沈黙の歌Song of Whisper in Silence
沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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8話 運命の出会いは唐突に

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「おはよう、イーサン」
「お、おはようシャテイ……はぁ、今日は起きられた……」
「うん、僕も。……行こっか」
「あ、ああ」

 今日も今日とて、新人達は待機室へ向かう。

 彼ら54系の不良品が作業用品として、ここ性処理用品貸出センターのバックヤード……通称「展示棟」に配置されて2週間が経った。
 相変わらず懲罰電撃の効果は絶大で、むしろ手足の刻印が増えたお陰で威力が増大した甲斐もあってか、起床時間は割とあっさりと前倒しで固定されたようだ。今では転送のアナウンスが頭に響く前に、真っ暗な保管庫で詩音と二人正座して雑談するくらいの余裕もある。

「おはようございます」
「……おはよう、ございます……」
「おう、おはよう。大分目が合うようになってきたなぁイーサン!」
「え、あ、はい……っ……」
「ハハッ、話しかけられたらシャテイの後ろに隠れるのは相変わらずか! シャテイの身体は俺らからしたら、壁みたいなもんだしなぁ」
「ぐっ、好きで壁レベルに育ったわけじゃ無いんですけど……」

 餌を食べ終えたばかりの先輩が、部屋に入ってきた二人を見つけ柔やかに話しかけてくる。
 至恩はともかく、他の新人達は今でも蚊の鳴くような声で挨拶を返すのが精一杯だ。それでも彼らは特に気分を害することも無く、かといって必要以上に話しかけることも無く新人達の傷が癒えるのを待っている。

(……できれば僕にも、その優しさを適用して貰いたかったんだけどなぁ……)

 しかし、残念ながら至恩は配慮の対象外らしい。
「最初からここまで会話が成り立つ奴はほとんどいない」と初日にして先輩達を感心させた割にへなちょこな新人作業用品は、クミチョウの舎弟宣言もあってかすっかり彼らの関心を引いてしまったようだ。
 二等種にしては珍しい身長と体格にも彼ら(特にオス)は興味津々のようで、ここにいると誰かしらが絡んでくる。お陰で至恩は、心の安まる暇が全く無い。

(多分、喋れるのにこの部屋でぼんやり突っ立っているだけじゃ、暇だろうって思われてるんだよね……)

 そう、彼らは親切心から至恩に声をかけている。
 至恩としては、陰キャにとってぼっちの時間は苦痛でないのだと、声を大にして言いたいところだ。
 しかし、自他共に認めるへなちょこにそんな度胸が期待できるはずもなく、結果として至恩は今日も今日とて新人達の不安と羨望の混じった視線を浴びながら、先輩達の雑談に付き合わされるのである。

(にしても、今日は……何かあったのかな)

 すっかり見慣れた待機室は、いつもに比べて閑散としていた。
 だだっ広い空間の中には椅子も机も無く、簡素な餌場が備え付けられているだけだから、こうも人が少ないと逆に落ち着かないのだろう、先に来ていた新人達は所在なさげに立ち尽くしている。
 ふとメス個体と視線が交差すれば、彼女はビクッと震えてそっと目を逸らす。まだまだまともに会話ができる日は遠そうだ。

「ったく、今日は朝から大忙しだぜ! 地上の人間様は怖ぇ、入荷したての製品が怯えるのも無理ねえよ……」
「復元室に管理官様が3人もいらしてるなんて、私初めて見たわ。……あれ、助かるのかしら」
「管理官様のことだから、何としても命は助けるんじゃね? 修理が出来てもまともに動作しなきゃ、すぐ廃棄処分だけどさ」
「は、廃棄処分……?」
「おう、俺達二等種は人間様の用途に使えなくなった段階で処分されるからな。一応修理はして貰えるけど、それにも限界があるんだとよ。まあ寿命だな寿命」
「作業用品だと耐用年数は30年、性処理用品は等級によるけど15年くらいだったっけか。ま、シャテイにはまだまだ先の話だよ」

 先輩個体曰く、どうやら未明に高度破損個体の緊急回収があったらしい。
 管理官様は24時間体制で修理を受け付ける必要があるようで「お前ら作業用品はきっちり8時間寝られて優雅なことだな」と愚痴りながら復元室に籠もりっきりだそうだ。
 にしても、軽微な骨折すら一晩で復元する性処理用品の高度破損なんて、想像すらつかない。ぽかんとする至恩に「意外とやらかすんだよ、人間様は」と先輩個体が思い切り顔を顰めた。

「今回はな、膀胱に直接酒をぶち込んで注がせようとしたらしいぜ」
「しかもなんかやべー酒だったらしいな。管理官様がぶち切れてたよ『破損させた奴のケツにもウォッカを注いでやりたい』って」
「……はい!?」

(ぼぼぼ膀胱!? 酒!!?)
(注ぐって……まさか股間からコップにってこと!?)
(てか、それを飲むの!? に、人間様って変態過ぎない……?)

 動揺する至恩とは対照的に「いや、割と一般的だぞこの使い方自体は」と先輩個体は至って平静で、人間様の理解不能な行動に至恩はもとより、こっそり聞き耳を立てている新人達はそろって頭を抱える。

「飲料容器利用は、貸出時のオプションで付けられるんだよ。ただ、貸出前に準備が必要なんだよな」
「多分オプション無しで借りて、その場の勢いでやっちゃったんでしょ。酔っ払った人間様は考え無しに行動するらしいから……」

 実は性処理用品だからといって、穴に突っ込んで性的に遊ぶだけに用途が限られているわけでは無い。
 観賞用や家具として貸し出されることもあれば、今回のように飲料サーバーや液体の搬送用容器、果ては賭け事の道具や単なるストレス解消用のサンドバッグとして使われることもあるのだそうだ。

 とは言え、流石に二等種そのものは当然のこと、二等種の粘膜に触れたものを人間様が口にすることは決して無い。
 飲料を注入する際は、予定している穴の滅菌と一時的な排泄物転移ポイントの変更を行った上で、清潔かつ断熱性に優れたゴムの袋のようなものを穴に挿入して貸し出すことになっている。
 袋の口は付属品の注ぎ口を取り付けなければ中身が漏れることは無い。だから安全に液体を充填し、好きな形に固定して使う事が可能だ。

 当然ながら液体は注入される器官が破裂する寸前まで充填するのがお約束らしく、性処理用品達は気を失いそうなほどの苦痛に苛まれ、しかし同時に加工された身体は苦痛からも快楽を生み出し、淫らな笑顔で飲料を提供するのである。

「ま、中に詰め込まれて固定されてコップに液体を注ぐだけなんて随分楽な使われ方だよな。その分こうやって酒が絡むと事故率が上がるけど」
「一応人間様に近い見た目をしてるんだから、理性は効きそうなものなのになぁ、やっぱり人間様から見たら二等種は全く別の何かなんだろうな」

((楽って、なんだっけ……?))

 先輩達の話に、至恩を含む新人達は一斉に心の中で突っ込みを入れる。
 いや、長年ここで作業してきた先輩の言うことだ。もしかしたら、本当にこの使い方は楽と呼ばれる部類なのかも知れない。
 地下に囚われて7年半、既に常識など無い世界に骨の髄まで馴染んでいたと思っていたが、どうやら上には上があるようだ。

 考え込んでしまった至恩が眉を寄せれば「あはは、そんな深刻な顔しないの!」と目の前のメス個体がデコピンを食らわせてきた。
 意外と容赦ない、痛くてちょっと涙がにじんでしまうというのに、メス個体はそんな至恩の顔にどこか満足げである。

「心配しなくたってさ、私達は管理する側なのよ。管理官様に従ってさえいればただの穴にされることなんてないから!」
「どうせ壊れるまでここで使い倒されるんだ。もっと楽しく行こうぜ! って、まだ2週間じゃ無理だよな」
「楽しく……そんな、いつまで経っても慣れる気がしないですよ」
「んー慣れるってのは違うんだけどなぁ……まぁそのうち分かるって、きっと」
「……?」

 何が、と質問しようとしたところで、先輩個体の動きがぴたりと止まる。
 直立して虚空を見つめ、何かに集中している姿はここ2週間ですっかり見慣れた……管理官様からの指示を受けた所作だ。
「かしこまりました、管理官様」と返事をしたオス個体が、やれやれと肩をすくめる。

「復元用の部品が届いたから運べってさ。これで何回目だよ、相当大変そうだな今回は」
「こっちは返却個体の洗浄だって。今日はのんびり出来そうにないわねぇ」
「あ、お、お疲れ様です……」

(終わった……やっと終わった……!!)

 先輩を労いつつ、ようやく訪れた安寧の時間に至恩は心の中でガッツポーズを決める。
 しかし、じゃあなと手を上げる先輩にぺこりとお辞儀をしようとしたその瞬間

『あーあー、聞こえるかM123X。聞こえたら直立不動で返事をしろ』
「ぴゃっ!!?」

 そのガッツポーズはただのぬか喜びと化したのであった。


 ◇◇◇


「え、あ、あわわわわ……」
「……?」

 突如奇声を上げたかと思うと真っ青になっている至恩に、先輩個体は「おい、どうした?」と怪訝な表情で声をかける。
 今にも泣き出しそうな顔で「あっあのっ頭の中でっ」と答えかけた至恩だったが

 バチッ、バチバチッ!!

「んぎゃっ!!」
「!!」

 その訴えは、次の瞬間襲った全身の痛みと共に霧散した。

(痛い……死ぬかと思った……! ヒイィまたあああ!?)

 突然の懲罰電撃に思わず悲鳴を上げてしゃがみ込めば『おい、誰が座れと言った』と感情の無い声が再び頭に響くと共に、更なる電撃のお替わりが飛んでくる。
 ビリビリする足を叱咤しながらようやっと立ち上がった至恩は「なにこれ……」と茫然自失状態で呟いた。
 その様子に心当たりがあったのだろう、先輩個体が「お、もう指示か。早いな」と笑顔になる。

「え、し、しじ……?」
「シャテイ、取り敢えず手は横、ピシッと背中は伸ばす!」
「はっ、はひっ!?」
「んで真っ直ぐ前を向いて『はい』って返事をしな。それ、管理官様からの指示音声だから」
「……え、えええええっ!? うぎっ……」
「ほらぁ、グズグズしてたら電撃は止まないよ? 言われたとおりにして」
「はひぃ……ぐすっ……」

 慌てて直立姿勢をとり「はい」と小さな声で返事をすれば『……次からはすぐに返事しろ』と頭の中で男性の低い声が響く。
 作業用品としてここに収容されてからの指示と言えば全て人工的な合成音声だったから、生の人間様の声を聞くのは随分久しぶりだ。今にも零れそうな涙は電撃のせいでは無く、ただの緊張と恐怖によるものである。

 そんな至恩を、先輩達は何故か実に楽しそうに眺めている。
 ……それどころかちょっと興奮を覚えているらしい。今、目の前のオス個体の屹立がピクンと跳ねたのを至恩は見逃さなかった。

(えええ、何その反応!?)

 ちょっと酷くない!? と混乱し嘆く至恩の頭の中では、声の主……管理官が何かを話している。
 だが、パニック状態に陥った至恩に内容が理解できるはずも無く。

「え、あ、ほえっ」
『……ちっ、ビビってんじゃねぇよ不良品風情が。命令を聞かないなら』
「ひいぃぃっごめんなさいごめんなさい何でも言うこと聞きます逆らいませんから許してえぇぇっ!!」

(近い近いっ! 頭の中にダイレクトって逃げ場が無いいぃ!!)

 耳の後ろの端子から直接脳に叩き込まれる、それも人間様の明らかに不機嫌そうな声。久しぶりに連続で食らった強烈な電撃も相まってか、至恩の頭の中はすっかり地上にいた頃の「虐められっ子モード」全開である。
 幼体の頃から7年半、人間様の前では(性癖はともかく)彼らが望む素直で良い子を全力で演じ続けてきたというのに、あっさりとあの頃の無力な――今だって無力だけど――自分に引き戻されてしまうだなんて、人間様に植え付けられたトラウマの力は恐ろしいものだ。

 そんな至恩の醜態に先輩個体達は「ぶっ、管理官様の呼びかけ一つでキョドりすぎだよ!」「さすがシャテイ! 俺達の期待を裏切らない!!」とはやし立てるし、新人達は気の毒そうな視線を至恩に投げかけている。
 この反応は流石に予想外だったのだろう、管理官すら『……こんなヘタレな不良品、見たことがねぇ』と頭の向こうで呆れた声を上げていた。

『ったく……まあいいや時間の無駄だ。おいM123X』
「ひゃいっ!!」
『……返事ぐらいはまともに出来るようになれ。で、喜べお前の初作業だ』
「ははは、はちゅしゃぎょ、う?」
『…………だから噛むなよ、はあぁ……」

 頭の中に『管理部長、どうされました?』『おいこの変態個体、変態だけじゃ無くてとんでもないビビりのへなちょこだぞ』とこそこそ話す声が聞こえる。
 そう言う話は当人が聞いてないところでして欲しいが、二等種は人ではないから気を遣う必要も無いのかと至恩はちょっとだけ悲しみを覚えつつ、深呼吸を繰り返した。
 とにかく落ち着かないと。これで命令をまた聞き逃しでもしたら、またあの全身ビリビリで今度こそ骨になってしまう。

 やれやれ面倒な、とため息をついた管理官は『ともかく』とどうにも投げやりな声で至恩に指示を出した。

『M123X、M104の買取出荷準備の補助業務を命じる。まずは矢印に沿って保管庫へ向かえ、そこに他の個体がいるから一緒に作業だ』
「あわわわ、ほじょ、ぎょうむ……や、やじるし……どこ……」
『どこじゃねえよ、てめえの目の前に出ているだろうが。ったく、クソポンコツドマゾ変態不良品風情が人間様に手間をかけさせるな』
「ひゃいいっっ!!」

 ……今、もの凄い罵倒をされた気がするが、それどころではない。
 慌てて目の前を確認すれば、確かに管理官の言うとおり、先ほどまでは見えなかった青い矢印が待機室の外に向かって続いている。
「み、見えまひたっ!!」と上擦った声で叫べば『余計な報告はするな、変態が』と再び電撃を流された。

(ふぐぅ、ビリビリが取れない……にしても、ここじゃ僕まだ性癖全開な遊びは何にもしてないはずなんだけどなぁ……)

 その呼び方から察するに、至恩の数々の性癖による行為はしっかりここにも伝わっているようだ。
 複雑な気持ちになりつつもこれ以上の電撃は嬉しくないと、至恩は先輩達の様子を必死に思い出し「か、かしこまりまひた、かんりかんしゃま」と何とか返事を返すのだった。


 ◇◇◇


「ええと……まだ続くんだ、どこまで行くんだろう……」

『返事をしたならさっさと動け』とトドメの電撃を食らった後はぷつりと接続が切れたのか、頭の中の声はうんともすんとも響かなくなった。
 笑いを堪えきれないと言った様子の先輩と共に目的地に向かいつつ事情を話せば「へぇ、初作業が買取出荷準備に呼ばれるのは珍しいね」と驚かれる。

「普通、初作業は返却個体の洗浄なんだよ。先輩と二人一組で洗浄して、検品のやり方を覚えるんだけどね」
「そうなんだ、なんで……」
「人が足りないんじゃね? まだ修理も終わらないし、そっちに手を取られて通常業務やってる連中は火の車だと思うから」
「なるほど……あの、買取出荷って」
「あ、ごめん。俺こっちだから」
「あっはい、ありがとうございます」

 先輩個体と分かれた至恩は、矢印に従い喧噪の飛び交う廊下を歩いて行く。
 どれだけ角を曲がったか既に覚えていないが、ここでも移動は人間様の指定したルートしか許されなさそうだから、特に問題は無いのだろう。むしろこの頭で、延々と同じ風景が続く廊下を覚えていろと言う方が無理な相談だ。

「……狭かったよな、保管庫」

 突き当たりが見えないほど長い廊下の右手は、製品用の管理機材を収めた棚が並んでいる。
 そして左手にずらりと並ぶ上下二段のシャッターは、製品……性処理用品の保管庫の扉だ。
 初日に見学で見せて貰ったが、シャッターの内側には頑丈な鉄格子が嵌まり、広さは一畳程度でタブレットもモニタも無い、そして床から股間に繋ぎ止める一本の鎖が伸びただけの簡素な作りに、新人達は自分達作業用品との待遇の違いをひしひしと感じたものだった。

『この扉を開けるのは、基本的に出荷と懲罰の時だけ。後はメンテナンスと処分だな。展示用のスペースは奥の壁で仕切られていて、時間になればそっちに動かして展示するし、餌も浣腸も自動で注入だから俺らが世話する必要はねぇんだ』

 クミチョウが話したとおり、確かにこの2週間、運搬以外の製品の世話をしている作業用品は見たことがない。
 それどころか、大半のシャッターは常に固く閉ざされたまま。中の音は全く漏れてこないから、製品が一体どんな様子で日々を過ごしているのかも全く分からないのだ。

「こんな狭いところに閉じ込められて……出されたと思ったら人間様に使われるか懲罰を受けるかだなんて……それだけでも気が狂いそうだよね……」

 一体ここに収納されているうち、どのくらいの製品が未だ正気を保っているのか、至恩には見当もつかない。
 至恩だけではない。一般の人間様は当然のこと、作業用品や管理官様であっても、性器の奴隷として定型的な反応を繰り返す製品については、体液からストレス値くらいは計測できても製品の精神状態そのものを正確には把握できないようだ。

 ――そもそも、把握する必要すら無い、というのが正しいだろう。
 人間様の穴として使えていれば正常、使えなければ異常。修理しても使えないなら廃棄処分……性処理用品はこのくらい単純な指標で十分なのだから。

「どっちの選択も大概だけどさ……やっぱりこの選択は無いよ、詩」

 至恩は、今頃同じように緊張から挙動不審になりつつ目的地へ向かっているであろうトモダチに、届かない言葉をかける。

 正直なところ、解釈違いと言いながらもこの性処理用品の扱い自体には少々ときめくものがあったのは事実だ。
 生き物を収容するとは思えない保管庫。
 用がなければ機械的に生かされ、しかし止まらない発情を慰める事は物理的に禁じられたまま。
 どれだけ酷い扱いを受けると分かっていても、耐えがたい渇望に苛まれるがゆえにその暴虐を与える人間様に全力で媚び、使って頂かなければならない……
 それだけなら、もともとシステマチックな管理が性癖どストライクだった詩音はもちろん、至恩だって「ちょっと体験はしてみたい」と鼻息を荒くし、妄想のお供として重宝しただろう。

 けれど、それは「詩音が一緒」という前提があってこそなのだ。

「どうせ心は壊れちゃうのに、わざわざ洗脳も壊しもせずに閉じ込めるだけ……人間様は、大人も子供も残酷すぎるよ……」

 物理的にあの狭い保管庫に詰め込まれて身体を寄り添わせ、けれどその心を重ねる事は生涯できなくなる。
 自分だけならまだしも、詩音がそんな目に遭うだなんて考えただけでも恐ろしい。
 ……きっと、詩音だって同じように思っているに違いない。だって、性別は違ったって根本は同じ「自分」だから。

 意図的な選択とは言いがたかった。
 自分達はただ、己の性癖に素直になりすぎただけだったから。
 けれど、時間が減ったとは言え「自分」のままでトモダチと逢える権利を死守できたなら、きっとこの選択は自分達にとっては最良だったに違いない。

 ――だからその先に何が待っていても、この選択を後悔はしない。

「さ、急がなきゃ……買取出荷準備って、何をするんだろう……」
 至恩はいつもよりは少しだけ静かな廊下を歩きながら、これから待ち受ける作業に思いを馳せるのだった。

 ……そこに思いがけない性癖の目覚めと運命の出会いが待っているなど、思いもせずに。


 ◇◇◇


「遅ぇぞシャテイ」
「ひょぇっ、すすすすみませんっ!! って、あれ、クミチョウさんなんで」
「だからさん付けは「ヒィッごめんなさい!!」…………ったく、もういいから落ち着け」

 矢印の示す先は、製品保管エリアの奥まった一角だった。
 腕組みしてこちらを睨んでいる(ように見える)クミチョウの姿にいつも通りビビりちらかしていれば、強面の彼は呆れた様子で肩を落としながら「さっさとやるぞ」と何かを操作し始めた。

「管理官様から作業内容は聞いたな?」
「あ、はい。買取出荷の準備って……あ、一緒に作業する他の個体ってのは」
「俺の事だ。出荷準備は基本的に二体一組で行うからな。それと」
「……それと?」
「『指示する度に挙動不審になるようなポンコツ個体は使いにくいから、しっかり調整しろ』だとよ。……やっぱりてめぇは、俺が一から根性を叩き直す必要がありそうだな」
「ヒェ」

(どうして!! よりによってクミチョウさんと一緒なんだよおぉぉ!!)

 笑顔を引き攣らせ心の中で全力で叫ぶ至恩を(こりゃダメだ)と一旦放置したクミチョウは、慣れた様子でリフトテーブルに乗りいつものリモコンを操作する。どうやらこれから取り出す製品は上段に収納されているらしい。
 性処理用品の保管スペースは上下二段になっていて、上段は下段の半分くらいの高さだ。このサイズだと、立つことはおろか座ることもままならなさそうに思える。

「上段の説明は覚えているか」
「あ、はい。確かC品の一部とD品を保管しているって」
「おう。現物はまだ見せてねぇよな? 本当は今日見学予定だったんだが、何せ人手不足でな……ったく、人間様だって下手すりゃ器物破損罪で逮捕、最悪堕とされるだろうによ……」
「……?」

 ブツブツ文句を言う組長の前でからからと小気味よい音を立てて、シャッターが開かれる。
 その向こうには更に鉄格子が嵌まっていて、しゃがみ込んだクミチョウは内扉を開き中に向かって無言でリモコンを操作した。
 バチン、と何度か電撃の音が響く。恐らく製品に命令を出したのだ。

(製品には、命令時も極力話しかけるなって言ってたっけ)

 性処理用品は調教により、電撃の場所や長さ、回数で指示を解するように仕込まれている。
 命令くらいは声で伝えるなり、人間様ならテレパスを使えばいいのにと思うが、どうも人間様は穴として彼らを使うときですら、なるべく二等種には話しかけたくないらしい。
 存在を無視されるのは結構きついんだよな、とぼんやりクミチョウの作業を見ていた至恩だったが、小さな保管庫からのそりと顔を出した製品を一目見るなり「え」と小さな声を出して固まってしまった。

(え……黒い!? それに四つん這い……じゃなくて、むしろ四本足!!?)

 のっぺりとした黒い塊が、カツン、カツンと音を立ててリフトにゆっくりと乗り込む。
 想像もしなかった製品の外観に、至恩の目は釘付けで言葉も出ない。

「おーおー、電撃だけで尻尾振ってやがる。そんなに振ったら可愛い尻尾がちぎれるぞ? まぁ6年モノなら快感にならない電撃の痛みもご褒美か」
「シューッ、シューッ!!」
「うわ、愛着行動凄いなこれ! おいおい足にすりすりすんなって、お前の耳はもこもこだからくすぐってぇんだよ、と言っても分かんねぇよな……」

 ウイィン……と音を立ててリフトが地上に降りてくる。
 リフトから降りたクミチョウにより再度電撃を食らわされた途端「シューッ!!」と空気の漏れる音と共にガクガクと震えながら前足を動かして床に降りたのは、全身を光沢のある黒い被膜と革の装具に包まれた……まさに「モノ」であった。

「…………な……」

 これまで見てきた性処理用品と同様にアイマスクを付け、口には馬鹿でかい維持具を詰め込まれてハーネスが肉に食い込むほどきつく固定されている製品は、前頭部に白文字で刻印された管理番号と等級記号が無ければ同じ二等種だとはとても思えない奇妙な出で立ちをしていた。

 手足は折りたたまれ、踵のついた革の袋のような装具に押し込まれてぎっちりとベルトで固定されている。ちょうど肘と膝を「足」と見立てて四つ足で立っている感じだ。
 股間から伸びる金属製のフックは首輪と鎖で繋がれていて、ただ今まで見てきた製品よりも短い鎖により、常に四つ足で前を向くように拘束されている。
 その頭には、個性を剥奪されつるりとした外観には不釣り合いなもこもこした垂れ耳が、そして尻の上からは耳とお揃いのもこもこの短い尻尾が生え、さっきから嬉しそうにぴこぴことちぎれんばかりの勢いで振られていた。

 見る限り、どこにもこの製品が持つ肌の色は見受けられない。
 二等種とは言え人間に似た外見を持ち、基本的に拘束され四足歩行しか許されなくともすらっと長い手足を曝け出している、これまで見てきた性処理用品とは全く異なる姿。
 まさに全てを外界から隔絶された拘束に、至恩は思わずごくりと唾を飲み込む。

(っ……すごい……)

 ……ああ、目が、離せない。
 見ているだけで胸の辺りがぐっと詰まるようで、腰の辺りがずくりと重くなって……

「が……っ!!」
「……おいおい、欲情するのは仕方ねぇけど自慰はだめだっての。作業にならなくなるだろうが」
「っ、す、すみませんっ……」

 己の屹立に自然と手が伸びていた事に、至恩は懲罰電撃を食らってようやく気が付いた。


 ◇◇◇


 パシン……パシン…………

 ゆったりしたリズムに合わせて尻を打てば、その度に製品から「シューッ!」と空気が漏れる音がする。
 艶めかしく振られる腰は必死に快楽を貪ろうとしているようで、ヒクつく股間の様子が後ろからはっきりと見て取れた。

「これがD品、ヒトイヌと呼ばれる特殊無害化加工を行った製品だ。出荷準備室で詳しい説明はするけど、運搬方法は他の等級と変わらない。必ず二人一組な」
「はい」

 至恩は緊張した面持ちで、クミチョウと共に保管庫から取りだしたヒトイヌを運んでいた。
 運ぶと言っても、別に持ったり何かに乗せたりするわけでは無い。全ての性処理用品はその状態に関わらず自立四足歩行が義務づけられているから、電撃による移動指示を出せばラジコンのようにスムーズに……まぁ身体をビクンビクンと痙攣させながらだけど、動いてくれる。

 クミチョウが鎖を握り、もう片方の手でリモコンを操作しながら製品を誘導する。
 そして至恩は後ろから、まるで牛を追い立てるかのようにその躯体に鞭を振り下ろすのである。
 ただ、いつも廊下ですれ違っていた製品達は鞭の打撃に明らかに色の乗った呻き声を上げていたが、この個体はシューシューと息の音を出すだけで、全く声を上げない。

「……オス個体だからかな」

 ぽつりと呟いた至恩にクミチョウは振り向きもせず「どうした?」と尋ねた。

「そういや、オスの製品をきちんと見るのは初めてか。たまたま見学個体がメスばっかりだったんだよな今回は」
「あ、はい。……だからかな、あんまり鳴かないなって思って」
「ああ、それはヒトイヌだからだ。後で説明してやる」

 にしてもお前、本当にへなちょこなのか度胸があるのか分からねぇな、とクミチョウは前を向いたまま笑う。
 雑談をしていても歩幅は緩めない。短い足を必死に動かして這うヒトイヌはどうやら運搬する作業用品から一定の距離を保つ事を定められているようで、少し遅れればバチンと弾ける音と共に首輪と枷が光り、身体を飛び跳ねさせている。

「度胸、ですか」
「おうよ。運搬作業は初めてだよな? 普通新人ってのは、製品に鞭を入れることを躊躇うものなんだよ。……いくら性処理用品だと言っても、元は俺らと同じ二等種だからな」
「……あ、なるほど」
「なのにてめぇは、何の躊躇いも無く鞭を入れているだろう? しかも初めてとは思えない手つきでな。まるで生き物を打つことに慣れているようだ」
「!! は、初めてですよ鞭なんてっ」
「だよなぁ、てめぇみたいなへなちょこにそんな経験があったら俺がビビるわ。……なら、てめぇには才能があるのかもな」
「それは……良いこと……?」

 話しながら彼らは視界に映る矢印に従い、スロープを降りていく。
 これまで収容されていた施設と異なり、ここ展示棟は複数の階に跨がっている。階の移動が緩やかなスロープなのは、製品が四つん這いで歩くためだろう。
 とはいえ、流石に坂を歩くのはヒトイヌだと大変そうだ。時折つんのめりそうになっては首輪を引かれ、電撃に身体をはねさせている。
 クミチョウ曰く、これでも6年モノ――製品になって6年になる個体だから随分輸送は楽なのだそうだ。年数の浅い個体だとちょっとした路面の変化で転ぶし、何より発情に我を忘れて指示が入りにくくなるのだという。

(ば、バレたかと思った……いや、鞭は初めてだよ、鞭は!!)

 何食わぬ顔をしながら、しかし至恩は心の中で盛大に安堵のため息をついていた。
 まだ心臓がバクバクと壊れそうな音を立てている。

(そりゃもう、あれだけ毎日のように詩とお尻ぺんぺんしたりされたりしてれば……叩くことにだって慣れるよね、すっかり忘れてたよ!)

 まさかこんな所で、あの狂おしい一年間の経験が役に立つだなんて。
 至恩の感覚では、いつも詩音の尻を打つように……そう、詩音が一番気持ちよくなれるように、そして「いいなぁ、僕も叩かれる方が断然好みなんだけど」と全力で羨ましがりながら鞭を振るっていただけだ。
 確かに獲物が長い分やりにくさは感じるけれど、そこはそれ「自分を打って貰えるなら、ここをこんな感じで」とすっかり興奮し夢中になっていたら何となく様になっていたのだろう。

(だめだめ、目立つことをしちゃ……変に目立てば虐められるし、なにより……バレたらまずい!)

 流石にこんなことから至恩が名前を取り戻していることがバレることはないだろうが、念には念を入れるに越したことは無い。
 改めて至恩は自分に言い聞かせ、精一杯キリッとした顔でクミチョウに教えられたとおり胸を張って堂々とヒトイヌを打ちながら歩く。

 ……まぁそんな虚飾など、ただでさえ快楽と衝動に弱く加工された頭では十歩と持たないに決まっていて。
 案の定、瞬く間に至恩の頭の中は、目の前の黒い物体に占拠されていた。
 ――言うまでも無くそこにある感情は、被虐と羨望だけである。

(目も見えない、多分耳も塞がれてるから聞こえにくい……そんな状態で無理矢理こんなギチギチに拘束されたまま、不自由な姿勢で歩かされる……)

 この外見だけで既に美味しいというのに、更に首輪を引かれ、鞭を入れられるだなんて……なんという羨ましいポジションなんだ、と至恩は心の中でがっつり涎を垂らしている。
 いや、涎を垂らしているのは心の中だけじゃ無い。心なしかその中心はいつもより元気な気がするし、なんなら作業中は弱められた発情のせいで出なくなっている筈の我慢汁まで溢れて、さっきからつぅつぅと糸を引き床を汚しているのだから。

(ゆ、床はほら、この製品が汚しているのと混じるからバレない、よね!? ……はあぁ、でもいいなぁこれ……保管庫に戻ったら鞭を下さいってお願いしてみようかな、餌皿とは違った刺激で絶対楽しい……あーもうお腹がずくずくするっ! ちんちんも触りたいけど、今はむしろ中を埋められてメスになりたいいぃ……)

 数歩ごとに「ダメダメ、しゃんとしなきゃ」「でも羨ましい」をめまぐるしく繰り返しつつ、至恩は目的地へと向かうのだった。

 ……残念ながら、転々と淫らな汁を垂らし鼻息荒く、そして完全に発情しきった目で鞭を振る姿はクミチョウにこそ見られなかったものの、廊下ですれ違った先輩個体はきっちりと確認しているわけで。

「おい、シャテイが初作業でイキそうな顔して歩いてたぞ」
「いきなり鞭を入れて興奮するとか、素質ありまくりだな! ありゃ早い内に『覚醒』するんじゃねーの?」

 しかしまさか至恩が「ヒトイヌになって引きずり回されたい」なんて拗れまくった被虐願望に浸っているとは思いつきもせず、むしろ二等種としての気質の芽生えだと盛大な勘違いを受けたようで。
 皮肉にもこの日以来、作業用品達からは「へなちょこかと思ったら、とんでもない逸材かもしれない」と一目置かれるようになってしまったのである。


 ◇◇◇


 どうやら作業用品を操作する管理官様は、あまりにビビりまくりの至恩に指示することを早々に諦めたらしい。
「おいこら、俺から検査のやり方を全部説明して指示しろって管理官様に丸投げされているんだが? てめぇどれだけヘタレな事やりやがったんだ!?」とクミチョウにしこたま詰められた至恩は、ぷるぷると涙目で震えながら初めての作業に取りかかる。

「管理番号、499M104(D)。出荷時判定D、ヒトイヌ個体、っと……にしても分泌量が多いな、上も下もびしょびしょじゃねぇか」
「ヒトイヌってこんなに濡れるものなんですか?」
「いや、これは特別だな。……ふぅん、売り上げも評価も随分優秀な個体じゃねぇか。499……保護区域9の製品か、なら納得だな」

 台の上に手足……いや、この場合は全部足だろうか。とにかく四肢を固定し、二人がかりで検査を進めていく。
 目の前には検査項目がずらりと並んだ画面が表示されていて、これを上から順にこなしては結果を指で入力していくようだ。
 難しい語彙は無く、入力もほとんどは選択式か数値を入れるだけ。検査と連動して自動的にデータが記入されるものもあるお陰で、初めてでもそこまで苦労はない。恐らくは二等種の知的レベルに合わせて作られているのだろう。

「通電検査……ええと、次が左乳首……」
「シューッ!!」

 電撃を指定された強度と時間で流せば、目の前の製品……104番はガクガクと身体を痙攣させ、しかし固定された足では蹲ることも許されず健気に涎を垂らして耐えている。
 なのに尻尾はずっとぴこぴこと可愛らしくと振られたままで、彼が懲罰じみた強度の電撃すら「喜んでいる」ことが見て取れた。

(ああ、これだけ見れば本当に幸せそうだ)

「鳴かない、じゃなくて鳴けない、なんだよ」と最初に見せられた、首輪の下、肉にぽっかり穿たれた穴を思い出せば、なんとも言えない気分になる。
 ……そこに興奮が混じることは否定しない。無茶な利用による誤嚥を防ぐというだけの理由で喉頭閉鎖――首から気管に穴を開けられ、二度と鼻や口から息が出来ないように喉自体を閉じてしまうだなんて、想像してゾクゾクが止まらないのも無理は無いと思う。

 けれど、やっぱり引っかかるのだ。
 そこに確かにある意思や感情をなかったものにする処置だけは、どうしても興奮に変えられない。
 地上にいた頃を思い出して……心がどうしようも無く荒ぶってしまう。今はもう、あの地獄にはいないというのに。

「シューッ……シュッ……」
「…………反応、正常……次は……」

(だめ、今は作業に集中……)

 至恩はかぶりを振り、淡々と表示された項目を埋める。
 音の乗らない、器官から直接漏れる透明な息遣いでは、とてもそこに込められた感情など読み取れはしない。だから反応はいつだって「正常」だ。

 性器従属機能を実装され年月が経った製品は、渇望の極地が作り出した幻覚の性器にすら奉仕をねだり続けるという。
 だからその心は壊れるまでずっと幸福に満たされたままだと、人間様は「規定」するのだ。

 もちろん、例え声が出たところで彼らの本音は……その肉の内側に閉じ込められた、時折瞳にちらつく事だけを許された絶望の慟哭は、決して表には響かない。
 そう、物理的には響かない……けれど、せめて偽物の幸せを語る喘ぎ声に本当の嘆きをひっそりと混ぜ込むことすら出来ないだなんて、ヒトイヌに施された加工はあまりにも残酷すぎると思うのだ。

 ……いやそもそも、既に6年もこんな状態で使われているこの個体には、そんな思考すらできなくなっているのかも知れないけれど。

「ええと、次は穴の機能試験……うはぁ、直径9センチのディルドは流石にずっしり……」
「シャテイ、先に3センチの方から試験しろよ。デカいのを先にやるとノイズが入る」
「は、はいっ」

 なんとも言えない気分のまま、至恩は次の検査のために戸棚から疑似ペニスを持ってくる。
 べっとりと潤滑剤を塗りつけて、そのままぽってり縁が盛り上がった後孔に先端を軽く押しつければ、途端に早く中に欲しいと言わんばかりに真っ赤な粘膜……を模した、赤い被膜がはくはくと口を開き愛しいおちんぽ様へと絡みついた。

 表情も何も無い、全てを覆われ隠された製品だというのに……いや、無個性無機質な外観だから余計にだろうか、この孔は雄弁に興奮と愛を語り続ける。
 その内心は分からない。ただ、プログラムされた愛情と従属を自動的に垂れ流すだけ――

「……お前、気付いてんだろ」
「っ!」
「…………心配するな、別に気付いていても問題はねぇ。長年ここで使われてりゃ、大半の奴は気付くからな」

 突然の指摘に(まずい)と固まった至恩を「ほら、さっさと突っ込め」と促しながら、クミチョウは目を合わせずに話す。
 ぐちゅり、と粘液質な音を立てて孔の中に埋もれた「おちんぽ様」は、温かい締め付けの中で強烈に愛されているのだろう、画面に送信されるデータはどうやらかなりの好成績をたたき出しているようだ。

「ま、最初から気付く奴は珍しいけどな……おーおーまたいい喉と舌の動きだなぁおい!こんなの人間様も3分と持たねぇんじゃね?」

 クミチョウは、104番の口に無造作に検査用のディルドを突っ込む。
 ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てて抜き差しされる彼は、確かに喉から漏れる息こそ荒くなったけれど、それでも呼吸が首輪からの酸素供給に切り替わらない分一般的な製品ほどの苦しさは感じていないようだ。

 ……そんな些細な事でも、楽なら良かったと安堵してしまう。

「他の奴には言うなよ。自分で気付く分には自由だが、敢えて触れ回っていると管理官様から懲罰の呼び出しを食らう」
「……はい」
「…………色々思うところはあるだろうけどな。管理官様が……人間様がこれを幸福と定めた以上、性処理用品にとっては穴として性器を見れば内心がどうだろうが勝手に従属するように見えるのが幸せなんだよ。この事実は、二等種にはどうにもできない」
「分かってます……どれだけ絶望していても、彼らはずっと勝手に作られた幸せから逃れられない……」
「彼らだけじゃねえ、俺達もだけどな。……よし、じゃあ射精への反応試験をするぞ。先に口、その後でケツな」
「はい」

 クミチョウの言葉に、至恩はディルドを動かす手を早める。
 なるべく小刻みに教えられた動きを繰り返せば、ようやく与えられるであろう人間様からの施しを搾り取らんと穴はリズミカルに締まり、もこもこの尻尾がパタパタと「期待」と「歓喜」を伝えた。

 ――ああ、これは確かに、人間様を喜ばせることに特化している穴なのだ。

(誰にも気付かれない絶望が……せめて少しでも、快楽で癒やされますように)

 その素性も顔も何一つ分からない、見知らぬ穴にささやかな救いを。
 至恩はそっと唇を噛みしめ、クミチョウのカウントダウンに合わせて、祈るような気持ちで疑似精液を穴の中に注ぎ込むのだった。

 その行為が何の意味も無かったことを知るのは、検査が終わった後である。


 ◇◇◇


 一通りの検査を終え、管理官による確認を待ちつつ「本当に優秀だな」と104番を撫でていたクミチョウが独りごちる。
 この2週間で何体もの出荷準備や返却処置を見てきたが、確かにこの個体はヒトイヌと言うことを差し引いても非常に大人しく従順だ。先ほど取ったデータも軒並みSの文字が並んでいたから、恐らく機能的にも優秀なのだろう。

 クミチョウ曰く、D等級個体は製品となって一年もすれば言葉を解さなくなるほど高度な知的機能は低下する。そして一度落ちた知的機能は、どんな修理でも戻ることは無い。
 この個体も例に漏れず「イケ」以外の言葉による命令は受け付けないというが、そこまで変質しても穴として高評価を上げること自体が珍しいのだそうだ。

「さっきの検査画面を見てみろ、ユーザ評価が4.9って書かれているだろ? 直近3ヶ月も、通算でもその値ってのは凄いんだよ。D品の平均評価は4.1だし、年数が経つにつれてどの等級でも評価は落ちるのが基本だから」
「へぇ……それは本人の努力……?」
「むしろ製造者の腕だな。これ、相当腕の良い管理官様と作業用品が組んでたんだろうよ。確かに、保護区域9の製品は時々びっくりするほど高品質なのが回ってくるからな……ただ、ヒトイヌでこれはめちゃくちゃレアだ。だからこそ買い手がついたのかもしれねぇ」

 すりすりとクミチョウの手に頭を擦り付ける104番。
「この行動は人間様には好かれるのかもな」と撫でるもこもこの黒い耳には、売約済のタグが揺れていた。

「……刑部様……けいぶ、さま?」
「おさかべって読むんだ。二等種には難しい読み方だよなぁこれ」
「漢字はふりがなが欲しいですね」

 これを買い取る人間様、つまり新しいご主人様の名前だとクミチョウは事もなげに話す。
 そう言えば、この個体は買取出荷だと管理官様が話していたのを、至恩はその時思い出した。

(買うんだ、二等種を……そんな世界が……)

「その……この作業はよくあるんですか?」
「ん? ああそっか。買取出荷の話をしてなかったっけ……いや、滅多にねぇよ。毎回俺が関わるわけじゃねえけど、少なくとも俺は年に一回も経験はしてねえ」
「……珍しいんだ。てかクミチョウさん、一年って……まさか日にちが分かるんですか?」
「そりゃ、新人が来れば一年経ったって分かるからな」
「あ、なるほど」

 性処理用品は法律上は国の所有財産である。
 と言ってもその地位は家畜や事務机よりも低い。精々消耗品のボールペンと変わらない扱いではなかろうか。

 このため、性処理用品の利用はあくまでも国からの貸出という形を取る。
 用途によっては長期間――それこそ初期設定後廃棄処分になるまで同じ場所で使われることもあるが、その場合も製品が誰かの所有物になることは無い。だからこそ貸出に際して様々なサポートが受けられるし、逆に破損については厳格な罰則規定が設けられているのだ。

 だが、一般にはほとんど知られていないが、性処理用品は国から購入することが可能である。
 特に抜け穴とかがあるわけでは無い、法律に基づいた正式な手続きでだ。

 もちろん条件はそれなりに厳しいし、金銭面からも購入できる層は政府高官や政治家、大企業の上層部などに限られてしまうが、購入希望の製品が捕獲から製品加工までの製造コスト及びこれまでの保管コストを超える売り上げを既に上げている場合に限り、個人所有が認められている。
「買い取られた先でどう言う扱いを受けているかは分からねぇけど……まぁ、国の規定に縛られずにやりたい放題って段階でお察しだろ」とのクミチョウの言葉に、買取という末路は実は最悪のパターンかも知れないと、至恩は目の前で静かに佇むヒトイヌに気の毒そうな視線を向けた。

「ただな、買い取られるのはほとんどがS品なんだぜ。よくてA品までだ」
「……SS品は?」
「あれはそもそも買取不可だな。外交にも使うし」
「ひょえっ、が、外交!?」
「おうよ、この国の性処理用品は質が高いって有名なんだぜ? 貸出外交は相当潤ってるって聞くしな」
「へ、へぇ……」
「ただ少なくとも俺は、D品の買取なんざここでもシャバでも見たことがねぇ。余程酔狂な人間様なのか、もしくは……上と密かに掛け合って意中の人間を材料に『作らせた』かじゃね?」
「ふぅん、作らせる…………作らせるうぅぅ!?」

(ちょっと待った、それじゃまるで、ただの人間を二等種にできる……まさか……!)

 何気なく語られる話に、至恩はぴしりと固まる。

 初めて知った、性処理用品の使い道。最高級性処理用品の貸出外交、高級品の個人所有、そして意図的に性処理用品を作る方法があると言わんばかりの情報……
 あまりにもスケールが大きすぎて、もはやどこから突っ込んで良いか悩ましいレベルである。

「……おい、どうした? そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「…………はっ!!」

 怪訝な顔をするクミチョウにようやく現実を取り戻した至恩は、取り敢えず一番気になっていたことをこの機会に聞いてみることにした。

「あ、あのっ、ここでもシャバでも経験が無いってどういう」
「ん? ああ、俺はヤクザの息子だからな。違法な二等種売買も散々見てきたんだよ」
「ほえっ!?」

 なるほど。
 どうやら彼は(推定)本職ではなく(元)本職だったらしい。

 これほど納得のいく説明は無いな! と至恩は一瞬安心し……いやむしろそれって安心できない材料になったんじゃ!? と再び顔を青ざめさせる。
 そんな至恩の気も知らず、暇つぶしにちょうど良いと思ったのだろう「別に隠してる話じゃねぇからな」とクミチョウは彼の身の上を語り始めた。

「俺は堕とされ……早い話が、元々人間だった二等種なんだよ」


 ◇◇◇


 あれは小雪のちらつく寒い日だった。
 まだ夜も空けない時間だというのに酷い騒々しさで目を覚ませば、自宅……もとい、組事務所の周りは国軍とマスコミにより包囲されていて。
 これは何か大変なことが起きていると、さっと顔色を変えた15歳の少年は急いで階下に駆け下りた。

「親父! お袋!! 一体何……が……!?」
「藍坊!? だめだ降りて来ちゃいけませんぜ!」
「っ、藍之介、これは大人の喧嘩だ! ガキは上で大人しくしてろ!!」

 ドアを開けた瞬間、少年……苦瀬藍之介(くぜ あいのすけ)が目にしたのは、父親である組長やその子分達がことごとく軍に制圧され連行される様。
 そして、その横で虚ろな瞳をして震える少年少女達を彼らが容赦なく拘束し、馬鹿でかいスーツケースに詰め込む姿だった。

 その瞬間、藍之介は悟る。
 ああ、この組は国に潰された。
 両親も、大切な仲間達も、みんな……「堕とされる」と。

「誰だ? ……ああ、組長のせがれか。どうする部隊長? ガキだし青少年矯正センターに任せるか?」
「いや、天獄会黒狼組の跡取りの坊ちゃんとなれば、未成年とは言えご同行願わねばなりませんな」
「っ、息子は関係ないだろう……!! てめえらの人身御供なら組長の俺がいれば十分だろうが!」

 必死に叫ぶ父親に向かって、部隊長と呼ばれた軍人は「これだからおつむの弱い連中は」と鼻で笑う。
 あの笑顔を、少年は一生忘れないだろう。
 ――それはまさに「人間様」にふさわしい、悪辣で胸糞が悪くなる顔だったから。

「いやぁ、関係なくはないでしょう? 直接製造と密売に携わっておらずとも、坊ちゃんは跡取りとしてお仕事は見ておられた……そう、ちょっとばかり物事を知りすぎていますからねぇ」
「貴様……!!」
「おい、連れて行け。ああ『商品』は丁重に扱えよ? ……ここに生存している『被害者』はいなかった、いいな?」
「はっ!!」

 ……最後に聞こえた両親の叫びは「藍之介、すまねぇ……!」だった。

 …………
 ……

(まあ、そうなるわな)

 怒号が飛び交う中、なすすべも無く国軍に拿捕され放り込まれた拘置所で、藍之介は己の今後を含む全てを知らされる。
 ――いや、ほとんどのことは既に知っていた、と言うべきか。

 彼の父親がトップを務める組……いわゆる極道と呼ばれる組織では、長年シノギとして違法な性処理用品の製作と密売を手がけていた。
 国が管理する性処理用品では満足できない顧客に向けて、とある保護区域の幼体管理部と結託し、処分と見せかけて横流しされた二等種を性処理用品として仕立て上げて手広く国内外に売り飛ばしていたのである。

 その品質は「正規品」と遜色ない本格的な出来映えで、人気は非常に高かったようだ。
 更には依頼のあった無辜の少年少女を「素材」として無理矢理二等種に堕とし、オーダーメイドの性処理用品加工まで手がけていた。まさに悪事ここに極まれりと言ったところか。

 国は早くからこの存在に気付いていたが、政府中枢や財界の有力者、果ては警察や軍上層部に至るまであまりにも顧客や協力者が多すぎたため、手を付けられなかったという。
 しかしとある矯正局の管理官が、証拠を海外を含む複数のSNSで同時多発的に拡散させるという大胆な告発を行い、それがきっかけで外圧と世論が高まってとうとう解決……かと思いきや、この国はやっぱりろくでもない国だった。
 伊達に世界で初めて二等種を作り出した国ではない、といったところか。

 有り体に言えば、事態を重く見た国により断行されたのは、トカゲの尻尾切りだったのだ。

 数日後、藍之介は軍人達が四方を取り囲む殺風景な小部屋の中で、二等種堕ちの判決が下ったことを宣告された。
 何の取り調べも無く、裁判にすら呼ばれず決まった最高刑の判決。そこに恣意的な判断が加わったことは明らかだ。

 目の前に突きつけられたのは何の変哲も無いタブレット。画面には判決文と共に、受諾を示す赤いボタンが表示されている。

(……これを押せば…………俺は、終わる)

 藍之介はゴクリと唾を飲み込む。
 ……全く、何気ない音が今日はやけに耳に残る。

 目の前にあるボタンは、ある意味死刑の方が幸せだと思えるほど残酷な、人生終了のトリガーだ。
 このボタンを押せば、自分はこれまで身につけてきた全ての魔法を失い、二等種と呼ばれる憐れな存在に変貌する……

 よく知っているのだ。
 それは、うちで何度も見てきた……思い出すだけでも身の毛のよだつ悲壮な光景だったから。

「苦瀬藍之介、お前はあまりにも知りすぎた。二等種の事も、性処理用品の事も……そして、顧客の情報もな。だからお前は『二等種製作の実行犯』ということになった」
「未成年に最高刑を課すのは、2年ぶりだそうだよ。いや、君が極道の息子らしい風貌で実に助かったね。誰一人として、君の冤罪を疑う者はいなかったのだから!」
「はん、てめえらの保身と証拠隠滅のために、無実の未成年を二等種に堕とすってか。ったく……ああそうさ、全部知ってるぜ? てめぇだって随分良い思いをしてきたクチだろうが、部隊長さんよぉ」

 拘束魔法で右手以外を完全に封じられた藍之介がぎりりと睨んだところで、あの日彼を捕らえた部隊長はどこ吹く風だ。
「いやぁあの穴は実に素晴らしい製品だよ、末永く楽しませて貰うさ」と笑う笑顔の醜悪さに、怒りよりも嫌悪感が募る。

「なに、世論を収めるためには犠牲も付きものってね。……すでに末端の顧客は逮捕済み、二等種製作に関わった君の親父さん含め大人達は、全員二等種に堕とされた。後は君がこのボタンを押せば、国を揺るがす大事件は解決するんだ」
「…………腐ってやがる」
「何とでも。まぁ、君は精々立派な穴になって壊れるまで人間様に罪を償うんだね」
「ちっ……」

 藍之介は吐き捨てるように呟く。全く、国のイヌは俺達極道よりよっぽど醜悪なクズだらけだと。
 しかし今の自分には、この運命をどうすることも出来ない。まして事ここに及んで、惨めったらしく命乞いをするつもりもない。

(何もしちゃいねぇが……『何もしなかった』からな。俺もこいつらと大して変わらねぇか……)

 藍之介は、彼の親や組員達が非道な犯罪を犯していることを知っていた。
 彼の目の前で、ただ気に入ったからと言う理由だけで攫われてきた少年少女が二等種に堕とされ、怪しげな薬と魔法で心身を捻じ曲げ加工され、最新技術とやらでペニスを見れば涎を垂らし穴を使ってくれと懇願する淫らな玩具へと変貌する様を、つぶさに見てきたのだ。

 裏社会の人間に全ての罪を被せ、今も日の当たるところで善人ぶっているこの国の上層部には、吐き気を催す。
 だが、清廉潔白を気取るには、いくら未成年という免罪符を持ってしても少々重すぎるものを自分は知っていたから。

 ……知っていて、組のためだと、引いては自分が生きるためだと黙認したから。

「……俺が二等種に堕ちたところで、何の贖罪にもなりゃしねぇけどよ」

 震える指が、目の前のタブレットに伸びる。
 怖くないわけが無い。あそこで飼っていた家畜以下の穴に、これから自分はなってしまうのだから。
 だが、そこで怖じ気づくような半端な生き方はしていない、まして腐りきった大人のように罪を無かったことにしたくもない……。

 だから、彼は吠えた。
 せめてもの反抗として、話に聞く二等種より余程悪辣な存在である大人に向かって、人として最後の啖呵を切ったのだ。

「ま、知っていたのに見て見ぬフリをしてきたのは事実だしな。……ガキだからってなめんなよ? 目ん玉かっぽじって見てやがれ、二等種にも劣るウジ虫共が! これが黒狼組の跡取りとしてのケジメってやつだ!!」

 とん、と人差し指が赤いボタンに触れる。
 次の瞬間、どこかで一つの命が救いかも知れない終わりを迎え、藍之介の世界から形容しがたい何かが抜け落ち……人間としての命もまた潰える。
 そうして「何がケジメだ、全くガキはこれだから」と早速付けられた首輪から散々電撃を流された後

「ほら、次に何をするかは知っているだろう? 良く見ろ、これが今からお前の名前だ」
「…………『はい』……ぐああぁっ!!」

 ――新たな二等種「37CM906」が生まれたのだった。


 ◇◇◇


「それで俺はここにいるって訳だ。この国の最高刑は死刑ではなく、二等種墜ちなんだよ」
「そんな、ヤクザの家に生まれただけなのに……」
「……まあそうだな。だが別に俺は親父達を恨んじゃいねぇよ。そう言う家に生まれついたものは仕方ねぇし、組の跡取りってんでそれなりに良い思いもしてきたからな」
「…………人間様は、人間を二等種に堕とせるんですね。刑罰にできるくらいには」
「詳しい仕組みは喋ったら流石に懲罰だって、ここに来たときに厳命されてるから話せねぇ。ただ、人間を二等種に堕とすのはお前が思うより簡単だと思うぜ。ちなみに逆は不可能だし、やられる側はたまったもんじゃねぇけどな」
「…………」

(そんな、無実の罪で堕とされて……何でそんなに笑えるの……?)

 淡々と、時折笑顔さえ浮かべながら語るクミチョウの姿は今の至恩には理解しがたい。
 そして思うのだ、自分もいつか彼のように、全てを笑い飛ばせる日がくるのだろうかと。

 きっとその思いが顔に出ていたのだろう「てめぇは二等種にしちゃ感情が顔に出すぎなんだよ」とクミチョウは至恩の頭をぺちんと叩く。
「こんなナリだけどてめぇの倍近く生きているんだ、吹っ切れもする。時間が解決するって事もあんだよ」と付け加える辺り、顔はともかくなんだかんだ言ってこの元ヤクザな個体は……むしろヤクザだったからなのか、仲間に対してはすこぶる面倒見がいいのだろう。

「それでもな、俺は幸運だったんだ。あの時逮捕された関係者の中で……俺だけが未成年だったから」
「未成年、だったから?」
「そ、未成年じゃなきゃ作業用品には絶対になれねぇからな」

 二等種の堕とされ個体、いわゆる人間を人為的に二等種に変えた個体については、成人年齢である18歳を迎えているかどうかで大きく扱いが異なる。

 非行少年として12歳段階で矯正不可能と判定された場合は、二等種堕ちの処置を行った後いわゆる「天然モノ」と呼ばれる一般的な二等種同様の末路を辿る。
 すなわち幼体二等種として捕獲され、徹底的な加工と躾を行った上で誘導により性処理用品と作業用品を選り分けるのだ。

 これに対して、何らかの理由により成人で二等種に堕とされた場合は、2ヶ月間の初期加工後事前検品を行い、合格した個体は問答無用で性処理用品に加工される。
 なお、成体堕とされ個体の検品通過率はわずか10%。検品基準は外観を重要視しているため、メス個体では30歳を、オス個体では22歳を超えた堕とされの場合ほぼ全例が検品落ちとなり、そのままF等級と呼ばれる実験用のモルモットとして使われることになるのだ。

「俺は堕とされたときに15歳だった。12歳から17歳までの堕とされ個体は、2ヶ月間の事前加工と躾を行った上で、幼体二等種に混ぜられるんだよ。ちなみに管理番号だってちょっと違うんだぜ」
「……そう言えば、900番台……」
「これが俺が幼体堕とされ……つまり元人間だったって証拠だ」

(そっか……人間だったから、ちょっと他の二等種と違うんだ……)

 朧気ながら感じていた違和感の正体はこれだったのだと、至恩は合点する。
 二等種にしては整っていない、特に不細工だとは言わないが取り立てて美形でも無い顔立ちに、タトゥーの威力のみならずまるで人間様を彷彿させるような妙な迫力。
 そして、他の二等種に比べて明らかに残っている社会性……これは彼が他の二等種よりたった数年とは言え長く人間として生きてきた証だろう。

「ま、俺が堕とされてからもう20年近く経ってるしな! 親父や組の連中は、全員モルモットやら部品やら材料やらになって、仲良く地獄に落ちてるんじゃね?」
「……クミチョウさん」
「んだよ、そんなしけた面すんなって! ま、知りすぎたせいで碌でもない目にはあったけどよ、俺は俺なりのケジメをつけただけだ。それに、知っていたせいで人間様の誘導に乗らず作業用品として生き延びているんだしな。……お、管理官様の指示だ」

 ようやく管理官による検査結果の確認が終わったらしい。至恩はクミチョウの指示に従い104番を台から降ろす。
 息こそ荒げているもののこちらの話にも反応せず直立するヒトイヌ個体の姿は、もはや会話が聞こえても解するだけの能力を持ち合わせてないと物語っているようだ。

「俺がもし性処理用品の道を選んでたら、良くてこれだったし」と、クミチョウは相変わらず彼の足に頭を擦りつけているヒトイヌを指さす。
 性処理用品は外見が良い、つまり美男美女であることが最低限の条件とされるため、二等種に比べれば容姿で劣る堕とされ個体は性処理用品に志願したところで、見た目を気にせず使えるヒトイヌ化をして貰えればまだ良い方。ほとんどは訓練の甲斐無く、そのまま「棺桶」と呼ばれる実験用個体保管庫行きになるそうだ。

「てか、てめぇも堕とされだとばっかり思ってたんだけどな……その様子じゃ違ったのか」
「へ? な、なんで」
「何でってそりゃてめぇ…………いや、まぁ天然モノったってひとくくりにはできねぇんだな。お前みたいな凡百な容姿の天然モノがいるだなんて思いもしなかったわ、シャバにいた頃を合わせても人生初の経験だし」
「ひどい!」

 クミチョウの言葉に至恩は思わず全力で突っ込んだ。
 ……何故だろうか、彼の素性を知ったせいか、ちょっとだけ怖さは薄れた気がする。
 いや、本当にちょっとだけだ。やはり(元)本職は面構えが違う。

(そりゃ確かに、僕はいたって普通の見た目だし、詩だってとびきり美人って訳じゃ無いけどさぁ……でもクミチョウさんよりは整ってるって思ってるんだけどな……)

 以前教室や運動場で見かけた、今は性処理用品になったであろう二等種達は、確かにどれもこれも目を惹く容姿に整った体躯の持ち主ばかりで、至恩はまだしも詩音はしょっちゅう「美人ばかりで気後れする」「私にあの胸を分けて欲しい」とぼやいていた。
 けれど自分達は断じて堕とされでは無い。由緒正しき名門の生まれでありながら落ちこぼれた、何の取り柄も無い実に残念な二等種なだけで。

(ん? ……ちょっと待った、今の言い方じゃ……)

 そして至恩ははたと気付く。
 堕とされである……つまり元人間様、しかも二等種に精通していたクミチョウから見て「堕とされに見える」レベルの容姿である自分達は、性処理用品に志願していたら

「……もしかして、僕もこう、なってた」
「あー……十中八九、なってたと思うぞ」
「うそん」

 可愛い尻尾とそれに似つかわしくない穴だけで人間様に媚びる、黒い塊になっていたらしい事に。

(いや、正直この姿はそそるけど! ちょっと閉じ込められてみたいなとか、無理矢理歩かされたり突っ込まれてみたいなとか思ってるけどさ! これじゃ詩がいても意思疎通会すら出来ないから、あり得ないよね!! うわあ、本当に性癖に忠実になって正解だったよ!!)

 ああ神様、僕らにこんなどうしようもない性癖を与えてくれて、本当にありがとうございます――
 驚愕と安堵と絶望と希望、くるくると表情を変え心の中でいもしない神に感謝する至恩を「……お前、大丈夫か?」とクミチョウは相変わらずヒトイヌに纏わり付かれながら怪訝そうな顔で眺めるのだった。


 ◇◇◇


 出荷前の検査を終えた製品は、洗浄を行い全ての装具を入れ替えて出荷するのが決まりらしい。いちおう保管庫には洗浄魔法がかかっていて、庫内は製品も含めて清潔に保たれているそうだが、そこは気分的な問題だろうか。
 クミチョウは洗い場に移動し天井から伸びる鎖を使ってハーネスを付けた104番を吊すと、管理官に装具の解錠を申請し手足を包む革の袋を丁寧に外していく。

「あれ、アイマスクは?」
「ああ、そっちは後でな。ほれ、ミトンを付けて全身を擦れ。あんまり強くやるなよ? 俺は下半身を洗うから、シャテイは上半身な。穴はそっちの、スポンジタイプのブラシを使え」
「あ、はい」

 至恩は水で濡らしたヒトイヌの黒い被膜に、泡立てた洗浄剤を塗りつける。
 手がかじかむほど冷たい水で洗浄される製品達は、いつもガチガチと歯を鳴らしながら必死に動かないよう耐えているのだが、この個体は何事もないかのように静かに四つ足で立ったままだ。
 つるりとした表面には、水滴がキラキラと光っている。そっと掌で触れれば意外と温かく、確かにこの被膜の下には生き物の気配を感じさせる。

「……これ、ゴムか何かですか? 冷たさを感じないのかな」
「いいや、人工皮膚みたいなものだ。ペンキみたいに塗れば皮膚と一体化して二度と取れない。ただ、性処理用品の強化された皮膚ほどは丈夫じゃ無いから、普段の洗浄ブラシは使えないけどな」

(人工皮膚……あれ、もしかしてこの手足って……まさか、物理的に伸ばせない!?)

 よく観察すれば、皮膜に覆われることで固定されていると思っていた手足はどうやら曲げた状態で肉や骨ごと癒合しているようだ。
 肘や膝はまるで踵のような分厚い組織に包まれているし、例え装具が無くてもヒトイヌとしてしか生きられない肉体に改造されている事実に……思わず至恩の息が荒くなる。
 いや、ここはその悍ましさに恐怖するのが正しい反応の筈だ。もちろん至恩だって、多少はこんなモノを思いついてしまう人間様の狂気に少しばかりの恐怖を感じている。
 ただ、抑制を取っ払われたドマゾにこんな物を見せれば興奮したっておかしくは無い。そう至恩は誰にも聞こえない言い訳を繰り返し、熱心に洗うフリをしながらじっくりとその惨めな姿を堪能することにしたのだった。

 にしても手がかじかんで、じんじんと痛い。
 水ってこんなに冷たくなるものだったっけ? と遠い記憶を辿りながら、しかしちょっとこの水でも被って頭を冷やさないと、また暴走して股間に手を持っていきそうである。

「うう、冷たすぎ……」
「D品の時は仕方がねぇな。まぁこいつ自身は冷たさをほとんど感じないと思うぜ? 前に管理官様が話していたけど、どれだけ乱暴に穴を使われても、フェザータッチで触れる位の刺激に減衰されるらしいから」
「……え」

(減衰、される?)

「ただの被膜じゃねえのよこれ」と蕩々と語られるクミチョウの説明に、至恩はようやくこのヒトイヌが大人しい理由を知る。
 ……ただ言葉を奪われただけでは無い。104番は製品となって6年の間、まさに何も無い世界に閉じ込められているのだと。

 ヒトイヌは他の製品と異なり、表情や鳴き声を楽しむ事は出来ない。
 その分全ての反応を穴の具合に直結させるため、余計な刺激は入力されないように徹底的な遮断措置が取られている。

 視覚こそアイマスクを外せば機能するが、聴覚は神経自体を麻痺させているため外界の音はおろか、己の身体の中から発生する心音すら聞き取ることが出来ない。
 触覚は言わずもがな。この皮膜は性器を挿入する部分の粘膜にも塗布されているため、突っ込まれて抽送されていることは感じられても、快楽に結びつく強さにはならないそうだ。

 嗅覚や味覚もそれぞれの受容器官は被膜でしっかり覆われている。
 餌の匂いや味が分からないのはある意味救いだと思うかも知れないが、そもそもヒトイヌの餌は皮膚から胃に向かって開けられた穴を通じて流し込まれるだけだから、あまり利点は無さそうだ。

(……ああ、少しでも気持ちよくなって紛れたらと思っていたけど、さっきのも感じられなかったんだ……D品に対する扱いは桁違いの酷さだよね)

 それでいて、発情は一般製品と同様のレベルを保ち、性器従属反射もそのまま。
 激しい渇望に苛まれたヒトイヌ個体は、加工後10日もしないうちにその脳裏に幻覚の性器を描くようになり、以後は己の頭が作り出した性器に必死で奉仕を懇願しながら大した快楽も得られない穴を好き勝手利用され、ごく稀に人間様が与えてくれるかも知れない絶頂を待ち続けるだけの生涯を送るのである。
 
 彼らにとっては、何の快楽もない電撃の痛みすら外界を知る刺激となる。
 ……104番が電撃に尻尾を振るのは、案外本心なのかもしれないと気づいた紫苑の背中にぞっとするものが走った。

 なお、これらの加工により極限まで性的に飢えさせられた穴は、いつでもどこでも、それこそいくら連続使用しても劣化することの無い、それでいて一般の製品では味わえないレベルの名器へと変貌する。
 これも、ヒトイヌという異形の製品が一部界隈で絶大な人気を誇る理由の一つである。

「っ……はぁっ……そんな、頭が狂いそうな状況で……何も出来ないだなんて……」
「おう、だからD品は1年もすりゃ一気に知的レベルが下がっちまうんだよ。ってこら、興奮してないでさっさと洗え」
「は、はいぃ……」

 至恩は震える手でヒトイヌの上半身を洗う。
 この震えは寒さのせいじゃない。クミチョウにも間違いなくバレているだろう。
 ……願わくばその興奮の元が被虐であることに気付かれませんようにと、至恩は願うだけだ。

(ああもう、なんで……いや、気の毒だと思ってるよ!? でも……いいなぁ、こんなガチガチの拘束、何にも感じられないまま発情だけさせられて辛いのに一生抜け出せないとか最高のシチュすぎて…………はぁ、人間様に頼んだらヒトイヌプレイセットとか恵んで下さらないかな……)

 きっと今頃、同じく性癖をこじらせたトモダチもいい土産話が出来たと鼻息を荒くしているに違いない。
(詩、鼻血出してないといいなぁ)とちょっとだけ心配しつつ気が逸れたお陰で、至恩の左手はどうしようも無く昂ぶった剛直を無意識に擦ってしまい

「ひぎっ!!」
「……お前これで興奮したのかよ、実はもう覚醒済みだったのか? ったく、あんまりオイタをしてると気持ちいいのを取り上げられちまうぞ?」

 途端に、本日二回目の全身を貫く痛みと痺れを食らう羽目になったのであった。


 ◇◇◇


 ――もうこの段階でも十分満足して、むしろお腹いっぱいなくらいだったのに。
 まさか、ここからが本番だなんて誰が想像しただろうか。

 洗浄を終えた至恩達は、台の上で再び手足に装具を装着し、穴には滅菌済みの維持具を押し込む。
「一般製品よりはやりやすいからやってみろ」と渡された口腔性器維持具は、これまで見たものより随分短い。聞けば、ヒトイヌの消化管は被膜による袋形成で実質噴門……胃の入り口が閉鎖されているためだそうだ。

「よい、しょっと……すごい、こんな太いのにズルズル入っていく……」

 合図をすれば104番は大人しく口を開け、直径45ミリもあるぬめぬめした触手のような物体を動きに合わせてゴクリと飲み込むような動作をする。
 おっかなびっくり突っ込む至恩の拙さを補うような動作に、この個体はここまで手慣れた動きが出来るほどに調教され、製品として長年使われてきたのかと思うと少しだけ胸が痛い。

 ……今、この被膜の下で、彼は一体何を思っているのだろうか。
 そもそも、何かを思えるだけの心はまだ残っているのだろうか。

「ふぅ……クミチョウさん、挿入終わりました」
「おう、どれどれ……ん、ちゃんと顎も固定されているな。抜けることは無いだろうがこれで一応仮止めしておけ」
「はい。あれ、ハーネスは付けないんですか?」
「ああ、最後の処置があるからな。よし、仰向けにひっくり返せ。『管理官様、M104の意識レベル低下と貞操具の解錠を申請します』」
「……ていそう、ぐ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げながらも、至恩はよいしょと104番を台の上に転がし、仰向けにする。作業用品には力仕事もそれなりにあるから、二等種らしくないこの筋肉質な身体もちょっとは役に立ちそうだ。
 そう言えば腹側からは見ていなかったなと、至恩は女性と遜色ないほどにぷっくり膨らんだ胸の突起に輝く金属のピアスを(いつ見てもすっごい太いよね)と鼻を膨らませながらしげしげと眺め……その視線を何気なく下腹部に移して


(…………え?)


 動きをピタリと止めた。

 ――いや、むしろ世界が止まった。


衝撃の出会い

(……あ、あれ……? えっと、これ確かオス個体だよね……?)


 慌てて確認しようと上半身に目をやれば、そこにあるのは黒光りする小さな突起のついた、しかし明らかに平らな胸。
 人間様に比べれば華奢な腰つきではあるけれど、女性らしい丸みやくびれは感じられない躯体。
 ……そう、どう見てもこの個体はオスである。
 なんならその足の付け根には、これまた黒くテカテカしたふぐりらしき丸みが鎮座している。
 というのに

「……ちんちんが、ない……?」

 そう。
 二等種のオスならば決して萎えない、ちょっと邪魔にすら感じるほど巨大な屹立が中心にそびえているはずなのに、その存在がどこにも見当たらない。
 もしかして手足のように腹に固定でもされているのかと思ったが、それらしき膨らみも無さそうだ。
 そして、その代わりに股間に貼り付けられているのは

「…………ええと、何これ……」

 銀色に輝く丸いプレートである。
 下の方は黒いふぐりのなかに埋まってしまっていて、それでもなお異様な存在感を放つ小さな金属らしき装具に、至恩の目は釘付けになった。

(え、もしかして性処理用品のオスってちんちんを切り取られるの!? そんなことをして、おしっこは……ってそうだ、僕ら二等種に排尿の権利なんてないんだから別に無くても……いやいやそう言う問題じゃ無くて!!)

 至恩の辞書にないオス(?)の身体。
 オロオロしている姿に気付いたのだろうクミチョウが「どうしたシャテイ」と声をかければ、至恩は「あ、あのっ、ちんちん、ちんちんがぁ……っ!」と今にも泣き出しそうな顔を彼に向けた。
 その反応に「ほんっとに、てめぇはヘタレすぎだ!」と呆れながらもクミチョウはどこか楽しそうだ。恐らくかつての新人達にもこういう反応をしたモノ(とくにオス個体)はいたのだろう。

「心配しなくてもチンコは無くなってねぇよ。フラット貞操具を付けてるだけだ」
「ふ、ふらっと、ていそうぐ……?」
「こっちが終わったら外して洗浄すっから、それまで好きに観察していろ。あ、あんまり引っ張るなよ?」
「は、はひっ!」

(な、無くなってない……そっか、最悪の事態ではなかった……!)

 安堵する至恩の横で、104番の意識が落ちたのを確認したクミチョウは、アイマスクを外して目のチェックを行う。
 一般製品と異なり、ヒトイヌは加工段階から壊れるまで、視界は閉ざしたままと定められている。このため、目やその周辺の検査は必ず意識が無い状態で行われるのだ。

「…………っ……」

 至恩は再び股間に視線を落とし、ゴクリと唾を飲み込む。
 ああ、今の音は外に聞こえてしまったかも知れない。それほどに自分は昂ぶっている。
 クミチョウの作業を見学していた方が今後の作業のためだと分かっているが、今はこの無機質な金属の装具から……目が離せない。

 ドクン――

 心臓がひときわ大きな音を打つ。
 これが何をするためのものか、今の自分には分からない。分からないが己の奥底の……そう、性癖から下される直感が告げているのだ。


 この出会いは、きっと自分の……いや、自分達の「運命」だと。


 ◇◇◇


(ただの金属の丸い板だけど……んん? これ、どうなってるの……?)

 期待だか不安だかよく分からない感情に襲われつつも、至恩は貞操具に恐る恐る顔を近づける。
 良く見れば、直径4センチほどの円形の板の中心からは2センチ足らずの金属の筒が生えていて、その先端には先ほど管理官が解錠した乳首と同じタイプの金属リング……方向指示具がぶら下がっていた。

 筒からはとぷりと透明な蜜が滴っている。つまり特に加工が施されていなければ、この奥にペニスがあるはずだ。
 筒を取り囲むように開いている6つの穴を覗き込めば、そこには見慣れた肉の色が息づいていて、このヒトイヌがかつて人らしい肌を持っていたのだと密やかに主張している。

(……リング? こんな所に通して……重くないのかな)

 プレートの辺縁からは二つ小さなピンが伸びていて、双球の根元を取り囲むボールペンくらいの太さの棒でできたリングに開いた穴に差し込まれている。
 プレートとリングをしっかり合わせれば上部のパーツがきっちりかみ合い、そこに側面からロックをかけてプレートが落ちないように固定する仕組みのようだ。
 リングの直径はプレートよりは一回り大きいけれど、いくらなんでもふぐりと竿を通すには小さすぎる。
 そっと黒い塊を持ち上げて観察してみたけれど、リングに繋ぎ目や蝶番は見当たらない。仕組みが分からずしげしげと眺めていれば「よし、そっちもやるか」とクミチョウが小さな鍵を持って股間側にやってきた。

「何となく分かっ……てねぇな、その表情じゃ。ま、このタイプだと無理も無いか」
「こ、この穴の向こうに見えているのが……ちんちん、ですよね? 場所的に」
「おうよ。チンコってな、無理矢理押し込めば身体の中に収納できちまうんだぜ」
「ひょぇっ」

 クミチョウの手が真ん中の筒から指示具を外し、手にした鍵を側面の鍵穴に差してくるりと回す。
 リングとプレートを繋ぎ止めていたパーツを引っこ抜き、そのままそっとプレートを外せばそこには同じ二等種とは思えない……皮の中からそっと顔を覗かせる男の徴が、鈴口に金属の筒を咥えて鎮座していた。

「……っ、ち、ちんちんに、刺さってる……!? てか、えっ、これ、ちんちん!?」
「チンコだな。製品になって長いから勃起機能はかなり減退しているが……ほら、ブラシ。綺麗に洗えよ。洗浄時にミルキングもしたから多少刺激しても射精はできないし、遠慮は要らない」
「えええ、ブラシ!?」
「柔らかいからそんなに痛くはねぇよ。何なら試しに自分のを磨いてみりゃ」
「遠慮します!」

 プレートを外した途端、ぴくんと震えた陽根はその質量を増し先端を外気に晒す。
 といっても、自分達のガチガチに滾ったブツとは比べものにならないお粗末さだ。たるんだ皮を引っ張れば容易に中に包み込めそうな大きさだし、硬さもこれではとても本来の使い方はできなさそうである。

(このプレートで、ちんちんを無理矢理平らになるように押し込んでいたんだ……! あれ? これ付けた状態で大きくなったら、死ぬほど痛くない!?)

 こびりついた汚れをなるべく優しく洗い落としながら、至恩はガバッとクミチョウを振り返る。
 外したプレートを洗浄していたクミチョウも、至恩の言わんとしたことが何となく分かったのだろう「付けた状態で興奮したら、全力で後悔するぜ。朝とかそりゃもう、な……」と顔を顰めた。
 その表情は心底この貞操具という装具を嫌がっている……むしろ少し怖がっているようにすら見える。多分、彼もこれを着けられたことがあるのだろう。

「お前の考えてるとおりだ。こいつはチンコを体内に押しつぶしたまま固定する為の器具でな。これをつけられると、男として当たり前の機能を奪われる。それこそメス化されている製品ならともかく、作業用品である俺達には死活問題なレベルでな」
「当たり前の、機能……」
「考えて見ろ、てめぇのそのご立派なブツを一時的に萎えさせられるとして、こいつをつけた後元に戻ったら……どうなると思う?」
「…………出てこようとして、中から押し上げて……え、そしたらリングが金玉に食い込むんじゃ!?ちんちんも締め付けられるよね……ひぃ……!」
「エグい痛みだぞマジで。……ただな、もっとヤバい問題がある。これを着けてムラムラしててもその状態じゃ」
「はっ!!」
「……それが、貞操具の本来の目的だ」

(本来の目的……触らせない……気持ちよく、させない……っ!!)

 ドクン

 …………その気づきに、腹の奥がキュッと甘いしびれをもたらす。

 これを装着されれば、興奮したところで金属の蓋に阻まれ良いところに触れることはかなわず、それどころか膨張した組織が押しつぶされ、下手をすれば急所を引き延ばされて痛みに悶絶することしか許されなくなる。
 実際にはリングを少し前に押し出すことで亀頭を露出させ、そこに指や水流を当てることは可能だろうが、洗浄はともかくこれだけの隙間で快感に結びつく刺激を得るのはまず不可能だ。

 とんでもない器具がこの世にはあるのだと、至恩の背筋が寒くなる。
 ……そこに混じる感情は、今は置いておこう。そっちに目を向けたら、確実に歯止めが効かなくなるから。

(ヤバい、ヤバいよこれ……はぁっ、すごっ……だめだめ、今は作業に集中ぅ……!!)

 興奮を顔に出さないよう、何度も己に言い聞かせて無心で洗浄に励む至恩を、この小さな金属達は更に煽ることとなる。


 ◇◇◇


「んっ……ん? これ、抜けない」

 外側を洗い終えた至恩は、次に尿道を貫く金属の筒を抜き取ろうとした。
 だが筒は押し込むことは出来ても、抜き取ろうとすれば途中で何かに引っかかってしまう。
 これでは上手く洗えないと、至恩は困り顔でクミチョウに声をかけた。

「あの、この筒が抜けないんですけど……どうすれば」
「あん? ああ、テザーは抜かなくて良いぞ。それは抜けないように加工されているから」
「え」
「無理矢理引っこ抜くと血だらけになるんじゃね? 確か尿道を切り裂かないと出せないって前に管理官様が言っていたような」
「…………!」

 クミチョウ曰く、このテザーと呼ばれる金属の筒が尿道から抜けないようにするストッパーが亀頭部分の尿道に設置されていて、更にストッパーは周囲の組織と完全に癒着させているため、無傷でテザーを取り出すことは生涯不可能らしい。

 つまりこのヒトイヌ個体のペニスは、今や自分を閉じ込めるただのパーツとしてしか機能しない――
 良くこんな加工を思いつくなぁと思わず呟いた至恩に「性処理用品ならではの扱いだよな」とクミチョウは消毒の終わったリングを持って再び戻ってきた。

「ちゃんとリングの裏も洗ったか? 本当は全部外せば洗いやすいんだけどな、管理官様からリングは再装着に手間がかかるし外さなくて良いと言われたから」
「あの、このリングってどうやってつけているんですか?」
「どうもこうも力業だ」
「力業」
「……玉を片方ずつ、ちょっと潰しながら通して、両方通ったら竿を腹ん中に一回押し込んで通す。ちょっとコツがいるから、製品に使うときはたまにしか外さないぜ。……まぁ、滅多に無いが作業用品に懲罰で装着するときは洗浄の度に……ちっ……」
「うう、話だけでタマヒュンしたんですけど……」

 しっかり洗えていることを確認したクミチョウは、小さいながらも存在を主張する中心をくいとつまみ、プレートの中心に開いた穴にテザーを通す。
 そしてそのままぐっと根元に向かって押しつければ、憐れなペニスはあっさりとその姿を奥に引っ込めてしまった。
「ここまでブツが縮んでいても、割と力は要るんだよな」とひとりごちつつ、クミチョウは袋の巻き込みが無いかをしっかり確認する。
 少しでも位置がずれると、浮腫が出て痛みに苛まれるのだそうだ。いくら性処理用品とは言え、管理する立場としては余計なトラブルは避けねばならない。

「プレートは真っ直ぐというより、ちょっと上に向かって押しつけるんだ。その方がロックをかけやすい」
「……はい」

 二等種らしい華奢な手がリングにピンを嵌め込み、流れるような手つきでロックを横から差し込む。

 カチッ

「……っ……」

 小さな施錠音に、こちらまで何かに縛られたような感覚に陥ってしまう。
 そのまま、中心を貫くテザーの側面に開いた穴にピアスを通して下部の部品と接続し「管理官様、フラット貞操具の施錠をお願いします」と申請を出した次の瞬間

 カシャン……

 さっきより更に重く、大きな音が部屋に響いた。

「よし、これで準備は終わりだ。後は梱包な……大丈夫か、シャテイ」
「っ……だ、大丈夫ですっ……」
「…………ま、そのうち慣れて何も感じなくなる。じゃ、隣の部屋からスーツケースを持ってこい。俺はこれを降ろしておくから」
「……はい」

 衝撃覚めやらぬ様子で梱包のためのスーツケースをよたよたと取りに行く至恩の口から、ああ、と小さなため息が漏れる。
 そこに込められた小さな絶望と、それ故の興奮にクミチョウは気付かない。
 ただ、へなちょこには少々刺激が強すぎたかと心配するだけだ。

(凄い……うん、凄いよ、これ……)

 そんなクミチョウの気も知らず、至恩は一人心の中で盛り上がっていた。

 プレートで性器そのものを体内に押し込めることで、扱くことはおろか良いところに触れることすら物理的に困難な状態に追いやり、陰部を纏めて通したリングにより蓋を固定し勃起を戒め。
 そして、亀頭の先端から突き出た筒をプレートの穴に通し施錠することで、隙間から洗浄は出来てもくたりとした性器を抜き取れないようにする――

 ぞくり


(…………これだ……!)


 貞操具とはとてつもなく小さな、けれど堅牢な檻。
 プレートとリング、そして金属の筒。たったそれだけのパーツで、まさにオスにとって欠かせない勃起と自慰、そして射精という権利をいともあっさりと奪い取る。

 何が何でも己を慰めさせはしない――
 器具に込められた強い意志を理解した瞬間、本日最大の衝撃が至恩の中を駆け抜けていった。
 見つけた、これこそが求めていたものだと、心の奥底で小さく、しかしはっきりと叫ぶ歓喜の声が頭に響く。
 ……きっと彼方の世界のトモダチも、同じように衝撃を受けているに違いない。

(これがあれば、自慰を我慢できる。むしろ、無理矢理我慢させられる……!)

 至恩の脳裏に浮かぶのは、誘導期間の大部分を占めた射精と絶頂の制限、そして二人で夢中になった自慰我慢大会なる性癖の狂宴。
 あの頭がおかしくなりそうな――本当にちょっとおかしくなっていたと思う――一年間ですっかり「快楽と衝動を無理矢理我慢させられる辛さも美味しい」と新たな性癖の扉を開いてしまった二人にとって、ここでの生活は楽ではあるけど少々物足りなさを感じていたのだ。

 だって、この身体はこれまでの苦労が何だったのかと思うほど、あっさりと絶頂を迎えてしまうから。
 そして精神的な満足を取り上げられたが故に、自分達は自ら慰める手を止める機能を失ってしまったから。

(あの頃のように我慢する辛さを堪能することも、寸止めの辛さに悶えることも、この身体じゃ叶わない)

 だから、もうあんな至福の時間は二度と訪れないと諦めていたところで出会った、小さな器具。
 そう、これは運命だ。変態の神様が僕らに性癖を満たすという救いの手を差し伸べてくれたに違いない。つまり


(……これでまた、あのどうしようも無い辛さをお手軽に楽しめる!!)


 性癖に全振りされた思考能力は、元々のポジティブな性格も相まって、すっかり脳内を祭り一色に染め上げていた。
 残念な変態二等種、ここに極まれりである。

 ゴロゴロとスーツケースを運んできた至恩は、目を輝かせながら「あ、あのっ!」とクミチョウに尋ねる。
 先ほどとは打って変わって興奮しきって瞳孔まで開いていそうな至恩に、さしものクミチョウもタジタジだ。

「お、おう? どうしたシャテイ」
「こっこの貞操具って、メス用もあるんですか!?」
「ん? メスに付ける必要はねぇよ。そもそも性処理用品にこれを着けるのは、自分のチンコを見て性器従属反射を起こさせないためだしな。ヒトイヌはそもそも目が見えねぇけど、チンコがぶらぶらしている穴じゃ見た目が良くないから、結局隠しておいた方がいいんだと」
「そ、そうですよね……」
「…………何でそこでしょぼくれるんだよ……ああでも、人間様が自慰を制限するのに使うやつは見たことがあるぞ。貞操帯って言うんだが、昔シャバでオクスリ決めたメス個体につけたらガチで発狂しそうな声で叫んで……って今度はめちゃくちゃ嬉しそうだなおい! 何なんだ一体!?」

 戸惑いを隠せないクミチョウの叫び声も、今の至恩には届かない。
 彼の頭の中は、とっとと保管庫に戻されてこの喜びを大切なトモダチと共有する、その事だけでいっぱいだから。

(詩!! 聞いた!? あるって!! メス用もあるなら僕らの性癖にはぴったりじゃんか!!)

「……はぁ、訳がわかんねぇな……」

 まったく、このへなちょこ二等種は何もかもが規格外だと、今にも踊り出しそうな様子の至恩にクミチョウは肩をすくめ、半ば呆れながらも口元に小さな笑みを浮かべる。
 最初から全力で感情豊かな二等種が来たのはあまりにも久しぶりで、ついしんみりした感傷に浸ってしまいそうだ。

「ほら、そんなに顔芸してねぇでさっさとこいつを詰めてしまうぞ」
「あ、はい!」

(ま、たまにはこういう奴がいてもいい。監視は面倒だが……な)

 意識が戻っても相変わらず息以外は大人しい104番を緩衝剤の詰まったスーツケースにきっちり嵌め込みながら、何とか新人の初作業を無事に終わらせられそうだとクミチョウはそっと安堵のため息を漏らすのだった。


 ◇◇◇


 スーツケースを閉めて施錠し、さらにベルトを巻いて二重に施錠する。
 その側面にはいつもと色の違う出荷指示書と納品書がペタペタと貼られていて、これがただの出荷では無い、特別な末路を辿る製品であることを主張していた。

「管理官様、梱包が完了しました。転送ブースの解放をお願いします」

 クミチョウの申請が終わるや否や、ガシャンと音がしてガラスで区切られた転送ブースへの扉が開く。
 この転送陣は一方通行で、性処理用品貸出センターの製品受け取り口へと運ばれるのだそうだ。
 こんなに不用心に転送陣を開けて、作業用品の逃亡は想定されていないのかと至恩が疑問を口にすれば、そこは抜かりないのだと転送陣にスーツケースを横たえたクミチョウが仕組みを話してくれた。

「転送魔法ってのは転送させる側……今回なら転送陣と管理官様な、それだけじゃ無くて転送される人や物の魔力も使うんだよ。凄く微量なんだけどな、その微量な魔力すら持たない二等種は、そのままじゃ通常の術式では転送できない」
「へぇ……じゃあ、どうやって」
「あのスーツケースの中にたんまり詰まってる緩衝材な、あれに魔力が込められているんだ。あいつで二等種を覆えば擬似的に転送されるものの魔力を補ってくれるって訳だ。ちなみに俺ら作業用品を転送させる時は専用の術式を組む。ここでしか使うことを許されない、な」

 彼が言うには、この世界に存在する生き物のみならずありとあらゆる物質には魔力が含まれているらしい。つまり、二等種とは完全にこの世界の理から逸脱した存在なのだそうだ。

「……だから、人間様は二等種が心の底から怖ぇんだよ。ここまで徹底的に叩き潰すくらいには、な」
「へっ」

 ぼんやり青白い光に包まれるスーツケースを眺めながらクミチョウがぽつりと呟いた言葉は、至恩にとってはあまりにも意外なものだった。
 戸惑う至恩にクミチョウは「どうしてヒトイヌなんてモノが出来たと思う」と問いかける。

「……堕とされの有効活用と、出来が悪い個体の穴の具合だけを良くするため……?」
「それもまあ間違いじゃねぇ。だが、本当の目的はあの被膜だ。……穴として使うための粘膜すら触れることが怖いって利用者は結構いるんだよ、たとえゴム越しでも安心できないってな」
「そんな、まるで二等種がとんでもない病気を持っているみたいな……」
「てめぇらには信じられないかもしれないが、まさにそんな感覚だ。人間様が俺達に向ける……とくに完全な無害化をされている製品に向ける嫌悪と軽蔑は、魂に刻み込まれた不安と恐怖の現れにすぎねぇんだ」
「…………」
「信じられねぇよな? ここで飼育された二等種じゃ分からねぇのも無理はねえよ。だがな覚えておけシャテイ。……人間様は『違う』ものには本能的に恐怖を抱く。そしてその恐怖こそが、攻撃性の……残虐さの源になるってな。だから……人間様の思う作業用品の枠からは外れねぇように気をつけろ」
「……はい」

(よく分からないけど……そういうものなのかな……)

 はいと相槌を打ったものの、クミチョウの話す感覚はいまいち理解が出来ない。
 ただ、地上が二等種にとっては想像以上の地獄であることだけは覗えたから

(……どうか……地獄であっても少しはましな明日が、君に訪れますように)

 空っぽになった転送ブースに向かって、至恩はそっと心の中で104番の未来を祈るのだった。

 ――至恩は知らない。
 あれほどまでに酷い虐めを受けていた理由は、子供達が本能的に彼を「よく分からないけど違うもの」と嗅ぎ分け、不安と恐怖を無意識に感じていたせいであることに。

 本来ならば二等種というのは類い希なる容姿を持ち、何かしらの、しかも複数の才能に恵まれているものなのだ。
 そして人間は、華々しい上辺の魅力で本質を簡単に見失う。だから、天然モノの二等種に限って言うなら、大半が地下に収容されるまでは一般よりも恵まれた生活を送っていたのだ。

 だが、至恩達には何故かそれが無かった。
 容姿も凡庸、成績も並、運動は苦手で引っ込み思案……人間の目に好ましく映る修飾子を何一つ持ち合わせていなかったのである。

 片付けをしながらクミチョウは本音を吐露する。
 元人間だった彼は、今でも天然モノの二等種には本能的な恐怖を感じているというのだ。
 普段の彼からは想像も付かない言葉に、至恩は目をぱちくりさせながら器具をジャバジャバと洗う。

「もうな、心の奥底に最初から刻み込まれているんだと思うぜ、これは。もちろん堕とされてからは随分マシになったけど、それでも天然モノと堕とされの区別が付くくらいには恐怖を感じてるんだ」
「そんなに……あれ? あの、僕は……?」
「だーかーらー驚いたんだよ! てめぇには恐怖のきの字も感じねぇよ!」
「ええええ!?」
「なぁてめぇ、やっぱり堕とされじゃねえのか? 二等種にしちゃ髪のメッシュ以外はおしなべて地味だし、何よりへなちょこだし!」
「ぐぅっ……」

 もうへなちょこは卒業したいんだけどなぁ、とがっくり肩を落とす至恩の頭の中に『M123X、そのままM906Xと返却個体の検品に入れ』と朝と同じだるそうな男の声が響く。
 早速「ひょええぇっ!? はっ、はひぃっかんりかんしゃまぁっ!!」と裏返った声で直立する至恩をクミチョウは生暖かい眼差しで眺め「有能なんだかへっぽこなんだか、マジで訳がわからねぇな……」と呟きながら共に返却後処置室へと向かうのだった。

 ――そして至恩は気付かない。
 彼が虐められていた理由は、決して子供達が「二等種」の存在に恐怖を感じたからでは無いことを。

 前代未聞のヘタレにより覆われたその本質が明るみに出る日は、まだ遠い。


 ◇◇◇


「うわああぁぁん聞いてぇぇ至うぅぅっ!!」
「え、ちょ、どうしたの詩!?」

 おかしい、こんな筈じゃ無かったのに……と、至恩は保管庫に帰った途端目を白黒させていた。

 今日は保管庫に戻れば、頬を紅潮させ目を輝かせた詩音が運命的な出会いをマシンガンのように語るとばかり思っていたのに、転送されて互いに気付いた途端、彼女は今にも泣き出しそうな顔をして至恩に飛びついてきたのだ。
 ……あ、いけない。そのふにゅんとした柔らかさが大変敏感な中心を優しく押し潰しているお陰で、思わず腰を動かしたくなってしまう。

「ごめん詩、そこはまずいからちょっと位置をずらしてぇ!」と慌てて叫べば、無限自慰モードの気配に気付いたのだろう詩音は「あ、ごめん!」と膝枕の体勢を取る。
(その体勢もどうかと思うよ、詩……)と遠い目をして心の中で突っ込みつつ、詩音の頭をよしよし撫でながらいつものように話を聞けば、案の定詩音も向こうのクミチョウに「嘘だろてめぇ堕とされじゃなかったのか」と全力で突っ込まれたらしい。

 ただ、その理由がちょっと……どころでなく問題だった。

「そんな控えめな胸の天然モノなんて、初めて見たって言ったの、あの人!! いくら何でひどくない!?」
「あ、やっぱり」
「確かにさ、他の二等種に比べたら私の胸はちょーっとばかしささやかだけど!! でもお母様より大きいから小さくは無いはずだもん!! ……って、待って? 今、至『やっぱり』って……どういう事?」
「はっ!! あわわ痛い痛いっごめんなひゃいい!!」

 ……やっぱりそこだったか、と妙に納得した至恩は、耳ざといぶち切れモードの詩音によってしこたまほっぺたをつねられる羽目になったのであった。

「はひぃ……ほっぺの形が変わっちゃうぅ……」
「もう! 次貧乳だって言ったら、そのおちんちんをおっぱいで挟んで全力でむにむにするからね!! 大体至は何て言われたのよ!?」
「そこまでは言ってないし、それはほんっとーに勘弁してぇ……ええと、僕は『凡百な容姿だな』って」
「……ああうん、納得。確かに至って、地味顔というか華が無いよね」
「詩も何気に酷くない!?」

 そんなことより早く調べようよ! とようやく機嫌を直した詩音がいそいそとタブレットを持ってくる。
 なんだかなぁとは思うものの、詩音が笑顔になったならまあそれはそれで悪くない。何より、調べ物の方が今は重要だ! と至恩もブラウザを立ち上げた。

 ――目的? そんなもの、一つしか無いだろう。

「あるかな……ていそうぐ、っと……うわぁけっこう出てくる」
「こっちもいっぱい出てきたよ!! へえぇ、メス用の貞操帯ってこんなのなんだ……お相撲さんのまわしみたい」
「オス用の貞操帯もあるんだね。貞操具も金属だけじゃ無いし、思ったよりいろんな形があるんだ……」

 今日知ったばかりの言葉を検索バーに打ち込めば、思った以上に大量の情報が表示されて二人は嬉しい悲鳴を上げる。
 いかにして確実に、そして安全に快楽を取り上げるかを追求したフォルムは、もはや美しささえ感じるほどだ。確かに、あの時は衝撃ばかりが先に走ってしまったけれど、あのヒトイヌ個体が身につけていたフラット貞操具もシンプルなのに残酷な機能を内包しているのが堪らなかったなと、至恩はうっとりした顔で思い返す。

「あのヒトイヌがつけてるのも良かったよね。こう、さ、蓋がたまたまにふにゅんとめりこんでる感じが可愛くて」
「……詩の感覚はよく分かんないけど、良かったのは同意かな。はぁ、あんなちっちゃい金具にこれが閉じ込められるって思うと……」
「至ストップ。今触っちゃったら調べ物どころじゃ無くなっちゃう」

 二人の手は止まらない。もちろん股間では無く、タブレットに伸びた手である。
 最初の内はひたすら貞操帯・貞操具そのものを調べていた二人であったが、その興味は次第に「本来の使い方」へと移っていく。

 そして……彼らは辿り着いてはいけない概念を知ってしまうのである。

「……射精、管理?」
「こっちは絶頂管理ってのが出てるよ、詩。メスを貞操帯で管理してる小説みたい」
「え、ちょっと至そっち見せて! 私の読んでて良いから!!」

 そこに表示されていたのは、とある貞操帯管理の小説だった。

 密かに恋心を抱いている少年(少女)を捕らえ、じわじわと時間をかけて快楽の、そして主人公の奴隷に堕としていく……快楽堕ちの物語としてはそこまで目新しい感じでは無い。
 ただ、初心だった相手に快楽を覚えさせ、そこから貞操帯をつけて絶頂はおろか自分で触れることすら出来ないように閉じ込め、快楽を得る権利を剥奪し完全に管理するシチュエーションは、貞操帯という概念と遭遇したばかりの二人にはとても新鮮に……そして魅力的に映った。

「え……自分で洗うこともできないの……一切触れない……?」
「メンテナンスの時は、触ったりどこかに擦り付けられないように拘束……うわぁ……」

 時には仕置きという名の寸止めを、そして時には絶頂というご褒美を与え、徐々に貞操帯を着ける時間を延ばしていく。
 どんなに興奮しても慰められない辛さに悶え、泣き、獲物となった彼らは次第に快楽を欲して主人公への服従心を高めていく。
 従いたくない、なのに、快楽を握られているが故に抗えない――

(こんな装具一つで、あっさり堕ちていっちゃうんだ……)

 隣から聞こえる鼻息が荒い。
 いや、自分もきっと同じように息を荒げている。
 胸がドキドキして、お腹が疼いて、ああこれは後で床を「掃除」するのが大変そうだ……
 そう思っても、ページをタップする指は止められないまま、約2時間。

「読ん、じゃった……」
「う、うん……こんな長い文章読んだの、何年ぶりだろう……」

 貪るように読み終えた二人は、互いのタブレットを床に置いたまま放心していた。
 普段は小説なんて、いくら性癖に刺さってもちょっと手を出すのは気後れするのだ。中等教育を受けていない彼らにとっては知らない言葉も多いし、それなら絵で保管してくれる漫画や動画の方がずっと分かりやすくお手軽に性癖を満たせるから。

 けれど、そんな面倒くささを一気に吹っ飛ばしてしまうほどの威力が、この小説には……否、貞操帯(貞操具)による絶頂(射精)管理にはあった。
 ああもう、凄い以外の語彙が出てこない。もっと言葉を知っていれば、隣で同じような顔をして呆けているトモダチとこの感動を正確に分かち合えたのに!

「…………凄かったぁ……」
「うん、凄かったね……ねえ、至」
「……やっぱり、だよね」

 でも、言葉で伝えなくたって。
 自分達の考えていることはきっと一緒なのだ。

「詩が」
「至が」

「僕を」
「私を」

「「管理できるんじゃ無いかな……?」」

 お気に入りの動画が再生される白い部屋の中、ドキドキしながら小鼻をぷくりと膨らませて同時に放った願望は、やっぱりトモダチは「自分」だと実感する瞬間だった。


 ◇◇◇


「拘束具が無いと管理は難しいよね? 後は鍵を管理できる何か……」
「そもそも拘束具はあっても使いにくくない? ほら、多分……拘束具が勝手に私達を拘束したように見えちゃう」
「あ、そうだった! そっか、それじゃ詩に貞操具を着けて貰うってのも難しいのか……」
「でもさ、自分でつけても多分無限自慰モードに入っちゃったら、外せるって事を忘れちゃうよ、これ。だからきっと触りたいのに触れなくて」
「あー頭の中になんか変な汁がでるやつだ!! はぁっ、そんなの最高すぎるぅ……!」

 これは、是が非でも手に入れなければならない――
 ただでさえ理性の働きにくい頭に加工された二人に、性癖ど真ん中の概念が直撃したのだ。何としても人間様からこの堅牢な檻を与えて貰って、心ゆくまで自慰我慢ライフを楽しまねば! となるのは火を見るより明らかであろう。

 早速二人は興奮のままに、グッズの申し込みアプリを開く。
 お勧めされているグッズには目もくれず(いや、ちょっとだけ心は惹かれたが今はそれどころでは無い!)右上の虫眼鏡ボタンをタップした。
 これだけのコンテンツが配信されているのだ。きっと貞操帯(貞操具)の需要に応えてくれるはずだと喜び勇んで検索した二人であったが。

 ……数分後には、期待外れの結果にがっくりと肩を落としていた。
 そう、本当にがっくりと。ちょっと腕が外れてしまうんじゃ無いかと言うくらいの落ち込みっぷりである。

「ない、ねぇ……至の方もない?」
「うん……影も形もないや……ついでに拘束具もテザーもない」
「あ、ちゃんと調べてたんだ! ええと……ホントだ、こっちもないね……」

 何度ページをリロードしても、検索語句を変えても、それらしきグッズは見当たらない。
「あれだけコンテンツが充実してるのに、なんでなの!」と画面に向かって叫びたくなる気持ちもよく分かると、至恩は都合10回目の更新をかけても変わらない画面に向かって「そりゃないよぉ……」と呟く。
 いつも元気な息子さんまで、心なしかしょんぼりしているようだ。いや、物理的にはしょんぼりできないけど、何となく心情的に。

「これがあれば……状況的に管理は無理でも合法的に自慰禁止ができるんだけどな……管理官様、ショップに置いてくれないかなぁ……」
「至、自慰禁止に合法も違法もないと思うよ。でも、なんで無いんだろうね? こんなにたくさん情報は出てくるのに」
「貞操帯は実際使うとなると、細かいフィッティングが必要で意外と大変だって書いてあったし、手間がかかり過ぎちゃうのかな……」
「あー、管理官様はそういうの嫌いそうだよねぇ。今日の管理官様とかまさにそんな感じ」

 ショックを慰めるように理由を語り合う二人は、すっかり忘れている。
 二等種とは元来残虐な性質を持ち、誰かを傷つけ甚振ることを、そしてその苦痛と絶望を何よりも楽しむ悪魔のような存在……すなわちエロ目線で言うなら嗜虐嗜好、サディズムの極致だと教えられたことを。
 だからコンテンツは互いの性別に合わせて、異性を貞操帯管理「する」小説が配信されていたし、そもそも作業用品であっても性的なコミュニケーションは禁じられているから、誰かを管理する目的の貞操帯や貞操具が取扱リストに並ぶ事なんて、どう考えてもありえないのである。

 ……いや確かに、彼らが忘れるのも無理はないのだ。
 その二等種であるはずの自分達は、完全に対極に立って……いるどころか大分向こうにぶっちぎっているのだから。

「でもさ」

 しばしの沈黙の後、重苦しい空気を振り払うかのように詩音が口を開けた。
 その目は明らかに強い決意に燃えていて、至恩は「あ、スイッチ入っちゃった」と直感する。
(こうなったら詩は諦めないもんなぁ……ま、僕もだけどさ!)

 当然ながら彼女の提案に乗らない理由は無いんだよね、と至恩もニヤリと口の端を上げる。
 ああ、簡単に手に入らないからこそ歪んだ憧れは高まるし、手にしたときの感動も高まるというものだ――

「作業用品になってから、明らかにコンテンツもグッズも増えてるよね」
「うん、しかも過激なものがどんどん増えてる」
「で、人間様は当然保管庫をずっと監視してる」
「そう。つまり」


「「これから毎日検索しておねだりし続ければ、そのうち貞操帯(貞操具)が取扱リストに並ぶに違いないよね!!」」


 ……こうして脳天気な二人の変態は、この日以来暇さえあればコンテンツを検索し、読み漁り、虚空に向かって願望を叫び続けるようになった。
 それはあまりの熱量故に植え付けられた発情すらある意味吹き飛ばし、お陰で彼らが自慰停止用の電撃を食らうのは二日に一回程度という作業用品にあるまじき淡泊さ(?)に陥ってしまったのだった。

「管理官さまぁ、別に貞操具はフラットじゃなくてもいいですよぉ? あ、調整できる道具とかおまけでつけてくれたら、僕ちゃんと自分でフィッティングします!」
「採寸も自分でできますよ! だから、ねっ、そんなフルステンレスじゃなきゃだめとか言わないですから、よさげなのをリストに入れてほしいなぁ……」

 ……聞くに堪えない淫らなおねだりは、残念ながら監視をシステム任せにしている管理官達の耳には届かない。
 彼らのおねだりが事態を動かすには、これから1年ほどの歳月を有するのである。

おまけ: 心の声つき挿絵

衝撃の出会いにつき暴走中

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