第9話 明日を祈る絶望を君に
「揃ったか? んじゃ、定例会議始めっぞ。入荷順に報告してくれ」
「はい、ではM068から。担当向山です。初日入荷分、昨日より7週目、性器従属機能の実装に入りました……」
新暦3062年8月。
保護区域C、広大な地下の一角にある調教管理部の会議室では、週に一度の定例会議が開かれていた。
部屋にずらりと勢揃いしたのは、ロイヤルブルーのケープを羽織った管理官達だ。
ここ調教管理部では、初期管理部から入荷した素体と呼ばれる二等種を性処理用品という製品に調教・加工し地上に出荷するまでの一連の工程、及び作業用品の製造管理を担っている。
不良品である作業用品に直接関わるという性質上、事務員以外は全員が管理官として在籍しているのが特徴だ。殆どのスタッフは、他部署で管理官を数年務めた後に異動願を出すという。
ちなみに製品には調教を担当した管理官の名前が登録され、出荷後の売り上げや顧客評価により製造者にインセンティブが入る。
このため調教管理部には、日常の調教加工管理業務の合間を縫って高性能な製品作りの研究に励む、熱心な職員が多いそうだ。
とはいえ、ここ保護区域Cの調教管理部の職員達は、他に比べればそこまでやる気に満ちあふれてはいない。
全国に十二カ所ある保護区域の中でも、成績は下から数えた方が良いレベル。もちろん粗悪品を出荷しているわけでは無いが、高品質な製品も少ない実に凡庸な区域である。
「やはり今期は出足が悪いな……」
「前期の入荷数があれじゃ、仕方ないですって。まあこのくらいゆっくりでも良いんじゃ無いですか? 今の設備じゃ、うちで高品質な製品を作るのは難しそうだし」
「ま、それもそうだな。せめてB品を増やせるようにってところか」
タブレットを眺めながら、調教管理部長の久瀬は(こりゃ、今期もダメダメだな)と小さくため息をつく。
十年ほど前まではここも優秀な作業用品を抱えていたのだが、耐用年数だけはどうにもならない。その個体が修理不可判定で棺桶に送られて以降は、なかなか質の良い作業用品が出てこないのが現状である。
いくら管理官が優秀でも、道具がなまくらでは実力を十分には発揮できない。
高品質な調教用作業用品の製作もまた管理官の仕事とは言え、二等種如きにも持って生まれたセンスというのはあるらしく、高品質な道具はそう簡単には出来上がらないのが現状だ。
「次F002、昨日入荷しました。初期等級予測はC、作業用品はM044XとM109Xを使用します」
「可も不可も無くって素体だな……いいんじゃね? M044Xは素体が泣くと興奮してやり過ぎるきらいがあるから、しっかり制御しろよ」
「はい」
いつも通り特段話し合うことも出てこず、会議は淡々と進んでいく。
AIによる今期の入荷スケジュール予測を見るに、当面は前期の7割前後の入荷数になりそうだ。これは本格的に暇になるなと伸びをした久瀬は、ふと画面の最後に表示された項目に目を留めた。
「……んん? 調教用作業用品適格個体? 随分久しぶりに見たな」
「あ、部長。それ、今朝適格品が出たって通知が入ったんです」
「ふぅん、んじゃチェックがいるか……といっても一体だけか。そろそろ高性能なやつが欲しいねぇ……」
「来月には調教用作業用品の製造機も配備されるんですよね。これでうちの成績も上がると良いんですが」
「そうだな。まあしかし、素材がそれなりでないと伸びしろもないよな」
久瀬がリストをタップすれば、AIにより選別された作業用品の情報が画面に表示される。
それを見た瞬間、久瀬の眉毛がピクリと動いた。
「どうされました?」と久瀬の様子に気付いた副部長もまた、横から画面を垣間見て「……ええぇ……」と困惑顔である。
「あのう部長、それ……例の」
「ああ、初期管理部では『管理番号を口にもしたくない』と言われていた超弩級の変態個体だな」
「え、冗談でしょ!? 確かその個体、被虐嗜好だって申し送られましたよね? 調教にはとても向いているとは思えないんですけど……」
「しかもビビりのヘタレだしな。入荷して一月半も経つってのに、未だに指示を出す度挙動不審になってやがるから、マジでやり辛いっての」
「分かる、あれに指示は出したくない」
政府を始め、ありとあらゆる場面による重大な意思決定がAIに委ねられている昨今において、その判断に異を唱える者はいない。
だから今回の適格個体についても、人間では思いつかないような可能性をそのデータから見出しているのだろうと、頭では分かっている。
が、だからといって感情的に納得できるかは別問題だ。
「文句を言ってもやるしか無いんですけどね」と肩をすくめる副部長に久瀬は頷きながら、タブレットを操作する。
彼も正直、今回ばかりはあまりにもAIの判断が的外れだと思う一人だ。実際適格個体と判断された作業用品のうち、人間によるチェック後に調教用作業用品として使えたモノは七割程度だし、きっとこれは三割に入る「ハズレ」だと確信している。
だが、一方で数年にわたりどうにも製品の品質が上がらない状況を打破するには、こういう劇物のような個体もありかもしれないと思うのも事実で。
(……案外変態の方が、性処理用品なる変態の極みを作るにはいいのかもしれんしな)
「ま、取りあえずよさげな製品を選ぶかね」と久瀬は会議を進めるように促し、自分は早速適格品チェックのための準備を始める。
どこか面倒くさそうな様子とは裏腹に、その瞳は真剣だ。
他の管理官達も、そんな部長の姿に「ほんと、久瀬部長は意外と真面目で切れ者なのに」「やる気のなさそうな見た目で損してるよね」と上司に向けるには少々失礼な茶々を入れつつ、相変わらず緩い雰囲気のまま会議を再開した。
タブレット画面の半分を占める、適格個体のデータ。
一番上に表示された画像は、くすんだ藤色に鮮やかな浅葱色のメッシュの入った髪を持つ、どうにも凡庸で垢抜けない作業用品の姿だった。
◇◇◇
同日、地上。
小さな運送会社の一角に設けられた「性処理室」の中では、二人の屈強な男が今まさにお楽しみ中だった。
「んぶっ、うぇっ……んっ、んぐっ、おぇ……」
ぐちゅぐちゅと湿った音に、甘さと苦しさを混ぜ合わせた濁った嬌声。
その中心で二人の男に前後から串刺しにされ揺すぶられるのは、会社がレンタル中のメス型性処理用品である。
その瞳はアイマスクに覆われているが、吸いきれなかった涙が頬を伝い、あらゆる体液と一緒になって床に滴り落ちている。
「んーそっちどう? なんかこれ、穴が……動きが悪くね?」
「喉もだな、まぁ気持ちは良いし抜けるけど、前のオスの方が性能は良かったような」
「分かる、別に穴二つで良いからオスがいいわ俺」
「おげぇぇぇっ……!! うぶっ、はぁっはぁっ……お、おちんぽひゃま……んうっ……」
人間は、性処理用品を生き物として認識することを本能的に忌避する傾向がある。だから、彼らにとって目の前で奉仕に明け暮れるそれは、人間のような思考や感情を持たない工業用品に過ぎない。
人型のオナホとして乱雑に扱われ、それでも淫らな笑顔を絶やさず口にするのは愛しい「おちんぽ様」への隷属と愛情、奉仕の懇願と感謝だけ……
どんな扱いでも変わらぬその反応故に、利用者は安心して無害化された二等種をどこまでも残酷に使い倒せるのである。
(ああ、そろそろ出る……喉、咽せないように……勝手にしてくれる、よね)
……だから、その内側に未だ残る心の残滓に気付く者はまずいない。
出荷されてから、一体どれだけの年数が経ったのか、製品である彼女に知る術は無い。
貸し出されて、孔を使われて、返却されればガラスの中で展示されるだけの日々を過ごす製品から、時間の感覚はとうに失われている。
貸出先で暑さや寒さを感じることはあっても、最近ではアイマスクを外されることもめっきり無くなったお陰で、睡眠を区切りに使えない意識は季節はおろか今が朝なのか夜なのかすら曖昧だ。
「んー、ちょっと動かしてみるかな……おい『イケ』」
「んぶぅっ!! いぎましゅっ、いぐっ、いぐうぅっ!! んっ、いぐっ……!!」
「おら、誰が吐き出せって言った!? てめぇの大好きなおちんぽ様だろうが、大切に扱えよ!!」
「はひぃっ、おっ、おぢんぽしゃまっ、もうしわけごじゃいましぇんっいぐうぅぅっ!!」
痙攣する泥濘を堪能するためか、淡い群青色のツインテールを思い切り引っ張りながら後ろで腰を動かし続ける男からの絶頂命令は止まらない。
その度にビクンと身体を震わせ頭の中で星が弾け、けれどただの穴に過ぎない性処理用品にはその快楽に一瞬浸ることすら許されず、延々と腰を振り穴を締め付け痙攣させて、与えられた欲望への奉仕を続ける。
(……そう、続けてくれる。私が何もしなくたって、ほら、一生懸命腰を振ってる)
加工された身体は延々と蜜を滴らせ、人間ではあり得ない質量を穴に咥え込むことに慣れた身体は、ほんの数分埋められていないだけで途端に渇望を叫び始める。
だから、使われる時間は意外と悪くはないと、相変わらず奉仕に専念する『自分』を彼女は内側から快楽に呆けながらも静かに眺めている。
その心に、感情という波は立たない。
そんなものは……とうの昔にすり切れてしまったようだ。
(いく、いく、きもちいい……でも、こんなものだよね……はぁ……)
気まぐれな人間様は、今日のように時折この身体に絶頂を命令してくれる。といっても、あくまでそれは性能の調整や彼らの娯楽のため。絶頂を褒美としてもらったことなど……あっただろうか。
それに、彼女はもう気づいているのだ。どれだけ繰り返し、そして深い絶頂を与えられたとしても、地上に出る前の検品で味わったような言葉にならない満足感には決して届かない事に。
だから、絶頂の後に来るのは虚しさと、それを遙かに凌ぐ渇望だけ。……そんなものを貰ったところで、嬉しくもなんともない。
……今の彼女は、人間様に何ひとつ期待していない。
期待は持っているだけで辛さが増すからと、いつの間にか心から剥がれ落ちていったから。
けれど、彼女とて最初からそうだったわけでは無い。
地上に出荷され地獄のような初期設定の一年間を終えた後は、性処理用品に対する人間様の感情に絶望しつつも、かつて経験したこの世のものとは思えない快楽を伴う絶頂を期待して、必死に奉仕に励んでいた。
何より初期設定に比べれば、人間様の扱いは随分ましだったから、余計に期待は膨らんだのかも知れない。
数え切れないほどの奉仕と与えられる絶頂を繰り返し、あの絶頂は二度と得られないのでは無いかと思い始めてからでさえ、ただ重たい維持具で全ての穴を塞がれてガラス張りの展示ブースで人間様の悪意に晒されるよりは、まだ穴を使って貰えるだけありがたいのだと思い込んでいた。
……いや、今から思い起こせば「思いたかった」のだ。だから、必死に自分に言い聞かせていたのだろう。
そうして、彼女はたくさんの小さな期待と絶望を何年も積み上げ続けた。
その事実は少しずつ彼女の何かを摩耗させ……いつしか彼女の心は元の形すらあやふやになるほど、すり切れてしまう。
(もう、いいの。何もかも……どうでもいい)
……それでも、彼女は性処理用品である。
どれだけ静かな諦念と絶望に襲われようとも、性器の熱さ硬さを感じ、あの匂いと味を知覚するや否や、身体は勝手に見えない性器への従属を誓い、必死に媚びて奉仕を懇願し始める。
製品として組み込まれたプログラムは絶対で、彼女の内面は誰にも知られず、知ろうとも思われず、「正常」という判定と共に永遠に無視され続けるだけ。
(『私』が頑張ろうが、サボろうが……表の私は何も、変わらないから)
「この間から思ってたんだけどさ、これ、最初からちょっと性能低くなかった? いや、最近はホントに酷いんだけど、よく考えたら初日からちょっとなーって感じだったような」
「言われてみたらそうかも……もしかして故障かな? 電気流せばましにならね?」
「がっ……ああっ、ごめんなさいおちんぽ様っ! 役立たずの穴でごめんなさい……」
業を煮やした男がスマホを操作すれば、すぐさま首輪にバチンと強い電撃が走った。
電撃は手枷や足枷、乳首とクリトリスを貫くピアスにも流れ、まるでそこが激痛と共にもげてしまったかのような感覚を製品に与えるのだ。
ついでに首輪に何かのアンプルを差し込まれれば、次の瞬間ぎゅうっと二つの穴が思い切り収縮する。
普通ならその場に蹲りたくなるような痛みだというのに、そんな仕打ちを受けた『彼女』は謝罪を叫ぶや否や、相変わらずうっとりした顔で先ほどよりも激しく差し込まれた杭を締め付け、腰を振り始めるのである。
そんな様を、内側の彼女は何の感情も無く眺める。
――まるで煌びやかな箱に開いた二つの穴から、淀んだ瞳がただ景色をその表面に映すように。
(ほら、外の『私』が全部いいようにしてくれる……ここに閉じ込められた私は、私の身体にすら必要とされない……)
身体の痛みも、心の痛みも、もうよく分からなくなってしまった。
だから全てを作られた自分に任せて、本当の自分は何もしない。
何かをすれば期待の念がどこかから忍び込むから。そして期待は必ず絶望を連れてくるから――
それこそが彼女に残された、そして誰にも気付かれない最後の意思であった。
◇◇◇
激しく、しかし空虚な時間は一体どれくらい続いただろうか。
「おーい仕事戻れよ-」と性処理室のドアが開く音がしたと思えば、男達は「社長、これちょっと性能低すぎません?」「これで正規品のB品とか、詐欺でしょ詐欺!」と一斉に入ってきた壮年の男に不満をぶつけ始めた。
当然、製品はその場にうち捨てられたままだ。
身体を時折ピクリと跳ねさせながら、譫言のように「おちんぽ様……ご奉仕を……」と繰り返す彼女に、社長も心底困り顔である。
「やっぱりダメかぁ……借りた当初はまだマシだったんだけどな、まだ一ヶ月レンタル期間残ってるってのに……何かいい使い道思いつかないか?」
「えー、もう諦めて返品しましょうよ!! 確か満足度が低い製品は返金されるっしょ?」
「そうそう、スタッフ全員が満足してない製品なんだから、流石に返金対象になりますって!」
「うーん、仕方ないか。手続きも面倒だってのに……ったく、役立たずの二等種が……」
男達の不満の声に、彼女はぼんやりと(ああ、待ち望んだ日は近いのかな)と心の中でどこか安堵を覚えていた。
難しいことは分からないが、外の『自分』の性能が落ちてきているということは、調教中に聞いた耐用年数とやらがもう来てしまったのかも知れない。
(これでいい……こうやって私は何もしないで外の『私』に任せておけば……きっともうすぐ壊れられる……)
かつて脳みそが豆腐だお花畑だと調教用作業用品により散々嘆かれていた個体は、久しく忘れていた根拠の無い希望を壊れかけの心に灯す。
もしかしたら調教師様……自分の調教に携わった作業用品にも迷惑をかけるかも知れないと、ほんの少しだけ良心が咎める声が聞こえたものの、そんな声は見出した死への希望でかき消されてしまった。
そんな彼女の内心など気づきもせず、社長と呼ばれた男はおもむろにどこかに連絡を取り始める。
「もしもし、あの、レンタル中製品の早期返却と次の貸出の予約をお願いできますか? 製品番号……あ、499F072、B品です。…………はい……そうですね、故障なのかちょっと調子が悪くて……そうなんです、電撃も収縮剤も使ったんですが……」
淫臭を放つ水たまりの中、製品である彼女の耳に届くのは己を返品しようとする人間様の会話だ。
どうやらこの穴は、人間様のお役に立てないと判断されたらしい。
すぐさま外の『彼女』は謝罪と赦免を叫ぶけれど、以前なら感じていた恐怖や罪悪感も、もはや生じるだけの力がこの心には残っていない。
(……懲罰、かな)
利用者のクレームで返品交換になれば、懲罰と再調教は確実だろう。
これまでだって何度も地下に戻されては、その度にあの死と隣り合わせになる「棺桶」に放置され、思い出すだけで身の毛がよだつような「再調教」を受けてきた。
……そう、何度も。
だからそろそろ、人間様もこいつは使えないと諦めてさっさと処分してくれるかもしれない。
(処分に……なってもいいや)
処分。すなわちF等級落ち、棺桶送り――
その言葉が指す意味を、彼女は知っている。
狂気の世界に閉じ込められたまま、けれどひと思いに殺して貰うことすら叶わず、ゆっくりと己が朽ちていくのをただ甘受するしか無い……残酷な最期しか許されないことを。
(もう、疲れちゃったの)
けれども、今の彼女にとってはそれすらも救いでしかない。
地上に出荷されてから何年経ったかは分からない。でも、一度たりとも昨日より楽と思える今日は来なかった。
だから断言できる。自分を担当していた調教師様が言っていた通り、今日よりましな明日は二度と来ないのだと。
それならば、棺桶のほうがまだ幸せだ。
――だって、あそこなら「死」という今日よりましな明日が、こうやって何もせずに壊れる日を待つよりは早く、何より確実に望めるのだから。
(何だっていいの。だから……早く、私を壊して)
期待した性能が得られなかったせいだろうか、鬱憤晴らしに人間様が懲罰電撃を流し続ける。
「申し訳ございません、人間様! おちんぽ様、もう一度ご奉仕させて下さい!!」と必死に希い絶叫する『彼女』とは異なり、諦めきった心の奥底は意外と穏やかで静かなものだ。
その痛みすら死に向かう祝福のようだと、数年ぶりの、しかしどこか歪な幸せを感じながら、72番はずっしり重く冷たい覆いの下でそっと瞼を閉じるのだった。
◇◇◇
「シャテイてめぇ、いい加減に人間様の指示には堂々と返事しろ!! 何で俺が管理官様の伝達係までしなきゃならねえんだよ!!」
「うにゃあぁぁごめんなさいいっ!!!」
今日も今日とて、展示棟の作業用品待機室は賑やかだ。
ここに来てそろそろ一ヶ月半、新人の作業用品達も仕事だけならなんとか会話が成立するようになり、一人、また一人と管理官による指示を受け、緊張した面持ちで先輩作業用品と仕事を覚える日々を送っている。
半年もすれば、ほとんどの個体は一人で指示を受けられるようになるらしい。その頃には少しずつ雑談も出来るようになり、一年もすればこれまでの反動からかむしろ社交的になるものが大半だとか。
だというのに
「なんでてめぇは、人間様と俺にはそこまで挙動不審になるんだよ!!」
「クミチョウ落ち着いて、またシャテイの魂が抜けかけてる」
「はっ! ああもう、刺激しない話し方をしろって管理官様にも言われるけどよ! 分かるかよっそんなもん!!」
「ひいぃ……ごめんなさいごめんなさいなんでもしますからゆるしてくだしゃいぃ……!!」
一番最初に、それも珍しく初日から先輩個体と雑談が出来たはずのシオンは、未だ管理官からの指示にはいちいち飛び上がるほどのヘタレっぷりを発揮していた。
いや、正確にはクミチョウに対してもである。
(これさえなきゃ、優秀とは言わずとも並よりはできる個体なんだがなぁ……)
シオンの作業能力は、これまでの新人達と比べても決して劣ってはいない。輸送だって返却後の洗浄や検品だって意外とそつなくこなしているし、新人としては及第点だとクミチョウも思っている。
ただ受け答えだけが非常になんというか……あまりにもへなちょこすぎるお陰か、話しかけたこちらが何故か妙な罪悪感まで覚える始末なのだ。
堕とされである自分に反応する辺り、もしかしたらシオンは人間様の何かに対して過剰な反応を見せるのかも知れない。
……そう頭では分かっているが、ここまでビビられると流石のクミチョウもうんざり顔である。いくら地上でもビビられることの方が多かったとは言え、こんな極端な反応は初めてだ。
(しかしなぁ、これが続くと……俺もしかして、ずっとこいつの伝書鳩から解放されねえんじゃね!?)
意外だったのは、この反応に対して管理官達が非常にやりにくさを感じている事かもしれない。
作業用品になるような個体というのは従順ではあるものの、変にへりくだることも無く比較的ビジネスライクなやりとりを好むモノが多いせいだろう。
何より作業用品相手に罪悪感を覚えるなど、人間としてあってはいけない事。
つまり、人間様としての何か触れてはいけないところをこの個体は刺激してしまう。
へなちょこのくせに前代未聞の問題個体。どうしてこんなのが作業用品になってしまったのか。
とにかく! とクミチョウがシオンの方を向けば、それだけでシオンは「ヒィ」と小さな悲鳴を上げて涙を浮かべている。
あ、だめだ。普通に見つめたら睨み付けている様に見えるから気をつけろと誰かに言われたばかりだったと、クミチョウは(穏やかな目つき……小さな声……)と心の中で言い聞かせながら、今日も管理官からの伝言係に徹するのである。
◇◇◇
「リペア? ……って何ですか?」
「簡単に言うと、性処理用品の修理だな。ただ、普段管理官様から指示される破損個体の修理や返却後処置、定期メンテナンスとは全く違う」
「はぁ……」
クミチョウの口から告げられたのは、とある性処理用品のリペア方法を考えろという管理官からの指示だった。
その言葉に、傍に立っていた先輩作業用品達が「マジか」と目を見開く。
「まさかのシャテイがリペア指示かよぉ! いいなぁ、俺も管理官様からお声がかからないかなぁ」
「ホントホント、これで上手くいったら地下行きでしょ? めちゃくちゃ羨ましい」
「えっ? へっ?」
「お前らなぁ、話の途中で割って入るなよ……そいつらの言うとおり、これはちょっとしたテストみたいなもんだ、調教用作業用品になるためのな」
「調教用……作業用品?」
作業用品には、性処理用品貸出センターのバックヤードである展示棟に配置される管理用作業用品と、地下にある調教棟に配置される調教用作業用品の二つの区分がある。
管理用作業用品は製品の管理のため、調教用作業用品は性処理用品に志願した素体と呼ばれる二等種を製品へと調教加工するための道具として使われるのだ。
全ての作業用品は、まず管理用作業用品として配置される。
その後幾人かの作業用品はある日突然管理官によりリペアを指示され、そこで合格と見做されれば調教用管理用品として地下で働くことになるそうだ。
管理用作業用品は一保護区域辺り約千体に対して、調教用作業用品は二百体足らず。リペアの指示がかかる時期もまちまちで、その選抜基準は彼らにとっては謎に包まれている。
話を聞きつけた先輩個体に取り囲まれ羨ましがられるも、シオンはいまいち状況が分かっていない顔だ。
どちらにしても管理官様の指示に従って作業するのは同じなのに、何がそんなに羨ましいのかと聞けば、オス個体が鼻息荒く「そりゃもう、全てだぜ!」と語り始めた。
「だってさ! 地下に降りれば素体を調教し放題なんだぜ!! もちろん管理官様の指示は絶対だけど、あの製品を作れると思うだけでゾクゾクしてくる」
「そ、そういうもの……?」
「そういうものよ。だって同じ二等種だと思い込んでる素体が、調教によって淫乱で奉仕しか能が無いただの穴に堕ちていくのよ? 一つ堕とされる度にどれだけ絶望に顔を歪めて泣くかと思うと……はぁ、濡れちゃいそう」
「えええ、そこまでなんですか!!?」
(ま、前から思ってたけど、作業用品って……やたらSっ気が強くない!?)
頬を赤らめ興奮した様子で調教用作業用品の良さを蕩々と語る先輩達に、シオンはちょっと引き気味である。
「毎日新鮮なオカズを手に入れられるなんて、夢のような職場だよね」と目を輝かせる彼らも実は大層な変態だったのかも知れない。あまり同類だとは思いたくないが。
(でも……興味はあるけど、やりたいかと言われると……ううん……)
とは言えシオンの本音は複雑である。
大体シオンにとって興味があるのは、あくまでも性処理用品に「される」側なのだ。
作業用品となった段階でその道は完全に閉ざされた訳だけど、だからといって反対の立場から関わりたいかと言われれば何かが違うというか……早い話が食指が動かない。
もちろん、これは管理官様からの指示だから作業用品に拒否権は無い。
そのリペアという奴をやって地下に配置されてしまえばやるしか無いのだが、彼らほどの熱量を持って仕事に邁進できる気はしないなと思いつつ熱弁の止まらない先輩個体に無難な相づちを打つ。
だが、そんな様子を見抜いたメス個体が「でもシャテイはさ」と柔やかにとんでもない爆弾を落としてきた。
「シャテイは結構気に入ると思うんだよね、地下行き」
「……そうですか?」
「うん、だってさ、初めて輸送やったとき……D品だったっけ、めちゃくちゃ涎垂らしながら鞭振ってたもん」
「ぶっ!!」
「あーそれ、俺も見た! 今にも絶頂しそうな顔してたもんな! いやむしろ逝ってた?」
「うあああああ忘れて!! お願いそれは忘れて下さいっ、恥ずかしくて死ぬぅ!!」
「ん? なんで? ここじゃ鞭打って喜ぶなんて普通のことだし、そんなに気にしなくても」
「気にしますっ! って普通だったの、あれ!?」
(うそん、そんなに見られていたの!? はっ、まさかそれ以降の作業も……?)
指摘されて思い出すのは、可愛い耳と尻尾以外が無個性な黒い塊に加工された製品に興奮して「自分もこんな風に拘束されたい」と心の中で涎を垂らしていたあの日のこと。
確かに輸送中何体かの作業用品とすれ違った記憶はあったが、皆忙しそうにしていたからこちらの事なんて気付きはしないと思っていたのに……完全に油断していたあの日の自分を、全力でぶん殴ってやりたい。
更に、何となく嫌な予感がして先輩達の様子を窺えば「そう言えばあの時も」とまぁ出るわ出るわ、どれも心当たりしか無いやらかしの数々。
どうやら、興奮を隠し通せていると思っていたのはシオンだけだったらしい。もう今日はさっさと保管庫に戻されて、同じようにがっくりしているであろうトモダチと慰め合いたいものだ。
……せめて、彼らとは正反対の方向から興奮していた事がバレなかっただけでも、良しとするべきだろうか。
(ま、まぁ……指示された以上は仕方ないよね)
ともかくリペアとやらはそれなりにこなして、後は管理官様の決定に従うしかないと、シオンは相変わらず消極的である。
「だから自信持ってリペアやって地下に行ってしまえ! くそう羨ましいぜ!!」と激励されても曖昧な笑顔を浮かべるシオンは、しかしクミチョウの意図しない的確な突っ込みであっさりと翻意するのであった。
「そういやてめぇ、ヒトイヌの貞操具にやたら興奮していたよな? 向こうに行けば、貞操具で苦しむオスなんてそこら中で見られるぞ?」
「そうなんだ……うーん……」
(それはそれで悪くないけど、どちらかというと……)
「まぁその代わり、作業で自分も貞操帯を着けさせられることがあるみたいだけどな」
「全力でリペアやります!! 絶対調教用作業用品になってみせますから!!」
「お、おう!? また急にやる気になったな!!? ま、まあ何にせよやる気になったのはいいことだが……何だこの腑に落ちない感じは……?」
◇◇◇
「ううぅ……すみませんでした……」
「あーもういいっての! てめぇその謝罪もう15回目だろうが、ほら説明すっぞ!」
十分後。
「はっ、早くリペアの話を教えてくださいっ! 絶対に地下に行かなきゃならないんですうぅっ!!」と目を血走らせて鼻血を出しそうになっていた所にクミチョウが「いいから落ち着け!」と渾身の鉄拳を食らわせ、ついでに管理官からも『作業場で見苦しいわ、このクソ変態ドマゾ二等種が』と少々理不尽な懲罰電撃の援護が追加されたお陰で、ようやくシオンは正気を取り戻したようだ。
「てめぇ、時々ヤバい奴になるよな」とクミチョウは呆れ顔だし、管理官様に至ってはシオンに今回の説明をする気は微塵もなさそうである。『……全部M906Xに聞け……はぁ……』と一言指示してあっさり切れた通話に、自分はどれだけ嫌われているのかとちょっとだけ悲しい。
と、シオンの目の前に送られてきたデータが表示された。
どうやら同じ物がクミチョウにも見えているらしい。こちらの様子を確認すると「これがリペア対象のデータだな」と話し始めた。
「対象製品は499F072(B)。3ヶ月契約で貸し出されていたんだが、性能が期待に満たなかったことで早期返品交換と2ヶ月分の返金保障申請が出されて……申請通ったんだな、ってことは本当に性能が落ちているってことだ」
「なるほど……49系ってことは……6年モノですか」
「だな、出荷から約6年ってとこか。今回だけじゃ無くてここ1年くらい利用者からの評価が落ちてきている。耐用年数的には修理可能、返却時検品でバイタルも精神状態も正常だから、つまりただの無気力だな。恐らく中身はもう死にたい、死なせて欲しいってずっと思っているんじゃねえか」
「……ええと、ずっと死にたいって思っているのも……正常、ですよね……」
「おう。前に話したとおりだ。性器従属反射を持ってしても人間様の命令に反応しなくなれば異常と見做されるが、これは反応はしているから正常だな」
表示されたリンクに指で触れれば、目の前で貸出時の動画が再生され、頭の中に湿った音と製品の嬌声が響く。
経験の浅いシオンでは、貸し出し中の奉仕の性能は全く判断が付かない。それ以前にこの個体の目は分厚いアイマスクで覆われているから、調教棟からの出荷時に撮影したであろうどこか幼さを感じさせる表情からの変化も観察できないやと、シオンは早々に動画を閉じた。
……クミチョウは役得とばかりにじっくり見入っているようだ。時折中心がピクピクと跳ねている。
「ちょっと顔が幼すぎるが、なかなか良い声で啼くじゃねえの。こりゃ今晩のいいオカズになるわ……」
「えええ……でもこれじゃ、無気力かどうかなんて分からないですね。せめて目が見れれば……」
「そりゃ無理な相談だな、製品の本音なんて表からじゃ何にも分かんねえよ。それにアイマスクを外して利用する人間様なんざ、余程の酔狂しかいねえしな。なにせお互いの利害が一致しているし」
「利害?」
「製品は、人間様のどす黒い欲望と下卑た感情が乗った視線を浴びなくて良い。人間様は……前にも話したけど、いくら無害化されていても二等種への恐怖心は拭いきれねえんだよ。特に目は合わせたいと思わない、そこから絆されて身を持ち崩したり、重大犯罪を犯して二等種堕ちした元人間様もいるくらいだからな」
「へっ、そんな目を合わせるだけで……」
「都市伝説みたいだろ? ……だが事実だ。うちでも昔ヘマこいて二等種に落ちた組員がいたしな」
二等種に想いを寄せれば破滅する――
これは人間であれば誰でも知っていること。成人した後に行われる2年間の基礎教育でも、初期登録中の性処理用品相手に二等種の扱いを覚えつつ徹底的に叩き込まれる話だ。
何年もかけて行われる無害化処置は、ただ二等種が人間に対して害を為す力や思考を持たないようにするだけではない。人間が欲望を満たす道具以上の感情を抱かないように、敢えて作り物らしさを強調した出来映えにするのである。
と言っても、人間の好みはあまりに多種多様すぎて、時折「やらかす」者は出てしまうのだが。
(……余程変わり者の人間様なんだろうなぁ、二等種なんかを好きになるだなんて)
シオンは対象個体……499F072の出荷時の画像を改めて確認する。
淡い群青色の髪をツインテールに纏めた幼顔の製品は、他の二等種に漏れずただ容姿に恵まれているだけではない、不思議と人を惹きつける魅力が画像からも感じられて、確かに人間だったならさぞかしモテただろうなとシオンでも感じるほどだ。
とはいえ、二等種に恋する人間様なんてあまりにも突飛すぎて想像だにできない。地上を自分達よりはよく知るクミチョウが言うくらいだから存在するのは事実だろうが、どちらにせよここから出られない作業用品には縁の無い話である。
「穴性能に関してはデータを見た方が早ぇよ」と話しながらも、相変わらずクミチョウは画面に釘付けだ。なんだかんだ言っても彼に刺さる内容なのだろう、目の真剣さが物語っている。
一応説明はしてくれているからこちらとしては問題ないが、管理官様に怒られないのだろうかとシオンは気が気では無い。
「出荷段階と最新のデータを見比べろ、見方は教えただろ?」
「あ、はい……うわぁ、半分……じゃないやこれ、4割まで落ちてますね」
「はぁ!? 半分以下って、そりゃいくら何でも落ちすぎだろ!! 4割って処分基準スレスレじゃねぇか、また随分厄介なのを持って来やがったな、管理官様も……」
「それだけ無気力さが酷いってことですよね、これ……」
シオンは口では驚くものの、内心では(そりゃそうだよな)と納得する。
肉体的であれ精神的であれ……きっと性的なら更にだろう、痛みを継続的に受ければいつしか心がその状態を「日常」と見做して歪な適応を試みる。
世界の色はくすみ、己を甚振る以外の音は遠くなり、心は……その内を無意識に諦めで覆い尽くすことで、当人の希死念慮に反して何とか命を繋ごうとするのだ。
――その姑息的な反応が未来に何をもたらすかなんて、今暴虐の中にいる心には関係がないから。
(たった3年。そう、3年でもそうだったんだ……6年物間、毎日こんなことをされていて、でも嫌だって言うことも、一人で泣くことも出来ないなんて……そりゃ無気力になるよ……)
……その痛みと苦しさを、そしてどこにも逃げられない閉塞感を知っているからこそ分かる。
いくら性器従属機能を実装しているとは言え、閉じ込められた個体の精神状態が性能に影響するというなら、終わりの見えない絶望から無気力になれば利用者にもはっきり分かるほど穴の性能低下を起こすのは当然だと。
(そんな個体に、リペアを行うんだ……よりによって、あの辛さを知る自分が!)
シオンは唇を噛みしめながら、クミチョウの説明を心の中で反芻する。
管理官様からの指示だから、やらない選択は無い。けれどここまで状況を知った上でなお、自分にそんな仕打ちが出来るのだろうかと問いかけながら。
無気力による性能低下問題は、製品登録から5年で約3割、10年で6割に生じると言われている。大抵は利用者のクレームや評価の下がり具合で発覚し、実際の性能を測って確定するそうだ。
このような個体はまずリペアと呼ばれる懲罰を課すことで、無気力状態から奉仕を心から懇願するレベルへと精神を復元する。
その後一般的な製品への懲罰、再調教や追加加工を施し再び展示ブースに並べられるのである。
「つまりリペアってのは」
「無気力状態の製品でも、こんな目に遭うくらいなら奉仕した方がマシだと思えるような懲罰を与えるってこったな。ただ、どんな方法が効くかは分からん。個体差も非常に大きいしな」
「そんな大変なものを、新人がやっちゃっていいんですか……?」
「心配するな、てめえがやるのはあくまでデータを元に何をやるかを管理官様に提案するだけだ。それを元に管理官様が詳しい内容を決めて指示してくれるから、その通りに実行すれば良い。必要なデータは頼めば全て提供されるしな」
「あ、はい。でも、復元できたかどうかってどうやって確かめるんですか? 本音は確かめられないのに」
「んなもん、穴の性能が復活したかに決まってるだろうが」
「や、やっぱり……」
どこまでも内面を無視した扱いに内心辟易としながらも、シオンは説明を受けている間に追加で送られてきたデータにざっくり目を通す。
どうやらこちらは、これまでに行われたリペアの内容とどれだけ数値が改善したかの記録らしい。これを参考に内容を組み立てろと言うことだろう。
「特に期限はねぇけど、数日中には提案しろってよ」とクミチョウから伝えられたシオンは、一旦持ち帰って保管庫で考えることにした。
……その言葉に「正気かよ」とクミチョウは目を丸くしている。
作業用品にとって、保管庫で過ごす時間は満たされない渇望を癒やす貴重なひとときで、作業の事なんて考える気にもならない、というより考えられなくなるのが普通なのだろう。
シオンにしてもそれは変わらないから、彼が驚く気持ちは分かる。分かるのだが……これは一人では決めるには、あまりにも重すぎて。
(きっと一人でも同じ答えを出すと思う……でも、お互い持ち帰るんだよ、ね)
交わらない世界で同じ思いを抱えているであろうトモダチを案じつつ、保管庫でのデータ閲覧を申請すれば『正気かよ、幻覚のオトモダチと話し合いでもする気か?』とやっぱり呆れたような、けれどちょっと意味の違う侮蔑混じりの言葉と共にあっさりと許可が下りたのだった。
◇◇◇
「これで合格すれば貞操帯を着けられるってのは、この上なく魅力的だけどさ」
「……うん、問題はリペアの内容だよねぇ」
その夜、保管庫に帰ってきた二人はいつものように浣腸と餌を終え、表示されたデータと睨めっこをしていた。
念のために確認したが、二人の眼前に表れるデータは全く同じものである。
「つまりは、無気力に陥った製品にやる気を出させろって話なんだよね。方法は自由だって言ってたけど……どう見てもこれは拷問じゃない?」
「うん、希望じゃ無くて絶望でやる気を出させるだなんて、人間様の発想はえげつないね……」
「思考操作系の魔法をかけ続けたら、すぐに元通りになるのになぁ……ああでも、魔力はなるべく使いたくないんだっけ」
「……むしろ人間様は、何かにつけて僕らに絶望を与えたいんじゃないかな……詩、大丈夫?」
話しながら過去のリペア内容を閲覧していた詩音が、真っ青な顔で口を押さえ俯く。
気持ちはとても分かる。何せそこに記されていたのは、もはや懲罰などと言う言葉が生易しく感じるほどの惨い仕打ちだったから。
「四肢切断の上、生命維持措置だけ行って蟲の入った水槽に埋める、生命維持限界まで水責めや焼鏝などの苦痛、もしくは睡眠阻害を執行し、意識を落として回復する事を繰り返す……精神を薬剤で恐慌状態に貶め、性能が回復するまでエンドレス奉仕訓練……」
「うわぁ、蟲って……口の中に蝉詰められたの思い出しちゃった……うえぇ……」
「便器に頭を突っ込まれたのも辛かったよね……はぁ、何だか息苦しくなってきた」
……そして、人間様ならこのくらいのことは笑いながらやってもおかしくないと思えるだけの経験が、二人にはあったから。
(やりたくない……こんな傷に塩どころか劇物を塗るような行為なんて……)
本音を言ってしまえば歯止めが効かなくなりそうで、だから詩音は記された所業に吐き気を覚えながらも、この言葉だけは決して口にしない。
それに、いくら名前を取り戻していて影響が多少マシとは言え、人間様への従属は魂にまで刻み込まれている。反抗なんて考えただけで冷や汗ものだ。
至恩も同じなのだろう「やるしかないんだ」とさっきから紙のように白くなった顔で何度も呟いている。
「……でも、こんな方法で……本当にやる気が出るのかな」
「それは思った。普通の無気力個体ならともかく、この製品さ……ここまで結構な懲罰を受けているよね……」
「そうなのよね。この手の拷問じゃ結局今までと同じというか、捻りが無いというか」
「同じ責めじゃ飽きが来るってやつだよね、いくら性癖にぶっ刺さっていてもさ」
「うん、そうだね。……そう、だっけ?」
とは言え、今回に限ってはこの過去のリペア記録はあまり役に立たなさそうだ。
なにせこの製品、過去のリペア対象と比べて圧倒的に出荷後の懲罰回数が多いのである。
通常、製品の奉仕行動は身体に叩き込んだ内容と性器への従属心から発動するのだが、どうも72番は殊更快楽に貪欲、且つあまり人の話を聞かない個体だったようだ。それ故に利用者に対してがっつくような行動が時折見受けられ、恐怖を覚えた利用者からのクレームが絶えなかったらしい。
それでも廃棄処分にならなかったのは、意に沿わない行動を口実に過酷な「お仕置き」を与えることを好む顧客からの絶大な支持があったから。
と言っても、突飛な行動も出荷から5年も経てば随分少なくなり、最近は今回のように一般企業に貸し出されることが大半だったようである。
……恐らくは、その行動が減った頃から中身の「彼女」は無気力な方向に舵を切ったのだろう。
「……違うタイプの絶望が、必要だよね。多分苦痛は……このまま壊れられるってむしろ受け入れちゃいそうで」
至恩の結論に、詩音は大きく頷く。
完全に死の方向を向いてしまっている心を生に、そして性に引き戻させるだけの絶望を与えるには、きっとこんなありきたりな拷問じゃ難しい。
暫く無言の時間が続く。
ぽちぽちと画面を操作していた詩音が、ふと何かを思い出したように至恩に話しかけた。
その唇は、少しだけ震えている。
「あのさ、至。……学校で虐めに遭った最初の日の事って、覚えてる?」
「…………うん、はっきり覚えてるよ……昨日まで一緒に遊んでた子が、みんな急に変わって……何が起こったのか分からなくて……」
「だよね……あれから色々酷いことをされたけど、私、一番辛くて記憶に残っているのって最初の日なんだよ」
(……ああ、僕もだ。あれは……何があったって二度と……きっと死ぬまで忘れやしない)
詩音はあの日を思い出したのだろう、ぐっと手を握りしめる。
そう、彼らへの3年に及ぶ虐めが始まったのは本当に突然だった。
きっかけが何かなんて、今だって分からない。ただいつものように登校して席に着いたら友達が寄ってきて、話しかけようとした途端……笑いながら雑巾を洗ったバケツの水を頭から浴びせられたのだ。
あの時二人を貫いた子供達の幾多の視線と、嫌に耳に付く無邪気で残酷な笑い声、それに水に濡れた服の気持ち悪さと悪臭。教師に助けを求めても、決して合わない視線――
ひとたび思い出せば、今まさにあの仕打ちを受けているかのように現実との境界が溶け、思わず叫び出しそうになるほどの恐怖を彼らに与えてくる。
大丈夫? とそっと手を握りしめる至恩の手も、しっとりと冷たい。
こくりと頷いた詩音は小さな声で「だから」と続ける。
「……だから、最初の経験を……製品って初期登録でかなり酷い目に遭うって前にクミチョウさんが話してたでしょ? その中から一番この製品が反応したものを使えば……無気力なままならずっとこれを繰り返すって言われたら」
「ああ……それは…………慣れないよ、うん、慣れない。絶望を記憶が補強してくれる」
「だよね、壊れるまでずっと繰り返されるくらいなら……きっと製品として使われる方を選ぶ、少なくとも私ならそうする」
「僕も。……決まりだね、その方向で行こう」
((……こんな形で経験が役に立つだなんて))
目を合わせ頷いた二人は、早速72番の初期登録の記録を調べ始める。
口にすることで思い出してしまった記憶をかき消すように……そして、これから同じ絶望を与える事への心の痛みを振り払うように、時間を忘れて作業に没頭するのだ。
(ごめん、僕たちは人間様には逆らえない)
(ごめんなさい……でも、私達はあなたを生に向かわせる)
死を望み、無気力に立ち止まったところで、自分達二等種から命をどうこうする権利は奪われているのだ。
きっとこの製品は、あまりの無気力さからその事すら忘れてしまっている。
だから
((明日に向かわざるを得ないとびきりの絶望を、考えるから))
奪われた権利を思い出させる。
そしてこの地獄の中で死ぬことさえできない君に、せめて生きるための理由を――
「……これは使えるね。あと、これも……柔軟性も高いし、この間見たポーズも取れそう」
「折角ならもっと間近で……そう言えば昔持ってた玩具にあったじゃない? どんな方向にもぐるぐる回せる飾り。あれを使って……」
二人は使えそうな情報を見つけては、提出用のシートに情報を貼り付けていく。
この一月半で少しずつ増えたコンテンツの中には、それこそ古今東西の刑罰や拷問のような作業用品になるまでは絶対に表示されなかった残虐なものも多く、二人はそれを見る度「これはヤバい」「ちょっと試されてみたい」と相変わらず全く逆の方向から楽しんでいた。
まさかそれがこんな形で役に立つとは思わなかったと、複雑な思いを抱きながらも手は止まらない。
――本当は過去の自分にこそ与えたかった、互いの存在以外の生きる縁。
今の作業はその歪んだ発露なのだと、深い傷を抱える二人は気付かない。
いつしか二人の頭からは、このリペアで合格すれば得られるお楽しみのことすら消え去っていた。
幸か不幸か、二人には他の作業用品よりも思考力が残存していた。だからだろうか、彼らは保管庫での自慰を完全に止めてしまうほどの集中力で、残酷な計画を練り上げてしまう。
そして数日後。
随分時間をかけたシオンに、管理官は最初「この程度の作業にどれだけ時間を費やす気だ」と呆れ果て、しかし特に期待もしていない様子であったが、提案を確認した後は一言感想を二人の頭に残すだけで、特に批判もなくその案をそのまま採用したのである。
「……なるほど、こんな方法を思いつけるとは……やはりへなちょこの変態ドマゾでも、お前は紛れもなく天然モノの二等種だな」
◇◇◇
翌日未明、保護区域Cの性処理用品貸出センター正面ロビーには、十数名のスタッフが馬鹿でかいスーツケースを開いて準備に追われていた。
スーツケースに収納されているのは、499F072。これから1週間、この正面ロビーにてリペア処置を受ける無気力個体である。
「これ、リペアのことは宣告済みですか?」
「いや。通常の貸出と同じ要領で梱包してあるから、目が覚めたらいつもの貸出だと思い込んでいるだろうよ」
「なるほど。じゃあ最初は暴れそうですね」
その場で作業するのは、調教管理部と品質管理局の管理官だ。いずれも性処理用品資格(甲)を持つ、性処理用品管理のスペシャリストである。
通常であれば、リペアの実施は調教用作業用品と適性チェック対象となった管理用作業用品が一手に引き受ける。ただ、今回は一般エリア……作業用品には生涯立ち入りが禁じられている人間の世界での執行が必須のため、管理官達が駆り出されたのだ。
彼らはどこか緊張した様子で、スーツケースから取り出し全ての維持具を抜いた72番の身体を、新たな形に折り曲げていく。
「先に腰と膝ね。メインフレームで固定するまでは不安定だから、倒さないように気をつけて」
「よ、っと……うわぁ本当にここまで曲がるんだ、めちゃくちゃ身体柔らかいですね、これ」
「ここまで曲がると気味が悪いな、タコみたい……あ、右足ちょっと持ってくれる?」
スタッフはうつ伏せに置いた72番の足を持ち上げ、頭の方に向かって思い切り反らせる。
幼体時からその柔軟性は高かったという彼女の身体はあっさりと背部に折り曲げられ、その状態で腰を金属の檻のようなコルセットを嵌めて固定された。
ボルトで緩み無く締め上げ、さらに膝関節を90度に曲げた状態で固定すれば、降ろした足が頭の両側に並んで、その見た目にスタッフ達は思わず顔を顰める。
人間の世界でもコントーションと呼ばれる身体表現は存在するが、同じ事を二等種がすると何とも不気味に映るのは不思議なものだ。
次に上腕部にメインフレーム固定用の枷を設置し、さらに手首、足首も装具で関節を極限まで甲側に背屈させて固定する。
製品に触れ作業を進めるスタッフ達の表情は、相変わらず緊張したままだ。無害化処置を施し、薬剤と魔法両方で意識を落としていても、つい万が一の事態を考えてしまうのは人間の性だろうか。
「メインフレーム持ってきました」
「ありがとう、こっちも関節固定終わったから組み立てちゃいましょう」
「はい。にしても凄い格好ですね。うわぁ穴ドロッドロ……洗浄は魔法で対応ですか?」
「ここじゃ排水設備も無いし、魔法を使わざるを得んよ。今後も定期的に展示するならそれ相応の設備を作った方がいいだろうね」
メインフレームを作業台の上に設置し、拘束した72番を置いたスタッフ達は、組み立て図を見ながらフレームの左右に先ほど装着した固定具をボルトで固定していく。
頭は頭頂から側頭部を通るリングに嵌め込んで、先端に小さなスピーカーを内蔵した細い金属棒を耳の中、鼓膜の近くまでしっかりと差し込む。更に頭頂部と金属のコルセットをバーで連結してしまえば、もう首はどの方向にも動かせない。
……首だけでは無い。指と足趾以外の部分は完全に固定された状態で、全ての穴を環状のレトラクターでぽっかり開けられた股間を曝け出した、卑猥なオブジェの完成である。
「よし、じゃあ設置するか」
「結構重いから気をつけて、落としたら骨が折れるわよ!」
「はい。でもこれで本当に大丈夫なんですか? あまりに近すぎて……更に檻にでも入れたいなって思うんですが」
「これで反抗できたらむしろびっくりするわよ。今回はなるべく障壁の無い状態で展示する必要があるから、檻が使えないんだって」
キュイイィン……ガチャン……カラン……
だだっ広い玄関ロビーに、硬質な音が響く。
指示を出しながらふあぁと大きなあくびをする調教管理部長に「お疲れですな、久瀬さん」とコーヒーを差し入れたのは品質管理局の副局長だ。
「ありがとうございます。いやぁ日勤と夜勤を連続でやるのは20代までですわ。この時間になると頭が働かなくなる」
「全くですな。……しかしこれ、リペアですっけ? いくら厳重に固定しているとは言え、現物の製品をこんな状態で飾るのは初めての試みでしょう?」
「ええ。ちなみに提案したのは新人の作業用品です。適性チェックでして」
「あーなるほど、そりゃこんなえげつないことも思いつくわけだ。やっぱり二等種は化け物ですな!」
(全くだ……こちらが指示したとは言え胸糞が悪い)
コーヒーを啜りながら、久瀬は心の中で独りごちる。
昼間にあのへなちょこ変態個体が出してきたリペア案は、まさかの10ページに及ぶ超大作であった。
提案の理由と二等種にしては細かい計画案、さらに装置の参考画像付きと意外な出来映えについ感心し、そして内容の残酷さに眉を顰めながらも、久瀬はシオンの案をそのまま実行することにしたのだ。
思考力を意図的に下げられている作業用品が出す計画案など精々2ページもあれば良い方で、しかしその発想は人間では思いも付かない非道なものばかりだからこそ、管理官は作業用品に度々計画立案を任せ、細かいところを補填して採用する。
とは言え、基本的には肉体的苦痛と快楽を駆使した案が大半で、ある程度こちらでも予測がつくものなのに、この変態個体ときたら。
(……初期設定のトラウマを全力で刺激する、か……確かに初期設定での扱いは製品の運用期間を通じて最も過酷であることがほとんどだし、もし効果的ならば今後はこのやり方を踏襲するのも一つかもしれん。……実に気分は悪いが)
「よい、しょっと……どれ、回してブレが無いか確認してくれ」
「はい。……うん、大丈夫そうですね。固定もきっちりされています」
「こんな時間に作業させやがったんだ、ったく……しっかり来客者を楽しませろよな!」
久瀬が眺める前で、フレームに固定された躯体が天井から伸びるバーによって固定された設置用のジンバルに接続される。
早速ハンドルを握ったスタッフから「すげぇぐるぐる回る」と歓声が上がる中、頭の中で思い描いたとおりの「展示物」に久瀬はしかし、なんとも言えない表情のままだ。
(楽しませる、か……ま、ほとんどの奴は昔を懐かしみながら楽しむだろうよ。何せ今回の『展示』は……ほぼ全ての新成人が経験してきたことだからな)
「……まぁ、人間も大して変わらんな」
「? どうかされましたか、部長」
「あ、いや何でも無い。こんな時間にすまんな、皆お疲れ様」
考えても仕方が無い、これは仕事だ――
動作を確認したスタッフから完了報告を受けた久瀬は、再びあくびをかみ殺しながら仮眠室へと向かうのだった。
「…………」
薬剤により意識を落とされたままの72番の身体は、ピクリとも動かない。
その意識が戻され――彼女の感覚では瞬間的に場面が変わり、混乱の中で表の『彼女』が人間様の熱を求め始めるまで、あと3時間である。
◇◇◇
バチン、バチン、バチン……
一瞬途切れかけた意識の中に差し込まれる浴び慣れた3連撃に、72番は(ああ、起動か)と心の中でひとりごちる。
最初の頃は必死で起き上がり基本姿勢を取って、維持具を外してくれるのを心待ちにしていたけれど、今となってはそれすらもどうでもいい。この重苦しさから解放されたところで、穴を穿たれ乱雑に扱われるだけ。己の快楽を追うことを禁じられた身体は、何をしたって――たとえ絶頂を許されたところで渇望からは逃れられないのだから……
(……あれ?)
つれつれと流れる思考の中で、しかし72番は妙な違和感に気付いた。
いつもなら決して途切れることの無い、喉と腹の重苦しさが感じられない。
穴は拡がったままの感覚があるけれど、何故かいつもよりスースーしていて……そう、まるで内側が外気に触れているかのようで、何とも心細さを感じさせる。
いや、それだけでは無い。
(え……動けない……!? それに、腰が……!!)
いつもならがばりと股を開いた状態でしゃがみ、塞がれている穴から白濁した愛液を垂らしているはずの身体は、しかしどう考えてもあり得ない方向に曲げられている。
痛みはそこまででも無い。身体の柔らかさには昔から自信があるし、それを理由に曲芸じみた姿勢を取らされることだって何度もあったから。むしろ製品になってからの方が身体は柔らかくなったとすら感じる程だ。
ただ、その状態で全身を動かせないとなると話は別である。
(一体何が!? ぐっ、頭も動かない……耳に何か入って……)
「いぎゃあぁっ!!」
「……汚い声だな。もっと艶っぽく鳴け。あと目を開けろ、瞬き以外で目を閉じれば懲罰電撃が流れるぞ」
「ひっ!!」
突如全身に走った電撃は、止むことが無い。
濁った叫び声を上げれば鬱陶しそうな声と共に更に出力を上げられた。
こんな痛みはこれまでの懲罰では食らったことが無い。これはまずいと72番は反射的に目を開けて……そして、飛び込んできた光景に凍り付いた。
……そう。
飛び込んできたのだ。アイマスクの暗闇ではなく、地上の光景が!
(嘘……アイマスクを外されてる……それに、声が……!!)
地上の景色を眺めるなど、一体いつ以来だろう。
……ようやく彼女は、自分がこれまでとは明らかに違う状況に放り込まれたことを悟る。
目に映る光景は……と言っても頭を完全に固定されているから見えるのは正面だけだが、どこかのエントランスだろうか。ガラスの扉の向こうには青々と茂った草木と道路と建物、そしてどこまでも高い青空が広がっている。
いつものように貸し出されたのかと一瞬考えたが、視界に移る人影はグレーの詰め襟の制服にロイヤルブルーのケープを羽織っていて、最も身近な人間様――恐らくは作業用品達が「管理官様」と呼んでいた、性処理用品を調教する人間のようだ。
何とか状況を把握しようと目だけを動かせば、頭の両側には折りたたまれた腰から伸びる足が映る。だが、その関節には金属の装具が取り付けられ、さらに装具も金属のバーで左右が繋がれ、バー同士も固定されているから微動だにできない。
体勢の辛さに腰を動かせば途端に耳の奥に激痛が走ったから、深く曲げられた腰と頭に装着されたリングも何かしらで繋がれているのだろう。
一ミリたりとも動くな、そう言わんばかりの厳重な拘束に背筋が寒くなる。
それに、さっき自分は叫び声を上げられた。
股間の頼りない感じと良い、アイマスクのみならず全ての維持具も取り外された状態なのは間違いない。
(どうして!? え、貸出じゃ無いの? それに……いつもの部屋じゃないから、懲罰でもないよね? 一体……)
彼女の疑問が言葉になることは無い。
その代わりに口は早速笑みを湛え、目に映った人間様の股間を凝視して「おちんぽさまぁ……」と甘ったるい睦言を放っていた。
「……製品にまともな会話は成り立たないわな。まあいい、こっちの声は聞こえているだろう?」
「はい、人間様……おちんぽ様にご奉仕させて下さい……」
「管理番号499F072。無気力状態による性能低下に対し、これよりリペア処置を行う」
「はぁっ、はぁっ……ああっ、おちんぽ様……お願いします、ご奉仕を……」
「ん? ああ、維持具を抜去してもう5時間だもんな。そりゃ不安で仕方が無いだろう。……だが、リペア中の穴には一切の挿入を行わない。本物だけでは無い、道具もな。薬剤の注入くらいはやるだろうが、ガバガバの穴じゃ到底満足できないだろうよ」
「ひぃっ!! ……そんな、おちんぽ様ぁ……っ!!」
(欲しい、欲しい……埋まっていないと、辛い……怖い……!!)
穴が、塞がれていない。しかも人間様は穴を塞いでくれない……
その事実に気付いた瞬間、さっと72番の顔が青ざめる。
製品として貸し出されるようになってからは、この穴が何かで埋まっていない時間などほとんど無かったからすっかり忘れていたが、穴に特化したこの身体はそれ故に塞がれていないことに猛烈な不安を感じるのだ。
(ああ、これは……ちょっと辛い)
無気力に外の自分を眺めていられるのは、心が何事にも波立たないからだ。
だが、植え付けられた穴としての常識を裏切る行為は、穴である自分の存在意義を揺さぶり、その恐怖はあっさりと平坦化した心を激流の中に放り込む。
とは言え、こんな仕打ちは今までだって何度も受けてきた。
もしこれが懲罰なら、これくらいの仕打ちはいつも通りだ。むしろ、このまま恐怖で心が壊れ更に何も感じられなくなるなら好都合だとすら、自分は思っているのに。
(……何だろう、この胸騒ぎは)
いつもと違い、今日は心の奥底にある何かが小さな警告を発している気がするのだ。
この状況が続くのはまずい、これだけで終わるはずが無い、ただの禁断症状だけでは無い恐ろしい何かに襲われるぞと――
「お願いします! おちんぽ様っ、ご奉仕させて下さい!!」
「無駄だ。第一お前が奉仕の手を抜いて役立たずになったのだろう? だからわざわざ何の奉仕もしなくて良いように飾ってやったんだ、感謝しろ」
「っ、飾る……!?」
「そうだ。ああ、自分の姿は見えないか……ほら、これで見えるな?」
「……!!」
すっと人間様が手を挙げれば、目の前に何枚もの映像が展開される。
上から、前から、後ろから……あらゆる方向から映されているのは、普通の人間なら腰がおかしくなりそうな姿勢に無理矢理曲げられ、全ての関節を固定しフレームに拘束された上、大きなリングの真ん中に取り付けられた憐れな製品の姿。
……それが誰かだなんて、もう言うまでも無い。
(嘘でしょ、こんな広いところに……)
ドクン
固定された視界だけでは分からなかった、広々としたエントランス。
明らかに大人数が集まるとおぼしき場所への設置に呆然とする72番に、目の前の人間様……調教管理部長はここが性処理用品貸出センターの正面ロビーであること、これから24時間このままの体勢で72番は飾られ、その様子は全て国内外に配信されること、人間様が自由に触れることは出来るが穴に突っ込まれることだけは無いこと、そして……時々「イベント」で人間様を楽しませることを宣告する。
設置期間は告げられない。
淡々と語られる内容は、不安に満ちた今の72番には半分も理解できない。
……ただ一つだけ分かっていることは、ここに飾られている間は頭が狂いそうな不安から決して逃れられないことだけ。
ドクン……
(怖い……)
心が得体の知れない不安で押しつぶされそうになる。
まだこんな痛みを心が感じられたこと
を、それでも72番にはまだどこか人ごとのように感じる余裕があった。
数日もしないうちにこの余裕が無くなることも織り込み済みだが、これなら壊れられるかも知れないと期待を抱けるくらいには、まだこの状況を甘く見ていたのだ。
数分後、彼女は自分の見通しの甘さを痛感することになる。
「復元時間はいつも通りだ。復元時間以外に目を瞑れば懲罰電撃が流れ続ける。あんまり目を閉じていれば、いつまで経ってもリペアは終わらないかもしれんがな」
「ああ……おちんぽ様……」
「……まぁ、評判が良ければこのまま半永久的に飾り続けるのもありかもしれん。今の技術なら二等種を修理して何百年も使うことも理論上は可能だしな……ああ、お前そういや保護区域9の製品か。確かあそこの作業用品だったな、壊れられないように改修されたのは」
(半永久……修理……分からない、怖い……おちんぽ様、欲しい……)
そうこうしているうちに、辺りが騒がしくなってくる。
どうやら開館時間が近いのだろう。センターの職員が物珍しそうに飾られた72番を眺めながらも準備に追われているようだ。
と、そこに一人の職員が「久瀬さん、遅くなりました!」と息を切らせて駆け寄ってきた。
「おう、無理言ってすまんな。で、あったか?」
「はい。当時の製造記録から流通経路を追いまして……二本だけですが保護区域8に新品が残っていました!」
「良くやった。同じ製造番号であることが今回は必須だからな」
職員が手にした包みを開ける。
赤黒い……見慣れた形のものからむわりと放たれる臭いが、すっかり淫臭に過敏になった鼻腔に届いた瞬間
ドクン
72番の世界が、揺れた。
(え、あ、何……この臭い……いつもと同じ、筈なのに……何で? いや、いやっ……!)
見る間に72番の全身が総毛立ち、脂汗がぶわっと浮き出る。
カチカチ鳴るのは自分の歯の音だ。
……なぜだか分からないが、さっきから頭の中で警鐘が鳴り響いて止まない。
そんな72番の様子には目もくれず、職員はフレームに新たな金属バーを取り付けてその赤黒い棒……疑似ペニスを固定する。
場所は72番の鼻先。その臭いが最も強く感じ取れるように、その姿から決して目を離せないように、そして……
どれだけ舌を伸ばそうが、決して触れられない距離に。
「あ、あ、あ……!」
「へぇ……本当に反応するんですね。僕には全く違いがわからないですけど」
「俺にも分からん。だがまぁ、あれだけ苦しめられた『おちんぽ様』の事なんだ。姿形も臭いも味も、穴風情が忘れるはずが無いよな?」
「あひぃ……まさか、まさか……おちんぽ様……」
(だめ、お願いします人間様、それだけは止めて下さい)
(そんなものを見せられたら)
ガンガンと鳴り響く警鐘。
必死に懇願する72番の望みは叶うどころか、届くことすら無く
「これはお前が初期設定の時に散々お世話になった『おちんぽ様』だ。こうやって目の前にぶら下げられて、穴を使われることもなく延々とおねだりを叫ばされたそうだな。……再会できて嬉しいだろう?」
「!!」
――全てを開陳する一撃が、放たれる。
(ああ)
(思い出してしまう……全部、何もかも……っ!! あれだけは、思い出したく無かったのに……どうして……!?)
瞬間、72番の頭の中に記憶の奔流が渦巻く。
ただの記憶では無い、6年前、あのレクリエーション室で感じた全ての感覚と、感情が……忘れていた、無かったことにしたかった忌まわしい時間が、今目の前に突きつけられて
「あ、お、おち、おちんぽ様……いや……いやああああっ!!」
通常の使用では決して出るはずの無い内側の慟哭が、朝の爽やかな空気を切り裂いた。
◇◇◇
6年前、私は性処理用品として、初めて人間様に貸し出された。
それが初期設定と呼ばれる、製品として最も過酷な期間であることを知ったのは、貸出から返却されるときに小耳に挟んだ誰かの雑談からだ。
かつて共に学び遊んだ友達に……「人間様」へと豹変してしまった彼らに、私は全ての穴を使い倒され、モノとして極限まで甚振られた。
今はもう二度と得られない、地上での穏やかで平和だった子供時代。唯一の光り輝く記憶を全て塗り潰し叩き壊すかのように、穿たれ、揺さぶられ、罵られ、嘲笑われるだけの日々。
あの一年間で、私は……かつて人間であった全てを失ったのだ。
あの時の痛みを、この身体は何一つ忘れてはいない。
あれから様々なところに貸し出され、その度に人間様の欲望に穢され、悪意に晒されてきたけれど、初めて、それも最も親しかった人たちから1年にわたり受けた仕打ちを超えるものはなかったと、今なら断言できる。
……そう、断言できてしまう。
私だって、このおちんぽ様に「再会」するまでは知らなかったのだ。
最早過去となったと思い込んでいた傷は、何一つ癒えることなく、ずっと血を流しながら隠れていただけだったなんて……!
「おちんぽ様、人間様を堕としてごめんなさい! 何でもします、おまんこ様もいっぱいご奉仕します! だから、だからっお願いです舐めさせて、お口まんこでご奉仕させて下さいっぎゃああぁっ!!」
開館のアナウンスをかき消す絶叫が、エントランスに響き渡る。
扉が開いて一番乗りで入ってきたビジネスマン風の男性達は「うわ、なんだこれ」と耳を塞ぎながら中央に飾られた生きたオブジェの前にやってきた。
「前に来たときはこんなの無かったぞ? てかうるせぇなこれ」
「申し訳ございません、お客様。こちら、本日から試験展示を開始しました本物の製品でございます。ただいまの時間は、生殺しと電撃による懲罰を行っております。詳しい案内が必要でしたら、ご説明いたしますが」
「へぇ、本物……触ってもいいの?」
「もちろんです。手袋と消毒薬も用意してございます。ただし、穴の中にはお手を触れないようにお気を付け下さいませ」
展示物の隣には案内係がいて、オブジェの操作方法を教えてもらう。
この製品は二重のリングとリングの上下を結ぶバーにより固定されていて、あらゆる方向に回転することが可能らしい。
見物人の一人が試しにリングを回せば、想像していたよりずっと軽く製品が回転する。ただでさえ窮屈かつ不自然な姿勢に曲げられた上、頭を下にされてしまった製品は顔を真っ赤にしながら、しかしそれでも笑顔を絶やさず目の前に固定されたディルドに向かって奉仕を懇願し続けている。
その様相は、まさに死に物狂いという言葉がぴったりだ。
「あ、なるほどこれで電撃を流しているんだ」
「ええ。膣と肛門に挿入された端子に一定の圧力がかかると、懲罰電撃が流れます。穴は締め付けて人間様を気持ちよくするのが仕事ですから……ほら、また電撃が流れましたね。頑張って緩めようとしていますが、所詮穴ごときが挿入された物には勝てませんから」
「あーこれ懐かしい、俺基礎教育センターでやった覚えがあるわ」
「マジで? お前の所、結構えげつないことをやってたんだな」
説明を受ける横では、さっきより一段と濁った声が上がっている。
どうやら見物人の一人が製品の乳首を弄り始めたらしい。「私のとこだと、こうやって無理矢理興奮させて電撃を流しまくっていたわ」と無邪気に笑うその手つきは実に手慣れたものだ。
やはり皆、成人基礎教育で初めて触れた性処理用品のことは印象深いのだろう。すっかり昔話に花が咲いている。
「いや、いい物を見せて貰ったよ。久しぶりにあの頃のような無茶な使い方をしたくなったな……ねぇ職員さん、おすすめはある?」
「それでしたら、2階西エリアに展示されているC品はいかがでしょうか。返金保障こそありませんがB品より禁止事項も少ないですし、羽目を外したいときにはぴったりですよ」
「ありがとう、見てみるよ」
ひとしきり操作して満足げに立ち去っていく見物人達を見送っても、72番に安堵の瞬間が訪れることは無い。
入口からは入れ替わり立ち替わり利用者がやってきて、最も目立つ場所に飾られた展示物に立ち寄っては、思い思いに動かし、触れ、側に置かれたリモコンで電撃を流し、嘲笑と侮蔑の言葉を投げつけていく。
それでも表の『彼女』は笑顔を貼り付け、目の前に置かれた偽物の怒張に懇願し続けるだけで。
(お願いします、これを外して下さい! いやなの、これ、ずっとやられるの辛いの!! おねがいやめて……穴を、穴を使って……!!)
肉体に閉じ込められた72番の心は悲痛な叫びを上げ、懇願をその内側に響かせている。
そこにはつい数時間前まで全てを諦め、何もしないと無気力を決め込んだ彼女は存在しない。
――今や、彼女の心はあの6年前の初期設定の日々へと巻き戻されてしまっていたから。
必死に許しを乞うその先は、今目の前に立って好き勝手に72番の身体を回している利用者様か、それともかつて友人であった人間様の幻なのか……今の彼女には判別が付かない。
一度掘り起こされてしまった忌まわしい記憶の渦が収まることはなく、荒れ狂う心は全てを「今」と捕らえて更なる悲嘆を生み出すだけ。
(お願いします……これ以上、思い出させないで……もう、忘れさせて……!!)
せめて現実を見たくないと目を閉じることすら許されない。
絶望が灯った瞳が捉えるのは、あの時と何も変わらない……侮蔑と嫌悪、どす黒い欲望と悪意の混じった視線ばかりで、だから余計にあの頃の記憶が鮮明に、否、更に強烈に心を切り刻む。
心が血を流すとはよく言ったものだ。
渇望と共に襲い来る胸の痛みが、頭を掻き毟られるような感覚が止まらない。あまりの辛さに衝動的に暴れたくなっても、厳重に戒められた身体は動かせず、ただぴくぴくとその指先だけを跳ねさせるのが精一杯だ。
(助けて……何でもします……ちゃんとご奉仕します、だから、ここから助けて……!)
「お願いします……おちんぽさま……おちんぽさま……」
「……んーまだ大丈夫ね。午後からは膣内にオナホを設置してピストンマシンで疑似性交、っと……良かったわね72番、今日は随分楽なスケジュールじゃ無いの」
「ごほうしを……おねがい…………」
「って聞いてないか。まったく、今からこれじゃいつまで経ってもリペアが終わらないわよ?」
(お願い、助けて…………)
既に一日分の気力を使い果たし、虚ろな瞳でそれでも内外共に機械的な懇願を続ける72番はまだ気付いていない。
彼女のリペアは……無気力状態からの復元を目的とした拷問じみた懲罰は、まだ始まって3時間も経っていない事に。
リペア処置の終了時期は、管理官が敢えて告げなかったのでは無い。そもそも決まってすらいないから告げようがなかっただけだ。
シオンが計画した初回リペアの予定期間は、1週間プラス懲罰点分の延長。
そして効果測定後二回目のリペア期間を決定し……以後、性能が元通りになるまで休むことなく繰り返される予定である。
◇◇◇
「あれ、今日は夜勤かい? 久瀬部長」
「……お疲れ様です、鍵沢区長。そちらこそまだお帰りにならないんすか」
「まだ国に上げる資料が出来てないんだよ。ま、徹夜だろうねえ今日は」
日もとっぷり暮れた頃、調教管理部のオフィスで一人カップ麺を啜っていた久瀬の所に現れたのは、眠そうに目を擦っている央だった。
机に置かれた赤い……というより最早黒いカップ麺の中身を見て、央は「良くそんな激辛麺食べられるよね、ボクお子様舌だから信じられないや」と露骨に顔を顰めながら久瀬の隣に腰掛ける。
「調教管理部持ちのデータが必要になってね、食べ終わってからで良いから、頼めるかい?」
「いいっすよ。……折角ですし、どうですか一口? 区長もこれを機に大人の階段を上っては」
「ありがとう全力で遠慮しておくよ、これ以上大人にはなれないんだし。というかキミ、そう言う性格だったのかい?」
勘弁してよと肩をすくめる央は、ふと目の前にあるタブレットに気付く。
そこには既に閉館時間を迎えた性処理用品貸出センターの正面ロビーが映っていた。
『……お願いします……ご奉仕させてください…………穴を、穴をお使い下さいっ……ひぃっ、ごめんなさい! おねだりしてごめんなさい許して下さい……!!』
その中心に鎮座するのは、フレームに拘束され特殊な展示装置に固定された製品の姿だ。
何やら虚空に向かって必死に懇願していたかと思えば、バチンと電撃の弾ける音に慌てて謝罪を叫んでいる。
ああこれが、と央は近頃職員の間で噂の展示物の事を思い出した。
「無気力個体のリペア処置、だっけ。制限エリア外での執行は全国初だって聞いたよ」
「ええ、なかなかえぐい計画を作業用品が提案してきまして。俺の一存で試しにやってます」
「随分消耗しているように見えるね。これ、相当クスリを盛ってるだろう?」
「そりゃもう。ここまで来ると毎日正気を保たせるのが大変っすよ……」
この個体……72番の精神が休まる暇は無い。
昼間は彼女が初期設定で人間様にされた凌辱を「イベント」と称して実施し、来館者の目を楽しませている。
特に、初日の生殺しと二日目のメインベントだった浣腸液を噴水のように天井に向けて噴き出す芸は好評だったため、毎日のように実施しているそうだ。
更に展示風景はネットを通じて全世界に生配信されていて、視聴者は配信画面から有料で電撃を与えたり蹂躙の指示を出す事が可能である。
また、配信に寄せられたコメントは、全て製品の鼓膜近くに留置された器具を通じて一語一句その通りに読み上げられる。読み上げAIとはいえ、内容から類推して作られた感情の籠もった声色は、注意深く聞かなければ人間のそれと遜色が無い。
昼間は訪問者の会話を邪魔しない音量で、しかし閉館時は復元時間であっても音量を上げた状態だから、結果としてこの製品は24時間休むことなく人間様の悪意をその身体に浴び続けることになる。
これは想定以上に72番を消耗させるらしく、現在では正気を保たせるため鎮静魔法のみならず限界量を超えた薬剤を投与しているそうだ。
リペア後も当分は餌に混ぜる向精神薬の調整が必要だと語る久瀬の顔は、単なる夜勤の疲れだけでないものを浮かべていた。
「……意外だね。キミ、管理官なのにこう言うのはあまり好まないのかい?」
「区長は俺ら管理官を何だと思っているんすか? …………うちの調教管理部には、嗜虐嗜好を持つスタッフは少ないっすよ。そう言う連中は他を選びますから。ま、利用者に好まれる製品作りは心がけていますけど、流石に自分じゃ使いませんし」
「うっそだろ、管理官なんて全員が製品と日々お楽しみだと思っていたよ」
「そりゃ偏見が過ぎます」
画面の中がすっと静かになる。
どうやら72番は復元時間に入ったようだ。この不自由な体勢で自然な睡眠は不可能なため、リペア期間は薬剤を用いて強制的に意識を落とすことになっている。
といっても、耳から送り込まれる罵詈雑言は止まない。例え意識がなくとも、無防備な心は延々と削られていることだろう。
「偏見と言われてもね……第一、成人基礎教育じゃあ随分やんちゃをするのだろう? この間だって高度破損個体に大騒ぎだったし」
「あーそれは……『ほぼ』みんな、で合ってますよ。俺も散々やらかしたのは否定しません。けど区長だって、成人基礎教育ではやられたんでしょう?」
「あ、ボク飛び級だから基礎教育は個人でちょっと受けただけなんだ。性処理用品も実物を一日見学しただけ。まさか、一般の基礎教育でこんなことをしているとは知らなかったよ」
「なるほど……だからあまり好まない、と」
「そういうことだね」
配信画面を閉じた久瀬は、央の端末に頼まれたデータを送る。
「お若いから体力も有り余っているでしょうけど、あまりご無理なさらないで下さいよ。区長に何かあったら大変なんすから」とデータを確認する央を気遣いつつ、そう言えばと付け加えた。
「この案、提案したのは例の……区長のよく知る変態個体です」
「そうなんだ……ああうん、そっか……あれが思いついたのは何だか分かる気がするよ」
「心当たりが?」
「…………まあ、ちょっとね。さてそろそろ戻るよ、このままじゃ朝までに終わらなくなっちゃう」
「そうっすね、お疲れ様です」
地上にある区長室に戻りながら、央はモヤモヤした気持ちを抱いていた。
あのリペアについては報告を受けている。トラウマとなっているであろう初期設定の状況をリアルに再現することで当時の恐怖と苦痛を何度も思い出させ、無気力状態を解消しようという悪魔のような試みだと。
(……そっか、キミだったのか)
言われてみれば確かに、シオンらしい考えだ。あの虐めの記憶は今でも深い傷となっていて、再び繰り返されるくらいなら何だって出来ると……シオン自身が感じているからこそ出てきた発想に違いない。
(でも、良く提案しようと思ったね、キミが一番この残酷さを知っている筈なのに……)
だからこそ胸が痛い。
シオンは央にとっては「優しい子」だった。少なくとも、自分に与えられた痛みを誰かに与えようとするような性格では無かったのだ。
二等種として捕獲され、何故か被虐の悦びを知ってしまったのは流石に想定外だったけど、お陰で心のどこかではシオンは二等種であってもいわゆる「害悪」とはならなさそうだと、どこかほっとしていたのも事実。
けれどこの提案は……明らかに本来の二等種としての片鱗を見せつけている。
やはり、無害化に失敗した不良品である以上、嗜虐の方向へと舵を切るのは避けられないのだろうか。
きっと潜在的には、シオンは人間様を憎んでいるはずだ。だから、二等種としての本来の気質に目覚める可能性は高いはず。
「お互い、あの頃のままじゃ……子供のままじゃいられないんだね」
仕方が無い、二等種とはそう言うモノなのだから。
頭では分かっていても、シオンだけはそうなってほしくなかった……
どうにもままならない気持ちを抱えたまま、央は自室のドアを閉めるのだった。
――それが単なる杞憂であり、シオンはやっぱりドマゾの変態のままであったことを央が知るのは、もうちょっと後の話である。
◇◇◇
72番の展示から8日後、展示棟の一室には久瀬と三体の作業用品が集まっていた。
彼らの前に置かれたのは、二等種運搬用のスーツケースである。
「よう、久しぶりクミチョウ。そいつが例の?」
「おうシャテイだ。シャテイ、こいつは調教用作業用品のナコ。リペア後の懲罰と再調教を担当する……ってシャキッとしやがれ! 管理官様はてめぇを取って食わねぇって何度言わせりゃ分かるんだよ!!」
「ヒイィッ……あわわわ、だって、ほ、本物の管理官しゃまがあぁ……」
「いやてめぇ、これまでだって散々人間様と会ってきただろうが! なんでここに来た途端にそんなダメダメになっちまったんだよ!?」
クミチョウの後ろに隠れてしがみつきブルブル震える詩音に活を入れるも、詩音はすっかり怯えたまま離れる様子が無い。
作業用品がこんな態度を取れば、いつもなら即刻懲罰電撃間違いなしなのだが、目の前に立つ銀髪のくたびれた管理官……調教部長の久瀬は実にめんどくさそうな顔のまま、事態が収まるのを無言で待ち続けている。
「……管理官様、懲罰を与えないんですか?」
「ん? ああ。これな、お前らが来る前に俺を見た途端土下座のまま固まってな。命令しても立たないから一発バチンとやったんだ。そしたら」
「そしたら?」
「パニックを起こして余計に酷くなったんでな……これは無理だと諦めた。だからお前が何とかしろ、M906X」
「うっそだろ……勘弁してくれよぉ……」
どうやら頭の中に叩き込まれる逃げ場の無い指示音声と懲罰電撃のコンビは、すっかり詩音のトラウマを復活させてしまったらしい。
人間様と見るや否やついつい挙動不審になって、何とか目に付かないように隠れたくなってしまうようだ。
これは早い内に矯正しないとまずいなとため息をつきつつも、クミチョウは「ともかく仕事はやれ!」と無理矢理詩音を引き剥がした。
このままでは作業も進まないし、なによりちょっと控えめな膨らみがふにふにと背中に当たって、精神衛生上非常によろしくない。
「ほら、スーツケースを開けるぞ」
「はひぃ……」
詩音は震える手でスーツケースを開け、緩衝材の中からくたりとした塊を取り出す。
ギチギチに戒めたベルトを全て外し床に転がされた個体は、淡い群青色の髪をツインテールに結い上げた幼顔の製品……昨夜までセンターの正面ロビーに飾られていた499F072である。
「F123Xの計画通り、1週間のリペアを行った。正確には懲罰点の分1日延長されているがな。内容を流すから確認しろ」
「ひ、ひゃいっ……」
「シャテイ、返事ははっきり!」
「ヒャヒィッ!!」
「……これは悪化しているんじゃないか? M906X」
「ぐっ……こんなヘタレの扱い方なんてさっぱり分かんねぇっすよ……」
兎にも角にも久瀬が表示した映像を、作業用品達は食い入るように眺める。
これが初期設定で72番が経験してきた1年間の再現だと知ったクミチョウとナコは「これは設定後に大人しくなるわけだわ」「想像以上だよ」と目を丸くしていた。
……相変わらず興奮するのはお約束らしい。その気持ちだけは分からないなと詩音は「これは役得」と喜ぶクミチョウ達を複雑な思いで眺めている。
(……うん、しっかり思い出せてる)
途中で画面に大写しになった、72番の瞳。
欲情に濡れ、どろりと溶けた中に混じる絶望の色を、かつて同じ瞳をしていたであろう詩音は見逃さない。
既にこの個体は無気力状態から脱している。このまま起動して性能検査を行えば、基準を満たすだけの成績は叩き出すだろう。
(でも、これだけじゃ足りない)
早速起動しようとしたクミチョウを、詩音は「ちょっと待って下さい」と止める。
怪訝な顔をしたクミチョウにとどめを刺したいと告げれば、どう言う意味だと後ろから久瀬が問いかけた。
……途端にさっとクミチョウの後ろに隠れられるのは、もう仕方が無いと諦める。
「あ、あの……その、こっ、この個体は……あわわ……」
「おちつけってシャテイ。ほら、深呼吸!」
「ひっ……すーっ、はああぁっ…………その、この個体……命を捨てる権利が二等種に無いことを忘れていると思うんです。だから……無気力になって、そうすれば運が良ければ処分して貰える、壊して貰えるって多分思ったんだろうなって」
「へっ、いくら何でもそんな基本的なところを忘れるとは」
「忘れると思います。元々あまり人の話を聞かない個体だったようですし、何より……絶望が深くなれば、今を生きるために都合の悪い記憶は封印されますから」
(……ああなるほど、経験者か。二等種なのに珍しいものだ)
どこか怯えた様子で――それは決して自分のせいだけでは無い――話す詩音の姿に、久瀬は何となくこの個体の背景を慮る。
それならこの鬼畜な提案も納得だ。彼女はかつて地上で受けた仕打ちを、ただ活かせばいいだけだったのだから。
ならばこのまま、この変態個体に任せてみるのも一興だと久瀬は結論づける。
「……いいだろう、そのとどめとやらが終わってから数値は測定する」
「かしこまりました、管理官様。……シャテイ、下手こくなよ?」
「だ、大丈夫です、多分、きっと……」
「おいおいいきなり弱気だな」
クミチョウが心配する横で久瀬がタブレットを操作すれば、詩音の目の前にもう一枚の画面が現れた。
これは、と戸惑う詩音に久瀬は「良い情報を教えてやる」と相変わらず面倒くさそうな顔で告げる。
「F123X、そこに書かれた内容はリペア開始前に72番にもそれとなく匂わせてある。覚えているかどうかはわからんが」
「……え……こんな事が……まさか……」
「…………上手く使え。とどめを刺すには有用だろう」
「っ、は、はひっ……!」
「……だから返事は……はぁ、もういい。さっさとやれ」
情報を読み切った詩音の顔色は悪い。
様子のおかしい詩音を気遣うクミチョウに、彼女は「……起動をお願いします」と頼み、ぐっと拳を握りしめた。
(……これなら、いける)
そこに書かれた内容はあまりにも残酷で。
けれど、これからの目的にはあまりにも有用だ。
(私は今から、あなたの心を手折る)
起動の電撃音が部屋に響く。
途端に飛び上がった72番は、いつも通りの綺麗な基本姿勢を取って待機状態になった。
アイマスクで覆われてはいるが、どことなく緊張は薄い。恐らくあの展示から解放されたことに気付いたためだろう。
その安堵も、今のうちだけだ。
――数分後、彼女は詩音の手により更なる絶望の中に叩き落とされるから。
(そして……明日を祈る絶望を、あなたにあげるわ)
その心に新たな絶望と、生への縁と銘打った多少ましな絶望を築くために、詩音は管理官によって解錠されたアイマスクのベルトへと手を回した。
◇◇◇
明るくなった視界にどくんと心臓は嫌な音を立てる。
けれど、72番が目を閉じることはない。この1週間あまり、人間様の視線から逃げたくて無意識に目を閉じる度浴びせられたこれまでに無く強烈な懲罰電撃のせいで、今の彼女は意識的に目を閉じようとしても瞼が言うことを聞かなくなっていた。
「んう……っ……!」
またあの視線に晒されるのかと一瞬怯えた72番は、しかし目の前に立つ人影を見て(あ、助かった……)と心底安堵を覚えた。
彼女の前に立つのは、藤色の髪に鮮やかな浅葱色のメッシュの入った二等種。その手首にはXを連ねたような黒い模様が刻まれ、腰には乗馬鞭とリモコンを収納するベルトが巻かれている。
下腹部の刻印は54CF123。その下に大きく描かれたXの文字からも、彼女が作業用品……二等種であることは間違いない。
管理番号から察するに、この作業用品は自分より5つ年下だ。つまりは自分が製品になってから少なくとも5年が経過しているのだと、72番はここにきて初めて知る。
「バイタルは正常よ、シャテイ。そのまま続けて」
「はい」
「俺らは測定の準備をしておくか。ナコ、固定具頼むわ」
どうやら部屋には他にも二等種がいたらしい。
視界の隅に映った二体の作業用品の身体に随分立派なタトゥーが見えて(へっ、そんなガラの悪い調教師様もいるの!?)と目を丸くした72番に「……あのね」と目の前のシャテイと呼ばれた作業用品が話しかけてきた。
その声色は柔らかい。
自分に調教を施した調教師様や、製品となった自分をモノとして管理していた作業用品――こちらはアイマスクをつけていることがほとんどだったから、姿を見たことはないが――からは聞いたことも無いような穏やかな、いやむしろちょっとおどおどした感じの口調に虚を突かれていた72番は、しかし次の瞬間ざぁっと全身の血液が逆流するような恐怖を与えられる。
「えっと、あのね。まだ展示は終わってないの」
「…………え」
「その……これから測定をして、後どれだけ展示するかを決めようと思って」
「ヒィッ……!!」
(そんな……まだあれをやられるの……!?)
ああ、維持具を外されて無くてよかったと72番は心底思う。
今この口が言葉を紡げたら、あまりの恐怖に壊れた機械のように「おちんぽ様」への愛と奉仕の懇願を叫ぶに違いないから。
引き攣った笑顔を浮かべる72番を見下ろしていた目の前のメス個体が、すっとしゃがみ込む。
これまたあまり経験の無い姿だ。
基本的に調教師様は目線の高さを合わせない。上下関係を叩き込むように上から見下ろし、首輪を引いて上を向かせ威圧的に接するのが基本である。
恐怖を覚えながらも、心のどこかで不思議な調教師様だと72番は首を傾げた。
道具を手にして戻ってきた先ほどの二等種達も「おいおいしゃがみ込むのかよ」「まあ任せてみましょ」と話している辺り、きっと彼女の行動は常識外れなのだろう。
ええと、と相変わらずときおり口ごもりながら、シャテイ……詩音は必死に言葉を探しながらたどたどしく話を紡ぐ。
ずっと圧倒的な力で押しつけられてきた製品に、高圧的な言葉はきっと届かない。だからただ、静かに事実だけを告げてあげればいいと、あの頃の自分を思い出しながら。
(ただ、この子にとってはトラウマしかないリペア内容だったけど……正直私にとっては……はぁ、やっぱり性処理用品もいいよねぇ……)
……ちょっとだけ、変態らしい感想が混じるかもしれないけど、それは見逃して貰おう。これだけ恐怖を感じているなら、彼女もきっと気付かないはず。
油断すると沸いてくる被虐の妄想を押しのけながら、詩音は「あのね、72番」と口を開いた。
「えっと、二等種の命は人間様のものなの。覚えてる?」
「……んぇ?」
「私達二等種は、壊れることを選べない。壊れる時期も選べない。……忘れてない?」
「…………あ……」
そうだった。
72番は今更ながら遠い昔に叩き込まれた話を思い出す。
二等種の命は人間様が握っている。ただ生きる権利すら、人間様の気まぐれで左右されると。
――それは裏返せば、死すら選ぶ権利を持たないと言うこと。
こちらがどれだけ死を願い、壊れられる明日を望み続けても、人間様はできる限りの手を施して耐用年数ギリギリまで製品を酷使するに違いない。
(ああ、何もしなければ……性能が落ちれば処分して貰えるだなんて、あり得なかったんだ)
事ここに及んで、ようやく彼女は自分の甘っちょろい考えを自覚する。
二等種である、しかもその中でも最底辺に位置する欲望を吐き出すための穴でしかない自分に、安寧など訪れるわけが無い。
捕獲されてからずっと待ち続けた白馬の王子様は、終ぞ現れなかった。
己に手を差し伸べようとした人間様は、二等種へと落とされた。
そして……死という最後の救いすら、その手からとうに奪われていたのだ。
そんなことすら忘れてしまっていた自分に愕然とする72番の脳に、静かな声が流れ込む。
この人の声は、不思議と心に染みこんでくるのは何故なのだろうか。
じっとこちらを見つめる瞳は静かで、けれどどこか葛藤を含んでいて……遠い昔、自分をここまで加工した調教師様にどこか雰囲気が似ているからなのかも知れない。
「あなたは穴なの。人間様のためにその穴で全力で奉仕しなければならない、性処理用品なのよね。でも……もしあなたが今まで通りの性能をもう発揮できないなら、他の方法であなたを役立てようと人間様は考えると思うの」
「んお……?」
「…………例えば、永久に壊れられない身体に加工して、あの正面ロビーでずーっと客寄せパンダになってもらおう、とか」
「!!」
「あ、そうそうあれね、結構人気だったんだって! あなたも希望が叶って良かったんじゃ無い? あれならどれだけ無気力でも役に立てるし。まぁ、絶頂どころか穴を埋めてすら貰えないから、ちょっと辛いかも知れないけど……あーそれはそれで悪くないよねぇ……あ、えっと、ううん気にしないで」
「んおおおっ!?」
「あと噴水芸だっけ? あれも盛況だったから毎日やれば、きっと人間様のお役に立てると思うよ? 動かなくても全部用意して貰って、それで役に立てる……しかもあんな無様な目に遭って……ふふっ、最高じゃ無い? おっと涎が」
(ちょ、ちょっと待って!? あんな状態で永遠に飾られるだなんて、考えたくもない……!! あとついでにこの人、時々言ってることがおかしいんだけど!! 最高なわけがないでしょっ、あんな苦しくて、ずっと辛くて、さっさと死なせて欲しくなるのに……!)
残念ながら、常識外れなのはどうやらその態度だけではなかったらしい。
ぽそぽそと時折言葉を選びながら告げられる言葉は、これまで浴びてきた下手な恫喝よりもずっと鋭く、深く、72番の心を抉っていく。
……時々おかしな言動も混じっているが、それ以上に用意されている未来の可能性が残酷すぎて、身体の震えが止まらない。
「お外もよく見えてたんでしょ? いいなぁずっと地上にいられるなんて……ねえ、人間様に淫乱とか変態って蔑まれるって、どんな感じだった?」と屈託の無い……どころかちょっと興奮気味の笑顔を向けられた瞬間、ゾクッと何かが72番の中を駆け抜けた。
(お外……ああ、そんな……またあの視線に晒されるの……!? それも、ずっと、永遠に逃げられずに……!)
こんなに優しく諭されたら、暴言に慣れた心はついその言葉を染みこませてしまう。
これから自分に降りかかるかもしれない、最悪の絶望を魂に刻み込ませてしまう――
「そろそろ計測もするか。シャテイ、いいか?」
「あ、は、はいっ……ええと確かこれだっけ……えい」
「ぐっ……」
バチンと首輪に電撃が走り、72番は慌てて維持具の抜去体勢を取る。
丁寧な手つきで股間からずるりと長大な質量を抜き取られる間も、彼女の話は止まらない。
「だからね、正直どっちでも……あなたが無気力なままでも私は良いと思うの」
「んうううっ!! んふっ、うおぉぉっ!!」
「どっちにしたって、人間様は製品がお役に立てるように手立てを考えてくれる。あなたも無気力なままでいられる。ね?」
どっちでもいいよ、だから、あなたが選んで?
(…………この人、怖い……!!)
72番に微笑みかける詩音の笑顔に悪意は無い。嗜虐の悦楽も、有無を言わせぬ圧すら無い。
純粋に選択をこちらに放り投げてきた無邪気さに、だからこそ72番は心底恐怖を覚え
「んぎぃぃっ!!」
「あ、ごめん……泣かしちゃった……」
維持具により抑制されているはずの落涙と、それを諫める懲罰電撃を生じたのである。
◇◇◇
「おい、あれがさっきまで震えてたへなちょこか? もはや別人だな」
「どうなってんだあいつ……ギャップが激しすぎてついて行けねぇ」
「ま、アタシは悪くないと思うよ? 管理官様に直接お目にかかる機会なんてそうそう無いんだし、素体相手なら……あのスタイルはなかなか斬新でいいかもね」
あの後、維持具を全て外された72番はすぐさまその場に土下座し「人間様の穴としてお役に立ててください!!」と絶叫した。
あまりの大声に、後ろで聞いていた久瀬が思わず耳を塞いだほどである。
「これからは全力でご奉仕させて頂きます!! おちんぽ様大好きです! おちんぽ様が無いと生きていけません!!」
「え、あ、あのっ、別にその、そんなに頑張らなくても」
「ヒィッ、ががが頑張りますうぅっ! どうか頑張らせて下さい!! お願いしますもう二度と無気力になんてなりませんからっ!!」
狂ったように奉仕を懇願する72番を久瀬が「うるさい」と電撃で黙らせ、穴の性能検査を行ったのが15分前。
規定を遙かに上回る、どころか出荷時と変わらない性能を叩き出した成績にクミチョウ達が驚愕の表情を見せる中、詩音は事もあろうに「そっか、じゃあ……あと2週間飾られておいでよ」と笑顔で追加のリペアを宣告し、部屋にいた全員を凍り付かせたのである。
「いやぁ、あの時の72番の絶望しきった顔はヤバかったわ……ちょっと漏れちまった」
「ちょ、どれだけ興奮してたのクミチョウ!! 気持ちは分かるけどさ!」
「……お前らちっとは自重しやがれ、この変態が……しかし半狂乱になった製品に理由を聞かれて『今の気持ちを忘れないように、復習は大事だと思うの』と平然と笑顔で返すか、普通? そのくせ、終わった途端これだし」
「ヒッ……ううっ……」
泣き叫ぶ72番を元通りスーツケースに詰め込み転送室へと輸送を依頼した瞬間、詩音は緊張の糸が切れたのかその場にぺたりと座り込んでしまう。
「お、おい、シャテイ!?」
「はあぁ……心臓ドキドキ止まらないぃ……うまく喋れてた……?」
「あ、うん。時々変なことを口走ってたけど、あれだけ数値が上がったなら大成功よ、自信持ちなさいなシャテイ。ただその床には」
「はひぃ、ありがとうごじゃいましゅ……いぎっ、が……っ!!」
「……あーあ、まぁそうなるわよね……」
そして思わずいつもの癖で「誰が座っていいと言った」と久瀬が懲罰電撃を流した途端、叫び声と共に彼女はビビりのへなちょこモードへと戻ってしまったのである。
今は、指定席となったクミチョウの後ろに隠れてぷるぷると震えている。全く、落差が激しすぎて心のグッピーが瀕死状態だと、久瀬はがっくり肩を落とした。
「ううぅ、出来損ないのゴミクズの癖に生意気言ってごめんなさいごめんなさい許してぇ……」
「落ち着けってシャテイ。管理官様は取って食やしねぇ、って、今日何回目だよこの台詞!」
ともかく、と気を取り直した久瀬は今後の説明をする。
最終的に詩音による追加リペアの提案は、調教管理部によって受理された。正確には、久瀬が独断で受理した。
よって72番は引き続き2週間+懲罰点で延長された時間分の展示が確定。その後地下にある調教棟に戻され、5日間の通常懲罰を行った後再調教を行って再度展示棟に出荷されるそうだ。
「リペア後に等級は落ちますよね、管理官様」
「おう、BだったからCに落とすな。というか今までBだったのが不思議なくらいだぞ……あれ、初期設定完了までに二人も人間様を二等種堕ちさせてる問題個体なのに」
「はぁ!? 一体で二人も!? ガチもんの害悪じゃねぇかよ……」
「まあ、この性能ならまだまだ稼げるからな。しっかり耐用年数まで使い込めるように加工を施すさ」
それと、と久瀬はちらりと詩音に目を向ける。
途端に魂が抜けそうな顔で「ひょえぇ!?」と奇声を上げる姿に彼は「……俺は完全に諦めた。せめてまともに返事が出来る程度には躾けろよ、M906X」と製造責任をクミチョウに丸投げし、目を合わさないようにぼそりと告げるのだった。
「……俺が見た感じ、調教用作業用品の適性はある。後はAIの判断だが……ま、そのうち地下に降ろされる心づもりだけはしておけ、降りたら俺が直々に使い倒してやるからな」
「ひいぃ……まだ死にたくないいぃ……うぎゃぁっ!!」
「お前な、いくら動揺しても言って良いことと悪いことがあるぞ? はぁ、全く先が思いやられる……」
「ひぐっ……ごしどう、ありがとうございますぅ……」
◇◇◇
あれから一月後のある日、詩音は入荷用転送陣の前に佇んでいた。
「今日は変なことを口走らない……興奮しない……冷静に、冷静に……」と何度も言い聞かせるその姿を、通りがかった先輩作業用品達は「まーたシャテイが挙動不審になってるよ」と微笑ましく眺めている。
「別に興奮したって誰も笑いやしねぇのにな、あんなに一生懸命になっちゃって」
「そうそう、その場でおっぱじめなきゃ管理官様だって咎めないっての。大体俺ら、二等種よ? こんなオカズだらけの場所で興奮するなって方が無理だっての」
(そう言う問題じゃ無いの!! あああ、あそこまで『あんな風にされてみたい』って欲望が漏れちゃっただなんて、やらかしすぎぃ!)
そんな先輩個体の慰めなど、昨夜「今後の参考にしろ」と管理官様から送信されたあの日の映像に保管庫で二人悶絶した詩音には、何の効果も無い。
同じ興奮するでも、詩音のそれは意味が逆なのだ。
どこかでこの性癖がバレてしまったら、まさに狼の群れに放り込まれた羊状態。どうなるかだなんて火を見るより明らかだし、ちょっとそれもいいかもなんて……ああもう思っちゃいけない!! と詩音はぶんぶんと邪な思いを振り払った。
「シャテイ、製品はまだ来てねーか?」
「っ、あ、はひっ!!」
「……段々そのビビりに慣れてきた自分が悲しいぞ、俺は……」
クミチョウの呼び声で現実に戻された詩音は、二人で管理官から送られたデータを確認する。
そこにはこれから地上に出荷される個体……499F072(C)の「その後」が記載されていた。
予定通り懲罰と再調教を終えた72番は、これまた予定通りC等級に降格させられる。
その上で、詩音のリペアによりこの個体には常に人間様の感情をぶつけておけば性能が落ちなくなると判断されたため、今後保管庫でのアイマスク着用を永久に禁じられたそうだ。
更に施された加工の内容に「……凄い」と詩音がため息を漏らせば「ま、C等級だからな」とクミチョウはしたり顔で頷く。どうやらC品だと、このくらいの加工は一般的らしい。
「C品ってのは、通常の人型では性能を発揮できない、いわゆる「訳あり品」扱いなんだ。だから何かしらの肉体改造をされるのが基本なんだよな。良くあるのは女体化と四肢切断、ふたなりあたりなんだが……これは元々尿道拡張も進んでいたから、その延長だろうな」
「なるほど……実際の訓練はこれからなんですよね」
「ああ。これなら展示しながらでも出来るし、来館者の目も楽しませられるって管理官様が……っと、来たぞ」
「あ、はい」
雑談をしていれば、転送陣が光ると共に目の前にスーツケースが現れる。
いつものように開梱して起動すれば、あの日と変わらず72番はすっと基本姿勢を取った。
その下腹部に刻まれている等級以外は、何も変わっていないように見える。
だが、きめ細やかな肌に覆われた内部はますます生き物からかけ離れたものに加工されたのだと思うと……気の毒に思うしちょっとだけ羨ましい。うん、ほんのちょっとだけ。
「ほれ」
「……え?」
「今日はてめぇが前を歩け。んで、収納作業をやってみろ」
「え、でも」
「やらなきゃ覚えねーだろ。何かあったらサポートするし管理官様も止めるから、心配せずにやってみ」
「…………はい」
雑念を振り払い後ろに回りかけた詩音はクミチョウに引き留められ、鎖を渡される。
いつも輸送の先導は先輩個体が行っていたから、急に振って沸いた初めての体験に詩音は緊張しながらも鎖を受け取り、首輪にカチリと繋いだ。
すぐさま四つん這いになる72番に直進の電撃を流せば、一瞬びくりと身を跳ねさせた後、すっと手を前に出す。
ぺたぺた、ぺたぺた、ぺしん、じゃらり……
(……凄い、ちゃんとこっちの歩幅に合わせて歩くんだ……目も覆われているのに)
詩音の足元をつかず離れず、一定の位置を保って歩みを進める72番。
頬を赤らめ息を荒げ、上下の口からはたらたらと涎を床に溢している。道を覚えさせないため、輸送時には必ず興奮状態にして思考を鈍らせているせいだ。
今の彼女には「気持ちいい」以外の思考はできないと、以前クミチョウが話していた。この鞭も、製品を発情させるための刺激だそうだ。
そんな状態でも、首輪と乳首、そしてクリトリスに流される電撃の組み合わせにぱっと反応する姿に、ああ、この個体は一体どれだけこんな扱いを受け慣らされてきたのかと、つい感傷的になってしまう。
(自分がされてみたいとは思うけど……やっぱり、私はする方にはなりきれないや)
そんなことを思いながら矢印の指示に従い、スロープを上がって歩くこと5分。
下段の保管庫にはすでに新しくなった彼女の管理番号が記されていた。
「声かけは最低限な。ケツまで入れたら止めて、床の鎖を繋げ。そしたら上体を起こすから、手を後ろで拘束」
「はい」
シャッターとその中の檻を開け、保管庫の方を向かせて首輪に繋いだ鎖を外す。
そのままリモコンで指示をすれば、72番は「んふぅ……」と悩ましい声を上げながらぺたぺたと中に大人しく入っていった。
(床の鎖を……これ、引っ張られたら痛そう……はぁ、こんなぶっといのを開けられたら……)
鉄格子にかけてあった床から伸びる鎖の先端を、クリトリスから垂れ下がるピアスへと接続する。
思ったより軽量とは言え、鉛筆ほどの太さがあるピアスをこんな敏感なところに通されている……間近で見たのは詩音も初めてで、つい胎が疼いてしまう。
肉芽の大きさは、自分より二回りくらい大きいだろうか。よくこんな大きなものをぶら下げてクリトリスがちぎれないものだと感心するが、実際には時間が経つとピアスの穴がどんどんずれて身体から排除されてしまうため、4週に一度の定期メンテナンスで必ず位置を確認し、必要なら管理官の手によって穴を開け直すのだという。
(……で、ここからよね)
普段なら、そのまま前進させて足が保管庫に入った段階で停止させ、檻とシャッターを閉めれば終わり。
だが、これはまだ、余計なものをつけたままだから。
(冷静に、冷静に……言葉を選んで……)
もう一度詩音は心の中で言い聞かせ、そっとその手を72番の後頭部へと伸ばした。
◇◇◇
「!!」
ふわふわとした気持ちよさの中で揺蕩いながらシャッターが閉まるのを待っていた72番は、後頭部からカチャカチャと聞こえる音によって一気に現実へと引き戻された。
(え!? まさか、そんな……!)
72番の嫌な予感は的中する。
頭の締め付けが緩くなった次の瞬間、はらりと目の前から覆いが外されて……目の前に飛び込んできたのは、かつて何度も見つめ続けた、保管庫の白い壁だ。
「っ……ぎっ!!」
「……振り向いちゃ、だめだよ」
「!!」
思わず「どうして」と塞がれた口で呻き声を上げ後ろを振り向きかけた72番の全身に、バチバチと電撃が走る。
そうだった、ここでは作業用品を見ることすら許されないのだと久しぶりに開けた視界のなかで72番は思い出し、そして聞こえた小さな声に「ヒッ」と悲鳴を漏らした。
この声は、覚えている。
穏やかで、けれどどこか自信の無さそうなその口調を、忘れるはずが無い。
後ろにいるのは、あの日自分を絶望の底へと叩き落とした調教師様だ……!
「ここでは、もう二度と着けなくて良いの」
「……ほんぁ……!」
「あ、でも人間様に貸し出される時には、着けて貰えるから」
「……っ」
優しい口調で告げられる、非情な現実。
C等級に落とされ、意識を落とされている間に等級刻印の変更と追加加工が行われたのは地下で説明を受けた。それにより保管庫での扱いが変わることも知っているし、実際にそれを模した訓練も実施済みだ。
けれど、まさか今後壊れるまでずっと保管庫でのアイマスク着用を禁じられるとは思いもしなかったのだ。
(ああ、これじゃ……ここにいる間は人間様の視線から逃れられない……!!)
途端に思い出すのは、3週間あまり続いた展示の日々、そして……初期設定で嫌と言うほど浴びた、悪意の籠もった視線。
あの展示で暴かれて以来、忌まわしい記憶を隠す術を失ったように感じるほど、彼女の心は些細な出来事を引き金に、あの日の記憶と感情を鮮烈に何度も再生するようになっていた。
逃れられないのは視線だけじゃ無い。
少なくとも保管庫にいる限り、この過去から逃れることすら許されなくなってしまったのだと、72番は小さな慟哭を狭い空間に響かせる。
失意の中、その悲しそうな呻き声にしばしの沈黙が流れた後
「……全力で生きる限り、壊れられる明日はくるよ。いつか……ね」
そっと耳元で囁く声を最後に、カシャンと檻は閉じられた。
(……壊れられる、明日…………)
その言葉に、72番は呆然と佇む。
やがて巻き取られた床の鎖に引きずられるように定位置で股を開いてしゃがみ込んだ後も、調教師様の言葉は彼女の頭から、ずっと離れることが無かった。
◇◇◇
「上出来だ。な、簡単だろう?」
「はい……でも、緊張しました。アイマスクを外して暴れられたらどうしようって……」
「ははっ、まあ最初はみんなそんなもんだ。これから何度もやればすぐ慣れる。っと、かしこまりました、管理官様……んじゃ俺は次の指示が入ったから行く。てめぇは待機室だ。ゆっくり休んでろ」
「分かりました、お疲れ様です」
次の作業へと向かうクミチョウを見送り、詩音は保管庫のシャッターを眺める。
……この扉の向こうで、彼女は今何を思っているのだろうか。
そして狙ったとおりの絶望を、生へと向かわせるための動機を、自分は本当に与えられたのだろうかと自問する詩音の表情はどこか苦しそうだ。
「まさか、死んで終わる権利すら奪われるかも知れないなんて、ね……」
最初のリペア処置が終わったあの日、管理官に見せられた資料の内容を思い出し、詩音はぶるりと身体を震わせる。
そこに書かれていたのは、性能が極めて優れた作業用品に対して行われるという、耐用年数延長処置だった。
劣化したパーツを入れ替え(……どんな「パーツ」と入れ替えるかだなんて、口にしたくもない)最も重要な脳に関しては近年開発された生体モジュールにその機能を移し替えることにより、理論上は半永久的にその作業用品を使用できるようになるらしい。
5年に及ぶ臨床試験は昨年終了、国の認可も下りて実用化されているものの、非常に大規模な改修が必要で維持コストもそれなりにかかるため、まだ臨床試験で使用された個体以外にこの処置が実施されたことはない。
だが裏を返せば、コストさえ度外視すれば人間様はいつだって二等種を永遠に死ねない身体に変えられるということ。
ちなみに理論上はこれを人間や多の生き物に適用することも可能だが、こちらは倫理的な問題で当然のように禁じられているという。
……これだけでも、人間様にとって二等種がどのような位置づけなのかが覗えるものだ。
(72番に知らされたのは『お前をいつでも永遠に死ねないように出来る』事だけ……)
詩音達の目的に、確かにこの情報は非常に有益だった。
想定以上の絶望を彼女にもたらすことが出来たはずだし、きっとこれから彼女は壊れる日まで、一日たりとも手を抜くこと無く人間様とあらゆる性器に尽くすことだろう。
(これで良かった。……違う、私たちに取れる対応はこれしかなかった)
確かに目的は達せられた。それも、思った以上の成果を上げてだ。
あの管理官様が話していた様に、そのうち自分は地下へと異動させられるのだろう。
そうすればあれほど待ち望んだ貞操帯を着けるチャンスが得られる――
けれど、とても素直に喜べる状況ではない。
ああ、こんな時は他の作業用品みたいに、深い思考を奪われ単純に性癖を満たせると喜べれば良かったのにと、つい思ってしまう。
「……ねぇ至、やっぱり人間様の考えは、私達の想像を超えていたわ」
詩音は、ぽつりと分かたれた世界のトモダチに呟く。
きっと彼も今頃、この保管庫の前で同じように佇んで……胸の苦しさを抱えているに違いないから。
「ここに来る前からずっと……それに二等種を知ってからだって、私は人間様の方がずっと怖いままよ」
――そうだね、と悲しそうに呟くトモダチの声が、どこかから聞こえた気がした。
自分達は二等種だから、この運命から逃れることは出来ない。
唯一逃れる手段は死のみ。その権利すらも人間様に握られ、更に完全に奪う技術が確立している以上確かな希望とはならない。
だから詩音は、そっと心の中で祈るのだ。
どうかこの個体が、絶望に満ちた日々の果てに、まともに壊れられる明日へと繋がりますようにと――
「さ、早く戻らないとまた管理官様に怒られちゃう……やっぱり管理官様は怖かったなぁ……直接会っちゃったから余計にかも、ね」
詩音はくるりと踵を返し、矢印に沿って歩き始める。
右手に延々と続く保管庫の扉達はその内に幾多の慟哭を閉じ込めたまま、廊下にいつもと変わらぬ日常をもたらしていた。
◇◇◇
今日こそは昨日よりましな日であることを祈りながら、私は人間様のための穴として生きる。
諦めれば、次こそは永遠に……壊れる権利を完全に奪われ、ただの見世物として飾られるから。
その先に「明日」はない。今の私からは、希望に見せかけた絶望に縋り付く以外の道は消え失せている。
――だから。
一縷の望みを明日に託すために、私は今日も全力でおちんぽ様に服従するのだ。
「ふぐっ……はぁっはぁっはぁっ……ううぅ……うあぁぁっ……!!」
ぱちり。
暗闇の中、72番は今日も己の小さな呻き声で目を覚ます。
いや、正確には目を覚ましたかなんてよく分からない。
意識はほとんど途切れること無く昨日から連綿と続いていて、与えられる苦痛に変わりは無く、ただ灯りが消えた段階で復元時間になり意識を落とされていたはずだから、今はきっと「明日」になっているのだと推測するだけ。
(苦しい……息がしづらい……あああ、おちんぽ様、おちんぽ様ぁっ……!!)
ガクガクと全身を震わせ、頭が焼き切れそうな渇望を叫びながらも、72番は必死にその場で起き上がりいつもの基本姿勢を取る。
身体を起こせば途端にぽっこり膨れ上がったお腹で横隔膜の圧迫が増し、少ない酸素にふぅと時折意識が薄らぐも、姿勢は崩さない。いや、崩す事なんて絶対にできない。
懲罰点をつけられれば、明日に苦痛を渡すことになるから。
それどころか、下手をすればその一回がダメ押しとなって、希望を祈れる明日は二度と来なくなるから……
(うあぁぁっ! 苦しい、苦しい……助けて……助けて、おちんぽ様……!!)
なかば半狂乱になり、無様に人ならざる格上のモノに懇願しながら、それでも72番はじっとその時を待ち続ける。
やがて起床のベルと共に灯りが灯れば、すぐさま彼女は横を向いて給餌と浣腸をせがむようにか細い呻き声を上げるのだった。
◇◇◇
管理番号499F072(C)に施された加工は、液体保存容器としての処置だった。
いくら幼体時からありとあらゆる加工を行ってきたとは言え、元が人間と同じ組成である以上その身体――正確には膀胱と大腸に貯め込める容量には限りがある。
故に、72番は大容量の「袋」として扱えるよう、特別な処置を施された。
膀胱と大腸の粘膜組成を遺伝子レベルで操作する、高度かつ精密な肉体改造魔法を施された組織は、これにより以前の倍量を許容できる伸縮性を獲得する。
彼女の場合は膀胱に最大5リットル、大腸には10リットルを理論上は受け入れられるようになった。
更に子宮体部には同様の伸縮性を持つ膜組織を増殖させられる。これは子宮から卵管に、ひいては体腔に液体が漏出しないための措置だ。
子宮自体は人間であっても多胎妊娠により30リットル程度まで拡張したという記録があるため、薬剤以外の特段の処置は必要としないのである。
とは言え、現状ではあくまでも大量の液体を理論上詰め込めるようになっただけ。
製品としては当然ながらその液体を入れたまま移動し、空いた穴で本来の用途である奉仕動作ができなければ意味が無い。あくまでも、これは性処理用品なのだから。
だが、慣らしにはそれなりの時間がかかるし、そのために調教棟で訓練を積むのはあまりにもコストがかかりすぎる。まして等級を落としたC品如きにかけるコストは、最小限にしたい。
だから「袋」となった製品は、展示棟において24時間体制で人間様の娯楽を兼ねた慣らしを行うのが慣例である。
「はぁっ、はぁっ……うぐっ……ふぅ……」
(ああ、やっと楽になった……いつもながら死ぬかと思った……)
餌の注入と浣腸液の転移が終わり、わずかな安息の時間を得た72番は、ぐったりした様子で目の前の壁を見つめる。
前日に詰め込まれた薬剤と補助用の酸素混じりの液体は、朝の浣腸液と同時に全て体外に転移される。膀胱内の拡張器具も未拡張の状態に戻されるが、こちらは拡張前でも200ml程度の容積を占めており、たとえ膀胱が完全に空っぽになっていても初発尿意から逃れることはできない。
……とは言え、今までだって膀胱に関しては常に最大容量の6割から8割を保つように調整されていたのだ。どれだけ快楽変換機能により軽減されても、無視できない程度の排泄衝動はつきまとうのが常だったから、これくらいなら大した問題ではない。
(うう……まだお腹がおかしい気がするよう……)
維持具でぽっこり膨れているとはいえさっきよりは随分小さくなった腹からは、まだゴロゴロと不穏な音が鳴っている。
保管庫に戻された日から、浣腸液の強度も変更になるとは聞いていた。結腸の粘膜組成が変わるため今までの強度では浣腸用としては少々心許ないためだと説明を受けたが……まさかこんなに激烈なものに変わるとは思いもしなかったなと、72番は陰鬱とする。
だって……この刺激は身体が覚えている、あの初期設定の時に使われた、最も刺激の強い浣腸液に間違いないから。
途端にあの時の苦痛と水の冷たさ、飲まされた生暖かい排泄物の味、浴びせられた罵声が頭の中を駆け巡って、72番は思わず「いあぁぁっ!!」と叫び声を上げた。
ああ、許されるならがむしゃらに暴れたいし、頭を壁に思い切り打ち付けたい。そんなことをしたら当然のように懲罰点が付くから、必死に堪えるけど。
(忘れさせて貰えないんだ……ここにいる限り、ずっと……!)
いついかなる時でも、初期設定の忌まわしい記憶と共に生きなければならない。
こんなことなら無気力になってしまうんじゃ無かったと後悔したところで、既に後の祭りである。
せめて、涙が流せるなら少しは気が紛れそうなのに、維持具に塗布された薬剤で分泌を抑制されているお陰で、余程のことが無ければ涙など一粒も流れやしない。
人間様は、どこまでも残酷だ。
(でも、まだ……今はマシ)
挫けそうになる心を、72番は必死に鼓舞する。
もう二度と、やる気を失ってはいけない。これからは一つの失敗も許されないのだ。
何より、保管庫にいるわずかな時間は人間様に見られることがない。自分が無気力にならない限り、理不尽な懲罰点は付かないのだからと――
(……怖いのは、これからだから)
何の前触れも無く、ウイィィン……と目の前の壁が上に巻き上げられていく。
それは、一日に3分にも満たない安息の時間が終わりを告げる音。
ああ、今日もまた何かしらの苦痛と、人間様の視線に晒される時間が始まってしまうと、72番は恐怖に慄きながらも必死に笑顔を貼り付け、眩い展示ブースへと膝を動かすのだった。
◇◇◇
しんと静かな展示ブースの中、72番はガラスの壁に向かって濡れそぼった股間を曝け出し、笑顔でその時を待つ。
(どうか今日は、楽な『効果』でありますように……あと、最初からあんまりたくさん入れられませんように……!)
そんな必死の祈りが、誰かに届くことは無い。
準備のために展示室に入ってきたスタッフが目の前を通り過ぎる度、72番の身体には恐怖が走り、少しでも機嫌を取ろうと笑みを浮かべてはしたなく腰を揺らす。
「ええと、F072……昨日は拷問用発情剤だったのね。あら、一生懸命ご機嫌取り? その調子でしっかりアピールしなさいな、じゃないと出来損ないのC体なんて中々借りて貰えないわよ?」
数分後、目の前にやってきた女性スタッフが何かを話しかけてくる。
まだ開館時間ではないため、ガラスの向こうの言葉を聞き取ることは出来ない。
目と唸り声で必死に訴える72番の願いも虚しく、スタッフは昨日の記録を確認し、あっさりと沙汰を下すのである。
「ええと、昨日は大腸2リットル、膀胱2リットルからスタートで、閉館時大腸6リットル、膀胱3リットルかぁ……膀胱はあんまり人気が無いのかな? なら今日は大腸2.5の膀胱3からにしよっか。まずは閉館時に最大拡張までもっていかないとねぇ、子宮の拡張も早く始めたいし……」
ぽちぽちと首輪の情報を読み取ったスマホを操作した途端、じゅわりと腹の中に液体が注ぎ込まれる感触が襲ってきた。
同時に、下腹部に膀胱を膨らます質量を感じる。
この瞬間は何回やっても慣れない。何せ、どれだけの容量を注ぎ込まれ拡張されるのか予測が付かない上に、今日の『効果』もこの身で体感するまで分からないのだから。
と、突如襲ってきたじくじくした感覚に、さっと72番の顔色が悪くなった。
思わず飛び跳ね暴れそうになる身体を必死に押さえつけ、脂汗を流しながら時折身体をヒクつかせて絶叫しているが、ガラスの向こうにその声が聞こえることは無い。
……そもそも操作をしたスタッフはもう、ここにはいない。何人ものスタッフが前を通りがかるも、こちらに構う暇は無さそうだ。
(いやあぁぁっ!! 痒い!! 痒いのっ!! これは嫌ぁ! ごめんなさい、お願いしますこれだけはやめてぇ!!)
どうやら今日の『効果』は掻痒薬だったらしい。絶対に掻くことの出来ない内部に襲いかかる猛烈な痒みに、72番は堪らずくぐもった叫び声を上げる。
保管庫での拡張中は、苦しさを紛らわせるという名目で拡張液に補助剤が混入される。
昨日のように性衝動を極限まで上げる発情剤や空気の流れにすら感じるほど感度を上げる薬剤、全身を蟲が這いずり回るような感覚を起こさせたり、振り払えない不安や恐怖を与え続けるといったものまで、その効果は多種多様だ。
その選択基準や強度はAIにより決して精神を壊さないように、けれども慣れが来ないように綿密に調整されていて、保管容器となった製品は毎日腹を満たされる苦しさなど比にならない程の『効果』に翻弄される羽目になる。
(展示中の拡張訓練は、拡張の苦痛を和らげる処置を取って貰えるって調教師様も言ってたけど、こういう意味だったなんて……これなら、お腹が苦しい方がずっとましだよう……!)
――そうなのだ、確かに人間様の言うとおり、拡張の苦しさは紛れる。ただし、それ以上の苦痛をもってして、だが。
それでも人間様が「製品の苦痛を取り除いた」と言う以上苦痛は取り除かれていることになる。よって製品は「楽をさせて貰った」分、人間様に感謝しお礼として来館者を全力で楽しませなければならないのである。
(いや……痒いのやだぁ……ごめんなさい、踊れというなら一生懸命踊ります!! 噴水芸も喜んでやります!! だから、早く水で洗って下さい!!)
猛烈な痒みに、腰の動きが止まらない。
頭の中で、かつて友人だった女子達が痒みの泣き叫ぶ自分を取り囲んでニヤニヤと嘲る視線が、嗤う声が、エンドレスで再生される――
『今の気持ちを忘れないように、復習は大事だと思うの』
そんな中、思い出すのはあの調教師様の、おどおどとした、けれど残酷な宣告。
これも二度と無気力な状態にならないように、全力で奉仕をすると誓ったあの気持ちを忘れさせないようにするために組まれた処置なのかもしれないと、72番は余計なことを考える。
……人間様のいない時間は余計なことでも考えていないと、とても正気を保てそうに無い。
(……っ、来た……今日も始まってしまう……!!)
気が遠くなるほどの時間が経った頃――実際には30分も経っていないのだが――入口からぞろぞろと人間様が入ってくる。どうやら今日もセンターは開館してしまったたらしい。
止められない淫らな腰振りに絶望を覚えながらも、72番は今日こそこれ以上の苦痛を増やされないようにと祈りながら、何とか笑顔を作ろうと奮闘するのである。
◇◇◇
C品の展示は「見世物」の要素が強い。
ただ展示して己の魅力をアピールすれば良いB品以上と異なり、展示中であっても人間様を楽しませ、鬱憤を晴らして頂くための全てを強いられる。
それが過ぎた快楽だろうが、狂いそうな渇望だろうが、はたまた苦痛や羞恥であろうが……製品に選択権などあるはずも無い。
C品を展示するガラス窓には、来館者向けのバーコードが貼り付けられている。
スマホで読み取ればその個体の情報のみならず、個別設定された「何か」を与えることが可能なのだ。
有料であるにも関わらず、レンタルでは無くただ展示物で遊びストレスを解消することを目的に通ってくる来館者も多いほど、このアトラクションは人気が高い。しかも一日あたりの回数制限があるが故にこの種の来館者は開館早々に来ることがほとんどだ。
製品達が必死に「許して」と懇願し媚びる憐れさ、そして容赦なく与えられる仕打ちに絶望し、それでもこれ以上の暴虐を恐れて感謝を振りまく惨めさもまた、二等種への尽きぬ嫌悪を持つ人間様にとっては一服の清涼剤なのだろう。
「お、これめちゃくちゃ腰振ってアピールしてるじゃん」
開館早々に72番の前に現れたのは、まだ年若いカップルだ。
仲睦まじそうに手を繋いで洗われた人間様に(いいなあ)と72番の胸が痛む。
だがそんな感傷に浸る暇など、製品には与えられない。72番は必死に腹の中から湧き上がるどうしようも無い痒みを紛らわせようと腰を振りたくり、しかし顔には笑顔を貼り付け(どうか何もしないで下さい)と訴え続ける。
「あれ、お腹膨れてない? ……ああ保存容器なんだ」
「へぇ、今作っている最中なんだね。ねぇ、それなら協力してあげようよ、ね?」
「え、う、うん。まぁそうだね、立派な製品になれるよう助けるのも人間様の役目だもんね」
キラキラと汗を振りまきつつ淫らに踊る72番に魅了されていた恋人の姿に思うところがあったのだろう、女性がおねだりをすれば多少の罪悪感からか男性も素直に頷き、スマホを操作する。
みるみるうちに膨れていく腹に一瞬苦悶の様子を見せた72番を見て、女性は「笑顔が崩れてるよ? ほらあ、笑いなさいな!」と更にスマホをタップした。
(ひぃぃっ、やめて、お願いします人間様っ! これ以上増やさないで……お腹、苦しいぃ……)
反応を楽しむかのように延々と追加で注ぎ込まれる液体に、72番は思わず白目を剥く。
そうすれば「あーぶっさいくな顔!」と嗤いながら懲罰電撃が飛ばされた。
「んぎいぃっ……うおぉ……っ」
「うわ凄い音! めちゃくちゃ痛そう……なーんてね、止めるわけ無いじゃん! 人間様を誘惑するんじゃないわよ、二等種の癖に!!」
「あがああっ!!」
電撃が止まらぬ中、立て続けの注入にバランスを崩し膝をつけば「懲罰点を追加します」と無慈悲な人工音声がブースの中に響く。
(いけない!)と前後不覚になりながらも、72番はよろよろと元の姿勢に戻った。
「あースッキリした! ねぇ、あっちも見に行こうよ」
「あ、ちょっと待ってってば」
ようやく満足したのだろう、カップルは目の前から去っていた。
そこに残されたのは、まだ電撃の痛みが覚めやらぬ中、それでも御しきれない痒みに狂ったように腰を振り続ける、憐れな製品だけ。
腹からは圧迫感と共に、猛烈な排泄衝動が脳へと叩き込まれる。この感じだと既に昨日の閉館時の容量は超えてしまったようだ。
――そう。
保存容器である72番に与えられるのは、ワンコイン当たり直腸は500mlの液体注入、膀胱は200mlのバルーン拡張、そして彼女の耐久限度にあたる45秒間の懲罰電撃である。
流石に懲罰電撃に関しては一度使用すれば30分は使用できないが、拡張については支払いさえすれば連続で行うことが可能だから、たった一人の来館者が限界まで注入することもあり得るのだ。
そして、展示ブースで詰め込まれた容積が空になるのは、翌日の浣腸転移時、もしくは貸出時のみ。
開館早々にこの機能で遊ばれるほど、苦痛の時間は長くなる。だから製品は開館から閉館までひとときも気を抜くこと無く、少しでも苦痛を減らそうと死に物狂いで人間様に媚び続ける。
(……まだ、一人目なのに……あと何時間……? 痒い痒い痒いっ!! 今日はどれだけ増やされるの……!? こんなの壊れちゃうよう!)
ありとあらゆる苦痛を送り込まれ、思考はまとまらない。一日がこれで終わって欲しいと思うくらい、既に72番の精神は消耗している。
それでも従属を植え付けられた身体は震えながらも健気に基本姿勢を取り、あまりの痒さで呻き声を上げながらも必死に「おちんぽ様」と奉仕を懇願し続けている。
ああ。
これまでのように絶望して、全てを諦めて、感情も感覚も鈍磨させ外の自分に任せて無気力になれたら、どれだけ楽だろうか……
(だめ。それだけは……何があっても、選んじゃだめ……!)。
ふと過った誘惑を、72番は慌てて振り払い己を叱咤する。
この苦しさから逃れたいなら、やることはただ一つ。
やってきた人間様に媚び、アピールし、何としてもレンタルして頂くことだけだ。
もちろん貸出先でだって今まで通り絶望しかないだろうけれど、拡張訓練は行われない。
つまり少なくとも、ここに展示されているよりははるかにましな明日がやってくることが確定している。
……極限の絶望から多少ましな絶望へ、という意味ではあるが。
何より72番を無気力という魅力から遠ざけるのは、あの時自分を展示した人間様や調教師様が口にした、二等種を「正常」なまま永遠に使えるようにする技術の存在だ。
既に実用化していると聞いた悪魔のような技術を持ってすれば、耐用年数を気にすることも無く数多の人間様の視線の中で永久に晒し者にすることだって可能な訳で。
(苦しい、痒い、辛い、死にたい……ああ、人間様だ! 笑顔にならなきゃ……おちんぽ様、ご奉仕を……笑顔……っ!)
だから、ひとときたりとも気を抜いてはいけない。
C品の懲罰基準は、これまでより厳しくなると既に宣告されている。次に懲罰対象となったとき、自分が出荷される先は調教棟では無く、あの正面ロビーへの永久設置に違いない。
明日に希望が……壊れられる日が来るかどうかは分からない。
けれど少なくとも人間様のお役に立てないと判断されれば、私は永遠に希望を抱ける明日を失ってしまう――
狂いかけた頭に、あのどこか戸惑っているような、そしてちょっと悲しそうな声が響く。
その言葉は、今の自分には唯一の希望で……そして何より大切なお守りだ。
『全力で生きる限り、壊れられる明日はくるよ。いつか……ね』
(……そう、いつかは壊れられる。懲罰にならなければ、人間様のお役に立てていれば、私も壊れられる日が来る……!)
日に何度も、絶望の底で彼女はこの言葉を繰り返す。
ひとときの安らぎなど求めない。私が欲しいのはそんなおためごかしでは無い、本当の意味の永遠の休息――死なのだから……!
「うわ、すげー腹してるじゃんこれ」
「何か汁飛び散りまくってね? どんだけ腰振ってるんだよ、欲求不満か?」
また目の前に新たな人間様がやってくる。
嘲りの視線はいつだって彼女を傷つけ、心を削り取る。
それでも、今度こそは中身を増やされませんようにと祈りながら、72番は渾身の笑顔を浮かべ、己をせせら笑い絶望に叩き落とすであろう人間様に媚び続けるのだった。
その後、72番は優秀な見世物兼保管容器として、定期的に貸し出されるようになる。
穴としての本来の性能も新品と遜色ないと評判だったが、特に見世物としての適性は高く「懲罰」という言葉一つで大げさに絶望し、人間様を大いに満足させる性能を簡単に発揮する点が、利用者からは高く評価されたという。
――今日もまた、72番はどこかの空の下で壊れられる明日を祈りながら、その幼いかんばせに笑顔を貼り付けている。