れない。何にせよその時が楽しみだとニヤニヤと怯えた瞳をじっくり眺めた後、彼らは即日レンタル可能な製品のおすすめをガイドの案内で見に行くのだった。


 …………


「新人、貸し出しセンターを利用したことは?」
「実は無いっす。大学にも会社にも設置されていましたし、個人でレンタルするには敷居が高いっすよー
「マジかよ、勉強のためにも一度借りて練習してみろ。乙種に合格したんだし後は経験をしっかり積まないといつまで経っても上達しないぞ?研修目的なら会社から多少の補助は出るから」
「そっかー……それならC品がいいっす。やっぱメス型の生ふたなりが至高」
「お前なぁ、それは趣味と実益を兼ねすぎだ!」

 続けて72番のケースの前にやってきたのは、スーツに身を包んだ3人の男性だ。
 とある企業の総務部スタッフである彼らは、現在レンタル中の個体の返却が迫ってきたため、1月から新しくレンタルする製品の物色にやってきたらしい。
 最近性処理用品取扱資格(乙種)を取得したばかりの新人はともかく、残りの二人は手慣れた様子で製品を品定めし、手元の資料にチェックをつけている。

「お、未設定じゃん。この時期しか見られない初々しさがいいねぇ」
「これかなり濡れるタイプじゃないすか?床びっしょびしょじゃん」
「めちゃくちゃお前の股間見てるしな!エロい事なんて何も知りませんって顔だちだし、これはぐちゃぐちゃに穢した姿とのギャップが人気になる奴だ」
「へぇ、オプションで尿道利用ができるんですね……今回は無理ですが、次回の更新候補に入れても良さそうです」

 怯えきった様子の新品に3人は軽蔑混じりの下卑た視線を容赦なく浴びせ、好き勝手に評価を口にする。
 別に彼らが特別なわけでは無い。二等種への視線に同情を混ぜ込むのは、それこそ成人したばかりのまだ右も左も分からない若者くらいだ。

「ほらこっちに寄ってきて芸の一つもやれよ、クソ穴が」「あははっ、そんな怯えながらもまた涎垂らしてるじゃん!二等種ってホント人間の皮を被った獣ですよねぇ」とひとしきりゲラゲラ笑った彼らは、ようやく自分の仕事を思い出したのだろう、次のブースへと向かった、はずだった。

「主任、ちょっと」

 次に向かおうとする先輩たちを、新人が呼び止める。
 
「なんだ、まだ遊び足りないのか?」
「いえ。その、上の段は見なくていいんですか?」
「ん……?あ、D品もリストに入ってたな、すっかり忘れてた」

 どうやら彼らの目的には、D品の品定めも含まれていたらしい。リストを確認した男性は手始めに新人が眺めている製品をチェックする。
 先ほどのツインテール製品の上の段に入っているのは、全身を黒い被膜で覆われ、革の装具とベルトと南京錠で包まれた一般的なオス型ヒトイヌだ。
 
「これなんてどうですか?」
「お前な、適当に選んだだろ?……あ、いやこれは……珍しいタイプの尻尾だな」

 お尻から生えている短いふわふわの尻尾は実にユーモラスで、無個性な外見とのギャップでなんとも言えないアンバランスさを醸し出している。
 どうやらピコピコ動く尻尾が気に入ったのだろう、新人が目を輝かせて提案すれば「ああ、悪くは無いな」と残りの二人もまんざらでも無さそうだ。

「まあD品なんてオスかメスか、後は貸し出し実績と尻尾のデザインくらいしか見るところはないけどさ……あ、これも入荷したての未設定か。でもD品ならすぐ設定は終わるよね?」
「はい、D品の初期設定は10日間ですので。ただ……」
「ただ?」
「こちらは穴の性能だけ見ればS品にも匹敵する非常に高性能な製品でして、初回の貸し出しは入札制となっております」
「へっ、D品なのに性能がS品相当!?それ、もの凄い掘り出し物じゃ」
「ええ、お陰様で今日から展示したばかりですのに、既に入札希望者が二桁に達しておりまして……」
「そりゃそうっすよ。ねぇ主任、うちの予算で入札しましょうよこれ」
「無茶言うな、入札制なんて青天井なんだぞ!?うちの予算じゃ、評価高めのD品かコンパクト型のC品が関の山だっての」
「ちぇ、勿体ない……」

 実に残念そうに肩を落とす新人を「お前の目の付け所は悪くないからな」とフォローしつつ、主任はちらりと未だ怯えきった瞳で自分達を見上げるツインテールの製品をじろりと睨み付ける。
 彼自身も折角の掘り出し物が手に入らなかった事で、少し機嫌を損ねていたのだろう。その八つ当たりにちょうど良さそうな個体がいたと、心の中で舌なめずりをした。

「……二等種の分際でいつまでも怯えたままとは、気に食わないな。ちゃんと媚びろよクソ穴が」

 男性はガイドが差し出したカタログをパラパラと捲り「ほら、これがお前の穴だぞ」と相変わらず怯えた目で自分達を見つめるツインテールの製品に彼女の資料画像を見せつける。

「うわぁ、大洪水じゃないですかこの写真、穴がマン汁でピント合ってないし!」
「すげぇよな、写真もまともに撮れないほどダダ漏れだなんて……ははっ、どれだけ淫乱なんだよ、なぁこのクソビッチが!」
「お前みたなポンコツは、死ぬまで地べたを舐めるのがお似合いだな!いやあ二等種でよかったなぁ、俺達みたいに必死こいて働かなくたって、穴としてお優しい人間様に生かして貰えるんだからよぉ!」
「…………!!」

 それが自分のものだと理解したのだろう、途端に真っ赤になったメス個体を「何純情ぶってるんだか」「こうやって人間を騙そうとするんですね、ホント怖い怖い」と口々に罵り嗤いつつ、鬱憤を晴らしてスッキリした彼らはようやくその場を後にするのだった。


 …………


 分厚いガラスの向こうに広がる地上の音は、72番の耳には届かない。
 自分の呻き声と息遣い、鎖の音だけが響く静かな空間は、しかし今となっては逃げ場の無い地獄と化していた。

 ――ああ、出来ることならばその分厚さで人間様の視線も、表情もぼやかして欲しかったと72番は心の底から思う。

(何で……そんな目で見るの……!?私、何もしてないです!!私は人間様のモノです、いっぱいご奉仕させて頂きます!なのに……どうしてそんな、穢れた物を見るような目で、憎しみを込めた表情で、私を嗤うの……?)

 最初のうちは、よく分からないながらもガバッと股を拡げた姿勢で精一杯愛想を顔に貼り付けていた。
 地下にいた頃のように、人間様の前では笑顔で。後は何もヘマをしなければ、痛い思いはしない……それが地下で彼女が学んだ人間様と接する全てである。
 
 多少の軽蔑の視線は仕方が無い。だって自分は二等種なのだから。
 地下の人間様から嘲笑と侮蔑の視線は散々浴び慣れれている。その程度ではめげないからとにかく人間様に使って貰おう……
 そう意気込んでいたはずなのに。
 
「……っ、ヒッ……!」

 1時間も経たないうちに、72番の顔を引き攣り、瞳は涙こそ溢れないものの光を失い濁ったままだ。
 愛想などとんでもない、せめて少しでも心ない視線から逃れようと思ったのか、後ろの壁ギリギリまで後ずさって震えていた。

(地下で出会った人間様とは、全然違う……!)

 彼らの話す声が聞こえなくたって、表情を見れば分かる。
 人間様の表情は、些細な変化だろうが見逃さないようにしなければ痛い思いをしてきたが故に、二等種は無意識に彼らの本音を見抜き、無条件に従おうとする。

 だからこそ、思い知るのだ。


 地下の人間様は、あれでもまだお優しかったのだと。
 地上の人間様は、これほどのどす黒い感情を二等種に抱いているのが普通なのだと――


(お願いします、何でも言うこと聞きます!おちんぽ様にだって一生懸命ご奉仕します!だから……そんな目で見ないで……!!)

 自分に向けられる表情は、聞こえない言葉は、全てが憎悪と軽蔑、嘲笑に満ちていて……本当に何一つ肯定的な要素を見出せないことに、72番は奈落の底へと引きずり込まれるような感覚を覚える。
 だというのに、スタッフが掌に収まる小さなカードをこちらに向ければ、そこに書かれたソーセージのような棒と二つの丸に悲しいかな植え付けられた人格は反応し、彼女の慟哭を完全に閉じ込めてへらへらと人間様に媚びを売り始めるのだ。

 そうすれば更に嘲笑の声が大きくなる、気がする。

 これは私の意思では無いのに。
 いや、確かに穴を使って欲しいとは思っているけれど、おちんぽ様に怖気がするような愛の言葉なんて囁きたくないのに、塞がれた口の呻き声を止めることは叶わない。
 ひとつ、おちんぽ様を褒め称える度に、そしてガラス越しにその姿を嘲られる度に、自分の心がぽろぽろと欠けていくようだ。

(やめて、やめてっ、それは私じゃ無いの!!うあああああっ!!)

 内心で絶叫しながら、72番は思い知る。

 確かにかつて人間様から教えて頂いた通り、二等種は「保護」されていた。
 どれだけ人間様の都合のいいように躾けられ心身を加工されたとしても、大地の下に広がっていたのは、世界に満ちる二等種への底の見えない憎悪から自分達を守る世界だったのだと――


 …………


 二等種は地下に隔離されて以来、人間様にとって二等種がどれだけ有害かを何年にもわたって魂の奥底まで教え込まれている。
 ならば、地上の人間に対する二等種への感情が侮蔑と怨嗟に満ちている事など、少し考えれば分かりそうなものだと不思議に思うだろう。

 けれど一方で、幼体への教育は地上の人間様の気持ちに思い至れないよう、細心の注意を払って行われる。
 あまり地上への未練が強いとそれはそれで「教育」に支障を来すから、地上の肉親達の本音を見せるくらいのことはするが、以後その手の話は一切行われない。
 だからまだ世間を知らない未熟な幼体は、世界に渦巻くどす黒い感情を想起できないまま成体となり……その頃には加工によって深い思索が出来ない頭に変容させられているのである。

 人類へのネガティブな印象を徹底して排除することは、効率的に性処理用品へと志願させるためにも欠かせない。
 だから、彼女だけで無く性処理用品に志願するような個体は一人残らず、地上の人間様は地下の人間様と変わらないくらいの態度で接してくれると無意識に思い込んでいる。

 そして製品となって初めて地上の世界に晒されたとき、想像だにしなかった現実を突きつけられて己の選択を心の底から後悔するのである。

「うっ、ううっ、うあああああっ!!!」

 人間様に用意周到に仕組まれた罠にかかったとは気付けない72番の口から、幾度目かの絶望の悲鳴が漏れた。
 さっきから叫ぶ度に懲罰電撃を流されているけれども、半ばパニックに陥った彼女には何の効果も無いようだ。

(いやっ、いやあぁっ!!帰りたいっ!地下に……地下に帰りたいよう!!……っ、でもっ、帰れ、ない……!」

 泣き叫びながらも、彼女は無慈悲な現実を、退路は断たれてしまっている己の立ち位置を噛みしめる。
 自分は既に加工され出荷された製品なのだ。もはや、守られた地下に戻る術は無い。
 いや、正確には方法はあるのだが……そんなやり方で戻ったところで自分を待つのは、死よりも恐ろしいあの細長い保管庫だけ。

(これからずっと……私はこんな目で見られながら、こんな感情をぶつけられながら、地上で穴として生きることしか許されないんだ……!)

 ああ、何故自分は、愚かにも地上に憧れてしまったのだろう。
 ここでは、自分の存在を歓迎する者など誰もいないというのに――!

(どうか、誰か一人だけでもいいです……私をそんな目で見ないで……)

 72番は悲痛な慟哭と切なる願いを音に乗せて、この日は閉館の時間までただただ保管庫の中で鳴き続けたのだった。


 …………


 性処理用品貸出センターの開館時間は、朝8時から夜21時半まで。
 製品達は準備も含めて15時間半にわたり人間様のありとあらゆる感情を浴びながら、ほぼ身動きの取れない半畳のスペースでどこも隠すことを許されず、ただ品定めされるだけの存在とならなければならない。

 正面から目を背ければ即座に懲罰電撃が飛んでくるし、指定の位置から長時間後ずさるのも懲罰対象だと早々に警告を受けた。
 唯一夜の餌だけは、股間をガラス側に向けた状態で床から生えてくるノズルと口枷を接続するお陰で人間様の視線を直接見なくて済むが、これはこれで股間の辺りに邪な視線を感じ続け、しかもそれに期待するかのようにとぷりと蜜が溢れ続ける姿を大衆に見せつける羽目になる。
 これは散々訓練で醜態をさらし続けていた72番ですら、忘れかけていた羞恥心に火がつき全身の震えが止まらないほどだった。

 言うまでも無いが、展示物に休憩時間は存在しない。
 ……それは保管庫でも同様である。

(おわ、った…………)

 これまでの人生で最も長かった一日が、ようやく終わりを告げる。

 閉館時間が過ぎ、展示室の明かりが消えるのと同時に後ろの壁が再び上がって、72番は『展示が終了しました、保管庫へ戻りなさい』という無機質な命令が下る前に急いで保管庫へと逃げ込むようにいざっていった。
 移動を検知したのだろう、直ぐに壁が降りてきて元の真っ白な保管庫へと戻ったのを確認し、ようやく72番はホッと心から胸をなで下ろす。

 激しい訓練を受けたわけでも無いのに、身体はべっとりと嫌な汗で濡れそぼっていた。
 いつの間にか綺麗になっていた床に、ぽたり、ぽたりと涎と愛液が再び水たまりを作っていく。
 貸出の時まで保管庫から出られないと言う話から察するに、この保管庫も調教棟と同様洗浄魔法がかかっているのだろう。

(ここが、私がこれから壊れるまで過ごす場所……毎日これが続く……)

 調教中は確かに辛いことだらけだったが、毎日保管庫から出ることは出来た。
 けれど製品となった今、使われる予定の無いモノは正しく保管庫にしまわれたまま。
 展示中ですら外の空気を吸うことは叶わず、未だこの身体は人間様のいる地上に本当の意味で触れていないことに、72番は気付く。

(っ……怖い…………人間様……怖い……っ!!)

 昼間の視線を思い出したのだろう、72番はぶるりと恐怖に身体を震わせた。
 今日が特別酷い日だったと思いたいところだが、側にいたスタッフらしき女性が何も咎めないところを見るに、これはありふれた日常なのだろう。
 また明日も、明後日も、あの視線に晒されるのかと思うと、震えが止まらない。

 それでも。

(大丈夫、大丈夫……ここには、怖い人間様はいないの……だから、大丈夫……)

 保管庫にいる間だけはあの視線からは逃れられると、彼女は何度も自分に言い聞かせる。
 正直、頭の中で鳴り響くおちんぽ様への懇願に悩まされている方がずっとましだ。
 頭の中は騒がしくとも、精神的には今の生活の中で唯一安らげる場所にいられるのだから。

 本当にあの幸せな10日間以外、一度たりとも昨日より楽な明日は来ていない……
 そう彼女が小さな呻き声で嘆いたその時、ふっと部屋の明かりが消えた。

(まさか……もう消灯!?)

 保管庫に戻されて、まだほっと一息すらつけてないというのに。
 人間様は製品に静かな部屋で嘆く権利すら製品には与えないというのだろうか。

 暗闇の中でさっと72番の顔が青くなる。
 朝だって起床すれば直ぐに浣腸と餌、注入が終われば腹の中をたぷたぷに満たしたまま展示室に追いやられた。
 ――恐らくこの保管庫で待機していられるのは、1日に合わせて30分も無い。

(嘘でしょ……これから毎日、こんな生活……こんなの拷問でしかないよう……!!)

 あまりにも過酷な一日に72番が愕然とその場で固まっていれば、懲罰電撃と共に『消灯時間です、速やかに復元に入りなさい』と命令される。
 ……どうやら消灯後に起きたままいられないのは、製品も同じのようだ。

(ここを出るためには、人間様に借りていただくしかないんだ……)

 横になった瞬間、反射的に遠のいていく意識の中で、72番はこの状況を打開する唯一の方法を再確認する。

 もちろん借りられた先でも、向けられる視線は大して変わらないだろう。
 それでも、レンタル中は穴を使われる。ご奉仕が出来る。
 快楽を得られれば、この心の痛みだって、恐怖だってきっと和らぐに違いない……そう72番は必死に思い込む。

 そうでもしないと、とても正気を保てやしない。

 けれども同時に思うのだ。
 あのたった半畳の狭いスペースに閉じ込められ、ただ与えられる視線に怯える以外の事が許されない中で、一体どうすれば人間様が自分を借りてくれるのだろうか、と。

(分からない……分からないけど、また明日も……お願いします人間様、一生懸命ご奉仕しますから……そんな顔を……向けないで、下さい……)

 電気が消えれば、製品の電源も切れる。
 慣れない環境の疲れも手伝って、いつも通り72番の意識はあっさりと闇に溶けていった。


 …………


 一方その頃、104番は退屈且つ平穏な初日を送っていた。

(すげぇな……おちんぽ様が見えないと、こんなに楽なのか……)

 まだヒトイヌなる異形に加工されたショックも抜けきらないまま出荷され、しかし身体は電撃の命令に無意識に従う。
 特段懲罰も飛んでこなかったから問題は無かったのだろう。こんなに機械的に動けるほどにこの身体は製品として躾けられてしまったのかと思うと、助かると思う反面少しだけ悲しくなる。

 停止の命令を受けて暫く後、ふわりと身体が浮くような感覚を覚えれば『そのまま前進』と頭の中に無機質な、しかし聞き慣れた音声が響いた。

(……なるほど、耳は聞こえなくてもテレパスで命令は出来る……)

 シューッと喉から息の音を立てながら、104番は命令に従って移動する。
 数歩進めば制止の命令と共に『これがD等級の基本姿勢です』と告げられた。
 ……基本も何も、四本足で立つ以外の姿勢を自力で取るのは無理がある、と冷静に突っ込みをいれるくらいの心の余裕は戻ってきたようだ。

 そのまま、AIの紡ぐ音声は104番にこれからのことを一方的に告げた。
 起床はともかく、消灯はこの状態では関知できないため、今後は頭の中にテレパス流されるブザー音と首輪の電撃で知らせること。
 餌及び展示に関する作法はこれから3日間にわたりAIからの指導を受け、その後は電撃のみで指示すること。

 そして4日目以後は特段の理由が無い限り、外部からの命令は電撃や鞭のみとなることも。

(つまり、俺が人の声をまともに聞けるのはあと3日か。……まぁ、すでに生の声じゃないけどさ)

 あらゆる感覚を封じられた104番は、しかし意外にもその心は穏やかだった。
 ある意味では諦めの境地に達してしまったせいかもしれないし、このとんでもない加工の前に頂いたこの世のものとは思えない悦楽と至福で、渇望が少し抑えられているせいかもしれない。
 何にしても、12週間という短期間で絶望の中に叩き込まれすぎた心にとって、ここは天国にも匹敵する暗闇だ。

(…………何も聞こえない……けど、内側の動きは分かる)

 息を吸い込めば胸郭が広がる感覚は今まで通り感じられる。
 外の空気の流れや匂いは分からなくても、四つ足を地に着けている姿勢は自覚できる。
 だから、あの棺桶の……全ての感覚と運動を奪い去られ、世界から存在を完全に切り離された恐怖に比べれば、どうということはない。
 何より

(おちんぽ様、愛してます……はぁ、これは止まないんだな……おちんぽ様、舐めたい……)

 常時流れ続ける植え付けられた思考は変わらずとも、その思考で自分を覆い尽くすトリガーとなるものが、この環境には存在しない。あったとしても感じ取れない。
 加工前に戻ったとは言いがたくとも、そしていくらこの声と同調する道を選んだとは言え、あの自分の存在を一気に塗りつぶしてしまう感覚は気分のいいものではなかったからなと、104番は改めて深いため息をつく。

 ……ため息が鼻や口から抜ける感覚が無いだけで、これほど無味乾燥に感じるものだとは知らなかった。

(まぁ……まともな快楽は期待できない身体になっちまったけど……最低限生き物としての俺は残して貰えた、ってわけか)

 絶望のどん底の中で、最後に残された自我という希望。
 今更、おちんぽ様に阿る上辺の自分と切り離されたいとまでは願わない。外に振り回されずいられる時間を得られただけで十分だと自分に言い聞かせながら、104番は『給餌の時間です、合図に合わせて移動しなさい』との命令に従うのだった。


 …………


 頭の中に響く声が言うには、どうやら朝の餌が終わってから消灯直前まで、この身体は展示室とやらで晒し者になっているらしい。
 特に何も見えないし聞こえないから、ピアスの電撃が示す指示に従ってその姿勢でただじっと立ち尽くす以外、彼に出来ることは無い。目の前で自分をじろじろと眺める人間様がいようが、分からない以上はいないのと変わりが無いのだ。

 ヒトイヌの加工というやつは良く出来ているようで、こんな無理な曲げられ方――もうくっついてしまっているが――をしても、痛みや痺れは全く感じない。
 ずっと同じ姿勢でいるというのに、足の先端と恐らくは装具の底にもしっかりとクッションが入っているお陰か、二本足で立っているときよりも快適なくらいだ。

 強いて言うなら、ただただ退屈ではある。
 それこそ、二度と見ることの出来ないおちんぽ様を求める頭の声と会話でもしていないと間が持たないくらいには、やることが無い。

(はぁっ、おちんぽ様が欲しい……でも、そこまでムラムラしねぇな……)

 シューッと熱を帯びた吐息を喉から漏らしつつ、104番は無意識に腰を揺する。
 喉や腸を限界まで広げる維持具の存在は感じるが、圧迫感による苦痛はそこまででもない。その代わり、どれだけ締め付けても快楽と呼べるほどの刺激を得ることは難しそうだ。

 その割に気が狂いそうなほどの渇望に襲われないあたり、未だこの身体に加工されたショックが抜けていないのだろう。
 あるいは、昨日の絶頂で少し身体が満足したか。……それはそれで複雑な気分である。

 もちろんヒトイヌとしての生活が、永久に平和なままだとは思わない。第一人間様がそんな物を許すはずが無い。
 けれども折角訪れた、二等種には得がたい割と穏やかな時間は、少しでも長く続いてほしいものだ。

(……こんな身体になって、やっと俺は……ひとときの自由を手に入れたんだな)

 何にせよ、人間様の感情を目の当たりにしなくていいのはありがたい、そう104番は独りごちる。
 地上に出て初めて彼らの根深い感情を知るほとんどの性処理用品とは異なり、自分は幼い頃に散々二等種に向ける生の感情を傍で見てきたのだ。
 あの視線や表情が自分に向けられていると思うだけでゾッとするが……感じないなら、向けられていないも同然だから。

 精神的な閉塞感がちょっとだけマシになったせいだろうか。
 何故か、無いはずの視野が広がった気がする。

(ああ……心穏やかに過ごせるってのは、こんな気分だったっけか……)

 これ以上無く不自由な身体に加工され、ヒトとはかけ離れた存在に堕とされたが故に得られた自由な時間。
 今自分が感じている自由は、本来自分が謳歌するはずだった人間様としての自由とは比べものにもならない事は十分分かっている。

 それでも。
 これまでの経験から鑑みるに、きっとこの時間だって直ぐに消え去るのだ。
 だから、今だけは久しぶりに訪れた穏やかな時間を満喫しようと、104番はあまりの暇さにあくびをしながら脳裏で反響する発情と植え付けられた人格の中で一人揺蕩うのだった。

 ――104番の予想通り、ひとときの安らぎのような生活は4日と経たず彼から永遠に奪われる。
 今思えばあの時間は、二度と人型に戻れない自分に与えられた、最後の楽園だったのかも知れない。


 …………


 入荷から10日後、104番の収納された扉が開く。
 作業用品がリモコンを操作すれば、バチッと青白い光が首輪とピアスに走ると同時に、真っ黒な個体はよろよろと入口に近づいてきた。

「シューッ、シューッ、シュッシュッ!シューッ!!」
「おうおう、こりゃ随分出来上がってるな」

 リフトテーブルに乗った作業用品は、足元もおぼつかない104番を慎重に台に乗せて地面へと降り立つ。
 その尻に思い切り鞭を振るえば、104番の喉からひときわ大きく「シューッ!!」と息が漏れ、ガクガクと身体を揺らしながら前へと進み始めた。

「お、それ初貸出?」
「ああ。もうチンポが欲しくて頭おかしくなってるぜ、これ」
「入荷から……10日か。そりゃいい感じに初期設定も終わってるよな」

 貸し出し用転送室に辿り着いた作業用品は、手際よく104番をスーツケースに詰めていく。
 時折あまりの衝動に耐えられなくなるのだろう、股間を塞ぐ銀色のプレートからダラダラと汁を零し、ひっくり返された身体をくねくねと動かして悶えているが「やりにくいなぁ」と懲罰電撃を食らわせば簡単に大人しくなるから、ヒトイヌの梱包は楽でいい。

「どんな気持ちなんだろうな、妄想に懇願するってのは」
「何だよお前、ヒトイヌになりたいのか?」
「んなわけないだろ!だたほら、これの気持ちが分かった方が仕事後の自慰も捗るなって」
「ははっ、そりゃそうだ!」

 まあ精々その可愛らしい尻尾を振って、たくさん人間様に使って貰えよと笑いながら、作業用品は104番の詰まったスーツケースを人間様の貸出口へと転送するのだった。


 …………


 その頃、104番はまさに地獄の中にいた。

(はぁっはぁっはぁっ……うそ、だろ……おちんぽ様、お願いしますご奉仕させてください……!!っ、くそっ、頼むから消えてくれ……俺の平和な時間を、ちょっとでいいから返してくれ……!!)

 日が経つにつれて、案の定渇望は強くなっていった。

 なにせ、これまで保管庫にいる時間以外は常に穴を使われ、性感帯を弄られ、絶頂こそ許されないもののたんまりと刺激だけは与えられてきたのだ。
 それが一夜にしてほぼゼロになり、どれだけ暴れようがどこにもまともな刺激を感じられないとなれば、ほどなく狂おしいほどの渇望で頭を焼かれるのは必然であろう。

 それは104番も予想していた。
 きっと生涯この渇望に鳴き続け、いつか自分を使って下さる人間様から頂けるわずかな快感を心待ちにして生きるしか無いのだろうと、嘆きながらも覚悟は決めていた、筈だった。

 けれど、まさか。
 極限まで刺激を取り上げられた頭が快楽欲しさに、この暗闇に閉じ込める前に得られた至高の快楽を与えてくれたモノを思い描き始めるだなんて……そしてそんな幻覚にすらスイッチを押されるだなんて、想像だにしなかったのだ。

(うあああっ!!おちんぽ様っ!!はぁっ、すごい、ピクピクしてる……どうか499M104の穴をお使い下さいっ!!……違う、これは……ここには無いのにっ、頼むっ頼むから消えてくれ……!!)

 真っ暗な視界の中にありありと浮かぶのは、焼き切れた脳が精密に描き出した、何本ものおちんぽ様。
 自分の記憶力はどうなっているんだと呆れるほどにリアリティに富んでいて、むわりとオスの濃い匂いすら感じられる……いや、鼻で感じているのでは無い、脳が匂いを再生している。
 視覚のみならず嗅覚まで幻覚に支配されるのか、と愕然とする104番の心とは裏腹に、口の中にはじゅわりと涎が湧き――ここまで感覚を塞がれると、唾液の分泌まで感じられるようになるらしい――何も映していないはずの目は血走って、音のしない息と共に頭の中では甘ったるい、けれどどこか切羽詰まった声色の懇願が鳴り響き続ける。

(いやだ……いやだ、こんなの……!!)

 これまで何十回と、自分は人間様の与えた加工に屈し受け入れ続けてきた。
 おちんぽ様を見るだけで愛しくて穴でご奉仕したくて堪らなくなる人格を植え付けられたときだって、断腸の思いで己のオスとしての存在を封印し、この声と一つになることで少しでも幸せを得ようと努力してきたのだ。

 だというのに、人間様はその程度ではご満足頂けないようで。
 己のオスの徴を捨てることで得られたはずの、保管庫内だけでは自分に戻れる時間すら、このままでは完全に奪われてしまう――!

(お願いします人間様、それだけは、それだけは残して下さい!!何も感じられなくても構いません!ご奉仕中は一生懸命おちんぽ様のための穴になります!だから……)

 最後に残された、ささやかな平穏を抱き締めることだけは、許して欲しい――
 そんな切なる思いは、当然ながら外界と繋がる術をほぼ奪われた黒い塊の中で、ぐるぐると渦を巻くことしかできない。

 目を瞑ろうが、息を止めようが、脳裏で再現されたものからはひとときたりとも逃れられない。
 唯一逃げられるはずの復元期間は、瞬きをしているうちに通り過ぎるお陰で体感としては逃げるどころか一息つく暇すら与えられなくて。

(いやだ、こんなの……いやだ……)

(……おちんぽ様……愛しいおちんぽ様、おねがいします、たす、けて……!!)

 ぱりん、と104番の心が粉々に砕ける。
 最後に彼が救いの手を求めたのは、この衝動を癒やしてくれる愛しいものであり、度しがたい状況の元凶そのものだった。


 …………


 D等級個体は、入荷から1週間もすれば快楽への禁断症状から幻覚を生じるようになる。
 これはC等級以上では生じない症状であることから、恐らく視覚と聴覚を奪われていることが大きな要因だというのが現時点での見解だ。

 その幻覚は当然ながらもっとも鮮烈で幸福だった記憶から生成された、人間様の生殖器となることがほとんどらしい。
 時折二等種のペニスを思い描くものもいるとは言うが、どちらにしても彼らが何も無いはずの視界に捉えるのは、己が従属しているモノである。

 性器従属化加工を受けた身体は、幻覚であろうがトリガーとなるものには全て反応する。
 そしてこのトリガーは、生涯余程のことが無い限りまともな快楽や絶頂を得られないD等級にとっては、廃棄されるその日まで……否、棺桶の中に納められてすら消えることの無い彼らの「現実」として、脳内に映像を結び続けるのだ。

 こうなれば、製品が作られた人格から己を取り戻す日は二度と来ない。
 この状況の完成を持ってD等級の初期設定は完了し、一般への貸出が解放されるのである。

 …………


 ……あれから、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。


 頭の中はすっかり逞しいペニスで埋め尽くされ、意識がある間は延々とこの度しがたい渇望からの救いを、そして恭順と奉仕を叫び続けるだけの日々。

(……あ……ああ、おちんぽ、様っ……!!)

 いつものように保管庫から出され、どこかに設置されて数十分。
 本日最初の利用者が、分厚く赤いテカテカした被膜で覆われた前後の穴に愛しいおちんぽ様を突き刺して下さる。
 身体が軋むほど乱暴な抽送に、けれど被膜と革で包まれた筐体には不似合いなもこもこの尻尾は、これが欲しかったと言わんばかりにぶんぶんと揺れて利用者を楽しませる。
 被膜越しでも喉が閉まる反射は何度も生じて、その度に104番は喉の奥に深々と刺さったおちんぽさまの形をぼんやりと感じていた。

(ああ、ありがとうございます、ありがとうございます……おちんぽ様が入ってる、ごしごししてるぅ……はっはぁっはあっ!!穴っ、穴を使って頂いてる……!!)

 奥の入ってはいけないところを貫かれぐぽぐぽと出し入れしてもらう。
 これは凄く好きだ。足元が分からなくなりそうな強烈な快感は得られなくても、使って頂いている感触が一番強く感じられるから。

(あぎっ、気持ちいい……気持ちいい……!!おちんぽ様、大好きぃ……♡)

 うっとりと脳内で涎を垂らす104番の身体は、全く快楽を感じていない。ただ、脳内で鈍い刺激に合わせてこれまでの記憶を再生するだけだ。
 だから身体には永遠に熱が溜まり続け、快楽とは言えない微細な感触だけを無理矢理記憶と結びつけて擬似的な満足を得ることしかできない。

 彼の頭から、快楽を欲する以外の思考は早晩潰えてしまうだろう。
 D等級の耐用年数は「反応がある限り利用可能」と判定されるため他の等級に比べれば長いが、実際には半年もしないうちに正常な思考回路は失われ、1年もすればテレパスを用いた言葉による命令もほとんど介さなくなると言われている。

(あ……とま、った……ああっ、おわり!?ぬけちゃう……おわ、り…………はぁっ、ごりようありがとうございました……はやく、つぎのおちんぽさま…………ごほうし……)

「ふぅ、スッキリした……なんだ、まだ欲しいのか?可愛い尻尾をぴこぴこしちゃって……ははっ、残念ながらもう出せないんだ。また来るからな」
「これ、いいな。前の製品よりずっと穴の具合もいいし、こんなに尻尾を振ったり耳を擦り付けたりして甘えてくれると、可愛くて二等種だって事を忘れそうになるわ」
「役所もまた奮発したよなぁ!落札だけじゃなくて耳のオプションまで付けたせいで随分予算オーバーだったって議会で糾弾されてたけどさ、この性能なら俺は許すぜ!」

 黒い被膜の外では、利用者達が満足そうな顔で部屋を去って行く。
 同時に清掃の職員が部屋に入り「うわ、ドロドロじゃんか」と愚痴りつつも丁寧に104番を中まで洗い上げていくのだ。
 ……その水の冷たさを、104番が知ることは生涯無い。

「ま、口コミのお陰で利用者数もうなぎ登りだし、いい買い物したもんだねぇうちも」

 仕事が終われば自分も使わせて貰おうと企みながら、職員は手を動かす。
 なにせこれは、朝6時から22時まで成人基礎教育を終えた住民なら誰でも無料で使いたい放題の極上オナホ、高級舐め犬なのだから――

 夜を心待ちにする清掃員が部屋を出るや否や、次の利用者が待ちかねたように入ってくる。
 がしっと身体を掴むその感触を察したのだろう、104番はだらりと涎を垂らし、シューッとひときわ大きな息の音を立てつつ、もこもこの毛に覆われた短い尻尾をちぎれんばかりに振って、新たなおちんぽ様を歓迎するのだった。


(あはぁ……おちんぽしゃま……ごりよういただき、ありがとうございますぅ……)


(こちらのこたいの かんりばんごう は 499M104 です)


(どうぞ  ごじゆう に ………… おつかい くだしゃい……♡)


設置完了



 管理番号499M104(D)
 堕とされでありながら製品として完成した彼がこれから6年にわたり設置されるのは、第12エリア第1区画にあるふれあいセンターの性処理室。

 ――かつて彼が人間であった頃に過ごした、最も帰りたかった故郷であり、今もただ一人の肉親であった父が住まう街である。


 …………


 最初の頃は、壁が上がるのが怖くて仕方が無かった。

 浣腸と給餌が自動化された今、作業用品が通常サイズのC個体以上の世話を行う必要は無い。
 展示にしたって製品自身が勝手に展示されるお陰で、人間側もそして作業用品側の労力も随分と軽減されている。
 だが、ただのモノ扱いどころかモノとしてすら他者の体温を感じる機会を奪われた72番は、急速にその心を消耗させていった。

「うぁ……ああっ、いあっ、やらあ……!」

 毎日、聞こえるのは股間と手枷から響く鎖の音、そして自分の呻き声だけ。
 そして彼女が唯一感じられる生き物の気配は、分厚いガラス越しに無遠慮にぶつけられる悪意としか取れない感情だけだ。
 だというのに、展示員があの悪魔のようなカードをこちらに向けた途端、そんな視線など気にしないと言わんばかりにこの身体は全力で人間様に媚びて、更なる嘲笑を誘って……その度に内心との乖離がじわじわと心を削る。

(見たくない……もう、見たくないです、人間様……!!)

 いつものアイマスクさえ外されなければこんなことにはならなかったのにと、彼女は毎日のように下卑た視線とせせら笑う表情に怯えながら、どうか目を潰してくれと願うようになっていた。

 けれども、そんな日は意外にも長く続かない。

 あれから一月が経った今、72番がガラスの向こうで顔を引き攣らせることはほとんど無くなった。
 向けられる感情に何も変わりは無い。だが、恐怖と不安はいつの間にか発情の波に押し流され、彼女の頭の中を占めているのはただひとつ

(欲しい……欲しい、触れて欲しい……)

 全く刺激を与えられないが故に限界を迎えた身体からの、切なる叫びだった。

 入荷されて以来全く利用されていない穴は、ふとした瞬間に維持具を締め付け、何とかして快楽を得ようとのたうち回る。
 だが、巧妙に72番の感じるところを外すように設計された維持具をいくら穴で抱き締めたところで、彼女が満足のいく刺激は得られない。

 ピアスで穿たれた乳首を壁や床に擦りつけようにも、展示中は正面を向いていなければ直ぐに懲罰だし、保管中は身体に染みついた懲罰の影響かどうやっても壁に近づけない。
 それならばと身体を揺らせば、敏感なところを貫くピアスの振動が伝わってはくるものの、こんな刺激ではもどかしさが募る一方だ。

(欲しい……おちんぽ様が欲しい……!)

 だからだろうか。
 最近ではいつぞやか調教師様が言っていたとおり、おちんぽ様の存在を感じるだけで涎と懇願が止まらなくなる。

 そもそも頭の中で鳴り響き、そしてカードを見せられては涎を垂らすおちんぽ様への熱望自体、果たして作られたものなのか、それとも気が狂いそうな――もしかしたらもう狂いかけているのかも知れない――発情を癒やしたい己の本音なのか、今の72番にはもはや区別がつかない。

(はぁっはぁっうああああっ!!おちんぽ様、おちんぽ様……ああ、服の下にいらっしゃいますよね!!ここっ、ここに穴がありますっおちんぽ様ぁっ!!……あ、ああっ!行かないでっ!!お願いします人間様っ、私の穴を使って下さいっ!!だめなの、こんな維持具じゃどれだけ太くても全然気持ちよくなれないの!!おちんぽ様がいいんです、一生懸命ご奉仕しますから……!!)

 餌の時でも無い限り、ガラスに身体を近寄せることは叶わない。
 それでも少しでも遠くまで届くように、72番はガチャガチャと真っ赤に腫れ上がった肉芽が引っ張られるのもものともせず……むしろその痛みで発情を紛らわしながら、前へ、前へと進もうとする。
 時々やり過ぎて懲罰電撃も流されるが、一度スイッチが入ってしまえばそんな電撃如きで止められるほどの理性は残っていない。

「んあぁぁっ、おおっ、うおおっ!!あがっ、んあああああ!!」

 必死の懇願は口の蓋に阻まれ、くぐもった音にしかならない。
 それでも何もしないよりは無いよりはましだと、72番は目を血走らせて死に物狂いで己の渇望を訴え続けるのだ。

「これ、随分暴れているようだね」
「鎖とガラスがあるから襲われないのは分かっているけど……うわ、ずっとこっちの股間見て涎流してるよ。目が逝っちゃってて気味が悪いわ」
「ご不快な思いをさせて申し訳ございません、お客様。これはまだ入荷して1ヶ月でして、初期設定も済んでいませんから、どうすれば私達に気に入って貰えるかも分かっていないのですよ」
「はぁ、そんなところから躾けなければならないのかい?二等種ってのは本当に犬畜生以下なんだねぇ」

 見学者からのクレームに、ガイドは深々と頭を下げる。
 そして72番のデータを確認すると(着衣状態の股間に反応……頃合いね)と72番の方に手をかざし、小さな声で詠唱した。
 すると展示ブースの奥の壁がするすると上に上がり、首輪に青白い光が走ったかと思うと、ハッとした様子の72番は慌てて奥に向かっていざり始める。

 どうやら股間の鎖もかなりの勢いで巻き取られているようで、時折身体を跳ねさせながら奥のスペースに戻されれば、直ぐに壁が降りてきた。
 この間、30秒も無かっただろうか。思いがけない展開に見学者が目をぱちくりしていれば、ガイドは柔やかに微笑みながら「ご不快な品は片付けましたので、どうぞ他の製品をごゆっくりご覧下さい」と再び頭を下げた。

「ああうん、ありがとう……今の製品はどうなるんだい?」

 戸惑いつつも尋ねた見学者に、ご心配はいりませんよとガイドは笑みを絶やさない。
 いくら二等種と言っても、自分のクレームで廃棄処分になるのはあまり気分が良いものでは無いだろう。そのようなことは無いと説明した上で、彼女はさも当たり前のように72番の今後を口にするのだった。

「ちょうど頃合いでしたからね、少し『箱』に入れて調整を行うよう指示を出しただけです。数日後にはまた展示できるようになりますよ」


 …………


 一方、いきなり保管エリアに戻された72番は目を白黒させつつ、取り敢えずいつも通りの待機状態を保っていた。

(……まだ夜の餌も頂いてないのに……何でだろう……?)

 ようやく浴びせられた電撃の痺れも取れてくる。
 どちらにしてもあの視線を見なくて済むならいいや、と相変わらずの楽天的な性格を発揮しかけたとき、カラカラ……と聞き慣れた、けれど随分久しぶりの音が部屋に響き渡った。

「!!」

 部屋の前でしゃがんでいるのは、鎖とアイマスクを持った作業用品だ。
 その意図を理解した72番は慌てて開けられた檻へと駆け寄る。
 作業用品は相変わらず無言だ。手際よく股間の鎖を外し、首輪に手綱を付け、アイマスクをきっちりと締めて72番を牽引していく。

 じゃらじゃら……ぺたぺた……ぱしんっ…………ぺたぺた……

 ……どこに行くかなんて、知る必要は無い。
 今はそんなことより、一月振りに貰える鞭の痛みを存分に味わいたい。
 ああ、痛いのが気持ちいいって感じられる身体は素晴らしい。痛みが胎を震わせ、それだけで恍惚に浸り足を止めてしまいそうだ。

「これ梱包頼む」
「あ、さっき管理官様から指示が合った新品か?」
「おう、いつもの初回調整だな」

(……なんだ、メンテナンスか……)

 保管庫の扉が開いた、つまり貸し出しだと浮かれていた72番は、小耳に挟んだ作業用品の会話に少しだけがっかりする。
 だが、この際メンテナンスでも構わない。だって保管庫から出されたと言うことは、少なくとももう一度保管庫までの道のりを……全身が震えるような快楽を伴う痛みをこの身体に頂けるのだから。

(早く終わるといいなぁ……)

 72番は、1ヶ月ぶりの刺激にすっかり舞い上がっていた。
 そうでなくても彼女は、二等種の話を聞かないことに定評があったのだ。

 ……だから、貸し出しで無い場合の行き先の事など当然のようにすっぽり頭から抜けてしまったまま、スーツケースは地下へと転送されていくのである。


 …………


 貸し出し実績や利用者の評価に問題がある製品は、速やかに地下へと戻され、その程度に応じた懲罰の後に再調教を施される。
 懲罰と言えば電撃や鞭、絶頂を許可しない快楽責めや連続絶頂など様々な手法が考えられるが、長期間(概ね1ヶ月)に渡り貸し出しの予約が入らなかった個体は例外なく禁断症状で我を忘れかけるほど刺激に飢えており、更に加工の成果もあってどんな拷問のような苦痛を伴う懲罰もご褒美と化してしまうのだ。

 だから、製品への懲罰は『棺桶』が唯一の選択肢となる。

「あ……ひっ…………ごめんなひゃい……ごめんらひゃいぃっ……!!」
「はぁ、ったく……どうして悪い予感は当たるんだよ……」

 3日後。
 紙のように真っ白な顔に恐怖を貼り付け、その場に土下座して回らない口で延々と謝り続ける72番の前に仁王立ちになっていたのは、ほんの1ヶ月前まで彼女の担当作業用品だったヤゴである。
 いつものように担当個体の訓練に勤しんでいれば、突如貞操帯装着の命令に続き実験用個体保管庫に呼び出され、何事かと飛んでいけばちょうど保管庫から72番が床に投げ出されたところだったのだ。

 確かに出荷後1ヶ月の段階で初回調整が入ることは知っているが、そこにかつて担当だった作業用品が呼ばれることは無い。
 とても嫌な予感を覚えつつ、管理官から送られてきたデータを見たヤゴは思わずがっくりと膝をつく羽目になってしまった。

「お前な、たった1ヶ月で『ガラスの向こうから飛びかかってきそうで怖い』って人間様からクレームが来たなんて、どれだけやらかしやがるんだ……!なぁ、製造者責任法って知ってるか!?お前があんまりやらかしていたら、俺にもとばっちりが来るんだぞ!!」
「ううぅ……ごめんなしゃい……ゆるひてぇ…………」

 ガタガタと震えながら必死に許しを乞い続ける72番の姿に、そう言えばこの個体は最初の体験で多少楽をしていたことをヤゴは思い出す。
 人間様のミスによる配慮だったとは言え、やはり最初にきっちり棺桶の恐怖は染みつかせておくべきだなと嘆息しつつ「おい」とヤゴは彼女の髪を掴んで無理矢理目を合わせた。

「ひぃっ……!!」

 途端に懲罰電撃が流れるにも関わらず涙を零し始める72番に「いいか?」とヤゴはゆっくり目を見ながら説教する。

「人間様に借りて貰えなければ、何度でも懲罰と再調教が待っている。今回は初回だから再調教も3日間だけだが……次回以降の再調教は素体の時とは全く別物だからな?まぁ、手足をもぎ取られて肥溜めやらウジ虫だらけの水槽やらに浸けられたいと言うなら、止めはしないが」
「ごめんなさいごめんなさいもうしませんおとなしくしますっ!!」
「……お前は相変わらず脳みそが溶けたままかよ!何もせずにただ待機しているだけで、人間様がお前を選んでくれると思うのか?」
「へっ」
「へっ、じゃないわっ!!」

 そんなこと考えたこともありませんでしたと言わんばかりの顔をする72番に、ヤゴは「そうだったこれはそう言う奴だった」と頭を抱えつつ、これから3日間かけて彼女に人間様へのアピールの仕方を叩き込むのだった。

 ――もちろん、絶対にがっつくんじゃないと何百回も念を押しながら。


 …………


 製造過程において調教棟では素体にあらゆる躾と加工を仕込むし、奉仕中の人間様への接し方も実習で叩き込むが、展示中の振る舞いについては敢えて一切の調教を行わない。
 そんな状態で展示された新品の辿る末路は皆同じだ。
 初めて地上の人間様をガラス越しに感じて現実にショックを受け、そのうちに刺激を禁じられた心身があまりの渇望に暴走する。
 その先に待つのは、貸し出し実績不良による懲罰と再調教である。

 そもそも製品達には知らされていないが、制度上入荷したての製品が直ぐに貸し出されることは認められていない。
 D等級では10日から2週間、C等級からS等級までは最大で2年間に及ぶ初期設定を終了することにより一般への貸し出しが解禁されるのだ。

 このため、製品となった性処理用品は必ず入荷1ヶ月段階で2日間の懲罰と3日間の再調教を受ける。
 これにより記憶の薄れてしまった棺桶への恐怖を再確認させ、展示中の振る舞いを実装しやすくするのである。
 ……まあ、72番の場合はおまけの懲罰もついてきたわけだが。

「そのまま待機」
「あぃ……」

 あれから5日間。再調教を終えた72番は、再び地上の保管庫へと戻される。
 入荷時と同様にアイマスクを外され(ああ、またあの視線を浴びるのか)と途端に虚ろな表情になった72番に「……この1ヶ月、浴び続けてよく分かっただろう?」と後ろから声がかかった。

「人間様が俺達二等種に向ける感情はあれが普通だ。……もう見たくないよな?」

 その言葉に、72番はこくこくと頷く。
「それなら」と続いた条件に彼女は悲壮な表情を見せつつも、二度と同じ過ちは繰り返すまいと心に誓うのだった。

「貸出実績及び利用者様の評価が一定の成績を収めること。それが展示中のアイマスクを許可される条件だ」
「!!」
「ただし条件を達成するには、最短でも1年はかかる。……だからといって手を抜けば、途端に棺桶送りになるがな」
「ぉんあ…………!」
「お前ら製品に出来ることは、人間様に選んで貰えるようガラスの向こうの皆様に全力で媚び、アピールすることだけだ。懲罰だってもう嫌だろう?なら地下で習ってきたとおり、全ての人間様に死ぬ気でおねだりをするんだな」


 …………


「おや、調整が終わって戻ってきたんだね」
「随分雰囲気が変わったな。顔が引き攣っているのは相変わらずだし何ともぎこちないが、一生懸命こちらに媚びて……ああ、腰を振って誘うなんて芸まで覚えて来たんだ!」
「いやぁこの慣れてない感じも初々しくていいねぇ!これの一般解禁が楽しみだよ。その時には連絡をお願いね、ガイドさん」
「ありがとうございます。では、リストに登録させて頂きますね」

 リストへの登録を行いながら、スタッフはちらりと72番をみやる。
 この手の少し幼い風貌の個体は、一定の層に根強い人気がある。B等級とは言え少々難のある個体であるが、初期設定を施せばその辺はいい感じに落ち着くだろう。

「あ、ガイドさん!このB品、貸し出しできないの?」
「申し訳ございません。こちらの製品はまだ未設定でして……」

 初期調整が終わって以来、一気に増えた72番の一般開放連絡リストに(これはレンタル料金も強気でいけそうね)とにんまりしながら、彼女は新たな見込み客に72番の説明をするのだった。

(はぁっはぁっ……おちんぽ様……レンタルして……ほら、穴がありますよ……いっぱい気持ちよくご奉仕しますからっ……はぁっ、はやくその熱くて硬い棒を、ここに突っ込んで……!)

 外で交わされる会話など何も知らず、72番は今日もガラス張りの地上で艶めかしく腰を振り人間様を誘い続ける。
 ――彼女の初期設定が始まるのは、これから10日後のことである。

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence