第16話 憧れを満たしに
今日も今日とて、我が研究室のモルモットは元気に変態だ――
央は心の中で嘆息しながら、いつものようにデータ整理に追われていた。
「んっ……んふっ…………もっろぉ……!」
研究室の向こう半分、研究用被検体の保管庫では、至恩が四つん這いになってうっとり上下から涎を垂らしている。
口には半年ほど前ピアスを装着する際に舌をかみ切らないよう装着したペニスギャグタイプの口枷を咥えた状態で、フェイスハーネスを使って締め上げている。
そして高く掲げられた尻には……かつて映像で見た円形の打撃痕がいくつも重なり、赤とわずかな紫の卑猥なコントラストを為していた。
(なるほど、この光景も並行世界の実在が確認された今だと簡単に証明できる……変態に変わりは無いけどね!)
央の目では見ることが出来ない、彼方の世界。
そこには至恩と同じ成分を持つ「うた」と呼ばれるメス型二等種がいて、今まさにこの瞬間至恩を餌皿で泣かせている、らしい。
そう。よりによって、餌皿だ。
彼らがこの地下に格納されて10年以上、その間にやらかした数々の奇行の中でも最も周囲を困惑させた、幻覚のトモダチに餌皿で尻を打って貰うという「妄想」が、約2年半の時を経て「現実」として目の前で展開されている。
(……全く、無様な顔を晒しちゃってさ)
痛みと、気を抜けば嘔吐きをもたらす咽頭反射にくぐもった喘ぎ声を上げながら、それでも至恩はどこか幸せそうに悦に入っている。
彼にそんな顔をさせられるのが、ちょっとだけ……本当にほんのちょっとだけ羨ましくて……
(はっ!! ああもう、何を考えてるんだよボクは!!)
不意に浮かんだ感情を、央は慌てて振り払う。
この半年近くで、自分は一体何度「これ」を繰り返しただろうか。
古くからの言い伝え通り、二等種と接触する人間は多かれ少なかれ悪しき影響を受けてしまうことを、央は今まざまざと思い知らされている。しかもよりによって性癖を歪ませる方向の影響とは……全くもって業腹だ。
(出来ることならこの時間の監視は自動化したいんだよね。ただ、明らかにボクが直接監視した方が効果が高い……はぁ、訳が分からないよヘンタイって……!)
その全貌は並行世界という壁に阻まれ央には決して見えないし、そもそも普段は作業をしながら時折様子を窺うだけ。
まして行為に対して何か煽るような言葉を発するわけでも無いのに、どうしてわざわざ「ご主人様」の存在を必要とするのか、理解に苦しむ……
央は目の前のデータを――その「効果」が如実に表れていると判断せざるを得ない画面の数値を追いながら「今なら消化管を虐めたい久瀬さんの気持ちも分かるよ……」と再び呆れ混じりのため息をつくのだった。
◇◇◇
この奇妙な関係が始まったきっかけは、数ヶ月前の実験に遡る。
「え、あの、今なんて……」
「だから、123番。キミは今日から次のリセットまで、餌はこれで胃に流し込むから……んもう、どうして最初からそんなに嬉しそうなんだい!?」
「だってぇ……なか、じゃない人間様の命令……はぅっ、ちんちんが痛いぃ……」
「っ、このバカっ! ヘンタイっ!! これは実験なんだってば!!」
乳首をピアスで貫いてから迎えた、2回目のリセット。
案の定、至恩の世界の災害規模がわずかに詩音の世界のそれを上回っていたことから、謎魔力の源が互いの並行世界であると確定した後、央はもう一つの仮説の検証を進めることにする。
「実に不愉快な仮説なんだけどさ、災害の規模を抑える要素を見つけたかもしれないんだよ」
「前にそんな言葉を聞いたような……その要素がこれですか?」
「そ。詳しい説明は次回のリセット後ね。キミは精々餌を堪能していればいいから」
「よくわからないけど……ドマゾにはご褒美なので、あのっ、ありがとうございます!」
「礼はいらないし、褒美を上げた覚えは無い!!」
にしても、これのどこが減災に繋がるのだろうかと首を傾げる至恩の前には、調教棟で良く見る給餌機に似た設備が設置されていた。
ただし、似ているのは作業用品では無く、素体のそれであるが。
「うわ……このノズル、素体の給餌機に比べて随分長くない? というか、口腔性器維持具に似てる……」
「構造はほぼ一緒じゃ無いのかな。ほらこれ、多分先端は胃で膨らむと思うよ」
どうやら今回給餌機が設置されたのは至恩の世界だけのようだ。
二人の部屋認定された保管庫だからか詩音にも設備自体は見えるようで、詩音は「いいなぁ、至だけ……」と心底羨ましそうに頬を膨らませ、しげしげ給餌機のノズル……と言うには長すぎる挿入部をにぎにぎしている。
至恩を通じてトモダチの様子を知らされた央は、きっとあの後ろでは向こうの人間様が頭を抱えているのだろうなと、隣の世界の自分に心底同情した。
『給餌を開始します。直ちに指示に従い、給餌体勢を取りなさい』
「げっ、うぐっ!!」
「あ、餌の時間? ちょうどいいや、上手く使えるか確認できるね」
と、いつもの電撃と共に給餌を知らせる音声が頭の中に鳴り響く。
二人は「ホントこの鬼痛いビリビリ、どうにかならないのかなぁ……」と愚痴りつつも痺れた身体を懸命に動かして腹の中をかき回す浣腸液を充填し、餌場に膝をついた。
「挿入方法は分かるだろう? 素体に散々やっているんだし。自分で出来ないなら、トモダチに入れて貰って」
「は、はいっ……んあ、んぐっ…………んぇ…………っ……!」
(これを入れる……た、体験の時よりは細いから入るだろうけど……はぁ、今回は感覚がある……っ!!)
至恩は興奮で鼻息を荒くしながら、顎が外れそうな程口を大きく開けてノズルの先端を喉に滑り込ませ、素体に装着するときのように嚥下に合わせてグッと押し込む。
喉からの圧でこの挿入部は粘液を表面に染み出させるらしい。あらかじめ至恩の喉に合わせた太さのノズルは、重さと潤滑剤の効果ですんなりと食道を滑り落ちていく。
(……これ、明日からは詩にしてもらおう……その方がずっと、惨めで……そそるぅ……!)
(あーもう、いいなぁ至……央様、次回は私にも給餌機を用意してくれないかなぁ)
(あのさ、さっきも言ったけどこれはキミの楽しみのためじゃないんだよ!!)
目に涙をにじませながらも恍惚とした表情で、至恩は直径3.5センチ、長さ45センチの管を飲み込んでしまう。
呼吸は辛うじて可能なようだ。それでも酸欠で余計に脳が痺れ、それを快楽と誤認してしまう。
朦朧としていれば、ぐっと臍の上に圧がかかった気がして、そっと手を当てればみぞおちが中からぽっこり膨らまされていた。恐らく先端が胃の中に入り、バルーンが自動で膨らんで抜けなくなったのだろう。
(ああ、装置の一部になっちゃった……っ!)
どう足掻いても、ここから離れることは出来ない。
今自分は、この給餌機とひと繋がりになったただのモノとして扱われている――
「んふ…………」
ぞんざいな扱いを自覚しゾクゾクした快感に身を任せていれば、ピッと小さな電子音が鳴る。
給餌が開始したのだろう。モーター音が鳴り響き胃の辺りに小さな違和感が生じたものの、慣れた餌の味や臭いは感じない。
この身体は空腹や満腹という感覚を取り上げられて久しいから、餌皿から与えられる疑似精液だって義務的に啜っているだけだ。
けれど、直接胃に餌を満たして貰うために膝立ちの姿勢を保ったままこれから30分近く静止させられるというのは……まるで燃料を補給される機械のようだなと思った途端、下腹部に激痛が走った。
「んぐぅっ!」
「ん? はぁ? ちょっと、早速興奮してるの? ほんっと度しがたいマゾっぷりだね、こんな風に餌を流し込まれても嬉しいだなんてさ!」
「んううううっ!!」
(うあぁぁだめぇ央様ぁ、そんなこと言われたら……言われたら、余計におっきくなっちゃうぅ!!)
どうもこの息子さんは性処理用品の生涯役立たずのペニスとは異なり、どれだけ貞操具の中に閉じ込められても朝から元気だし、ちょっとした妄想ですぐ暴走しようとするらしい。
あるいは性処理用品には、折角加工したブツを再び縮めて役立たずにする薬でも盛られているのか。
(うう、ちんちんが痛いよう……でも…………)
(この容赦ないモノ扱い……やっぱり、イイ……っ!!)
ただの成体から不良品と認定され、作業用品となってから2年近くが経つ。
二等種でありながら、自分は塵にも等しいとはいえ人権の欠片を取り戻し、性処理用品に比べれば随分と自由な生活を送っている。
その事自体は何の不満も無い。何しろ今は念願の貞操具を手に入れ、本人は否定するものの想い人を貞操具の管理者にするという幸運にも巡り会えたのだから。
けれど。
時々至恩達の胸の中には過るのだ。
あの、どれだけ慰めても決してガラスの天井を打ち破れない無力感に苛まれた、狂おしい1年間を懐かしむ声が。
そして、どこまでもモノでしかない素体達のように扱われたいという、被虐の沼からの願望が――
(ああ、たまにはこういのもいいよね……)
辛くて堪らなくて、頭がずっと危険信号を鳴らし続けているのに、不思議と心のどこかには安心感が漂っていて。
こんな実験なら一月と言わずずっと続けて貰っても善いのにと、至恩は先に餌を食べ終え実に羨ましそうに自分を眺める詩音の視線を浴びながら、ただ給餌機と一体化して佇むのである。
◇◇◇
そうして5週間が過ぎ、いつもと変わらない形ばかりのリセットを終えて。
いつもながらリセット直前より再度封じられた後の方が辛いのはどういうことなの? と涙をにじませながら腰を床に擦り付け、無駄な足掻きに労力を費やすシオン達に、央は今回の実験の目的を明かす。
それはそれは嫌そうに「実に不本意なんだけどさ……」と眉を寄せながら。
「結論から言おう。123番、キミの性癖を満たし精神的満足感を与えることが、災害の規模を抑えるのに非常に有効なことが分かった」
「「なんで!?」」
「そんなこと、ボクの方が聞きたいさ!!」
この1ヶ月、至恩は毎晩のようにあの人権の欠片も無い給餌機による餌の補給を強いられていた。
その扱いは人間からすれば……いや、二等種から見ても耐えがたい所業ではあったが、央の読み通り至恩にとっては、触れることさえままならない股間の苛立ちを紛らわしてあまりある被虐の楽しみ、まさに祝福であったようだ。
その結果として、至恩の世界の災害はこれまでよりも規模が小さくなる。
そして同時に、詩音の世界の災害は最大謎魔力保持量と減衰期間が同じであるにもかかわらず、これまでと比べて有意に大きくなったのである。
「……それは、僕の世界で起きるはずだった災害の力が、詩の世界に……?」
「いや、そんな複雑なものじゃ無いよ。単にキミが心ゆくまで変態行為を楽しんでいたのを指をくわえて眺めるしか無かったから、いつも以上に不満が溜まっただけ。定期検査でも明らかにストレス値が上がってるし」
「なにその残念な理由……」
「だってぇ……私もあれ欲しいです、人間様……」
「はいはい、条件は同じにしないとまずいから後で設置するって。だからさ、喜んで鼻血を出さないでよ!?」
何にしても、これは実に喜ばしい結果だと央は語る。
これまで貞操帯の連続装用期間を延ばすことでしか小さく出来なかった災害の規模を抑える方法が、ようやく確立したのだから。
……ただその割には、とても喜んでいるようには見えないのだが。
それで、と渋々切り出した央は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「実に不本意なんだけどね。これ以上の被害を防ぐためには、キミの精神的安定、性癖への満足感が絶対に必要なんだ」
「はい」
「これまでの結果から、根本的に災害を封じる手法が見つかるまで装着期間が短縮することは無い。延長することはあってもね。そして期間を延ばせば、それだけキミのストレスが増える」
「……はい」
「いくら貞操帯がキミの性癖ど真ん中をぶち抜いていても、管理の手法自体はそう変わりやしない。つまり新鮮さはなくなり、日常に埋没すれば性癖としての満足度はどうしても最初に比べれば減じてしまう」
(ああ、それはよく分かる)
(最初の感動が懐かしいよねぇ……)
あれほど特別な装具だった貞操帯は、今やシオンにとってただの(と言うには少々凶悪ではあるが)下着と化してしまっていた。
もちろん、触れられない辛さが無くなることはない。たった一度だけとは言え、リセットで得られる快楽は自由に自慰をしていた頃に比べれば遙かに気持ちがいいし、ようやく触れられないことに慣れてきた頭に触れることさえ許されない地獄を思い出させるだけの効果はもたらしてくれる。
ただそれでも、最初の頃ほどの……鍵が閉まる音だけで「飛べる」ほどの新鮮な満足感を得られるかと言われれば、答えは否なわけで。
「…………だから……そっ、そのっ」
「………………人間様?」
つれつれと語っていたはずの央が、いきなり俯き口ごもる。
何度も口を開いては押し黙り、を繰り返すこと数度。
どうしたのかな? と二人が念話でひそひそ話し始めた頃、ようやっと上げた顔は真っ赤で、ちょっと涙目になっていて。
「ひっじょーーに不本意なんだけど! キミのその変態性癖に、ボクは全面的に協力するから!」
「え…………」
「き、きょうりょ、く……?」
「「えええええっ!?」」
その可愛らしい姿に似合わぬ、とんでもない提案をシオン達にぶちかましたのだった。
◇◇◇
と言うわけで、災害コントロールのために央がシオンのガチハード系被虐嗜好に巻き込まれざるを得なくなった日から、早数ヶ月。
非常に癪なことに、彼らが変態行為に励めば励むほど災害の規模は確実に小さくなっていて、この数ヶ月は一日も装着期間を延長せずにすんでいる。
更にあれから調査が進み、シオンの魔法が今になって発現した理由も明らかになった。
幼少期に魔法が発現する契機となるのは、奥底に抱えた願望、そして何かしらの強い感情と言われている。
感情の種類は喜怒哀楽どういったものでも問題ないが、まだ未熟な子供の爆発するような感情こそが魔法の発現には非常に重要となるのだ。
そして、シオンにとってのそれは「性的な渇望」だった。
これまで、どんな状況においてもその被虐嗜好ゆえに性癖を満たす方向で昇華できていた情動は、しかし不運にも(?)不良品の烙印を押されてしまったがために生涯絶頂による精神的満足感を奪われるという、類い希なる変態の才能を持ってしても持て余すような事態を引き起こす。
……それはそれで楽しんでいたのは当然知っているが、触れてはいけない。
そこに貞操帯という彼らの性癖に叶うアイテムが登場し、更に渇望をブーストしてしまった結果、以前から抱いていた願望と合わせてこの歳にして魔法を発現するという珍事に至ったのだろう。
この事実に気付いたとき、央は思わず「だから人間様の手を取ってりゃ良かったのに!!」と叫んでしまったものだった。
「全くさぁ……キミが解釈違いとか訳の分からないことを言わずに素直に性処理用品に志願していれば、こんなことにはならなかった可能性が高いんだよ!? 少なくとも性処理用品は作業用品と違って絶頂に多少なりとも満足感が伴うからね!」
「うう……申し訳ございません……」
「出来損ないでごめんなさい……」
「そう思うなら、今後はなるべく手間をかけずに満足して貰いたいものだね!」
(……あの時は、手間をかけずにとは言ったものの……どうしたって慣れや飽きは生じてしまう。なによりここで出来ることには限りがあるよね。使える道具にも制限があるし……)
どうしたものかなと思案する央の目に映るのは、保管庫の隅に無造作に置かれた拘束具の数々だ。
作業用品がアクセスできる「ショップ」には決して並ぶことの無い――まさかセルフボンデージを楽しむような変態がいるなんて想定されていなかったから――物々しい器具達は、央が研究に使うという名目で(実際に研究の一環ではあるから嘘では無い)この部屋に持ち込んだものである。
特に口枷の種類は豊富で、シオンはまるで服を選ぶようにその日の気分に合わせて何かしらで口を塞いだり開けたままにしている気がする。どうしてあんなに口枷が好きなのか……いいや、理由を考えたらドツボにはまるだけだ、よそう。
とはいえ、既にこの対応を始めてすでに数ヶ月。
浅葱色の髪の面積は拡がり続けていて、恐らく近いうちに管理期間は延ばさなければならない。
今のところ彼らから言われるがままに道具を調達しているものの、いつまでこの満足度を保てることやら――
「……あのう、人間様…………」
「なに? お尻ペンペンは満足したの?」
「はっはいっ、それはもう!! ……それでですね、詩と相談してたんですけど……ピアス、舌にも開けたいなって」
「は?」
「それで互いの舌を繋がれたりとか……口の中にしまえないようにする? 拘束? ……そういうのをやってみたくて」
「…………一体それの何がいいんだい? ああ説明しなくていいからね、ボクは変態行為の良さなんてどれだけ熱く語られても、理解する気はこれっぽっちもないんだから!!」
……うん、流石は思考を性癖に全振りしたドマゾの変態個体だ。
この調子じゃ当面はシオンが持ってくるネタだけで満足度は満たせそうだなと央はがっくり肩を落とし、明日の予定に新たなピアッシングの時間を組み込むのだった。
◇◇◇
出荷前処置室の扉が開いた瞬間、至恩の耳に飛び込んできたのは悲痛に満ちた絶叫だった。
「ひっ、お願いしますっ!! おちんぽ様に一生懸命ご奉仕させて頂きます! だからっ、ヒトイヌだけは勘弁して下さいっ!!」
「往生際が悪い素体だな……お前ら、何か適当にやって黙らせろ」
「かしこまりました、管理官様。取りあえず爪でも引っこ抜いて」
「……いや、爪は止めろ。抜いた上から被膜を塗ったら永遠に生えてこなくなる」
「えー残念……」
(ちょ、今平然と爪を抜くって言わなかった!?)
心の底から残念がっている作業用品に内心冷や汗をかいていれば「さっさと入ってこい」と聞き慣れた冷徹な指示が飛んでくる。
至恩は慌てて処置室の中に入り、管理部長の久瀬が見守る中ハーネスで天井から吊られたまま手足をバタバタさせて暴れるメス個体の制圧に加わった。
(ヒトイヌ加工かぁ……このまま加工するの、大変そうだよなぁ)
手を押さえながら「管理官様、手足を分けないんですか?」と尋ねれば、久瀬は眉を顰め、作業用品達は「シャテイが俺らよりやべぇ事言いだしたよ」と目を丸くし、検品を終えたばかりのメス個体は恐怖に今にも泡を吹きそうな顔をする。
「いや、被膜は塗るんですよね? パーツ分けして塗ってから組み立てた方が楽な気がして」
「その発想が既におかしいってシャテイ、第一手足を分けるだなんて」
「あ、僕されたことがあるから……スーツケースに入らなくて、別送するのにバッサリと」
「うわぁ……デカいってのも大変なんだな……あ、大人しくなったぞこれ」
「ごめんなさい……もう暴れないから切らないで……許してぇ……!」
作業用品同士の会話に、手足の切断が決して脅しで無いことを察知したのだろう、メス個体の動きが止まる。
ガクガクと震えながら発せられる懇願は当然のように無視され、作業用品達はこれ幸いとばかりに素体の肘と膝を限界まで曲げてベルトできつく拘束し始めた。
(……ああ、始まるんだ)
短くなった腕に、久瀬の手が触れる。
強い魔力が組織の中に染みこんでいくのを確認しながら、至恩は思わずはぁっと熱いため息をついた。
これは気をつけないと、顔がにやけて懲罰電撃を食らわされそうだ。
――今から、このメス個体はヒトイヌと呼ばれる特殊な性処理用品に加工される。
全てを剥奪され、人間様の穴としてしか存在できない、憐れな存在に――
作業用品となって初めて目にした異様な姿は、今だって至恩の脳裏にくっきりと焼き付いていて、いつか検品後の加工に参加したいと密かに願っていたのだ。
残念ながら至恩が担当する素体はいつだってA品やS品になってしまうから、出荷可能な製品の中で最低ランクのD品作りを目にする機会はこれまで一度も無かったのである。
「え、あ……手が……手が……っ!!」
魔法による加工が終わり、ベルトを外せば腕を下ろそうとしたのだろう、メス個体は肘を伸ばそうとして……その身体に起こった異変に気付き悲鳴を上げる。
上腕と前腕の皮膚、そして手指は固定されていた形のまま完全に一体化して、ピクリとも動かせない。
「すごい……完全に引っ付いているんだ……」
「いつ見てもすげぇと思うわ。これさ、関節もただの骨になってるんだってよ」
「うわぁ……」
(ここまでやるんだ……二度とヒト型を取れないように……!)
なるほど、特殊無害化とはよく言ったものだと至恩は感心しながらその作業を見つめる。
二等種はありとあらゆる所を下等なモノらしく加工され、性処理用品なら人間様の好む穴となるよう調整されるけれど、ヒトイヌと呼ばれるD品はそれらとは一線を画していると思う。
彼らはその見かけすら、自然のままであることを許されない。
ヒトイヌに求められるのは、12週間かけて刺激さえ与えれば勝手に奉仕を始めるように作り替えられた穴だけで、それ以外の機能は命に別状が無い範囲で徹底的に削ぎ落とされ、歪められる。
ある意味では実に分かりやすく、人間の欲望を体現し叶えるモノであろう。
(据え置き型で自律移動もする高性能なオナホであり、自然な動きを堪能できるローターでもある、か……)
「あ……ぁ……私の、手…………」
全ての手足を加工し終えた素体は、放心状態だ。
ついさっきまで自由に動かせていた手足が、永久にただの棒と化してしまったのだ。その衝撃は察するに余りある。
けれど、これから彼女に襲いかかる仕打ちは、こんな生易しいものではない。
「……え、あ……なに、を……ゆるして……」
「動くなよ、ムラなく綺麗に塗ってやるからさ」
「…………!」
何の説明も無く、黒と赤のどろりとした液体がメス個体のありとあらゆる表面を覆っていく。
刷毛で丹念に塗り込み、特殊な光を当てれば硬化して皮膚と同じ機能を持つ被膜となるこの液体は、何層も塗り込むことによって個体から大部分の皮膚感覚を奪ってしまうのである。
(……これを塗れば、もうここでもほとんど感じなくなるって……)
ダラダラと蜜をこぼす泥濘の表面に、襞の一枚一枚に、そしてぷっくり腫れ上がりリングに貫かれた肉芽に、至恩は丁寧に筆を這わせる。
最初の内は筆の動きに合わせて小さな喘ぎ声を上げていた素体も、いつしか全く反応しなくなった。
……ああ、これでもう、この身体は二度と接触による快楽を得ることは無い。
(ほんと、酷い……)
刺激を得られない辛さは、股間を封じられ触れる権利を奪われた至恩には痛いほど分かる。
ましてヒトイヌに「手」は文字通り存在しない。じくじくと疼きを訴える場所を覆いの上から掻き毟り、せめて触れた気分になることすら出来ない。
それがどれだけ残酷な仕打ちなのか……考えるだけでこの身体はゾクゾクして股間が痛くなるけど、そんな素質を持たないただの二等種にとっては地獄以外の何物でも無いだろう。
(……ごめんね、僕は…………酷いことをされていいなぁって思っちゃうんだ……)
可能ならば、こんな加工をされてみたい。
間違いなく後悔すると分かっていても、その憧れは初めてヒトイヌという概念に出会った日から薄れたことがないのだ。
(せめて、立派な穴として仕上げてあげるから……ごめん、ちょっとだけ浸らせて)
至恩は心の中でそっと素体に謝る。
そして泥濘の奥に液体を注入する器具を差し込みながら、先ほどから聞こえてくる彼女の心の声に人知れず耳を澄ますのだった。
◇◇◇
それは、人間様には決して聞こえない声だという。
二等種でありながら魔法を発現したシオンだからこそ、波長が合ったとき前提ではあるけれども魔力を持たないはずの二等種の心の声が聞こえてしまうのだろうと央は推測していたっけ。
(……んっ…………はぁ、中も、塗られてる……? なんなんだろうこれ、確かにヒトイヌは全身真っ黒でテカテカだったけど……中までテカテカしてたっけ……?)
今まさにヒトイヌへと加工されているメス個体――57CF024は、手足を加工されたショックを紛らわすかのように、心の中で小さな呟きを繰り返している。
絶望と、諦め、そして出荷前処置では性器を目にすることが無いお陰で本当の自分を乗っ取られなくてすむ小さな安堵感がない交ぜになった24番は、とにかく早くここから解放されたいと願い続けていた。
(お願い、出荷でも何でもいいから一人にして……)
今は首輪がどれだけ涙に反応したっていい。ただ、保管庫で一人になって、この境遇を思いっきり嘆きたい。
そうすれば、あの不気味なヒトイヌとなって生きる事への諦めもつくかも知れないから……
そんなことを考えていれば、ぐっと頭を持ち上げられる。
髪を掴んだのは人間様だ。こちらが痛みに顔を顰めても眉一つ動かさない。
(えと……人間様は何をしてるの…………?)
どうも首に手を当てられている気がする。
ただ、不思議と感覚は無い。というより、先ほどまで感じていた空気の流れもよく分からない。
何やら変な液体も塗られたせいで、全身の感覚までおかしくなってしまったのだろうか。
「……よし、綺麗に開いたな。装具を」
「はい」
一体どのくらいの時間が経ったか分からない。
喉に小さな違和感を感じ、唐突に人間様の手が離され、首がガクッと落ちる。
24番は思わず咳払いをして……妙な違和感に気付いた。
(……あれ? 声が聞こえないや…………)
気のせいだろうか、咳払いをした音が聞こえなかった。
試しにもう一度声を出そうとしたが、残念ながらその試みは叶わない。
「ほら、口を開けろ」
「…………!!」
作業用品に鼻を摘ままれて、思わず口を開ければ、喉に向かってヌメヌメした質量が挿入される。
口腔性器維持具だと身体は勝手に判断し、吐き出すどころか健気にも嚥下運動を繰り返して長い器具を食道へと導いた。
圧迫される苦しさは相変わらずだが、もう2ヶ月近くあの維持具に占拠されていた空間は今では質量の無さに物足りなさを感じることすらあるほどだ。
「……あと3回塗ればいけるかな」
「シャテイ、2回でいい。もう十分厚みはあるから」
「あ、はいっ」
(もしかして、中にも塗ってる? ……あ、でもさっきほど苦しくないかも。苦しくなくなるならまぁ、いっか……)
口腔から食道まで、そして24番が気を取られている間に鼻腔にも被膜は塗布され、彼女は知らないうちに嗅覚を失っている。
残念ながら矢継ぎ早に行われる剥奪に、この個体の理解は追いついていないようだ。
ようやく口の中の異物を抜かれたかと思ったら「口と目を閉じろ」と命令され、24番は真っ暗な中で(まさか顔にも塗るの……?)と頬に感じる筆の感触に少々うんざりした様子だった。
頭の上からは、バリカンの音が聞こえてくる。確かに見学で見せられたヒトイヌの頭部はつるりとしていたから、髪の毛も要らないのだろうと思うとちょっとだけ悲しい。
「……うん、赤色被膜定着を確認。管理官様、確認を」
「ん。どれどれ…………問題ないな。全ての維持具を入れろ」
「はい」
(ああ、もう維持具を入れられちゃうんだ……もうちょっと自由な身体を堪能したかったなぁ……)
24番は指示されるがままに口を開け、上下から一気に詰め込まれる質量にため息をつく。
さっき塗られた被膜の影響だろうか、重さは感じるがいつもほどの苦しさが無いのは救いかも知れない。
それに、あの馬鹿でかい器具で喉を塞がれているのに息はいつもと違って思い切り吸えるのが不思議だ。
(よく分からないけど……楽になったから、いいのかな……)
24番は先ほど抱いた疑問をすっかり忘れていた。
何故咳払いをしたのに音が聞こえなかったのか――もし彼女が今それを思い出し、もう一度声が出るかを確認していたならば、これから行われる最後の剥奪にも少しだけ覚悟ができたかもしれない。
……いや、むしろ全てが終わってから気付いた方が、まだマシなのか。
「管理官様、維持具の挿入も終わりました」
目の中に軟膏を入れられ、顔の前に覆いがかかる。いつものようにアイマスクをつけられたのだろう。
そして次の瞬間
「よし、これで完成だな」
「!!」
人間様のどこかだるそうな声と、それに引き続いて
ブツン
頭の中で、何かが途切れるような不思議な音がして。
(…………何の音……?)
彼女は何も知らされず、何も気付かないまま、あっさりとこの世界との接点を全て剥奪されたのである。
◇◇◇
バチン
あ、電撃だ
これは歩けの命令、前に進まなければ……
人間様が完成って言ってたから、もうこれで出荷なのかな……はぁ、本当にヒトイヌになっちゃったんだ……
私、これからどうなっちゃうんだろう……
……足の感覚がおかしい気がする
あれ、足? 手? ……んん、どっちでもいいや
地面を踏んでいるはずなのに、感覚が無い……まるで浮いているみたい……
何だか静かだし……人間様の足音も聞こえない……?
え、あれ? 今私、んって呻いたよ? 呻いたのに聞こえなかった……?
そう言えば……さっきも……
……
…………
……やっぱりだ、声が……音が全然聞こえない……
今私、歩いているよね? なんで私の足音も、人間様の靴の音も……心臓のドキドキも聞こえないの?
目はアイマスクだから見えないのはいつものことだけど……
それに、息してるのにっ、鼻に空気が通る感覚が無いの
おかしいよ……私、一体どうなっちゃったの!?
バチン!!
「おごっ……」
痛い……懲罰電撃は痛いままだ……
でも、今声が出たはずなのに聞こえなかった……
それに、いつもみたいに歩いているのに……鞭が来ない
…………ううん、ちがう
さっきから鞭で叩かれてる
でも、ちょっと撫でられているくらいにしか、感じてないんだ!
まさか、さっき塗っていたのは感覚を鈍くする薬なの?
え、待って、確か…………全部に塗ってたよね……
口も、喉も……お尻の外も、中も……おまんこの…………中まで……! !
もしかして、私はもう
ナニモ カンジラレナイヨウニ サレタノ?
いや……そんなの…………二度と見えない、聞こえない、喋れない……
それにこんな身体じゃ
モウニドト キモチヨク ナレナイ!
「――――――!!!」
――次の瞬間、24番の喉に穿たれた穴からは音を持たない息が勢いよく噴き出され。
アイマスクの下で目はぐるりと上転し、思考はぶつんと途切れ、至恩に届かなくなった。
彼女の慟哭がこの世界に響く日は、永遠に来ない。
彼女の内側にその悲しみが響き、せめてもの慰めを得る事も――二度と無いのである。
◇◇◇
「全員、後片付けが終わったら持ち場に戻れ。……おい、入荷個体のデータを送った。明日には入荷するからよく読んでおけ」
「わ、分かりました……ありがとうございます」
転送陣からできたてのヒトイヌを地上の展示棟に送れば、作業用品達は処置室を片付けて次の作業に向かう。
24番には二度と感じられなくなった世界では、いつもと変わらない日常がこれからも繰り広げられることだろう。
(はぁぁ……凄い絶望だった……まだ身体が震えちゃう……)
至恩もまた待機室へと一人戻りながら、先ほどまで流れ込んできていた24番の思念の残滓を噛みしめていた。
検品により等級が確定してから出荷まで、わずか1時間半。
検品で得られた最初で最後の満足のいく絶頂から、性的快楽どころかこの世界を感じ表現するための全てを奪われた絶望に叩き落とされる。
彼女から流し込まれる思念は、まるで自分がその境遇に貶められているかのような迫力で……けれど自分のものでは無いからどこか冷静に、そしてねじ曲がった性癖を満たす材料として、大いに至恩を満足させたのだった。
(……うん、まぁ、方向性が違うだけでやっぱり僕も二等種で『覚醒』しているんだろうね……せめて君の絶望は、災害を抑える要素として使わせて貰うから)
ごめんね、と至恩は恐らく二度と相まみえないであろうあのヒトイヌに、胸の中で再び謝罪の言葉を呟いた。
にしても、ヒトイヌ加工の追体験という得がたい経験は、至恩の被虐願望を随分満足させたようだ。
これなら少しは減災の足しになっただろう。先ほどの加工の光景を思い出してうっかり息子さんを反応させそうになる身体に呆れつつも、至恩の足取りは軽い。
――何たって、久しぶりに新鮮な「供給」を得られたのだから。
正直なところ、あの保管庫でできる限りの願望は既に満たしてしまったと至恩達は思っている。
もちろん嵌まるプレイ自体は何度やっても美味しい(そう、餌皿のスパンキングみたいに!)けれど、そこに初めての時のような鮮烈さは宿らない。
そして央が推測するに、災害の規模を抑えるという観点で最も有効なのはその鮮烈さ、衝撃とも呼べるほどの感動だそうだ。
……いや、ドマゾの被虐嗜好に感動などと言う言葉を当てるのもどうかと思うけど。
(でも、難しいよねぇ……新しい道具が欲しくても、パドルや鞭みたいに人間様を害しかねない道具はだめだっていうし……とげとげのパドルなんて絶対楽しいのに!)
何かもう少し、目先を変えて楽しめそうなプレイがしたい。
これは今夜、コンテンツを漁りながら詩音と相談かなぁと思い耽っていた至恩だったが、待機室に戻り「さ、作業作業」と頭を切り替え情報を開いた瞬間、ふと頭の中に天啓が降ってきたのだった。
――そう、ヒトイヌプレイならあの部屋でも出来るんじゃないかと。
◇◇◇
「と言うわけで」
「安全な形でヒトイヌになりたいです!」
「どういうわけだよ、このバカマゾっ!!」
保管庫に戻された瞬間、ソファでおやつを食べていた央に向かってキラキラした目で叫んだ第一声がこれである。央でなくたって怒鳴りつけたに違いない。
大体、ヒトイヌ加工は不可逆な処置だ。そんなものをいくら減災のためとは言え出来るわけが無いと央が即刻却下するも、シオンはめげない。
「確か……初めてヒトイヌを見たときに調べた事が……」と何やらトモダチと相談しながらタブレットをタップしている。
……もう何もかも嫌な予感しかしない。
程なくして「あった、これです!」とシオンがタブレットを持ってくる。
掲げられた画面を見れば、そこには「ヒトイヌ図鑑」と銘打ったコンテンツが表示されていた。
どうやら様々なタイプのヒトイヌ画像を収集しているサイトらしい。これは間違いない、シオンが性癖に偏った検索をしすぎた結果AIが苦し紛れに生成したコンテンツだ。
「ほんっとうにキミは……」とぼやきつつ確認した中身は、どうやら人間の間でもこういったプレイを楽しむ変態が存在することを示唆していた。
(それもそうか、ヒトイヌの造形はどう考えたってその手の変態が趣味を持ち込んだとしか思えないしね……)
ページをスクロールしながら、やっぱり変態の考えることは理解が出来ないと央は思わず眉間を押さえて首を振る。
央にとってのヒトイヌの概念は、あくまで「特殊な性処理用品」でしか無い。
あれはただの穴であり、一般的な性処理用品に植え付けられた性器狂いの人格すら剥奪された正真正銘のモノだ。そんなものになんで好き好んでなりたがるのか分からないとひとりごちれば、すっとシオンを纏う空気が変わった。
――あ、まずい。
これは引いてはいけないトリガーを引いたパターンだ。
「そりゃもうヒトイヌの魅力と言えば「分かったヒトイヌだね、必要な物は調達する」ちょ、まだ何にも話してないです!」
「だって語り始めたらキミ、懲罰電撃でも止まらないじゃないか!! ボクはヘンタイの戯れ言に付き合える程、暇じゃ無いんだよ!!」
強引に話を終わらせれば、シオンは出鼻をくじかれて一瞬意気消沈した様子だったが、すぐに「えへへ……ヒトイヌになれる……やったぁ…………!」とトモダチと盛り上がり始めたようだ。
咄嗟に承諾してしまったが、これは仕方が無い。このままシオンの「如何にヒトイヌプレイが素晴らしいか」を延々聞かされたら、うっかり「ヒトイヌのシオンもいいかもしれない」なんて洗脳されかねないのだし。
何より、シオンが性癖のためならとんでもない思考力と決断力と実行力を持つことは、これまでAIに想定外のコンテンツを作らせ、時にフリーズさせてきたことからも実証済みだ。
だからこういうおねだりをしてきたときは、できる限り受け入れた方がいい。じゃないと、次は何をしでかすか分からない……そう央は心の中で繰り返しながら、早速ヒトイヌ拘束具を調べ始めた。
……後から振り返って思う。
あの時はそうやって自分に言い聞かせなければ、いつかシオンのペースに飲み込まれてしまいそうで……その結果いろいろなものを誤魔化せなくなりそうで、怖かったのだと。
◇◇◇
「……にしても、この感じ……前にもあったような気がする…………」
すっかりヒトイヌ談義で盛り上がるシオンは放置し、央はモニターの前で奇妙な既視感に襲われていた。
まずは既製品で構造を確認して開発研究部で製作を、といわゆる人間向けのそういったサイトを検索すれば、まぁ出るわ出るわ、多種多様なヒトイヌなる格好をした人間や商品がどこまでスクロールしても終わらない。
どうもヒトイヌというのは、何かしらの方法で手足を折り曲げた状態で四つん這いにした形態を指すらしく、その方法に特段の決まりはないらしい。
ましてそれ以外のパーツは完全に好みの世界。肌色の面積も、尻尾や耳、マズルなどの有無も素材もよりどりみどり過ぎて(だめだこれは沼に嵌まる)央は思わずページを閉じてしまった。
「……そうだよ、貞操帯の時といっしょじゃないか!!」
「へっ」
「バリエーションが多すぎて、どれを選んだらいいか分からないんだよ!! 一体キミはどれをヒトイヌと定義しているんだい!? ああ、語らなくていいからこっちが提示する画像を見てキミの定義に合致するか答えてくれたまえ、一枚当たり十秒以内でね!!」
「そこは話させて欲しかったです……十秒じゃ魅力のみの字も分からないんじゃ」
「全力で却下するよ。隙あらばひとをそっちの世界に巻き込もうとしないでくれるかな、この害悪ドマゾ二等種が!!」
……ということで、央は早々に自分で考えることを諦めた。
シオンのタブレットに見つけた画像を表示し、端的に感想を述べさせることにしたのである。
「うーん、僕はマズルは要らないかな……尻尾は無くてもいいしむしろアナルフックが」
「テカテカツヤツヤで覆われてるのいいよね! 色は定番の黒、アイマスクも美味しいしあと」
「はいはい十秒経ったから次ね!!」
「「うぅ、語り足りない……」」
央は矢継ぎ早に画像を表示しながら、シオンの感想をシートに打ち込んでいく。
その内容は吟味すれば頭が痛くなるようなものばかりだが、貞操帯の時とは違って今回は見えない世界に同じ苦労をしてる自分の存在を確信できる分、孤独感は少ないかも知れない。
……まぁ、訳の分からない判断基準に頭が痛くなることに変わりは無いけれど。
(……そう言えば……何とも思わないのかな)
パリパリとお気に入りのチョコチップスを囓りながら作業をする央は、ふと先日の区長会議の話題を思い出す。
確か二等種を性処理用品に志願させる手法として、とある保護区域では高級性処理用品が人間から菓子を恵んで貰い頬張る映像を流すのだと。
12歳まで地上で人間と同じ暮らしをしてきた二等種の味覚は、当然食生活や味覚も人間と何の変わりが無い。
そこから成体になって性処理用品の誘導を始めるまでの間に、今の餌をまずいと思いながらも口に出来るように慣らしていく。
どれだけ味の変化を感じたとしても、一滴残らず舐め取らなければ懲罰となるから食べないという選択肢は存在しない。
義務的に喉に流し込まれる餌は、彼らから味わうという権利を静かに剥奪するのだ。
そうやって何年もかけて、餌と言えば定期的に胃に流し込む臭くてまずいものと常識を書き換えられ全てを諦めたはずの二等種に「性処理用品になれば人間様の食べ物を与えられるかも知れない」と唆したところで何の意味も為さない……かと思いきや、幼少期に形成された味覚への執着は馬鹿に出来ないらしい。
彼らは、ただ自分と同じ二等種が甘味を美味しそうに食べているだけの映像に涎を流し、直後に与えられる餌に絶望を覚え、性的な欲望と相まって判断力を鈍らせあっさりと性処理用品に志願するという。
その成功率の高さから、近いうちにこの手法は全国の保護区域で採用されることになるだろう。
――では、不良品と判断され、目の前で好物だったおやつを食べる姿を見ても何の反応もせず、餌と呼ぶには悍ましい液体を平気で啜るほど人間の感覚からかけ離れてしまった作業用品にも、その執着は残っているのだろうか?
(……そう、これは実験。上手くいけば作業用品の管理にも使えそうだし)
疑問を抱いた央の中に、ちょっとした悪戯心が沸き起こる。
相変わらず十秒という制限時間を無視して語りそうになるシオンの感想を纏めつつ、央は同時に開いたメモ帳に実験のアイデアを書き記した。
上手くいけば、これもこのドマゾ個体の性癖を満たす要素となりそうだとほくそ笑みながら。
……そんな言い訳の裏に隠れていたのは、かつて共に遊び共におやつを食べた思い出すら失ったかのように見えるシオンへの、ちょっとした意趣返しだったのかも知れない。
◇◇◇
「で、変わりは……あったんだな、その顔は」
「…………あったというか、もう何と言やあいいんだか……」
シオンがヒトイヌプレイを央におねだりした数日後、いつものように検分の名目でやってきた久瀬を、クミチョウは戸惑いを隠せない様子で出迎えた。
……今日の久瀬は、随分執拗に頭をぐりぐりと踏みつけてくる。こりゃ相当ご機嫌斜めだなと久瀬はこれから降りかかるであろう災難に思わず身構え、先日の出来事が久瀬を怒らせないよう祈りながら報告を上げる。
「シャテイのことなんすけどね……」
「…………ああ、あのクソ変態個体か」
(あ、だめだ。俺死んだ)
一段低くなった声と微妙に苛立ちを含んだ返答だけで、クミチョウは確信する。……自分は検分の後、間違いなくこいつの鬱憤晴らしに使われると。
かと言って、人間様に報告しないという選択肢は二等種である彼には存在しない。
続きを、と無言で促すように頭を押しつける圧に呻きつつ、クミチョウは腹をくくって再び口を開いた。
◇◇◇
125Xのメンテナンスで久しぶりに地下へと降りたクミチョウは、偶然廊下でシオンと出会う。
最初の頃のビビりも随分なりを顰め、すっかり調教用作業用品として馴染んだ元へなちょこに(立派になったもんだ)と感慨を覚えつつ、近況を尋ねればまた随分ご機嫌な様子で。
「作業の方も順調です! この間は担当個体がS品で出荷されましたし」
「へぇ大したものだな、これで6体目か? 間違いなくてめぇは、今うちで最も性能がいい調教用作業用品だな!」
「ありがとうございます! ……んはぁっ……」
目を潤ませ時折腰を悩ましく振るその股間には、銀色の覆いがきっちりと収まっている。
なんでも研究のために人間様から長期装用を命じられているとかで、今は5週間毎にたった一度の絶頂しか許されないのだとか。
(……俺なら確実に狂ってるわ……良くこんな状態で、そこまで性能を発揮できるもんだ)
クミチョウですら経験の無い世界に飛び込んでいるシオンを気の毒に思うも、どうも様子がおかしい。
いや、あまりに自慰禁止期間が続いて頭が煮詰まってくると正常な判断力が知らず知らずのうちに失われるのは身をもって味わってきたが、シオンのそれは少々毛色が違うと同じ苦しみを知るモノとしての直感が働き、クミチョウは何気なくシオンに尋ねた。
「しかしなんだな、そんなものをつけられている癖にてめぇ、随分ご機嫌じゃねえか。そろそろリセットが近いのか?」
「んっ……次のリセットは3週間後ですけど、今度人間様が実験でヒトイヌにしてくれるんです! もう楽しみで楽しみで……あはぁ、涎が垂れちゃう」
「…………は?」
「……………………はっ!!」
(…………待て。今こいつ……何て言った? ヒトイヌに『してもらう』!?)
――どうやら、判断力が鈍っているのは間違いないようだ。
うっとりした顔でとんでもない発言をかました目の前の作業用品は、ややあってやらかしたことに気付いたのだろう「あわわわ今のはそのっ、えっと、聞かなかったことに!!」と久しぶりのへなちょこモードを発動している。
まぁ、失言は誰にでもあることだ。流してやるのは簡単だが問題はその内容だと、クミチョウは内心冷や汗をかきながら「…………お前、もしかして」と恐る恐る尋ねる。
そんなことはあり得ない、あってはならないと自分の推測を全力で否定しながら。
だというのに、このへっぽこはやっぱり想像の斜め上を突っ走って行きやがるのだ。
「……まさかとは思うが、お前……マゾなのか?」
「ぐっ…………お願いします何でもしますからこのことは内密にいぃぃっ!!」
「いやそこは否定しろよ! てか否定して欲しかったぞ俺は!!」
途端目の前で土下座して懇願するシオンの胸に光るのは、乳首を覆い隠すフードのついた随分立派なバーベルピアスだ。
太さは一般的な製品より一回り小さいだろうか。おしゃれでつけるには明らかに場違いな場所と太さの組み合わせに当時違和感は感じたが、ボディピアス自体は作業用品ならありふれたものだとあっさり納得して終わった記憶がある。
(くそっ、これも「そういう」事か!! 完全に見落としてた……!)
なんたる失態だと心の中で叫びつつも「心配しなくても他の奴らには言わねぇよ、てか良く今までバレずにすんだな」と思わず本音を漏らせば、シオンは幾分安堵した顔でこれまでのやらかしと周りの反応についてつれつれと語る。
どうやら作業中にも素体の扱いに羨望を感じて興奮することは多々あるものの、周囲はいい感じに「またシャテイが素体を泣かせて興奮してる」「覚醒してないとは思えない」と全く逆方向の解釈をしてくれるらしい。
「不思議なんですよね、あんな風にされたいって涎垂らしていても『ああシャテイがもっと虐めたそうにしてる』って……」
「そりゃてめぇ、俺らは二等種だぞ? 嗜虐の極み、鬼畜ドS成分100%と称されるモノの中に、誰がドマゾが紛れ込んでるなんて思うかよ」
「うう……確かに見た感じ同士は誰一人……」
「いるわけねぇよ、諦めろ」
全く、変わった奴だとは思っていたがぶっ飛んでいるにも程があるだろうと、クミチョウは心の中でこんな珍獣を不良品として送り込んできた管理官の采配に毒付く。
以前125Xがこれに性処理用品の適性を見出したのも、あながち間違いでは無かった訳だ。どうして無理矢理にでも性処理用品にしなかったのやら。
(……これは……報告だな。あいつのことだから、知っていそうな気もするが……)
「とにかく変な素振りはなるべく見せるな、バレたら大変なことになるからな!」と目のまで怯えた様子を見せるシオンに良く言い聞かせながら、クミチョウは近々やってくるであろう検分の時間を思い頭を痛めるのだった。
◇◇◇
「…………ということがあったんすけど。その様子じゃ管理官様は全てご存じで」
「当然だ。あれは幼体の頃からうちにまで噂が聞こえてくるくらい何かとぶっ飛んでいたからな……管理官の中では有名な二等種だ、あまりの変態っぷりに誰もが監視を嫌がるレベルの、な」
「マジっすか……にしたって、狼の群れになんてものを放り込むんすか、人間様は……」
「好きで放り込んだ訳では無い。全く、あれほど性処理用品に適性がありながら『解釈違い』の一言で一蹴するわ、変態ドマゾプレイをやりたさにうちのAIをフリーズさせるわ、挙げ句の果てにお忙しい区長にヒトイヌになりたいなどと……いかん、ますます腹が立ってきたから懲罰だ、M906X」
「ちょ、いくら何でも八つ当たりがひでぇ!」
チッと頭の上から久瀬の舌打ちが聞こえる。
だめだ、こうなった久瀬は確実に貞操具を用意するし、装着期間を決めず限界ギリギリまで追い込んでストレス発散するのが目に見えている。
(くそっ、俺の平和な生活を返せシャテイ!)と懇意にしている類い希なる変態個体を心の中で怒鳴りつけながらも、しかし想像以上のやらかしっぷりにクミチョウは久瀬始め矯正局の人間様に同情心を抱く。
(……いやマジで、良くここまで処分せずに……むしろ従順だったから処分できなかったのかもしれねぇ、厄介にも程があるな……気の毒に)
二等種に堕とされてからの人生の方が長くなったとは言え、やはり堕とされはどこか人間側に立ってものを考える性質が抜けないようだ。
「立て。腕は後ろに、足はしっかり開け」
「…………はい」
ため息をつきながら発せられた命令に、クミチョウは渋々立ち上がり、手を後ろに回す。
久瀬は手慣れた手つきで手枷と足枷を装着し、天井に密かに取り付けたフックとクミチョウの首輪を鎖で繋いだ。
いつの間にか持ち込まれたカートの上には、銀色に光るプレートとリング、そしてカテーテルが鎮座している。
「……ひでぇ顔っすね」
「問題が山積みでな、こんなことでもしないとやってられん」
「ぐっ…………随分高尚なご趣味なこって」
多忙とストレスで参っているのは事実なのだろう、珍しく覇気の無い顔に思わず突っ込めば、久瀬の大きな手がクミチョウのそそり立つ屹立を握り込む。
ちゅこちゅこといいところを擦られれば、満足を知らない身体はあっという間に高みへと追い上げられた。
「よし。……じっとしていろ」
「はぁっ、はぁっ……くっそ…………出してぇ……」
「俺の気が済んだら出させてやる」
「っ…………それ、いつの話ですかね……っ……!」
規格外の陽物を魔法で無理矢理縮められ、固定用のリングに急所を押し込まれる。
激痛にぶわっと冷や汗が噴き出るが、人間様が二等種如きに配慮などするはずも無い。人間様が与えてくれる行為に痛みなど無いものとされているから、クミチョウは必死に呻き声を噛み殺し、久瀬は何の加減も無く双玉をリングにぐいぐいと押しつける。
「正直、地上のことだけで今は手一杯だ。特に作業に問題が生じていなければ、奴の奇行は不問としている。お前は今まで通り監視を怠るな。被虐に全振りした変態個体の分お前らに比べれば無害とは言え、危険因子に変わりは無い」
「…………んっ……随分と、警戒しているんすね」
「当然だ。お前、地上で被虐の気質を持つ二等種を見たことがあるか?」
「あるわけないっしょ」
「そういう事だ。別方面からの監視もしてもらっているが、監視の目は多いに越したことは無いからな」
シオンが不良品の烙印を押された当初から、久瀬は密かにクミチョウに監視を命じていた。
素体の調教や未熟な性処理用品の管理に追われる調教管理部は基本的に多忙で、作業用品の細かい監視にまでは人を割けないのが実情だ。
それに、無害化こそ失敗したものの生涯一般人と接することなく隔離される作業用品に対しては、そこまで厳格な監視を必要としないという一面もある。
一方で、人間様と正気で話し性処理用品を扱う機会が多い分、作業用品は反抗の恐ろしさをどの二等種よりも良く知っている。
だから久瀬がわざわざ二等種であるクミチョウを監視役に選んでいるのも、反乱の目を潰すためと言うよりは全体の作業効率に影響しそうな要素を早期に見つけるためでしかない。
そう言う意味では、シオンは間違いなく要注意個体である。
下手にあの性質が作業用品達にバレれば、禁じられている二等種同士の性的接触に耽り身を持ち崩す個体が発生しかねないから。
「これでよし、と……礼が無いな」
「はっ……ふっ不良品の、自慰と射精を管理して頂き……ありがとうございます……っ」
「ふっ、実に情けない顔だ」
カチッと鍵の閉まる小さな音が、保管庫に響く。
「こんなもの一つで、硬派なお前がグズグズになって屈服する姿は実に滑稽で気分がいい」と、久瀬は幾分機嫌を直したようだ。
この辛さを知らないからそんな顔が出来るんだ、一度てめぇで着けて見やがれと、寸止めからの先の見えない貞操具生活に目の前が暗くなる感覚を覚えながら、クミチョウは絶対に言えない悪態を心の中で叫ぶ。
……まぁ、何かと自制の聞かない身体はポロリと余計な事を口走ってしまうのだが。
「こんなもので……趣味が悪ぃ…………」
「口の利き方には気をつけた方がいい。お前は二等種だ、人間様に反抗と取られるような言葉は慎めと何度言えば分かる? ……そう言えば区長の研究によれば、二等種の貞操帯による性欲管理にはまだまだ可能性がありそうでな。現状連続5週間の装着を数ヶ月繰り返す程度では壊れないことが分かっている」
「っ、最悪の、研究っすね……!」
「なに、人間様に使い倒して貰うことこそが二等種にとっての喜びだろう? ……研究結果を確認するにはおあつらえ向きだ、俺のストレスがましになるまで毎日遊びに来てやろう」
「は……んぁっ!」
すり、と手袋に包まれた久瀬の指が、クミチョウのぽってり腫れた蕾の縁をなぞる。
たたでさえ二等種は、オスメス問わず全ての穴を開発し尽くしているものだが、何かにつけて懲罰と言う名目で貞操具に苦しめられてきたクミチョウにとって、メスの快楽は屈辱であると共にもはやそれ無しではまともな射精すら叶わない麻薬のようなものと化している。
お陰でこうやって縁をなぞられるだけで、はしたない口は必死に何かを咥えたいとねだり始めるのだ。
(ちっ……まだ何かやるのかよ……っ!)
入口を執拗に撫でる無骨な指の先が、ほんのり温かい。
……これは知っている。人間様が何かしらの魔法をこの身体にかけている証拠だ。
今日の久瀬の様子からして絶対に碌でもないことになると、クミチョウの心臓は早鐘を打ちはじめ、カラカラになった喉は無意識にゴクリと音を立てる。
果たしてその推測は当たっていて。
久瀬は後ろの縁を指でトントンと叩きながら、死刑宣告に等しい処置を明らかにするのだ。
「これでよし……と。ここを、俺の指以外のあらゆる侵入物を拒むように調整した」
「……んふ……っ…………は……拒む、だと……?」
「残念だったな。これでお前は、後ろに大好きな玩具を突っ込んでメスのように善がる権利を剥奪された訳だ。ああ、浣腸のノズルも入らないが餌に洗腸剤を混ぜるから問題ないだろう。なに、たったの3リットルだ、バケツがあれば飲み干せるな?」
「…………な……っ!」
良い子にしてれば、寸止めついでに俺の指くらいはしゃぶらせてやるさ。精々はしたなく尻を振っておねだりするんだな……
拘束を解くや否や、久瀬は余りの仕打ちに血の気が引いたクミチョウにそう平然と言い放ちその場を去る。
ようやくショックを脱してふつふつと怒りが湧いてきても、これ以上の仕打ちを考えればとても下手なことは言えない。
(だから、ここまでやりたくなるほど何でも一人で抱え込んで自分を追い込むなってんだよ! 俺を狂い死なせる気か!? いい加減学びやがれ、このクソ管理官が!!)
「屈折しているにも、程がある……! くそっ、触りてぇ……っ……!!」
クミチョウは火をつけられた身体を持て余し、欲情に潤んだ瞳で無情な金属の蓋を掻き毟りながら精一杯の抗議と嘆きを部屋に響かせた。
◇◇◇
一方、自分のやらかしでクミチョウが大変な目に遭っているなど思いもしないシオンは、目の前に用意された道具達にすっかり舞い上がっていた。
「うわぁ……これが、人間様のヒトイヌ拘束具……!! へぇ、アナルフックにしっぽがついてるんだ……この発想はなかった……」
「股間だけ開いちゃうラバースーツって、えっちだよねぇ……あっ私のマスク、髪を通す穴がついてる。これなら髪の毛もぐちゃぐちゃにならない!」
「キミとトモダチ両方の希望を満たせる形にしたからね。で? 人間様にここまでして貰って何か言うことはないのかい?」
「「ありがとうございますっ人間様ぁ!!」」
感謝の言葉もそこそこに、二人は早速ラバーマスクへと手を伸ばす。
この日のために、着用方法は毎日のように読んで頭に叩き込んだのだ。お陰で妄想が捗りすぎて触れない辛さが1.5倍増しになったけれど、それも憧れを満たすためならば嬉しい誤算に過ぎない。
「んむ……鼻の穴に管突っ込むのって、これだけでゾクゾクする」
「いいなぁ詩は……いてて……人間様ぁ、装着中だけ勃起抑制シールが欲しいな、って」
「却下。ドマゾなんだからその痛みも堪能しなよ。ご褒美でしょ?」
至恩はそのまま、詩音は髪を頭の上で一つに纏め、ラバーマスクの内側に伸びる呼吸用の短いチューブを鼻に差し込む。
慣れない違和感はむしろ興奮を煽る要素だ。そのままかばっとマスクを被り、後頭部に手を回してジッパーを下ろせば、顔にかかる圧に思わずはぁと熱い吐息が漏れた。
「不思議な感じ……これ、目と口も包まれてるのが良かったなぁ……」
「次回は完全に包まれるタイプをお願いしようか」
「いや、誰も次回があるなんて言ってないからね!!」
二等種の首輪は皮膚に癒着しているため、首輪の内側にラバーを入れ込むことが出来ない。
だからどうしてもマスクと首輪の間に隙間が出来てしまうのが、ちょっと残念だなと思う。
「次はラバースーツ、と……うわ、これ本当に入るのかな、ちょっと心配になってきた」
「ぬるぬるぅ……いっぱい塗ってぇ……んっ、気持ちいい……」
性処理用品の黒い身体は皮膚と一体化する特殊な被膜を形成することで実現しているが、作業用品である以上不可逆的な外観の変化をもたらす手法は採れない。
とはいえ、なるべく肌色の部分は少ない方が興奮する一派がいるのは人間も同じらしい。
ただの拘束具では無くラバーで皮膚を覆い人間性を剥奪するだなんて、本当によく分かってるなと二人は勝手に同士と認めた地上の変態様にシンパシーを感じつつ、ドレッシングエイドと呼ばれる潤滑剤を身体とラバースーツの内側に塗り込んでいく。
スーツは思ったより薄くて、無理矢理引っ張ったらちぎれてしまいそうなのがちょっと怖い。
「ん、しょっ、と……」
ぬるん……
このラバースーツはいわゆるネックエントリーと呼ばれる、背中にジッパーが無いタイプだ。
首の穴を両手で広げて右足を突っ込めば、ラバーの冷たさとぬるぬるした感触が相まって、無機質な何かに身体を飲み込まれていくような感覚に襲われる。
ぎゅっ、ずるっ……ぬるっ……
「はぁ……っ……たまん、ないぃ……」
ふわりと香る仄かな甘さは、ラバーの匂いなのだろうか。
潤滑剤の力を借り、隘路をかき分け先端へと進む足はさっきからずっとゾクゾクする感覚を脳に送り込んできていて、こんなもので全身が包まれるだなんて……と嫌が応にも興奮が高まってしまう。
皺を慎重にたくし上げれば、ぴったりと緩み無く吸い付いたラバーは足先から太ももまでをまるで抱き締めているかのように締め付けてくる。
……抱き締められるだなんて、そんな感覚は一体いつ以来だろう。もう人間としての全ては諦めたはずなのに……胸まで締め付けられそうだ。
「け、っこう、伸びる、けど……っ」
「うああぁ腕がつるぅ……!」
続けて左足を入れる為に、入口を思い切り両手で広げる。
作業用品としてそれなりに身体を使うようになったとは言え、成長段階で投与された薬と自慰以外にまともに身体を動かさない生活を長年続けてきたせいか、二等種の筋力は人間に比べると穴以外は低めだ。
規定外に育ってしまった至恩はまだしも、一般的な二等種体型の詩音にはかなりきついものがあるのだろう。「至、助けてぇ」と左足を中途半端に突っ込んだまま転がってしまっている。
「大丈夫、詩? ほら、引っ張るから頑張って」」
「はぁっはぁっはぁっ……ヒトイヌへの道は遠いねぇ、至……」
「胸までは頑張って引き上げて、あとは僕が手伝うから」
やっとのことで詩の足が黒い覆いの中に収まり、至恩はラバーを胸までたくし上げつつ異質なものと化した己の下半身を眺める。
股間の部分には布地が無く、互いを封じる覆いが丸見えなのが逆に卑猥さを際立たせていて、実に滾る。
何となくその場で足踏みすれば、慣れた床の感触がほんの少しだけ遠い。靴下を履くとこんな感じになっていたのだっけとふと遠い記憶を探るも、年単位で服を剥奪された身では思い出すことすら困難だ。
(……すごいな、こんな薄いもので……隔絶されている)
徐々に人工的な黒に覆われ外界との接触を断たれていく様は、かつて人間の世界から追放され、二度と戻れない形に変化させられた過程を想起させられる。
爪や髪が伸びなくなり、生殖能力を絶たれ、人間様の都合のいいモノになるように心身共に加工されたあの頃はその変化が恐ろしいと思っていた。
でも、思い起こせば……あの頃感じていた恐怖の中には、知らず知らず興奮が混じっていたのだと思う。
それが、地上にいた頃から他者の悪意に晒されたが故の防衛反応である可能性は高い。
けれどこの気質を地上で芽生えさせていたからこそ、自分達はここまで生き残り、拗くれた性癖を堪能できる権利をこの手に収めている。
「んふぅ……」
片方ずつ手を差し込み、袖を引っ張りながら腕を通していく。
手の甲を、腕を、ずるりと撫でる感触に、思わず浸ってしまう。
さっきから息が荒いのは、ラバースーツを着るのに思った以上に体力を消耗しただけではない。
(きもち、いい……ぎゅってして、ぬるぬるでぐちゃぐちゃで……)
指先は分かれておらず、指をくっつけたまま掌を真っ直ぐ開いた形。
締め付けに抗いわずかに指を動かせば、ヌルヌルした感触が指の間をくすぐって、それだけで脳みそが溶けてしまいそうだ。
(気持ちいい間に、締め付けられ、閉じ込められ……)
(……脱げば戻れるけど……ああ、でもこれ私一人じゃ脱げないから……戻ることも出来ないや)
至恩はもう片方の手を通し、案の定力が足りなくてもがいていてた詩音の腕を通すのを手伝い。
不自由な両手でなんとか首の部分を掴んで持ち上げ首輪の下側に被せれば、この身体は完全にラバーというモノに密閉される。
背中を伝う汗の感触すら、敏感に感じられるのに、この薄い皮膜の向こうはあやふやで……
((……まるで、二等種を作ったみたいだ))
ああ今、自分は再び、二等種というモノに堕ちたのだと錯覚した瞬間。
二人の胸に灯ったのは、あの時感じた絶望を性癖という形で興奮と満足感に昇華する、ある種の救いだったのかも知れない。
◇◇◇
「……いつまで突っ立っているんだい。さっさと仰向けになってよ」
「!! っ、申し訳ございません、人間様っ」
快楽とも喜悦とも形容しがたい何かに全身を包まれ、その場に惚けて佇んでいたシオン達に痺れを切らしたのか、央の指示が飛ぶ。
はっと我に返った二人は慌ててその場でごろんと寝転がり、それぞれの央が近づいてくるのを興奮と共に出迎えた。
「うっわ、どろどろじゃん……潤滑剤なんてなくてもさ、このはしたない汁だけで着れたんじゃないの?」
「……はぁっ…………」
軽口を叩きながら、央はシオンの左肘を曲げ、折りたたまれた腕の位置を調整する。
隣に置かれているのは、この身体をヒトイヌたらしめるために必須の拘束具だ。
(……あ…………手が……もう手じゃ無い……!)
黒いラバーに包まれた肘に、装具が被せられる。
レザーで出来た装具は肘から手首までを覆い、靴紐を締めるかのように末端からぎゅっと締め上げられていく。
肘に当たる部分にはしっかりクッションが入っていて、数時間の四足歩行には支障が無い作りになっているそうだ。
「んっ…………ふぅっ…………」
「あのさ、ボクただ紐を締めてるだけなんだけど? なんでそんな涎垂らしそうな顔で興奮しきってるのさ」
「だっ、てぇ……ラバーでぎゅうぎゅうに締め付けられてるのに、さらにギチギチに締められるなんて……気持ちいいに決まってますぅ……」
「わかった、分かったから鼻血は出さないで!!」
本当に分からないと心の中で呟く央のあきれかえったため息が、頭の中に流れ込んでくる。
それでも……散々怒鳴り、詰り、時には懲罰電撃を落とされることもあるけれど、央は性癖そのものを否定はしないと、この1年近く央と過ごしてきたシオンは気付いていた。
今だってほら、央の小さな手には強化魔法の魔力が感じられる。
二等種には魔法なんて勿体ないと言いつつも、この紐を思い切り引き絞るために躊躇いなく魔法を使うあたり、やはり人間様は管理官様に比べて随分とモルモットの扱いが丁寧だと思う。
「んっ……全然、開けない……ヒトイヌの足になっちゃった……」
「開けたら困るだろう? ヘンタイだから嬉しいのは分かるけどさ、ベルトを締めるから動かないで」
「はぁっ……更にギチギチだぁ……ああもう、人間様分かってるぅ!」
「…………ボクは先にその口の処理をした方が良かったようだね」
さらに装具には上下2カ所にベルトが通され、これまた限界まで引き絞られる。
あまり締め付けたら腕が使い物にならなくならないのか気になるところだが、その辺は二等種を用いた実験データで半日程度なら問題ないことが分かっているらしい。
「これでよし、と。四つん這いになって」
央の指示に、シオンは手足……ではなく前足と後ろ足を胸につけてころんとうつ伏せの姿勢を取り、よっこいしょとおっさん臭い掛け声をかけて足を立たせる。
肘の先は膝よりも高めにヒールが作られていて、気をつけないとバランスを崩してこけてしまいそうだ。
にしても、地面が近い。この近さは作業用品になる前、二足歩行の権利を剥奪されたあの感覚に近いなと思えば、また股間から卑猥な液体がたらりと垂れた。
「前足の高さはこれで問題なさそうだね。じゃあ鍵しちゃおう」
さらに央は南京錠を取りだし、ベルトのピン先の輪に通してカチン、カチンと施錠する。
ラバーで指を纏めて覆われ、手足をギチギチに折り曲げられた状態でベルトが外せるとはとても思わないが、二等種の拘束はいかなる場合でも鍵付きのベルトを使う事が義務づけられているためらしい。
「これで足はできあがり、っと……口開けて」
「あ、それ……あがっ……」
「開口ギャグだよ、調教で使うものほど大きくは開けられないけどね。どうせ使われたいって思ってたんじゃ無いの? …………ああもう、図星ですってそんな鼻息荒くしないでよ!」
口を開ければ、頬の内側ににひんやりした金属の感触が広がった。
央は口の中を覗きながらフェイスハーネスに繋がった開口ギャグの位置を調整し、シオンの黒いラバーで覆われた丸い頭にベルトを這わせていく。
頬から鼻根部へと斜めに横切り、眉間から後頭部へ。さらに頬から耳の下を横切って後頭部に、そして顎の下へと回されたベルトはこれまた限界まで引き絞られ、何があっても外せないように固定される。
(あー、ペニスギャグで喉を犯されながら拘束されるのもいいけど)
(開けたまんまってのもいいねぇ……涎すっごい……)
ぼたぼたと、飲み込めない涎が口の端を伝って床に落ちる。
調教時に使うアジャスター付きの開口具と違って、顎が外れるほど無理矢理開けさせられているわけではないからそこまで苦痛は無い。といっても、今は閉じられない状況に興奮しているからしんどくないだけで、時間が経つにつれて顎のだるさに苛まれるのは間違いないだろう。
……いや、そんなだるさも気にならないくらいこれから興奮すればいいだけだし、きっとそうなるとシオンは確信している。
残る装具はあとひとつ。全てを身につけた惨めな姿を想像するだけで、ちょっと意識が飛びそうだ。
「んー、先に頭を固定した方がやりやすいかな……」
そう独りごちながら、央がシオンの後ろに回る。
無遠慮に尻たぶを割り開けば、そこにはすっかり熟れた菊座が物欲しそうに蠢いていた。
いつもはアナルシールドで一人遊びをがっちりガードされている詩音も、今日は装具を取り付けるためにその蓋を外されている。
リセット日以外は浣腸用の細いノズルしか侵入を許されない穴に太い物を迎えるられるのは相当嬉しいらしい。尻尾が生えていたらきっとちぎれんばかりに振りたくっていただろう。
(ま、今から尻尾を生やすんだけどね)
流石にこの太さで絶頂はしないよね? とちょっと心配になりつつも、央はすっかり綻んだつぼみにたっぷりと潤滑剤を注ぎ込み、根元にふさふさのしっぽが突いた金属製のアナルフックをずぷりと差し込んだ。
「ぉあ……」
思いがけない無機質な来訪者に、内側はぐねぐねと動き何としても刺激を得ようとしゃぶりつく。
残念ながらそんな浅ましい身体の欲望に、この金属は応えてくれない。とどのつまり、生殺しでますます渇望が強まるばかりである。
「んあっ、ああぁ……」
「はいはい遊んでないでほら、前を向きな、よっ!!」
「あがっ!!」
俯き気味だった首を限界まで後ろに反らされ、そのままの状態で頭のてっぺん、フェイスハーネスに取り付けられた金具とアナルフックを短い鎖で繋がれる。
首を引かれた拍子に喉の反射を起こしてしまったのだろう、思わず嘔吐いて首を下げようと試みるも、緩み無く繋がれたフックが肛門を苛むだけで、楽をすることを許さない。
「ほら、姿勢良くしないと遊ぶどころじゃなくなるよ?」
「はっ!! はっはっはっ……あぁ……」
央の言葉に、シオンはぎくりとして慌てて首を反らす。
当然のように、フックは一定の力がかかれば懲罰電撃が流れる親切(?)設計だ。まだ何も始まってないうちから興を削がれるのは本意では無い。
(うわ……きつい……ちょっと息がしづらい……!)
手足を折り曲げた慣れない体勢に、普段取ることの無い首の位置。
苦痛につぅと汗が滲んでも、それは身体を冷やすという本来の目的を果たせぬままラバーの中に溜まり、さらにシオンの熱を上げていく。
(熱い……締め付け気持ちいい……苦しい……お尻、切ない……っ……)
快も不快も、貶められたこの立場も、全てが興奮へと繋がる。
あまりの興奮に狭まりぼんやりとした視界の中に映ったのは、何か光る棒のようなものを手にした央だ。
(……あれ、まだ終わってなかった、っけ……?)
まとまらない思考の中で、シオンはふと疑問を抱く。
事前に出していた希望はこれで全て叶えられたはずだ。二人で確認したから間違いない。
だとすればあれはいったいなにだろうか……と逡巡していれば「舌を伸ばして」と短く命令された。
「あぇ……?」
「うーん、もっと思い切り突き出してよ。だめなら舌の先に針で糸かけて引っ張るけど……そうそう、そのままで待機ね」
「んえっ」
話しながら央はシオンの舌に穿たれたピアスを外す。
当初12Gで舌の真ん中を穿ったピアスは、シオンの希望により現在は乳首と同じ8Gまで拡張されている。これなら固定具として十分機能する筈だ。
次に央が取りだしたのは、これまでつけていたものよりシャフトが長いピアスだ。
先ほどと同じように舌の表面からピアスを穴に刺し、長いシャフトを舌の裏に出すと、鉛筆くらいの太さの金属バーを裏側に添えた。
ひんやりした感触に思わず舌を引っ込めそうになれば「じっとしてなよ」と咎められる。
「このピアスを開けたときにさ、キミ言ってただろう? 舌を拘束されたいって」
「あ……」
「まぁ拘束という程じゃ無いけど、少しはキミの満足度向上に繋がるかもね」
バーの長さは10センチくらいだろうか、口の幅よりは明らかに長い。
中心には穴が開いていて、そこにシャフトを通して角度を調整すると、央はくるくると留め具をねじる。
「ほらできた、トモダチを見てみなよ」と促されるがままに互いに向き合った二人は、その光景に思わず絶句した。
「…………ぁ……!!」
(な……っ、バーが唇にぶつかって……)
(え、これ、舌が戻せない!?)
目の前で思い切り舌を突き出し、涙の膜が浮かんだ目をパチパチしながらはぁはぁと喘ぐトモダチ。
その舌の裏にピアスで固定されたバーは、ピアスで穿たれた場所……舌尖から2センチほどを口の中にしまえないようなつっかえ棒として機能している。
無理に舌を引っ込めようとすれば、ピアスの穴が裂けて……うん、その先はちょっと想像したくない。
(うわぁ、これは……実にいい、すごくいい!!)
(にっ、人間様! 鏡を、鏡を下さい自分の姿が見たいです!!)
(却下!! キミ、絶対自分の惨めな姿に興奮して鼻血出すから!!)
開口器をかけた段階で舌は所在なく口からはみ出していたけれど、それはあくまで自然な流れであった。
だがこのバーは違う。明確に舌を無理矢理引き出したまま拘束し、より無様な姿を強制するためのものだ。
――そんなもの、興奮しないわけが無い。
「あは、んぁっ、はぁっはぁっはぁっ……」
「あへぇ……はっはっ……んあぁ…………!」
「あーあー、もうできあがちゃってら。今からそれじゃ、どうなっちゃうんだろうね」
(どうもこうも)(最高すぎる)とすっかり興奮し、互いの姿を眺めては鼻息を荒くするヒトイヌを央は実に複雑な気分で眺める。
これはあくまでもシオンの被虐欲求を満たすためのもの。この世界に災いをもたらす魔法の威力を弱め、結果として央が目的を果たす時間を稼ぐため、仕方なくやっていることだ。
正直、黒い被膜でその個性を覆われ、わずかに残された権利も剥奪された存在に自ら堕ちたがるシオンの気持ちは一生かかっても理解できる気がしないし、その姿は実に憐れで、当然央の好みとはかけ離れている。
……なのに
(……はぁ、キミが喜んでいるから……この姿も悪くない。貶めるのも楽しくなるだなんて、どうかしてる)
自覚があってもどうしようも無い盲目さは始末に負えないとかぶりを振りつつ、一方でより満足度を高めるために用意した「プレイ」に彼らがどう反応するか期待を胸に抱いて、央は保管庫の中を意味も無くうろつきご満悦な変態作業用品に「じゃ、行こうか」と声をかけた。
「……あぇ?」
「ん? まさかヒトイヌの格好だけで終わるとでも? ここまで人間様に手間を取らせたんだから、当然被検体として使わせて貰うよ」
思いがけない事態に戸惑うシオンと央の足元に、転送魔法の陣が展開される。
(まさか)と目を見開き呻き声を上げたシオンに、してやったりとばかりに央は口の端を吊り上げるのだった。
「さぁ、今のキミはヒトイヌ……犬なんだろう? 折角二等種から犬に格上げされたんだ、だから『散歩』をしないと、ね!」
◇◇◇
次の瞬間、詩音の目の前には見慣れた光景が広がっていた。
(…………ここ、は……!!)
空を模した、何の開放感も無い天井に熱と光だけは本物そっくりな人工太陽が照りつける、だだっ広い空間。
いつもより近くに感じる地面には、人工芝が敷き詰められている。
そこは、地上に似せた、けれど地上の匂いも、風のそよぎも何も存在しない……二等種用の運動場だった。
「ここなら自由に走り回れるだろう? 犬なら大喜びだ、違うかい?」と笑顔で有無を言わさぬ圧をかけてくる央は、その裏でそっと念話を使いシオンに(言っておくけど)と語りかける。
(ここは調教管理部の監視の目がある)
(!!)
(……間違えても研究室のような振る舞いはするんじゃないよ? で……いいかい、ここはキミの庭だ。監視はあっても、この時間に他の作業用品がここを訪れることは無い。つまり、ヒトイヌとして存在する今はキミのプライベートな場所…………意味はわかるよね)
(あ…………ええと、ここは自分の部屋……外じゃ無い、うち……)
「ほら、走りなよ!」と首輪に落とされた電撃の合図にビクンと身体を震わせ、詩音は恐る恐る戒められ前足となったパーツを前に踏み出す。
四つん這いは散々やってきたから慣れたものだと思っていたが、膝と肘という点で地面を捉え、かつ厚底の装具を履かされ歩くとなると、少々コツがいりそうだ。
(ここは、部屋……私と、至の部屋……)
(あ、詩…………? 人間様、詩が横に)
(上手くいったね。多分キミは、二人きりになれると確信した空間ならどこでも『自室』扱いで一緒にいられる。それこそ檻やスーツケースの中でもいけるんじゃない? 監視の目があっても上手くいくんだし)
(スーツケースは、ギチギチどころじゃ無くなりそうですけどね!)
ここは自分達の部屋だと詩音が何度か心の中で唱えれば、ふと隣に気配を感じる。
首を動かそうとしてアナルにかかる圧力にぎくりと身を強張らせ、そっと目だけを動かせば、そこには同じようにだらしなく舌を突き出し前を向いたまま喘ぐような呼吸を繰り返す至恩の姿があった。
その瞳は苦痛に歪み、今にも涙が零れ落ちそうである。さっきから「いぁぃ……」と何度も呻いているところを見るに、どうやらこの状況にすっかり息子さんが臨戦態勢を取っているようだ。
(詩……はぁっ、いててて……)
(オスって大変だね……でも、痛いのも悪くない?)
(うん……楽に性癖を満たすなんて許さないって、言われているようで……うぐぅ……)
念話を交わしながらも、二人はぽてぽてと小さな歩幅を刻む。
人間様に『走り回れ』と命令された以上、止まることは許されない。ましてここは、あの管理部長始め管理官様の目がある場所だ。例えお優しい人間様なら見逃すような小さな瑕疵でも、彼らは決して許さないから。
(楽しい……けど、きっつい……!!)
這いつくばって少しずつ進む黒い塊の上に、人工太陽は容赦なく照りつける。
ぽたぽたと人工的な地面に滴り落ちるのは汗、では無く涎だけ。さっきからラバースーツの中に汗は溜まり、熱と湿気が全身を包んで、どれが興奮なのか物理的な熱なのか、判断がつかない。
足を動かせば、ぐちゅりとぬめりが身体を這い回る。
締め付けられているのは相変わらずなのに、同時に襲いかかる得体の知れないものが蠢くような感覚に、思わず「はぁ……っ……」と艶めかしい吐息が漏れた。
なまじ視界を奪われていない分、目の前に広がる日常と、ラバーの中に閉じ込められた非日常とのコントラストが鮮やかに感じられて、ああ、この手が自由なら全力で股間をまさぐりたい――自由であっても触れることは叶わないのに、そんな思いに脳を焼かれている。
バチン!!
「ほら、戻っておいで! 水分補給をするから」
電撃の合図にほんの少し正気を取りもどし、もつれる足を叱咤して央の元に戻れば、有無を言わさず口の中に親指くらいの太さの管を突っ込まれる。
流石にこの状態ではまともに水を飲めないと判断したのだろう。「そのまま管を飲み込んで」と無茶な要求に閉口しながらも喉を動かせば、無事食道に通った管から水を流し込まれた。
生ぬるい水が、身体の中に染み渡って行くようで気持ちがいい。
最近では身体が慣れたのか以前ほど尿が溜まっても酷い排泄衝動に襲われることは無くなったけど、こんなに水を注がれれば明日の朝はきっと膀胱はパンパンに膨れ上がるだろう。久々にきつそうだなぁと、ふやけた頭にぼんやり思考が流れる。
「じゃ、また遊んでおいで。ああ、折角だしボール遊びでもするかい?」
「!?」
「これならその口でもくわえられるだろ? ほら、取ってこい!」
(ちょ、人間様無茶しすぎぃ!!)
(うわぁボール遠いっ!! この足であんなとこまで……しかも往復だなんて!!)
(……待った。ねぇ詩、僕らどうやってボールを拾えばいいの?)
(え? 口は開いてるから上手くはさんで……首……下に、向けたら……えええ絶対ビリビリするやつ!!)
冗談でしょ、とせめて抗議の視線を向けたくとも、この身体では振り向くことが困難だ。
かと言って身体の向きを変えていれば、もたもたしているとこれまた懲罰扱いされるのが目に見えている。
央だけならまだしも、監視カメラの向こうにいるであろうあの大柄な管理官がひとたび目をつけたら――折角の楽しいヒトイヌ体験も地獄絵図に早変わりだと二人はぶるりと身を震わせ、短い足を懸命に前に運ぶしかない。
「はぁっ、はぁっ、んっ、はぁっ……」
(あと、半分……遠い、熱い……頭が……)
朦朧としながら歩いていれば突如尻に鋭い衝撃を感じ、シオン達は思わず「あへぇっ!?」と妙ちくりんな悲鳴を上げた。
ややあってじんじんと痛みを訴える尻と「全く、何トロトロしてんの?」と上から降ってくる呆れた様な高い声で、二人はようやく央に尻を思い切り鞭打たれたのだと気付く。
バシッ
「あがっ……!」
「やっぱり犬と言っても所詮は二等種だよねぇ。人間様の命令すらろくにこなせないだなんてさ」
「うあぁ……おえんなあぃ……!」
一発、二発。
どこにそんな力があるのかと尋ねたくなるほど強い打撃が、シオンの股間を襲う。
意図的にラバーで覆われていない素肌を狙っているのだろう。貞操帯のカップで多少なりとも防護できる詩音はともかく、急所を丸出しの至恩は予想外の玉責めに泡を吹いているようだ。
「はぁっ、はひっ、ひぐっ……うあぁ……!」
「何をだらけているんだい? ボクはボールを取ってこいって言ったよね。ほら、さっさとその口で咥えなよ、こうやってさ!」
「うああぁっ……!!」
鞭の痛みに泣きながらもようやっとボールの前に辿り着き、しかしこれをどうやって無事口に運ぼうかと逡巡するシオンの頭を央は容赦なくグッと掴む。
そしてそのまま、アナルフックで固定されている首を無理矢理曲げるように、頭を地面に向かって押しつけた。
途端に尻の中で花火が爆発したかのような痛みに襲われ、二人は目を剥いて渾身の雄叫びを上げる。
「あははっ、きったない声だねぇ! ほら、さっさと拾わないといつまでも痛いままだよ? あ、でもキミにはこれもご褒美か、ねぇこのマゾイヌ!!」
「がは……っ……」
再び腹の中を焼かれる衝撃に、たまらずシオンはその場に崩れ落ちる。
涙が止まらないお陰で、さっきから首輪はバチバチと青白い光を保ったままだ。
「ぅ……ぁ……」
(人間様……流石に、やり過ぎぃ……)
(やっぱりヒトイヌを頼んだ事、怒ってたのかな……)
遠くで央の高笑いが聞こえる。
実に楽しそうな笑い声に、薄らぐ意識の中で二人は小さな文句と謝罪を繰り返す。
だから……監視カメラをちらりと見遣り(こんなものかな)と央が心の中で小さく呟く声は、彼らの耳に届かなかったのだ。
◇◇◇
「はぁっ、はぁっ……この身体じゃ、やっぱり久瀬さんたちみたいにはいかないや……」
「今度こそさっさとボールを取っておいでよ。限界まで懲罰電撃を浴びたいならいいけど」と冷たく言い放った央の言葉に震えあがったシオン達は、既に満身創痍の身体に鞭打ちよろよろと運動場の向こう側へと足を進める。
そんな怯えた背中を眺めながら、央は芝生に座り込みキンキンに冷えた水のボトルに口をつけた。
最初は、監視カメラの向こうで万が一この状況を眺めている管理官がいたときの為のカモフラージュのつもりだった。
なのに、手足を戒められ舌を突き出して喘ぎながら悲鳴を上げるシオンの姿と、その悲鳴に混じる(人間様が……央様が鞭を振るってくれてる……!)という倒錯した悦びの色を感じた途端、何かがぷつんと切れた気がして。
気がつけば央は息を切らし、全身汗だくで、しかし奇妙な高揚感に包まれたままシオンの頭を足で踏みつけて全力で鞭を振るっていたのだ。
(……久瀬さんも検分の時には作業用品の頭を踏むって言ってたっけ……こんな気持ちだったのかな……)
認めたくは無い。
けれどこの状況では、二等種を蔑み甚振ることで心の平安を得る人間様らしい気質が自分の中にもあることを認めざるを得ない。
――人間と、二等種。その本質的な性質は本当にこれほど人間が恐れなければならないほど異なるものなのかと、シオンをモルモットとして使うようになって以来、央が人知れず禁忌とも言える疑問を抱く事は増えた気がする。
一方で、シオンもまた久しぶりに豹変した央の態度に少しだけ悲しみと諦めを感じていた。
あの研究室で時折見せる昔の面影を残す央と、今自分を甚振って楽しんでいる央……一体どちらが本当の央なのか時々分からなくなるのだ。
……まぁ、どちらにしても、央への想いが変わることは無いし、甚振られるのもそれはそれで悪くないと思ってしまうくらいには変態だから、特段問題はないとも言えるけど。
「はぁっ、はぁっ……うぐっ…………」
「いぁぃ……おえんあぁぃ…………いやぁ……!」
再びボールを拾えば、当然のように電撃に穿たれ悶絶する。
今、背中に感じる央の視線は、他の人間様と何も変わらない。
浴び慣れた侮蔑と憐憫を混ぜ込んだ中に、憎悪や恐怖が感じられないことだけがせめてもの救いだ。
(確かに管理官様に比べればお優しいけれど……央様も、やっぱり『人間様』なんだ)
(……こんなことをして楽しいと感じるくらいには、ボクも『人間様』なんだよね)
この関係が始まって1年。
確かに央はシオン達の世界に触れ近づいたはずなのに、依然として両者の間を隔てる壁は高いまま。
内にはなんとも言えない気持ちを抱きながら、彼らは今日もその立場で踊り続けるのである。
◇◇◇
ようやく保管庫へと戻された至恩達は、もはや立ち上がる気力すら失っていた。
ただ、体力的には非常にしんどかったし久しぶりに人間様モード全開の央を見てどうにも心はざわつくけど、終わってみれば実に充実したプレイだったと精神的には満足感に包まれている。
(ふふ……このちんちくりんな足……いかにもモノって感じがたまらない……!)
(舌も乾いて攣りそうだし……顎は疲れて辛い……でも、いい……これはいい……)
我ながらどうしようも無いドマゾだと思うが、そうなってしまったものは仕方が無い。
なにより、憧れのヒトイヌは実に素晴らしいものだった。これで次の災害はきっと小さくなるはずだ――
「あ、今から実験するから、餌はそのあとね」
「はえぇっ…………はっ!!」
「その様子じゃ、完全に忘れていたみたいだね……全くポンコツなんだから……」
相変わらずあっさりポジティブ方面に切り替え、さて脱がせて貰おうと央の様子を窺っていたところに、突然の実験開始宣言である。
二人は思わず(もう無理です!!)と心の中で嘆きの声を上げたが、二等種に無理などと言う言葉は存在してはいけないわけで。
「うぅ……はぁっ……」
「はいはい泣き言はいいからさっさと立って。目隠しを着けるから」
「んぁっ……」
向かい合わせで鼻が触れそうな距離に立たされると、分厚いアイマスクをハーネスの上から装着される。
足は見た目にも分かるほどプルプル震えていて、気を抜けばその場にへたり込んでしまいそうだ。
「んぇ……?」
一体何をするのかと身構えていれば、突然舌にどろりとしたものが落ちてきた。
反射的に舌を引っ込めかけて、頬に当たるバーの感触にシオンは慌てて舌を突き出す。
特段味も匂いも感じないし、出しっぱなしでカラカラに乾いていた舌が少し潤う気がする。
保護剤か何かだろうかと思案していれば「じゃ、始めよっか」と央が実験の始まりを告げた。
「あにぉ……?」
「ああ簡単だよ。トモダチとキスして」
「………………ええええ!?」
最初は何を言われたのか、理解が出来なかった。
ようやく頭が命令を解釈した途端、二人はぼんと赤面し――ラバーで覆われているから央には分からないはずだ――ほぼ同時に困惑の叫び声を上げる。
(き、き、キス!? ちょ、待って、詩とキスするの? あわわ、キスってのは好きな人とするものであってその)
(ええとそれ以前にさ、この状態でキスなんで出来なくない? 口、開いたままじゃん!!)
キス、口付け。目の前にいるトモダチと、開口器をかけられだらりと舌を出したままの状態で――しかもよりによって央の前で!!
「あのさ、二等種ごときが何キス如きで狼狽えてるのさ。どうせ口よりもっと凄いモノを散々舐めてきてるでしょ? その穴は本来人間様の性器に奉仕するためにあるんだし」
「………………え?」
「え? って……まさか、キミ発情した異性と何年も一つ部屋にいたのに、舐めたことすらないとか……うっそだろ!? どれだけ歪んでいるんだよ!」
思わず叫んだ央は、しかしまさかと自分の記憶を掘り起こす。
そしてこれまで見てきた監視カメラの映像の中にも、この研究室にシオンを持ってきてからも、リセット時に指で表面をなぞることはあっても舌を使って相手に愛撫していた記録は一度も無かったことに気づいて……今度は央が赤面する番だった。
(…………嘘だろ、キミ、どれだけボクの事を好きなんだよ!!)
もしかせずとも目の前の淫乱で変態な二等種は、ここまで歪められても未だ「初めてのキスは好きな人とするもの」と実に甘ったるい夢物語を手放せずにいたらしい。
その原因を作ったのは間違いなく自分だ。なんだこの気持ちは、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。
「ま、まぁいいや……キスというと語弊があったかな。互いの舌を接触させるんだ」
「ええ…………」
「キミの舌に装着したピアスと拘束具には、とある魔法がかけてある。舌同士が接触すれば魔法が発動し『相手に』ある反応が起こる。ボクの魔法がキミという媒体を通して並行世界に関与できるなら、ね」
こほん、と咳払いをして央はこの実験の説明をする。
見ることも触れることも、感じることすら出来ない並行世界に現時点で関与する方法は、シオンを運び屋とした物のやりとりだけだ。
災害に関しても、不安や恐怖があくまでシオンという伝達装置を通して並行世界のトモダチに受け渡され謎魔力に変換されているのだと、央はこの魔法の機序を推測している。
(並行世界への他者による魔法そのものの伝達……これが出来れば、何かしら役に立つかも知れない)
未だ災害を止める方法は見当すらつかず、タイムリミットは刻一刻と迫っている。
シオンの存在がいつバレるかだって予測は出来ない。そして、それまでにこの胸に抱いた欲張りな決断を叶えられる保障はない。
だからこそ全ての可能性に対応できるように、材料は多い方がいい――
そんな秘めた想いはおくびにも出さず、央は努めて明るい声で「じゃ、始めてよ。ボクはキミが見えないトモダチとベロチューを楽しむ姿を堪能させて貰うからさ」と命じるのだった。
◇◇◇
絶対に叶わない望みだとは分かっていた。
それでも敢えて叫ぼう。
こんな汚れた身体でも、せめて初めてのキスの相手だけは想い人が……央が良かったと。
(うう……ごめんね、詩……)
(それはお互い様だよ、私が至の初めてになるだなんて…………)
(しかも央様、ずっとこっちを見てるし! ……はっ、これはもしかして寝取られシチュ)
「だから勝手に人をヘンタイ趣味に引きずり込まないでよ!! 実験なんだから観察するのは当たり前でしょ!!」
「あぎゃあぁっ!!」
ショックが大きすぎて明後日の方向に飛んでいった思考は、案の定央によって制裁される。
未だビリビリが止まらない身体を震わせながらも、ともかく命令には従わなければと二人はそっと首を突き出し、互いの舌を探し始める。
(ん……これはほっぺ……)
(詩、僕が動くからそのままでいて。……にしても、反応って何が起こるんだろう……)
(まぁ二等種に与える反応だし、いいものじゃないのは間違いないよね……)
舌で詩音の頬をなぞりながら、至恩は位置を調整する。
そして大きく開けられた唇をつつき、びくりと肩をふるわせた詩に(ごめん)と謝りながら、恐る恐る謎の液体に塗れた舌の先をちょんと詩音の突き出された舌に触れさせた。
その瞬間
「あぇ…………っ!?」
舌に、そして脳に、ぶわりと衝撃めいた歓喜が広がる。
ふわふわした幸せが脳を満たし、けれどその正体が分からず、二人は混乱を覚え慌てて舌を離した。
(い、今の、何……っ?)
(分からない……けど、悪いものじゃなさそう……?)
(だね……も、もう一度……)
戸惑いながらも、止めろと言われていない以上ここで終わるわけには行かない。
二人はもう一度覚悟を決めて、そっと舌を触れ合わせる。
途端に脳が蕩けそうな幸せが溢れ、ようやく彼らはその正体を――かつては当たり前だった、けれどあまりにも自然に奪われてしまった権利を思い出す。
((…………甘い……!!))
そう。
央がかけた魔法は、触れ合わせた相手の舌に甘みを感じさせる魔法だった。
特段何かの食べ物を模した訳では無く、ただの甘みだけ。
だが十年近く奪われていた味覚を叩き込まれた至恩達の脳裏には、心の奥底に封じ込めてきた「味」への記憶が一気に蘇る。
(甘いって、こういうものだったんだ……すっかり忘れてた……)
(あは、美味しい……ねぇ至、美味しいなんて思ったの何年ぶりだろう!)
(ホントだね……ケーキ、シュークリーム、チョコレート……ああもう、全部が懐かしい……!)
これまで奪われていた味覚を取り戻すかのように、二人は舌を絡ませることに没頭する。
ひとつ、甘い幸せが頭の中で弾ける度に、心がふわりと満たされていく。
ああ、あの頃自分達はこんな贅沢なものを当たり前のように享受していたのだ。臭くてまずい餌しか味わうことを許されなると分かっていたら、もっともっと美味しいを堪能しておけたのに……
(……誕生日に食べたパフェも、美味しかったな)
(ラーメン屋でパフェを出すなんて信じられなかったけど……めちゃくちゃ美味しかったよね、あれ)
蘇るのは、味だけでは無い。
楽しい事なんてほとんど無かったはずの地上での生活、そのわずかな楽しい思い出が、甘味の思い出と共に脳裏にフラッシュバックする。
部屋に持ち込んで二人で食べたおやつの味。泣いてるシオンに央がくれた飴の味。
いじめっ子から逃げ切り、寂れた路地で央と一緒に隠れて初めて食べた、お土産のチョコチップスはこの上なく美味しかったこと――
(ああ、ずっと何の希望も無い最悪な人生だと思っていたけれど)
(地上にいたころにも、楽しいことはあったんだ……なんで、もっと楽しまなかったんだろう……!)
いつしか二人は、アイマスクから滴るほどの涙を零しながら一心不乱に互いの舌を貪り合っていた。
甘い、けれど、どこか切ない味。
地上に戻りたいとはこれっぽっちも思わない。二人にとっての地上は、ここと変わらない……いや、性癖を満たせる今となってはここ以上の地獄でしかないから。
それでも、完全に人生から消え去っていた甘味がもたらしたわずかばかりの思い出は、郷愁の念を二人に抱かせるに十分で。
「ぐすっ……ひぐっ…………」
「えっ、えぐっ……ひっく…………」
((戻りたい……人間だった、あの頃に…………!))
永久に叶わない望みを悲痛な色で叫びながら、二人は央が「……はい、終わり。データは取れたから装具を全部外すよ」と停止電撃を流すまで幻覚の優しい甘さに浸り続けていた。
◇◇◇
「……で、この餌…………」
「うう、何かの罰ゲームなの? これ……」
「何言ってるんだよ、これもまだ実験の続きなんだから。ほらさっさと食べなよ、一滴残らずね!」
数年ぶりに味わったまともな味覚に脳のどこかが痺れたまま、シオンは央の手で装具を外される。
たった2時間とは言え手足はすっかり固まっていて、動かすとぎぎぎと変な音が鳴りそうだ。当然ラバースーツは一人で脱ぐことが出来ず、央が「世話の焼けるモルモットだよ全く!」とぶつくさ言いながら強化魔法をかけて脱がしてくれた。
とはいえあの身体でラバースーツを脱がすのは大仕事だったのだろう、今はソファに寝そべってぐったりした様子で、こちらに指示を投げている。
そんな幸せが抜けきらないシオンの目の前に出されたのは、並々と白濁した餌が注がれた餌皿だ。
いつもより遅い給餌に泥のように重い身体をひきずって向かえば、何故か今日の餌は給餌器ではなく餌皿に用意されていて、シオンはがっくりと肩を落とす羽目になる。
「うえぇ……なんか、いつもより臭くない……?」
「だよねぇ。うっ、もう嫌な予感しかしない…………」
覚悟を決めて、二人は異臭を放つ餌――たっぷり注がれた疑似精液に顔を突っ込む。
そして次の瞬間、「おげえぇぇっ!!」と盛大に中身を床にぶちまけた。
「おぇっ、うっ、はぁっはぁっはぁっ……ま、まっずい……気持ち悪いっ!!」
「うっぷ……なにこれ!? これは口に入れていいものじゃ無いと思うの!!」
確かに目の前にあるのは、食べ慣れた餌の筈だ。
だが、今日の餌は恐ろしくまずい。
いやもう、もうまずいという言葉では言い表せない。およそ人体が口にしてはいけない物体だと、全身が拒否感を示している。
思わず涙目でこちらを振り返ったシオンに、央は「いやまあそうなるよねぇ」と意外にも冷静な様子だ。
「さっきの実験で味覚がリセットされちゃったんだよね」
「り、リセット……?」
「そう。二等種の餌は、幼体期から時間をかけて少しずつ形状と味に慣らしていくんだ。いくら二等種と言っても、これまで贅沢に人間の味を堪能していた身体がいきなり餌の味を受付けはしないからね」
幼体の頃は、6年かけて薄い塩味と苦味だけで味付けされた餌へと段階的に変化させることで、それ以外の味があることを忘れさせ、餌とは味わうものではないという常識を植え付ける。
そして成体になれば2ヶ月かけて粥状の餌から疑似精液へと切り替えることで、とても人間が口にするとは思えない悍ましい味であっても比較的抵抗なく受け入れられるように仕組まれているのだ。
だが、今のシオンは実験により完全に意識の外にあった甘みを、そしてそれに引きずられるように人間としての正常な味覚を脳が思い出してしまった状態である。
つまり
「捕獲された直後に近い味覚で餌を食べるんだから、まぁまずいよね」
「ひぇっ」
「まあでも、一度慣らされてる味だから順応は早いんじゃ無いの? ああ、人間様が与えた餌を吐き戻すだなんて言語道断だよねぇ」
「っ、も、申し訳ございません!! ……ひぃ、ぜ、全部舐めて綺麗にしますぅ……」
「当然だよ」
これから数ヶ月、このクソまずい餌を誰よりも堪能させられる事が確定したわけで。
(うう……死ぬ……まずすぎて胃がひっくり返りそう……)
(至、頑張って! 吐いたらまたやり直しだから!!)
シオンは鼻を啜り、吐き戻すのを必死に堪えながら涙目で餌を舐め取る。
いつもの何倍もの時間がかかっているから、これは餌の後に懲罰も確実だと震えながら。
(味覚のリセットは、新しい懲罰として使えそうだね……久瀬さんに報告しないと。……まぁ、やっぱりドマゾにはご褒美になっちゃうんだけどさ……)
シオンが地上で央と過ごしたひとときを思い出したことは、目論見通りだった。
数少ない思い出まで忘れられちゃたまらないからねと、必死に餌を啜るシオンを央はにんまりとした表情で眺める。
……けれどその心の奥底に、二等種であることを改めて突きつけられた仄暗い悦びが混じるのを当然のように察知した央は(どうしてキミは、いつもいつもそっちに行っちゃうのかなぁ……!?)といつも通り複雑な思いを抱くのである。
◇◇◇
数日後、調教管理部のミーティングで話題に上がったのは、先日の央の「お遊び」だった。
たまたま運動場のモニタを眺めていた管理官が発見したらしい。やはり行動に気をつけていて正解だったと、央は内心胸をなで下ろす。
「なるほど、研究用のモルモットとして扱いつつ、部長公認でプレイをお楽しみになられていると……」
「部長も時々遊んでますものね。今もあれに貞操具を着けているんでしょ?」
「遊びじゃ無いぞ。あれはああやって適度に懲罰を与えておかないと、すぐ反抗的になるからな」
「ふぅん、まあそういうことにしておきますか」
「俺らは部長が元気で、あの変態個体が廃棄になるまで働いてくれればなんでもいいんで」
「勘弁してくれ、俺はとっとと退官してぇよ……」
有能な管理部長を生暖かい目で見守る管理官達に、久瀬は「ひでぇ……俺はいたって真面目にあの堕とされを調整しているだけなのに……」とがっくり机に突っ伏している。
どうも彼の「お遊び」は無自覚らしい。それはそれでタチが悪いなと、央は20年以上彼の拗くれた感情の受け皿とになっている堕とされの作業用品に、ほんの少しだけ同情する。
だがまあ、久瀬の精神衛生上は非常に有用だから、これからも是非犠牲になり続けて欲しいものだ。
「でも、そんなにお気に入りなら買い取ればいいのに」
話しを黙って聞いていた管理官の一人が、不思議そうに呟く。
矯正局の管理官はいわゆる高級官僚だ。その立場を活かしてお気に入りの製品を見つけ、個人用に買い取る職員も時々存在する。
実際、買取を示唆した管理官も自宅にA品のオス個体を設置していて、気の合う友人を家に招いては一緒に使って遊んでいるらしい。
「区長ともなれば、よりどりみどりでしょ? 研究に使うにしたって個人持ちのほうが何かと自由がききますし」
「それはそうなんだけどさ……あれ、作業用品だよ」
「「あ」」
央の指摘に、そうだった……とどことなくがっかりした空気が部屋に流れる。
いくら性能がずば抜けているとは言え、あれは数多の管理官を悩ませた希代の変態個体なのだ。あわよくば買い取られて、視界から消えてくれたらよかったのにという思惑が見え見えである。
二等種の買取には、いくつかの条件がある。
購入者の素行調査で問題が無いことは当然ながら、余程の特例が無い限りS品以下の製品であること、製品としての売り上げが、捕獲から製品加工までにかかった製造コストと保管コストを2割以上上回っていること、等々……
――そこにX品、つまり無害化に失敗した不良品のリサイクルである作業用品は当然ながら含まれない。
だからまぁ、ここで遊ぶしか無いんだよねと央が笑えば「ま、俺らもやってることですしね」と管理官達もにやりと笑みを浮かべる。
買取は不可能では無いとは言え煩雑な手続きとそれなりの金銭的負担が生じるし、購入となればどうしても面倒な世話がつきまとうから「たまたま」監視カメラが設置されていない部屋にお気に入りの製品を連れ込んで遊ぶのは、性処理用品取扱資格を持つ職員の特権であり公然の秘密である。
中には、福利厚生の一環だと豪語して憚らない管理官もいるくらいだ。
国も修理を必要とするような乱暴な扱いさえしなければ、その辺りは黙認している。
ただし製品とは言え二等種を勝手に持ち出している以上、何があっても自己責任ではあるが。
「にしても、作業用品で遊ぶってのはねぇ……不良品の危険個体を使いこなすってのはある意味凄いと思うけど」
「まぁ部長もね、昔色々やらかした人なんでしょ? 区長に至ってはふたなりだし……変わり者にはあのくらいじゃ無いとつまらないのかもね」
「しっ、聞こえるぞ。部長はともかく、ふたなり差別なんてバレたら俺らが処分されちまう」
ミーティングは特段変わったことも無く時間通りに終わる。
部屋を出ようとした央の耳に飛び込んできたのは、よくある陰口だ。
久瀬のお陰で調教管理部では表だって央のことを奇異の目で見る者こそいないが、それでも全面的に受け入れられているかと言われれば……まぁ、お察しの通りである。
(……もう慣れたよ。こういう輩には、好きに言わせておけばいい)
それに、今はこんな些事に構っていられるほど暇でもないのだから――
央は「ま、そういうわけであれは買えないからさ。これからも実験がてらここでたっぷり遊ばせて貰うよ」と柔やかな笑顔を貼り付け、その場を後にするのだった。
「そう、買えないんだよねぇ……」
無意識にぽつりと漏れた、小さな呟き。
――その言葉に込められた悲しみと忸怩たる思いに、気付く者はいない。