第18話 The Singularity Day
この手であなたを終わらせるだなんて
神様、この世界はどこまで残酷なのですか――
◇◇◇
話は、シオン達の交合ごっこから1ヶ月程遡る。
「データ消去、開始っと……やれやれ、ここからが長いんだよなぁ……」
調教棟の一角に設けられた125Xの保管庫で、クミチョウは彼女の記憶消去処理を実施していた。
調教用作業用品製造機である125Xは、その機能にノイズを入れないため作業用品の製作が1体完了する度に対象個体の記憶を全て消去する事が定められている。
操作者であるクミチョウ、及びクミチョウの使用者である久瀬の記憶こそ消えていないが、昨日まで親しげに接していた作業用品を見かけても目すら遭わさなくなる豹変っぷりは傍で見ていてもなかなか気味が悪いものがあって、義理と人情の世界に生きてきたクミチョウにはどうにも好きになれない。
「いつも通りなら、ここから5時間缶詰か……はぁ、こんな状況じゃなきゃ座ることも許可されているしサボれてラッキーなんだけどよ……」
はあぁ、とどこか熱の籠もったため息を漏らすクミチョウの視線の先、身体の中心には、嫌と言うほど見慣れた銀色の装具が収まっている。
今回は一体何が理由だったか。
とにかくここ2年近くは久瀬のストレスがどうにも減らないようで、何かにつけては懲罰だと貞操具を嵌められ、触れられないもどかしさと激痛に苛まれのたうち回っている気がする。
しかも「毎日限界まで寸止めをしても、意外と二等種は壊れない」といらぬ情報が追加されたせいで、最近では懲罰に日々の寸止めがもれなくセットでついてくるようになった。
まったくもってうちのシャテイは、とんでもない知恵を人間様に授けてくれやがる。
「くっそ、こんなもん我慢できるか……はぁっ……」
「おい、誰が触っていいと言った」
「へぁっ!? ちょ、なんでここにっうぐっ!!」
「…………管理官が来たらすぐに基本姿勢。そんなことも出来ぬほど惚けているとは、余程懲罰を延長されたいと見える」
「……も、申し訳、ございません…………」
ちょっとだけ、と銀色のプレートの隙間に手を伸ばした次の瞬間、目の前には見慣れた管理部長が相変わらずどこかだるそうな風貌で佇み、おいたをやらかした作業用品をじっ……と射貫いていた。
こいつの勘はどうなってるんだ、タイミングが良すぎだろうが! とクミチョウは心の中で盛大に毒付くも、流石にこれ以上の延長は勘弁とばかりに赦しを乞う。
既に延長に次ぐ延長で、装着は7週目に入っているのだ。
この蓋の下で立派な息子さんが文字通り腐っているんじゃないかと碌でもない考えが頭を過り、背筋がゾッと凍り付く。
「……ああ、125Xのメンテナンスか。ご苦労なことだな」
「ここに用事があったんじゃないんすか?」
「いや、何となくお前をめがけて飛んできただけだ」
「…………はぁ」
楽にしろ、と命じた久瀬は、保管庫の床にどっかと座り込む。
いくらアンドロイド用とは言え、二等種の保管庫に靴の底以外をつけるだなんて珍しいこともあったものだと思いながら、クミチョウもまた身体を起こし「失礼します」と久瀬の隣に座り込んだ。
その距離、35センチ。目を合わせることは無い。
作業中に久瀬が押しかけてきたときの、互いの定位置である。
そのまま、久瀬は唐突に話し始める。
「…………前に災害のことは話しただろう? 最初の大災害から2年近く経つが、原因がさっぱり分からん。世界中が手詰まり状態でな……ふと、お前を指導すれば勘も働くかもしれんと思った」
「俺は管理官様の便利道具じゃないんすけどね」
「……で、最近の様子はどうだ。上も下も変わりは無いか」
「こっちの突っ込みは聞く気無しっすか……」
相も変わらずこいつは人間様だなと、クミチョウはがっくり肩を落とす。
ちょっとはその良く出来た分厚い仮面を剥がせば楽になれるだろうに、管理官様は20年以上経ってもここでは心を許しきれないのだろうか。
(にしても、まだ終わってなかったのな……)
地上で広範囲に地面が水没する災害が多発しているという話は、以前久瀬から聞かされていた。
最初は自然災害だと見做されていた水没だが、しかしある時期から規模はともかく頻度が余りにも規則的になったことから、現在では人為的な……何かしらの魔法を使った大規模テロ行為では無いかと囁かれ、どの国もその方向で密かに調査を進めているそうだ。お陰で複数の紛争地域が停戦協定を結ぶなど、災害以外では平和に向かっているのが実に皮肉である。
そうなると、魔法の能力が高い人物は真っ先に疑われるわけで。
優秀な人間揃いの魔法省並びに二等種管理庁は、下部組織も含めてまるごと行動を監視されている有様だという。
ただでさえ災害後は二等種の修理や処分でてんやわんやのうえに、余計な査問や報告義務まで増えればそりゃストレスもたまるだろうと、流石のクミチョウも久瀬に同情を禁じ得ない。
……だからといって、人をサンドバッグにするのは大概にしやがれとは思うが。
ただ、その話を聞いたのは1年以上前だ。
それ以来災害の事が話題に上ることは無かったため、すっかり片付いたものだと思っていたが……なるほどそれなら、ここ最近の執拗な懲罰と苛立ち混じりの寸止めも納得がいく。
「特に変わりはねぇっすよ……最近はシャテイも大人しいし」
「あれは大人しいのか? この間は監視カメラの死角を捜して、乗馬鞭でセルフ鞭打ちを堪能していたが」
「うっそだろ、あいつどれだけ研究で脳みそ焼かれてるんだよ……」
「いや、平常運転の範囲だ」
「それはそれで残念すぎる」
ドマゾは懲罰が難しくてかなわんと嘆息する久瀬の話に「何でもご褒美っすよね、ありゃ」と全力で同意し、しかしクミチョウはわずかな違和感を覚える。
今、久瀬はシャテイが監視カメラの死角を捜していたと言った。だが作業用品が……それも天然モノの二等種が、頭の中を性衝動で満たしている状態で果たして監視カメラなんてものに気を配るか? と――
「……しかしシャテイは、どうにも二等種ぽくないっすね」
前を向いたままぽつりと呟くクミチョウに、久瀬もまた前を向いたままどう言うことだと問いかける。
気のせいかも知れないっすけどと前置きをして、クミチョウは前々から気になっていたことを口にする。
「なんつーかさ……思考力がありすぎるというか。頭が回るんすよ、あれ」
「俺から見ればお前だって、二等種にしては相当頭は回ると思うがな」
「いや、俺これでも堕とされっすよ? それに、人様よりはちょっとばかし日陰の世界を渡ってきてますし。でも、アイツは天然モノだ。それにしちゃ、ちょっとばかし賢すぎる気が」
「……言われればそうだな。まぁ一般的な天然モノと違って、地上ではちやほやされるどころか碌でもない目に遭っていたようだが」
「ああ……あのビビりとヘタレはそういうことか。だからあんな目の使い方をするんだな」
「目?」
何気ない言葉に、久瀬は引っかかりを覚える。
そんな久瀬の表情の変化には気付かず、クミチョウは前を向いたままつれつれと話を続けている。
「常に怯えていて周囲を観察しているというか……絶対に一定以上のラインは踏み込ませないように警戒している感じがあるんすよね。作業用品になりたての新人にはよくあることっすけど、3年も経つのにあれほど色濃く残るのは珍しい。むしろ最近は酷くなってるような気すらしますぜ?」
「そうなのか? 他の個体との関係は」
「それは良好っす。ただ……変な言い方っすけど、まるで魔力を読んでいるような目をすることが」
「…………は?」
魔力を読んでいる目……そんな物は未だかつて聞いたことが無い。
何をバカなことを、と久瀬はクミチョウの話を一蹴しようとする。だが、続けて語られた彼の話に、久瀬の動きがピタリと止まった。
「ああこれ、人間様が見ても絶対に気付かないっすよ。目の使い方だなんて、俺も堕とされるまでは意識すらしたことが無かったっすから」
クミチョウ曰く、人間は見える物と見えない物――言わずと知れた魔力のことだ――を見る時で微妙に目の使い方が違うという。
彼も人間であった頃には魔力を読むという意識すら無かった、魔力を失ってからも時折無意識にその目の使い方をすることがあってようやく気付いたのだと言っていたから、恐らく人間は自然と魔力を見るときには何かを切り替えて視覚として捉えているのだろう。
まさに堕とされらしい視点である。
だが、今引っかかったのはそこでは無い。
――さっき、こいつは何と言った?
あのへなちょこドマゾ二等種が、人間と同じような、魔力を読んでいる様な目をする、だと……?
「いつからだ」
「へっ」
「あのヘンタイが、その目をし始めたのは、いつからだと聞いている」
「え、ああ……いつだっけな。確か……そうそう、地下に降りて1年くらい経った頃だったか。一時期シャテイが目の調子が悪いって言ってた時期があったんすよ。今思えばあの頃からじゃ無いっすかね……ちょっと確証は持てないっすけど」
「…………!!」
(地下に降りて1年……あれが地下行きになったのは3年前だ。災害が起こり始めたのは……いや、いくら何でもこじつけだろうが……)
冷静に考えれば突飛な発想だと、久瀬も思っている。だがどうにも胸騒ぎが止まらない。
自分で言うのも何だが、割と勘は鋭い方なのだ。
第一あれはドマゾで比較的無害とは言え、幼体期から散々矯正局の面々を振り回し続けてきた問題個体である。
性能の良い調教用作業用品として今後使い倒すためにも、些細な事だろうが憂いは潰しておいた方がいい。
「…………」
「……どうしたんすか」
「こっちを見るな、人間様の顔を勝手に見てはいけないと何度言えば」
「へいへい」
急に黙り込んだ久瀬に、クミチョウはチラリと視線を向ける。
暫く微動だにしなかった久瀬は、急に立ち上がったかと思うと「戻る」と短く一声告げるや否や、転送魔法を起動してさっさと去ってしまった。
「…………何だったんだありゃ」
突然の帰還にクミチョウは拍子抜けした表情で、しかし今回はこちらに気を取られなかったお陰で余計な懲罰を食らわずにすんだと、ほっと胸をなで下ろす。
そして
「んー……こりゃ、何かデカいことが起こりそうだな……」
長年付き合わされてきたサンドバッグの勘だろうか、ぽつりと嵐の予感を独りごちるのだった。
◇◇◇
疑おうと思えば、疑える機会はいくらでもあったのだと思う。
けれどそれらの全てから無意識に目を背けてきたのは、この狂った世界の中でもひときわ閉じた空間の中で与えられた、何気ない一言が余りにも大きかったからなのだ――
久瀬が調査を開始して最初に知ったのは、あの変態個体はこの国でも有数の……だが最初の大災害で滅亡した魔法に長けた名家の出身であること。
そして観察により最初に気がついたのは、首輪が一部動作していないことだった。
「……気がつかなかった。これは、肉体に直接首輪の機能を書き込んでいるな……一体いつからだ?」
実に残念なことに、自分の勘は相変わらず冴えていたようだと、久瀬はモニタを眺めながら激辛と名高いお気に入りのカップ麺を啜る。
その瞳には、珍しく動揺が浮かんでいた。
矯正局の調教管理部長としては、徹底的に調べなければならない。けれど一人の人間としては、これ以上真実を明らかにしたくない……
二つの相反する想いが久瀬の中で交錯する。胃が痛んで眠れない日々が続く。
それでも表向きはいつも通りやる気の無さそうな管理部長を演じ、職務を全うし、空いた時間は全て123Xの調査に費やした。
提供されていた研究記録の洗い直しはもちろん、部長権限で研究室のデータにもアクセスし内容を全て精査した。
その結果は……想定以上だった。
「……貞操帯の装着期間と、災害周期……性癖と精神的満足度、災害規模の関連性……何と言うことだ、このデータが真実ならば全てが符合する……!」
こんなことならば、密かに監視カメラを仕込んでおくべきだったと久瀬は悔やむ。
だが、一方でこの行動を記録した映像が無くて良かったと、安堵している自分もいるのだ。
あの子にとって不利となる証拠など、これ以上何も出てこなければいい……処分は免れないだろうが、それでも最悪の事態は防げるかもしれない……
いつしか久瀬は、次々と明らかになっていく真実がどうか守るべき人を断罪せずにすむものであって欲しいと切に祈りながら、調査を進めるようになっていた。
――けれどその思いは、最後の最後にくじかれてしまう。
「これは……これでは庇いきれない……そんな、何ということだ……!!」
深夜、誰もいない部長室で、久瀬の悲痛な慟哭が上がる。
彼の視線の先では、決定的証拠となる映像が流されていた。
今から2年近く前、初めて央があの変態個体の検分を担当し、それがきっかけで研究室の立ち上げが決まった日。
あの日、検分開始直後に久瀬は緊急の製品補修要請を受け、30分ほど席を外していた。
無害化に失敗した危険個体の検分を単独で行わせることに不安はあったものの、未覚醒の変態個体、しかも央に分不相応にも懸想しているドマゾだから大丈夫だろうと、無理矢理自分を納得させたのだ。
……どうして、あの時補修要請を断ってでもあの場に居続けなかったのか、今となっては悔やんでも悔やみきれない。
「…………そのような言い方で、人間を……あの子をたぶらかしたのか…………!」
画面を見つめる久瀬の両手は、爪が食い込み白くなるほど握りしめられている。
映像の中の央は、大災害の直後……両親と故郷を無くし、天涯孤独の身となったばかりで憔悴しきっていた。
当時のことは良く覚えている。とにかく倒れたっていい、仕事をしていないと頭がおかしくなりそうだと、頬をやつれさせ泣き腫らし生気の無い瞳で訴えてきた姿に、どれだけ心が痛んだことか。
そんな満身創痍のあの子に、この変態……いや、名実共に有害極まりない二等種は、ぬけぬけとこうほざいたのだ!
『人間様の家族を奪ってごめんなさい』
『貞操帯を外して、リセットする度に……地上が水没する夢を見るんです。自分はそれが現実だって知っています。だって、管理官様が二等種には聞こえないように話していたのが全部聞こえるようになっちゃったから……!』
貞操帯管理のリセットによる災害発生の可能性に、二等種にあるまじき魔法の発現。更には並行世界のトモダチなる概念まで織り交ぜて、これはあの子を誘惑したのだ。
研究者にとって垂涎ものの希少なサンプルであることを売り込み、事実を隠蔽し独断の研究へと走らせ、自分達の性癖に巻き込み、結果若き天才の人生を破滅させた……何という二等種らしい無自覚ながら悪辣な手法だろうか。
「…………できる限りの情状酌量は、もぎ取ってみせる。けれどここまで証拠が出そろっている以上……最高刑は恐らく避けられない……!」
久瀬の視線の先には、報告書を纏めたメールの編集画面が表示されている。
送信先は二等種管理庁長官だ。
この証拠を送れば最後。
数日内に世界は、2年間にわたり世界中を恐怖に陥れてきた災害の終結を迎えることが出来るだろう。
悪逆非道な二等種は成敗され、世界は再び平和を取り戻し……その裏で、一人の才人が人生を終わらされるのだ。
「…………っ……」
久瀬の震える手が、キーボードにかかる。
数秒後、画面には送信完了のフラッシュメッセージが表示される。
「これで……もう、犠牲者は出ない……」
誰に言うとでも無く呟かれた久瀬の声は、震えていて。
ラップトップを閉じた掌に、ぽたり、ぽたりと大粒の熱い雫が落ちて。
「どうして……よりによってあなたを、この手で堕とさなければならないのですか、区長……!!」
忍び泣くには余りにも大きな嗚咽が、夜の部長室にこだました。
◇◇◇
全身がバラバラになるような電撃を浴びた次の瞬間、意識は次の日へと断絶無く繋がっていく。
無意識に「いてて……」と身体を擦りながら、至恩はむくりと暗闇の中で起き上がった。
「おはよう、至」
「あ、詩おはよう。珍しいね、先に起きているだなんて」
聞き慣れた詩音の声に自然と顔が緩む。
なにせ、自分の部屋でしか会えないトモダチなのだ。何も知らなかった幼い頃はともかく、そこそこの年齢になってからは心のどこかで「明日絶対に会える保障はない」と思っているからか、おはようの挨拶が返ってくるだけで安心してしまう。
ああ、これで今日も、僕は何があっても生きられると――
「んー、至って体温高いよねぇ……」
「そうかな? 詩だってあったかい」
詩音がそっと肩を寄せる。
互いの温もりが、確かにここに存在していることを証明してくれる。
メスの甘い匂いがふわりと鼻をくすぐり、ちょっと胸がときめいてしまうのは……昨日の無様な交合ごっこのせいだろうか。
「……思い出しちゃうね」
「うん……全然腰が止まらなかった……何にも気持ちよくないのに、ね」
どうやら昨日を思い出して興奮しているのは、詩音も同じらしい。
ふぅと熱い吐息を漏らしながら「でも」と囁く顔は、きっと真っ赤に染まっている。
「今日、作業が終わったら」
「うん」
「……どんな顔して央様に会えばいいんだろう」
「あー…………一体何を見られたんだろうね、僕ら」
詩音の言葉に、昨日の出来事が一気に蘇る。
何の快楽も無い無様な行為が止められなくて、どんどん頭が偽りの交尾のことだけでいっぱいになって、ふっと理性を手放して……そこからの記憶は何も残っていない。
日付を知らせる代わりの停止電撃でそのまま復元時間に入り、眠りに落ちた自分達を央様が清めてくれたのは間違いないと、べたつきの無い身体に確信を覚えるけれど。
つまりそれは……理性の無くなった自分が獣のように異性を求めて荒れ狂う姿を、想い人に余すところなく見られたという証左で。
もう絶対何かをやらかしている……と、至恩は思わず顔を両手で覆う。
詩の言うとおりだ、あんなに央様のことを好きだ好きだと言いながら、相手は詩とはいえ他のメスに対して惨めに腰を振り続けたポンコツ二等種のことなんて、軽蔑されてしまったかも知れない。
『使用時間です、調教棟へ転送します』
そんな思考を中断するように人工音声が頭の中で響き、転送魔法の発動で身体の輪郭が世界に溶けていく。
人間様に使われるだけの自分達には、昨日の行いを振り返る時間すらろくに与えられない。
仕方が無いねと二人は頭を作業モードに切り替える。流石にこんな惚けた顔を調教棟で晒したら……朝イチから管理官様の雷が落ちるに違いないから。
「とにかく保管庫に戻ったら、央様に」
「うん、土下座して謝ろう!」
なんだかんだ言って央様はお優しいのだ。
そりゃもう口さがなく罵られる未来しか見えないけど、こんなことで貴重なモルモットを手放したりはしないはず、きっと、多分。
「……じゃ、詩」
「うん、至」
「「今日も、生きよう」」
いつものように顔を見合わせ、こくりと頷いて。
次の瞬間光が身体を包み、二人はそれぞれの世界へと戻っていった。
そして――
全ての人にとって、長い長い一日が、始まる。
◇◇◇
「あれ、ここは……?」
転送魔法の光が薄らぎ、周囲の様子が明らかになってきて、至恩はいつもと違う景色に目を瞬かせた。
作業開始時の転送先は、調教棟のどこか。場所の指定は出来ず、毎回ランダムだ。
ただ、どこに飛ばされたって見える風景は変わらない。白い天井と壁、どこまでも続くリノリウムの床、何の飾り気も無い扉やシャッターが並ぶだけの無機質な、そして時間が分からない一定の明るさを保った空間だけが、自分達に許された存在場所だから。
そのはずなのに……今日の転送先は随分と薄暗い。
「管理官様、もしかして場所を間違えたのかな……」
「……いや、間違えてはいない」
「!!」
首を傾げながら独り言を漏らせば、即座に返事が返ってきた。
この声を聞くだけで、身体はびくりと強張り、勝手にその場に土下座をしてしまう。何かやらかせば、いや、何もやらかさなくても機嫌次第ではあっさりと、あのどこかだるそうな声でえげつない懲罰を繰り出してくる――管理部長の声だ。
ただ、今日は……いつもより声が遠い気がする。
(……?)
コツ、コツ……
至恩が伏せたまま疑問を深めていれば、音がこちらに近づいてくる。
おかしい、これは靴音だ。
そう言えばさっきの声も……頭の中で響いてはいなかった。
何故検分でも無いのに管理官様がいるのか、そもそもここはどこなのか……
あれこれ逡巡しているうちに至恩の目の前で靴音はぴたりと止まる。
チラリと目を動かせば、眼前に映るのはよく手入れされた黒の革靴。見覚えのある、管理部長の靴だ。
「……顔を上げろ」
「はい」
短い指示に、至恩の身体は即座に反応する。
おずおずと身体を起こし顔を上げれば、そこには思った通り、銀髪に大柄な体躯をした男性――管理部長の久瀬が、感情の読めない表情で至恩をじっと見下ろしていた。
(……!?)
とたん、ぞわりとしたものが、至恩の胸に広がる。
(なんだ、これ……)
目を合わせた瞬間、感知したのは久瀬の魔力だろうか。
激しい怒りと、深い悲しみ、そして……どうしようも無いやるせなさを含んだ複雑な感情は、普段の侮蔑と嫌悪に塗れたそれとはあまりにも異なっていて、慣れない感覚に至恩は思わずゴクリと喉を鳴らした。
分からない。分からないが、ただ全身が総毛立ち……頭の中で警鐘が鳴り響く。
これは――10年前の捕獲の時とは比べものにならない、人生最大の危機だと。
「…………」
「…………」
ふと久瀬が部屋の隅を見て、無言で頷く。
至恩の視界からはその姿は見えない。
だが、今の至恩には魔力を感じられる。
目の前の男のとてつもない魔力は、胸を飾る徽章に嵌め込まれた青い石――魔法のランクは十二段階中、上から三番目だ――にふさわしい。
そして、部屋の四隅にもそれと遜色ない魔力が感じられる……
つまり、今自分はこの国における高位の実力者達に囲まれているということだ。
「何故、ここに呼ばれたか……心当たりはあるだろう」
しばしの静寂の後、久瀬がゆっくりと口を開く。
いつもと変わらぬトーンで、けれど明らかに感情を押し殺した様子で放たれる問いかけに、至恩は全てを察した。
――ああ、自分はとうとう「見つかって」しまったのだと。
(……詩……央様…………!!)
この状況で、何より管理官様のことだ、恐らく何もかもご存じなのだろう。
言い訳など無用だし、そもそもそのような権利を二等種である自分は持ち得ない。
だから至恩は、今頃同じようにこの押しつぶされそうな緊張感の中にいるであろうトモダチを慮り、そして想い人の事を案じつつ、真っ直ぐに久瀬を見据え「……はい」と震える声で全てを肯定した。
「……殊勝な心がけだ。従属心に変わりは無いらしい。……無自覚だからこそ厄介なのだがな」
ぐっと何かを噛みしめるような表情を一瞬見せた久瀬は、しかしすぐにいつもの無表情に戻り、至恩の目の前にタブレットを突きつけた。
そこに書かれていたのは、これから自分を待つ運命。
「管理番号54CM123(X)。人類、いやこの世界への重大なる反逆行為に対し、二等種管理庁矯正局調教管理部長・久瀬剛峻の指揮の下、当該個体の貞操具を永久封印、管理番号の再割振り、および刻印操作による不可逆的絶頂機能廃絶の後『大改修』処分を敢行する」
淀みなく流れる言葉は、至恩の終わりの始まりを知らせる合図だった。
◇◇◇
「永久、封印…………」
「その意味は分かっているはずだ」
下された処分を無意識に復唱すれば、久瀬はその冷たい瞳で至恩を射貫いたまま、再び口を開く。
だが、その唇が続きの言葉を紡ぐ前に、四方から堪えきれなくなったのだろう、怒号が至恩に向けて浴びせられた。
「お前のっ! お前のせいで俺はっ、恋人と家族を失ったんだ!! この外道! 人殺し! 悪魔っ!! …………なんで、お前のような二等種がこの世に生まれてくるんだよっ……!!」
「挙げ句の果てに、有能な若者をたぶらかすだなんて! あなたは鍵沢区長の人生を破滅させた、いや、区長を殺したのよ!!」
「やっと……やっと世界が平和になる……ああ、その異様な性質さえ無ければ、お前をこの場で八つ裂きにして棺桶送りに出来たのにっ……!」
(…………っ……)
ああ。
後にも先にも、これほどどす黒いものをぶつけられたのは初めてだと、至恩は全身を震わせる。
その顔は紙のように白く、冷たい汗が全身を伝い、喉はカラカラに乾いて胃の辺りがキュッとする。
なまじ魔法が感知できるようになっているせいか、向けられた怨嗟の刃がまるで全身を切り刻むかのようで……身動きが、取れない。
「お前ら、気持ちは分かるが……落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!! 大体部長こそ、何でそんなに落ち着いていられるんですか! よりによって区長が、区長がっ……」
「…………これは職務だ。私刑の場では無い」
「っ……!!」
騒然とした空気を鎮めたのは、久瀬の一言だった。
いつものようにどこかだるさを含んだ声は、しかし怒号をぶつける彼らよりもずっと圧縮した感情を秘めていて、その迫力に思わずスタッフ達も言葉を失う。
張り詰めた空気の中、久瀬はすっと腰を落とす。
そして至恩の頭をがしりと掴み、思わずのけぞった至恩の胸に向かって何かを唱えた。
途端、胸の奥に何かが突き刺さった感覚を覚える。
「ぐ……っ!!」
「魔力を封印した。といっても、お前の魔力は感知が出来んし詳細も分からずじまいだから、気休めかもしれんが……執行までの間災害を止める抑止力になるやもしれん」
「っ…………は、い……」
(……ううん、これは……僕には効かない)
胸に打ち込まれた久瀬の魔力、封印の楔は、確かにそこにあるのを感じるのに。
二等種として、そして性癖を満たすために物理的にも魔法的にも拘束された時に生じる、あの戒められている感覚が全くない。
だから至恩は直感する。自分の魔力は、恐らくこの世界のどんな実力者であっても魔法により封じることが出来ないのだと。
「……お前らは通常業務に戻れ。後はやっておく」
「し、しかし……あの区長すら堕落させた危険個体です、部長お一人では危険では」
「伊達に長年調教管理部長なんざやってないさ。それに、監視カメラだってあるんだ。……お前らが怒りでこいつに取り込まれる方が、余程危険だ」
「…………かしこまりました。お気遣い痛み入ります」
管理官達が転送魔法でその場を去るのを見送った久瀬は、至恩の頭を掴んだ腕を全力で床に押しつける。
そして「ぐぅ」と潰れた呻き声を出す至恩の首輪に流れるような動作で鎖を繋ぎ「保管庫に輸送する、四つん這いで歩け」と命じて思い切り至恩の尻に鞭を振り下ろした。
◇◇◇
ぺたぺた、カツカツ、じゃらり……バシン……
「ぐっ……」
薄暗い廊下に響くのは、久瀬の靴音と希代の大罪人となった二等種が地を這う音、そして手持ち無沙汰だと言わんばかりに時折背中に振り下ろされる鞭の音だけ。
こんな状況じゃ無ければ実に美味しいシチュエーションだったのになぁと、この場にそぐわぬ変態らしい思考に身を委ねていれば「クソドマゾ野郎はどうにも御しがたい」とひときわ強く背中を打たれた。
同時に首輪が青白く光り、全身にビリビリした痛みと痺れが走る。
どうやらこの鞭は、以前ポニーガールの映像で見た接触型の電撃スイッチ機能を内蔵しているらしい。
(……詩、大丈夫かな……それに央様…………どうか、ご無事で……)
鎖を無理矢理引かれ、痛む身体を叱咤しながら這いずる至恩の胸に過るのは、大切なトモダチと想い人を案ずる言葉ばかりだ。
とは言えいつもの通りなら、詩音の処遇は自分と同じだろう。
すなわち薄暗い部屋に転送され、処分を言い渡され、地べたを這いつくばり絶望へと向かう道を歩いている。そう言う意味では……心配は尽きないけれど状況が分かっているだけ安心できる。
けれど、央がどうなっているかは確かめようが無い。
まさか目の前の、胸の内に鬼だか修羅だかを飼っていそうな管理部長に質問するわけにもいかず、至恩の不安は募るばかりだ。
さっきあそこにいた人間様は「区長を破滅させた」と言っていた。
冷静に考えれば、世界中を恐怖に陥れた災害の原因と対策法を掴みながらもその元凶を匿っていたのだ、何らかの処分は免れられないだろう。
少なくとも、彼の輝かしいキャリアがここで途絶したのは間違いない。
(きっと……バレたのは僕たちのせいだ。央様がそんなヘマをするはずは無いから……ごめんなさい、央様……)
至恩は心の中で何度も央に謝る。
そして、どうか少しでも彼の処遇が軽いものでありますようにと切に祈り続ける。
「……まさかお前が」
……と、無言を貫いていた久瀬がぽつりと話しかけてきた。
その視線は真っ直ぐ前を向いたままで、見上げることすら許されない至恩には今彼がどんな表情をしているのかは窺い知れない。
「よりにもよって、お前がこの国でも指折りの名家の生まれだったとはな……それならばこの事態も納得だ」
「!」
「その思考の残存も、生まれつきの魔法抵抗力が成せる業だろう。管理番号の書き換えで多少なりとも落ちると良いが……望み薄かもしれんな」
久瀬の言葉に至恩はなぜと目を見開き、しかし知っていて当然かと即座に納得する。
なにせ至恩は、この世界を揺るがす災厄の元凶なのだ。その素性は隅から隅まで調べ尽くしたに違いない。
それに、今更知られたところで何が変わるわけでも無いと、記憶の底にしまい込まれていた地上での扱いを思い出し、至恩は小さなため息を漏らした。
「うちの家を、ご存じなのですか……?」
「知らぬ訳がないだろう? 古くからこの国の中枢に関わる一族だ、官僚なら誰だって知っている。……その穢れた力で歴史ある一族を滅ぼして、満足したか?」
「……よく、分からないんです」
「分からない……?」
「地上にいた頃の自分は……七つになっても魔法が発現しない子供は家の面汚しでしかありませんでした。そして、今の自分は二等種です。……あの家とはもう、何の関係もないですから」
「…………まあ、そうか」
抉るような圧を持って放たれた問いかけに、至恩は淡々と偽りなく胸の内を曝け出す。
悲しいと感じるには、地上での関わりはあまりにも辛辣だった。愉悦を感じるには、あまりにも違うモノになりすぎた。だから、満足などと言う感情は多分、この身の内には燻っていないと。
こんなことを口にすれば侮蔑と嫌悪の籠もった言葉を投げつけられ、何ならそれが人間様に対する態度かと電撃を食らうかと内心ヒヤヒヤしながらの告解ではあったが、意外にも久瀬の口から放たれたのは、相変わらず感情を押し殺した静かな共感だった。
「…………」
(…………?)
それきり、久瀬は再び沈黙を貫く。
目的地はまだ遠いようだ。先ほどスロープを降りたから、更に地下へと連行されているのだろう。
保管庫に輸送と言っていたから、すぐに処分を執行されるわけでは無いのかも知れないが、どちらにしても今の自分に出来ることは何も無い……
至恩はひとまずこの会話を無事乗り切れたことに安堵し(考えても状況は良くならないよね)と余計な不安を頭から振り払って、久々の四足歩行に集中するのであった。
◇◇◇
(二等種如きに、罪悪感など無いか。いや……そうで無くともあの扱いでは……)
一方、今世界で最も危険な二等種を連行しながら、久瀬は心の中で煩悶していた。
己の性癖に忠実になり、誰かを傷つけることに良心の呵責も感じていなさそうな至恩の態度には、どうにも虫唾が走る。
まるで二等種のお手本のようだと唾棄したくなるも……しかし知ってしまったが故に割り切れない気持ちが、久瀬の中ではあの報告書を提出して以来ずっと澱のように溜まり続けている。
(……本質的には二等種では無かった。これを二等種に変えたのは……この世界だ)
央の研究資料の中にあった参考文献に、かつて共に学び遊んだ同級生の視点から語られたこの二等種の生い立ち……その全てに久瀬は何度も目を通している。
何の疑いも無く信じていた二等種の定義から外れる人間が存在することには愕然としたし、央の綴るこの変態個体が地上で過ごした12年間は、とても天然モノの二等種が辿る――その美しい外見のみならず不思議な魅力と才能により、天然モノは一般人より遙かに幸福度の高い子供時代を送ることが実証されている――軌跡だとは思えないものだった。
報告書の中で央は、幼少期の家庭及び学校における扱いへの恨みが基盤となり、二等種の加工によって本来の魔法の素質を捻じ曲げられたせいで、このような破局的災害をもたらす魔法を発現したと結論づけていた。
それに関しては全くもって同意である。
……そして、全面的に同意するが故に、久瀬は今苦しんでいる。
初めて央を拐かした映像を見たときには、激烈な怒りしか覚えなかった。
しかし冷静になり彼の道程を知った今、久瀬は言葉に出来ないやるせなさを感じざるを得ない。
なにせ二等種の定義が異なれば、この個体は今も地上で青春を謳歌……していたかどうかはともかく、魔法の使える人間のままであったのだから。
そう言う意味では、これはこの世界的な制度、常識のように語られる設定の被害者なのだ――
(俺はまた、罪の無い人間を……)
鞭を振るう手に、力がこもる。
このどうしようも無い気持ちをぶつけるかのように、久瀬は保管庫へと向かいながら無言で至恩を打ち続ける。
(それでも俺は……管理部長として、これを更なる絶望の底に突き落とさなければならない)
央を破滅に追い込んだ事への怒りは消えない。そして久瀬が直接至恩を二等種に堕としたわけでも無い。
だが、本来ここにいるべきでは無かったものを加工し追い詰め、モノとして使い倒した結果大罪人に仕立て上げてしまった……そんな人間の都合を棚に上げてただ怒りを爆発させるには、久瀬は少々生真面目で優しすぎたのである。
◇◇◇
「入れ」
「……はい」
調教棟地下5階。研究用素体の一時保管庫に、至恩は格納された。
性処理用品の素体用保管庫と同様の、一畳程度の空間。三方は白い壁で囲まれ、眼前は格子状の檻になっているが、素体の保管庫とは異なりシャッターは無いらしい。
手足には枷を取り付けられ、左右を短い鎖で繋がれている。
手の拘束が前なだけありがたいと、至恩は正面に向かってひれ伏した。
「執行は2日後だ、それまで大人しくしていろ。排泄と餌は素体基準だ、お前にはご褒美だろうな」
「……2日後?」
ガシャンと重い音を立てて檻の扉を閉めた久瀬が、目の前に立ちはだかる。
伏せた身では彼の表情は窺い知れない。だが、言葉に籠もる感情は相変わらずどこか苦しげで、至恩は少しだけ戸惑いを覚えていた。
だって、そんな感情は人間様が自分に向けるには余りにも不適切で……地上にいた頃を含めたってこれまであり得ないものだったから。
(何で2日後? むしろすぐに封印しないと危ないって思うところじゃ……?)
少々拍子抜けしたような様子を感じ取ったのだろう。久瀬は「説明くらいはしてやろう」と表情を変えないまま、今回の処分について話し始める。
どうやら2日後というのは、同時に宣告された刻印の操作と「大改修」なる処分の準備があるためらしい。
二等種に加工しているとは言え、前代未聞の魔法、それも全く分析不可能な謎理論と謎魔力を行使する存在なのだ。通常よりも念入りに準備をした上で刻印を操作する必要があると、二等種管理庁は判断したのだろう。
ならば何故貞操具の鍵を取り上げないのかと尋ねれば「必要が無い」と久瀬はつれなく返す。
曰く、前回のリセットから現時点まで繰り返された寸止めプレイにより、精神的満足度は充足していることがデータからも見て取れるため、この2日の間に至恩が勝手にリセットをしたところでそれほど大きな災害にはならないと人間様は判断したそうだ。
更に「お前の性癖からすれば、この2日の間に2回以上のリセットはしない。違うか?」と指摘され、思った以上にこの人は自分の拗れきった性癖を理解していると、至恩は舌を巻く。
確かに理解が深く無ければ、あれほど性癖にことごとく刺さらない苦痛だけの懲罰を立て続けに与えることは出来ないだろう。
「……ま、最後の晩餐というやつだ。これを最後にお前は生涯自慰と絶頂を禁じられる。貞操具は4週に一度のメンテナンスが必要だが、それは復元時間に行うからお前が性器を目にすることは二度と無い。……それに、その生涯とやらが終わる日が来るかどうかも分からんしな」
「終わる日が……来るかどうか分からない……?」
「以前無気力個体のリペアの時に話した、優秀な作業用品を半永久的に壊れないようにする技術の話は覚えているか?」
「!! ……まさか」
「お前に下された処分の一つ『大改修』とは……そう言う意味だ」
至恩は125Xのオリジナルである、保護区域9の作業用品に対して試験的に施された修理を思い出す。
脳機能を生体モジュールに移し替え、筐体は不具合が出る度にデザイン設計に沿った成体パーツを実験用保管庫から調達して交換することで、半永久的に性能の良い個体を使い続けられるようにする……
それは人間からすれば夢のような、そして二等種からすれば唯一の希望である死すら奪われる悪魔のような技術である。
至恩の処分に関しては、即刻廃棄処分にするべきだという意見も大きかった。
だが央の研究レポートには、未だその一端すら掴みきれない謎の魔力(?)を持ち無自覚に災害を起こす危険個体の取扱について、何度も警告が記されていたという。
何より「棺桶」については、精神が崩壊した後魔法が暴走して手が着けられなくなる危険をゼロに出来るまでは使うべきでは無いとも。
一方で、至恩の調教用作業用品としての性能は非常に高く評価され、それならば多少のコストを掛けてでも「大改修」を行った方が全て丸く収まるという結論に達したのである。
「永遠に生きて、人間様のために使い倒される。それがお前に与えられた罰だ。……その性能を維持するために変態性癖を満たすことを許されるだけ、ありがたいと思え」
「そんな……!!」
死という、二等種にとって唯一の希望すら奪われる――あまりにも残酷な裁定に、至恩は足元が崩れるような絶望を覚える。
確かに作業用品となってからの至恩達は、その性癖を存分に見たし変態生活をこの上なく楽しんでいた。
下手な作業用品よりはずっと充実した日々を送っていた自覚はある。いや、傍目からはずっと苦しんでいるようにしか見えなかっただろうけれど、災害の規模を抑えられる程度には……それこそ「幸せ」と呼んでも良い日々だったと思う。
けれど、それはあくまでモノとしてしか存在を許されない現状に終わりがあるからこそ味わえる楽しみだったのだと、己に課された罰によって至恩は改めて気付かされる。
(もう、僕達は死ねないんだ……ねぇ詩、これから僕達は……まるで終わりの無い拷問を受けるかのように生きなきゃいけない……!!)
ああ、今すぐにでも詩とこの悲しみを分かち合いたい。
自分達はただ、生き続けただけだ。どんな境遇でも二人で手を取り合って、支え合いながら一日一日を乗り越えてきただけ。
そんな中、人生初めての性癖を満たすという楽しみに邁進した結果がこれだなんて、神様とやらはどこまで自分達を弄べば気が済むのか――!
至恩は心の中で、この世界への慟哭を叫ぶ。
……それでもこのときはまだ、最後に残された希望があったのだと、後で気づかされるのだけれど。
◇◇◇
「……これが、二等種管理庁から下された処分の全てだ。当然ながら拒否権は無い」
「…………はい」
20分後、処分の説明及び研究結果についての長い話がようやく終わる。
相も変わらず表面上は感情の無い声で沙汰を下す久瀬の言葉に、至恩は半ば放心状態だった。
(……詩に、会いたい)
何の感情の模様も描かない心の中で、至恩はただそれだけを願う。
自分の世界で傷ついたとき、真っ先に思い出すのは見えない世界のトモダチの顔だ。
自分が傷つくのはもう慣れっこである。死を望むほど深い絶望なんてこれまで何度も味わったし、この世界には二等種に堕ちるずっと前から諦めしか抱いていない。
ただ、自分がその絶望を叩き付けられているときには、同時に詩音も同じ地獄の中にいる……その事実はいつだって至恩の心を抉る。
だから、詩に会いたい。
央が教えてくれたのだ、どこだって自分の部屋だと思えばそこで共にいられるのだと。
こんな狭い空間でだってきっと詩と出会えるはずだ、管理部長がここを去ればすぐに詩を呼んで、彼女を目一杯抱き締めよう……
顔を伏せたまま、至恩はこの後のことを何度も心の中で繰り返す。
そうやって呟いていないと、あまりの絶望に心が押しつぶされてしまいそうで。
だというのに。
わずかばかりの希望すら、人間様はあっさりと刈り取っていく。
「……魔法が使えてもお前は二等種だ。12歳段階で魔法を発現していないものは二等種、この世界の法律がそう定めた以上、そこから逃れることは出来ない」
「…………はい」
「まして、今魔法が発現したところで……その加工された心身は、二度と人間と同等には戻せない。万が一、人権復帰が為されてもな」
「…………」
しばらくの静寂の後、絞り出すような声が上から降ってくる。
そこに乗る苦悶の感情を察せられるほど、今の至恩に余裕は残っていない。
(それは知ってる。分かってる……今更戻りたいとも望まない……)
この期に及んで何も反抗なんてしないし、何一つ隠しやしない。
だからお願いだ、早くここから去って欲しい、詩に会わせてとただ願い続けていた至恩の思考は、しかし続く言葉で完全に吹っ飛ばされた。
「……ここからは、俺の独断だ。先の処分に加えて、追加処置を行う」
「追加処置……?」
「本来人間であったはずのお前への……せめてもの情けだ。大改修時に、作業用品として不必要な記憶は全て消してやる。過去のトラウマも、幻覚のトモダチとやらの記憶も、鍵沢区長のことも……変態性癖だけは調教用作業用品としての性能に関わるから消せないがな」
「…………え」
思いがけない久瀬の言葉に、至恩の時間が止まる。
世界が音も無く、その色を失い……崩れていく……
(…………今、管理官様は…………記憶を、消す……?)
最初は何を言われたのか分からなかった。
程なくして久瀬の言葉の意味を理解したとき、至恩の胸に去来したのは……物心つく前からずっと一緒だったトモダチと、幼い頃から恋心を抱き続けてきた想い人の笑顔だ。
この世界に生きる縁と、どんなときでも心を温めてくれる恋心。その二つが、永久に自分の中から消えてしまう。
自分を自分たらしめている色彩を失って、真の意味でモノになれとこの管理官は自分に求めているのだろう、そう至恩は判断する。
そんなものは情けとは呼ばない。ただの管理官様の独善だ。
詩のことを、そして央様のことを忘れて幸せになれる事なんて、一つたりとも無い――!
「そんな!! お願いです! 何でもします、人間様には逆らいません! だから記憶だけは……トモダチと央様の事だけは消さないで下さい……!!」
至恩の中で積もりに積もった想いが一気に爆発する。
頭の片隅では、人間様への懇願なんて手ひどい懲罰を食らうぞと理性が警告を発していたけれど、そんな小さな声が抑止力になるはずも無く。
至恩は心の底からの願いを繰り返し叫び、檻の向こうに佇む久瀬を縋る思いで見上げた。
「お願いします! お願いしま…………っ……!?」
見上げて…………言葉を失った。
(何で……? どうして、管理官様がそんな顔を……!?)
それは、この3年間至恩が一度たりとも見たことの無い表情だった。
どんなときでもどこかだるそうな表情を崩さない久瀬が、苦悶の表情を湛えている。
感情を表に出すものかと食いしばり、白い手袋に包まれた手を握りしめ、その瞳には絶望すら窺えて……まるでどちらが罪人だか分からないような様相に、一体どう言う反応をすればいいのか至恩は固まってしまう。
(管理官様……?)
重たい沈黙が、流れる。
久瀬は至恩が許可無く顔を見上げているというのに、懲罰の一つも加えぬまま立ち尽くしたままだ。
それから……どれくらいの時間が経ったのかはわからない。ようやくその激情を押さえ込めたのだろう久瀬が、顔を青ざめさせたまま震える唇を開いた。
「…………なに、そうすれば……お前は何も思い煩うこと無く、ただのモノとして…………区長を立派な性処理用品に作り上げられるだろう」
「!!」
「……何を驚いている? 災害の元凶たる二等種を、己の研究のために匿い続けたんだ。元保護区域C区長、鍵沢央はこの国の最高刑である二等種堕ちの刑に処される。あの未加工でも幼いままの外見、しかもふたなり……性処理用品として加工されることは確実だ。世界初の希少な製品として、な」
「そんな」
「そうなれば!!」
央に処分が下るのは仕方が無い。それは至恩にだって理解できる。
けれどどうして、ただ災害の原因を秘匿しただけの央に対してそこまで重い刑罰を科すのか――そんな至恩の問いかけは、久瀬の血を吐くような叫びでかき消された。
「性処理用品にするならば! ここでは俺がお前を使って製造するのが、最も品質を上げられるからな!!」
「……っ!!」
(…………ああ!!)
振り絞られた絶叫に、至恩は全てを理解する。
久瀬がさっきから何を押し殺し続けていたのかを。そして、何故彼が記憶消去をわざわざ「情け」と呼んだのかを。
(同じなんだ。僕達は央様に恋をしていた。管理官様はずっと、央様を守り続けていた……なのに、これからその手で央様を……!)
そこにどんな事情があるのか、至恩に知る由は無い。
ただ、央から聞かされる話や至恩への超絶塩対応を見るに、久瀬にとって央の存在はただの年下の上司では言い表せない何かがあったのだと思う。
それでも……いやそれだからこそ至恩には理解できない。
何故彼はそこまで大切に想っている央の罪を糾弾したのかと。
「そんなに大事なら……何故隠さなかったんですか……」
「隠す? ……あり得ないだろう? 俺は調教管理部長だ。調教用素体の、そして作業用品管理の統括責任者だ。感情に溺れて職責を疎かにするなど、それこそ『あの時』の俺をただ一人正しいと断じてくれた区長に顔向けができないではないか……!」
「……あの時?」
「…………お前には関係の無い話だ。忘れろ」
どこか納得できないと行った様子の至恩に対し、話はもう終わりだとばかりに久瀬は唐突に会話を切り上げる。
ぎりと至恩を睨み付ける眼光は鋭く、けれどどこまでも悲しみに満ちていて……まるで至恩の境遇を嘆いているようにすら見えて。
自分でも何だか分からない思いをありったけ込めて、至恩は「申し訳ございません……」とその場に再び額づくのだった。
「俺は、区長の人生を終わらせたお前を生涯許さない。だが……お前も俺達を未来永劫許さなくていい」
「……管理官様」
久瀬の足元に、転送魔法の陣が光る。
次の瞬間久瀬の姿は消え、後には魔法の残滓足る光と、最後の言葉だけが残されていた。
「お前を……人間であったはずのお前を人類悪たる二等種に作り替えてしまったのは、俺達人間だからな」
◇◇◇
どうやら無意識のうちに、至恩はこの牢屋じみた保管庫を自分の部屋と認識していたらしい。
久瀬が去った後、一体どのくらいの時間が経ったのだろうか。衝撃的な展開に呆然としただ座り込んでいた至恩の耳元で「至……」と呼ぶ耳慣れた声が聞こえた。
弾かれるように隣を見れば、そこには今一番会いたかったトモダチが目を潤ませて至恩を見つめている。
「っ、詩……!!」
(至……至、私やだよっ…………至のこと、忘れたくないよおぉっ!!)
(僕だって……詩を忘れたくない……!!)
詩音の悲痛な叫びに、至恩の張り詰めていた糸がプツンと切れる。
たった一畳の檻の中、二人はひしと抱き合って思いの丈を自然と念話で叫び続けた。
ああ、やっぱり魔法は封じられていなかったと変に冷静になりながらも、誰にも邪魔されない環境に安堵を覚えたのだろう、その嘆きは後から後から溢れてきて、留まることを知らない。
(嫌だ……一人は嫌だ……どれだけ理不尽な目に遭ったっていい、僕はただ詩とずっと一緒にいたいだけなんだ…………!!)
(離ればなれになりたくないよ……至と一緒にいられないのに、死ぬこともできなくなるなんて……!)
互いの存在を記憶から消去されたとき、何が起こるのかは分からない。
ただ久瀬の話しぶりからすると、管理番号の再付与は今一度名前を剥奪する手順を踏むようだから、再び「アマミヤシオン」の名前を忘れてしまう可能性は高いだろう。
そして名前を奪われたとき、互いのことを忘れたトモダチによりそれを取り戻す可能性は、無い。
それどころか、同じ部屋でこうやって会えるかどうかも分からない――
(詩……ずずっ……詩っ……)
(……至…………ひぐっ……ひっく……)
そうして……小一時間は経っただろうか。
二人の慟哭は少しずつ勢いを弱めていく。
目一杯泣いて、力一杯叫んで……ようやく落ち着きを取り戻してきた二人の思考は、抱き合いしゃくり上げながらも何とか希望を探そうと足掻き始めていた。
そう、こちとら伊達に脳天気と揶揄されるほどのポジティブさを身につけてはいないのだ。
(…………ねぇ、至。私達、全部忘れてもまたトモダチになれるかな)
(なれる。当たり前だよ、詩とならトモダチに絶対なれる)
ぽつりともれた詩音の問いかけに、至恩は食い気味に答える。
処分の執行後、何もかもを忘れて保管庫に戻されて、けれどそこに詩がいたなら……きっと自分は初めましてだろうが何だろうが、トモダチになりたいと望むに違いない。
(そうだよね、私も絶対至にトモダチになろうって言うよ)と、詩音も至恩の肩に額を押しつけながら断言する。
再会できさえすれば、自分達は新しい管理番号で互いを呼び合って、またこうやって仲良くなれる。
だって自分達は、性別の違う同じ存在。右半身と左半身がどうやったって分かれて生きられないように、自分達もきっと分かれたままでは生きられない。
それに互いの世界が繋がる条件が「自分の部屋と認識する」ことであるならば、記憶を失っても逢えるんじゃないかと……
こういうときは都合よく考えるべきだ。
(大丈夫、忘れたって……僕達はまた、ここから初めましてで)
(うん、私達は必ずトモダチになるよ)
二人は真っ赤に晴らした瞳で、じっと見つめ合う。
油断すれば泣き出しそうな顔で無理矢理笑顔を作って、手枷で戒められまま右手の小指を差し出して。
(約束)
(うん、指切りげんまん)
((何があっても、また一緒になるんだ))
何の希望も無い現実に、無理矢理希望を作り出すために、二人はそっと小指を絡めるのだった。
◇◇◇
(央様は、こうなることも予期していたのかな)
狭苦しい空間の中でようやく落ち着きを取り戻した二人の話題は、自然と久瀬から聞かされた話に移っていった。
ここにはタブレットもしこたま貯め込んだ玩具も無いし、そもそもいくら人間様がドン引きする変態とは言え、この危機的状況で性癖に走るほどの節操なしではなかったらしい。
(管理官様が話していた、僕らの魔法の話……ちょっと違ったよね)
(うん、半分くらいはあってるけど……肝心なことはすっ飛ばされている感じが……)
久瀬の話によれば、央の残した資料に書かれていた災害魔法の記述はこんな感じだったらしい。
個体の射精(絶頂)をトリガーとし、現代の技術では観測不可能なエネルギー(疑似魔力)を利用することにより、地上で災害が発生する。災害の規模は個体の性的満足度に依存し、特にヘンタイ……もとい被虐嗜好を満たし精神的な充足感を与えることで減じることが可能である。
ただし、満足感だけで災害の発生自体を完全に抑えることは不可能。災害を停止するためには射精(絶頂)を完全に剥奪する必要がある。とはいえ、ただでさえ絶頂による満足感を得られない作業用品から絶頂反射を取り上げてしまう処置は、作業用品としての品質低下、ひいては耐久度の低下といった致命的な問題が起きる可能性が非常に高い。
そこで、個体がたまたま貞操帯を好むことを利用し管理を試みたところ、これが奏功。貞操帯装着時には各種性癖を満たすコンテンツやプレイを用意し、貞操帯の連続装用期間を徐々に延長することで、将来的には災害の頻度と規模を社会的許容範囲内にコントロールできるという結論に至った。
万が一災害頻度のコントロールが困難になった場合、幸いにもこの個体は二等種には非常に稀なドマゾ、じゃない被虐を好む個体であるため、貞操帯による永久封印とそれによる精神的ストレスを性癖を満たすプレイにより解消することで、ある程度の性能を保つことが可能であろう……
一見すればデータや実際の現象とも矛盾の無い、完璧な理論である。
ところどころにヘンタイやらドマゾやら報告書らしくない語句が躍っているのは、多分央か久瀬の私情が混ざったせいなので気にしないことにする。
何にしても、央の報告書を元に二人の処分は決められたのだろう。
いきなり永久封印のみならず大改修まで追加するのは性急にも程があると思うが、人間様が二等種にする扱いとしては妥当に見えるし、報告書の理論にも合致している。
しかし
(……これだとさ、管理期間と災害規模の関連性は無視しているんだよね)
(別に書いても問題なさそうに思えるんだけどなぁ……どうせ永久封印を採用するなら一緒なのに)
(うーん、何か僕達の知らない不都合があったのかもね。央様が思いついていた永久封印以外の解決策も書いてなかったっぽいし)
(あ、言われてみれば!! それに……並行世界も妄想の可能性が高いって書いてたって言ってたっけ)
そう、この報告書は事実を知る二人からすれば、明らかに不十分。
央の性格から言って、何の意図もなくこんな不完全な報告書を作成する筈が無い。
となれば、央は本当の研究やシオンの魔法のことが露見することを早々に予期し、対策としてダミーの報告書を残していたと考えるのが自然だろう。
それは恐らく央にとって……もしくは
(そもそもさ、作業用品の刻印で絶対に絶頂出来ないようにして、ついでに意識も落として棺桶に放り込めば安全に処分できそうな気がするんだよね)
(…………それはそう。でも管理官様の話しぶりだと、それだけは絶対に止めろって央様は書いてみたみたいだし)
(もしかして……央様は僕達を……棺桶送りにさせないようにした?)
シオンにとって不利になる情報を渡さないため――
辿り着いた央の思惑に、二人の思念は沈黙する。
だって、どうみてもこれは至恩達を助けようとしているようにしか見えないのだ。
処分を受けることは免れられない。
だがせめて、棺桶送りは回避できるように。そして、並行世界を妄想で片付けることにより、見えない世界のトモダチを失わないように――
そんな央の想いが透けて見えて、胸の中がぐちゃぐちゃで……言葉にならない。
(央様はさ)
長い沈黙の後、至恩は俯いたまま詩音に語りかける。
その視線の先にあるのは、央が作ってくれた銀色の蓋。至恩の性癖を満たそうと央が奮闘してくれた証だ。
この貞操具のせいで魔法は発現してしまったけれど、これのお陰で自分は人生で最もヘンタイで、淫乱で、そして……幸せな2年間を過ごせたのだ。
(……人間様だったよ。でも)
(地上にいた頃の、優しかった央様も……残っていたんだ)
詩音もまた、透明なドームをつぅと指でなぞる。
至恩に輪を掛けてぶっ飛んでいる自覚はある自分の思いつきを、更に上回ってカタチにしてくれた……それがただの二等種に対する研究心だけとは思いたくない。
央の根底にあったものがかつての同級生に対する同情なのか、むしろ単なるモルモットへの愛護心なのか……今の二人には窺い知ることは出来ない。
けれどどんな気持ちからであれ、央はずっと人のことをヘンタイと罵りながらも、最悪の事態を防ごうと奮闘していたことだけは確かで。
(……嬉しいよ、嬉しいけど)
(できたら央様自身を……守って欲しかったなぁ……)
(うん……二等種に堕とされるだなんて……僕達のことなんてどうでもいいから、それだけは回避して欲しかった……!)
再び二人の瞳から、つぅと涙が零れる。
次に央に会うときはただの「調教師様」と「素体」だ。
しかも自分達は央のことを忘れ、ただの素体として央を扱い、時々被虐心を満たしながら製品へと加工することになる。
当然やりたくは無い。だが、モノにすぎない二等種に拒否権など存在しない。
ならば、せめて記憶を消して貰えたことに感謝し全力を尽くそうと、二人は心の中で誓うのだった。
(……辛いけど、僕達に加工される央様に比べれば)
(うん、そして央様を忘れられない管理官様に比べれば)
((ずっと……心は痛まないはずだから))
◇◇◇
「……至、あったかいね」
「うん……詩もあったかい……というより、熱い……?」
「かもしれない……んふぅ……」
執行日まで、残された時間は短い。
だからせめて最後の瞬間までは一緒にいたいと言わんばかりに、二人は狭い檻の中で身体を寄せ合い、手を握り合っていた。
どんなに辛いことがあったって、こうやってひっついて手を繋いでいれば、不安も恐怖も悲しみも、痛みすらも和らいでいく――
それは物心ついた頃には自然とやっていた、二人だけの秘密のスキンシップだ。
互いの温もりを与え合って、鼓動を感じて、息遣いを合わせて……ただ、一緒にいることを全身で実感するひととき。
この時間があったから、自分達は何があってもここまで生きて来れたのだと思っている。
当然、そこに邪な感情など一ミリも無い。
無いはずだ、少なくとも無かったはずだ……そう、さっきまでは。
(あのさ至……今日の至、変)
(へっ、変?)
(うん……だって)
至を見てると、お腹がずくんとするの――
そう言いながら詩音は至恩の手を取って、そっと掌を下腹部に当てる。
大きな、二等種にしては骨張った手が触れれば
「んっ……」
ずくん、と甘い痺れが詩音の胎に走って、思わず艶めいた吐息が漏れた。
(うう……いてて…………そういうなら、詩だって)
(……変?)
(そのっ、見てるとドキドキして……ちんちんが痛い)
(ぷっ、大変だねぇ至は!)
思わず噴き出す詩音に、ひどいなぁと至恩はむくれて。
でも、そんな嬉しそうに笑う詩音も、口を尖らせた至恩も魅力的で……胸が高鳴って、自然と息が荒くなるのだ。
(ね、詩、あのっ)
何だか詩を見ていると、めちゃくちゃ興奮するんだ……
そう告げようとした至恩の目の前がふっと暗くなり、唇に柔らかくて温かいものが触れる。
それが詩音の唇だと気付いたときには、もう脳髄はすっかり詩音の甘い匂いに焼かれていた。
「んっ……」
「はぁっ……至……舌……」
「んぁ……んふっ、ぁ……」
チュッ……クチュ、グチュッ……
「口を開けて」とねだる詩音の掠れた声すら、至恩の欲情に火をつける。
お陰で股間では、息子さんがさっきから大暴れだ。
最近は痛みに躾けられたせいか、封じられているときは少し反応が鈍くなっていたはずなのに……どうしようも無い渇望に浮かされて、理性を吹っ飛ばし互いの舌を貪った時ですらここまでの痛みでは無かったと時折顔を歪めながらも、詩音を味わう口付けは止められない。
ジュルッ……
「んうぅ!?」
しかも今日はなんだか……そう、欲しいのは舌だけじゃ無い。
その奥まで、全部舐めて、擦って、吸って……ああ、甘味なんて感じないはずなのに今日の詩はとっても甘い……
「ぷは……はっ、はぁっ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……んあぁ……っ」
ようやく二人の口がゆっくりと離れていく。
ヒトイヌの実験以来、何十回と交わしたはずの口付けとは何かが決定的に違うことに、至恩は少し戸惑いを覚えていた。
何だろう、このとても満たされるようで……もっと、奥に入りたい気持ちは……
ぼんやり思索に浸ろうとした至恩を全力で引き戻したのは、初めての感触だった。
「んひっ!?」
「はぁっ……これ…………あぁ、やっぱり私めちゃくちゃ変だよ、至……」
「ちょ、詩ぁ何してるの!?」
熱くて、ヌメヌメしたものが、至恩の股間を……正確には双玉の上を這っている。
思わず素っ頓狂な叫び声を上げた至恩は慌てて下を向き、その正体に目を見張った。
ピチャリ、チュッ……
股座では、詩音がはしたない音を立てて己のふぐりを舌で愛でている。
「えへ、変な匂いなのに……おいひぃ……」と謎の感想を発しながら一心不乱に股間を舐める詩音の目は、さっきから銀色の丸いプレートに釘付けだ。
……まるでその下に押し込まれたものが、欲しくてたまらないと言わんばかりに。
(だっ、ダメだよ詩っ! そんなところ舐めたら汚い!)
(汚くないよぉ……でも、変だね……今日はいっぱい、至に触れたい……)
(っ、詩……っ!)
詩音の股間からは、たらりと白濁した粘液が垂れている。
流石の二人もこの衝動が何なのか、もう認めざるを得ない。
――今、自分達は、生まれて初めてトモダチに欲情していると。
(至……これ、浮気じゃ無いよね?)
(……それは言ったら央様に懲罰電撃を落とされるやつだよ……にしたって、何でこんなに詩にムラムラするんだろう……)
(あれじゃない……生存本能?)
(そんな、僕ら死ぬどころか永遠に生かされるのに?)
ああでも、記憶を消されるのは死ぬのも変わらないと考えればあながち間違いではないねと、至恩は熱に浮かされた頭に従って詩音の腋に手を伸ばす。
そのまま乳房の根元をふにふにと優しく押せば、途端に甘い掠れた嬌声が詩音の口から上がった。
(……さっきからさ、ずっと……昨日のが)
(うん、わかる。セックスだよね……はぁっ、あれ、したい……)
互いの息遣いを感じる二人の頭に過るのは、昨日の無様な封じられたままの交合。
腰を振り、互いの覆いをぶつけるだけの惨めな交わりでさえ、あんなに理性を無くすほど強烈だったのだ。
――もし、何の隔たりもなく交われば、この身体は、そして心は一体どうなってしまうのだろうか。
そんな思いが心に浮かべば、もう止めようが無い。
だって、目の前では幼い頃からずっと一緒だったかけがえのないトモダチが、まるで交わりを誘うかのように魅力的に輝いているのだから!
(…………いいの、かな)
心のどこかに戸惑いは残っている。
自分達が恋しているのは央様だ。それは今だって変わりは無い。
もちろんトモダチだって好きだけど、それは恋心とは全く違うもの。こんな邪な想いからは一番遠いところにある感情だ。
けれど。
2日後には、自分達は離ればなれになってしまう。
よしんば再会できたとしても、今の記憶を全て消されている以上「至」や「詩」には逢えないのだ。
だからせめて互いの身体に、自分が確かにいたという痕跡を刻みつけたい。
己の身体に、トモダチが確かにいたという熱を残したい――
(詩が欲しい、この透明な覆いの向こうにある泥濘に押し入って)
(至が欲しい、この銀色の蓋の向こうにある屹立を迎え入れて)
((ひとつに、なりたい))
二人の思念がぴったり重なり唱和する。
ああ、こんな時ですら自分達は一緒なのだとどこかおかしくて、ふふっと笑みがこぼれて……気がつけば二人は再び互いをぎゅっと抱き締め、甘い甘い口付けを交わしながら、どちらからともなく提案していたのだった。
(ねぇ、最後のリセットなんだから……しよっか、本物のセックス)
◇◇◇
(狭いからちょっと難しいかな……)
(頭打たないように気をつけないとね。でも、何とかなりそう)
鼻息荒く「さぁしよう、すぐしよう!」と迫る詩音を「また鼻血出たらまずいよ、落ち着いて!」と宥めつつ、至恩は改めて状況を確認する。
当然ながらここは研究室では無いから、監視カメラは随所に仕掛けられているはずだ。
何なら誰かが常時監視している可能性も捨てきれない。だから、少なくともカラビナを外すときは注意が必要だし、貞操帯も自分で外さなければならないだろう。
ただそれさえクリアすれば、後は何も考えなくて良さそうだ。
そもそもリセット自体は、1回のみという制限はあるが久瀬により黙認されている。
本来のリセット予定日まではまだ2週間あるものの、連日の寸止めプレイのお陰で精神的には十分満たされているし、そこまで災害の規模は大きくならないと見ている。
そしてこの首輪には、央により一度絶頂すれば自動で停止電撃が作動する魔法が追加されている。
故に連続絶頂でうっかり大災害を起こしてしまい、央の報告書との齟齬が出るような事態にはならない筈だ。
(大丈夫だね……いい? 詩。挿れて、逝って、電撃で止められたらそこで終わり)
(分かった。でもさ、拘束されてたってめちゃくちゃ辛いのに……自分で離れられるかなぁ……)
(そこは気合いで何とか……うん、頑張れることにしよう!)
(だね! こんな所で諦めるなんてもったいなさ過ぎる!)
二人は狭い檻の中で向かい合う。
こうやって見つめ合うだけで、戒められた手を互いに絡ませるだけで、トモダチが欲しくて仕方が無くなって。
(……央様、これは浮気じゃ無いですから!! そう、これはただの至とのコミュニケーションです!)
(僕達はずっと、記憶が無くなったって央様を愛してます。だから……この一度だけは、詩と交わることをお許し下さい)
最後にもう一度、心の中で愛しいご主人様(仮)に謝った後、己の首輪にぶら下がったカラビナに指を伸ばした至恩の手を包み込むように、そっと詩音がロックを外した。
続けて詩音のロックを至恩が外し、二人は己の覆いを外す鍵を2年ぶりに手にする。
チャリ……
(じゃ、外すね。……至、その手で外せる? いざとなったら手伝うけど)
(詩の手伝いは拷問な気がするから、遠慮したいなぁ……)
手首を繋ぐ鎖は15センチと短いが、貞操具を外すには十分な長さだ。
むしろこれを再装着する時こそ詩に手伝って貰わないと無理かも知れないと、至恩はこのお楽しみの後に待つ悶絶タイムに背筋を凍らせつつも、南京錠に鍵を差し込んでくるりと回す。
カチャリ、と小さな音と共に外れた鍵とピンを、無くさないように檻の隅に置いて。
震える手でそっとプレートを外せば、既に臨戦態勢になりかけている屹立が目に入った。
(ああ……ここ、触れるのも久しぶり……だけど、これが最後……!)
ずるりとカテーテルを引っ張り、間髪入れずリングから陽物を抜く。
再装着の時には管理官様に勃起抑制シールを貰わないとだめかなと思案しつつ、至恩はリングにずっしり重くなった玉を一つ、慎重に押しつけた。
目の前では案の定、早々に貞操帯を外し終えた詩音が目を皿のようにして眺めている。これ、少しでももたつけば強制的手伝い(と言う名の拷問)が始まってしまう……と至恩は内心怯えながら、何とか狭いリングを通過させる。
(ふぅ……ああ、興奮しすぎて、ちょっと痛い……)
あっという間にいつもの元気を取り戻した中心は、2年間の大半を無理矢理体内に押し込められた過ごしたにもかかわらず、最初と変わらない暴れん坊っぷりだ。
幹には太い血管が隆々と浮き上がり、今すぐにその砲身を扱いてたっぷり欲望を吐き出したいと、先端からは既に白濁混じりの液体がたらりと伝っている。
央様の射精管理が上手だったせいなのか、単に息子さんが元気いっぱいすぎたせいなのかは分からないが、規格外の大きさとは言え縮むのはオス的にちょっと悲しいものがあるから、これはこれでよかったのだと思う。
(うわ……すっごい、元気……あは、舐めたくなっちゃう……)
(だっ、だめだよ詩!! 舐められて出ちゃったら僕、流石に泣いちゃう! ……って、うわぁ……すっごい、詩のあそこドロドロで……いい匂い……)
(ちょっと至も舐めちゃダメえぇぇ!!)
狭い檻の中に、互いの匂いがむわりと充満する。
リセットの度にあんなに近くで嗅いでいるはずの、なんなら調教中は嫌でも鼻腔を満たす匂いだというのに、今日のトモダチのそれは脳に直接突き刺さって、そこからどうしようも無い愛おしさと、いつもと違う叫び声を上げさせるのだ。
もっと、もっと、内へ、深く
近づいて、触れて、溶けて、一つに……ずっと、一緒に……!
(……詩)
(……うん、至)
言葉なんて、要らない。
自分達は性別以外は同じなのだ。何を求めているかだなんて、誰よりも分かっている。
二人は潤んだ瞳を交わし、小さく頷き体勢を整えようとする。
だがその時
「おい餌だぞ、って何やってんだお前」
「!!」
檻の外から、この場にそぐわない剣呑な声が響いた。
◇◇◇
「ああ? なんだ、貞操帯を外してやがるぜこいつ」
「まさかこの後に及んで災害を起こそうとしてるのか? くそっ」
「待て、部長から1回だけは黙認しろと指示が出ていただろう? ……まだ絶頂の記録は無いな、なら問題はない」
冷や水を浴びせられた二人はビクッと身体を震わせ、声のした方を確認する。
そこには見慣れた制服の……調教管理部の管理官が2人、給餌機を手にして立っていた。
(えええ、どうしてこのタイミング!?)
(んもうっ、折角いいところなのに!!)
出鼻をくじかれたシオンは珍しく憤慨しつつ、しかし表面上はいつも通り従順に問いに答える。
こちらとしても、ここに来ていらぬ面倒は起こしたくない。
「あ、えっと、セックスをしようかなって」
「……はぁ? なんだ、処分が下ってとうとう頭いかれちまったのか? いいかクソ二等種、セックスってのは相手がいなきゃできないんだぜ? お前のような危険物の不良品にそんな相手がいるわけないだろ!」
「…………います」
「あん?」
「います、ここに……トモダチが、いるんです」
シオンは迷いなく、互いを指さす。
その先にあるものを彼らは視認しない。それでも央が、央だけが認めてくれた並行世界のトモダチは確かにここにいるのだと高らかに宣言する。
案の定、虚を突かれた管理官達はその意味を理解するなり「はっ、そうかそうかお前にはオトモダチがいるんだもんなぁ!」とゲラゲラ腹を抱えて笑い始めた。
「いやぁそりゃすまなかったな! いいぜ、妄想のオトモダチ相手に腰を振りたいってんならいくらでもやりゃいいさ!!」
「ぷくくっ、そのオトモダチとやらは随分魅力的なんだろうなぁ! なぁに、餌やりは待っていてやるさ、空気相手にアヘる様をじっくり見物しながら、な! 人間様がわざわざ見物して下さるんだ、嬉しいだろう?」
「っ……ありがとう、ございます…………嬉しいです……」
媚びへつらうように感謝を伝え、しかし二人はそんな時間すら惜しいと言わんばかりに再び互いの位置を調整する。
檻の向こうでは、管理官達がニヤニヤと口の端を上げながら変態個体の醜態を今か今かと期待している。
その視線から流れ込んでくる感情は、優越感に嘲笑、侮蔑、嫌悪……そう、散々浴び慣れたものばかりだ。
けど、どうしてだろう。
今は朝のように飛んでくる言葉が刺さらない。人間様への恐怖が沸き起こらない。
……まるで見えない何かが、自分の心を守ってくれているようだ。
(不思議だね、妄想だって馬鹿にされるのはあんなに嫌だったのに)
(うん、今は平気。……だって、央様は至を認めてくれたんだから)
自分達以外の誰かに存在を認めて貰えることが、たった一人であってもこんなに心強いとは思わなかった。
しかもそれは、ずっと思いを寄せてきた人だったのだ。これほど強固な守りは、どんな強力な魔法でだって作れやしない。
(……詩、これは……流石に慣らした方が)
(いると思う? このくらいの大きさ、散々遊んでるって)
(そうだった)
ドロドロに濡れそぼり、早く欲しいと言わんばかりに口をはくはくさせる詩音の泥濘に、至恩はいきり立った先端でそっと口付ける。
触れただけで熱くてたまらなくて、そこから溶けていきそうな快楽がずんと腰を重くして……これは急がないと、一つになる前に暴発してしまいそうだ。
(本当は…………初めては……)
(……だね。でも考えてよ至。私はともかく……流石に至の馬鹿でかいおちんちんを央様に、ってのは)
(うん、犯罪だよね!)
初めては、愛する人と遂げたかった。
これが最初で最後の機会であるならばなおさら、ずっと想い続けていた人と一つになりたかった。
その願いが叶うことはない。自分達は二度と「央様」には逢えない。
でも、この交わりは決して想い人の代わりでは無い。
互いと一つになって、決して忘れない痕跡を互いに残したいと心から願うから、自分達はこの行為を選んだのだ――
「……詩。全てを受け入れて」
「…………うん。全部ちょうだい、至」
確かめるようにもう一度、互いの唇を合わせて。
至恩はゆっくりと、その剛直を熱い泥濘へと沈めていく。
慎重に、慎重に……詩が苦しくないように……そして、お互いにうっかり達しないように……
「はぁっ、んぁっ……」
「くっ……うた…………だい、じょぶ……?」
「だいじょぶ、だからっ、もうむり我慢できない至、一気に来てっ!!」
「っ、僕ももう……ごめんっ……!!」
次の瞬間、どちゅん!! と音が聞こえた気がして。
その並外れた剛直を全て受け入れた証に、ぶつかった根元がパチンと音を立てて。
「あ゙……っ!!」
「くっ…………!!」
二人の世界が、白く弾けて、一つに溶け合った。
◇◇◇
ぐちゅっ、くちゅっ、ぐちゅりっ……
おかしい。
これはまずいんじゃないかと、隅っこに押しやられた理性が時折呟きを漏らす。
けれど警鐘というにはあまりにか細いその声が、初めての悦楽に我を忘れた二人に届くことは無い。
「あ……あっ…………かは…………」
「ふぐっ……はぁっはぁっはぁっ……っ…………!」
最早まともな言葉も紡げず、二人は時折小さな喘ぎ声を発しながらただがむしゃらに腰を振り、一つになった歓喜と悦楽に溺れる。
(きもちいい、きもちいいっ、ひとつになるの、嬉しい……きもちいい、ああまたいぐっ……!!)
(止まらないっ、腰、全然止まらないっ、いっぱい出ちゃう!! ……もっと、こんなものじゃ全然足りない)
((もっと、近くに))
詩音の腕は至恩の首に回され、足はぎゅっと腰に絡みつき、絶対に離さないと言わんばかりに力強く抱き締める。
再奥まで穿たれた楔は、最初の衝撃と歓喜から来る激しい抽送に満足した今、詩音の奥を優しくノックしてその向こうにある二等種が決して使うことの無い子袋を揺らし続けている。
(出る)
(逝く)
またとぷりと、白濁が奥に注ぎ込まれる。
熱い飛沫を胎で感じて、全身がビクン! と痙攣する。
その度に頭の中でこれまでに無い光が弾け、全てが洗い流されていく――
初めての交合に夢中になっているからか、そもそも朝から立て続けに衝撃に見舞われすぎて感覚が麻痺したせいなのか、今、二人だけの世界に閉じこもる至恩達は肝心なことを見逃している。
この檻に格納された後、彼らは幾度となく慟哭した。それも、大粒の涙を伴って。
けれど、彼らの涙は……一度たりとも首輪から、正確には央の刻んだ首輪の機能を代替する刻印から咎められることは無かった。
彼らを制御する……落涙を罰し、合図を伝え、そして終わらない自慰を一撃で停止させる電撃機能は、何故か停止したまま。
つまり……連続絶頂を禁じる停止電撃が、二人の全身に流されることはない。
(出る……すごい、いくらでも出せちゃう……いっぱい注いで……詩の中を、全部満たすんだ……!)
(いぐっ、また、いぐっ……もっと、もっと、足りないよぉ全部ちょうだいっ至ぅ!!)
異変を察知している理性の声は届かない。
彼らは実に2年ぶりに手に入れた連続絶頂の快楽と、初めての交合による熱に浮かされ、永遠に快楽を、絶頂を、追い求め続けるのである。
「……なあ、これいつまで続くんだろうな」
「さぁ、こいつが絶頂するまでじゃね?」
その頃、檻の外では管理官が大きなあくびをしながら、何も無い空間に向かって涎を流し愛液を垂らしながら腰を振り続けるシオンを眺めていた。
陶然とした様子で、しかし絶頂に達することも出来ずエアセックスに励む作業用品の姿は、実に惨めで胸がすっとする。こいつのせいでこの2年、地上が振り回されてきたことを思えばなおさらだ。
――そう、管理官達はシオンの絶頂を認識していない。
それは彼らが作業用品であるシオンの交合を、人間では無く性処理用品の製品と同様に見ていたせいかもしれない。
製品は絶頂時に必ず「逝きます」と宣言するように作られているから、ただ小さな喘ぎ声を上げるだけの静かな絶頂は想定外として処理されるのだろう。
さらに至恩の放逸は詩音の中に直接注がれ……つまり間髪入れず詩音の所有となるが故に、至恩の世界からは射精という現象が観測できなかったのも功を奏したようだ。
だから彼らは、のんびりとこの茶番の終わりを待つ。
そのうち疲れて動かなくなるだろうから、それまで醜態をじっくり堪能させて貰おうと、優越感と軽蔑に満ちた下卑た視線を憐れな二等種にぶつけながら。
……未だこの「地下」は、何事もなく平穏である。
◇◇◇
調教管理部の一角に設けられた尋問室。
部内の重大内規違反発生時にのみ使用されるその部屋の解錠音は場違いなほどに軽快で、こういうときは耳障りだなと感じながら久瀬は扉の向こうに足を踏み入れる。
「うぅ……はぁっ…………逝きたい…………触り、たい……っ……」
各種拷問器具や薬剤が並ぶ棚の向こう、薄暗い部屋の奥には、小さな人影が蹲っている。
はだけたシャツを一枚だけ羽織り、魔法を封じるための特殊な拘束具で腕を後ろに戒められ、首を壁のフックと鎖で繋がれたその姿は実に痛々しい。
一体二等種管理庁はどんな「尋問」をしたのやらと久瀬は鼻をつく性の匂いに顔を顰め、息を荒げ股間を床に擦り付けつつ時折切ない喘ぎ声を漏らす人影に向かって声を掛けた。
「ご気分はいかがですか、区長」
「んっ、ふっ……うん、流石に良くは……はぁっ、無いよね……」
「まあそうっすよね」
顔を上げた央の瞳は欲情に潤んでいて、幾筋もの涙の痕が見て取れる。
口の端からは涎が垂れ、上気した頬……そしてシャツの裾で隠された昂ぶりと噎せ返るような二つの匂いは、央がかなり強い発情状態に陥っていることを物語っていた。
「……そんなに強情を張らないで下さい。今更隠したところでどうしようもないでしょう」
「いや、隠すとは……んっ、ボクは一言も言ってないよ。ただ……はぁっ……キミ以外と話す気は無いと…………ふぅっ、突っぱねた……だけで」
「それが強情だと言うんです」
互いの視線が交錯し、沈黙が部屋に落ちる。
央の喘ぐような息遣いと、時折無意識なのだろう「欲しい……」と呟く声が部屋に響く。
「…………俺が、告発しました」
「うん、気付くなら……キミしかいないと思ってたよ」
重苦しい沈黙を破ったのは、久瀬の告解だった。
互いに頭の回る者同士だ。言葉など最小限でいい。
自分を陥れた犯人に気付いていたのだろう央は、静かに久瀬を見上げ、この場にそぐわない微笑みを浮かべた。
……それが余計に痛ましくて、久瀬はグッと拳を握りしめる。
感情的になってはいけない。この部屋を出るときまで、絶対に叫んではいけないと言い聞かせながら。
「そりゃ俺を買いかぶりすぎっすよ……まさか区長ほどの人が二等種に絆されてしまうとは、今でも信じられないですがね。それで……上の連中からは、何か」
「……多分、キミが今から話すことは、大体知ってるんじゃないかな」
「なるほど。ならば話が早いです」
久瀬は棚からタブレットを取り出す。
本人不在のまま行われた裁判の判決文を画面に表示すると、それを央の方に向けて諳んじた。
「元保護区域C区長、鍵沢央。国家反逆罪により二等種堕ちの刑を言い渡す。ただし世界的大災害に関する対処法を確立した多大なる功績により、執行後当該個体の身柄は保護区域C調教管理部の預かりとする。……刑罰の執行は2日後です。本来は即日執行ですが、ふたなりの二等種堕ちは世界初の試みですし、準備もありますので」
「それはそうだろうけど……その、ここの預かり?」
「ええ」
2年にわたる世界的な大災害の元凶たる二等種を匿い、真実を隠蔽し続けた――この事実だけで最高刑は確定だ。こればかりは誰にも覆せない。
だが功名心に溺れた結果とは言え、央の研究は災害の根本的対処法を確立するという、世界中の研究者が追い求めた偉業を既に成し遂げていたのだ。
加えて災害規模を減じる試みも、そして災害を停止するための取り組みも継続的に行われていたことが、各種証拠より明らかになっている。
万が一央によるこの取り組みが行われていなければ、被害は現在の1000倍以上であったというシミュレーション結果も算出済みだ。
故にその功績を勘案し、鍵沢央は保護区域Cの矯正局所属施設に限定して設置する性処理用品として加工すること、つまり一般への貸出及び売却は一切行わず、その希少性にも関わらず性処理用品を用いた外交にも一切用いないという特例が承認されたのである。
当然その裏に、久瀬による国との熾烈な駆け引きがあったのは言うまでも無い。
「……これが俺に引き出せた最大限の情状酌量です」
「そっか……ありがとう、キミには随分迷惑をかけてしまったね」
「区長にとっては、あまりいい結果では無いかも知れないっすよ。ここはともかく、幼体管理部や初期管理部とはあまり折り合いが良くありませんでしたから……覚悟はしておいて下さい」
「そうだね。ところで製造は…………うん、まぁそうなるよね」
「…………ええ」
久瀬は唇を噛みしめつつ、自分があの変態個体を用いて央を性処理用品に仕立て上げる事を告げる。
終始笑みさえ浮かべながら平然とした顔で久瀬の話を聞いていた央だったが、久瀬の「あの個体は大改修処分となりました。あと、俺の独断で……記憶を消去します」という言葉には一瞬顔を歪ませた。
「……そうか、記憶を」
「あれは区長に懸想しています。変に情を覚えて、作業効率を落とさせるわけにはいきません。それに、恋愛感情を抱いた二等種は作業効率が落ちるという報告もあります。ここで区長や妄想に関する記憶を消去し、ついでに過去のトラウマも消し去れば、更なる性能向上が期待できます」
「それで、永久に使い倒す、か」
「性能維持のために変態性癖を消さないだけ、幸せでしょうよ」
そうだね、きっとその方があれは幸せだ、そう央はどこか悲しそうに呟く。
だが時折悩ましげな吐息こそ漏らすものの、央からは数日後に二等種に堕とされる……すなわち人生が終わるという恐怖など、微塵も感じられない。
(どうして……そんなに落ち着いていられるんだ)
事の重大さが分からない訳ではあるまい。
まさかこの後に及んで何か企みがあるのかと声を掛けようとしたその時、央が微笑みながら放った一言で、久瀬はくしゃりと顔を歪ませた。
「……にしてもさ、どうしてキミはそんなに落ち込んでいるんだい? これじゃ、どっちが裁かれたんだか分からなくなるよ」
「っ…………!」
そんなこと、言うまでも無いでしょう……
溢れんばかりの気持ちを必死に押し殺し、久瀬は「落ち込みもします、あなたをこの手で堕とさなければならない、それに」と唇を震わせる。
……それだけで央は察する。きっと今回のことは、久瀬の古傷をどうしようもなく抉ったのだろうと。
(そうか、彼は知ってしまったんだ。記憶消去は……彼なりの贖罪か)
話の続きを促せば、久瀬はとつとつと告解する。
央の資料により、二等種の定義はあくまで人間が制定したもので絶対的な法則では無いこと、そしてあの変態個体は不運にもそのわずかな例外であったことを知ったのだと。
当然ながら、この事実は公にはなっていない。
久瀬が参考文献については読んだ後すぐに廃棄したと話せば「やっぱりキミは有能だ」と央は言外に感謝を告げる。
「有能だなんて……褒めても何も変わりませんよ」
「まったく強情だなぁ、いい加減認めちゃいなよ。あと、今更言うまでも無いけどさ、キミは」
「……ええ、俺は間違えたことをしたつもりはありません。あの時も……そして今回も」
「そう、それでいい。キミは正しいことをした。21年前、あの大粛正のどさくさに紛れて無実の子供が二等種に堕とされたのは君のせいじゃないし、123番は確かに魔法を使える人間だったけど、この世界の定義上は二等種だ。そしてボクに至っては元上司とは言え、れっきとした犯罪者だよ? だから……堂々と胸を張っててよ」
「……区長だけですよ、ここで俺にそんなことを言うのは」
本当に……最初から最後まで区長は変わったお人だ。
そう肩をすくめる久瀬の顔は、今にも泣き出しそうだった。
◇◇◇
国の中枢にまで巣くった大規模な違法二等種製造組織を派手な内部告発で世界に暴露し、反社会組織「天獄会黒狼組」の壊滅に一役買った調教管理官・久瀬剛峻(くぜ ごうしゅん)は、しかし「大粛正」と後に称される、二等種管理庁内部から50人近い二等種堕ちを輩出する事態を引き起こしたが為に、未だ内部では仲間を売った裏切り者と見做されている――
これは二等種管理庁に関わる人間なら誰でも知っていることだ。
表向きは勇敢な告発者と讃えられ、わずか28歳にして調教管理部副部長に着任するという大出世を果たした久瀬であったが、その内情は首都の地下にある保護区域1から成績の振るわない辺境保護区域Cへの異動……つまりはていのいい左遷であった。
以後、10年以上にわたり彼はその実力こそ認められたものの、ありとあらゆる場面で裏切り者のレッテルを貼られ、邪険に扱われ冷遇される、まさに針のむしろ状態となる。
とは言え、久瀬は特段周囲を恨むつもりも無かった。
裏切り者であることに、間違いは無いのだ。
告発の動機の中には、黒狼組に幼体の二等種を横流しするかつての上司を失脚させてのし上がる機会だと、密かに企むくらいの野心はあったのだから。
それに、想定を遙かに上回る数の人間を二等種に堕としただけなら、まだ救いはあった。彼らは罪人であることに変わりは無いと、納得することも出来た。
だが己の行為は上層部の醜い足掻きを誘発し、結果として無実の少年の人生を二等種堕ちという最悪の形で終わらせてしまったのだ。
それ以来久瀬は慚愧の念に苛まれ、自分は取り返しのつかない過ちを起こした、生涯罰せられるべき罪深き人間なのだと、周囲の扱いも相まって頑なに信じ込んでいたのである。
……今から約8年前に、央が保護区域Cの区長に就任するまでは。
「やあ、キミが調教管理部長かい? 噂は聞いているよ」
「……久瀬剛峻です、よろしくお願いします、鍵沢区長」
弱冠15歳にして保護区域Cの区長に抜擢された央の話を聞いたときには「また面倒なのが来た」としか思わなかった。
噂によれば、前区長の汚職を暴いて失脚させその空席にコネを使って滑り込んだらしい。どこかの誰かと同じようなことをしていながら、何て待遇の差だと久瀬は心の中で一人自嘲する。
この世界におけるふたなりは、人間の突然変異種だ。男性と女性、両方の特徴を持ちながら生殖器以外の外見は10歳以降成長せず、老化も極端に遅い。
その上恵まれた魔法の才能を持ち、頭脳明晰とくれば国が放っておく筈もない。
そのため彼らは、12歳で魔法登録を済ませるが否や首都に迎え入れられ、生涯衣食住を保障されたうえでこの国で最高の教育と魔法の手ほどきを施されるという。
当然ながら、彼らの将来は国の中枢を牛耳るポジションが約束されている。
何の苦労もなく欲しいものは全て手に入れられる、夢のような人生の切符を生まれながらに手にしているもの、それがふたなりなのだ。
それがわざわざ、魔法省でなく二等種管理庁、それも落ちこぼれ扱いの保護区域Cの区長なんぞに収まるとは。
エリート様の考えることはどうにも分からないが、おおかた下々の出来損ないを好きに弄んで悦に至りたいのだろうと、内示を目にした久瀬は盛大なため息をついたものだった。
……いや、他の者はともかく自分にとってはそれほど状況に変化はない。誰が来ようと冷遇されるだけだと諦めを呟きながら。
「しかし話には聞いていたけど、ここは本当に出荷品の成績が振るわないねぇ……3年前までは多少マシだったみたいだけど?」
「ええ、高性能な作業用品が廃棄処分になりまして。調教プロトコルの見直しや作業用品の品質向上も図っているのですが、なかなか」
「……妨害が多くて進まない、と」
「…………仰るとおりです」
まあそうだろうねぇと、若き区長は肩をすくめ、久瀬は沈痛な面持ちで床に目を落とす。
当然央にだって久瀬の「悪行」は伝わっているはずだ。
きっと前区長と変わらず、久瀬の手柄になりそうなことはことごとく妨害し、あるいは己の手柄だとかすめ取り、何かにつけて呼びつけ執拗に言葉の棘を浴びせかけては「優秀だと言われているがどうにも冴えない管理部長」をストレス発散の道具として使うつもりなのだろう。
案の定「50人の二等種堕ちって、ちょっと前例がないもんね」と、区長は手慰みにペンをくるくる回しながら子供特有の高い声で久瀬の古傷を突いてくる。
だが、己を責める皮肉めいた追求が飛んでくると身構えていた久瀬に、央はにっこり笑ってこう言い放ったのだ。
「ま、別にそれは問題ないんだし、堂々としていればいいんじゃない?」
「…………は?」
「え? いや、だってキミ……久瀬さんだったっけ? 別に悪いことをした訳じゃないだろう?」
「あ、は、はい……それはまあ……」
「なら胸を張りなよ。キミのやったことは正しいのに、そうやって馬鹿でかい身体を縮こまらせていつまでもうじうじしてるから、小バエが調子に乗るんだってば」
「こっ、小バエ……!?」
(堂々と……? そんなこと、言われたことが無かった……小さな身体でなんと豪胆な)
その直截さは若さ故だろうか。彼の倍以上生きている職員達が聞いたら怒り狂うだろうなと久瀬は内心呆れ果て、しかし歯に衣着せぬ物言いに少しだけ爽快感を覚える。
口の利き方は気をつけた方がいいっすよと、久瀬は取りあえず大人らしく央を嗜め「え-」とまだ幼さの取れない頬をぷくっと膨らませる若き区長に、仕方が無いですからと言葉を重ねた。
「俺が仲間を売ったと冷遇されるのは……当然のことです。組織に混乱をもたらしたのは事実ですから」
「はぁ、組織ってのは本当に面倒くさいねぇ……第一その事件が起きたのって、ボクが3つの時だよ? 未だにそんな大昔の話を蒸し返す方がおかしいんだって」
「いやまぁ……お若い区長からしたら大昔でしょうが……」
「それにさ、例え裏切り者と詰られるにしたって、その行為への報いは……ここに左遷されて10年以上経つんでしょ?もう十分過ぎるほど受けたと思うけど?」
「…………っ」
もうキミは、自分を責めなくたっていいんじゃない? 小バエの掃除はボクも手伝えるからさ、キミはその正しさに胸を張って、好きなように動きなよ――
屈託のない笑顔で「よろしくね」と手を伸ばしてくる区長の手を、久瀬は躊躇いを覚えながらも握り返す。
この瞬間、久瀬は告発以来初めて自分を肯定した小さな彼に、まさに救われたのだ。
それから8年。
区長として辣腕を振るう央は、有言実行とはこういうことかと感服するほど鮮やかに、久瀬の邪魔をする管理官や職員をことごとく排除していった。
お陰で久瀬は、相変わらず距離を置かれながらも随分物事をスムーズに進められるようになったのである。
心ない陰口は無くならないが、もう下を向くことはない。央のあの一言はあれからずっと彼の行動規範で、お守りのままだ。
(ふたなりは皆エリート然としていてどうにも好かんと思っていたが……認識を改めないとな)
そして久瀬もまた、ともすれば優秀すぎるが故にやっかみと差別の対象となりがちな央を何かにつけて守り、数年かけて央が調教管理部では動きやすい体制を築き上げていったのである。
◇◇◇
「はぁ、少しはその自罰主義もマシになったかと思ったんだけどね……」
「誰のせいでまた蒸し返されたと思ってるんですか……!」
「……うん、それは本当にごめん。ずっとキミはボクを守ってくれていたのに」
「…………区長」
「こんな見た目のボクでも、キミだけは最初からずっと一人前に扱ってくれた。それどころかボクにここでの居場所を作ってくれた。本当に感謝してるよ……激辛飯以外はね!」
「あれの良さを伝え切れなかったことは、実に残念ですね」
勘弁してよ、お尻が壊れちゃうと央は発情に浮かされた顔でそれでも笑い飛ばす。
こんな状況でも何とか茶化して久瀬の心労を和らげようとするその心遣いが、余計に胸に突き刺さって痛い。
だがここで情に絆されれば、央の言葉を無碍にしてしまう――
(職責を、果たせ。……正しいと、胸を張れ!)
久瀬は己にもう一度言い聞かせ、すっと顔から表情を無くす。
そして無言のまま、棚からいくつかの道具を取りだした。
「……二等種堕ちした後の言葉に、証拠能力は無くなります。ですから、刑罰執行までに区長には全ての情報を吐いて貰います。あなたのことですから……あの報告書はブラフ。ねつ造では無いが真実でも無い。大事なことは……全て頭の中でしょう?」
「全く……本当にキミは有能だ」
カートに置かれたのは、強力な発情剤と筋弛緩剤のジェル、低周波のパッド、そしてこの小柄な身体にはどう考えても凶器にしかならない、オスの二等種を模した疑似ペニスが二本。
それを目にした央の目に、少しだけ怯えの色が灯る。
「ふたなりはその体質上、快楽責めにめっぽう弱い。上の連中はともかく、俺はこれでも調教管理部のトップです。だから『こういう』やり方には慣れている」
「っ……」
手袋を着けた久瀬の持つ人間離れしたディルドが、ぴたぴたと央の頬を叩く。
先の尋問の時点で発情剤は投与されている身体だ、この匂いは耐えがたいものがあるだろう。
久瀬はそのまま央の前にしゃがみ込み、鎖を引いて膝立ちにするとそのドロドロに濡れそぼった股間にたっぷりとジェルを塗り込んだ。
「ひぃっ…………!!」
「7センチあります、ペットボトルくらいの太さですかね。既に筋弛緩剤が効いていますから、どんなに締めようとしても無駄ですよ。……痛みも今ならあの変態個体よろしく、快楽に変わるでしょう?」
「あ、あ…………あが……っ!!」」
ずぶり。
用を為さなくなった央の後孔に、あり得ない質量が突き刺さる。
少し角度を調節すれば、30センチを超える疑似ペニスはあっさりとその薄い腹の中に消えていった。
目を見開き、ぽろぽろと涙を零す央の中心はそそり立ち、しかし事前にかけられた絶頂禁止の魔法により、今日一日受け続けた陵辱の熱を溜め込んだまま苦しそうに震えている。
「……あまり手荒なことはしたくない。何を答えたところで判決は変わりませんから、素直に答えて下さい。全部話せば、魔法を解いてすっきり熱を発散させてあげますよ」
「はぁっはぁっはぁっ……んぁっ…………」
「答えやすいところから行きましょうか。一体いつから、あれに取り込まれたんですか?」
「うあぁぁっ……!!」
久瀬はぐちゅぐちゅと音を立てて馬鹿でかいディルドを細かく抽送しつつ、空いた手でそそり立つ欲望を扱き上げる。
その度に央の腹が、子宮が、そして膣を挟んだ向こうにある前立腺までもが一気に押しつぶされ、絶頂と射精の気配が同時に襲いかかる。
けれどその先は、決して来ない。そして……ふたなりにとって寸止めの苦痛は、単純に人間の二倍では無い。
(逝けない……出せない…………苦しいっ、頭が焼き切れそうだ!!)
白目を剥きガクガクと身体を跳ねさせながら、央はあの自分を好きだとのたまうポンコツヘンタイ二等種のことを思い出す。
寸止めで限界まで責められるのが大好きだなんて、ボクには一生理解できないやと頭の片隅で呟き、意味の無い喘ぎ声しか出せない唇で、何とか言葉を紡ごうと足掻く。
「区長、答えて下さい。……いつからですか」
「そん……なの…………んぁっ、いまさら……聞く、までもっ…………ないでしょっ……」
「……そうですか、メスの方もこのデカブツで責めて欲しいと」
「ヒッ……」
(ああ……やっぱりキミは有能すぎる……本気のキミ相手か、最後まで耐えられるかな……)
一つの質量が、蜜を吐き出し続ける泥濘の入口に当たる。
これから襲いかかるであろう過ぎた快楽という苦痛に、央は身体を震わせこぼれ落ちる涙と共に人知れず覚悟を決める。
「骨盤は緩めてあるので、この大きさでも入るでしょう。……無理矢理にでも入れますが」と物騒な言葉を囁きながら久瀬が手に力を入れかけたその時
「くっ、久瀬部長!! 逃げて、逃げて下さいっ!!」
シュンと尋問室のドアが開くと同時に、狼狽した叫び声が轟いた。
◇◇◇
「なんだ、尋問中だぞ? 中には入るな……と…………」
予期せぬ来客に眉を顰め諫めようと扉の方を振り向いた久瀬は、目に映る光景に言葉を失った。
そこにいたのは、品質管理局の管理官だ。
スーツに水色のケープという、地下では滅多に見かけない出で立ちの若者は、しかし膝から下は泥にまみれ、生気を失った顔で息を切らしていた。
「っ、大丈夫ですか!?」
久瀬は道具を放り出し、部屋に入るなりバタンとその場に倒れ込んだ品質管理局の管理官に慌てて駆け寄る。
抱きかかえれば、腰の辺りがじっとりと濡れそぼっている。それが水では無いと気付いて、久瀬の顔色がさっと変わった。
ああ、これは間違いなく助からない――!
「しっかりしてください!! 一体上で何があったんですか!?」
「逃げて……逃げ、られない…………」
「逃げられない!? 何がですか?」
「……遅すぎた…………久瀬部長、地上は…………世界中で大陸が割れて、水の底に沈んでいます……」
「な…………!!」
せかいは、めつぼうするんです――
その一言を最後に、かくりと管理官の首が落ちる。
久瀬はしばし呆然とまだ温かい亡骸を見つめ……そしてハッとして後ろを振り返った。
「はぁっ、はぁっ……んっ……あはっ……」
そこには、膝立ちのまま発情と腹の重さに息を荒げ、けれど先ほどまでと変わらない笑顔を浮かべた央。
その表情はまるで「間に合った」と言わんばかりで、どこか満足感すら感じさせる。
どう見てもこの状況にそぐわない表情に、久瀬は嫌な予感を覚え眉を顰めた。
――そう、自分の勘はこれでも結構鋭い方なのだ。
「…………区長……いえ、央くん。あなた一体何を」
「ふふ、何だろうね? ……ああそうだ……んぁ……っ……さっきの君の問いにっ……答えてないや……」
あまりのもどかしさに腰を揺らしながらも、央は笑顔で言葉を紡ぐ。
どうやら自分の一番得意な、そして最後の魔法はちゃんとシオンのトモダチに届いたようだと確信し、不思議な安堵感を覚えながら。
(あんまり好きじゃ無かったんだよ、この魔法……だってあまりにも……バレバレで……)
ふたなりの自分が、望んだ性別として魅力的に見える魔法。
初めて使えるようになった魔法が、一体誰のためかだなんて確かめるまでも無くて……恥ずかしいけれど、それでも毎朝こっそりかけて登校するのを止められなかった。
けれど今、自分は心からこの魔法に感謝している。
――きっとボクは、今日この日のためにこの魔法を発現したんだって、断言できるから。
ドン、ドンと外から聞いたことも無い不気味な音と地を這うような地鳴りが何度も響く。
慌てて久瀬が確認したタブレットには、この建物の外の状況が……地下の「空」が割れ、先ほどまで地上を構成していたありとあらゆるものが、海水と共にこの隔離された空間の中に怒濤の勢いで流れ込む様が映っていて。
「…………まさか……」
「……そう。最初から、だよ」
短いやりとりを最後に、調教管理部の建物は墜ちてくる土砂の波に押しつぶされた。
◇◇◇
(そう、これでいい)
衝撃と共に目の前が真っ黒に染まる、その直前。
安堵と場違いなほどの凪いだ心に浸る央の脳裏によぎったのは、かつての実験風景だった。
シオンとそのトモダチの体液を分析した結果、その組成が性別が異なるだけの同一人物だと発覚した日。
実験の結果からはトモダチの存在を認めざるを得ないと何気なく伝えた、その言葉をシオンは大層喜んで、心の中で叫んだのだ。
きっと自分達は、この先どんな目に遭っても、この喜びを抱き締めて壊れるまで生きられると――
(もう、いいんだよ)
薄らぐ意識の中で、央はシオンに語りかける。
この言葉は、きっと届かない。それでも……彼らがこれからを生きるためにも何とか伝わってくれと、祈りを込め最後の力を振り絞って。
(シオン、キミはもう……ボクの言葉なんかを抱きしめて、生きなくていいんだ)
――そして、世界は暗転した。
◇◇◇
「……終わらないな」
「これ、不良品の癖に体力ありすぎじゃね……?」
一方シオンを閉じ込めた檻の前では、二人の管理官が大きなあくびをしながら目の前で繰り広げられる無様なダンスを眺めていた。
頭のおかしくなった……否、最初からおかしかったドマゾの作業用品にエアセックスを許可して、一体どのくらいの時間が経っただろうか。
目の前の変態個体は相も変わらず一心不乱に腰を振り、時折小さな喘ぎ声を漏らしている。
最初の内はその滑稽さを存分に堪能していた二人だったが、こうも同じ光景が続けば飽きがくるものだ。
「……もう止めちゃおうぜ」
「だな。絶頂出来なかったのは俺らのせいじゃないし」
痺れを切らした管理官の一人が、ポケットからリモコンを取り出す。
そして「おい、いい加減に止めて餌を食えよ、このポンコツが」とシオンに向けてボタンを押した。
だが、期待していた反応は……すかさず停止電撃が流れ、その場に倒れ込むシオンの姿は見られず。
変態個体は相変わらず間抜けな顔で腰を振り続けている。
「ん? あれ……反応しないぞ、故障かな」
「魔力切れじゃねえの? 俺のを使うか」
その様子にもう一人の管理官がリモコンを手にしたその時
「!! うわぁ、びっくりした……おいおいもうちょっと場所を選んで飛んで来いよ」
「ってお前どうしたんだ? 泥まみれじゃないか!?」
ぱぁっと目の前が光ったと思ったら、次の瞬間彼らの目の前には同僚の管理官が立っていた。
だが、どうも様子がおかしい。
彼女の顔色は紙の様に白く、グレーの制服はあちこちが泥で汚れている。
――本物の土などこの隔離された地下空間には存在しないのに。
同僚達の呼びかけにも答えず、顔を強張らせたままの彼女はさっと後ろを振り返る。
そして檻の中で相変わらず腰を振り続けるシオンの姿を目にするや否や「止まりなさい!!」と叫びながら檻に駆け寄った。
「お、おい、どうした? 何をそんなに」
「!! あんたたちこそ、何してるのよ!? 早くこれを止めなさい!」
「へっ」
「災害よ! 保護区域の『空』が割れて……地上が、落ちてきている! ここもじきに埋まるわ!!」
「な……っ!! ちょっと待てよそれじゃ」
「私達は助からない!! せめて、これを止めて……これ以上の被害を防ぐ!」
半ば悲鳴のような管理官の叫びに、彼らはさっと顔色を変える。
慌ててリモコンを操作するも、やはり停止電撃は発生しない。
「くそっ」「上がやられたせいか!!」と焦る彼らが、こうなったら力尽くだと檻の鍵を手にするも、既に遅し。
檻の扉が開く前に轟音が鳴り響き、彼らの命は天井と壁を同時にぶち抜いた大量の濁流により刈り取られた。
◇◇◇
(はぁっ、気持ちいい……もっと近くに、至……)
(うん、気持ちいいね、詩……まだ、近づける……)
一体何十回、放逸を、そして絶頂を繰り返しただろう。
既に身体の感覚は無くなり、ただ二人の意識だけが白い快楽の波の中に溶けていく。
どこか遠くで怒号が聞こえたり、何かに押しつぶされる衝撃を受けたような気もするが、この穏やかで、温かくて、気持ちがいい世界には何の関係も無いことだ。
ああ、また快楽の波が、自分達を包み込む。
じゅわんと何かが内側で優しく弾けて、また二人の距離は近くなる。
(ねぇ……ほら、私達……一つになったよ……至は消えない)
(うん、僕達は……もう、離れない……ここに、詩がいる……)
この幸せな交合も、いつかは終わりを迎える。
そして自分達は互いのことを忘れ、愛しい人を忘れ、最後の砦であった名前と死に至る希望すら奪われて、本当の意味で人間様のモノと化してしまう。
それでも、魂の奥底にまで刻みつけたトモダチの痕跡は、きっと管理官様にだって消せやしない――
(ずっと、ずっと……詩と、一緒だよ)
(えへへ……至と、一緒……幸せだなぁ……)
彼らの穏やかな時間の外。
二等種を拒絶した高い空の下では、恐怖と共に人の営みが海へと還る。
人間の作りし虚構の空が割れ、そこに満ちた絶望ごと全てを押し流す。
そして二つに離れていたものが、ようやく一つとなって……
二人の世界を、抱き締めるように包み込んだ。
◇◇◇
ふっと途切れ掛けた至恩の意識は、底につく前に浮上する。
この身体は夢を見ることを奪われていて、昨日と今日の間に意識の隔たりは存在しない。
(……起床の時間だ)
微睡みすら許されない意識の片隅で、至恩は寝転がったまま今日の到来を知る。
それにしても「昨日」は凄かった。初めての交合は想像以上に気持ちよくて、幸せで、止める事なんてできるはずが無かったよ……とつい先ほどまで続いていた行為の余韻に頬を緩ませ浸りながら、何の気なしに目をぱちりと開ける。
だが
「えっ、眩しっ!?」
目に飛び込んできた想定外の強い光に、至恩は思わず瞼をぎゅっと閉じた。
(あれ……? も、もしかして既に、起床時間を超えてる……!? ヤバい、これは本当にヤバい!!)
すぐさま脳裏によぎるのは、あの鬼のような管理部長のだるそうな懲罰宣告だ。
よりによって朝寝坊だなんて、幼体でもあるまいし大失態極まりない。これは間違いなく懲罰用浣腸液とエンドレス説教一晩コースだと至恩は身を震わせ、しかし奇妙な違和感に気付く。
新しい日を迎えたはずの身体に、ビリビリの余韻が無い。
――どうして今日は、電撃という日の終わりと始まりを区別する合図が流れなかったのだろう?
(…………確か、僕は……昨日の朝、全部管理官様にバレて、大改修と記憶消去を言い渡されて……)
そうだ。
久瀬に処分を言い渡された後は、手足を拘束されて素体用の狭い保管庫の中に放り込まれ、2日後に控えた執行を詩と共に待っていたはず。
あそこは漆黒では無かったけど、決して明るくは無かった。少なくともこんな目の潰れそうな光はどこにも無かったと断言できる。
戸惑いながらも、至恩は寝転んだままそうっと瞼を開ける。
途端に飛び込んでくる光は調教棟の灯りよりもずっと眩しい。慌てて目を細くして確かめれば、光は外から差し込んできているようだ。
天気は快晴。青空に太陽が輝き、カーテンのかかっていない窓の向こうから部屋の中を燦々と照らしている。
「……太陽…………え、窓……外ぉ!?」
この調教棟に、どころか地下に窓は存在しない。まさか、また災害の夢だろうか。
状況を確かめようと至恩は慌てて身体を起こし……た瞬間ゴツン! と大きな音を立てて目の前に火花を散らし、思わずその場で悶絶した。
「「っ痛あぁぁっ!!」」
思わず叫ぶその声は、聞き慣れた声と唱和する。
ズキズキする額を抑え涙目で捉えた視界には、同じように「痛い……絶対たんこぶできたぁ……」と顔を顰めて呻く、詩音の姿があった。
「ご、ごめんっ詩……大丈夫?」
「うん……いてて、頭がクラクラするぅ……」
ごめんねと詩音の肩を抱き寄せて、至恩はそっと背中を撫でる。
気のせいだろうか、何だか首の辺りがスースーして……ついでに身体が震えてしまう。
遠い記憶の中にすっかり埋没してしまったこの感覚は一体、何だっただろうか。
(まぁいいや……にしてもここは……またスーツケースで運ばれた?)
ようやくはっきりしてきた視界で、ズキズキする額に顔を顰めながら至恩は周囲をぐるりと見渡す。
さっきまでいたはずの保管庫とは異なり、ここは随分と広い部屋に見える。幼体の頃の部屋より広いのでは無いだろうか。
床は見慣れたリノリウムではなく、木目の入ったフローリングだ。
そして……視線の先には大きな掃き出し窓。
その向こうには、どこまでも高い空が広がって。
(…………!?)
やっと痛みが落ち着いてきた詩音もまた、ポカンと口を開けたまま、部屋をキョロキョロと見回している。
明らかに知らない場所。鍵の無いドアがついている壁。そして……窓の外に広がる天井の無い空。
夢なのかと思ったが、さっきの頭突きの痛みはとてもじゃないが夢とは思えない。
「ねぇ、詩」
「ねぇ、至」
突然の事態に二人は呆然と顔を見合わせ、ぴったり息を合わせて叫ぶのだった。
「ここ、どこ!?」