沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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6話 不適格の烙印

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 数年前まではあれほど暇を持て余していたというのに、大学を卒業し二等種管理庁に就職してからは、あっという間に時が流れていく。
 保護区域と地上の自宅を行き来するだけの生活では季節感など無くなっても仕方が無いなと独りごちつつ、央はまだがらんとしたミーティングルームでタブレットに映った資料をぼんやりと眺めていた。

「対象個体222体中、昨日の段階での出荷済みが213体、処分個体2体……誘導率95.9%とは、とんでもない好成績だねぇ……」

 ディスプレイに表示されたデータは、驚異的な数値であった。
 通常、1年間の誘導フェーズにおいて性処理用品の素体として出荷に至るのは8割前後。85%を超えれば全国でも優秀な部類に入るし、査定でボーナスが増額されるのも間違いない。
 まして95%超えなど、十年に一度、いや二十年に一度もない快挙である。

「……こりゃ、今日のミーティングはお祭り騒ぎで終わりだろうね。毎回これだけの成績が出せれば……なんてのは贅沢か。今回は特殊すぎたからね……『あれ』のせいで」

 しかし、それほどの好成績を前にしてぽつりと呟く央の表情は、どこか冴えない。
 この結果をもたらしたのが、よりによって前代未聞の被虐嗜好を持った二等種であったことを思えば、少々複雑な気分になるのは否めないだろう。

 その上、当の変態個体はと言えば。

(まあ順当に、だよねぇ……はぁ……)

 対象者リストの最後に書かれた管理番号を見つめ、央はそっと唇を噛みしめる。
 あの奇怪な行動を取り始めた段階で何となく結末は見えていたとは言え、いざ現実になってしまうとやはり……いや、これ以上この場に似つかわしくない顔で思い悩んでいては、余計な詮索を受けそうだ。

「鍵沢区長、資料はご覧になりましたか? 区長のご期待通り、いやそれ以上の成果を出しましたよ!」
「本当だねぇ。いや、正直ここまでとは思わなかったよ。これは、今夜ボクの財布がすっからかんになるね!」
「はっはっはっ、もうみんなガチで飲み食いする気ですからね! 覚悟して下さいよ!!」

 央を見つけてそそくさとやってきた上機嫌の管理部長には、心にもない笑顔を浮かべ世辞を述べておく。
 幸いにも先ほどまでの葛藤は見抜かれなかったようだ。きっと彼の頭の中は、ミーティング後の打ち上げのことでいっぱいなのだろう。
 彼だけではない、部屋全体に満ちるどうにも浮ついた空気に苛立ちを感じながらも、央は笑顔の仮面を被ったままタブレットの隅にちらりと目をやる。

(……もう、16時。ここから出荷作業が入る可能性は……ほぼ、ゼロだ)

 ざわめきが止まらないまま、時間通りにミーティングは始まった。
 管理部長がもったいぶって読み上げた成果に、わっと歓声が上がる。もはやこれでは、打ち合わせの内容など誰の頭にも残っていなさそうだ。
 一応明日からは、入荷後半年が経過した55系の誘導作業も始まるのだが、大体成績の良かった次の年は大きく成績を落とすのが常だ。確かに好成績に浮き足立ったこの状態では、無理もない話だろう。

「なら、明日の『後始末』はいつもの半分で出来ますね」
「やった! 後始末はなぁ、出来るならやりたくない」
「やりたくないのは皆同じだって、ほら、くじ作るよ! 対象者は集合!」

 後始末に駆り出されるであろう若いスタッフも心底ほっとした様子で、早速誰が担当するか決めようとくじ引きを作っている。
 どうにか明日のタスクを回避できますようにと祈る姿は、決してふざけているわけではない。

 ――何せ彼らが明日後始末をするのは、一年間にもわたる過酷な誘導ですら靡かない、人間からすれば完全な無害化に失敗した厄介な個体、この世界でも指折りの危険物なのだ。
 いくらここまできて表立った反抗をする個体はいないとは言え、出来ることなら近づきたくないと本能的に恐れ嫌悪するのは、人間として正しい反応だろう。


 ◇◇◇


 性処理用品は自ずから志願してこそ、高品質な製品となる。

 もちろん人間はあの手この手で志願せざるを得ない状況に追い込む訳だけれど、そうであっても一度「志願」という決断をしてしまった二等種は、その選択の責任を人間様になすりつけるような事はしない、というより出来ない。
 例え調教の過程で――ほとんどの素体は調教棟に出荷された当日には直面するのだが――現実を突きつけられても、一度下した己の選択が間違えていたと認めることは困難を伴うらしく、何かしら自分に言い訳をしながら人間様の意に沿う性処理用品となるのが関の山である。

 一方で、一年にわたる誘導にも反応しない個体は、不良品……正式には誘導困難個体と判定され、新たな加工を施した上で性処理用品以外の用途で再利用することが法律上定められている。
 性処理用品の完全志願制への移行と誘導プログラムの確立、そして不良品の再利用制度が発足してから既に40年近くが経つが、今でも誘導に失敗した個体は処分すべきと強固に主張する一派は存在する。
 そんなモノが地下に囚われたままとは言え生きていること自体が害悪だという彼らの主張は、再利用品の存在を決して一般に公開しない政府の方針を見るに、あながち的外れでもないだろう。
 
 だが、実際に不良品の再利用が調教管理部の負担を劇的に軽減し、性処理用品の品質も上がったという実績がある以上、国が首を縦に振る日は恐らく来ない。

 だから明日……あの変態個体も、このまま22時まで志願をしなければ無害化に失敗した不良品として規定通り再利用のために出荷されるのである。


 ◇◇◇


「……ま、これじゃ不良品と呼ばれても仕方が無いよねぇ……」

 職員達がミーティングそっちのけで浮かれているのを良いことに、央は一人そっとタブレットを操作する。
 画面に映っているのは、何も無い……と言うには少々淫らなグッズが部屋を占拠しすぎている保管庫の真ん中で、餌皿をぶんぶんと振りまわすシオンの姿だ。
 相変わらず幻覚のトモダチとやらと自慰我慢大会なる狂気の沙汰を繰り返し、負けた方が勝った方の尻を叩く――「素手じゃ刺激が足りないから」と餌皿をパドル代わりにするなど、二等種でもなければ思いつかないだろう――理解不能なご褒美に白目を剥き涎を流している。
 
『むうぅ……いいなぁ、はぁっ……私も叩かれたい、って痛っ!! ちょ、涙こぼしちゃダメだよぉ! 懲罰電撃が流れたらこっちまで餌皿経由で痛いんだからね! ……もう、今度ビリビリしたらおしまいにするよ……』

 ……どうやらシオンの中では、幻覚のトモダチも同じ二等種という設定らしい。懲罰電撃も食らえば餌皿から感電もする、これが幻覚であるならば随分凝った世界観だ。

(……ま、もう幻覚だろうが事実だろうがどうでもいいんだけど、さ)

 頬を染め、尽きぬ発情に腰をくねらせ熱い吐息を漏らし、汗だか何だか分からない液体を振りまきながらちょっと不満そうに……とても楽しそうに笑う、かつての同級生だったモノ。
 明日の朝には、眼鏡が曇りそうなほど淫らな熱で満たされた保管庫から取り出され、二等種とは言え国に莫大な利益を生んでくれる貴重な素体ではなく、落ちこぼれの烙印を施され、壊れるまで地下で飼い殺されることが決まっているというのに、シオンは何も知らず幸せそうに己の性癖を幻覚と共に満たしていて……その事実が余計に央を苛立たせる。

(愚かだね、ボクたち人間の手を振り払うだなんて……キミはもっと賢いと思っていたよ……)

「ではミーティングはこれで終わりにします。今日は終業後、夜勤以外は地上で打ち上げ。夜勤勢も地上から自由にデリバリーして下さい。費用は全て区長持ちです!」
「ありがとう区長!!」
「全員分の飲み代をポケットマネーから出すだなんて、漢っすね区長!」
「あははっ、ボクふたなりだけどね!!」

 沈鬱な思考は、陽気な喧噪で吹き飛ばされる。
 央はスタッフ達に混じり地上への転送室へと向かいつつ、ふとスマホに指を伸ばした。

(――もう、ボクに出来ることは何も無い)

 だからせめて、職権を濫用して最後の引導くらいは渡してあげよう。そして……

 これは、ただの我が儘。
 そう、ボクが区切りをつけるための身勝手な行いだけど、このくらいは許してほしいものだと心の中で呟きながら。

 スピーカーから聞こえてきた声に、央は努めて明るく話しかける。
 けれどその表情は、何かをぐっと堪えているようだった。

「保護区管理局の鍵沢です。明日の入荷作業さ、ひとつボクがやってもいい? ……ああうん、話は聞いてるよね。ほら、こうなっちゃったのはボクの責任でもあるから……あ、大丈夫。ボク甲種の取扱資格持ってるから…………わかった、9時に部長室ね。じゃあ、また明日」


 ◇◇◇


「はぁっはぁっ……もっと……はぁんっ、もっとぉ……!」
「んふぅ……逝きたい……もうちょっとなのにぃ……っ!」

 今日もまた、代わり映えのしない一日が始まる。
 相変わらず入眠と覚醒の意識は地続きだが、自慰我慢大会の時間以外は延々と壊れた玩具のように良いところを弄り続け痛みすら感じるほど腫れ上がった各所も、ある一点を超えればすっかり元通りになっているから、皮肉にも朝を迎えた感覚だけは今までより鮮明かも知れない。
 夜の内にびっしょり濡らした床を舐めている間も、至恩の手はガチガチにそそり立った欲望と、控えめな女性くらいはありそうな乳首をずっとまさぐり続けている。

「あっ……んっ、いた、るっ……精液お漏らししてるぅ……はぁっ」
「うぇっ、また勝手に出されてる……!! ちょっだめだって詩、それは僕が、はぁっ、舐めるからぁ……」
「……やだ…………うへぇまじゅい……まじゅいのに……ああぁ、こんなものを舐めさせられるって、いいよねぇ……」
「んもう……詩の変態」
「…………はふぅ……それ、褒めてる?」
「……うん、言った僕が間違ってたよ」

 詩音はどうやら情けなく白濁をつぅつぅと垂らす人の股間を眺めながら、床に滴ったものを舐め取っているようだ。
 表情が見えなくたって、彼女も自分と一緒だから分かる。今の彼女はきっととんでもなく淫らな妄想に脳と顔を蕩けさせているに違いない。
 ……詩音に変態だと声をかけた自分だって、快楽を味わうことも許されないこの処置を以前ほどではないにしても楽しんでいるのだから、人のことは言えた義理じゃないが。

 ――射精と絶頂の権利を人間様によって奪われてから、一体どのくらい経ったのだろうか。
 朝の区別はついても、この白い箱の中では正確な日付など把握しようがない。
 まして、一日中発情に焼かれた頭ではなおさらだ。

 性欲とは別に、男性の場合は自動的に溜まるものを何とかする必要があるわけで。
 当初は「このまま出せなかったら、たまたま破裂しないの?」「いや、流石に寝てる間に出るでしょ」なんて真剣に話していた思い出がふと頭の中を過る。
 あの時は「それ、至は寝てる間に気持ちよくなれるってこと? いいなぁ……」と詩音が実に羨ましそうに人の股間を眺めていたのが印象的だった。

 それがまさか、不定期に何の前触れもなく……何となく下腹部の重さを感じるレベルになれば、自然とおしっこを漏らすかのように快楽の元を垂れ流すよう加工されるだなんて。
 しかもこの何の気持ちよさもない「処置」は、必ず至恩が覚醒している時に、快楽を奪われる瞬間を見せつけるように行われる。人間様も随分残酷なことを思いつくものだ。

 本来このミルキングと呼ばれる処置は、二等種の健康管理がてら「お前は射精する権利すら奪われたモノだ」と何度も突きつけ心を折り、性処理用品として志願するよう誘導する目的で行われる処置だ。
 だが残念ながらここにいるのは、二等種らしからぬ希代の変態である。そんなもの、への突っ張りどころかご褒美にしかならない。

 お陰で、初めてなすすべもなく白濁をダラダラと溢すペニスを見たときの至恩は、絶望に混じる被虐の甘美さに「こんなの知らない、たまらない!」と一気にボルテージが上がり、詩音に至っては「なにそれ、我慢したものを全部無にされちゃうって……サイコーじゃん! あああいいなぁ羨ましい……!!」とまたまた鼻血を出しては、すっ飛んできたスタッフに救護される羽目になったのだ。

 いや、あの時は本当に酷かった。
 詩音は「妄想で鼻血を出すとか頭おかしいでしょ」「余計な魔力を使わせやがってこの変態が」と散々詰られながら処置を受け、終わったと思ったら憂さ晴らしだと言わんばかりに全身を鞭打たれ、結果的に処置前より怪我が増えていたというのにすっかりご満悦で、心配した自分が損した気分になったものだ。

 そんなこんなで、二人が随分この生活を楽しんでいるのは疑いようもない。

 ――けれどもどんな過酷な状態だって、ずっと続けば心身が適応してしまう。
 初めての時はあんなに衝撃的で色鮮やかだった経験だって、何度も繰り返すうちにただのくすんだ日常へと埋没するのだ。

「これ、いつまで続くんだろうねぇ……」

 ようやく床を綺麗に舐め終えた詩音が、早速部屋の片隅で極太ディルドを物色しながらぽつりと呟く。
 そこには明らかに「そろそろ飽きてきた」と言わんばかりの不満の色が滲んでいた。
 至恩も「いい加減、目新しい事をして欲しいよね」と頷きつつ、次の玩具を選び始める。

 射精と絶頂を禁じられた日以来、広告やコンテンツは様々に変化し、誘導の圧は明らかに強くなっていった。
 ただ、基本は何も変わらない。
 どれだけ全力で快楽を貪ろうが、今までのように達することが出来ず、そんな状態で画面の向こうでは性処理用品が思うがままに絶頂の快楽を堪能している姿を見せつけられるだけだ。

「ちょっとワンパターンすぎるよね……人間様、もしかしてネタ切れ?」
「気持ちいいのを我慢させられるのがここまで性癖に刺さるとは思わなかったし、それなりに楽しんではいるけどさ……ぶっちゃけ、少なくとも性処理用品に申し込むまでは絶対に逝けないのが分かってるから」
「うん、逆に慣れちゃって辛さが減っちゃったよねぇ……むしろたまーに逝かせてくれた方が頭もリセットされて、また辛くなれるし良さそうなのにさぁ……」

 人間様がこの会話も監視している事を分かった上で、二人は誘導のせいで新たに開花した己の性癖を平然と暴露し、下心満載の感想を口々に言い合う。
 もちろん、自分の世界の人間様にはトモダチの言葉が聞こえないから、わざわざトモダチの話した内容を纏めながら、だ。

 だが、残念ながらこの要望は、人間様の採用には至らないらしい。
 折角の実体験から人間様に有益な提案をしている(筈だ)というのに、実に残念である。

「もうこうなったらさ、とっとと見切りをつけて性処理用品にしてくれたらいいのにね」
「ほんとほんと、強制的にやっちゃってくれていいんですよ、人間様」
「自分から志願するのは解釈違いだから、無理矢理やられるのを希望してるんだけどなぁ……」

 二人は固く閉ざされた扉を見やる。
 いつの日からか毎日の運動の時間は無くなった。身体の洗浄もだから、恐らくは寝ている間に魔法で終わらされるようになったのだろう。
 最後にあの小さな扉を這ってくぐったのがいつだったのか、二人にはもう思い出せない。

 ――だからきっと、次にあの扉のロックが解除される日が、次のフェーズの始まりだ。

 そう確信している二人は、しかし彼らの変態的信念により自ら次のフェーズに進むボタンに指を伸ばすことはなく、今日も今日とて淫らな狂乱と苦悶にその身を投じながら来るべき日を待ち続けるのだった。


 ◇◇◇


 成体として加工された時と同じく、待ち望んだ瞬間は何の前触れも無く目の前にやってくる。

「んうっ……はぁっ……あああ、そこぐりぐり、いいっ!……あぁっ……」

 粘ついた音と、二人の切羽詰まった甘い声が唱和する小さな保管庫。
 朝の餌を終えればひとしきり己を慰め、いい加減どうにもならなくなったところから我慢大会を始めるのが、彼らの日課だ。

 だが、そんな平穏(?)な日々は、一瞬にして破られた。

「「っ!!」」

 バチン! と首に弾けるような痛みが走る。
 これは人間様による呼び出しだ。まだ夜の餌の時間には早すぎるのにと、二人は腰を止めることもなく、しかしすっかり染みついた習性のお陰で耳だけはこの後天井からやってくるであろう言葉へと向けられた。

『扉を解錠しました。すぐに教室Aへと移動しなさい』
「…………へ……?」

 部屋に響いたのは、いつもどおり無機質な音声による一方的な指示だ。
 しかしその言葉は……あれほど何度も聞いた指示の筈なのに、あまりに長い間彼らの生活から失われていたお陰で、快楽に呆けた頭では意味を理解するのにしばしの時間を有する。

「…………い、どう?」
「って、言ったよね…………えっと……」

 しかし理解が出来なくとも、人間様への絶対服従の染みついた身体は反射的に命令を遂行する。
 ぐちゅり、と音を立ててドロドロの孔から抜け出したお気に入りのディルドを名残惜しそうに見つめながらも、彼らの辞書に命令無視という言葉は存在しない。
「はぁ……っ」と悩ましい声を上げ、ぬるつく股間を摺り合わせながら、二人はそろそろと手を……前足を扉へと向かわせる。

「行かなきゃ……はぁ、もっと触りたい……」
「ううっ、ゴシゴシしたいよぉ……詩、これさ」
「……あは、とうとう……性処理用品にされちゃうのかな……」

 ほんの1年半前、といっても彼らにとっては随分遠い昔に感じるあの日。
 二人は教室と呼ばれる部屋からスーツケースに詰め込まれてここにやってきた。
 成体二等種としての加工を施され、生き物が当たり前に持つ機能すら剥奪されたあの日のことは、思いがけない再会と失恋のお陰で生涯忘れられない絶望の一つとしてこの身に刻まれている。

 あの時は、訳も分からずただ運命に翻弄されるだけだった。
 ……実際にはその運命に翻弄される事を堪能した段階で他の二等種とは明らかにかけ離れてしまった訳だが、コミュニケーションを徹底的に制限された彼らにその事実を知る機会は無い。

 だが、今日は違う。
 目の前に突きつけられた、何の救いもない道を歩かなければならない事に変わりは無くても……少なくともその行き先が人間様の穴、ただの性奴隷であることは明白なのだから。

 それに、と至恩はそっと隣を見る。
 虚ろな瞳で口の端から涎を垂らしている大切なトモダチは、こんな状況になってさえ離ればなれになることはなかった……その事実が至恩の心をいくらか軽くする。

「……また、逢えるよね」
「んふっ……逢えるよ……だって、今までだってずっと……私の部屋は至の部屋だったんだもん。きっと次も、おんなじだよ」
「うん……うん、そうだよね。…………出来たら二人で寝られる大きさがあるといいなぁ、これ以上狭くなったらちょっと大変そう」
「その時は至が敷き布団になればいいと思うの。ほら、至の方が大きいし」
「ちょ、何でナチュラルに僕が敷かれる設定なの!?」

 でもこのおっきなおちんちんじゃ、寝転がるのに邪魔になりそうだね、と詩音が至恩の股間を覗き見ながら朗らかに笑う。
 快楽を求めて飢えきったその笑顔は、見る者が見ればその妖艶さにゴクリと唾の一つでも飲み込みたくなるのだろうが、物心つく前からずっと一緒だった至恩にとっては大切なトモダチが嬉しそうにしている姿に過ぎない。

「……行こうか」
「うん」

 扉を見つめれば胃がキュッとなって、手に汗が滲む。
 不安は尽きない。それは、いつだって一緒だ。
 地上に居た頃から、二人だけの部屋を出るときは毎度足がすくんで、自分だけの世界に帰るためにちょっとした勇気を必要としたのだから。

 けれど詩音の言うとおり、不安に苛まれる一方で自分達は根拠のない確信を抱いている。
 ……それは、何があったってまた二人同じ部屋で逢えるのだという、人間様への従属よりももっと奥深くに刻み込まれた唯一の希望。

(いくら名前を取り戻していたって……そんなの関係ないくらい加工されるかもしれないし)
(人間様の性処理用品になったら、今よりもっと酷い生活になるだろうけど)

((でも、きっと、大丈夫))

 そうして、彼らはいつも通り、ぐっと拳を握りしめ……合言葉と共に一人の世界へとよろめきながら足を踏み出すのである。

「さあ、今日も生きよう」


 ◇◇◇


(……にしても、きっと別の場所に運ばれるんだよね……つまり、またバラバラにされちゃうと……)

 いくら脳天気が服を着て歩いていると揶揄される性格であっても、こればかりは笑って受け流せない。
 二等種にしてはがっちりした身体をちょっとだけ恨めしく思いながら、至恩はぺたぺたと廊下を這う。
 ここに来てからは保管庫と運動場以外で二足歩行を禁止されていたせいで、今では無意識のうちに床に這いつくばり、獣のように……いや獣以下の存在らしく、発情に浮かされぽたぽたと下の口から涎を垂らしながら目的の場所へと向かうようになってしまったことに、今の至恩はもう疑問も抱けない。

 きっと詩は平和にスーツケースに詰め込まれ運ばれるはず。こんな目に合うのが自分だけで良かったと一生懸命己を慰めても、あの四肢を見えないのこぎりでゴリゴリと切断される痛みと恐怖は拭いきれるものではない。

(ううう……嫌だなぁ……バラバラにされるのはもう我慢するから、せめて痛くないようにして……)

 そうこうしているうちに、手足は勝手に教室Aへと至恩を運んでいった。
 だが、そこで至恩はいつもと違う様子に気付く。

(……あれ? えと……人間様少なくない? それに僕一人……!?)

 目の前には、人間様が5人。前回は10人近く居たはずなのに。
 部屋の隅には忌まわしいスーツケースが転がされていて、それを目にした途端呆けていた頭に冷や水を浴びた気分になる。
 ただ……何故か、この場に居る二等種は自分だけだ。

(送られる、んだよね? でも、他の子は……? はっ! もしかして、もうみんな志願して残ってないとか……!?)

 戸惑いつつも首輪の電撃に応じ「54CM123、よろしくお願いします……っ!」と至恩はそのままベルトを構えて己を待つスタッフの方へと向かう。

「これで最後ですっけ」
「はい。ああ、慎重にね。まぁこれは……大丈夫そうな気もするけど、二等種には変わりないし」
「っ、はい」

 スタッフ達はいつもより緊張した面持ちで、しかし手際よく至恩の身体を折りたたみ、南京錠付きのベルトでギリギリと締め上げていく。
 そんなに一生懸命畳んだって、あのスーツケースに入らないことは確実なのにな……と心の中でひとりごちつつその瞬間を待っていた至恩だったが、きっちりコンパクトに纏められ転がされた目の前にどん!  と置かれた物体に、思わず「……ほぇ?」と目を丸くした。

 だって、それはどう見ても

(えええ……なんかこれ地上で見たことがある……でかすぎるけど……!)

 ついさっき地上で買ってきました! と言わんばかりの、ポリプロピレン製の超大型収納ボックスだったから。

「うわ、でっか!! こんなサイズも売っているんですね」
「わざわざ隣県のホームセンターまで買い付けに行ったそうよ、管理部長が」
「ええぇ……こんな変態のために気の毒に……てか、こんな物でも二等種って転送できるんだ」
「あ、別にスーツケースである必要は無いのよ。あの緩衝材で充填された空間に埋め込めば良いだけだから」

 半透明のボックスには、ご丁寧にも値札やホームセンターの購入済みテープが貼られたままだ。
「軽くて丈夫! 水や埃もきっちりガード!!」と書かれた商品ラベルの通り、蓋にはパッキンがついていて……きっと今目の前でとぷとぷと充填されている緩衝材だって漏らさない仕組みだろう。

(にしても、スーツケースに比べると……僕の扱い、二等種の中でも雑すぎない?)

 全く、どうしてこんなに大きく育ってしまったのだろうかと至恩はそっと心の中で嘆き、しかしお陰で今回は手足とさよならしなくて済んだことを心から(そう、本当に心から!)人間様に感謝した。
 男二人がかりで至恩を持ち上げたスタッフが「なにこれ重すぎない!?」「二等種なのに筋肉詰まりすぎだろ」と文句を言われたり、当てつけのように電撃を流されるくらいは穏やかな心で許せてしまう。

「うわきったね、チンコさわっちまった」
「あーあー我慢汁でびっちょびちょじゃん……すげぇこのケツの穴、もう性処理用品と変わらねぇ」
「良くここまで育てたわねぇ、さすが変態」

 どうして二言目には変態扱いされるんだろうかとげんなりしていれば、突然重力を感じなくなり、息苦しさと共に目の前が青くぼやける。
 どうやら身体が収納ボックスの中に放り込まれたようだ。すかさず上から緩衝材の生ぬるいドロドロした液体が皮膚を覆っていくのを感じる。

(うわぁ……荷物として人間様を眺めるって、新鮮な気分)

 酸欠でぼんやりとしながらも、至恩は視界の向こうに滲む人間様の影を捉える。
 足元しか見えないのがまた……ああ、人権も何も無い酷い扱いをされている感があって、実に美味しい。
 これは役得だ、大きく育ちすぎるのも悪くはなかったとにんまりしていればすぅっと意識が遠のいてきた。

(ああ、次に意識が戻ったときは……)

 一体どんな、性癖に刺さる扱いを受けるのだろう――
 一年間発情で煮詰められた頭は、もはや人間様の前でも淫らな思考を止めることが出来ない。

「……あ、アイマスクと耳栓着けるの忘れちゃった」
「もう良いでしょ、どうせ意識落ちてるわよ。後は向こうに任せて……って、ちょっと今チンコ動かなかった!?」
「えええ……うわホントだ、何でこの状態でピクピクさせてんのこいつ!?」
「…………二等種のくせに変態とか、もう救いようがないよな……しかも……だしさ……!」

(あ……興奮してるの、見られてる……詩に見られても気にならないけど、人間様に見られて馬鹿にされるのはちょっとなぁ……でも、これが央だったら…………)

(うん、央なら……きっと僕は……あはぁ……)

 意識が暗闇に落ちる寸前。
 緩衝材を通して聞こえた人間様の吐き捨てるような罵声は、至恩の妄想力によりただのご褒美となってしまった。


 ◇◇◇


(ああ、そうだった……至はきっと今頃泣いてるんだろうな)

 一方その頃。
 順当にスーツケースに詰められて意識を落とした次の瞬間、これまたいつものように電撃と「さっさと列に並べ」という不機嫌な人間様の声で、詩音は覚醒する。
 慌てて辺りを見回せば、どこか既視感のあるブースの前に数体の二等種が四つん這いのまま待機していた。
 周囲に立っているスタッフが身につけている制服の襟やケープの色はロイヤルブルー。これは、間違いなく別の場所に――恐らくは性処理用品を作る場所に移動したのだ。

(…………至は何にもしてないのにな……何でちょっと大きいってだけで、痛い目に遭わなきゃいけないんだろう)

 ぽてぽてと列の最後尾に並びながらふと過るのは、成体となった日の至恩の涙。
 スーツケースに入らないという理由で手足を魔法でバッサリ切断されたのだと、実に痛そうな顔で既に接着した痕すら残らない肩を撫でていた姿は、まるでこちらまで四肢をもぎ取られたかのような心の痛みを詩音にもたらしたのだった。

(次に逢ったら……いっぱい慰めてあげよう……)

 トモダチが嬉しいと、自分も嬉しくなるのは同じで。
 けれどそれは、かつて憧れていた同級生に……いや、あんな目に遭ってすら未だに気持ちは変わらないのだけど……向けた恋心とは全く別の感情だ。
 多分この世界にある言葉で、自分達の関係や想いを言い表すことは難しい。少なくとも彼らの頭の中には入っていない。

 だから二人は、互いを「トモダチ」と呼ぶのだ。
 地上では互い以外に存在せず、そして二人にとってはそれ以外の概念を持たない言葉だから。

(どうか、今回は至の痛い時間が少しでも減ってますように)

 詩音は心の中で、信じてもない神にそっと祈る。
 ……まさか当の至恩が収納ボックスに詰め込まれて、妄想が膨らみお楽しみ中だなんて思いもせずに。

 と、目の前に並んでいたオスが「ギャッ!!」と濁った叫び声を上げてその場に崩れ落ちた。
 何事かと思えば、その前に並んでいるメスが血走った瞳で悶絶するオスを睨んでいる。
 ……ああ、あの顔は知っている。絶頂禁止が長く続いて、それでもまだ期待が捨てきれなかった頃の、どうしようもない焦燥感と苦痛に頭を焼かれて狂いかけている姿だ。

「ほら、さっさと姿勢を戻せ!! まったく、こんな所で好き放題盛るとかどれだけ理性が無いんだ、二等種ってのは」
「お前も前を向け! 二等種同士のコミュニケーションは処分対象だぞ!!」

 いつも通り侮蔑的な、しかし珍しく嘲りを含まない言葉が、容赦なく二体に浴びせられる。
 更に、渋々といった様子で前を向くメス個体が気に食わなかったのか、「そんな発情まんこを晒してるくせに、舐められたくらいで睨むなんて身の程を弁えてないのか?」と、監視をしているスタッフが憎々しげな表情を隠しもせず、何度も鞭を振り下ろし始めた。
 その度に「……ご指導、ありがとうございます」と繰り返すメス個体の表情は読めないが、何故か人間様の懲罰はエスカレートする一方だ。

「このっ、貴様らなど、二等種のくせにっ!!」
「ぐっ! ぐぁっ!! うあぁっ……!!」

(気のせい……じゃない、よね)

 顔を顰めながら様子を窺っていた詩音は、しかし妙な違和感に首をかしげる。
 必死の形相で暴虐を繰り返す人間様からは、二等種への侮蔑と嫌悪以上に、恐怖の感情が強く滲み出ている気がするのだ。

(何で……人間様が二等種を怖がるの……?)

 訳の分からない行動に詩音は戸惑う。
 騒ぎを聞きつけた管理官の取りなしでようやく暴虐の時間は終わったが、その場に満ちるなんとも言えない張り詰めた沈黙は、いつもとはやはり何かが違うようでどうにも居心地が悪い。

 そうこうしているうちにメス個体が呼ばれたのだろう、ふらふらした足取りでブースへと向かう。
 その後ろ姿を見送っていて、詩音はふと気づく。

 前回は、あのブースの向こうからとんでもない悲鳴や懇願がこちらまで響き渡っていた。
 けれど今回は何も聞こえない。
 前回ほど酷い処置はないのか、それとも……声すら出せないようにされているのか。

(……性処理用品にされるなら、きっと『無駄吠えするな』って口枷でも噛まされるんだろうな……あ、でも口枷って……ちょっと、気になるかも……)

 さっきまで場の雰囲気に飲まれて身体を硬くしていた詩音はどこへやら。
 それから首輪からいつもの呼び出し用電撃が流れるまでの間、彼女は周囲のスタッフが「これが問題の変態個体か」「申し送り通りだな気味が悪い」と囁くのも気に留めず、発情に蕩けた顔を臆面も無く晒して、ギチギチに全身拘束されてなすすべもなく調教される妄想に浸り続けるのだった。


 ◇◇◇


 カツカツ、ぺたぺた、じゃらじゃら……

 静かな廊下に響くのは、人間様の靴の音と、お世辞にも綺麗とは言えない床を掌と膝で踏みしめて、首輪から繋がった鎖を牽かれる詩音の出す音だけ。
 時折胎から響く切なさに「はぁっ」と悩ましい吐息を漏らしても、これまでいた場所のスタッフと違って鞭は飛んでこない。場所によってスタッフの気質もかなり違うのだろうと結論づけた詩音は、無心で人間様についていく。

(またこのパターンだなんて……)

 前回同様最後にブースに呼ばれた詩音は、これまた前回と同じく「あ、これの処置は区長がやってくれるって」と別室送りを宣告される。
 ただあの時と異なるのは、人間様は世間話の一つすら口にせず……そして自分は地面を獣のように這いずり回っていること。
 何の抵抗もなく、本来人が土足で歩く空間に掌をつけてしまえる事実に、確かにあの頃より自分は一段生き物として劣った存在に堕ちたのだと突きつけられるようで、チクリと胸が痛い。

 ……いや、堕ちた存在になった事への興奮も確かにあるけれど、それにしたって痛みを感じないわけではないのだ。
 何より、これから連れて行かれる先を思うと、嫌が応にも心臓はバクバクと鼓動を早める。

(……何でだろう、もう二度と会う事なんてないと思っていたのに)

 名前のない部屋の前で立ち止まったスタッフが「区長、ご指定の二等種をお持ちしました」と声をかければ「いいよ、入って」と中からあの時と変わらない幼さを感じる声が聞こえた。

「ご苦労様、後はやっておくから」
「はい、失礼します。区長、一応監視カメラはありますが……くれぐれもお気を付けて」
「うん、ありがとう」

(…………ああ)

 自分を静かに見下ろす瞳に、感情の色は見当たらない。どこまでも冷たく澄んだ灰色の瞳は、そこに映るかつての知り合いはただの二等種でしかないと物語っている。
 分かっていたのに、また会えるという事実に楽天的な心はすっかり期待を抱いていたのだと気付いて……詩音の胸はさっきよりずっと苦しい。

(馬鹿だな、私……もう、央は大人なんだ……私の知る央じゃない、彼は……)

 詩音は無言で、すっとその場に跪く。
 むやみやたらと人間様の目を見てはいけない、そう躾けられたから、視線は床だ。
 そうすれば、二等種らしく人間様に媚びを売るような甘ったるい声が、自然と言葉を紡ぐ。

「人間様、54CF123です。よろしくお願いします」
「…………ふうん、少しは学んだようだね、123番」

 まぁ出来損ないにしては及第点じゃない? と、かつて想いを寄せた人に鼻で笑われ家畜を品評するような口調で断じられても、もう涙は浮かばない。

(央は、二度と私に微笑みかけてなんてくれない……だって彼は、二等種にとっては遠い遠い世界の……人間様なのだから)

 あの希望と絶望をない交ぜにした日から1年半。
 ――彼と私は完全に分かたれた存在なのだと、詩音はようやく淡い期待を全て捨て去ったのである。


 ◇◇◇


 一時間ほど前、調教管理部長室では何となく気怠い雰囲気の男性と、どう見てもその場には似つかわしくない容貌の央が向かい合って座っていた。
 勤務時常時着用が義務づけられているロイヤルブルーのケープは執務用の椅子に引っかけられ、それどころか上着すら脱ぎ捨てて「いやぁ、堅苦しいのはどうにも苦手っすわ」と背もたれに全力で沈んでいる。これほど威厳のない管理部長は全国を見回してもそうそういないだろう。

「いや、うちとしてはありがたいっすよ。ただでさえ不良品の処置は危険が大きいのに、よりによってこんなイレギュラーな個体の処置を区長が引き受けて下さるだなんてね。……同級生だったと伺ってますが」
「うん、初等教育校で6年ずっと同じクラスだった。……正直さ、早く処分しておけば良かったと後悔してるよ。そうすれば初期管理部も、キミ達調教管理部にも手を煩わさせずに済んだなって」

 やっぱり元知り合いだと変に感情移入しちゃうのかもねと、申し訳なさそうに頭を下げる央に「俺らは気にしないっすよ」と管理部長は意外とあっさりしたものだ。

「ここじゃ、あいつら出来損ないと俺達スタッフが直接接する機会はほぼ無いっすからね」
「そうなのかい? しかし放置というわけにもいかないだろう?」
「直接接するのは、精々入荷時の処置と、月一の定期メンテナンスくらいっす。素体でもないのに四六時中人間が監視なんて無駄なこともしませんから、初期管理部のようにあれのせいで心労に悩まされるスタッフは出ませんよ。……だからまあ、区長もそう気を病まずに」
「そっか……そう言ってくれると助かるね」

 それで、何が目的です? と管理部長は静かに央に問いかける。
 あまりやる気の無さそうな顔をしているが、矯正局の管理部門の中では最も実力主義が根付いている調教管理部で部長にまでのし上がった男だ。だるそうな外見とは裏腹にその眼光は鋭く、すんなりとはいかないかと央は手にした湯飲みを置き「多分申し送りにも入っていたと思うけど」と性処理用品の誘導過程で見かけた123番の不可解な現象について説明する。

 一通り話を聞いた管理部長は、茶菓子を口に運びつつ納得した様子で頷いた。

「なるほど、並行世界の存在証明……その研究材料に使う、と……」
「うん、まあおとぎ話の域を出ない概念ではあるんだけどさ。研究者の勘? というかむしろ好奇心だね、これは」
「ふむ……俺は根っからの職人ですし、研究方面はさっぱりですからよく分からないっすけど……つまりあれの様子を直接観察する権限があればいいんですね」
「そうだね。当面は画面越しに観察を続けて……何か面白い兆候があれば実験も考えているよ。取扱資格は持っているから法的には問題ない。あれの奇行は捕獲前からだし、何なら遠い昔に見えないトモダチを紹介されたこともあるんでね。初期管理部の連中みたいにストレスを感じる事はないと断言できるさ」
「……ま、いいんじゃないっすかね。うちのスタッフにあれを見せなくて済むなら、調教管理部は特に反対しませんよ」
「そうかい、そりゃ良かった」

 じゃあ、といくつかの書類を交わし、ぬるくなった茶を一気に飲み干した央は「じゃあ、そろそろ処置に行ってくるよ」と部長室を後にする。
 扉を閉めた途端、緊張が解けたのだろう央の顔にはあからさまな安堵が浮かんでいた。

「はあぁ良かった……うまくいった……これで、見ることくらいはできる……」

(我ながらなんて言い訳なんだか……はぁ、全く見苦しいね)

 管理部長に話した内容は、全てがでっち上げと言うわけでもない。
 伊達に小さい頃からシオンを見てきたわけではないのだ。並行世界という概念を一笑に付してしまうにはシオンの話には理が通り過ぎていると、心の片隅では思っている。
 ……本当に片隅だけで、央にとっても与太話の域を出ないのは事実だが。

 けれども。
 もう自分に出来ることが何も無いから、せめて時々様子を見るための口実に使うくらいは問題ないだろうと、央は己に言い聞かせる。
 ――なんて執着だと、悲しく自嘲しながら。

「ふぅ……さて、とにもかくにも処置を終わらせないとね」

 あの時は、央の手で二等種らしい身体へと作り替えた。
 そして今度は……同じ手で不良品を有効活用するための加工を施すのだ。
 再びの邂逅に、あれは一体どんな顔をするだろうか――

「……いや、あれはただの落ちこぼれ成体二等種だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 ふと沸いた疑問を遮るように独り言を呟きながら、央は調教管理部から用意された処置室のドアを開けるのだった。


 ◇◇◇


 表向きは淡々と、けれども一人と一体の胸には何とも形容しがたい感情が渦巻く中、予定通りに処置は行われる。

「うわあ、前も後ろもガバガバだね! ちゃんと人間様の言いつけを守って育ててたんだ?」
「……っ…………ぐっ……」
「ねぇ、人間様が褒めてるんだから礼くらい言えないの?」
「んあぁっ!! ……あ、ありがとう……ございます、人間様ぁ……」

 仰向けで足を頭上に折り曲げられ、ドロドロに濡れそぼった泥濘を央に見せつける。
 刺激を期待してヒクつく、陰裂からはみ出るほどの大きさに育った肉芽を、央が青い手袋で覆われた指でくにくにと擦り押しつぶす度、詩音の口からはあられもない嬌声がひっきりなしに上がった。

「感度も十分だねぇ、ホント勿体ない」と中途半端に昂ぶったところで指が離れていけば、詩音の腰が無意識に指を追う。
 決して絶頂出来ないと分かっていたって、一年にわたり追い詰められた身体はひとたび刺激を覚えれば諦めがつくまで己を慰め続けるのだ。
 人間様の前であっても、こんな生殺しの状態で声を抑える事なんてできず、思わず「もっとぉ!!」と叫べば「は? 人間様に指図するの?」と途端に身体がバラバラになるような強い懲罰電撃を浴びせられた。

「が……っ……ご、ごしどう……ありがとうございます…………」
「はぁ、もう成体だってのにこんな基本的なことで貴重な魔力を使わせないでよね」

 呆れたような声が上から振ってくる。
 目は合わせられないが、きっと人間様は苛立っておられる。余計な手間を取らせてはいけないと、詩音は呻きながらまだ痺れの残る身体を叱咤して元通りの淫らな体勢に戻った。
 ……そうしてまた、無言で全身を計測しタブレットに書き込む音が部屋に響きはじめる。

(いや……お願い、止めないで……もっと、触って……! ああ、でも…………こんな姿、央に見られるだなんて……)

 あの時からすっかり変わってしまった、盛りのついた獣と化した自分を見られたくはなかった。
 そう心は嘆いているはずなのに……嘆いていなければおかしいのに、身体はどこまでも正直だから、仄暗い喜びを認めざるを得ない。

(……見られて、馬鹿にされて……興奮、するぅ……!)

 蜜壺からこぽりと吐き出された愛液は、悲しみと諦めと、歪んだ幸福を詰め込んだ涙のようだった。


 ◇◇◇


「……これで全部かな。じゃ、加工をするから四つん這いになって」
「…………はい、人間様」

(ああ、とうとう来た)

 一通りの検査が終わったのだろう、央から事務的な指示が飛ぶ。
 成体となったあの時のように、これから自分は更にまともな生き物の概念からかけ離れた存在に……性処理用品と呼ばれる、人間様の欲望の掃きだめに作り替えられる。

 まともな教育も与えられず、二等種として人間様への絶対服従という理だけで塗りつぶされた頭は、それでも幼い頃から徹底的に叩き込まれた知識を失ったわけではない。
 一般に公開されていない強大な魔法の力を持ってすれば、心も体も人間様の都合の良いように変貌させることは可能だ。実際、その片鱗はここに連れてこられてから数え切れないほど身をもって味わっている。

(ああ、期待したような調教とかをするわけじゃないんだ。魔法でさくっと作って……無理矢理あんな幸せそうな顔が出来るように、淫乱で壊れた頭に変えられる……それはちょっと期待外れかも)

 だから、詩音が少しだけ落胆するのも無理はない。
 とは言え、異議を唱えられる立場にいるわけでもないのだ。ここは大人しく人間様の穴に加工されよう、引導を渡してくれるのが央だっただけ良かったのかも知れない……

 詩音は覚悟を決め、次に訪れるであろう未知の感覚に身構える。

「…………」
「っ………………」

 央の手が首輪に回された。
 次の瞬間、じわりと首回りが熱くなって、新たな魔法が刻み込まれていくのが感じられる。

(…………あれ? ……なんとも、ない?)

 確実に首輪に込められた魔法は増えている筈だ。
 なのに思い描いていたような変化は何一つ訪れず、あっさりと書き込みは終了したようで央の手がスッと離れていく。
 詩音が怪訝そうな表情を浮かべていれば「そのまま」と短く指示され、左耳の後ろになにか尖った物の気配を感じた。

「動かないでよ、ずれたらやり直しなんだから」
「……ぐっ……!!」

 バチン! と何かを発射するような音が頭蓋骨に響き、脳を揺らす。
 一体何が、と詩音が戸惑っているうちに、右耳にも同様の衝撃と痛みが走った。

「ううっ……」
「ん、ちゃんと入ったね」

 確認する央の手に握られているのは、太い注射器のような器具だ。
 刺された部分の痛みはそれほどでも無いが、何かが埋め込まれたような違和感は感じる。
「これ、下手に動いて逃げると神経を傷つけて修理が大変なんだよねぇ」と呟く央の言葉に(そういうのはせめて先に言って欲しかったな!)とぞっとした感覚を覚えていれば、突如「ピッ」と電子音が頭の中に響いた。

 ――そう、外から聞こえてきたのではない。まるで脳に直接音を打ち込まれるような不快な響き方だ。

『音声テストです。今から流す音声を5秒以内に復唱しなさい』
「!?」
『不適格品への音声受信デバイス装着が完了しました』
「……え? へっ?」

(ふてきかくひん? ……音声……デバイス? どう言うこと?)

 思いがけない言葉で、詩音の頭が一瞬フリーズする。
 なにを、と目の前の人間様に問いかけようとした瞬間、首輪から電撃が浴びせられ詩音は再びその場に崩れ落ちた。

『繰り返します。今から流す音声を5秒以内に復唱しなさい。不適格品への音声受信デバイス装着が完了しました』
「!! っ、ふ、ふてきかくひんへのっ、音声受信デバイス装着が完了しましたっ!!」
『……受信状態良好、正常に処理が完成しました。音声テストを終了します』

(な、何なのこれ……!?)

 訳も分からず頭の中に流れたままの言葉を口にすれば「OK、じゃあ次」と央は何の説明もなく詩音を魔法で浮かせ、仰向けにひっくり返し床に大の字状態で固定した。
 口は動くから質問は出来そうだが、人間様への質問は禁じられている。前回だって余計な口をきいてしこたま懲罰を受けたのだ、同じ轍を踏むわけには行かないと、詩音はまだ耳の後ろと頭に残る違和感に眉を寄せつつ大人しく次の沙汰を待つ。

 と、そんな複雑な表情に気付いた央が、今度こそ心底呆れた様子で「……まさかとは思うんだけど」と話しかけてきた。
 その手は詩音の右手首にかざされている。

「……123番、キミもしかして……今から自分が性処理用品にされると思っているのかい?」
「…………へっ?」
「はぁぁ……何でそんな『当たり前でしょ』みたいな顔をするんだよ!? 第一キミ、性処理用品には志願しなかったじゃないか!」

(え、ええと……うん、志願はしなかったけど……どういう、こと……?)

 すっかり無理矢理性処理用品に加工されるものだと思い込んでいた詩音は、思いもかけない言葉に目をパチパチと瞬かせる。
 ……央はこちらを見ない。何やら手首に魔法をかけているようで、ふんわりと温かさを感じるけれど、そこにはおよそ優しさやいたわりという物は感じられなくて……ただ、不気味な不安だけが詩音の心に忍び寄る。

 そのまま、どのくらい時間が経っただろうか。
 実際には2-3分で終わった得体の知れない作業は、詩音には永遠に続くように感じられた。

「……はぁ、全くボクもお節介だね」

 チラリと未だ戸惑いを顔に浮かべた詩音を確認した央は、なんとも言えない複雑な顔をしつつ「ほら」と自分では動かせない詩音の手を目の前に差し出す。
 そこには、見慣れた自分の手首……をぐるりと囲むように、奇妙な黒い刻印が彫られていた。
 
「これ、管理番号と同じ方法で彫られた刻印だから、生涯取れることは無いんだ。……キミが不良品だって事を表す徴だよ」
「ふりょう、ひん……」
「だってそうだろう? わざわざ人間様が二等種に使い道を示して、一年間も差し伸べ続けた救いの手を自ら振り払ったんだ。……性処理用品に志願しない、つまり自分から人間様のお役に立ちたいと懇願すらできない不良品なんて、危なっかしくて地上の人間様になんて近づけられる訳がないよね?」
「え……!?」
「だから今キミに行っているのは、性処理用品への加工じゃない。ただの、廃棄予定だった不良品を何とかリサイクル出来るように加工する処置さ」

 口を動かしながらも、央の手が止まることはない。
 刻印の意味を説明しているうちに、詩音の手首足首にはXの文字で作った鎖のような刻印が刻み込まれていた。

(リサイクル……加工……?)

 そのまま、央は詩音の下腹部に手を当てる。
 軽く腹を押され、子宮の揺られる感覚に「んっ」と思わず甘い声を上げれば「全く、折角穴として良い感じに育ってたのに、全部無駄になったね」央が冷たい視線を詩音に向けた。
 その顔にはありありと失望が浮かんでいる。

「手首と足首の刻印は、不良品が無資格者と接触しても危害を加えられないようにする処置だよ。君たちのような危険な二等種は、一般人になんて近づけられないからね。万が一資格を持たない人間様に近づけば、その瞬間キミの全身は動きを封じられ、懲罰電撃を与えられる。人間様を知覚できないよう、視覚と聴覚も動きと同様に永遠に奪われてね」
「!!」
「ま、不良品は絶対に一般人と接触しないように厳重に管理されるから、馬鹿なことを考えなければ作動することはないさ。ああ、ボクはキミのような不良品の取扱資格を持っているから近づいても大丈夫だけど」

 ……どうやら、自分は人間様から無害化処置に失敗した不良品と判定されたらしいと、詩音はようやく気付く。
 そして、不良品は即処分されるわけではない事も、何となく理解した。リサイクルと言っていたから、何か別の形で人間様が使うのだろう。
「詳しい使い道は後で説明があるでしょ」と、央はこれ以上のことを話してくれる気は無さそうだ。想定していた未来が一気に歪んだ上に全く見当もつかないお陰で、どうにも落ち着かない。

(人間様のことだから、有無を言わせず性処理用品にすると思ってたのに……)

 不良品……不適格品。つまり、ただの出来損ない。
 ……地上に居た頃嫌と言うほど浴びた、オブラートに包まれた侮蔑の言葉と小馬鹿にするような視線が詩音の脳裏によぎる。
 ああ、自分は二等種というモノのなかですら劣った存在になってしまったのか。

(……慣れてる。うん、慣れてるけど……やっぱり、辛いな)

 沈鬱な表情の詩音の前に「ほら出来たよ、キミが出来損ないである証」と央が手鏡を掲げる。
 見慣れた管理番号の下には、まだほんのり赤みを残した皮膚に大きく黒々とした「X」の文字が刻まれていた。


 ◇◇◇


「で、ここまでは人間様の安全措置なんだけど。……ここからは出来損ないへの罰だから」
「…………罰……」
「そ。折角ここまで莫大なコストをかけてきたのに、穴として使い物にならないだなんて……いくらリサイクル出来るとは言っても、かけたコストは回収しきれないんだ。せめて、自分の愚かな選択を壊れるまで後悔して貰わないとね」
「……はい、人間様…………」

 手足と下腹部への刻印を終えた央は、再び詩音を四つん這いで固定する。
 己の愛液ですっかりびしょびしょに濡れた床に気付いた詩音が、手慣れた様子でぴちゃりと舌を這わせ、泥混じりの愛液を舐め取れば「ちゃんと二等種らしくは振る舞えるんだね」とどこか馬鹿にしたような、けれど少しだけ苛立ちの混じった褒め言葉が投げつけられた。

 ……何故だろうか。
 馬鹿にされるのは辛い筈なのに……央からかけられる言葉は、どこかぞくっと……不思議な感じがする。

「そのまま動かずに自分の汁を啜っているんだね」
「ん……っ……、はい……」

 ピチャピチャと音を立ててしょっぱいぬめりを舐めていれば、お尻の骨の少し上に先ほどのような淡い熱を感じる。
 どうやら刻印は腰にも施されるらしい。
「ちょっと時間がかかるけど、動かないでよ」と央から重ねて注意される。国内でも確実に上位であろう央の実力を持ってしてもそれなりの時間を有するということは、かなり強力な魔法を使われるのだろう。

(あ……これ、もしかしてまた……えっちな気分を強くされちゃうんじゃ)

 央はこの処置が不良品への罰だと言っていた。
 恐らく今回の「加工」はこれが一番の目的だと、詩音は徐々に熱が上がっていく身体を持て余し、時折小さな喘ぎ声を上げながら床を舐め続ける。

(熱い……欲しい……ああ、触りたい、中にいっぱい詰め込んで……)

 ぷくりと腫れ上がった小さな三つの突起を転がし、擦り、摘まみたい。
 形を無くしそうな程の泥濘と、本来の目的を奪われ入口と化した穴に、凶悪な突起のついたものを差し込み、埋め尽くし、中を揺さぶりたい。
 決して何かを入れてはいけない小さな穴に金属の棒を差し込んで、ブルブルと震わせ、鋭い快楽に悲鳴を上げたい……

 そして何より

(逝きたい)

 ずっとお預けだった、そして諦めていた絶頂への強烈な渇望が見る間に蘇る。
 少しでも気を抜けば、四つん這いの姿勢を崩して央の前であられもない姿を晒してしまいそうだ。
 いや、既に成体となった段階で内部までじっくり触れられたし、快楽に翻弄され情けなく腰を振り喘ぐ姿も見られているけど、央に自慰する姿を直接見せつける事だけは嫌だと、わずかに残った理性がシオンを叱咤する。
 
「はぁっ……はぁっ、はっ、うぅ……!」

 頭の中にガンガンと響く絶頂を求める叫びに、全身から汗が噴き出す。
 あまりの辛さにビクビクと身体が震え、浅い息を何度も繰り返す。
 目の前は興奮で塗りつぶされ、上手く焦点が合わない……

(逝きたい、逝きたい……我慢……がまんっ、人間様の、めいれいっ……!!)

「ふぅん、この処置中は勝手におっぱじめる残念な個体が多いって聞いてたんだけどね。キミ、意外と我慢できるんだ」
「はぁっ……はぁっ……んっ、あぁんっ…………!」
「ま、それもそうか。キミ、ずっと幻覚のトモダチと自慰我慢大会やってたんだもんね? ……良かったね努力の結果が活きて。…………この変態」
「…………っ!」

(そっか、それも見られていたんだ……もう全部知ってるんだ、央は……!)

 冷たく言い放たれた「ヘンタイ」の四文字に、ぶるりと詩音が身体を震わせる。
 ああ、間違いない。
 央に蔑まれるのは辛い。……辛いのに、何故かゾクゾクして、もっと詰って欲しくなる。

(うん、ごめんね央。私はヘンタイだから……せめて人間様の央の言葉で興奮することだけは、許して……)

 詩音は心の中でそっと央に謝り、今知ったばかりの愛しい人に与えられた痛みを伴う言葉を抱き締める。
 その様子に央が気付かないわけがなく。

(だから!! どうしてそこでそんな嬉しそうな顔をするんだい!? ……ああもう、調子が狂うっ……!!)

 笑顔を浮かべたまま盛大に突っ込む央の気持ちは言葉にはならず、詩音には届かない。


 ◇◇◇


「はい、おしまい。そのまま待機」
「あ、ありがとうございます、人間様……んぁっ……」

 20分後、ようやく央の手がすっと離れていく。
 何とか感謝の言葉だけは紡げたもの、詩音の理性は既に限界を突破していた。

(逝きたい……もう、それ以外考えられない……なんで……)

 突如ぶり返した絶頂への渇望。
 それが後ろに施された刻印のせいであることは自明だが、問いかけずにはいられない。いや、問いかけだろうが何だろうが、少しでも気を逸らさないと得体の知れない強烈な欲望に全てを飲み込まれてしまいそうだ。

「キミにとっては良い知らせと悪い知らせがあるんだ」
「はぁっ……人間、様……?」

 そんな詩音の苦悶を知ってか知らずか、笑顔を浮かべながら央が戸棚から何かを取りだしてくる。
 滅菌バッグの中身を目にした詩音の顔がぼっと真っ赤になった。

 ――まさかそんな物まで、央に把握されているだなんて。
 ああ、穴があったら入りたいとはこの事か!

「! ……そ、それ……!!」
「ふふっ、123番のデータは全て確認済みだよ。キミ、おまんこにいれるのはこれが好きなんだよねぇ。で、お尻はこっちだよね? 普通のチンコみたいなやつより、ぶっとくてゴツゴツして、段差がたくさんあるやつの方が123番はお気に入りだもんねぇ?」
「あ、あ……ああぁっ……!」
「何? 見ただけで鼻息荒くしちゃって。そんなに欲しいの? ……全く、こんなエグいものを大事なところに突っ込んで嬉しそうに腰を振ってアヘるとか、二等種ってのは穴くらいしか役に立てないモノだってよく言ったものだね!」

 柔らかな丸みの残る央の手に握られるにはあまりにも不似合いな、凶悪なサイズとフォルムのディルドに、詩音の喉がごくりと鳴る。
 それが出てきたと言うことは……これから何をされるかなんて考えるまでもない。

「じゃ、いい知らせから教えてあげよう」
「ひぃっ!!」

 ぐちゅっ……

 央はバッグから取りだしたディルドに潤滑剤をまぶすと、慣らしすらせずに両方の穴をズブリと太い質量で貫いた。
 冷たい感触と、散々遊び慣れた圧迫感に、一瞬にして詩音の脳が蕩ける。

「……絶頂の制限魔法は解除された。だから123番、これからは自由に絶頂出来るんだ」
「っ、はぁんっ!! んあっ、あっ、はぁっ……あひっ……!!」

 ぬぷっ、じゅぷっ、ぐぷっ、ぐちゅっ……

 央がなにやら呪文を詠唱すれば、粘ついた音を立てて、二つのディルドが孔をゆっくりと出入りする。
 中の良いところを擦りあげ、押しつけ、突き抜け、また引き戻されて……ドロドロに溶けきった穴から送り込まれる刺激が頭の中で星のように瞬いている。

 気持ちいい、気持ちいい、疼いていた身体が満たされて、頭が白くなって、ああ、諦めていたはずのあの感覚がやってくる……!!

「はぁっはぁっこれっうああぁっ、いぐっ、いっちゃうっ! 人間様、人間様ぁっ!!」
「だから言ったじゃん、自由に絶頂出来るって。……ずっと欲しかったんでしょ? ほら、偽物のチンポに媚びてだらしない顔を人間様に晒しながら」


「イケ」
「~~~~っっ!!」


 とん、とトドメとばかりに前後から子宮を揺さぶられた瞬間、全身がガクガクと震えて。
 頭の中から全ての思考が、言葉が消え失せ、ただ白い波だけが全てを埋め尽くして。

(ああ……逝く……逝ってる…………気持ちいい……!!)

 詩音は実に一年ぶりに、絶頂の快楽を存分に味わうのだった。


 ◇◇◇


(おかしい)

 最初の内は、あまりに久しぶりの絶頂に我を忘れて、ただその気持ちよさを貪っていた。
 もっと、もっと欲しいと恥も外聞も無くねだり、想い人が呆れ顔で眺めていることすら忘れて、必死に腰を振り続ける。

 だが、次第に詩音は尽きぬ発情の中で、ふと疑問を抱く。
 ……そう、これだけ絶頂を続けているというのに、なぜか発情が止まらないのだ。

「はぁっはぁっいぐいぐいぐうぅぅっ…………!! はっ、はっ、はぁぁっ……んっ、うあぁっ、んぁっ……」

 身体は易々と、何度目かの絶頂に上り詰める。既に、回数は分からない。
 だが、何度絶頂しても詩音は腰をひとときたりとも止めない。随分前の記憶だが、連続絶頂は3回が限度で、試しに続けようと思っても身体が動かなかったというのに。

(おかしいよ、これ……こんなこと、今までなかった……!)

 元々成体となった段階で、二等種の身体は生涯発情したままとは言われていた。
 実際どれだけ絶頂しても発情が止むことは無く、それこそおはようからおやすみまで隙さえあれば自慰を繰り返していたのだ、その言葉が事実であることは詩音自身が一番よく分かっている。

 けれど、ここまで酷くはなかった。
 一度絶頂すれば少しは満足を得られるし、一休みして次はどの玩具で遊ぼうか、どのコンテンツを見ようかと考え、ひととき冷静さを取り戻せるくらいの余裕はあったのだ。

 それが今はどうだろう。
 一休みだなんてとんでもない、確かに絶頂はしたし気持ちも良かったけれど、精神的には何も満たされないまま。
 いつもなら気持ちいいの後にやってくるはずの穏やかさを伴う満足感は、待てど暮らせど一ミリも生じず、そのせいか頭の中はすぐに次の絶頂を得ることでいっぱいになり、とても腰を止めようだなんて思えない。否、思ったとこで止められやしない。
 どれだけ追い求めても永遠に得られないものを欲して、死ぬまで無理矢理追い立てられるかのように――

(死ぬ、まで?)

 なまじ思考力の残存した詩音の頭がはじき出すのは、最悪の結末。
 不安が一気に心を染め上げ、詩音は半ばパニックを起こしながら腰を止めようともがく。

(止まらない、止められない、もっと、もっと欲しい……やだっ止まってぇ……!)

「な、何で……何で止められないのおっ!?」

 快楽に呆けながら、しかし明らかな恐怖を顔に張り付け途切れ途切れに疑問を口にする詩音に「あ、気付いた?」と央はニヤリと口の端を上げた。
 ……人間様は実に愉快そうだ。つまり、これは碌でもない話に違いない。

「これが悪い知らせだね。……ねぇ123番、不良品の分際で人間様のような満足感のある絶頂が許されるわけが無いと思わないかい?」
「え…………」
「キミは絶頂する権利を取り戻したけれど、絶頂による精神的満足感は奪われたままだ。ああ、身体は昔のように満足しているはずだよ? けれど、頭が満足しなければどうなると思う?」
「え……え……っと……?」

 央が何か大事なことを言っている気がする。
 けれど、詩音はそれどころではない。何とかして腰の動きを止めようと無駄なあがきをするので精一杯だ。
 そんな詩音に「ヘンタイにはお似合いだね」と央は意地悪そうな笑顔を浮かべる。

「止めようとしたって無駄だよ。一度自慰を始めてしまえば最後、強制的に人間様に止めて貰わなければ、キミは色狂いのサルのように絶頂のことしか考えられず、ただ快楽を追い求め続けるだけの役立たずとなる」
「……やく、たたず……んあっ、はぁっまたいぐうぅぅっ!! なんでぇ!? 気持ちいいのに! 足りない! もっとぉっ!!」
「ふふっ、無様だねえ123番。折角だし、その足りない頭でも分かるように説明してあげるからしっかり聞くんだよ?」

 衝動に翻弄され理解が追いつかないのだろう、いまいち訳が分からないといった様子の詩音に、央はこの刻印の効能を話し始めた。

「これは、キミたち不良品の性感を人間様がコントロールするための刻印なんだよ、123番」


 ◇◇◇


 成体となったばかりの二等種は、自由に快楽を貪り絶頂を堪能することが出来る代わりに、決して満足することは出来ないよう魔法と薬剤を用いて脳機能を一部抑制されている。
 期待したほどの気持ちよさが得られないが故に、二等種はより過激な手法をタブレットで検索し、またAIによって進捗に合わせ厳選されたコンテンツにより唆されるがまま、己の身体を自己調教し続けるのだ。

 これはあくまでも性処理用品として調教・加工を行う前の下準備であり、永続的な処置ではない。
 実際に性処理用品に志願した二等種は、12週間にわたる調教と加工をクリアし出荷前検品で等級が確定すれば、以後は一切の制限無しに満足な絶頂を味わえる身体へと戻される。

 ――戻されたからといって、生涯自慰はおろか己の身体に触れる権利すら奪われている製品が実際に絶頂を得るには人間様の気まぐれに縋るしかないのだが、少なくとも可能性はゼロではないのである。

 一方で、不良品となった二等種にこれ以上制限を行う意味はない。使えない穴を育てるのは無駄以外の何物でも無いからだ。
 だが、無害化処置に失敗した出来損ないをリサイクルして活用する為には、性処理用品よりコストをかけず、しかし性処理用品以上に人間様への絶対服従を植え付ける必要が生じる。

 その方法として人類が選択したのは、性感の完全管理だ。

 仙骨部に刻印された管理番号と不良品を表す等級「X」の文字には、拡大すると複雑な術式がぎっしりと記載されている。
 この刻印により、人間は二等種のありとあらゆる性的な感度を細かく管理することができるようになるのだ。
 例えば各種端末でちょっと数値を弄るだけで、空気の揺らぎすら快楽として捉えるほどに敏感な状態にも、逆にどれだけ強い刺激を与えても触れていることすら感じない状態にも設定できるし、絶頂の許可もその強弱すら自由自在に操れる。

 だが、この刻印の最も悪辣な機能はそこではない。

 刻印を付与した段階で、対象者は絶頂による精神的な満足感を剥奪される。
 つまり、身体は絶頂の快楽を感じ熱を発散させてスッキリしたはずなのに、精神的には全く満たされないが故に、ひとたび自慰を始めれば自力で止めることは出来ず、例え披露の極地に至ろうが快楽が痛みに変わろうが、かつて得られた満足感を求めて死に物狂いで腰を振り続ける以外の行動が取れなくなる。

 ならばそもそも自慰を我慢すれば良いだけであるが、成体二等種のベースとして強い状態と理性を抑制された精神状態を保ち、保管庫では常に個体を最も興奮させるコンテンツが延々と垂れ流され、手の届くところにお気に入りの玩具がある状態で、性感帯に手を伸ばさずにいられる二等種は皆無である。
 だから彼らは、せめて肉体だけでも満足させようと終わりのない快楽地獄に自らを突き落とすしかないし、その地獄から救い出して貰うために人間様の助けを必ず必要とする。

 そんな状態で、肉体の満足度に関わる性感を完全に掌握すれば、例え無害化処理に失敗した二等種であっても人間様に逆らえる筈が無く。
 こうして不良品達は、安全に人間様の便利な道具として再利用され、何があろうと壊れるまで従順に動作し続けるのである。


 ◇◇◇


「ま、不良品にはお似合いじゃない? 誰かに止めて貰えるまで……もしくは壊れるまで永遠に自慰を続けるだなんて、まさに出来損ないって感じだよね!」
「そんな……っ!!」

 あまりにも残酷な内容に、央の話をようやく理解した思わず詩音の口から、絶望の慟哭が上がる。
 そんな状態だというのに、二本の杭を貪る腰の動きは止まるどころか、激しさを増すばかりだ。

 央の言うとおり、確かに身体は何度も絶頂を迎えた。絶頂の瞬間の気持ちよさだってしっかり感じた。何なら溜め込んだ熱をようやく発散して身体が軽くなった感覚もある。
 けれど、そこまでの絶頂を得たはずの頭は、実に気味が悪いことに何一つとして満足していないのだ。

 この悪魔のような刻印は、成体になったばかりの頃のような、満足にはほど遠いが仕方が無いと諦めがつくレベルのささやかな安穏すら許してくれない。
 何をしても、どれだけ絶頂を迎えても、頭だけは永遠に満たされないと叫び続けるだけ。

 足りない、足りない、もっと刺激を
 この渇望が満ち足りるまで、永遠に刺激を、快楽を送り続けろと……!!

「いやあぁぁっ、もっとおおっ!!」

 白い糸を引きながらずるりとディルドが抜き取られる感触に、たまらず詩音が泣き叫べば「ふぅん? 人間様が与えてくれたもので満足できないのかい?」と央から咎める声が飛ぶ。
 人間様を怒らせてはいけないと、こんな状況でも反射的に謝罪を口にする身体が何とも恨めしい。

「ひぃっ、ごめんなさいっ、人間様っ気持ちいいのありがとうございますっ!! でもっ足りないっ! 全然、足りないのぉ!!」
「……そりゃそうだろうね、そういう風に変えられたんだから。性処理用品の製品になりさえすれば、満足感のある絶頂を人間様から与えられる事だってあったんだけどさ……キミは不良品だから、そんな日は永遠に来ない」
「え…………」
「だって、これは『罰』だからね。さっき話したとおり、その刻印を肉体に刻んだ段階で、キミは絶頂による精神的な満足感を失った。当然、刻印が外れない限り元に戻ることは無い。……その刻印は、管理番号と同じ方法で刻まれていることくらい理解できるよね?」
「!!」

(そんな、これじゃ絶頂出来るようになったって意味が無い……むしろ逝ったってずっと辛いまま……)

(これが、永遠に続く……もう、逃れられない……!!)


『人間様の好意を無碍した不良品に、満足など与えてなるものか――』


 そんな声がどこかから聞こえてきた気がした。

 あまりにも無慈悲で悪辣な仕打ちに、さっと詩音の顔が青ざめる。
 この仕打ちは正直予想もしていなかった。予想なんて出来るはずが無かった――人間様がここまで二等種の自由意思で性処理用品となることに固執していただなんて!

 ただ、と悲嘆の中で冷静な自分がぽつりと独りごちる。

(……そうじゃない。予想していたってきっと、『私達』は性処理用品には志願しなかった)

 それは意地やプライドといった格好いいものではない。
 純粋に、あの毎日のように繰り返される我慢大会の方が、極上の快楽が得られると喧伝する性処理用品になるよりもずっと魅力的だった、自分達の性癖の拗れっぷりが引き起こした結果だ。

 だから、この選択に後悔はない。
 ないけれど――その代償はあまりにも重く、未来に絶望しか生み出さない。

 ――そしてそんな絶望如きで抑制されるほど、この『罰』は軽くはないらしい。

「やだぁっ……止まらないっ、もっと、もっと……はぁっはぁっはあぁっ!! いぐっ、またいぐっ!! …………お願い、もう満足してよぉっ!! こんなの壊れちゃうぅ!! 人間様っ、お願いします!! ちゃんと人間様のご希望通りに動きます! だから、止めて下さいいいっ!!」
「……残念ながら、それを止める権利はボクにはないんだよねぇ。ボク、調教管理部の人間じゃないし。……バイタルに問題が生じたり消灯時間になれば止めてくれるんじゃない? 心配しなくても、人間様は二等種を壊さない。例え不良品だろうがね」
「っ、うああああっ……!!」

 気がつけば詩音は、央が見守る前で床に乳首を押しつけ、左手で股間の真っ赤な肉芽を転がし、右手の指を泥濘に思い切り突っ込んで奥をかき回し続けていた。
 あれほど待ち望んだ絶頂は、以前のように割とあっさりと迎えられる。なのに、どれだけ逝っても「足りない」「もっと」と頭は叫び続け、慰める手は止められない。

 その様相はつい昨日まで絶頂を禁じられていた時と変わらない筈なのに、なまじ絶頂を許されている分、比べものにならない残酷さを纏って詩音の全てを塗りつぶしていく。

「これなら、不良品でも人間様に害を為そうとか考えられないだろう? ああ、ちゃんと人間様が使うときには発情を弱めて貰えるから、頑張って我慢さえすればまともなモノらしく作動できるらしいよ。良かったねぇ人間様が優しくて」

 遠くで央の声が聞こえる。
 けれど、尽きぬ渇望に翻弄された詩音の頭は、その音を言葉とは解さない。

「……これ以上の説明は無駄だね。さっさと転送しちゃうか」

 暫くその様子を眺めていた央は、すっと泣き叫び痴態を晒し続ける詩音に手をかざす。
 次の瞬間、詩音の姿はその場から消え失せたのだった。

「それが罰。キミの選択の結果だよ、詩音。…………精々壊れるまで、自分の選択を後悔しながら人間様に使われるんだね」

 ――吐き捨てるように呟かれた悲しみ混じりの言葉は、彼女には届かないまま。


 ◇◇◇


 今日は、手足を分割せずに運ばれたんだ。どうやってかって? それがまさかの収納ボックスなんだよ! そう、あのキャンプで見たようなやつ。
 だから輸送は楽だったし、半透明な箱の中から外がぼんやり見えるってのはちょっと刺さるんだよ。あれ、詩にも試して貰いたいなぁ……

 そうそう、央にも会ったよ。詩も、だよね?
 やっぱり央は人間様だったよ。僕達の知る優しい央は、もういないんだ。
 ……それがさ、悲しくて寂しいのに……あんなゴミを見るような目で「ヘンタイ」って罵られて……興奮しちゃったんだよ。
 あれで暫くは妄想が捗るね……ええと、でも、もうそんな物無くたって……


 もう、自分じゃ止められないんだった。


「もう……止めて……お願いします、人間様……止めてぇ……」
「はぁっ……はぁっ、足りないの……もう休みたいのに……もっと……いやあぁぁ……!!」

 気がつけば隣には、あらゆる汁に塗れ、必死に何も無い空間にこの地獄の終わりを懇願しながら己を慰め続けるトモダチがいた。
 多分、自慰に耽っているうちにこの部屋に転送されたのだろう。

 今日の出来事を共有したくても、次の瞬間には頭は絶頂のことだけで覆い尽くされてしまう。
 それは詩音も同じらしい。時折配線が繋がったかのよう正気に戻り、何か言いたげに至恩の方を見つめるけれど、すぐにその目はぐるりと上転し、快楽と絶望の叫び声だけを奏でるモノと化してしまう。

(これ……本当に壊れる寸前まで、ずっと……? これから、死ぬまで永遠に……?)

 いくら命が保証されていると言っても、このままでは頭が先に狂ってしまいそうだ。
 ……もしかしたらそれが目的なのだろうか。不良品だから、さっさと自ら使い物にならなくなってくれた方が余計なコストもかからない、そう思われているのかも知れない。

(もう、なんでもいいから)
(おねがい、します……とめて、やすませて……)

 あれから一体どのくらいの時間が経ったのだろう。
 終わりのない快楽地獄で消耗し、最早叫ぶ気力も無くドロドロに汚れた床に倒れ込み、筋肉が悲鳴を上げているのに一向に次の絶頂を求めて止まる気配のない身体を、どこか遠くから――魂でも抜けてしまったのだろうか――見つめるような気分になってきた頃。

『あーあー、新入荷の不良品ども、管理部長よりお話がある。遊ぶのを止めてその場に土下座し、ありがたく拝聴するように』

 突如、頭の中に知らない男性の声が聞こえたと思ったら

 バチバチッ!! バチッ!!

「ぎゃあぁっ!!」
「うが……っ……!!」

 これまで浴びたこともないほど強烈な懲罰電撃が、二人の全身を襲った。


 ◇◇◇


「はぁっ……はぁっ……いてて、死ぬかと思った……」
「むしろ一回死んでたかも……ちょっとお花畑が見えた……」

 どうやら今回施された刻印は、首輪からの電撃を刻まれた場所に通すらしい。今までは痛みを感じなかった下腹部や腰、ほして足先にまで、まだビリビリと痺れが残っている。
 漫画の感電表現にぴったりな仕打ちだなと閉口しつつも、二人はたっぷり浴びせられた電撃によりようやく快楽を貪る負のループから抜け出すことを許されたことに心から感謝し、震えながら土下座の姿勢を取った。
 というより、もう身体を起こすなんてハードな行動は取れそうに無い。気絶が許されるならこのまま意識を失いたいくらいだ。

 ……多分、これから自慰の終わりは満たされた気分になることもなく、毎回全身ビリビリのガクガクにされるのだと思うと気が重いが、死ぬまで腰を振り続けるよりはよっぽどましである。
 この万年発情期の状態では自慰を我慢するにしたって限度があることは、一年近い我慢大会により二人とも身に染みているから、最初から諦めモードだ。

「場所が変わったし、またオリエンテーションかな……」
「だよね。……声、天井からじゃなくて頭の中に響くんだ。もしかしてこれからずっと指示は頭に直接?」
「だよねぇ、これちょっと苦手かも。何だか逃げ場がなくて」

 顔を伏せたままひそひそと二人が話をしていれば、何かが頭の中で切り替わる音がする。
 次の瞬間「あー聞こえてるか、不良品ども」と、別の男性の声が響いた。

「……全個体反応は問題なし、と。じゃあ始めるか。ようこそ不良品ども、ここは作業用品保管棟、お前ら出来損ない専用の保管施設だ」

(さぎょう、ようひん……?)
(また新しい言葉だね。僕らの正式名称なのかな)

 自らを管理部長だと名乗る男は、実にだるそうな口調で淡々と説明を続ける。
 当然質問は許されない。二等種に許されているのは、ただ人間様のお言葉を一語一句聞き漏らさずありがたく受け止めることだけで、深い理解など求められてはいない。

「気付いていると思うが、出荷時に保管庫にあった道具は全て転送済みだ。餌皿もな。餌と浣腸の作法は少し変わるが、それは3日間自動音声で指導が入る。その間に覚えろ」

 その言葉に、二人はようやく部屋の一角にうず高く積まれた二つの玩具の山に気付く。
 使い慣れた道具の前にはタブレットが置かれ、壁にはモニターが備え付けてあって、どうやら保管庫内での自由はこれまで通りかと一瞬安堵し……しかし「玩具を見たからっておっぱじめるんじゃねえぞ、勝手にサルみたいになっても止めてやらねぇからな」と牽制する管理部長の言葉に「あ、これはまずい」と真顔になる。

「……もしかして、停止の電撃って制限があるんじゃ」
「まぁあれを日に何度も食らってたら、いくら二等種だって身体に悪そうだもんねぇ」

 二人の予想通り、申請により自慰を停止する電撃を流してもらえるのは、日に一度のみだそうだ。
 それとは別に、消灯時に自慰を行っていた場合は自動的に電撃が流される決まりらしい。
「大人しくしてりゃ消灯の時には流さない……が、お前ら出来損ないが自慰を我慢できる筈がないからな」と鼻で嗤う声に突っ込みたくても、さっきまでの状況を鑑みるに全く反論は出来そうに無い。

「つまり、実質一日二回、ね」
「……耐えられるかな……ちょっと我慢大会のハードルが一気に上がりすぎ」
「待って至、この状況で更に我慢大会はいくらなんでも無理じゃない!?」
「あ、そっか。負けた方はお尻ペンペンするどころじゃなくなるよね……ううん、ご褒美無しじゃつまんないよなぁ」
「うんそうだね、多分そう言う問題じゃないと思うけど」

 にしても、と至恩は土下座したままそっと首を動かして部屋の中を確認する。
 広さは今までと変わらない。4畳半程度で白い壁と天井と床に囲まれた空間だ。
 大量の玩具のせいでちょっと狭苦しいが、二人で寝る分には問題はない。

 今までと異なり、部屋の隅の壁からはハンドルのない蛇口のような部品が2つ、その近くの床からは疑似ペニスがこれまた2本、にょっきりと生えて存在を主張している。
 あれは餌と浣腸に使う道具のため、自慰に使うのは禁止らしい。どうやら碌でもない給餌なのも相変わらずのようだ。

「ま、こんなとこかな。後は明日現場で聞け。……唯一のお楽しみを気持ちよく堪能したいなら、死に物狂いで人間様のために壊れるまで道具として使われるんだな。出来損ないのお前らにはそれ以外の価値はないんだから」

 長々と続くかと思った話は、しかし思ったよりあっさりと終了する。
 どうやら今度の場所の管理部長は、あまりやる気が無さそうだ。
 
 まあ長いよりはいいよね、と詩音はそのまま床に突っ伏す。
 もう全身がだるくて痛くて悲鳴を上げているが、幼少期からきっちり躾けられた身体は消灯時間になるまで眠りに落ちることもできないから、今日はこのまま伸びた状態で消灯を待つしか無さそうだ。

「……明日、現場って言ってたよね」
「うん。人間様が使うって言ってたから……何か働かされるのかな」
「多分ね、でも私達、学校だって行ってないし……出来る事なんて何にも無さそうなのに」
「央が『穴くらいしか使い物にならない』なんて言ってたけど、本当にその通りだなって思うよ」
「そうだよね……って、至なにしてるの!?」

 まさに性処理用品以外に使い道がないんだよねぇと溢しつつ寝返りを打った詩音が、素っ頓狂な声を上げる。
 だって、目の前でむくりと起き上がった至恩が、痛みに顔を顰めながら銀色の器を……餌皿を手にしていたから。

 目を丸くする詩音の方を向いて、至恩は真っ赤になりながら「あ、あの、さ……」とぼそぼそと詩音にとんでもないおねだりをかました。

「…………『ヘンタイ』って言いながらお尻ペンペン、してくれない?」
「ええと……至?」
「詩も言われたでしょ? その……ちょっと思い出したらたまらなくなって……」
「あー……うん、まあ気持ちは分からなくもない……」

 ああだめだ、これは完全にスイッチが入ってしまっている、と詩は直感する。
 そしてふと思うのだ。

 確かに自慰での満足感は得られないから、一度始めてしまえば電撃で止めて貰うしかない。
 けれど、スパンキングは別に性感帯に直接触れるわけじゃない。

 ――つまり性癖マシマシの変態プレイなら負のループに入ることもなく、あわよくば精神的にも多少満足できるのでは? と。

「いいよ、後で私にもやってくれるなら」
「う、うんっもちろん! ……あの、その、ヘンタイって言うときは」
「うん、分かってる。央っぽく言えばいいんだよね!」
「流石詩、分かってるぅ!」

 その後、詩音による渾身の「ヘンタイ」という台詞に「かなりいい線いってるけど……央はもっと無邪気に笑うんだよね。そっちの央、ちょっと陰険な感じなのかな……」と至恩が不用意な発言をかましたお陰で「第一次うちの央こそが至高大戦」が始まってしまい。

「央はそんな大笑いなんてしないもん! 鼻で笑って冷たくぐっさり刺す様な感じが良いの!!」
「いや、こっちだって央は生ゴミを見るみたいな目つきで言うよ!? でもそんな、嫌みたっぷりな感じじゃない……」
「嫌みじゃないもん! もう、ちょっと教えるからほら、至が餌皿持って!!」
「えええ、僕があと10回の約束じゃ」
「至が央そっくりに詰れたら変わってあげる!」
「ひどい!!」

 何としてもそれぞれの想い人の良さを相手に分からせようと互いにスパンキングを繰り返した結果、盛り上がりすぎてすっかり興奮を持て余し、うっかりお気に入りの玩具に手を出してしまって

「うあああ、だめっ、止まらないっ! やらかしたあぁ……!!」
「ううっ、これじゃお尻ペンペンもできない……もうやだ、止めてぇ……!!」

 ――結局消灯までの4時間を、終わらない快楽地獄の中で過ごす羽目になったのであった。


 ちなみに

「「……ちょ、勝手にボクを変態のお供に使わないでよ!! てか何そのものまね、全っ然似てないんだから!!」」

 早速執務室でシオンを観察していた両方の世界の央が、画面の前で真っ赤になってぶち切れていたことを、追記しておく。


 ◇◇◇


 次の日。
 流石にあれだけ全身を酷使すれば筋肉痛くらいは残っているかも……と思いながら意識を落とした二人だったが、やはり人間様による加工はそんなにヤワなものではなかったらしい。
 次の瞬間、意識が浮上したときには昨日の疲れはどこへやら。いつもと同じレベルに回復していることに「やっぱり人間様の魔法は凄い」と二人は感心しつつ玩具の山に……手を出しかけて、うっかり昨日の二の舞になるのを慌てて押しとどめたのであった。

「いや、これヤバくない? この部屋さ、えっちな誘惑しかないじゃん」
「おもちゃもタブレットもモニターも、隠しようがないしねぇ……強いて言うならコンテンツが性癖直撃でないだけマシ?」
「……詩、僕らの鍛え上げた妄想力を舐めてない?」
「…………全力で舐めてた。一日二回の制止じゃ絶対足りない」

 これは思った以上に大変だと、二人は向き合ってがっくり肩を落とす。
 そうでなくても、この身体は万年発情したサル状態なのだ。ほんの些細な出来事で、そしてうっかり思いついた妄想で無意識に手が股間をまさぐるのは、もはや様式美である。

「一度触りだしたら最後、自力で止められないってのが厳しすぎるよね……」
「これまでの我慢大会は、触っても一応止められたからね。もうこうなったら拘束具を人間様におねだりするしかないかなって」
「それ、拘束してくれる人間様も必要になるんじゃ……だって、お互いにするのは、ほら」
「あ、流石に……だよね」

 確かに、自力でつけられない拘束具が勝手に身体を拘束してしまうのはまずい。
 勝手に対象者を拘束してくれる魔法が付与されていれば別だが、極力二等種に魔力を使いたくない人間様のことだ。たかが二等種の変態極まりない欲望のために手間をかけることはないだろう。
 ――これはまさに万事休すというやつだ。この淫臭漂う檻の中にいる限り、地獄に引きずり込まれる身体を止める手段など無い。

 一体どうしたものかと思案する二人の頭の中に、聞き慣れた音声が響く。
 そろそろ餌の時間だろうかと餌皿を手にするも、次に続く言葉は予想だにしないものだった。

『使用時間です。展示棟へ転送します』
「「へっ」」

 使用時間? 転送? テンジトウって、なに……?
 唐突に告げられた内容に、二人の頭の中ははてなマークで満たされ、そして

「ねぇ詩、これ」
「至、もしかしてこれ」

 互いに話しかけようとした瞬間、彼らの姿が保管庫から消えた。


 ◇◇◇


「…………へっ?」

 目の前にいたトモダチの姿がぐにゃりと歪んだと思ったら、身体が世界に溶けるような感触を覚える。
 初めての感覚にシオンは反射的に身構え、ぎゅっと目を閉じた。

(ちょ、何っいきなり、これ魔法!? うえぇ気持ち悪い……!)

 だが、異常な感覚は十秒も経たないうちに過ぎ去ってしまう。
 一体何が、と戸惑いつつシオンはそっと目を開けて……思わず素っ頓狂な声を上げた。

「なに……ここ…………!?」


知らない世界


 目の前に広がる光景は、どう見ても保管庫ではない。
 見慣れた教室や運動場とも異なる……これまでの自分の知識にも経験にも存在しない光景に、シオンは膝立ちのまま固まっていた。

「こいつ、随分嫌がるな……ほらさっさと動け、こっちは忙しいんだからな」
「B品メス5体、おまかせレンタル予約入ったから、適当に選んで梱包してー!」
『こちら返却口、高破損個体返却入りました、応援をお願いします』
「これさ、懲罰点が貯まったから明日の返却時に地下送りにしてって……」

 頭がクラクラするほどのたくさんの声、時折あがる絶叫と叱責するような鞭の音、電撃の弾ける音――。
 賑やかな空間の中で、黒いベルトを腰に巻き乗馬鞭を携えた二等種が、手足に枷を、目にアイマスクをつけたこれまた二等種とおぼしき物体を鎖に繋いで牽いている。

 嫌がる素振りを見せる個体には容赦なく鞭が振り下ろされ、上がる悲鳴は随分くぐもっていて、どうやら口にも何かを詰め込まれているようだ。
 チラリと見えた股間は丸出しではないが、お尻から背中に沿わされた金属はアナルフックのようだし、異様に膨れた下腹部の様子からも碌でもないことをされているのは間違いない。

 せわしなさそうに歩いている……そう、二足歩行をしている二等種の姿に(え、そんなことしていいの!?)とシオンが目を丸くしていれば「は……?」「なに、これ……」と同じく戸惑いを隠せない声が耳に入った。
 チラリと隣を見れば、そこに跪いているのは見覚えのある二等種――昨日、目の前でメスの股間を舐めたオス個体と、舐められて睨み付けていたメス個体だ。
 彼らの手首にもまた詩音と同じく鎖のような刻印が刻まれている。

 良く見れば、目の前を横切る二足歩行の二等種は、皆手首足首に自分と同じ刻印が刻まれていた。
 腹部と腰には管理番号とXの文字。つまり、彼らもまた不良品と呼ばれる個体なのだろう。

『矢印に沿って作業用品保管庫まで移動しなさい』
「……はい、人間様」

 またいつもの無機質な音声で、指示が頭に響く。
 隣にいた個体達も、同じ指示を受けたのだろう。一体何が起こっているのか理解できないながらも、人間様の命令は絶対だと言わんばかりに、オス個体が視界に映る矢印に向かってそっと右手を前に伸ばした。
 それに続いてメス個体。シオンも、そして同じように床に座り込んでいた他の個体も後に続く。

(……にしても……こんなに喧しいところは捕獲されてから初めてかも……)

 基本的に二等種が出す音は悲鳴や呻き声と人間様への挨拶だけだし、人間様も二等種の前では積極的に言葉を発さない。
 翻って、この賑やかさはまるで地上のようだ。話している内容はいまいち理解はできないが、喧噪という現象自体にちょっとだけ懐かしさを感じてしまう。

(ああ、これが当たり前だったのに……こんなところまで奪われてしまっていたんだ)

 今まで自分達が置かれた世界がどれだけ異様な静寂に包まれていたのかを、シオンはまざまざと実感していた。

 ぺたぺたと一列になって四つ足で歩く不良品達に、声をかけるものはいない。
 時折視線は感じるから無視されているわけでは無さそうだし、その視線も人間様の視線のような侮蔑と嫌悪は感じない。
 人の視線に敏感な二等種達にとって、何の敵意も混じらない視線はそれだけで安堵をもたらす。ただ、幼少期から常に見下されてきたシオンにとってはあまりに慣れないタイプの視線だけに、ちょっと挙動不審になるのは致し方ない。

(落ち着かない……視線もだけど、なんか、その……)

 ただ、挙動不審になるのはそれだけが理由ではなくて。

「ええと、これを片付けたら次は返却個体の復元……はぁい、かしこまりました管理官様」

 さっきすれ違ったのは、淡いミントグリーンの髪をアップに束ねたメス個体。
 メリハリのきいた見事な肢体を晒し颯爽と拘束された二等種を牽く幼い顔立ちの彼女は、しかし左肩から胸にかけて、そして右の太ももにでかでかと複雑な模様のタトゥーが刻まれていた。
 耳に光るのはピアス。それも耳たぶではない、耳輪に沿って両耳合わせて4つもだ。

 良く見れば他の個体も、大半が大なり小なり身体に同じようなタトゥーを彫っているし、鼻や唇、へそにピアスが光っている個体もいる。
 見目の整った個体達はそれだけで格上感がすごくて、美しい肢体に彫られたトライバル柄のタトゥーは、地べたに這いつくばって見上げる分には恐ろしい迫力を放っていて。

(何!? ちょ、まさか不良品の「不良」ってそう言う意味なの!?)

 と、シオンが恐怖に震えるのは無理もないだろう。

(どどどどうしよう……そんな、こんな二等種とこれから一緒になるの!? また虐められるんじゃ……)

 これまでの経験が最悪の予測をはじき出しても、足を止めることは許されない。
 シオンは(ううん、全員が不良みたいな格好をしてるわけじゃない、きっと怖くない、うん、怖くない人たちだよ!!)と不安を振り払うように何度も心の中で唱えながら、矢印の指示に従うのだった。


 ◇◇◇


「ひえぇ……こ、怖い人がいっぱい……」

 さよなら、誰にも(人間様を除く)虐められない平和な日々――

 せめて向こうの世界のトモダチが怯えて泣いていませんようにと、自分が泣きそうな顔になっていることには気付かないシオンはトモダチの無事を案じながら「作業用品保管庫」と書かれた部屋の真ん中でガタガタと震えていた。

(取り囲まれてる……逃げ場がないいぃ……!)
(何これ!? まさか、リンチでもされるの!!?)

 同じようにこの部屋にやってきた個体達を、大勢の「不良の」二等種達がぐるりと取り囲んでいる。
 ここでも特に悪意は感じないけれど、もうその身体に刻まれたタトゥーの群れだけで恐怖を感じるのだろう、皆顔色が悪い。
 シオンなんて、今にも泡を噴いて倒れそうだ。

 と、自分達を取り巻く輪が切れ、さっと道ができる。
 何事かと思えば、ロイヤルブルーの髪を後ろにひっつめた三白眼のオス個体が、風を切ってのしのしとこちらに歩いてきた。

(ちょ、ヤバいのが現れた!!)

 その風貌が目に入るなり、シオンのみならず中心に集った個体全員にさっと緊張が走る。

 二等種らしからぬ鋭い眼光、胴に入った威圧感のある歩き方。その迫力を更に5倍増しにするのは、肩から両腕にぐるぐると巻き付くように彫られたタトゥ-。
 途中でくるりと後ろを振り向き他の個体と話しているときにチラリと見えたが、背中にもでかでかと……あれはオオカミだろうか、立派なお絵かきが彫られていて、それを見た瞬間全員が恐怖とともに理解した。

 間違いない、こいつがここのボスだ、と。

「あぁん? なんだ、今年の入荷は少ねぇな! たった7体ぃ!?」

 風貌の通りというか、低くドスのきいた大声に、シオン達は反射的にその場にひれ伏す。
 相手は人間様でもないのに、ガタガタと震えが止まらない。
 尿道閉鎖加工が為されてなければ間違いなくここで漏らしていた、そう断言できる! と半分気を失いかけているシオンが冷静に心の中で呟けば、どっと周囲から笑い声が起こった。

「ちょ、だめじゃんクミチョウ!! 毎度ながら初手で新入りを怯えさせすぎ!」
「やっぱり顔が怖すぎるんだよクミチョウ、ほらそんな悪人面してないで笑顔笑顔!」
「るせぇ、これでも笑顔だ! みろほら、口角がちびっと上がってるだろうが!」

(どこがだよ!!)
(むしろ笑おうとしないで、余計に怖いから!)

 地に伏せたままの7体全員が、全力で目の前のクミチョウとやらに突っ込みを入れる。もちろん心の中でだ。
 というか、その呼び方は――十中八九『組長』だろう――もしや元は不良どころかその筋のお方なのでは、とシオンがすっかり怯えていれば「まあいいや」とクミチョウがギロリとこちらを睨みつけた。

 ……あ、目が合った。
 何も出るはずがないのに、ちびった気がする。

「クミチョウ、眼力がヤバいから!!」「ほらもっと穏やかな心で見つめるんだって!!」と周りから突っ込まれているあたり、多分あれでも精一杯優しい眼差しを作ったつもりだろう。流石(推定)本職、滲み出るものがヤバ過ぎる。

「……あー、取り敢えず落ち着け。てかまずは立て」
「へっ」
「いいから立てっつってんだろ、あぁ?」
「「ヒイイィッ!!」」
「クミチョウクミチョウ、もうちょっと穏やかに」
「ああん? ったく……『その場でお立ちやがれ下さい新入り共!』これでいいか?」
「だめだこりゃ」

((うん、だめだなこりゃ!!))

 再び全員が突っ込みつつ、しかしこの指示に従って良いものかと、あからさまな戸惑いを浮かべる。
 それもそうだ、成体の二等種は人間様の許可無く二本足で立つことを許されない。常に四つん這いで、人間様の靴が持ち込んだ砂埃を掌と膝に感じながら惨めに歩く、それが二等種の正しい姿だから。

(……どうしよう、立ったら懲罰だよね……でも、彼らは立ってるし……)

 どうにも踏ん切りがつかないのは、他の個体も同じのようだ。そっと周囲を見渡しつつも立つ気配がない。
 そんな様子に痺れを切らしたのか、クミチョウと呼ばれた男は「ったく」と吐き捨て突如その場で声を張り上げた。

「管理官様ぁ! このままじゃ埒があかねぇから、新入り共に立位の許可を直接お願いしますわ!!」
『…………受理しました。全員、その場で起立』
「!!」

 クミチョウの要請は許可されたのだろう、一呼吸置いて聞き慣れた音声が頭の中に響く。
 流石に人間様からの命令には敏感だ。彼らはすぐさまその場で立ち上がった。

(……変わらない。自分達と同じ二等種ばかりだ……)

 同じく慌てて立ち上がったシオンは、改めて周囲をおずおずと見回す。
 自分達を取り囲んでいるのは、背丈の変わらない……装飾品こそつけているが見慣れた二等種だ。目線が同じになれば、タトゥーに彩られた個体達もそこまで怖さは感じない。
 ……まぁ目の前の(推定)本職は別格だが、これはもう異次元の存在として諦めた方が良さそうだ。

 懲罰電撃が飛んでこないことを念のために確認して、今度こそシオンたちはほっと胸をなで下ろした。
 どうやら、ここでは本当に二本の足で立ってもいいらしい。保管庫の外で立つのはあまりに久しぶりすぎて、世界の見え方がおかしい気がするなと戸惑う彼らに「これからは」とクミチョウが相変わらずドスのきいた声でまくし立てる。

「いいか、ここでは人間様のように立ち、二足歩行で移動しろ。お前ら不良品は性処理用品じゃねえ、俺達と同じ作業用品になったんだからな」


 ◇◇◇


 成体となった二等種のうち、一年間にわたる誘導で性処理用品に志願しなかった誘導困難個体、は問答無用で不適格の烙印を押される。
 不適格個体は、全ての成体二等種を強制的に性処理用品として製造していた頃にはF等級、すなわち処分相当として検品後即実験用個体保管庫に格納され、良くて実験用のモルモット、酷ければ実験用の素材採取先として壊れるまで最低限の生命維持措置だけを取られて保管されていたであろう個体だ。

 通常、成体二等種の15ー20%がこの不適格個体と判定されるが、以前はモルモットや部品にするには供給が需要を大きく上回るせいで保管コストが嵩み、しかし人間が処分するわけにも行かず扱いに頭を悩ませていたという。
 しかしあるとき、とある研究者が性処理用品を管理するための道具として加工してみたら、これが大当たり。
 以来、性処理用品を製造する調教管理部や、製品となった性処理用品を管理する品質管理局において、これら不適格個体は厳重な安全措置を施した後「作業用品」という名称で壊れるまで利用されることになる。

「……と言うわけでだ、お前らは今日から作業用品として、ここ展示棟……性処理用品貸出センターのバックヤードで製品の管理作業にあたってもらう。詳しい内容は追々にな、まずはこの環境に慣れないと……あ、こら! 保管庫外での自慰は」
「ぎゃぁぁっ!! …………っ、ご、ごしどう、ありがとうございますっ……」
「…………懲罰対象だぞ、って言うのが遅かったか……」

 クミチョウによる説明の最中、一体のオスが我慢できなくなったのだろう、股間に指を這わせる。
 途端にバチバチッ!! と凄まじい破裂音と青白い光が生じ、断末魔のような悲鳴を上げてその場に倒れ込んだ個体にクミチョウは「さっさと立たねぇとまた懲罰電撃が来るぞ」と手を伸ばした。

「作業で必要がある場合を除き、作業中に座ることは許可されない。寝るなんてもってのほかだ。んで、自慰は保管庫の中だけな。ほんの少しでも触れればああなる……ま、あそこまでやらねぇと止まれねぇだろ、お互い」

 作業時間は人間様が発情を下げて下さってるから、気合いで我慢できるようになるさとクミチョウはニヤリと笑う。
 ……あれはこちらを安心させる為の笑顔だ、と本人は思っているのだろう。どう見ても脅されているようにしか見えないとシオンはそっと突っ込みつつ、ふと首を傾げた。

(……今、クミチョウさんは……他の二等種に手を貸した……? そうだ、そもそも……)

 シオンはようやく、ここに来てからずっと感じていた違和感の正体を知る。
 彼ら作業用品は……二足歩行もだが、さっきから当たり前のように会話を交わしているのだ。

 もちろん人間様の命令に対して応答したり、申請を行うのは分かる。それは今までも許されてきたし、人間様の道具として動くならこれまで以上に細かな擦り合わせは必要だろう。
 だが、彼らは作業用品同士で会話をする。
 それも作業のための会話だけではない、先ほどのように茶々も入れれば、雑談もしている。
 二等種同士のコミュニケーションはどんな些細なものであっても反抗と見做される筈なのに、どうして彼らは一体たりとも懲罰電撃に呻いていないのか……?

 その疑問を感じたのはシオンだけではなかったようだ。

「ほら、立て。手を貸してやるから」
「…………え……」
「いーんだよ、俺の手を取ってもお前は罰せられねぇ。俺と話しても電撃は飛んでこねぇ」
「な、んで……?」

 クミチョウはなかば強引に先ほどの懲罰電撃で倒れ込んだオス個体を引き起こす。
 とたんにこの世の終わりと言わんばかりの顔で「ああ……っ」と小さく呻き、懲罰を恐れガクガクと震えているオス個体に「心配すんな」と話しかけた。

「作業用品は、作業中のみ二等種同士のコミュニケーションを一部許可される。じゃねぇと作業が進まねぇからな。……お前らはもう、ここでは何の気兼ねもなく互いに目を合わせて会話する事が出来るんだ。あ、流石に性的な接触は懲罰対象だけどな」
「ほん、とうに……?」
「ああ。いいか良く聞け、お前らは大多数の二等種……性処理用品とは違う。人間様の差し出した手を振り払い、穴にまで堕ちる気はないと貫いた、精鋭だ」
「な…………っ!!」

 精鋭。
 思いもかけない言葉に、新入り達が雷に打たれたような顔をする。
 そんな彼らにクミチョウは「辛かっただろう?」と少し声色を和らげる。

「ここにいるのは全員が、モノとはいえせめて意思のある家畜並みではありたいと……穴になることを拒否したモノばかりだ。だから、お前らがここに来るまで受けてきた仕打ちを全員が味わっている。……不良品として下された罰の重さも、嫌と言うほどにな」
「……!」

 だが、とシオンたち新入りを見据えるクミチョウの瞳は、決して絶望に覆われてはいない。
 そして……周囲の二等種達の眼差しは、どこか優しい。

「その罰と引き換えに、俺達は人間様の道具となった。性処理用品を製造し、管理するための道具だ。道具としての性能を発揮するためには、人間様の手足と同様に便利に使えなければならない。だから二本足で歩き、会話をする権利が俺達には与えられる。人間様への絶対服従を違えない限り……この権利が二度と奪われることはない」
「それじゃ」
「ああ」

 まだ信じられないと行った表情を浮かべ、震える声で尋ねるオス個体に向かって頷いたクミチョウは、高らかに宣言するのだった。

「誇れ。お前らはほんの一部とは言え、人権を取り戻したんだ」


 ◇◇◇


「あ…………」

 クミチョウの宣言にしんと静まった部屋の中、バチン、バチンと懲罰電撃の音が、いくつも唱和する。

「っ……ううっ、ひぐっ……!」

 すすり泣く声は、しかし電撃ごときでは止めることが出来ない。

「俺は……俺達は……うああああっ!!」
「辛かったの……ずっと、一人……誰とも喋れなくて、ひぐっ、ひぐっ……!!」
「自由だ……!! 俺はもう、この足で、歩いていい……!!」

 その声は次第に大きくなり、心の底からの歓喜として、電撃の音すらかき消して。

「あああっ、うぐっ、うわあああっ…………!!」
「よくやった、今まで良く耐えたな!!」
「ま、人間様のモノには変わりないけどさ! これからは仲間がいるからな」
「そうよ、もう一人で泣かなくていいんだから……!」

 先輩作業用品達の祝福の声があちこちから上がる中、新入りの作業用品は落涙の懲罰電撃にもめげず、ただただ思いの丈を部屋に響かせ続ける。
 彼らの……取り戻したわずかな権利への慟哭は、きっと暫く止むことが無い。

「……ま、作業用品は作業用品で楽なことばっかじゃねえけど、今日くらいはな」
「だね、相変わらずクミチョウは上手いよね。伊達にシャバを経験してないというか」
「おうよ。……しっかり面倒みてやれよ、お前も俺も通った道なんだから」
「分かってるって」

 毎年恒例となっている新人作業用品への挨拶を無事に終えたクミチョウ達は、ぎこちなくも会話を試みようとする彼らをそっと見守る。
 12歳から7年半にわたりまともなコミュニケーションを禁じられていた彼らは、最初の内は作業のための会話すら勝手が分からず、己の手に戻ってきた小さな、けれどとてつもなく貴重な人権に戸惑いを覚え、時に恐怖に襲われる。
 作業用品として最低限のコミュニケーションが何の不安もなく取れるようになるには、ここから数年を要するのである。

 まずは一安心だなと心の中で呟いたクミチョウは、しかし歓声の中一人ぼんやりと立ち尽くす個体に気がついた。
 くすんだ藤色の髪に浅葱色のメッシュの入った珍しい髪色を持ちながらも、二等種にしては凡庸な容姿の個体は、なんとも言えない複雑な顔で、歓声を上げる仲間達を見つめている。

「おう、大丈夫か?」
「っ、ひぃっ…………だだだ、だいじょぶぶぶ……あわわ……」
「おいおいそんなにビビるなって。別に取って食いやしねぇよ」
「はひぃ……」

(そ、そんなこと言ったって!! やっぱり怖いものは怖いんだよおぉぉ!!)

 突如話しかけられたシオンはその場で腰を抜かしそうになりながらも、何とかぎこちない笑顔を返す。
 なんともへなちょこな奴だ、良くこれで性処理用品にならずにいられたなと、クミチョウが少し呆れ顔で「なんだ、嬉しくないのか?」と訪ねれば、相変わらず怯えきった様子のへなちょこ個体は「…………嬉しい、です、ただ……」と蚊の鳴くような声で呟いた。

(ちっ、めんどくせぇな……いかんいかん、こういう時は睨み付けずに囁けって言われたっけ……)

 ここは一つ、しゃっきり喋れよと活を入れたいところだが、この様子では変に突いたらすぐへたれてしまいそうだと、クミチョウはぐっと我慢する。
 こういう奴にはとにかく、なるべくドスをきかさずに小さな声で喋らねば。

 ……顔は厳ついがこのクミチョウという作業用品、中身は意外と気を遣える男らしい。

「……ただ?」
「そんな……頑張ったわけじゃないから……」
「……ふぅん。ま、いーんじゃね? お前がどう思おうと、あの地獄を抜けてきたことには違いないんだから。……お前だってやられたんだろ、長期間の絶頂禁止。あの頭が狂いそうになるやつを、さ」
「…………はい」
「ならお前だって頑張ってきたんだ。そうへりくだんなって」
「うげっ!」

 バン! とシオンの背中を励ますように叩くと、クミチョウは相変わらず感激の雄叫びを上げる個体達の方へ行ってしまった。
 さっきから彼らの懲罰電撃は鳴りっぱなしなのだ、いくら初日で大目に見て貰えるとは言え、流石にあまり長引くのは不味いと思ったのだろう。

「いててて……でも本当に、頑張ったわけじゃないんだけどなぁ……」

 シオンは涙目で背中をさすりつつ、ちょっと困った様子でぽそりとこぼす。

 喜びに沸く彼らには、決して言えない。
 確かにあの生活は辛かったけれど、自分は誰にも見えないトモダチと共にあった。
 だから、全ての辛さを一人で引き受け孤独に押しつぶされそうになることも、それが故に人間様の誘導に心が靡きかけることもなく、今ここに立っていられるのだ。

 それどころかあの状況をすっかり楽しんで……存分に性癖を満たしていただけのヘンタイだなんて、彼らにバレたらそれこそどんな目に合うやら分かったものじゃない。

「でも、きっとこれで良かったんだよ、ね」

 どちらの道を選んでいても、二人だけの世界で完結していた生活が激変することに変わりは無かった。
 ただ、幼い頃から存在の価値を否定され続けてきた自分にとっては、自分を貶めてきた人間様と確実に接さなければならない性処理用品より、少なくとも捕獲されてからは同じようにモノに成り下がり軽蔑の対象として過ごしてきた彼ら作業用品達と接する方がまだましな気がするし、なにより

「君もきっと、心穏やかにいられるだろうから……だからこれでいいんだ」

 ――大切なトモダチの涙を、見なくて済みそうだ。

「んじゃ、オリエンテーションをはじめっから新入りは集合な!」
「「っ、はい!」」

 ようやく落ち着いてきた新人達が、目を真っ赤に腫らしながらも笑顔でクミチョウの元に集う。
 シオンもまた「不適格の烙印も、これなら悪くない」と心の中で頷きつつ、彼らの方に歩みを進めるのだった。

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