沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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3話 歪んだ平穏

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 二等種としてここに放り込まれた日から、一体どれくらいの年月が経ったのだろう。
 少なくとも言えるのは、もはやここに連れてこられるまでの日々が思い出せないくらいには、そして互いの身体が大人のように育つ位には、確実に時が過ぎていることだけ。

「……だってのに、どうして寝相の悪さは変わらないのかな、詩」

 今日も今日とて、至恩は床の上で目を覚まし脇腹をさすりつつ、ベッドがあるであろう漆黒に向かってぼやく。
 そんな至恩の気も知らず、詩音はすやすやと寝息を立てていた。

 ギィ……

 金属の軋む音が聞こえたから、多分彼女が寝返りを打ったのだろう。
 二等種と宣告された当初と比べてお互い……というより自分の身体が随分と大きくなってしまったお陰で、簡素なベッドは想定外の重量に悲鳴を上げていて、最近では詩音が乗るだけでも今にも壊れそうな音を立てている。
 その上、どっちが壁際で寝ても、ベッドの下に蹴落とされるのはほぼ毎回至恩の方だ。
 もうこうなったら、自分が最初から床で寝たほうが平和な気がする。ベッドも、そして自分の背中や脇腹も。

 ――人間様に恵んで頂いたベッドを壊してしまうだなんて、どんな懲罰を与えられるやら、想像するだけで恐ろしく……けれどちょっと気にはなる。

「んー……まだ起きるには早いよね、多分」

 真っ暗な中、至は二度寝を決め込もうとごろんと床に横になった。
 時間の感覚は無いが、詩音の見事な蹴りで起こされたのだ。少なくとも、起床の喧しいベルが鳴る時間にはほど遠いだろう。

 ここに来た当初、数え切れないほど起床チャレンジに失敗して懲罰電撃を食らいすぎたせいか、今ではどんなに疲れていようが夜更かしをしようが、きっちり起床時間前に目が覚めるようになっていた。
 人間として生活していた頃は、あんなに目覚ましをかけても起きられなかったのに、習慣とは苦痛で無理矢理身体に刻み込めるものだったらしい。あまり知りたくなかった事実だ。

(……ほら、起きた)

 横になり、すぅっと意識が落ちるような感覚を覚えたと思えば、すぐに意識が浮上する。
 そこに微睡みなどと言う概念は存在しない。入眠と覚醒はほぼ地続きで、その間はまるで電源ボタンを切られているかのごとく、すっぽりと自分から抜け落ちているのだ。

(毎日寝た瞬間に起きてるから、正直寝た気もしないんだよね……)

 地上での生活だって碌なものではなかったけれど、あのうつらうつらした意識の中で柔らかい布団の感触を楽しむ時間は今思えば至福の時だったな、と至恩は霞みつつある思い出に浸る。
 懐かしんだところで、きっと自分達には生涯許されない。この貧相なベッドとペラペラのブランケットを見るに、二等種には過ぎた贅沢なのだ。

(それに……ずっと、夢も見てない。詩は寝言も言わなくなったし)

 ここに来た当初は、詩音がしょっちゅう夢の中で美味しそうなご飯を食べていた(そして寝言で飯テロを食らっていた)のに、1ヶ月と経たないうちにすっかり静かになってしまった。
 恐らく、二等種には睡眠すら楽しませてはならないと人間様は考えている。

(……これも、人間様に奪われたんだろうか)

 暗闇と静寂のコンボはいけない。つい、余計なことを考えて気分が落ち込んでしまう。
 これだから出来れば起床時間ギリギリまで寝ていたんだけどな……と至恩が小さなため息をついたその時、隣から衣擦れとベッドの軋む音が響いた。

「……おはよ、至。その……ごめんね?」
「おはよう、詩。今日の蹴りは結構痛かったよ……あのさ、僕もう今晩から床で寝ようかなって思うんだけど」
「う……ごめん……」
「いいって。どっちにしても、このままじゃベッドが壊れちゃいそうだしね」

 毎度の事ながら悪いとは思っているのだろう、ベッドの上からおずおずと詩音がすまなそうな声で謝ってくる。
 もう慣れっこだから気にしなくて良いというのに、このトモダチはいつまで経っても自分より至恩のことが心配らしい。
 まぁ、それは至恩だって同じだから、もう二人の生まれ持った性分なのだろう。

「でも、床で寝るなんて……冷たいし、身体が痛くなっちゃいそう。風邪引いちゃわない?」
「いや、それが……いつの間にか床で寝ても何ともなくなっていたんだよね。ベッドで寝るのと何にも変わらない」
「え……それ……」

 真っ暗な中、二人並んで床に正座しつつ知らされる事実に、さっと詩音の顔色が変わった、気がした。
 また身体、変えられちゃってるんだ……と呟く詩音に「そうだね」と至恩は小さく頷く。
 ……せめて、この優しいトモダチの悲しみが大きくなりませんようにと願いながら。


 ◇◇◇


 身体が人間からかけ離れたものに変わっている、否、変えられている――そんな恐ろしい事実に気付いたのは、いったいいつだったか。
 あの壁飾りになったメスの目が濁って正気を失い、けれどまだピクピク動いていた頃だったから、多分ここに来て2ヶ月は経っていなかった筈だ。

 相変わらず自分達の生活圏には、日付や時間の分かるものが全く存在しない。人間様のタブレットをこっそり覗き見しても、時間は表示されていないほどの徹底っぷりだ。
 それでも日々の生活は規則正しく管理されているから、恐らく人間様は二等種には把握できない何らかの方法で時間を確認しているのだろう。

 日々全く代わり映えのない単調な生活故に、日にちの感覚は早々に失われる。
 更にただでさえ大雑把な二人だ。ここに来てからの日数など数えてもいないから、この感覚も当てにはならない。

 ――ともかく、かなり早い段階で彼らは己の身に起きた異変に気付いていた。

 最初は爪だった。
 毎週欠かさず爪を切っていたはずなのに、気がつけばここに来てから一度も爪を切っていない。
 なのに爪は綺麗に切りそろえられた形状をずっと保ったままだ。
 このときは「不思議だね」「でもいちいち爪を切れって叱られなくていいね」とあっさりしたものだった。

 次に気付いたのは髪の毛。
 これまた月に一度は美容院に行っていたはずなのに、全く伸びる気配が無い。
 二人は毛量が多いタイプらしく、1ヶ月もすれば髪の毛がもさもさに増えて大変鬱陶しかったのに、これまたここに来た当初のこざっぱりした状態から変化が無いのだ。
 自他共に認める楽観的な二人は、これも「頭が鬱陶しくなくていいや」と割と好意的に捉えていた。

 だが、最大の変化を詩音から聞かされたとき、人間様の所業に二人は色を失うのである。

「……あのさ、至。私……ずっと来ないの、あれ」
「あれって…………ええと、その、女の子の日?」
「そう」

 真っ青な顔で「まさか妊娠したのかな」と独白した詩音に「あのさ、この生活のどこに妊娠する要素があると思うの?」と呆れ顔で突っ込んだのは懐かしい想い出だ。
 後日、これについては授業の性教育の中で「二等種が子供を増やしてはいけませんから、成長に影響が出ない方法で既に不妊化――ああ、子供が出来ないようにしてあります」と衝撃的な事実を告げられて、人間様はどうやら自分達の都合の良いように二等種の身体を「加工」していると二人は知ったのである。

 そのショックは大きかった。
 絶対に逃がさないと言わんばかりに拘束され、自分達が劣った存在で間様には絶対服従だと叩き込まれ、指導と称して嬲られるのは、二等種を人間様の思いのままに操りたいという人間様の目的が明確だったから、なんだかんだ言って早々に諦めがついた。
 けれども、知らぬ間に身体を変えられるのは訳が違う。
 彼らが一体何を企んでいるのか全く読めない不気味な感覚に、脳天気が服を着て歩いているような二人ですら、数日間は不安が強くて眠れなかった程だ。

 だが、二人が一番衝撃を受けたのは、不妊化の話を聞いたときに周囲の二等種達が何の反応も示さなかったことである。

 既に度重なる懲罰で心を折られていたにしたって、自分の身体が訳の分からないものに変えられている事実を突きつけられたのに、一体たりとも泣くことはおろか、ため息すらつかない。
 そっと横に座る二等種を見れば、その表情は変わらず能面のままで……あれは管理官の話した内容を理解していない顔ではない、ただその内容がおかしいと疑問を抱くことができないのだと、二人は一瞬にして理解する。
 あの時は、危うく叫びそうになるのを慌てて押しとどめ、何も感じなかった振りをするのに必死だった。

 その日は部屋に戻ってから、人間様が「無害化」と称して知らず知らずのうちに施した残酷な処置に震え、名前という最後の砦のお陰で最悪の事態は逃れられていることに、二人で心から感謝した。
 それ以来、人間様の目を盗んでは周囲の二等種をつぶさに観察し、少なくともこの部屋の外では彼らと同じように振る舞うように努力を重ねている。

 中でも「検査」は、彼らにとって胃が痛くなるイベントだ。
 起床時にこの言葉を見ただけで、その日は無事部屋に戻るまで生きた心地がしないほどである。

 不定期に行われる「検査」は、二人の知るいわゆる身体測定とは全く趣が異なっていた。

 二等種は一人ずつ個室に呼ばれ、同性のスタッフの前で全裸に鳴り、身長や体重からバストサイズ、そして……とても言えない場所も隅々まで細かく計測する。
 いくら同性だけとは言え少々どころで無く恥ずかしい検査だが、少しでも躊躇えばすぐに懲罰の鞭が振り下ろされるため、指示には反射的に従ってしまう。

 検査の中でスタッフ達は数値を見ながら、「ちょっと数値が悪い」「増量しましょ」と不穏な台詞を囁いては、首輪に大きな機械から伸びるチューブや端子を繋いで何かの処置をしていた。
 特段苦痛はなかったが、あれは恐らく魔法か、薬か、その両方……何かしらの方法で検査で引っかかった場所を「修正」しているのだろう。
 二等種には人間様が決めた規格とやらがあって、それに合わせて工業製品のように製造・加工されている、といったところか。

 実際、彼らが教室で目にする二等種達は、皆同じような体型をしていた。
 身長も同じくらい、胸の大きさもいわゆる一般的な大きさよりは随分豊かなのが、服の上からでも見て取れる。
「多分チンコの大きさも揃えられているんじゃないかな、めちゃくちゃ細かく測られるんだよ……その、魔法で無理矢理おっきくさせられて」といつだったか至恩が顔を真っ赤にして独白していたから、自分達が思っている以上に二等種のサイズは厳格に定められているのだと思う。

 外観を規格化し、どんな過酷な状況でも健康を損なわない。
 懲罰で受けた傷も、痣も、一晩寝ればたちどころに治っている。
 感覚は鋭敏になり、明らかに同じ懲罰でも苦痛は増しているのに、身体は何事も無かったかのようにすぐ綺麗になってしまう……もはや人とは呼べないほど変わってしまった身体。

 ……ただ、どれだけ嘆いたところで、人間様の作業は止められない。
 二等種である自分達は、人間様に服従し全てを受け入れるしか無いのだから。

 それに、自分達は他の二等種とは少し違う。
 何も知らされないまま変えられた事を知る度、不安と恐怖に襲われることもだが、心の奥底では……誰かに身体を変えられていくことが楽しいと、ちょっとだけ思っていて。

 だから自分達は、この歪んだ平穏に疑問を抱ける頭を持ったままでも、現実をあっさりと受け入れてしまえたのかも知れない。


 ◇◇◇


「……央もさ、こんな目に遭ってたりしないよね」
「詩……」
「こんな……こんな酷いこと、央もされてたりしないよね……?」

 真っ暗闇の中で、ぽつりと呟く詩音の声は、どこまでも不安に満ちていた。

 新たな「加工」の痕跡を見つけたとき、人間様から指導という名の虐待じみた扱いを受けたとき……ふと思い出すのは、初恋の人の行方だ。
 夏休みが終わった途端に教室から消えた、央。どんなに教師に聞いても家に行っても誰一人として連絡先を教えてくれなかった事が、今になって不信感と不安を蘇らせる。

「だっておかしいじゃない? 12歳になったばかりなのに、親元を離れて大学の寮に入れられて、しかも冬休みにだって帰ってこない、お母さんもお父さんも全く連絡が取れないだなんて!」

 ――そう、大人達は央の話をするのを嫌がっていた。
 自分達だけでは無い。央はクラスでも優秀で人当たりも良かったから友達も多く、彼らがこぞって央の詳細を聞きたがったというのに、担任はいつも同じ説明を繰り返しては「これ以上は分からない」の一点張り。
 チャレンジャーなクラスメイトの一人は首都で寮のある大学を探ししらみつぶしに問い合わせたらしいが「お話しすることは出来ません」と返事が返ってきた所は3分の1も無く、残りは完全に無視されてしまったという。

 なお子供達には、二等種の存在を教えてはいけないと法律で決められている。
 人間様は成人してから、二等種の存在や扱い方について特別なクラスで学ぶのだそうだ。
「まだ未熟な子供達が変な好奇心で二等種になんて近づいたら、危ないですから」と、管理官は相変わらず穏やかな口調で自分達を徹底的にこき下ろす。けれど、人間様がそう言うならきっと自分達は子供になんて近づいてはいけない存在なのだろう。

 ここで教えられた二等種の出現割合から考えても、いきなりクラスから消えた子供達はあちこちにいたはずなのだ。
 それでも何の騒ぎにもならないのは、きっともっともらしい理由を――それこそ転校とか、入院とか――子供達に話しているからに違いない。

「……大丈夫だよ、央なら」

 疑い出せば切りが無いし、状況的にも可能性は高いと内心では思っている。
 それでも、片方が不安を口にすればもう片方が大丈夫だと断言する。
 ……そうやって二人は、いつも決まり切ったシナリオのようにこのやりとりを繰り返すのだ。

 そこに込められるのは……どうか意中の人が苦しんでいませんように、自分達の周囲の二等種のようにその聡明さを大人によって奪われていませんようにという、一縷の望み。

「央はめちゃくちゃ頭も良かったし、手先も器用だし、スポーツだって何でも出来たじゃん。しかもクラスの人気者だったしさ……だから大丈夫」と至恩はそっと詩音の手を握る。
 そこに根拠など何も無い。けれど、いじめられっ子の落ちこぼれだった自分達とは全く別世界の住人だった央が、二等種だとはどうしても考えられないから。

「でも、魔法が使えなければどれだけ優秀だったとしても二等種として捕獲されるって習ったよ? 私、央が魔法を使っているの見たことが無いもの」
「それは僕も無いけど……ほら、魔法って本当は、魔法登録が終わるまで家族以外に絶対に見せちゃいけないから。きっと央は真面目だから、大人の言いつけをちゃんと守っていたんだよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。……ね、央が二等種な訳ないって」
「…………うん、そうだよね」

 ようやく明るさを取り戻した声に至恩はほっと胸をなで下ろした。
 感覚的にはそろそろ起床時間だ。電気が点いて最初に見るのが詩音の悲しい顔では、あまりにも陰鬱な一日になってしまう。

「さ、詩。そろそろ朝だよ。……今日も一日、生きよう」
「うん……ありがとう、至」
「……ありがとうはお互い様だよ」

 聞き慣れた、しかしいつ聞いても耳障りな起床のベルが部屋を満たす。
 そうして今日も、二人の二等種としての一日が始まった。


 ◇◇◇


 いつものように起床のベルを正座して迎えた後、詩音はモニターをチェックし、至恩は先に排泄を済ませる。
 やはり朝はどうしても大きくなってしまうのが気になるらしい。ワンピースの生地は薄手すぎて、しっかり盛り上がっている股間の膨らみどころか形すら透けて見える有様だから、いつからか詩音は電気が点けば至恩をなるべく見ないように行動するようになっていた。

「人間様、54CM123に排泄の許可をお願いします」
「……許可します。10分以内に戻るように」
「ありがとうございます、人間様」

 じゃあ行ってくる、と気持ち前屈みになりながらそそくさとトイレに向かう至恩を見送り、詩音は今日の予定をチェックする。
 最初の頃は二人で確認していたが、どうやらそこは並行世界らしくこんな場所でも二人に起こるイベントは全く違わないのだ。

「……今日は何も無し、か」

 と言っても、基本的に日々の生活はほとんど変わらない。
 時々ある検査以外は、毎日同じ事の繰り返し。
 人間様の学校と違って、ここでは週末や長期休暇という概念も存在しない。ああ、休むことすら権利だったのだと、失った今改めて思い知らされる。

 窓の無い部屋、徹底した日付や時間が分かる情報の排除。
 電気が点けば一日が始まり、消えれば一日が終わる、それだけが二等種に許された時間概念だ。

「じゃ、さっさと日課をやっちゃお……はぁ、いつまでこんなことを言わせるんだろう。もう分かってるってのに」

 詩音はため息をつきつつ、慣れた手つきでモニタをカメラモードに切り替える。
 見飽きた自分の顔が映り、その横には毎日の挨拶が表示されているが、流石にこんなに成長するまで毎日繰り返していれば反射的に諳んじられるようにもなる。


「私は二等種、何の役にも立たない、人間様に害を為すだけのモノです」
「私は人間様の命令に決して逆らいません。人間様、今日も二等種である54CF123を生かせて頂いてありがとうございます」


 しっかりと目の前のモニタに映る自分の感情の無い瞳を見ながら、はっきり大きな声で唱えること。
 合格が出なければ何度でもやり直し。やり直しが規定回数に到達すれば、その日の食餌は水のみになる。
「これ、ずっと失敗してたらどうなるか試してみようよ!」と好奇心に負けて二人で試した結果、薬臭い水の入ったボトルが机の上に転送され「懲罰のため本日の食餌はありません。今日1日分の水分です」と音声が流れたときには全力で後悔したっけ、とあの頃の無謀だった自分達に苦笑しつつ、詩音は「合格、給餌時間まで待機」と表示された画面を閉じた。

 これもまた、至恩がモニタの前に立てば表示が未実施に切り替わるのだから不思議だ。
 ちなみに二人同時に立ったときは、片方にしか反応しなかった。あれだけイベントは同時発生しているのに、どうやら一緒にやるのは並行世界のシステム的にはアウトらしい。

(もしかしたら、イベントも数秒ずれてたりするのかもね)

 今となってはどうやっても確認できない現象の推論を思い描きながら、詩音は部屋に戻ってきた至恩と入れ替わりで排泄の許可を申請するのだった。


 ◇◇◇


「人間様、54CF123に食餌をお恵み下さい」
「人間様、54CM123に食餌をお恵み下さい」
「…………」

 トイレから帰ればすぐに「給餌の時間です。受領姿勢」と部屋に命令が流れて、二人は床に引かれた線に手を乗せ、土下座の姿勢を取る。

 ビーッとアラームが鳴れば、先に詩音が、そして続いて至恩が食餌の挨拶を口にする。
 これもはっきり大きな声で宣言しなければ電撃と食餌抜きの懲罰なのは……そう、試したからよーく知っている。

(本当に僕ら、大概の事は試してきてるよな……良く処分されないものだよ)

 生活に関わる一通りのことは、取り敢えず違反して懲罰を食らう、というのをここに来たばかりの二人は繰り返していた。
 救いの無い環境なのだ、せめてその好奇心を満たすくらいは許されるだろうという子供らしい甘い考えは、どうやら人間様の直の命令には服従を徹底していたお陰か、今のところ見逃されているようである。

 外から「ピッ」と何かの音がした後、ドアの下部にある小窓が開けられ、床を滑らせるように食餌のトレイが部屋の中に差し入れられた。
 これをやっているのは人間様だ。小窓から何度も見覚えのある靴を見たから間違いない。
 だが、彼らは決して言葉を話さない。まるで二等種に声をかけること自体を嫌悪しているかのようだな、といつも二人は思う。

 小窓が閉まれば、お待ちかねの食餌の時間だ。
 流石に椅子を半分こして食べるのは無理があるので、食餌はいつも床で食べることにしている。

「……と言ってもさ、前ほどご飯の時間にときめかなくなっちゃったよねぇ」
「そりゃ、毎食全く同じものしか出ないし、ずっとお腹も空かないし」
「それよ! 空腹さえあればこのディストピア飯も屈辱的で、でも生きるためには食べるしか無い……! とかって出来たのに!!」
「まぁほら、完食しなきゃ懲罰だから無理矢理食べなきゃいけない、ってシチュもなかなかそそるよ?」
「あ、それいただき!」

 軽口を叩きながら、二人はスプーンを手に取る。
 トレイに用意されたのは、主食のような顔をした木綿豆腐に似た食感のドロドロした物体と、レモンイエローのちょっぴり薬臭い謎のスープ、そして一体何の肉だか、そもそも肉かどうかも怪しい柔らかくて茶色いおかずが二つ。
 どの食べ物も味つけは塩だけで、正直なところ食感が少々異なるだけの代物だ。

 ここに来た翌日、管理官が魔法をかけて以来二人は空腹を覚えたことが無い。
「空腹は二等種を凶暴化させる」なんて言っていたから、恐らく何らかの方法で空腹感を感じないようにされているのだろう。

「せめて噛み応えがあると嬉しいのになぁ……何だろうね、この舌で潰せるくらいねっちょりした物体」
「匂いもしないし、味気ないとはまさにこのことだよねぇ……はぁ、こんな物をトレイがピカピカになるまで舐め取らなきゃならないだなんて……」
「……堪らない?」
「もちろん」
「だよね」

 ここに来てから数年、二人は己の好奇心と好みがいわゆる性癖とカテゴライズされる事に薄々気付いていた。
 他の二等種にとっては無心になって腹に詰め込む苦行の時間と化している酷い食餌だというのに、密かに楽しむことが出来るだなんて性癖もなかなか為になる、などと相変わらずのポジティブさを発揮している。

 食器は一滴たりとも残らないように全て舐め取らなければならない、人間様から恵んで頂いた物を残すなど言語道断――そんな非人道的なルールすら、二人にとってはどれだけ繰り返しても己の好奇心と欲望を満たし妄想の糧になる、ちょっとしたお楽しみだ。
 ……きっとそんなことを人間様が知ったら、監視カメラの前で呆れ果てているのだろうな、と思わなくも無い。

「角っこ舐めるのって難しいよね、もっと丸くしてくれれば良いのに」
「だよねえ……このうがい薬もミント味なら許せるのにね」

 全てを舐め尽くせば、最後にトレイの右上に付いていた紙コップに入っている白濁した液体を口に含み、くちゅくちゅとうがいをしてしっかり口の中に行き渡らせた後飲み込む。
 これは口腔と喉の洗浄剤だと習った。ただいわゆる洗浄剤にありがちなスッキリする成分は入っておらず、むしろねっとりと喉に張り付くような感触と少しの苦みがあって、飲んで暫くは必死で唾液を出してスッキリしようと悪戦苦闘する羽目になる。

 いつだったか至恩が「これ、精液みたい」なんて呟いてしまい、二人して……盛り上がってしまったのは、どうか監視カメラで見られていませんようにと祈るばかりだ。

「食器回収の時間です」

 アナウンスが流れれば、食餌を受け取ったときと同様に土下座して「ごちそうさまでした、美味しい食餌をありがとうございます」と感謝を述べる。
 人間様から施される物事はすべからく感謝しなければならない。
 とは言え流石に心の中まで覗かれるわけでは無いようで、反抗的な態度を取らず従順なフリをしていれば問題は無いらしい。

「会話だって全部監視されてるんだよね」
「じゃなきゃ、人間様からあんな哀れみの目で見られることは無いと思うんだよね……明らかに僕に向けられる視線だけちょっと違うもの」
「私も。まぁ人間様から見れば、ただブツブツ独り言を言っているだけだものねぇ」

 まるで悍ましい物であるかのように、侮蔑と、奇異と、哀れみを込めた視線を向けられるのは慣れている。こちとら伊達に何年も虐められてはいないのだ。
 その程度で危害を加えられないなら十分平和だと思いつつ、二人は「授業の時間です、教室Aへ移動しなさい」というアナウンスに従ってそれぞれの世界へと戻っていった。


 ◇◇◇


 教室のクラスメイト(?)は、毎日顔ぶれが異なっている。
 当然ながら教師役を務める管理官も同様で、お陰で何年経っても最初の授業を担当した管理官以外の顔は覚えられない。
 その最初に担当した管理官に出会ったのも、この数年で両手で数えられるほどだ。一体二等種のためにどれだけの人間様が関わっているのか……思った以上にこの制度は大規模なのかも知れない。

 更に、廊下に見える矢印に沿ってしか移動できないため、ここの構造は全く把握できない。
 毎朝部屋を出る度にトイレや教室に続く曲がり角までの距離が変わっているから、夜のうちに部屋がシャッフルされているのでは無いかとシオンは考えている。

(管理番号……自分達が最後だろうから、ここにいる同い年の二等種は245体。処分になった子もいるけど、200体以上はいるはず。それを毎日気付かれないように部屋ごと移動させるだなんて……とんでもない魔力が注ぎ込まれているよね、ここ)

 教室へと移動し、自分の管理番号を見つけて丸の中に体育座りをすれば自動的に動けなくなる辛さにも、もう慣れてしまった。
 身体に痛みや痺れがあろうがお構いなしに引きずり回されるお陰で、どんなに足が痺れていてもいつもと変わらない速度で歩くという変なスキルまで身についてしまっている。

「では授業を始めます。今日は二等種の犯罪の歴史から……」

 しんと静まった教室に、管理官の声だけが響く。
 どこかの教室で処分個体が出る度に「社会見学」をさせられ、移動の度に壁飾りやら置物やらと言う名目で飾られた個体が段々正気を無くしていく姿を目の当たりにさせられたお陰で、授業が始まって2週間と経たないうちに人間様の前で言葉を発する個体はいなくなっていた。

(また歴史かぁ……この授業、何十回目だろう、もう授業が出来そうなレベルなんだけど)

 授業と言っても、やることは大体同じだ。
 魔法の使える人類がいかに優れているか、自分達二等種がそれに比べてどれだけ劣っていて、これまでどんな悪行を人類に働いてきたかを延々と叩き込まれる。

(うん、まあ、碌でもないことをしてきたのはわかる……分かるけどさ、そんな二等種に恋したから人生を狂わされたなんてのは、流石に言いがかりが過ぎない……?)

 二等種とは、例え意図的に悪行を働かずとも人間社会に存在するだけで人を惑わし、破滅させる存在だと、人間様は何度も繰り返す。
 だから完全な無害化処置を施してさえ、外の世界にはそう簡単には出せないのだとも。

「では、指導を始めますか。いつも通り笑顔で感謝を叫ぶこと」
「……っ!!」

(ああ、また……始まる……)

 小さな絶望と、それを上回る諦念が教室に満ちる中、管理官はいつものように笑顔でタブレットに表示された「一斉懲罰」ボタンを押すのだった。

 毎日の授業は、座学と指導で構成されている。
 指導とは、害悪でしかない二等種を無害化させるために人間様が行う処置の一つ。人間様への感謝や謝罪を、その場に拘束魔法で縫い止められ死なない程度の電撃や鞭を浴びながら、誰かの心身に限界が来るまで叫ばされるのが定番だ。

 そして、終了の原因となった個体には別途懲罰が下される。
 全員の前で「申し訳ございません!」と泣き叫びながら懲罰室に転送された子がどうなったのかは、誰も知らない。
 ――だって、それ以来その子を見かけることは一度も無かったから。

 こうして、座学と指導で二等種であることへの罪悪感と人間様への服従心を徹底的に心身両面から刻み込むことを、人間様は二等種への尊い教育であると称している。
 その結果、最初の頃は子供らしく表情豊かだった二等種達も、数ヶ月もすれば能面のような表情で日々を過ごし、人間様の施しを与えられたときのみ――それが例え懲罰であっても――表面上は涙も零せず笑顔で感謝を口にする、そんなロボットのような反応しか出来ないように「作られて」いくのである。

「まだまだ無害化にはほど遠いねぇ、従順さが足りない」
「うぐっ……ご、ご指導、ありがとうございますっ……!」

 いつものように、慣れた痛みに涙すら零せず懲罰への感謝を笑顔で叫びながら(作られているのは、自分だって同じなんだよね)と、シオンは心の中でそっとため息をつくのだった。


 ◇◇◇


 元々自分達はそれほど感情豊かでも、感情が顔に出るタイプでも無い。
 それでも手ひどい懲罰とともに繰り返される洗脳じみた教育と、徹底的に管理される生活は、明らかに自分達の内心を蝕んでいると、確信している。

 いつからだろう、部屋で会話をするときですら「人間様」と呼ぶようになったのは。
 いつからだろう、人間様の姿を見るだけで恐怖と尊敬を感じ、無条件に跪き頭を垂れたい衝動に駆られるようになったのは。

 ……そしていつからだろう、表向きだけ従順にしていた筈なのに、人間様の命令は絶対服従だと無意識に考え勝手に身体が動くようになったのは。

 地下に捕獲監禁されて早数年。今のシオンに……いや二等種達に、人間様に従わないという概念は消え失せていた。
 長年にわたる管理と懲罰は複雑な思考をする能力すら奪い、全ての物事を単純化して、反抗以前に疑問すら抱けない。

(無害になるってのは、人間様にとって従順で扱いやすいロボットになること)

 その事に気付いていても、十分に加工された二等種は特段反抗する事も無く、現実を無表情で受け入れる。
 些細な反抗の兆しすら見つかれば、否、例え反抗の意思がなくても人間様がそう判断すれば、次の「調度品」になるのは自分なのだから。
 だから彼らは無意識に、全てを諦める。少なくとも人間様に従ってさえいれば、酷い目には遭わされない――

 今の彼らにとっては、日常的に懲罰として振るわれる電撃や鞭は「酷い目」ではなくなっている事にも気付けぬまま、二等種達は理想的な形に成長を遂げていく。

(でも、まだこれでもマシなんだよね。周りはもっと……ロボットになってるもの)

 ようやく終わった指導にほっとしつつ、シオンは我ながら良く何年も気付かれずにやっていけてるなと思いを馳せる。
 本当の名前という原始の守りを取り返せた自分は、あらゆる場面で浴びせられる魔法の効果を多少なりとも軽減出来ているためだろう。
 そうでなければ、今頃は他の二等種と同様、人間様に対して崇拝に近い感情を抱き、媚びるような態度をとるようになっていたはずだ。

 もちろん、二等種を作るには魔法のみならず、食餌やシャワーなどに含まれる薬剤もふんだんに用いられる。
 その影響までは軽減できない。

 ただ、逆に薬剤がしっかり効果を発揮しているからこそ、二人が名前を取り戻していることを疑われることは無かったとも言える。
 その上にいじめられっ子として培ってきた、圧制者の意図に無意識に合わせた自分を作る能力を持ってすれば、長年プロトコルに従って二等種を作っている彼らを欺くには十分だったのだろう。
 不定期に行われる検査でも彼らの判定は「正常範囲内」であり、1割ほど発生する正常から逸脱した個体のように、元の人格を完全に叩き潰すような処置を免れてきたから。

(まさか、地上で碌な目に遭ってなかった事が役に立つなんて、ね……)

 持って生まれた資質と、経験と、そして勘の良い検査官に当たらなかった運。
 ――まさに、紙一重で彼らは完全に「二等種」に堕ちきらずにいられたのである。


 ◇◇◇


「詩、このボス倒せないんだけど」
「あーそれはね……」

 授業と日に1時間の運動時間、洗浄と排泄。
 二等種がこの6畳の白い部屋から出ることを許されるのは、たったそれだけだ。

 いくら二等種らしく作り替えていると言っても、まだまだ子供である。退屈になど耐えられる訳がない。
 だからだろうか、部屋に備え付けられているタブレットにはあらかじめゲームや動画、ブラウザアプリが入っていて、自由時間は無制限に遊べる仕組みになっていた。

 とはいえ、これも人間様が利用するものとは根本的に異なるらしい。ブラウザで人間だった頃に良く見ていたサイトを開こうとしても全てページが無いと表示されるし、ゲームも見知ったタイトルは何一つ入っていない。
 そもそも対人戦要素があるものが存在しないのだ。これも他の二等種との交流を防ぐためだろう。
 頭を使うようなパズル系のゲームもないのは……思考力の低下を気づかせないためか。

「もう二等種として生きるのは受け入れたからさ、ずーっとここに閉じ込めてくれていいのに……そしたらずっとゲームしていられる」
「わかる、私も一日中漫画読んでいたいもの。……あの、至、あぐらをかくと裾が上がって」
「へっ、うわぁぁぁごめんっ!!」

 真っ赤になって座り直すも、至恩の視線は画面から離れない。
 それは詩音も同じで、タブレットで漫画を読みながら「この服、もうちょっと裾が長いといいのに」とぼやく。

「授業中とか、運動時間の柔軟体操とか、完全に股間が前から丸見えなのよね……授業中なんて拘束されているから隠すことも出来ないし」
「僕たちは前しか見られないけどさ、人間様は見放題だよね。……二等種の性器なんて見てもキモいだけじゃないのかなぁ」
「だよねぇ……あ、この漫画新刊が出てる」

 二人は隣り合って肩を寄せながらも、ただひたすらタブレットを凝視し続ける。
 唯一の娯楽に溺れる様は、依存と呼び変えても違和感は無い。実際、この部屋にいる間は少しでも時間が出来ればタブレットにかじりつくような日常を送っているのだから。
 きっと他の二等種も似たような状況なのだろう。いつの頃からか食餌や運動、授業のアナウンス時には、必ず個体を呼ぶときの電撃が首輪から流されるようになっていた。

 声による指示では動けない獣を、痛みで動かす――そんな異様な状況に陥っていることに、二人はうっすらとは気付いていた。
 まるで鞭で打たれ手綱を引かれて歩く家畜のようだと。

 ただ、気付いていたからと言って止められるわけでは無い。
 何より数少ない心の拠り所とも言える娯楽なのだ、止めたいとすら思わない。

 こうして二等種達は、飴と鞭を使い分けられながら従順なモノへと調教されていくのである。

 ◇◇◇


「やあ、首尾はどうだい?」
「っ、区長! どうされたのですか、わざわざこんな所まで」
「いや、ただの挨拶だよ。一応トップなんだし、一通り見ておきたいと思ってね」

 年が明けて間も無いある日のこと、幼体管理部のモニタールームに現れた人影に、スタッフ達は慌てて直立し敬礼を返す。
「まあ楽にしてよ」と微笑んでいるのは、若干15歳にしてこの保護区域Cの区長に抜擢された、中性的な顔立ちの子供だった。
 背丈は10歳くらいだろうか、子供特有のぷにぷにした手を上げて挨拶する姿はどこか滑稽だ。

 突然の訪問に「鍵沢区長、こちらへ」と幼体管理部の部長が大量のモニタの前に案内する。
 そこには二等種達の様子がつぶさに撮影されていた。

「これは教育棟の二等種個室の様子です。24時間体制でAIと目視両面で監視を行っています。排泄の許可、給餌や躾などの命令は全てAIがコントロールしています」
「ふぅん、二等種風情にタブレットなんて高級品を与えているんだ」
「ええ、大量の娯楽を与えることで人間への反抗心を削ぐ手法は実に効果的でして。首輪に装填された魔法と薬剤で報酬系の強化と前頭葉の作用を一部抑制してありますから、全ての個体が何らかのコンテンツに依存に陥っていますよ」

 二等種には論理的思考による判断力を持たせてはいけない。判断は情動と感覚による原始的なものだけになるように、幼体管理部では6年間かけて脳機能自体を変質させる。
 勿論完全に思考力が無くなるわけではない。ただ、論理的な思考よりも即物的な快楽を選ぶように作り替えるだけだ。

 ほら見て下さい、と部長が指さしたモニタには、とあるオス型の二等種が映っていた。
 ちょうど食餌時間なのだろう、二等種はスプーンを口に運びながらも、タブレットで熱心に動画に魅入っている。
 と、手元が狂ったのだろう、タブレットの上に零してしまった。

 普通ならばティッシュで拭き取れば終わりだろう。二等種なら服の裾ででも拭うのか、そう思いながら鍵沢はモニターを眺める。
 だが画面に映っている二等種は、何の躊躇いも無くタブレットの表面に舌を這わせ始めたのだ。

「うへぇ……」と眉を顰める鍵沢に「これが飼育の成果です」と部長もまた顔をしかめながら画面を見つめる。
「人間様から与えて頂いた物を汚してはいけない、人間様が与えて下さった餌を残してはいけない。そうやって何年も教え込み、懲罰を与えてきた結果ですよ。例え床に落としたとしても、躊躇なく舐めるでしょう」
「……そりゃなんと言うか、凄いね」
「まぁ幼体ですから流石に食べ物しか口にはしませんが。人権団体の余計な追求を免れるにはこれが精一杯でしょうね」

 丁寧に全てを舐め取り、更にその場に土下座して「人間様、人間様の与えて下さったタブレットを汚してしまい申し訳ございません!! 綺麗にしましたのでお許し下さい……っ!」と震えながら謝罪と赦しを乞うその姿は、心から人間を畏怖している様がありありと見て取れた。

「これはどうするんだい、許すのかい?」
「幼体管理部ではここまで自主的に出来ればOKとしています。流石に成体になれば餌をこぼした段階で懲罰ですよ」

 画面ではどうやらAIのアナウンスにより許されたのだろう「人間様、お許し頂いてありがとうございます」と心底ホッとしたように感謝を口にする二等種の姿が映っている。
「……無様だね」と吐き捨てるように呟く鍵沢に「そういうものですから、二等種は」と部長は事もなげに返すのだった。


 ◇◇◇


 その後も幼体管理部で視察を続けていた鍵沢は、あるモニタに目を留める。
 そこには、他の個体と変わらずタブレットに熱中しつつ……けれど時折独り言を呟いている二等種が映っていた。

「この個体は……」
「ああ、区長それは最初から壊れていた個体です」
「壊れていた?」
「ええ。何でも幼少期から幻覚と妄想に取り憑かれているそうで」

 こんな出来損ないの個体は私も初めてですねと、出来れば見られたくなかったのだろう先を急がせようとする部長に、しかし鍵沢は興味を持ってしまったらしく「どんな妄想なんだい?」と尋ねる。

(区長の目に止まるだなんて、ついてない……何とか穏便に終わらせなければ)

 心の中で舌打ちながら、部長は上っ面の笑顔を貼り付けて若いと言うよりはむしろ幼い外見の上司に経緯を話し始めた。

 二等種の名前や所属と言った個人情報は捕獲時にありとあらゆるデータベースから抹消され、幼体管理部には一切入ってこない。
 だがその生育歴から性格や嗜好に関する情報は詳細に収集され、AIの学習用素材として入力されて、より無害に――つまり効率的に人間に服従させるような個別プログラムを組み、またタブレットに適切なコンテンツを提供するために活用される。

 入荷時に得た情報によると、その個体は幼い頃から「見えないトモダチがいる」という妄想に取り憑かれていた。
 何も無いところに話しかけ、まるで会話をしているように笑い、怒り、泣く姿は、両親や教師、クラスメイトを随分困惑させ、不気味がられていたようだ。
 大きな病院で検査を受けても、魔法省の管轄である先端医療研究所で調べてもその原因は分からず、最終的には精神的な異常と片付けられたこの個体は、ここに来てからも一日も欠かさずその「トモダチ」とやらと一緒に過ごしている。

「……当然加工は」
「ええ、通常個体より精神保護系の魔法を強めてあります。ですが全く効果がないんですよね……」
「魔法抵抗力が強すぎるとか?」
「え? ああ、区長はご存じないのですね。こいつら二等種の魔法抵抗力はゼロですよ」
「へぇ」
「せっかくですから見ていきます?」

 部長はこの国の総力をかけて製作されたという首輪を「どうぞ、一度ロックすると二度と外れませんので注意して下さい」と恭しく鍵沢に渡す。
 銀色に光る首輪は前後のパーツに分かれていて、両端を組み合わせると即座にロックがかかり内蔵された魔法が発動する仕組みのようだ。
 
 暫くじっと眺めていた鍵沢だったが、やがて「……これは凄い」と感嘆のため息を漏らした。

「なるほど、装着してロックがかかった瞬間に、装着者の魔法抵抗力を極限まで下げる、と。こんな強力な魔法があるだなんて、ボクもまだまだ勉強不足だね」
「いえいえ、これは国家機密ですから。その上で二等種に名前の剥奪魔法をかけます」
「名前の剥奪……確かに基礎教育で習ったけど、まさか魔法でやっていたの!? いくら魔法抵抗力が下がっているとは言え、名前を奪うのはかなり高度な術式と膨大な魔力が必要だと思うんだけど」
「もちろんです。ですので捕獲部隊は選りすぐりの魔法使いで構成されていますし、その場でちょっと脅しながら痛い目に合わせれば、幼体はすぐ大人しくなりますから……魔法に『同意』させれば」
「はぁ、なるほど……なかなか強引だ。そりゃ二等種相手じゃなきゃ絶対に出来ないね」
「当然です、人間にやったら重犯罪で下手すりゃ一生塀の中ですよ」

 首輪そのものに込められた術式と、名前の剥奪という二段構え。
 これにより二等種は完全に魔法抵抗力を失い、人間はどんな魔法でも意のままに付与することが可能になる。

 さらに首輪にはダメ押しで自己認識の変容魔法が装填されている。
 名前の剥奪魔法には、誰かが本当の名前を教えて口にすれば名前を取り戻してしまうという明確な弱点が存在するためだ。

 捕獲時点で人間としての全ての情報が不可逆的に抹消されている二等種の本当の名前を知るものは家族や友人に限られるため、保護区域に隔離されている二等種が名前を取り戻すことはまずあり得ない。
 だが万が一、将来的に二等種が地上で「使われる」ようになった時に事故が起こってはならない。

 この魔法は完成までに2-3年を要するのが難点ではあるが、魔法が完成すれば最後、名前を剥奪された状態で本当の名前を万が一二等種が耳にしても、本人には意味を持たないただの文字の羅列としてしか認識できなくなる。
 ……つまり、二等種は永久に二等種のまま、管理番号を生まれたときからの自分の名前だと誤認して生涯を送ることになる。

「……なるほど、そこまで厳重にしているなら、魔法抵抗力が残っているはずが無い、と」
「ええ。その状態で考えられる全ての精神保護・治癒魔法がこの個体には使われています。だというのに全く効果が無い、つまり」
「完全に先天性だね。持って生まれたものは、今の魔法技術では変えられないから」

 そりゃ確かに扱いに困る個体だね、と鍵沢が感想を零せば、すかさず「処分するべきですかね」と説明を終えた部長が鍵沢に判断を投げかける。
 狂っているわけでも無いのに何もいない空間に向かって一日中話しかける姿は、二等種の中でも異端すぎて使い物にならないだろうと部内では意見が一致していたものの、こういう個体の扱いは一つ間違えると、国外からの圧力のきっかけになりかねない。

 そこにやってきたのは、天才魔法使いの呼び声高い若き区長である。国から認定されている魔法能力のランクは上から二番目、藤色の宝玉を嵌め込んだ徽章は、その名声が本物であることを示している。

(ちょうど良い、こういう厄介な案件は有能なお上に決めて貰うのが一番だ)

 と言うわけで、これ幸いとばかりに部長は鍵沢に判断を、ひいては責任を取らせることにしたのである。

「そうだねぇ……」

(ったく、早速これだよ。新任区長のお手並み拝見、責任は全て区長にってか……見た目が幼いと、どうしてもこういうことになるんだよね)

 どうして大人というのは責任のなすりつけ合いが大好きなのかと内心独りごちつつ、鍵沢は少し思案する素振りを見せたかと思うときっぱりと「問題ないでしょ」と言い放った。
 ……その判断は予想していなかったのだろう、部長始めモニタールームの面々が「え」と固まっている。

「えと、その鍵沢区長、問題が無いとは」

 戸惑いがちに尋ねる部長に、そんなことまで説明がいるのかとまた一つため息をつき鍵沢は「あのねぇ」と口を開いた。

「懲罰は一通り経験しているけど、初期だけ。今は違反らしい違反も無く服従心も高い。それなら幼体管理部的には別に問題ないのでは?」
「しっ、しかし今後のこともあります、あまり変な個体を出荷しては」
「それは成体の入荷先、初期管理部の考えることだ。それに……どうせ最終的には喋れなくするんだし、最悪ヒトイヌにでも加工すれば何とでも使い道はある。二等種なんて、穴さえ使えればいいんだし」
「…………それは、そうですが……」
「二等種は大切な国の収入源だ。それに、体制維持の大切なスケープゴートでもある。このくらいなら調教で何とかなるでしょ? 反抗心を徹底的に折るための見せしめならいざ知らず、この程度のことで貴重な素材を安易に処分するのはお勧めしないね」

 他に何か質問は? と尋ねる若き魔法使いに、部長たちはぐうの音も出ない。
 こんなことなら自分達の判断で処分しておけば良かったと後悔するも、後の祭りである。

「そうだ、必要の無い処分が行われていないか監査もしたほうがいいよね」と手にしたタブレットにメモを取り始めた鍵沢に、これは藪蛇だったと心の中で頭を抱えながら「あはは、そ、そうですね……」と部長は引き攣った笑顔を返すのだった。


 ◇◇◇


「……至、もしかしたらさ」
「うん」
「人間様は巨乳とショタが性癖なのかも」
「はい!?」

 それは、いつものように自由時間にタブレットを弄っていたときのことだった。
 どうやらここのコンテンツは年齢や嗜好に合わせて内容が追加されていくらしい。二等種とは言えお年頃なのだ、えっちなコンテンツにだって興味はある。
 ドキドキしながら性癖なるものを調べていてたどり着いた用語に、詩音は目を輝かせて「間違いないって!」とはしゃぐのだ。

「だって、二等種ってメスはともかくオスはそんなに大きくならないしさ、それに大事なところに毛だって生えてこないじゃん」
「確かに毛は生えてこないけどさ、それだけでショタはどうかと思うよ? 第一、僕は結構背が伸びてるし」
「だよねぇ、170センチぴったりだっけ」

 お陰で検査の時は毎回ヒヤヒヤだよ、と至恩は肩をすくめる。

 どうやら至恩が盗み聞いた話によれば、二等種のオスは170センチ以下と規定されているらしい。
 早々と上限に達してしまった上やたら筋肉が発達していた至恩は、検査の度に「これ、ちゃんと魔法効いてるのかな」「薬増やした方がいいんじゃ」とひそひそ話すスタッフに(どうか名前を取り戻している事がバレれませんように!!)と表面では笑顔を作りながら必死に祈る羽目になっていたのだ。

 ちなみにメスも一応身長制限はあるらしいが、詩音は「何をやっても胸が育たない」と散々言われるくらいで身長に言及されたことはない。
 ……それはそれで非常に悲しい。人間だった頃の記憶を辿れば、決して小さな胸ではないはずだが、何せここのメス個体達はどれもこれも形の良い豊かな胸を揺らしているから、まるで自分が劣った個体に見えてしまう。

 ちなみに至恩に関しては、今のところは「恐らく長身個体だ、放っておけば190オーバーになるようなやつ」「ああ、5年に1体くらいはいますもんね」で片付いているようだし、170センチに到達してからは1ミリも伸びないから、恐らく薬なり魔法なりを増量されたのだろう。

 他のオスはメスと変わらない背丈で、人間の成人男性に比べれば随分線が細い。
 それこそ髪型を変えたらメスですと言われても気付かないかも知れない。
 ……ただそれにしては、服の上から覗える股間のブツは明らかに立派すぎる気がする。人間様の好みというのはどうにも理解しがたい。

「巨乳はやショタ好きかはともかく、二等種の外見は間違いなく誰かの性癖だよね」
「そう思う。どうせここで死ぬまで飼育するなら、せめて見た目だけでも楽しませろってことなのかなぁ」

 二等種だって、性癖は持っててもいいよね、と至恩がにんまりする。
 少なくともこんなコンテンツが表示されるのだ、人間様は二等種が性的好奇心を満たすことには寛容だと受け取って問題ないだろう。

「まぁ、僕らは持つなって今更言われても困るんだけどさ」
「まさかこれも性癖だったなんてね……マゾだとは思っていたけど」
「うん、ボクもただのドMだと思ってた」

 ニヤニヤしながら眺めるページに書かれているのは、DIDという聞き慣れない言葉だった。

 DID、Damsel In Distress。囚われの姫君という意味を持つこの言葉は、その名の通り悪役に拘束・監禁されている女性に興奮する性癖である。
 一応男性版もあるようだが、こちらはあまり言葉としては有名でないようだ。

「いいよねぇ、自分じゃどうしようも無い状況に囚われて、拘束されて、絶望するって」
「僕ら、まさにそう言う環境にいるんだけどね……」

 抑圧により作り出された性癖は、妄想が現実になったような二等種としての生活を経て更に強化される。
 いつしか二人のタブレットには、様々なフェチズムやSMに関する漫画や小説が大量に紹介されるようになっていた。

 特に、絶対に逃げられない環境で全ての権利を奪われ、家畜のような扱いを受ける作品は実にそそる。
 最近ではちょっとえっちなシーンのあるコンテンツも配信されるようになって、至恩が前屈みになって「と、トイレ行ってくる……」と気恥ずかしそうにブザーを鳴らすこともあった。目立つ物がついているというのは色々と大変そうだ。

 ともかく二人にとっては、思いがけず現実までもが性癖に合致していて、とは言え正直なところ最近では物足りなさすら感じているという、人間様が知れば頭を抱えそうな状況に陥っていて。

「これもさ、まぁ良い感じにディストピア飯で楽しいけど、流石に慣れちゃったし」
「餌皿とかいいよね。もっとこう、明らかに人間様と違うって突きつけられるようなご飯が出てこないかなぁ」

 排泄管理とか、水ホースで洗われるだけとか、床で寝ろとか、何ならもっと檻っぽい部屋もいい……
 タブレットから得られる情報は二人にとっては実に有益で、しかも二人の性癖を熟知しているかのようなコンテンツのラインナップのお陰で、見事に残念な知識だけが増えていく。
 同じ年頃の少年少女達が持つ好奇心とともに同居する罪悪感も、二人には存在しない。
 だって、人間様が与えてくれる、つまり公式(?)に許されているものだし、何より身近に仲間がいるから。
 
 そうこうしていれば、パッと電気が消える。
 同時にタブレットの電源も切れ、部屋の中は漆黒の闇に包まれた。

「……あ、切れちゃった」
「もうそんな時間なんだ……はぁ、仕方ないから寝よっか」

 どうせなら私も床で寝てみようかな? といそいそとブランケットを持ってベッドから降りる詩音に「詩、さっきの妄想に引きずられすぎだよ」と笑いながらも二人は床にごろんと転がる。

「……朝起きても、痛くないんだよね」
「うん。ベッドで寝るのと変わらないし、それならずっと広々と寝られるよ」
「意外とさ、床で寝られるようにするために加工してたりしてね」
「あ、それは……うう、想像しちゃったらおっきくなっちゃう……」
「あーごめん。ほら、今は見えないから大丈夫だよ」
「そう言う問題じゃ無いんだけどなぁ……」

 床は固くて、ほんのり冷たくて、けれどお腹が冷えて痛くなることは無さそうだ。
 二人はそれから飽きもせず――加工された頭は、一度スイッチが入ったら止められないのだ――互いの妄想を眠気に襲われるまで語り続けるのだった。

 幸せそうに妄想を語る二人は知らない。
 その妄想のほとんどはやがて現実となり、二人を否応なく巻き込んでいくのだと……

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence