沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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7話 違えた道の彼方と此方

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「うがっ!! 痛いぃっ……!」

 作業用品という新しい世界に迎え入れられた次の日の朝。
 久しぶりに起床の電撃を全力で食らったシオンは、急いで飛び起きその場にちょこんと正座した。
 珍しく寝ぼけた頭で隣にいるであろうトモダチに「おはよう」と声をかけようとして、その姿がないことに一瞬肝が冷え……しかし床に描かれた転送陣の淡い光と耳に刺さる慣れない喧噪に(そうだった)と安堵する。

(ここは保管庫じゃない。今日からは……作業用品として働くんだ)

 そう。
 今日からシオンは、ここで「作業用品」という名の人間様の道具としてこき使われる。

 早番の時はいつもの起床時間より1時間早く使用時間が始まるせいで、身体が覚えるまでは朝の電撃は覚悟しておけよと、昨日ここのボス――クミチョウに言われたのをすっかり忘れていたことを、シオンはふと思い出した。
 作業用品の使用時間は「早番」と「遅番」に分かれていて、作業用品としての生活に慣れるまではずっと早番に設定されるそうだ。
 人間様に従順なこの身体は、一月もすれば新しい起床時間を覚えて、以後は早番だろうが遅番だろうがきっちりその時間に目が覚めるようになるらしい。

「あ…………」

 トモダチの代わりに隣で「痛ってぇ……」と手首をさすっているのは、同じ新人個体のオスだ。
 その向こうで戸惑っているオス個体も、同じく昨日ここに入荷されたばかりだったはず。

(はあぁ、周りにキラキラが飛んで見える……!彼ら、人間様だったらモテたんだろうな……)

 毎度ながら二等種のオスというのは何故こんなに美形なのだろうかと、シオンは二体の整ったかんばせとふさふさのまつげを羨ましく思いつつ、隣に声をかける。

「……おはよう」
「っ………………お、おはよ……」

 そうすれば彼はビクッと身体を震わせ……暫く固まった後に意を決したのだろう、おずおずとか細い声で挨拶を返してきた。
 視線は合わない。そして彼の顔には、同じ二等種と言葉を交わす事への恐怖がありありと浮かんでいる。
 どうしたものかとシオンが考えあぐねていれば、頭の中に「直ちに作業用品保管庫へ移動しなさい」と無機質な命令が響いて、二体は慌てて床に這いつくばろうとした。

「違った、歩いていいんだ」
「……あ、そうだった」

 隣から聞こえた独り言に、シオンは何となく周りを気にしながら立ち上がる。
 彼らほどでは無くとも、やはりこれまで禁じられていたことを実行するには不安がつきまとうのだ。
 大丈夫、ほら、電撃は飛んでこないと胸をなで下ろし、シオンは一歩足を踏み出した。

「…………」
「………………」

 ぐんと広がる視界にちょっと目眩を覚えながら、矢印の指し示す方向へと二人は会話もなく歩いて行く。
 既に先輩作業用品は作業に入っているのだろう、カラカラとカートを押す音や鞭の打撃音、確認の声があちこちから聞こえてくる。

 ――いつかこの喧噪を、日常と認識できる日が来るのだろうか。今の自分にはそんな未来が全く見えない。

(変な感じだな……床が遠くて頼りない……)

 昨日は四つん這いで歩いたときには、先輩作業用品のみならずあらゆるものがもっと大きく、強く、抗えないものとして見えていたのに、立ち上がれば何のことはない。
 あの姿勢は恐らく人間様への従属強化を意図していたのだろうなと、シオンは周囲をキョロキョロ眺めながらかつては当たり前だった、けれど今は新鮮な世界を堪能するのだった。


 ◇◇◇


 展示棟2階、作業用品保管庫。個体の保管庫と区別するためか「待機室」と呼ばれるだだっ広い部屋。
 基本的に作業用品はここで起立したまま待機し、基本的には音声による人間様の指示を受けて各種作業を行う。
 また早番は朝の、遅番は夕方の餌をここで貰う形になるそうだ。
 待機中は基本的に雑談は自由。当然ながら反抗的発言は即処分対象となる。また壁に凭れたり給餌以外で床に座ること、及び自慰は禁止だ。

 部屋の片隅にある餌場では、先輩作業用品が手慣れた様子で順番に土下座し餌を啜っている。
 部屋に入ってきた新人に気付いたのだろう、ちょうど餌を食べ終わった作業用品が「おう、おはよう新人」と声をかけてきた。

「あ、おはようございます……」
「昨日は眠れたか? ま、当分は消灯時の電撃でそのまま気絶させられるだろうけどな」
「寝たというか……ね、寝かされた感じでした……」
「ははっ、違いない。まあここでおっぱじめないためにも、保管庫じゃしっかり遊んでおけよ」
「は、はいっ……」
「よう新入り、お前随分変わった髪の色だな! そのメッシュは地毛か? 成体になるときに変えられたとか?」
「え、あ、そのっ地毛で……」
「マジかぁ、いいなぁ格好いいじゃん! 俺もメッシュ入れてみてぇ」

(うわぁ、何このぐいぐい来る感じ!? 陽キャ? 実は陽キャだったの、二等種って!!?)

 延々と話しかけてくる作業用品達は、まさに社交性の塊のようだ。
 教室の隅っこでいつも怯えながらぼっちで過ごしていた自分には、その整った外見も相まって、同じ二等種だというのに彼らの存在が眩しすぎて目が潰れてしまいそうである。

(うあぁ誰か助けてぇぇ!!キラキラに取り囲まれて成仏しちゃうよう!)

 愛想笑いを張り付けながらも、何とか会話を続けるシオン。
 残念ながら親切心満載のやりとりに助けなど来るはずもなく、むしろ周囲は「新人? 最初から結構喋れるね」と温かい目で見守っているし、新人作業用品達はシオン以上に固まったままだ。

「あ、餌に呼ばれた。行ってくるわ」
「はい」

 給餌の順番が回ってきたお陰で、ようやく話が一区切り付く。
(乗り切った……乗り切ったよえらい自分!!)とシオンが心の中で自分を褒めていれば、新人のオス個体が意を決したように「君……凄いね」とシオンに話しかけてきた。

「え」
「……その、喋るの……怖くないの?」
「えと……うん、そんなには……」
「そうなんだ……俺…………っ、ごめん……やっぱだめだ…………」

(…………あ)

 口を開きかけたオス個体は、しかしそのまま凍り付き、落胆と共にぐっと拳を握りしめる。
 その様子にシオンは、自分達がどれほど恵まれていたのかを今更ながら痛感していた。

 ――まさか晴れて会話の権利を取り戻した作業用品が、元々コミュニケーションが苦手な自分よりも酷い状況に陥っているだなんて、想像もしていなかったから。

(……保管庫ではずっと二人だったから、喋れているんだ…………一人だったら自分だってこうなってた。ううん、こんなもんじゃすまなかったかもしれない)

 長年、しかも多感な時期に押さえつけられ溜め込んだ気持ちを表出したい。何より誰かと話したい。他愛ない話で良いから――
 その気持ちだけは募るのに、いざ言葉にしようと決心したところで想いは言葉として結実せず、口は震え、息に音は乗らない。

 目を合わせるだけで懲罰、処分、廊下を彩るオブジェとして壊れるまで見せしめとして飾られる。
 必死に上げていた懇願が意味をなさない呻き声となり、それすら聞こえなくなって目が濁り始め、やがてピクリとも反応しなくなる――
 そんな処分個体の姿はいくつも脳裏に焼き付いていて、これまでだって事あるごとに彼らの言動を縛り続けてきた。
 例え目の前に人間様がいなくても、頭は勝手に植え付けられたルールで己を判じる。そしてルールが変わったところで、そう簡単に書き換えられるわけではない。

「……っ…………くそっ……くそっ…………」

 小さな慟哭は、こんなざわめいた部屋の中でも良く聞こえて……胸に刺さる。

 ほとんど全ての作業用品は、個々に迎え入れられ一部とは言え人権を取り戻せた事に歓喜する。
 しかしいざその権利を以前のように振るおうとすれば、話すというこんなささやかな権利すら本当の意味で取り戻すのに膨大な時間と労力を要する事実を突きつけられるのだ。
 せめて涙でも流せれば多少は和らぐであろう痛みは、残念ながら懲罰電撃の痛みと引き換えである。だから泣くことすら出来ない彼らは、小さな絶望を瞳に湛えてただ立ち尽くす。

 絶望の先に差し出された希望。そしてその向こうで待っていた、新たな絶望……
 作業用品としての生活は、ここから始まるのだ。

「……慌てなくていいさ。作業のためなら1ヶ月、自分の気持ちだって半年もすれば少しずつ話せるようになる」
「そうそう、そのうち私たちみたいに喧しいって言われるくらい喋れるようになるわよ」
「…………はい……」

 唇を噛みしめるオスの肩を、見守っていた別の先輩個体がそっと抱く。
 彼らもきっと同じ悲しみを抱え、たくさんの二等種に支えられて、ようやく人としての権利のごく一部を取り戻せたのだろう。
 ――ああ、だからこそ余計に彼らは社交的なのかもしれない。

 ここには、理不尽に全てを奪われ深い傷を負ったモノを笑うものはいない。
 その事実は、シオンの心を少しだけ軽くしてくれる。

 ……そう、ほんの少しだけ。

(でも……きっとこの怖さは、誰にも共有できない。だって……)

(彼らは『違う』から)

 佇んでいるだけで人の目を惹くような不思議な魅力を持っている、しかも大多数は容姿端麗な二等種達が、地上で自分のようにあらゆるものから存在を拒絶されるような目に合っていたとは考えにくい。
 むしろ彼らはシオンにとって「向こう側」の人間様だったはずだ。いくら同じ二等種という底辺の存在に堕ちていても、人は集まれば優劣に支配される生き物、信頼などありえない……

 シオンの経験に裏付けられた悲しい信念もまた、人間様に植え付けられた二等種としての価値観と同様に強固な呪縛となる。
 その鎖がほどける日は、見えない。

(大丈夫……それでも自分は、一人じゃないから)

 作業用品として他の二等種達とも交流を強いられるのは、正直怖くてたまらない。
 怖いけど、保管庫に収納されれば今まで通りたった一人のトモダチに逢えるから……だから自分は、何があってもきっと生きていける。

「『かしこまりました、管理官様』……じゃ、俺作業が入ったから行ってくるわ。給餌指示が出たら、あそこに土下座して待機な。あと、絶対に座ったり股間を弄ったりするなよ!」
「はい、あ、あのっ………………っ…………」
「礼はいらない。……言えるようになってからでいい、気にすんな」
「う……」

 ひらひらと手を振って去って行く先輩作業用品の姿に「……俺も、あんな風になれるのかな……」と新人達は自信なさげに呟き、早速頭の中に響いた給餌指示に従って蛇口の生えた壁の前で土下座するのだった。


 ◇◇◇


「うぷっ……気持ちわりぃ……」
「餌ってこんなに不味かったっけな……強制給餌のほうがいいや、これなら……」

 餌を終えた新人達は、吐きそうな顔をしながらめいめい独りごちる。
 対話は出来ずとも、独り言なら保管庫でも許されていたからすんなり出てくるようだ。誰に話すとでもなく、けれど誰かに聞こえて欲しいと小さな祈りを込めた言葉が自然と口から滑り落ちる。
 そしてどうやら、餌を口から食べる権利は非常に不評のようだ。先輩作業用品を見る限り、餌が疑似精液からグレードアップする気配はないことを早々に悟ったせいだろう。

(うん、強制給餌に戻して欲しいのは同感かな)

 そんな中、疑似精液を啜り終えたシオンもまた、込み上げる臭気に顔を顰めながら誰かの独り言に大いに頷いていた。
 ……ただシオンの場合は少々意味が異なってはいたけれど。

(これはこれで悪くないシチュエーションだけどさ、やっぱりチューブを突っ込まれて無理矢理餌を放り込まれる方が滾るんだよね……はぁっ、権利を取り戻すのも良し悪し……)

 先ほどまで賑やかだった待機室も、先輩個体が作業に出てしまえば途端に静けさを取り戻す。
 残された新人達だけでは会話になるはずもなく、暇になった彼らは自ずと妄想に浸り始める。それはシオンとて例外では無い。
 あまり淫らな妄想に浸ればうっかり手を出してしまう危険があるというのに、発情したままの頭が織りなす思考では、性的な要素を入れるなと言う方が無理な相談だ。

 時間が経つにつれ彼らは静かに、しかし確実に頭を渇望に焼かれていく。
 一度触れれば止められないと分かっていても、脳裏に浮かぶのは「触りたい」という欲望と、それを後押しする数多の言い訳だけ。

「はぁっ、はぁっ……」

 部屋の温度が上がった気がする。
 過敏になった鼻がふわりと異性のフェロモンを嗅ぎ取れば、もう行為を窘める理性の声など聞こえやしない――

(ああ、ちょっとだけ……ちょっとだけ、触って……)

 熱に浮かされたシオンの指が、そろそろと股間に降りていく。
 先端が良いところに触れかけた、その時

「うぉい、新人ども餌はすんだか? なら移動するぞ、今日はまず製品見学だ!」
「「!!」」

 突然の良く通る怒鳴り声に、シオンは一瞬にして現実に引き戻された。


 ◇◇◇


「ん? ゴルァてめぇら、早速おっぱじめようとしてたな!? ったく、余計なことを考える暇があったら新人同士で目を合わせる練習でもしてろ! ちっとは気が紛れるだろ……あ、股間は見るなよ!」
「っ、はいっ!!」

(ひいぃっ、やっぱり怖いいぃぃっ!!)
(あんな極道まがいな二等種、反則だよお!目をつけられたら殺される……!)

 のしのしと睨みをきかしながら部屋に入ってきたクミチョウの姿に、新人達は顔を引き攣らせ直立姿勢を取る。
 どうやらうっかり自慰を始めそうになっていたのは、自分だけではなかったようだ。
 ……そして、クミチョウがちょっと(どころでなく)怖いと感じているのも。

「ほら、ついてこい!」と一喝されれば新人達は縮み上がり、慌てて背中に彫られた立派な狼の後に付き従うのである。

「あわわ……あ、足が動かないぃ……」
「ん? おーい、何ぼやぼやしてるんだシャテイ! さっさと来い!!」
「ひょえっ!!」

 ドスの効いた大声に、さっきの一声で身体が固まってしまったシオンが飛び上がらんばかりに肩を震わせる。

 彼が怒鳴っているわけではないのは分かる。昨日一日でよく分かった、あれは彼の中では「普通に」誰かを呼んだだけなのだ。
 けれど悲しいかな、地上で受けた心の傷は根深くて、大きな音や「自分」を呼ぶ声を耳にすれば反射的にあの頃の恐怖が蘇り、身体が固まって動けなくなってしまう。
 そう、まさに蛇に睨まれたカエルのように。

(名前……じゃない、管理番号を呼ばれても平気だって……治ったって思ってたのにな、はぁ……)

 ただ、ここに来てからは一度も名前を呼ばれて恐怖に襲われたことはなかったのだ。
 だから「自分達はこんな状況でも成長したのかも知れない」「もうヘタレなんて言わせない!」と内心喜んでいたのだが……よく考えればここで名前を「音」で呼ばれた事など、ほとんど記憶に無い。
 つまり人間様が自分を呼ぶときは常に首輪の電撃だから、反応も何も無かっただけだと、シオンは昨日ここで散々思い知らされたのである。
 全く、世の中はどこまでも無情だ。

(それに、このままじゃまずい……!)

 そしてシオンは今、非常に怯えていた。
 この滲み出る虐められっ子オーラ(悲しいけど自覚はあるのだ、そう、とても悲しいけれど!!)は何としても隠さなければ、ようやく手に入れた平穏な日々がまた壊れてしまう、と。
 特に、クミチョウは危険すぎる。ただでさえ彼には全力の格下扱いを受けている節があるのだ、絶対に隠しきらないとあの手の輩は確実に虐めてくる。

(せ、せめてもうちょっと……そうだ、記号っぽい『名前』なら反応しなくなるかも……!)

 シオンは頭の中をぐるぐる渦巻く恐怖を必死で振り払い、ぎぎぎと音がしそうな様相でクミチョウの方を振り向く。
 ……ああもう、ただの真顔でここまで恐怖を起こさせるなんて。
 他の二等種は皆見目麗しく魅力的だというのに、この個体はなんて規格外の二等種なのだろうか。

「ほら、行くぞ」と部屋を出ようとするクミチョウの背中に向かって、シオンは苦し紛れの浅知恵を提案する。
 頑張れ自分、もうあの頃のような無力な子供じゃ無いんだ、と必死に自分を鼓舞しながら。

「あ、あのっ、クミチョウさん……っ!!」
「ん? 『さん』は止めろって言っただろ?」
「ヒィッ!! くくくクミチョウっ、そのっ……や、やっぱり名前を変えたいな、なんて……」
「あん? ……何だぁ? お前、俺のつけた名前に文句でもあると」
「ありませんありませんっごめんなさいご指導ありがとうございますっ!!」

(ひいぃぃっ!! あんな恐ろしい目で睨まれたら勝手に謝っちゃうううぅぅ!!)

 ――作戦失敗。試行時間10秒、やはり(推定)本職はレベルが高すぎる。

 半泣きになって棒のように直立するシオンを「ったく、ぼやぼやすんじゃねぇ! さっさと行くぞ!」と一喝して、クミチョウはずんずんと歩き始める。
 並んで歩く新人の最後尾から、へっぴり腰で列を追いかけるシオンとすれ違った先輩作業用品達は「まさに名前の通りだよな」と顔を見合わせ頷き、笑いをかみ殺しながら声をかけるのだった。

「さっさと諦めた方が良いぞ、新人。『舎弟』が『組長』には一生勝てねぇって!」


 ◇◇◇


「名前……?」
「そうだ、これも俺達の権利だ」

 話は昨日に戻る。
 ようやく興奮が収まってきた新人作業用品達は「今日は一日ここで待機がてら大事なことをするからな」とその場に残ったクミチョウたち数人の先輩作業用品から思いもかけない提案を受けていた。

 曰く、二等種である自分達に管理番号とは異なる「名前」をつける、というのである。

 お前らは忘れてしまっているだろうけどな、とクミチョウが管理官の許可を得て話し始めた内容は、シオンにとっては薄々と気付いていた事実で、しかし新人達にとってはあまりにもショックが大きかったようだ。

「……名前を、奪われた……!?」
「ああ。不思議に思った事は……ねえよな、そういう風に記憶も操作されているし。俺らはかつて地上で人間として過ごしていた、それは覚えているだろう? 地上にいた頃には親から貰った、人間様のような名前があったんだよ。こんな管理番号じゃなくて、な」

 二等種を無害化するためには、原初の守りであり魔法抵抗力の最後の砦となる名前は障害にしかならない。
 そのため、二等種は捕獲段階で本来の名前を奪われ、代わりに管理番号が産まれたときからの名前であると記憶そのものを書き換えられる。
 また同時に付与された認識阻害魔法により、二等種は本来の名前を呼ばれてもそれを言葉として認識することが出来ないように頭を加工される。このため捕獲以降己の名前を聞く機会を持たないままおおよそ3年が経過した二等種は、元の名前を知る者から名前を告げられてもただの音の羅列にしか聞こえなくなるそうだ。

(やっぱりそうだったんだ……二等種を人間様の基準に合わせる、そのために名前も奪う……)

 二等種は生まれながらに二等種だったわけではない。
 いや、正確には二等種ではあったのかも知れないが、少なくともその身体も、名前も、地上にいた頃は人間と変わりが無い存在だったのだ。

「そんな……」
「本当の名前は、二度と思い出せないだなんて……ひどい……!」

 ただ魔法が使えない、それだけの理由で自分達は二等種と呼ばれる存在に「作り替えられた」――
 あまりにも残酷な事実に、新人達は愕然と立ち尽くす。
 そんな彼らにクミチョウは「だが」と小さな救いを彼らに差し伸べた。

「俺らは作業用品だ。二等種ではあるが無害化に失敗した不良品で、生涯限られた人間様以外には近づくことも出来ない……一般には存在すら知られていない、知られてはいけないモノになった」
「はい…………」
「で、人間様の道具として使われるためには、作業用品同士でやりとりも必要なんだが、そうなると管理番号をいちいち呼ぶのは煩わしくてな。それで、自然発生的に管理番号をもじった愛称をつけるようになったんだよ」
「愛称?」
「ああ。管理番号ではない、いわば俺達の新しい名前だ」
「……!!」

 この「愛称」をつける文化は、特に人間側から指示したわけではないがどの保護区域でも自然と発生したことが観測されている。
 更に、本来の名前を失った彼らが新しく名前のようなものをつけたところで、作業用品の魔法抵抗力が上がらないことも実証済みだ。
 だから人間側も、特にこの行動を規制してはいない。最低限、その保護区域に登録されている作業用品の元の名前及び愛称と被らなければ良いらしい。

 とは言え、保護区域に登録されている稼働中の作業用品は千体を超える。いきおい、人間のような名前は禁則事項として跳ねられることが多く、彼らも敢えてあまり人間らしくない名前を付けようとするらしい。

「てことで、お前らも今から自分で名前を決めろ。といっても、そう難しく考えなくていい。基本は管理番号をもじるが、別に全員が語呂合わせで作っているわけでもないしな」
「えと……クミチョウさんは」
「さんはいらねぇ。……俺も最初は管理番号……M906からもじって『クロ』だったんだぞ、それが」
「クミチョウは二等種なのにあまりに迫力がありすぎて、全然カタギに見えないからクミチョウって呼ばれるようになったんだよね」
「元はと言えばシャチョーが呼び出したせいだけどな! ……ああ、シャチョーってのは数年前までここにいた作業用品の『名前』な」
「シャチョーは凄腕の調教用作業用品だったから、そう呼ばれるようになったって言ってたっけ。他にも語呂合わせじゃ無い名前を持つ奴はちらほらいるぜ」
「へ、へぇ……」

(結構自由につけられるんだ……)
(そのシャチョーさん、ネーミングセンスがありすぎだよ……どう見てもヤのつくお方にしか見えないもん、クミチョウって)

 なんとも言えない顔で話を聞いていた新人達の感想は、どうやら皆同じらしい。
 じゃあ思いついたら教えろと指示された新人作業用品は、己の下腹部を眺めながらブツブツと『名前』を考え始めた。


 ――それから、一時間後。


「私F027だから、ニナ、で……」
「ニナ、な。……特にシステムから突っ込みも入らねぇから問題ねえな。次」
「お、俺はイーサンにします」
「M113か。ダブりいなかったっけ……いないんだな、じゃあそれでいい」
「あ、ありがとうございます! …………名前……俺は、イーサン……ふふっ……」

 名前を決めてクミチョウに報告すれば、どうやら自動的に人間様のシステムが問題ないか判断をしているようだ。
 6体の作業用品達は次々と名前を決め、管理番号とは異なる新しい響きに声を震わせながら、何度も、何度も噛みしめるように名前を呟いている。

 そんな新人達を、クミチョウ始め数人の作業用品達はどこか懐かしさを覚えつつ眺めていた。

「……分かるわ、私も嬉しかったもの……」
「別に人間様に戻れたわけじゃないんだけどさ。ただの二等種とも、性処理用品とも違うんだって実感できたのは名前を誰かに呼ばれたときだったよなぁ……」
「だな。人間様からすりゃままごとみてぇなモンだろうけどよ……俺らにとっちゃ、ささやかな幸せってやつよ」

 彼らの前途は決して明るくはない。
 二等種である以上、人間様に生殺与奪を握られたモノであることに変わりは無く、壊れるまで使い倒され、時には人間様の気まぐれに翻弄され苦しめられるだけの生涯が待ち受けているのだから。

 彼らを支えるのは、保管庫で終わりのない渇望を癒やす時間と「性処理用品よりはマシ、まだ生き物らしい」というプライドだけ。
 名前はそのプライドを形作る第一歩である。

「で、最後はお前か。決めたのか?」

 名前を披露しはしゃぐ新人達の傍で、未だ名前を決められない個体がいることにクミチョウが気付く。
「思いつかないなら俺が決めてやろうか」と声をかければ、その個体――確かさっき話しかけただけでちびりそうな顔をしていたへなちょこだ――は、案の定泣き出しそうな顔で震えながら「え、あ、あのっ、そのそれが……」と呟いた。

「ん? どうした」
「声に出してみたら…………どの名前も『禁則事項です』って頭の中で……」
「えええ!?」

 どう言うことだ!? と戸惑うクミチョウ達に、そんなのこっちが聞きたいです! とへなちょこ、もといシオンは心の中で叫ぶ。
 当然、心の中だけだ。口にするだなんて、それこそ死を覚悟しなければならない。

(何で全部ダメなの!? みんなすんなり決まったのにぃ……)

 123なんて安直な数字、語呂合わせも簡単だろうと思って他の個体が披露している間に片っ端から思いついた名前を呟いてみたのだ。
 そしたら見事に頭の中に響くのは「禁則事項」のオンパレード。
 無理矢理捻った名前も全て却下され、もはや何も頭に思い浮かばなくなって途方に暮れている始末である。

「マジかよ」とクミチョウ達も試しに良さそうな候補を呟けば、どうやら彼らもことごとく却下されたらしい。
「これは酷い」「ここまで何にも当たらない奴、初めてかも」と散々な言われようだ。
 異変に気付いた新人達も、この顛末がどうなるのか固唾を呑んで見守っている。ああ、お願いだから自分に注目しないでと、シオンはチクチク刺さる好奇の視線に怯えっぱなしだ。

「……んー…………おまえさ」
「はひっ!?」
「いや、ちょっと話しかけただけでいちいちビビんじゃねぇよ、流石の俺だってちょっと傷つくぞ?」
「はひいいぃぃっごめんなさいごめんなさい、何でもしますから許して下さいっ!!」
「だーかーらー……ああもう、落ち着けって。あと軽々しく何でもするとか言うな、そんなにカモられてぇのか?」
「ヒィ!!」
「ちょ、クミチョウも脅さないの」
「脅してねぇよ、ちょっと注意しただけだろうが!」

(こりゃだめだ、こうなった奴は俺が何を言ってもキョドるだけだからな……ったく、それにしたってへなちょこにも程があるだろうが! お前それでも作業用品かよ!!)

 あまりにも想定外な反応に頭を抱えたクミチョウは、ふと奇妙な懐かしさを感じる。
 ――ああ、まだ地上にいた頃にこんなやつが傍にいたな、と。

 見た目は厳ついのにいつもビビり散らかしていて、半泣きになりながら必死で自分の後をついてきたあいつは、年上ながらなかなか可愛いヤツだった。
 もう二度と、彼に会うことは無い。だって彼は――

「あ」
「ん、どうしたのクミチョウ」

 ここまで名前が決まらないなら、語呂合わせと関係が無い名前をこっちでつけたって問題は無いだろうとクミチョウは判断する。
「おい」とシオンに声をかければ、作業用品の風上にも置けないへなちょこ二等種はガタガタと震えながら声にならない叫び声を上げた。

 ……一応本人の中では優しく声をかけたはずなのだが、どうにも自分の声は人を怖がらせる才能に溢れているらしい。

「決めた、お前の名前は俺が決める」
「え」
「ぁん? 何か文句でも」
「ありませんありませんっっありがとうございますっ!!」
「ちょ、クミチョウもっと笑顔笑顔!! あの子クミチョウが怖すぎて魂が抜けかけてるってば!!」
「クミチョウはもっと穏やかな顔を目指すべきだよ、元がヤバいんだから」
「うるせぇ誰がヤバいだ」

 文句もないと言質は取った。
 5秒後「心配するな、お前にぴったりの名前だ」とクミチョウは口の端をニヤリとあげてシオンに渾身の名前を授け、周囲を爆笑の渦に巻き込むのだった。

「今日からお前の名前は『シャテイ』だ!」
「…………は?」
「……ぷっ、ちょ、シャテイってまさか…………『舎弟』!? クミチョウ、こいつを手下にしちゃうの!?」
「ん?いや、手下とはちょっと違うというか」
「そ、そんな、ひどいぃ……ひぐっ……」
「あぁん? なんだ、気に入らねぇなら『コブン』に格下げてもいいぞ? ああむしろ『シタッパ』の方が似合うか」
「うぐぅ……し、シャテイでいいですぅ……ぐすっ……」

(それ、どの名前になったって、パシり要員になるの確定じゃんか!!)

 その日の夜、保管庫に戻った二人は「また虐めフラグが立った気がする」「こんなことなら解釈違いには目を瞑って性処理用品に志願した方がマシだったかもしれない」と仲良くがっくり肩を落としたそうな。


 ◇◇◇


「おいシャテイ! そんなへっぴり腰で歩くな、堂々と胸張りやがれ!」
「はっ、はひぃっ!!」

 物思いに耽っていたシオンの思考は、クミチョウの怒鳴り声で一気に中断される。
「昨日も言っただろうが、姿勢!!」と重ねて注意を受けたシオンは、慌ててピシッと胸を張り、心持ち歩幅を大きくした。
 地上にいた頃だって、こんな堂々と外を歩いたためしがなかったからどうにも落ち着かないが、クミチョウ曰く「性処理用品に格の違いを自覚させるためにも態度は大事」らしく、お陰でシオンは昨日からやれ覇気が無いだ、ビビり過ぎだと注意されてばかりである。

「ま、すぐに作業に入ることはねぇけど、てめぇはいくら何でもヘタレすぎだ。他の奴と違って最初からかなり会話も出来るみたいだし、俺が責任持ってその根性みっちり叩き直してやる!」
「ヒィ」
「チッ、そこはビシッとして大声で『ありがとうございます』だろうが!」
「あわわっ、あ、ありがとうございますぅっ!!」

 ――初日から名前の通り、完全に舎弟扱いである。この先を思うと実に頭が痛い。

 移動しながら、クミチョウはこれからのスケジュールについて説明する。
 怯えながらも話に相槌を打つのは、舎弟たるシオンの仕事のようだ。非常に嬉しくないが、他の個体達の様子では致し方ない。
 そして人間様のことだから初日から全力で酷使されるのかと思いきや、どうやら作業用品としての生活ペースに慣れるまでは基本的に作業は指示されないらしい。

「起床時間の調整に作業時間中の姿勢保持、先輩作業用品との会話、後は自慰頻度だな。その辺が基準を満たせば、管理官様から指示が入るようになる。ああ、これからは人間様ではなく管理官様と呼べ。俺らと話せる人間様は、特別な資格を持つ管理官様だけだから」
「……意外と人間様はお優しいんですね…………」
「もっと酷い扱いを受けると思っていたか? まぁ、俺らは作業用品だからな。酷使して耐用年数が減れば、その分これまで無害化にかけたコスト回収もままらななくなるだろ? だから限界を超えた運用法方は基本的にされねぇよ、性処理用品と違ってな」
「せ、性処理用品はやっぱり……大変なんだ……」
「あれは製品となって初期設定後、一般の人間様相手に2年レンタルすれば加工コストがペイできる。残りの10年ちょいは丸々儲けがでるからな。多少ヤバい扱いをしたところで、国は文句を言わねぇよ」

 性処理用品に志願した二等種は、地下にある調教専用の施設で12週間にわたる調教と加工を行い、検品を経て地上にある性処理用品貸出センターへと出荷される。
 その後出荷時の等級に応じた期間の「初期設定」と呼ばれる処置を行い、正式な製品として登録されて一般人に貸し出されるという。

 平均耐用年数である30年間、丸々使い倒しても幼体時からの飼育加工コストが回収できない作業用品と異なり、性処理用品は最も低品質なD品であっても貸出年数が延べ4年に到達すれば元は取れる。その上、性処理用品は財政を潤すのみならず治安維持にも一役買っていて、その価値は金銭だけでは推し量れない。
 それ故に、政府はできる限り多くの二等種を性処理用品に仕立て上げようと、今でも莫大な予算を投じて研究を進めているのである。

 ちなみに、利用者がレンタル中に破損させれば当然安くない損害金の支払いが生じるし、場合によっては器物破損罪に問われるが、性処理用品は作業用品となった彼らと異なり復元能力を大幅に強化されているため、軽い骨折や筋断裂程度の怪我は人間様が定義する「破損」の内に入らない。
 とはいえ現実には、復元能力を大幅に上回る破損を生じたまま返却、または緊急回収され、管理官による大規模な復元処置や最悪廃棄処分となる個体が毎月1-2体は発生するらしい。

「管理官様や、これまで二等種として関わってきた人間様は随分温厚で理性的だぜ、一般の人間様に比べればな」と締めくくるクミチョウの言葉は、新人個体には俄に信じがたいようだ。
 幼体の頃に散々見せつけられた、ほんの些細な反抗に対していとも容易く行われたオブジェ化や数々の懲罰の痛みを思い出したのだろう、顔を曇らせながら「まさかあれより酷い事を人間様がするだなんて」「流石にそれは無いんじゃ」と口々に呟いている。

 ――彼らも働き始めて1カ月も経てばその言葉が真実であったと痛感し、性処理用品という道を拒否した自分の選択は正しかったと確信を抱きながら「お優しい」管理官様への従属を深めていくのである。

 そんな中で、うんうんと全力で頷く個体がひとつ。

(だよねぇ……同じ人間相手だって、大人も子供も関係なくあの扱い……まして人間にとって有害な二等種が、完全に無害化されてあそこに放り込まれたら……あああ、考えるだけで恐ろしい……)

 数々の碌でもない出来事を思い出したのだろう、真っ青な顔でクミチョウの話に同調するシオンに、これまでのビビりっぷりを加味して何となく状況を察したクミチョウは「……お前、ガキの頃から相当苦労してたんだな……」と流石に同情の眼差しを向けるのだった。


 ◇◇◇


「ヨナ、フッコ、新入りに見せられそうな製品いねぇか? 出来たらA品かB品で」
「それならさっき返却されたA品のメスがいいな。ちょうど初期設定が終わったばかりで破損も無いって話だから」
「『管理官様、許可を……はい、ありがとうございます』うん、管理官様も使って良いって」
「よっしゃ、ちょっと借りるぞ」

 今回新人達が連れてこられたのは、返却時検品室。
 その名の通り、人間様へのレンタルから返却された個体を洗浄がてら、状態を確認するための部屋である。

「うわ、広い……」
「一度に12体の検品が可能だ。それでも繁忙期には足りないくらいだけどな」

 だだっ広い部屋の中には、洗浄用とおぼしきブースといくつかの拘束台が並んでいる。
 棚にはぎっしりとよく分からない器具が詰め込まれていて、作業用品達が忙しなくカートに物品を突っ込んでは拘束台で作業を進めていた。
 ここで洗浄と検品を行った個体の大半は問題なしと判断され、そのまま保管庫に収納されたり次のレンタル先に出荷されるが、破損がある場合は作業用品または管理官による復元措置が行われるそうだ。

 クミチョウはフッコと呼ばれた先輩個体から見慣れたスーツケースを受け取ると、新人達の前に転がし「まずは性処理用品をじっくり見て貰う」と蓋を開けた。
 途端にむわりとメスの匂いが辺りを満たす。

「梱包されているのを見るのは初めてだろう? 俺らもこうやって梱包されてここに出荷されたんだけどな」
「……うわ、ギチギチ……」
「おいシャテイ、取り出すから手を貸せ。落とすなよ」
「は、はひっ」

 スライムのような緩衝材に包まれたメス個体をスーツケースから取りだし、床に置く。
 小刻みに震える身体はほんのりと色づき、股間からは白濁した液体がどろりと伝って早速床を汚していた。

「うげ、梱包前に洗浄しなかったのかよ……『管理官様、F082の開梱許可を申請します』」

 クミチョウが虚空に向かって管理官に許可を取れば、カチン、カチンと軽快な音と共に製品を雁字搦めにしていたベルトから小さな南京錠がいくつも落ちてくる。

(……こんな風にギチギチに拘束されていたんだ……絶対抜け出せないのにダメ押しの南京錠とか、ツボを心得てるよね……!)

 密かに興奮の色を浮かべながら固唾を呑んで見守るシオンの目の前で、開梱された製品が仰向けに転がされる。
 その光景に新人達の中から「うわ」と声が上がった。

「え、乳首……輪っかがついてる……?」
「股間にもあるわよ、あれ……まさかピアス!?あんなのついてたっけ……」
「あの腹、いくらなんでも膨らみすぎじゃね? 浣腸……だけであんな風にならないよな……?」

(うわぁ……これ、生きてるんだよね……!?)

 シオンもまた、変わり果てた二等種の姿に絶句していた。
 他の個体とは違って早々に性処理用品への興味を失ったシオンは、製品の細かい外見など全く記憶が無い。いや、もしかしたら当初は気にしていたかも知れないが、早々に始まった絶頂制限のお陰でそんな余裕は吹っ飛んでいた。
 だから、きちんと性処理用品の姿を見るのはこれが初めてである。

「んっ……おぇっ……はぁっ、んぁ……」

 馬鹿でかい口枷で塞がれた喉からは、くぐもった喘ぎ声が漏れている。
 全身は汗でしっとりと濡れ、発情に色づいていてなんとも艶めかしい。

 手足にはこの部屋に来る間にすれ違った製品同様、金属製の枷が装着されている。
豊満な胸のてっぺんと、陰裂からはっきり顔を覗かせる肉芽は、見たこともない太さのリングで貫かれていた。
 見るだけで痛々しくて……ドキドキして、ぞくっと何かが――言うまでも無い、これは興奮だ――背中を駆け抜けていく。

(這ってたから見えなかったけど、性処理用品はこんなものをぶら下げていたんだ……それに……)

 そのままシオンは視線を落とす。
 胸の下から下腹部にかけては、明らかに異様な膨らみを呈している。
 股間は黒いシールドで覆われているが、恐らくあの向こうに何かしらを詰め込まれていると見た。少なくともこの膨らみは、ただの液体では無い。

 そして自分と同じように黒々と刻まれた管理番号の下には「A」のアルファベットが記されていた。

「こんなのだったんだ、性処理用品って……」
「思った以上に……モノ? っぽいな……」

 口々に感想を漏らす新人達に「動画じゃそこまでじっくりは見てねぇだろ、そんな余裕もなかっただろうしな」と話しながらクミチョウが何かを手にする。
 ベルトのケースから取りだした、掌に収まるサイズの黒い板を「製品はこうやって起動するんだ」と未だ意識の戻らない製品に向けたかと思うと、クミチョウは小さなボタンを押した。
 途端に

「!!」

 バチン、バチン、バチン……

 聞き慣れた音――これは首輪からの電撃だ――が3回連続で流れたかと思うと、目の前の製品はまるでスイッチが入ったかのようにガバッと飛び起きた。
 すぐさまその場で股を拡げてつま先立ちのまましゃがみ込み、ドロドロに濡れそぼった秘部を見せつけるような体勢を取る。
 鎖で繋がれた手は頭の後ろ。お陰で、隠したい場所は全て丸見えである。

「ふーっ、ふーっ……んんっ……」
「……うわぁ、凄い格好……」
「これが性処理用品の基本姿勢だ。特に指示が無ければ必ずこの姿勢を取る。もし姿勢が崩れたり許可無く声を出したら」
「んごっ!!」
「……リモコンで懲罰電撃を流せ。鞭でケツをひっぱたくんじゃ、製品は気持ちよくなっちまうからな」
「ええええ!?」

(む、鞭で……気持ちよくなる!?)
(いや、でもあんなにお腹パンパンで苦しそうなのに……めちゃくちゃよだれ垂らしてね?)
(何をしたらこんな酷いことされて気持ちよくなれるのよ!! はっ、気持ちよくなれるように、された……!?)

((もしかして、性処理用品って想像以上にヤバい事をされているんじゃ))

 何気なく語られる衝撃の事実に、新人達は目を白黒させている。
 それも無理は無い。何せつい最近まで同じように保管庫で飼育されていた――管理番号から察するに、この個体は一つ年上の筈だ――二等種が、短期間の内に明らかに自分達とはかけ離れた何かに変えられているのだから。

「まだビビるのは早ぇよ」と笑いながら新人達の反応を楽しんでいるクミチョウが、顔を戒めていたハーネスを外す。
 管理官に何かを申請したかと思うと、メス個体……82番に向かって「おい、口の維持具を外すぞ」と作業用品に向ける声とは一転、冷徹なドスの効いた声で命令した。

 ――あれでもクミチョウは随分気を遣って喋っていたのだと、全員が理解する。理解はするが、その声だけで腰が抜けそうだ。

「っ……んぁ……」
「動くなよ、この姿勢じゃ抜きにくいんだからな」

 命令を受けた82番は、ガクガクと身体を震わせながら喉を反らす。
 首輪を内側から押し広げるようにぼっこりと膨れ上がった喉を見ているだけで、こちらまで息苦しくなってきそうである。

「取り敢えず挨拶させるか。バルーンの液体を抜いて……よ、っと……相変わらず重いよな、これ」
「…………っ」

 カチッ……ずるっ……ぐちゅっ……ずるずる…………

「うわ……」

 シオン達がゴクリと唾を飲み込む中、クミチョウがゆっくりと口枷を引っこ抜いている。

「これは口腔性器維持具ってんだ、早い話が口まんこの蓋な」と説明しながらずるずると音を立てて出てきた口枷……と呼んで良いのだろうか、ドロドロの粘液を纏い表面には毛細血管のような模様が浮かんだおぞましい触手じみた物体の全容が、徐々に明らかになっていく。
 10センチ、20センチ……いくら抜いても全く終わりが見えない……

(まさか、あれ……胃の中まで入ってた……!? それに、めちゃくちゃ太いよ!? 普段使っているディルドぐらいあるよね!!? 見てるだけで顎が外れそう……)

 口から出てくるには明らかにおかしいサイズ感の口枷(?)に、彼らの目は釘付けだ。
 あまりにも想定外な装具に顔を引き攣らせ、中には思わず嘔吐いてしまい落涙に懲罰電撃を食らっている個体もいる。

 ズルンッ……!

「はぁっはぁっ、おぇ……っ……」
「ふぅ、っと……おら、何グズグズしてんだ? さっさと挨拶しろ、そんなに懲罰点が欲しいのか」
「っ……!!」

 ようやく抜けきった50センチ近い大蛇のような維持具を床に放り投げたクミチョウは、肩で必死に息をする82番など知ったことが無いと言わんばかりに低い声で命令しリモコンを首輪に突きつける。
 その声を効くや否や、目の前の製品はアイマスクで遮られた視界に向かって大きな声を張り上げるのだった。

「こっ、この度は性処理用品をご利用頂き、ありがとうございますっ!! 当個体の管理番号は53CF082です! どうぞ、ご自由にっ、お使い下さいいぃっ!!」


 ◇◇◇


「……穴は全部詰め物をしてる……?」
「おう。性処理用品ってのは、人間様の性欲処理用の穴だってことはもう知っているよな? これはあくまでも人間様の快楽の為だけに動作するモノだから、穴自身が勝手に弄らないようにしっかり蓋をしてあるんだよ。俺達には満足感は無くても自慰をする権利があるが、こいつら穴には自慰どころか自分の身体に触れる権利もねぇしな」
「その、苦しくないんですか? ……製品だから大丈夫とか?」
「んなもん苦しいに決まってるだろ。じゃなきゃ、必死に人間様に借りて貰おうって媚びなくなるだろうが。これを抜いて貰えるのは、人間様が穴を使うときだけな。返却時検品以外のメンテナンスは基本的に意識を落としてやるから」

 起動の挨拶を叫んだ82番からアイマスク以外の装具を全て取り外したクミチョウは、ひとしきり装具の説明をした後「んじゃ、洗うか」と洗い場へ製品を牽いていく。

「返却時には洗浄して検品を行う。穴が緩くなっていたら、維持具のサイズを上げたり薬できつくしたりする必要がある。やり方は作業を指示されるようになったら俺達が教えるから、今は何も考えずに見物してりゃいい」
「はい」
「ちなみに洗浄中に叫んだり動いたら懲罰電撃を流せ。懲罰に関しては管理官様の指示が無くても適宜与えて良い。やり過ぎりゃ注意が入るから」

 四つん這いになった製品の首から伸びる鎖を天井から伸びたフックに繋いだクミチョウは、ホースでジャバジャバと水をかけ、洗浄剤を振りかけるとデッキブラシで全身を擦り汚れを落とす。
 レンタル中は人間様が洗浄を行うが、素人による洗浄ではどうしても汚れが溜まってしまうし、今回のように洗浄もせずに返却するマナーの悪い人間様もいるから、ここでの洗浄は特に念入りに行われるという。
 
(うわ、冷たっ!!こんなの浴びたら凍えちゃうよ……)

 82番の全身にはぞわっと鳥肌が立っている。さっきはねてきた水は、明らかに成体二等種の洗浄水よりも冷たい。
 「性処理用品は耐寒訓練を受けてるから、俺らみたいに温度調整した水じゃなくていいんだとよ」とは言うものの、真っ青になった唇でガチガチと歯を鳴らしているあたり、寒さを感じないわけではなさそうだ。

 そんな82番を気遣うこともなく、クミチョウは鼻歌を歌いながらホースの水流で洗剤を落としていく。鼻に水が入って製品がむせようが、お構いなしである。
 その手つきは、とても生き物を洗っているとは思えない乱雑さだ。食器なんて上等なものでは無い、むしろ便器を磨いている感覚が近いだろうか。

「すごい……穴、ぽっかり……そりゃこんなに太くても入るよね……」
「A品だし、拡張はしっかりされてるぜ。これは……膣も肛門も8.5センチまで許容か。なら、俺の拳でも入るだろうよ」
「んっ、んぁっ……はぁっ、はぁっ……」
「おい、誰が勝手に気持ちよくなれと言った?」
「ぎっ!! ……ご指導、ありがとうございますっ……」

 穴の中にも冷水を注ぎ込んで専用のブラシを突っ込み、乱暴に出し入れする。
 普通なら痛みしか感じなさそうな扱いでも、製品には快楽に変換されるのだろうか。鼻にかかった甘い声をあげる82番に、クミチョウは容赦なく懲罰電撃を流しつつ、時折虚空で指を動かしていた。

「あ、あの……それ、何を……」
「ああ、作業用品の視界には担当製品の情報が表示されるんだ。んで、洗浄しながら検品項目を埋めてるんだよ。お前らも移動するときに矢印が見えるだろ? あれと同じようなやつだ」
「へぇ……」

 だからさっきから洗浄の手を止めては顔を近づけたり、何故か洗い場に置いてあるメジャーを当てたりしていたのか。
 発情した頭で良くこんな細かい作業をこなせるなと新人達が感心しながら眺めているうちに洗浄は終わったのだろう、クミチョウは滅菌バッグに入った維持具を取りだし、再び股間の3つの穴を埋めていった。
 ……そう、まさかの3つだ。尿道にも小指くらいの太さの維持具が挿入され、固定用のバルーンを膨らませるにしては随分大量の液体が注入されている。

「目立った破損もねぇ。精神状態も発狂してないから正常。膣圧が落ちてるから、これは薬剤を増量して締めればよし、と」
「んぎぃぃっ……!!」

 首輪の注入口から管理官により指示された薬剤をワンショットで送り込めば、途端に目を見開いた82番からカエルが潰れたような醜い悲鳴が上がる。
 締め付けを良くすればむしろ維持具が気持ちよくなりそうに思えるが、どうやらこの薬剤はそんな生半可なものではないらしい。強制的に筋肉を収縮させた状態を保つため、3日は胎の中のものをギリギリと食い締める痛みに悶絶するそうだ。

 その扱いに新人達が同情の眼差しを向けるも、クミチョウは嬉しそうに……むしろ興奮した様子で「お前がこの程度の利用でガバガバになるのが悪いんだからな? 良かったなぁ使い物になるように直して貰えて」と笑うだけ。
 そして、82番も明らかに寒さと痛みに身体を震わせているというのに「直して頂いてありがとうございますぅ……」とこれまた幸せそうな声で応えるものだから、新人達は内心混乱に陥っていた。

(く、クミチョウが楽しそうなのはまぁ、ただのヤクザにしかみえないけどさ)
(めちゃくちゃ痛いって言ってたよね? 実際痛がってるよね!? なのに……どうしてそんなに嬉しそうなの……?)
(確かに性処理用品はどいつもこいつも幸せそうに腰を振ってたけどさ、こんなことをされても悦ぶのかよ!)

 そんな新人個体の新鮮な反応を、先輩個体達は作業をしながら温かく見守っていた。
 初めて見る生の製品に初々しい反応を見せ、作業が始まれば懲罰電撃一つ与えるだけでもおっかなびっくりだった作業用品達も、一年も経てば製品が同じ二等種でありながら全く別のモノにしか見えなくなり……それどころかこの作業と製品達の苦悶の叫びに心地よささえ感じるようになるだなんて、きっと今の彼らには理解できないだろう。

 良かったな、と彼らは青い顔をしている新人達に心の中で呼びかける。
 お前らの選択は、間違っていない。これこそが唯一本当の自分になれる可能性のある道なのだからと――

 その音にならない言葉に乗せられた本当の意味を新人達が知るのは、もう少し先の話である。


 ◇◇◇


「とまぁ、製品に関してはこんな感じだ。何か質問あるか? ……ってまだそんな会話は無理だな。まぁ喋れるようになったら先輩達に聞け、作業に関する会話に関しては管理官もノータッチだから」

 検品を終えた82番を基本姿勢のまま待機させ、クミチョウが新人達を見回すも、彼らは戸惑いを顔に浮かべたまま立ち尽くすだけだ。
 もとよりまともな反応など期待もしていない。今は雰囲気だけ分かってれば十分だとクミチョウが維持具を手にしたとき「あの」と小さな声が上がった。

「なんだシャテイ。てかもっとしゃっきり喋りやがれ」
「ヒッごめんなさいっ!! ……あああの、さっき……発狂してないなら正常、って……その、心が壊れても問題は……」
「ん? ああ。良いところに気がつくなお前」

 怯えながらも疑問を口にするシオンに(ったく、ヘタレなんだか根性座ってるんだかわかんねぇやつだな)と心の中でひとりごちたクミチョウは良い機会だと管理官に声をかける。

「せっかくなんで性器従属反射を新人に……はい、ありがとうございます」
「……せいきじゅうぞく、反射?」
「おう、性処理用品の完全な無害化に欠かせない機能だ」

 管理官の許可を取ったクミチョウは、82番の後ろに回る。
 視界を分厚いアイマスクで覆われている彼女は、相変わらずどこか苦しそうに息を荒げているだけだ。

 ……桜色に染まった身体を見るに、その息づかいは性的に興奮しているせいかもしれない。

「性処理用品ってのは特殊な加工をしてあるからな。完全に発狂して人間様に危害を与えたり動作基準を満たせなくならない限りは、どれだけ精神的におかしくなっても穴としては何の問題も無く動作できるんだよ」
「何の、問題も無く……」
「そ、まぁ見てな。これこそ人間様の叡智の結晶って奴だと思うぜ、俺は」

 クミチョウの手が、アイマスクの留め金にかかる。
 途端に何かを察したのだろう、82番が「あ、ああ……」と怯えた声を出した。
 その声に「初期設定は終わってるんだけどなー」と呟きながら、クミチョウはアイマスクをはらりと外す。
 ついでに視界に映るデータを確認し、めんどくせぇなとため息をついた。

「……あーなるほど、幻覚形成がやや未熟か……さっきは鼻先でチンポの臭いを嗅いだから反射が出たんだな。まぁ、初期設定が終わったばかりだとこういうのもいるか」

 何やら独り言を呟きつつ良く見てろよと、クミチョウは新人達に製品の側に寄るよう促す。
 そして何故か目を固く閉じている82番に「お前な、調教で教えられただろうが」と電撃をお見舞いした。

「ぐ……っ!」
「お前ら穴は、人間様はもちろんのこと、俺達作業用品にも絶対服従だろ? 誰が勝手に目を閉じて良いと言った?」
「ヒィッごめんなさいっ、お願いしますっ人間様には精一杯ご奉仕します、だからっ、だから調教師様っそれだけはお許し下さい……!!」
「あー……なるほど、人間様には絶対服従でも二等種には反応したくないと。たまにいるんだよなぁ、こういう不出来な個体が……取り敢えず懲罰点多めに追加しておくか」
「っ、そんなっ!!」
「…………あぁん? 穴ごときが反抗か? もっと点数を増やされてさっさと『棺桶』に入れられたいてぇんだな? 嫌なら、さっさと目を開けて、お前の大好きなおちんぽ様とおまんこ様をじっくり眺めやがれ。……それとも何か、無理矢理その瞼をかっ開いて目ん玉ほじくってやろうか?」
「ヒイイィッ!!」

 耳元で低く囁かれる、ドスの効いた声。
 あれは反則だ、例え性処理用品で無くたって反射的に言うことを聞いてしまうわ、と新人達が気の毒そうな顔を向ける中、82番は慌ててその目をパチリと開く。

(ああ……!)

 心の中で慟哭する彼女の視界に映るのは、8体の性処理用品、の股間。
 人間様とは比べものにならない太さと長さでそそり立つ逞しい屹立と、その内側に蜜壺を湛えた割れ目。


 ……そう

 わたしの あいすべき おちんぽさまと おまんこさまが そこに


「はぁっはぁっはぁっ……あああ……」
「……?」

 新人達の見守る中、股を開いてしゃがんだ個体の息が急激に荒くなる。
 さっき塞がれたばかりの股間からはとぷりと蜜が滴り、目はどろりと蕩けて、しかし目の前に突き出された性器から離すことができない。

(え……)
(一体、何が……?)

 訝しげに見つめるシオンたちの前で、桜色の唇がゆっくりと開く。
 さっきとは打って変わって物欲しげな笑顔を浮かべ……こちらがドキリとするほどの妖艶さを纏った82番は、涎で濡れた唇に甘ったるい愛の言葉を載せるのだった。

「はぁっ、おちんぽ様だいしゅきぃ……53CF082にご奉仕させて下さいぃ……♡」


初めての製品



 ◇◇◇


「しゅごい……おおきいっ……調教師様のおちんぽ様、ビクビクしてるぅ……」
「え、ちょ……」
「お願いしますぅ、大好きなおちんぽ様をお口まんこでご奉仕させて下さい! ああっ、堪らない……欲しいの、こんなにいっぱいあるのぉ……お願いします、何だってしますから穴を、穴を使って下さいっ!!」

 先ほどまでの怯えはどこへやら、うっとりと幸せそうな笑顔で性器に向かって睦言を紡ぎひたすらに奉仕を懇願する性処理用品に、新人個体達はぴしりと固まっていた。
 特に一番近くにいて、今まさに己の性器を口説かれているオス個体は「何これ怖い」と顔を引き攣らせ、今にも泣き出しそうである。

「あーあーもう随分必死だな……ビビらなくて大丈夫だぞ新人、こいつら製品は許可が出るまで大好きなおちんぽ様やおまんこ様にご奉仕できないように作られているからな」
「あ、はい……」
「これが性器従属反射。こいつらは人間様では無く、全ての性器に対して絶対服従するように加工されているんだ。だから、性器の存在を五感で感知すれば自動的に幸福感に包まれ、奉仕を懇願し続ける。まるで性器に盲目的に恋しているかのようにな」
「性器に、恋をする……」

 反応するのは本物だけじゃ無いぞ、と戸棚から出したカードを見せれば、そこに書かれた図形……ソーセージのような細長い棒とその両側に丸が二つ描かれただけのイラストにまで「おちんぽ様ぁ」と甘ったるい声で奉仕をねだり始める82番。
 そのうっとりとした様子は、つい最近まで延々と見せつけられた誘導用動画の性処理用品……幸せそうに人間様に奉仕をする製品の姿と被る。

(もう性器無しじゃ生きていけないって、顔に書いてるみたい……)
(それに……凄く嬉しそうに腰を振ってて……ああ、本当にチンポに服従しているんだ。それも嫌々じゃない、製品自体が望んで……)

 たった12週間で二等種はここまで下等な穴に堕ちるのかと、シオン達は人間様の技術に恐れおののきつつ、管理官の指示により与えられたディルドにむしゃぶりつくメス個体を言葉も無く眺める。
 なるほど、これなら少々精神的におかしくなっていても問題は無いだろう。ディルドを喉の奥まで咥え嘔吐きながらも、82番の顔はずっと幸福感に満ちあふれていて、心の底から奉仕を楽しんでいるようだから。

「な? 性器を見る、匂いを嗅ぐ、味わう……ありとあらゆる刺激でこの反射は起こる。最終的には人間様の気配を感じるだけで幻覚の性器を頭に思い描き、その性器に反射を起こすんだ。そうなりゃ、製品の頭の中はちんぽへの愛で満たされたままになるってわけ」
「……愛で、満たされる……」

 その言葉に、新人個体の誰かから「……幸せなんだ」とため息が漏れた。

 製品とて穴として使われる事に、不安や恐怖、まして不満が無いわけではないだろう。それは先ほどの82番の態度からも明らかだ。
 けれど、そんな不安も性器の存在さえ感じれば吹き飛んでしまう。
 消えない幸福感の中で人間様に……否、性器に額ずき奉仕を懇願し、おまけに快楽まで貰って精神的に満たされるというなら、性処理用品という生き方もそう悪くは無いと彼らは結論づける。

「……私は嫌だけど、彼女は性処理用品になって幸せなんだね……」
「そういうこった。なぁ、82番?」
「っ、はいっ! 私は人間様の穴になれて幸せですぅ! だって、いっぱいおちんぽ様に穴を使って頂いて、おまんこ様を舐めさせていただけますから!」

 何の躊躇いも無く満面の笑みで……その口の端には淫らな体液を付けて微笑む製品の言葉は、どう見ても心からの本音にしか見えない。
 だから、同情なんてする必要は無い、こいつらは不幸じゃねえのよとクミチョウは82番を床に寝かせ、アイマスクを付けてドロドロの口に滅菌済みの口腔性器維持具――口から胃までを拡張した状態で貫く凶悪な装置を押し込んだ。

「んじゃ、これを保管庫に収納する。次は収納作業と保管庫の見学な、ついて来い」
「は、はいっ」

 ぱしんと軽快な音を立てて四つん這いになった製品の尻に鞭を入れれば「んふぅ」とくぐもった喘ぎ声を漏らし尻を振りながら、製品はクミチョウの歩調に合わせて手足を動かす。
 慌てて後ろからついていく新人達の顔からは、先ほどまで浮かんでいた同情心と罪悪感――ほんの少し前までは同じ二等種であったモノなのだ、哀れみを感じるのは致し方ない――は薄れ、どこかほっとした様子で地を這う「穴」を眺めるのだった。

 ――ただ、一体を除いては。

(……ああ、こいつは……へなちょこの割に、というよりはへなちょこだから、か……随分な幼少期を送ったと見た)

 クミチョウはその個体……シオンの表情をめざとく見抜いていた。
 明らかに安堵とは違う、どこか考え込むような様子は、しかし少しばかりの興奮も見られるようで、一体どんな感情が渦巻いているのかまでは彼にも推し量れない。

 ただ、一つだけ分かるのは

(こいつ、周りを良く見ている。そして二等種にしては頭が回るな。……まぁこの容姿だし……たまにはいるか、こんなのも)

 この性器従属反応の本当の「機能」を、このへなちょこ個体が正しく見抜いているという事実だけ。

(これはちょっと……観察対象だろうな。そのうちあいつからも指示が来ると見た)

 やれやれ、今年の新人は少ないが、だからといって楽は出来ないらしい。
 クミチョウは心の中で溜息をつき、しかしその強面を崩すこと無く、目的の保管庫へと向かうのだった。


 ◇◇◇


「うあぁぁ……疲れた……足が棒になっちゃったよおぉ……」
「寝たい……一日中働いた上に無理矢理運動とか、人間様は無茶をさせないんじゃなかったの……?」
『給餌を開始します。直ちに指示に従い給餌体勢を取りなさい』
「「嘘でしょもう無理!!」」

 いくら何でも二等種使いが荒すぎない? と嘆きながら、朝ぶりに再会した二人は保管庫の隅に設えられた餌場まで身体を引きずっていく。
 あれから二人はそれぞれの世界で施設案内を受けながら、製品の保管庫と収納、製品となったばかりの性処理用品の入荷作業を見学し、残りの時間は待機室でのんびり先輩達を眺めるという実に平和かつ退屈な初日を終えたのだった。

 だが、7年半にわたり屋外に出ることを禁じられ、特にこの1年は床に這いつくばって過ごしていた彼らにとっては、ただ立っているだけでもとんでもない重労働だったようだ。
 そろそろ限界を感じ始めた頃『作業時間が終了しました』と頭の中に響いた音声に「やっと保管庫に戻れる」と喜んだのも束の間、転送先はまさかの運動場。
 同じく早番だった先輩作業用品に「気合いだ気合い」「動いてないと懲罰電撃食らうよ」と励まされながら重たい身体を引きずり、そのまま洗浄室に転送されて久々に大量の水で汚れを洗い流され、重力に完全に屈した頃ようやく保管庫に辿り着いたのだった。

「ううぅ……もう床のシミになりたい……」
「頑張って至、ここで懲罰電撃食らったらもう電池切れちゃう」
「むしろ電撃で充電……するわけがないよねぇ……」

 正直、もう指一本すら動かしたくない。
 なのに無情にも餌の時間を告げる音声は、土下座して餌をせがんだ後は部屋の隅でしゃがんで、床から生えた疑似ペニスを根元までお尻に突っ込めと淡々と指示してくる。

「ひぃ、足が、足が生まれたての子鹿になってるうぅっ!!」
「おほぉっ!!? ……お……う、詩っ気をつけて……これ、んぁっ、結腸まで抜けちゃうからぁゆっくり……あぅ……っ!」
「…………あー、一気にぶっ挿しちゃったんだ……至、生きてる?」
「死んでる……ふぐっ、うわあああっ!! 無理! ホントもう無理です人間さまぁっ!!」

 指示に合わせて腰を落とせば、カチッと音がして根元が膨らむ。
 明らかに二人の拡張限界を超えた栓に思わず至恩は叫び、詩音は目を白黒させていれば、腹の中に生ぬるい液体がとぷとぷと注がれ始めた。

「……んんん?」
「これ……おかしくない?」

 しかし、二人はすぐに異変に気付く。
 いや、正確には異変が無いという異変に気付くのだ。
 ……いつもなら腹の中を限界まで満たされる苦しさと、痛みはほとんど無いとはいえぐぎゅるるると音を立てながら今すぐに恥も外聞も無く中身をぶちまけたい排泄衝動に駆られる筈の時間が、今日は訪れない。

「……入ってる、よね? 至のお腹膨らんでるし」
「でも、いつもよりお腹小さくない?」
「あ、ホントだ……だからきつくないのかな」

 これなら脂汗を流して耐える必要もなさそうだ。今日の疲れ切った身体にはちょうどいいかもしれない。
 本来なら喜ぶべき事象に、けれど……根っからの自覚がある変態な二人にとっては

「ねぇ、詩」
「……これさ」
「うん」

「「めちゃくちゃ物足りないよね!」」

 また一つ、楽しみ(?)を奪われた残念なプレイになってしまったようだ。

 楽になったとほぼ全ての作業用品達を喜ばせ、そして変態二人を落胆させた浣腸処置は、成体二等種のそれとは全く質が異なっている。
 薬液の濃度は洗浄に必要な限界まで薄められ、量も1.5リットルとそれほど無理の無い(二等種にとっては)レベルで待機時間はたったの10分。
 今後の調教を兼ねて拡張を行い浣腸に慣れさせる必要があった成体二等種や、24時間エンドレスで何かしらを詰め込んだ状態が基本となる性処理用品と異なり、彼ら作業用品がその余暇を堪能する為だけの穴であれば、この程度で十分なのだ。

「はぁぁ……浣腸は前のままで良かったのにぃ……今からでも戻してくれていいんですよ、人間様ぁ」
「どうせ自動で抜き取るのは一緒なんだし、僕ら慣れてるから……むしろもうちょっと量を増やされてもちゃんと大人しく我慢しますよぉ」

 一応天井に向かっておねだりはしておく。
 ただ、何となくだがこのおねだりは叶えられそうに無いとも思う。
 ほら、目の前で自動的に餌皿に注がれるドロドロとした餌も、その事を裏付けているから。

「多分……人間様は楽をしようとしてるんだよね」
「というよりは……なるべく私達に関わらないようにしてる気がする」

 強制給餌が無くなったのは、作業用品に楽をさせるためでは無く、人間様が管を挿入する手間を省くため。
 浣腸にしても弱めの薬剤を選択し、後孔に差し込めば自動的に根元が膨らんでロックされ、あらかじめ決められた量を注ぎ込むだけなら、わざわざ人間様が様子を見ながら調整する必要も無い。
 あれはあれで、人間様は二等種の苦悶の声と表情を楽しんでいたに違いないが……作業用品に対してはその楽しみよりも「接触しないこと」の方が重要なのかも知れない。

「そっか。だからここ、扉が無いんだ」
「うん、廊下ですれ違うことすら嫌なんだと思う。後は」
「……逃亡防止かな。一応無害化に失敗した不良品だしね、僕ら」

 そうなのだ。
 これまで過ごしてきたどの保管庫にもあった、というより一般的な部屋であれば当たり前にあるはずの設備が、ここには備わっていない。
 作業用品用の保管庫は、二等種にとっては完全に閉ざされた空間。人間様による転送魔法無しには、この4畳半の小さな世界から出ることすら許されないらしい。

「不良品なんかに労力は割きたくないよね、人間様も」
「というより……なんだか、人間様が作業用品を怖がっているみたい」
「怖がる、かなあ……だって僕ら、確かに不良品だけど人間様には逆らえないよ?そもそも人間様無しには生きていけない身体だしね」

 詩音の言葉は的を射ている。
 とは言え、理由など自分たちにはどうでもいいのだ。真実を知れたところで、生涯この扱いは変わらない――
 その事に思い至ったのだろう、二人は「さっさと餌食べちゃおうか」「だね、このままじゃ力尽きて餌にダイブしちゃう」と話を切り上げ、餌皿になみなみと注がれた異臭を放つ液体に口をつけた。


 ◇◇◇


 やっぱり強制給餌の方いいやと胃から上がる臭気に顔を顰めながら、今度こそ二人はもう一歩も動かないと決め込んでその場にぽてんと倒れ込む。
 ふわりと鼻をくすぐるお互いの香りが、ようやく安らぎの時間が来たことを二人に告げていた。

「思ったよりここで過ごす時間は短いよね」
「うん。……ちょっと寂しい、かな」
「僕も……やっぱり詩がいないのは、何だか心細くて」

 彼ら作業用品の「作業時間」――人間様による使用時間は、1日10時間。
 早番であれば起床と同時に、遅番であれば午後から消灯直前まで作業を行い、作業時間外に運動と洗浄、そして保管庫での餌と浣腸が1日1回。睡眠時間は復元の関係で8時間きっちり。
 なので、実質彼らの自由時間……と言う名のほぼ全てが自慰で終わる余暇は、4時間ちょっとである。

 ……思い返せば、これほど離れて過ごすのは生まれて初めてかもしれない。

「この生活に慣れなきゃいけないんだよねぇ……」とため息をひとつこぼし、至恩はタブレットに手を伸ばす。
 流石に今日はがっつり快楽を貪るだけの体力は無いけれど、戻ってきた途端に我慢が効かなくなる頭は勝手に良さそうなコンテンツを物色し始めるのだ。
 これだけ疲れていても、どろりと股を伝う体液が止まることは無い。ただ運動場に転送されるまでは全く溢れてこなかったから、央があの日話していた通り、作業中の発情はかなり抑えられているようだ。

(ま、抑えられているって言っても気を抜くと触っちゃいそうだけどさ……作業をし始めたら紛れそうかな)

 それに、保管庫にいる時間がこれほど短いなら、自慰を止める電撃も一日一回で十分いけそうではある。流石に人間様だ、その辺は計算ずくと見た。

 と、一緒に寝転んで話しながら検索を続ける詩音の手が、ぴたりと止まった。

「……どしたの、詩?」
「至、これ……多分コンテンツが増えてるよ」
「え!?」
「だって、こんなの無かったもん」

 詩音が画面を指さす。
 と、どうやら再生ボタンに指が当たってしまったらしい。前面のモニタの映像が切り替わった。

『はぁっはぁっはぁっ……痛いぃぃっ、壊れちゃうぅ! 助けて、助けておちんぽ様あっ!!』
『うっわ、中がめちゃくちゃ動いてる、搾り取られそうだ』
『ぴーぴーうるせえな。人間様が折角快適に使える穴にしてやったんだ、喚いてないでしっかり奉仕しろや!』
『う、嬉しい、ですっ!! ありがとうございます人間様っうぐぅっ、お、おちんぽ様……助けて……』
『ぷっ、こいつチンポに助けを求めてやがる! ばっかじゃねーの?』
『ははっ、それなら全部のおちんぽ様を満足させろや。そしたらその腹の中に詰め込んだやつを抜いてやる、ぜっ、と!』
『んぶっ!!』

 途端に流れるのは、切羽詰まった絶叫と歪な懇願、そして止まらない嘲笑に罵声。
 数人の人間様に取り囲まれた二等種のメス個体……B等級の性処理用品が、泣き叫びながら心にも無い感謝と快楽を口にし、ガクガクと震えながら必死に欲望を咥え込んだ腰を振りつつ、手をちゅこちゅこと動かしている。
 アイマスクでは吸いきれなかった涙が頬を伝うも、電撃は作動しない。
 そうこうしているうちに笑顔を絶やさない唇に熱い怒張が無理矢理押し込まれ、色を帯びた懇願の声は卑猥な音に取って代わられた。

「……酷い…………」
「あのお腹……あれ、ディルドやバイブじゃ無いよね……?」

 突然の製品利用風景に、二人は口を開けたまま固まってしまう。
 至恩の呟きにふと下腹部に目を移せば、確かに臍が平らになるほど膨らまされた腹は、時折ボコボコと中から皮膚を突き破らんがばかりに激しく蠢いている。
 ……その動きは明らかに不規則で、中に生き物を詰めている様にしか見えない。

「いきなりハード過ぎるのが来たね……」
「人間様のチョイスがよく分からないよ、僕……ただ……」

 これまでだって軽いSM系のコンテンツは配信されていた。
 けれどこんな激しい陵辱動画は今まで一度も見たことがない。
 何故こんなものが突然配信されたのか、その意図は全く読めないが、これだけは分かる。

 ――これは決してフィクションでは無い。
 性処理用品という、自分達とは違う道を選択した二等種の、リアルだ――

 これが創作なら、二人の性癖に刺さってちょっとは楽しめたかも知れない。いや、ちょっとどころで無く楽しんだ自信はある。
 だが、今日まさに初めて本物の性処理用品を、その加工の壮絶さを目の当たりにした二人にとっては、とても「あんな風にされてみたい」なんて性癖を爆発させる気分にはなれなくて。

「……本心じゃ無いよね」

 詩音の沈鬱な言葉に、至恩は黙って頷く。
 きっと彼女も思い出しているのだ。あの、性器を目の当たりにした瞬間にうっとり幸せそうな笑顔を見せ、股間に向かって愛を囁き必死に奉仕を懇願していたA等級の個体を。

 あの製品も、そして映像の中の製品だって、あんなに痛そうで苦しそうなのにどこか恍惚とした表情を崩さない。
 大量の白濁を注がれ、その美しい肢体を穢されてなお、まだ足りない、まだ愛させて下さいと淫猥に腰を振り続ける姿は、これまで映像で見てきた性処理用品と何も変わらないように見える。
 けれど

「めちゃくちゃ本心っぽく見えるけど……あの製品の目は、絶望で染まってたよ」

 あの場で至恩達だけが気付いた、製品の本音。
 注意深く瞳を覗き込まなければ、閉じ込められた本当の想いに気付くことは無いだろう。
 それほどまでに、性処理用品は巧妙に作り込まれていた。一応アイマスクで隠すことはできるだろうけど、例え隠さなくても穴として利用する人間様が本当の思いをあの瞳から汲み取ることは無いと断言できる。

 クミチョウはあの様子……性器従属反応を「人間様の叡智の結晶」だと言っていた。
 そして、二等種を完全に無害化し一般人でも安心して、ただの穴であり欲望の捌け口として使うために必要な処置だとも。

(出せないことの辛さは、知ってる)
(望まれる形だけを作っていれば……心なんて簡単に壊れちゃうことも、知ってる……)

 ああ、確かにこの方法は実に効果的だ。
 一体どう言う仕組みなのかは分からないが、これなら心の中に多少反抗的な要素が残存し、あるいは危険な思想を隠していても、彼らは目の前に「愛すべきおちんぽ様やおまんこ様」がある限りそれを表に出すことは出来ない。
 何を思おうがそれが表の言動となって世界に響くことは無く、あらかじめプログラムされた人間様に阿る――いや、この場合従属している先は性器だが――だけなら、人間様は何の憂いも無く、だからこそどこまでも残酷にこの道具を使い倒せる。

(……そう、知ってる。作られた恭順と、それを盾に取った人間様の残酷さは)
(何年も経ったって、忘れられるものじゃない……)

 ようやく腹の中に詰め込まれたスライム状の物体をぽっかり広がった孔から産み落とす事を許された製品は、何度も絶頂を繰り返しながら嬉しそうに人間様への感謝を口にしている。

 ――誰もが幸福に満ちた製品だと見做す光景も、二人にとってはただ虚しく映るだけだった。


 ◇◇◇


 作業用品はこれ以上の無害化加工を行う必要が無いため、人間様から提供される娯楽――当然ながら全てが性的なコンテンツだが――の制限も非常に緩くなる。
 個々の好みに合わせた内容であることは今まで通りだが、より過激な嗜好にも柔軟に対応し彼らを満足させるだけのものが際限なく用意されるのである。
 加工は行わないとは言え、不良品である彼らが人間様に不満を抱かないための処置は当然必要とされるのだ。

 だが本来、今回のようなコンテンツが配信されるのは、もっと先の話である。
 一定の条件を満たした作業用品にのみ娯楽として提供されるはずの映像が、よりによって作業用品になったばかりの新人の端末に配信されてしまったのは……二人の拗れに拗れた変態性癖を、そんな概念すら学習材料としてインプットされていないAIが必死に推論した結果だったりする。AIも中々気の毒なものだ。

 また、敢えて酷い(といっても製品としては一般的ではあるのだが)扱いを受けている性処理用品の映像を流すのは、作業用品との格の違いを見せつけ変な同情心を起こさせないようにし、生じた不満は自分達より劣った存在である性処理用品やその素体に向けるように仕向ける目的もある。
 だが性処理用品に志願しなくて良かったと安堵するだけならいざ知らず、これに比べれば「お優しい」と感じざるを得ない地下の人間様たちへの服従心を高めるには、二人の地上での経験は少々過酷過ぎたようだ。

 だから、代わりに彼らはこう思う。

「……同じ、だよね」
「うん。どっちを選んだって、人間様からの扱いは変わらない。表向きの待遇が違ったって」

「「結局私達はモノ。……心なんて存在を無視されるだけなんだから」」

 カチリと音がして、部屋の中が暗闇に包まれる。
 どうやら話している内に消灯時間が訪れたようだ。あまりにも早く終わってしまった安らぎの時間を惜しみつつ、二人はぐっと手を握り合う。

「……大丈夫、僕はここにいる」
「うん……私も、ずっと至恩の隣にいる」

「「だから、明日も……生きられる」」

 小さな誓いの言葉は、二人の意識と共に静寂の中に溶けていく。
 どちらを向いても希望など無いこの世界で、互いの存在だけを杖にして歩く、二人の明日は……どんな選択をしたところできっと変わらなかった。

 けれど、彼らはまだ気付かない。
 彼らの明日は変わらずとも、世界の明日が変わる選択を、二人が性癖により選び取ってしまったことに――

 とにもかくにも、幕は上がった。
 運命の歯車は、7年半の時を経て今、再び動き始めたのである。


補足: 性処理用品装具説明

装具説明1

装具説明2

装具説明3

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