沈黙の歌Song of Whisper in Silence
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17話 姑息的処置の限界は

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 研究室の中は、いつものように粘ついた音と荒い息づかいに満ちている。
 この見えない防護壁の向こうは、きっと彼らの発する噎せ返るような熱気と淫らな匂いに包まれていることだろう。

(……またやってる)

 モニタに向かい作業を進めながら、央はは時折確認するように保管庫ブースを見やり、その度に小さなため息を漏らしている。

 確かに、あれを最初にやらせたのは自分だ。
 実験の一環ではあったけれど、そこに私情が交じっていたことを否定はしない。
 とは言え、こうも繰り返されると……例え見えない相手が性別の違うシオン自身であると分かっていたって、胸はざわつくのだ。

(なるほど、寝取られプレイ……ボクには死ぬまで良さは理解できないね!)

 むぅ、と央が不機嫌な表情で眺める視線の先では、相変わらず淫らな体液に塗れた床に座り込んだシオンが、虚空に向かって一心不乱に舌を絡めていた。

「はぁっ、はぁっ……詩ぁ……」
「んふ……至、至ぅ……」

 息を荒げ、時折喘ぎ声を漏らしながら、二人は無心で互いの口を貪り続ける。
 ぎゅっと握りしめ合った手は爪が食い込む程力がこもっていて、二人がどうにもならない疼きに翻弄されていることがまざまざと見て取れた。

「んっ……んふっ…………ん、ぁ……」
「ふーっ、ふーっ……んちゅ、はぁっ……」

 歯茎をなぞられれば、ビクッと身体が震える。
 舌の脇を合わせて擦れば、ふわりと頭に霧がかかる。
 気持ちいい。けれど――何もかもが、足りない。

(触りたい……思いっきり出したい…………ああ、欲しい……っ!)
(足りないよう……気持ちいいけど……ずくずくがとまらない……!)

 至恩の胸に、固い感触が上下する。
 もどかしさに狂った詩音は唇を合わせたまま胸の膨らみを押しつけ、金属のフードで覆われた先端に刺激を与えようと無駄な足掻きを繰り返していた。


 ◇◇◇


 ――シオンの魔法発現から、そろそろ2年。
 少しずつ延びてきたリセット間隔は、現在11週間になっている。

 2年もこんな生活をしていれば、心身も異常を基準とした形に作り変わるということか。
 シオン達は止まない渇望に頭を焼かれている割には普段はこれまでと変わらない……どころか、貞操帯を装着する前に近い感覚で日常を送ることが出来るようになっていた。
 少なくとも、作業中にうっかり発情して手ひどい懲罰を食らう事は無くなったのだ。存外この身体に適応力が残存していたのか、それとも管理部長の「何が何でも作業効率は落とさせない」という信念のお陰なのかは分からないが、ともかく平和な時間が増えたことは喜ばしい。
 至恩曰く、朝の息子さんもいつの頃からか大人しくなったそうだ。薬剤を用いずともここまで身体が順応するとは思いも寄らなかった。

 ただその代わり、一度「触りたい」「出したい」「逝きたい」と火がついてしまったときの衝動の激しさは、悪化の一途をたどっていた。
 今ではスイッチが入ったが最後、シオン達はただでさえ薄弱な理性を更に弱め、まともな言葉すら紡げずに、狂ったように刺激を求めてのたうち回るようになっていて。

 ……そのなれの果てが、この口付けである。

(気持ちいい、もっと、もっと…………)
(いっぱい気持ちよくなるの、そしたら)

((また、あの幸せな甘さが……この辛さを慰めてくれるかも……!))

 獣と化した彼らが一心不乱に追い求めるのは、ヒトイヌとして舌を交えた実験で得た、二等種には許されない禁断の味覚である。
 発情で思考力を失っても、肝心なところを金属で覆われたこの身体は何をしたところで絶頂に至る刺激を得られない、魂に刻み込まれた現実までは忘れようがない。
 だから、彼らは性的刺激による快楽を諦め……その代わりとして、かつて無い幸福をもたらした甘味という刺激を希求するのである。

 ……たまたま実験で得られた副産物のような幸福など、二等種ごときに二度と与えられるはずが無いのに。

 それでも触れることを禁じられていないが故に、虚しい希望を抱いた獣達はその行動を理性で諫めることも出来ず、想い人の前で熱烈な交わりを見せつけてしまうのだ。
 今ばかりは本当に、トモダチの姿が央に見えて無くて良かったと、二人は心の底から思っている。

 それでも……小さな罪悪感が心から消えることはない。

(……央様…………僕は、未来永劫央様一筋だから……!)
(至とキスしても……央様が大好きなのは変わらない……ずっと愛してます……)

 惨めな触れ合いを繰り返しながら、漏れ出す念話はどこか悲壮さを纏っている。
 当然のように彼らの心の内を拾ってしまう央は、また始まったとどこか切なそうな表情を見せた。

(……分かってる。最初から、ずっと…………だから、垂れ流さないでよ……)

 口付けを交わすときには、彼らは決まって央への想いを胸の内で囁き続ける。
 いや、これまでだって二人があの頃と何一つ変わらず央を想い続けていることはその言動からダダ漏れだったけれど、初めてのキスをただの実験で消費させられた事実はシオンの何かに触れてしまったらしい。

 これはあくまで、身体だけの関係。ただ熱を冷まさんとする、機械的な足掻き。
 自分達の気持ちは地上にいた頃から何一つ変わらないと、まるで言い訳でもするかのような思念は、いつだって央の胸を締め付けるのだ。

 ――更にそれほどの気持ちを決して口に出さない事実が、互いを永遠に分かつ立場という名の壁を突きつけてくるから、余計にいたたまれなくて。

(後、5分だけ……あんまり短いとすぐ同じ事の繰り返しになっちゃうから……うん、あと5分だけは許してあげるよ……)

 あくまでも研究者としてモルモットに接するように、央は雑念を振り払いすっと表情を消すと、再びキーボードに指を伸ばした。


 ◇◇◇


「そう言えばさ、ちょっと前に馬になったじゃん、123番」
「馬……ポニープレイですか? ああ、あれはヒトイヌとはまた違った良さが」
「ストップ、ボクはキミに布教を許した覚えは無い! ……あれ、来月からC品の出荷前加工オプションに追加されるから。キミのお陰でいいデータも取れたし、矯正局も喜んでたよ」
「「はい!?」」

 きっかり5分後、いつものように電撃で虚しい動きを止められた二人は、床に突っ伏したまま央の言葉に耳を傾ける。
 管理官様の前でこんな態度を取れば即刻懲罰確定だが、一応ここは保管庫扱いというのもあってか央は話を聞く姿勢に関してはそこまでうるさくない。流石に脳を焼かれて妄想を念話で垂れ流せば「このヘンタイ!」と一瞬魂が離れたかと思うほどの電撃を飛ばされるけど……それはそれで興奮するので問題はない、ことにしておこう。

 しかし製品をポニーガール(ボーイ)にするとは一体どう言うことなのかと首を傾げれば、央は「これも災害対策だよ、間接的なね」とある映像を流す。

「社会不安を紛らわせるのに、ちょっと刺激的な娯楽を用意しただけだよ。まぁ、製品もなかなか刺激的な生活が送れるんじゃ無い?」
「うわぁ……」

 保管庫に設けられたモニターに大写しにされたのは、とあるレースの風景だった。
 異様な熱気の中、場内に引きずられてきたのは馬……もとい、試験的に性処理用品を加工して作られたポニーである。

「あれ? 研究用なのに、C品……」
「F品は部品以外を地上に持ち出せないからね。こういう完全体が必要なときはC品を使うんだよ」
「そう、なんだ……」

 ポニーたちはハミを模した拘束具を口に装着し、目の両脇にはブリンカーと呼ばれる視野を狭くする板が取り付けられている。
 オスメス問わず髪を長く伸ばし頭の高い位置で一つに結っているのは、たてがみのつもりだろうか。魔法で植えつけられたとおぼしき耳が時折ピクリと動いて、まるで本物の馬のようだ。

 耳以外は特段の処置が行われていない顔面と異なり、首から下はテカテカと黒く輝いている。これはD品……いわゆるヒトイヌ同様、皮膚と一体化し触覚を大幅に鈍らせる被膜で覆われているのだろう。
 チラリと見えた後ろ姿から粘膜部分への塗布はされてないことを確認し、シオンは(快楽は剥奪されていないんだ)と少しだけ安堵を覚えた。

 上腕は、胸からウエストまでを覆いあり得ない細さに引き絞るコルセットと身体の側面で繋がれているようだ。
 手は先端が蹄状になった手袋で指の動きを制限されている。肘は自由に動かせるようだが、時折腕を下に降ろしかけては怯えた様子で慌てて直角に曲げた状態に戻す様子を見るに、降ろせば懲罰対象と見做されるに違いない。

 バシン、バンッ! !

「ほら、とっとと歩け。お客様を待たせるんじゃない!」
「んおぉっ……ぐぅっ…………はあっ、はぁ……っ……」

 地面を踏みしめる足はこれまた馬の蹄を思わせる特殊なブーツにより限界まで底屈しつま先立ちを強制され、怒号と共に容赦なく浴びせられる鞭に苦悶の表情を浮かべつつ、一歩、また一歩とおぼつかない様子で前に進んでいる。
 ……そう、彼らの顔に浮かぶのは喜悦では無く苦悶だ。良く見ると鞭が黒い身体に触れる度に首輪が青白く光っているから、あれは接触型の電撃スイッチとして用いられていると見た。

「人間様、あの手足の中って」
「ああ、お察しの通りだよ。あの形で『固めて』あるから、あれは馬以外に使い道はない」
「やっぱり……」

 ゲートに押し込められたポニーたちの背中には、丈夫な鎖が繋がれる。
 鎖の先に繋がっているのは、ポニーのハミから延びる手綱と先ほどの電撃を与える鞭を手にした御者が乗る、小さなそりだ。
 いくら何でもあの身体でそりを引くのは無理じゃ、と思わずシオンがぼやけば「流石に軽量化の魔法はかかってるよ、じゃないとひ弱な製品の力じゃ一歩も動けないから」とソファに座った央が当然とばかりに肩をすくめた。

「あ、ほらレースが始まるよ」
「!」

 ガシャン! と目の前のゲートが開けば、ポニーたちは一斉に走り始める。
 と言っても、その足取りは重い。央が言うにはタイヤ2個を引きずるくらいの重さしか感じていないというが、つま先立ちという不安定な姿勢でバランスを取りつつ、しかも御者からの鞭で全身に懲罰電撃を浴びながら走るのは至難の業だろう。

「……まあ、あれで走るのは無理があるよね」
「キミは何回やっても、3歩も歩けずこけていたっけ……昔から運動が苦手なのは知っていたけどさ、流石に鈍くさいにも程がないかい?」
「うう、返す言葉も無い……」

 のんびりした歩みとは裏腹に、ポニーたちの形相は鬼気迫るものがある。
 まるで負ければ終わりと言わんばかりの絶望を顔に貼り付け、戯れのように振るわれる鞭に呻き、涎と愛液を垂らしながら歩く姿は、どう考えても碌な未来を見通せない。

「……これ、多分負けたら懲罰……?」
「そんな生易しいものじゃないよ。まあ見るのが早いね」
「はぁ……ひぇっ!?」

「終わるのに時間がかかるからね」と央が映像を早送りする。
 実に30分以上の時間をかけてようやくゴールへと辿り着いたポニーたちを待っていたのは……公開処刑と呼ぶのがしっくりくるような凌辱劇であった。

「あひっ、おちんぽ様っありがとうございます!! どうぞ穴を存分にご堪能下さいっ!! んぐっ、おぇっ、んえぇぇ……!!」

 レースが終わるや否や、敗者の製品達はアイマスクが取り付けられ、どこかへと引きずられていく。中には我を忘れて泣き叫び、懲罰電撃に倒れ込んでいる個体もいる有様だ。
 そんな中、勝者となったポニーは目を覆われることも無く中央に設置された台に手足を拘束され、差し出された剛直にうっとりと愛を囁いたかと思えば、あっという間に上下の穴を容赦なく貫かれていた。

 ただしそれは……ヒトでは無く、馬のそれであったが。

「……嘘でしょ……勝ったのに、この扱い……!?」

 目を覆いたくなるような惨い扱いに二人が息を呑むも、央は「うん、勝ったからだね」と淡々とした様子だ。
 その態度から、地上の人間様にとって二等種の扱いはこのくらいが日常茶飯事なのだと覗えて、シオンは思わず身体を震わせた。

「勝者は次のレースまでの数日間、擬牝台として種馬の採精に使われるんだ。元々性処理用品の擬牝台利用実績はあったから、すんなり話は進んだらしい。ああ、股間の粘膜に被膜が無いのは、馬が嫌がるからだね」
「うわぁ……あれ、これもしかしてずっとアクメを決めてる……?」
「そりゃ勝者なんだから、二等種とは言えご褒美は必要でしょ? 餌と洗浄、復元時間以外はずっとあのヘッドホンから絶頂許可の音声が流されているんだ。つまりキミには永遠に許されない、連続絶頂を3日間堪能できるってわけ」
「…………ずっと逝き続けって僕達にはご褒美だけど、製品にはただの地獄なんじゃ……」
「いやそこは、キミにとっても地獄であって欲しかったね!」

 なら負けた製品は、と恐る恐るシオンが尋ねれば、央は無言で映像を切り替える。
 ……そこには、かつてシオンがとある無気力個体のリペアで使用した360度回転可能な拘束具に捕らわれ、屋外に設置されて野次馬に泣き叫び許しを乞い憐れなポニーの姿があった。

「うっわ、穴を塞がなかったらずっと本気汁垂れ流しかよ、あーあー地面がきったねぇな……」
「おちんぽ様っお願いします、穴をっ、穴をお使い下さい!!」
「はぁ? 二等種の分際でなに人間様に命令してんだよ。お前、設置期間延長な」
「いやぁっ、ごめんなさい!! 人間様それだけはお許し下さい……っ!!」

 顔からはアイマスクが取り外され、全ての穴を埋めているはずの維持具も存在しない。主を失った穴は、何かをしゃぶりたいと言わんばかりにはくはくと蠢いている。
 隣に設置された注意書きには「穴以外は自由にお使い下さい」と書かれていた。
 つまり、負けた製品は次のレース――央曰く、着順によって次の出番までの期間は変化するらしい――までの間、穴を埋めて貰えない不安と恐怖、そして人間様から無遠慮にぶつけられる悪意から目を逸らすことも出来ないまま、夏は酷暑の中に、冬は雪が舞う極寒の中に、そして雨が降ろうが雷が鳴ろうが一糸まとわぬ姿で屋外に放置されるわけで。

「…………」
「…………こんな、あんまりだよ……」

 詩音の口から、思わず悲嘆の言葉が漏れる。
 隣で至恩も顔を青ざめさせながら、嘲笑に晒され絶望に慟哭する製品をじっと見つめている。

 とは言え、彼らの心の痛みはC品に対する「死ななければ何をしてもいい」と言わんばかりの扱いに向けられたものではない。
 この程度の悪意であれば自分達も幼少期に経験しているし、トラウマが疼くことがあっても今更言葉を失うほどの衝撃を受けるほど、自分達は初心では無いのだ。

 けれど。
 減災のためとは名ばかりの、性癖を満たすために脳天気に央におねだりしたプレイの一つが。
 そしてシオン達なりに頭を悩ませ、あの無気力な個体が死という希望のある明日へと繋がれるようにとある意味祈りを込めて決行した拷問が、あっさりと人間様の娯楽として形を変え二等種を害する方向で消費されるだなんて、いくらなんでも想像できなかった――

「キミのリペア案は、穴を使う気のない人間様でも気軽に遊べる遊具として人間様のお役に立っているというわけさ。……こんな目に遭うくらいなら、馬の種付けに使われる方がずっと幸せだろう?」
「…………っ」
「ポニープレイだけじゃない。これまでキミがここでやってきた変態行為は、魔法や並行世界に関する情報を除いて全て調教管理部に共有されている。彼らには研究のために何かと『便宜』を図って貰っている以上、結果で貢献しないとね」
「…………そうですね」

 分かってますとシオンは弱々しく答える。
 央にとって最も避けたい未来は、道半ばで研究の本当の目的が露呈して頓挫し、珍しいモルモットを失うこと。
 ただでさえ「遊び」を黙認されている状況なのだから、要らぬ疑いをかけられないためにも表向きの研究結果を公表するのは理に叶っている。

(……そうだよね。央様は研究者なんだから……当たり前のことをしただけで)
(うん……私達はただのモルモット。情報を共有されたって、何か言える立場じゃ無い)
(何が起きようが……央様の研究を信じた以上、僕たちはこれまで通り性癖を満たし続けるしかないんだ……)

 二人は顔を見合わせ、頷く。そこに迷いは見られない。

 ショックは大きい。けれど、思わぬ事実を知ったところで、自分達に出来ることは変わらない。
 あの日、央の手を取った段階で自分達は選択したのだ。
 例え多くの人間様を、そして二等種を害することになったとしても、目の前の愛しい人を信じることを。

 そして……モルモットとして央の笑顔に貢献することを――

(ごめんなさい、私たちのせいで苦しむ未来の誰か)
(……でも僕たちは……央様を選んだ事を後悔なんてしない……!)

 二人の世界がひっくり返った日から、もう2年。研究の進捗を聞くに永久封印の日はそう遠くないのかも知れないと、シオン達は何となく感じている。
 それでも央が研究を続ける限り、二人の辞書に諦めるという文字は無い。何たって、性癖が絡んだときの諦めの悪さは折り紙付きなのだから。

 この世界に害を為さない、ただの変態ドマゾ二等種に戻るために。
 そして何よりこの閉ざされた空間で、例え歪な形であっても想い人と一緒に過ごせる日々を少しでも長く続けるために――

「にしても、そろそろネタも尽きてきたよね……何か新鮮な衝撃を与える変態ネタは無いものか……」と呟く央に、シオンは意を決して前々から温めていた新しいプレイのアイデアを進言するのだった。


 ◇◇◇


(そう、キミは誰を傷つけようが、全力でその性癖に邁進する。キミの無自覚な願いのために、ね)

 まだどこか元気の無いシオンの様子を伺いながら、央はそっと心の中で呟く。

 こんな話は知らせずに、脳天気に変態行為に励ませられるのならそれが一番だった。
 けれどシオンの「成果」は既に各所で実用化されていて、二等種にしては聡明な頭と調教用作業用品という立場を鑑みれば、この事実に気付く可能性は決して低くない。
 その時に外で不用意な言動をしないためにも話さなきゃいけなかったんだよと、央はかつてシオンがヒトイヌプレイに舞い上がった結果、ある作業用品にうっかりドマゾであることを暴露してしまったことを思い出していた。

 いやもう、あの時は本当に肝が冷えた。
 よりによって久瀬の「堕とされ」に知られるだなんて……あの時は流石のボクも全てが発覚することを覚悟したっけなと、央は遠い目をする。

(あと3ヶ月で最初の大災害から2年。データから見ても、永久封印に踏み切る日は近い。けど……ボクはまだ諦めていない……!)

 この災害を終わらせるためのピースは、あと一つ。
 胸に秘めた願いを全て叶える為には、時間は一秒だって惜しい。今見つかって研究を中断させるわけにはいかないのだ。
 だからせめて、あらかじめ覚悟を決めさせてボロを出さないように――

 そんな央の作戦は、思った以上に早く実を結ぶのである。


 ◇◇◇


「え、っと……あの、その…………」
「あーもうお前が泣きそうな顔してどうすんだシャテイ! ほら、こういうときは笑顔!」
「ううっ、そんな笑えませんってぇ……ひぐっ……いだいぃ…………」
「はいはい泣き止もうな! このままじゃシャテイの丸焼きが出来ちまう」

 その日、詩音は朝から珍しく調教外作業へと呼ばれていた。
 普段はその性能の高さから担当個体の調教を最優先されるのだが、どうやら入荷予定だった次の担当の志願が遅れているらしく、たまたま時間が空いたところに緊急の作業ということで白羽の矢が立ったらしい。
「懲罰でも何度かやってるから問題ないだろう、やれ」と管理官から有無を言わさず命じられて来たものの、いざ当人を目の前にすると……ああだめだ、長年加工されてきたのが無駄に感じるほど涙がぽろぽろと溢れてくる。

 ――ここは、実験用個体保管庫。
 そして詩音の目の前で「ほら、そんなに泣くんじゃ無い」と笑顔で頭を撫で宥めてくれるのは、管理番号25CM064、通称ルシ。
 当年とって53歳……今朝廃棄処分指示が出たばかりの、オス個体だ。

「あんまり泣いてたら、また怖い管理部長様から懲罰を食らうぞ? お前、ただでさえクミチョウ並みに可愛がられているんだからそろそろ自覚した方がいいなぁ」
「あ、あれは可愛がっているっていうんですか……?」
「可愛さ余って憎さ100倍ってのは、そういう事じゃないのか?」
「そんな解釈、初めて聞きましたよ!」

 こうやって軽口を叩いてれば、一体どこが廃棄処分相当と判断されたのか詩音には判断がつかない。
 だが本人曰く、2年ほど前から時折記憶が飛ぶようになっており、特にここ数ヶ月はふとした瞬間に幻覚が見え、それと戯れている時間が増えたという。
 定期的な修理と懲罰による延命を行うも、今では幻覚と共にいる時間の方が長く作業に支障が生じているのだそうだ。今もここに妹が立っているぞと、ルシは何も無い空間にどこか愛おしそうに手を伸ばす。

「妹……地上にいるんですか」
「おうよ。めちゃくちゃ可愛くてだなぁ、いっつも俺の後ろを兄ちゃん兄ちゃんって追いかけてきてた。ああ、ちょっと待っててなみっちゃん、兄ちゃんはお友達と大事なお話があるんだ。……ほらそんな顔すんなよ、世界一可愛い顔が台無しだぞ? 後でアイス買ってやるから、な?」
「…………ああ、なるほど……」
「てかルシ、重度のシスコンだったんだな……顔でれっでれじゃねえか」

 普段と変わらず言葉を交わしていたはずの個体が、まるで息をするように虚構の世界と繋がってしまう。
 既に彼の中では、現実と幻覚の境界はあやふやどころか地続きなのだろう。確かにこれでは作業どころではないと、詩音はそっと目を伏せた。

 性器従属反応を駆使してもまともな反応が出来ない状態になってようやく廃棄処分となる性処理用品とは異なり、作業用品はその作業性能が一定ラインを割り込んだ段階で容赦なく棺桶に送られる。
 そして作業用品は例外なく、故障により最も幸せだった頃の記憶から幻覚を作り出し、その中に耽溺するようになるという。

(……浸れる記憶があるのは、いいな…………私は……地上じゃない。きっと今の至と、央様……)

 全ての二等種に平等に訪れるその時に幸せな世界が舞い降りるのは、これから突き落とされる地獄への旅路を多少なりとも和らげるためなのだろうか――
 そんなことを思いながら、詩音は他の作業用品達と共に「廃棄処理」の準備に取りかかる。

「じゃあ、ルシさん……薬入れます」
「おう、頼むぜシャテイ。いやぁ、お前さんのそのくっそエロい貞操帯も見納めかと思うと名残惜しいなぁ! どれちょっと冥土の土産にしっかり目に焼き付けて」
「っちょっと! こんなもの焼き付けなくていいですから!!」
「うぐっ、ははっ……元気、だせるじゃ……ねぇか……」

 透明なドームに鼻が付きそうな距離で目を爛々と輝かせる個体に、詩音は思わず叫んで一気に薬剤を注入する。
 10秒と経たないうちに筋弛緩剤が牙を剥きその場に崩れ落ちた彼は、意識は清明なまま……けれど二度と笑顔を作ることも、言葉を発することもない。

(……ありがとうございます、ルシさん)

 遠い未来、自分に廃棄という終わりが突きつけられたとき、果たして自分はこんな風に若い作業用品達を気遣いながら笑って別れを告げられるのだろうか――
 届かない感謝を心の中で呟きながら、詩音は次の薬剤を手に取った。


 ◇◇◇


「廃棄処分って、本当に懲罰と一緒なんですね……」
「おう、違うのは一工程だけ。あとは補充される餌から精神保護関係のオクスリが抜かれるくらいかな」

 手順に乗っ取り、詩音達は全ての穴に管を差し込んでいく。
 棺桶に格納中の生命活動は適切に補助され、給餌も排泄も……呼吸すらも首輪の酸素補助機能に頼らず完全自動で行われるのだ。
 人間様が二等種の命をうっかり奪わないように考え尽くされたこの生命維持機構は、生存に必要な全てを惜しみなく与え、しかし暗闇と静寂の中で微動だにできない身体はどれだけ栄養を補給しようとも徐々にその機能を衰えさせていく。

 それに輪をかけるのが、棺桶のもたらす「感覚剥奪」である。
 視覚や聴覚、嗅覚、味覚、さらには触覚や位置覚、深部知覚……棺桶の中ではヒトイヌ加工すら緩く思えるほど徹底的にあらゆる感覚を剥奪される。
 多様な感覚により自己を認識している生物にとって、この処置は存在の崩壊危機、精神的な極限状態に放り込まれるのも同義だ。そのため格納された個体は1時間もしないうちに幻覚を生じ、1週間もすれば精神保護処置を受けていない個体の全てが精神崩壊してしまうという。

 そして壊れた心は、肉体の衰弱も早める。
 つまり、より早く、より深く精神に恐怖という楔を打ち込めれば、それだけ早く廃棄処理は完了するというわけだ。

 懲罰目的の格納と異なり、命がある状態でこの棺桶から出ることを想定していない廃棄個体に関しては、一切の精神保護薬を使用されない。よって懲罰時とは比べものにならない恐慌状態に早々に陥るケースがほとんどだ。
 人間様からすれば、まだ部品として使えるF品はまだしも、廃棄個体に関しては少しでも早く処理を完了させてコストを抑えたいだろうし、当然と言えば当然の処置とも言える。

 ――される側はたまったものでは無いが。

「ふぅ……じゃあ、入れましょうか」

 管の留置を終え、完全に表情を失った顔を覆おうと詩音がアイマスクを手にする。
 すると「ちょっと待った」と隣から詩音を制する声が聞こえた。

「シャテイ、その前にもう一つ処置があるんだ」
「あ、そうなんだ」
「先週から始まったばかりなんだけどな。これを舌に当ててくれ」

 そう言って先輩個体が詩音に手渡したのは、銀色に輝く舌圧子だった。
 舌に当てる側には複雑な刻印が彫られていて、仄かにこれを作成した人間様の魔力を感じる。詩音の感知能力では、精々央様が作ったものでは無い事が分かるくらいだが。

「その刻印を舌の表側に当てるんだ。5つ数えて離して、3つ数えてまた当てる。それを10回繰り返す」
「分かりました。……これ、何をする処置ですか?」
「詳しいことは分からん。管理官様が言うには、廃棄までの期間を30%短縮できる処置だとか何とか」
「……ふぅん」

 こんな小さな板一つで、命の期間すら操れてしまうのか。
 人間様の考えることはいくら魔法の知識を持っていたところで二等種如きには理解出来ないよねと、詩音は特段疑問を深めることもなく言われたとおりにその舌圧子をルシのだらしなく開いた口の中に差し込んだ。

「いち、に、さん、し、ご……離して……」

 声に出して数えながら、淡々と処置を続ける。
 と、目の前の廃棄個体に明らかな変化が生じた。

「……え…………涙が……」
「あー、これやるとどいつもガチ泣きするんだよ。気にしなくていいから続けて」
「あ、はい……」

 ……ルシは、泣いていた。
 筋弛緩剤により瞬き一つ出来ず、焦点も合わせられない感情のない瞳から、ただただ大粒の涙がぽろぽろと溢れ、頬を伝っていく。
 既に首輪の電撃機能は切られているから、その涙を押しとどめるものは何も無い。

(もしかして、痛いのかな……でも麻酔薬が入っているから痛みなんてもう感じないはずなのに……)

 そう思いながら詩音が6回目の接触を舌に行った、その瞬間

(……なん、で…………!)

 突如、目の前の二等種から溢れんばかりの激情が、詩音の中に流れ込んできた。


 ◇◇◇


「っ!!」
「ん? どうしたシャテイ」
「え、あ……な、何でも無いです……」

 思わずビクッと震えるも、変な行動を取ってはまずいと詩音は静かに深呼吸を繰り返し、バクバクとうるさく鳴り続ける心臓の鼓動を収めようと試みる。
 けれど、そんな詩音の抵抗など嘲笑うかのように、ルシの慟哭は詩音の心に突き刺さり、荒れ狂うのだ。

(なんで…………なんで、こんなものを今になって思い出させた……!!)
(……え……?)
(甘い……甘いっ、美味しい……そうだ、みっちゃんと最後に食べたバニラアイスの味……ああ、俺には、二度と味わえないと……ずっと……40年ずっと諦めてきたのに!!)
(!!)
(思い出させないでくれ……思い出したら、これからまた奪われるのが……ますます、怖くなる……っ!!)

 ドクン、と詩音の胸がひときわ大きな鼓動を打つ。
 悲痛な叫びは止むことが無く、ざりざりと詩音の心の表面を削り取っていくようで……ああ、けれどこんな痛みなど、目の前の彼の絶望に比べれば塵のようなものだ!

 魔法で味蕾を刺激し、甘みを感じさせる実験。
 あれは詩音を通して並行世界に央の魔法が発動できるかを試す目的で行われたけれど、長年忘れていた甘みは幸せな思い出と共に心の中により深く刻み込まれ、お陰であれから3ヶ月は餌の不味さが懲罰より酷いと思えるレベルに変わり果ててしまったものだった。

 けれど人間様の目に止まったのは餌の不味さではなく、その前の……甘みと共に心の奥底に押し込められていた幸福な記憶の想起だったらしい。


(……こんな所でも、私の……私達の『成果』は使われていた……!)


 ぎり、と詩音は必死に奥歯を噛みしめる。
 泣いてはいけない、動揺など一つたりとも見せてはいけない。
 この作業は、確実に画面の向こうにいる管理官様が監視している。私はただの脳天気でへなちょこなドマゾ作業用品、それ以外の属性を管理官様に勘づかせてはいけない……! !

(ごめんなさい……ごめんなさい…………!)

 心の中で何度も謝りながら、しかし詩音の手は止まらない。カウントする言葉も止まらない。
 今ここで央様の研究を、そしてあの保管庫での小さな幸せを奪われるわけにはいかないと、詩音は終わらない叫びをただただ受け止め続ける。

 今、表面上は静かに涙を零す廃棄個体の脳内では、40年間味覚と共に封じられてきた彼の最も幸せだった……地上での何気ない日々が、走馬灯のように駆け巡り。
 そして幸せな思い出が脳裏に焼き付けば焼き付くほど、この身体があの細長い棺桶に格納された後襲われる恐怖を倍増させる。

 そうだ、処分のために、絶望を地の底まで深めさせる――

(そんな……余りにも惨い……こんなの、人間様の方が二等種よりずっと……!!)

 つまりこれは、格納直前に敢えて人生で最も幸福だった記憶を自覚させることで、これから訪れる全てを剥奪された恐怖と絶望との落差を大きくし、強いストレスで精神崩壊を早め肉体の衰弱を促進する……悪魔のような処置なのだ。
 確かにこんな棺桶の中でいつまでも死ねずに苦しむよりは良いのかも知れないけれど、そのために二等種が払う代償は計り知れない。

 ……まさに、人間様らしい傲慢な論理だ。
 人間様が与えたものは須く、二等種が苦痛と捉えることはないという「設定」を錦の御旗として、いとも容易く行われる非人道的な――二等種はモノだからそれすらも正しいのだ――処置に、詩音は加工されているはずの胃から何かがせり上がってくる感覚を覚えた。

「……終わりました」
「オッケー、じゃあ目を覆って。あ、一応軟膏入れろよ。どうせすぐに流されるけど」
「はい……」

 濁った中に明らかな絶望を湛えた瞳を、半透明の軟膏が覆い尽くす。
 能面な表情の下で作られる心の叫び声は、未だ消えることがない。
 詩音はアイマスクを手に、そっと胸の内でその叫びを抱き締め続ける。

 ――あなたをこんな風にした元凶として、せめてその気持ちの一欠片くらいは分かち合って、傍にいたくて。

(怖い、怖いっ、逃げたい、ああ、こんな恐怖をずっと感じたまま、俺は壊されるんだ!!)
(……怖いよね。辛いよね…………ごめんなさい……)

(逃げたい……無理だ、俺は二等種。どこにも逃げ場なんて無い……)
(そう、私達は二等種。人間様のいいように扱われ捨てられるただのモノ。モノに意思は認められない……)


(助けて、お願いだ、助けてくれ……俺を穏やかに死なせてくれ!!)
「…………!!」


 ひときわ大きく響く慟哭に、詩音は目を見張る。
 思わず溢れかけた涙を、ぐっと堪えて

「……ルシさん、私……ルシさんの心が壊れて何も分からなくなる日を、ずっと祈ってますから……」

 振り絞るような声をかけ、そっと目に黒い覆いを被せた。


 ◇◇◇


「お疲れシャテイ。……その、さ、気を病むなよ」
「俺達にだっていつかは訪れるんだ。それに、この作業も生きてりゃ何度も経験する。……そのうち慣れるから」
「…………ありがとう、ございます……」

 廃棄作業を終えた詩音は、間髪入れず管理官から飛んできた指示に従い、実験用個体保管庫を後にする。
 ペタペタと地面を踏む足の裏の感触が、今日は何だか……妙に遠い気がする。

(それでも)

 棺桶の蓋が閉まった瞬間、心が砕けるような悲痛な咆哮を最後に、ルシの声は聞こえなくなった。
 けれどまだ、その余韻は詩音の心をヤスリで削るようにあらゆる方向からなで続けている。

(…………それでも、ルシさんは……「死にたくない」とは思わなかった……)

 あれほどの絶望の中で、恐怖でパニックを起こしながら、彼は確かに恐怖から逃れることこそ懇願したけれど、一度たりとも死から逃げることを……生きることを願わなかった。
 ……多分、彼だけではない。人間様による長年の陵辱ですり切れた性処理用品は言わずもがな、わずかばかりの自由と性癖を堪能しながらそれなりに生きてきた作業用品達も、きっと皆同じ事を考えるのだろう。

「…………」

 ふと詩音は足を止め、後ろを振り返る。
 普段の作業場所からは遠く離れた場所に位置する、実験用個体保管庫。作業以外でここに連れてこられれば、二度と生きて部屋の外に出ることはない。

「ただの、懲罰の場所じゃない……」

 大量の棺桶が整然と壁に収納され静かな機械音だけが響くあの空間には、数多の二等種の静かな慟哭が詰まっている。
 二等種である以上、どれだけ高品質な性処理用品だろうが、どれだけ性能が高い作業用品だろうが、全てのモノに等しく訪れる、凄惨な最期の断末魔があの部屋から消えることはない。
 だとしても――

「…………ここは、私達二等種の希望、唯一の救いなんだ」

 そう。
 この部屋では、狂気と辛苦そして絶望の果てに、この世界――全ての人権を奪われ、人ならざるモノに、穴に加工され、あらん限りの暴虐を受けた地獄からの解放が静かに私たちを待っているのだ。
 だから、作業用品達は廃棄指示を受ければ何の反抗もなく自らの足でここにやってくる。
 それは人間様への従属心から来る行動ではない。心から願うが故に、例えその過程が絶望の底に沈むことだと分かっていても彼らはああやって笑って……全てを剥奪されるのだろう。

「私も、きっとその時は……歩いてくるんだろうな」

 詩音はそっと胸に手を当てる。
 あの棺桶は、部屋とするには少々狭すぎるけれど、最期はあの中で至恩と二人、共に存在を感じながら息絶えられるなら……それはそれで幸せな終わり方なのかも知れない。

「…………どうか、終わりに臨む全ての二等種に安らかなる時が一秒でも早く訪れますように……」

 人の作りし神様とやらにそっぽを向かれたモノ達に、わずかばかりの慈悲を――

 瞳を閉じ、声にならない祈りの言葉を口にして。
 詩音はくるりと踵を返し、次の作業へと向かっていった。


 ◇◇◇


「うーん……やっぱり次回は12週間にしないと無理かなぁ……」
「ひぇっ、とうとう3ヶ月……!!」
「ま、まぁ詩、ここまで伸ばされたら1週間ぐらいは誤差だよ誤差! あはは……はぁ……」

 正直これ以上期間を延ばしたくないんだけどねぇと渋い顔をしながら、央はモニタに表示されたグラフを見つめている。
「他に何か試せることがないかなぁ……」と足をパタパタさせながら頭を抱える央を、リセットのために既に拘束されている至恩とその隣に寄り添う詩音は固唾を呑んで見守っていた。

 央の視線の先にあるのは、前回の災害規模と現時点の謎魔力最大蓄積量から推測される、今回の災害規模予測だ。
 その数値は明らかに前回より上昇していて、恐らく今回は前回の倍近い集落が沈むだろうと説明する央に、シオン達もがっくり肩を落とす。

「まぁ、この髪の色じゃねぇ……」
「人間様、これ全部染まりきったら謎魔力の量って」
「増えなくなることを期待しているけど……単に計測不可能になるだけだったら実にまずいね」
「うう……」

 計測を始めて1年半が過ぎた辺りから、シオンの謎魔力蓄積量、すなわち浅葱色の髪の面積は更に広がる勢いを増し、今では藤色の髪がかつてのメッシュのように幾筋か残るばかり。
 にしても、よくこの変化を誰にも見つけられずにすんでいるものだ。央の実力には感服するばかりである。

「その、人間様……また何か新しいプレイが必要ですか?」
「闇雲にプレイを増やせばいいってものじゃないんだよ。キミ、ぶっちゃけ今のプレイ頻度とドマゾ生活で十分精神的に満たされているだろう? ……正直その方向でこれ以上災害の規模を抑えるのはもう限界だね」
「じゃあ、期間を延ばすしかない?」
「そうなんだけど、久瀬さん……ああ管理部長から先日報告を受けてね。今のところ出荷成績は落ちてないけど、半年前と比べて明らかにキミの作業効率が落ちてるって」
「げっ」
「だから、期間延長もこれ以上はね……」

 途端に二人はさっと顔を青ざめさせ「それはまずい僕ら死んじゃう」「いつかここに怒鳴り込まれるよ!」と震え始める。
 どうも彼らにとって、久瀬は今や全管理官の中でもっとも恐ろしい存在と化しているようだ。
 まぁそうしちゃったのは半分ボクのせいかもなぁと肩をすくめながら「彼、あれで結構いい奴なんだけどな」と呟けば、案の定「「信じられない!」」と二人は声を揃えて叫ぶのだった。


 ◇◇◇


 最初に央が推測した、永久封印に踏み切るタイムリミットの2年まで、あと1ヶ月。
 装着期間の延長や趣味と実益を兼ねた精神的満足度を高めるプレイの連発により、当初危惧していた災害規模に比べれば現状はかなり平和な状態に押さえ込めている。
 ただ、結局これらはシオンの魔法を解明し災害を完全に押さえ込む方法を確立するための時間稼ぎ、いわば姑息的処置に過ぎない。

 そして、延命措置には言うまでも無く限界がある。
 ――残念ながらその時はもうそこまで迫っていると、現状を把握すればするほど認めざるを得ない。

 実際にはここから災害が看過できない規模に拡大するギリギリまで時間はあるとは言え、それでも残された時間は半年もないと、央は断言する。
 そして「間に合わなかった……?」と色を失い呟くシオンに、「いや」とかぶりを振った。

「一応、永久封印以外にもこの状況を打破する案は……既にあるんだ」
「へっ……」
「え……あ、あるんですか……!?」

 初めて聞かされた話に、シオンは目が点になる。
 てっきり央は今も、永久封印無しにこの災害を止める方法を何も見つけられずに悩んでいるのだと思っていたのだ。
「それならもう問題はないんじゃ」と心から安堵した顔で尋ねれば、しかし央はどこか浮かない顔で「まぁ、そうなんだけど……」と何とも歯切れが悪い。

「その……永久封印じゃ無くても災害は止まるんですよね」
「そうだね、その方法を使えば確実に止まる。ただ……」
「……止まってめでたしめでたし、じゃない?」
「まぁそんなところだね。ある意味では永久封印より問題かも知れない……だから、出来れば最後の手段にしたいんだ」
「……はぁ」

(永久封印より問題……? 二度と射精やメスイキが出来なくなるより、問題な事があるの……?)
(至、多分そこが問題なのは私と至だけだから)
(そうだった。……央様には僕達がモルモットとして使えなくなるより問題があるってことかあ)

 にしても慎重派だねと、シオン達は互いに顔を見合わせて苦笑する。
 これがシオンなら、解決手段が見つかった段階で小躍りして、他の可能性など全く考えずに実行してしまうに違いない。
 やっぱり央様は凄いなぁと羨望の眼差しを向ければ、こほんと央はわざとらしく咳をした。

「ま、ともかく今はリセットしよっか。ああ別に今日はパスでいいってのならこっちも」
「「要ります!!」」
「ちょ、大声出しすぎ!!」

 央の言葉に、詩音は慌てて至恩の首輪からカラビナを外す。
 南京錠に差し込まれた鍵がカチリと小さな音を立てれば、その下に封じられた屹立は早速と言わんばかりに首をもたげてきて「もうちょっと小さいままでいてよぉ」と装具を外す詩音を焦らせる。

「いつもながらがっちがちだねぇ……ふふ、血管凄い浮き出てる……」
「うう、そんなまじまじと見ないでよぉ」

 早く擦って、その双球にずっしり溜め込んだものを吐き出させてとねだるように、至恩の腰が揺れる。
 いつものように央による洗浄を終えた後、詩音は今日のために手に入れたイボイボ付きの手袋にたっぷりと温めたローションを垂らし、そっと人並み外れた砲身を包み込んだ。

「んひいぃっ!!」
「あ、いい反応」
「こっこれっ、詩っ、ヤバい!! オナホより気持ちがいいっ、動きが! 動きが良すぎるぅ!!」
「そりゃもう、至のいいとこを知ってるオナホみたいなものだしねぇ」

 ぐちゅっ、ぐちゅっ、ずりゅぅ……っ……

 ピンクの触手めいたものがびっしり生えた詩音の手が、楽しそうに息子さんをあやしていく。
 熱が手袋に移って、詩音の熱と交じって、妖艶な笑顔と相まって……至恩の脳みそははじけ飛びそうだ。
 つい放逸をねだって情けなくカクカク揺れる腰を(いやいやまだ早いから!!)と叱咤しながら、至恩は恍惚とも苦悶とも取れない顔ですっかり新しい玩具の虜になっていた。

「あは……気持ちよさそう……」
「いいよ……めっちゃいい……ああ出したいけど終わりたくない……!」
「分かる、ずっと触っていて欲しいよねぇ」

 そう言えばさと、詩音がふと話題を変える。
 どうやら今日の至恩はあっけなく達してしまうと判断したのだろう、暫くはちゅこちゅこと先端を弄ることにしたようだ。
 ……出来ればそこで喋るのは止めて欲しい、さっきから息子さんが詩音の唇に触れそうで、ヒヤヒヤするしムラムラする。

「災害が起こるのってさ、逝ってるからなんだよねぇ……」
「んっ、うんっ、そう、だねっ……はぁっ、はぁっ……」
「あれさ、逝ってるってどこで判断してるのかなぁ」
「ひぎっ!! 詩っそれぇらめぇ……先っぽ入っちゃってるぅ!」
「ほらさ、頭が逝ったから災害が起こるのか、身体が逝ったから起こるのか、どっちなのかな、って……」
「分かった、分かったから尿道ズボズボはやめてぇ!!」

(いやいや詩っ、今話されても返事どころじゃないってばぁ! あああっ気持ちよすぎて頭が焼けるぅ……!!)

 こんな状況で突拍子もないことを言い出すとは……全く、詩は昔から変わらないと至恩はふやけた頭でひとりごちる。
 大体頭と身体で逝くのが別って何なんだ、それは分けられるものなの? と息も絶え絶えに突っ込みを入れたその時「別……? ああ、それいいね」と横から合いの手が入った。

「んあっ、はっ……に、人間様……?」
「確かにそこを分けて考えたことはなかったね……例えば脳イキが災害発生のトリガーになるなら、身体だけを逝かせて脳に絶頂感覚を伝えなければ災害は起こらなくなる……逆も然りか……むしろ逆なら、永久封印した上で脳にだけ絶頂感覚を定期的に与えれば作業効率の改善にも」
「…………脳イキ……? 人間様、なんでそんなディープで変態方向な話を知って」
「はっ! こ、これはっ、そう災害対策で性的な快楽について研究していてだねっ!! ああもう、そんな細かいことに突っ込む暇があったらアヘアヘ善がってなよ! 後これ、トモダチに渡して!」
「何かひどい……はぁっ……」

 訳も分からないまま、至恩は手に握らされたメモを詩音に渡す。
 それを手にした詩音の世界の央は、一瞥するなり「わかった、すぐやろうか」と詩音に何かを耳打ちした。
 途端に詩音の顔が強張る。

「…………うたぁ……?」
「……かしこまりました、人間様…………あの、至」
「んうぅっ、なっ、なにぃ……はぁっ、あっ、あんっ、待って詩っ、それ逝っちゃう、出ちゃうからぁ!!」

 顔を引き攣らせた詩音を案じ、喘ぎながらも至恩が呼べば、詩音は再び触手だらけの手を剛直に沿わせてぐちゅぐちゅと扱き始めた。
 それは先ほどまでの決して絶頂を許さない、限界まで寸止めで追い込む動きとは異なって、明確に放逸を促すものだ――その事に気付いた至恩は、予定と違うと高い声で抗議する。
 けれど、そんな至恩の切なる願いは「今から実験するから……今日はここまでって人間様が」の一言であっさりと却下された。

(ううっ、今日も限界で頭おかしくなるまで寸止めして欲しかったのにぃ……!)

 当てが外れたことは悲しいが、これも人間様の命令とあらば仕方が無い。
 それに、こうやってご主人様の気まぐれに振り回され泣かされるのも、脳から被虐を満たす変な物質が溢れてきて悪くはないものだ……
 持ち前のポジティブさと変態っぷりを合わせてさっと頭を切り替えた至恩は、下腹部にたまる重さに久しぶりの射精の気配を感じ、思わずにへらと笑う。

「……あの、至…………」
「はっ、はっ、はっ、来たぁ、出るっ出る出るぅっ……!!」

 ぐっと玉がせり上がる感覚に、心は全力で解放を味わう準備を整える。
 さぁ、この細い管の中をドロドロしたものが一気に駆け抜けて、スッキリ気持ちいい瞬間よ、ようこそ――

「…………ごめん、ね」
「いぐっ、でるぅうああああっ…………ぁ……え……?」

 あと一回、その手を上下すれば派手に白濁をまき散らしていた、その瞬間詩音がパッと手を離す。
 上り詰めながらすんでの所で行き場を失った快感が、ぐるぐると渦巻いて、思わず全力で腰を振るも、緩み無く拘束された身体を動かすにはあたわず。
 そして

「え……ちょ……でて、る…………なんで、気持ちよくないのにぃ……!?」

 はくはくとわずかな刺激を求めて震える先端から、とろりと勢い無く、溜め込んだ快楽が溢れていった。

(な……今、射精……? でも、むしろこれ、ミルキングみたいな……身体、ひくひくするけど……)

 とぷとぷとただ垂れ流される、白濁。
 長期装用が始まって以来、4週間に一度無慈悲に行われるようになった精嚢から快楽の元を絞り出す行為に似て、けれど身体は痙攣し薄ぼんやりとした快楽が伴ってるから明らかに違うものだと混乱する至恩に、その様子を観察していた央が「うん、上手くいったね」と声をかけた。

「は……にんげん、さま?」
「どうだい? 絶頂の寸前で全ての刺激を取り上げられると、まるで風船がしぼむみたいに快楽が漏れていくだろう? ……ルインド射精っていうんだよ、つまり射精を台無しにしたってこと」
「だい、なし……」
「射精はしているけど、射精の気持ちよさは取り上げられ、頭に伝わるのは射精後の賢者タイムだけ。まあキミたち不良品に賢者タイムはあってないようなものだろうけど」
「あ……あ…………」
「……ねぇ、勢いよく精液を放てる快楽をすんでのところで取り上げられたのは、ドマゾにはご褒美だったかい?」
「…………!!」

(熱が……醒めない……頭は冷めてるのに……!!)

 この身体はいくら射精をしても満足することはないけれど、それでも射精をした後には少しだけ頭がクリアになるというか、冷める瞬間が訪れるのだ。
 今、確かに自分は射精後のちょっとした気怠さを感じている。だからこのペニスをただ伝うような漏出は間違いなく達した後で。

「……あ、あ、ああ……っ、そんな……まさか…………」

 なのに、満足感が何一つ……本当に一ミリたりとも存在しない。
 あれほど待ち望んでいた射精の快楽を完全に取り上げられ、2ヶ月以上にわたる我慢の末ほんの一滴与えられる甘露のような満足感すら奪われ感じ損ねた頭と身体が、猛烈な勢いでその嘆きと渇望を身の内で膨らませて……

「うん、肉体は絶頂している。じゃあこれで終りだね、洗浄するから」
「…………!!」

 ……データを確認した央による終わりの宣告に、プツンと至恩の何かが切れる。

「そんな……やだっ、これで終わりなんてやだぁっ!! ひぐっ、ひぐっ……頑張ったのに……ちゃんと作業だって頑張ってたのに……いっぱい出したいっ、びゅーびゅーしたいよおおおっ!!」

 次の瞬間、これまでに無く悲痛な叫び声とひときわ大きな電撃の音が、狭い部屋の中に反響した。


 ◇◇◇


「んー、結論から言うと……どんな形であれ、123番を構成する何かが絶頂という現象を迎えた段階で災害発生のトリガーは引かれるね」
「……つまり」
「いやぁ残念だったね! これでどちらかが災害を引き起こさなければ、おまけの絶頂を許可してあげれたんだけど……じゃ、次は13週間後ね!」
「そんなあぁ!」
「しかもしれっと1週間追加されてるし!!」

 涼しい顔で最悪の結果を告げる央に、至恩はその場にがっくり崩れ落ち、詩音に至ってはいまだ泣き止むことなく首輪から発せられる電撃に炙られている。
 あんなに食らい続けたら詩が焦げちゃう、とちょっと心配になるけれど、気持ちは痛いほど分かるのでここは思い切って泣かせてあげる方を至恩は選択し、力ない手でそっと詩音の頭を撫でるのである。

「ひぐっ……ひぐっ…………いっぱい我慢したのに……触って、ほしかったのぉ……!!」
「うん…………辛いよね」
「うずうずするのっ……あんな頭だけ気持ちいいのじゃ足りない……至の指でこねこねされたいの、あのぶっといディルドをもぐもぐしたいのお!!」
「うん……」

(まさか僕より酷い目に遭うなんて……いやまぁ、僕だって大概だったけどさ……)

 ――至恩が絶望の慟哭を響かせた後、半狂乱の彼をなだめすかしながら貞操具を再装着した詩音は、次は自分の番だとゴクリと唾を飲み込み、大人しく拘束台へと手を回す。
 だが、カラビナに手をかけようとした至恩を央は「あ、今日はいいよ」と制した。

「えっと……今日は、いい……?」
「うん。向こうのボクが全部対応してくれる。あっちの実験は貞操帯を外す必要は無いでしょ、キミと違ってカテーテルの交換もないし、洗浄は魔法だけで十分清潔を保てるから」
「……うわぁ、何だろう…………めちゃくちゃ嫌な予感がする……」

 まぁキミよりはしんどいかもねぇと口の端を上げた央の予想通り、詩音を待っていたのは余りにもあっけない実験だった。
 よりによって詩音の世界の央は「じゃ、キミは脳だけを絶頂させるから」と宣言した次の瞬間、詩音が事態を理解する前にさっと腰に手を当て、不良品の証であるXの刻印に魔力を流し込んだのだ。

「あひぃっ!?」

 途端、素っ頓狂な声を上げた詩音の頭の中で、何かが弾ける。
 目の前がチカチカして真っ白に覆われ、その場に呆然と倒れ込んだ詩音に央は、刻印を操作して脳内に擬似的な絶頂感覚を作り出したこと、実験結果次第では今回の「リセット」はこれで終わりだと無慈悲な宣告を下したのである。

「え……ま、って……そんな、私、今日は触って貰えない……!? ここ、すりすりして……中ぐちゅぐちゅかきまわして、トントン奥を突いて貰うのも……?」
「あー……うん、まぁ両方の世界で災害が起きていればそうなるかな」
「そんな……っ!!」

 絶頂の感覚がようやく薄らぎ、央の言葉を理解した詩音が余りのショックに声も無く呆然と涙を流すこと30分。
 互いの世界に於いて予測を少し上回る災害発生が確認されたことを知るや否や、詩音は「いやあぁぁ!!」と1時間前の至恩にも負けず劣らずの絶望で部屋を満たしたのである。

「うーん、これは永久封印処置を取るなら……刻印で絶頂機能の廃絶も……なら貞操帯は外せる? いや、むしろ物理的障壁は万が一を想定すれば必須……」

 二人の絶望が響き渡る中、央は冷静に状況を分析する。
 机の向こうで泣きじゃくっていた詩音が慰めを求めて至恩の唇を塞ぎ、持て余した熱を少しでも紛らわせようと金属の覆いをカリカリ引っ掻きながらぐちゅぐちゅと音を立てて互いの口腔を貪る姿も、その合間に漏れる切ない嘆きも、今の央には届かない。

(……ここまでか)

 央は今回の結果を纏めながら、内心で確信する。
 思いつく限りの方法は試した。少しでも減災に効果があると見れば、積極的に取り入れた。
 一分でも一秒でもいい、よりよい根本的対策を練るだけの時間を稼ごうとこの一年半がむしゃらに、時にはシオンの拗れきった性癖に振り回されながら走り続けてきたけれど……残念ながらこれ以上の打つ手は、今この世界には存在しない。

(……計算上は、シオンの災害が完全に制御不能になるまであと21週間。次回のリセットまでに何かしら画期的な方法が見つからない限りは……やはり、永久封印しかないか)

 ふと、央は己の手を見つめる。
 10歳の頃から成長しないどこか幼さを残す手は、どうにも不釣り合いな白の布手袋で覆われている。
 ……この手でシオンを成体二等種に、そして不良品へと加工したのだ。そしてその結果が今なのだと、グッと手を握り唇を噛みしめる。

 最後まで足掻くことを止めるつもりはない。
 けれど、それでもどうにもならなくなったとき……シオンの性癖を満たせるというこの地下での唯一の幸せを、自分はこの手で奪わなければならなくなる。

(いや、まぁ、シオンはヘンタイだし、そもそも貞操帯は大好物だし……永久封印されたならされたで、きっと何かしら性癖を満たす何かを見つけてきて堪能するさ。だから、そんなに悲観的にならなくたっていい……いい筈なんだ……)

 シオンは、自分よりずっと、強い。
 きっとどんな目に遭ったって今まで通りヘンタイ仲間のトモダチと寄り添い、非常に不本意ではあるが央をご主人様と勝手に認定して妄想のお供にしながら、きっと壊れるその日まで生きていくに違いない――

「……割り切れないのは、ボクだけなんだよ、多分」

「触って……触ってよぉ至……逝けなくていいからっ、すりすりしてぇ!!」
「逝きたかったっ……気持ちよくなりたかったのに……全然すっきりしないよぉ……!!」

 いつも以上に絶望と渇望に塗れ、理性を飛ばして狂ったように床の上で悶え続ける二人には、思わず漏れた央の言葉は耳に届かなかった。


 ◇◇◇


「はぁっはぁっいぐっ、いぎましゅっ、にんげんしゃまっいぐうぅ」
「はいだーめ。あははっ、そんなに必死で腰を振っちゃって、ほんっと無様だね!!」
「ひぐっ、ひぐっ……もう無理ぃ壊れちゃうぅ…………!!」
「…………ふぅん、じゃあ今日はこれで終わりに」
「ごっごめんなさい!! 我が儘言って申し訳ございません! 人間様っ、この変態ドマゾ二等種に、お情けを下さいぃ!!」

 ラテックスの手袋を纏った央の小さな手が、至恩の屹立をちゅこちゅこと擦る。
 もうその光景だけで頭が沸騰して奥から何かがせり上がってくるというのに、あとちょっとと言うところで央の手はぱっと離され、お預けを食らった至恩は獣のような叫び声を上げながら虚しく股間の惨めな刃で空を切るのだ。

 その隣では、詩音が同じようにフレームに拘束されたまま、寸前で終わらされる愛撫に悲鳴を上げている。
 その声はどうしようもない焦燥感と、期待と、絶望と……そして

((央様が……手ずから責めをして下さる……!!))

 被虐のどこまでも昏い悦びを帯びていた。


 ――リセットと言う名のえげつない実験の日から、2ヶ月近くが経った。
 長期の自慰禁止に不完全極まりない絶頂の組み合わせは、思った以上にシオンを消耗させたらしい。
 その日から数日、立て続けに作業中のミスで手ひどい懲罰を食らった二人は、ある日それぞれの世界の央に土下座してあわよくばの思いを込めて願い出たのだ。

 曰く「次のリセットまで、どれだけ辛くてもいいから……作業時間はまともに動けるように央様の手で触れて下さい」と。

「全く……モルモットの世話も楽じゃないね」
「ううっ、変態でごめんなさい……ポンコツでごめんなさいぃ……」
「はいはい、そんなことを言ってる暇があったらもっと醜い声で啼きなよ! 折角ボクが忙しい合間を縫って、こんな化け物じみたブツを扱いてあげているんだからさぁ!」
「あひぃっ!ありがとうごじゃいましゅうぅっ!!」

「信じられない、頭おかしいんじゃないのポンコツドマゾが」「どうしてそんな思考になるんだよ、このヘンタイ!!」と散々詰り倒すも、最終的に央はこの懇願を受け入れた。
 というより、受け入れざるを得なかった。作業効率を落として久瀬を困らせるのは、央としても本意では無かったから。
 お陰でシオンは毎日夕方の餌が終わるなり、いつもの拘束具に戒められては貞操帯を取り外され、央の手で、そしてお気に入りの玩具で消灯間近まで寸止めという地獄……いや、天国に放り込まれている。

(…………やっぱり、央様はお優しい)
(……最後の情けかな…………多分、近いんだ)

 快感に善がり絶望に力の限り叫び、思わず放逸をや絶頂を懇願しては懲罰電撃に打たれながら、二人はそっと思念を交わす。

 あの地獄のようなリセット日の実験以降、央の雰囲気は明らかに変化した。
 人をヘンタイと詰り二等種としてモノ扱いするのはいつものことだけれど、時折どこか苦しそうな、そして迷っているような表情を見せる事が増えたのだ。

 いくら人間に比べれば思考力を落とされているとは言え、これまでの経緯から何となく察しはつく。
 当初央が宣告した、永久封印までのタイムリミットである2年は既に過ぎた。そして、未だ永久封印を超える根本的な解決策は見つかっていない。

 恐らくは、2週間後に控えた次のリセットが最後。
 3ヶ月にわたり……いや、前回も大概不完全だったから半年間溜め込んだ、どうしようもなく煮詰まってドロドロしている欲望をたった一度だけ発散することを許された次の瞬間、自分達は永遠に自慰と絶頂という作業用品に唯一許された楽しみを奪われる。

 その先の自分達がどうなるかだなんて、正直想像がつかない。
 性を核に加工され歪められ、ただの獣よりも浅ましく変化したこのモノが、その本質を押さえ込まれる……想像するだけで冷や汗が止まらなくなる。
 ……けどどれだけの苦痛が生じようが、多分狂うことはないのだ。ここには性処理用品に使われる強力な精神保護剤もたくさんあるというし、何より……きっと自分達は、そんな状況すら歪んだ性癖で抱き留めて、いつの日か悦びへと変えてしまえるという、根拠のない自信があるから。

(大丈夫です、央様……永久封印されたって、私達は央様を恨まない)
(僕達は知ってるから。ずっと……央様が何とかしようって足掻いていたのを、全部知ってる……だから、それしか方法がないなら受け入れます)
(むしろ私達のせいで央様の実験が続けられなくなるのが……申し訳ないかな……)
(ね、並行世界の事とか、折角央様が功を立てるチャンスだったのに)

 もちろん永久封印により貴重なモルモットを実験に使えなくなるのが一番の問題だろうが、きっと優しい央のことだ、こんな変態二等種の未来も多少は憂いてくれているのだろうと、二人は心の中で央への想いを伝える。
 返事はない。央が覗いているかどうかも分からない。それでも、どうか届けと祈りつつ。

(僕ら、小さい頃からずっと碌な目に遭ってないしね)
(そうそう、酷い扱いが一つ増えるだけだから大して変わらないよ)
(それに)

((央様に……好きな人に永久封印して貰えるなら、それはそれでちょっと嬉しいかな、なんて))

 ……ああ、最後のは届かなくてもいい。
 やっぱりただのドマゾ変態二等種じゃないかと呆れられちゃいそうだから。

(ま、なんにしても)
(今はこの寸止めを楽しまなきゃね!! ……はぁ、ほんっと辛い……頭おかしくなるぅ……!)
(止めて欲しいのに……止めて欲しくない……!!)

 限界まで高められた身体を、わざと達しないように触れるか触れないかのタッチで擦られながら、二人は今日も濁った叫び声を部屋に満たすのである。


 ◇◇◇


「にしてもさ……こんなに快楽に弱々な身体なのに」
「ひぃっ、いぎたいっ、もう、いぎだいぃ……!!」
「実に気の毒というか勿体ないよねぇ。不良品になったばかりに身体を重ねる快楽を生涯味わえ無いだなんて」

 シオン達の叫び声に時折顔を顰めながらも残酷な手つきを止めることのない央が、ふと画面を見ながら溢す。

 視線の先にあるのは、保管庫に備え付けられた大画面のモニタだ。
 央により防護壁の向こうにある研究ブースには音声が届かないように細工された画面からは、シオンの保管中は絶えず彼らの性欲と性癖を刺激する動画が流されている。
 これは危険な不良品を保管庫内では自慰と快楽のことしか考えられないモノとなるよう調整し、余計な思考を回させないための仕組みである。

 普段はシオンが選んだ、もしくはAIが勝手に選んだ動画が流されるディスプレイには、しかし央が寸止めプレイをしている間は常に性処理用品の利用映像が流されていていた。

 ありとあらゆる穴に、二等種のものに比べればささやかだけど十分魅力的な熱い楔を打ち込まれ、何度も叩き付けられ、白濁を吐き出される。
 休み無く酷使される製品達はぽろぽろと涙を零しくぐもった呻き声を上げながら、実に幸せそうな笑みを湛えているのだ。
 ――それが表だけの、性器狂いとして作られた人格による反応だと分かっていても、本物を穿たれる光景は人の熱を知らないシオン達には実に魅力的に映る。

(どんな感じなんだろうな、本物のおちんちんって……)と心の中で何気なく呟いた問いを、央はめざとく拾ったのだろう「そりゃもう、玩具とは比べものにならないだろうねえ」と画面にちらりと視線を送りながら軽く相槌を打った。

「あの表情は上辺だけだと思うかい? そんなことは無いさ。誰かの熱を体内で受け止めるというのは、この上ない多幸感をもたらすからね。だからこそ、性器従属反応は製品を使えば使うほど強化されて最後には幻覚の性器にすら愛を囁き始めるんだし」
「そう、なんですか……んっ、ぁっ……」

 興味が無い、と言えば嘘になる。
 穏やかなものからどう見ても暴虐にしか見えないものまで、毎日のように数多の交わりを映像で眺め、時にオカズにしてきたのだ。
 散々世話になっている玩具だって、本物を模している。つまり、誰かの血の通った身体を受け入れるというのは、この淫らな一人遊びよりきっと気持ちが良くて、楽しくて……幸せなひとときに違いない。

 けれど、それはどう足掻いても叶わない望み。

 二等種同士の性的接触は、厳格に禁じられている。
 作業用品の場合は多少の戯れなら目こぼしされることもあるが、それでもいつかのように鑑賞会を開いたり無防備な股間で遊び倒して作業に少しでも支障が出れば、たちまち重めの懲罰に処されるのがオチだ。
 万が一どこかの穴に手を出そうものなら、向こう2ヶ月は快楽を取り上げられて泣く羽目になるだろう。

 ただのモノでしかない二等種の穴は、人間様を喜ばせるためだけに存在を許されている。
 だが、不適格品である作業用品は生涯決して地上に出ることができない。
 もうこの時点で、彼らが熱のある交わりを得られる可能性は、ゼロだ。故に作業用品の頭の中から性交という概念は、普段は諦めと共に無意識に排除されているのである。

(人間様は、自由にえっちできるんだよね……このドロドロの中に触れるってどんな感じなんだろう……)
(ん? …………ってことはあれっ、もしかして央様も……?)

 だから、こうやって自分達からは奪われた話を振られたシオンが、つい好奇心に駆られて余計なことを聞いてしまったのも仕方が無い……のかも知れない。

「あ、あのっ、人間様は、その、ああいうことをっんあぁっ!!」
「…………はぁ? あのさ、キミはボクを何だと思っているんだい? こんなナリでも、ボクはキミと同い年なんだけどなっ!」
「ひぃっ、しょれっらめぇ、ぎもぢよずぎでおがじぐなるぅ!!」

 すりすりすり……ぬるぬる……

「いやぁっ、きっつい、きついのぉ!! 人間様、それ辛いぃっ!」
「はっ、きついのが好きなんだよね、このヘンタイがっ!」
「うわぁぁんっごめんなしゃい、変なこと聞いてごめんなしゃいっ、だがらっ、ゆるじでえぇぇ!!」

 ……無粋な質問はどうやら央の気に障ったらしい。
 絶対に達することがないように先端だけをこしょこしょとくすぐられれば、脳内のあちこちで火花が散って目がぐるんと上転してしまう。

(あー……やらかしちゃった! …………でも……そっか……)
(そうだよねぇ……央様だって大人なんだから、経験の一つや二つあったって……はあぁ……)

 強烈な刺激に全身を跳ねさせ拘束具をガチャガチャと思い切り鳴らしながら、二人は自分で聞いたくせにそれだけは知りたくなかったと全力で落胆し、心の中でそっと何度目かの失恋の涙を流すのだった。


 ◇◇◇


 いつもなら消灯直前まで続く甘くてキツいこの時間は、しかし余計な詮索のせいか今日はあっさりと切り上げられてしまった。

「はぁ、疲れちゃったから今日はここまでね! ……何? そんな物欲しそうな顔しちゃって。まさか人間様に不満でも?」
「っ、ない、ですっ!! いっぱい気持ちよくして頂いてありがとうございますぅっ!!」

 口は災いの元ってこういうことを言うんだよねと互いにしょげながら、二人は拘束具から解放された身体を床に投げ出す。
 ひんやりした床が気持ちいい。互いが穴から垂らしたものでちょっとどころでなくぬるついていて肌を汚してしまうのはのは、もうすっかり慣れてしまった。

「ああっ……足りない……逝けなくていいから、もっとぉ……」
「触りたいよう……ゴシゴシしたいぃっ……!」

 譫言のように嘆きを呟きながら、往生際の悪い手がカリカリと力なく貞操帯を引っ掻き続ける。
 これだけ毎日のように爪で引っ掻いても、央特製の貞操帯は傷一つつかない。首輪と同じく二等種を制圧するためだけに開発された特殊な金属で作られているだけのことはあるなと妙なところで感心してしまう。
 そんな中、熱に浮かされた頭に過るのは先ほどまで流されていた交合の映像だ。

(気持ちよさそうだったなぁ……)
(ね、どんな感じなのか一度でいいから味わってみたい)

 あんな風に央に言われたせいだろうか。見慣れた陵辱の風景が今日はどうにも気になって仕方が無い。

(…………試してみよっか)

 と、涙目で悶えていた詩音がふと仰向けになった。
 何をするのかと怪訝そうな顔で見つめる至恩の前で、詩音はゆっくりと足を開き……膝を曲げて「……こんな感じだった」と腰を軽く振る。

(ええと、詩……?)
(至、ちょっと試してみようよ……セックスごっこ)
(はい!? え、どうやって)
(いいからほら、こっちきて!)
(えええ…………)

 そんなプロレスごっこでもするような軽さでやることだっけ、と戸惑いを顔に浮かべながら、至恩は誘われるままに詩音の拡げた股の間に身体を差し込む。
「手はどうするっけ」「ううんと……横に手をついてなかったっけ」と記憶を辿りながらそれらしきポーズを取って腰を軽く打ち付ければ、カツンと硬質な音が部屋に響いた。
 と同時に「んっ」と小さな声が詩音から漏れる。

「あ、大丈夫? 痛かった?」
「ううん、大丈夫……気持ちよくもないけど……」
「そりゃ、ね。肝心のブツは抑えられたままだし、いててっ……うぉっ、詩足っ、足がぎゅって」
「ほら、製品に教えてるでしょ? こうやったら人間様を喜ばせるって。どう? 興奮する?」
「……よく分からない、けど……何だか腰を動かしたくなっちゃう……」

(まぁ、見慣れた詩だもんねぇ)
(至の裸は散々見てるし……興奮ってのも今更かぁ)

 少しだけ落胆を覚えながらも、至恩の腰は止まらない。
 カツン、カツンと音を立てて互いの貞操帯がぶつかり、小さな振動が奥へと伝わるけれど、残念ながらこんなもので快楽を得られるほどこの覆いはヤワでは無いようだ。
 ただ、ほんのりともどかしい気持ちよさとそれに付随する焦燥感だけがじわじわとたまっていく。

(ああ、何だろうこれ、凄く気持ちいいわけじゃないけど)
(止められない……腰、勝手に動いちゃうよぉ……!)

「んっ……はっ…………もっ、ちょっと…………」
「はぁっ、んぁ……これ、止められない……」

 いつしか二人は息を荒げ、目にあからさまな欲情を浮かべてこの珍妙な行為に没頭していた。
 気持ちいいかと言われれば、さっきまで央に責められた寸止めの方がずっと気持ちが良かった。なのに、この行為は……何だろう、本能に根ざしているせいなのか身体が自然と動いて、けれどどうにも満たされなくて焦れったい……

「…………キミ、何してるの?」

 これはこれで、気を紛らわせるお遊びとしては悪くないと思っていれば、ようやくこちらの状況に気付いたのだろう央が怪訝な表情で首を傾げていた。
 その表情は(とうとう壊れたか)と言わんばかりの侮蔑を含んでいたが、これは致し方ない。なにせ央から見えるのは、突然床に仰向けになり股を拡げて、もしくは床に両手をついたままゆるゆると腰を振り続けるシオンの姿だけなのだから。

「んっ……ふっ……えっと、詩と…………その、セックスを」
「OKつまり頭がおかしくなったと。いや前からおかしかったね、言葉は正しく使わないと!」
「ひどい」

 事情を話す間も、二人の腰が止まることはない。どうやらいつものスイッチが入ってしまったようだ。
 こうなると就寝時の停止電撃まで、彼らの疑似セックスなる慰めが終わることはないだろう。
 1時間もしないうちに止められない動きに泣きが入り、しかしそんな惨めな姿にすら興奮して更にドツボにはまることは確実だ。全く、ドマゾというのは永久機関なのだろうか。

(あ、これは……でもこのままじゃ、ちょっと……そうだ)

 事情を把握し、しばし思案した央は、カツカツと保管庫の中に足を踏み入れる。
 そして「え、あのっ」と戸惑う二人を無視して、部屋の隅にうずたかく積まれた玩具の山を無言で漁り始めた。

「…………に、人間様っ!?」
「ん? ああいいよ、キミは精々トモダチとの『セックス』を楽しんでて。んーとこれは使えないかぁ……こっちは……」
「ひぃぃなんでそんな真剣に物色してるの……?」

 あれでもないこれでもないと山を崩しながら何かを捜す央に、二人は戦々恐々である。
 この保管庫に格納されてから何度も経験したから分かる。あの今にも鼻歌を口ずさみそうな表情のときは、研究者モードの央が碌でもないことを思いついて……確実に実行するパターンだ。
 後から振り返るだけで背筋が凍り、同時にゾクゾクした興奮に襲われ、二度とやられたくないはずなのにあの強烈さをまた味わいたいと思ってしまうような何かが展開されることは間違いないと見た。

 案の定、その推測は大当たりであったことを、彼らは数分後に思い知るのである。


 ◇◇◇


「不良品如きが人間様の真似事をしようとするなら、もっと無様でないとだめだよねぇ!」

 意地悪そうに口の端を上げた央が互いのシオンの為に用意した舞台は、実に残酷なものだった。

 何をするのか不安げに見守る二人に、央は「これをトモダチに渡して」とそれぞれ恥ずかしい玩具エリアから物色したグッズを手渡す。
 嫌な予感とわずかな期待に心臓を高鳴らせながら玩具をそれぞれの世界の央に渡せば、央は「ああやっぱり、ボクが選ぶだけのことはあるね」「考えることは一緒だってよく分かるよ」とニヤニヤしながらそれをシオンに取り付け、惨めなな交合を再開するように命じたのである

「……え、それ……至、おちんちん…………うっそ、そうやって使えたの!?」
「詩……ああ、まさかこれを、そこに突っ込めって事!?」

 互いに向き合った詩音の目に映ったのは、顔をくしゃりと歪め切なそうに己の股間に手を伸ばす至恩の姿だった。
 銀色の蓋に覆われているはずの中心には、二等種よりは小さい、けれど明らかに人間が使うサイズではないペニスがにょっきりと顔をもたげている。
 それが何か、詩音が知らないはずが無い。だってリセットの度に詩音はそれを――本物そっくりの色と形、匂いと味を持ち、ついでに熱まで伝えてくる高性能なディルドを使って欲しいと、至恩に託していたから。

 このディルドは底部の蓋を外すことで至恩のフラット貞操具に装着することが可能だったらしい。
 確か素体の奉仕実習では、二等種サイズの疑似ペニスを貞操具と接続して使っていると以前至恩が話していた。多分こうやって使っているのだろうなと冷静な自分が分析するも、これから行われる非道な行為に震えが止まらない。

 一方、隣り合う世界で至恩が目にしたのは、詩音の股間……貞操帯のドームの外に恐らく魔法を使って貼り付けられたのだろう、これまたリセットイベント常連のオナホだった。
 中からは白濁した疑似愛液がたらりと溢れてきて、もうその光景だけで目の前が赤く染まりそうだ。
 散々使い慣れたオナホはペニス同様本物の膣を模しているという。熱くて中に挿れれば息子さんが溶けてしまいそうな極上の快楽が脳内で再生され、しかし覆いの下で期待に膨らんだところで、今からもたらされるのは圧迫の痛みだけ――その事実が背筋を凍らせる。

(……あのさ至、これってもしかして)
(もしかしなくても……貞操具をカリカリしてるより、辛いに決まってるよ!)
(ですよねえぇぇ!! うわああん、もしかして人間様の真似事なんてしたいって言った罰なの、これ!?)

 ああもう、好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。
 いくら脳天気とは言え、発言には気をつけるべきだった。ただでさえ長期間の自慰禁止で判断力が落ちている自覚があるというのに、これじゃ明日の作業はきっと朝から晩まであの鬼管理部長に雷を落とされっぱなしになる……

「ほら、さっさとしなよ。キミは調教でも散々やってるからそうそう変わりは無いんだし。ああ折角だからさ、恋人みたいにいっぱいキスしていちゃつきながらやってみたら?」
「ふふっ、調教じゃ入れられる側を体験することはないからね。精々偽物の膣に偽物のチンコを入れられて、気持ちいいって善がってみせてよ、ね!」

 双方の央から飛んでくる煽りに、いくら何でも趣味が悪いと全力で突っ込むも、当然ながら二等種に反論の権利など無く。
 至恩は泣く泣く「こんなの……酷いよぉ……」としゃくり上げる詩音の『泥濘』に、取り付けられた剛直をぐぷりと差し入れた。


 ◇◇◇


 パンパンと肌のぶつかる音。ぐちゅぐちゅと湿った抽送の音。そして重なる荒い息づかい。
 涙混じりの喘ぎ声と、時折上がる悲嘆の叫びが無ければ、これはただの愛を交わす現場にしか見えないだろう。

「うあぁっ、やだぁ、中に欲しいの!! そこじゃないの、中にっ、この中がいいっ!!」
「はぁっはぁっ、痛いよう……ボクのを、ここでゴシゴシしたいのにっ……痛いだけ……ひぐっ……」

 偽りの交合が始まってそろそろ1時間。
 視覚から、聴覚から、そして肌にぶつかる衝撃から……ありとあらゆる刺激から衝動だけを煽られ、しかし肝心の快楽に繋がる刺激は一ミリたりとも与えられない状態に、この加工された頭と身体が耐えられるはずもなく。
 結果として二人は狂ったように渇望を癒やさんと無様に腰を振り玩具を摺り合わせる、虚しいからくり人形と化していた。

「お願いします、人間様っ! これっ、止めて!! 止めて下さいっ!!」
「んー? キミがやってみたかったんでしょ? いいよ存分に堪能して。ボクもたまにはキミたちの痴態を楽しませて貰うからさ!」
「ひぐっ、ごめんなさいっもう人間様の真似事をしたいって言いません!! だからビリビリをっ、痛いのを下さいぃ!」
「えー、だって今日の停止電撃は、寸止めが終わったときに使っちゃったじゃん。まぁ消灯まであと2時間だし、そのまま限界でぶっ倒れるまで腰を振り続けるのが君らにはお似合いだね!」
「ひいぃっ!!」

 カラカラと笑いながら、央はソファに陣取り二人の――見えるのは自分の世界のシオンだけだけど――浅ましく淫猥な腰振りダンスを眺めている。
 狂気に振れた慟哭はいいつまみだと言わんばかりにうっそりと眺める姿は、ああやはり央様も人間様だと再確認させられるひとときだ。

(……もう、だめ…………)
(許して、それだけは……)

 時折白く明滅する意識の中で、シオンは悲しみと共に理性をそっと手放す。
 快楽に溺れ、獣のようにただ貪り吠える痴態は今までだって何度も晒してきたけれど、よりによって愛を交わす為にあるはずの行動を取るところだけは、央に見られたくなかったと涙を零しながら。

(……ごめんなさい、央様…………)
(セックスもどきをしたって、私は央様だけを、愛してます……)

 謝罪を胸の内で叫ぶ視界、理性を失う直前に映った央の顔。
 実に人間様らしい不敵な笑みを湛えた想い人は、今日は何故か……うんと寂しそうに見えた。

 ◇◇◇


「…………ん-、もう完全にすっ飛んじゃってるね。これ、停止電撃だけで止まるかな……」

「いたる」「うた」と互いの愛称以外は何も言葉にならず、ただ獣のような濁った声を上げるだけになった憐れなモノを、それぞれの世界で央はゆったりソファで寛ぎながら眺めている。
 途中、手に握られたタブレットに示された内容に少しだけ顔を曇らせるも、表情はほとんど変わらない。

「……今なら、いけるだろうか」

 シオンが理性を失って、どのくらい経っただろうか。
 央はじっくりと様子を窺い、また首輪から送信されるバイタルデータを確認する。
 一欠片でも理性が残っていれば「それ」は確認できない。だから、慎重に見極めてから事を起こさねば。

「…………うん、いける。今までで一番、条件が整っている」

 我を忘れ、無防備になった心。状況を記録するのが困難な頭。
 この機会を逃せば次は無いと言えるほどのチャンスだと、央は確信する。

「落ち着け……気取られちゃいけない……あくまでも、自然に……!」

 深呼吸を一つ。
 逸る心を抑え、高鳴る胸を沈め。何度も何度も心の中で繰り返し。
 そして央は意を決して…………ずっと秘めていた言葉を、口にした。



「ねぇ、詩音」
「ねぇ、至恩」



「…………逝きたい?」


(…………どうだ……?)

 あの頃と変わらない、高い子供の声。
 人間様と二等種では無い、あの頃の……ただの友達のように穏やかに、けれどはっきりと投げかけられた呼びかけは

 数瞬の静寂を貫いて


「…………いきたい……央、逝きたいよっ……!!」
「おねがい央、私もう死んじゃう!! 逝かせてっ、助けてぇ……っ!」


 確実に、あの頃へと彼らを巻き戻した。

(…………!!)

「……辛いよね、至恩」
「ひぐっ、ひぐっ……辛いよ……央……僕、僕っ…………!」
「詩音……泣かないで」
「無理だよぉ、央っ!! こんなの頑張れないよ……っ!」

(…………ああ)

 名前を――管理番号では無い、懐かしいかつての名前を呼べば、シオンはあの頃のように名前を呼び返してくれる。
 何度も、何度も理性を吹き飛ばしたシオンに呼びかける央の瞳からは、つぅと熱い雫が流れ落ち、頬に幾筋もの跡を残す。

(やっぱり。シオン……キミは、名前を失っていなかった)

 万感の思いと共に、央はそう結論づけた。


 ――早い時点から、予感はあった。
 天然モノの二等種にしては明らかに残りすぎている思考力。
 並行世界の友達につけた愛称が、単なる数字の語呂合わせで無かったこと。
 そして、シオンを通じて央同士がやりとりしたデータの中に紛れ込ませた、互いのシオンの本名は、読み方は同じであったが文字が異なったこと――

「もう、何というか……実に運が良かったんだねえ、キミは」

 相変わらず狂ったように腰を振りたくるシオンの姿を眺めながら、央は泣き笑いの顔でずずっと鼻を啜った。

 恐らく彼らは、捕獲の段階で一度名前を奪われていたのだろう。
 だが、名前の剥奪魔法が奪うのは、あくまで本人の名前だけ。同姓同名の友人がいたとしてもその名前までは奪えない。
 だから調査により万が一そういう事態が発覚すれば、捕獲時にその友人の記憶ごと消去する決まりになっている。

 しかし、シオンのトモダチは「この世界には」存在しなかった。
 故にシオンが堂々とトモダチだと言い張ったところで、周囲はただの妄想と片付けるし、まして名前を確かめるはずもない。
 さらにトモダチの名前が文字まで同じであれば、自分の名前と一緒に奪われていた可能性は高かった。これもまた性別が異なったお陰だろうか、条件をクリアしてしまった。

 つまり、まさに紙一重で彼らは名前を奪われなかった――いや、トモダチが覚えてくれていたお陰で取り戻せたのである。

(ああ、だからキミは……『123番』にはなっていなかったから、何が起こっても生き抜けたんだ)
(キミがここで、トモダチと生きるために本当に隠しておきたかった秘密は……これだったんだね)

「詩音」
「央…………央ぁ…………!」
「……至恩」
「たすけて……央……おねがい……」

 二つの世界で、央は何度も厄介なポンコツマゾ二等種の名前を呼ぶ。
 その度に、理性を失った獣から、あの頃のような……ただの友達だったときのような呼びかけが返ってくる。

 きっと明日目覚めたシオンは、このことを覚えていない。
 だから……そう、これは「なかった」ことだ。

「……成体にもなって人間様の名前を呼ぶだなんて、厳重懲罰相当だけど……うん、ボクは何も聞いてないよ」

 央が赦しを口にした次の瞬間、バチン、とひときわ大きな電撃の破裂音とともに、部屋は漆黒に包まれた。


 ◇◇◇


「ふぅ、これでいいかな……いつも以上にぐっちゃぐちゃだったねぇ……」

 消灯後、研究ブースの明かりを頼りに、央は停止電撃によって気絶しそのまま復元時間――深い眠りへと落ちていったシオンを保管庫ごと魔法で清める。
 そしてようやく足を踏み入れられる状態になった保管庫ブースへ入ると、すっとシオンの傍にしゃがみ込んだ。

「…………」

 手袋を脱いでそっと触れた頬は、あの頃と変わらず温かい。
 昏々と眠り続けるこの頭は、災害以外の夢を見ることがないという。
 彼らにとって眠りという休息は存在しない。日常は地続きで、強いて言うなら作業用品であるが故に停止電撃という合図で一日の切り替わりを知れるくらい。

 ……だからこの時間は、央だけのものだ。

「寝顔はあの頃のままだなんだね、シオン」

 昼間の欲情が嘘のような穏やかな寝顔に話しかけつつ、央はそっとシオンの前髪を書き上げる。
 一部を残して鮮やかな浅葱色に染まった髪はそれはそれで美しいと思うけど、自分はやっぱり元の……落ち着いた藤色の髪が好きだな、と思う。

「二等種だから、復元時間中は絶対に起きないんだよねぇ……いや、ここで目を覚ましたら洒落にならないんだけどさ……ホントに起きないよね? ああ、分かってても心配になるね、これは」

 ブツブツと独り言を繰り返し、暫くキョロキョロと辺りを見回して。

「……これきりだから、ごめん」

 小さな声で謝った央は、そっと……露わになった額に触れるだけの口付けを落とした。
 その瞬間、ふわりと光が溢れるも、唇が離れればその光はあっという間にシオンの眉間に収束し、輝きを失っていく。
 そのまま央は無言で自分の机へと戻り、いつものように画面へと向かう。
 静かな部屋には、カタカタとキーボードを打つ音が流れ、時折央の魔法が発する光が部屋をぼんやりと照らしていた。

(……そう、僕は……キミがただ笑顔でいてくれればそれで、幸せだったんだ。いや、ヘンタイは勘弁して欲しいけどさ!)

 モニターにはいくつものウィンドウが開かれている。
「まったく、欲張りになっちゃったよねぇ」と独りごち、画面を一つ一つ確認しながら、央は何度もコマンドを入力し続けた。

 ――その瞳に、迷いは無い。ただ淡々と、作業を……己の為すべきことを進めるだけ。

「ふあぁ……これでよし、かな。思ったより時間がかかっちゃったね」

 モニタの電源を落とすと、央は立ち上がり転送魔法を起動した。
 既に時刻はてっぺんを過ぎていて、これは今日も区長室に泊まりだなとあくびを噛み殺す。
 シャワーくらいは浴びたいところだが、この眠気では部屋に戻れば仮眠室にも辿り着けない。

「最後のピースは……ボクの決断」

 誰に言うとでも無く呟いた央の身体が、転送陣の光に包まれる。
 シオンがすぅすぅと寝息を立てる保管庫ブースには背を向けたまま、央は振り返りもせず……ただ一言返ってこない挨拶を残して、その場を後にした。

「……じゃあね。今日は楽しかったよ、シオン」

© 2025 ·沈黙の歌 Song of Whisper in Silence