沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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1話 奪われた日

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 私達には、小さい頃からずっと一緒の「トモダチ」がいる。

 自分の部屋でしか会えないトモダチには、同じ顔と名前の家族がいて、同じ先生と同級生達がいる同じ名前の学校に通っている。
「こういうの、パラレルワールドって言うんだって」と言ったのは私だったか、彼だったか。

 そのパラレルワールドなる世界で生きる私とトモダチも、やっぱり同じ名前で。
 けれども一つだけ、違うことがある。
 それは、この世界の「アマミヤシオン」は女の子で、トモダチの世界では男の子だと言うこと。

 ――全てが同じ世界で、たった一つだけ違う特異点である「アマミヤシオン」
 彼らの、そして世界の数奇な運命は、シオンたちの12歳の誕生日を機に一気に転がり始める。


◇◇◇


「ただいま」
「おかえりなさい、シオンさん。……変わりはないの?」
「……何も、いつも通りだよ」
「…………そう」

 学校から帰れば、母は毎日のように同じ言葉を繰り返す。
 返す言葉も、その後に落とされる小さな溜息も、何一つ昨日と同じだと言うのに。

「変わりは無いの?」

 不安げな声色で毎日繰り返される母の問いかけは、魔法の発現を確かめる言葉だ。
 それを愛情とは、少なくとも自分は思わない。この家に嫁いだものとして、我が子が『普通』から外れようとしている事実を認められず、無駄な足掻きを繰り返しているだけだから。
 ……そう分かっていたって、期待に添えない現実に胸はチクリと痛む。
 
(ああ、今日もまたお母様を落胆させてしまった)

 本当にどこまでも出来損ないだ……そう心の中で嘆息しつつ、シオンは台所でおやつを手に入れ早々に自室へと駆け込んだ。

「「ただいま」」

 部屋に入るが否や、いつものように声をかける。
 ベッドと机と携帯ゲームが置かれたシンプルな部屋に、二つの声が唱和する。
 そうしてドアを閉めれば、顔を見合わせてお互いに「お帰り」と笑顔で返すのだ。

 これが「私達」のいつもの生活。
 独り言を呟いていると誰に気味悪がられようが、笑われようが、これが私達にとっては事実だ。

「……ほんっと不思議だよね。詩の声は誰にも聞こえないんだから」
「それはこっちだって一緒。至がどれだけ叫んだって、誰も気付かないもの」

 同時に部屋に入ってきたもう一つの声の主は「トモダチ」だ。
 同じ音の名前を持ち、けれど性別が違うトモダチは、この部屋でだけ会うことが出来る互いにとってたった一人の味方。

 天宮至恩(あまみや しおん)、11歳男子。
 天宮詩音(あまみや しおん)、11歳女子。
 同じようにくすんだ藤色の髪に、浅葱色のメッシュ。瞳は藤色、身長も体重も変わらない。
 二人を見れば、誰もが双子だと錯覚するあろう。
 
 ――もっとも、見ることができればの話だが。

 二人はいわゆる並行世界、パラレルワールドに住む「自分」である、らしい。
 あくまで仮定なのは、これが互いの話から結論づけたものに過ぎないからだ。 
 漢字は違うけれど読みは同じ「シオン」だから、混乱しないように互いのことは「至(いたる)」「詩(うた)」と呼び合っている。

 自分の性別以外が全て同じ世界に住むこのトモダチに出会ったのは……いつなのだろう。
 少なくとも物心ついた頃には、この部屋で一緒に遊んでいた。
 母曰く、赤子の頃から誰もいない空間に向かって楽しそうに話しながら遊んでいた事があったそうだから、もしかしたら生まれたときからずっと一緒なのかも知れない。

 もちろん幼い頃は、無邪気にも両親にトモダチの話をしていたけれど「幻覚でも見えているのかしら」「馬鹿なことを言うものじゃ無い」とけちょんけちょんにけなされるばかり。
 トドメとして、二人なりに考えた並行世界の推論も一笑に付されてからは、誰にも話さないと固く心に決めた。
 
 どうやら並行世界というのは、この世界的には認められない概念のようだ。
 大昔は存在しなかったはずの魔法があるんだから、並行世界だってあってもおかしくないと思うのは、自分達が世間を知らない子供だからだろうか。

「外に出るとさ、いつも思うんだよ。ここ以外でも詩に会えればいいのにって……」
「至……」

 部屋に持ち込んだジュースを一気飲みし、パリパリとポテチを囓りながら、至恩はしょんぼりと俯き涙ぐむ。
 そうなのだ、何故かトモダチに会えるのは互いの自室であるここだけ。一歩部屋の外に出れば、その気配すら感じられなくなってしまう。
 せめて外でも一緒にいられれば、この世界はもうちょっと生きやすかっただろうに。

「……ホントにね。でも、外で話してたらますます不気味がられちゃうよ?」
「それはそうだよね……はぁ、この部屋と詩だけが僕の救いだよ」
「分かる、私も至がいるから生きていられる」

 至恩が落ち込むのも無理は無い。
 今日、至恩はいつものように学校に行って、教室に入れば「死ね」「バイキン」と油性マジックででかでかと書かれた机の前で立ち尽くし、嘲笑の中泣きながら――先生だって助けてくれやしない――一日中落書きを消していたのだから。

 至恩の悲しい気持ちも、誰も助けてくれない絶望感も、そもそも互い以外誰一人信じられない気持ちも、全部詩音には分かる。
 だって……詩音も今日、同じように泣きながら落書きを消してきたから。

「何だって……いじめの内容まで全部一緒なんだろうね」

 詩がかわいそうだ、と涙を浮かべる至恩は、相変わらず自分が虐められていることにはすっかり慣れっこで、もはや諦めの感情しか浮かばないというのに、トモダチである詩音の辛さには殊更敏感だ。
 それは詩音も同じで、至が笑って学校に行ければ良いのにといつだって心を痛めている。

「……やっぱりさ、もう11歳なのに魔法が使えないから虐められるんだよね」
「うん。仕方ないよね、普通はもう使えるようになっているはずなのに……僕らはできそこないだって、お父様が陰で言ってるの、知ってるんだ」
「あれは酷いよねぇ、ちょっと傷つく。……ちょっとだけ、だけど」


『天宮家に、しかも本家に産まれながら、未だに魔法が発現しないとは……当主、あれはもしや』
『まぁ、ただのできそこないですよ、今のところはね』
『っ……失礼、言葉が過ぎました』


 あれは、初等教育校に入った頃だっただろうか。
 たまたま夜中にトイレに起きて通りがかった部屋の前で、シオンは父が親戚達と自分の話をしているのを立ち聞きする。

 あの時はただただショックで悲しくて、次の朝いつもと変わらず笑いかけてくる父に、何も知らないふりをするのが大変だった。
 ……多分あの日から、自分たちはお互い以外を信じる事をやめたのだ。

 少し大きくなれば一般的な子供の魔法発現年齢が7歳であると知って「何でそんなに早く発現することにこだわっているのだろう」と子供心に疑問を覚えたものだった。
 理由を知ったのは、それから1年も経たない頃。
 弟が5歳で魔法を発現した時に開かれた「お披露目」なる場では、針の筵という言葉の意味を噛み締める羽目になったっけ。

「あ、無くなっちゃった」
「最近お腹すくんだよね、成長期かなぁ」
「それじゃ詩はいっつも成長期じゃん」

 至恩が持ち込んだポテチを食べきり、次は詩音が持ち込んだ袋を開ける。
 同じメーカーで同じ味のポテチだが、二人で食べるポテチはいつもより美味しく感じるのはなぜなのだろう。
 どうして互いの世界から持ち込んだお菓子がこうやって一緒に食べられるのかは謎だけど、お互い細かいことを気にするような性分でも無い。


 魔法使いの名門として名高い天宮家の長子、アマミヤシオンは内気で本だけが友達、大した取り柄も無い期待外れの子供……それが二人の世間的な評価だった。


 成績はそれなりで、運動は大の苦手。
 物事に対するポジティブさ――それはいじめに遭っても誰一人助けてくれない現実で身につけた、人間不信から来るこの世界への諦めとも言うが――と大雑把な性格は、両親に言わせれば「天宮の人間とは思えない、浅慮で脳天気な性質」らしい。
 こんな性格だから、どれだけ酷いいじめに遭っても屋上から飛び降りること無く、彼らは生きていけるのだろう。
 ……もちろん「今日も生きよう」と励まし合える大切なトモダチを悲しませたくないから、というのが一番大きいとは思うけど。

「毎日お母様にも聞かれるじゃない、変わりは無いかって。そんないきなり、魔法なんて使えるようにならないと思うんだよねぇ」
「でも、本当に僕たち、いつになったら魔法が使えるようになるんだろう。……裏じゃみんな、こっそり魔法の見せ合いっことかしてるのに」
「よくやるよね、あれバレたら警察に連れて行かれるんでしょ? その点私達は安全よね……何たって、そもそも魔法が使えないんだから!」

 あ、ポテチ無くなっちゃった、と詩音は更なるおやつを求めて部屋を出る。
 至恩もまた「僕も取ってこよう」と台所に食べ物を物色しに降りていった。

 ――きっと次も互いの持ち寄るものは同じろうと、心の中でくすりと笑いながら。


◇◇◇


 この世界の人間は、魔法と呼ばれる不思議な力を使いこなすことが出来る。
 もちろん使える魔法には多大な個人差があるものの、早ければ3歳で、ほとんどの子は7歳前後で、そして遅くとも10歳には9割の子供達に初めての魔法が発現するのだそうだ。

 初等教育校6年、11歳であるシオンたちの周りの子は、当然ながら皆、既に魔法を発現しているらしい。
「らしい」なのは、初等教育課程の6年間は家庭以外での魔法の使用はもちろん、家族以外に魔法の話をすることも厳格に禁じられているためだ。

 とはいえ、そんなルールなど破るためにあるのが子供という生き物であって。
 流石に「大人に発見されれば、即座に警察に連れて行かれる」というまことしやかな噂もあるから、大人のいる前でルールを破る大胆不敵な輩はいないけれど、陰ではこっそり魔法を見せ合っている者が大半である。
 大人たちだってかつては同じ事をしていたのだろう、そんな子供たちのルール違反は余程で無い限り見て見ぬ振りをしているようだ。

 そしてシオンは、そんな大人達から見えない子供の世界の中に入れない。
 何故か11歳にして未だ魔法が発現せず、それを理由に学校ではいじめの標的となっている。
 「家」の手前、学校に行かないという選択肢は無い。そもそもその親や親戚だって何かにつけて「まだ魔法が発現しないのか」「天宮家の人間ともあろう者が」とシオンたちにはどうしようも無いお小言を言うばかりだから、正直どこにいたって居場所がないことに変わりは無いのだ。
 
 お陰で学校にこそ真面目に通っているが、シオンは表面的には能天気ではあるものの、弱冠11歳にしてこの世界への期待を諦めた冷めた子供に育ってしまっていた。

「でもさ、今日は央が……話しかけてくれたんだ」
「そうだったね……ふふっ、央は助けてはくれないけど、私達を虐めもしないもんね!」
「助けるのは流石に無理でしょ。そんなことしたら央が虐められちゃう」

 こんな絶望的な状況でも、ちょっとした出来事をポジティブに拾い上げる才能は健在だ。
 二人は密かに思いを寄せるクラスメイトの話でひとしきり盛り上がりつつ、携帯ゲーム機を握りしめていつものように日が暮れるまで、そして夕食を食べお風呂に入った後も憂さ晴らしをするかのように黙々と遊び続けた。
 ……本当は歓声を上げながらゲームをしたいところだけど、隣の部屋の弟がすぐに文句を言ってくるからそれもままならない。両親はいつだって弟の味方だし。

「そう言えば央って、至の世界じゃ女の子なんだっけ」
「そうだよ。というかなんだっけ、りょーせーぐゆーってやつらしいよ、前に央が教えてくれた」
「いいなぁ、こっちの央は教えてくれなかったよ。で、何それ?」
「えっと、男の子と女の子両方なんだって、よく分かんないんだけど」
「両方……だから私の世界じゃ央は男の子なんだ。女の子の央も見てみたいなぁ」
「今度お互い写真撮ってこようよ。僕も男の子の央を見てみたい」

 もう寝ないと怒られちゃうね、と時計を確認した至恩があくびをかみ殺しながら電気を消す。
 当然ベッドだって共有だ。子供用のベッドは流石に二人で寝るとちょっと狭くて、時々どちらかが床に転がっていることもあるけど、もう慣れっこである。

「おやすみ、至」
「うん、おやすみ、詩」

 そうして二人は寄り添い合い、眠りというひとときの安らぎの中に耽溺する。
 ……どうか明日こそは、至が、詩が、笑っていられる世界でありますようにと願いながら。


◇◇◇


「うえぇぇん……至ぅ、今日はパーッと飲むから!」
「詩、言い方がおっさん臭い。でも僕も飲む……ひぐっ……!」

 初等教育課程最後の夏休みが明けて、いつものように憂鬱な気持ちで二人は学校に向かう。
 相変わらず魔法が発現する兆しは全くなくて、最近では両親にも愛想を尽かされたのか、家での会話も極端に少なくなっていた。

 虐められることはもう仕方が無いと、とうの昔に受け入れた。
 だからせめて、今日は央と話が出来たら嬉しいな、なんて思っていたのに。

「なんでよおぉ……夏休み中に飛び級が決まって、首都の大学に進学したなんてぇ……」
「ううっ、僕の癒やしが……央があぁぁ……」

 オレンジジュース片手に、二人はがっくりと肩を落とし涙を浮かべながら、くだを巻く。
 それも仕方が無い。教室に央の姿が無くて「今日は休みなんだ」とがっかりしていたところに、先生から央が首都に行ってしまったと聞かされたのだから。

「確かにさ! 央は優秀だったよ? スポーツだって何でも出来るし……だけどさぁ、なんでさよならも無しで、いきなりいなくなるのよぉ……」
「せっかく告白計画作ったのに……無駄になっちゃったね……」

 夏休みの間に、中等過程に上がったら央に告白すると二人は決めていたのだ。
 男女は違うけど、まぁ告白イベントなら同じようなものだろうと大雑把な性格を発揮して、「入学式に告白はどうかな」「いや、ここは屋上に呼び出して」と大いなる作戦(?)を練っていたというのに。
 せめて失恋は、直接央に断られる形が良かった。休みが明けたらもう会えませんだなんて、運命の神様はどこまでも自分達に冷たすぎる。

「シオン、うるさい-!」
「いいじゃん白斗、たまには叫びたいときだってあるんだから! ……友達に魔法見せてたの、先生に言ってもいいのかなぁ?」
「何だよ馬鹿シオン!! 魔法が使えないからって意地悪すんなよ!」

 壁の向こうから弟の白斗がドンドンと叩いて抗議するも、そこは兄(姉)の強権を発動して一蹴する。
 だいたい白斗は5歳で魔法も発現しているし、未だ魔法が発現しない自分達のことをいつも馬鹿にしたような目で見てくるのだ。こんな日くらいやり返したってバチは当たらないだろう。

「……でもさ、ぶっちゃけどうなるんだろうね、僕ら」

 ひとしきり泣いて、愚痴って。
 最近では最後にたどり着く話はいつも「魔法登録」の事だ。

 12歳の誕生日に子供は地域の魔法管理局に出向き、最も性質に合った魔法及びその能力を国に登録する。
 この魔法登録が行われないと中等教育校には進学できず、また登録された情報は今後の進学や就職に於いて常に判断材料にされる、非常に大切な指標となるのだ。

 二人の誕生日は大晦日。
 新学年は1月始まりだから、同級生の中で最も遅く魔法登録を行うことになる。

 ……では、このまま魔法が発現しなかったらどうなるのか。
 12歳の誕生日が近づくにつれて、流石に脳天気とは言えそこはかとない不安を感じるようになった二人が、この話題を口にする機会は増えていった。

 何せ魔法登録について両親や教師に質問しても「そう言う事例はない」と断言されて終わりなのだ。
 彼らの言葉を鵜呑みにすれば、自分達も後数ヶ月で、12歳の誕生日までには魔法が発現するのだろうけれど。

「……絶対そんなこと無いと思うんだよね、私」
「僕も。先生も、お父様やお母様も、何かを隠してる気がするんだ」

 それは、端から人間というものを全く信用していない彼らだからこそ分かる違和感だったのかもしれない。

 きっと魔法が12歳まで発現しない子供は今までにもいたはずだ。
 だが、魔法が使えない大人というのは、これまで見たことも聞いたことも無い。
 だから二人は「魔法が使えるようになる学校みたいなのがあるとか」「魔法登録の検査で発現させるのかも」「むしろ魔法が発現するまで、ずっと初等教育校に通わされたりして」と妄想を膨らませる。

 それでも、彼らはまだ子供だ。
 何より、今まさに長期間の虐めという絶望のただ中で足掻いているのだ。その先にある未来に縋るような希望を覚えたって、おかしくは無いだろう。

「ま、何にしても12歳にならないと分からないよ。……僕は、詩がいればそれでいいや」
「うん、私も至がいればいい。どうせ魔法が発現しないのは一緒だろうし」
「だよね、二人で落第とかちょっと笑えるかも……ふふっ」

 ……あの頃の自分達は実に脳天気だった、そう二人は後に振り返る。
 けれどもこの脳天気さこそが、最初から最後まで自分達が生きるための縁となったのだとも。

◇◇◇


「お母様、何で今日ラーメンを? 誕生日は明日なのに」
「……明日だからよ」
「…………?」

 誕生日の前日、シオンが両親に連れて行かれたのは地域でも美味しいと有名なラーメン店だった。
 ラーメンはシオンの大好物なのだが「そんな添加物に塗れた食べ物なんて」と両親が毛嫌いしているお陰で、ラーメンを食べられるのは年に一度、シオンの誕生日だけ。
 その誕生日だって大晦日になんか生まれてしまったお陰で、店が閉まっていて断念した年もあったくらいなのだ。

(あ、もしかして明日は休みなのかな。だから今日連れてきてくれたのかも)

 どちらにしても食べられるなら別に文句は無い、とシオンはできたての豚骨ラーメンに舌鼓を打つ。
 美味しいね、と笑い返せば、珍しく母は笑みを浮かべて「……そうね」と返してくれた。
 その表情はどこかぎこちない……そう感じるのは、あまりに自分の心が捻くれてしまったせいだろうか。

「どこか行きたいところはあるか? 夕食も外で食べて帰ろう」
「え、えっと……あの、水族館に行きたいです、お父様」
「そうか、なら行こうか」

 父がハンドルを切り、隣町の水族館へと車を走らせる。
 いつもならなんだって白斗が優先なのに、今日は珍しく自分の希望を聞いてくれたとシオンは喜びよりも先に驚愕に目を見開いていた。

「えー、僕ゲーセン行きたいー」
「白斗、今日はシオンが決めるの。……明日は誕生日だからね」

 弟を宥める母の態度に、シオンは再び違和感を覚える。
 嬉しいはずのお出かけなのに、じわりと頭の中に得体の知れない不安がよぎるだなんて……どれだけ自分は、この人たちのことすら信用していないのやら。

(何だろう? ……まぁいいか、折角水族館に来れたんだし)

 きっと明日は大雪が降るんじゃないか、そんなことを思いながらシオンは頭を切り替え、「早く見に行こうよ」と弟の手を取り水族館の入口に向かって走って行った。

「……あなた」
「大丈夫だ。……目は離さない」

 走って行く我が子達の背中を見守る両親の瞳は、どこか緊張感に溢れていて……まるで子供が襲われる事を案じているようでもある。

 ……今思えば、あれは曲がりなりとも我が子であったモノに対する彼らなりの最後の晩餐、憐憫の表れであり、同時に大切な我が子を守るための懐柔策だったのかもしれない。


◇◇◇


「いい? 魔法管理局に入ったらすぐ受付があるから、そこで身分証を見せなさい。後は全部向こうのスタッフに任せれば良いから」
「くれぐれも反抗するなよ、反抗的な態度は評価を下げる」
「……分かってるってば」

 そして一夜明けて。
 シオンは両親と共に、車で1時間ほどのところにある魔法管理局へと向かっていた。
 白斗は祖父の家に泊まっているから、数年ぶりに親子3人で過ごす時間だ。

 とはいえ、車中での会話はほとんど無い。
 現時点でも魔法を発現していないことはシオンだけでは無い、両親も分かっていて、敢えてその話題に触れないようにしている様にすら見えた。

(やっぱり、魔法が発現してなければ何かあるんだ……)

 その沈黙が、余計にシオンを不安に駆り立てる。
 無意識のうちにシオンは買って貰ったばかりのスマホを開き、魔法が使えない子供の魔法登録について調べていた。
 ……いくら調べたって、そんな情報はどこにも出てこないのに。

 街中から離れ、周りに民家のない山間部に位置する魔法管理局は、いかにもお役所と言った豆腐のような建物だった。
「中ではスマホは使えないから、電源を切っておきなさい」と車の中で電源を切り「じゃ、行ってくる。終わったら連絡するから」とシオンは車を降りて入口へと向かった。

(確か1時間くらいかかるんだっけ……朝ご飯も食べちゃダメって言うし、お腹すいたな……)

 折角の誕生日なのだ、帰りはどこかで外食したいとおねだりしてみよう……そんなことを考えながらビルの中に入っていくシオンを、両親は車の中からじっと見つめる。
 そして建物の中にシオンが消えたのを確認するや否やスマホを取りだし、我が子の……シオンの連絡先をすっと削除した。

「……ふぅ」

 すぐに車を出す父の口から漏れたため息は、何かをやり遂げた安堵が籠もっている。

「全く……天宮家の恥さらしが」
「ごめんなさいあなた、私が至らないから……」
「いいや恵、君は何一つ悪くない。……あれは災害と大して変わらない」
「そうですわね……けれどこれで安心ですわ。ここ数ヶ月は、あれが白斗に危害を加えないか、ずっと心配でしたもの……」

 せっかく二人きりなんだ、どこかで食事でもしていこうと父は車を街へと走らせる。
 シオンを降ろしてから15分ほど経っただろうか、スマホから鳴るメッセージ音には目もくれない。もはや自分達には関係の無いものだから。

「白斗にはどう話します?」
「まぁ、検査で異常が見つかったから首都の病院に緊急入院したとでも言えば良い。あれのことは成人するまで触れるべきでは無いだろう」
「……ええ、あんな穢らわしい存在……あんなものが私のお腹にいただなんて……!」

 堪えきれず肩を震わせ自責の念に涙を零す母を、車を止めた父はそっと抱き締める。
 僅か0.5%の絶望を運悪く引いてしまった、彼女の負った傷はあまりにも深い。
 これから彼女をしっかり支えてやらないとな、と父は密かに決意するのだった。

 そんな母のバッグの中、そしてダッシュボードに設置されたスマホの待ち受け画面に浮かぶ、魔法管理局からのメッセージ。
 ――そこには「アマミヤシオン」の人権剥奪通知が表示されていた。


◇◇◇


「身分証を確認しました。ではこちらの番号札を持ってお待ち下さい……といってもお一人だけですね。準備ができ次第呼びますので」
「あ、はい」

 車を降りたシオンが受付で身分証を見せれば、受付のスタッフがどこかに連絡を取る。
 彼女に案内されたとおり魔法登録課へ向かえば再び身分証を確認され、今度は番号札を渡された。

 魔法登録課には6つの検査室があって、その前には病院のようなソファが並んでいた。ここで順番を待ち、番号が表示されれば指定された検査室に入る仕組みのようだ。
「検査室は一方通行なので、出口は別にあります」と番号札を渡してくれた男性は言っていた。これは、検査の内容を待合で待つ子供に漏らさないためなのだそうだ。

 そもそも親の付き添いすら禁じられていて、ネット上にも詳しい検査内容は全く見当たらなかった。
 これは相当大変な検査があるのかもしれないと、流石のシオンもゴクリと唾を飲み込む。

(……どうなるんだろう、本当に落第とか言われちゃったりして……)

 悩んだところで、ここまで来たらもう検査を受けるしか無い……それは分かってる。
 けれど、12歳になったばかりの子供に不安になるなと言うのは酷であろう。

 そんな考えに耽っていれば、ポーンと呼び出し音が鳴り、ディスプレイに番号が表示された。
 どうやら検査室は一番奥の0番らしい。

(もう、行くしかないんだ)

 好奇心と不安がない交ぜになった心に活を入れ、シオンは検査室のドアを開く。
「どうぞ、入って下さい」と穏やかな男性の声に誘われ中に入れば、扉は自動的に閉まりガチャリとロックのかかる音がした。

「!!」
「こちらへ。この丸の中に立って下さい」
「っ、はい」

(うわ……なんか、物々しい……)

 中で待っていたのは、5人の大人だった。
 全員が同じ制服を身につけ、声をかけてくれた男性が真ん中に、四隅にはそれぞれ一人ずつ、男性2人と女性2人が立っている。
 しかもあの制服は、街中で何度か見たことがある。袖と裾に銀糸で模様をあしらったローブに、銀色の杖……どう見てもこの国の軍所属の兵士である。

 まさか魔法登録の検査を軍隊が担っているとは。
 特に悪いことをしたわけでも無いのに、ついシオンの顔が強張り身体に力が入ってしまう。

(しかも……全員、水色以上だなんて!!)

 彼らの胸元をチラリと見やり、シオンは心の中で驚嘆の声を上げる。
 光る徽章に埋め込まれた宝玉は、魔法使いとしての能力を表すものだ。
 魔法登録が終われば身分証であるIDカードにもこの色のラインが記され、一般的には中等教育校のカリキュラムの中で、この色が示す魔法のランクについて詳しく習うという。
 ただ天宮の家は親戚一同例外なく魔法省に勤めているのもあって、シオンは幼い頃から徽章を目にする機会が多く、両親から色の優劣についても教えられていた。

 12段階のランクのうち、水色は上から4番目。
 全国民の6割が無彩色と呼ばれる下4段階に生涯留まることからも、彼らがどれだけ有能な魔法使いかが窺い知れる。

(事故防止かな……子供の魔法は暴走することも多いってお父様は話していたから、軍隊が対応するのかも)

 そんなことを考えつつ、シオンは辺りをキョロキョロと見回す。

 検査と言うから何かしらの検査機器でもあるのかと思ったのだが、この部屋には何も無い。
 思い描いていた、それこそ魔法力を測るようなたくさんの機器がひしめく部屋とは異なる風景に(もっといかにも! って機械を見たかったな……)とシオンはちょっぴり落胆を覚えつつも指示に従い赤い丸の中に立った。

 立った途端に足元からブゥン、と音がする。これは魔法陣が起動した音だろう。
 なるほど魔法陣を使って検査を行うのか。これはこれで魔法登録らしい。

「本人確認を行いますので、氏名と誕生日、学校名、学年を仰って下さい」
「はい。アマミヤシオン、3042年12月31日生まれ、第39エリア第2区画18番初等教育校6年です」
「はい、間違いないですね。それでは服を全て脱いで下さい」
「あ、はい。…………へっ? ……全部、ですか!?」
「ええ、靴も下着も全てです。脱いだものはこちらで預かりますので」
「えと……はい……?」

(ちょっと待って、ここで全裸!? いやいやいや、パンツまで!!?)

 流れるようなやりとりの中に突如ぶっ込まれたとんでもない指示に、シオンは目をぱちくりさせる。
 家族以外の異性のいる前で裸になるなんて……しかも下着まで脱ぐだなんて、学校の健康診断でも無かったのに。
 けれども検査官とおぼしき男性も周囲の人たちも、さも当たり前のように泰然と構え、シオンが服を脱ぐのを無言で待っている。

(ええと……あれ、これ自分がおかしい……? ここは何も気にせずぱーっと脱ぐところ……?)

 あまりに皆が平然としているものだから、戸惑いながらもシオンはしぶしぶ服を脱いでいく。
 部屋の中は暖房が効いているとは言え、流石に全裸になると少し肌寒い。
 だからだろうか、服を脱いで預ければすぐに「ではこれを着て下さい」と何かを渡された。

「……ワンピース?」
「はい。番号を縫い付けてある方が前です」
「は、はい」

 これは検査用の服だろうかと、シオンは言われるがままに渡された服に袖を通す。
 グレーのワンピースは半袖で、丈は膝より大分上だ。下着を履いていないお陰で何だかお股がスースーする。
 一応、股間の大切なところは隠れているようで、ちょっと安心した。

「では、そのまま手は横に、動かないで下さい」
「はい」

 直立姿勢を取ると、目の前の男性が何かを手に取り、こちらに近づいてくる。
 そして手にした銀色に光る物体を首に回し、ぐっと力を込めた。

 カシャン

「!?」
「……よし、ロック完了」
「っ……?」

 軽快な音と共に、シオンは首が締め付けられるような不快感を覚えた。
 まるで、今首に巻き付いた金属が勝手に首の太さに合わせて縮んだかのようだ。

(なんだか、息がしづらい……これ、もしかして首輪……?)

 鏡が無いから、今自分の首がどうなっているのか分からない。
 ただ一つ言えることは、目の前の男性によって首に重みを感じる金属を巻かれ、それが首にぴったりフィットしていることだけで……

「あ、あの」
「勝手に声を出すな」
「っ!?」

 一体何を、と問いかけようとした言葉は、男性に遮られる。
 ……何故だろう、その声色は冷たく表情もさっきまでよりずっと厳しくて、こちらを威圧するかのようだ。
 豹変した彼の態度にシオンは思わず身震いする。

(ああ、こんなところでまで、この目で見られるなんて……)


 ――知っている、この目は捕食者の目。甚振るターゲットを見つけた、残忍な瞳だ。


「合図をすれば、はい、とだけ答えろ。いいな?」
「……はい」
「この番号を見ろ。お前の名前はその服に書かれた管理番号だ。分かったな?」
「はい…………っあぁぁぁぁっ!!?」

 訳も分からぬまま、目の前の紙に書かれた番号を見ながらはい、と返事をした瞬間、シオンは頭の中を火箸でかき混ぜられるような酷い感触に襲われた。
 思わず吐き気を覚えれば「こんなところで吐くな」という言葉と共に首にバチン! とこれまた初めての痛みが全身に走った。
 あまりの痛みに「痛っ!!」と叫んだはずなのに、何故か声は出なくて、口も開いたままで……

(なに、これ……身体が、痺れて動かない……)

 シオンの身体が、その場にゆっくりと崩れ落ちる。
 身体は硬直したまま指一本動かせず、声も出せない。
 だと言うのに、誰も自分を心配しない。声もかけられない。ただ、無言で見下ろし、もしくは作業をするだけだ。

 視界の端では先ほどまで直立していた兵士達が、馬鹿でかいスーツケースを開いている。
 さらに手にベルトのようなものを何本か持った兵士が近づいてきた。

「部隊長、これもう梱包しても大丈夫っすか?」
「ああ、電撃で黙らせたからな。ほら、ピクピクしてるだろ? もう全身痺れて動きゃしない」
「この魔法便利ですね-、人間に使えないのが難点だけどさ。あー噛むことも出来ないのね、口の中に突っ込むのも楽でいいやこれ」
「んぉっ……」
「おい吐くなよ」
「おごっ……!!」

 談笑する女になすすべも無く視界を塞がれ、口には穴の開いたボールのようなものを無理矢理突っ込まれ頭の後ろで締め上げられる。
 思わず嘔吐けば、先ほどよりは弱いが全身にまた痺れるような痛みが走った。

「腕はこれで……足は……」
「もっと胸に付くようにしっかり曲げろ。……よし、指一本入らないように締めろよ」
「はい」
「おぉぉ……」

 真っ暗な視界の中、手首が肩に、足首が太ももに付くように曲げられ、ベルトできっちりと固定される。
 ベルトには南京錠が付いていて、カチン、カチンと閉じてしまえばもう鍵無しにはベルトを外すことすら出来ない。

 彼らは更にシオンの膝を胸に付くまで曲げて、胴体や曲がった腕と共に新たなベルトで締め上げていく。
 締め付けた場所も、無理矢理曲げられた身体も痛くて、しかも胸を圧迫するのだろう、息苦しくて頭がクラクラするし、さっきの頭の中をかき混ぜるような何かを書き換えられるような気持ち悪さも全く取れない。

(苦しい……痛い…………何で……?)

 戸惑うシオンの耳に辛うじて届くのは、検査員……だと思い込んでいた二等種捕獲部隊の兵士達の声だけ。

「あ、耳栓忘れてた」
「おいおい、ってすまん俺も捕獲宣告忘れてたわ。えーと、12月31日11時18分、二等種一体確保。ほら、さっさと詰めてトラックに運び込むぞ、これが終わればやっと休暇だからな」
「全く、大晦日に二等種が飛び込んで来るだなんてとんだ年越しっすよ。部隊長もババ引きましたね」
「正月よりはマシだと思え、まぁ捕獲部隊はそもそも年中無休だからな」
「ちぇー」

(何、ニトウシュって、どういう……事……?)

 耳に何かを押し込まれ、さらに何か流動する物体の中に詰め込まれたせいで、暗闇と静寂がシオンを包み込む。
 鼻と口もスライムのようなものに覆われて、息が出来ないと一瞬パニックになりかけたが、一体どう言う仕組みなのか窒息はしなさそうだ。
 とはいえ、1ミリも身動きが取れぬままなのは変わりがない。
 頭がぐるぐるして、緊急事態に高鳴る心臓の音と囂々と流れる血液の音だけがやたらうるさくて……そうこうしているうちに意識が遠くなっていく。

(……向こうも、なのかな……大丈夫かな、泣いてないといいんだけど……)

 気を失う直前にシオンの頭によぎったのは、大切なトモダチの笑顔だった。


◇◇◇


 シオンの入ったスーツケースを載せたトラックが向かったのは、近隣の性処理用品貸し出しセンターだった。
 入口にはゲート付きのガードハウスがあり、そこには「保護区域3」と大きく書かれている。

 ここでは様々なタイプの製品を取り扱っていて、まるでペットショップのように企業や個人が現物をじっくり見定めた上で、二等種と呼ばれる劣等種の元人類を調教・加工して作成した「性処理用品」をレンタルすることが出来る。
 当然ながら、未成年はいかなる理由があろうとも立ち入り禁止。貸し出しのみならず、センターの敷地内に入る段階で身分証の確認は必須である。

 ……そう、人間の未成年なら。

「お疲れ様です、先ほど連絡しました二等種の輸送に来ました」
「お疲れ様です、大晦日だってのに大変ですね」
「いやぁ、うちと二等種管理庁は年中無休が基本ですから。二等種は休みだろうが待ってくれませんし」

 トラックが停止したのは表の駐車場では無く、裏にある輸送室の前だ。
 センターの職員が書類を確認し、兵士達はスーツケースをゴロゴロ転がしながら輸送室へと入る。
 そこには大型の転送魔法陣が描かれていて、部隊長とセンターの職員が魔法陣を起動することで目的の性処理用品貸し出しセンターへと一瞬で移動できるのだ。

「12月だから保護区域Cですね。ちょっと魔力多めに下さい」
「了解。全く、3月なら楽できるんだがねぇ」

 軽口を叩きながら二人は魔法陣を起動する。
 次の瞬間、シュンッと音がしたと思えば、魔法陣の上に立っていた5人とスーツケースは跡形も無く消え失せていた。

「全く規則とは言え、面倒なもんだね。一気に地下まで放り込めりゃ良いのに」

 5人を見送った職員は、独りごちながら部屋を後にする。
 今日は大晦日だ。駆け込みでレンタルしに来る住民も多い。おおかた、正月に親戚で集まって楽しむためだろう。
 センターは年中無休だし、製品は常に500体くらいは取りそろえているから慌てずとも良さそうなものだが、やはり新しい年を迎える準備という意味合いが強いのだろうか。

「ああ、保護区域1から補充要請が来てたっけ……流石に首都近郊は需要が多い。しかも等級A以上を希望……まぁ、正月くらい豪華な玩具で遊びたいわな」

 せめて今日は定時で上がりたいものだとため息をつきながら、職員は輸送用のスーツケースを取りに倉庫へと向かうのだった。

◇◇◇


 捕獲した二等種は、捕獲月に対応した保護区域へと収容される。
 1月なら保護区域1、2月は2、以下3、4……9と続き、10月はA、12月はCへと収容だ。
 二桁の数字を使わないのは管理上の都合らしい。

 スーツケースに詰められた二等種は、まず近隣の性処理用品貸し出しセンターへと運ばれる。
 この施設は保護区域の地上エリアに建てられていて、全国のセンターとこのエリアの地下へと繋がる転送魔法陣を有している。
 運び込まれたセンターの保護区域が該当月であればそのまま地下へ、異なれば該当保護区域のセンターに一旦転送されてから地下へと輸送するのが慣例だ。

「お疲れ様です、二等種1体確保しましたので確認をお願いします」
「はいはいお疲れ様です。こんな年の瀬に捕獲だなんて、二等種は我々を休ませてくれる気は無いらしいねぇ」
「全くです、せめて生まれる日を調整しやがれって思いますよ」

 軽口を叩きながら、地下の転送室に辿り着いた部隊長は書類と共にスーツケースを引き渡す。
 パラパラと書類を確認するのは、保護区域Cの地下、教育棟エリアを管轄する矯正局幼体管理部の管理官だ。
 不備が無いことを確認して受領証にサインをすると「これで上がり?」と管理官の女性は部隊長に尋ねた。

「ええ、魔法管理局からも追加の捕獲要請はありませんし。もう15時ですから、流石にこれ以上はいないかと」
「そりゃ重畳。大晦日くらいは家族とゆっくり過ごしたいよねぇ」
「そちらはどうですか、定時で上がれそうです?」
「そうねぇ、これを保管庫に放り込めば……帰りたいわね……」
「あはは、お疲れ様です」

 遠い目をする管理官のかんばせは美しいが、目の下にはくっきりとクマが浮き上がっている。
 教育棟で捕獲時から成体になるまでの6年間、個体の飼育と教育を手がける幼体管理部は、矯正局の中でも最も激務で危険な部署だと言われているのだ。入荷月ともなれば、忙しさは想像を絶するだろう。

(俺たちは捕獲が担当だから強力な魔法も使えるけど、幼体管理部はこう言うのを使うと海外の人権団体がうるさいもんな……いくら高級取りとは言え、気の毒なこって)

 部隊長はきっと今日もここで年越しになるであろう管理官に同情しつつ「では良いお年を」と地上へと戻っていくのだった。


◇◇◇


 からだが、いたい。

 あたまのなかが、なにかでおきかえられたようだ。


「……ぅ…………」

 意識が、浮上する。
「あれ……僕……」とぼんやり眼を開ければ、目の前には見慣れた顔が眠っていた。
 グレーのワンピースに身を包んだトモダチは「むにゃ……ラーメンおいしぃ……」と寝言を漏らすあたり、実に幸せそうな夢を見ているようだ。

「……ええと、確か僕は」

 鉛のように重い身体をよっこいしょと起こしながら、身体をざっと確認する。
 どうやら自分もトモダチと同じく、グレーの短いワンピースを着ているようだ。
 その胸には「54CM123」と……自分の名前が書かれた白い布が縫い付けられている。

収監


「そうだった、僕は魔法登録に行って……検査室に入って、それで……」

 123番は必死で記憶をたぐり寄せる。
 何も無い検査室、5人の兵士、このワンピースを着て首に何かを巻かれて、途端に男性が豹変して……

「!!」

 そうだ、自分はあそこでスーツケースに詰め込まれたんだ。

 はっきりと思い出した先ほどの出来事に、さっと顔は青ざめ、痛いほど心臓が高鳴る。
 恐る恐る首に手をやれば、そこには固くて冷たい感触が……前後に輪のような金具の付いた分厚い金属の首輪が嵌められていた。
 良く見ると、すやすやと眠るトモダチの首にも銀色に光る首輪が取り付けられている。

「そっか……君もやっぱり、同じだったんだ。あそこでスーツケースに入れられてここに連れてこられたんだね」

 せめて彼女だけでも助かって欲しかったと気を落としつつも、123番はちょっと見せてね、と囁きかけ彼女の首輪を観察する。
 一体どう言う構造なのだろう、鍵穴らしきものは全く見つからず、首輪と首の間に手を入れようにもまるで皮膚と一体化しているかのように1ミリも隙間が無いし、回すことも出来ない。
 これは外すことは叶わなさそうだと123番は早々に諦め、周りを見渡した。

(…………ただの、部屋……? 首輪はあるけど別に手足も縛られてないし……)

 そこは、自室と同じくらいの大きさの部屋だった。
 白一色で統一された部屋にある家具は、簡素なベッドと机と椅子だけ。机の前の壁にはモニターが埋め込まれ、机の上にはタブレットが二台置かれている。
 ドアらしきものもあるにはあるが、ノブが付いていない。……恐らく、ここから自力で出られないようにされているのだろう。

(誘拐? ……まさか、国が子供を拉致するだなんて、いくら何でも漫画の読み過ぎだよな)

 不意に湧いた疑念を振り払いつつタブレットを手に取れば、自動的に起動し待ち受け画面が表示される。
 魔力を使わずとも利用できる端末なんて初めて見た、と123番は驚きを覚えつつも画面を覗き込むと、自動でロックが解除されたくさんのアイコンが表示された。
 けれども一つを除いてどれもグレーアウトしていて、今は使えないようだ。

(残念、ゲームも入っているのに使えないんだ……で、これはなんだろう?)

 仕方なく123番は唯一光っている「はじめに」と書かれたアプリをタップする。
 起動した真っ白な画面には、箇条書きでいくつかの文章が表示されているだけだ。
 その内容も123番の疑問を解消するには至らない。

 ・服に書かれている名前はいついかなる時でも名乗れるようにしっかりと覚えること
 ・トイレに行きたい場合は壁のブザーを鳴らし、土下座して名前を名乗った後排泄の許可を大きな声で願い出ること、なお消灯時間後の排泄は禁じられています
 ・朝はベルが鳴る前に起きて床に座っていること、違反者には懲罰が与えられます
 ・起床のベルが鳴り終われば、モニターかタブレットに表示されるお知らせを確認すること

「なんだこれ……?」

 全く分からないや、と123番は首をかしげる。
 大体名前を覚えろだなんて、そんな覚えてて当然のものをわざわざ注意書きの最初に書くなんて、どう言うことなのだろうか。

 何にしても今の自分に分かることは、自分達はこの部屋に閉じ込められていて、今は何も出来ないということだけのようだ。

 と、隣から「ん……」と小さな声が聞こえた。
 どうやらトモダチはようやく目を覚ましたらしい。

「あ、れ……ここ、は」
「っ、詩、気がついた? 身体は大丈夫?」
「え? ……っと、うん。何だか頭が重いけど……至は?」
「何ともないよ。ただ、僕たち何だか変なことに巻き込まれてしまったみたいだけど」

(……至?)

 少しぼんやりした様子の詩音は、いてて……とこめかみを押さえながら起き上がる。
 彼女の口から出た「至」という言葉に微かな違和感を覚えつつも、123番は詩音が落ち着くのを待って、分かる限りの状況を詩に伝えた。

「……ということなんだ」
「そっか。……大事件にでも巻き込まれちゃったのかなぁ……ちょっとわくわくするね、本物の囚われの身って」
「わくわくしている場合じゃなさそうなんだけどね。今のところは特に何もされなさそうだけど、閉じ込められていることには変わりないし」
「至はわくわくしないの? この状況に」
「……ちょっとだけ」
「でしょ」

 やっぱり私達は一緒なんだよねぇ、と詩音が笑う。
 ここに来てようやく見られた詩の笑顔に、自然と123番の顔も綻ぶのだ。

(良かった。詩がいるなら、僕は大丈夫だ)

 どう言う仕組みなのかは相変わらず分からないが、少なくともこの部屋は自分達の部屋という扱いなのだろう。
 閉じ込められていても二人一緒ならきっと何とかなる。そんな謎の確信を抱いていた123番に「ところでさ」とタブレットを一通り弄り終えた詩音が話しかけてきた。

「何?」
「その、ずっと気になっていたんだけど」

 あのね、と話しかける詩音の目は真っ直ぐで、自分にしか向けられないその澄んだ瞳にちょっとだけ場違いな嬉しさを感じていた次の瞬間、詩音の口から発せられた言葉は衝撃的なものだった。

「何で至は、私のことを、うた、って呼ぶの?」


◇◇◇


「え……?」

 思いもかけない発言に123番はぴしりと固まる。
 彼女のことを「うた」と呼ぶのは、ずっと前からのはずなのに。
 初等教育校に入って間もない頃、「ややこしいから詩って呼んでよ、この漢字『うた』とも読めるって辞書に書いてあったんだ」と言ったのは、確か詩音の方だったし。

「なんで、って……」と声を震わせながら123番は言葉を紡ぐ。
 そうして返ってきた答えに更に愕然とするのだ。

「だって、詩が言ったんじゃん、そう呼んでって。名前から取って」
「名前から? ……何言ってるの、至」


「私の名前は、54CF123じゃない」


(…………うそ、だろ)

 今度こそ、123番の目の前が真っ暗になる。
 何故かは分からない。けれども目の前のトモダチは自分の名前をただの数字とアルファベットの羅列だと思い込んでいる。
 いや、思い込んでいるというよりこれは、最初からそうだったかのように振る舞って……

(だめだ)

 123番の中で、何かが警鐘を鳴らす。
 同時にキィンと音がして、酷い頭痛に見舞われ「うっ……」と頭を抱えれば、詩音が慌てて「ちょ、至大丈夫!!?」と心配そうにのぞき込んだ。

(てか至って何……ああ、それどころじゃない。詩の名前……っ!!)

 痛みに涙を浮かべ冷や汗を流しながらも、123番は「……ちがう、よ」と必死に声を絞り出す。

「だめだよ至、喋らなくて良いから横になって!」
「…………ちがうんだ……うた……きみの、なまえは……」
「至?」

 とてつもない恐怖感が、123番を襲う。
 まるでそれを口にしてはいけないと、話した途端に命が無くなってしまいそうな本能的な恐怖。
 何故こんなにも怖いのか、123番には理解が出来ない。

 けれど

(だめだ、詩。名前を忘れちゃだめだっ……!)


「きみの、ほんとうのなまえは……そんな番号じゃ無い、『アマミヤシオン』だ……っ!!」


 痛みと恐怖の中、放たれた小さな声は、果たして彼女に届いて。

「アマミヤシオン……? 天宮、詩音…………うああぁぁっ!!」
「っ、詩っ!!」

 今度は詩音が、その場に崩れ落ちた。

「詩、詩っ、しっかりして!!」
「うぅぅっ…………私は、天宮詩音……至と同じ名前だから、詩って呼んでって……」
「そうだよ! それが詩の名前だ!!」

 そうだったね、何で忘れていたんだろうね……

 小さな声で疑問を紡ぎながら倒れ込み意識を失う詩音の隣で、苦痛と恐怖が霧のように晴れつつも気が遠くなる中、123番もまた、心の中で同じ事を呟くのだった。

(そう、僕の名前は天宮至恩。こんな番号なんかじゃないのに……なんで、忘れていたんだ?)


◇◇◇


 次に目を覚ましたとき、部屋の中は真っ暗だった。
 消灯時間がなんとかとさっき見たアプリに書いてあったから、きっと今は夜で寝る時間なのだろう。
 この部屋には窓もなければ、訳の分からない一日でしょっちゅう意識を失っているお陰で、本当に夜なのかは分からないけれど。

「あ、至も起きた」
「……詩、起きてたんだ。てかいつの間に僕、ベッドで寝てたんだっけ」
「えへへ、私が運んじゃった! 至めちゃくちゃ重かったよぉ」
「身長も体重も詩と変わんないじゃん。つまり詩も重……いてててっ! ごめんってつねらないでえぇ」

 金属パイプのベッドに、薄いマットレス、申し訳程度の薄いブランケット。
 粗末なベッドだが、サイズは大人用のシングルベッドだからだろう、今までほど二人で寝ても窮屈さは感じない。

 暗闇にようやっと目が慣れる。
 といっても目に映るものは何一つ変わっていない。
 ここはいつもの子供部屋では無い、無機質な牢獄だ。

「……名前、さ」

 暗闇と静寂の中、ぽつりと至恩が呟く。
 僕も忘れていたんだ、と伝えれば、詩音が息を呑むのが分かった。

「この服に書いてある番号が、僕の名前だって思ってた。詩もだよ、ね?」
「うん。54CF123が私の名前だって……産まれたときからずっとこの名前だって、何故か思ってたんだよねぇ」

 何故か。
 そうは言ったものの、二人は何となく気付いていた。
 首輪をつけ、命令に「はい」と行った瞬間に起こった、あの頭の中をかき混ぜられるような感触。あれこそが名前を「書き換えられた」瞬間だろう。

 魔法の中には、人間に強力な作用を及ぼすものも存在する。
 いわゆる禁制魔法と呼ばれるものにあたるが、このような魔法を行使するためには相手の魔法抵抗力をゼロに近くする必要がある。
 こんな話は魔法専門職でも無ければ一生聞く機会は無いだろうが、小さい頃から魔法が発現しないとは言え、名家に生まれたものとして魔法に関する知識を叩き込まれてきた二人にとってはなじみ深い話だ。
 ……今、自分達は天宮の家に生まれてきたことを、生まれて初めて感謝したかも知れない。

「……名前は親が贈る、最初で最大の守りだって、お母様は言ってた」
「うん。……多分さ、詳しいことは分からないけどあの時僕たちは本当の名前を奪われたんだ。そして管理番号という、何の守りにもならないものを名前と思い込まされた」
「だよねぇ……魔法抵抗力をゼロにして、どんな魔法もかけ放題にしようとした?」
「合ってると思う」

 魔法抵抗力はいくつかの手段で下げることが出来る。
 例えばさっき命令された「はい」という返事。あれは魔法をかけられる者の同意によって魔法抵抗力を下げる、簡単だが強力な方法だ。

 けれど、どんな方法を使っても魔法抵抗力がゼロになることは無い。精々元の3分の1が関の山だと以前父が話していた。
 それは名前という絶対に奪えないものがあるから。それほどまでに名前というのは大切で、人によっては仕事でも本名を知られないように秘匿するという。


 ……では、世に知られていないだけで既に名前を奪う魔法が既に確立していれば?


「…………」
「………………」

 重苦しい沈黙が二人の間に流れる。
 きっと、その仮定は正しいのだ。だって、ついさっきまでの自分達がそれを証明しているのだから。

(目的は分からない、でも、魔法抵抗力をゼロにしてまで)
(ここに連れてきた人たちは、私達に普通の人には絶対かけてはいけない魔法を使おうとしている)

 囚われの身をちょっと楽しいだなんて言っていた、数時間前の自分はもういない。
 自分の身に間違いなく迫る得体の知れない危険に、息が苦しくて、胃が焼け付くようだ。お腹もすいているはずなのに、とても何かを食べる気分にはなれない。
 ……そんな気分になったところで、この状況では何も食べられなさそうだけれど。

 はぁ、と重いため息をつく至恩に「でもさ」と詩音がこちらを見る。
 暗闇で全く光が無くても、詩音の瞳が澄んでいる事だけは分かるのは何故なのだろうか。

「二人なら、大丈夫」
「詩……」
「だって、至がいたから私は名前を取り戻せたもん。……きっと大丈夫。大体今までだって、どこにも私達の味方はいなかったんだし」
「うわぁ身も蓋もない言い方……まぁでもそうだよね。ある意味今まで通り、か」

 今まで通りと言うには、これから待ち受ける境遇はあまりにも救いが無い。
 そんなことは二人だってよく分かっている。

 名前を奪うほどの強力な魔法を一体どれだけ使われるのか。
 ペラペラのワンピース一枚で下着すら身につけることを許されず、首輪をつけて絶対に出られない部屋に閉じ込められ、まさか何もされないと言うことはあるまい。
 そして、まるで何かを飼育するかのような環境から察するに、少なくとも二人が希望を持てるような扱いなど何もないに違いない。

 それでも、誰にも侵すことの出来ない希望を自分達は既に持っているから。
 ……だからきっとこれからも「今まで通り」なのだ。

「僕には詩が、詩には僕がいる」
「うん。……大丈夫だよ。ちゃんと私達には味方がいるんだもん」

 絶対、二人で生き残ろうね。
 そう言って微笑む詩音の笑顔は、暗闇で見えないはずなのに不思議と温かさまで伝わってきて。

「うん、生き延びよう」

 二人は、狭いベッドに横たわったままどちらからともなく小指を絡める。
 互いがいることを忘れないでいようと約束する二人の「指切りげんまん」は、小さな部屋に静かに響くのだった。

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence