第2話 突きつけられた現実
「いてて……詩、相変わらず寝相が酷すぎ……」
どすんと音がして、身体に走った衝撃で目が覚める。
部屋の中は月明かりすら差し込まない漆黒で、至恩は痛む脇腹を――これは床で打ったんじゃない、詩音が蹴飛ばしたせいだ――擦りながらベッドに戻ろうと手を伸ばす。
「…………? あれ、何か違う……」
いつもの調子で詩音を壁側に転がそうとマットレスに膝を乗せ、至恩はその薄さに違和感を覚える。
寝起きのぼんやりした頭は、現実を把握するのに少々時間を要した。
「そうだった、昨日僕らは……ここに連れて来られたんだっけ」
やっとこさ詩音が「むにゅぅ……今日の給食はカレー……」と相変わらず美味しそうな夢を見ながら転がってくれたお陰で出来た隙間に、至恩は急いで潜り込む。
確かに今までよりベッドは広くなったはずなのに、これじゃ今後も壁側で寝るのは一日交代だなと、至恩は溜息を吐きつつ涎を垂らして眠る詩音の顔を眺めた。
(今のところ、特に変な感じは無い。寝ている間に何かをされたわけじゃなさそうだ)
寝たままざっと身体をチェックして、恐らくは無事であることに、至恩はほっと胸を撫で下ろす。
しかしお腹はすいた。さっき詩音の寝言を聞いたお陰で、頭の中が完全にカレーになってしまっている。
「……流石にご飯も水も無しはないよなぁ……お腹すいた……」
「私もすいたあぁぁ……」
「あ、詩起きた……?」
「んふうぅ、わぁい美味しそうなお肉ぅ……」
「まだ半分寝てるね? おーい詩それは僕の腕、痛てててっ!!」
確かに同じ自分なのに、どうも詩音は自分より食い意地が張っていそうだ。
これは男女の差なのかな? と思いつつ、至恩は「もう、歯型付いちゃう! 起きてぇぇ!」と詩音をゆさゆさと揺り起こすのだった。
◇◇◇
「ったく……僕は食料じゃないんだけどな……」
「ごめんねぇ、でもほら、一昨日は至が私のおっぱい触ってたんだからおあいこで」
「そこはおあいこで本当にいいの? 詩はもうちょっと自分の身体を大事にしようよ」
「大丈夫だよ、何も減ってないし、むしろ増えてるかも、ほら」
「いやいや見せないでいいって! 暗くて見えないし!!」
「あ、そっか。明るくなったら見る?」
「……うん、詩に言った僕が間違ってた」
ようやく解放されたベトベトの腕をワンピースで無造作に拭い、至恩は毎度ながら自分に頓着しない詩音にがっくりしつつ「起きたのは良いけど……今さ、何時か分かんないんだよ」と漆黒の空間に目をやった。
この部屋には時計らしきものは存在しない。
タブレットで見ろと言うことかと思ったが、まさかの消灯時は電源が切れる仕様らしく、うんともすんとも反応しなかった。
そもそも、昨日見たときも日時は表示されてなかったように思う。
「朝は床に座れって書いてなかったっけ?」と詩音が思い出したように尋ねる。
確かにタブレットにはそう表示されていたな、と至恩も頷くも、大体この状況ではいつが朝だかさっぱり分かりやしない。
違反者には懲罰だなんて恐ろしい文言もあったし、もうしっかり目も覚めたから床に座ろうよと詩音を誘えば、詩音は「ね、至」と少し上擦った声で囁きかけてきた。
……ああもう、何で碌に表情も見えない暗闇なのに、彼女が何を考えてにんまり口の端を上げているのかが分かってしまうのだろう。
だから至恩は「あのさ、詩」と幾分げんなりした様子で詩音を窘める。
「流石に昨日の今日だよ? 名前を奪われた件もあるし、ちょっと様子を見てからの方が」
「えー、てか至は私が何をしようとしてるのか分かっちゃったんだ! やっぱり同じだよねぇ」
「分かるに決まってるだろ! そりゃ、僕だって……懲罰って何するのかちょっと気になるけど……でもだめ、体験はせめて明日にしよ?」
「明日になったら懲罰が無くなってるかもしれないじゃん!」
「それはない、絶対にない」
そう。
二人の誰にも言えない、ちょっとした秘密。
長年学校で、そして家でまともな居場所のない生活を余儀なくされたせいなのだろうか。
二人はいつからか「悪い人に囚われて虐められる」エピソードを殊更好むようになっていた。
図書館で借りる本も、お小遣いで買う本も、敢えてそう言う内容を選んで(そして案の定同じ本を持ち寄って)いたのだ。
なんなら、そんな風に囚われてみたいとさえ思っていた……のも、きっと同じ筈。
……それがいわゆる性癖であることに気付くのはもう少し先の話だが、とにかく今の状況は全く本人が意図してないとはいえ、非常に「刺さる」訳で。
そりゃ本物の懲罰とはどんなものなのか興味が湧くのも致し方ない、少なくとも二人はそう思っている。
一応、興味を優先させがちな詩音を多少冷静さが残っている至恩が制御するのがいつものパターンだけれど、そもそも至恩だって同じ嗜好を持っているのだ。
譲る気は無さそうな詩音に(まぁ折角の美味しい展開だし、わざわざ止めなくても良いかな)と至恩が早速ブレーキ役を放棄しかけたその時。
ジリリリ……とけたたましいベル音が響き、パッと部屋の明かりが灯る。
そして
「がっ……!!」
「いぎっ!! ぐうぅっ!」
首からバチッと衝撃と光が生じたかと思ったら、強い痛みと痺れが首から両腕に走って、二人は思わずその場でベッドに突っ伏した。
突然の出来事に、頭は何が起こったのかを把握できない。
あまりの痛みに涙がにじみ、臨戦態勢に入った身体は一気に鼓動を早め、衝撃の強さ故か口も閉じられない。
つぅ、と流れ落ちた涎を拭うことも……だめだ、痺れて腕に力が入らない……!
「ぁ……が……」
(痛すぎて…………痛い……っ!!)
もう思考が「痛い」以外の言葉を吐き出さない。
短いインターバルで2発、3発と発せられる電撃に目を白黒させながら悶絶する至恩に、同じく電撃を食らった表紙にベッドから転げ落ちた詩音が切れ切れに「い、たる……」と至恩を呼んだ。
「うた……? うぎいっっ!!」
「……ぐっ……いたる、ゆか、すわ……って……!」
「…………あ…………」
(……っ、そういう事か!)
痛みと恐怖でまともに動かない足を叱咤しながら、至恩は必死でベッドから転がり落ちる。
そして電撃と電撃の合間を縫って……一体何発食らったのだろう、ガクガクと震えながらその場に正座すれば「座位を確認、懲罰を終了します」とどこからともなくアナウンスが聞こえてようやく二人は電撃から解放された。
「終わった……?」
「多分……うはあ、これが本物の懲罰……すごい、死ぬかと思った……!」
「至、そこ感動するとこじゃないと思うよ」
アナウンスが終わるや否や、二人はそのまま床に倒れ込む。
何度も電撃を食らったせいだろうか、まだ首や腕はヒリヒリするし、手も何となく力が入りにくい。ついでに身体の震えも止まらない。
「こんな懲罰、人間にやって良いものじゃ無いよぉ……」と涙目で顔をしかめる詩音だが、その声色は気色ばんでいて、あれだけ痛い思いをしたくせに好奇心を満たせて喜んでいる様子がありありと見て取れた。
……鏡なんて見なくたって分かる、きっと自分も同じ顔をしている。
「まさか、朝起きなかっただけで電気ビリビリだなんて……」
「本物の囚われの身ってのは大変なんだね。あれかな、そのうち手足を縛られて鞭で打たれるとか、ギザギザの床に正座して石を乗せられたりするのかな」
「これだと、まだ鞭の方が楽そうな気がするね」
昨日から続く現実離れした環境への、これは逃避なのか順応なのか。
もちろん「明日からは真っ暗でも、とにかく目を覚ましたら起きて無い方を起こして正座して待とう」と誓い合うあたり、少なくとも二人は二度とこの懲罰を食らいたくないと思ってはいるようだ。
……まぁでも、たまにはこの状況を分からせる電撃を食らってもいいかな、なんて甘い考えは抱いたままである。
嬉しい(?)事に彼らの願いは当たり前のように叶うし、そもそもそんな考えは数時間後に思い切り砕け散るのだが、後から思い返せばあの時はまだ捕獲の衝撃覚めやらぬ状況で、興奮でもしていなければ心が持たなかったのだろう。
「とにかくモニターを……自動で点いてるね」
「タブレットも起動してるよ。とりあえずおしっこ行かない? もう漏らしちゃいそう」
「あ、確かに。漏らしたらまた懲罰だよねぇ」
よく考えたら昨日の朝から一度もトイレに行っていないのだ。
良く今まで我慢できたなと変なところで感心しつつ詩音は「先に行くね」とタブレットを床に置き、壁にあるブザーを押した。
タブレットの画面には昨日表示されていた項目に加えて、いくつか文章が増えているのが気になるが、取り敢えずは出すものを出す方が先だ。
『はい』
(あ、返事があった。えと、床の線に手を合わせて土下座、額は床につけて……)
暫くすると、音声が聞こえる。
その場で土下座した詩音は、タブレットを見ながらトイレに行く許可を申請した。
「人間様、54CF123に……ええと、読めない……」
『はいせつ、です』
「あ、はい。はいせつの許可をお願いします」
『もう一度、続けて申請するように』
「はい……人間様、54CF123に排泄の許可をお願いします」
(にしても、人間様かぁ……僕らは人間じゃ無いって言われているようだな)
その文言に至恩は思うところがあったのだろう、詩音の隣でタブレットを覗き込みながら、少し考え込むような仕草をしている。
土下座をしたまま、詩音が難しい漢字はフリガナが欲しいと心の中で文句を言っていれば『…………許可します。床の矢印に沿って移動しなさい。10分以内に自室に戻るように』と音声が流れてドアの方からガシャンと鍵が外れる音がした。
「そっか、トイレの位置だって分からないもんね。……至も一緒に出られる?」
「どうだろう」
鍵の開く音は聞こえたよ、と言いつつ至恩がドアを押すも、びくともしない。
一方詩音がドアを押せば、簡単に外へと開いていく。
試しに至恩が手を伸ばしても、まるで見えない壁があるかのように、その手は入り口で遮られた。
「僕はドアを開けられないね。……多分僕も同じ申請がいるんだ」
「ってことは、ドアの外はまたお互いの世界なんだね……」
そう美味い話はないか、と二人はちょっとだけ落胆する。
けれどもこんな状況で、自室だけでも一緒にいられるなら十分自分達は恵まれているのだと思い直し「じゃ、行ってくる!」と詩音は勢いよくドアの向こうに飛び出した。
……ドアが閉まる直前、さっき覚えたばかりの何かが弾けるような音と「がっ!!」という電撃を食らったのだろう叫び声が聞こえた辺り、きっと廊下を走るのも懲罰対象なのだろう。
ありがとう詩、お陰で僕は電撃を免れられそうだよと心の中で詩音に感謝しつつ、至恩もまたブザーを押すのだった。
◇◇◇
あれからトイレを済ませ、部屋に戻って新たに追加された文章を確認しがっくり肩を落としてからどのくらい経ったのだろう。
案の定タブレットやモニターには日時が表示されない上、廊下やトイレにも全く窓が無いため、時間の感覚が全く分からない。
ただ一つ分かっているのは、とてもお腹がすいているということだけだ。
(まさか……オリエンテーション終了が認められるまでご飯抜きだなんて……)
今、シオンは「ドアを解錠します、教室Bへ移動しなさい」というアナウンスに従い教室とやらにやってきていた。
シオンの部屋からは青色の矢印が伸びている。これに沿って行けということかなと辿れば、案の定そこにはBとドアに書かれた部屋があった。
しかし、そこはシオンの知る教室とは全く様子が異なっていて。
(これが、教室? ……教室ってこう……ええぇ……?)
戸惑うシオンの前に広がる部屋は、前方の壁に大きなスクリーン、そして教卓と座り心地の良さそうな椅子が一つだけ。
床には、内側に管理番号らしき番号が書かれた赤い丸がぼんやりと光っている。先に教室に来ていた子供達を見るに自分の管理番号の丸の中に座るらしい。
丸の数は4行5列、つまり20人分だ。
既に半分以上の丸は埋まっていたお陰で、自分の場所を探すのは簡単だった。
(えっと……うわぁ最前列の真ん中って一番嫌な場所だよ、隅の方が良かった……)
「自室外では、人間様の許可なしに声を出さないように」とタブレットの画面に書かれていたのを思い出し、シオンは心の中で独りごちながら丸の中に座る。
年単位で虐めに遭ってきた身には、このような目立つ場所は正直恐怖でしかないのだが、かと言って別の場所に座る勇気もない。またあの電撃を喰らうのは流石にごめんである。
周りの子供達をそっと盗み見れば、どうやら体育座りをする必要があるらしい。
両足を曲げ、腕で抱えるようにすれば、ブゥンと聞き慣れた魔法陣の発動音が聞こえた。
「!!」
その瞬間、ぴしり、と自分の中で何かが固まった感覚に襲われる。
何だろうと下を向こうとして……シオンは全く首が動かせないことに気付いた。
(っ、首だけじゃない……手も、足も、全部動かない……!!)
まさに指一本動かせないという表現が正しいだろう。
身体が何かで固められてしまったかのように、ピクリとも動かせない。
唯一眼球と口だけは動くようだが、瞬きすら出来ないだなんて、こんな拘束魔法はアニメの中でしか見たことが無い。目が乾いてしまいそうだが大丈夫なのだろうか。
(電気ビリビリに、拘束に……少なくともここの主は自分達の味方じゃ無いよね……)
やはり、ここは自分達の想像も付かないとんでもない場所だと、シオンは確信していた。
それにしても、一体何故自分はこのようなところに囚われてしまったのだろう。
しかもあの場にいたのは警察ではなく軍隊だった。犯罪者でももう少しマシな扱いを受けそうなのに……
一人になればどうしたって不安は尽きない。
大丈夫、自分には誰も知らない味方がちゃんといる、そう一生懸命言い聞かせていると、シュンッ! という音と共に部屋の隅にある魔法陣の上に大人達が現れた。
「!!」
途端に教室の空気が変わる。
まるで鋭利な刃物を突きつけられているかのような緊張感にシオンは戸惑いながら、目だけを動かしやってきた大人を観察した。
(7人……一つの教室にこんなに?)
ポロシャツにジャージ姿の大人達は、教室を取り囲むように立つ。
その腰には何やら黒い棒のようなものがぶら下がっている。
そして、シオンの目の前に置かれた椅子に座るのは、一人だけかっちりした制服を身につけた年配の男性だ。彼もまた腰には黒い棒をぶら下げている。
グレーのスタンドカラーのジャケットに、右肩からかけられた臙脂色のケープ。留め具にもなっているのだろう徽章の宝珠は青色で、これまた相当な実力者のようだ。
シオンの位置からは、彼のIDタグもはっきりと確認できる。
「二等種管理庁 矯正局幼体管理部副部長 幼体管理官」と長ったらしい肩書きを持つ男性の名前は能見というらしい。
(ニトウシュ……ああ、二等種って書くんだ。ここでも出てくる……)
二等種。
きっとこの言葉こそが今の自分を知る手がかりなのだろうと考えを巡らせていれば、目の前の男性が立ち上がり、シオンを見下ろした。
いじめられっ子の性だろうか、咄嗟にシオンは(何かまずい事をしたっけ?)と怯えた目で男を見つめながら身を固くする。
……身構えたところで、身体は一ミリたりとも動かないけれども。
そんなシオンを一瞥した男は、手元のタブレットを確認して「ああ、これが昨日入荷分ね」と頷く。
「そう言えば、月末入荷が一体いたと申し送りがあったねぇ」
「あ、はい。まだオリエンテーションが終わっていませんので、絶飲食状態です」
「なるほど」
これとはまた酷い言われようだなと心の中で呟くシオンの前で、報告を受けた管理官とやらは「このままじゃ危険だね」と何やらタブレットを操作する。
すると、昨日の朝からまともに食べていなかったお腹が急に満腹になり、手足に温かい血液が流れる感覚を覚えた。
(え、何これ!? 魔法でお腹がいっぱいになるなんて、初めて知ったよ!)
目を丸くするシオンとは視線も合わせず、管理官は「空腹は二等種を凶暴化させるからね」とスタッフに微笑む。
「事故防止のためにも、月末入荷分は事前に満腹中枢の刺激魔法と水分注入魔法を入れるようにプロトコルを組み直してもいいかもね」
「ありがとうございます、次回のアシスタントミーティングで提案します!」
そうするといい、と頷いた管理官は初めてシオンと目を合わせる。
人当たりの良さそうな年配の男性はニコニコと微笑んでいて、だがその目は全く笑っていない。
向けられ慣れた、穢れたものを見るかのような嫌悪と、侮蔑と、嘲笑の混じった視線にシオンは小さな絶望感を覚える。
ああ、自分はここでも何も変わらないのか――と。
「オリエンテーションもまだなら挨拶も知らないだろうから、懲罰は許してあげよう。人間様からの施しには、必ずお礼を言うこと」
「……はい、お腹を満たして頂いてありがとうございます、人間様」
「そう、それでいい」
こういう目をした連中には、逆らわないのが基本だ。
逆らえば何をされるか分かったものじゃ無い。……従順にしてればそれはそれでつけあがるのが世の常だけど、分かっていても素直に従うのがここでの最適解だろう。
碌でもない生い立ち故にそう瞬時に判断したシオンは、彼が望むであろう言葉を瞬時に判断し、はっきりした声で紡ぐ。
果たしてそれは正しかったようだ。
管理官は実に満足そうな表情を浮かべつつ、椅子に腰掛け「今日から授業を始めます」と胸元につけたマイクに向かって話し始めた。
「既にここに収容されて日が経っているものもいるでしょうが、今日からは毎日授業があります。指示に従って教室まで来るように」
「先生、ここはっぐああぁっ!!」
「……!!」
後ろの方に座っている子供が質問しようと声を出した瞬間、バチン! とひときわ大きな音と同時に濁った叫び声を教室に響かせる。
……あれはきっと首輪が作動した叫び声だ。
「自室の外で人間様の許可無く声を出してはいけない、幼体二等種規則表にはそう書いてありましたよね? 君たちはただ黙って人間様の話を聞き、許された言葉だけを口にすればいいのです。あと、君たち二等種が人間の名前や役職を呼ぶことは禁じられています。二等種の分際で人間様を区別などしてはいけない。ただ、人間様と呼ぶように」
「「…………!!」」
管理官の口調はどこまでも穏やかで、口には笑みすら湛えている。
だというのに、その口から語られる言葉はあまりにも残酷な色合いを帯びていて、酷い矛盾に首の後ろのぞわぞわが止まらない。。
首を動かすことも出来ないから後ろの様子を覗うことはできないが、きっと他の子供達も衝撃を受け、青ざめ、戸惑いや怒りを覚えているのだろう。
形容し難い重苦しさが部屋を包み込んでいて、思わず叫びたくなるのをシオンはすんでの所で押し留めた。
「と言われても、急にここに連れてこられて閉じ込められ、ただ飼育されていただけの君たちはまだ何も知りませんからねぇ……」
管理官は何事もなかったかのように話を続けるから、余計に異様さが際立っているのかもしれない。
そうして、相変わらず心にもない笑みを貼り付けたまま、彼は『授業』の始まりを宣告するのだ。
「今日の授業ではまず、君たちの……二等種のことを話しましょう。自覚は早いに越したことはありませんから」
◇◇◇
管理官の口から語られる事実は、にわかに信じがたいものだった。
かつてこの世界には魔法が存在せず、旧人類と呼ばれる人たちは少数の支配者によって苦しめられていた。
その後彼らは、魔法を授かった人たちによって征伐され、新しい暦が始まってから三千年以上経つ今は全ての人が魔法を使えるようになり、かつて無い平和な時代が長く続いている――これは、初等教育校で誰もが学ぶ事だ。
けれど、この話には続きがあって。
現代のこの国に於いても人口のわずか0.5%はあるが、魔法が一切使えない人間が存在する。
彼らはそのまま人間社会で過ごすと、必ず旧人類の支配者のような独善的で残忍で狡猾な大人となり、他者を貶め、虐げ、傷つけ支配するようになる。古い遺伝子が目覚めた彼らは最早、今の人類とはかけ離れた存在なのだそうだ。
残念ながら人類の中には、今でもそのような害虫のような存在が時折産まれてきてしまう。だから子供のうちに害虫を見つけ、人類の目の届かないところに隔離して教育し、無害なものに変えてしまう必要があるのだという。
「君たちは全員、12歳の魔法登録において二等種と判断され、一切の人権を剥奪されて捕獲されました。魔法管理局の入口には特殊な検査機器が組み込まれていて、あの入口をくぐった瞬間に人類は魔法能力の検査と登録が完了します。そして、君たち魔法の使えないものは二等種と判断され、我が国の軍隊へ捕獲要請が入る仕組みになっているのです。全ては君たち二等種を取り逃さないために、ね」
「…………!!」
(……検査は、あの段階で終わっていたんだ)
管理官の説明に、シオンはようやく合点がいく。
恐らくだが、検査室として通されたあの部屋は捕獲専用の部屋なのだろう。
魔法の使える子供達は別の部屋に通され、登録手続きやIDカードの発行といった真っ当な手順を踏んで出口から外へ、そして自分達は……
確か部屋に、出口は無かった。そして入口はオートロックで、外からしか開けられない。
恐らく人間は、あの部屋に転送魔法で出入りしているのだろう。
(魔法管理局に足を踏み入れた段階で、全ては決まっていたんだ……これを大人達はきっと、みんな知っている)
『くれぐれも反抗するなよ、反抗的な態度は評価を下げる』
車を降りるときに言われた、父の言葉。
あれはつまり「大人しく捕獲されろ」という意味なのだと今更ながら理解して、シオンの中に何か冷たいものがさぁっと通り抜けた。
他の子供達もそれぞれに心当たりがあったのだろう、声は出さずともため息や鼻を啜る音が聞こえてくる。
ショックを隠しきれない子供達など気にも留めず、管理官は蕩々と語り続けている。
いつの間にか二等種の説明については話が終わっていたようで、今は「二等種が一番最初に覚えるべき事」を説明しているようだ。
「既にオリエンテーションで簡単な説明は終えていますが、まだ入荷したてのものもありますので改めて。二等種は自室以外で人間様の許可無く声を出してはいけません。特に二等種同士は意図的に目を合わせてもなりません。二等種同士のコミュニケーションは厳罰の対象となります」
(またとんでもないことを……目を合わすことすらダメだなんて、二等種はどれだけ危険人物扱いなんだろう……)
これは恐らく、二等種同士が共謀して人間に反抗することを防ぐためであろう。
といっても、いくらカメラや人による厳重な監視体制を敷いているとはいえ、そこまで二等種の行動を事細かく規制できるものだろうか。
何と言っても相手は子供である。しかも思春期を迎えたばかりの、もっとも大人に反抗的になるであろう年代なのだ。
(懲罰とやらで何とかするのかな……でも、その程度じゃめげない子、絶対いると思うんだよな)
シオンが疑問に思う間も話は進み、管理官は「君たち二等種の名前についても説明しましょう」とニコニコしながらスクリーンに何かを表示する。
それは、管理番号の説明図だった。
「君たちの名前、管理番号ですね。これは最初の二桁が捕獲年。次の一桁が捕獲月です。君たちは12月に捕獲されているため、Cと表記されます。詳しい説明は二等種には理解できないでしょうから、取り敢えず自分達の捕獲月はCとだけ覚えればよろしい。その次が性別記号です。Mがオス、Fがメス。そして残りの3桁が通し番号です」
少し考えれば、聡明なものならば矛盾に気付けたかも知れない。生まれ持った名前だというのに、何故捕獲年が刻まれているのかと。
けれどシオンより早くここに収容され監禁生活を余儀なくされた彼らに、そこまでの余裕は残っていないのか、もしくは名前の剥奪にはそんな矛盾にも気付かせない何かが付与されているのか……ともかく、誰一人としてこの説明に異議を唱えるものはいない。
……まぁ、矛盾に気付けたシオンですら「人間が仮に君たちを名前で呼ぶときは、下3桁の番号、もしくは性別と下3桁を組み合わせて呼びますから覚えておくように」と言う管理官の言葉は、その前の説明のお陰でまともに耳に入らないのだが。
(え、今この人、オスとメスって言った……!?)
目を見開いたシオンの表情をチラリと確認した管理官は「ああ、今更ですが」と微笑んで、どこか嬉しそうに残酷な事実を二等種となったばかりの子供達に突きつける。
「二等種宣告、首輪をつけた段階ですね、あの段階で君たちは人間では無くなりました。君たちの生まれてからこれまでの公的な記録は即時不可逆的に抹消され、人権は全て剥奪されています。まぁ、剥奪も何も人間では無い、家畜ですら無い、ただの害虫である君たちには権利なんてものは存在しませんよね」
「!!?」
(もう人間では……ない……? 権利がないって……どういうこと!?)
信じがたい宣告に、教室のあちらこちらから息を呑む音が聞こえる。
そして「ですから君たちの性別はオスとメスで十分です。そして先ほど呼び方を説明しましたが、基本的に人間様が君たちを呼ぶときには首輪からの刺激を使います。こんな風に、ね」と管理官が手をかざした次の瞬間
バチン! バチン!!
「うぁっ!!」
「ぎゃっ!」
「痛い……っ!!」
部屋のあちらこちらで破裂音と、苦悶の叫び声が上がった。
「ぐぅ……っ……」
(痛い痛い痛いっ……痛いのにっ、顔が、動かない……っ!!)
シオンもまた首に走った痛みに――と言っても、朝の懲罰に比べれば首だけの痛みだからまだマシだ――思わず顔をしかめようとして、それすら叶わないことに愕然とする。
正直、手の一つでも当て転げ回りたいたいところだが、残念ながら表面的には相変わらず体育座りのまま、歯を食いしばるのが精一杯だ。
しかし、管理官の「指導」はこれに留まらない。
「だめですねぇ、呼ばれた程度で声を上げるとは。さっきも言いましたよね? 二等種は人間の許可無く声を出してはいけないと。無駄吠えはよろしくない」
「ぐああぁぁっ!!」
「かは……っ……」
連帯責任で全員懲罰です、と続けざまに流された電撃に、今度こそ全員の口から叫び声があがる。
首だけで無い、両手まで痺れるような痛みを、身体を動かして紛らわす事すら許されない事が、これほど辛いとは思わなかったな……とシオンは全身が悲鳴を上げる中どこか冷静にこの惨状を見つめていた。
……こんな所で虐められた経験が役に立つのも、複雑な気分である。いや、やられた所業はこれまでに無いレベルではあるけれど。
あまりにも唐突活理不尽な暴挙に耐えきれず、大声で泣き始めたものもいるようだ。
その中でも「もう嫌っ」「やめて!」と思わず叫んでしまった子供には、更に追加で懲罰電撃が与えられたのだろう。「人間様に指図とはいけませんねえ」との管理官の注意とともにひときわ高い悲鳴が上がった。
「今のが懲罰電撃です。既に生活の中で食らったものもいるでしょう? ……ああ、半数は初めてでしたか。これから覚える全ての規則に対して、違反は例え軽微であっても鞭打ちか首輪からの電撃で懲罰が与えられます」
「……!!」
「ああそれと、現時点では二等種に泣くことは許されていません。今日は初めてですから仕方が無いですが、懲罰を与えられても笑顔で『人間様、ご指導ありがとうございます』とお礼を言えるようになりましょうね」
バチッ、ともう一つ電撃が炸裂する音が部屋に響く。
(笑顔!? こんなことをされて……笑えるわけないじゃない!!)
(そんな……泣けば懲罰だなんて、いくら何でも酷いよ……!)
この授業が終われば首輪に込められた魔法が発動し、以後は涙を零すだけで自動的に懲罰電撃が与えられるという説明に、流石のシオンも(見えないところで泣くのもダメだなんて……あんまりだ)と戦慄を覚える。
隣ではあまりの恐怖からカタカタと身体を震わせているのだろう、歯の鳴る音がした。
恐怖と絶望が教室を支配する。
聞こえてくるのは、必死に声を殺しすすり泣く声と、恐怖故の荒い息づかいだけ。
そんな地獄に、場違いなほど明るい管理官の声が響く。
「では、今日は懲罰後のお礼の練習をしましょう。最初から笑顔は期待していませんが、全員が悲鳴を上げずに大きな声ではっきりとお礼が言えるまで続けますね。合図があれば即座にお礼を言うこと、では」
「!!」
再び管理官がこちらに向かって手をかざす。
数秒後
「「ぎゃあぁぁっ!!」」
先ほどよりも長い電撃と共に、阿鼻叫喚の時間が幕を開けた。
◇◇◇
「声が小さい、もう一度」
「まだ無駄吠えする気力がありますか……はい、もう一度」
「んーまた汚い声が上がりましたね、もう一度」
(お願い、もうやめて……ごめんなさい、ごめんなさいっ、泣きませんからもうやめて……)
(首も腕も痛いよ……辛いよ、苦しいよっ!! 助けてお母さん……!)
(もう嫌だ!! ちゃんと挨拶してるのに何で終わらないんだよ!?)
……あれから一体どのくらいの時間が経っただろう。
何十回、いや三桁などとうに超えたであろう電撃を食らい、喉が枯れ、一体何に向かって叫んでいるのかすら分からなくなるほど感謝を叫び続けて、けれども何かしら理由をつけては繰り返される「指導」は、全く終わる気配が無い。
(……M090がそろそろ危ないか、いや、その前にF031が基準に達するかな)
シオンたち二等種が痛みに悶え、何とかこの時間を終わらせようと死に物狂いで声を張り上げる一方、教室を取り囲んでいたスタッフ達は入荷したての二等種の管理に余念が無い。
あるスタッフは、声が小さかったり性懲りも無く泣き続ける個体に鞭を振り下ろし、またあるスタッフは壁際でタブレットを注視している。
タブレットに表示されているのは、この教室にいる二等種20体のバイタルだ。
幼体、すなわちまだ未成年である二等種を扱う幼体管理部では、海外の人権団体からの非難を躱すために様々な特別処置を執っている。
人権団体とは言え、流石に危険な二等種を人間同様の扱いにしろとまでは主張しないが、こと幼体に関しては国による扱いの差が非常に大きく、特に二等種発祥の地であるこの国は何かと攻撃対象になることが多いためだ。
裏では、自国の扱いへの非難を躱したいものたちが影ながら支援しているとも言われている。
だからこの国では、人権すらない二等種にわざわざ服を着せ、人間に似せた食餌と寝床を与え、更には「教育」まで施すことで、対外的には例え二等種であっても未成年のうちは手厚く保護していると喧伝しているのだ。
表向きここは二等種専用の教育施設でもあるから、多少の「体罰」や「落第」はあるけれど、少なくとも医療処置が必要になるほどの怪我は負わない。そうなるように全てが仕組まれている。
こうやってつぶさにバイタルを観察し、医療を必要としないギリギリのラインを管理官に伝えるのも、すべては青少年の保護なるポーズのため。
もちろんその裏では着々と二等種を無害化するための各種「加工」が行われている。
成体になるころには、その体も心も決して人間様に逆らえないように作り替えられるから、もっと管理は楽になるんだよね……と独りごちつつ、スタッフは赤く点滅した管理番号を確認して管理官に合図を送った。
(もう、ですか……この個体は肉体の加工を早めた方がよさそうですね……)
管理官は対象個体への指示を出した上で、苦痛と絶望に瞳を濁らせた二等種達の方に顔を向ける。
そして、人類の害悪たる存在を意のままに操り苦しませることに高揚感を覚え、それを隠すことも無く、満面の笑みで指導の終わりを告げた。
「……今日はこのくらいにしておきましょう。はい、指導が終わればどうするんでしたっけ?」
「「っ……に、人間様……ご指導ありがとう、ございますっ……!」」
「よろしい」
ようやく終わった地獄に、周囲から安堵のため息が漏れる。
シオンも(やっと終わった……)と、あまりに電撃を浴びすぎてヒリヒリした痛みが止まらない首筋を気にしつつ、ホッと胸をなで下ろすのだ。
(これ、絶対傷になってると思うんだけどな……治癒魔法でもかけてくれるのかな……)
もはや拘束魔法が解けたとしても歩けそうな気がしないやと、シオンはぐったりしながら、当たり前のように終わらない授業にぼんやりと耳を傾けた。
次の話は、二等種の今後についてだった。
人類にとって害悪でしか無い二等種は保護区域に集められ、人間により飼育されつつ無害な存在となるよう徹底的な教育を受ける。これが今の自分達の状態だ。
この保護区域は地下奥深くにあり、物理的な出入り口は存在しない。
そして保護区域には二等種の収容施設がいくつか存在するが、脱走防止のためその全てに建物外へと通じる設備……扉や窓と言ったものはついていないという。
転送魔法無しには、地上どころか建物の外に出ることすら出来ない。つまり、魔法の使えない二等種が自力で脱出することは、物理的に不可能だ。
更に建物内に関しても二等種には厳格な移動制限がある。
基本的に二等種が移動できるのは、自室とそこから矢印の引かれた通路及び目的地の施設のみ。
矢印は首輪からの魔法で本人にしか見ることが出来ず、また少しでも道を逸れれば自動的に懲罰電撃が首輪から発せられる。
それにも関わらず指示に従わない場合は、更に重い懲罰、もしくは最悪「処分」となることもあるのだという。
「これからしっかり『指導』していきますので、誰一人欠けること無く全ての教育を終えて無害になれることを祈っていますよ」との言葉に、先ほどまでの苦痛を思い出した者は多いだろう。
この段階で大半の二等種は、人間への反抗心を失い従順であろうと努力するようになる。
……が、そうそう上手くいかないのが、幼体の管理の難しさだ。
「そんなの酷すぎます!!」
「!?」
(あ……あれはまずい、絶対まずい)
後方から突如聞こえてきた大きな声に、シオンはぎくりと冷や汗を流す。
この期に及んでまだ地上に戻れる期待を抱いていること自体、諦めることに慣れたシオンには想像もできない思考ではあった。
だから管理官が「今後どれだけ無害になっても地上には出られない。人間様にとって多少なりとも役に立つと判断されれば出られる日が来るかも知れないが、それは何年も先のこと。少なくとも二度と家には帰れない」と告げた途端に上がった反抗の怒鳴り声に、シオンは唖然としたのだ。
(何で、帰れるなんて思えるの……この状況で……?)
どうやら声を上げたのはいかにも気の強そうな容貌の女の子、いやメスだったようだ。
目に涙を溜め、怒りに震えながら白藍の髪を耳の両側で束ねた若葉色の瞳を持つ彼女は、管理官に向かって大声でがなり立て続ける。
「私は、私達は、何にも悪いことなんてしてない! ただ魔法が使えないだけの人間です!! なのに、どうしてこんな目に合わなければならないんですか!? これは差別じゃないですか!!」
「…………」
「私達を家に帰して下さい! パパとママの所に返して! パパとママだって、今頃心配して泣いてるわよ!」
「そうだそうだ」「俺たちは人間だ!」と周囲から同調する声が上がる。
俄に騒がしくなった教室に、しかし管理官は一言も発さず笑顔を顔に貼り付けたまま、タブレットを操作した。
「何とか言ったらどうなのよ! 大人だからって横暴すぎるわ!!」
反論すらしない管理官に痺れを切らして彼女が叫んだとき、シュンッ! と音がしてまた転送魔法陣に人が出現する。
今度は4人。教室を取り囲むスタッフと同じポロシャツとジャージだが、水色の手袋とビニールの割烹着のようなもの、そしてゴーグルとマスクを身につけている。
「ここから一番近くの空きはどこだい?」
「ええと……あ、今朝この階のオス用トイレ前が空きましたね。メス用トイレ前も……ああだめだ、こっちは先に予約が入っちゃった」
「ならオス用トイレ前にしようか、終わったら見に行こう」
「かしこまりました」
シオンの目の前でゴーグルのスタッフの一人が管理官となにやら話をし、後ろで控えるスタッフに「F035だ」と指示をする。
すると、彼らは真っ直ぐに反抗した個体の……54CF035の方を向き、拘束魔法もそのままにふわりと彼女を空中に浮かせた。
「え、ちょ、何!? 何するのよっ!!」
「…………」
「ねぇ、何とか言いなさいよ!!」
突然の事態に慌てて喚く35番の言葉などまるで聞こえないかのように、スタッフ達は「設置まで1時間あれば終わりますので」と言い残して、35番を馬鹿でかいビニール袋に入れたかと思うと先ほどの転送魔法陣でどこかに消えてしまった。
(え、連れて行かれた……?)
(あの子どうなっちゃうんだろう……人間に反抗したし、もっと酷い懲罰なのかな)
呆気にとられる二等種達を前にして、管理官は何も無かったかのように「さて、授業の続きです」と話を再開する。
その淡々とした態度が、余計に二等種達を混乱の渦に巻き込んでいく。
(あの人達、二等種を物としか見てなかった……嫌な予感しかしない)
反抗なんてするものじゃ無い。絶対に碌な目に遭わないのだから――
自らの経験とこれまでの人間の所業から起こりうる最悪の事態を想像したシオンは、人知れず心の中で恐怖に震えていた。
……いくら囚われの身を堪能したいと言っても、流石に命が無くなるのはごめんだ、と。
「二等種というのは、その存在自体が害悪です」
そんなシオンの気も知らず、管理官は人間から見た二等種について語る。
「そう、二等種は生まれてきただけで罪を重ねているのです。最も分かりやすい例はご両親でしょうね。何せ君たちは、二等種をこの歳まで育てさせててしまったのですから。……我が子だと思って大切に人間として育てていたら、まさかのゴキブリだった、いやゴキブリの方がまだマシですね、君たちはゴキブリにすら劣る存在ですから」
「…………!!」
ゴキブリは確かに気持ち悪いし不潔ではあるが、人間を直接傷つけはしない。精々突如羽ばたいて悲鳴を上げさせるくらいだ。
ただ生まれるだけで親を深く傷つける、下手をすれば立ち直れないほどの精神的ダメージを与えるお前達の方がよっぽど下等だと穏やかに語られる言葉は、疲弊した頭では妙に説得感があるような気さえしてくる。
「とはいえ二等種の頭では、理解もし難いでしょうから……ちゃんと分かるように見せてあげましょう」とスクリーンにパッと映ったのは、夫婦だろう男女のインタビュー動画だ。
どこかから「お父さん!?」と叫ぶ声が聞こえたから、誰かの両親なのだろう。
思わず上げた声は当然のごとく懲罰対象となり「無駄吠えはいけませんよ」と言葉だけは優しく窘めつつ、管理官は動画を次々と再生していった。
……それは、ここにいる全員の両親の、捕獲後に撮影された本音に満ちた映像だった。
「うそだ、ママはそんなこと思ってない!」と涙ながらに叫ぶものも居たが、シオンの目にはとても彼らが演技をしているようには見えなかった。
皆、心の底から二等種を育ててしまった事実に怒りと嘆きを覚え、多くの母親は……シオンの母もそうだったが、二等種を宿してしまったことに強い自責の念を抱いている。
(自分は、生まれてきちゃダメな子だったんだ……自分のせいでお母様が……)
散々家庭で冷遇され続けてきたシオンにも、流石にこの動画は堪えるものがあった。
鼻の奥がツンとなって、泣きそうになるのを慌てて必死に抑えなければならない位には、ああ自分はまだどこかで両親に愛されることを願っていたのかと、諦めの悪さに人知れず自嘲する。
とは言え後から振り返れば、この動画はシオンにとって救いだったのかも知れない。
最後まで残っていた両親への未練も、すっぱりと断ち切れたのだから。
自分の味方は、たった一人。隣り合う世界に生きる、性別の違う自分だけ――
一方、他のほぼ全ての個体にとってこの動画は、助かる望みを完全に失い絶望の底へと叩き落とされる呪いでしかなかった。
泣いたり叫んだりした個体には首輪の電撃のみならずスタッフから「同じ事を繰り返すな」と腰に下げていた乗馬鞭まで一緒に振るわれ、更なる悲鳴を上げる羽目になる。
1時間かけて全員の両親の動画が流れ終わった頃には、二等種達はもはや放心状態であった。
(例え運良くここを出られても、自分に帰る『家』は、もう存在しない)
残酷な事実が、幼い二等種達の心に深く刻み込まれる。
もはや自分はここでしか生きることを許されない。
実の両親ですらこれほど二等種を嫌悪しているのだ。一般的な人間は言うまでも無く、二等種を嫌悪し、侮蔑するに違いない。もしかしたら酷い差別や暴力にも晒されるかも知れない。
地上に二等種が存在することなど、不可能なのだ――
「ここに収容されたのは、君たち二等種を保護するためでもあるのですよ」という管理官の言葉は、どん底に堕とされた二等種達の心に真実として優しく染みこんでいくのだった。
◇◇◇
「さて、ではそろそろ社会見学と行きましょうか」
どうやら彼らは、立て続けの授業で疲弊した二等種を休ませる気など毛頭無いらしい。
管理官の言葉を皮切りに、スタッフが前の個体と首輪を鎖で繋ぐ音があちらこちらから聞こえてくる。
「今日は社会見学で授業を終わりにしますかね、初日ですし」と管理官が何かを操作すれば、途端に身体が自由になって「その場で立ちなさい」と命令された。
(いてて……足が、足が痺れてるうぅぅ待ってこの状態で歩くの!?)
長時間不自然な状態で拘束されていた身体はすっかり固まっていて、腰は痛いし足は痺れて泣きそうだというのに、スタッフは容赦なく「ほら、さっさと立つ!」と足を鞭で打ってくる。
これは絶対わざとだ。顔は無表情だが目が物語っている。
列ごとに繋がれた二等種達は、スタッフに鎖を引かれながら廊下を歩く。
少しでも遅れれば連帯責任とばかりに全員に電撃を流されるのは、ある意味予想通りである。
そうして運動場の脇を通り抜けた時、先導する列から「ひっ」「いやあぁぁっ!!」と大きな叫び声と、それを咎める電撃の音が聞こえてきた。
「あーもう汚ぇ吐いてる」「何気絶してるの? さっさと立ちなさい」と咎めるスタッフの声も、悲鳴にかき消されがちだ。
(今度は一体……もう多少の事じゃ驚かないけど……)
そう思いながら引きずられていったシオンだが、数十秒後にはその悲鳴の理由を痛感する。
目の前に広がる光景は、とても「多少の事」では無かったから。
「はい、では全員、壁の方を見て下さい」
管理官が明るく声をかけるまでも無く、全員が壁に釘付けになっている。
そこには絵画のような額縁と、その中心に真っ黒な塊が飾られていた。
…………いや、ただの塊では無い。
変わり果てた姿に加工されてはいるが、白藍の髪と若葉色の瞳は……そうだ、1時間ほど前に教室で袋に詰められ無言で連れ去られた彼女の色を、忘れるはずなど無い……!
(こんな……こんなことって……!)
シオンは愕然としながら、壁を見つめる。
足元の床がぐにゃりと歪むような感覚に、今にもその場に座り込んでしまいそうだ。
これは夢だ、信じたくないと必死で囁く心の防衛反応も、現実の生々しさの前では何の役にも立たない。
さっきF035と呼ばれていたメスは、鼻から上のわずかな部分以外を黒くテカテカした何かに覆われた姿で額装されていた。
耳の穴には金属の棒が差し込まれ、臙脂色のマットボードを突き抜けて壁に固定されているのだろう。
首輪も同様にボードから伸びる金具と繋がれているから、頭は全く動かせないようで、その顔は苦しげに歪んだままだ。
「シューッ……シュゴッ、ゴボッ……!!」
鼻と口を覆う分厚いマスクの奥からは、ガスが漏れるような音と、何かを吐き出そうとする苦しげな音がひっきりなしに漏れている。
口には、金属の筒のようなものを咥えさせられていて、筒から外に飛び出した舌が所在なさげに震えていた。
そこから外へと大人の親指より太いチューブと、それよりはずっと細く、薄黄色の液体が流れるチューブが1本ずつ伸びていて、これまたマットの下にある壁の中へと続いているようだ。
定期的にバチン! と弾けるような音と共に、首輪の辺りが青白く光っている。どうやら苦しさに身体が跳ねたり涙を流すと懲罰電撃が流れるらしい。
むしろ電撃のせいで身体の痙攣も涙も止まらなさそうだから、実質あの電撃が止まる日は来なさそうだな、とシオンは思わず首に手をやった。
何より衝撃的なのは……明らかに不自然な四肢。いや、これは四肢と呼んで良いのだろうか。
「手と足が……無い……」
「まさか、切り落としたんじゃ……ひぎっ!!」
「はぁ……君たち二等種とは違うんですよ? 人間様は、手足を切り取るような残酷な真似はしません」
思わず恐怖を口にした二等種は、容赦なく懲罰の電撃を流される。
「お前ら二等種と人間様を一緒にするな!」と彼らが泣き叫ぼうがお構いなしに鞭打ち続けるところを見るに、人間様は二等種と同じに見られることを蛇蝎のように嫌っているのだろう。
シオンは、教えられた通り泣きながら必死に感謝を口にする彼らを感情のこもらない瞳で眺め(余計なことは言っちゃダメだよね)と心の中にしっかり刻み込むのだった。
(……あ、ほんとだ。ちゃんと手足は残ってる……いや残っているといっても、これじゃ無いのと一緒だけど……)
肩と太ももから切り取られたと思っていた手足は、よく見ると壁の中に埋め込まれているようだ。
時折流れる電撃でも、35番の身体は微かにしか跳ねない。だから表に出ていない部分はただ拘束されているだけでは無い。
恐らく魔法で、壁と身体は一体化させられている――そうシオンは確信する。
極めつけに、作品を飾る額縁の下には「54CF035 反抗的発言による処分」と書かれたプレートが掲げられていた。
(人間を……こんな形にしてしまうだなんて、何て酷い……!)
――人間だって随分残酷じゃないか、と思ってしまうのは、きっと間違いじゃ無い。
それとも二等種は、こんな人間よりも残酷な種族だというのか。今の自分には到底想像がつかないけれども。
その場で悲鳴を上げ、あまりの悍ましさに這いつくばり嘔吐する二等種に鞭で懲罰を与えつつ「なかなか良い出来映えですね」と管理官はまるで美術品を鑑賞するかのように柔やかな笑顔で言葉を紡ぐ。
「見ての通り、これは壁の中に埋め込まれています。黒い部分は特殊な保護用の被膜に覆われていますから、暑さも寒さも感じません。見えていませんが耳から後ろも皮膚は保護されていますよ。魔法でめり込ませてあるので二等種の力ではどうやっても抜け出せませんが、抜け出せないことが二等種の足りない脳みそでも分かるように、金属の固定具を耳の孔、鼓膜のすぐ手前まで差し込んでいます。棒が孔の壁に触れるだけで酷い痛みが走りますから、いくら二等種でも動こうとはしないでしょう?」
話しながら、管理官は35番の下腹部を乗馬鞭でぺちぺちと叩く。
その度に「シューッ」という音が大きくなった。
「肺には酸素が、胃には生命維持に必要な水分と栄養が、あの管を伝って自動で供給されます。喉の奥に管が入っているから、無駄吠えもできなくて実にいいですね。もちろん排泄だって問題ありません、ここから小さい方は管から吸い取っていますし、大きい方も定期的に浣腸液が注入されますから」
ここから、と指さした股間には金属の彫刻が施されたプレートと、そこから伸びる大小二本のチューブがあった。
太い方は中が見えないが恐らくお尻に繋がっているのだろう。そして、細い半透明のチューブは薄黄色の液体で満たされている。
口に伸びていた細いチューブに満たされていたのと同じ色だ、と気付いたシオンは、あわてて考えることを止めた。これ以上追求すれば胃がひっくり返ってしまう。
壁の中に埋め込まれているにもかかわらず、手足はきっちりと拘束したままだそうだ。
だから胸を張った綺麗な形に整えられているのです、と管理官は心底満足げにその「作品」を語る。
その眼差しはどう見ても人間に向けられるものでは無い。そう、まさに家に飾ってあるポスターでも眺めているかのようだ。
「ちょうど前の壁飾りが壊れたところでしてね。まあ素材としても合格ですかねぇ、もう少し涙は流さない方が掃除の頻度を省けるのですが」
(掃除……二等種を指す言葉は、全部物扱いなんだ……)
なんの躊躇いもなく二等種を……ほんの一月前まで人間であったものを作品と呼んで憚らない『人間様』とやら。
その振る舞いにゾワゾワしたものがシオンの胸に溜まっていく。
……別にこういう人間が珍しいわけじゃ無いし、まして周囲の二等種達のように、初めて遭遇した正義の皮を被った悪意に対して、恐怖を覚え凍りついているわけでもない。
ただ、同じような生き物達にずっと虐げられていた心が、またかと過敏に反応しているだけ。
「……ああ、もちろん私達は作品を大切に扱いますよ? 人間様は二等種とは違います。例え二等種であっても、命を奪うような野蛮な真似はしませんからね。……とは言え、勝手に死んでしまうのはどうにもできませんが……その時は焼却処分にしますので、問題はありません」
「………………!!」
(気持ちが悪い……なんて大人なんだ……!)
シオンはこれまで散々な虐めに、そして家庭内での冷遇に晒されてきた。
けれども、ここまで酷薄な所業はお目にかからなかった。人間というのは人権が保障されない圧倒的弱者にはどこまでも醜くなるんだな、と怒りを覚えつつも、それを宿さない淀んだ視線を目の前の男に向ける。
だが、大半のものはこの悪趣味さにあからさまな嫌悪感を浮かべたのだろう。管理官は「なんですかその顔は」と鼻で笑う。
「当然の扱いでしょう? 二等種には人権はおろか、虫けらにすら許される権利すら何一つ存在しないのですから。そう……息をする事も、君たちの管理下にはありません」
「んぐっ!?」
「ほら、人間様が許可しなければ、君たちは息も出来ない」
「――!! ――――!!!」
(ヒッ!! 息が!?)
(なに、吸えない! 息が出来ない、苦しいっ!! 助けてっ……!!)
話しながら管理官が手をかざした瞬間、呼吸が文字通り止まった。
どんなに息を吸おうとしても、横隔膜が全く動かない。
(うそ……こんなところまで……)
その場に崩れ落ち、喉を押さえてもがきながら、シオンは相変わらず笑みを絶やさない管理官を見上げる。
その瞳に浮かぶのは、圧倒的強者の余裕と傲慢さ。
「人間様の命令に逆らえば懲罰、懲罰を重ねれば処分。人間様に反抗すれば、すぐさまこうやって壁飾りとして『処分』されます」
(……ああ、本当に二等種は……人権なんて無いんだ)
息苦しさで耳の奥がわんわんと鳴り、目の前がぼやけてくる。
それでも、管理官の言葉だけは何故か脳に響いてくる。
聞きたく無い、お前の声だけは、聞きたく無いのに――
「生きているだけで役立たず、いえ害悪そのもののあなた方を、人間様は慈悲によって生かしてあげているのです。ですから、これからしっかり『指導』を受けて、無害な二等種になりましょうね」
(苦しい……命、も……自分の……ものじゃ、ない……)
視界が、黒く、濁って。
ああ、耳鳴りがうるさい。それよりももっと、粘り着くような管理官の声がうるさい……
「……君たち二等種は、何の役にも立たない、人間様に害を為すだけのモノ。毎日生かして貰えることにしっかり感謝しなさい」
(ただの……モノ…………)
モノだと言われた直後、全てが暗転した。
◇◇◇
痛くて、苦しい。
それが――今の私の、そしてこれからの私の全てだというのか。
無理やり送り込まれる空気に、気を抜けば嘔吐きが止まらなくなる喉。
苦しさと怒りで涙は止まらず、その度に弾ける電撃のせいで、ずっと全身はビリビリ痺れ痛いままだ。
耳に突っ込まれた棒のせいか、それとも流し込まれた液体のせいか、外の音は何一つ聞こえない。
(なんで……なんで、こんな目に……!)
繰り返される問いかけが、音になることはない。
ただ、目の前で突然もがき苦しみ倒れ伏す先ほどまで同じ部屋にいた子供達と、笑みを浮かべながら「やっと全部くたばったわ」「ほんと二等種はしぶといんだから……」と泡を吹く二等種をせせら笑いながら足蹴にする大人達を涙で滲んだ視界で眺めることしか、今の自分には許されていないから。
「ふぅ、今回はちょうど良い処分個体が出て良かったねぇ。やっぱり初日にこれをやらないと、二等種の心が折れないから」
「初日の処分個体出現確率って3割位なんですよね、意外と少ないというか」
「私が管理官になった10年前は5割だったのにね。首輪も魔法も薬剤も年々進化しているのを実感するよ」
その場で気を失った個体から順に呼吸停止魔法を解除しつつ、管理官は「いや、しかしなかなか良い出来だ」と首輪を光らせながら涙を流す35番を見つめる。
「意識もはっきりしているだろう? より長持ちさせるために、精神を保護する薬も入れてある。どんなストレスでも、自我が崩壊することは無いからね。二等種でありながら最大限の生命保護を受けられるだなんて、むしろ感謝して貰いたいくらいだよねぇ」
恐らく魔法で流し込んでいるのだろう、脳に直接響く管理官の言葉に、無理な体勢による身の置き所の無い苦痛と挿入物の異物感でぐったりしてた35番は、カッと目を見開く。
袋に詰められ部屋から連れ出された35番は、別室でなすすべも無く服を剥ぎ取られた。
そしてすかさず、胸をそらし手首で足首を握る形できっちりと拘束され、鼻から上だけにビニールのカバーをかけられた上でコールタールのようなドロドロした液体の中に漬け込まれたのだ。
この真っ黒で光沢のある被膜は完全に皮膚と一体化し、外界からの保護や発汗など皮膚と同様の機能を備えている。更に乾けば完全に伸縮性を失うから、拘束を外されたところでこの不自然な体勢を変えることはおろか、補助なしには呼吸すら難しくなるのだ。
首輪の作用により最低限の血中酸素濃度を維持された状態で、朦朧としているうちにあちこちに管を通され、まるでスライムの中に沈み込むように壁にめり込まされ……現在に至るのである。
(誰が感謝なんて! くそっ出せっ! たったあれだけのことで、ここまでするなんて許さないっ!)
今にも噛みつかんばかりの剣幕で声にならない唸り声を上げる35番に「これだから二等種は」と管理官は嘆息しながら諭すように「壁飾り」に話しかける。
「たったあれだけ、なんて思っているんだろうね。君は蚊に刺されそうになったら叩き潰すだろう? それと同じだよ。まして、二等種は魔法すら使えない、人間の皮を被ったただの害虫なのだよ? 何もおかしい事なんて無い、人間様と同じ権利を持つと思う君の方がおかしいんだ」
(酷い……そんなの、魔法が使えないだけでこんな扱いをするだなんて、ふざけるな……っ!!)
「んー、まだまだ反抗的だねぇ。幼体はこれ以上加工できないのが実に残念だ」
「また威勢がいい個体ですね、これ何日持つか賭けます?」
「俺3日、意外とこういう気の強い個体って持たないんだよな」
嘔吐きながら、そして電撃を流されながらも必死で睨み付ける35番をスタッフ達は余裕たっぷりの笑みで嘲り、あろうことか賭けの対象としてすっかり弄んでいる。
そして、目の前で倒れた二等種達を手分けして個室に転送し終えた後、今日最高の笑顔で管理官は「そうそう、言い忘れていましたね」と35番に大切な話を告げた。
……獲物にとどめを刺す興奮に塗れた、ぞっとするほど獰猛な瞳で射貫きながら。
「君は一生、壁飾りのままですから」
「!?」
「人間様に刃向かったのですよ、処分されて当然でしょう? 最大限命を保護された状態で、苦痛のなかでもがき後悔する姿を見せつけるのが、壁飾りの役目です」
(え、なに、を……? 役目、って……?)
想定外の言葉に、心臓の鼓動がうるさい。
目の前の男が、景色が、ぐにゃりと歪む。
頭の中に響いてくる言葉が脳を上滑りして、意味が、分からない――
「ああ心配せずとも『手入れ』はします。そう、あまりの苦痛に自ら脳を萎縮させ心臓を止めてしまうまで……つまり勝手に死ぬまで、大切に飾り続けてあげますからね」
「シュッ!? ンゴッ……!!」
「ま、精々それまで未熟な二等種達のお手本となって下さい。人間様に少しでも逆らえば、すぐにこうなるという、ね」
(そんな、一生、このまま……?)
ようやく彼女の頭は、救いのない現実を把握する。
いくら二等種だとかいっても、流石に命を奪うような真似はしないと思っていた。
さっきこの管理官自身もそう言っていたし、つまり何日かこの状態で耐えれば、また元に戻れると思っていたのに。
(苦痛で、心臓を止めるまで、飾られたまま……そんな、それってもう殺すって言っているようなもんじゃない!!)
確かに手は下されていない。
管理官の言うことが真実であるなら、栄養も補給され排泄も処理されるから、彼ら自身が直接生命を毀損することは無い、むしろ保護していると言い張るのも一理あるかも知れない。
(でも、これは……生殺し……自ら、死ねって……)
事ここに及んで、35番は己の認識の甘さに、そしてしでかした事の重大さに気付く。
だが、過ちを反省するには……もう、遅すぎた事にも。
例え幼体であれ、反逆はほんの一言たりとも許されない――
(待って)
「では、行きましょうか」
(お願い、置いていかないで)
「はーい管理官、折角授業も早めに終わったし地上にランチしに行きません?」
「ああいいねぇ。ご一緒させて貰おうかな。つまり財布は私だね?」
「分かってるぅ! ごちそうさまです、管理官様!」
(良い子にします、もう逆らいません、絶対あんなこと言いません! だから……)
談笑する声が、足音が、段々と遠くなっていく。
(お願いします、許して……!!)
「シューッ……ッグ…………カハッ!! シュッ、オェッ……!」
35番の悲痛な慟哭と落涙、恐怖による震えは、ただ首輪の懲罰電撃を作動させるだけ。
――その助けを求める声は誰にも届かず、これから2ヶ月にわたり日々生き物としての機能を失い朽ち果てていく姿を、まだ未熟な二等種達に見せつけるのみである。
◇◇◇
「…………見た、よね」
「うん…………至もだよね」
目が覚めれば、至恩は既に自室に放り込まれていた。
「魘されていたよ」と心配そうにする詩音の顔色も真っ青で、ああ、彼女も同じ「指導」を受け、同じ「社会見学」をしてきたのだと至恩は悟る。
「二等種は、害虫だって言ってた」
「うん……」
「『人間様』に逆らえば処分されるって……あの子さ」
「うん、きっと……助からないよね……」
勝手に壊れる分にはどうしようも無いと平然と言ってのけた、管理官の言葉が頭でぐるぐると回る。
あれは、責任逃れの卑怯な言い方だ。壊れるように仕組んでおきながら、いざ壊れれば自分達は何もしていないと、むしろ保護していたと主張できるようにしてあるだけ。
確かに人間は二等種の命を握ってはるが、自ら手を下して命までは取らないのだろう。
けれど、逆らった先に待つものは……一思いに終わらせてくれた方がマシに思える未来なのは、間違いなくて。
「……ちょっと、今までと一緒と言うには無理があるよねぇ……」
嘆息する詩音に、まあ流石にね、と至恩も沈鬱な面持ちだ。
いくら二人が酷い虐めに遭っていたとは言え、ここまで命が軽視される環境では無かった。
人として絶対に越えては行けないラインは厳然としてあって、けれどここでの扱いは彼らに人権どころか何の権利も無いが故に、そのラインなど易々と越えてきてしまう。
「本当に、私達……人間じゃ無くなったんだね……」
「……うん」
詩音の言葉が、重くのしかかる。
昨日の朝までは普通の子供として過ごしていたのに、今の自分はただの二等種、人間様に生かされる、ただのモノ。
それをたった数時間の間に突きつけられたのだ。
泣けるものなら一緒に泣きたいのに、泣けば首輪から懲罰電撃が流れると聞いたから、それすらも許されない。
……むしろ一人では無かったから、何とか泣かずにすんでいるのかもしれない。
囚われの身をちょっと堪能しようだなんて、あまりにも甘く、浅はかな考えだった。
現実はどこまでも残酷で、運命はいつだって自分達の味方をしてくれない。
「どうして……私達、ただ生きてきただけなのに……」
「っ、詩音……」
(ああ、詩音が泣いてしまう)
しゃくり上げる詩音に慌てて至恩は「で、でもさっ」と希望を語る。
こんな絶望に打ちひしがれた状況でも小さな希望を見つけられる、そんな脳天気と揶揄される性質を持っていたことに感謝しつつ。
「人間は、僕たちの命を直接奪いはしないんじゃないかな」
「……それ、信用できると思う? 嘘をついている可能性だって」
「まぁ疑いだしたら切りが無いけどさ。でも、僕はあれは本当だと思う。……そう『奪わない』じゃなくて『奪えない』なのかもなって」
たったあれだけの子供の反抗すら処分対象にしてしまうほど、人間は二等種を嫌悪し、完全に家畜にも劣るモノとして扱っている。
そして、処分とはすなわち命を絶つこと。
であれば、見せしめにするにしたって最後は手を下せば良いのに、わざわざあんな回りくどい方法を採って直接手を下さないのはおかしい――
多少無理な理屈かも知れない。それでもただ詩音を……大切なトモダチを安心させたいがために、至恩はひたすら小さな希望を語り続けた。
(……うん、ありがとう、至)
詩音も、至恩の気遣いに当然気付いている。
こじつけであろうが何とかして詩音を元気づけようと……自分だって真っ青を通り越して真っ白で泣きそうな顔をしているのに必死に言葉を探す至恩に、詩音は(ああ、二人で良かった)と心底感謝の念を抱きつつ「そうだよね」と彼の語る希望に縋ることにした。
――実は至恩のこじつけ理論はいい線を突いているのだが、その事を彼らが知るのはずっと後の話である。
「うん、きっとそう。それなら……ちょっと扱いが酷くなっただけだよ」
「そうだね……そう、だね? ええと、詩音、それはいくら何でもいきなり楽天的な方向に振りすぎじゃないかなって」
「え-、そうかなぁ」
今回は自分達だけが酷い目に遭うのではないのだと、今度は詩音が笑顔を浮かべる。
ここに来た二等種として全てを奪われた子供達、全員が同じ境遇に堕とされたのだと思えば、不思議と安心感すら沸いてくる、だなんて言ったら引かれるだろうか。
いきなりポジティブ全開になった詩音に「詩、切り替え早すぎない……?」と戸惑う至恩に対して「だってね、気づいちゃったんだもん」と今度は詩音が切り出すのだ。
「ここには、私達を虐める子供はきっと居ない。二等種同士のコミュニケーションは禁止でしょ? つまり、虐めようがないもの」
「っ、そうだ! …………そっか、もう僕たちは……」
詩音の言葉に、至恩はハッと気付かされる。
そう、少なくともこの世界には、大人の理不尽な扱いはともかく、子供からの虐めは存在しない。存在しようが無い。
(詩音はもう、トイレに閉じ込められ、ずぶ濡れにされて泣かなくたっていいんだ)
(至恩はもう、一人泣きながら心ない落書きを消さなくてもいいんだよ)
3年間続いた地獄の日々は無理矢理終わらされ、たどり着いた先も地獄だった。
だが同じ地獄でも、一人孤独に泣かされることがないなら、その方がいくらかマシだ。
何より大人の言うことさえ聞いていれば、もう大切なトモダチがあんな目に遭わなくてすむ……!
「もう、誰からも虐められないんだ……ぐっ……」
「あはは、もうっ至泣いちゃったら電撃食らっちゃうよ、いぎっ……!」
「詩だってぇ……ううっ……ひぐっ……!」
二人は抱き合い、電撃が流れるのも気にせずに嬉し涙を零し続ける。
絶望の中で拾った小さな希望は、誰から見てもただの石ころにしか見えなかったけれど、二人にとっては大切な宝物であった。
やがて唐突に天井から「オリエンテーションを始めます、椅子に座りなさい」と無機質な音声が流れる。
そう言えば授業の初めに、オリエンテーションが終わるまでは絶飲食だと言っていた。
あれは確か、ご飯もお水も取れないって意味だ。以前、祖父の手術の時に聞いた覚えがある。
「……人間の言うことを聞く。そうすればきっと、ここでは今までよりマシに生きられる、まずはご飯だけど!」
「うん、早くご飯食べたい! ……だからちゃんと聞かないと。後はこれ、ね?」
監視はされていると踏んだ詩音がワンピースの名札をつまむと「だね」と意図が伝わったのだろう、至恩も短く返事をして頷いた。
何せ、たった数時間でこの有様だ。きっとこれからも、人間には決して使えないような魔法をたくさん使われるのだろう。
今日の魔法だって何一つ全くもって抵抗できなかったし、魔法抵抗力はあらゆる手段で下げられていると見た方がいい。だから、どうしたって影響は受けるはずだ。
それでも、何も無いよりはあった方が良いに違いない。
(名前は、僕たちの最後の守り)
(せっかく取り戻せたんだ、二度と奪わせはしない)
((もし奪われたって……こっちは二人なんだ、何度でも取り戻すから!))
そうして二人は涙を拭い「流石に椅子は二つ欲しいよね」「だよね、詩ちょっとお尻が大きい……いだいってごめんってば!!」と仲良く椅子を半分こして、モニタに映し出される内容を必死で覚えるのだった。