第12話 思わぬ「覚醒」(後編)
『よう、この変態マゾブタ野郎、こんな夜更けにまた随分お楽しみだな? ……いかなる状態だろうが人間様の呼びかけには応えろと躾けられたはずだが』
「ぐ…………あ……っあ……」
『……はぁ、先に処置をしないとまずいか…………』
消灯のベルが鳴り響いてどのくらい経っただろうか、突如不機嫌そうな声が至恩の頭の中に響く。
『全く、考え無しに着けるからそうなるんだ……いや、二等種風情に思索を求める方が酷か』と侮蔑の籠もった言葉を投げかけられるも、今の至恩にそれに応えるだけの余裕は残っていない。
(痛い……いた、い…………)
原因は言うまでも無い。貞操具の下に封じ込められた、人の規格を外れた雄芯だ。
装着時に貼付した勃起抑制シールの効果が切れた途端、常に萎えることを許されない男根はいつものようにあり得ない体積へと膨らんで隆々と天を突こうとし、当然のごとく金属の蓋によってその行動を阻まれる。
本来、人間であれば激痛でそのうち萎えてくるし、継続的に装着していれば身体が貞操具に飼い慣らされて、興奮時はともかく朝は大人しくなることがあるそうだが、残念ながら二等種にその法則は当てはまらない。
加工された怒張は、貞操具など知ったこっちゃないと言わんばかりに蓋を押し、中を貫くカテーテルを締め付け、リングの位置をずらしてふぐりの根元を締め付け鬱血させ……そのどれもが耐えがたい苦痛を与え続けるというのに、一向に萎える気配は無くて。
「至っ……至……!!」
「…………ぁ…………」
腰をさする詩音の呼びかけもまともに届かないほどの激痛の中、至恩は痛みを紛らわすために暴れることすら出来ず、脂汗を流しながら床に転がり、泡を噴いて身体を痙攣させていた。
『全く……俺が夜勤の日にバイタルアラートとは、つくづくついてない』と苛立った声の主は、いつもの管理官様――管理部長だろう。
朝までそのままにしておけば、お前の変態も矯正されるかもしれんな、とゾッとするような事を口にしつつも、流石に生命の危険に及ぶ事態は避けたいのだろう。
チッと舌打ちが聞こえた次の瞬間、一気に下腹部の痛みが和らいだ。
「はぁっはぁっはぁっ……うぅ……」
『おい、折角対処してやったんだ。何か言うことは無いのか』
「ぐ、っ……ごしどう……ありが…………ごじゃ……」
『……ふん、まあいい』
(た、助かった……! 流石に死ぬかと思ったぁ……!!)
管理官曰く、貞操具に細工を施し装着時には通常の人間に近い勃起状態になるよう調整したそうだ。
性衝動自体はそのままだから基本が興奮したままなのは変わりが無く、鬱血に伴う痛みは人間よりは起きやすい。
ただ、壊死の可能性があるほどの大きさにはならず、また局部の状態やバイタルのが基準値を超えれば自動的に勃起抑制シール同様の効果を持つ魔法が発現し、60分は完全に痛みから解放されるという。
それとは別に、復元時間は完全に勃起を抑制するらしい。
『寝不足で作業に支障が出てはかなわん』とは管理官の弁だ。
『作業中は余計な興奮をしない限りは痛みが出るほどにはならん。真面目に作業をしていれば何の問題も無いだろう?』といとも簡単に管理官は口にするが、二等種にとってオカズしかないあの作業環境で興奮するなとは、大分無理な注文だ。
多分、明日の作業は大変なことになるよな……と至恩は朦朧とした意識の中で明日を案じるのである。
『……ま、明日からはいい目覚ましが出来たな』
吐き捨てるような言葉と共にぷつりと通話は切れる。
その言葉の意味を理解するより早く、消耗しきった至恩の意識はすぅと闇に溶け……
「うぎっ!! 痛い痛い痛いぃっ!!」
「……あー、朝だから……至、生きてる…………?」
「死んでる! もう死んでるからっ!! お願いします管理官様っ! ちんちん小さくしてえぇぇ!!」
次の瞬間、これから毎日のように訪れる最悪の目覚めを痛感させられるのである。
◇◇◇
「はぁぁ、やっと落ち着いた……」
「た、大変なんだね、男の子の貞操具って……」
「ううぅ、これ多分朝だけはいつもの大きさに戻すようにされてるって……まだ痛い気がするよぉ……」
30分後。
恐らくは魔法の効果が発現したのだろう、ようやく激痛から解放された至恩は詩音に支えられながら何とか身体を起こしていた。
こんな状態でも、起床時のベルが鳴ったときに座っていなければ懲罰電撃になるのは目に見えている。人間様に二等種への情状酌量という言葉は存在しないのだ。
「んっ……ぁ…………っ……」
昨夜の管理官による処置をぽつぽつ話す、ぐったりとした至恩の隣からは、コツコツと何かを引っ掻くような小さな音が響いている。
ああ、痛くないなら無いなりに大変なんだなと至恩は隣ではぁはぁと息を荒げるトモダチに「……詩こそ大丈夫?」と小さな声で囁いた。
暫くして「……あんまり、大丈夫、じゃ、ないかもっ……」と切羽詰まった声が返ってくる。
この声色は間違いない、今の詩音は渇望が煮詰まりすぎて手が止められなくなっている。これは朝から停止電撃が確定だろう。
「ああぁ……うずうずする……触りたい…………中、とんとんしたいよぉ……んっ、ふぅっ……」
ぴくん、と詩音の身体が揺れる。
完全な暗闇の中だが、ずっと一緒にいるせいだろうか、今の詩音が何をしているのかは何となく分かる。
多分右手は貞操帯の中に触れようと必死にカップを引っ掻いているし、左手は
「んはあぁ……気持ちいい……でも、足りない…………もっと中を触りたくなるのに、止められないっ……!」
……敏感な胸の飾りの頂点を、爪で優しく掻いている筈だ。
それはどう考えても悪手だよ詩、と苦笑しつつも、痛みが消え去った途端激しい射精欲に頭を焼かれた至恩もまた、そろそろと手を股間に伸ばす。
二人の世界の動きは大体連動するのだ。ならもう、朝から仲良く悶えるのは仕方が無いよね!と都合のいい言い訳を頭の中に並べながら。
人間であれば、空の状態から射精欲が発生する程度に睾丸に精子が溜まるには48-72時間を要するが、オスの二等種は単なる性欲だけで無く射精欲も飛躍的に上がるように加工されている。
これまでの経験から、作業用品になってからは満タンになるまでに8時間くらいかかっていそうだ。ただの成体の頃はどれだけ抜いても底をつくことが無かったことを思えば、随分緩和されているのだと思う。
恐らくこの速度は、作業前にすっからかんにしても、作業が終わる頃には一度抜いてスッキリせずにはいられなくなる様に計算されているのだろう。
そうして一度でも手を出せば、癒やされない渇望のお陰で人間様に停止を懇願するまで自慰を止められなくなる。
保管庫にいる時間に余計なことを考えさせないための仕組みは、実に甘美で堕落的で――しかし悪辣極まりない。
「いつもなら朝は我慢できるのにぃ……凄いよ貞操帯って……着けただけでむずむずが増えた気がする……」
「うあぁ……無い……しこしこしたいのに、何にも無い……あああ、詩っこれはヤバいよ、こんなの辛すぎて……絶望するけど、興奮しちゃうっ……!」
はぁはぁと荒い息を立てながら、至恩はがむしゃらに股間を引っ掻く。
金属の丸いプレートは、いいところに触れるどころかこれまで当たり前に享受してきた「竿」の存在を完全に覆い隠していて、たったこれだけのことでオスとしての何かを失ってしまったように感じてしまう。
擦るものが無い、何があっても触れられない……この絶望は、想像以上に深く。
けれどそこで、後悔よりも優先して仄暗く薄甘い興奮を混ぜ込んでしまうのは、やはり変態故だろうか。
「んっ、んふぅっ、ああっ届かない……っ!」
「はぁっ、はぁっ……ああ、無い……ごしごししたい……!」
暗闇の中、切羽詰まった掠れ声に混じって、ちゃり、と金属の揺れる音がする。
それはこれまでには無かった装具……貞操帯では無く、もっと上からの音。
「んうぅぅ……はぁっ、頑張って身体を曲げたら……届かない、かなっ……」
「諦めた方が、んっ、いいよっ至…………それ、頑張りすぎたら身体が攣って大変なことに」
「ああ、なっちゃったんだね……」
二人が身体を揺する度に、ちゃりちゃりと小さな誘惑とそれが叶わない絶望を植え付けてくる音の正体。
それは、首輪の前面にある金具にカラビナで取り付けられた、貞操帯の鍵である。
◇◇◇
話は貞操帯の装着直後に戻る。
お尻で楽しもうとした至恩への逆襲をきっかけに盛り上がり始めた二人の頭の中に、いつもの無機質な音声が鳴り響いた。
……もちろん、停止用の電撃付きである。
『貞操帯の装着を完了して下さい』
「「……え?」」
その言葉に最初は「もう着け終わってるのにね」と首を傾げていた二人だが、床に放置されていた鍵を目にして音声の意図に気付いたようだ。
どうやらこの研究者は、鍵を使えない状態にするところまでを装着だと定義しているらしい。実に解釈が一致して、妙な親近感すら感じてしまう。
「ええと……鍵は、どうするんだっけ……」
改めて二人は送られてきた説明に目を通す。
鍵には小さなロック付きのカラビナが付属していて、どうやらこれで首輪に鍵をぶら下げろと言うことらしい。
カラビナのロックは、シオン本人にしか開けることは出来ない。また、保管庫の外ではシオンであっても開けることは出来なくなるため、作業中に我慢できずに貞操帯を外してしまったり、他の作業用品の手によって意図せず解錠されたりするリスクは無いようだ。
「ふぅん……保管庫に鍵を置いておくのが一番だと思うんだけどな……」
「ね、それこそタイマーロックがかかる箱とかがあれば、簡単に管理できそうなのに……ああでも、手の届くところにぶら下げてるのに取れないってのは、素敵なシチュエーション」
「それはそう」
至恩達はまじまじと鍵とカラビナを眺める。
鍵の見た目は少し異なるから、互いの南京錠は自分の鍵でしか開けられないようだ。並行世界の自分とは言え、そこまで一緒では無いらしい。
カラビナも開けられるのは自分のものだけ。試しに至恩が手にしたカラビナを詩音が開けようとしても、ロックはびくともしない。
(……これは、使えるかも!)
それを確かめた至恩が「ね、これならさ」と目を輝かせる。
――幸いにもカラビナの見た目は全く同じだ。これならバレることは無いし、何よりこの美味しい鍵の管理方法をちょっとだけ強固に出来るはず。
折角の貞操帯生活なのだ。
セルフ管理の、しかも条件が限られた中でも最大限堪能したい……そんな気持ちがダダ漏れだったのだろう。これは何か面白いことを言い出すに違いないと目を輝かせた詩音に、至恩はこほんと一つ咳払いをし、ちょっとだけもったいぶって思いつきを披露した。
「……詩、カラビナを交換しない?」
◇◇◇
「「どうしてそっちを交換するんだい!?」」
10分後。
無事、互いの首にトモダチのカラビナで繋がれた自分の鍵をぶら下げたシオン達が、さっきの続きとばかりにじゃれ合い始めた頃、区長室では二人の世界の央が画面の前で素っ頓狂な声を上げていた。
「いや、そこは鍵を交換するところだよね!?」
「ねぇ、貞操帯管理って鍵はご主人様が管理するものなのだろう? どうして自分に着けちゃうのかな!?」
変態の思考は読み切った筈なんだけどなぁ……と央は机に突っ伏す。
こんなことならば、カラビナにも細工を入れておくべきだった。
むしろいつもの自分なら、そこまで考慮していたと思う。これは、貞操帯の製作に体力と気力を取られすぎたのが原因だろう。
「こういうときは普通の身体が羨ましくなるね……」
いつか何かしら何か理由を付けてカラビナだけ交換しようと決意する央は、しかし何もせずに明日の夜まで待つのもなんだと、すっかり盛り上がるシオンの姿を横目に先ほどの映像を見直し始める。
「……鍵の形は違うって、さっきシオンは言ってたっけ。ちょっとでいいから交換してくれないかな」
残念ながら相手の鍵は映像には映っていない。
形が違うならば込められた魔法を追うまでも無く、並行世界への足がかりとなっただろうに実に惜しい。
「でも、カラビナは交換できた、事になっている……シオンの話が妄想で無ければ、並行世界に紐付いている筈の物体を今ボクは認識しているんだ」
央は映像を先に進める。
画面の中ではシオンが並行世界のトモダチとカラビナを交換するところだ。
シオンはカラビナを一旦床に置き、少し間を置いて拾い直している。
そう、さっき見た限りだと拾い直しただけにしか見えなかったが、改めて確認すれば違和感を感じる。
「……少し、位置がずれている……?」
そのまま手渡しで交換せずに、何故床に置いたのだろうかと不思議に思いつつも、央は映像を拡大し、更にコマ送りにしてじっくりと観察する。
と、ある一コマ……たった一コマだけだが、明らかな異変を見つけた。
「……ここ、から……ここ。…………うん、消えて、現れてる……!」
カラビナに伸びた指は、ほんの少しだけだが左にずれている。
そして、何も無いはずの空間に指が触れた瞬間……さっきまで映っていたカラビナは「消え」、指の触れた場所にカラビナが「現れた」のだ。
拡大して注意深く観察しなければ、決して気付かなかったであろう現象。
魔法も何も無いシオンには、手に触れずに物を転移させることなどたった数ミリでも不可能だ。
だからこれは、確定では無いにしても並行世界の存在の可能性を示唆する要素になりうる。
「……こんなことなら、ロックも本人以外に出来ないようにした方が良かったかな……いや、そもそもカラビナにも刻印を入れるべきだった……」
そのまま自らの手で渡されたカラビナを閉じ、さらに開けられないことを確認するシオンの姿に、央は自分の読みの甘さを痛感した。
カラビナが開けられない、イコールあれが並行世界の物と断定するのは尚早だ。あの程度ならば、強力な自己暗示でもあれば――それこそ十数年にわたり主張している幻覚の概念なら――シオンでも実現可能だと思うから。
「…………同じ、だよね。少なくともあれは全く同じものだ」
画面で魔力を追う限り、そのカラビナに込められた魔力は自分のそれと寸分違わない。
これ以上今は出来ることが無いねと、央は録画した映像を閉じてソファにもたれかかった。
その頬は、少しだけ紅潮している。
「ま、収穫はゼロでは無い、か…………ん、ちょっとだけ……」
はぁ、とため息をついた央の手が、そっと股間に伸びる。
自分の渾身の作品で、あんな嬉しそうに興奮するシオンの痴態を見せられたのだ。
ただの二等種として発情に溺れているだけでは無い「シオン」の姿に、生物としての本能を揺さぶられるのは仕方が無いのだろうが、この身体は「どちらも」反応してしまうのが……少しだけ悲しい。
「んっ……はぁ…………」
画面の向こうで相変わらず触れられない小さな絶望を堪能するシオンの声を聞きながら、央もまた掠れたあえかな声を漏らす。
こんな時に使うのは……シオンと交わるための器官だ。
世の中の人たちは「両方味わえてお得じゃない」なんて無責任な事を言うけれど、そんな風に割り切れるほど自分はまだ大人では無いらしい。
「んふぅっ……はっ、はぁっ……」
ぐちゅぐちゅと湿った音が、部屋に響く。
昂ぶった頭では、それが自分からなのか、画面から聞こえているのか、もうよく分からない。
(でも、少しだけ分かったことがあるよ、シオン)
快楽に身を任せながらも、央の頭の片隅では今日の収穫が整理されていく。
シオンの主張する並行世界は、間違いなく存在する。あの事象は、妄言だけで済ますには無理がありすぎる。
そして、恐らくシオンたちは、トモダチとの交流を平然と監視下で行いながらも、どこか自分達に並行世界の存在を隠そうとしているのではないか――
(並行世界の存在を隠したい? 人間様には幻覚と対話する頭のおかしい二等種のままで見られたいって事か……いや、本当にそれだけ……?)
シオンの行動は、何かが引っかかる。
その様相は、決して人間様に気付かれてはいけない秘密でも持っているかのようだ。
つまり、並行世界の存在を明らかにすることが、そのまま秘密の暴露へと繋がると考えているのか。
(分からない……シオン、キミは一体何を隠してる……?)
「んぁ…………っ!」
びくん、と央の身体が数度跳ねる。
脳を貫く鋭い快楽にほぅとため息を漏らし、さっと後始末を終えれば、央はぽてんと小さな身体をソファに横たえた。
……画面の中ではまだまだシオンはお楽しみのようだ。実に二等種らしくて結構である。
「さて、問題もなさそうだし……後は久瀬さんに任せて帰ろうかな、このままじゃ寝落ちしちゃいそう」
……シオンをオカズにしてしまった日は、どうにも気恥ずかしくなる。
そんな気持ちを振り払うように央はわざと声を出し、帰り支度を始めた。
スマホでさっくり今日のニュースをチェックすれば、トップに現れたのはつい先程地上で起きた地震の速報だ。
「あ、地震があったんだ。結構大きいな、帰れるかな……この地域の転送陣稼働状況は、と……」
地上でどんな災害が起ころうが、物理的そして魔法的に一般的な軍事施設を上回る堅牢性を兼ね備えた地下には、何の影響も無い。
お陰でここに配属された当初は、地上の状況を確認せずに帰宅しては突然の台風や大雪に泣かされたものだったなと思い返しつつ、画面をスクロールする。
「……うん、大丈夫そうだね」
どうやら帰宅には問題なさそくだ。
央はスマホを鞄に入れると「じゃあね、シオン。また明日」と画面の向こうでもどかしげに腰を振るシオンに笑いかけ、モニタの電源を落とした。
◇◇◇
「!? しっシャテイ、どうしたのそれ!?」
「あ、あはは、おはようございます……」
朝から散々もどかしさに泣かされ、起床のベルと共に『朝から見苦しいな、変態が』と申請する間もなく停止用の電撃を浴びながら転送された詩音が「いてて……無茶しすぎだよ、管理官様……」と嘆きつつ待機室に向かえば、朝の餌の順番待ちをしていた作業用品達がギョッとした顔で詩音の下腹部を注視する。
「そ、それ……貞操帯、よね?」「懲罰くらっちゃった? にしては……見たことがない貞操帯……」と恐る恐る尋ねる彼らに、詩音が管理官様からとある研究のモルモットとして使用することを告げられたと話せば、部屋の空気が一気に重くなった。
「そんな、作業用品なのにモルモット!? なんで……?」
「……えっと、珍しいんですか?」
「珍しいどころか、そんな話は聞いたことがないぞ! 人間様の研究用素材になるのは、製品のなりそこない、F等級と相場が決まっているから」
「えええ、知らなかった……」
目を丸くする詩音に、作業用品達は同情的である。
普段は人の不幸は蜜の味とばかりに楽しそうに茶化す彼らも、モルモットという作業用品にあるまじき仕打ちを笑う気にはならないらしい。
辛くないのか、大丈夫なのかと心配そうに詩音を気遣う作業用品に、詩音は「あ、大丈夫です……ここでは、まぁ何とか」と笑う。
「作業中はそもそも自慰禁止だし……気を抜くと手を伸ばしちゃいそうですけど、触れませんし」
「あ、まぁ、それはそうだな……でもきついだろ? ずっと触れないって……俺も5日間貞操帯装着の懲罰を食らったことがあるけど、マジで気が狂いそうだった」
「まだ昨日の今日だからマシ、かな……それに、これ着けてみたかったんで」
「「はい!?」」
(あ、やばい。流石に着けたいは言っちゃまずかったか)
詩音の言葉に固まる作業用品達に、詩音はやらかした、と内心天を仰いだ。
貞操帯は、調教用作業用品にとっては作業で必要な備品であると共に、誰もが……あのクミチョウすら恐れ戦く懲罰器具でもある。
それをまさか好んで着けたいと望んでいるだなんて、これはドマゾであることがバレてもおかしくない、と詩音は己の軽率な発言をしこたま後悔し、どうかバレませんようにと引きつった笑顔の下でひたすら祈った。
しかし、どうやらそもそも作業用品の頭には――作業用品で無くてもだが、作業用品と被虐嗜好が繋がることは永遠に無いらしい。
「あー……まぁ、私達もタトゥーやピアスでおしゃれしてるものねぇ」
(え)
「確かに、同じようなものか。鍵だって自分で持ってるもんな、それ貞操帯の鍵だろ? 管理官様が鍵を持ってないってことはつまり」
「あ、保管庫の中なら解錠できます。作業中はロックを外せませんけど」
「だよなぁ、ならちょっとばかし辛いけどおしゃれのためなら仕方ないってやつか」
(ええええ!? これ、おしゃれ認定!!?)
忘れていた。
この人達は、おしゃれのためなら多少の苦痛は享受できるタイプなのだった。
……うん、これならこちらのドマゾっぷりがバレることは無さそうだ。
詩音は少し前に管理官にタトゥーをねだった作業用品が、待機室で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり絶叫しながら紋様を彫り込まれる姿を見学させられたのを思い出す。
彼らにとっては、苦痛に咽び泣き醜態を晒しそれを仲間のオカズにされてでも、身体を着飾りたいものなのだろう。
もしかしたら、無意識に取り戻した人権を謳歌しようとしているのかも知れない。
「他の保護区域だとここまで派手なタトゥーやピアスは許されないらしいのよ、おしゃれに寛容な保護区域で良かったわぁ」なんて微笑む作業用品の腕には美しい牡丹が彫られていて、詩音は「え、あ、うん、そうですねぇあはは……」と乾いた笑いを漏らし、勘の鋭い個体がいなくてほんっっっとうに良かった! と心の中で盛大に安堵のため息をつくのだった。
◇◇◇
意外にも、装着後初めての作業は特段の問題も無くこなせていた。
「はぁっ、はぁっ……おまんこ様を舐めさせてぇ……いっぱい気持ちよくしますからお願いしますっ!! これ、届かないのぉ……っ!!」
「あーこれもお預けになるんだ。ちょうどいいやシャテイ、そのまま泣かせといて。……おい、もっと俺らから絞りとらねぇと、そのおまんこ様は舐めさせてやれねぇってよ!」
「っ、はっ、はいぃおちんぽ様だいしゅきぃ!!」
(へぇ、貞操帯を舐めているのもモニタリングできるんだ……切羽詰まりすぎて舌使いが雑になってるから、指導がいりそうかな……)
オス個体の顔に馬乗りになったまま、詩音は状態を冷静にチェックする。
担当している素体は既に奉仕実習に入っていて、メス個体は股間を顔に押しつけて性器従属反応を強化しつつ疑似ペニスを使って穴の具合をチェックするが、そもそも作業用品が素体を使う際には一切の性的感覚を剥奪されてしまうから、性器を舐められるのも貞操帯のカップを舐められているのもあまり違いは無い。
今後作業で必要があれば、強制的に貞操帯を外させられる可能性はあるそうだが、この調子だとその機会はそうそう訪れなさそうだ。
なるほどよく考えられていると、詩音はクリアカップを採用した研究者の先見の明にちょっと感謝をしていた。
(やっぱり着けっぱなしてこその、貞操帯だもんね……ふふ、いい感じ)
作業をしていれば、そこまで貞操帯は気にならない。
もちろん何も着けていないのとは感覚が違うが、集中していればその存在を忘れてしまうこともある。
サイズはしっかり計測して作られているのだろう。身体を大きく動かしてもほとんど圧迫を感じることも無く、強いて言うならカップの中に封じられているはずの股間が少しスースーするくらいだ。
着けている方がスースーすると言うのはどうにも不思議な感じである。押されて割り開かれているのだろうか。
だから、作業自体は順調。
ただ……残念ながら、作業用品達の注目の的になるのは避けられないようで。
「……ええと、何を」
「いや、ちょっと下からの眺めを堪能しようかと」
「どうして」
奉仕実習の合間、担当を交代してデータを確認がてら休んでいれば、すっと寄ってきたオス個体がやおら屈み込んでで「シャテイ、ちょっと股を拡げて」と言い始める。
何事かと思えばとんでもない目的に、詩音の目は点になった。
「座ってたら懲罰になるぞ」とこちらに寄ってきて彼の行動を諫めた別のオス個体の言葉にほっとしたのも束の間、どうも彼も目的は同じようで。
「むしろシャテイ、処置台の上でM字開脚しようぜ! あ、がばっと勢いよく頼む」
「…………はい?」
「あ、そしたらしゃがまなくても見えるか」
「頭いいなお前!」
「だからどうして!?」
――どうやら彼らは、どうしても詩音の股間が見たくてしょうが無いらしい。
作業をしていたメス個体はそんなオス達の動きに「オス共が壊れてる」と呆れ果てた様子だ。
同じく詩音も理解不能な行動に「……あの、頭大丈夫?」とつい本音が漏れる。
「そんな、メスの股間なんて散々見慣れてるじゃないの。二等種の股間は隠せないんだから」
「おう、見慣れてるな。だが、見慣れてるからこそいいんだよ!」
「はい?」
「いいか、いつも開けっぴろげな物ばかりを見てると」
「見てると」
「……ちょっと隠れてるのがめちゃくちゃエロく見える」
「「ほんっとうに頭大丈夫?」」
鼻息荒く語るオス個体の股間は、いつも以上にいきり立ち先端に雫を滲ませているあたり、彼が本気で戯言を述べているのは間違いないだろう。
何なら周りのオス個体も、それこそ今まさに奉仕実習で素体の穴の中に突っ込み腰を振っている連中まで「分かる、全面的に同意する!」「ちょっと光が当たって見えづらいのがそそる」などと言い出す始末だ。
(えええ……これ、クリアカップだからほぼ何も着けてないのと一緒じゃないの? オスの考えることは良く分かんないなぁ……)
内心呆れながらも、素敵な模様で身体を彩った上にちょっと目が据わっているオス個体に囲まれて頼まれれば、悲しいかな断れないのが詩音である。
まったく、虐められっ子の性分はどうやっても治らないのかと嘆きながらも、詩音は言われたとおり処置台に腰掛け「こ、こう……?」としぶしぶ手で膝をぐいっと広げた。
途端に「おおお……!!」と歓声が上がる。
(ひいぃ、何か目が血走ってない!?)
今にも襲ってきそうな雰囲気のオス達に詩音がすっかり萎縮しているのもお構いなしに、オス達は「これはいい」「いやぁ一服の清涼剤」「ありがとうシャテイ様、暫くはこれで抜けるわ」と散々な言いっぷりだ。
「うわーオス達がおかしくなってる」
「まぁ気持ちは分かるけどね……気持ちよくなれないのに、延々腰振り続けるのは辛い」
メス個体達も同情の視線こそ向けるものの、詩音を助ける気までは無さそうである。
奉仕実習の担当及びアシスタントとなった作業用品の性感は、完全に遮断された状態だ。
正確には身体は感じているし射精もするが、一切の感覚を脳で受け取ることは無い。
元々自慰を始めれば停止電撃を浴びるまで止まれないほど、精神的には飢えきった状態なわけで、下手に快感に溺れれば作業どころでは無くなるからという管理官様の理屈はもっともである。
故に、彼らは画面に表示されるグラフと数値を眺めながらあたかも興奮し感じているかのように振る舞い「もっと腰を振れ」「舌の動きが悪い」と素体を指導する羽目になる。
そんな状態が数時間も続けば、更に渇望が強まりこんな奇行に走るのも無理からぬ事ではあろう。
担当作業用品はともかく、スポットのアシスタントは連続3日以上奉仕実習に入ることが無いのも頷ける。
……だからといって、この状況にはいそうですかと納得は出来ないけれど。
(はあぁ……至ならともかく、他のオスに見られるのは流石に恥ずかしいんだけどな……でも下手に拒否したら怖いしぃ……って待って、人数増えてない!?)
「よう、いいモノが見れると聞いたぞ」
「あ、クミチョウじゃん! 見てよこれ、貞操帯越しのマンコはガチやべぇ」
「ん? なんだシャテイじゃねぇか! ……ほう、アクリル越しか。また趣味がいいなてめぇ」
「ひょえぇぇ!!」
気がつけば、奉仕実習室にはオスが入れ替わり立ち替わり押しかけていた。
どうやら噂を聞きつけた作業用品がこっそり立ち寄っているらしい。
それ自体は奉仕実習室に関しては良くある話だし、立ち寄ったついでに素体の穴を堪能する(もちろん性感は剥奪してからだが)のも黙認されているのだが、彼らの目的は何故かはしたない格好で……しかも見られているせいかちょっと興奮してきている詩音の方で。
「お、シャテイ濡れてきてる」
「いいねいいね、更に絵面が良くなった。あ、もうちょっと本気汁増やそっか」
「そんな無茶言わないで下さいよぉ!!」
(もうだめ、恥ずかしすぎて死ぬ、助けてえぇぇ!)
耐えきれなくなった詩音が心の中で叫んだ瞬間
バチン!!
「ひぎっ!!」
「ぎゃっ!」
「ぐあ……っ!!」
ひときわ大きな破裂音と共に、オス個体達の首輪が一斉に青白く光った。
『……誰が作業をサボれと言った』
「げっ、その声は」
「かかか管理部長様ぁっ!?」
『そんなに貞操帯が好みなら、じっくり堪能させてやろう。今、懲罰電撃を食らったオスは全個体、3日間の貞操帯装着を命じる。今すぐ物品転送室へ出頭しろ』
「「ひぇっ!!」」
聞き慣れた感情の籠もらない声に、オス達は一斉にその場にひれ伏し「ご指導ありがとうございますぅっ!!」と叫ぶや否や、慌てて部屋を立ち去る。
出て行く間際に「ちょ、なんでいっつも俺だけ特別待遇なんすかね!?」とクミチョウが叫んでいたから、彼だけは懲罰期間が長いと見た。よりによって調教部長に見つかってしまったのが運の尽きという奴だ。
(……まぁ、運の尽きなのはこっちもだけど……いてて)
何故か一緒に電撃を食らわされた詩音は、はずみで処置台から転げ落ちていた。
しこたま腰を打ったお陰でなかなか立ち上がれない。
そうこうしているうちに、早く立てと言わんばかりに電撃のお替わりがやってきた。相変わらずこの管理官様に、手心という概念は無いようだ。
『まったく、気に入ったからって早速見せびらかして興奮するとは、随分意地汚い変態マゾ個体だな』
「うぅ……ごめんなさい……」
『次に同じ事をしてみろ、その貞操帯を取り上げてやる。それも永遠に、な!』
「ひいぃっそれだけはお許し下さいぃ!!」
折角手に入れた宝物を失うわけにはいかないと、詩音は真っ青になって――しかしこの連帯責任はどうにも解せないと突っ込みっつ――必死に管理官に謝り倒すのだった。
◇◇◇
一方、至恩の方はと言うと。
「うわぁ、貞操具ってこんな風になってるんだ!」
「たまたまにちょっとめり込んでいるの、可愛いわねぇ! ねぇ、ちょっとつついてみてもいい?」
「あ、私握ってみたい。あんまり素体にやっちゃうと、管理官様に怒られるのよね」
「ひいぃぃっ勘弁して下さいぃぃ!!」
……すっかりメス個体達の玩具と化していた。
詩音の方とは異なり、こちらは作業用品なら散々見慣れたフラット貞操具である。
流石に待機室に入ったときには「ちょ、シャテイまさかの懲罰?」「そのタイプのフラット貞操具、クミチョウと一緒じゃん! てことは管理部長様から直々の懲罰か!?」と大騒ぎだったが、事情を話せばモルモットになったこと自体は同情されたものの、あっさり受け入れられたように見えた。
そう、そのはずだったのに。
(どうしてこうなったの!? あのっ、いくら使わないからって潰していいものじゃないんだよ、それはっ!!)
思いがけない股間の危機に真っ青になって震えながら、至恩はこれまでのことを思い返す。
確か今日は朝から奉仕実習で、フラット貞操具を着けている至恩では突っ込む竿が無いから役に立たない……かと思いきや、物品転送室から渡されたのはこの貞操具に取り付けられる疑似ペニスだった。
ご丁寧にも元の至恩のサイズを忠実に再現した疑似ペニスは、流石に貞操具だけで支えると陰嚢が大変なことになりそうで、付属のベルトで支えながら(よくこんなものを生やして普段邪魔にならないものだなぁ)と妙な感想を覚えながらも、至恩はいつものように腰を振り指導に励んでいた。
まぁ、全く報われない動きに頭は煮詰まる一方だが、時折悶絶する股間の痛み以外はいつもの実習と変わりない。
そこに話しかけてきたのは、同じ奉仕実習のアシスタントに入っていたメス個体である。
「ねぇねぇシャテイ、今休憩中っしょ? その貞操具見せて貰えない?」
「へっ」
「あ、私も見たい! テザーが無いのにどうやって固定してるの?」
「あれ、これリングがちょっと曲がってるよ! 痛くないの?」
「え、あのっ、そのっ……」
……とまぁ、わらわらと寄ってきたメス個体達に取り囲まれ、あっという間に処置台に乗せられたかと思ったらしっかり股を開いた状態で固定され。
(うそん、そんなとこじっくり見ないでえぇ!! 何なの、詩もだったけど女の子ってどうしてそう人の急所を遠慮無くにぎにぎするのっふぐうぅぅっ!!)
最初の内は少し機構の違う貞操具に盛り上がっていたはずなのに、気がつけば彼女達の興味は、貞操具の蓋をめり込ませしょんもりしているふぐりへと移っていて……
嗜虐大好き、オスの悲鳴は何よりのごちそうな彼女達の餌食となっていたのである。
その間、わずか10分。
笑顔で圧をかけ取り囲み、強引に事を進めるタトゥーだらけの集団に、虐めの記憶が頭によぎる至恩が止めてと言えるはずも無く……憐れ至恩は、朝から発情を持て余したメス個体のサンドバッグと成り果てた。
作業をしながら遠巻きに眺める、オス個体達の同情の視線が痛い。同情するくらいなら、さっさと助けて欲しい。
「……おぅてめぇら、あんまり強く握ると炎症を起こして管理官様出動案件になるからな? 痛がらせるのは自由だから加減しろ加減」
「えークミチョウ、このくらいなら大丈夫じゃ無い? えい」
「ふぐっ!! …………うぅっ、不意打ちするなよ……死ぬかと思った……」
「あはは、ごめーん! でもクミチョウは死んでないからこのくらいなら大丈夫、ねっ!」
「ぐ…………っ……!!」
……ああ、なるほど。
助けに入ればこうなるから同情するだけなんだ、と至恩は台の横から聞こえてきたクミチョウの悲鳴に全てを察し、虚無モードに突入した。
だめだこれは、彼女達が気が済むかもしくは管理官様から注意が入らない限り絶対に終わらない……
(もうやだぁ、どうしてメスってこんなに残酷なの!?)
「袋の中で動くの、面白いねー」と散々こねくり回され「ちょっと練習させてね」と鞭でぺちぺちとしばかれ「やっぱりにぎにぎが至高」とうっとりした表情でこちらが泡を吹くまで握り込まれ……
世にも恐ろしい宴が『お前らいい加減に作業に戻れ、今電撃くらったやつらは全員貞操帯着用3日間な』との宣告と共に管理官からの懲罰電撃で終了したのは、実に1時間後のことだった。
『随分お楽しみだったな』とはあんまりだし、何ならどうして自分まで連帯責任で懲罰電撃を食らうのか、納得がいかない。
……まあ、尤も自分以上に納得がいかないのは「ちょ、なんで俺だけ1週間!?」と叫んでいるクミチョウだろう。
助けに入って痛い思いをした上に、この騒ぎを見つけたのが管理部長だったせいで「特別扱い」とは、あまりにも運が無い。ホント申し訳ない、と至恩は心の中でがっくりと項垂れるクミチョウに謝るのである。
そんな至恩の頭の中には『おまえのへなちょこは治ってなかったのか?』と呆れる声が響く。
『お前はまず、二等種相手でも断るということを覚えろ。次やらかしたら、その貞操具は没収』
「はひっごめんなさいごめんなさいなんでもしますからそれだけは勘弁してくださいぃっ!!」
『人の発言に被せるな。どれだけ反応が早いんだ……ちょっと引くわ、このゴミマゾ野郎が』
(そんな、折角1年間も頑張っておねだりして手に入れたのに!! これだけはぜっったいに死守しなきゃ……!)
きっと今頃、詩音も同じような目に遭って謝っているんだろうなぁとどこか遠い目をしながら、至恩は管理官の気が済むまで、まだ収まりそうにないふぐりの痛みに涙を浮かべ、虚空に向かって必死に謝り倒すのであった。
◇◇◇
「大分納得がいかない」
「それはそう。……ま、でも懲罰は電撃だねだったし、何より貞操帯を取り上げられなかったからオールオッケーって事で」
「んー、それもそっか……そう思わないとやってられないよね!」
そんなこんなで初日の作業は周囲に振り回され続け、貞操帯の真価を知る暇も無く終わりを迎える。
運動と洗浄を終えて保管庫に戻された至恩達は「もうちょっと堪能したかったよね」「周りが慣れてきたら楽しめる……といいなぁ」とげんなりしつつ、いつも通り指示に従って給餌スペースへとしゃがみ込んだ。
夕方の餌では、先に浣腸液を注入され、腹の渋りに呻きながら臭い餌を一滴残らず舐め啜ることで中身の転送が許可される。
早番のため浣腸は夕方にスライドしたらしい。衆人環視で晒し者にしないのは、恐らく製品との差をつけるためだろう。
上下の口からの注入方法や注入量、内容はただの成体、性処理用品の素体、製品、作業用品によって異なるが、作業用品の場合注入に使うノズルはいわゆる人間男性サイズの疑似ペニスだった。
そう「だった」のだ、昨日までは。
「……あれ? ノズルが……変わってる?」
白いシンプルなへやには似つかわしくないグロテスクな疑似ペニスの代わりに、今目の前に生えている黒いノズルは、片方が直径4センチほどの円筒形で、真ん中に突起がついている。
そしてもう片方は直径2センチ、長さも10センチ弱の細いノズルだ。
形から察するに、円筒形のノズルは詩音の、細長いノズルは至恩のために用意されたと見た。
「あ、そっか……詩はお尻も覆われてるから、今までのノズルじゃ入らないもんね」
「うん。どうするのかと思ってたけど……シールドの真ん中にへこみがあるから、そこに差したらロックされるのかな」
話しながら二人はよっこいしょとノズルの上で腰をかがめる。
手で位置を確認しながら詩音がノズルをアナルシールドに嵌め込めば、案の定カチっと音がして
「ひょえっ!?」
つぷり、と粘液を纏った細い管が肛門の中に侵入してきた。
「うわぁ……何か変な感じ……むしろ物足りないぃ……」
「うん、そうなるよね。僕もこれじゃ全然……んっ、中で栓が膨らむのは一緒なんだ」
「えええいいなぁ、この際栓だけでもいいから圧迫感が欲しい」
まるでミミズが尻から侵入してるみたい、とげんなりしていた詩音と、こんな太さじゃ今後触れない辛さが増しても浣腸で紛らわすことは無理かなとちょっとがっかりしている至恩は、しかし注入が始まった途端「ぐっ!」「うぅっ!!」と目を剥いた。
「なっ、何、これっ!? うああぁぁお腹熱いっ、焼けちゃうよおぉっ!!」
「はぁっはぁっ、出したい、出したいっ……お腹めちゃくちゃゴロゴロいって、あっだめもう、これ無理ぃ!!」
経験したことも無い腹の渋りと猛烈な排泄衝動に、二人の身体からぶわっと冷や汗が噴き出す。
二人は知らないが、この浣腸液は性処理用品が日常的な懲罰で使用する、最も激烈な薬剤である。
注入した瞬間に肛門に焼け付くような痛みが走ったかと思うと、それが猛烈な勢いで直腸を超え結腸へと広がっていく。
人間であれば入れた瞬間から肛門の粘膜が勝手にめくれ、だらだらと汚水を垂れ流すことしか出来なくなるだろうが、特殊な処置を施さない限り入れれても出せない二等種なら
「ひぎっ!?」
注入が終わりずるりとノズルを引き抜かれても、そのめくれ上がった肛門がぽっこりと口を開けているというのに、一滴たりとも漏らすことは無い。
故に、周りを汚すことも無く、一般人でも安全に実行でき、痛みを快楽に変えられるよう加工された性処理用品すら悶絶する苦痛を与えられる手法として、この浣腸による懲罰は地上では比較的気軽に採択されるという。
……とは言え、作業用品にこんなものを使う事はまず無いのだが。
「はぁっはぁっ……出したい……やめてぇ、勝手に息まないでぇ!!」
「ひいぃ、出ないんだってばぁ!! お願いもう抜いて……っ、苦しいよぉ……!」
あまりの苦痛に、口を締めることすら出来ず、よだれがぽたぽたと胸を濡らす。
身体が震えて、目の前がぼやけてくる。
並々と注がれた餌皿までの距離がこれほど遠く感じるなんて、初めての経験だ。
「はぁっ、はぁっ、うっ……んぐっ……!」
このままでは壊れてしまう――そんな危機感を抱いた至恩達の頭の中に、二人の予想した通りの言葉があの管理官様の声で響き渡る。
『折角望みのものを恵んでやったんだ。対価は必要だな? ……お前のせいで作業効率に支障が出た日は、こいつが待っていると思え』
「「ひっ、ごめんなさいいぃぃ!!」」
……ああ。
どうして今日、あの場で至恩達だけ追加の懲罰を言い渡されなかったのか、今納得がいった。
多分、普段のエンドレス説教や黒板を引っ掻く不快極まりない音ですら生ぬるいと判断したこの冷徹な管理部長が、より至恩達に効果的な懲罰を考えるための時間が必要だったせいだ。
(そんなぁ! やっぱり管理官様、私達に塩対応過ぎない……!?)
(ちょっと貞操帯を楽しむだけだよ! 大人しく封じられて悶えてるだけだし、今日だって僕らは何もしてないってのに、あんまりだ……!)
管理官への文句が一瞬二人の心に浮かぶも、そんなものはすぐさま激烈な便意で押し流されてしまう。
二人は時折呻き歯を食いしばりながらも、さっさとこの苦痛から解放されるために、並々と注がれた疑似精液状の餌の中に顔を思い切り突っ込むのだった。
◇◇◇
「あのさ……これじゃ、貞操帯のもどかしさを楽しむどころじゃ」
「……無理。絶対無理。まだ何かお腹はおかしいし、お尻なんてグズグズのゆるゆるのまんまだよ……今なら1.5リットルのペットボトルでも入りそう」
「まって、それお尻は元に戻るの!?」
ようやく餌を腹に納め、3度にわたるやり直しを食らいながらも腹の中で暴れ回る浣腸液を抜いて貰えた二人は、もう今日は閉店だとばかりに息も絶え絶えで床に突っ伏していた。
今日の出来事を全部吹き飛ばし、待ち望んだ楽しみすら奪うほどのえげつない懲罰を平然と課してくるとは、やはり人間様は二等種と変わらず残酷である。
「最初の24時間は、あっさり終わっちゃいそうだね……」
「うぅ……もっとこうさ、触りたいのに触れないきっつい! って悶えたかったのにぃ……ここに戻ってからなーんにも楽しめてない!」
「ま、まぁほら、初回は調整の意味合いが強そうだから…………明日からは何言われても絶対断る、頑張る、多分、きっと……」
「至、どんどん弱気になってる」
「ぐぬぬ……なんでここは、あんな怖い見た目の作業用品ばっかりなんだよぉ……!」
作業中は何があっても作業に徹しなければ、保管庫での楽しみすら奪われてしまう。
確かに性処理用品に比べれば圧倒的な――人間様からすれば大した差は無いにしても――自由を手にしているとは言え、それすら人間様の掌の中でしかない事を、彼らは改めて痛感する。
だからといって、別に二人は落ち込みむわけではない。
今までだってあらゆるものを奪われていたことに変わりは無く、そんな中でも小さな楽しみを握りしめて、共に寄り添いつつ生きてきたのだから。
何より今回は、念願の装具まで手に入れているのだ。多少の報いはもう受け入れるしか無いね! とあっさり諦め、目の前の楽しみに注力できる性格で本当に良かったと、こういうときだけはこんな脳天気な性分に生んでくれた親に感謝するのである。
相変わらず床に寝そべったまま、特に何をするでも無く――いつの間にか手は股間に延びてはいたけど、もどかしさを楽しめるほどの元気は残ってない――ダラダラと過ごして、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
突如頭の中に『解錠の時間です』と人工音声が鳴り響いた。
どうやらもう装着から24時間が経ったらしい。あまりにいろいろなことがありすぎて、時間の経つのが早すぎる。
「……これなら、次は1週間でも行けそうだよね」
「うん、特に指示が無ければ1週間にチャレンジしちゃおっか?」
本当は3日、5日と少し間隔を刻んだ方がいい気もするのだが、今日一日を楽しめなかった鬱憤は思った以上に貯まっていたらしい。
二人はリセット前から次の計画を即断し、しかしまずは指示に従おうと、至恩が詩音の首に手を伸ばした。
「いける?」
「うん、大丈夫。……外すよ」
詩音の手はカラビナを握り、ロックを回すフリをして……解錠の権利を持つ至恩が素早く右手でロックを解錠する。これで監視映像を流し見する分にはバレないはずだ。
同様に至恩も自らの鍵を手に入れ、二人同時に南京錠に鍵を差し込んだ。
本当は解錠もお互いの手でして欲しいが、流石に映像を誤魔化せる気がしないので妥協する。
カチッ……
「…………ちょっと、あっけないね」
「まぁ、着けてる辛さも……夜の痛み以外はそこまででも無かったからね」
二人は注意深く貞操帯(貞操具)を外していく。
詩音がカップを外せば、汗の臭いに混じってむわりとメスの匂いが、至恩がカテーテルをずるりと抜けば濃いオスの匂いが部屋に広がった。
貞操帯のカップには、どろりと穴から溢れなかった愛液が溜まっている。この穴はかなり小さいから、余程で無ければ愛液が股を伝うことは無さそうだ。
「うわ、どっろどろだ……これ、舐めないとダメなやつかな……」
「取りあえず指示を待ってからじゃない? うわぁ、僕の方も結構ドロドロになってる」
「色々あったから気付かなかっただけで、身体は既に限界を迎えてたっぽいね、これ……」
外した途端に早速元気になろうとする息子さんを、至恩は「ヤバいリングが抜けなくなる!」と慌ててボロンと引っこ抜き、ふぐりから慎重にリングを外していく。
「……至ぅ」
「却下します」
「けちぃ……」
とてもやりたそうな顔で詩音が眺めているが、流石に今日はそんな心の余裕が無い。
散々甚振られたせいか、ふぐりはちょっと腫れていて昨日よりリングを通るときの痛みが強い気さえするのだ。こんな状態で加減無しに詩音が引っこ抜いたら……だめだ、考えるだけで玉がヒュンと上がりそうだ。
「ふ……ぅ……よし、抜けた……」
『その場で立ち上がり、股を開いて待機。手は後ろに回しなさい』
「あっ、はい」
『スキャン開始…………確認完了、次は四つん這いになり……』
(あ、これは……丁寧なモノ扱いってやつだ、ちょっと……いいかも)
(まさにモルモットって感じがする……いつもながら淡々と人工音声に従わされるのは、来るものがあるなぁ……)
装具を外して床に置けば、すぐに指示が飛んでくる。
様々なポーズを取り、指で広げ、ぐっしょり濡れそぼった秘部を誰もいない虚空に向かって晒し続ける。
時折、何をやっているんだろう、と不意に虚しさが過って、けれどそれすらも今の二人には興奮の材料にしかならない。
監視カメラの向こうでは、一体どんな研究者が、どんな顔をしてこの醜態を眺めているのだろうか。
この装具を作った人間様なのだ、きっと管理官様のように変態性癖を唾棄することは無いはず。むしろ楽しんでいるのかも――そう思うだけでゾクリと快感が背中を駆け上がる。
(ああ……来た)
(うずうずする……触りたい……逝きたい……!)
今日一日忘れていた渇望が、二等種らしからぬ丁寧な扱いを受けたせいだろうか……ようやくぶり返す。
いつもより切羽詰まった感じがするあたり、やはり様々な出来事で紛れていただけで、しっかりもどかしさは感じていたようだ。
ちょっと思い出すのが遅かったな、と二人が外した貞操帯を名残惜しげに眺める中、更に感情のこもらない指示は続く。
『外陰部に浮腫あり、薬剤を塗布するように』
『陰嚢に軽度浮腫及び擦過創あり。薬剤塗布後、1時間は触れずに待機。その後自慰行為及び再装着を許可します』
熱に浮かされたような表情で股間を晒していた二人は、それぞれの頭に響いた言葉と同時に聞こえたカツンという音に、少しだけ正気を取り戻す。
視界の端に見えるのは、全く同じ見た目をした、二つの小さな軟膏容器だ。
蓋を開ければどこかで嗅いだような花の香りがする、白いクリームが詰まっていた。恐らくどちらも同じ塗り薬なのだろう。
「これを塗って、1時間待機かあ……むしろ待機中に貞操帯を着けたい」
「分かる、この状態で我慢は……あはぁ、きついに決まってるぅ!」
我慢上等、今日一日の鬱憤を何としても取り戻してやる!とばかりに、二人はたっぷりとクリームをすくい取り、指示された場所に塗りつける。
待機と言われた以上、触れば懲罰だろう。こうなったら二人で手を握ってようか、と至恩達は向かい合って座り、互いの手をぎゅっと握りしめた。
その時。
「ん? ……え、何これ……スースーする?」
「いやちょっと待った、スースーどころか……うああぁ熱いぃ!」
突如、股間がカッと熱くなるような、けれど冷たくなるような激烈な感覚に襲われた。
目を白黒させながら下を向いて、至恩達はその発生源を察知する。
「……ひぃ……やばい、ジンジンする……この塗り薬ヤバくない!?」
「あちゅいぃ……あぁぁ、触りたい……!! うあぁ、詩っ、これきついよっ!! 塗ったのはたまたまなのに、なんでちんちんまでジンジンするんだよぉ!?」
「うあぁ待って、お尻の中まで来るぅ!! あああっ、中っ、ゴシゴシしたいよぉっ!!」
非常に残念なことに、研究者の寄越した薬は効き目こそお墨付きなのだろうが、とんでもない刺激物だったようだ。
薬を塗り込んだ、むくんでぽってり腫れ上がった詩音のラビアに、そして昼間の戯れ(?)で腫れ上がった陰嚢に容赦ない疼きを与えるだけに留まらず、その薬効は近隣組織へと野放図に領土を広げていく。
特に、さっきとんでもない懲罰を食らい、未だ閉まることを知らない肛門からはみ出た粘膜が、えらい目に遭っている。
じんじんして、触りたくて、けれど触れれば確実に懲罰だから……二人は必死に互いの汗まみれの拳を握りしめ、せめてもの抵抗とばかりにキュッキュッと肛門に力を入れた。
けれど、ただでさえ緩んだ入口には何の効果も無く、それどころか一気に火がついた身体はとぷっと淫らな液を吐き出し、それが更に薬を広げて……
((何なの、今日は厄日ってやつなの!!?)
「いやぁぁっ、早く触らせてぇ!!」
「はぁっ、はぁっ、ごしごししたい、ごしごししたい……うあぁ……」
神様、私達はちょっとばかり性癖を追求しただけです。
それを叶えただけでこの仕打ちは、流石にあんまりじゃないでしょうか――
それから一時間、保管庫の中には悲痛な叫び声と懇願がこだましていたという。
そして
「……あー、二等種って感覚も鋭敏だから……人間用の薬じゃ刺激が強すぎたんだ……」
画面の向こうでは、完全に親切心からお手製の塗り薬を提供した央が「ごめん、シオン! 次から気をつけるから……一時間、頑張って!」と天を仰ぎ謝り倒していた。
◇◇◇
「ひぃぃ……ジンジンが収まらない……なにこれ、実は媚薬とか……?」
「…………あのさ、至。」
「ん?どうし……えっと、詩?目が据わってる気がするんだけど」
「……こうなったらリセットくらいそれっぽくしようよ! うん、そうしないと色々収まらないって!!」
「あわわ落ち着いて詩っ! はぁっ、もう早く触ろうってばぁ!」
一時間後、そこには限界を超越し何かが切れてしまった詩音の姿があった。
もう何でもいいから早くリセットしたい、そして快楽に溺れたいと懇願する至恩の手をがっちりと握りしめたまま、詩音はギラギラした目で「……お互いにリセットしようよ」とまた訳の分からないことを言い始める。
「えっと、詩?」
「貞操帯管理ってさ、本来自分のここには触らせないよね」
「う、うん」
「リセットだって、キーホルダーの胸三寸が基本だよね?」
「えっと、そうだねって、あの詩音……?」
「……今日の私達さ。カラビナを使って……お互いのキーホルダーになってるようなものだったよ、ね?」
「!!」
だから今日は、互いを逝かせようよ。
そう熱に浮かされた笑顔で宣言した詩音は、至恩の手を離すなりむんずと玩具の山から何かを取りだし
「ひぃっ!? んぶっ」
ぐちゅり……くちゅっ、じゅぷっ……
押し倒した至恩に馬乗りになって顔に自分の股間を押しつけ……そしてドロドロになった至恩の屹立に、ぐちゅりとお気に入りのオナホを被せたのだ。
「――――! ――――――っ!!」
突然視界が柔らかいぬめりに覆われ、脳みそにメスの匂いを直撃させられ、ついでに屹立が温かでぬるぬるした感触に覆われた至恩は、たまったものでは無い。
一瞬見知らぬ世界にぶっ飛びかけた正気を取り戻し、慌てて顔をずらして「詩あぁぁ!?」と声を上擦らせながら叫んだ。
「んひっ待って、お願い正気に戻って詩ぁっ!? だめだよ、女の子のこんなとこを押しつけちゃ! 第一、僕は男なんだけど!!」
「……いーよ、だって至だし。ほら、至は並行世界の『自分』なんだから、一緒一緒」
「それ、前にも言ったよね!? 今度は誤魔化されない、んぁ……っ!」
「ほら、至はオナホをわざとゆーっくり動かすのも好きなんだよねぇ……いつも見てるから知ってるんだぁ……♡」
至のおちんちん、固くてあっついねぇ……とうっとり囁く詩音の艶めかしい吐息が、股間にかかる。
ぐちゅぐちゅと湿った音が鼓膜に響き、目の前ではぷっくり腫れ上がった肉芽を至恩に擦りつけようと腰が揺れ、ダラダラと白濁した蜜を零す入口が、何かを咥えたいと必死にはくはくしていて……
「あ、あ……ぁ…………」
――いくら詩音相手だって、こんな光景を見て正気を保てる方が、おかしい。
ぷつん、とどこかで至恩の何かが切れる音がした、気がする。
「もうっ、詩のバカぁっ!! 後で嫌だったって泣いたって知らないんだからね!!」
「はぁぁんっ!! ひっ、ちょっと待ってそれ至やばい、吸引ローター付き極太ピストンバイブでしょそれぇっ!!」
「最近の詩のお気に入りの、ねっ! 僕だってっ……んっ、詩の好み、はっ……全部、知ってるんだからぁ……っ!!」
「あっあっあっ! そっその動き好きなやつぅ!」
……気がつけば、至恩は仰向けの体勢のまま玩具の山に手を伸ばし、詩音がいっとう気に入っているピストンバイブをぐちゅりと熱い泥濘の中に差し込んでいた。
すかさず電源を入れ、ボタンをポチポチ押していつもの設定にして、吸引部分ですっぽり赤くテカテカ光る豆を包み込めば、ひときわ高い――聞き慣れているはずなのに、いつもより艶っぽい詩音の嬌声が上がった。
そして……股間から湧き上がる快感も、更に大きくなる。
「はぁっはぁっ……詩っ……詩っ、気持ちいい……っ……もうちょい、強くぅ……!」
「あっ、んぁっ、ああっ!! そこっ、至っそこ好きなのぉ、そこずっと当てててぇ!!」
もう、詩音を諫める至恩の声は、聞こえない。
ただ荒い吐息と、高い喘ぎ声と、互いに快楽を貪るおねだりだけが、部屋の中に満ちていく。
気持ちいい、もっと、もっと……高みへ……!
「っ、来たぁ……至っそのままっ、逝くっ、これ逝っちゃうっ!!」
「はっはっはっ、く……っ、出るっ、腰動いちゃうごめん詩っ出ちゃうよおぉっ……!!」
ずくん。
熱が、せり上がる。
股間から、胎へ。胸へ、喉へ……頭へ、そして
「「いぐぅっ……!!」」
髪の毛が逆立つようなぞわりとした感覚と共に、全身で白い何かが、弾ける――!
「ぁ…………ぁ……っ!」
「くぅ……んっ……!!」
ビクン! と同時に二人の身体が跳ねる。
猛りきった屹立からビュクリと大量の白濁が二度、三度と吹き上がり、詩音の身体を汚していく。
とぷりと溢れた詩音の蜜が、至恩の口に入って……ああ、床を舐めるときよりも何だか今日は甘い気がする……
(すごい、気持ちいい……)
(なに、これ……こんなに気持ちいいの……知らない……)
まだ痙攣の治まらない身体を互いに擦り付けながら、彼らは知るのだ。
封じられた辛さこそ存分に味わえなかったけれど、貞操帯で封じられた(多分)辛さの後に待つ解放は、確かに今までとは違う快楽をもたらすことを。
そして……誰かの手で快楽を与えられることが、これほど気持ちがいいものだったことを……
◇◇◇
――思えば、生まれて初めてだったのだ。
これまでだってずっと同じ部屋にいたから、互いの身体がどうなっていて、どこをどう触るのが好きで、どんな玩具を好むのかは全部知っている。
何なら目の前で……それこそ鼻が付きそうな距離でその痴態を見物したことだって、一度や二度では無い。
けれど、二人は互いを直接高めた事はなかった。
手を繋いだり抱き締めたりすることは小さい頃からしていたから、もはや当たり前のスキンシップと化していたし、スパンキングくらいは堪能していたけれど、例え万年発情したままの頭と身体に変えられても……恥ずかしいところを何一つ隠せなくなってすら、互いの一般的な性感帯と呼ばれる場所に触れたことは一度も無かったのだ。
そう。
この貞操帯を着けるまでは、じゃれ合うときだって決して股間に手を伸ばすことは無かったのに。
互いに与え合う快楽と絶頂の温かさを知ったら、もう、止まれない――
「……これは、トモダチに逝かされてる……? 玩具を自分で使っているようにも見えるけど、多分並行世界の方で何かをやっているんだよね……?」
あられも無い声を上げ、あらゆる体液をまき散らしながら身体を跳ねさせるシオンの姿を、央はいつものように区長室から眺めていた。
「あ、また逝った。良くあれだけ逝って疲れないよね」
画面に映る身体が、再びガクガクと跳ねる。
これで5回目だというのに、シオンの腰は止まる気配も無く、それどころか「足りない」「もっと」と涙混じりの上擦った声で叫びながら、口角を上げて更なる快楽を……多分、トモダチに求め続けている。
自分の刻んだ性感制御の刻印は恐ろしいものだね、と呟きながら、けれど央は少しだけ羨ましそうに、画面の中のシオンを見つめていた。
(トモダチ、か……いいなぁ)
シオンを絶頂させていることが羨ましいわけでは無い。
いや、ちょっぴりそんな下衆な気持ちが芽生えていることは否定しないけれど、それよりも……央が羨ましいのは「そこにいられる」事で。
(……僕がシオンの隣に立つことは、二度と出来ないのに)
もう一度だけでいいから、あの時のように……成体の処置で出会ったときのように、笑顔で央と名前を呼んで欲しい。
自分が「シオン」と呼ぶその声で――123番じゃ無い、本当の名前で――キミに振り向いて貰いたい……
(一度は叶ったじゃ無いか。央ってあの時呼んで貰って……しかもあの笑顔を叩き潰したのは……)
自分の強欲さが嫌になるね、と央はふっと自嘲しながらも、画面から目は離さない。
この映像は貴重だ。後でしっかり解析する必要があるが、カラビナ同様に並行世界の存在を匂わせる要素が移っているに違いないから――
真剣に画面を見つめメモを取るその瞳は、迷子の子供のような色で、今にも涙が溢れ出しそうだった。
◇◇◇
それから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
央はふと聞こえた声で、自分がいつの間にか物思いに耽っていたことに気付く。
『はぁっ、はぁっ……お願いします……かんりかんさま……とめて……とめてください…………なんでぇ、きょうはとまらないのぉ……!? ……ひぐっ、ひぐっ……うあぁっまたいぐぅ……もうやだぁ……十分、いぎまじだがらぁ……!! …………やらぁ……!!』
「!?」
先ほどまでの恍惚とした叫びとは一転、画面から聞こえるのは弱々しい悲壮な懇願……永遠の自慰を止められない作業用品の嘆きだった。
慌てて央は画面を確認し、いつの間にか自慰開始から2時間が経過していることを知る。
「……あれ? おかしいな……停止電撃が作動していない……?」
そして、奇妙な事態に首を傾げた。
作業用品はその刻印により、一度自慰を始めれば自力で止める手立てを持たない。
どれだけ疲弊しようが苦痛を覚えようが、決して満たされない頭はまさに死ぬまで自慰を続けることを強要する。
だから、作業用品が監視カメラを通じて自慰の停止を懇願することにより、システムは自動で首輪に停止用の強烈な電撃を流して、無理矢理動きを止める必要があるのだ。
だがその電撃が、今のシオンには作動していない。
一日に動作する電撃は確か、消灯時を除いて1回だったはず。作業後保管庫に戻ってからは一度も浴びてないことは確認済みだというのに。
「……ええと、朝は……あ、一度既に停止電撃。でもこれ、久瀬さんが手動でやってるからカウント外なんじゃ……もしかしてボクの勘違いかな……?」
まぁいいや、と央は停止電撃のボタンをタップする。
程なくしてようやく地獄から解放されたのだろう『ありがとうございます、かんりかんさまぁ……」と呟くシオンを確認すると、人工音声変換システムを使って貞操帯の再装着を促した。
これが運用違反なら、明日管理部長の久瀬が何か言ってくるだろう。その時に事情を説明すればいいだろうと思いつつ。
「これだと、リセット時には確実に停止電撃が必要になるよね……特例として1日2回にするか、むしろリセット時のみにするか……ちょっと考えないと」
画面の向こうでは、よろよろと立ち上がったシオンが貞操帯を装着している。
彼らが散々楽しんでいる間に貞操帯は洗浄済みだし、貞操具のカテーテルも交換済みだ。身体の方は随分ドロドロだが、こちらは復元時間に洗浄魔法が起動するから、問題ないということにしておこう。
あれほど疲弊していたくせに、貞操帯を着けた途端に元気になるのは……多分変態の成せる業だ。
「じゃあ次は1週間ね!」と無邪気に見えないトモダチと話す姿に「……まぁ、ご機嫌なのはいいことか……」と央はソファに沈み込んだ。
今日は業務も忙しかった上に、こんな時間まで延々と観察を続けていたのだ。しかも貞操帯の製作以降、睡眠時間は大幅に減っていて疲れが溜まりに溜まっている事をようやっと自覚した央は、残った業務を放棄して寝ることを決意する。
明日の自分がキレそうだが、倒れては元も子もないのだから。
(ああ、眠くなる前にシャワーくらい浴びないと……いやもう、明日でもいいか)
「傷は……大したことないね、あのくらいなら恐らく復元期間で何とかなる」
「あの浮腫はちょっと気になるな……何か解決法が無いか調べておいた方がよさそうだね」
それぞれの世界で、眠い目を擦りながら何とかスマホにタスクを書き込んで、もう限界だと手を下ろしたその時
ビーッ、ビーッ……
「!!」
嫌な感じのアラームが大音量で突然鳴り響き、央は「うわっ」と思わず起き上がる。
折角いい感じに睡魔に襲われていたところに、この音は拷問以外の何物でも無い。
お陰でまだ心臓がバクバクしている。
「災害警報音か……ああもう、これ地下じゃ意味ないんだしさ、自動で切れる仕様にして欲しいんだけどな……!」
折角の眠りを邪魔され、苛立ちを抑えきれずに央は乱暴にスマホをタップする。
例えスマホを切っていても魔力の残量がある限りは受信してしまうから、いっそ防音の箱でも創成して突っ込んでおこうかとすら思いながら開いた画面には、案の定地上の災害警報と関連ニュースへのリンクが表示されていた。
だが、それを見た瞬間
「……なんだこれ、特殊災害警報? 初めて見たよこんなの…………って、え…………!?」
央の世界が、色を失った。
「…………うそだ……」
手が、震える。
目の前が、すぅと暗くなる。
手だけじゃ無い。全身の震えが止まらない。
胃が焼けるようで……心臓が、痛い……!
「エリア39、そんな……まさか」
小さなスマホの画面。
そこに表示されていたのは、変わり果てた故郷の姿――
「そんな! 母さん、父さん……っ!!」
カシャンとスマホが床に落ちる乾いた音と、絞り出すような央の悲痛な声が、区長室に響いた。
◇◇◇
消灯時間を迎えて、二人は固い床に横になる。
次は1週間後までお預けなのだとゾクゾク興奮を覚え「明日はどうなっちゃうんだろうね」「明日こそ堪能したいなぁ」と際限なく煩悩を語るも、襲い来る眠気には勝てず。
「ふあぁ……おやすみ、詩……」
「おやすみぃ……すぐおはようだけど……ね……」
スッと意識が落ちて、次の瞬間には「うぅ、痛いよう……」と呻く至恩の声が聞こえて朝になっている。
……筈だった、のに。
「…………え……っ?」
「な、なんで……?」
目の前に広がる光景は、とても懐かしくて……
けれど、決してあり得ないものだった。
だって、それは
「なに、これ……うちの家……?」
今となっては朧気になってしまった、遠い昔の記憶にある……生まれ育った街だったから。
「やっぱり、うちだよね……」
「うん……って、詩!? なんでここに」
「それは私の台詞だよ。……てか、私達浮いてるんだね」
「あ、ホントだ」
そう。
まるで空から見下ろすかのような視点で、至恩達は街を眺めていた。
どことなくふわふわして、凄くリアルだけど現実感に乏しくて……だからこれは、きっと夢なのだろう。
……もう、夢を見ると言うことすらどんな感覚だったか思い出せないから、断言は出来ないけれど。
「まさか死んだ?」「それはない」と話しながらも、二人は懐かしい風景を堪能する。
何故今になって、夢を見られるようになったのかは分からない。
まして、地上にいた頃だって見る夢こそ同じだったものの、二人が同時に存在する夢は生まれて初めてなのだ。
考えれば疑問は尽きない。
だが……少しだけ懐かしい地上に思いを馳せるくらいの権利は得ても構わないだろうと、二人はこの珍妙な事態を堪能することにした。
◇◇◇
天宮の家は、それなりの敷地を誇っている。
庭には季節の草木が咲き乱れ、小さな池には鯉が悠々と泳いでいた。
その一角で、今が盛りとばかりに咲き乱れているのはオレンジ色の小さな花をつける木だ。
「……キンモクセイだ」
「ほんとだ。……いい匂いだったよね」
「うん。どんな匂いだったか上手く思い出せないけど……ポプリを作ろうとしてお花をいっぱい集めてたの、お母様に汚いって捨てられたっけ」
「そうだった、あれは悲しかったなぁ……」
夕焼けで真っ赤に染まった空は、どことなくもの悲しい。
風景は見えるけれども、肌を伝う風を感じられないあたり、やはりこれは夢なのだと思う。
二人にはもう、思い出せない。
キンモクセイが咲くのが一体どの季節だったのか、夕焼けが見られるのは一体何時頃だったのか……
そんな人間として当たり前の感覚すら奪い去られ、わずかに残る記憶でそれっぽい郷愁を感じなければならないほど、彼らの人間としての何かはその権利と共に奪い去られていたことにも、加工された頭は気付けないのである。
ただ、その風景を見て懐かしさは感じても、戻りたいかと言われると、首を縦に振ることはないだろう。
――これからを思えば、それだけは彼らにとって幸いだったのかもしれない。
「……懐かしいけど、いい思い出があるわけじゃ無いよね」
ぽつりと呟く詩音の言葉に、至恩も頷く。
地上にいた頃の生活と、二等種として全ての人権を剥奪され地下に閉じ込められてからの生活。
どちらも彼らにとっては等しく地獄でしかなくて……むしろ地下の方が同じ境遇の、仲間と呼ぶには他人すぎる二等種がいるだけ、精神的には楽かも知れない。
「あ、誰か出てきた……え、お父様……? じゃない、あれもしかして」
「…………白斗だ。でも、なんで……あんなに大きいの……?」
玄関から勢いよく飛び出てきたのは、在りし日の父によく似た相貌の若者だった。
恐らくは二歳年下の弟だろう。随分おしゃれに着飾り、そわそわとした様子で駅の方へと向かっている。
だが二人の記憶にある彼は、まだ初等教育校の4年生……10歳かそこらの少年の姿だ。
あれから……自分達が大人になって2年以上は経っている、つまり少なくとも7-8年は過ぎているだろうから、地上ではこのくらいに成長していてもおかしくは無い。
夢だし、頭が勝手に成長補正をかけたのかな? なんて暢気に眺めていた、その時、二人は異変に気づいた。
「あれ……揺れてる?」
「…………うん、揺れてるよ! 電線が凄いぐわんぐわんしてるっ!」
近くの木から一斉に黒い鳥たちが飛び出す。
何事かと思えば、街が、大きく揺れていた。
夢だからか、そもそも浮いているからか、至恩達に揺れは感じない。
ただ……妙な重苦しさだけが胸を支配していく。
驚き、恐怖、不安……
街のあちこちから、そんな感情が立ち上っているようにすら見える。
家から人が飛び出してきて、着の身着のままでどこかに走って行く。恐怖を顔に貼り付け何かを叫んでいるようだが、どうやらこの夢に音はついていないようだ。
「お父様……お母様も」
「…………怪我をしてる……」
至恩達の家からも、二人の男女が飛び出してくる。
記憶にあるより少し年老いた姿の両親だ。
恐らく母親は怪我をしているのだろう、足を引きずる彼女を支えながら父親が必死になってどこかへ逃げようとし……しかし遠くを見つめ、天を仰いで愕然と立ち尽くした。
「あれ、逃げない……」
「……違う、至…………あれ……!」
「え……!?」
詩音の緊迫した声に、至恩は彼女の指さす方を眺める。
そこは、ただの地面だった。
……いや、違う。
地面の筈なのに、何故か表面がキラキラと夕日を反射して……揺らめいている……!?
「……水だ、どこから!?」
「分からない、これって津波ってやつ!? でもっ、どこかから来るんじゃ無くてまるで……」
「なんだか、地面から染み出てるみたいだ……!!」
至恩の言うとおり、確かにその水は地面からコンコンと湧き上がってきている様に見える。
あっという間に見渡す限りの道路は水で覆われ、圧倒的な速さで高さを増し、街を飲み込んでいく。
「っ、お父様!?」
慌てて二人は、両親の姿を捜す。
……どうやら彼らは塀伝いに隣の家の屋根へと逃げようとしているようだ。
その光景がスローモーションのように見える。
両親の恐怖が、必死に逃げようと足掻こうとする感情が何故か手に取るように分かって……それを感じる度、下腹部にゾクリと熱が貯まっていく。
(ああ、これは)
(きっと、助からない)
そして二人は、何故か分かってしまう。
じきにこの街は、水の底に沈んでしまうと。
さっき慌てて逃げた命も、今目の前で生きようと足掻く命も、等しくこの赤く輝く水の中へと姿を消してしまうだろうと――
あちらこちらから、恐怖の悲鳴と、慟哭がこだまする。
……いや、聞こえてはいない。けれど、何故か分かるのだ。
そしてそれを一つ感じる度、身体が熱くなる。
まるで快感を溜め込んでいるときのような、けれど性的な快楽とは明らかに違う不思議な高揚感が、身体を満たしていく。
「詩、これって……」
「わからない、一体何が……? ああっ、お母様っ!!」
「!!」
二人の目の前で、必死に母を引き上げていた父の手が離れる。
そのまま水の底に声も無く吸い込まれていった母の姿に、父が悲嘆の絶叫を響かせている、ように見える。
「…………」
その光景を、二人はただ呆然と眺めている。
けれど……不思議と何も、感じないのだ。
目の前で母の命が潰えたであろうというのに、何の悲しみも感じず、父の嘆きに胸の苦しさの一つも覚えないのは
同じように水に飲み込まれる人々の恐怖と絶望をこれほどまでに感じながらも、心は一つたりとも波立たないのは
全て、これが夢の中の出来事だから、だろうか。
それとも
二等種となった自分とって、もはや彼らは親ではなく、地上の人間は別世界のモノにすぎないからだろうか。
「沈んじゃったね……」
「だね…………詩、行こう」
「……うん」
見渡す限り広大な湖と成り果てた街が、夕闇に染まっていく。
それと同時に二人の意識もどこかに吸い込まれ――多分これが夢から覚める感覚だったのだ――いつもと変わらない明日へと向かう。
最後の瞬間。
下腹部に響く、聞こえないはずの両親の断末魔と恐怖が、二人にはなぜだか心地よく感じられた。
◇◇◇
「いてて…………はぁっ、詩……おはよ……」
「……うん、おはよ…………」
昨日と同じく、戒められた股間からの激痛で至恩は目を覚まし、呻きながらも身体を起こす。
いつもなら地続きの筈の日常は、ここに来た当初以来経験の無かった夢らしきもののお陰で、随分と長いインターバルを置いた気分だ。
こんなに昨日と今日の境目は深く長かったのだと、今更ながら実感する。
「至……あのさ」
「うん……やっぱり、詩も」
(夢を……あの街が沈んでしまう災害の夢を、一緒に見たんだよね)
その言葉の先を、彼らが口にすることは無い。
特に明言されたわけでは無いけれど、ここに来て幾ばくもしないうちから今まで、一度たりとも夢を見たことはなかったのだ。
つまりは、夢を見る権利すらも人間様に奪われた可能性は高いと言うこと。
それが今更何故復活したのかは分からないが、名前を失っていないことが今ここに来て作用した可能性も捨てられない以上、用心に越したことは無い。
頭を肩に持たせてくる詩音は、ちょっと震えている。
そっと肩を抱こうとして、至恩もまた全身が汗でびっしょりと濡れていることに気付いた。
「…………」
「…………」
怖かったね、と言わんばかりに、至恩はそのまま詩音の肩を抱き締める。
こんな汗だらけの身体でごめんね、と謝りながら。
詩音もまた、抱かれるがままに身体を寄せた。
汗なんて気にしない、と言わんばかりに。
至恩の気持ちは、言葉にしなくたって分かる。だって、きっと物心つく前から私達はずっと一緒だったのだから。
でも、今日は不思議と……まるで心の声が聞こえるかのように、至恩の思いが伝わってくる。
(一体、あの夢は何だったんだろう……)
詩音は夢の内容に思いを馳せる。
とてつもなくリアルで、けれど全く現実感の無い夢。
随分昔に母が、夢を通じて心の中に眠る思いを覗くこともあると言っていたのをふと思い出し、それが一番しっくりくるなと何となく納得する。
(あんな凄い災害……みんな死んでいくのに、私……ちょっと、いい気味だって思っちゃった)
かつて暮らした地上という世界は、ことある毎に詩音達に牙を剥き続けた。
密かに思いを寄せた、今は人間様となってしまったあの子こそ敵では無かったけれど、味方と呼べるのは同じ名前を持つ、隣り合う世界に住む自分だけだったのだ。
そんな自分が、心の底で地上を恨み、復讐に燃えている……それは至極当然の帰結だろう。
(怖かったのは、あの夢じゃ無い)
(あれを見て溜飲を下げた、自分達の方だ)
ぐっと、詩音を抱き締める手に力が入る。
詩音も大丈夫と言わんばかりに、とん、と至恩の背中を軽く叩いた。
(形は違えど、これがもしかしたら私達の「覚醒」なのかもね)
(……そうかも、しれない)
あの夢と抱いた感情から、彼らは一つの推論に辿り着く。
それは、無害化に失敗した作業用品の大半に訪れるという「覚醒」だ。
他者の不幸を喜び、苦痛を与えて興奮する、嗜虐嗜好の極み。人間様から見れば害悪でしか無いと言われる所以である、二等種の特徴的な性質。
もしかしたら、この夢はその萌芽なのかもしれない。
ただ、今のところ全ては推測に過ぎない。
そして……この推測を確かめる術は、二等種である自分達には何一つ無い。
(ま、確かめようが無いものを考えても仕方ないよね)
ジリリと起床のブザーが鳴り、ぱっと部屋が明るくなる。
相変わらず発情し、けれどどこか疲れた様子の二人は顔を見合わせ、そして頷く。
(それはそう。どれだけ考えたって、僕たちには何も出来ないんだし)
(そうそう、それに折角1週間の貞操帯生活をするんだから、存分に楽しまないと、ね!)
(言えてる! はぁ、考えただけで触りたくなっちゃう……あー今日はカリカリせずに最後まで我慢できるかなぁ)
(昨日は大丈夫だったじゃん! まだ1日目だし余裕だって)
二人が貞操帯を眺めうっとりとしていれば『使用時間です。調教棟へ転送します』と頭の中で人工音声が響き、身体が世界に溶けるような感覚を覚える。
今日もいつもと変わりが無い、人間様に使われる一日が始まる。
(ま、とにかく夢のことは一旦置いといて、管理生活を堪能しようよ)
(今日は管理官様に怒鳴られないように気をつけようね、お互い)
「じゃ、詩」
「うん、至」
「「今日も、生きよう」」
いつもの決まり文句と共に、至恩達はそれぞれの世界へといつも通り旅立っていった。
けれど……彼らは気付いていない。
二人はさっきまで、いつもと「違う」会話を交わしていた――心の想いが言葉となり、けれど音として口を通すことも無く、互いの心に伝わっていたことに。
◇◇◇
「あれ……?」
最初に感じたのは、違和感だった。
「おうどうした、シャテイ?」
「あ、クミチョウさん、おはようございます……何だかちょっと、目が……変……?」
「おいおい大丈夫かよ? あれか? 貞操帯のせいで寝られてないとかじゃねえだろうな?」
「それは大丈夫です、ってクミチョウさんこそ目の下のクマが」
「…………いつもなんだよ、懲罰中は。これ着けてる間は万年寝不足でイライラしてっから、あんまりビビんなよ」
「そんな無茶な」
完全に巻き添えを食らった上に余分な懲罰を言い渡されたクミチョウを慰めながら、シオンは目をパチパチと瞬かせる。
上手く言えないのだが、いつもより視界がうるさいというか、何かがちらついているような気がするのだ。
クミチョウ始め作業用品達を見る分にはちらつきを感じないから、特に問題は無いのだろう。気にしなければ作業に支障は無さそうだと、シオンは大人しく管理官の指示を待つことにした。
……が。
「あれ……今日、随分待機室が混んでる気が」
「だよな。というか珍しいな? いつもはここに転送された瞬間に指示が飛んでくるってのに、今日はなかなか来ねぇ。管理官様のくせに寝坊か? ズボラすぎるだろあのおっさん」
「クミチョウさん、そんなこと言ってたら懲罰期間が延びるんじゃ……」
調教用作業用品は常に供給不足のため、朝から晩までまさに息つく暇も無く作業に追われているのが日常だ。
待機室に戻れることがあっても、大体がらんとしたスペースに立ち尽くしているのは数体だけ。それもちょっと一息つけば次の作業へと駆り出されてしまう。
だというのに、今日は50体近い作業用品が待機室で暇を持て余している。
時折出入りはあるから、一応管理官からの指示は届いているのだろうが、明らかにいつもに比べてのんびりした雰囲気だ。
「こういうことって、時々あるんですか?」とシオンが尋ねれば、クミチョウ始め周囲の作業用品達は一斉に首を横に振る。
最も年上のメス個体ですら「こんなことは初めてねぇ……」と戸惑いを隠せない様子だ。
「ふぅ、素体の餌やりは終わったぞーって……また随分大混雑だな」
「まだ今日の指示が来ないんだよ。まあうちの担当個体は環境適応訓練だから、餌が終わったなら取りあえずやってりゃいいだろうけど」
「あ、そっちもなんだ。……物品転送室も妙に反応が悪ぃんだよな。餌や浣腸用の薬剤は十分備蓄があるからいいけど、餌に添加する薬剤が届くのに凄い時間がかかってる」
「装具もな。うち今日維持具の挿入なのに、朝イチで届いてないなんて初めてかも」
「そう、なんだ……」
何があったのかは分からないが、取りあえず今日の状況は異常事態ではあるらしい。
そして、例え異常事態であったとしても作業用品に出来ることは何も無い。
ただ管理官の指示を待ち、何の指示も無ければここで終了時間まで待機していれば、自動的に運動場や洗浄室を経由して保管庫へと収納される。
それ以外の行動も、思考も、彼らには許されない。だから、ここに立ち尽くす以外の選択肢は持ち合わせていないのだ。
(ま、仕方ないよね……はぁ、何もすることが無いと、ちょっと辛いかも)
シオンはため息をついて、ふと視線を下にやる。
作業をしていれば特段気にならない貞操帯は、けれどこうしてふとした瞬間、ちょっとした意識の隙間に忍び込んでは、その存在感を主張するものらしい。
そして意識すれば最後、何か気を紛らわすものが現れるか諦めがつくまで、じくじくした熱と渇望を、決して触れられないと分かっていながら未練がましく手を伸ばす行動を止めることは出来なくなる。
作業用品にはその「諦め」というものが存在しない分、余計に厄介だなとシオンは息を荒げながらぐっと拳を握りしめた。
この状態で股間に手を伸ばせば、確実に懲罰電撃を食らってしまう。昨日のこともあるし、貞操帯を取り上げられるような事態は何が何でも避けなければならない。
何より、これほど管理官からの連絡が来ないのだ。
万が一手を出して、その手が止められなくなったとき……制止する電撃すら飛んでこない可能性を考えれば、とてもでは無いがこの衝動に身を任せるような危険な真似は出来ない。
『……あー聞こえるか、変態』
「!!」
触りたい、その衝動の波を一体幾度越えただろうか。
悶々とした思いが巡る頭の中に響く、いつも通り感情の無い声に、シオンは(ああ、これで気が紛れる!!)と小躍りした。
……管理官様からの指示を自慰禁止の助けとして使うだなんて、バレたら間違いなく大目玉に違いないと思いながら。
「はっ、はいっ!」
『……担当は奉仕実習中だな? ならそれを継続。昨日同様、疑似ペニスを用いること。その股間に着けている変態装具は研究者からなるべく着けたままにしろと言われている』
「かしこまりました、管理官様」
『あと、明日からは当面俺の指示が無くても餌の後すぐに奉仕実習に入れ。……まだ9週目だったな。特段の注意点も無い。いいな』
「あ、はい……?」
(指示が無くても、作業をしていい……?)
シオンは奇妙な指示に、怪訝な顔をする。
いくら調教用作業用品には訓練においてかなりの裁量が認められているとは言え、基本方針は管理官の指示が絶対だ。
確かにシオンの担当に関しては既に奉仕実習に入っているし、現状の加工具合で既にA等級は確実だろうから、このまま指示無しに進めたところで問題は無いだろうが。
(やっぱり、何か起きているんだ)
「かしこまりました」と返事をしながらも、シオンは妙な胸騒ぎを覚えていた。
心なしか今日の管理官からはいつにない緊張と疲れを感じるし、昨夜の妙な夢のことも気になる。もしかして、地上で何か大変なことが――
そんなシオンの思考は、ふと差し込まれた音声で中断された。
『久瀬部長、エリア39から回収した製品、5体受け入れ要請がありました!!』
『うっそだろ5体もか!? さっきも4体来たんだぞ、そっちの処置も終わってないだろうが!』
『5体中3体は処分室直送確定だそうです。なので実質2体だから何とか、と……全国どこも受け入れギリギリみたいで』
『はぁ、そりゃそうもなる。エリア一つが丸々水没、それも全国で3カ所同時だぞ!? 他国でも同様の被害が出ているらしいし、天変地異だろもうこれ……』
(え……!?)
突如聞こえてきた音声は、いつも感情のない管理部長が珍しく焦りと緊張を滲ませ誰かと会話をする一幕だった。
こちらの動揺にも気づかず、彼は指示を矢継ぎ早に出しては「こりゃ当分泊まり込みだな」と大きなため息をついている。
(この人、ちゃんと人間様だったんだ……)
実に失礼な感想を抱くと同時に、これは本来作業用品には聞こえないはずのものだと、シオンは直感する。
これまで徹底的に地上の情報を秘匿してきた人間様が、こんなにあっさりと、しかもとんでもない災害の情報を作業用品に漏らすはずが無い。
だから、これは本来聞こえてはならない音声。
それが何故聞こえるのかは分からない。けれど、一つだけ確実なのは、原因は自分側にありそうだと言うことだ。
だって、聞こえてはならない音声は、いつもと同じ人間様の声の筈なのに、何故か……明らかにこれまでに無い「何か」を帯びているように感じるから。
『……以上だ。…………どうした、返事は』
「っ、は、はいっ……かしこまりました……っ!」
いつの間にか向こうの話は終わっていたのだろう。返事を促す指示に応じれば、すぐさま通話は切れてしまう。
ともかく指示が出た以上ここにはいられないと、シオンは保管庫へ素体を取りに向かった。
だが、その頭の中では、ぐるぐると先ほどの出来事が渦巻いて……昨日の消灯後から続く事象が、ひとつ、また一つと繋がっていく。
(同じだ……夢と、同じ……)
先ほど聞こえた、管理官達の話。
エリア39からの大量の処分を含む高度破損個体。エリア一つが丸々水没……それが、この国だけで3カ所も起きているという、とんでもない災害の情報。
行政区域3、エリア39。
それは、かつてシオンたちの住んでいた街を指す地名である。
故郷と呼ぶには遠くなってしまったそこは、昨日まさに更に遠くへ……水の底へと消えてしまったのだろう。
学校も、公園も、そこに住まう人々も、そして恐らくは――あの夢の通りであるならば、両親と弟も。
夢は、ただの夢では無かった。
予知夢なのか、事後なのか、詳しいことまでは分からない。だが、少なくとも自分達が見た物は、地上の世界の現実なのは間違いない。
(全部、無くなったんだ……地上で生きた証が、全部消えた……)
ショックはある。
けれど思ったほどの悲しみは無い。
ただシオンは静かに事実を受け入れるだけだ。
……あの夢の中で感じたとおり、自分にとってあそこはもはや故郷では無かったのだろう。
(ん……こんな時に……チカチカする)
ふと、きらりと目の端で、何かが光る。
やっぱり目の調子がおかしいのかな、とシオンは天井を見上げ……
「…………え」
そして、その場に呆然と立ち尽くした。
◇◇◇
(……何、これ…………!?)
そこに広がっていたのは、さっきまで見ていたものとは別世界だった。
いや、正確にはこれは物理的な目で捕らえている物質のみの世界では無い、とでも言えばいいだろうか。
この目で見ている世界には何の変化も無く、ただ突如もう一つ別の感覚器が足されたかのように、あるいは模様の描かれたレイヤーを一枚世界に加えたかのように……その身体が捕らえる情報が「増えている」のだ。
新しい世界は――もうそう呼んだ方がいいほど、感じるものが異なっていたのだ――実に煌びやかだった。
視覚のような聴覚のような、それでいてどちらとも違う不思議な感覚で捉えたものは、周囲にあるありとあらゆるものに……空気にすら満ちていて、あまりそっちに気をやると視界が覆われて前が見づらくなりそうだ。
光っている、輝いている、歌っている……どの言葉も当てはまるようで、けれどしっくりこない。
なんとも言えない風景は実に幻想的で、美しくて……見慣れた保管庫がずらっと並んでいるだけの殺風景な通路が、言葉に言い表せない感動をシオンにもたらすのだ。
それはまるで、やっとこの世界の本当の色と音を知ったようにすら感じられて。
(……これは、まさか……いや、あり得ない。あり得ない筈なんだ! けど…………それしか考えられない……!!)
衝撃の中に呆然と佇みながらも、シオンの頭はとある可能性に辿り着いていた。
そしてその可能性が恐らく当たっていることも、何となく予期していた。
――遠い昔、母に尋ねたことがあるのだ。
魔法が発現する時は、誰にでも分かるのかと。
だって、発現するまではこの小さな身体は魔力の一欠片も感じられないというのに、一体どうやってそれが「魔法」で、感じたものが「魔力」だと分かるのか、当時のシオンは不思議でならなかったのだ。
(……あの時、お母様は「すぐに分かるわよ」と仰っていた)
だって、魔法が発現した途端、世界は一気に新しくなったように感じられるから、と。
全ての人に、物に、空間にすら魔力という新しい光を感じて、本能的にああこれだ、と分かれば……それが魔法の発現なのだ、そう母は繰り返し教えてくれた。
結局自分はその待ち望んだ瞬間を生涯迎えること無く、全てを奪われてしまった、筈だった。
――筈だった、のに。
(お母様の言ったことは、こういうことだったんだ……!)
美しい世界で、シオンは全てを悟る。
そして、確かにこれは思い描いていた物とは異なったけれど、ある意味「覚醒」と呼ぶにふさわしい事態だと納得するのだ。
さっきの会話に、絶対に作業用品には聞こえてはならない筈の音声に混じっていた不思議な感じも。
転送されてきたときに感じた目のちらつきも。
そして今朝のトモダチとの会話で……そうだ、夢のことがバレてはいけないから、自分達は何も喋っていないはずなのに、まるで心の声が聞こえているかのようにいつも通り会話が出来たことだって。
全てのピースが、ここに嵌まる。
何で今更……、その思いはどうしたって拭えないけれど、これは事実だと――目の前の輝きが告げているのだ。
(この輝きは、世界に満ちる魔力で)
(管理官様達の会話が聞こえたのも、トモダチと心の中だけで会話が出来たのも)
((自分に魔法が、発現したからだ……!))
「ん? シャテイ、どうしたボーッと立ち尽くして?」
「っ…………クミチョウ、さん……あ、いや、何でもないです」
「おう。なんだ、やっぱ目の調子が悪ぃのか? あんまりおかしいなら、管理官様に見てもらえよ」
「は、はい……」
通りがかったクミチョウの呼びかけで、ようやくシオンは我に返り「あーやばい、さっさと取りに行かなきゃ!」と素体の収納された保管庫へと足を速める。
その内側では、心臓が口から飛び出しそうなほどの鼓動を奏でている。
喉がカラカラで、許されるなら餌皿いっぱいの水を一気に飲み干したいくらいだ。
気を抜けばあまりの衝撃に叫びだしてしまいそうなほど、内心は動揺が収まらない。
それはそうだろう。
だって自分は二等種なのに、人間様のような魔法を手にしてしまったのだから……!
(……と、とにかく、今日の作業をこなそう。保管庫に戻されて……話はそれから)
シオンは一度立ち止まり、辺りを見回して大きく深呼吸を繰り返す。
その度に世界に満ちた魔力が臓腑に染み入って、少しずつざわついた心が落ち着いてくる。
「……大丈夫。まずは、素体を取りに行く」
ぽつりと呟いたシオンは、再び目的地に向かって歩み始めた。
きっと、隣り合った世界でトモダチも同じ事になっているはずだ。
これは作戦会議が必要だと、シオンは念願の貞操帯を着けていることすら頭からすっぽ抜けて、何とか今日を上手く切り抜ける――ともかく今の段階で管理官様にバレるのはとてもまずい気がするから――事だけに注力するのだった。
――さあ、時は満ちた。
二つの並行世界に生じた、たったひとつの無力な特異点は、20年余りの歳月と過酷な運命を経てようやく「覚醒」に至る。
その引き金を引いたのは、変態極まりない二人の性癖が結実した股間を覆う装具であり、これこそが彼らの願望への序章となることを、彼らはまだ知らない。