沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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22話 そして私たちは『モノ』になった

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 人間様の話すところによると、どうやら今は12月の終わりらしい。
 あの正門での噴水を披露した日からまだ10日も経っていないという事実に、時の流れはなんてゆっくりなのだと72番は濁った瞳で虚空を見つめつつ、今日も穴を使われる。

 あの日の「イベント」はどうやら、元クラスメイト達に十分な満足感を与えたようだ。
 侮蔑や嫌悪の眼差しが減るわけでは無いが、少なくともあれ以来あからさまに72番への個人的な、かつ理不尽な恨みをぶつけてくる者はいなくなった。

 他の二等種同様ただ淡々と、性処理用品に会話をする機能がついていることを……否、人の言葉を理解する機能がついていることすら忘れたかのように、ただの穴として使われる日々。
 散々砕け散り、無理矢理つぎはぎを当てた心には、そのくらいの扱いの方がありがたいと、内側に閉じ込められた彼女はまるで段ボール箱の中から外の世界を見るような感覚でぼんやりと口の穴に近づいてくるいきり立った雄を眺めていた。

 表の自分は相変わらず、死んだ魚のように淀んだ瞳以外は全力でおちんぽ様に媚び、淫らな笑顔を振りまいている。
 もはや別人みたいだ、と思うけれど、人間様が認識する性処理用品は外の人格だけならば、むしろ未だ外の自分とは違うものだと声を上げる「私」こそが、ここにいてはいけない不純物ではないかという思いすら湧いてくる。

「はーすっきりした……あ、もうこんな時間か。悪いな冬真、ギリギリまで使っちゃって」
「ん、いいよ。俺もさっきまで調べ物してたから」
「冬真は勉強熱心だよなぁ。なぁ、そろそろ彼女作らねぇの?」
「今はそういうのはいいかな。正直勉強で手一杯」
「真面目だなぁ」

 今日の当番は、かつて72番が恋心を抱いていた青年だ。

 雪梅冬真、19歳。
 少し青みがかった銀髪にアイスブルーの瞳を持ち、端正でやや冷たく見える面立ちとはとは裏腹に明るく穏やかで気配りの出来る男子。
 初等教育校でも学年を超えた人気を誇り、それが故に女子たちの間で彼の話は争いの種として逆にタブー化されたほどだ。

 彼もまた、72番には話しかけない。それどころか目も合わせない。
 淡々と餌をやり、洗浄し、浣腸液を注入してレクリエーション室に設置して「もう使えるからね」とクラスメイトに声をかけたきり、ここにはやってこない。

(……当然よね。私は二等種、冬真君は人間様……冬真君みたいな格好良くてモテる人は、こんな穴汚くて使う気にならないよ……)

 じゃらじゃらと鎖の音を響かせながら、72番は保管庫へと牽かれていく。
 明日から1週間は年末年始の休みらしいが、性処理用品の設置はいつも通り行われ学生が自由に使えることに変わりは無い。
 それでも家族と過ごしたり田舎へ帰省する学生も多いため、比較的人は少なくなる。「初期設定がいると休みも取れねぇんだよな」と管理人はぼやいていたっけ。

(家族……この空の下に、パパも、ママもいる)

 12歳で地下に閉じ込められた72番は、このセンターがどこにあるのかも知らない。
 同じ初等教育校のみんなが毎日通えるくらいだから、きっとここからそう遠くないところに懐かしい我が家もあるはずだ。

 けれど、もうそれは自分には近づけない場所。
 私からは人間であった頃の全てが剥奪されている。本当の名前すら、加工された頭の中には欠片も残されていない。

「……入って」
「んふぅ……はい、人間様……」

 カラカラと開けられたシャッターの音に、いつも通り熱に浮かされながら72番は後ずさりしつつ保管庫へと収まる。
 待機状態となり、しとどに濡れた股間を想い人に晒しながら――もう、羞恥心など消えてしまった――鎖が繋がれるのを待っていれば、唐突に目の前の青年の口が動いた。


「■■■ちゃん」
「…………にんげん、さま?」


 彼が何を言ったのかは理解できない。
 ただ、ふと鼻をくすぐるオスの匂いにぶわっと身体の熱だけが上がる。
 ああ、これは冬真君のオスの匂いだ。このジーンズの下には、愛しい人の愛しいおちんぽ様がある……

 思わず「おちんぽ様」と甘ったるい声で囁きかければ、青年はどこか悲しそうに目を伏せた。

「……本当に、名前を呼んでも分からないんだ……」
「はぁっ、おちんぽしゃま……どうじょ、あなをおつかいくらしゃい……」

(どうしたの、冬真君……?)

 その表情の意味は、思考を単純かさせられた頭では理解不能だ。
 何故彼は、保管庫に私を拘束もせずさっきから悲しそうな顔をしているのだろう。
 ああ、もしかしたら穴を使いたいのかも知れないと72番は涎を垂らし腰を揺らしながら、その服の下にあるであろう立派な欲望を求める。

 ……愛しい人のおちんぽ様なら、この心の痛みも少しはましだろうかと思いながら。

「……」
「…………?」

 だが冬真はそんな72番の誘いにも反応しない。

 しばしの沈黙が、空間を満たす。
 茹だった頭で72番が戸惑っていれば、ようやく顔を上げた冬真はキョロキョロと辺りを見回した後、真っ直ぐに72番の目を見据えて……意を決したように少し震える唇を開いた。

「■■■ちゃん……いや、F072。ここから、逃げよう」


 …………


(にげる……?どういう、こと……?)

「この日を待っていたんだ。俺が当番になる、この日を……クラスは100人以上いるから、今日を逃せば次は3ヶ月先になってしまう。ああ大丈夫だよ、着替えも持ってるし車で来てるから、乗ってしまえばどこにだって行ける」
「……え…………?」

 何を、言っているのか、分からない。
 唐突に投げかけられた提案に72番がポカンとしていると「ああ、もしかして……ずっと辛かったよね……こんなんじゃ頭回らないよね」と冬真は72番の口に手を伸ばす。
 そしてそっと大きな掌で口を塞ぎ「声は出さないでね」と注意すると

「……逝け」
「んふっ!?んう――――!!――!――――!!」

 これまた唐突に、72番がずっと欲しかった言葉を耳元で囁いた。

「ひぎっ――!!――――っっ!」
「いいよ、ゆっくり堪能して。……ああ、一回じゃ足りないよね?ほら、逝け」
「か…………は、っ……!」

(ひっ!!逝く逝く逝くっ!これだめっ、ずっとできなかったからっ……お、重いのきちゃううぅっ……あひぃっ、あたま、まっしろ……しろい……止まらない…………!!)

 気持ちいい。
 きもちいい、きもちいい、ぜんぶ、ぜんぶきもちいい――

 出荷前検品の、脳が焼き切れそうな快楽にはほど遠いけれども、確かにこれは絶頂だ。
 確かに、絶頂とは人間様が気まぐれに与えてくれるのを待つだけの価値がある快楽だなと、頭の片隅で冷静な自分が呟く。もしかしたら与えてくれたのが冬真君だから、余計かも知れない。
 頭の中は歓喜で満ちあふれ、ぶわりと涙が溢れて……本当の意味で快楽の涙を流すだなんて、一体いつ振りだろうか。

 ああ。
 次がいつになるかなんて分からないから、もうちょっとだけこの快感を堪能したい。
 ふわふわした頭で絶頂の海に浸っている72番だったが、残念ながらそこまで彼には余裕が無さそうだ。

 ……いや、どうしてそんなに、余裕が無いのだろう?

 しきりに辺りを気にしながら「これで少しは落ち着いた?」と冬真は72番に強張った笑顔で話しかける。
 まるで誰かに見つかるのを警戒しているかのように。

 こくり、と72番は首を縦に振る。
 それを見て良かったと心の底から安堵する冬真の瞳には、人間様なら誰もが向ける嫌悪の色が見当たらない。

(本当は……こんなのじゃ満足しないし、頭はもうずっと気持ちよくなることしか考えられないんだけどね)と思いつつも、彼女は愛しい青年の言葉に耳を傾ける。

 それは、人間様の口から発せられるとは到底思えない言葉の数々だった。

「ずっと……見ていたんだ。ここに君が来た日からずっと。君はいつも淫らなことばかり叫んで、ペニスに頭を下げて……必死に男子にも女子にも奉仕をしていた。馬鹿にされても笑い続けてさ……けれど、気付いたんだ。君の目はいつだって、絶望し助けを求めているって」
「!!」
「…………ずっと好きだった。初等教育校の頃から……初恋なんだ。君がいなくなった日から、一日たりとも忘れたことはない、本当だよ?」
「……にんげんしゃま……」
「ねぇ、名前を呼んでよ、F072。俺は名前を呼ばれたとしても、絶対に君に懲罰を加えたりしない。……そりゃ、君が二等種だったのはショックだったけど……でも、俺は……」


 君が二等種だろうが何だろうが関係ない。俺は君を助けたい。
 どこに行けばいいかなんて分からない。けれどここにいちゃダメだ、もう君にそんな絶望の底に落ちた瞳を抱かせたくないんだ。


(……冬真君…………!)

 ああ。
 こんなところに、たった一人だけれども、「私」を見つけてくれた人がいた――!

 冬真の熱い想いに、二度と許されないと諦めていた生き物としての扱いに、72番の瞳から熱い雫が溢れ落ちる。
 途端にバチッと青白い光を放って弾ける電撃に「……痛そうだね」と顔を顰めてくれる愛しい人の姿を見れば、もう涙を止めることなんてできそうにない。

 行きたい、逃げたい。
 冬真君と一緒にこの地獄からから逃げてしまいたい。
 人間様のような幸福なんて、大それたものは望まない。ただせめて、悪意の視線に晒されない場所で、静かに生を終えられればそれで十分だ……

 72番は必死に想いを心の中で叫ぶ。
 たった一言、彼の名を呼び、逃げたいと頷けばいい。そうすれば優しい彼は、すぐさま自分をこの狭い牢獄から連れ出してくれる――

 けれども。


「はぁっ……おちんぽしゃま……ひぐっ…………ごほうひ、さへて、くらひゃい……ひっく……ひっく…………」
「…………■■■ちゃん……」


 一度スイッチが入った身体は、「私」を完全に覆い隠してしまう。
 例えこの維持具が入っていなかったとしても……もう、自分が表に出ることは困難なのだ。

 ここに来た当初なら、まだ股間を見せつけられなければ抗えたかも知れない。
 けれど、散々陵辱の限りを尽くされ、何度も肉棒の味や人間様の性器の匂いを快楽と共に覚えさせられたこの身体は、今や人間様が……特に男性が現れるだけで、余程意識していなければ勝手に目が股間を凝視し、植え付けられた人格が自動的に動き始めてしまう。

 この温かく大きな手を取りたい。
 でも、こうなってしまった自分には、その一言を表に出すことすら叶わない。

 ……私に出来るのは、ただ最後の抵抗とばかりに、ぽろぽろと大きな雫を溢すだけ。

「■■■ちゃん、早く」

 もう一度冬真は72番のかつての名を呼び、逃げようと促そうとする。
 が、その時廊下の向こうからコツコツと誰かが歩いてくる足音と、鎖の音が聞こえてきた。
 恐らくは、他の当番が保管庫に二等種を戻しに来たのだろう。

 さっと顔色を変えた冬真は、慌てて72番を保管庫に繋ぎ止める。
 そして「……俺、諦めないから。また来るよ」と言い残し、カラカラとシャッターを閉めて足早にその場を後にした。

 しんとした静寂が、火照った身体を包む。
 いつも通りの待機状態だというのに、身体の震えが、止まらない。
 慟哭も……抑えられない……!

「うあぁ……うああぁっ……!!」

(…………冬真君……!)

 涙に反応した装具が、幾度となく青白い光を放つ。
 このままでは更に懲罰点を付けられると分かっていても、まだこの身体にこれほど涙が残っていたのかと自分でも驚くほど熱い雫が後から後から溢れ出し、床の淫らな染みと混ざり合っていく。

「ひぐっ、ひぐっ、おちんぽしゃま……!!」

(ごめんなさい、冬真君……私はもう、ここから逃げられない)

 明かりが消えた保管庫の中、くぐもった鳴き声が壁に吸い込まれていく。
 きっと彼は知らないのだ。たとえここから逃げたところで、GPSを仕込まれた首輪は死ぬまで外せない事も、この身体は既に精液状の餌以外を受け付けないことも、そしてひとたび遠隔で首輪を操作されれば排泄の転移すら出来なくなることも――

 無知と若さ故の無謀。
 だけど……不可能だと分かっていても、その気持ちが嬉しかった。

 今後一生、生き物として扱われることが無かったとしても。
 人間様の怨嗟を浴びながら、それでも笑顔を貼り付け、性器に従属して生きることを定められていても。
 きっと私は、今日この日の出来事を壊れて灰になれるその日まで、宝物のように胸に抱きつづける。

(ごめんなさい、冬真君)

(でも……ありがとう。二等種の私を、生き物として見くれて……)

 ああ、これで明日からも生きていける。
 程なく訪れた睡魔に72番は身を任せ、久々の絶頂で少し軽くなった身体を壁に預けて今日という日を終えるのだった。


 …………


 年が明け、3056組の成人基礎教育は2年目に入った。
 上の学年が使っていた二等種は彼らの修了式に返却されたため、暫くの間ここに設置される性処理用品は72番ともう一体のオスだけになる。

 もっとも、性処理用品にとっては年が明けようが季節が変わろうが、何一つ変わらない。
 彼らに許されるのはただ一つ、人間様の穴として存在することだけなのだから。

 だから今日も、明日も……白濁に、愛液に塗れ、淫臭に満ちた空間で性器への愛と忠誠を誓い続ける日々を繰り返す。
 72番もまた、悲しいかな穴としての生活にすっかり慣れてしまい、最近では学生達の指導の賜物だろうか、スイッチが入っても異常に興奮し飛びかかって押し倒さんとばかりにギラギラすることは無くなった。
 あの腹が焼け付くような浣腸液を流し込まれようが、無心で餌を啜り、冷水で身体を乱雑に洗われても呻き声一つあげず、その場で震えながらじっとできるようになったお陰で、先日ようやく浣腸液も通常の製品用のレベルに下げて貰え随分と楽になったのだ。

 全ては順調。72番も製品として、着実に完成へと近づいている。
 外からの風は初夏の匂いを運んできて、この地獄のような生活もようやく半分が過ぎたことを72番に知らせていた。

「おい、何ぼさっとしてるんだ。さっさと抜いてくれよ、次の講義が始まるだろうが」
「っ、申し訳ございません……んうぅっ……」

 いつものようにレクリエーション室で穴に剛直を咥え、へらりと媚びた笑顔を浮かべながら、72番はそっと辺りを窺う。
 けれど目的の人は見つからず、彼女は心の中で溜息をつきつつ再び奉仕へと集中するのだ。

(……今日も、来てないや)

 彼女の濁った瞳が探しているのは、愛しい青年の姿だった。
 元々彼は72番だけでなくオス個体を使うことも無かったから、この部屋で見かけないのは当たり前と言えば当たり前だ。
 2年目からは彼女が講堂で設置されることも無くなったし、それこそ3ヶ月に1度回ってくると言う当番でも無ければ彼に会うことは不可能だろう。

(でも、もう随分温かくなったし……3ヶ月は経ったよね?当番、まだ回ってこないのかな……)

 密かに72番は冬真が当番に来る日を心待ちにしていた。
 もちろん彼の提案に応じることは出来ない。こればかりは仕方が無いのだ、きっと冬真だっていつかは理解するはず。
 そもそも成人基礎教育が終われば冬真は進学し、自分は展示棟に戻される。そうなれば恐らく、二度と彼に会うことは出来ないだろう。

 だから残り少ない時間に、例えモノ扱いであってもいいからまた、会いたい――

 そんな思いを心の奥底に留めながら、72番は今日も目の前にやってきたおちんぽ様に「ご利用ありがとうございます」と媚びへつらうのである。


 …………


 そんなある日のこと。
 朝の餌が終わったと思えばそのまま講堂に連れて行かれた72番は、いつもの設置場所で学生達の方を向き待機を命じられていた。

(あれ……今日は講義で使われるんだ……はぁっ、ああおちんぽ様、穴をお使い下さい……)

 登校してきた学生達が一瞥しつつ、目の前を通り過ぎていく。
 向けられる視線は相変わらずであるが、人間様を見れば自然と股間にしか目が行かなくなってしまった72番にとってはそれほど苦痛では無い。

 あの日、冬真から貰った絶頂許可以来、学生達は72番に対して一切の許可を出さなかった。
 もう一体のオス個体には時々許可を出し、連続絶頂をさせてその絶叫を楽しんでいるあたり、落ち着いたといっても72番に対する感情は依然としてひときわ厳しいものなのだろう。

 お陰でいくら穴を使われても満たされない渇望に支配された72番の内心は、完全に性以外への思考力を削がれていた。
 もはや作られた人格と変わりが無いほど捻じ曲げられ、深い絶望と諦念こそ瞳に浮かぶものの理想的な製品へと仕上がっていたのだ。

 これは理性を失ったわけでは無い。
 ただ、その思考の全てが、おちんぽ様と己の穴の事に使われているだけだ。

(はぁ……早く終わって、またおちんぽ様にご奉仕させて頂きたいな……)

 今日は何をして頂けるだろうか。ここまで飢えきった身体だと痛みもすんなり快楽へと変わってしまうから、久しぶりに思い切り鞭で打たれるのもいいかもしれない、などと考えていると、コツコツとヒールの音を響かせながら講師が中に入ってきた。

 ……それと同時にやってきたのは、2名の管理人。
 そして、馬鹿でかい……見慣れたスーツケースだ。

(……え、スーツケース?これ、二等種だよね……中身入ってる……よね、重そうだし)

 よっこいしょ、とおっさん臭い声をかけながらスーツケースが横倒しにされる。
 72番同様、予想外の出来事にざわつく学生達を「静粛に」と一喝し、講師は静まるのを待って口を開いた。

「はい、では講義の前に……本日からオス個体が入れ替わります」

 講師の言葉を皮切りに、管理人達の手によってスーツケースが開けられる。
 その様子は72番の時と同様に前面の画面に映され、後ろの席であっても用意に中身が確認できるようになっていた。

「本来この時期に交換することはありませんが、色々事情がありましてね。皆さんには残り半年間で、もう一体の初期設定を行って頂きます。ああ、何も難しいことはありません。これにやっていたのと同じ事をすればいいだけですよ」

 画面を見ていた学生の中から、突如悲鳴が上がった。
「どうして……」というざわめきが拡がり、何人かの瞳には涙さえ浮かんでいる。

(……一体、何が)

 横で人間様がごそごそしている様子を眺めたくても、72番は首を動かせない。
 許可無く横を向けば懲罰だし、そもそも彼女の目は最前列の男子学生の、机の下に隠れた股間を想像して釘付けになったまま動かせる状況に無いからだ。

 ざわつく学生達を窘めつつ「気持ちは分かりますが」と講師は沈痛な面持ちで話を続ける。

「詳しいことは、これからの講義で説明します。ですがその前に大切なことを。……これはもう二等種です。皆さんの知る『彼』ではありません。ですので、決して元の名前を呼ばないように。……うっかり口にすれば、次にこうなるのはあなたたちかも知れませんよ?」
「!!」

 その言葉に学生達は凍り付く。
 静まりかえった講堂の中に、バチン、バチン、バチンと3回立て続けに電撃の音が響いた。

「お、流石に優秀だな、S品ってのは。自主的に抜去体勢をとるのか」
「これは堕とされ個体ですし、中途半端とは言え教育も受けていますからね。ちゃんと覚えているんでしょうね、72番がどうだったかを」

(…………え)

 息を荒げ腰を揺らめかせながら「おちんぽひゃま」と塞がれた口で繰り返していた72番の動きが、その言葉にぴたりと止まる。

 今、彼らは何と言った?
 私がどうだったかを覚えている……?

 ……さっき、講師は何と言った……?


「これはもう、皆さんが知っている『彼』ではありません」
「元の名前を呼べば、次にこうなるのはあなたたちかも知れません」


(…………そんな、筈が無い……)

 72番の背中に、冷たい汗が伝う。
 心臓が痛いほど激しく高鳴って、胃がキュッと締め付けられるような痛みを覚える。

(だって、あそこには誰もいなかった……それに、ただ名前を呼んだだけなのに……!)

 馬鹿でかい質量が引き抜かれたのだろう「んぁっ……」と隣から悩ましい声が漏れる。
 知っている。こんなに甘ったるく男を誘うような声色では無かったけれど、私はこの声を知っている――!!

「はぁっ、はぁっ……ん……っ……」
「まずは挨拶をしてもらいましょうか。ほら、さっさと挨拶しろ」
「っ、はいっ……」

(……どう、して……?どうして、そんなことに……!?)

 維持具の抜去を終えた性処理用品が、72番の右ですっと股を大きく開く。
 視界の端に移るのは、少し青みがかった銀髪。
 すらりと高かった身長は、今や72番とほぼ同じくらいだろうか、目線が変わらなさそうだ。

(どうして……冬真君…………!!)

 講師の命令に間髪入れず、少し震えた声で、けれども淀みなくはっきりと告げられる起動の挨拶に、72番は足元が崩れていくような絶望を覚えるのだった。

「人間様、この度は性処理用品をご利用頂きありがとうございます。はぁっ……んっ……当個体の管理番号は571M613です。どうぞ、ご自由にお使い下さい……!」


 …………


「落ち着いていますし、これなら性器従属反応用のレンズは不要ですね」
「それは良かった。やはりS品は別格ですねぇ」

 頭の上で交わされる会話を上の空で聞き流しながら、ショックのあまりにようやく目の前から視線を外せた72番は、そっと隣を盗み見る。
 どうか予感は外れて欲しいと願っていたけれど、隣で発情に目を蕩かせ息を荒げながらも真っ直ぐ前を向いているのは、間違いなくかつて彼女の想い人だった、オスの性処理用品だ。

「なんれ……」と思わず口にすれば小さな声で「……前を向いて。じゃないと懲罰になるよ」と冬真が……いや、613番が正面を見つめたまま囁く。
 慌てて前を向けば「では講義を始めます」と講師の声が講堂に響き渡った。
 恐らくさっきの行動は見られていたはずだが、懲罰にはならなかったようだ。613番が懲罰猶予期間だからかもしれない。

「以前、堕とされについては説明しましたね。堕とされには二種類ありまして、二等種を直接壊してしまったために二等種となってしまった元人間と、重大な犯罪を犯したために二等種へと堕とされた元人間。このM613は後者、国家反逆罪による二等種落ち刑を言い渡された受刑者にあたります」
「国家……反逆罪!?」
「ああ、二等種の元の名前を呼んだ程度では処分にこそなりますが、流石に国家反逆罪を適用されることはありませんのでご心配なく。M613はF072をここから連れ出して匿おうと画策したため、国家反逆罪が適用されたのです。二等種を管理下から外す行為は、人類を危険に晒す、テロ行為と遜色ない重大犯罪ですからね」
「!!」

 あの日。
 当番だった冬真の言動は、保管庫の周りに大量に仕掛けられた監視カメラとマイクによって全て筒抜けだったらしい。
 去り際に聞こえた人の足音と鎖の音は、冬真を逮捕するために駆けつけた軍隊によるもの。
 保管庫から離れて直ぐに冬真は有無を言わせず拘置所へと送致され、3日後には何の弁護も、両親への面会すらも叶わないまま二等種落ちの判決を受けて、その場で二等種落ちのボタンを押させられたのである。

「本来、堕とされの二等種が性処理用品となる事はほとんどありません。性処理用品を製造するためには、基となる素体を何年もかけて徹底的に無害化する必要がありますが、堕とされの場合はその無害化処置をわずか2ヶ月で行うんですよね。それでも性処理用品の素体基準に適合する個体は1割もいないのが実情です」
「じゃあ、と……じゃなかった、M613は運が良かったってことですか?」
「そうですね、恵まれた容姿に産んで下さったご両親に感謝するべきでしょう」

 更に話は性処理用品の等級へと移る。
 一般に流通している性処理用品の等級はBからDまで。A品はたまに出回ることがあるが、全体の1%しか製造できないS品ともなると、一般人が借りることはほぼ不可能だという。
「堕とされでS品になったというのは、少なくとも私は聞いたことがありません。管理人さんはどうですか?」
「俺も無いわ。てかS品の初期設定自体ここじゃ10年ぶりだとよ。お前ら運がいいなぁ、S品なんてこんな機会でも無きゃ一生使えねぇからな!」
「そう、なんだ……」
「…………うん、でも…………それは……」

 講師の話にも、学生達の反応は芳しくない。
 それも当然であろう。つい最近まで隣に机を並べて学んでいた友人が、半年間いなくなったと思えば変わり果てた姿で目の前に戻ってきたのだから。

「受け入れられないのも無理は無いですよね」と講師もため息をつく。
 しかし、初期設定を無事完遂するためにはそんな感情を持つべきではない……何より第二、第三のM613を生み出さないためにも、同情心はなるべく早く捨て去らなければならないのだ。

(本当に、碌でもないことをしてくれたわね、このB品)

 そもそもこの個体は、人間だった頃には優秀な学生だった。アドバイザーからも基礎教育終了後は一般の学生が通う高等教育校では無く、エリート専門の大学への進学を勧められていたと聞く。
 それだけに……国にとって貴重な人材を堕としてしまった未設定個体の罪は重い。

「どうしてM613が堕とされたのか、君たちは学ばなければなりません」と講師はキッと性処理用品達を睨み付ける。
 その視線の先にあるのは613番では無く、72番だ。

「二等種というのは、隙あらば人間様を堕落させようとする存在です。二等種の意思とは関わりなく、ただ存在するだけで有害なモノ、それが二等種なのです。本来地上に出荷された製品であれば完璧に無害化されているのですが、それでも……全国で2-3年に1人という非常に稀なケースではありますが、未設定個体に誘惑され、堕とされてしまう学生が存在します」
「……じゃあ、M613が二等種に堕とされたのって……」

(待って、私は何もしてない!)

 学生達の視線が、ざっと72番に向けられる、
 その目には久しぶりに強い怒りが宿っていて、72番は顔を青ざめさせぶるっと身体を震わせた。
 今回ばかりは本当に濡れ衣だ。自分は一度たりとも613番を誘惑していないし、彼に逃げようと言われたときだって、決して首を縦に振らなかったのだから。

(お願い、信じて!私は本当に何もしていないの!)

 必死の弁明は、しかし口を塞がれている以上何の意味もなさない。
 ……例えこの口が自由に内心を語れたとしても、二等種の言うことなど彼らが信じるはずは無いけれども。

 案の定、次に講師の口から出たのは「まぁ、間違いなくF072のせいでしょうね」という断定だった。

(……終わった……また、あの日々が始まる……!)

 ここに来た当初の、同級生達による恨みに満ちた扱いを72番は思い出す。
 やられることは当時も今も変わらないけれど、数々の強い感情をまるでゴミ箱に捨てるかのように全身に打ち込まれる苦痛は、やはり耐えがたいものがあった。
 あの時は、目が潰れてしまえばいいのにと本気で願ったものだ。

 きっとこの講義が終わった瞬間から、自分はあの時と同じ……いや、今度はAクラス全員の恨みをぶつけられるだろう。
 唯一の希望だった想い人は、もう人間様の世界には座っていない。彼もまた、ただの穴と化してしまったのだから。

「本当に気の毒だとは思います」と講師がM613に向ける眼差しは、二等種への侮蔑こそ混じるけれど少しだけ悲しみを帯びている。
 人間様にとって、堕とされは決して嫌悪し忌むだけの存在では無い。特に二等種によって堕とされた個体には、多少の同情が生じるのも仕方が無いのだろう。
 ですが、と続ける講師の目には、どうしようも無い悔しさが滲んでいた。

「先ほども話したとおり、二等種は無意識のうちに人間様を堕落させようとします。ですから、例え知り合いであったとしても、必ずただのモノとして扱うこと。でないとあなたたちがM613のようになってしまいますよ」
「…………!」
「それにしても……このF072、実は製造過程でも人間様を一人堕としていたのですね。確かに製造過程ではまだ無害化が為されていませんから、製造に関わる職員には常にそのリスクはあるとはいえ……B品とは言ったものの、とんでもない爆弾個体ですよ。よくこんなのを地下は出荷しましたねぇ……」

 講師の呟きに呼応するように、72番への暗い感情は更に膨れ上がった気がする。
 不安に怯えた瞳で、けれど相変わらずおちんぽ様への愛を紡ぎ続ける72番を憎々しげに見つめていた一人の女子がふと「先生」と泣き出しそうな声で講師に問いかけた。

「……あの、M613は刑罰なんですよね?……刑罰なら、いつかは人間に戻れるんですか?」
「残念ながら、二等種堕ちはこの国に於いて死刑と同等の扱いです。これは今後壊れるまで、人間様の穴として使われる運命にあります」
「そんな……」
「それに、現在の技術では人間を二等種に堕とすことはできても、逆は不可能なんですよ。……辛いでしょうが、真にM613の事を思うなら、立派な製品として完成させてあげることこそ、かつてのこれを知る人間の思いやりでは無いでしょうか」
「……ううっ、そんな……そんなのって…………!」

 重苦しい雰囲気の中、講堂のあちこちですすり泣く声が聞こえる。
 隣ではぁはぁと熱っぽい息を漏らす613番は、一体どんな顔をしているのだろうか。
 自分のせいでは無いと分かっていても……とても彼の顔を見ることは出来ない。

「では、講義を終わります。管理人さん、2体をレクリエーション室に」

 講義を終えた講師が退出する。
 すれ違い様に彼女は72番を睨み付け、吐き捨てるように「何であそこで逃げることを選択しなかったんだか」と呟くのだった。

「お前があそこで少しでも逃げる素振りを見せていれば、即日四肢切断の上F等級に落とせたのに……この有害物が!」


 …………


 ああ、やっぱり、地獄が舞い戻ってきた。
 阿鼻叫喚状態の心の中から切り離された72番の心の一部は、まるで他人事のように内側から己の惨状をぼんやりと眺めていた。

 外の世界では、作られた笑顔すら時折歪むほどの激しい禁断症状に襲われた72番が、必死に報われないおねだりを繰り返している。

「はぁっはぁっ、おちんぽ様っ!お願いしますっおちんぽ様、どうか499F072の穴をお使い下さいっ!!んあっ、足りないのっ、穴に何も無いと辛いのおぉっ!!」
「あははっ、どんだけ叫んだって、あんたみたいな有害二等種にはチンポなんて与えるわけがないでしょ!」
「ほらサボらず舐めろよ!!……まさか女には奉仕できないとか言わないわよねぇ?」
「ひっ、おまんこ様ごめんなさいっ!はぁっはぁっ欲しい、おちんぽさま欲しいっはむっ……んうっ……」

 ぺちゃぺちゃと淫らな音が、女子学生用のレクリエーション室に響く。
 台の上で72番の奉仕を受ける学生は時折あえかな声を漏らしながら「食わず嫌いはだめだわ……」と隣で興味津々の友人達に呟いた。

「あーめっちゃ気持ちいいわこれ……もっと早く使えば良かった」
「こいつさ、チンポが欲しすぎて動きがめちゃくちゃ良くなってるのよ。このまま最終日までチンポお預けにしてたら、ずっと性能いいまま楽しめるんじゃない?……あ、動きが止まった、えいっ」
「ひぎゃぁぁっ!!申し訳ございませんっおまんこ様っ!!」」

 穴がじくじくと疼いて、頭の中を掻き毟りたいような不快感がずっと消えない。
 あまりの辛さにどれだけ泣き叫んだところで、彼女たちには心地よいBGMにしか聞こえないようだ。
 だから72番は今日も、中途半端に挿入された二本の金属の棒を締めることすら叶わず、狂気の淵を覗きながらひたすら女子達の舐め犬として使われている。

(おまんこ様、大好き……でもっ、穴が寂しいのっ!!おちんぽ様でゴシゴシして貰わないと、私は穴だから死んじゃうのおぉっ!!)

 穴の疼きを少しでも紛らわそうと、72番は鬼気迫る勢いでかつての友人達の股間にむしゃぶりつく。
 ……どれだけ性能を上げようが、穴への刺激は決して貰えないと知りながらも、これ以外に許されることは何も無いのだから。

 それを見た管理人は女子の恨みの深さに冷や汗を掻きつつ、しかし当然ながら止めることも無く「……おまえらたまには絶頂させておけよな?いやもう、怒りはもっともだが頼むから壊すなよ?」と恐る恐る彼女たちを窘めるのだった。


 …………


 あの講義の後、Aクラスの学生達が出した結論は実に非情なものであった。
「これ以上男子があの有害なメスに絆されるのはまずい」「M613を好きだった子はたくさんいる、下手に使ったら絆されそう」と女子達が主張した結果、残りの半年は女子が72番を、そして男子が613番を使うことになったのだ。

 一応、女子が穴を使うための感覚付きペニバンは付属品として用意されているが、彼女たちにはAクラスの人気者だった男子を堕とした憎き二等種の穴に快楽をくれてやる気など、毛頭無い。
 かといって、何も使わないというのは初期設定を兼ねた貸出である以上問題がある。

 その結果、彼女たちが選んだのは「生殺し」という手段だった。

 待機状態の72番の膣と肛門には、床から伸びる何の変哲も無い金属の棒が挿入され、万が一抜けてしまわないようにクリトリスのリングと床を短い鎖で繋がれている。
 一般的なペニスよりも長いが一回り細いこの棒は締め付けによる圧力を感知し、一定以上の圧がかかれば懲罰電撃を首輪や3つのリングと連動して発生させる仕組みだ。

 その状態で、72番は朝から晩まで休むこと無く女子学生に奉仕を命じられる。
 興奮して穴を締め付ければ、途端に手ひどい電撃に襲われ、かといって奉仕を中断しようものなら「やる気が無い」といとも気軽に懲罰点を追加された。

 例え締め付けないように必死に我慢していても、電撃を与えるリモコンは常に誰かの手に握られていて、気まぐれで押されて悶絶する様を嗤われる日々。
 更に、一度金属棒に電撃が流されれば勝手に穴が棒を締め付けて電撃の無限ループに陥ってしまう。
 こうなると穴が疲弊するまで全身の敏感なところを襲う激痛に叫びながら、この地獄が終わることを必死に祈るしか無い。これを思いついた学生は、二等種よりよっぽど悪辣だと72番は感じていたようだ。

 だが、奉仕をさせて頂ける人間様がいる日は、まだ平和な方である。

 特に希望する女子がいない日は、本物そっくりのディルドを絶対に舌すら届かない距離に置いたまま放置され、休憩時間に狂ったように奉仕を叫び続ける姿を鑑賞されるだけ。
 そんな日は、偽物のおちんぽ様に声が枯れ果てようが延々と奉仕をねだり続け、穴の寂しさに耐えかねた結果無意識に挿入された金属を締め付けては懲罰電撃に叫ぶことしか許されない。

「うぁぁ……おちんぽ、さま……おちんぽさま……あな……おちんぽさま……」
「ちょ、まともにおねだりすら出来ていないじゃん。これ、流石にポンコツすぎるっしょ」
「管理人さん、これって壊れてないよね?」
「…………おう、ちょっと危なそうだから精神安定剤は足しておいたけど、ほどほどに」
「あ、壊れてないならいいよ!電気流せば直るんじゃない?ほら」
「うぎっ!!……たすけて、おちんぽさまっ……!!」
「お前らほんとひでえな……たまにでいいから絶頂許可出せよ?」
「「はーい」」

 せめて壊れないようにたっぷり薬を盛っておくかと、肩をすくめた管理人は明らかに規定量を超えた薬剤を首輪から注入する。
 副作用により多少思考力は落ちるが、植え付けられた人格プログラムの発動には支障が無いレベルだから特に問題にはならないだろう。

 初期設定後の性処理用品は、通常のレンタルとは比べものにならない扱いによる主に精神的な消耗を徹底的に修理するため、センターに回収後平均して1ヶ月近い復元期間を取る。
 今回のようにまともな刺激すら与えられなかった個体には、意識を落とした状態で十分な刺激と絶頂が与えられるから、後数ヶ月を薬で無理矢理持たせれば精神状態は大幅に改善する筈だ。

「しょうが無いよな、お前が人間様を堕としたのが悪いんだから」
「あ……ぁ……おちんぽさまぁ……ごほうし、させてくださいぃ……」
「ん、奉仕懇願機能も元に戻ったと」

 薬が効いて精神状態が落ち着いた――単に鈍っただけとも言うが――のを確認した管理人は、「メンテ済んだから好きに使えよ」と女子達に声をかけるのだった。


 …………


(だめ こわれる もうむり……)


 身体は適切な管理により、しっかり健康を保っている。
 恐怖と無力感に支配されながらも、叩き込まれた奉仕の性能が落ちることは無い。
 内心が崖っぷちに佇んでいようがお構いなしに虚ろな笑顔を振りまき、単調におねだりを繰り返すだけの機械となっても女子達の使い心地に変わりは無い。だからこの性処理用品は「正常」であると人間様達は判断する。


(おわらない つらい いつ まで……?)


 時折泡のようにぽこりと浮かび上がる嘆きも、最近ではめっきり減ってきた。
 ただでさえ単調な思考だというのに、速度も限界まで落ちてしまっているようだ。
 今の自分はただ、植え付けられた人格の上に乗って、自動で繰り返されるプログラム通り、人間様が欲する結果を出力するだけ……


(たすけて おちんぽさま)


 自分の味方は、どこにも存在しない。
 たった一人の味方は、自分が二等種であったが故に穴と化してしまった。

 今の私に頼れるのは、この穴の疼きを紛らわせてくれる、熱くて硬い、おちんぽ様だけ――


(たすけて……)


 彼女のねじ曲がった懇願は、ただ肉体という牢獄の中で虚しく響くだけ。
 せめて己の本当の心が壊れないようにと、彼女は無意識に全ての思考を手放し……ただの穴となる。

 72番が今この瞬間を生き延びるには、最早それしか手段が残されていなかったのだ。


 …………


 一方、613番は相変わらず同情混じりの複雑な視線を向けられていた。
 72番に懸想していたのは613番だけでは無い。たまたま諦めきれなかった上に行動力のあった613番が不幸にも二等種堕ちしただけで、自分達がこうなっていなかった保証などないのだから。

「なぁ、マジで使うの……?」
「…………使う。だって……これの一番の友人だったんだ。俺が使わないと、誰も使えないまま……そうなったら初期設定が終わらなくて、来年もこのままここに設置されるって管理人さんも言ってたじゃん」
「それはそうだけどさ……」

 意を決したかつての親友が、613番に「穴、使うぞ」といきり立った欲望を鼻先に突きつける。
 そうすれば613番は涎を垂らしながら満面の笑みを浮かべ「ありがとうございます、おちんぽ様……先に舐めさせて頂きますね」と喉奥まで馬鹿でかい質量を咥え込み、たっぷりと粘液を絡ませた。
 どこか悲しそうな目の色はしているけれども、他の二等種のような一つ間違えれば襲いかかられそうな危うさを感じない分、使う側としても気は楽かも知れないなと、かつて友だったモノを眺めながら男子学生はしみじみ思う。

「どうぞ、おちんぽ様……後ろの穴の奥までほじほじして、気持ちよくなって下さい」
「お、おう……いれる、ぞ?」

 彼は躊躇いがちに、ふっくら盛り上がり縦に盛り上がった穴に己の剛直を思い切って突っ込む。
 瞬間、心から嬉しそうな613番の声と、戸惑い混じりの友人の声が唱和した。

「んあぁぁっ……はぁっ、おちんぽ様、大きい……硬いの大好きですっ、もっと、もっと奥まで突いてぇ……っ!」
「うわなんだこれ、搾り取られる……うっ……!」
「え、ちょ、早っ!!」

 うっとりと甘い嬌声をあげる613番に、まさに瞬殺されてしまった彼は「……やべぇ、オスの穴の方が気持ちがいいなんて初めての経験だわ」と、欲望を穴から抜くのも忘れて呆然と呟いた。

「え、そんなに名器なのかよ!?」
「いやいやマジですげぇわこれ、こんなの使ったらもうB品じゃ満足できなさそう」
「……あのさ、ぶっちゃけオスって好みじゃ無かったけど、これ……なんかエロいよな」
「おう。顔も綺麗だし、線も細くなったせいかぐっとくるものが」
「あ、ダメだこれ抜きたくない、もう一回」
「おい待て、一回出したんなら交代しろよ!」

 その発言を皮切りに、男子学生達が我先にと群がる。
 613番は目の色を変えて自分に襲いかかる彼らに臆することも無く「ありがとうございます、美味しかったです、おちんぽ様……」と顔を上気させながら幸せそうに微笑み「これは二等種に堕落させられるのも分かる」「き、きっちり躾けなきゃ、な!」と早速彼らを骨抜きにしていくのだ。

 そこに反抗の意思は全く認められない。
 大体この個体は、初日から72番が泣き叫んだ朝の浣腸すら顔を顰めるだけで静かに耐えていたし、正直これに初期設定が必要なのかと思うほど仕上がっていたのだ。
 地下での記録を参照するも、12週間に渡る調教棟での製造期間は実に従順でむしろ積極的に加工されていたという。頭が良く順応性の高い個体では時折ある現象だなと、613番の担当となった管理人は複雑な面持ちで、あえかな声を上げ続けるオス個体を眺めていた。

「……流石はS等級ってところか」
「これなら初期設定は楽に終わりそうですね。ここ数日の態度を見ていましたが、顔見知りの堕とされで同情されていることを差し引いても、懲罰一桁はめちゃくちゃ優秀だと思います」

 管理人達は、二等種に堕ちてもなお優秀な性能を発揮する個体に舌を巻いていた。
 確かにこれは一般人には手に余る。ましてや学生達が使うなら、適切な監督者がいないと利用者が男性であってもそれこそこ613番のように絆されて同じ轍を踏みかねない。

「おいお前ら、それは二等種だからな?講義で習ったことを忘れるなよ」
「あ、はい、それは大丈夫っす!俺ら恋愛対象は女性なんで!!」
「いやそう言う問題じゃねえって、むしろフラグだろそれ!……別に無理に虐げろとは言わないけどさ、絶対に変な感情を抱くんじゃ無いぞ!あ、ちなみにそれ、ケツの拡張は10センチ超えてるから二輪差し余裕」
「マジかよ、いつかやってみたかったんだよな!」

 ――これ以後、管理人達は別の意味で613番に手を焼かされることとなる。
 しかもどうやらこの個体には、自分が人間様を無意識に拐かしている自覚があるらしい。
 懲罰を与えようにも先手を打って「申し訳ございません、人間様」としおらしく謝ってくるせいで何ともやりにくい想いを抱きつつも、管理人達は学生が妙な気を起こさないよう半年間ひたすら監視する羽目になるのである。


 …………


 それから数ヶ月の時が流れた。
 3056組の成人基礎教育もあと2週間を残すばかりとなったある日、いつものようにレクリエーション室で613番に群がる男子学生達を眺めながらある管理人が口火を切る。

「F072の様子があまりよろしくないみたいでな、どうしたものかと」
「あー……もう半年まともに穴を使って貰ってないんでしょ?むしろ良くここまで精神崩壊せずに済んだわね。女子達を止めれば良かったのに」
「無理だわ、あの恨みの深さはちょっと半端じゃなかったからな……変に規制してあの怒りが変な方向に向くよりは、ギリギリまで二等種に向けておいた方がいいだろ?」
「ま、それはそうだけど」

 最近になって、F072が2年間の間でたった2回しか絶頂を許可されていなかったという事実が発覚する。
 この数ヶ月はともかく、年が明けてからの半年間は比較的学生達も穏やかな使い方をしていたから当然のように絶頂は許可されていると管理人達もすっかり思い込んでいたのだ。

「これまた10年に一度の珍事よね」と管理人達は嘆息する。
 表向きは平穏でも、未だ彼女への恨みは未だ燻っていたのだろう。そうでなければ、いくらクラスの人気者が二等種に堕とされたからと言ってここまで酷い扱いをするはずが無い。

 重度の快楽依存、性器依存となった二等種は、長期間性的刺激や絶頂を与えないと精神が急速に消耗し、耐用年数が落ちることが知られている。
 そのため初回調整や懲罰などの事情が無い限りは、一月に一度、意識を落とした状態で絶頂を許可し精神衛生を保つことが推奨されていた。
 とはいえ、展示中ならいざ知らず通常の利用であれば、一月も絶頂を禁止されることなどまずありえない。人間様の好きなタイミングで無理矢理絶頂させるのもまた、楽しみの一つだからだ。

 実際、613番を含む他の二等種達は、少なくとも週に一度は絶頂を許可されていた。
 だから、管理人達もすっかり油断していたのだ。
 いくら薬を増やしても安定しない精神状態を訝しんだ担当管理人がふと記録を見返さなければ、72番はこのまま回収の日まで一度も絶頂を得られないままだったかもしれない。

「でまぁ、流石に今の状態は不味いからさ……2ヶ月前からは2-3日に1回、意識を落とした状態で絶頂させてはいるんだけど」
「ま、起きてるときに絶頂を貰えないどころか、刺激すら碌に貰ってないものねぇ。そりゃ限界にもなるわよ。一旦起きた状態で絶頂を許可した方がいいんじゃない?」
「いや、それをやると余計に女子達の扱いが酷くなるぞ。とてもじゃないが手助けなんて出来る状況じゃ無い」
「…………全く、とんでもない地雷個体よねぇ……」

 女子達の怒りに触れず、しかし最終日まで壊れない程度の精神的な満足を与える方法は無いものか。
 妙案が浮かばず大の大人達が揃ってうんうん頭を抱えていたところに、ある男子学生が「管理人さん、何悩んでんの?」と寄ってくる。
 どうやら彼は今日の613番の当番らしい。餌を終えた彼を設置しに来たようだ。

「いや、実はな」と管理人達は状況を話す。
 別に若者に解決策など期待していないが、煮詰まった状況を和らげるくらいはできるかもしれないという、ただの気まぐれだ。
 しかしふんふんと話を聞いていた学生は、終わるなり「そんなの簡単じゃん」ときょとんとした顔をした。

「え、簡単、なのか?」
「うん。要はF072が精神的に満足すればいいんでしょ?ならM613と交尾させりゃいいんじゃないの?」
「はい!?」

 突拍子も無い提案に今度は管理人達が目を丸くする番だった。
「えーそんなにおかしいこと言ってる?」と首を傾げる彼の話をよくよく聞けば、どうやら613番と72番は相思相愛だったらしい。ただ、その想いがお互いに伝わっていなかっただけで。

 それは盲点だった、と72番の担当管理人は天を仰ぐ。
 しかしそれなら確かに話は簡単だ。つまり、女子達の機嫌を損ねない形での交尾を実現させればいい。
 ……幸いそのための道具には、心当たりがある。

「ありがとうよ、お陰で問題は解決しそうだ」
「へへっ、なら良かった。ほら、俺もM613がずっとF072を好きだったの知ってるしさ。こんな形にはなったけど最後に一度くらい思いを遂げさせてやりたくて。なぁ、M613」
「ありがとうございます、人間様……俺、嬉しいです……」
「そっかそっか。楽しみにしてろよ?あ、でもこれ、二等種だからチンコが無いんだっけか……」
「あーその辺はこっちでなんとでもなるから心配するな。ほら、さっさとこいつを繋いでこい」
「あ、はいっ!ほらいくぞ」

 上機嫌で鎖を引っ張るかつての友人に、613番は「はい、人間様」と笑顔で付き従う。
 ……その瞳の奥には、隠しきれない悲しみが浮かんでいた。


 …………


 それから数日後。
 部屋の中に入りきらないほどの学生達が固唾を呑んで見守る中、管理人たちは613番と72番に器具を設置していた。
 下卑た欲望故に諸手を挙げて賛成した男子学生達はもちろん、管理人達の提案を渋々飲んだ女子学生達も興味津々でその様子を眺めている。

「先に接続用の部品を取り付けて、っと……」
「へぇ、ピアス外すのかと思ったら……そのまま取り付けられるんだ」

 台に仰向けで固定された613番のフラット貞操具から伸びた、テザーにぶら下がるピアスに糸を通すと、管理人は円柱型の部品の真ん中に開いた小さな穴に糸を通して、部品を円形のプレートに押しつけつつ糸を思い切り引っ張る。
「ぐぅ……」とテザーによる内側の刺激に脂汗を流して呻く613番を気遣うことも無くぐいぐいと引っ張れば、やがてカチッと音がして部品が固定された。

「で、この部品にこいつを取り付ける、と……おい、ガチャガチャうるせえぞ」
「が……っ……ご指導、ありがとうございます、おちんぽ様っ……!」
「おいおいチンコが指導したことになったのかよ!まぁ二等種がこいつを見て正気でいられるわけが無いよなぁ」
「はいっ、穴が疼いて、おちんぽ様にご奉仕したくてぐねぐねしていますっ!」
「……ったく、S品ってのは正直すぎてこっちの調子が狂うわ。だがこれはお前の穴用じゃねえんだな」

 管理人は青みを帯びたペニス型のディルドを、先ほどの部品に嵌め込む。
 その様相は、まるで613番の股間から表面が粘液でぬめりぷるぷるした、けれども芯はガチガチに硬い異様な色の屹立が生えているようだ。
 当然魔法による感覚付与などは行われていない、ただの玩具である。
 だがそのディルドを見た瞬間、613番の顔はどろりと発情に溶け、奉仕を求めて身体を床に縫い付ける金属の拘束具をを鳴らしながら叫び始めた。

「はぁっ、はぁっ、お、おちんぽ様っお願いします、ご奉仕させて下さい!!上の穴でしゃぶらせて頂きますっ!!」
「……えー、こいつがやるとちょっと引くわ……分かっちゃいたけどマジで二等種ってチンコの形してたら何にでも発情するのな」
「女性器もな。ちなみにイラストでも反応するし、馬のペニスもぶち込んで欲しいってねだる」
「ひえ、頭おかしいわ……」

 取り付けを終え「72番の準備が出来るまで待機な」と拘束を解かれた613番は、すかさず待機の姿勢を取る。この状態であっても命令が電撃無しで入るのは、優秀なS品ならではだろう。
 だがピンと背筋を張っていてもその視線は己の蓋から突き出た偽物のペニスからひとときも反らすことが出来ず、息を荒げ目を潤ませながら必死に「ご奉仕させて下さい……お願いします、穴に突っ込んで下さい……!」と叫び続けていた。

 そこに人間だった頃の知性は全く感じられない。
 お陰で、ここに来てようやく彼への未練を断ち切れた女子も多かったのだろう、どこか冷ややかで侮蔑を含んだ視線が無遠慮に投げつけられていく。

(……おちんぽ様、大好き……ああ、F072もずっと、こんな気持ちでいたんだろうな……俺はもうチンポ狂いであることを受け入れちゃったけど、あの頃の君はまだ抗っていたんだ)

 笑顔を貼り付け植え付けられた言葉を紡ぎながら、613番はかつての仲間達の変化に静かに心を痛めていた。
 絶望はしない、既に分かっていたことだから。ただ、その豹変ぷりが悲しいだけ。

 2ヶ月に及ぶ壮絶な初期加工及び3ヶ月の性処理用品製造工程を経て、全てを諦め穴として生きる覚悟を決めた自分ですら、人間様の視線を辛く感じることがあるのだ。未だその奥に自分を残したままの彼女の苦しみはいかばかりであろうかと、613番はこの期に及んでも初恋の人だったモノを想い続ける。

(……ごめん、こんな歪な形でも俺は……君と結ばれることを、喜んでいる)

 彼女の中に触れる事が出来る偽物の欲望が羨ましいと思いながら、613番が穴として正しいプログラムを作動させていた頃、床では四つん這いに固定された72番が虚ろな瞳でぶつぶつと「おちんぽさま、おちんぽさま……」と繰り返していた。
 もはやまともに正気を保っていないのであろう、半開きの口からはボタボタと涎が垂れ、股間から溢れる愛液と共に床に大きな染みを作っている。

「さっき613番に装着したディルドは、あれが二等種に堕ちた直後に計測した勃起状態のペニス型から作られている。んで、こっちは」
「んぐぅっ……はぁっ、おちんぽさま、おちんぽさまっ、おおきいっ!!」
「内部が性処理用品として製造される前の72番の膣型から作られた、早い話がオナホだな」

 説明をしながら、管理人は巨大な筒状の物体を容赦なく72番の泥濘に根元まで押し込んでいく。
 外径は83ミリ。検品時に計測した、72番の最大拡張サイズである。
 ドロドロに濡れそぼった蜜壺は、久しぶりに味わう維持具よりも太く長い質量に、ようやくまともな快楽が得られると期待しうねり始める。
 きゅ、きゅっと締め付ける度に腰が砕けそうな快楽が脳天に突き抜けて、さっきまで半開きで涎だけを垂れ流していた72番の口からは獣のような喘ぎ声が幾度となく上がっていた。

「うああぁぁっ、きもちいいっ、おちんぽさまきもちいいですっ!!もっと、おねがい、あなをごしごしして!!奥をとんとんして!!ああっ、太いのぉ!太いけど、じっとしないでぇぇ!!」
「ったく、流石にやり過ぎだぞ女子ども。折角初期設定で大人しくなったってのに、またがっつきモードに入っちゃってるじゃねえか……」
「えーだってそいつが悪いんじゃん!」
「いやな、恨みを晴らすなとは言わんが……一応初期設定なんだぞ?基準を満たさなきゃいけないんだってば……」

 がっくり肩を落とす管理人の手袋に覆われた掌は、ずっぽり飲み込まれたオナホを押さえつけたままだ。

「あれ、動かさないんだ」
「いや動かして快楽を与えることが目的じゃねえのよこれ。今は固定しているだけ」
「固定?」

 数分後、ピピッとアラームが鳴り響くと同時に管理人は股間から手を離す。
 しかし72番に挿入された器具は、これほど穴が濡れそぼっているというのに滑り落ちてくる気配が無い。

「これな、愛液と反応して膣粘膜にぴったり張り付くのよ。一度貼り付けりゃ、2週間は取れねぇ。で、ここにチンコを突っ込める」

 管理人が指さしたのは、器具の中心でほんのり口を開ける縦線だ。
「人型オナホを作った感じ?」と誰かが尋ねれば、その通りだと管理人は意地悪な笑顔を浮かべた。

「これだけ分厚いオナホだし、例えチンポを突っ込まれても碌な刺激は与えられない。ま、多少は腹の中が揺れて気持ちいいだろうけど、そんなもんで満足できるような状態じゃないからな、これ」
「つまり、今から始まる交尾は」
「そ、オスもメスも偽物の性器を擦り合わせるだけの、何にも気持ちよくない交尾ごっこってやつだ」

 さて、ちょっと正気に戻さないと効果が出ないだろうからな、と管理人がリモコンを操作する。
 途端につんざくような絶叫が72番の口から飛び出した。


 …………


 夢を見ないはずなのに、長い悪夢を見ていたようだ――

 ようやく求めていた穴への刺激が与えられたことに、72番は歓喜の雄叫びを、ついで懲罰電撃への絶叫を上げる。
 痛みが引いてようやく彼女の心は久しぶりに正気を取り戻したのだろう。「あれ……え……?」とどこか戸惑った様子で、しかし瞳には怯えを滲ませながらキョロキョロと辺りを見回す72番に、管理人は再び電撃を与えながら四つん這いになった72番の前にしゃがみ込んだ。

「おい、こっちを見ろ」
「ひっ……お、おちんぽ様、ご奉仕させて下さい……んはぁっ、おちんぽさまおおきい、ごしごししてぇ……」
「正気に戻った……戻ってるよな?おい、いいか良く聞け。これから2週間、お前の夢を叶えてやる。二等種が抱くには大それた夢をな」
「……ゆ、め…………?」

(一体、何を……?)

 いまいち状況が読み込めないのだろう、首を傾げる72番に、管理人はニヤリと口の端を上げる。
 そして「交尾させてやるよ」と鼻を鳴らしながら言い放った。

「……こ、うび……」
「お前、613番を誘惑して二等種に堕とさせるほどあれが好きだったんだろう?」
「!!っ……あ……その、あがっ!!」
「誰が人間様に話せと言った?折角最後の2週間は、大好きなオスと交尾させてやろうって言ってるんだ。ここは土下座して感謝するところだろうが」
「!!あ、ありがとう……ござい、ます……?」
「んーまだ状況が飲み込めてないか、こりゃ見せた方が早いな」

 そうひとりごちると、管理人は「おい、こっちに来てその立派なチンポを見せてやれ」と72番の後方に向かってリモコンのボタンを押す。
「ぐっ……」と小さな呻き声が聞こえたと思ったら、じゃらじゃらと鎖の音が近づいてきた。
(…………ま、さか……)

 目の前に現れたモノに、72番は目を丸くする。

「はぁっ、はぁっ、おちんぽさま……ご奉仕、させてください……」
「ほら、良く見ろ72番。お前の大好きな613番にチンポを生やしてやったぞ。今から穴にいれてやるからな?感謝しろよ」
「…………!!おちんぽ、しゃまっ!!」
「うわ、すげぇ涎だらだらじゃん、どれだけ飢えてたんだよ」

 股間に向かっていつも通り作られた自分が叫べば、ゲラゲラと嘲る笑い声が部屋の中で幾重にも重なる。
 けれど、今はそんなもの、どうだっていい。

(おちんぽ様……冬真君の、おちんぽ様が……!!)

 目の前で身体をほんのり赤く染め、震えながら己の股間に向かってひたすら奉仕を乞い続けるのは、初恋の人の変わり果てた姿。
 その股間から聳え立つ青くぬめった物体は、どう見ても彼のペニスでは無い。当然だ、二等種のペニスは製造段階で永久にあの蓋の下に閉じ込められたままなのだから。

 それでも。
 想い続けた彼の手で、あの偽物のおちんぽ様を穴に埋めてくれるというなら、二等種である自分には過ぎた祝福に違いない。

 ……歪みきった思考は、その交合が何をもたらすのかにまで思い至れない。
 まして、己に施された加工の意味を推し量ることなど不可能である。

「ああああ……おちんぽ様、ごしごし……ありがとうございます、ありがとうございます……!!」

 電撃が流れるのも気に留めず歓喜に涙を流し、その場で紛い物の性器に向かって何度も感謝を述べ土下座する72番と、奉仕の懇願が止められないながらもそんな狂った72番を悲しそうに見つめる613番。
 二体の哀れな性処理用品達が繰り広げる狂宴を、学生達は暗い喜びと期待を抱きつつ、今か今かと待ち続けるのだった。


 …………


 その時間は、苦痛しか無いに違いない。
 それでもいい、こんな歪な形でも、決して本心を外に出せなくても、君と思いを交わせるのなら――

「おっお願いしますっおちんぽ様っ!!早くっ、早く穴をお使い下さいっ!!」
「ちょっとは我慢って言葉を覚えやがれよ、このクソポンコツが。ったく、それに比べてS品はやっぱり優秀だよなぁ」

 後ろに回り込んだ613番は、手枷の鎖を外され四つん這いになった72番の両手首を握るように命令される。
 ぐっと細い手首を手枷の上から握りしめれば、背中が反らされて器具がいいところに当たったのだろう、ひときわ高い嬌声が72番の口から漏れた。
 その体勢で、管理人は二体の手首と手首、足首と足首を短い鎖で繋いでいく。きっとこの見せしめのような交尾は、人間様が満足するまで終わらない。

 鎖がしっかり繋がれているのを確認した管理人は「ほら、お待ちかねの交尾だぞ」と貞操具から生える青色のディルドを持ち上げる。
 そしてこれまた青色の、あらかじめ仕込んだ潤滑剤と奥に開いた穴からダラダラと流れ込む愛液で濡れそぼった割れ目の中に先端を突っ込んだ。

「ほら、根元まで突き込んでやれ。……ま、オナホの方が長いから絶対に奥には届かないけどな」
「っ、はぁっ……はぁっ、はぁっ……」

 切羽詰まった荒い息づかいと共に、ずぷぷ、と青い屹立が72番の中に飲み込まれていく。
 当然613番に快感など無い。厳格に躾けられた己の逸物は、蓋の下で多少の違和感を感じる程度には膨らんでいるようだが、人間だった頃のような勢いにはほど遠く、ただメスのように閉じることの出来ない鈴口から透明な液体をとぷとぷと垂れ流すだけだ。

 このディルドには穴が開いていないから、出てきた我慢汁は接続の継ぎ目から滴りパンパンに腫れ上がったふぐりを濡らすことしか出来ない。
 彼女の中に自分のものは何一つ入ることが出来ない情けなさに涙が滲むも、人間様の命令に背くことを忘れた心と体は、周りのヤジに合わせて腰をへこへこと情けなく振り続ける。

「はぁっはぁっはぁっ……うああぁっ……ちんぽ、ちんぽっ……」
「あははっ、どう?人間様に許された交尾は。気持ちいいでしょ、613番」
「っ、きっ、きもちいいですっ!!おまんこ様にごしごし、きもちいいっ!!」

 ここで許される言葉は、快楽への歓喜と人間様への感謝だけ。
 作られた人格が作動しつつも、613番は己の意思で心にも無い快楽を叫び続ける。
 その結果向けられる侮蔑が自分に向けば、今だけは彼女が怯えた目をしなくて済むかも知れないからと祈りつつ。

「ギャハハハッ!!そうよねぇ人間様が与えてくれた交尾が気持ちよく無いわけないものねぇ!!」
「ぷっ、偽チンポを偽まんこに突っ込んで気持ちいいですーって、無様すぎね?」
「うっわ、キンタマドロドロじゃんか。メスみたいに濡らして、やっぱり竿より穴なんだな、二等種は」

 どれだけ煽られても、腰は止まらない。
 こうやって腰を振れば得られるはずの快楽は当然ながら一ミリも生じず、行為との矛盾に焦燥感だけを募らせた頭は、更に激しく抽送を繰り返せと命令を下す。
 へこへこと一心不乱に動く様はまさに壊れたロボットのようで、半年かけてようやくこれを通常の二等種と変わらず扱えるようになった学生達を大いに満足させるのだ。

 ――元が優秀だったからこそ、堕ちきった姿は実に可愛そうで、美味しいのかもしれない。


 …………


(……え…………きもちいいって、冬真君は言ってる……でも……私……)

 一方、ようやく赦された穴への刺激を今か今かと待ち望んでいた72番は、その瞬間がいつまでたっても訪れないことにようやく疑問を抱き始めた。
 さっき613番に装着されていたディルドで入った性器従属反応が収まったせいかもしれない。

 手首を掴む613番の手から、彼の震えが、そして振動が伝わってくる。「気持ちがいいです!」と何故か悲痛な色を纏わせた613番の叫び声もずっと聞こえている。
 何より、股間にパンパンと音を立ててぶつかるオスの身体は、今まさに人間様の言う「交尾」が行われていることを雄弁に物語っているのに。

(……気持ちよくない……なんで……!?)

 613番の「おちんぽ様」が穴の襞を擦りあげる感覚も、奥の壁を揺する衝撃も、何も感じない。
 ただ身体だけが揺れて、しかし穴の快感はすっぽり取り上げられたまま。
 何が起こっているのか必死に後ろを振り向いても、繋がっている部分を見ることは叶わない。
「うあぁぁっ!!なんで!?わかんない、交尾っ、気持ちよくないのっ!!おちんぽ様、どこ!?どこにいるのおぉっ!!」

 訳の分からない事態に、思わず叫んだ72番があまりにも惨めだったのだろう、どっと笑いが起こる。
 管理人すら「マジで気付いてないのかよ、こいつ脳みそないんじゃね?」と肩を震わせる始末だ。時々噴き出しながら、敢えて72番の視界に移らないところから茶々を入れる。

「何言ってるんだ、ちゃんと交尾してるだろ?……お前の中に固定したオナホと、613番の貞操具に取り付けた偽チンポがな!」
「!!っ、そんな……っ」
「はぁ?何不満そうな顔してるんだよ?お前がポンコツですぐ壊れそうになるから、二等種風情にわざわざ交尾を許してやったというのに……反抗する気か?」
「しっ、しません!反抗しませんごめんなさい許して下さいっ!!」
「……ならどう言えばいいか、分かるだろうが」
「ヒィッ……!!」

 低い声で促された言葉は、人間様からの施しを感謝しろと暗に告げている。
 そうだ、二等種なのだから人間様から与えられたものは全てありがたがらなければならない。
 どんなものであれ、人間様が期待する反応をしなければ、最悪反抗と見做されてしまう……!

「……っ……です……」
「ああん?聞こえねぇぞ?お前に突っ込んでくれてるオス位はっきり叫べよ!」
「ひぐっ……きもちいいです……きもちいいですっ、こうび、ありがとうございますっ人間様あぁっ!!」

(良くない、全然っ良くない!!何も感じない……おちんぽ様、動かない……!)

 ああ、こんな時こそ目の前におちんぽ様を持ってきてくれればいいのに。
 そうすればスイッチが入って、この身体は勝手に人間様の望む言葉を笑顔と共に紡ぎ出すだろう。

 なのに、今自分の目の前には人間様がいない。まるで示し合わせたかのように、自分の背後に人だかりが出来ていて、そこからニヤニヤと二等種達の無様な姿を眺めている。
 トリガーとなる股間を見せずに感謝を口にさせるのは、間違いなくわざとだ。他の人間様はともかく、管理人は表の穴としての自分と、内側の自分が別物であることを知っているのだから。

(いや、いやっ……『私』は言いたくない……!!お願い、おちんぽ様を……せめておちんぽ様を下さい……!!)

 狂ったように快楽を騙る度、心が削げていく。
 いつしか72番の睦言は、自分を肉体の檻に閉じ込めてしまうトリガーを必死に求める声に変わっていた。

「お願いしますっ、おちんぽ様を、おちんぽ様を下さいっ!!」
「あん?今貰ってるだろうが。……それともあれか、一本だけじゃ満足できないってか?」
「っ、満足できないですっ!!人間様のおちんぽ様がいいのっ!二等種のじゃだめなのぉっ!!」
「ははっ、お前これのことが好きだったんじゃないのか?」
「うわM613がかわいそー、あんなに鳴きながら腰振りたくっているのに、さ!!」

(ごめんなさい、ごめんなさい冬真君っ……でも無理なの!!全然気持ちよくないのに気持ちいいって言うの、辛いのぉ!!)

 72番は心の中で必死に613番への謝罪を叫びながら、恥も外聞もかなぐり捨てて人間様に縋り続ける。
 どうかおちんぽ様にご奉仕させて欲しい、人間様のおちんぽ様は熱くて硬くて大好きなのだと……

「……ま、そこまで懇願するなら穴を使うかな」

 一体どれだけの時間、懇願を続けていただろう。
 後ろから聞こえる男子学生の声に「あっ、ありがとうございます!」と間髪入れずに感謝を叫べば「うわ必死すぎウケる」とまた嗤われる。
 いいのだ、今はどんな悪意だって甘んじて受けよう。とにかくおちんぽ様を見て、見れないならせめて股間を見させて頂いて、私を閉じ込めなければいけない……!

 これでようやく、少し楽になれると72番はふっと力を抜く。
 だが、その様子を後ろから眺めている人間様達のどす黒い感情に、彼女は気付けない。

「んじゃ、俺口使うわ」
「っむぐっうげぇっ……おぇっ……おごっ、んぶっ……!!」

「……え?」


いびつな交合


 じゃあ俺は後ろを、と声がすれば、次の瞬間「あひいぃっ、おちんぽ様気持ちいいですぅっ!!」と高い嬌声を上げるのは……613番だ。
 その声も直ぐに喉を貫く剛直で塞がれてしまい、部屋の中にはぐぽぐぽと淫らな抽送音と時折苦しそうな、それでいて悦に入った613番の喘ぎ声が漏れ聞こえる。

「え……あ……」
「ん?ちゃんと穴を使ってやってるだろ?M613のな」
「おまえ、これが好きだったんだろう?好きな奴の穴を使って頂けるんだ、二等種なら当然嬉しいよなぁ!?」
「ひ……は……はい、嬉しい……ですっ……」
「そうかそうか、そんなに喜んでくれるなら、今日はたっぷり613番の穴を使い倒してやろう、な!」
「ほらてめぇはしっかり人間様に感謝しろよ!!」

(そん、な…………!)

 その言葉は、死刑宣告だ。
「F072に聞こえないように囁けば絶頂も許可できるだろ」と誰かが言った次の瞬間「いぎっ、いぐっ、いぐうぅぅっ……!!」と613番の切羽詰まった絶叫が部屋に響く。
 ああ、私の見えないところでは冬真君が穴を使って貰っている、しかも絶頂まで頂いているというのに……私には何一つ、許されない……!

(これが……天然モノと堕とされの差……)

 神様、私が一体何をしたというのですか。
 私はただ、魔法を使えない身体で生まれてきただけ。それはこんな辱めを受け苦痛に塗れて朽ち果てねばならぬほど、罪深いことなのですか……

 地下に閉じ込められたときから幾度となく繰り返した嘆きを、72番は「人間様、ありがとうございます!穴を使って頂いてありがとうございますっ!!」という叫びに乗せて世界へと解き放つ。
 何かが返ってくるわけでは無い。そんなことはとっくに分かっている。
 だが、数少ない『私』として声を出せる機会を得たのだ、この肉の器が張り裂けそうなほど詰め込まれた慟哭を、叫ばずになどいられようか。

「うあああっ!!だいすき、だいすきおちんぽさまっ、おちんぽさまっ……ギャッ!!あ、ありがとうございます、人間様、ありがとうございます……!」

(お願い、もう閉じ込めて!!私に騙らせないで!!こんなことなら、人間様の望む『私』に覆われている方がずっとましなの……!!)

 穴を酷使される片方の製品からは悦楽の、穴を見捨てられたもう片方からは絶望の悲鳴が上がり、粘液質な音と混ざり合って狂乱のハーモニーを奏でる。
 そんな異様な光景をここぞとばかりに楽しむ人間様が、72番には本物の悪魔に見えた。


 …………


「あースッキリした、いやぁこれ結構興奮するな」

 数時間後。
 既に日は落ちて、ほとんどの学生達は暗い満足感と共に街へと繰り出していく。
 レクリエーション室に残っている学生は当番とあと数人だけだ。
 そんな中、ようやく拘束を元に戻された613番はその場に倒れ込み、上下の穴からダラダラと注ぎ込まれた白濁を垂らしながら身体をヒクつかせていた。

「ぁ……うぁ……ありがと…………ござ……」
「はん、こんな状態でも感謝するんだ。S品ってヤベぇな」
「穴には変わりないけどさ、ぶっちゃけこれなら家で飼ってもいいかなって思えるよなぁ」
「それに比べてこいつはほんと、使い物にならねぇよな!」

 まともに起き上がることも出来ない613番の傍で、72番は待機を命じられていた。
 泥濘を押し広げたオナホとやらはまだ抜いて貰えないようだ。何も無いよりはましとは言え、これのお陰で穴の快感を何一つ得られないのはあまりにも辛すぎる。

 ――いや、抜いて貰えたところで、今の人間様が自分の穴を使うとは思えないけれど。

(早く……抜いて下さい……こんなのやだ……おちんぽ様を入れて……)

 譫言のように「おちんぽさま……おちんぽさま……」と繰り返す72番を、気味が悪そうに学生達は遠巻きに眺める。
 それでも数値上は改善が見られたのだろう、タブレットを眺めていた管理人が「これ、毎日やるか」と72番が耳を疑うような非道な結論を下した。

「え、毎日やって壊れないんですか?」
「F072か?むしろ朝より状態はいいぞ。いやぁ学生君の提案通りだったよ、好きな相手と歪な形とは言え結ばれたと無意識には判断しているんじゃ無いか?手は握ってたしな」
「ふぅん、これで良くなってるんだ……」

 実に効果的だったよと、管理人は少しほっとした様子だ。
 貸出終了日まで2週間を切っているから、72番に取り付けたオナホはそのまま利用できる。
 今日のように適当に613番と身体を触れさせながら運用すれば、壊れること無く女子達の「穴を使わせてなるものか」という恨みを存分に満たせるだろう。

 出来ればもう一息接触を増やしたい、とは言え二等種同士のコミュニケーションは禁じられているからどうしたものかと管理人はしばし腕組みし、ふと思い浮かんだ案を試してみることにする。

「……おい、折角お前の大好きなM613の穴を人間様が使って下さったんだ。役立たずのお前でも穴を舐めて綺麗にするくらいできるだろうが、やれ」
「ひっ……は、はい…………」

 冷たい視線で下された命令を咀嚼する余裕すら、今の消耗しきった72番には残っていない。
 管理人の声にビクッと身体を震わせた72番は、反射的に613番の口元へといざり寄った。

(……冬真君……)

 ぐったりと、時折身体をビクンと震わせながら美しいアイスブルーの瞳を濁らせている愛しい人。
 ……こんなにドロドロなのに、今は穴を使われることが羨ましくて仕方が無い。

(いいなぁ……私も、おちんぽ様が欲しい……)

 ベトベトのかんばせに、72番はそっと顔を近づける。
 酷い臭いに顔を顰めつつも舌をそっと伸ばし、頬や口の周りについた誰のものとも分からない体液を舐め取っていく。
 ……臭くて不味いはずなのに、おちんぽ様の存在を感じられるせいだろうか。どことなく……美味しく感じてしまう。

「ほら、口の中にもザーメンが残ってるだろうが。全部舐め取れ、好きな人とベロチューしながらな」
「……はい…………」

 かすかに震える唇に、72番はそっと唇を合わせ、舌を差し込む。

 くちゅ……ぺちゃ、くちゅっ……

 淫らな音を立てて、口の中に残る白濁を……愛する人の唾液と共に己の中に流し込んで。

(…………冬真君……)

 ああ、これは確かに穢れきった自分達にふさわしい愛の交わし方だと、疲弊した心が自嘲する。
 ぐちゅぐちゅと舐め取って、ゴクンと飲み込んで、息をして、また唇を合わせて……

「…………うらんで……ない、から……」
「……っ」

 何度目かの息継ぎに唇を離したとき、ため息のように漏れた囁き声は、きっと自分にしか聞こえなかった筈。

「おれは…………きみを、うらまない……」
「…………っ、ごめん、なさい……!」

 溢れてきた涙を隠すように、72番は慌てて613番の口を塞ぐ。
 電撃の音が首輪から弾けるから、泣いていることはバレているだろう。けれど、管理人は何も言わない。
 ……あと2週間、この個体を壊さないためなら多少のやらかしは見逃すのも致し方ないという判断であろうか。

(ごめんなさい、ごめんなさい……!)

 私が二等種だったから、冬真君は私を好きになった。
 二等種の私を好きにさせてしまったから、彼を破滅へと導いてしまった。

 幼体の頃から繰り返し唱え続けた言葉が、今実感を伴って72番の心に響き渡る。

(私は二等種……何の役にも立たない、人間様に害を為すだけのモノ……)


 私が存在しなければ、冬真君は幸せになれたんだ――


 生まれて初めて感じる強い自責の念に、72番はせめて二等種として彼を少しでも労ろうと、管理人に制されるまで一心不乱に上下の穴を清め続ける。

「んむ……」

 くちゅ……ぴちゃっ……

 ――愛しい人との初めてのキスは、知らない人間様の味がした。


 …………


「本日で成人基礎教育課程は全て終了となります。皆さんが2年間ここで学んだことを活かし、それぞれの進路で活躍されることをスタッフ一同願っています」

 3057年12月末。
 講堂では成人基礎教育の修了式が行われていた。
 一人一人に修了証が渡され、それぞれの進路が発表されると拍手と共に「おめでとう!」「頑張れよ!」と温かい祝福が飛び交う。

(みんな……大人に、なる……)
(……俺もああやって祝われる筈だったのにな……)

 そんな中、講堂の性処理用品設置場所には72番と613番が並べられていた。
 どうやら既に72番の膣からは器具が外れ、回収準備も進んでいるのだろう。二体の穴は久しぶりに正式な維持具を詰め込まれ、腹をぽっこり膨らませた状態で上下の口から涎を垂らしている。

(終わった……やっと、終わった……)

 結局あの「交尾」は、昨日の消灯直前まで2週間にわたり毎日朝から晩まで続けられた。
 頭が焼き切れそうな禁断症状が治まることは無かったけれど、散々使い倒され打ち捨てられた613番を舌で清めるあの時間だけは、不思議と壊れかけた心が少しだけ元に戻るような温かさを感じて……あの時間があったから、今自分は壊れることなくこうして回収されるのだろう。

 ……果たして壊れなかったことは、幸せなのか。今の72番には理解できない。理解しようとも、思えない。

(でも、展示棟じゃ気持ちよくなれない……ずっと、穴を使って頂けない……)

 内面で流れる静かな諦観と悲しみとは裏腹に、彼らの瞳は人間様の股間だけを見据え、穴を使って欲しいと時折呻き声を上げ腰を揺すりながら必死に穴の中の器具を締め付けていた。
 あの歪な交合の最中も、体力の限界まで全ての穴を使われていた613番はともかく、結局オナホ越しの緩い刺激しか与えられなかった72番の身体は、今までの不満を埋めるかのごとく穴の中の維持具を味わうことに熱中している。

「はぁ……初期設定基準自体は満たせたけど、F072は回収後のメンテナンスが大変そうね……」
「ちょっと精神もおかしくなってますものね。ざっとチェックした感じだと、復元に2ヶ月は要しそうです。まあその分のコストははこれからの運用でしっかり取り戻して貰いましょう」

 知り合いであったが故の過酷な利用に、初期設定を終えた個体が壊れかけることは無いわけではない。
 だが、流石にここまで酷いのはなかなか見ないなと、回収に訪れた品質管理局のスタッフも呆れ顔だ。
 ……もちろん呆れる対象はここまで製品を使い倒した学生では無く、よりによって優秀な学生を二等種堕ちさせてしまった72番に対して、だが。

 長々とした祝辞が終わり、最後に、と品質管理局からやってきた管理官が前に立つ。
「今日、成人として未来へ旅立つ君たちと同時に、この製品達も一般への利用が解放されます」と口を開けば、二等種達の傍に立っていたスタッフが何かを首輪の金具からぶら下げた。

(……何を……?)
(四角い……カードみたいだな……)

 首輪の金具にぶら下げられているから、自分達では確認しようが無い。
 訝しむ二体に答えるかのように「これは性処理用品の品質登録証です」と管理官が説明を始めた。

「性処理用品は地上に出荷された段階ではまだ人間に慣れておらず、一般への貸出ができません。そこで新成人の皆さんには約1年間……M613は半年間ですね、長期にわたり管理人の監督のもと、初期設定をお願いしていました。今朝、品質管理局によりこの二体の初期設定が無事完了したとの認定が下りまして、今首にぶら下げた品質登録証が発行されたのです」

 この品質登録証の発行を持って、性処理用品は一般貸出が可能な製品として完成する。
 修了式の後、回収された製品はこの近くにある性処理用品貸出センターに返却され、返却時検査とそれに基づく復元措置を受けた後、再びセンターの展示室に並べられるのだ。
 展示ブースのガラスにはこの品質登録証が掲示されるし、今後は首輪や下腹部の刻印をカメラでスキャンすることによりこれが国の認定した正式な製品であることが表示されるようになるという。

「皆さんのご協力のお陰で、無事二体の製品がここに完成しました。誠にありがとうございました」
「ほら、お前らも礼を言わないか!人間様のお陰で立派なモノになれたんだからな!!」
「っあ、にんげんしゃま、あいあと、ごじゃいましゅ……!」
「はぁっ……おちんぽしゃま……ありあろう……あはぁ……」
「…………はぁ、最後までぐだぐだですなこのB品は……」

 修了式を終え、もう用は無いとばかりに性処理用品の方を見向きすらせずに、冬の柔らかな太陽の下へ歓声を上げながら飛び込んでいく、かつての友人達が眩しい。
 彼らの目の前に広がるのは、大人としての……人間様としての輝かしい未来。

 そして、自分達の前に広がるのは……緩衝材がみっしり詰まった、スーツケースだ。


(ああ、そっか……そういうことか……)


「さっさと回収して休暇に入りましょ、って管理官はまだですっけ」
「残念ながら明日が当番だからね。このB品の復元指示も必要だし」
「S品は……あれ、このS品、保護区域1に転送指示が出てる」
「ああ、それは回収後復元無しですぐ貸出。2週間の短期間だけどね、年末年始を高級品で遊びたい人は多いから」
「S品は展示する暇も無いくらい引っ張りだこですもんねぇ」

 おしゃべりをしながら、彼らは手慣れた手つきで製品を梱包し、スーツケースに詰め込んでいく。


(…………みんなは、大人になった。そして……私と冬真君は、正真正銘の『モノ』になったんだ)


 ぱたん、とスーツケースが閉じられれば、静謐な暗闇の中で息苦しさに襲われながらすぅっと意識が落ちていく。
 次に目覚めたときにいるのは、またあの展示棟の小さな箱だろうか、それとも知らない場所で穴を使われているのだろうか。


(……もう、いいや)


 消えゆく意識の中で、72番の心の最後の砦がサラサラと崩れ去る。


(もう……作られた自分と一緒で……おちんぽ様を愛している穴で、いいや……)


 完成したモノとなった自分が、誰にも見つけて貰えない「私」が、存在する意味なんてもう、どこにも無い。
 それならば……植え付けられた、人間様に求められる私になって、穴として決められた言葉だけを紡ぎ、使われ、あの検品の時のような凄い絶頂を頂く方がずっといい……


(あはぁ、おちんぽ様……愛してます……ご奉仕させて下さい……)


 小さな心の呟きと共に、全てが暗転する。
 ――その瞬間、72番は本当の意味で「モノ」になったのだ。


「「私達は二等種。何の役にも立たない、人間様に害を為すだけのモノです」」


「ご利用ありがとうございます。当個体の管理番号は499F072です」
「この度は高級性処理用品、管理番号571M613をご予約頂き、誠にありがとうございます。精一杯ご奉仕させて頂きます」


「「人間様、どうぞ、この穴をご自由にお使い下さいませ」」



 ――ある二等種の慟哭 完――

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence