沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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11話 思わぬ「覚醒」(前編)

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 シオン達が作業用品となって、1年が経った。

 性処理用品の調教及び管理という作業の特性上、捕獲以降何年も概念が消失していた「時間」というものがここには存在している。
 季節感が無いのは相変わらずだが、時が経つことを数えられるだけで生活には色が付くのだと、先ほど2体目の製品を出荷したシオンは何かを噛みしめるように辺りをぼんやり見回しながら待機室へと向かっていた。

(……数日内にはまた入荷が来るって話だったっけ……データ見ておかなきゃ……)

 尤も、本質的な生活自体に変化は無い。
 早番で固定されてしまった作業は起床のベルが鳴った瞬間から始まり、いつも通り管理官から与えられる指示に沿って、かつては同じ二等種だった素体を人間様の欲望を受け止めるだけの捌け口へと日々変質させていく。
 一日の作業が終われば、申し訳程度の運動と怒濤の洗浄後に保管庫へと自動で収納され、娯楽も無く収まることのない渇望に頭を焼かれた身体は無意識に部屋の隅にうず高く積まれた玩具へと手を伸ばし……そうして気が狂ったように己を慰め続けて、正気に戻すための電撃と共に一日を終えるのだ。

(ま、終わりは無いようなものだけどね……電撃を食らって気絶同然に眠りに落ちたら、次の瞬間には次の日が来ているようなものだし)

 このまま自分は、幼体の頃から変わらない殺風景な空間に閉じ込められたまま、人間様の道具として壊れるその日まで使い倒される。
 それでも時が経つことを感じ、老化を知らぬとは言えいつか訪れる「死」を予期できる――終わりを感じられるだけ、性処理用品より生きるのは楽かもしれない。

「あ、クミチョウさん」
「おう、久しぶりだなシャテイ」
「おーシャテイじゃん、どう?地下にも慣れた?」
「はい、やっと通話中の懲罰電撃も3回に1回まで減りました!」
「そ、そう……減ってもその頻度なんだ……」

 待機室に戻れば、そこにはクミチョウと125X、そして展示棟にいた頃に見たことがある先輩個体が歓談していた。
 どうやら彼女は今日から調教用作業用品として地下に配置されるそうだ。お前も後輩が出来たな! とクミチョウに言われれば、ちょっとだけ照れくささを感じる。

(あ……125X…………)

「…………」

 こちらに気付いた二体が柔やかに挨拶するのとは対照的に、125Xはシオンを認識すらしない。
 二体目の調教途中でシオンの調教用作業用品としての製造……つまり新人教育期間が終了したと判断した125Xは、運用規則通りクミチョウの手によってシオンに関する一切のデータをその筐体から消去されたのである。

 彼女はどれだけ自分達に近しいものを持っていても、紛れもなく人工物で――
 まるでお前らもこうあれと言われているようにすら感じるのは、考えすぎなのだろうか。

 ともかくその日以来、廊下ですれ違っても決して自分の姿を瞳に映さない125Xの姿にショックを受けていたシオンも、最近ようやっと現実を受け入れられるようになってきたところだ。
 ……と言っても、寂しさは消えない。
 たった半年ちょっととは言え、まるで彼女と過ごした時間を、無理矢理無かったものにされたかのようで。

「はぁぁ……125Xへの登録が終わったら、次は上に戻って新人どもの製品見学。その後は……懲罰体験をまたやらされるのかよおぉ……ってまさか、地下行きが出る度毎回!? あんの管理官、絶対人間様の皮を被った悪魔だぞちくしょう!!」

 どこか緊張した様子の先輩個体の横で、クミチョウはげんなりしている。
 二等種の健康状態は常に保たれているはずなのに、心なしか頬がこけ目の下にクマが見えそうだ。
 どうも彼は、その外見とは裏腹に面倒見がいいせいか、管理官様に何かと振り回されているらしい。パシリの気持ちはよく分かるから、ちょっと同情してしまう。

「上は昨日新人個体の入荷もあったしな。ったく、兼任なんてやるもんじゃねえよ……忙しすぎて頭がおかしくなりそうだ」
「あはは、大変ですね……」
「しかしまさか、去年の新人でシャテイだけが覚醒しないとはなぁ……俺ぁてっきりてめぇが一番に覚醒すると思っていたのによ」
「え、それじゃ」
「おう、一月くらい前だったかな。イーサンも『覚醒』したんだよ。あの引っ込み思案が嘘みたいに生き生きとして、製品を甚振りながら作業してるぜ!」

(そっか、イーサンも……自分だけが、未覚醒かぁ)

 久しぶりに聞く同期の話に、シオンは複雑な面持ちである。
 ここでも自分は少数派、取り残される側なのかと気が沈む一方で、それはそれで良かったのかも知れないと安堵を覚えているのも否定は出来ない。

 昨日、終業時に管理官様から呆れ混じりに告げられた事実を思い出したシオンは(性能が落ちないなら……その方がいいに決まってるから)と無理矢理自分を納得させるのだった。


 ◇◇◇


『流石はドマゾ変態個体だな。むしろ、そっち方面で早々に覚醒していたということだろうよ』
「うう……」
『何にせよ、お前が生涯覚醒しない事はこれで確定した。性能に変化が出なかったのはいいことだ、このまま良質な道具として使い倒されろ』
「……っ、は、はいっ……!」

 クミチョウのスパルタ(やけくそ)による指導のお陰で、管理官からの指示でパニックを起こすことはほぼ無くなったとはいえ怖い事に変わりは無いなと、通話が切れたことを確認し嘆息しつつ詩音達は画面を開く。
 毎度ながら心に突き刺さるようなやりとりの後に送られてきたのは、二等種の「覚醒」に関する資料だ。

 二等種は、生来非常に残忍な性質をその内に抱えている。
 他人の不幸は蜜の味、誰かの苦痛は愉悦でしかなく、まるで他者の恐怖と不安をエネルギーに生きているかのようだと、とある古代の研究者は自らも二等種により絶望の中で半生を過ごしながら彼らをそう評したという。
 実際二等種が地上で人間のフリをして暮らしていた大昔には、数多の人間が二等種の無自覚な言動により振り回され、争いを起こし、結果世界中で悲惨な結末を迎えるものが後を絶たなかったそうだ。

 現在二等種が地下に隔離され、徹底的な「躾」と心身に対する人権のかけらもない「加工」により人間離れしたモノへと変えられた上で人間様への絶対的な恭順をその魂の奥底まで刻み込むのは、全てその厄介な――人間からすれば恐怖でしか無い――性質を完全に押さえ込むためである。
 ちなみに、二等種の性質が表面化する……いわゆる「覚醒」はこれまでの研究により無処置の状態では平均すると15歳頃に、そして20歳までには全員に訪れる事が判明している。
 二等種の認定及び捕獲が12歳の誕生日に行われるのも、この辺の事情が関与しているらしい。

 こうして、完全なる無害化処置を受けた二等種は性処理用品として加工され、国家財政を潤しスケープゴートとして人間社会の治安を保つのに一役買っている。
 そして無害化に失敗した不良品は作業用品としてリサイクルされ、厳重な管理の下限られた人間だけが扱える危険物と見做されるようになるのである。

 ――そう、作業用品はそもそも無害化に失敗している。
 つまり、押さえ込めなかった性質が花開く可能性が高いと言うことだ。

「……作業用品の場合は、7-8割が覚醒。不完全だけど無害化処置は受けているから覚醒しない個体もいる。覚醒する個体は全て作業用品になって1年以内に覚醒する、か……」
「そりゃ覚醒もすると思うの。だってさ、地上の管理にしたって地下の調教にしたって……あれじゃ、ね」
「うん、むしろ覚醒させたいんじゃないかって思いたくなる」

 管理官から覚醒の可能性が無くなったことを告げられた至恩達が真っ先に抱いた感想は、概ね当たっている。
 無害化できないならその性質を利用して、より良質な製品を製造・管理させればいい。彼らを御する人間は、高度な魔法の素質を有するエリート達ばかりだし、更に直接接する機会も制限されているから被害に遭うことはほぼ無い――実に人間様らしい合理的な考えであろう。

 なお、覚醒しないごく少数の個体については、基本的には管理用作業用品として生涯使われることになる。調教用作業用品として使用するには、個体の精神的負担が大きくなるためだ。
 とはいえ、調教用作業用品の適性を見出される個体はそもそも少ないため、結局は精神を保つための薬剤や魔法を増量して無理矢理使うことが慣例と化しているのだが。

「『だが、お前のようなマゾブタにはそんな処置すら必要ないだろう?』なんて言われたよね……」
「管理官様、僕らを無敵の人か何かと勘違いしてるんじゃ……マゾは決して無敵じゃ無いんだよ……?」
「ホントだよね! 私達にだって地雷はあるんだから! ……ま、ちょっと雑食気味なのは認めるけどさ」

 ……しかしどうも管理官は、この高性能な変態個体については特別な対応は必要ないと、あっさり判断したらしい。
 性器従属機能の実装時こそストレス値が跳ね上がるが、それ以外は至って健康、むしろ覚醒している個体より生き生きしている――そんな現実に調教管理部が「さすが前代未聞のド変態個体」と不名誉な賞賛を与えていることなど彼らは知る由も無く、二人は「もうちょっと丁寧に扱って欲しいよねぇ」と愚痴りながら、今日もお気に入りの動画を流し始めるのである。


 ◇◇◇


 そんな単調な日々でも、彼らが殊更楽しみにしている作業があった。
 それは

『おい変態マゾブタ、残念なお知らせだ。すぐに準備して実技検査に入れ。終わればすぐに入荷品を取りに行け』
「っ、はいっ! ぃやったあ久しぶりの貞操帯いぃ!! うぎゃあぁぁっ!!」
『……そうか、明日の朝までエンドレスで懲罰が欲しいというならすぐにでも効果音を』
「もっ、申し訳ございませんっ!! いだいいだいいだいっここでは喜びませんから止めてえぇぇ……!」

 ――性器従属機能実装後の、実技検査である。

 性器従属機能は、素体を10日間かけて重度の性器依存へと貶めることにより製品の質を一定に保つ事を目的としている。
 実装された素体は、以後ありとあらゆる性器を五感で感じることをトリガーとし、強制的に思考を上書きされ、まるで性器の下僕であるかのように振る舞い、恋人のように睦言を囁き、中毒患者のように奉仕を懇願するようになる。
 ――その内心がどれだけ拒否していようと、決して抗うことは出来ない。それどころか素体の意思は肉の中に覆われ、無かったものとして扱われる。

 詩音たちにとって、存在そのものを無視されるに等しいこの機能の実装自体はまさに「地雷」ではあるのだが、その後に待つ実技検査は別であった。
 検査では性器を見せたときの反応を確認するため、この検査に参加する作業用品はあらかじめ貞操帯により性器を封じた状態で素体と接見し、目の前で開陳するというプロセスを実行する必要があるのだ。

「うぅ……ちょっとくらい楽しんだっていいじゃん……管理官様厳しすぎぃ……」

 文句を言いつつも、詩音の足取りは軽い。
 だって、ごく短時間とは言え憧れの貞操帯を着けられるのだ。そりゃもう、短時間過ぎて「身につけた」以外の体験も満足感も得られやしないのだが、それでも保管庫でカタログを見ながら、もしくは作業のために貞操帯を身につけた個体を指をくわえて眺めながらいるよりはずっといい。

「ナコさん、実技検査入ります」
「あ、貞操帯ね。はいはい、着けるから足を開いてー」

 物品転送室に行けば、既に貞操帯は届いていたらしい。先に装着を終えたオス個体が「あーもう着けるだけでイライラするわ……」とうんざりした顔で部屋を去って行く。
 何て勿体ないことを、と思いつつも詩音はナコの前で恥ずかしげも無く大股を開いた。

「ぶっ、相変わらずシャテイはずぶ濡れねぇ! あたし達、作業中は余計なことを考えなきゃそこまで濡れないように操作されているのにさ」
「えへへ……ほら、つい」
「まぁ、調教なんてやってたらどうしたって興奮するよね! 分かる分かる」

(そっちじゃ無いんだけど……まぁ誤解してくれてるのはいいことよね!)

 ナコは手慣れた手つきで、ひんやりした金属のパンツを股に沿わせる。
 二等種の体型には個体差がほとんど無い。そのせいか、ここで使われている簡易的な貞操帯は洗浄滅菌だけして使い回しである。
 詩音も胸の大きさこそちょっぴり控えめだが、腰回りはどうやら他の二等種と大差ないらしい。流石に至恩はガタイがいい分、ちょっと窮屈だと言っていたっけ。

「痛くない?」
「はい」

 貞操帯の股の部分は二重構造になっていて、内側の金属パーツに開いたスリットに股間の中心を押しつけるような形だ。
 大事なところがスリットで傷つきそうに感じるが、流石にその辺はきっちりと作られているのだろう、これまで痛みが出たことは無い。でもどうせなら、外側の自慰防止板は取り外せるようになってる方が好みだといつも思う。

(ほんと、あっけない……)

 カチン、と響く音に詩音はちょっとだけ残念な気持ちになる。
 装着時間は精々1時間。すぐに外されることが分かっている貞操帯では、施錠の音もどこか軽く感じて、妄想のようにはいかないものだ。
 ああ、ちょっと手違いがあってこのまま数日着けたままになればいいのに……なんてつい不謹慎なことを考えてしまう。そう、思うだけなら懲罰にはならないから。

「はい、できあがり。そのまま奉仕実習にも入るなら、装着用の疑似ペニスを持っていくんだよ」
「あ、今日も検査だけです。終わったらすぐに入荷素体の保管庫輸送って……」
「マジか。ほんっと、あんたも管理官様に目をつけられてるせいで随分こき使われているわねぇ……気の毒に」

 ナコに礼を言うと、詩音はいつも通り矢印に沿って今日の実習室へと向かう。
 ……短期間とは言え、金属に戒められた己の股間を眺めるのは実に気分がいい。うっかりすると、恥ずかしい汁が糸を引き床に垂れるくらいには。

 コンコン……

「……ふふ、触れない……」

 詩音はうっとりした顔で、とん、とん、と指で恥骨の辺りを叩く。
 この下には、親指の頭くらいに育ってしまった肉芽が収まっている筈だ。
 散々ネットで見た画像だと、人間様のここは豆粒よりも小さくて通常の自慰防止板ですっぽりと隠れてしまうようだが、この貞操帯の場合は二等種の異様な大きさを包み込むためにスリットの前方がやや広く、また自慰防止板には少し窪みがつけてあることも、じっくり観察して確認済みである。

 外から叩いたところで、振動がわずかに伝わるもののとても快楽には繋がらない。
 もどかしすぎる刺激に、ぞくりと背中に何かが走って、一気に詩音の興奮が高まる。

「はぁっ……こんなんじゃ絶対満足できない……ああ、触りたいっ、でも触れないぃ……」

 とんとん、とんとん……
 歩きながら報われない動きを繰り返し、全てが徒労に終わる事実を突きつけられれば更に熱が上がる。
 実習室までのわずかな時間だけ楽しめる、貞操帯に閉ざされたというシチュエーションは渇望を深めるはずなのに、心はどこか満たされて……堪らない……

 バチン!! バチバチッ!!

「ぐ……っ……いだいぃ……うう、ご指導ありがとうございますぅ……」
『それはお前の変態稼業の玩具じゃ無いと、何度言えば分かる?』
「ひいぃ……ごめんなさい……」

 けれど、そんな些細な楽しみすら、この管理官にかかれば懲罰対象と化してしまう。
 首輪から放たれた青白い光にその場で直立して悶絶する詩音の手は、謝罪の言葉と共に名残惜しげに股間から離れていった。

(あーあ、今回もこれだけかぁ……)

 自分がただの作業用品で、人間様の道具に過ぎない事はよく分かっている。
 分かっているけど、周囲の作業用品達が趣味と実益を兼ねた使われ方をしているだけに、詩音は時々懲罰のことを忘れて叫びたくなるのだ。


「供給が! 圧倒的に! 足りない!!」と。


(でも、そんなことを口にしたら……うあぁまた管理官様のエンドレス説教があぁぁ)

 度重なる懲罰の苦痛を思い出しぶるりと身を振るわせた詩音は、足早に実習室へと向かう。
 そして溜め込んだ不満は……きっと至だって同じだから、今夜は二人で愚痴大会をしながらお気に入りのサイトを眺めて鬱憤を晴らそうと、心に誓うのだった。


 ◇◇◇


 案の定、保管庫に戻され顔をつきあわせた瞬間「もうちょっと堪能させてくれたっていいと思う!!」と声を揃えた二人は、あまりの怒りに日課の自慰すら忘れて管理官への文句を垂れ流しつつ、いつものようにお気に入りのコンテンツを眺めていた。
 保管庫の中での言動に関しては、これまで以上に管理官の懲罰基準は緩くなっているようだ。流石に明確な反抗となれば別だろうが、少なくとも性癖に関わる愚痴を壁に向かって投げている分にはお咎めを食らったことは無い。
 
 ……そもそもこの状況は、監視カメラの向こうからは虚空に向かって表情を変えながら叫ばれるただの独り言でしかないのだ。
 一人で笑って泣いて怒って幻覚と延々会話をしていれば、気味悪がられるのも仕方が無いと、大人になった至恩達は良く理解している。

「……おねだりを始めてからさ、もう一年経ったんだよねぇ……」

 嘆息する詩音が眺めるのは、いわゆる大人の玩具の供給サイト、通称「ショップ」だ。
 作業用品となった当初、明らかにハード且つ性癖に偏ったアイテムが大量に追加された事に狂喜乱舞したのも、今となっては懐かしい思い出である。
 ただ、この1年でさらに商品ラインナップは充実したが、あれだけ検索をかけ続けおねだりをし続けているにもかかわらず、貞操帯が入荷される兆しはどこにも見当たらない。

「貞操帯はさ、多分僕たち以外に希望する個体がいないんだろうね」
「だよねぇ……はぁ、まさかほとんどの作業用品は覚醒して嗜虐嗜好に目覚めるだなんて、思いもしなかったよ……」

 そして彼らは、ここに来てようやく気付かされる。
 二等種が被虐側の性癖を持っていることは、ほとんど無い。最大8割が覚醒するなら、被虐嗜好の二等種は多くても2割、その中で更に貞操帯が刺さる個体などまず存在しないだろうということに。

 ――実際には、覚醒しなかった最大2割の中に被虐嗜好の個体は有史以来存在しなかったのだが、その可能性は二人の頭から無意識に排除されている。
 だって、自分は少数派なのだ。人類の約0.5%に相当する二等種で、その中でも幼体時に処分されずかつ無害化処置に失敗した約13%の不良品で、さらに覚醒しなかった2割に入る……この段階で、もう計算するのが嫌になるくらいの確率だったのだから(もちろん計算した。0.013%なんて、あんまりだ!)
 なのに更なるレア物かもしれない……地下に於いてさえ仲間はずれだなんて気付いてしまったら、流石のポジティブな至恩達でも耐えられなくなりそうで。

「これも無駄な作業なのかな」と最近では諦めが過ることもあるけれど、検索バーに貞操帯関連の言葉を打ち込む手は止まらない。むしろ今日は、いつもよりキーボードをタップする指に怨念めいた力がこもっている様な気がする。
 何度調べても「検索結果は0件です」と表示される無味乾燥な画面に「むしろここまで来たら諦められないよね」と隣で画面を見つめる至恩の目は、完全に据わっていた。

「作業で絶対に使うのに、何でショップには並ばないんだろうね。別に備品をちょっと個人持ちにしてくれればいいだけの話じゃん」
「ほんとだよね、人間様の考えることはよく分かんない……あ」
「どうしたの、詩?」

 同じく「欲しいなぁ……自分だけの貞操帯……」と隣で目を血走らせ鼻息荒く検索を続けていた詩音が、ふと手を止めた。
 何事かと思えば「……こうなったら有用性を伝えようよ」と大真面目な顔で呟いている。どうやら沸騰した頭は、とんでもない方向に舵を切り始めたようだ。
 彼女にとっては、どうやら今日の仕打ちは相当ご不満だったらしい。そして、こうなった詩音の暴走は至恩では止められない。

 ――当然ながら、至恩だって止める気は無いけれど。

「ほらいつもはこんなのが欲しいですって希望だけを検索してたでしょ?じゃなくて、貞操帯が私達にどれだけ役立つかを検索に打ち込んでみたらどうかな」
「……それ、管理官様見てくれるかなぁ……」
「だいじょぶだって! だってクミチョウさんだって言ってたじゃん、実家で使ってた拷問器具の話をしたら、それを聞いてた数体が是非欲しいって散々検索して、ついでに天井に向かって調教効率が上がるってアピールしながらおねだりしたお陰で、正規の備品として配置されたって」
「それは作業に役立つからだったんじゃ……ああでも、僕らも貞操具や貞操帯を着けた方が性能が上がるって主張したら」
「ね? 何故か私達、高性能作業用品ってことになってるしさ! 検索機能を使って必要性を訴えて、ついでに理想を叫べばきっと管理官様も分かってくれるって!!」
「それ、いいね!!」

 二等種は、加工により原始的な欲望に弱いというか、本能にとても忠実である。
 さらに、本当の名前を奪われず多少の魔法抵抗力を残している至恩達には、一般的な天然モノよりは思考力が残っているとされる堕とされ並み、いや、性癖でブーストされている分余計に頭が回るようになっていて。

「あ、検索バーって小さいのにいくらでも文章を打ち込るんだ……ふふっ、こうなったら根比べだね!」
「うん、貞操帯を手に入れるまで、絶っっ対に諦めないんだからぁっ!!」

 すっかりやる気モードになった二人は、各々の世界の検索機能に向かってありったけの思いを書き連ねる。
 それ以来、保管庫に戻れば餌もそこそこに、そして時には股間に何かを被せたり凶悪なものを咥えたりして悩ましい声を上げながらも「どうせおねだりするなら一切妥協はしない」とばかりに、貞操帯の良さを効能を互いの理想を交えて熱烈にアピールする日々が始まったのだった。


 ◇◇◇


 それから1ヶ月後。
 調教管理部では、いつものようにどことなく緩い雰囲気のミーティングがそろそろ終わろうとしていた。

「……まあ、こんなもんだよな」
「ですね。まあ、落ちこぼれ保護区域の汚名返上には時間がかかるでしょ」

 シオンのお陰で久々のS等級、さらに続けてA等級を排出したとは言え、たった一体の高性能作業用品だけでは品質の高い製品を量産するのは限界がある。
 さりとてこの作業用品の高性能の理由が二等種にはあるまじきベクトルを持つ「変態」である以上、再現性が無いのも事実で……結局ここ保護区域Cの調教管理部としては新しく配備された125Xの教育性能に期待、というのが実情のようだ。

 じゃ、これで終わりにと久瀬が声を上げようとしたとき「ちょっといいかな」と小さな掌が挙がった。
 高い声の主は、保護区域Cの区長――央である。

「ええ、どうぞ。……何かうちが粗相でも?」
「ああそういうわけじゃ無いんだけどね。……あの変態個体の次の検分を、ボクがやってもいいかな?」
「!?」

 突然の申し出に、部屋の中がざわつく。
 虚を突かれた久瀬が口を開く前に、隣に座っていた副部長が「か、鍵沢区長。正気ですか!?」と大声を上げた。

「あ、いえ、区長が取扱資格をお持ちなのは承知していますが……よりによってあれと直接会うなど危険すぎますよ!」
「危険は承知の上さ。前々から久瀬部長には了承を貰って、あれをボクの研究材料として観察していたんだけど……やはり実際に手を加えてみないと分からないことがあってね。一度直接会う必要が出てきたんだよ」
「ああ、そう言えば部長がそんな話をしてましたっけ……監視の目が増えて助かるとか何とか」
「あはは、とはいえボクは見てるだけだから、何の役に立っているか分からないけどね!」

 央の研究のためならばと、管理官達は申し出をあっさり了承する。
 もちろん、検分の際には十分なバックアップ体制を敷くとの久瀬の言葉に「助かるよ」と央はいつもと変わらぬ笑顔を向けた。
 他の管理部と異なり、調教管理部の央への態度は随分柔らかい。これも調教部長である久瀬のお陰だろう。

「……見てるだけで充分っすよ、そもそも俺らがあの変態個体を目視する事は……ん?前回はいつだったか」
「部長が見てないなら、無いですね」
「マジかよ、前回見たのはリペアの直後だぞ」

 元々作業用品の監視は、作業中こそ目視が入るが普段はシステムによる自動監視任せである。
 たまに目視チェックもしている、とはいえわざわざ作業用品の中でも異端かつ初期管理部の面々を散々困惑させ、精神科の門を叩くスタッフを複数発生させた変態個体を確認したいと思う管理官など、いるわけがない。
 つまりシオンの保管庫での動きを知る者は、実質システムと、研究のためと銘打ってしょっちゅう様子を覗いていた央だけだったりする。

 その話を聞いた央は「うん、そんなことだろうと思った」と苦笑しながらあるデータを久瀬の端末に送信した。

「それならボクも少しは役に立てるかもね。久瀬部長、ちょっとこれを見て欲しいんだけど」
「……ん? 何ですかこれ? もの凄い数字とグラフが並んでるんですけど……ログ?」
「そう。それさ、二等種用性玩具供給サイトのシステムログなんだけど……実はこの1年、検索ログがもの凄い勢いで増えているんだ。それも特殊監視棟……作業用品の保管庫からのアクセスで、ね」
「検索ログ」
「ちなみにここ1ヶ月に限れば、前月の3倍になってる。ボクも最近気付いたんだけど、あのサイトの検索フォームってさ……無制限に文字を打ち込めるんだね」
「え」
「それを利用して……ちなみに発信元は……うんまあその案の定というか一体で」
「…………はあぁぁ、どこまで変態をこじらせてやがるんだ、あいつは……!」

 本来、検索フォームに記入されたキーワードはAIにより分析対象として収集され、これを元に各種コンテンツの内容をより個体にあったものへと調整するために用いられる。
 だがどうやらこの変態個体は、それを逆手にとってありったけの願望(性癖)をフォームに延々と送りつけているのである。
 ……当然ながら、一般的な二等種に特化したこの分析システムが存在自体が想定外な個体の行動に対応できるはずも無く、ログディレクトリの中には方向性はともかく純粋な願望とAIの苦闘の足跡、さらにエラーメッセージが今も積み上がり続けているという。

 これではいつぞやのように、この保護区域のシステムをフリーズさせかねない――

 思いもかけない事態に、久瀬は机に突っ伏して「どうせ貞操帯が欲しいとか何とか書き連ねているんだろう……あのクソドマゾ野郎が……」と恨み言を垂れ流し始めた。
 周囲の管理官達も「一人でこのログ量を稼ぐとか」「てか文字数多すぎてサーバ側でエラー吐いてない……? 一体どれだけ書いたのよ」「聞くな、見るだけでこっちの精神がおかしくなる」とドン引きである。

「いや……まさか二等種にそんな長い文章が打てるとは」
「リペアの提案書だって精々数百文字ですからねぇ。で、検索フォームには……はあぁ? ちょっとこれ1回に5千字近く打ち込んでませんか!?」
「しかもこれ、コピペじゃ無いんですよね!? 毎回この文字数を打ってるとか……変態も極まると狂気を感じるわ……」

 どうやらこの問題の根本原因は、開発者が検索フォームの文字数制限を実装していなかったせいらしい。
 いやしかし、普通こんな小さい改行も出来ないフォームに長々と文章を書き込むなんて人間ならそうそう思いつきやしないし、二等種にしたってこれまでそういった事例が無かったのだから、こればかりは毎度おなじみ稀なる変態による斜め上の所業のせいだと彼らは結論づける。

「くそっ、やはり人間はいつまで経っても二等種に振り回される運命なのか……!? 頼む、誰かもう部長を変わってくれ……」
「無理です部長、諦めて下さい」
「むしろ定年超えても延長雇用で、あれが壊れるまで部長でいて欲しいです」
「おい、お前らには慈悲って言葉が無いのか? 平均耐用年数から行けばあと30年はあるぞ、俺今49なんだけど」
「大丈夫、部長ならしぶとく生きてるから」
「ひどい」

 突っ伏したまま動く気のない久瀬に「それでさ、対応策なんだけど……」と央が申し訳なさそうに話しかける。
「いや……区長が責任を感じる必要はないですよ……」といつも通り久瀬は央を庇ってくれるけど、流石に顔を上げるだけの元気は無さそうだ。

「ちょっと実験絡みで、あれに物を与える必要が出てきたんだ。それで……あれに貞操帯を与えてはどうかなと」
「…………その心は」
「まあ、他の物でもいいんだけどさ。……このログ、あれが念願のブツを手に入れるまでは止まらないと思うんだ。おねだりもだけど、最近じゃ自慰すらおざなりになるレベルでこっちに没頭してるし……」
「なるほど……渇望も性癖を満たす原動力に変えていると」
「だね。検索機能の修正をしたところで、ログは増える一方だと思うんだ、それこそ回数で勝負、みたいになるとボクは踏んでいる。それならもういっそのこと貞操帯を与えて、作業で必要なときは外させるように持っていけば、それほど性能面で問題は出ないと思うんだけど」
「あーうんそれはそうっすね、もうそれでいきましょう、俺はもう何も考えたくない……」

(あーなんだか悪いことをしちゃったかな……ごめんね久瀬部長。でも、ボクはやっぱりシオンの世界を……あのおとぎ話を信じてみたいんだ)

 今日は解散、と突っ伏したまま手をひらひらする久瀬に「うん、今度何か美味しい物でも食べに行こうよ」と慰めの言葉をかけた央は、どこまでも変態を貫き無自覚に人間を振り回すシオンに「確かにキミは二等種だよ……」とがっくり肩を落としながら、しかしこれで一つとっかかりが出来たと足早に区長室へと戻るのだった。


 ◇◇◇


 研究のためという言葉に嘘は無いが、全く下心が無いかと言われれば否である。
 地上にいた頃だって、彼らは本当に欲しいものをずっと手に入れられなかったのだから……せめてこの無機質な牢獄の中で目覚めたささやかな願望を、ほんのちょっとだけでも叶えてあげたいと思うくらいは許されるだろうか。

(……いや、これ全然ささやかじゃ無いよね!!)

 時折絶頂しながらでも意地でタブレットに手を伸ばす姿を何度も見てきたから、シオンが貞操帯という奴に並々ならぬ情熱を注いでいる事はよく分かっている、つもりだった。
 しかし本当の意味では理解していなかったことを、区長室で貞操帯について調べながらたんまり貯まったログとこれまでの映像を分析していた央は、すぐに思い知ることになる。

 たかが貞操帯、されど貞操帯。
 央にとっては「何か大昔に貞節を守るだかって理由で作られて、今は二等種管理で主に使うけど人間の中にも愛好家がいる変態系えっちグッズ」くらいの認識だったブツに、まさかこれほどの種類があるだなんて思いもしなかったのだ。

「えええ、オス用は貞操帯だけじゃなくて貞操具ってのがまた別にあるのかい……? 至恩は貞操具って書いてたからこっち……って、なんだいこの検索結果!! 素材も形も多過ぎじゃない!?」

 至恩の世界の央は、早速貞操具の洗礼を受けていた。
 貞操帯と言えば、作業用品の備品や懲罰道具として使っているいわゆるパンツ型で、ペニスを内側の筒の中にしまい込むものとしか認識していなかった央には想像もできないような形の貞操具が、ずらりと目の前の画面に表示されている。

 貞操具とは、基本的には固定用のパーツに陰嚢とペニスを通し、そこにペニスを覆うパーツを取り付けて固定することで自慰を禁止する装具らしい。
 中には不心得者が隙間からペニスを抜かないように、亀頭の根元から尿道に向かって穴を開けて棒を差し込むなんて機構もあって、央は冷や汗をかきながらスカートの下ですっかり縮こまった己の陽物を思わずぎゅっと握りしめていた。

「ひいぃ……見てるだけで痛い……キミ、何でこんな物騒な器具が好きなんだよ!? こんなものを着けて過ごすとか、どう考えても拷問以外の何物でも無いじゃないか……!」

 ああ、ふたなりの身体というのは全く不便な物だと嘆息し、しかし貞操帯(彼の場合は貞操具か)を与えると宣言した手前やるしかないのだと、央は涙目になりつつ至恩の希望する製品を夜遅くまで探し続ける。

 一方。

「……ダメだ、ボクには全部一緒にしか見えない……大体どう言う構造なんだいこれ!? ああもう、せめて360度自由に回転させて確かめたいのに!! この業界じゃ、そう言うのはあまり公開しないものなのかい!? これじゃ、詩音が求めてる形がわかんないよ!!」

 詩音の世界の央は、調教管理部から借りてきた貞操帯と表示されている商品の違いを何とか調べようと悪戦苦闘していた。
 早い話が、股間をスリットの開いた金属のベルトで覆うことで、排液(敢えて尿とは書かない)機能を担保した状態で挿入を不可能にし、その外側に着けた自慰防止板でそもそも股間に触れることすら禁じる――そこまではこの金属のふんどしのような物体をこねくり回し、何なら自分の股間にも当てて理解した。
 ……理解したのだが、検索で出てきた貞操帯は何故か施錠している位置が複数箇所あったり、場所もまちまちだったり、詳しい構造がいまいちよく分からない。小さい画像をひたすら拡大したって、ただの平面画像じゃ魔法で補助して再現するにも限度がある。

「……っ! もう、何やってるんだいボクは……こんなところに顔を突っ込んで……!」

 あまりに夢中になって、内側からクロッチ部分を鼻が付くほどの距離で観察していた事に気付いた央は、真っ赤になって慌てて顔を離した。
 自分としたことが、無意識に何を想像していたのだろうか。ズボンの中は痛いほど盛り上がっているし、なにより違う穴からの分泌物も混じって下着はぐっしょりだ。両方から濡れるだなんてこんな姿、誰にも……詩音には特に見られたくない。

「はぁ、一度頭を冷やそう……とにかく分かった範囲でプロトタイプを作って、詩音の目に触れるようにしなきゃ……」

 区長室の隣に設けられた仮眠室で央はシャワーを浴びる。
 ……昔詩音が話してくれたことによれば、トモダチの世界にもこっちの世界と全く同じ容姿を持つ同じ名前の人間がいて、これまた全く同じ言動をするのだという。
 つまり今頃、トモダチの世界の央も、頭から煙を噴きそうになりながらシャワーを浴びているのだろうか。

「でも、妥協は嫌なんだよ……至恩が着けるんだし、さ」
「どうせならさ、詩音に一番刺さる貞操帯を与えたいんだよねぇ……」

 きっと調教管理官達なら、作業用品用の貞操帯を彼らのサイズに合うよう調整するだけで終わらせるのだろう。それですらこの変態は喜ぶに違いないからと、せせら笑いながら。
 そして多分シオンは彼らの思惑通り、多少希望とは違ったって貞操帯を手に入れたことを喜ぶに違いない。

(それがきっと「人間様」として正しい姿なんだ)
(分かってる、研究のためといいながら……これはただのボクの……身勝手な押しつけさ)

 頭からシャワーを浴びながら、すっかり火照り猛った身体を見下ろし、央は大きなため息をつく。
 小さくとも、立派な大人の身体。二つの性を兼ね備え、類い希なる魔法の才覚を授かった、誰もが羨む存在。
 この小さな掌は、望めば大抵の物を掴み取れる。

 けれど本当に望むモノは――

「「ホント……お互い、苦労するよね……」」

 全く、シオンが二等種でさえ無ければこんなことにはならなかったのに――

 力なく頭を振りながら、央はぬるついた身体を丹念に洗い清める。
 互いを気遣う言葉が、互いのシャワーブースで同時に響いたことなど、当の央は知る由も無かった。


 ◇◇◇


 数日後。
 作業を終えいつものように「おねだり」をしようとタブレットの電源を入れた至恩達は、ホーム画面に表示された新着サイトのバナーに目を奪われた。

「……へぇ、新しい貞操帯のサイトだ……エロサイトにしては珍しくおしゃれな感じだね」
「あ、これいいかも! いろんな貞操帯のプロトタイプと構造説明がぎっしり」
「どれどれ……うああすごいっ、僕の方は貞操具もあるんだ! これは見応えあるなぁ……」

 新たなお宝発見に、二人はほくほく顔である。
 早速閲覧のお供になる玩具を用意しつつ、隅から隅までページを丹念に眺めていく。

「よし、食いついた……上手くいってくれよ……?」

 その様子を画面の向こう、区長室で固唾を呑んで様子を見守るのは。それぞれの世界の央だ。
 この数日、食事も睡眠もキャンセル気味な生活を送って収集した知識といくつかのプロトタイプを載せたサイトを提示することで、シオンの反応とフィードバックを得ようという作戦である。
 
 ちなみにプロトタイプは、敢えて多種多様な既存の製品の中に混ぜ込んだ。
 1年分にわたる膨大な「おねだり」の情報を分析して出た結論なのだ、それほど彼らの守備範囲からずれてはいないだろうが、念には念を入れるに越したことは無い。

 ……なんたって相手はシオンだけど、前代未聞のドマゾ変態二等種なのだから。

 真剣にサイトを眺めながら「このタイプが好きかな」「あー着けるならこれかこれがいい」と呟かれる独り言を、央は一言も聞き漏らさずメモに取っていく。
 きっとシオンは(あれが幻覚であるならば)トモダチと互いのサイトを見せあいっこしながら話している、という設定なのだろう。

 トモダチに向かってまだ幼かった頃のように柔らかな笑顔で熱っぽく話す姿に、央の胸は少々穏やかでは無い。

(最後にあんな笑顔を向けてくれたのは……もう思い出せないや。まして今のボクは「人間様」だから……)

 自分は人間。ふたなりと呼ばれる希少な性による魔法の才能を持つ、生まれながらにこの世界のエリートになることが約束された身。
 シオンは二等種。魔力を持たず人類にとっては災禍と見做され、それ故に世界の底辺にいることすら許されず、使い捨てられるだけの存在。

 ――どう足掻いてもその溝は埋まらない。その笑顔が央に届くことは無い。
 シオンが自分に向けるのは、圧倒的支配者に対する恐怖と緊張に満ちた恭順のみだ。

(……いいんだ、それでもキミの笑顔が見られるなら……いや、それでも変態はちょっと勘弁して欲しいけど……)

 しんみりした思いに耽りつつも、央はシオンの様子をじっくり観察する。
 どうやらこちらの意図したとおり、シオンは央の渾身の試作品へと辿り着いたようだ。「やっぱりこれが好きだなぁ」とうっとりしながら装具の画像を眺めている。

(……シオン…………)

 ああ、その顔を見れただけで、この3日間ほぼ徹夜した挙げ句久瀬からの差し入れを不注意にも口にして悶絶した甲斐があったものだ。
 誰が「これなら辛くなくて、お子様舌の区長でも食べられますから」だ、後で見たらパッケージに思いっきり「スパイシー」って書いてあったじゃないか。

「うん、僕はこれが一番好きだな、ありきたりだけど」

 目を輝かせながら至恩が選んだのは、スタンダードなフラット貞操具だ。

「へぇ、そういうのがいいんだ。フラット貞操具だよね? マイナスじゃ無くてただのフラット?」
「うーん、マイナスって言っても表から見た分には同じだしさぁ、僕はそこまで惹かれないかな。抑えるシールドもこれならちんちんが綺麗に隠れそうだし……こんな状態で興奮したら絶対辛い……っ、あはぁ出ちゃった……」
「あんまり出してると、サイト見てるどころじゃ無くなっちゃうよ?」

 これなら市販のモデルを至恩のサイズに合わせて少し改造すれば行けそうだと央は安堵する。
 ……その手は、相変わらず縮こまった股間をぎゅっと押さえているのだけれど。
 ほんと、貞操具というのは見るだけで股間に悪い。これを最初に思いついた人は、きっと悪魔だと思う。

「私はこの中なら……これかなぁ。ちゃんとスリットにラビアを入れてから自慰防止板を被せる形になっているのがいいし、お尻のシールドがあるのもポイント高いよね! もうありとあらゆる穴に何一つ挿れさせないって言われているようで……うふふ……」
「詩、気をつけないとまた鼻血出ちゃうよぉ」

 一方詩音は、アナルシールド付き、かつウエストベルトの内側がシリコンで裏打ちされたタイプが好みらしい。
 彼女は気付いていないが、アナルのシールドの中心には接続口があって、外部から浣腸用の細いノズルをそのまま接続できるようになっている。これなら保管庫の給餌システムも既存の物が流用できそうだと、こちらの央もほっと胸をなで下ろした。

((そうだよね、キミはそれを選ぶよね! ふふっ、ボクの目に狂いは無かった……!))

 目の下にクマを刻みながら、両方の世界の央は頬を緩ませている。
 これで調査は終了だ。後はシオンが気に入った製品を開発研究部に依頼して作って貰えばタスクは完了だ。

「「……でもさ」」

(え?)

 ……しかし、流石は変態二等種。そうは問屋が卸さないらしい。
 帰り支度を始めたはずの央の手がシオンの声にピクリと止まる。

「基本的にはフラット貞操具がいいんだよ、そう、こう言うのが……たださ、一つだけ貞操帯のほうがいいとこがあってさ」
「いいとこ?」
「うん、これ」

 至恩が指さしたのは、貞操具の上部。固定用のパーツとペニスを押さえつけるパーツを合わせ施錠する、フラット貞操具では一般的なパーツだ。
 これ、確かにロックできるんだけど……ちょっとちゃちいんだよねと至恩は口を尖らせる。

「やっぱりさ……施錠は南京錠をカチンと音を立ててされる方が……グッとこない?」
「来る。あの音とビジュアルは至高。ロック方法自体は色々あるけど、敢えて採用したくなるよね、あれは」
「だよね!! 流石詩、分かってるぅ!」

(……へっ? たかが鍵だよね? 開かなければ何だって良いじゃ無いか、何を言っているんだいキミは!?)

 熱っぽく隣の空間に語りかける至恩のフィードバックが……いや、フィードバックが得られるのは大切だ、大切だけどそのこだわりが全く理解できなくて、こちらの央は画面の前で凍り付いている。

 一方、詩音の方はというと。

「普通のもいいけど、せっかくだしドーム状になってるやつを着けてみたいかな……」

(…………はい?)

 フィードバックと言うよりは、唐突な仕様変更を提案してきたようだ。

「ドーム状? ああ、いつだったか偶然見かけたサイトのやつかあ」
「そう! どうしてお気に入りに入れなかったのか、ホント悔やまれる……ほら、あれなら我慢できなくて触ったときの振動が、このタイプより伝わらなさそうなのよね。何より……備品と違う形が気になるの。どうせならいろんなタイプを堪能したいと思わない?」
「あー分からなくは無い……僕もフラットに慣れたらそう思っちゃうかも」

(ち、ちょっと待った! いきなりの方針転換? しかも、一度しか見たことがない、まして着けたことなんて無いから試しにって……そんな適当な理由で!?)

 女性というものは元来気まぐれだと言うけれど、それにしたって限度というものがあろうと、詩音の世界の央は大きく息を吸って

「「どれだけ煩悩に塗れたこだわりを追求するんだよ! んもう、キミってやつは!!」」

 ……ようやく我に返った至恩の世界の央と共に、画面に向かって思わず叫ぶのだった。


 ◇◇◇


「いやそこはどうだっていいじゃないか至恩、キミは妥協って言葉を知らないのかい!? ああもう、その様子じゃトモダチも大賛成なんだね、この変態強化幻覚め!! 大体フラット貞操具に南京錠のロックの組み合わせなんて、どこにも見つからないんだけど……つまり、ボクが南京錠を使った新たなロック方法を考えろって事だよねこれ!!」
「ちょっと待ってよ、キミさ、これが好みだってこの一年ずーーーーっと言ってたじゃ無いか! 今までのキミの熱い語りは一体何だったんだい!? ……くそっ、こうなったらキミの希望を叶えた上でそれを上回る物を作ってみせるからね、覚悟しておくんだよ詩音……!」

 それぞれの世界でひとしきり画面の向こうに怒鳴りつけた央は「これだから二等種は」とぶつくさ文句を言いつつも、更に数日かけてようやく彼らのご所望のブツを完成させる。

 それから1週間後。

 相変わらずシオンたちがサイトを眺めてあーだこーだ楽しんでいるのをBGMに、央はとっぷり日の暮れた区長室で夜食を頬張りながら広いデスクに向かっていた。
 ――今日の夜食は、唇を腫らした猛抗議にちょっとだけ反省した久瀬からの差し入れである。やっぱり辛いがこのくらいなら食べられなくは無い。
 しかし彼は基本的にはいい奴なのだが、何が何でも人を激辛の世界に誘おうとするのはそろそろやめていただきたいものだ。

「本当は、貞操帯(貞操具)にここまで時間をかける予定じゃ無かったんだけどなぁ……今回の主役はこっちなんだから」

 広々としたデスクの上、ビロードの布の上に鎮座しているのは、一見すると何の変哲も無い南京錠と小さなカラビナである。
 これは研究開発部が今回のために特注した道具で、作業用品の生活環境を考慮し、魔力を帯びた刃物で無ければ切断できず、かつどんな過酷な状況でも腐食しない金属が素材として使われている。
 鍵はディンプル錠。二等種にピッキング出来るだけの知能があるとは思わないが、万が一他の作業用品によって解錠されないためだ。
 彼らは鍵を保管する術は持たないから、鍵を身につける為のカラビナも用意した。こちらもロック機構が付いていて、シオンにのみ外せるように術式を組み込んである。

「調べたところによると、貞操帯はキーホルダーと呼ばれる主人が鍵を管理するらしいね」

 央がつい、と指を動かせば、南京錠の鍵の下に複雑な魔法陣が展開された。
 いつも聞き慣れたシオンの声がすぅと遠くなるほどの集中力を持って、央は更に陣に模様を足していく。

「けど、シオンに鍵を管理してくれる人はいない。……そう、普通なら」

 並行世界が実在しているのなら、向こうの自分も同じ事を考えるはずだと、央は確信している。
 そう、彼らが互いの世界を行き来させようとする物を与えれば、見知らぬ世界の存在を間接的に観測できるのでは無いか、と。

「キミのことだ、きっとトモダチに管理して貰おうとするよね? ……つまり、並行世界が現実に存在するなら……鍵を交換するはずだ」

 魔力を注げば、魔法陣と共に鍵が光る。
 少しずつ、魔力の無い二等種には決して見えない文様が、鍵の表面に刻まれていく。
 以前、シオンのトモダチは異性だと効いたことがある。であれば、ここにシオンの性別情報を載せれば、必ず向こうの鍵との差異は生まれる筈。

 もちろん彼らは二等種なのだから、強制的に命令をすることだって可能だ。
 ただ、出来ればそれは最終手段に取っておきたい。
 ――上下関係をことさら強調するような、そして自分が観察していることを明かすような出来事は、個人的にはなるべく避けたいから。

「ふぅ…………これで、よし」

 30分後、鍵への「刻印」は終了する。
 こんな小さな鍵に施すにはあまりにも膨大な情報を詰め込みすぎたお陰で、流石の央もちょっと疲れたのだろう、そのままソファへぼふっと倒れ込んだ。
 ……もう、今日は家に帰りたくない。帰ったところで一人で寝るだけなのだ、それなら今日も仮眠室に止まればいいやと思いながら。

「明日の予定は……ボクはいつも通りの会議三昧だね。シオンの方も特別な作業は無し、か……なら、朝の転移後に保管庫に転移しておけばいいか。ああ、一応説明書もいるかな……」

 央はタブレットを確認し、横になったまま更に資料を作り始める。
 疲れてはいるが、眠くは無い。この成長しない身体は初等教育校の子供と変わらぬ睡眠を必要とするのだが、どうやら自分は思った以上にこの実験に緊張と興奮を覚えているらしい。

「見てなよ? キミの……キミたちだけの世界に、ボクは足を踏み入れてみせるから……」

 並行世界の証明は、実現したならばこの世界のあり方すら変えるほどのインパクトをもたらすだろう。
 けれど、央にとって世界の変容などどうでもいいのだ。

 ただ、シオンが皆の言うような頭のおかしい個体では無いことが分かれば。
 そして、少しでも彼らの世界に触れられれば――

「明日はその第一歩なんだ……ここは二等種らしく、人間様の思惑通りに動くんだよ」

 期待に胸を躍らせながら、央はその日も夜遅くまで資料作りに明け暮れたのだった。


 ◇◇◇


 ああ、人間様はどうやら自分達(の性癖)だけをないがしろにしていたわけでは無いらしい。
 こんなサプライズを用意してくれるだなんて、きっと変態と自分を蔑んでいた人間様の中にも同士はいたに違いない。

 だって、そもそもこんな素敵な装具を考えついたのは、人間様なのだから。

「…………え……」
「……う、そ…………!?」

 いつものように作業を終え、気晴らしにもならない運動と自動洗車機を思い起こさせる洗浄を終えた身体は、自動的に保管庫へと放り込まれる。
 目の前に広がるのは殺風景な部屋と、タブレットと餌皿、そして溜め込んだ愛用の玩具達……だけのはずなのに。

「「…………!!」」

 部屋の中心にぽつんと置かれていたのは、二つの装具。
 恐る恐る手を伸ばせば、固くて冷たい感触が指に伝わるから、これは幻覚では無い。
 ……思わず互いの頬に手を伸ばして引っ張れば、隣から「いででで」と呻く声と同時に頬に痛みが走るから、夢でも無さそうだ。

「貞操具、だよね……」
「う、うん……え、なんで……!?」

 あまりにも唐突に願望が叶うと、感情が追いつかないことを至恩達は初めて知る。
 互いに顔を見合わせ戸惑いを浮かべていれば『なんだ変態ドマゾの分際で喜ばないのか?』と聞き慣れた声が頭の中に響いた。

「ひっ!! ……あ、あのっ管理官様、これは……?」
『見ての通りだ。お前に、モルモットという新しい使い道を見出した研究者がいてな……非常に不本意だがそれが必要と判断した。いいか、あくまでも研究用の装具だと言うことを忘れるな』
「も、モルモット……? モルモット……かぁ、はぁぁ……」
『詳しい説明は送信済みだ、装着する前に必ず読め。それと』
「……それと?」
『いくらモルモットにされて欲情したからって、俺の前でそのマゾ顔を晒すな、この変態ブタ野郎が』
「うぎゃぁぁっ!!」

 管理部長の心底嫌そうな声と共に、久しぶりに最大出力の懲罰電撃を浴びせられる。
「いてて……ご指導ありがとうございますぅ……」とガクガク震える口で何とか言葉を紡いだ頃には、既に通話は切れた後だった。
 ――自分で煽っておきながら興奮したら仕置きとは、ちょっと解せない。

「ひぃ、まだ全身がビリビリしてる……ふふ……ふふふっ……」
「うふふぅ……聞いた、至? これ、着けて良いんだ……私達の貞操帯なんだ……!!」

 けれど、お陰でようやく正気を取り戻した頭に、じわじわと喜びが満ちていく。
 ちらりと送られてきた情報に目をやれば、どうやらこの貞操帯(貞操具)は研究のために作られた物らしく、今後は24時間着用が義務づけられるそうだ。
 とは言え、人間様が厳格な射精(絶頂)管理までしてくれるわけでは無いらしい。その点はちょっとどころでなく残念だが、この際贅沢は言っていられない。

「とにかくちゃんと見てみようよ」と途中で説明を読むのを止めた至恩が、待ちきれないと言った様子でそっと小さな装具を拾い上げる。
 その手が震えているのは、さっきの電撃のせいじゃない。
 そして声が上擦っているのは、いつもの渇望に苛まれているわけではない。

(やったぁ……! ああ、ありがとうございます人間様っ……!!)

 未だかつてこれほど人間様に心から感謝したことがあっただろうかと、至恩達は両手で恭しくその装具を握りしめ、誰もいない空間に向かって土下座し頭を擦り付けるのだった。


 ◇◇◇


「やっぱり人間様は、ちゃんと僕たちの要望を聞き届けてくれたんだよ!」
「だね、これ至が欲しいってこないだ言っていたのと同じだもの! 良かったねぇ至」
「うん! はぁぁ、感極まって泣いちゃいそう……」

 目を潤ませ鼻息荒く語る至恩の手には、いわゆるスタンダードなフラット貞操具が握られていた。
 股間の根元に装着するリング状の固定具は、ただの真っ直ぐなリングではなく軽く湾曲している。身体に沿わせてみた感じだと、どうやら至恩の股間のカーブにフィットするように調整されているようだ。
 この綿密さから察するに、ペニスを体内に押しつぶして完全に閉じ込めてしまう円形の蓋は、平常時の至恩のサイズを完全に覆い隠してくれるのだろう。

「……あ、これカテーテルタイプなんだ」
「カテーテル? 製品が着けている奴とは違うの?」
「うん、あれは尿道テザーを使って固定しているから」

 丸いプレートには、真ん中に一つ、それを取り囲むように6つの穴が開いている。
 真ん中の穴にはネジが切ってあって、同時に送られてきたシリコンカテーテルの両端に金属製のチップを付け、ねじ込んで取り付けるようだ。

 オスの性処理用品は、自分の性器に従属反応を起こさないようフラット貞操具でペニスを完全に隠すことが義務づけられている。
 更に、万が一プレートとリングの間からペニスを引き抜いてしまわないように、尿道テザーという金属の筒が鈴口から亀頭内部の尿道に埋め込まれている。
 瘢痕治癒によるテザー固定という、乱暴な加工によりペニスを切り裂かない限り取り外せない金属筒の先端には穴が貫通しており、プレートの真ん中の穴から筒を出し先端に南京錠をぶら下げることで、強固なロックを実現しているという訳だ。

 ただ、至恩はあくまでも作業用品。
 必要以上の肉体加工は魔力の無駄遣いを避けるため取ることが出来ず、また調教時には貞操具のプレートに疑似ペニスを取り付ける必要がある関係で、スリップアウト防止機構にはカテーテルを採用したのだろう。
 外径はそれなりに太いが、この数年自慰で鍛え抜いた(?)尿道なら何の苦労も無く咥えてしまうに違いない。

「至、何か白いのが混じってない……?」
「うっ……だってこんなの嬉しすぎて出そうになっちゃうってばぁ……」

 しかし何よりも至恩の心を射貫いたのは、リングとプレートの固定機構だった。

 通常、リングとプレートは上部の金具を組み合わせて出来た筒の中にロックを通し、鍵を回すことで固定する。
 ロックはわずか2センチの小さな部品だが、装着した者の興奮を戒めるには十分すぎる実力を発揮してくれるだろう。
 ただ……ちょっとばかり見た目がちゃちいだけで。

 そんな至恩の小さな不満は、しかし人間様により見事に解消されていた。

 上部の金具で筒を作るところまでは同じだ。
 だが、この貞操具は筒の両端に穴が開いていて、金属製のピンを差し込むことができるようになっている。
 ピンは直径約6ミリ。その片方はピンが抜けないよう一回り太くなっており、もう片方はピンを完全に差し込むと反対側からピンを貫通するように開けられた4ミリの穴が開いた先端が飛び出すだけの長さがある。
 このピンを貫通する穴に南京錠を通せば、自力でピンを抜く手段は無くなると言うわけだ。

「凄い、これだよ……これを求めていたんだよ僕は!! 普通の鍵よりこの方が堅牢だし、南京錠の施錠も堪能できる……!! ああ、やっぱり人間様の中にも貞操具に造詣の深い変態仲間がいらっしゃるんだ……僕、この作者となら人間様でも一晩中語り明かせると思う!」
「気持ちは分かるけど落ち着いて至、流石に変態だからって二等種が仲間認定したら、人間様から懲罰が飛んできちゃうって」
「あ、あわわごめんなさい人間様っ!! だから取り上げないでえぇ」

 慌てて至恩は虚空に向かって謝罪を繰り返す。
 けれどその顔は、あまりの嬉しさにすっかり緩んでしまっていて。

「……キミ、それ全っ然心がこもってないんだけど!! というかさ、ボクを勝手に変態認定してそっちに引きずり込まないでよ! ボクは!! 至って!! ノーマルなんだからぁっ!!」

 監視カメラの向こうで、至恩の世界の央が顔を真っ赤にして怒鳴りつけていたのは言うまでも無い。


 ◇◇◇


「……で、詩の方はどうなの?」
「あ、うん……これなんだけど」

 ひとしきり喋り倒したことで少し落ち着きを取り戻した至恩が詩音に水を向ければ、彼女は未だ戸惑いの中にいるようだ。
「確かに希望通りではあるんだけど」と見せてくれた貞操帯は、これまでサイトで散々見てきた装具に比べると、随分何というか……頼りない感じではある。

「これ、ベルトは金属プレートじゃないんだ」
「うん。ワイヤーをシリコンチューブで包んであるタイプなの」
「ふぅん……まあ僕達は刃物は使えないから、これでも自分で切断することは不可能っちゃ不可能だけど。もっとゴツいのが良かった?」
「うーん、それはどっちでも……あと堅牢性は大丈夫みたい。さっき送られてきた資料を読んだけど、魔力が無ければ傷一つ付けられない金属なんだって、両方とも」
「うっそ、人間様ってば念には念を入れすぎ」

 だから強度には問題ないし、見た目もスマートだからこれはこれでおしゃれでいいなって思うの……といいながら彼女が躊躇いがちに指さしたのは、貞操帯の本体とも言えるクロッチ部分である。
 こちらも作業用品の備品として見慣れた、スリットのある金属プレートとその外側に取り付ける自慰防止板と呼ばれるパンチング加工をしたプレートの二重構造では無い。まるで掌をすぼめて作ったドームのような構造で、前後に洗浄用のスリットが、中心には排水用の小さな穴が並んでいる。

(ああ、確かにこんな形をしていたっけ……良く人間様も見つけ出したなぁ)

 それは、随分前にたった一度だけ遭遇したサイトで紹介されていた、カップタイプの女性用貞操帯。
 今までに無い不思議な形に、詩音は当時それはそれは興奮して大喜びだったというのに、あまりに喜びすぎてお気に入りに入れるのを忘れ、しかもその後どれだけ検索しても見つからなかった、幻の貞操帯だったのだ。

 詩音の言葉からこれを探し出してきたと言うことは、ここでの行動は全て筒抜けという証左である。
 ずっと言動には気をつけてきたけれど、改めて突きつけられた現実に気を引き締めなければと至恩は思い、だから詩音も浮かない顔なのかと気遣うように「……詩、大丈夫?」と声をかける。

「……大丈夫…………? これ、が大丈夫だと思う……?」
「え、えと、詩……?」
「ねぇ至、確かに私さ、カップになってる奴を着けてみたいとは言ったよ? 違うタイプを試してみたいと思ったのも本当よ?」
「うん、そうだね」
「だからこの形『は』希望通りなの。なんだけど……これ……金属じゃ」
「…………はっ!!」

 震える声で指さす先を改めてみて、至恩はようやく気付く。
 股間を覆うカップ部分は、その縁こそ金属のフレームにより縁取られているけれど、肝心のドームの部分は……透明な素材で覆われていて。

「……え、待って……詩っこれって……」
「そうよ、至の想像通りよ……これじゃ……全部……」

 俯いている詩音の肩は震えている。
 基本的には好奇心旺盛でどんなものだってバッチ来い! な二人だが、流石にこれはショックが大きかったのだろう。
 ……それにしては、妙に耳が赤い気がするけど、と至恩が思った瞬間

「こんな……おまたスケスケのスケベ貞操帯を作り出すだなんて、聞いてないわよおぉぉっ!! ちょっ人間様っツボを心得すぎ!! 最っっ高過ぎるにも程があるわあぁっ!!」
「うああぁっ! 詩だめぇ落ち着いてええぇ!!」

(……あ、なるほど。むしろ更にサプライズ過ぎて、感情が追いついてなかっただけだ、これ)

 歓喜の雄叫びと共に、詩音は貞操帯を握りしめたまま白目を剥きそのまま大の字に倒れ込んでしまう。
 その鼻からはいつも通り、赤い雫がたらりと流れていた。


 ◇◇◇


「はぁっ、はぁっ、すけすけ……すけすけぇ……!」
「う、うんっ、そうだね詩! だからちょっと深呼吸して一度忘れよう! ね!! じゃないと鼻血が止まらないよおっ!!」

 ……並行世界の自分とは言え、男女差故かその性格の表出には違いがある。
 何事に於いても先に走り出すのは詩音の方、一度走り出すと止まれなくなるのは至恩の方。
 
 そして、興奮しすぎるとすぐ鼻血を出してぶっ倒れるのは、小さい頃からの詩音のお家芸だ。

「はぁぁ……これだけ詰めれば大丈夫かな……」

 詩音が叫んだ瞬間、部屋に転送されてきたのは「この変態が、またやらかしたのか!」と怒鳴りつける管理官では無く、綿球の詰まった袋一つ。
 これはどう見ても「俺らは知らん、それを詰めておけ」という管理官様の意思表示だろう。
 至恩はいつも通り、いやいつも以上に気を遣って、詩音の手が綿球を掴んでいる様に見せかけながらせっせと鼻に綿を詰め込んでいくのである。

「ふが……はぁ……興奮ひふぎて死ぬかと思っひゃ……」
「大丈夫、人間様がこんなことで二等種を死なせることは無いって」

 両鼻に綿球を詰め間抜けな表情のまま、けれど詩音は相変わらず脳みそが興奮で溶けたままのようだ。
 このまま装着なんかしたら、腹上死ならぬ装着死するんじゃないかと本気で心配になってしまう。
 ここは落ち着くためにも、まずは管理官様から送られてきた資料を最後まで読もうと至恩が意識を向ければ、いつの間にか閉じていた画面が再び展開された。

 どうやらこれを書いた研究者は、二等種のことをよく分かっていそうだ。
 難しい言葉はなるべく使わず、漢字にはすべからくフリガナが振ってある。学のない自分達には実にありがたい。

「ええと……貞操具の装着方法……うん、これは知ってる……」
「すり切れるほど読んだものね、装着シーンは……はぁ、思い出すだけで」
「だから詩は落ち着いてってば!!」

 詩音を宥めつつ目を通した装具の説明自体は、彼らにとって特に目新しいものは無かった。
 そもそも貞操帯(貞操具)は射精や絶頂のみならず自慰をも禁止するための装具だ。当然ながら人間用に考案された装具であるし、本来人間とは比べものにならない性衝動を持つ性処理用品が1ヶ月以上装着した記録はどこにも存在しないらしい。
 つまり連続装用、そして長期装用による影響を観測し、今後の作業用品管理に役立てようとしているのだろう。

 念のために管理方法についても再読したが、やはり人間様直々の管理が行われるわけでは無さそうだ。
 鍵は自分で管理する必要があるし、頻繁にリセットを行っても特段の懲罰対象にはしないが、良質なデータを集めるためにもなるべく長期間の連続装用を心がけるようにとの文章に「厳しいんだかぬるいんだか分からないね」と二人は即座に突っ込んだ。

「……まぁでも、セルフ管理のためのサポートはして貰えるんだね」
「うん。汚れるのだけが気になってたから……やっぱり人間様はちゃんと考えているんだ」

 二人はそっと下に目を落とす。
 そこに置かれていたのは、装具だけでは無い。
 潤滑剤や消毒薬、装着後に使う洗浄液など、これから貞操帯管理を始めるに当たって必要な物は全て準備されているようだ。

 こっちが鼻血を出しても綿球一つで終わらせる割には、至れり尽くせりだな……とちょっとだけ複雑な気分である。

 道具類は必要なときに申請すれば都度転送され、しかも装着状態ではあの滝のような洗浄を持ってしても陰部を細部まで洗うのは不可能になるため、適宜洗浄魔法で清潔まで保って貰えるらしい。
 一方、鍵は常に付属のカラビナに通して首輪に繋ぎ、常時携帯することを義務づけられている。
 保管庫に置いておいた方が管理としてはよさそうに思うのだが、このカラビナは保管庫以外で、かつ本人以外がロックを開けることが出来ないように魔法が刻まれているから問題ないということか。

 そして、最後の一文に彼らはちょっとだけお預けを食らった気分になる。
 ……いや、今の詩音にはむしろこのくらいの方がちょうど良いかもしれない。

「装具は本日即時装着すること。ただし、24時間後に必ず解錠し、合図があるまで再装着をしないこと……」
「装具と肉体の状態を観察するため、かぁ……うん、初めてのものを、しかもデリケートな場所に着けるなら必要……なのは分かってるんだけど」
「もうこの欲望のままに、1週間がっつり着けっぱなしたかったのにぃ!」

 その理由はもっともだ。実際の貞操帯管理でも、初期は短期間での脱着を繰り返してより細かく身体にフィットするように調整を行うのは二人だって知っている。
 ただ、なんというか……ただの二等種如きに、それも不良品の作業用品相手に、まるで人間に対するかのようなきめ細やかなサポートを提供されるという事実が、どうにも落ち着かない。

「……多分さ、これって管理官様が手配したんじゃ無いよね」
「研究者がモルモットにって言ってたし……作業用品の扱いに慣れてないのかな?」
「むしろ研究のためには、二等種でもモルモットくらいの扱いはして貰えるって事なのかもね」

 何にしても、人間様からの指示は絶対だ。いくら性癖ドストライクで煩悩に満たされた頭でも、そこを違えるほど二等種に刻み込まれた従順さはヤワでは無い。
「とにかく早く着けようよ!」と多少は落ち着いたもののまだ舞い上がっている詩音のお陰で冷静さを取り戻した至恩は「着けるにしたって先に餌と浣腸を終わらせないとまずくない?」と苦笑するのだった。

「……扱いがまるで人間様みたい、か……そんなつもりはなかったんだけどね……全く、ままならないものだよ…………」

 ――いつも通り、監視カメラの向こうで様子を眺める央の複雑な気持ちは、届かないまま。


 ◇◇◇


「…………準備、出来た?」
「うん。消毒薬と、潤滑剤。洗浄液は後で使うやつだね。鍵はチェックした?」
「大丈夫、ちゃんとロックも解錠も出来るよ」

 管理時間は、たったの24時間。
 しかも装着すれば幾ばくもしないうちに消灯を迎え、次の瞬間には作業へと駆り出される。元々作業中に性器に触れれば懲罰対象だから、実質装具によって管理されるのは数時間といったところか。

 それでも、いつもの作業で装着する事を思えば随分と長い。
 何より……今回は自らの意思で、このままならない身体を物理的に封じ込めてしまうのだという事実が、否応にも二人の不安と……それ故の興奮を煽ってくる。

(我慢大会だって、きっと1時間も持って無かった筈だ。あの頃よりはましだけど、でも触れようとしたときにそこにないって……ああ、ゾクゾクするけど、絶対辛い……ちょっと、怖い……!)
(一度触れ始めたら、何があっても止められない身体なのに……いくら作業時間は発情を下げられてて自慰しないように躾けられているったって……覆われてたら余計に弄りたくなるのは、よく知ってる……ふぅ、頭がおかしくなりそう……!)

 餌を終えた二人は、準備を整え改めて装具を手にする。
 さっきは全く感じなかった重さを掌に、そして腕に感じるのは、単に人間様に与えて頂いた物を扱うが故の緊張だけでは無い。


 ごくり、と唾を飲み込む音が、隣から聞こえた気がした。


「……じゃ、着けるよ」
「うん……手伝いがいるなら言って、私も着け方は知ってるから」
「分かった。分かったけど、詩は一歩後ろに下がろうか? 鼻息がくすぐったいんだけど!」

 カテーテルをパッケージから取り出し、チップを装着してプレートに取り付ける。
 カテーテルに潤滑剤をまぶして広げたパッケージの上に置いた至恩が、意を決して立ち上がった。
 
 詩音はちょうど自分の目の前に至恩の股間が来るように膝立ちになり、完全に観戦モードだ。
 ……何だか目が据わっててちょっと怖い。いや、きっと詩音が着ける番になったら、自分もこんな目をするに違いないが。

「相変わらずこのシール、凄いよね……」
「へえ、こんなふうにしてたんだ! いつもどうやって貞操帯の中にこのでっかいおちんちんを入れてるのかと思ってたら」
「流石にそのままじゃ入らないよ! 二等種ってさ、貞操具の装着すら人間様の手助け無しには出来ないんだよね……」

 至恩は、一緒に送られてきた半透明のシールをペニスの根元にぺたりと貼る。
 そうすれば魔法が発動し、常に赤黒くいきり立ち涎を垂れ流す事しかできない屹立が、みるみるうちにしぼんでしまった。
 作業用品が貞操帯を装着する際には必ず使われる勃起抑制シールの効果時間は、1枚当たり60分。性器従属機能の実技検査では1枚、出荷前検品では2枚使用し、効果時間が切れる前に貞操帯を外す事になっている。

 ちなみに今回用意されたシールは1枚。
 当然60分経てば効果が切れるわけだが、こんな押しつぶされた状態で常時勃起モードにもどってしまったペニスが一体どうなってしまうのか、興味は尽きない。
 以前125Xから聞いたところによれば、保護区域によっては検査前日から貞操帯装着を義務づけられる所もあるらしく、メスはともかくオスは皆死にそうな顔をしていたというから……うん、覚悟はしておこう。

「……小さくなってもちょっと大きいよね。何かくたびれてるし」
「う……そりゃずっと大きくなって引き延ばされてたら、皮も延びちゃうんじゃ無いかな……」

 お願いだからまじまじと見ないで、と顔を真っ赤にしながら、至恩は固定用のリング状のパーツを股間に当てた。
 いくら詩音とはいえ、異性に股間を見られて平気でいられるほど自分は図太くないのだ。

「あれ、このリング……かなり小さくない?」
「結構小さいね。これ通るのかな……いや、人間様のことだからサイズは完璧だろうけどさ」

 リングを股間に当て、ふぐりを軽く押しつけてみる。
 至恩も、固定用だから簡単にすっぽ抜けないよう、リングは鬱血を起こさないレベルでなるべく径が小さい方がいいとどこかで読んだ記憶はある。恐らくこれを作った研究者もそれを熟知しているのだろう。
 ……もしくは研究者様は実践者なのか? と思うくらい小さなリングは、片方の玉すらすんなりとは通してもらえなさそうだ。

「んっ……ふぅ…………んー、怖いなぁこれ……」

 睾丸が最も細くなるように向きを変え、リングを当ててぐっと押す。
 恐怖のせいだろうか、いつもより少し縮んだふぐりは、けれど玉が袋の中で自由にツルツルと動くお陰でなかなかリングを通らない。
 少し力を入れれば、あっさりと指からつるんと離れてしまうのは、きっと急所を守る為でもあるのだろう。

「はっ……はぁっ……」

 かといって、自ら急所を潰すのはいくら少しだけとは言え肝が冷える。
 そのうちこの恐怖にも慣れる日が来るのだろうかと思いながら、相変わらず悪戦苦闘してれば「これ、むしろ無理矢理着けて貰った方が早そうだよね」と詩音が前からスッと手を伸ばしてきた。

「あ、ちょっ、詩ダメだって! バレちゃうって!!」
「へーきへーき! ほら、至はちゃんと自分で持って、押し込んでるフリをしていてよ! そしたら私が押したって、不自然じゃ無いから、さっ」
「えええそれで本当にだいじょうぶっ、ふぐぅぅっ…………!!」
「あ、今めっちゃつるんって滑った!! ……あは、これ凄いねぇ! こんなにくにゅくにゅ動くんだ、楽しぃ……」
「た……楽しまなくて、いいからぁ……はぉっ!!」

 詩音の指が暫く急所を弄ぶ。
 半泣きで至恩がその行動を諫め、そしてなかなか上手く通らない玉に痺れを切らしたのだろう、詩音がやけくそ気味に大切なところを押し込んだ瞬間――至恩の世界が真っ白に塗りつぶされた。


「――――――――! ――――!!」


(……う、うん……自分に着いてないからこの痛さなんてわからないよね……「入った!」ってはしゃいでいる場合じゃないよ詩あぁ……)

「あれ? どしたの至? ……何か魂抜けかけてる顔してる」
「…………抜けも、する…………死ぬ……詩、もうちょっとその、加減を……」
「うん、一気に押し込んだ方が痛い時間も短くていよね! もう片方もすぐやっちゃうから待ってて!」
「いやそのそう言う意味じゃ、な…………ぃ……っ!!!」
「あ、失敗しちゃった。もう一回……!」

 ――確かに、怖がって時間をかけるくらいなら一気に終わらされた方がましだとは思う。
 思うが、詩音には後でみっちり男の急所の取扱を教えておかないといつか抜けた魂が帰ってこれなくなりそうだと、あまりの痛みに現実逃避を決め込んだ頭の片隅で、至恩はその場に悶絶した自分を他人のように眺めながら固く誓うのであった。


 ◇◇◇


「ええと……至、大丈夫……?」
「目の前にお花畑が見えたよ……詩、これは内臓なの、つまり急所! そんな無意気に力を加えていいものじゃ無いの! OK?」
「う、うん、えっとそのごめんね……?」
「それ、あんまりごめんって思ってない顔だあぁ……ううっ……」

 あまりの痛みに崩れ落ちた至恩は、どうやら立ち上がる気力を失ったらしい。
 ちょっぴり赤くなったふぐりを涙目でさすさすしながら、心なしかさっきよりしょんぼりしたペニスをリングの中に通している。
 こちらはちょっと身体に押しつけてリングを被せれば通せるから、そんなに難しくは無い。

「カテーテル……長っ……」
「まぁオスの尿道は長いし仕方ないんじゃ無いかな、中途半端な長さだと逆に辛いんだって」
「へぇ……あ、おちんちんのあなピクピクしてる」
「だからそんな間近で見ないでよぉ……」

 さらに送られてきた消毒薬で、鈴口とその周りを丹念に拭う。
 普段尿道で遊ぶときは、ここまで丁寧な消毒はしない。最初の内はやっていたけど、この加工された身体は少々雑な取扱をしても滅多に炎症を起こすことは無いと知ってからは、さっさとお楽しみに興じたくてどんどんおざなりになってきた気がする。
 が、流石に人間様から懇切丁寧な説明書で消毒を指示されている以上、無視するわけにも行かない。

「…………っ」

 ぴとり、と冷たい感触が鈴口に触れる。
 すっかり物を咥えることを覚えた欲しがりな尿道が、早く入れろとばかりにヒクついて非常にえっちだ……と、詩音は瞬きすら忘れて至恩の股間に見入っていた。
 ある意味では、自分の股間より至恩のほうが馴染みがあるかも知れない。何せこの部屋には鏡というものが無く、自分のここがどうなっているか、特にクリトリスの向こうをまじまじと見たのは……それこそ成体としての処置を受けた時くらいだから。

「んっ……ふぅ……」

 つぷり、ずるっ……ぬるり…………

 10数センチもあるカテーテルは、潤滑剤の力もあって易々とその中に飲み込まれていく。
 あっという間に先端がプレートに触れ、至恩ははあぁ……と大きく息をついた。

(これ、いつもながら……お尻より『犯される』感が凄いよねぇ……)

 そっと裏側に指を這わせれば、固いカテーテルの感触を感じて……はぁと今度は意味の違う吐息が漏れてしまう。


至恩装着
「これで……後は、ちんちんを押し込んで……」
「押し込むのは痛くないの?」
「うん、尿道がちょっと変な感じはするけど、特に痛くはないかな……むしろ固定するときに皮を巻き込みそうなのが怖い」

 蓋となるプレートからは二本、短いピンが垂直に延びている。
 更に上部にはリングの上部と組み合わせて筒状になる部品が飛び出ていて、至恩は注意深く皮を挟まないように指でずらしながら、手応えがあるところまでプレートを押し込んだ。

「ふぅ、これで……うん、痛くないから大丈夫……」

 そうして右手で浮かないように押さえつつ至恩が手にしたのは、銀色の細いピンだ。
 直径は鉛筆くらいはあるだろうか。上部の筒状のパーツに差し込めば、何の抵抗もなくするりと筒を貫いて反対側から顔を出す。
 ピンの先端を貫通する穴の向きを調整して、南京錠を引っかければ……後はちょっと力を込めるだけで、見慣れた男の徴は明日の夜まで決して目にすることが出来なくなる。

「はっ……ははっ…………」

 思わず笑い声が漏れた至恩を、詩音は不思議そうに見上げる。
「やれば、分かるよ」と上擦った声で答える至恩の目元は、興奮で赤く染まっていた。

「すごい、これ……いや、見た目もだけどさ……こんな小さな南京錠一つに、僕のちんちんも自慰も封じられるんだって……今凄い実感が湧いてきて……あはは、どうしよう、心臓が……!」
「……うわ、ドキドキしてる……」

 そっと伸ばされた詩音の掌に伝わる鼓動は、今まで聞いたことが無いほど力強く、熱い。

 ああ。
 待ち望んだ瞬間は、こんなにも期待と不安と恐怖に彩られていて……まだその時を迎えていないのに、既に鮮烈すぎて頭がおかしくなりそうだ。

「先に閉じる?」と気遣う詩音に「いいよ、待つ」と至恩はうっとりした顔で応える。
 最初に決めたのだ。初めての施錠の瞬間は一緒に、そして……互いの手で行おうと。

 本当は一切股間に触れられないよう拘束された状態で、こちらの状態などお構いなしに無慈悲な施錠音を響かせて欲しいのだけど、そんな贅沢は二等種である自分達には望めない。
 何より、この様子はいつも以上に監視されているはずだ。一瞬であっても、トモダチが手を出すことで勝手に装具が浮き、動いて見えるようなヘマを犯すわけには行かないから。

 だけどせめて、記念すべきこの瞬間だけは、共に与え……そして分かち合いたい。

「……ん、じゃあ私も着けちゃう」
「うん、待ってる」
「と言っても、このタイプだし至の貞操具みたいに複雑じゃ無いけどね!」

 ちょっと待っててね、と詩音はとんとんと封じられた股間を指でノックして「うはぁぁ」とますます盛り上がる至恩を横目に、貞操帯を手に取った。

 ――ちなみに画面の向こうでは、すっかり二人により「貞操帯への造詣が深い研究者」認定された至恩の世界の央が机に突っ伏して「もうだめ、死んじゃう……見てるだけで痛い……」と涙目で呻いていたらしい。


 ◇◇◇


「よっこいしょ、っと……」

 おっさん臭い掛け声をかけながら詩音は股を開き、軽く腰を落とす。
 ドーム状になったカップで割れ目を包み込み、尻たぶをすこし広げてアナルプレートの辺縁が肛門輪を囲むように宛がう。
 ドーム自体は透明なアクリル素材で出来ているが、フレームは金属だから少しひんやりとするも、すぐに熱を移して気にならなくなった。

 そのまま前後のベルトを持って立ち上がる。
 後はウエスト位置を調整してリング状になったウエストベルトの端っこを前側から延びるベルトについた円柱型の金具に引っかけるだけ、なのだが。

「ん? ……んん? なんか……しっくりこない……」

 詩音は股間の感触に首を傾げる。
 というより、何だか余計なお肉までドームの中に閉じ込められて、妙に収まりが悪いような気がするのだ。
 ついでに恥骨がちょっと痛い。無理矢理押されているような感覚がある。

「大丈夫?詩」
「う、うん……あれかな、もうちょっとしっかりしゃがんで着けた方がいいのかも……」

「こっちは装着方法まで書いてないんだよね」と呟きながら詩音は一旦装具を外し、さっきより更に股を拡げてそのまま思い切りしゃがみ込む。
 目の前の至恩からはきっと股間の中身が丸見えだろう。ちょっとばかし気恥ずかしさはあるが、性処理用品よろしくはしたなく股を開いた姿勢は、これはこれでそそるものがあって……

 いや、止めておこう。これ以上の興奮は危険だと警鐘が鳴っている気がする。
 何より、今は貞操帯を装着することが先決だ。

「んーこの辺かな……」
「あ、あのっ詩、多分もう少し前じゃ無いかな……それだとその、クリトリスが」
「あ、ホントだ。動くと擦れちゃいそうだね」

 割れ目から堂々と顔を出す肉芽を見れば、確かにドーム状の貞操帯の方が少々大きさに個体差があっても干渉が無くて良さそうだなと感心しつつ、詩音は位置を調整し「これでどうかな」と立ち上がる。
 と、今度は「いてててっ!」と顔を顰めお尻をさすり始めた。

「詩!?」
「ひぃ……いてて、これ多分お尻の穴の近くのお肉が」
「お肉が」
「パーツの間にちょびっとだけ挟まってる」
「ひぇっ痛そう」

 ……どうやら今度は、アナルプレートとシリコンワイヤーの継目に肉が挟まったらしい。小さくつままれている状態だから、余計に痛みも強かろう。

「意外と着けるのは難しいね」と零しながら、そして鏡代わりに至恩に見て貰いながら悪戦苦闘すること10分。
 ようやくいい感じの位置に納まった貞操帯に「あ、確かにこの位置だ」と詩音はウエストのベルト位置を更に調整しながら立ったり座ったりを繰り返していた。


「このベルト、ウエストじゃ無いんだ。随分下の方だけど、それで落ちないの?」
「腰骨に引っかける感じなんだと思う。このベルトそんなに擦れないし、大丈夫だと思うよ。そっか、ウエスト位置に合わせようとしてたから上手くいかなかったんだ」

 伸縮性の無いベルトだし、何より作業中はウエストにはリモコン用のベルトを巻く必要があるから、この方が動作もしやすくかつ固定もしっかりしていていいのかも知れない。
 何よりお腹を圧迫しないのはいいね、と詩音は何気なく下を向いた。

 ……そう、うっかり下を、見てしまった。

「……詩?」
「…………ああ、これ……っ……」
「え? 詩……ちょっと……」

 金具に南京錠を引っかけて、そのまま詩音は地べたにぺたんと座り込む。
 そうしてあぐらの中を覗き込めば……そこに広がるのは、透明な壁に阻まれた、己の股間だ。
 カップの湾曲も詩音の骨格に沿わせてあるのだろう、動いても特段骨と干渉する感じは無いし、足の角度によっては多少隙間は出来るけれど、小指すら入らなさそうだ。
 
 なのに、そこから見える風景は今までと何一つ変わらない。
 小さなスリットや穴すら目を凝らさないと分からないほど透明度の高い素材で出来たドームは、ともすれば何の障害もなくいつも通り指を這わせ、すっかりぷくりと立ち上がった肉芽を擦り、たらたらと白濁した蜜を垂らす泥濘の中へと潜り込めそうに見えて……

 かつん

「…………っ!!」

 ――決して侵入を許さない。

(……すごい、すごいよ、これ……見えてるのに……ああ、見えてるからこそだ……!)

 無意識に伸ばした指を阻まれた詩音の中で、渦巻く熱が胎を満たした。

 期待に触れる幅が大きければ、絶望への振れ幅も大きくなる。
 これがいつぞやか見かけた金属のカップであれば、己の発情した股間を見ることすら出来ないから無意識に視覚で期待を抑えられていたのだと、詩音は思い知るのだ。

「はぁっ……はぁっ…………は……っ……」

 こん、こん……

 カップを叩く音は、少し鈍い。
 その振動はフレームを揺らせど、ドームに包み込まれた欲しいところには決して届かない。
 届かないのに、見えているから、次こそは届きそうな気がして……

「はぁっはぁっ……触れない……っ、触れないよぉ……!! これ、鍵が閉まったら……ずっと、見えてるのに触れないんだ……!!」

 こんっ……

 ああ、こんなにも絶望的な響きを、私は知らない――

「……っ……た…………詩っ!!」
「はっ!!」

 至恩の焦るような声で、詩音は正気に戻される。
 うっかり自分の世界に入ってしまったことを謝ろうと詩音が顔を上げれば

「んぷっ……んん? 何これ、ティッシュ?」
「詩……また鼻血出ちゃったから多分、そのティッシュを詰めとけって事だと思う……と、とりあえず綿球抜いて、入れ替えよう、ね!!」

 目の前には白いカーテンと、その向こうにあわあわする至恩の姿が。
 そして

「もうっ!! キミはどうしていつもいつも興奮し過ぎちゃうんだい!! ああもう、ティッシュ2枚で足りるかな……この部屋に綿球なんてないんだからちょっとは自重してよねっ!!」

 監視カメラの向こうでは、至恩以上に顔を青ざめさせティッシュの箱を抱えて叫ぶ詩音の世界の央がいたのだった。

詩音装着

 ◇◇◇


「……確かにやれば分かるとは言ったけどさ、鼻血を出すまで興奮するとは」
「ううっごめんねぇ……てかさ、とうとう綿球ですら無くなっちゃったね。これ、どう見てもその辺にある適当なティッシュが送られてきてる」
「だよねぇ……人間様、僕らの扱いだけ雑すぎない?」
「むしろ、貞操帯に関する扱いとのギャップが激しすぎる」

 ずるりとたっぷり血液を含んだ綿球を引っこ抜き、ティッシュをねじって鼻に詰め込む。
 鼻から少し赤く染まったティッシュが飛び出している様は実に滑稽で、今から初めての施錠という一大イベントを敢行するというのに、ムードも何もあったものじゃない。

(まぁ、それも僕ららしいかな……)

 カメラの向こうで「いつまでトモダチと遊んでんのさ!? いい加減に施錠しなよ!!」「雑なんじゃ無くて、想定外の鼻血を出すキミの問題なんだってば!!」と双方の世界の央が叫んでいるとはつゆ知らず、至恩は気を取り直して「じゃ、施錠……しよっか」と立ち上がった。

「……はぁっ……あああ、これ……これを、カチッてしたら……」
「はいはい落ち着いて詩。このままじゃ次はトイレットペーパーになっちゃう」

 二人は互いに立って向かい合い、南京錠に手を伸ばす。
 自分の南京錠には、左手の指を。そして、右手の指は……互いの左指を、上からそっと包み込むように。

「大丈夫? 力、入る?」
「うん……至は?」
「いけるよ。……うん、いつでもいける」
「……っ…………」

 じっと見つめるのが自分の南京錠なのは……そりゃもう当然だ、初めて封印される瞬間を見逃すわけにはいかないのだから。
 そして、指を上から押すトモダチの手はかすかに震えていて、ああ今自分達は確かに同じ感情を共有しているのだと一目で分かって……ちょっとだけ、嬉しい。

(変態だっていいんだ……僕は詩と一緒だから)
(私達は、世界でたった一人の……トモダチだもん)

「カウントダウン、しよっか」
「……うん……あは、声が震えちゃう……」
「私だってだよぉ……3から、ね?」

 すぅ、と大きく深呼吸をした後。
 二人は声を揃えて、カウントダウンを始める。
 確かにこれは、本来の貞操帯管理なんかとは比べものにならないほど緩い所業だけれど、二等種である自分達に許された中では……最高の形に違いないと、唐突にもたらされた幸運に感謝しながら。


「「3」」


 この1年間、ずっと焦がれ続けた願望が常に叶う。
 僕は、私は、大切なトモダチの手で、はしたなく加工された身体と心を、檻の中に封じ込められる。


「「2」」


 この行為は、人間様から見れば異常な変態行為にしか見えないのだろう。
 けれど大多数をであることを正常と呼び習わすならば、二等種という「異常」になる前からだって、自分達はずっと……親からも学校からも受け入れられない「異常」な存在だったのだ。
 
 ……だから、変わらない。
 今までも、今も、そして、これからも……誰がどう定義づけようと、自分達は自分達のままだ。


「「1」」


 ――初めてだから、知らなかった。
 心の底から望んだものを手に入れる瞬間は、こんなにも楽しい。
 そして……心の底から欲するものを封じる葛藤は……


「「……ゼロ」」


 ああ、こんなにも気持ちいいのだと――!!


 カチッ、カチッ。
 二つの小さな施錠音が、二人の耳に届く。
 瞬間、まるで髪の毛がふわりと逆立つような感覚を覚え、ぞわっと背中を何かが駆け上がった。

「んあ……っ!!」
「は……あぁっ……!!」

(なにこれ、えっ、逝って……)
(はひっ!?メス逝き!?でも、いつものとちょっと違う……!)

 知らない。
 これまで経験した絶頂の数だけは、人間様に負けない自信がある。
 けれど、こんな穏やかで優しい絶頂なんて、自分たちは経験したことが無い――

 高い声と共に、ひくん、と身体が跳ねる。
 そのまま二人は腰が抜けたかのように、ぺたんと床に座り込んでしまった。

「はっ……はぁっ……ぁ……っ……」
「ん……ふっ……!」

 座っても二人の身体は、小さく痙攣を続ける。
 自然と上を向いた視界が白いのは……多分、天井の色じゃ無い。

「……はぁっ……はぁっ…………あは、ちょっと、逝っちゃったっぽい……」
「まさか……施錠音で逝っちゃうなんて……ああでも、何だか中途半端ぁ……」
「分かる、もっと触りたく……そうだった触れないんだったあぁ……っ!!」

 初めて経験した、どこにも触れることの無い絶頂。
 緩く脳の中で小さな泡がぷちぷちと弾けるような絶頂は、とても甘くふわふわで、乳白色の幸せの中にとっぷりと浸されたようで。

 ……けれど、どこにも触れてないが故に「まともな」絶頂が欲しいと身体が全力で刺激を欲して――

「ううっ……まさかいきなり貞操具の力を思い知るとは……」
「はぁっ、触りたい、見えてるのに触れないぃ……ちょっと至? 何してるのかなぁ?」
「え、あ、そのっ……あの、お尻をちょっと……ほら、貞操具だとお尻はノーガードだし……だめ?」
「ダメに決まってるでしょおおぉぉ!! 至だけずるい、ちょっとは我慢しなさいよぉっ!」
「うああぁっちょっと待って詩、まだシールは効いてるけど、触られたら気持ちはいいし興奮しちゃうんだってば! あっいやぁっ会陰をなぞっちゃらめぇ!!」

 うっかり後ろに指を這わせた至恩に、案の定詩音がぶち切れる。
 そのまま詩音がお仕置きとばかりに会陰をなぞれば、お返しだと至恩も鼠径部に指を這わせ……当然のようにその行為はエスカレートする一方なわけで。

「ああもう、装着後の尿道洗浄もしないで……いいやもう、その大量の我慢汁で雑菌は洗い流せてる気がしてきたよ……」
「……まぁ二等種の旺盛な性欲と貞操帯の組み合わせじゃそうなるよね……ああ、変態にはご褒美だっけ、これは何枚かティッシュを送っておいた方がいいのかな……」

 その結果、がっくり肩を落とす互いの世界の央が見守る中、二人は装着直後だというのに早速もどかしさに泣きながらシールドを引っ掻き、消灯の電撃に見舞われるまで報われない動きを繰り返す羽目になったのだった。

「うう、触りたい……ここにあるのにぃ……すけすけはサイコーだけど辛いよぉ!」
「はぁっ、はぁっ、ごしごししたいっ……! 着けたばかりでこれは誤算……!! んっ、ちょっと待ってなんか締め付けが、あっ」

 ……なお、案の定途中で勃起抑制シールの効果が切れた至恩は、それはそれは大変な目に遭ったことを申し添えておこう。

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence