第3話 不器用な蓮に阿る
白い天井、白い壁、白い床。粗末なベッドと、衝立すら無い便器にシャワーブース。
組がどこかから調達してきた「素材」を放り込んでおく部屋よりはずっと清潔で、それだけに圧倒的な管理者の圧力を感じさせられる――
「……俺の名前は……37CM906、か。全然違和感がねえのが、余計に不気味だな……」
自分の名前――管理番号の縫い付けられたグレーのワンピースを眺めながら、藍色の髪を後ろに撫でつけた強面の男はため息をつく。
ほんの数時間前まで自分は人間で、確かにこんな英数字の羅列では無い真っ当な名前を持っていた……かつて地上で身に付けた知識が囁いてくるけれど、彼の脳裏に浮かぶのはあまりにも自然にすり替えられた偽の名前の記憶だけ。
いや、偽と呼ぶのもおかしいか。
年齢にそぐわない二等種への知見は残されたまま、同時に自分は間違いなく生まれてこの方ずっと906番であったと認識しているのだから。
「しっかし……こんなところで2ヶ月か。まぁ、2ヶ月後にはもっと酷い環境になるんだろうけどさ」
906番はやってらんねぇなと思わず独りごち、部屋に備え付けられていたタブレットへと手を伸ばした。
……無味乾燥な規則の羅列でも、どうにも収まらないこれからへの不安を紛らすくらいはできるだろうから。
◇◇◇
かつて暴力団――天獄会黒狼組の跡継ぎであった少年は、違法性処理用品製作業に勤しんでいた組の内情を知っていたという理由だけで、理不尽にも無実の罪を着せられ二等種へと堕とされた。
両親の付けてくれた名前は、もう思い出せない。
そもそもその両親だって二等種に堕とされて……年齢のいった二等種に性処理用品としての需要は皆無だから、規定通り二ヶ月に及ぶ初期加工を終えた後はモルモットか部品になるのが確定だろう。
彼らに比べれば、自分はまだ幸いだと……言えるかどうかは微妙だが、そう思わないと不安に叫びだしてしまいそうだ。
少なくとも実験体になるか性処理用の穴になるかを選べる立場は、その大半が部品として切り刻まれる成人受刑者から見れば羨ましい限りではあるだろうが。
「2ヶ月の事前加工中は、特例として人間様への質問が許可されているが、反抗すれば懲罰、最悪処分。事前加工が終われば天然モノと同様の扱いになる、か……流石にいきなりこんなガラの悪い堕とされを、天然モノには混ぜられねぇよな!」
飽きるほど眺めた規則を諳んじ鼻で笑う906番の瞳には、精一杯の虚勢と隠しきれない怯えが浮かんでいた。
無理も無いだろう、いくらその生い立ちのお陰で人間様に啖呵を切れる程度には肝が据わっているとはいえ、全てを飲み込み諦めるには彼はまだ年若すぎるから。
カシャン
「!」
しんとした部屋の中、不安を握りつぶすようにグッと唇を噛みしめていれば、ドアノブの無い扉の下から何かが無言で差し込まれた。
「……メシか。うっわ、まさにディストピア飯ってやつじゃねーか」
区分けされたプレートに盛られていたのは、元の素材が何だったのか全く判別のつかない、白や茶色のドロドロした物体と、黄色いスープだけ。
碌でもないものを想像させる形状はわざとだなと毒付き、覚悟を決めて口にすれば、意外にも食べられなくは無い。ただの塩味でとても味気ないだけだ。
「うちで作った二等種は、最初っから残飯に精液やらしょんべんやら混ぜ込んで、漏斗で無理矢理流し込んでいたっけな……流石正規の二等種製作は、贅沢なもんを食わせてくれる」
それもきっと、今のうちだけだろうがな……と続く言葉は、餌と呼ぶにふさわしい物体と共にグッと飲み込んだ。
◇◇◇
二等種堕ちの判決を受けた段階で成人していなかった個体については、その心身を年齢に応じた二等種基準に沿うよう加工し、二等種としての振る舞いを徹底的に仕込んだ上で天然モノの集団へと混ぜるのが決まりだ。
生まれつき二等種という害悪であった天然モノとは異なり、一応元は人間であったためであろうか、この2ヶ月に及ぶ事前加工中は扱いも二等種ほどには酷くなく、人間様との会話も許されている。
「ぐ……っ……うあぁ…………」
「おーおーあんまり泣いてると首が焼け焦げるぞ? ま、たった1ヶ月で二等種基準まで身体を縮める必要があるからな、痛みは諦めろ」
「くそ……っ……麻酔とか、ねぇのか、よっ……!!」
「二等種如きにそんなもの使うわけがないだろう? ほら、二等種はこういうときに何て言うんだ? 昨日も教えただろうが」
「うぎっ!! ……ご、ごしどう、ありがとうございますっ……!」
翌日から始まった事前加工は、想像を絶する過酷さだった。
既に身長は180センチを超え、中等教育校では柔道部に入っていた906番の筋骨隆々とした体躯は、表向きは禁制魔法とされている身体改造魔法と特殊な薬剤の注入により、全身を削ぎ落とすような激痛を生じながら、みるみるうちに少年のような中性的でどうにも頼りない身体へと変貌していく。
生まれて初めての痛みに、それでもこれまでなら歯を食いしばって耐えられたであろうものなのに、同時に投与された理性を緩め依存性を高める魔法と薬剤のせいで、涙が止まらない。
落涙を感知した首輪は処置の間中青白い光を放ち続けていて、それでも気絶を許されない状況に頭がおかしくなりそうだ。
「くそっ……ぐすっ、ぐっ……この程度で、ちくしょう……っ……!!」
「あーお前、その発言はアウトだな。ただでさえ人相が悪い上にこのタトゥーだぞ? 例え反抗心からでなくてもお前の見た目じゃ一発で処分になる」
「んな、もん……顔は俺の、せいじゃねえ……!」
「そりゃそうだ。だがお前はもう二等種なんだ、そんなことは理由にならないんだよ!」
(ちくしょう……ちくしょう、俺の身体が……っ!! くそったれな大人共め……許さねえ、絶対に許さねぇ……!!)
今から懲罰慣れしておけよ、と笑いながら流される懲罰電撃に咆哮を上げながら、906番は内心で己の不甲斐なさを嘆き、同時に大人への、そしてこの国への怨嗟を叫び続けていた。
いくら覚悟を決めていたって、若くして己のアイデンティティでもあった屈強な身体を永久に取り上げられれば、心が悲鳴を上げるのも無理はない。しかもそんな境遇に自分を追いやったのは、かつては彼の父に頭を下げ好みの二等種を「オーダーメイド」していた、この国の中枢に巣くうクズ共だ。
反抗は即処分となるから、決して口には出さない。
けれど、その煮えたぎるような怒りとどす黒い恨みはどうしたって瞳に宿り、表情に映り、言葉に、態度に滲み出る。
……ただでさえ彼は極道の跡取りとして「そういう」凄みを出すことを奨励されて来た身なのだ。耳や舌を飾るいくつもの銀色と、ワンピースから覗くすっかり細くなった四肢に刻み込まれたタトゥーが更に覇気を助長させている状況で、人間様への絶対服従など達成出来るはずも無い。
『……いやぁ、俺流石にこれは……天然モノに混ぜた日には即処分だと思うんだよなぁ……』
『分かるわ、万が一無害化出来て使えてもD品が関の山っしょ。だからタトゥーも消さなくていいって管理部長も指示したんだろ?』
コストだけがかかって無駄じゃんと言い放つ、幼体管理部の職員の呆れ顔が脳裏を掠める。
何度も繰り返される死刑宣告より悍ましい未来の宣告に絶望を抱きつつも、保管庫に戻された906番の手は、すぐさまワンピースの裾をまくり上げ異様な大きさに加工され既に先端を濡らす屹立へと伸ばされた。
「くそっ……はっ、はっ、んっ……ぐっ、殺せ……いっそ殺しやがれ……!」
性急な加工により全身が悲鳴を上げているというのに、抑制を奪われた頭はひたすらに彼を自慰しか出来ない獣へと貶める。
906番は悔しさに歯を食いしばろうとして、それすらできぬほど弱められた顎の力に新たな絶望を覚えながら、必死に中心を扱き上げ喜悦と悲嘆を含んだ涙と共に白濁を何度も放つのだった。
◇◇◇
「お前なぁ、もうちょっと笑顔になれよ? 二等種なんだから、何をされても笑顔で感謝は基本だろうが」
「ご指導ありがとうございます、っす……これでも笑っているんすけど」
「どこがだよ、完全に凄んでいるだろうが!」
それでもひと月近く経てば、人間様に自発的に話しかけることはなくなったし、何をされても反射的に感謝の言葉を口にするようになるなんて。
まったく俺もあっさり懐柔されたものだ……と自嘲する906番は今、首輪に鎖を繋がれ見知らぬ部屋へと連行されていた。
この一月で外見は(顔はともかくとしても)二等種の基準を満たしたらしい。さらに元々ゲームや漫画と言った娯楽にはあまり興味が無かった分、その依存性は完全に性的快楽へと向けられていて、保管庫では食餌中すら手が止められない有様だ。
あまりの情けなさに泣きたくなる事もしばしばだが、流石にあれだけ懲罰電撃を食らえば身体は学習するのだろう、今やこの程度の絶望では涙一つ流れない。
「ったく、事前加工は上手くいってるのになぁ……その反抗的な態度だけなんとかなりゃ、お前が作っていた穴くらいにはなれるだろうによ」
「そう言われても、俺は人間様に反抗する気なんて微塵もありませんよ」
「その顔で言われても説得力がないんだよな……まぁいい、そんなお前には特別訓練を手配してやったからな、ありがたく思えよ」
「はぁ、ありがとうございます……?」
どうせ碌な訓練じゃないだろうな、と心の中でツッコみながらも、906番は勤めてしおらしい顔を作ろうと試みる。
一応意図は伝わったのだろう。全然作れてないからな! と鎖を持つ職員は嘆息し「失礼します」と目の前のドアを開けた。
「…………!?」
中が見えた途端、906番は一瞬ぎくりと固まり、しかし職員の促しに応じて渋々部屋の中に足を踏み入れる。
(拷問で人間様に服従させようってのか……? まぁ、それはあるあるか……しかし……)
ドアの向こうに待っていたのは、拘束用のベッド。壁に設えられた棚には、ずらりと拷問用としか思えない数々の器具や薬品が所狭しと並んでいる。
それだけなら906番は驚きもしなかっただろう。こんなものは実家で散々見慣れているのだから。
だが、そんな彼にも想定外の人間が、そこには待ち構えていた。
「お待たせしました、く……っと、副部長。これが例の個体です」
「分かりました、後はこっちでやっておきます。取扱許可の方は?」
「ありがとうございます。承認は既に降りてますので、事前加工中は素体同様の扱いをして頂いて構いません。しかし……流石にこれはどうにもならないと思うんですが……」
「まあ、ダメ元でしてみるのもありっすよ」
職員が鎖を渡した相手。
銀色の癖のある髪にどうにもやる気の無さそうな無精髭を生やした男は、グレーの制服に身を包みロイヤルブルーのケープを羽織って……そう、地上で「お客」としては見慣れていたものの本来幼体二等種が目にすることは無いはずの、調教管理官の出で立ちをしていた。
深紅の徽章の下にぶら下がるIDカードは裏返されていて名前を見ることは叶わないが、さっき職員は副部長と呼んでいたから、恐らくこの男は調教管理部のNo.2なのだろう。
(深紅……ってことは、上から5番目か。調教管理部の副部長にしちゃ珍しい色だな、実は結構若いのか……?)
ついいつもの調子で相手を値踏みしていれば、男は唐突に「俺は」と口火を切った。
「……俺は、お前をここに堕とした元凶だ」
「…………は?」
(元凶……こいつ、うちの客か!!)
カッと906番の頭に血が上る。
目の前の視界がぼやけて、そのやる気の無い顔だけが瞳に克明に映し出される。
お前らクソ野郎のせいで両親は、仲間は、みんな人生を終わらされた――この一月の躾が無ければ、確実に怒鳴りつけ掴みかかっていただろう。
必死に平静を装い「そうですか」とただ一言、短く答えられた自分を全力で褒めたいくらいだ。
だが、幼体とは言え人間様に対して溢れる怒気が、歴戦の調教管理官に見逃されるはずはなく。
「……ふむ、確かに服従心が非常に低いな」
「が…………っ!!」
ぽつりと溢された言葉の意味を理解する前に、906番の全身に衝撃が走る。
バチン!! と聞いたことも無いような電撃の破裂音が何度も炸裂し、その度に身体は壊れた人形のように勝手に飛び跳ね……十数回の繰り返しの後、床に崩れ落ちた彼の焦点は定まらず、締まらない口からはたらりと涎が床に伝った。
「ぁ…………が……」
「……二等種如きが床を汚すとはな。舐めろ……といっても、事前加工中の幼体ではまだ無理か」
全く世話の焼ける、と嘆息する男の白手袋を嵌めた手が、スッとこちらに向けられる。
痛みと痺れでままならない身体は、全く抵抗が出来ないまま魔法で持ち上げられ、あっさり拘束台に縫い止められた。
◇◇◇
時は数日前に遡る。
2週間前、大規模な違法性処理用品製造グループと二等種管理庁との癒着を世界に向けて大々的に告発した保護区域1の若き調教管理官二人は、その功績を讃えられて調教管理部の部長並びに副部長へと抜擢された。
……ただし、一人は彼らがかつて所属していた首都圏の保護区域から遠く離れた保護区域9の管理部長に、もう一人は更に辺境にある保護区域Cの管理副部長に、であるが。
「まあ、表向きは栄転、現実は左遷ってやつだね」と苦笑いをしていた先輩と別れ保護区域Cへとやってきた久瀬は、早速大量の嫌みと共に代理出席を押しつけられた会議の場で、幼体管理部長の嘆きを耳にする。
曰く「堕とされの生意気なガキがやってきた。微妙な年齢のお陰で反抗心が強く、どうしても屈服させられない」のだそうだ。
「元々ヤクザの跡取りだったって噂だから、どうしようもないですかね……ありゃ事前加工が終わった瞬間に処分でも良さそうだなと」
「はぁ……その歳で二等種堕ちを執行されるとは、抗争ですかね」
「ですかねぇ。これなんですが」
「どれどれ…………っ!?」
いつも通りどこかだるそうな様子で差し出されたタブレットを手にした久瀬は、一瞬目を見開く。
だが、すぐにいつも通りの表情に戻り「……これは大変そうですね」と苦笑を返した。
「あの、大貫部長。もし良かったらそれ、俺が手伝ってもいいですか?」
「……手伝う? 調教管理部が、ですか?」
「まぁ、俺の独断ですが……ダメ元で調教管理部の手法を試してみるのもいいかなと。堕とされとは言え、穴用の素体は多いに越したことは無いですから」
「なるほどね……君もここじゃ肩身は狭いだろうし、点数稼ぎになるなら悪くはないんじゃない? いいですよ、うちとしてはもう処分する予定ですから」
「ありがとうございます、では手続きの方を……」
淡々と今後の算段を話し合いながらも、久瀬は内心大きなショックを受けていた。
(よもやこんなことになっていたとは……ああ、本当にこの国は度し難い……!)
己の行動の結果は、確かにそれなりの――後に大粛正と呼ばれる大量の二等種堕ち処分を生み出した。だが、それはあくまでも彼らの責任、自業自得というやつだ。
しかし、まさかこんな所にまで告発の影響が波及し……腐りきった中枢の浅知恵により無実の罪の少年の未来が永遠に奪われていただなんて、完全に想定外だったのだ。
(……どうなるかは分からない)
思わず協力を申し出てしまったが、正直なところ自分に何が出来るのかは分からない。
まして相手は、既に二等種に堕ちているのだ。人間に戻すことは絶対に不可能だし、人間様としてこれに接する以上、その言動に制限がかかることは致し方が無い。
(だが)
それでも。
事実を知ってしまった以上、何の落ち度も無い命が壁飾りとして朽ち果てていくのを黙って見ていることは、久瀬には到底出来そうにも無かった。
(少なくとも俺は……これに会わねばならない)
かくなる上はこの目で不幸な二等種を確かめて、それから出来ることを考えるしかない――
「……こんな目に遭えば、誰だって反抗的になるさ……さて、どうしたものか」
私情はともかく申し出た以上手助けは誠実に遂行せねばと、久瀬は早速タブレットを取り出し、保護区域9に飛ばされた先輩に連絡を取りつつ幼体管理に関する文献を取り寄せるのだった。
◇◇◇
「これから一月、天然モノに混ぜる日までは、お前は素体と同じ扱いが許可されている。……実家で散々見てきたんだ、意味は分かるだろう?」
「ぐ……ごっ、ご指導……ありがとう、ござい、ますっ……」
「なるほど、感謝の言葉くらいは言えるのか」
そうして覚悟を決めてこの場に臨んだ久瀬の目の前に連れてこられたのは、か弱い体付きからは想像できないほど気合いの入った……どこからどう見ても二等種とは思えない鋭い眼光を持つ少年だった。
これは、今回の件だけで出来上がったものでは無いと久瀬は確信する。これまでの生育環境が作ったふてぶてしさというか、裏家業の人間らしさがダダ漏れだ。
(これは、素体基準の取扱許可を貰って正解だな……幼体基準ではとてもねじ伏せられそうに無い)
カタン……
「!!」
久瀬が無言で手にした裁ちばさみに気付いたのだろう、ひゅっと906番の喉が鳴る音がする。
「まだ傷はつけん」と全く慰めにならない声を掛けながら、久瀬の持つ刃はシャクシャクと薄いワンピースを切り刻んでいった。
「……っ……!!」
「ほう、流石に羞恥心は感じるのか。ふむ、見た目だけならもう立派な二等種だ」
青い手袋に履き替えた久瀬の手が、くたりとした雄を握り込む。
よもや潰されるのか、はたまた切られるのかと顔を青くした906番の不安は、しかしとんでもない方向で裏切られた。
「っ、んっ……なに、を……!?」
ぐちゅり……くちゅっ、くちゅっ……
だらりと毒々しい色の液体が、中心に塗りたくられる。
そうして滑りの良くなったところで、久瀬は無言で雄芯を扱き始めた。
ここのところ快楽に負け続けている身体はあっという間に昂ぶり、およそ人間のものとは思えない異様な大きさを誇示して、先端からダラダラと透明な汁を零し始める。
「なかなか敏感だ……まぁ若いからな。気持ちがいいだろう?」
「っ、はあっ、はぁっ……んっ……ぁっ……」
「なんだ、もう口もきけないほど感じているのか」
(くそっ、いつもと全然違うっ……!! 気持ちいい、もっと……はやく、出させろ……!)
絶対碌でもない薬を塗られてやがると頭の片隅で毒付くも、そんな思考は雁首を撫でられればあっという間に流れ去り。
彼の頭の中は、ただ溜まったものを出したい、それだけでいっぱいになる。
「はぁっはぁっはぁっ、んぅ」
「……早いな」
「!!」
けれど、ああ、何となく予感はしていたが、人間様が……それも穴を作る専門家が素直に放逸を許すはずなどない訳で。
あと少し、と言うところで大きな手はすっと熱い塊から離れて行ってしまった。
「ぐっ……うあぁっ、な、なんで……っ……」
「たった1分で射精寸前か。こんな弱い発情剤でこれほどの効果とは、やはり幼体は難しいな」
「ひぃっ、くそっ何だよこれっ、うあぁ触れっ、触ってくれよっ……!!」
「二等種の分際で人間様に命令とは論外だな。もう少し塗ってやろう」
「うあああやめろおおっ!!」
手を離された途端、感じたことも無いようなじくじくした疼きが屹立全体を襲う。
ああ、一瞬たりとも休まず延々と扱き続けたい。この手が自由になるなら、きっと自分は死ぬまで自慰を止められない……
それほどの衝動を与えておきながら、久瀬は些細な懇願を理由にあの拷問としか思えない薬剤を更に塗り込める。
粘液が触れたところから、痒みとも疼きとも言えない、形容しがたい感覚が一気に広がって、906番の口からは人とは思えない叫び声が上がった。
「……落ち着いたな、なら扱いてやる」
「あっ、あひっ、気持ちいいっ気持ちいいっ出る……!!」
「二等種の分際で、人間様の許可無く出す気か?」
「ああっ!! やめっ、止めないで、扱いて、こんなのっ頭おかしくなるっ!!」
「出さないならずっと扱いてやるがな、その様子じゃ我慢出来ないだろうが」
「そんな……っ!!」
(無茶言うな、こんな状態で出さずにいられるか!! ぐっ、だめだ扱いてないと疼いて辛い……頼む、触って、触ってくれ……!)
酷い音が部屋の中を満たしていく。
ぐちゅぐちゅと粘ついた摩擦音にすら耳が犯され、快楽へと変換されるような錯覚に陥る。
刺激を与えられた歓喜の甘い声は、すんでの所で放り出された絶望とどうしようも無い疼きへの慟哭と代わり、嗚咽と共にバチバチと青白い電撃を発生させて。
「くそっ……殺せ! もう無理だ、殺してくれ!!」
「貴重な素体をわざわざ処分するわけがないだろう? ほら、もう一度」
「うあぁぁっ、やめろっ、何でも言うこと聞くからっ、頼む止めてくれっ……!!」
「…………この程度でお前が折れるわけがないだろうが」
なに、先は長い。
一月かけて徹底的に二等種らしさを叩き込んでやるから、安心しろ――
表情を変えることもなく告げられた絶望に、ひときわ大きな906番の叫び声が無機質な壁を震わせた。
◇◇◇
「あ……あぁっ…………出させて……出させてっ……!」
「これ以上は触れないな、息を吹きかけても出てしまいそうだ」
まだ触って欲しいか? と尋ねる久瀬に、906番は間髪入れずに「触ってください!!」と叫ぶ。
今や彼は、それが罠だと気付くことが出来ないほど追い詰められていることにすら、気付けない。
「いいだろう」と久瀬がこちらに手を伸ばす。
だが、期待した刺激は与えられず、何故か手は額に載せられた。
ぐちゅり、と粘着質な感触が非常に気持ち悪い。
(なに、を……? 温かい、これ、魔法か……?)
二等種に堕ちた身体では、魔力を感知することが出来ない。だが、この温かさはどうにも不気味だ……906番はどこか不安そうな表情で久瀬を見上げる。
と、それに気付いたのだろう久瀬は手を離しながら短く「射精を封じた」と彼に告げた。
「…………は?」
「これでお前の身体は、どれだけ刺激を受けようが射精も絶頂もできん。確か……この一月で後ろの快楽も覚えていただろう? 素体基準である以上、何があっても逝かせてはならないからな。これで俺も、お前が望むだけ触ってやれる」
「っ、そんな……っ!!」
「何だ、触って欲しかったんだろう? わざわざ魔力を使って触れるようにしてやったんだ、何か言うことは無いのか?」
「ひっ! だっ、出せないようにしてくれてありがとうございますっ!!」
「……そうだ、常に感謝の心を忘れるなよ」
(嘘、だろ……こんな状態にされて出せねぇとか……え、いつまでだ? まさか、このままずっと……!?)
放逸の期待で埋め尽くされた頭に、じわりと不安が忍び寄る。
地獄のような事前加工生活のなかで、性的な快楽だけが彼に与えられた救いだったのだ。まさか彼の言うとおり、人間様に完全に服従したと見做されるまで射精を取り上げられるのだろうかと思えば、あまりの恐怖に震えが止まらない。
「いつ……まで……?」
ようやっと口をついた言葉は、すっかり掠れていた。
……だが、返ってきた答えはある意味では予想通りで、しかしある意味では……予想どころの騒ぎでない未来を暗示するものだった。
「なに、お前が二等種らしい利口さを身に付ければいいだけだ。そうすれば自由に触って出せるように戻してやる」
「…………え……?」
カチャカチャと股間の方から金属音が聞こえてくる。
気がつけばあれほど滾っていた筈の股間はどうも大人しくなっているようだ。何か魔法を使われたのだと気付く間もなく、906番のくたりとした雄に冷たいものが触れる。
そういえば、雄芯の根元に何か……金属の輪っかが嵌められているようだ。一体いつの間に着けられたのか。
「っ……何を……」
「お前を従順にする準備だ。いくら許可を貰ったとは言え、幼体に不可逆な加工は出来ないからな」
「準備……?」
「ああ、こうやって、な」
「!!」
ペニスの先からずぷりと何かを差し込まれ、906番は思わず痛みに呻く。
だが何か尖ったものが裏筋に触れたと思った次の瞬間、そんな違和感はあっさりとかき消されてしまった。
「ぐあああっ……!!」
敏感なところに経験したことのない激痛が走って、思わず身体が跳ねそうになる。
けれど魔法で拘束台に縫い付けられた身体は、暴れて痛みを逃すことすら許されない。
「俺はお前を二等種らしく従順にするためにここに呼ばれた」
「うぐっ、痛いっ、いだいいぃ!!」
「なに、お前は何も心配する必要は無い。既に快楽に溺れているなら簡単な話だ、一月もあれば天然モノ以上に従順な……幼体にして穴レベルの従順さを持つ二等種に作り替えられる」
「ひぎぃっ!! やめ、なに、痛い痛い痛いっ!!」
「幼体だしな、通し終われば傷くらいは塞いでやるから大人しくしていろ」
「んな、無理ぃっ……ぎゃぁっ!!!!」
ペニスを貫く激痛、何かが押し込まれる感触。
見えないところでとんでもないことが行われている、その恐怖が更なる痛みを惹起する。
さっきから首輪は懲罰電撃を流しっぱなしだというのに、その痛みが気にならないほど906番はパニックに陥っていた。
「よし、通った。これで押しつければ」
「ぐぅっ……痛ぇ……」
「ぬ、皮を挟んだか。少し傷になったな……まあ後で直せば問題ない」
股間がグッと押し込められるような奇妙な感覚を覚える。
まだジンジンとした痛みは消えず、涙が再び906番の頬を伝えば、カチリと小さな音が股間から響いてきた。
「貞操具は装着した。後は乳首だな」
「痛い……痛い、ってなっ、何を……は? 針!? そんなもんどこにっ、おいまて止めろ止めてくれお願いしますっぎゃああっ!!」
股間がジンジンと痛い。
後でって一体いつ直すつもりだ!? と呻いていれば、久瀬が立ち上がる気配がする。
そのまま男は拘束台をギャッジアップし、無理矢理906番の上半身を起こさせた。
……股間に何か、銀色の装具が着けられている。
あれは何だと訝しむ間もなく、久瀬は胸の小さな飾りにペンで印を付けた後、何やら冷たい液体を塗りつけ鉗子でぎゅっと横から握りつぶした。
新たに咥えられた痛みに更に叫ぶも、お構いなしで近づいてくるのは……ああ、これは見たことがある。性処理用品を作るときに最初に着ける、乳首の装具用の針だ――! !
「汚い鳴き声だ。ほら、もう一つ」
「や、も、もう嫌だあぁぁぁっうぎゃああああ!!」
二回の悲痛な叫びが、906番の口から飛び出す。
ようやく咆哮が収まった頃には、少年のような胸の先端を見慣れた淫乱な飾りが貫いていた。
◇◇◇
「くそっ……痛ぇ……死ぬっ、くそぉっ……!!」
あれは夢ではなかったのだと、意識を落とした瞬間股間からの激痛で飛び起きた906番は、明るくなった部屋の中で己の中心を包み込む金属の檻を改めて確認する。
そうして檻の隙間からはみ出る肉と異物で貫かれ締め付けられる尿道、そして健気にもその姿を現そうと血液を送り込まれるせいで根元のリングが食い込んで腫れ上がった陰嚢の無様さと痛みに耐えかね、ぽろぽろと涙を零していた。
「こんなの、毎日……チンコが腐っちまう……! ひぐっ、ひぐっ……痛い……」
昨日、痛みとショックでべそべそと泣きじゃくる906番に「流石に泣き止め」と懲罰電撃を流しながらあの男が話してくれたのは、己の身体に穿たれた拷問器具の目的だった。
と言っても、乳首を貫くリングは説明されるまでもない。これは性処理用品の胸に尽きぬ快楽刺激を与え続け、人間様の指示と懲罰用の電撃を流すための器具であることは実家で教えられたから。
当然股間に装着されたものも……知っているはずだったが、どうも彼の知る形とは異なっている。
確かオスの性処理用品に取り付けるのは、丸い銀のプレートのような装具だ。あれで雄の象徴を完全に覆い隠さないと、ペニスの奴隷となるよう加工された性処理用品は自分の「おちんぽ様」にすら奉仕を懇願して使い物にならなくなるから。
『……ああ、お前が知っている奴と基本は同じだ。これも貞操具だからな』
『てい、そうぐ……』
『名前までは知らなかったか? お前はこれの機能をどれだけ知っている』
『どれだけ……え、チンコを見えなくするものじゃ』
『…………なるほど、本来の意味は知らないままか。なら良いことを教えてやる』
そうして男が語った説明は、自慰こそが生きがいとなっていた906番へショックを与えるのに十分な内容だった。
曰く、この貞操具は勃起や自慰を禁じるための道具である。
排尿は座る必要こそあるものの可能で、檻のような構造だから洗浄も比較的容易に行える。
だが、格子状の金属の間からでは射精に至れるほどの刺激を与えることは出来ず、かといって装具ごと無理やり竿を扱こうとすれば、カリ下から尿道に向かって穿たれた陰茎の脱落防止用の金属バーによりペニスや尿道が裂けかねない。
何より下手に刺激を与えれば、通常時のサイズよりも更に短く作られた檻に中途半端に押し込められている竿は、当然膨張を阻まれ激痛に苛まれるのだ。
これでは自慰なんて出来るはずが無い。そもそも下手な妄想すら……いや、何も考えなくたって若い息子さんは傍若無人に主張を始めるというのに。
つまり、貞操具を外されるまで、日に何度もこの激痛に悶えなければならない事は確定な訳で。
「くっそ……どうしたらいいんだよ……服従ったって、もう俺ぁ人間に逆らったりしてねぇのに……目つき? んなもん、変えられねぇよ……!」
あの鬼畜調教管理官を満足させるだけの服従心を見せれば、装具は外され射精と絶頂を禁止する魔法も解いて貰えるらしい。
だがここに放り込まれて以来、懲罰と躾は散々受けてきたし、自分なりに二等種らしくなろうと精一杯努力もしている。正直これ以上出来ることはある気がしない――
906番は途方に暮れながら、ともかく少しでも痛みを和らげようと頭の中で平常心と何度も唱え、飛び出そうとする己の屹立を押さえつけてリングを元の位置へと戻すのだった。
――そう、彼は忘れていたのだ。
あのやる気の無さそうな管理官は「何もしなくて良い」と言った……彼の意志や努力とは関係なく、一月後には誰よりも従順なモノへと堕とされる未来が確定していることを。
◇◇◇
それからの日々は、まさに地獄だった。
……痛みもだが、むしろ貞操具の本来の機能のせいで。
「はぁっ……はぁっ……っ!! ああ、うあぁ……だしたい、だしたいっ!!」
「良い感じに切羽詰まっているな。さあ、今日は上手におねだりが出来ると良いな」
「っ、うあぁぁ! もう無理だっ!! おっ、お願いします、何でもします! だからっ、少しだけで良いから触ってください……!!」
保管庫にいる全ての時間を自慰に費やしてきた身体は、たった一日触れられないだけで猛烈な禁断症状を呈した。
だが気が狂いそうな射精欲に悶える906番に、久瀬は一欠片の情けも与えるつもりはないらしい。
毎日、朝の食餌が終われば、すぐに「お仕置き部屋」に連れて行かれた。
そこで大量の浣腸を施され、股間を開けっぴろげにしてしゃがんだ姿勢で床から生えた金属の棒に首輪と手首を繋ぐ。
舌のピアス穴にはワイヤーを通し、乳首のリングと繋がれたせいで、少しでも舌を引っ込めれば舌と乳首両方に酷い痛みが走るようにされた。
後孔に差し込まれたディルドと乳首のリングからは、決して無視出来ない程度の刺激が与えられる。
更に、生殺し状態の906番の股間にたっぷりとあの発情剤を垂らした管理官は、無情にも無言で部屋を後にするのだ。
そうして数時間――906番にとっては気が遠くなるほどの時間、一人で放置されて。
腰を振る動きが疲労から鈍り、泣き叫ぶ声が枯れ、意識も朦朧としてきた頃にあの男は帰ってくる。
……そう、帰ってきて、目の前にリモコンを構えて座って……指一本触れることなく、ただ情けを、放逸をねだらせるだけ。
「そうだな、上手におねだり出来れば5往復だけ擦ってやろう。……俺が満足出来るおねだりが出来ればだがな」
「ううっ……そんなの、どうすりゃいいんだよ……!」
「さあな。ほら、嘆いている暇があったらさっさと無様にねだれ」
当然、その願いが聞き届けられることは無い。無いが、懇願しなければ更に発情剤を敏感な場所に塗りこまれるから、906番は必死になって懇願を口にする。
――地獄のような日々が、一体もう何日続いているのか、狂いかけた頭では判断出来ない。
(……なかなかに強情だ。だが、効果は出ているな)
そんな906番の死に物狂いのおねだりを、久瀬は冷静に分析していた。
きっと本人は何も気付いていない。ただ、初日と同じように訳も分からず目の前の鬼畜野郎に頼み込んでいるだけのつもりだ。
だが、その言葉は、表情は、たった数日で如実な変化を遂げていた。
人睨みで射殺せそうな程の強烈な視線は和らぎ。
低かった声は高く、どこか甘さを含み。
命令口調だった言葉は、徐々にその棘を落とし、へりくだるような言葉遣いへと変わっていく。
(伊達に極道の世界で育っていないな。強者に弱者は絶対服従、阿るのが常識、か)
こればかりは彼の育ちに感謝だなと、久瀬は内心胸をなで下ろしていた。
小さい頃から厳格な上下関係を叩き込まれているならば、こちらもやりやすい。要は生涯覆ることのない圧倒的な立場の違いを魂の奥底まで刻み込めば良いだけ。
……そうすれば、この堕とされは自ずと二等種らしい振る舞いを取るようになるだろう。
「お願いします、触ってください……お願いします……」
「そんな頼み方では人間様は動かないな。もっと二等種らしく、浅ましくねだれ。交換条件など以ての外だ。……そうだ、お前に許されているのはそうやってみすぼらしい股間を見せつけ、態度で俺をその気にさせることだけだ」
「ううっ……くそ……っ!」
無意識にカクカクと腰を振る906番を煽りながら、久瀬は仮初めの侮蔑の表情の下で静かに彼に語りかけるのだった。
(さっさと心の底まで二等種に堕ちてこい。……お前がせめて、穴とならずに生きるために)
◇◇◇
――そうして、久瀬の予想より1週間ほど遅く、その日は訪れる。
「あ……にんげんさま……おねがいします……これを……二等種の役立たずのチンコを、どうか触ってやってください……」
貞操帯管理を開始して21日目。
いつものように午前中いっぱい中途半端な刺激をペニス以外に与えて放置し、一仕事終えて戻ってきた久瀬を見るなり、涙を流しながらもへらりと媚びるような笑みを浮かべた906番の口から飛び出したのは、心の底から久瀬を支配者と認めた卑屈な懇願だった。
(……何とか間に合いそうだな)
その様子に安堵を覚えながらも、久瀬は表情を崩さない。
ただ無言で鍵を取り出し、椅子に座ったまま906番に近づいて
カチャリ……
「!!」
股間を覆う檻と、ペニスを穿つ楔をそっと取り除いた。
見る間にむくむくとその体積を増す中心に「嬉しそうだな」と久瀬が声を掛ければ、906番は思わず満面の……そう、心からの笑みを浮かべ、うっとりと感謝の言葉を紡ぐ。
「あはぁ……人間様、人間様ぁ……ありがとうございますぅ……っ……!?」
「余計なことを考えるな。折角人間様から与えて頂ける褒美だ、堪能しろ」
「ひっ、ひいぃっ!! きもちいい、ごしごし、きもちいいですぅ!!」
……きっと言葉にして、耳に届いて、ようやく彼は気付いたのだ。
射精欲に頭を焼かれ、ただただ訳も分からず懇願を叫んでいる間に、その気高きプライドは知らぬうちに折れ、削り取られ……とうとう目の前のだるそうな人間様に媚びることしか出来ないほど堕ちてしまったのだと。
一瞬浮かんだ絶望を塗りつぶすかのように、久瀬の手は906番の人並み外れた剛直をねっとりと扱き上げる。
調教管理官として何年も仕事をしてきたが、二等種の中心を扱くなど初めての体験だ。人間にはあるまじき大きさと感度、そして快楽に翻弄され涎を垂らしながらあえかな声を上げる強面の少年に、なんとも言えない複雑な感情がわき上がる。
……それが恐怖でないのは、きっと彼が堕とされだからなのだろう。
「三、四……五。ほら、終わりだ。どうだ? 人間様の慈悲は善かったか」
「ひぐっ……ひぐっ……きもちよかったですぅ……さわっていただいてありがとう、ございます……ひぐっ……」
「…………」
ぽたり、ぽたり……
感謝を口にしながらも、ひとつ、またひとつと悔しさを纏った大粒の雫が、906番の眦から零れていく。
その度に首輪は青白い光を発し、けれども顔に貼り付けられた笑顔は、剥がれることがない。
(……それでいい。お前の未来は、これで切り開かれる)
(人間だった『俺』は、知らないうちに壊されていた……もう俺は、こいつに逆らえない。こんな、薄ぼんやりした男に……親父とお袋の、組の皆の仇に!!)
――内心の悔しさ、情けなさとは裏腹に、906番はこの日を境に久瀬の指示には反射的に笑顔で従うようになる。
また事前加工に携わる職員に対しても、貞操具や久瀬の事をちらつかせればあっさりと二等種と変わらぬ服従を示すようになったのである。
◇◇◇
「人間様、本日もご指導よろしくお願いします」
「随分素直に言えるようになったな。目つきの悪さはどうにもならんが、心の底から笑顔になれるようになった」
「っ……人間様のご指導のお陰です、ありがとうございます」
あの日から、管理官を待つ時間の身体拘束は完全に解かれた。
だが一人で放置されている間、906番が己の股間に手を伸ばすことはない。
伸ばしたところで貞操具は相変わらず中心を覆っているし、そもそも久瀬への服従を叩き込まれた身体は「待機していろ」と一言告げられただけで自然と手を頭の後ろで組み、股を拡げてしゃがむ――性処理用品の基本姿勢を取ってしまうから。
そうして涎と涙を零しながら逢瀬を待ち、笑顔で挨拶をすれば、人間様は少しだけこの狂おしい衝動を癒やしてくれる――
今日も今日とて906番は人間様から与えられる慈悲を期待し、そんな自分の浅ましさを恥じる気持ちすら射精欲に押し流され、目の前の管理官から発せられる言葉を待つ。
が、いつものように椅子に腰掛けた男の口から出てきたのは、思いがけない言葉だった。
「……事前加工は今日で終了だ。明日からは天然モノに混ぜる」
「! ……はい、ありがとうございます」
「それで、だ。明日からは堕とされとしての特別扱いはなくなる。つまり、人間様とこうやって話し、質問を許されるのは今日までということだ」
「…………」
「聞きたいことがあるなら、今のうちに聞け。今後お前は、生涯二度と人間様と対等に話すことを許されないのだから」
(とうとう……俺もただの二等種になるのか……)
「お気遣いありがとうございます」と笑みを湛えつつも、906番では内心震えていた。
幼体二等種として躾けられ、成体二等種になれば今以上に快楽の奴隷となり、その後は……自分の容姿ではどれだけ従順になったところで、あの悍ましいヒトイヌに加工されあらゆる感覚を剥奪されるのが関の山だ。
二等種に堕ちた段階で覚悟は決めていたとは言え、現実を前にすればそんな覚悟も吹き飛んでしまう。
(それなら、せめて)
だから、906番はずっと気になっていたことを口にする。
運命は変えられない。なら、せめてこの目の前の男の「意図」を知った上で引導を渡して貰わないと、どうにも気持ちが悪いと思ったから。
「……人間様は」
「ん?」
「人間様は……どうして自分が俺を堕とした元凶などと言ったのですか?」
906番の問いかけに、目の前の男の目がわずかに見開かれた。
◇◇◇
最初の怒りが落ち着いて以来、ずっと疑問に思っていたのだ。
オーダーメイドの、そして規則に縛られずに楽しめる性処理用品を求めて、組事務所の門を叩いた客はそれなりの人数に上る。
いくら家業だったとは言え、906番も全ての客の顔と名前を覚えているわけではない。
だが、その客の中に「銀髪の」「調教管理官」に該当する者は一人もいなかった、それだけは確かで。
(……なるほど、やはり堕とされだな。規定通り薬剤を持ってこれほど追い込んでも、思考力は天然モノより残っている)
発情に浮かされながら、それでもじっとこちらを見据える瞳に、久瀬は一つため息をついて「嘘ではないからな」と口火を切った。
「二等種管理庁の人間が反社会勢力と結びついて、処分したはずの素体を横流しし、また薬剤や禁制魔法具を渡して何の罪もない少年少女を二等種に堕とし、違法な性処理用品を作っている……この事実を世界に向けて告発したのは、当時保護区域1の調教管理官をしていた俺と先輩だ」
「……!」
「ああ、別に義憤に駆られたとかそういうわけじゃない。ただ一般人を二等種に堕とすという悍ましい行為に反吐が出たのと、それを黙認どころか協力していたかつての上司を失脚させてのし上がるチャンスだと思った……だから先輩と共謀したんだ」
直接の首謀者であった黒狼組は大半の幹部と組員が二等種に堕ちたことで解散し、大規模な違法性処理用品製造ルートは消滅した。
この国の上層部は司法の追求からあっさりと逃げ切ったが、一般客は軒並み逮捕、投獄され、関与していた久瀬の上司を含む二等種管理庁の職員は、全員が二等種堕ち処分となる。
その数はなんと50名を超えたという。
「あいつはお前に先んじて堕ちていたからな。一昨日、無事事前検品に落ちて、実験用個体として登録されたさ」
「そう、ですか……」
「お前の両親やかつての仲間もだ。今回の事件で二等種に堕ちたもののうち、事前検品に合格したモノは一体もない。……ただ、お前の処遇だけが俺達にとって想定外だった」
「…………え?」
黒狼組の組長に、息子がいることは知っていた。
けれど久瀬や保護区域9に左遷された先輩も、まさか未成年を国が口封じのためだけに二等種に堕とすとは予期していなかったらしい。
どこまでも腐ってやがると吐き捨てる久瀬の顔には、国への怒りとやるせなさが滲んでいて……少なくとも嘘はついていないと、906番は判断する。
「だが、俺はお前に謝らない。二等種如きに人間様が頭を下げるなどと言うことは、あってはならないからな」
「人間様……」
「聞きたいことはそれだけか? なら、最後のチェックといこうか」
複雑な感情を悟られたことに気付いたのだろう、久瀬は話を切り上げるとやおらその場に立ち上がる。
そしてケープと制服の上着を傍らに脱ぎ捨て、スラックスの前を寛げた。
「っ……」
そこにあるのは、萎えていても大柄な体格に見合った……いや、それ以上の陽物だ。
どうにも嫌な予感を覚えゴクリと唾を飲み込む906番に、淡々と久瀬は指示を出す。
「お前は現場を見ていたから、製品の『やり方』は知っているだろう? ……手は使うな、性処理用品のように俺を咥えて射精させろ」
「…………!!」
「上手に出来れば、貞操具は外してやる。射精禁止の魔法もな。ただし出来なければ、生涯二度とそのブツを扱くことは出来ないと思え」
(うそ、だろ……!? そこまでやらせるのかよ!!)
あまりにも過酷な指示に、906番は目を見開く。
通常、正規の性処理用品製作では素体として登録されるまで、訓練用の疑似ペニスすら口にはさせない。成体の自慰に用いられるのは形こそ男性器を模しているが、温度や匂い、まして味はただのシリコン手作られたディルドにすぎないのだ。
それはペニスへの奉仕に対する嫌悪感を植え付けないための「配慮」である。
だというのに、目の前の管理官は服従心のためだけに穴としての欠陥を付与するかも知れない危険を冒すというのか。
(……こいつは本気だ)
相変わらず感情の読めない顔でこちらを見下ろす管理官に……人間様でありながら目の前の二等種への侮蔑を映さない瞳に、906番は確信する。
この男は、全力を持って俺を魂まで完全に屈服させる気だ。それも事前加工の今だけではない、恐らくは生涯に渡って……!
悔しさは消えない。情けなさに叫びたくもなる。
それでも、自分は二等種に堕ちた身だ。
何より、命令に背いて永久に自慰を、そして射精を取り上げられるだなんて、すっかり加工された身体と心が耐えられるわけがない……! !
「……人間様、人間様の逞しいおちんぽ様にご奉仕させてください」
「いいだろう、服を汚すなよ。ああ、手が使えない分は手伝ってやる」
「っ……ありがとうございます……」
はぁっと熱い吐息を漏らし、潤んだ瞳で、媚びるような甘えた声で懇願する。
目の前にあるのは愛しいおちんぽ様、俺がこれから生涯服従しなければならない、自分よりも上位にある物……
かつて実家で繰り広げられていた調教を思い出し、何度も何度も言い聞かせて、906番はちろりと先端を、そして茎を丁寧に舐める。
すぐさま大きくなった規格外の質量に「美味しそう……」と呟き、顎が外れそうな程口を開けて、覚悟を決めてゆっくりと亀頭に吸い付いた。
(! ……こいつ…………)
その時、906番は気付く。
外はとうに昼を過ぎているに違いない。つまり本来なら蒸れた臭いと吐き気を催す味を口内に叩き込むであろう筈の久瀬の剛直は、何故かそれを全く感じさせない。
それどころか、ほのかに石けんの香りが漂っている。
すん、と密かに嗅いだ下着も洗い立ての香りがして……恐らくこいつはここに来る前に局部を丁寧に洗浄し、更に下着まで履き替えてきたのだろう。
(ったく、調子が狂う……人間様だろうが、てめえは。俺が言うのも何だが、二等種如きになに気を遣ってやがるんだよ!)
じゅぶじゅぶと音を立て、良いところを舐めながら吸い付き、時折うっとりした視線を上に送れば、そこにあるのはこれまで見てきたどうにも感情の読めないだるそうな表情ではなく、この一月の残酷な所業からは想像もつかない……どこか思い詰めたような顔。
(……馬鹿野郎が)
てめぇ、なんでこんな仕事してやがるんだよ、と問いかける思考は「そろそろ手伝ってやろう」の声と共に始まった喉奥への深い抽送により、中断された。
◇◇◇
「まぁ、ここまで従順になれば問題はないだろう。教えてもないのに全部飲み干すとはな、今すぐ穴として調教しても良いくらいだ」
「……ありがとうございます…………んぇっ……」
いくら清潔にしていようが、出てくるものの悍ましさまでは変えられない。
吐き気を催しながらも906番は自主的に喉の奥に出された白濁を一滴残らず胃に収め、尿道に残る残滓まで綺麗に吸い尽くし……それを指摘されて初めて、己の淫乱極まりない所業に絶望する。
ああ、俺はほんの2ヶ月前まで人間だったのに、今や快楽のためならザーメンすら無意識に啜る……実に二等種らしい頭へと、作り替えられてしまった――
ショックに呆然としている間に、久瀬は906番を床に仰向けで股を大きく開いたまま拘束し、手際よく貞操具を外していく。
「これは何かに使えそうだからな」と裏筋から尿道を貫く孔は透明なリテーナーを嵌め込まれたが、乳首のピアス穴は元に戻してくれたようだ。
(外されたけどさ……くそっ、これじゃ本当に製品みてぇじゃんか……!)
だがたった一月で明らかにぷっくりと大きくなった乳首に、906番は愕然とする。
何より、内側から胸の飾りに与えられる刺激が恋しい……なんてうっかり思ってしまった自分を、全力でぶん殴りたい。
「さて、ご褒美の時間だ」
その一言に、906番は思わず目を輝かせる。
やっとだ、やっとこの射精禁止地獄が終わると、期待の眼差しを管理官に向ける。
ああ、その手で思い切り扱いて、溜まりに溜まった精液を全部搾り取ってくれ――
「……?」
だが、やってくるかと思った手は洗浄後、布の白手袋にあっさりと覆われてしまう。
代わりに虚を突かれた906番の股間に触れたのは
「…………うそ」
「何だ、二等種の分際でえり好みする気か? なに、そのまま腰を振るだけで出せるというならいいが」
「っ、そんな……ぐっ、人間様の足を貸して頂いて……ありがとう、ございますっ……!!」
少し泥のついた、久瀬の靴底だった。
「ほら、腰だけは動くようにしてやった。俺の気が変わらないうちに楽しむといい。上手に出来たら、射精を禁じている魔法も解いてやる」
「うっ……はぁっ……あっ、あんっうぁっ……!!」
頭は延々と、叫び続けている。
人間様の靴に自ら股間を擦りつけて自慰をするなど、いくら堕ちてもやってたまるか、と。
「あひぃっ、きもちいい……きもちいいです、にんげんさまっ……!!」
「ほう、何が気持ちいい?」
「ちんこ、ちんこきもちいい! 人間様の靴でゴシゴシするの、きもちいい! もっと、もっとぉ……!!」
なのに、身体はあっさりとそんなプライドをうち捨てる。
己の意志で快楽を得られるチャンスをみすみす逃せるほど、この身体はもう、人間様のような理性を持ち合わせていない――
押しつけて、擦りつけて。
時折砂が敏感な場所を引っ掻いて、けれどそんな痛みは一月振りの快楽の前にはないに等しくて、906番の腰はへこへことまるで放逸をねだるように久瀬の靴に甘え続ける。
「きもちいい……きもちいい……ひっく、ひっく、もっと……にんげんさま、くつ、きもちいい……ひぐっ……!」
「そうだな。お前のような二等種は、こんな汚い靴で快楽を得るのがお似合いだ」
涙が止まらない。止め方も分からない。
悔しさは涙で流されて、その厳つかった顔に浮かぶのは、蕩けきった喜悦の表情だけ。
「……無様だな、もうおまえは性に狂ったモノ、ただの二等種だ」
否定が出来ない。
ああ、きもちいい、何かがせり上がる……そうだ、これが欲しかった、この先に待つ快楽が欲しかった――! !
「ほら、イケ」
「うあぁぁっ、いぐっ、いぐうぅっ……!!」
ぐっと久瀬が中心を踏みつける。
その瞬間、頭の中にいくつもの星が瞬いて、腰がガクガクと跳ねて。
(ああ……俺は、まごう事なき二等種だ…………)
906番はようやく赦された放逸にぐるりと目を上転させ……そのまま意識を失った。
◇◇◇
「さっきも言ったが、俺は謝る気は無い。……二等種如きに人間様が頭を下げることはない」
「んっ、おぇっ……」
「ほら、全部綺麗に舐め取れ。一ヶ月お前の中で熟成した自分のザーメンは、美味しいだろう?」
「ひぐっ……美味しいです、人間様……」
これまでに無い快楽に意識を手放したはずの頭は、すぐさま電撃で現実へと引き戻される。
そこで906番を待ち構えていたのは、ドロドロの白濁で汚れた久瀬の靴と床で。
当然のように掃除を命じられても、身も心も完全に屈した彼に反抗するという選択肢は思い浮かばず、さっきからひたすら泥混じりの臭い液体を嘔吐きながら舐め取っている。
……だからといって、悔しさが無いかと言えば別問題なのだが、目の前の人間様が変なことを言うものだから、こちとら悔しさに浸ることすら出来やしない。
「……恨めば良いさ」
「…………え……?」
「表に出さなければ問題はない。俺は……それだけのことをお前にした。生涯恨まれるのは当然だ」
(…………やっぱ頭おかしいんじゃねえか、こいつ)
人間様から出るはずのない宣言に、906番はなんとも言えない気持ちになりながら、表向きは従順にただひたすら汚れを清め続ける。
なんというか、目の前の人間様は……随分と不器用で難儀な性格をしているらしい。人間様を恨んでいいなんて、二等種如きに情けをかけるかのような言葉を、一般人ならいざ知らず性処理用品製造のプロである管理官が口にするとは。
(二等種になんざ入れ込んだら、てめぇが破滅するだろうが。……関係者だったわけでもねえのに、そんなことになったらこっちの寝覚めが悪ぃんだよ)
「よし、いいぞ。……これから俺は、お前を生涯モノとして使い倒す」
「……はい」
どうすんりゃいいんだよこいつと思案していれば、ようやく怖気のする掃除から解放され、今後のことを宣告される。
どうやらこの男は、自分を専属の穴にするつもりらしい。
こんな容姿のどこが気に入ったのかは分からない。むしろこいつは、強面の穴がひぃひぃ泣くのを好む変態なのかも知れない。
どちらにしても選択肢など無いと、906番は覚悟を決める。
だが、続く言葉に彼は今度こそ耳を疑った。
「だから忠告してやる。お前の内心は今後一切外に出すな、その顔ではほんの些細な感情も処分に繋がりかねない。その上で生き延びて、作業用品の道を選び取れ」
「かしこまり、ました…………って、さぎょう、ようひん……?」
「……俺は性処理用品を使う趣味はない」
「はぁ……?」
二等種なのに、穴にしないとはどう言うことか。
思わず素っ頓狂な声を上げた906番に、相変わらずやる気の欠片も感じられない管理官はとある制度を話し始めた。
それは、裏社会に、そして二等種管理に精通した者ですら知らない、作業用品と呼ばれる二等種のこと。
20年ほど前から発足した新しい制度で
は、性処理用品用素体の基準を満たせなかった不適格個体を、調教管理官が使用する性処理用品製作用の道具として使えるようにリサイクルするのだという。
当然、不適格……すなわち無害化に失敗した個体を処分もせずに使うことから、その存在を知る者は政府の限られた人間と二等種管理庁の職員だけ。だから906番が知らなくても無理はない。
「作業用品になったところで、二等種として人間様に使い倒されることに変わりは無い。制約もそれなりにある。だが、穴よりはお前に向いているだろうよ」
「……どうして」
「…………余計なことは聞かない方が身のためだ」
「ぐ、っ……申し訳ございません……」
何かを誤魔化すかのように流された懲罰電撃に呻き、その場で土下座して許しを乞いながら、しかし906番はこの地獄の中で一筋の光を見出していた。
まさか二等種に、穴と被検体以外の道が用意されているだなんて。
人間様には従順でありながら、しかし性処理用品には不適格と思われるような振る舞いをすればいいのだろう。それならばこの容姿も役に立つかも知れない。
「忠告出来るのはここまでだ。細かい条件まで話すのは、いくら事前加工中でも許されないだろうからな。……そうだな、殊の外強情で人相の悪いくせに快楽にはめっぽう弱いお前には、少々厳しすぎる条件かもしれん」
「おい」
「なに心配するな、乗りかかった船だし手助けはしてやる。時々今回のように『調整』をかけてやろう。そうすれば服従心も保てるだろうからな」
「いらん世話だ! ……っ、ぐっ……その、ありがとう、ございます」
「そうだ、それでいい」
まさかこれからもこの地獄みたいな仕打ちを続ける気かよ! と思わず突っ込めば、再び容赦ない懲罰電撃が与えられる。
「その電撃も、素体向け強度のままにしておいた方が良さそうだ」と悪魔のような宣告を下す久瀬の瞳は、けれど隠しきれない贖罪の想いが見て取れて。
(……そんなこと、思うなよ。てめぇはてめぇの正義を貫いただけだろうが)
ああ、どうにも居心地が悪い。
どうせならもっと人間様らしく傍若無人に振る舞って欲しいものだ。そうすればこっちだって割り切れると独りごちる906番の想いは……きっと表に出ることはない。
「今日が最後だから、俺も言いますけど」
久々の放逸で少し頭が冷えた906番は、心の中で呟きながらその場に起き上がり、真っ直ぐ久瀬を見据える。
その圧に一瞬警戒の色を見せたものの翻意が無いことは理解したのだろう、久瀬は服を整えながら続きを促した。
「……何だ、いくら事前加工中でも反抗的な言動は懲罰だぞ」
「まさか。……俺はあんたを恨んでないし、まして謝ってもらおうとは思ってませんから」
「…………」
自分は、あの家の跡取りとして自分なりにケジメを付けた。それが二等種堕ちという形だっただけだ。
だから告発に踏み切った彼を恨む理由はどこにもない――
その言葉が二等種故に人間様に届くことは決して無いと知りながらも、言わずにはいられなかった。
……この場にいるには情が深すぎる男が、どうか自分如きの為に道を誤らないようにと願いながら。
「ま、忠告はありがたく受け取りますよ。人間様のお陰で二等種らしい従順さも身につきましたから」
「ふん、良い心がけだ。早晩調整で呼び出しにならないといいがな」
((……これは、長い付き合いになりそうだな))
互いに同じことを独りごちているとも知らず無言で見つめ合っていれば、幼体管理部の職員がドアをノックする。どうやらそろそろ別れの時間のようだ。
「ありがとうございます、副部長。これなら幼体に混ぜても何とかなりそうです」
「それは良かったです。上手くいくことを祈ってますよ」
引き取りに来た職員に首輪を引かれ、失礼します、と一礼して906番は扉の向こうに消える。
……この瞬間、37CM906は正式な二等種として登録されたのである。
なおこの10日後、彼は「従順だが目つきが悪い」という非常に理不尽な理由により、早速この部屋で久瀬による1週間の調整を受ける羽目になったことを書き記しておく。
◇◇◇
――無実の罪で906番の人生が終わった日から、4年余りの月日が流れた。
天然モノに混ぜれば一発で処分だろうと予想された見た目のガラが悪い堕とされ個体は、調教管理部による度重なる調整の甲斐あってか、何とか処分を免れ成体基準を満たし。
しかし執拗な性処理用品への勧誘にも、誘導のためのありとあらゆる処置にも決して靡くことはなく、結局は不適格品としての烙印を押されることになる。
「……作業用品も保管庫は成体と変わらねえのな。しかもご丁寧にも、玩具まで引っ越ししてくれちゃって」
『当然だ、不良品如きに人間様が余計なコストをかけるはずがないだろう?』
「っ、人間様……!!」
新しい保管庫の中を見渡していれば突如頭の中で響いた、散々聞き慣れたどこかだるそうな声に、906番はぎくりと全身を強張らせ、慌ててその場で床に頭を擦り付ける。
『これからは管理官様と呼べ』と変わらず指示を下す声の主は、淡々とした様子でありながらどこか喜色を滲ませている様に思えた。
「しかし本当に、作業用品になれるとはな……ちゃんとお利口さんにしてたようだな、見た目の割には中々可愛げがあるじゃないか」
「ええ、誰かさんのお陰で、何度も狂気の淵を覗き込みましたがね!」
全く贖罪の方向がおかしすぎだと突っ込みたい気持ちは、全力で押し殺す。
何せこの男、事前加工が終わった後も「きめ細やかな調整が必要だと判断した」とか何とか抜かしながら、毎月のようにお仕置き部屋に呼び出しては装具を股間に取り付け、あの地獄を再現していたのだ。
ここで下手なことを口走れば、意気揚々と貞操具を振りかざしここに突撃してくるに違いない。
成体加工の威力は凄まじく、幼体の頃には何とか耐えられていた1週間の貞操具装着すら、今はたった3日で前後不覚となり精神保護魔法と強力な薬剤で正気を無理矢理保たなければならないほどに、この身体は人から外れた……発情期の家畜にも劣るモノへと変えられてしまった。
そんな中で迎えた1年間に及ぶ誘導はまさに拷問と呼ぶにふさわしく「あれ、俺もしかして性処理用品になった方がまだ平和なんじゃ」とちょっと思ってしまったのは内緒だ。
『前回の調整は1年前か。誘導フェーズ中は流石に直接関与が出来なかったからな』
「はぁ、あれ1年もやっていたんすね。副部長様のお陰で随分緩く感じられましたよ、ありがとうございます」
『礼はいらん。後、今は管理部長だ。……今回は実力でもぎ取ったからな』
「へぇ……それは結構なことで」
長い付き合い故か、それとも不良品の判定を受けたからか、1年前とは異なり軽口を諫められることはない。
とは言え余計な話をする気は無いのだろう「それでだ」と久瀬は早速本題を切り出した。
「以前話したとおり、お前には俺専属の作業用品としてこき使われて貰う。さしあたっては、作業用品共の様子を逐一報告しろ」
「報告……ですか」
「ああ。堕とされて作業用品になった個体は、この保護区域では3体目だ。統計上堕とされは天然モノに比べれば頭も回ることが分かっているし、特にお前は特殊な世界も知っているからな」
調教管理部長となった久瀬は、どうやら落ちこぼれ保護区域の汚名を返上するべく、作業用品の質を上げようと考えたらしい。
その切り札として選ばれたのが、最も久瀬に従順でかつ汚れ仕事への適性も高い、906番だったのだ。
「俺の、ひいてはここの成績を上げるためにおまえを使う、それだけだ」
「……はっ、全く管理官様は相変わらずっすね!」
「なんだ、早速懲罰に処されたいのか?」
お前の懲罰はこれまで通りだからな、と念を押す久瀬に、ああこいつは何も変わっていないと906番は改めて思う。
人間様はどいつもこいつも二等種よりよっぽど悪辣で性根が腐っている、その考えは今だって変わらない。
だがこいつは二等種よりましな、本物の意味の「人間様」だ。
二等種如きにまで贖罪の念を抱くような情の深さを持ち苦しみながらも、ただの我欲でも人間様の腐りきった常識でも無い、美学ともいうべき信念を握りしめ職務に邁進する姿は、己が人間であったときの仲間のようで嫌いじゃない――
「管理官様。どうぞ末永くこの不良品をお使いくださいませ」
その場に伏せたまま、変わらぬ恭順を誓う906番の口の端は上がっていた。
◇◇◇
時は流れ、彼らのあずかり知らぬ所で、かつて二つに分かれていた世界は統合する。
ただ、統合前後の世界には明らかな断絶がありながらも、本質的には全てを内包したまま魔法の無い世界に変貌を遂げたお陰で、負の遺産は誰にも知られずに、けれど確かに彼らに影響を及ぼしている。
それが不幸か幸福なのかは……きっと彼らが決めることなのだろう。
「お疲れ様っす。すんません、遅くなって」
「大丈夫ですよ、俺も組長もさっき来たところですから」
エリア28の歓楽街にある小さなバー、その奥まったところにあるプライベートエリアでは、3人の男が向かい合って座っていた。
表向きはどこにでもあるバーに見えるが、ここで起こったことはすべて「なかった」ことにされる――そんな噂のせいで一般人は決して近寄らない店内には、今日もゆったりとしたジャズが流れている。
「んじゃ、いつも通り叶人のお陰で何とかなったって事で、乾杯」
「乾杯。すんませんね矢郷さん、毎回九条さんが押しつけて」
「誰が押しつけただ、誰が! 大体てめぇが考えなしに拾ってくるのが原因だろうが!!」
グラスを鳴らすのは、いかにも裏家業らしいスーツを着こなす眼光鋭いオールバックの男、どことなくやる気の無さそうな風貌とは裏腹に立派な体躯を持つ銀髪の警察官、そしてTシャツにチノパン、傍らには可愛らしいドールをちょこんと座らせている草色の髪の青年だ。
どう見ても共通点の無さそうな3人組は、この自治区域を裏から支える重鎮として時折ここで密かに会合を行っている。
……と言っても、顔を合わす度小難しい話をしているわけでも無い。
むしろただ飲んで管を巻いている方が多い……つまりは飲み友達という奴だ。
「前々から思ってたんすけど、CIMSってのは酒を飲んでも問題ないんすか?」
「飲み込みに問題が無ければ、飲むこと自体はできるんですよ。ただ、酒が入ると……大抵は服従心が強くなるので、俺も組長もここでしか飲まないです。それにS型は、酔うとその場で事に及びかねないので……酒を飲むって話は聞いたことが無いですね」
「ツマミったって俺らの場合、結局いつもの餌だしな……っぐあっ!! 鼻がっ、鼻があぁぁ!!」
「っ、大丈夫ですか組長!? あ、水、水をっ」
「えほっえほっ……くそっ、誰だ!? わさび味の療養食なんて開発したヤツは! 見つけ次第コンクリに詰めてやる!!」
「ひぃっ!!」
「……九条さん、落ち着いて。矢郷さんが土下座モードに入っちゃってます」
「あ」
あまりの剣幕に反応してしまったのだろう、ガタガタと震えながら床に頭を擦り付けている矢郷に「すまん、やらかした」と手を伸ばしながら、しかし眼光鋭い九条と呼ばれた男は、どこか苛立った様子で何かを紛らわすかのように首を振るのだった。
◇◇◇
九条威史(くじょう たけふみ)は、ここエリア28と隣接するエリア26とを取り仕切るフロント企業「ABsホールディングス」の代表取締役兼社長であり、天獄会黒狼組――いわゆる極道の四代目組長である。
この国では世界的な大災害以来、政府の影響力が特に辺境において非常に弱くなった。
災害や貧困に対する支援の気配も無い中央政府に業を煮やし、災害後の復興と治安維持に力を入れていた黒狼組は住民の圧倒的な支持を集め、早々にエリア28を独自に統治するようになる。
跡継ぎである一人息子がCIMS-D型の特性保持者であったせいだろうか。
黒狼組が牛耳るこの自治区域は、発足するが否や全国に先駆けてCIMS保持者の保護と自立支援を大々的に打ち出し、数年後には移住者で人口が倍増、経済的にも国の補助金を必要としなくなるレベルにまで発展した。
そんな辺境自治区域の躍進は、政府の気に障ったのだろう。
十年前、表向きは政府直轄地にある反社会組織との大規模な抗争――実際には政府による暗殺で先代である父を喪った九条は、弱冠29歳にして国の南西部の一角を牛耳る極道の長となってしまう。
比較的穏健であった父とは異なり、D型故の嗜虐性を存分に発揮した九条は政府関係者を含む敵対勢力を片っ端から物理的に「掃除」し、国の組織であるはずの警察もその傘下に取り込んで、表向きは国の面子を立てた自治区域だが実情はほぼ独立国という、実に美味しい地位を確立したのである。
父の意志を継ぎ、CIMS保持者が自立出来る街を作ることに奔走して十年。
理想への道はまだまだ遠いが、街は飛躍的に発展し経済的にも豊かになった。
未だ大災害の爪痕が残る政府直轄地とは異なり、ここはもう往事の賑わいを取り戻している。
そう、組長としての「仕事」は至極順調。
だがプライベートは、CIMSの中でも非常に珍しい症状を持つが故に、未だ苦痛や屈辱と隣り合わせのままだ。
◇◇◇
「あのな、CIMS保持者の保護は、猫を拾うのとは訳が違うんだよ! 首都に行く度飽きもせず拾ってきてはこっちに押しつけやがって!! 第一てめぇ、警察のくせに俺に指図する気か、あぁん?」
今日も今日とて、酒の回った九条は相変わらず顔色ひとつ変えずにとんでもないペースで酒瓶を空けていく久瀬に説教をかましていた。
この男――エリア28の警察本部長である久瀬とは先代からの付き合いであるが、警察の実権を黒狼組が握った後も全く媚びへつらうことなく、かと言ってこちらを裏切り政府にすり寄る気配もなく、実にマイペースに己の正義とやらを貫き通している。
この間も首都への出張ついでに、道で行き倒れていたCIMSの男女を保護し九条に連絡して「何とかして下さい」と半ば強引に移住手続きを取らせたばかりだ。
「……ですが、九条さんは彼らを放っておけないですよ、ね?」
「ぐ……っ…………こんの、卑怯者め……!!」
「別に卑怯なことはしてないっすよ。お願いしただけで」
「それが俺にとっちゃ拒絶出来ない命令になるって、分かってやってるだろうが!!」
こめかみに青筋を立ててキレる九条に対して、久瀬はいつものようにだるそうな顔のまま、しかしじっとこちらの目を見つめて静かに図星を突いてくる。
ああ、その視線にはどうやったって逆らえない――持って生まれた特性を呪い、九条はぎりりと奥歯を噛みしめた。
CIMSでもD型の対人スキルは、相手によって極端に変わるのが特徴だ。
自分より弱いと判断した相手にはとことんまで保護的、支配的に振る舞うが、格上の相手に対してはS型同様、些細な言葉にも逆らえず完全服従してしまう。
そしてこの目の前でぐびぐびと酒を嗜む大柄な男に至っては、どうにも覇気の無い警察官にしか見えないくせに、何故か……そう、一目見たときから圧倒的格上だと己の何かが断言してしまったらしい。
お陰でこの身体と心は、こいつを生かすも殺すも自由に出来る立場でありながら、些細な仕草にすらあっけなく服従してしまう。実に業腹だ。
不幸中の幸いなのは、この男が政府の犬にしては意外と真面目で、所謂「まっとうな」人間だということかもしれない。
――ただ、のべつまくなしにCIMS保持者を保護しては、政府が禁じている自治区域への移住を断行しようとする(結果九条を当てにする)のだけは、いい加減何とかして欲しいものである。
◇◇◇
「はぁ、くそっ……」
だが、九条が今苛立っているのは、久瀬の身勝手な行動のせいだけでは無い。
これはいつもの……そう、CIMS保持者の中でも非常に珍しい症状によるものだ。
何せ、最後の「許可」から既に3週間。
正直そろそろ頭がおかしくなりそうで――
「……九条さん、もう限界じゃ無いですか?」
「っ!!」
――そして案の定、この男にはどういうわけかごまかしが全く効かない。
(全く、タイミングが良すぎて気味が悪ぃ……筒抜けかよこのおまわり……)
チッと舌打ちしながら、しかし自ら懇願することにはやはり抵抗があって。
だから今日も、九条は形ばかりの啖呵を切る。
……うっかりすればこの場で醜態を晒しかねない右手の拳を全力で握りしめ、どうかそちらから言い出してくれと、心のどこかで願いながら。
「はっ、クソおまわりに心配されるほど、俺ぁ落ちぶれちゃいねえよ」
「……その様子じゃ、相変わらず組員には頼めないんすね。前から言ってますけど、政府の犬である俺がやるのは色々とまずいでしょう? ここは諦めて、組員に頭を下げた方がいいのでは」
「ったく簡単に言ってくれやがる。そいつがまた、組を裏切ったらどうするんだ? 実際、5年前にはそれでよその自治区域を巻き込む抗争に発展したんだ。てめぇらおまわりだって、余計な争い事はごめんだろうが」
「まあそれは、そうですね。ならいつも通り俺が『出していい』って『許可する』しか」
「おい、ちょ、まっ……んあぁっ!!」
「!!」
久瀬が何気なく言葉を口にした途端、九条の押し込められていた欲情が一気に解き放たれる。
風貌に似合わない高い声を上げ、全身を何度も跳ねさせ……腰をカクカクと振りながら拳を握りしめる九条の顔は、3週間ぶりの放逸にすっかり蕩けてしまっていた。
「ひっ、まだ、でるぅっ……うあっ……!!」
「…………おかしい、まだ許可はしていないんだが……」
「いや久瀬さん、あれはCIMS保持者にとっては許可にしか聞こえません。まして……前回は3週間前ですよね? そりゃもう、全身が許可を欲している状態の組長にあの言葉は効き目が強すぎますよ」
「そ、そうか……また怒鳴られるな、これは」
「こってり絞られて下さい。俺は、別室に避難しておきますんで」
「う……すまん……」
まぁいつも通りですしと、ため息をつきながらグラスとバッグを持ってその場を後にする矢郷を見送り、久瀬は快楽と開放感に陶然とした様子でソファに沈み込む九条を「とにかく着替えましょ、九条さん」と介抱するのだった。
◇◇◇
九条は誰かの許可が無いと、一滴たりとも精を放つことが出来ないという、厄介な障害を抱えている。
それも上位者と認めた人間の許可で無いと、どれだけ自慰をしようが絶対に射精は出来ない。
医師曰く、これは大半のCIMS保持者が患う排泄障害の射精版らしく、しかし症例があまりにも少ないため症状緩和のプロトコルも確立していないのが現状だそうだ。
CIMS保持者は、その類型に関わらず皆人並み外れた性欲や歪んだ性癖を持て余している。
ほぼ全員が、毎日の自慰は人生で最も重要だと思っていて、日に三度、四度と繰り返す事も珍しくない。
だというのに、九条は自由に欲を吐き出せない。しかもそれは食事や排泄と異なり、直接命を脅かさないが故に、周囲からも……医療者でさえも軽く捉えがちときたものだ。
随分前に矢郷にも恥を忍んで対策を相談してみたものの、射精誘導のシステム構築はこの天才エンジニアをして「ナツに有効な排泄誘導用のアプリを作る次に困難だ」と言わしめる始末。
顔を青ざめさせガクガクと震える矢郷から土下座で謝られたときには、流石の九条もショックを隠せなかった。
それでも昔は、組員の中に信頼が置ける、そして組長である九条とも渡り合える兵がいたため、極秘で射精の許可を命じて貰えていたのだ。
だが、5年前にそいつが反旗を翻し、秘密を敵対勢力に売ろうとして――当然ながら敵対勢力もろとも「処分」せざるを得なくなって以降、組員を頼ることは精神的に難しくなる。
『そんな症状があったんすか……え、じゃあ九条さん、ずっと出せないまま?』
『仕方ねぇだろうが! ……くそっ、もう出したくて気が狂いそうなんだ、酒でも飲まなきゃやってられねぇ』
『……それ、もしかして俺でも許可を出せます? 試しに出して良いって言ってみましょうか』
『ひっ!! 出る、出るぅっ!? うぁっ、ちょっ、馬鹿野郎このクソおまわりぃっ!!』
『へっ……いや、まだ俺なにも……』
最早打つ手無し、手詰まりにも程があると、当時の自分は相当精神的に参っていたのだろう。
ある日飲み会の席で、九条は久瀬がいることを忘れうっかり射精障害の話を零してしまう。
それを聞いた久瀬が無意識に唐突な許可を出して――あいつはCIMS保持者の絶対服従がどれだけ重いかを、あの頃からさっぱり理解してやがらない――まさに今回のように二人の前で盛大にイキ散らかして、潮まで噴くという醜態を晒す羽目になったのだ。
――あの時のことは、出来ることなら二度と思い出したくないし、二人以外に知られたならば確実にそいつを消す。まさに人生最大の汚点である。
『組長、癪に障るのは分かりますが、刺激すら無しで射精させるほど組長にとって久瀬さんの許可は効果的です。必ずシステムは完成させますから、それまでは久瀬さんを頼って下さい』
『俺は構わないっすよ。別に九条さんの秘密を喋る気も無いですし、ほら、俺ら警察はここじゃただの使いっ走りっすから』
それ以来、矢郷による説得もあって九条は射精の許可を久瀬に依頼している。
本来なら毎日でも許可を貰いたいところだが、これがまた厄介なことに頻回な射精は肉体的な満足感の引き換えに強い不安感を募らせるから、あまりの辛さで仕事に支障が出るようになってからやむなく頼む事がほとんどだ。
……何より、いくら実権を掌握しているとは言え、父を亡き者にした政府の犬に頭を下げるだなんて、余程のことが無い限り御免被りたい。
久瀬もその辺の煩悶は理解しているようで、今日のようににっちもさっちもいかないタイミングを見計らって、必ず向こうから許可を提案してくれる。
そう、彼はなんだかんだ言って真面目で好感の持てる奴ではあるのだ。ちょっと(?)マイペースなだけで。
――だから余計に、九条の中には葛藤が積もっていくのである。
◇◇◇
「てめぇな、これで俺に粗相をさせるのは何度目だ!? いい加減学べ、その頭には筋肉しか詰まってねぇのかこのあんぽんたんが!!」
「……うす」
「あぁん? その顔、全然反省してねぇだろうが!」
まったく、今日はずっと説教しかしていない気がする。
折角の酒がまずくてかなわねぇよ! と吐き捨てながら、下着を着替えた九条はその場に正座させた久瀬の前で仁王立ちになり、マシンガンのように怒鳴り続けていた。
当然のように下着は久瀬に洗わせた。一応しおらしく説教を聞いているが、この男のことだ、また無意識にやらかすに違いない。
――こいつと会うときに下着を持ち歩かなくてすむ日は、この様子じゃ当分来なさそうだ。
「……組長、すみません。もう終わりましたか?」
「ん? ああすまねぇな叶人……って、お前流石に肩に載せるのはどうなんだ……?」
「問題ありません、俺の嫁は世界一ですから」
「おう、まぁそれは分かるけどさ……」
説教が一息ついた事に気付いたのだろう、隣の部屋に避難していた矢郷が戻ってくる。
彼の左肩には彼の開発したAIを組み込んだドール、通称「お出かけ用ITSUKO」がちょこんと座って、楽しそうに微笑んでいた。
全く、こいつのお惚気は何年経っても変わることが無い。仲が良くて結構である。
「組長さん、お楽しみの所悪いんだけど」
「いや全然楽しんでねぇから問題ないぞ! ……何かあったか」
「ええ。以前依頼されたCIMS拉致用の違法薬物の件だけど、さっき三番街の風俗店で発見されたわ。持ち込んだのは……政府直轄領からの旅行者ね、データを見る?」
「!! いや、このまま現場に行く。データは移動しながら共有してくれ。おいクソおまわり、てめぇの所のバカがやらかしてるんだから、しっかり仕事しろよ」
「やれやれ……折角の美味い酒が台無しだ」
「俺は既にお前のせいで、台無しにされてるがな!」
手早く支払いを済ませた3人は、イツコによる誘導で現場へと向かう。
ちなみに今回も、飲み代は九条と矢郷が割り勘で支払った。政府の犬というやつはこんな理不尽な場所に派遣されておきながら安月給にも程があって、実に気の毒である。
(この3ヶ月で、既に犠牲者は7名。何としてもここで食い止めねば)
ここはCIMS保持者が真っ当に生きられる場所として作られた街。
賛同者である組員や住民、心優しい天才技術者、そして政府の犬でありながら平然と法を犯し、己の正義を貫く妙ちくりんな警察官……たくさんの人の願いが、この場所には詰まっている。
(俺のシマで堂々とやりやがって……全部吐かせて根絶やしにしてやる……!)
「九条さん、警察が現場に到着しました。入口は全て封鎖しています」
「おう、まだ突入するなって言っておけ。うちの組からも加勢する」
「イツコ、ナビをしながらそいつの交友関係を洗いざらい出してくれ。恐らく風俗店の内部に手引きした奴がいるはずだ、そいつの域外移動禁止措置を取りたい」
「分かったわ。現場まであと2分、到着までには出せるわよ」
亡き父の想いは、そして数多の症状に苦しみ、政府から見捨てられた存在であるCIMS達の希望は俺が守りぬく――
九条は改めて己の使命を心に誓い、颯爽と肩で風を切って友人達と共に眩いネオンの向こうへと消えていった。